新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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アープの塔①

 

 

 

一行は、船員達の声援を受けて西へと向かって歩き出した。リーシャの手を握る反対の手を船に向かって振っているメルエの顔には笑顔が浮かぶ。ここ数日、メルエは笑ってばかりだ。世の中は、彼女にとってとても優しい物へと変化して行ったのだろう。物心付いた頃には、共に暮らす育ての親から虐待を受け、顔を赤く腫らせずにいた日はなかった。毎日、下働きの為に通った劇場でも彼女の居場所はなく、劇場にいる踊り子はおろか、その練習生からも扱き使われる日々。そしてそんな毎日を文句も言わずに勤め上げて来た結果が奴隷としての売却であった。全てを諦めたメルエの前に突如開かれた未来への扉。そこからの日々は、新鮮な事、驚く事、嬉しい事、楽しい事に満ちていた。そんな中で訪れた突如の別れ。それが彼女の心に唐突な不安を生んだのだが、その哀しみも取り払われた今、再び世界は彼女の為に輝きを取り戻していたのだ。

 

「メルエ、しっかり歩かないとカミュに置いて行かれるぞ」

 

「…………カミュ………はやい…………」

 

朝陽を受けた平原の草花は、朝露を身に纏い、光を放つように輝いている。近くの森からは鳥達の囀りが聞こえ、空を流れる雲達が風を運んで来る。そんな嬉しくて仕方がない景色に笑みを溢しながら視線を巡らせていたメルエは、リーシャの言葉に軽く頬を膨らませる。前を歩くカミュが速度を上げている訳ではない。だが、頬を膨らませたメルエは、地図を持ちながら前を歩くカミュを恨めしげに見つめて不満を漏らした。

 

「ふふふ。駄目ですよ。カミュ様は別に急いで歩いている訳ではありません。目的が決まっている以上、メルエがしっかり歩かなければ駄目です」

 

「…………むぅ…………」

 

そんな幼い我儘は、隣を歩いていた姉のような存在に窘められた。笑顔を浮かべているが、メルエの行動について窘めている事は事実である。その証拠に誰一人として立ち止まる素振りは見せず、カミュへ声を掛ける者もいない。それを理解したメルエは、不満そうに頬を膨らませ、唸り声を上げる事しか出来なかった。

 

 

 

一行は数度の戦闘を繰り返しながら西に広がる海を目指す。船を出て歩き始めてから、既に二日が経過していた。この地方特有の物なのか、気温が高いようで、日中に太陽の陽射しを受ける身体は、じっとりと汗を掻いている。メルエなどは、天に輝く太陽を恨めしげに睨みつけているが、その太陽からの熱気に即座に眉を下げる事となっていた。風は生暖かく、東から西へと吹き抜けており、まるでカミュ達の背を押すかのように、その歩みを急かしている。東の空へと視線を向けると、巨大な入道雲が広がり、真っ青な空に彩りを加えていた。

 

「船からでも見えていたのに、なかなか近付く事が出来ないな」

 

「それだけ、高さのある塔なのかもしれませんね」

 

未だに前方に見えている塔は、船から見ていた物よりも大きくなってはいるのだ。それが徐々に近づいている証拠ではあるのだが、歩いても歩いても塔の根元が見えて来ない事に、流石のリーシャも溜息を洩らす。リーシャの顔から再び前方へと視線を戻したサラは、実際に<アープの塔>という塔は、これまで昇って来た<ナジミの塔>、<シャンパーニの塔>、<ガルナの塔>の三つの塔よりも高さのある物ではないかと見ていた。

 

「しかし、心配なのは空だな。風が生暖かく、何処となく湿っている気がする」

 

「えっ!? また雨ですか?」

 

塔へ向けていた視線を空へと向けたリーシャは、不安そうな表情を見せながら言葉を洩らす。それは、何かを暗示するような物であり、サラはすぐにその事に思い至った。彼女達が『塔』という場所を登る時は、大抵雨が降っている。最初の<ナジミの塔>では晴れていた筈であるが、<シャンパーニの塔>や<ガルナの塔>に至っては、小雨程度の話ではなく、嵐に近い形での暴風雨。故に、塔を登る事でもかなりの疲労を感じるにも拘わらず、それ以外で体温と体力が奪われる事となった。それが原因で、メルエは体調を崩したのだ。

 

「一度、船に戻った方が良いのかもしれないな」

 

「そうですね。何時止むかどうか解らない雨を凌ぐよりも、出直した方が良いのかもしれません」

 

リーシャの提案に一つ頷いたサラは、前を歩くカミュへ声をかけ、その足取りを停止させる。振り向いたカミュの許へ走り寄ったメルエは、暑さに対する不快感を身体全体で表すが、それに苦笑を浮かべるカミュを見て、すぐさま笑顔に変えた。メルエの纏う<アンの服>は、<みかわしの服>と同じ素材で出来てはいるが、外気に対しての備えにはなっていない。カミュは袋に入っていた布を取り出し、メルエの額や首筋を丁寧に拭き取ってやり、近寄って来たリーシャ達へ視線を向けた。

 

「この布に<ヒャド>でも掛けてやってくれ」

 

「あっ!? は、はい。メルエ、気がつかなくてごめんなさい」

 

「…………ん…………」

 

カミュに汗を拭いて貰ったメルエは、サラの謝罪に笑顔で頷きを返した。サラは、カミュから布を受け取り、<ヒャド>を唱えて、布を軽く凍らせる。凍らせた布を手で揉み解し、もう一度メルエの顔や首筋の汗を拭うように拭き取って行った。気持ち良さそうに目を細めるメルエに笑みを溢したリーシャは、同じように優しい顔を作るカミュに向かって、先程サラと話していた内容を口にする。

 

「アンタの言う事は尤もだが、今までの旅を思い返すと、塔を登り切るまで雨は止まない気がするのだが……もし、船に戻っても、あの塔へ向かおうとすれば、雲行きが怪しくなるような気がする」

 

「……」

 

「確かに……そう言われれば、そのような気もしますね」

 

この旅の中で登った塔は三つ。一つは、彼等の故郷であるアリアハンの傍の小島に立つ<ナジミの塔>。一つは、彼等が遭遇した最初の強敵であるカンダタと対峙した<シャンパーニの塔>。最後の一つが、サラという『賢者』を生み出す事となった<ガルナの塔>。この三つの内、二つは雨が降りしきる中で昇っている。それは、まるで塔に纏わる何かが泣き暮れるかのような雨。カミュ達の到来に対して、喜びなのか、哀しみなのかは解らない涙を流しているかのような雫が、天から降り注いでいた。

 

カミュが言う事は、何の根拠も無い話。通常であれば、『何を馬鹿な事を』と一蹴出来る程度の物言いである。だが、リーシャもサラも、何故かカミュの予想を鼻で笑う事は出来ず、考え込んでしまった。雨の降りしきる中、塔という足場の不安定な場所を探索する事は危険が伴う。体力と共に、濡れた身体の体温までもが急速に奪われて行く中、塔を住処とする魔物達との戦闘も行って行かなければならない。それは、今、冷たい布の感触に目を細めている幼い少女が最も影響を受けてしまう物である。

 

「雨が降った場合、<シャンパーニの塔>の時と同様に、メルエをマントの中に入れて歩く。もし、<ガルナの塔>のような吹き曝しの場所を渡らなければならない場合は、メルエとアンタを待機させ、俺が行く事にする」

 

「わかった。サラ、メルエの汗は小忠実(こまめ)に拭いてやってくれ」

 

「はい。わかりました」

 

カミュが何も考えずに塔へ向かっている訳ではない事を悟ったリーシャは、一つ頷いた後、サラへ細かな指示を出す。サラはメルエの汗を拭きながらそれに頷きを返す。空模様はまだ安定しているが、先程見かけた入道雲が更に大きくなっているようにも見え、時間が経てば、空に雲が広がって来る事も予測出来た。一過性の雨であったとしても、その量が多い事は想像できる。一行は、降り出す前に塔へ辿り着く為に足を速める事となった。

 

その日の陽が沈み込む頃には、ようやく塔の根元がはっきりと見え、夕陽を受けて眩いばかりの輝きを放ち始めていた。数刻歩けば辿り着ける事を確認したリーシャが、野営の提案を行うが、雨の事も考慮に入れ、出来るだけ近くへ行ってから野営を行う事を主張するカミュの言葉を飲む形となる。完全に陽が落ち、周囲が闇の静けさと、月の明かりだけが支配する頃に、カミュ達は塔のすぐ傍にある森の入口へと辿り着いた。

 

「間違いなく、明日の朝には雨が降るな」

 

「そうですね。枯れ木などは、今日の内に出来るだけ集めておきましょう」

 

リーシャが見上げた夜空には、星一つ見えない。空全体を覆うような雲が広がっており、湿った風が流れている。リーシャの言う通り、この分では明日の明け方付近から雨が降り出す事となるだろう。それに同意を示したサラは、本日の内に枯れ木などの薪となる物を集め、革袋に入れて置く事を提案した。この場所から見える塔は、<ナジミの塔>とは異なり、吹き曝しの雨風が入って来るような造りではない事が窺われるが、それでもここから塔までの間で濡れた衣服が一行の体温を下げてしまう事は明白である。故に、塔の内部で火を熾し、衣服を乾かす必要があるのだ。

 

木々が密集し、雨の滴が落ちて来ないような場所で火を熾し始めた一行は、枯れ木と共に収穫した木の実などを口にし、見張りのカミュを残して眠りに就く。全員が寝静まり、カミュが火を絶やさぬように薪をくべ直す頃には、平原を吹き抜ける風は成りを潜め、周囲を更なる闇が包み込み始めた。ぽつりぽつりと大地へと舞い降りる雫は、次第にその勢力を強め、森を形成する木々が広げた葉を鳴らす。予想通りの状況に溜息を吐き出したカミュは、再び枯れ木を焚き火へと放り込んだ。

 

 

 

目が覚めた時、見事なまでの降雨の景色に、サラは驚きよりも溜息を吐き出す。太陽は昇って来ている筈にも拘らず、その顔は分厚い雲に隠されていた。周囲は薄暗く、空気は湿っている。豪雨という程でもなく、それでいて小雨でもない。唯、そこには雨が降っていた。眩いばかりの明るさではない朝を迎え、メルエなどはまだ夢の中で彷徨っている。既に出発の準備を終えているカミュやリーシャを見たサラは、慌てて準備を進め、あとはメルエの起床を待つ形となる頃になっても、雨の勢いは衰える事も無く、逆に激しくなる事もなかった。

 

「……出るぞ……」

 

「メルエ、マントを着け終わったら、カミュのマントの中に入れ」

 

全ての準備を終え、火に土を掛けて消したカミュは、森を出る為にリーシャ達へと声を掛ける。サラにマントを結びつけて貰っているメルエは、リーシャの言葉に頷きを返し、嬉々としてカミュのマントの中へと潜り込んだ。それを見届けたリーシャとサラはお互いに頷き合い、一度泣き暮れる天を見上げた後、カミュを追って森の外へと飛び出す。

 

天の流す涙は、一行の身体を湿らせて行った。体温が徐々に失われて行く感覚を味わいながらも、目の前に見える塔へと一歩一歩近付くように足を踏みしめ、四人は歩いて行く。その足は、確実に塔との距離を詰め、サラの髪の毛が雨によって濡れ切る頃には、高くそびえる塔の入口に辿り着いていた。

 

「メルエ、先に中へ」

 

「…………ん…………」

 

マントの中にいるメルエを塔内部へ導いたカミュは、そのままリーシャやサラも中へと入れて行く。カミュが最後に扉を閉じた後には、雨が大地を濡らし続けていた。

 

 

 

塔の内部へはいると、そこは<ナジミの塔>のような吹き曝しの雨風が入って来るような場所ではなく、しっかりとした壁が保護している場所であった。その分、太陽の光が届き難く、薄暗い。カミュが持っていた<たいまつ>へ<メラ>を放ち、明かりで内部を照らすと、そこは大きな広間が広がっている。注意深く全体に明かりが行き渡るようにカミュは先頭を歩き、前方へと進んで行った。

 

「カミュ様、あそこに燭台がありますよ」

 

「あれは……扉か?」

 

カミュの後ろを歩くサラが前方の壁に燭台が付けられている事を伝えると、その後ろにいたリーシャは、燭台と燭台の間に壁ではない何かを確認する。カミュはリーシャの問いかけには答えずに、燭台へと火を移し、扉らしき物へ<たいまつ>を向けた。燭台に灯った明かりと、カミュの持つ<たいまつ>によって浮かび上がった物は、間違いなく扉その物。

 

「鍵がかかっているな……メルエ?」

 

「…………ん…………」

 

扉へと近付いたカミュは、その扉を押して見るが動かない。良く見ると、扉の前方部分にパドロックが掛けられている。誰が何の為にこの塔の入口に鍵を掛けたのか。サラはその疑問を頭に浮かべてすぐに、その答えは導き出された。それは、サラとカミュが考えた<山彦の笛>の在り処が、この場所で間違ってはいなかった事が証明された瞬間でもある。この場所に鍵を掛けたのは、『古の賢者』であろう。そして、その答えが導き出されたと同時に、ある不安がサラの胸に湧き上がる。

 

カミュが振り向いた事で、メルエは自分の肩から掛ったポシェットの中へ手を入れた。その中に入っている物は、イシスという砂漠の国にある文化遺産<ピラミッド>に隠されていた宝物。この世にある鍵を開ける事の出来る『開錠の魔法』が掛けられた鍵。それは<魔法のカギ>と呼ばれている。だが、サラはここで不安に思うのだ。『古の賢者』が掛けた鍵は、ここだけではない。以前に訪れたランシールの村にあった神殿へと続く扉の鍵も『古の賢者』が掛けたと云われている。だが、あの扉を開ける<最後のカギ>と呼ばれる物を求めてカミュ達は旅をしているのだ。『ならば、この扉も開かないかもしれない』というサラの疑問は、次の瞬間に杞憂であった事が確定する。

 

「…………あいた…………?」

 

「ああ。ありがとう」

 

『かちゃり』という乾いた金属音を響かせた事によって、メルエが小首を傾げながらカミュへと問いかけた。それに頷いたカミュは、お礼の言葉と共に、持っていた<魔法のカギ>を手渡す。それを笑顔で受け取ったメルエは、再び大事そうにポシェットへと仕舞い込んだ。その一連の行動が、サラの心配が杞憂に終わった事を示唆している。背中を押すリーシャの顔を見たサラは我に返り、先に入って行ったカミュ達を追って歩き出した。

 

「どっちだ?」

 

扉を越えた先で、カミュとメルエはリーシャ達を待っていた。カミュが問いかけたのは、サラの前にいるリーシャ。つまり、入ってすぐに壁にぶつかり、道が二手に分かれていたのである。分かれ道と言えばリーシャ。この公式はカミュだけではなく、既にサラの頭にも、それこそメルエの頭にも刻まれている。故に、カミュの言葉を聞いたサラとメルエは、思わずリーシャの顔を見上げてしまった。

 

「な、なに? わ、私か?……う~ん、どちらでも同じではないか?」

 

「ふぇっ!?」

 

しかし、暫し考えた後に発したリーシャの言葉に、サラは素っ頓狂な声を上げてしまう。何度も自分の考えた道を指し示して来たリーシャがこのような発言をする時は、カミュがリーシャの言葉を無視し続けた後と相場は決まっている。だが、この塔に入ってから、カミュが尋ねたのは初めてである。故に、サラは驚いた。それはカミュも同様だったのだろう。

 

「……わかった……」

 

若干目を見開いていたカミュであるが、リーシャの瞳の中に投げやりな感情が見受けられない事で、カミュはその言葉が真実である事を悟った。しっかりと考えた結果、リーシャの中でどちらへ行っても同じ結果になるような気がしたのだろう。それはそれで類稀なる才能であるのだが、当のリーシャはその事に気付きもせず、頷いたカミュを満足気に見つめ、自分を見上げているメルエの手を優しく握り込んだ。

 

カミュが選んだのは左手の道。そのまま進むと、道は右手へと折れ、再び真っ直ぐな道へと出た。塔の外側に位置する通路のようで、壁際から微かに雨音が聞こえて来ている。その音を聞いたリーシャはメルエの手が若干冷たい事に気付き、開けた場所へ出た際にでも、一度火を熾す必要があると考え始めていた。

 

「また扉ですね」

 

「メルエ」

 

「…………ん…………」

 

先へ進むと、再び現れた扉を見て、サラが口を開く。先程開けた扉と同じような物がカミュ達の前に立ち塞がったのだ。その扉にもパドロックが掛けられており、それを見たカミュは、メルエへと手を伸ばす。自分の名前を呼ばれた事により、カミュが求める物を察したメルエは、ポシェットに手を入れ、再び<魔法のカギ>を取り出した。受け取った鍵を錠前に差し込む。乾いた金属音を響かせた錠前を取り外し、カミュは扉を押し開く。その時だった。

 

「カミュ!」

 

扉を押し開き、その中へと一歩踏み出したカミュの横から煌く光を見たリーシャは、叫びと同時に駆け出した。メルエの脇を抜けて飛び出したリーシャは、一気にカミュの横へと立ち、左手に装備した<魔法の盾>を掲げた。リーシャの叫び声で振り向いたカミュは対処する事が出来ない。そんなカミュの代わりに掲げられた盾に激しい衝撃と、乾いた金属音が響いた。

 

「メルエ、下がって!」

 

その音が敵の襲来を告げる警告である事を察したサラは、呆然と立ち尽くすメルエの腕を引き、自分の後ろへと移動させる。その間も、扉の向こう側では既に戦闘は開始していた。咄嗟の行動で盾を掲げたリーシャは、すぐに<バトルアックス>を右手に持ち、それを前方へと振り抜く。しかし、その斧の一撃は、同じように盾のような物で防がれ、乾いた音を響かせた。

 

「一度、態勢を立て直す」

 

「わかった!」

 

周囲を敵に囲まれた気配を感じたカミュは、一度扉を戻り、態勢を立て直す事を伝える。それに応じたリーシャは、もう一度<バトルアックス>を横合いに振り抜き、後方へと飛んだ。メルエを後ろに庇ったサラは、下がって来るカミュ達を追うように、開かれた扉を潜って来る魔物の姿を見て、息を飲む。サラの後方からその姿を見たメルエも、眉を下げ、唸り声を上げた。

 

「また、こいつらか!?」

 

燭台に灯された炎に照らされて浮かび上がったその姿は、カミュ達が何度か遭遇した事のある者。いや、正確に言えば異なるのだが、大まかな部分に何一つ変わりはない。右手に剣を持ち、左腕には盾を装備している。そして、その全身は強固な鎧によって覆われていた。それは、ノアニール周辺にいた魔物。または、テドンの村周辺でカミュの身体を鎧越しに突き刺した魔物。

 

<キラーアーマー>

その名の通り、殺す事に特化した鎧の化け物。<さまよう鎧>や<地獄の鎧>と同様、その鎧の下に肉体を有してはいない魔物。無念を残した者達の鎧が『魔王バラモス』の魔力の影響を受けて現世を彷徨う事になった魔物。生前の者の潜在意識を根底に持っている為か、自身よりも強い者を求めて彷徨っている為、同じような境遇に陥った鎧と日々剣を交えていたりする。だが、生者を認識すると、その者に襲いかかり、自身の力を誇示するように剣を振るう事がある。日々剣を振っている為、その力量は<さまよう鎧>や<地獄の鎧>よりも上となる。

 

「カミュ、二体いるぞ」

 

「ああ。解っている。この魔物に魔法の効力は期待できない。一人一体だ」

 

扉を潜って来たのは、鎧が二体。もしかすると、カミュが扉を開ける前に互いに剣を交えていたのかもしれない。そこに飛び込んで来たカミュへ偶然剣が振り下ろされ、それを防いだリーシャの一撃によって、敵と看做したのだろう。ゆっくりと近寄って来る<キラーアーマー>の鎧は赤黒い色をしていた。長い年月をこの塔の内部で過ごしているのだろう。その鎧は錆が浮き上がり、付着している染みは何処かの人間の血液なのかもしれない。

 

「メルエ、<バイキルト>の準備を」

 

「…………ん…………」

 

カミュとリーシャが魔物へと向かって駆け出したのを見届けたサラは、メルエに補助呪文の準備を促した。カミュの言う通り、この中身のない鎧の魔物には、メルエの放つ攻撃魔法が基本的に通じない。氷結系の魔法ならば効力があるかもしれないが、それも所詮は動きを止める事しか出来ないだろう。メルエの氷結系呪文は強力である。その者の身体の芯までをも凍らせ、生命としての活動を停止させる。だが、中身のない鎧では、メルエの魔法でその魂を駆除する事は出来ないのだ。故に、打撃系でその鎧ごと魂を昇華させる以外に方法がない。

 

「やぁぁぁ!」

 

突き刺してくるように出された<キラーアーマー>の剣を盾で弾き返したリーシャは、そのまま力任せに<バトルアックス>を振り下ろす。元々、相当な重量のある戦斧である。それは振り下ろす力も加わり、中身のない鎧へと襲いかかった。だが、その一撃は、地面に足を固定させた<キラーアーマー>の盾によって防がれる。その後は、拮抗する攻防が続いた。重量のある武器を装備しているリーシャは、剣を持っていた時のような小刻みな攻撃を繰り出す事は出来ない。それでも剣を持っている<キラーアーマー>の攻撃を凌ぎながら、その鎧に傷をつけて行っているのは、リーシャの実力の方が数段上であるからなのだろう。

 

「ふん!」

 

それは、カミュも同様であった。二か月に渡る一人旅の結果、カミュはその実力を大幅に上げている。それは、剣を振るう事もその一つではあるが、それ以上に視野が広がった事の影響が強いのかもしれない。リーシャの一撃でよろめいた<キラーアーマー>の背中から突き出された剣は、先程までもう一体の相手をしていたカミュの持つ<草薙剣>であった。錆付いた鎧は、神代の剣によって容易く貫かれ、中に入っている魂を除去して行く。その一瞬の隙を突いたもう一体の<キラーアーマー>がカミュの背中越しに剣を振り下ろそうとしていた。

 

「どけ、カミュ!」

 

しかし、<キラーアーマー>のその行動を、彼の相棒は許さない。カミュの剣を受けて膝を着いた<キラーアーマー>の背中を蹴って飛び上がったリーシャは、その重力と武器の重量を利用して<バトルアックス>を力一杯振り下ろした。咄嗟の攻撃に対し、剣を戻して盾を掲げた<キラーアーマー>であったが、その盾は、重量感のある<バトルアックス>を防ぐには脆過ぎた。

 

「やぁぁぁ!」

 

盾を真っ二つに圧し折ったリーシャは、着地と同時に斧を横薙ぎに振り抜く。既に身を守る盾を失った<キラーアーマー>は何とか剣を掲げるが、錆の浮いた剣は一瞬の内に弾け折れ、その身を<バトルアックス>によって斬り裂かれて行った。下腹部辺りに突き刺さった斧が、そのまま両足部分を弾き飛ばす。態勢を崩した<キラーアーマー>の脳天に止めの一撃が振り下ろされた。

 

「メルエ、もう大丈夫です」

 

「…………ん…………」

 

鎧を動かしていた呪いに近い魂魄は浄化された。沈黙する鎧を見たサラは、隣で<雷の杖>を握っているメルエへと声を掛ける。何時でも呪文を詠唱出来るように準備していたメルエは、何処か『ほっ』としたように頷きを返した。もしかすると、メルエの中には、魔法に対する小さな不安が未だに隠されているのかもしれない。そんな気がしたサラであったが、それはこれから先、メルエ自身が乗り越えていかなければならない物。故に、サラは笑顔をメルエに向けて、その心を和ませる事だけに留めた。

 

「しかし、この<バトルアックス>は良い武器だな。ありがとう、大事に使う事にする」

 

「そうしてくれ」

 

サラがメルエの笑みを見ている頃、自身の武器を一振りしたリーシャは、その武器の感触を味わいながら、カミュへ頭を下げた。基本的に、パーティーの武器や防具を買う為の資金は、カミュの持っているゴールドから支払われている。だが、元を辿れば、そのゴールドはパーティーが倒して来た魔物の部位などを売却した資金なのだ。故に、リーシャが感謝する必要はないとも言えるのだが、それが彼女の気質なのだろう。彼女が自身の扱う武器に愛着を持ち、手入れなども念入りに行っている事を知っているカミュは、リーシャの謝礼を受け、軽く頷きを返した。

 

「やはり、この塔も魔物が棲み付いているのですね。しかし……この鎧を装備していた方々も、<山彦の笛>を求めてこの塔へ訪れたのでしょうか?」

 

「どうだろうな。だが、この者達がここで命を落としたのは扉に鍵が掛けられる以前なのだろうな」

 

サラの疑問に対して、リーシャは感じた事を口にする。『古の賢者』という存在がこの塔の鍵を掛けたのだとすれば、それは数十年も前の話となるだろう。故に、この塔に魔物が棲み付いているのならば、その魔物達は共食いをして行かなければ生きて行けない事を示している。もしくは、既にこの世の生命ではない者ばかりという事になるのだ。その事実に辿り着いているからこそ、カミュとサラの瞳は厳しい。カミュに至っては、剣を鞘に納める事をせずに右手に握ったまま。

 

「……行くぞ……」

 

カミュは、そのまま扉の奥へと入って行った。リーシャもまた、サラとメルエを先に行かせ、手に斧を構えたまま先へと進む。塔の中は静けさに満ちていた。同時に、籠った不快な空気が支配している。そんな数十年ぶりに解放された塔内部へ、外部から新鮮な空気が流れて行った。

 

扉の先は一本道であり、暫く歩くと再び道は右方向へ折れて行く。壁伝いに曲がった先を確認したカミュは、後ろに控えるリーシャへ一つ頷きを返し、そのまま道の中央へ出て行った。カミュが通路に出た事で、魔物等の脅威がない事を悟ったメルエがカミュのマントの裾を握りに駆け出す。危険な気配も無い事から、リーシャとサラは、そんなメルエの行動に苦笑も洩らすだけで、制止する事はなかった。

 

「リーシャさんの言う通り、あの別れ道で出来た二つの道は繋がっていたみたいですね」

 

「だろ? 私の言った通りだ」

 

「……そうだな……」

 

カミュが掲げた<たいまつ>の明かりが指し示す先の道は、奥に繋がっているが突き当たりは右へと折れている。それが示す事は、二つの道が今サラ達のいる場所で交差しているという事に他ならない。塔としての構造上、その道の途中で他へ向かう道があったとは考えられない為、リーシャの言葉通り、どちらへ行っても同じ事だったという事なのだろう。サラの言葉を受けたリーシャは、誇らしげに胸を張り、カミュに向かって得意気に鼻を鳴らした。カミュは軽く溜息を吐き出し、リーシャの言葉を肯定する。そんな二人にサラとメルエは微笑み合った。

 

「また扉ですね」

 

「ということは、先程の鎧は、こんな狭い空間の中で数十年いたという事か?」

 

道は合流した地点で右に折れている。その方向へと進んですぐ、カミュ達の前にもう一度扉がそびえ立っていた。その事実は、サラの後に口を開いたリーシャの言葉に集約されている。先程遭遇した<キラーアーマー>はこの短い空間で数十年の間、剣を振り続けて来たのだろう。初めは他にも魔物がいたのかもしれない。だが、時間の経過と共に、既に生命体ではない<キラーアーマー>だけが残ってしまった。そう考えるしかないだろう。

 

「メルエ」

 

「…………ん…………」

 

「メルエ、扉を開ける時は、私の傍にいろ」

 

メルエがポシェットから<魔法のカギ>を取り出すのを見たリーシャは、鍵穴に差し込むカミュを見上げているメルエを自分の後ろへと下がらせた。先程、扉を開けた瞬間に<キラーアーマー>と遭遇した事を考えたのだ。『むぅ』と頬を膨らませるメルエの肩を軽く叩き、リーシャは<バトルアックス>を手に握る。それは臨戦態勢に近い恰好であったが、それは無駄に終わった。

 

「……階段……ですか?」

 

カミュが扉を潜った事を見届け、三人が中へと入って行くと、そこは少し広めの空間と四方向へ分かれた階段らしき物が見える。サラが言った通りの情景ではあるのだが、問題はその階段が四方向へ分かれている事。階段の登った先はどうなるのかは解らないが、だからこその不安があるのだ。そして、そんな不安を抱いた者達の視線が向かう場所は、たった一つ。

 

「な、なんだ? 何故、私を見るんだ?」

 

前を歩いていたカミュが振り返ったのと同時に、サラとメルエの瞳も、彼女達が姉と慕う女性へと注がれた。驚いたのは、そのリーシャ。『自分は何か失態を犯したのか?』という疑問が真っ先に頭に浮かんだ彼女は、動揺を隠す事無く、三人の顔を見渡した。しかし、サラやメルエの顔の上に浮かんでいたのは笑み。そして、彼は静かに口を開く。

 

「……どれだ……?」

 

「な、なに? この階段か?……私が解る筈がないだろう」

 

「いえ。おそらく、リーシャさんならば解りますよ」

 

「…………ん…………」

 

問いかけたカミュの言葉は、リーシャにとって予想外の事だったのかもしれない。あれだけ自ら道を示そうとし、それの結果を散々見て来ているにも拘わらず、それに思い至らない彼女は、やはりリーシャという女性なのだろう。だが、その女性の性質を知るサラとメルエは、笑顔で頷きを返す。『リーシャでなければ無理だ』と。そんな信頼を向けられたリーシャが黙っている筈がない。

 

「心得た! う~ん……右手前の階段ではないな……」

 

「……わかった……」

 

だが、意気揚々と道を指し示そうとするリーシャの最初の一言でカミュは動き始める。リーシャとすれば、真っ先に消去した方角へ向かって行くカミュを見て、憤慨するしかなかった。彼女の口からはまだ正解の道順は発せられていないのだ。それにも拘らず歩き出すという事は、最初から聞く気がなかったという事と映ったのであろう。

 

「カミュ! まだ私は言っていないぞ! 左奥だ!」

 

「……了解した……」

 

肩を怒らせて自分に迫って来るリーシャに軽い溜息を吐き出したカミュは、最後のリーシャの指示を受けて左奥の階段へと向かって行った。驚いたのはサラとメルエ。サラは純粋にリーシャの指示に従ったカミュに驚き、メルエは自分に迫って来るようなリーシャの姿に驚いて、カミュのマントの中へと隠れてしまう。だが、カミュはそんな二人の心の動きを気にする事無く、階段を上って行った。

 

 

 

「……これは……」

 

先頭のカミュとメルエが上り切り、その後を続いたサラが見た景色は、異様と言う他なかった。確かに、階段を上がる最中、他の階段の姿も見えたままであったが、ここまでの物だとはサラも予想していなかったのだ。それは、カミュもリーシャも同様であったのだろう。二人とも、上り切った場所にある踊り場のような場所で、広がる塔内部の景色に見入ってしまっていた。

 

上った先は四方向へ分かれた道。完全に塔を四分割したような形で道が形成されている。カミュ達が上った四つの階段を中心に据えた通路は、十字にクロスしていた。その四つの階段はそれぞれが進める通路を限定している。カミュ達が選択した左奥の階段は、南の方角へ伸びる通路と、東へ伸びる通路のみ進む事が可能であり、他の通路へ向かいたいのであれば、一度階段を降りて上り直さなければならない。

 

「カミュ様、どうしますか?」

 

「南へ進もうと、東へ進もうと、行き着く先は同じだろう。そこで一度火を熾す」

 

見える光景に呆然としていたサラであったが、我に返るとすぐに、カミュへ行き先を問いかける。それに対して、カミュは溜息混じりに方針を口にした。リーシャにとっては不満の声を叫びたい内容であろうが、過去の実績が物語っている以上、サラはその言葉を否定するつもりもなかった。この塔に入るまでに雨に打たれた身体は未だに濡れたままである。メルエは、カミュのマントという全体防壁に守られてはいたが、体温が低下している事は間違いないだろう。故に、唇を噛み締めているリーシャもその後を続いたのだ。

 

塔内部は、静けさに満ちている。

外側から何重にも鍵を掛けられ、閉鎖された空間。

その場所は、静けさだけではなく、死臭さえも広がっていた。

数十年ぶりに訪れた生者。

生者を迎え入れた『死の塔』は、再び時を刻み始める。

 

 

 

 




読んで頂き、ありがとうございました。

少し短くなってしまいましたが、アープの塔は二つに分ける事にしました。
この塔の解釈も、完全な久慈川式独自解釈が入っています。

ご意見、ご感想を心よりお待ちしております。

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