新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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過去~スーの村~

 

 

 

 井戸の周囲には既に人はおらず、水桶から水が滴り落ちていた。既に朝の日課である炊事や洗濯は終わっており、水場に集まる女性は皆無。カミュ達はそんな井戸の周囲を歩き、何か不可思議な部分はないかを確認して回る。その間もメルエはカミュの足下から離れようとはせず、マントの裾を握り締めながら、カミュと共に足下を注意深く見て回っていた。

 

「カミュ様、これって……」

 

 暫しの間、井戸の周囲を手分けして見ていた一行であったが、井戸の南側を見ていたサラの声に、全員がその場所へと移動を開始する。座り込んでいたサラは、集まって来た面々へ視線を向けた後、自身の足下の土を掻き分け始めた。

 井戸の周囲というよりは、井戸から少し離れた場所の土は、他の部分と若干色が異なっている。乾いた土の色ではなく、若干の湿り気を帯びたような色。井戸の水が零れる場所ではない以上、それは後から人為的に掛けられた土である事は間違いがない。

 

「これは、蓋か?」

 

「動かすぞ」

 

 サラが掻き分けた土の下から出て来たのは、以前ナジミの塔への入り口や、ナジミの塔にあった宿屋への入口のような金属製の板。それは、リーシャの言葉通り、何かを隠すように覆う蓋のような物だった。

 リーシャの疑問に答えるように頷いたカミュは、その金属製の板を少しずつ動かして行く。共に手を掛けたリーシャの力も合わさり、その蓋は徐々に隠している物を明らかにして行った。

 

「……階段……ですね……」

 

 動かし終えた蓋の下から現れた物を最初に確認したのはサラであった。それは、文字通りの階段。下へと続く階段が、かなり深く続いている。その下に生命体がいる事の証明に、その階段はかなり下までその姿を晒していた。つまり、明かりが見えるのだ。

 地下となれば、人工的な光がない限り、暗闇に覆われてしまう事は当然である。溶岩の洞窟でもあれば、流れ出る溶岩によって、洞窟内が明るく照らされる事もあるだろうが、この場所がそうである可能性がない以上、奥まで見えると言う事実が人工的な明かりである可能性が高いのだ。

 

「…………いく…………?」

 

「ああ。行くぞ」

 

 小首を傾げるメルエに頷きを返したカミュを先頭に階段を下へと降りて行く。カミュの後ろをメルエ、サラの順番に降り、最後に降り始めたリーシャが金属製の蓋を閉めて行く。重い音を響かせて締められた蓋が太陽の光を遮るが、下層から届く淡い光がカミュ達の足下を照らし続けていた。

 

 

 

 かなりの段数を降り続けたカミュは、ようやくその足を地面へと下した。そこは、地下とは思えない程に横に広がった空間。周囲には、燭台があり、蝋燭などによって明かりが灯されている。壁には幾つかの穴があり、それが地上まで伸びているのか、風が通り抜けていた。

 明らかに人工的に作られた空間に驚きを見せるサラとリーシャを余所に、カミュは周囲を注意深く見渡し、奥へと足を進めて行った。

 

「だれだ!?」

 

 カミュが数歩ほど足を進めた時、奥の方から厳しい声が響く。その激しい声色に、カミュの足下にいたメルエは、マントの中へと逃げ込んで行った。足を止めたカミュは声の発信源へと視線を移し、背中の剣に手をかける。それに倣うように、後方から歩いて来たリーシャも、購入したばかりの武器に手を乗せた。

 人間の言葉をはっきりと発している事から、魔物である可能性は低いのだが、これまでの旅で人語を話す魔物がいる事は経験済み。故に、カミュ達は警戒感を露にしたのだ。

 だが、カミュ達の警戒は杞憂に終わる。奥から姿を現したのは、一人の男。手に武器を所持してはいるが、その物腰は歴戦の者でない事を示していた。瞳は厳しくカミュ達へと向けられてはいるが、その瞳の奥に見える感情は、『恐れ』と『怯え』。突如の来訪者に対し、過剰な反応と言わざるを得ない程の『怯え』を見せる男性に、リーシャとサラは逆に疑問を持ってしまった。

 

「貴方は、ここで暮らしておられるのですか?」

 

「お前達こそ、誰だ!?」

 

 警戒心を解くように、静かに問いかけるカミュの言葉にも答えない。逆に疑問で返す辺り、彼の恐怖心を物語っていた。一度小さく溜息を吐き出したカミュは、背中に回していた手を戻し、リーシャ達へも警戒心を解くように視線で指示を出す。サラは一つ息を吐き出した後、その緊張感を解き、怯える男性をカミュ越しに見つめた。そんなサラの姿を見たリーシャは、サラの吐き出した物が、安堵の溜息である事を悟る。

 カミュという存在の大きさ。それを彼女達はここ二か月で嫌という程に味わった。どんな時も先頭に立ち、どんな事も受け止める懐を持つ者。この怯える男性がどんな素姓の持ち主なのかは解らない。だが、それを問い質す事も、それによって生じる問題の対処も、カミュという存在がいる限り、サラ一人で抱える問題ではないのだ。彼女にとって、この二か月は神経を擦り減らす程の時間だったのだろう。

 

「カミュと申します。エジンベアでこの村の名をお聞きし、訪れました」

 

「エジンベア! エジンベアから来たのか!? し、しかし何故この場所を……このような場所に来る必要がない筈だ」

 

 『エジンベア』の国の名を聞いた男は、先程までの警戒感を解きかけるが、それでもこの地下へ顔を出したという事実に再び思い至る。警戒感を露にしたままの男の視線を受け続けるカミュではあったが、その表情に変化はない。いつものように仮面を被ったまま男と対峙するカミュの横で見守るリーシャとサラ。

 しかし、先程までカミュのマントを握っていた小さな手はそこにはなかった。

 

「知り合いの人間に、この村の井戸の周囲を調べるようにと言われました。その結果、この場所へと続く階段を見つけた次第です。勿論、階段を隠す蓋は覆い隠しましたので」

 

「ここを知っている人間?……そうか……あの人に出会ったのか?」

 

 カミュの言葉に暫し考え込んだ男は、何かに思い至ったかのように呟きを洩らす。それは、この場所は、元々彼が作り住んだ物ではない事を示していた。

 このような地下に人が暮らす事の出来る空間を作り出し、それを放置していたのがあの老人であると言っているのだろう。あの老人の素性をカミュ達が知る事はないが、あの老人がこのスーの村の出身である事は窺える。

 

「あの人は元気だったか? 奥さんは息災か?」

 

 先程までの警戒感は欠片も無く、男はカミュ達が考えている老人の足跡を訪ねる。その問いかけを聞いたカミュ達の想像している老人と男が考えている人間が同一人物なのかが解らない以上、カミュには答えられる言葉がないのだ。故に、四人は答えに窮する。そんな四人の表情を読み取った男は苦笑を浮かべた。

 

「名前は知らないのか?」

 

 そんな問いかけに四人は首を振るばかり。男は遂に笑みを浮かべてしまう。名前も聞いていない人間の言葉を信じ、井戸の周囲を調べる人間という物を見た事に対してなのかもしれない。確かに、カミュ達は名も知らぬ老人の頼みを聞き、トルドという信頼できる商人を委ねた。それは、常識的に考えて可笑しな事なのだろう。

 リーシャやサラに言わせれば、『あの老人の心の中に邪悪な物はなかった』と答えるのかもしれないが、それは通常の人間では理解出来ない物。いや、人の心など誰も見えないのだから、それを信じるカミュ達を底抜けのお人好しだと思ったのかもしれない。

 

「旅行に行くと言って出て行ってから、もう二十年以上だ。帰って来ないところを見ると、何処かで命を落としてしまったかと思っていたが……」

 

「私達がお会いした方が、貴方のおっしゃっている方と同一人物であれば、ご健勝です。ただ、奥様とはお会いした事はございません」

 

 懐かしむように天井を見上げた男性の言葉に、ようやくカミュが口を開いた。同一人物と仮定して話を進めて行く事にしたのだ。カミュ達はあの場所で老人以外の人間に会ってはいない。ともすれば、男の言う『奥さん』という人物は既に亡くなっているか、もしくは最初から別人物なのかという事になる。

 だが、男の言葉を聞く限り、二十年以上前にこの村を出て行ったきり戻って来ていないという。それはあの老人があの場所に辿り着いた時期と同じ可能性が高いのだ。

 

「そうか……それで、あの人は何処で何をしているんだ?」

 

 その問いかけに、カミュは『同一人物である事を前提に』という前置きを伝えた後、自分達が遭遇した人物の願いと、それを遂行しようとする商人の話を始めた。

 このスーの村に辿り着いてから初めて、何の障害も無く意思疎通が出来る人間との出会いが、カミュ達の心を軽くしていたのかもしれない。広い空間に移動し、その場所にある椅子に腰かけた男は、カミュ達の話を聞き入っていた。

 

 

 

 男は、エジンベアで暮らす一貴族だった。宮廷にて国王の傍で仕える事が出来ない下級の貴族ではあったが、誇りの高い国の貴族らしく、田舎を見下し、自分達こそが最も優れた人間だと考えていた。

 

「そなたに植民地開発の陣頭指揮を取ってもらう事になった」

 

 そんな彼の人生が大きく狂ったのは、三十年程前に上級貴族から下された一つの命令。その頃のエジンベアは、技術や思想の先進国として、国としての肥大を加速している頃だった。

 『魔王』という世界の脅威の登場も、この国にとって些細な事と考える程に、エジンベアという国は驕り高ぶっていたのだ。その国には数多くの者達が流れ込み、元からのエジンベア人という者が認識出来ない程に人が溢れ返って行く。自国だけでの生産性や資源の分割などに不安を抱いた国王によって、世界探索の船が出され、魔物の凶暴化が進む中で遂に見つけた新大陸。

 その大陸にあった集落の名はスー。

 

「既に制圧は終わっている。そなたが現地に出向き、このエジンベアの常識を広めて参れ。その進行具合によって、こちらからも移住を進めよう」

 

 予想だにしない命令に呆然としていた男に向かって、上級貴族は続けざまに命令を下して行く。船の出港時間、必要経費や必要な食料などの数を話す上級貴族の言葉は、男の脳へは届かない。まるで何処か違う世界の言葉が話されているかのように聞こえて来る言語を男は只々耳の中を通過させて行く事しか出来なかった。

 伝えられた時間に港へ行った男は、着のみ着のままの一人。上級貴族から伝えられた命を妻に伝えた途端、彼は即座に離縁状を突き付けられた。自国への誇りが己の誇りとなるこの国では、例え勅命とはいえ、田舎へ赴く事自体が屈辱であり、それは明確な左遷を意味しているのだ。しかも、それが他国の城下ではなく、見た事も聞いた事も無い辺鄙な村の開拓及び植民地化という仕事となれば、エジンベアで生まれ育った者としては堪える事の出来ない程の物だったのだろう。故に、彼は呆然と一人で船に乗り込んだ。

 辿り着いた先は、彼の予想以上の『田舎』であった。まず、人の話す言葉が理解出来ない。おそらく同じ言語を話しているのだろうが、独特の訛りがその言語を別世界の物に替えていた。

 その村の入り口で呆然と佇む男に近寄って来たエジンベアの兵士達は、貴族である彼に敬礼を示すが、彼にはそれに応える余裕も無い。それ程に衝撃的であり、絶望的な光景だったのだ。

 そして、この村では自給自足の生活をしているのか、基本的に物々交換が主流であった。貨幣という価値はなく、各々が収穫した物によって必要な物との交換を行っている。狩猟が得意な者は、獲った獲物と作物を交換し、畑を耕す者は、収穫物と肉を交換する。その為、宿屋と呼ばれる宿泊施設なども、店と呼ばれる物もない。彼は目の前に広がる現実と、自分が帯びた使命の困難さに気を失いそうになる程だった。

 

「……まずは、エジンベアから食糧や装飾品などを運ぶ。そしてそれを手に入れる為には、我々が使用する『ゴールド』という貨幣が必要である事を教え込むしかない」

 

 兵士の官舎で数日寝込んだ彼は、まず最初に自国からの物資の運搬の必要性を説いた。その話を受け、エジンベアは大量の物資をこの小さな村へと運び込む。その物資は、決してこの村では手に入らない物ばかり。実用的ではない宝飾品などは後回しにし、実用性のある食糧や家具。そして、エジンベアが他国から仕入れた武具等が運び込まれた。

 侵略者達が持ち込む物資に対し、最初は警戒していた村の人間も、その利便性や豊富さから、次第に興味を示し始める。手に取った者が、自分の獲物を差し出すのを見た彼は、その村人に首を振って拒絶を伝える。『そのような物では交換できない』と伝える為にした行為ではあるが、村人には上手く伝わらなかった。

 それも当然であろう。生来、そのような物々交換しかした事のない人間は、自分の欲しい物を手に入れる為にそれと同等程度の大事な物を差し出す以外に方法を知らないのだ。

 彼は、自分の懐から『ゴールド』と呼ばれる貨幣を取り出し、それを相手に見せ、『これとならば交換に応じる』という言葉を伝える。しかし、村人は初めて見る貨幣という物に首を捻り、そして否定する為に首を横に振った。

 『そのような物は持っていない』という意思表示をする村人を当然の物として見た彼であったが、頑として交換には応じなかった。

 彼の考えは、『ゴールド』が必要だと思った村人達は、その必要性を理解し、今度は村の中にある物と『ゴールド』の交換に応じるだろうという物。だが、現実はそこまで甘くはなかった。

 自分達の持っていない物でしか交換出来ないと理解した村人達は、この侵略者達から更に距離を置く事になる。それは、彼にとって予想外の動きであり、侵略を受けた者達の態度としては有るまじき物にさえ映った。まるで、そこにいない物として彼を扱う村人達の態度に激昂した兵士が村人に制裁を加えたとしても、それは更なる強硬な態度を生むだけであったのだ。

 

「……そうか……ここの村人達は、我々に降伏した訳ではなかったのだな……」

 

 ここまで来て、彼はようやく事の真相に辿り着いた。この村は、彼等エジンベアの人間を侵略者として見てはいなかったのだ。村に訪れた者達としか見てはいない。彼等にとって来る者を拒む理由はなかったのであろう。故に反抗もせず、エジンベアの兵士達を受け入れた。

 時には食物を差し出し、時には物々交換にも応じる。それは新たな移民として受け入れたのか、それとも共に生きる者として受け入れたのかは解らない。だが、この村に生きる者達は、エジンベアの人間を好意的に受け入れた事だけは確かなのだ。それを彼は、この時になって初めて理解した。

 好意的に接し、見た事も無い物に警戒をしながらも、自分達の大事な物との交換を提案して来た者を、彼は無碍も無く断ったのだ。ならば、村人達の方でも譲歩する理由は何もない。別段、今の生活に不満がある者もおらず、第一に今の生活以外の物を知らぬ者達ばかり。ならば、今まで通りに過せば良く、そこに移民達を入れる必要はないのだ。

 

「私は勘違いをしていたのだな……」

 

 下級とはいえ、貴族であった彼には、エジンベア人としての誇りがある。だが、彼自身が受けたと思っていた勅命は、その内容に大幅な食い違いがある事を認めざるを得なかった。

 それは、彼が呆けている時に命じられていたのか、それとも最初から伝えられていなかったのかは解らない。その答えは、これより数年後に判明する事となった。

 

 

 

 彼の戦いはここから数か月に及ぶ事となった。既に彼に見向きもしない者達が村人の大半を占め、駆け回る子供達や、草を貪る動物達以外に、彼等に視線を向ける者さえいなくなった。

 エジンベアから運び込まれた食料は、彼や兵士の腹の中へと消えて行き、彼等の前には運び込まれた家具や宝飾品だけが残されて行く。彼の仕事の進捗具合を聞いているエジンベア国は、定期船の数も減らし、運びこむ物資の数も減らして行った。既に、この村に駐在していた兵士の半数は、定期船に乗って帰国してしまっている。エジンベア国自体が見切りをつけ始めている事を示していた。

 

「……これ……食え……」

 

 もはや、定期船とは呼べない程に不定期な船しか来なくなり、彼の周りにいた兵士達の全てが帰国した頃、彼は食糧難に陥っていた。貴族故に、自身で作物を育てた事も無く、狩猟などを行った事も無い。そんな彼が食料を手にする方法はなく、残るは餓死を待つのみとなる。それでも、彼が帰国しなかったのは、勅命を受けた事への使命感なのか、それとも自分に見切りをつけた妻や国への意地なのかは解らない。だが、着実に消えて行く食料は彼の体力を蝕み、その命すらも奪って行こうとしていた。

 そんな彼に手を伸ばした一人の村人がいた。その男は、村の一角で作物を育てている者。収穫した作物を食し、時には狩りにも出かける事もある。村の中では希少な部類に入る者であったのだが、何故かその男が彼に食物を手渡して来たのだ。

 男の年齢は三十台後半。言葉は聞き取り辛いが、それでも倒れ行く彼を見捨てる事は出来なかったのだろう。手渡された食物を貪り喰う彼を優しげな瞳で見つめた後、男は去って行った。

 

「私には、恩に報いる物はこれしかない」

 

 翌日も食物を持って来てくれた男に対し、彼は自身の手元に残る『ゴールド』という貨幣を全て男に手渡す。彼は貴族である。いや、貴族であった者なのかもしれない。彼が持つ自身への歪んだ誇りは、この数か月の滞在によって尽く打ち壊されていた。

 昔の彼ならば、『恩』等の考えは到底浮かばなかっただろう。下々の平民が貴族に対し奉仕するのが当然、しかもそれが田舎者であれば、義務であるとさえ考えていたかもしれない。だが、彼はそんな自分に見向きもしない人々の中で、死に至る寸前まで追い込まれた。彼を形成していた物が根本から覆されたのだ。

 必死に彼が手渡した『ゴールド』を受け取った男は、一瞬困った表情を浮かべながらも、笑顔で頷きを返した。それが彼の精一杯の誠意である事を理解していたのだろう。それでも全ての貨幣を受け取らず、その中の一枚を受け取って家へと戻って行った。

 

「……これ……くれ……」

 

 それから数日、彼が生命力を取り戻すまで、男は彼に食料を与え続けた。その際に彼が手渡す『ゴールド』は、いつも一枚しか受け取らない。貨幣の価値が解らないからこそ、仕方がない事だろう。だが、その『ゴールド』は着実に貯まり、そして彼が立ち上がる事が出来るようになった頃、男は彼がエジンベアから持って来た家具を欲した。

 男の手には、彼が手渡していた何枚かの『ゴールド』。男は、彼が持つ家具を彼の持っていた貨幣で買うという行為をしようとしていたのだ。

 

「買ってくれるのか?」

 

「……かう……?」

 

 『購入する』という概念のない男は首を捻るが、彼は満面の笑顔を浮かべて男の持っていた『ゴールド』を受け取った。男の真意がどこにあるのかは解らない。初めから、この家具を欲していて、恩を売る為に彼に近づいたのかもしれない。『ゴールド』を貰えるから食料を手渡していたのかもしれない。だが、彼にとってそのような事は些細な事だった。『自身が考えていた事を理解してくれる者が現れた』。ただ、それだけで十分だったのだ。

 エジンベアから運び込んだ食料は消え失せた。しかし、家具や宝飾品は残っている。彼は男から食料を購入し、その対価として『ゴールド』を支払う。そして、『ゴールド』が貯まれば、男が彼の持つ何かを購入するという日々が数か月続いた。

 男にとってみれば、食料は森に行けば狩る事ができ、季節が来れば食物は刈り取れる。それらと交換出来る物が『ゴールド』であり、『ゴールド』と交換できる物が男の生活を楽にする道具であったのだ。

 次第に便利になって行く男の自宅を見ていた村人達は、徐々に食料を『ゴールド』へと替えて行き、その『ゴールド』を使って、家具や宝飾品、そして器具などを手に入れ始める。その頃には、エジンベアからの船も本数が増えていた。

 本数の少なくなった船の乗組員に彼が村の現状を話し、流通させるべき『ゴールド』の追加と、食料やその他の物の流通を再開したのだ。そこからは、この小さな辺境の村の変革は急速に進んで行った。

 

 

 

「ディアンさん、調子はどうだい?」

 

「……もの……売れる……」

 

 それから十年強の月日が流れる。その頃には、村に幾つかの店が立ち、旅行者や貿易者を受け入れる宿屋も出来た。彼の窮地を救った男もまた、村に一軒となる食料屋を営み始める。いや、正確に言えば、商売を始めたという程の物でもない。『ゴールド』の価値と、自身の育てた作物の価値が正確には解らない。それでも、自身の育てた食料を渡す見返りに『ゴールド』を手に入れる事が出来ていた。

 男の名は『ディアン』と言う。ディアンには一人の妻がいるが、その間に子はいない。二人きりの生活では育てた作物が余ってしまう。その余った分を『ゴールド』を受け取る事によって、他者へと手渡していたのだ。

 故に、ディアンは『商人』ではない。この村に時々訪れる外部の人間と折衝し、その品々を売買する事は出来なかった。栽培した作物の取引しか出来ないディアンであったが、それは月日と共に貯えを成して行く。ディアンが『ゴールド』という物を知ってから十年と月日が経つ頃には、ディアンの心の中に外の世界への興味までをも生み出していた。

 

「旅行? 今の時期ならまだ船が出ているかもしれないな。だが、エジンベアは駄目だな……今度この辺りを通る貿易船に乗せて貰って、ポルトガまで行くのが良いだろう」

 

「……ポルトガ……わかった……」

 

 『妻と二人で世界を見てみたい』というディアンの願いを聞いたエジンベアの元貴族は、小さな微笑みを作りながら、その方法を答える。既に、彼に貴族としての凝り固まった驕りは消えていた。

 十年以上もこの村の者達と暮らして来たのだ。実際に植民地としての開拓を託された彼であったが、この村の文化が進んだにも拘らず、エジンベアからの移民は一向に進んでいなかった。いや、進むどころか、後退に向かっているのかもしれない。『魔王バラモス』台頭後、徐々に広がる魔物の脅威は、誇り高いエジンベアにも及んでいたのだ。

 寿命を待たずに生を終える者達が増えて行く中、エジンベアが危惧していた資源不足等の危険性も薄れを見せる。最近では、エジンベアからこの村に物資が運ばれる事さえも皆無となり始めていていた。

 そんな中、この小さな村に事件が起きる。

 

 

 

「……壺……なく……なった」

 

「それは、この村に保管されていた渇きの壺か?」

 

 ディアンからその事件を聞いた彼は、胸に一抹の不安が過った。渇きの壺とは、この小さな村にある不可思議な言い伝えのある宝物。『海の水さえも飲み干す』と云われる程の神秘を持つ物。それを彼はディアンから聞いていたのだ。

 それだけならば、彼がここまで不安を感じる事ではない。聞いていたとしても、その壺が無くなった事を不思議に思うだけだからだ。

 だが、彼はその話を別の人間に語っていた。実は、一ヶ月ほど前にエジンベアから彼に対し、追加の勅命が届いていたのだ。

 それは『植民地として、属国である証を献上しろ』という物であった。エジンベア国王は、この村の現状を理解していないのかもしれない。軍部の者や大臣からの報告だけを受け、既に制圧を終え、村が恭順を示していると考えているのだろう。故に、このような勅命が下りて来たのだ。その勅命を持って来た上級貴族の人間にこの村の宝物について、彼は話してしまっている。それが彼の心に大きな不安となって圧し掛かって来ているのだった。

 

「……それ……よくない……」

 

 彼からその話を聞いたディアンは、眉を顰め、難しく考え込んでしまう。真相は解らない。だが、この村でその壺の在り処を知っている外部の者は彼しかいない。とすれば、彼から話を聞いた者か彼以外に壺を持ち出す人間はいないという事である。この村の住人は、渇きの壺という宝物が村の宝である事を知っていると同時に、その逸話の持つ恐ろしさも知っている。故にこそ、手を出す訳はなく、必然的に伝承を知らぬ外部の者の犯行である事が推察出来るのだ。

 それを村の住人達の大半は理解している。渇きの壺という宝物が紛失してしまっている事実は、まだ限られた者しか知り得ない。村の幹部の者達の中で、他には口外しないという取り決めを設けてはいる。しかし、その幹部達の疑いは、間違いなく彼に及ぶだろう。どれ程、彼がこの村の文化水準を上げる事に尽力していたとしても、村の宝物を奪ったという事になれば、話は別である。彼はこの村を追われるだろう。いや、最悪の場合、その命すら危ぶまれる。

 そこまで考えたディアンは、彼を夜の間にある場所へと連れて行った。それは、村の生活の基盤となっている井戸の傍。今まで何度もあるいた場所である事を不思議に思った彼ではあったが、通常の生活の中では気付きもしなかった鉄蓋を外すディアンを見て、それも純粋な驚きへと変化する。鉄蓋を除いた先には、下部へ続く階段。彼に視線を向けたディアンは、そのまま階段を降りて行った。

 慌てた彼は、その後ろを付いて階段を降りる。その先で見た物は、彼の予想を遙かに超える物だった。

 

「……ここ……つかう……」

 

 ディアンによって灯りを灯されたその空間は、彼が想像していたよりも遙かに広く、そして生活館に満ちた場所だった。

 『何故、このような場所に』という疑問が彼の頭に浮かぶが、ディアンはその旨を伝えると、『近々、世界を見る為に旅行に出掛ける』と告げる。それは、彼との別れを示唆していた。

 この場所への疑問よりも、彼の中ではディアンとの別れの方が哀しく辛い物。彼の身を案じ、この場所へと誘ってくれたディアンに、涙ながらに感謝を示し、別れの言葉を紡ぐ。それが、彼とディアンの最後に交わした言葉であった。

 

 

 

 実際には、この場所はディアンの作った空間でなかった。エジンベアがこの村に目星をつける以前に訪れた一人の男が作った空間。この村に何を見たのか、この村で何を成したのかは解らない。ただ、この村に伝わる言い伝えの内の一つ。『偉大な魔法使い』という者が暮らしていたと伝えられる場所であった。だが、それも伝承に過ぎず、『その場所が何処にあるのか』という事は、誰も知りはしなかったのだ。

 村に伝わる言い伝えは他の形で伝わっているのだが、それはまた別のお話。当のディアンでさえ、この場所が何の為の物で、誰が使っていたのかを知りはしなかった。若かりし頃に偶然見付けた場所を、秘密基地として誰にも告げていなかっただけの話。

 

 そんな空間に、『勇者一行』は辿り着いていたのだ。

 地図にさえ載らぬ辺鄙な村の一角。

 小さな小さな集落の中の、とても大きな伝承の内側。

 それは、とても細く、とても頼りない糸を手繰って来た結果。

 彼等の旅は、そんな細い糸で繋がっているのだ。

 

 

 

 




読んで頂きありがとうございました。

このスーの村ですが、意外にかかりそうです。
前話で30000文字ぐらいと言いましたが、あと一話はありますので、40000文字は超えてしまうかもしれません。
長くなってしまい、間延びしてしまっているようにも感じますが、今回は、この村の過去を描きました。少し、短めに抑えたつもりです。
あの開拓地にいる老人の名前も登場させています。

ご意見、ご感想を心よりお待ちしております。

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