新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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スーの村②

 

 

 

 瞼を閉じていても感じる程の眩い光を受け、メルエは重い瞼をゆっくりと開く。差し込んで来る眩しい光から逃れるように、もう一度うつ伏せに倒れ込んだメルエは、何かを思いついたかのように勢い良く起き上った。

 周囲を見渡す瞳はどこか不安の色に満ちており、落ち着きなく動かされている首は、何かを探し求めるように狭い空間を網羅する。

 メルエの身体は、柔らかなベッドの上にあった。メルエの身体をすっぽりと包み、それでもかなりの余裕がある程の大きさのあるベッドは、本来は二人で眠る物なのかもしれない。しかし、いつもメルエの横に眠っていてくれる母のような女性戦士の姿はない。ベッドの大きさに比べ、少し手狭に感じる部屋にも人の気配はなく、メルエが探し求めている人物の姿もなかった。

 

「…………うぅぅ…………」

 

 『全てが夢であった』ような感覚に陥ったメルエは、自分に掛かっていた物を顔付近まで上げ、嗚咽に近いような唸り声を上げる。自分の中にある最も信頼できる強者を探し求めて走り、ようやく出会えたと感じた筈なのにも拘わらず、目が覚めれば昨日と同じ宿屋の部屋であった事が、メルエの心に絶望を運び込んだ。

 昨夜感じたと思った安心感は急速に萎んで行き、本当に昨夜の出来事であったのか、それとも只の夢であったのかが判断出来ないメルエは、唸り声を上げて涙を出す事しか出来ない。それでも、再び彼女は立ち上がる。自分が探し求める者を見つける為に。

 メルエが部屋を出て、階段を下り、そして宿屋の外へと飛び出した時、すぐ傍で金属がぶつかり合う音を耳にする。部屋を出る時に持った魔道士の杖であった物を胸に抱き、聞き慣れたその音に目を見開いたメルエは、起きたばかりの姿のまま、その音が聞こえてくる場所へと駆け出した。

 

 

 

 

「くっ!」

 

 リーシャは自分の斧を弾く剣に苦悶の声を上げる。ほんの数か月前にその剣を受けた事を思い出しても、これ程の力強さを感じる事はなかった筈。だが、今目の前で振り抜かれた剣は、リーシャの身体を傷つける事はないが、リーシャの髪を数本斬り裂く程の風圧を持っている。

 今までもリーシャ自体が手を抜いた記憶はない。だが、今対峙している者に対し、殺意を持つ程に本気で対峙した事もなかった。その均衡が崩れようとしているのは事実であろう。

 

「調子に乗るな!」

 

 傍で見ているサラでさえ、リーシャの旗色が悪くなっているのではないかと感じた時、後方へ一歩足を下げたリーシャがその足を踏ん張り、前方へと身体ごと踏み出した。踏み出す足を軸に回転させた腰は、リーシャの持つ鉄の斧を対峙している者の腹部へと導いて行く。

 凄まじい速度で放たれた一撃は、剣を振っていた者の攻撃を中断させ、防御に徹しなければならない程の威力を誇った。咄嗟に掲げられた鉄製の盾にぶつかった斧は、自身も弾かれるのと引き換えに、盾を掲げた者の身体をも弾き飛ばす。

 

「くっ……殺す気か?」

 

「お、お前が悪いのだぞ! 先に私を殺しにかかって来たのはお前だろ!?」

 

 態勢を立て直した剣の使い手は、眉を顰め、凄まじい勢いで斧を振るったリーシャへ苦言を発した。リーシャも、自身の放った一撃の重さを理解していたのだろう。慌てたような素振りで弁解を始める。しかし、その弁明は、傍で見ていたサラに呆れの溜息を吐かせてしまう物であった。

 確かに凄まじいと感じる程の攻防であったが、剣の使い手に殺意は感じなかった。だが、最後のリーシャの一撃だけは、殺意ではないだろうが、これまでのような鍛錬とは一線異なった物を感じてしまう物であったのだ。

 鍛錬という名の二人の戦いを見て来たサラは、その違いに気付いていた。どことなく余裕を持っていたリーシャの余裕が崩されていた。それは、剣の使い手である青年の力量がリーシャに近付いている事の証拠。

 元からかけ離れた実力の差はなかった。だが、僅かな差であれ、実力の差は実力の差。その明確な差が、この青年とリーシャの攻防に表れていたのだが、今回の戦いに於いて、サラでさえもその勝敗の行方が解らなかったのだ。

 先程のリーシャの一撃で勝敗は決した。態勢を崩した青年は、その後にリーシャの斧が迫れば回避出来ない。つまり、リーシャの勝利で幕を下ろした事になる。だが、リーシャの表情は、勝者のそれとは掛け離れた物だった。

 悔しそうに結ばれた口と、伏せられた瞳。追い詰められたとはいえ、本気の一撃を青年へ放ってしまった事への後悔もあるのだろう。先程の弁解以降、口を閉ざしてしまったリーシャは、身体全体で敗者の空気を醸し出していたのだ。

 

「…………カミュ…………」

 

 そんな異様な空気の中、聞こえて来る小さいが良く響く声。呟くようなその声は、その場にいた三人の耳に確かに届いた。声の場所へ顔を向けると、寝巻のまま呆然とこちらを見つめる幼き少女。息を切らせながらも、その待ちに待った瞬間の到来に魂を抜かれてしまったような表情を見せるメルエが佇んでいた。

 

「起きたのか?」

 

「メルエ、身体の具合は……」

 

「…………カミュ!…………」

 

 その姿を確認した青年の呟きの後に発したサラの言葉は、幼き少女の心からの叫びによって遮られた。先程以上の速度で駆け出した少女は、真っ直ぐに青年の胸へと飛び込んで行く。宙を飛ぶように胸へと飛び込んで来たメルエを抱き締めた青年は、少し驚いた後、小さな微笑みを浮かべた。その微笑みは、リーシャやサラが今まで見た中でも格別に柔らかく、温かな物。二か月以上も離れ離れになっていた娘を抱くようなその優しさは、リーシャとサラの心をも柔らかく溶かして行く。

 

「よし。カミュ、朝食前にもう一度勝負だ!」

 

「……わかった」

 

 メルエによって空気を変えられた事で、リーシャもいつも通りの雰囲気を取り戻した。斧を突き出して、再戦を挑む姿に軽い溜息を吐き出したカミュは、未だに胸に抱き着いているメルエを引き剥がし、構えを取る。

 引き剝されたメルエは、不満そうに頬を膨らませてリーシャを睨むが、笑みを浮かべたサラに手を引かれ、少し離れた場所へと移動を開始した。

 

「あれ? メルエはまだ寝巻のままなのですね。一緒に宿屋に戻って着替えましょう?」

 

「…………いや…………」

 

 メルエの姿を確認したサラが、その手を引いて宿屋へ戻る事を提案するが、その提案は即座に拒絶される。『ここから一歩も動かない』とでも言うように、首を振って動かないメルエにサラは軽い溜息を吐き出した。

 強情さだけで言えば、このパーティーの中でメルエの右に出る者はいないかもしれない。カミュという青年も、リーシャという女性も、強情さだけで言えば、世界の頂きを見る程の者である。しかし、この少女には敵わない。一度首を横に振ったが最後、自分の気持ちが変わらない限り、誰が何を言ってもそれを受け入れる事はないのだ。

 

「もう……仕方がありませんね。こちらに座って見ていましょう?」

 

 動こうとしないメルエの後頭部を見ながら溜息を吐いたサラは、傍にある石の上に腰を下ろし、メルエをその隣に座らせる。今度はすんなりと言う事を聞き、石へ腰かけたメルエは、胸に杖を抱いたまま、再び剣と斧をぶつけ合わせたカミュとリーシャの戦いを観戦し始めた。金属がぶつかり合う音が響く中、二人の強者の戦いは熱を増し、朝食までの時間が経過して行く。その間も、メルエは身動き一つする事無く、二人の戦いを見つめていた。

 

 

 

「まぁ、少し本気を出せば、まだまだカミュに負ける事はないな」

 

「……ふぅ……」

 

 誇らしげに汗を拭うリーシャの息は、いつも以上に上がっている。それは、言葉通り『本気』に近い状態でカミュと対峙していた事が窺えた。その横で息を吐き出すカミュも汗を流し、息も切れている。二人の鍛錬という名の戦いが拮抗していた事の証明であろう。それでも、僅かにリーシャの方が上であった。

 リーシャの斧を受けるカミュも真剣そのものであり、サラは二人のどちらかが大怪我をするのではないかと『ひやひや』していたのだ。

 この世界の中で、リーシャが本気で対する事の出来る『人間』はカミュを置いて他にはいない。既に世界最高峰の力と技を手にしているこの二人とまともに戦う事の出来る者は『魔物』以外にはいないと言っても過言ではないのだ。

 このスーの村を訪れる前に出会った女海賊であっても、今のリーシャの全力を受け止める事など出来はしないだろう。故にこそ、リーシャはこれ程までの晴れやかな表情を見せるのだ。自身と対等に立てる人間との鍛錬は、『戦士』という職業に就くリーシャにとって、何物にも代え難い存在なのかもしれない。

 

「お疲れ様でした。それでは食事にしましょう?」

 

 二人へ手拭いを渡しながら、サラが二人に声をかける。清々しく笑みを浮かべるリーシャは、その提案に一も二も無く頷きを返し、カミュも小さく頷いた。しかし、先程まで何かを待っているかのように二人の戦いを見守っていた幼い少女は、その提案を良しとはしない。胸に抱いた杖を片手で握り、汗を拭いているカミュの腰にしがみついた。

 

「…………ん…………」

 

「なんだ?」

 

 カミュの腰に回した腕とは別の手を上に掲げ、メルエが杖をカミュへと差し出す。その行動が何を意味するのかが解らないカミュは眉を下げて問いかけるが、メルエは不満そうに頬を膨らませ、再び手に持つ杖を高々と掲げるばかり。よくよくカミュがメルエの手にある杖に目を向けると、そこにある筈の物がなくなっていた。

 

「宝玉が無くなっているな……壊したのか?」

 

「…………むぅ…………」

 

 壊れた杖を向けられたと思い、それを問いかけたカミュは、更に頬を膨らませたメルエの鋭い視線を受けて戸惑いを見せる。自分が待ち焦がれていた青年との再会。そして、胸を締め付けるかのような不安の軽減。その二つが、メルエの我儘と甘えを復活させていた。

 自分が伝えたい事が伝えられない事のもどかしさに頬を膨らませ、『何故、解ってくれないのか!?』という理不尽な想いを投げかける。困惑するカミュへ鋭い視線を向けるメルエとは異なり、周囲にいるリーシャとサラは柔らかな微笑みを浮かべていた。

 

「それは、メルエが壊した訳ではないのです。メルエの魔法力を受け止め続けて来た魔道士の杖は、その限界を迎えてしまいました。メルエの成長を見届けて下さり、宝玉は砕けてしまったのです」

 

「メルエは、その杖に並々ならぬ想いがある。メルエや私達を護ってくれたその杖に、カミュにもお礼を言って欲しいのだろう」

 

「…………ん…………」

 

 これまでの経緯を知らないカミュの為に、サラとリーシャがメルエの想いを口にする。魔道士の杖をメルエに買い与えてから二年近くの月日が経過している。そんな長い時間は、それ程珍しくはない杖を特別な物へと変化させていた。

 それこそ、魔道士の杖という物を象徴する宝玉を失ったとしても、大事に抱え、誇らしげに見せようとする程に。そんなメルエの姿を見たカミュは、小さく頷き、メルエの目線に合わせるように屈み込んだ。

 

「ありがとう」

 

 そして、メルエの掲げる杖に向かって丁寧に頭を下げる。深々と下げられたカミュの頭は、メルエでもリーシャ達でもなく、宝玉を失った杖だけに向けられた物であった。それを見たメルエは満足そうに微笑み、再び杖を胸に抱く。だが、その行為は、彼女が最も頼りとする保護者によって咎められる事となる。

 

「メルエ、その杖はトルドの所へ置いて行こう。メルエには他の武器を用意する」

 

「…………!!…………」

 

 カミュのその言葉は、メルエの心に衝撃を与えた。大事な宝物との明確な別れを意味する言葉が発せられたのだ。

 サラは『捨てて行く』と言った。リーシャは何も言わないが、サラと同様の考えである素振りを見せている。それでも、メルエの心を汲んで、その言葉を飲み込み、強硬な行動を取る事はなかったが、カミュの言葉はメルエの中で絶対的な力を持っていた。カミュがこう言う以上、メルエに逆らう事は出来ず、それを受け入れる以外に方法はないのだ。

 

「メルエの魔法は、俺達を何度も救ってくれた。その魔法を行使する為に、その杖も頑張ってくれたのだろう。もうそろそろ、その杖も休ませてやろう」

 

「…………まほう………でない…………」

 

 だが、カミュもメルエの心を蔑にしている訳ではない。メルエがその杖に『依存』している事を理解し、その心を考えて尚、それを口にしたのだ。故に、カミュの言葉からは、メルエが抱く魔道士の杖だった物への労りが見えている。

 メルエは、その杖への労りを感じ取り、反論が出来ない。『杖を休ませてやろう』と言う言葉は、リーシャやサラからは出て来ず、メルエも考える事はなかった。『離れたくない』、『手放したくない』という自分の想いが先走っていたのだ。杖の気持ちと言う事自体が奇妙な物ではあるが、幼いメルエにとって、カミュの言葉はとても胸に響く事になる。

 

「それは、メルエの心次第ですよ。しっかりと成長したメルエの姿を見たからこそ、その杖は役目を終えたのです。ここで、メルエが心を閉ざしてしまっては、その杖も哀しんでしまいますよ」

 

「そうだな。メルエが凄い事を私達は知っているが、成長したメルエが凄ければ凄い程、そんなメルエの成長を見守った杖も凄いという事になるぞ」

 

 眉を下げ、自信なさげに俯くメルエを見て、サラとリーシャもカミュに倣う事にした。メルエが誇りに思う物を持ち上げ、メルエが自信を失くしてしまえば、その誇り自体が傷付いてしまうと伝える。

 理路整然と述べるサラとは正反対に、リーシャの話はどこか漠然とした物であったが、実はリーシャの言葉の方が、メルエの心に素直に響いていたのかもしれない。

 

「…………つえ………すごい…………?」

 

「ああ。メルエがここまでの『魔法使い』になれたのは、その杖のお陰だ。勿論メルエ自身の能力も凄いぞ。だが、その杖はメルエの誇りであると共に、私達の誇りでもある」

 

 簡素な言葉ほど、幼い者の心には響くのかもしれない。リーシャを見上げるように見つめていたメルエの瞳が、その言葉を受けて輝き出す。自身の誇りを理解してくれた事への喜びと、自分の力を誇ってくれる事への喜び。嬉しそうに微笑んだメルエの表情を見たリーシャとサラは、心からの喜びを満面の笑顔と言う形で表現した。

 ここ数週間、これ程に美しメルエの笑顔を彼女達は見た事がない。カミュという精神的主柱との再会と、自身の胸の内に棲みつく不安の解消。それが、メルエに笑みを運んで来た。メルエの笑みは、全てを和ませる。カミュ達の心も、この旅の雰囲気も。

 

「よし! その杖は、トルドに大事に保管して貰おう。メルエの新しい武器探しを兼ねて、朝食が終わったら、村散策だな!」

 

「…………ん…………」

 

 メルエの悩みの全てが氷解した訳ではない。実際に新たな武器を手にしても、メルエが今までと同様の魔法を行使出来るかどうか解らない。だが、メルエの心を満たしていた『不安』という闇は晴れた。視界が開けたメルエの瞳には、村の中で歩く人々も動物達も、輝いているように見えている事だろう。

 小さく頷いたメルエの顔は笑顔が浮かんでいる。それがリーシャ達には何よりも嬉しい。もしかすると、リーシャやサラの視界も開け、この小さな村の情景が昨日までとは異なって見えているのかもしれない。

 

「村の散策ですか? 情報などもしっかりと集めませんと……」

 

「何を言っても無駄だ」

 

 晴れやかな笑顔を浮かべてメルエの手を引くリーシャは、そのまま宿屋の方へ歩き始める。そんなリーシャを見たサラは苦言を述べるが、ゆっくりと歩き始めたカミュは小さな溜息を吐き出した。

 カミュの呟きにサラは何故か笑いをこらえられず、笑みを溢す。常に無表情であるカミュでさえも、小さな笑みを浮かべ、リーシャとメルエの後を続いて歩き始めた。

 

 ようやく戻った四人の掛け合い。

 二か月という長い別離であった。

 しかし、今にして思えば、僅か二か月なのかもしれない。

 各々の心と身体の成長を加速させた二か月。

 それは、この先の旅に多大な影響を及ぼす時間となるだろう。

 

 

 

 

「まずは武器屋だな。カミュ、武器屋は何処だ?」

 

「……久しぶりに聞いたが、相変わらず理解に苦しむ。アンタ達の方が、俺よりも長くこの村に滞在している筈だが……」

 

 食事を済ませた一行は、宿屋に長期滞在の礼を言い、表へと出た。しかし、表に出た直後に発したリーシャの言葉は、カミュに溜息を吐かせる物。隣に立っていたサラは、そんな二人のやり取りに笑みを浮かべ、同じように笑みを浮かべるメルエと共に笑い合う。

 カミュの言う通り、リーシャ達は数週間の間、このスーの村に滞在していた。しかし、彼女達の言い分としては、村の中を観察する余裕などはなかったのだ。

 

 『メルエが笑わない』

 

 そのたった一点だけで、パーティーは崩壊へ歩み始める程に余裕を失っていた。サラは改めてメルエと言う少女の重要性を知る事となる。

 メルエという楔があったからこそ、カミュ達は真っ直ぐに道を歩けていたのかもしれない。もし、メルエと出会う事がなければ、カミュはここまで心を砕く事はなかっただろう。カミュが心を覆う氷を溶かし、リーシャやサラを見るようにならなければ、サラは『賢者』となるばかりか、この旅を途中で放棄していたかもしれない。メルエという幼い少女と出会う事がなければ、リーシャの母性も表には出ず、カミュに対しての見方も変化しなかったのかもしれない。仮定の話ではあるが、三人の心の成長はたった一人の少女が起因している事だけは事実であろう。

 

「メルエ、少し離れてくれ……」

 

「…………むぅ…………」

 

 その少女は、やっと巡り合えた青年の足にしがみ付き、そのマントに包まりながら笑顔を浮かべていたが、歩く事も困難な程に纏わり付く少女に困惑した青年の言葉に頬を膨らませている。それでも離れる様子のないメルエは再び笑顔に戻り、カミュのマントの中を出たり入ったりを繰り返しながら笑みを浮かべ始めた。

 そんなメルエとカミュの様子は、リーシャとサラに先程以上の笑みを浮かべさせる空気を作り出す。和やかな空気をそのままに、一行は村の一角にある武器と防具の看板を掲げる店へと移動を始めた。

 

「この店の武器を見せてくれ」

 

「……わか……った……」

 

 店の中に入ったカミュは、返って来た店主の言葉に眉を顰めた。トルドのいる開拓地にいた老人と同じように、訛りが酷く聞き取り辛いのだ。ジパングという特殊な国であっても、その発音の仕方や言葉尻に異なる部分はあったが、聞き取れない程ではない。それがこの村は、別の言葉を話しているのではないかと思う程に聞き取り辛いのだ。

 

「そ、それは!」

 

「これはアンタ向けの武器だな。その斧も相当の場数を踏んで限界に近い筈だ。この辺りで新調しておくのも良いだろう」

 

 店主がカウンターに出して来た武器の中の一つに声を上げたリーシャは、その武器を手に取り目を輝かせている。その様子を見たカミュは、溜息などを吐く事も無く、冷静にリーシャの現在の武器と比べての評価を口にした。

 確かに、リーシャの持つ鉄の斧を購入してからも一年半以上の月日が経ち、その間も数多くの魔物を斬って来た。魔物だけではなく人を斬った事さえあり、ジパングでは古来からの龍種の鱗をも斬り裂き、その牙を両断した事もある。

 『戦士』として、そして『騎士』として、己の武器の手入れを怠らないリーシャではあったが、武器としての寿命が近い事は誰もが認めている事だった。

 

「リーシャさんにピッタリの武器ですね」

 

「…………リーシャ………つよい…………」

 

 久方ぶりに目を輝かせるリーシャを見たサラは、これまた久しぶりに失言を洩らしてしまう。しかし、幸いその失言は、その後に続いたメルエの言葉が搔き消してくれていた。

 新しい武器を持つリーシャへ輝いた瞳を向けるメルエの羨望の眼差しは、リーシャの自尊心を大いに盛り立て、その誇りを輝かせる。若干胸を張ったように見えるリーシャは、手に持つ武器を一振りし、一度カウンターへ戻した。

 

「……それ……バトル……アックス……」

 

 リーシャの手にした武器は、名をバトルアックスという。その名の通り、戦う為に作られた斧。つまりは戦斧である。鉄の斧とは異なり、両刃の斧であった。

 装飾も手が凝っており、これに比べると、カンダタが所有していたハルバードが霞む程だ。ずっしりとした重量感と、刃先の鋭さ。どれをとっても戦う為だけに作られた『斧』である。

 『戦斧』の名に相応しいその姿は、『戦士』であり『騎士』であるリーシャの心を鷲掴みして離さない。リーシャが剣を持たなくなって長い時間が経過している。彼女の手に馴染む物は、既に『斧』という武器に変化しているのかもしれない。

 

「いくらだ?」

 

「……8700……ゴール……ド……」

 

「!!」

 

 目を輝かせているリーシャの横からカミュが価格を問い質す。それに対しての店主の答えに、リーシャとサラはそれぞれの驚きを示した。

 リーシャはその価格の高さについてであり、このバトルアックスという斧は、リーシャの持つ鉄の斧の四倍近くの価格がする。いや、鉄の斧の価格が5000ゴールドだと思っているリーシャから見れば二倍なのかもしれない。その価格は、ここまでの武器や防具の中でも破格の値段であった。

 対するサラは、このスーの村という遠隔地で、世界共通の貨幣が意味を成す事に驚いていたのだ。ジパングでは自給自足の為、貨幣いう物が存在しなかった。このスーの村も村の規模としては、異教徒達の暮らす集落と大差はない。しかも、言葉の訛りが酷く聞き取る事すら困難な程に田舎である。貨幣と言う価値を知っていたとしても、それによっての交易があるとも思えない。故に、サラは驚いたのだ。

 

「盾も何かあるか?」

 

 しかし、全く動じない者が一人。いや、正確に言えば二人となるが、もう一人は全く興味を示さず、『自分の物は?』という期待に満ちた瞳でカウンターを見上げている。そんな少女の頭を撫でながら、青年が防具に関しても店主へ問いかけた。

 それは自らの防具ではないのだろう。先程までバトルアックスを手に取っていたリーシャへ視線を向けた後での問いかけである事がそれを示していた。

 

「……まほう……たて……」

 

「魔法の盾がこの村にもあるのか?」

 

 カミュからの視線を受け、リーシャは自分の左腕に装着されている鉄の盾に視線を送った。彼女の装備している盾は、既にその機能の大半を失っている。様々な暴力から身を護り、太古の龍が吐き出す火炎から仲間達をも護り通した。その代償に盾の表面は融解し、新品であった時のような形式を保ててはいない。故にこそ、店主が口にした盾の名前にリーシャは過剰なまでに反応を示したのだ。

 

「カミュ、申し訳ないが盾の方を優先してくれ。お前も盾を変えておいた方が良い。見たところ、お前は鉄の盾を買い替えたようだが、この先の旅に鉄の盾では心許無い」

 

「解っている。だが、このバトルアックスも買っておく。アンタの武器こそ、この先の旅に鉄の斧では心許無い」

 

 リーシャ達の持っている資金は、この村での長期滞在の為にほぼ消え失せている。武器等の購入資金に関しては、カミュの持つゴールドを頼らざるを得ないのだ。だが、不思議とその事に対してリーシャ達も違和感を覚えなくなって来ている。それが至極当然の事のようにさえ感じてもいるのだ。

 だが、このバトルアックスという武器がこれまでの武器の中でも別格の価格である事もまた事実。カミュの持つ草薙剣は、価格を付ける事の出来ない程の代物である事を除けば、パーティー内で最高値である。その事に戸惑いを見せるリーシャであったが、振り向いた先にいたサラは柔らかい笑みを浮かべて、一つ頷きを返した。

 

「わかった。有難く頂く事にする」

 

「全てで14700ゴールドだな。ここに置くぞ」

 

 リーシャが真剣な顔で頷いた事を見たカミュは、腰に着けていた袋からバトルアックス一つと魔法の盾三つ分のゴールドを取り出し、カウンターへ置いて行く。かなりの額ではあるが、カミュはその額を所持していた。

 実は、朝食が終わり、一行が宿屋を出る前に、カミュは魔物の部位を売却する為に一度村の中を歩いていたのだ。故に、宿屋を出た直後にリーシャが発した問いかけは、奇しくも間違いではなかった。既にカミュは武器屋の場所を把握しており、宿屋から一直線にこの場所まで歩いて来ていたのだ。

 

「しかし、カミュ。私が言うのも可笑しいが、ゴールドの方に余裕はあるのか?」

 

「……二か月以上の時間を一人で旅していれば、消費よりも収入の方が多くなる」

 

 何も躊躇する事無くゴールドを取り出すカミュに向かって発したリーシャの問いかけも、カミュが発した呟きによって搔き消された。その呟きは、リーシャの顔を歪ませ、サラは何かを思いついたように驚きを表す。メルエは、眉を下げてその足下にしがみついた。

 彼は、この二か月の間、本当の意味での『一人旅』をして来たのだろう。そこにあった苦労は計り知れない。それぞれの特技を活かせるリーシャ達三人の旅とは違う。

 リーシャ達は、物理攻撃のリーシャ、間接攻撃のメルエ、補助回復のサラと各々の役割を担えるが、カミュはそれを全て一人でこなさなければならなかったのだ。

 

 船での移動であれば、その進路を決めるのも彼。

 戦闘であれば、その魔物全てを打ち倒すのも彼。

 何事も彼一人で考え、彼一人で決定して行かなければならない。

 

 彼一人で町や村の宿屋に泊るのであれば、一人分の宿代となる。その金額は、そこまでの道中で彼が打倒して来た魔物の部位を売却した金額に比べれば微々たる物であろう。現在のカミュを見れば、装備品で新しく購入した物は鉄の盾のみである事は明白。武器や防具を購入しなければ、彼が使用するゴールドは僅かな物であり、使用しないゴールドは必然的に貯まって行ったのだ。

 そして、それが可能であったと言う事は、それ程の数の魔物を彼一人で打ち倒して来たという事の証明でもある。故にこそ、彼は飛躍的にその力量を上げて来たのであろう。『戦士』であるリーシャの力量に肉薄する程の成長は、彼が初めて経験した強い魔物との一人での戦闘が影響しているのだ。

 一人で戦う以上、視野を広く持たねばならず、その攻撃も的確に、尚且つ鋭く、そして素早く行わなければならない。それは、常人には解らない程のカミュの剣の軌道の隙を更に小さくして行く事となった。人外となった者達の成長は、そんな僅かな差が大きな要因となる事も多いのだ。

 

「お前の急成長の原因を垣間見たような気がするよ……よし! ゴールドの心配はないな。サラも欲しい物があれば選んでおけ」

 

「あ、は、はい。しかし、これ以上の私の装備は、この村には無いようですので」

 

 何処か遠くを見るような暖かい瞳でカミュを見ていたリーシャは、気持ちを切り替え、サラへと装備品の選別を指示するが、武器屋に置かれている品を眺めていたサラは、自身に合う武器が無い事を確認し、首を横に振った。

 カミュが購入した魔法の盾は三つ。メルエが既に装備している以上、それはカミュとリーシャ、そしてサラの分に他ならない。何かを期待するような瞳をカミュへと向けているメルエには、武器屋にあるもの全てを見通す事が出来ない。リーシャの武器の購入は決定された為、次は自分の番かもしれないという期待をカミュへと向けているのだ。

 

「これなんかどうだ?」

 

「な、なんですかそれは!? そんな派手な服は私には似合いませんよ。しかも、そんな物を着て、魔物と遭遇したらどうするのですか!?」

 

 しかし、メルエの期待と裏腹に、リーシャは傍に掛けてあった異様な服をサラへ見立てる。それは、女性用と言うよりは、むしろ男性用の服。それこそ貴族の人間が舞踏会などに出向く時に着用するような派手な服であった。

 しかも色は黒ではなく、赤とも紫とも言えるような煌びやかに光を放つ色。何故、このような辺鄙な村にこのような服があるのか解らないが、どう考えても場違いな雰囲気を醸し出している。

 

「……それ……エジンベア……の……」

 

「エジンベアの貴族が着ていた物を買い取ったのか?」

 

 嫌がるサラに無理やり合わせようとするリーシャを見ていた店主が口を開くが、その内容にカミュは小さな驚きを示した。

 元来、貴族という物は平民を見下している風潮がある。それは何時の時代も、何処の国でも同じ。そんな無駄な誇りの高い貴族の中でも、更に別格な程に無駄な誇りの高いエジンベアの貴族が、使い古しとはいえ、このような辺鄙な村で自分の衣服を売却した事にカミュは驚いたのだ。その驚きは、店主が首を縦に振った事で更に大きな物へと変化する。

 

「…………メルエ………も…………」

 

 しかし、そんな一同の動きに興味を示さない幼い少女は、杖であった物を胸に抱きながら、遂に口を開いた。

 彼女の中で、胸に抱いた杖との別れの覚悟は決まっている。カミュの言う『杖の休息』を受け入れる事に決めたメルエは、一年半以上もの間を共にした武器に変わる物との出会いに期待を膨らませているのだ。

 眉を下げながらも、懇願するような瞳を向けるメルエに、カミュは小さな溜息を吐き出す。メルエの魔法の才能は頭抜けている。そんなメルエの魔法力は、やはり媒体となる物がなければ、その身体を傷つける可能性を考慮に入れなければならないだろう。

 

「『魔法使い』が使えるような杖は置いていないのか?」

 

「……つえ……ない……」

 

 しかし、メルエの希望は、聞き取り辛い店主の言葉によって打ち切られた。この村には、『杖』と呼べるような物は存在していないというのだ。

 元来、『魔法使い』という職業の者は、自身の魔法力の媒体となる物を、生涯を通して使用する。一度購入した杖が何らかの外的要因があって折れてしまう事がない限り、買い換える事などないのだ。メルエの持っていた魔道士の杖などは良い例で、『魔法使い』が持つ初期的装備であるが、それは通常の『魔法使い』にとって人生の伴侶となる物でもある。

 故に、この世界に量産される『杖』は、この魔道士の杖以外にないと言っても過言ではない。何故なら、必要がないからである。世の『魔法使い』の中で、媒体を使用している者の持つ杖は、例外なく魔道士の杖である事が多い。だが、その魔道士の杖も製造している場所が限られている為、アリアハン等の辺境の国では、宮廷魔道士の中でも上位に入る者しか手にする事は出来ないのだ。

 

「メルエ程の『魔法使い』ならば、なかなか杖などは見つからないぞ。それ程にメルエは凄いのだからな」

 

「そうですね。メルエには、きっとこの世に一つしかないような『杖』が待っていてくれますよ」

 

「…………むぅ…………」

 

 哀しそうに眉を下げたメルエを見たリーシャとサラは、馬鹿騒ぎを止め、メルエに慰めの言葉をかける。それは、慰めの言葉ではあるが、彼女達二人が心から思っている事柄でもあった。

 彼女達は、メルエという『魔法使い』が稀代の者である事を信じているし、認めてもいる。そんなメルエが持つ杖は、有り触れた物ではないとも考えてもおり、カミュの持つ剣のように、『メルエにしか使えない物が出て来るかもしれない』とも考えていた。

 

 

 

 一行は武器屋を後にし、村の中を歩き始める。相変わらず、メルエはカミュの足下にしがみ付きながら、マントの中で出たり入ったりを繰り返している。自身の武器が見つからなかった事など然して気にしていないかのように、困惑するカミュの顔を笑顔で見上げていた。

 その様子は、長く人形のようになっていたメルエを見て来たリーシャやサラにとっては、涙が出る程に嬉しい事であり、リーシャなどは実際に瞳を潤ませ、何度も瞳を擦っている。周囲に解らないように涙を隠すリーシャを、サラは優しい頬笑みで見つめ、再びメルエへと視線を戻した。

 

「カミュ様、どちらに向かわれるのですか?」

 

「……この村には、井戸がある筈だ」

 

 メルエの動きに困惑しながらも、周囲に視線を向けるカミュの姿に気が付いたサラは、その行動を不思議に思い、目的地があるのかどうかを問いかける。それに対して返って来た答えは、サラの首を傾ける物であり、理解が及ばない物であった。

 『井戸』とは、大抵の町や村には存在する。川の近くなどにある集落ならば、井戸を掘る必要はないのだが、この村のように海に近い川であれば、塩分も強く、飲み水には出来ない。だが、その井戸を何故カミュが探しているのかがサラには解らないのだ。

 

「あの老人の言葉だな!? 確か……『井戸の周りを調べろ』だったか?」

 

「あっ! そう言えば、そのような事をおっしゃっていましたね」

 

 サラの疑問に答えたのは、カミュではなくリーシャだった。トルドが勤しむ開拓地にいた老人が、トルドを紹介した事に対する礼として告げた言葉の中に、この村の井戸が出て来ていたのだ。

 確かに、リーシャの言う通り、『井戸の周りを調べてみろ』というような事を言っていた筈。カミュはその言葉を思い出し、この村の井戸を探していたのだった。

 

「メルエ、少し離れてくれないか?」

 

「…………いや…………」

 

 井戸を探す為に周囲を見渡し、歩き出そうとしたカミュの足には、メルエがしがみ付いている。軽い溜息を吐き出したカミュは、メルエに離れて歩く事を願い出るが、その願いは即座に棄却された。

 首を横に振って頬を膨らませるメルエの姿に困り果てるカミュの姿は、リーシャやサラにとっても面白い物ではあったが、これでは先に進めない事は明白である以上、何とかしなければならないのも事実。故に、カミュの足下へリーシャが歩み寄る事になった。

 

「メルエも井戸を見つけてくれ。ほら、見えるか?」

 

 カミュの足下にいたメルエを抱き上げたリーシャは、そのまま周囲を見渡すようにメルエの視線を動かす。カミュから引き剝がされた事に膨れていたメルエであったが、周囲を見渡し、見た事のある場所を指差した。その方向へ三人も視線を動かすと、確かにそこには井戸と呼ばれる村の水資源が存在していた。

 メルエはアッサラームという町の劇場で下働きをしていた。その劇場で働く踊り子達の衣服を洗濯し、劇場の床を磨く仕事。その仕事を遂行する為には、彼女はまず井戸に行かなければならない。アッサラームのような大都市では、大きな施設にはその施設専用の井戸が存在する。おそらく、あの劇場にも劇場専用の井戸が存在していたのだろう。故に、メルエは瞬時に井戸を見つけ出した。毎日毎日、この幼い身体で水を汲み上げ、寒い日などは冷たい水に手の感覚を失くしながらも通った場所だったのだろう。

 

「よし! 凄いな、メルエは」

 

「では、行ってみましょう」

 

 即座に見つけ出したメルエを大げさに褒め称えたリーシャは、メルエの頭を優しく撫で、カミュとサラへ視線を送る。その視線に頷きを返したカミュを見て、サラが先頭になって井戸へと歩み出した。

 何がそこにあるのかは解らない。ただ、あの老人がわざわざこの場所を指定したのだ。ならば、それにはそれなりの理由がある筈。一行はそれを解き明かす為にゆっくりと井戸へと近付いて行く。

 リーシャの腕から降ろされたメルエは、再びカミュの足へ纏わり付き、その行動に困惑するカミュを見て、リーシャとサラは柔らかな笑みを浮かべる。再び訪れた幼い少女の幸せは、『魔王討伐』という過酷な使命を持つ者達の短い安らぎを齎した。

 

 彼等の旅は過酷な旅。

 一人では決して叶わぬ旅。

 いや、一人でも欠ければ叶わぬ旅。

 

 だが、彼等は再び集った。

 まるで何かに導かれているように。

 まるで各々が強く惹き合っているかのように。

 それは、彼等が選ばれし者達である事の証明なのかもしれない。

 

 

 

 

 




読んで頂き、ありがとうございました。

大変遅くなりました。
描いている内にとても長くなってしまいそうで、途中で切る形となりました。

ご意見、ご感想を心よりお待ちしております。

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