新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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ナジミの塔②

 

 

 

 三人は塔にある奇妙な宿屋で夜を明かし、日が昇ると同時にその宿屋を後にした。

 塔の壁面にある窓から、昨日の夕日とは違う眩しい光が差し込み、塔内部の装飾をまた違った趣に彩って行く。

 

「サラ、今日中に頂上まで行って戻って来る事になる。少し急ぐ形になるが、辛くなったらいつでも言うんだぞ。サラは迷惑を掛けたくないと思うかもしれないが、休みもせず無理した結果が倒れる事になってしまえば、それ以上に進む速度が遅くなってしまうからな」

 

「……はい……」

 

 出発に先立ち、サラに向かってリーシャが忠告した内容は、サラにとって厳しい物であった。

 『自分は足手まといになっているのかもしれない』という負い目を常に感じているサラは、今まで無理を重ねて来ている節がある。今までは、そんなサラの無理に気付かないふりをしながらも気遣っていたリーシャであったが、ここから先は、常にサラを気遣える状況にあるとは限らない。

 『ナジミの塔』は今では人の往来もなく、完全に魔物の住処と化していた。

 近年で人が入ったと言われたのは、魔物と同様にこの塔を住処としていた盗賊を捕らえる為に、アリアハン兵が入った事ぐらいだろう。

 

「そんなに不安そうな顔をするな。この『ナジミの塔』は比較的低い。あって四階部分があるぐらいだ。順調に行けば、日が沈む頃には戻って来れるさ」

 

 多少厳しい忠告をして、サラの気持ちを引き締めようと思っていたが、リーシャの言葉の影響で不安顔になってしまったサラの表情に、リーシャは鬼になりきれなかった。

 宿屋の入口がある広間の反対側に上へと続く階段が見えている。塔の一階部分を隅から隅まで見た訳ではないが、まずは見える階段を昇り、上へ行こうという結論に達し、三人は階段を上って行った。

 階段を昇り切ると、太陽が若干近くなった為か、先程より強い朝日が目に飛び込んで来たようにサラは感じた。

 だが、それが勘違いである事にすぐに気付く事になる。

 実際は、一階部分とは違い、塔の周りを囲う壁が存在していないのだ。

 二階部分は、壁で仕切られた広間がいくつか存在するのだが、それらを取り巻くように作られた通路には壁が作られていない。つまり、足を踏み外せば、地上まで真っ逆さまに落ちてしまうというものだった。

 

「ひっ!」

 

 強い風が吹けば、転がり落ちてしまいそうな錯覚に陥ったサラの足は竦んでしまう。

 思わず立ち止まったサラを振り返ったカミュは、深い溜息を吐きながら、その口を開いた。

 

「……恐怖を感じるのなら、その戦士にでもしがみ付きながら歩け。良い重りになるだろう」

 

「なんだと!」

 

 いくら腕っ節自慢のリーシャといえども、同性のサラよりも重いとはっきり言われて喜ぶ訳はない。カミュの軽口に怒りを露わにして噛みつこうとするが、カミュの言う事を真に受けて自分の腕にしがみ付いて来るサラに、諦めの溜息を吐く事になる。

 結局、塔の外側の通路を歩いている間、サラはリーシャに手を引かれる形で歩いていた。

 前を歩くカミュが、幾分か内部へと足を進め始めた事を確認し、サラと共にリーシャも安堵の溜息を吐く。もし、この状況で魔物と遭遇した場合、カミュ一人で戦わせる事になってしまう可能性を、リーシャは気にしていたのだ。

 カミュの腕と魔法があれば、大抵の魔物に遅れを取る事はないとは思っているが、数が多ければ危険も上がって行く事となる。

 

「サラ、もう大丈夫だろ?……悪いが、手を離してもらえるか?」

 

「あっ、は、はい! 申し訳ありませんでした」

 

 振り解く訳でもなく、優しく声をかけてくるリーシャに、自分のしていた行為に今気がついた様子でサラは手を離す。

 以前、サラ自身も語っていた通り、平民が貴族の身体に触れる事は、このアリアハンの平民の間では禁忌とさえされている。

 もし、身体が触れようものならば、その瞬間に貴族に罰せられたとしても不服は言えないのだ。

 故にサラは、リーシャという貴族を信じ始めてはいても、何かを窺うような視線を向けてしまう。

 

「高い所は苦手なのか?」

 

「い、いえ……申し訳ございません。別段、特別に高い所が苦手な訳ではないのですが……」

 

 しかし、サラの不安とは裏腹に、申し訳なさそうに俯き話すサラにリーシャは微笑みを浮かべながら気遣うような言葉をかけて来る。少し面喰ったサラではあったが、尚も暖かな笑みを浮かべ続けるリーシャに、心に纏う物を脱ぎ捨てて行った。

 

「まあ、もう少し歩けば慣れて来るさ。誰でも最初は足が竦むものだ」

 

「リーシャさんは、以前にこの塔に上ったことがあったのですか!?」

 

 サラの心を理解したように、先程よりも優しい笑みを浮かべたリーシャの言葉に、サラの顔が勢い良く上がった。

 

「いや、私も初めてだ」

 

「……」

 

 サラは、自分が高所恐怖症だとは思っていない。教会の屋根の修理をするために、屋根に上ったことは多々あった。

 その際は、不安定な足場にも拘わらず、歩き回りながら金槌で釘を打った事もある。

 故に、リーシャの言葉に、『もしかすると、リーシャも自分と同じ気持ちを抱いた事があったのでは?』と期待を込めて聞いたのだが、返って来た言葉は、サラの期待を大いに裏切ってくれる物であった。

 

「サラ、戦闘だ! 剣を構えろ!」

 

 前を行くカミュが立ち止まり背中の剣に手を掛けた事を見逃さず、リーシャは戦闘開始の合図をサラへ送って来た。

 リーシャの合図に、サラも手に持つ<銅の剣>を握りしめ、リーシャの後ろに付く。カミュが剣を抜き対峙していたのは、アリアハン大陸でも生息する地域が限られている魔物、<フロッガー>であった。

 

<フロッガー>

巨大なカエルの魔物である。魔力を持って生まれたカエルが巨大化したのか、魔王バラモスの影響で凶暴化したカエルなのかは解明されていないが、このアリアハン大陸では上位の魔物に当たる。その体躯は、通常のカエルと同じように滑りがあり、剣による斬撃では傷をつけ難い。また、その跳躍力で人に襲いかかり、逃げ道を塞いで来る為に、アリアハン大陸では恐れられている。だが、それはあくまでも、対する人間が普通の人間であればという話だ。

 

「カミュ!」

 

 声と共に、リーシャはカミュに駆け寄り飛び掛って来た<フロッガー>に剣を振るう。リーシャの一閃は<フロッガー>の左腕を切り飛ばし、<フロッガー>の着地を無様な物にした。

 カミュは、もう一匹の<フロッガー>の攻撃をかわしながら剣を振るい、<フロッガー>を追い詰めて行く。追い詰められた<フロッガー>は最後の一撃とばかりに、その発達した後ろ脚に力を溜め、カミュ目掛けて飛びかかって来た。

 カミュは落ち着いて<フロッガー>の動きを見て、剣を立てて屈み込む。

 屈み込んだカミュに覆いかぶさるように飛んで来た<フロッガー>の喉元に、カミュの剣が突き刺さった。

 突き刺した剣を抜く為に、カミュに足蹴にされた<フロッガー>は、床に転がった後、数度の痙攣を最後に動かなくなった。

 

「やぁぁぁ!」

 

 リーシャに左腕を飛ばされた<フロッガー>は踏ん張りがきかず、十分な跳躍が出来ない。

 リーシャの攻撃を避けるにしても、片腕がないため十分に動けず、リーシャの剣を無様に受ける事となる。

 リーシャの最後の一閃が、自らの首を刈る瞬間に見せた<フロッガー>の表情は、苦しみから解放されたような安堵を含む表情に見えていた。

 

「まだだ!!」

 

 <フロッガー>の体液の付いた剣を振って、血糊を落とし鞘に収めたリーシャに、珍しくカミュの大きな声が掛けられた。

 リーシャに駆け寄ろうとしたサラは、剣を鞘に収めたリーシャの後ろに飛ぶ巨大な蛾のような生物を視界に収める。

 

「@%#$&&$」

 

 カミュの珍しい叫び声に振り向いたリーシャは、すぐ目の前にいた巨大な蛾が人語ではない詠唱のような音を発した途端に霧に包まれる感覚に陥った。

 今まで戦っていた筈の塔の内部ではなく、全てが霧に包まれたように景色がぼやけ、カミュやサラの姿まで無くなって行く。

 そのくせ、霧に包まれる前に見た蛾が、神出鬼没に自分の周りを飛び回っていた。

 

「そこか!」

 

 リーシャは飛び回る蛾へ剣を振るが、真っ二つになったはずの蛾が蜃気楼のように消えて行き、再び別の場所に現れるのを見て混乱に陥る。

 

 

 

 サラは、蛾が奇声を発した後に暫く動かなかったリーシャが、突然何もない所に向けて剣を振るのを見て驚いていた。

 状況が全く掴めないサラは、救いを求めるようにカミュへと視線を向ける。視線を向けられたカミュの表情は、苦虫を噛み殺したような物だった。

 

「ちっ! マヌーサか」

 

「えっ!?」

 

<マヌーサ>

教会が所有する『経典』に記載されている魔法の一つで、その効力は脳内に及ぼす物。この魔法を受けた者は、周囲が霧に包まれたような錯覚に陥り、敵の場所を特定できなくなる。陽炎のように現れる敵の姿に戸惑い、剣を振って敵を切り裂いても、蜃気楼のように消えてしまい、倒す事が叶わない。所謂、催眠のような魔法である。

 

 サラも<マヌーサ>との契約はすでに済ませてある。

 まだ使用した事はないので、実際発動するかどうかはわからないが、何れにしても、その効力に関しての知識はサラにもある。

 このパーティー内の一番の剣の使い手が、幻覚に包まれているのだ。

 迂闊に近づく事など出来はしない。

 

「そこかぁぁ!」

 

「!!」

 

 どうしたら良いのか判断をする事が出来ず、サラは動けない。その中で、リーシャは闇雲に剣を振るい続けていた。

 その剣は、カミュに対して振るわれる。間一髪のタイミングで避けたカミュではあったが、連続するリーシャの剣に防戦一方になって行った。

 

「!?……何故、俺に向かって来る!?……くっ……<メダパニ>でもかかっているのか!?」

 

 カミュの疑問は尤もである。

 基本的に<マヌーサ>によって幻覚に包まれた者は、敵と味方を間違えるような事はない。

 同じように脳内に影響を及ぼす、<メダパニ>と呼ばれる混乱魔法の影響を受けているのならば、別ではあるのだが。

 

<人面蝶>

その名の通り、『人』の顔を持つ蝶である。いや、その姿は蝶というよりも蛾に近い。通常の蝶や蛾の腹部に人面を宿し、その口の部分には鋭い牙を持つ。アリアハン大陸では珍しい、魔法を唱える事の出来る魔物である。

 

「くそっ! おい、何を呆けている! あの<人面蝶>を早く片付けろ!」

 

「えっ、えっ、で、でも……」

 

 リーシャの攻撃を何とか自分の剣で防ぎながらも、サラに巨大な蛾の討伐を指示するカミュではあったが、声を掛けられたサラは戸惑うばかりであった。

 手に持つ<銅の剣>を下げたまま、おろおろと視線を彷徨わせるサラを見て、カミュは盛大な舌打ちを鳴らす。

 

「今、あの蛾を倒せるのも、この脳筋馬鹿を救う事が出来るのも、アンタだけだ!」

 

 幻覚に包まれているリーシャは、しつこくカミュに斬り掛っている。

 確かに、今のカミュに、リーシャと対峙しながら魔物を倒す余裕はない。

 カミュの言う通り、今動く事が出来るのはサラだけである事は事実なのだ。

 

「わ、わかりました!」

 

 カミュの瞳が真剣である事を見たサラは、覚悟を決めた。

 ここで、自分が何もできなければ、今度こそこの『勇者』に愛想を尽かされ、置いて行かれる。

 その考えが頭を掠め、サラは緊張と恐怖で、<銅の剣>を握る手に汗が溢れた。

 それでもサラは、右手を胸に抱いて、呟くような詠唱を行った。

 

「ピオリム」

 

<ピオリム>

教会が管理する『経典』に記載される補助魔法の一つ。術者の魔法力によって、対象者の身体能力を限界まで引き上げる効力を持つ。本来『人』に限らず、生物は自身の身体に眠る能力を最大限まで活用出来てはいない。その眠りし能力の一部分を、一時ではあるが、術者の魔法力によって引き上げるのだ。

 

 <人面蝶>はリーシャに<マヌーサ>をかけた後、リーシャに攻撃を仕掛けようと考えていたのだろうが、そのリーシャの凄まじい動きに近寄る事ができず、場所を変えながらも周辺を飛んでいた。

 身体能力の上がったサラには、その<人面蝶>の動きが目でしっかりと追う事が出来ていたのだ。

 ちょうど、サラの頭の高さで飛んでいる<人面蝶>に向け、サラは<銅の剣>を振るう。

 <人面蝶>は、今まで、全く動く事のなかった『僧侶』が自分に向かって来た事に驚くが、それをひらりとかわし、上空へと飛び上った。

 

「あっ……」

 

 自分の攻撃を簡単に避けられ、更には自分の手の届かない所まで上がってしまった<人面蝶>に、サラは思わず声を漏らしてしまう。

 だらりと下げられた腕に握られた<銅の剣>は、その役目を果たす事無く、沈黙を続けていた。

 

「簡単に諦めるな! 魔物は、必ず攻撃を加えるために降りてくる! それに剣を合わせるように振り抜け! あぁ、くそっ! アンタ、本当に幻覚と戦っているのか?」

 

 珍しく良く話すカミュにサラは驚くが、自分への忠告の後、リーシャへと愚痴をこぼすカミュの姿を見て、緊張と恐怖で固まっていた自分の身体から、余計な力が抜けて行くのを感じた。

 

『どんな形であれ、今、あの捻くれた勇者は自分を信じている』

『自分であれば、あの魔物を倒せると信じてくれている』

 

 サラはもう一度剣を構え直し、<人面蝶>を見据える。

 自分を嘲笑うかのように上空を飛び回っている<人面蝶>は、剣を構え直すのを見て、その動きを制止させた。何度か羽ばたきを繰り返した後、サラに向かってその口にある牙を剥いて急降下して来る。

 <ピオリム>の効果が続いているサラは、<人面蝶>の動きを落ち着いて見詰め、カミュの忠告通りに、その動きに合わせるように<銅の剣>を振るった。

 基本的に、<銅の剣>は切れ味が良い物ではない。カミュやリーシャの持つ剣のように斬り裂いたり、突き刺したりといった攻撃は出来ず、主に叩きつける武器と言っても過言ではない武器だ。

 しかも、サラはその武器を未だに扱いきれてはいない。

 実際、身体能力の上がっているサラが振るった剣は、絶妙のタイミングだった。

 しかし、扱いきれていない武器の為、その剣の軌道にはブレが生じる。自分の動きに合わせられた事に気が付いた<人面蝶>は無理やり態勢を変え、サラの剣の軌道から外れようとしたのだ。

 結果、またしてもサラの剣は<人面蝶>を倒すに至らなかった。

 

「あぁぁ……」

 

 自分の不甲斐なさに俯きそうになるサラ。

 振われた<銅の剣>は石畳の床に打ちつけられ、乾いた音を立てる。

 『やはり、自分は唯の足手纏いに過ぎないのだ』と首を垂れるサラの後方から、その時、鋭い声が響いた。

 

「良く見ろ! アンタの剣は魔物を掠めている! 止めを刺せ!」

 

 気分が落ち込み、魔物から目を離しそうになったサラの後方からカミュの声が響く。

 その声に、もう一度顔を上げたサラの瞳に、上手く飛ぶ事が出来ず、サラの胸ぐらいの高さをふらふらと飛んでいる<人面蝶>の姿が映った。

 カミュの言う通り、サラの剣は<人面蝶>の片方の羽に大きな傷を与えていた。

 空を飛ぶ者にとって、羽とは生命線であると共に、非常に繊細な物でもある。

 <人面蝶>のような、昆虫の延長にある魔物にとっては顕著であり、湿気を帯びただけでも、その飛行は困難となるのだ。

 <銅の剣>を握り直したサラは、渾身の力を込めて<人面蝶>に向けて剣を振り抜いた。

 羽にダメージを受け、避ける事も叶わない<人面蝶>は、そのサラの剣を勢いそのままに受ける事となる。真正面から攻撃を受けた<人面蝶>は、床に叩きつけられ、数度羽を動かした後に動かなくなった。

 

「やりました!」

 

 <銅の剣>を持つ自分の手と、物言わぬ屍と化した<人面蝶>を見比べながら、込み上げて来る喜びを抑えきれず、サラは喜びの声を上げた。

 

「このっ!……ん?……どういうことだ!!」

 

 振るった剣を受け止めた相手がカミュであることに気がついたリーシャは、理不尽にもカミュを怒鳴りつける。嵐のような剣撃が止んだ事を理解したカミュは、手に持つ剣を一振りした後、それを鞘へと納めた。

 

「……それは、こっちが聞きたい……何故、<マヌーサ>に掛った筈のアンタが、俺に向かって攻撃して来た?……アンタにとって、俺は『敵』と認識されているのか?」

 

「……<マヌーサ>……だと?」

 

 背中の鞘に剣を納めたカミュは、鋭い視線をリーシャへと向ける。その視線を受けたリーシャには、現在の状況が理解出来てはいなかった。

 故に、カミュが口にした何かの名を反芻する事しかできなかったのだ。

 

「……ああ……アリアハン随一の戦士様は、上達する剣の腕とは反比例に、脳味噌は退化したのだろうな。だからこそ、ある程度の知識と判断力が備わっていれば惑わされる事の少ない、<人面蝶>如きが唱えた<マヌーサ>に惑わされ、俺に向かって剣を振るっていた」

 

「……カミュ様……その辺で……」

 

 先程まで、自分が果たした仕事の余韻に浸っていたサラではあったが、またしても不穏な空気を醸し出す程のカミュの厭味を聞き、慌ててリーシャとの間に入って来た。

 しかし、そんなサラの心配は杞憂に終わる。

 

「しかも、アンタが俺に剣を振るっていた為、アンタの幻覚を解く方法は、その『僧侶』が術者である<人面蝶>を倒す事しかなかった。それも、何度も諦めかけながらだ。アンタのおかげで、いきなり全滅の危機だった。流石に、俺も諦めかけた」

 

「……ぐっ……す、すまない……」

 

「……カミュ様……」

 

 カミュの諦めかけたという言葉を聞き、自分の達成感からの高揚が覚めて行くのを感じたサラは、心配そうにリーシャを気遣いながらも、言葉を発するカミュを見て驚いた。

 カミュの口端が上がっているのだ。

 リーシャは何度か見た事のあるカミュの顔ではあるが、サラは初めて見る顔だった。

 あれは、明らかにリーシャをからかい、楽しんでいる顔に他ならない。

 対するリーシャは、カミュのからかい顔を理解してはいるが、現状を見れば、カミュが決して嘘を言っている訳ではない事も理解出来るだけに、反論は許されずに、されるがままになってしまっていた。

 剣を持つ右手が強く握りしめられ、小刻みに震えている事から、そのリーシャの堪忍袋の緒が切れるのも、時間の問題なのかもしれないが。

 

「まあ、良い。思わぬ時間を喰わされた。先を急ぐ」

 

 『あれだけ挑発しておいて、『まあ、いい』はないだろう』とサラは思ったが、先を行こうとするカミュへ何の反論も出来ずに歩き出すリーシャを見て、『火に油を注ぐ事はするまい』と、喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。

 

 その後も、何度か魔物と遭遇するが、一度不覚を取ったリーシャに慢心や油断はなく、次々と魔物の命を奪って行った。

 そんなリーシャの様子に、カミュは積極的に戦いに参加する事もなく、屍となった魔物の部位を切り取り、革袋へと詰めて行く。

 サラも、ようやく自分の闘い方を見出しかけたことから、剣を振るう回数も多くなり、リーシャの取りこぼした魔物を倒しながらも、そんなリーシャの闘いを見ていた。

 リーシャの闘いは凄まじく、まるでカミュからの厭味の鬱憤を晴らすような動きであった。

 中でも、再び出て来た<人面蝶>には、流石のサラも同情を禁じ得なかった。

 共に姿を現した、<おおありくい>や<フロッガー>に見向きもせず、<人面蝶>へと一直線に向かって行ったリーシャは、<人面蝶>の両羽を切り落とし、飛べなくなり地面に落ちながらもまだ生きている<人面蝶>へ剣を突き立てたのだ。

 カミュでさえ、そのリーシャの怒気を纏った姿に唖然としていた。

 ましてや、<おおありくい>や<フロッガー>等は、サラ達の比ではない恐怖を感じ、唖然とするカミュとサラの隙を見て、我先にと逃げ出して行った。

 

「……カミュ……様……」

 

「……ああ……少し言葉が過ぎた事は認める……」

 

 この後、鼻息も荒く戻って来るリーシャに、魔物を取り逃がした事への説教をされる事を覚悟した二人は、ため息交じりに会話を交わしていた。

 

 

 

 その後も何度か魔物と遭遇しながらも、三人は順調に塔を登って行く。

 最初のリーシャの見立て通り、『ナジミの塔』はどうやら四階構造になっているようだった。

 しかし、四階部分に到達した一行はその様子に溜息を吐く。

 四階部分は下の階とは違い、中心に壁があり、その周りを囲むように広い通路のような部分が広がっていた。

 当然通路に壁はなく、強い風が吹けば真っ逆さまに落ちてしまう事になるだろう。

 

「これ以上、上へは進めなさそうだな……」

 

「下の階にもう一つ階段がありましたよね。もう一度戻ってそちらに向かいましょう」

 

 リーシャの言葉に、一つ下の階で見つけた階段を思い出し、サラは来た道を引き返す事を提案する。今回は、戦闘においても見ているだけではなく、剣を振るい戦闘に参加していたサラは、良い緊張感が続き、気力が充実していた。

 サラの提案を受け入れ、一行は一度下に戻り、違う階段で再び四階部分に出る事にする。

 先程、階段の上部を見た際に光は見えず、『行き止まりになっているか、作りかけの階段かもしれない』というリーシャの言葉から上る事をしなかったのだが、再び見てもやはり上部に光はない。カミュを先頭に一段一段上ってはみたものの、やはり、天井部分にぶつかってしまい、それより先には進めないようになっている。

 

「やはり、ダメか?」

 

「いや、この階段は何かで塞がれているようだ」

 

 後ろからかかるリーシャの諦めの声に、天井部分に手を当てていたカミュが答えた。

 カミュの言うように、塔内部は基本的に石で出来ているのだが、この階段の天井部分だけは木で出来ていた。

 階段の上部の為、暗く判別はし難いが、手触りが石や金属のような冷たさを感じない。

 

「……木か……?」

 

 天井の隙間に木が隙間なく嵌め込まれており、更には、その上から尚も木を釘で打ちつけている。

 まるで、この先にある何かを出すまいとしている程の厳重さであった。

 

「……少し下がっていろ……一度燃やす」

 

 カミュはリーシャとサラの二人を、一度階段の下へと下し、蓋をしている木に向かって左手を上げる。

 サラとリーシャはカミュに言われるまま、階段の下からその姿を見ていた。

 

「メラ」

 

 カミュの指先から出た火球は打ちつけられた木に命中するが、すぐには燃え上がらない。

 それ程、打ちつけて時間が経っていない木だとは思われるが、吹きさらしの風や雨が入ってくる塔の中で湿気を帯びてしまっているのだろう。

 何度目かの詠唱でやっと木に火がつき、天井を塞いでいる木が燃えて行った。

 

 燃え終わり、黒い炭と化した木々をリーシャとカミュで動かして行くと、この塔の一階にあった宿屋の入口の時のような金属の蓋が出てきた。

 リーシャがその金属の蓋に、下から突き上げるような衝撃をかけ、そして少しずつ横へとずらして行く。最初は、リーシャを持ってしてもなかなか動かなかった蓋だが、重く引き摺られる音を発しながら、徐々に動いて行った。

 完全に開けた蓋から暖かな空気が流れてくる。三人はカミュを先頭に一人ずつ上がって行った。

 

 

 

「お前さん達は、誰じゃ?」

 

 階段を上った場所は広い部屋になっており、石畳の床に、寒さ防止の為か絨毯が敷かれ、机や椅子が置かれている。その椅子には、白いひげを生やした老人が一人座っていた。

 

「あっ!」

 

「……失礼……カミュと申します。失礼ですが、貴方は<レーベの村>にある泉の畔の家に住まわれている方のご兄弟でいらっしゃいますか?」

 

 人が居た事に驚きの声を上げるサラの言葉を遮り、カミュが余所行きの仮面を被り、話し出した。

 その様子を見たリーシャは、『何度見ても、違和感しかないな』と思いながらも静観する事にする。

 

「……ふむ……それが誰の事を指しているのかがはっきりせんが、わしが居た頃とあの村がそう変わらないのであれば、おそらくお前さんの言う通りじゃろうて」

 

 カミュの質問に、少し考える素振りを見せながらも、白いあご髭を撫でつけ、老人はゆっくりと肯定の意思を示した。

 そして、カミュ達三人を一通り見渡した後、その細い腕を前へと差し出す。

 

「まあ、立ち話もなんじゃから、適当に掛けなされ」

 

 続く老人の言葉に、リーシャは入口の金属蓋を元に戻し、老人の対面に座る。それにカミュ、サラと続き、三人が老人と対する事となった。

 

「それで……わしに何の用かの?」

 

 三人が着席したのを見計らって、老人が口を開く。

 老人は頬が扱け、直視するのも気が引けるほど、骨と皮と言っても過言ではない程の身体になっていた。

 その老人の姿に、サラは思わず目を伏せる。

 

「な、なぜ……このような場所に、一人で住まわれているのですか?」

 

 そんな老人の姿に我慢ができず、誰よりも先に口を開いたのはサラであった。

 カミュは、サラの行動に顔を顰める様子であったが、口を開きかけた老人に遠慮し、言葉を飲み込んだ。

 

「お前さんは?」

 

「あ、申し訳ございません。アリアハン教会に属します僧侶で、サラと申します」

 

 名前を名乗っていなかった失態に、慌てて名乗りを上げ、それに倣ってリーシャも自己紹介を済ます。二人の名乗りに、一瞬表情を変えた老人だったが、その哀れな姿によって小さな変化は埋もれていた。

 

「ほう……アリアハンの僧侶様に宮廷騎士様ですか……ならば、私のような老人と言葉を交わしてはなりません。私は神敵であり、国家では罪人となっておりますのでな……」

 

 二人の自己紹介に力なく笑う老人はそれ以上を語らない。疑問を口にしたサラは、何故、老人がそのような事を言うのかという新たな疑問が湧いて来るが、老人の雰囲気がサラの口を再び開くことを遮っているようだった。

 

「……貴方は、あの橋を作った方ですか?」

 

「!!」

 

「ふむ……お若いの……何故、そう思われるのでしょう?」

 

 そんな中、沈黙を破ったカミュの言葉にリーシャとサラの二人は驚く。カミュへと視線を移すが、老人は少し目を細めただけで、静かにカミュへと問いかけた。

 この場にいる全員の視線が集まった事に怯みもせず、カミュは一度瞳を閉じた後、内心を語り始める。

 

「アリアハンの王家では、汚い物には蓋をする習慣があります。昔、あの橋の土台を築いたのは、国家が雇った橋職人ではなく、<レーベ>に住む鍛冶屋の青年という噂がありました。その青年は、功績を称えられるどころか、故郷である<レーベ>を追われたと聞いています。もし、貴方がその青年であれば、<レーベ>に残る老人の、アリアハンに対しての憎しみも理解できるのです」

 

「な、なんだと! そんな話、聞いた事はないぞ!」

 

 疑問を疑問で返されたにも拘わらず、それを気にしたような素振りすら見せずに語るカミュの話は、宮廷騎士として親の代から王家に仕えていたリーシャにとって初耳の物であった。  ましてや、教会という閉ざされた社会で育ったサラにとっては尚更だ。

 

「……良くご存じですな。まあ、宮廷騎士様と教会に属する僧侶様である貴方達が、ご存じない事は無理もないでしょう。アリアハン王家に仕える方々に、国家の暗部を公表する訳はありませんからな……」

 

 カミュに向かって、怒鳴るように投げかけたリーシャの疑問は、カミュではなく目の前の老人から答えが返って来る事となった。

 カミュへと鋭い視線を向けていたリーシャは、勢い良く老人の方へと振り返る。そこには、窪んだ瞳に寂しい影を落とした老人の姿があった。

 

「……カミュ殿と申したかの?……お前さんの考え通り、わしがその青年という事になるかの……しかし……そうですか……弟は、アリアハンを恨んでしまっておりますか……」

 

「!!」

 

 老人からカミュの話を肯定するような言葉が出た。

 それは、先程、カミュが話したアリアハン国家の行為をも肯定する言葉になる。そのアリアハンが抱える黒歴史の事実に、リーシャは言葉を失い、サラは愕然と老人を見つめた。

 

「わしは、四十年以上ここで暮らしてきました。<レーベ>に戻る訳にもいかず、この大陸を出る訳にもいかず……国家の罪人である私には、この大陸の中で暮らす事の出来る場所は、この魔物の住処である塔以外はありませんでしたからの……」

 

「そ、そんな……」

 

 老人の告白に、サラから声が漏れる。老人が言葉を洩らす度に、サラの中で築かれて来た『アリアハン国家』という偶像が音を立てて崩れて行くのだ。

 信じていた度合いが大きければ大きい程、その崩れる速度も加速して行く。

 

「幸い、妻も子もありませんし、親も既に他界しておりましたからの。ただ、唯一人の弟には苦労をかけてしまったようです。初めの頃は、何度か私に食糧などを持って来てくれていたのですが……」

 

「何か、他にもご兄弟がアリアハン国家を恨む要素があるのですか?」

 

「……ふむ……」

 

 会話を途中で止めてしまった老人に先を促すように、カミュが言葉をかけるが、それでも尚、老人は言い難そうに口籠る。

 それは、カミュの聞いた内容に思い当たる節がある事を示唆し、加えて、その内容がカミュ達三人に新たな衝撃を与える物である事を示していた。

 

「カミュ! 人には言いたくはない事もあるだろう!」

 

 尚も催促しようとするカミュに、先程まで我慢していたリーシャが口を挟む。アリアハン国の有する暗部の一部を知り、心に衝撃を受けてはいた。

 だが、それにより取り乱す事はなく、冷静に話を聞いていたが、心に残った引っかかりをカミュにぶつけてしまう事となる。

 

「……いや、良いのじゃ……お前さん達は……『バコタ』という人物を知っておるかの?」

 

「最近、捕まった盗賊ですか?」

 

 『盗賊バコタ』

 アリアハン大陸で活動している盗賊で、どんな扉も開けてしまうと云われている。

 つい数か月前に、住処としているこの『ナジミの塔』にアリアハン兵が踏み込み、捕縛される事となり、今はアリアハン城の牢獄に監獄されている。

 

「……ふむ……それは、あの弟の子なのじゃ」

 

「それで、捕まった事を恨んでいるのですか!? それは、自業自得ではないですか!?」

 

 息子である『盗賊バコタ』が捕まり、牢獄に入れられている事を恨んでいるというのなら、『それは筋違いだ』とサラは声を上げる。

 リーシャにしてもサラに同意であったが、カミュはいつもの無表情で声を上げるサラを冷ややかに見つめていた。

 

「あの子は、盗賊以外にはなれなかった。わしが原因で、母親も出て行き、父親も仕事を失い、そして周りからの侮蔑の視線を受けながら育ったのじゃ。働ける場所などなく、鍛冶屋を継いだとしても、造った物を買う者などいない」

 

「そ、それでも……人の物を盗み、それで生きていくなんて……真面目に働いて生きている人達に失礼です」

 

 生い立ちが厳しい人間は数多くいる。

 それでも皆必死で生きている。

 サラはそう信じているのだ。

 

「……誰もアンタの感想など聞いてはいない。それに元はと言えば、アリアハン国が、橋の土台を真面目に考えて完成させた人間の功績を自分の物へと変えたのが発端だ。それこそ、人の技術を盗む行為になる筈だ。アンタ方は認めたくはないだろうが、それが現実だ」

 

「……で、ですが!」

 

 尚を喰い下がろうとするサラに向けられたカミュの視線は、冷たく厳しい。その瞳を受け、サラの身が硬直した。

 人を殺しかねない瞳は、サラへの蔑みを宿している。

 とても仲間に向ける視線ではないのだ。

 

「……カミュ殿、良いのじゃ。このお嬢さんの言う通り、自分の境遇に悲嘆し、甘んじたあの子が悪い。どんな事情があれ、犯罪は犯罪。それは弟も解っておる」

 

「では、他にも理由があるというのか!」

 

 リーシャが若干憔悴した様子で、再度老人の話を促す。リーシャの叫びに近い声を聞き、老人は一度目を瞑った。

 何かを躊躇い、そして何かを決意するように開かれた瞳が、骨と皮だけとなった老人に凄みを持たせる。

 

「……ここから先は、アリアハンの中枢機関に属するお嬢さん達には、少しきつい話になるかもしれん……それでも良いか?」

 

 老人の痩せこけ窪んだ瞳に、鋭い光がともり、それが眼光となってリーシャとサラの二人を射抜く。

 サラはその眼光を受け、これから先の話に対する不安が募るが、リーシャと共に大きく頷いた。

 

「……そうか……わしは父の後を継ぎ、鍛冶屋となった。弟には鍛冶の才能はあまりなかったが、バコタは名人と云われた私の父の才能を受け継いだのか、光る物をもって生まれていた。だが、鍛冶屋として生きていく事はできない。毎日鬱憤を溜めながら暮らし、出来る事といえば、家の物を修理するくらいのものだ。そんな中、あの子は一つのカギを造り出した」

 

「……『盗賊の鍵』か……?」

 

 『盗賊の鍵』

 カミュが発した言葉にあるそれは、バコタが造り出したと云われる物。

 簡単な作りの鍵であれば、どんな扉も開けてしまうカギという話だ。

 その鍵を使い、バコタはアリアハン大陸にその名を馳せる程の盗賊となった。

 

「そうじゃ。そのカギを造ったあの子は、報われる事のない労働よりも、盗賊稼業に身を落としてしまう」

 

「……」

 

 その真実に、リーシャとサラの口は閉ざされてしまった。

 アリアハン大陸で暮らす鍛冶屋が作って来た鍵の全てを開けてしまう程の『カギ』。

 それは、国民にとっては、とてつもない脅威であり、他の鍛冶屋の生活をも奪う程の脅威でもあった。

 

「私の弟は、激怒したそうじゃ。どれ程皆から蔑まれようと、どれ程苦労しようとも、真っ当に生きてきた弟にとって許せる事ではなかったのじゃろう。弟はあの子を勘当し、周りの人間には、『息子は死んだ』と言っていたそうじゃ」

 

 自分の子を勘当するなど、余程のことだろう。

 父親として、息子に与えてしまった苦しみに負い目を感じながらも、それでも幾分かでも幸せに暮らせるようにと努力してきた自分を否定されたように感じたのかもしれない。

 

「<レーベの村>を出たあの子は、名前を捨て『バコタ』と名乗り、わしの住むこの塔を住処とした」

 

「それが、恨みにどう繋がると言うんだ!」

 

 元来気が長い方ではないリーシャは、老人の話すことに痺れを切らし、声を上げた。

 隣で、心底呆れたように溜息を吐くカミュが視界に入ったが、リーシャは早く結論を言えとでも言いたげに老人を促す。

 

「……ただ……あの子一人がここに来たのではないのじゃ……あの子には妻と幼い子供がおった。妻となった年若い女性は、あの子の境遇を知って尚、あの子を愛し、盗賊になると言ったあの子を必死に止めていたそうじゃ。それでも決意の変わらぬあの子に付いて行く事を決め、三人でこの塔に移り住んで来た」

 

「……それは……もしかして……」

 

 サラは自分の考えが辿り着いてしまった結末を信じたくなかった。

 そんな悲しい結果は知りたくもない。

 しかし、老人が話し出す結末は、サラの考えていた物など遥かに飛び越えたものであった。

 

「<盗賊の鍵>を使い、盗みを行っていたあの子が、小さなミスからこの住処を知られる事となる。アリアハンから大量の兵士がこの塔に押し寄せて来たが、既に下の階での生活場所はあの子たちに譲り、ここで生活していたわしは気付く事が出来なかった」

 

 話が進むにつれ、老人の顔の皺は濃くなり、骨と皮だけの身体を尚更痛々しく見せていく。

 話を聞いているリーシャとサラも、これから話される結末を考え、顔を歪めた。

 カミュは能面のような表情を更に深め、表情を失くして行った。

 

「あの子を捕らえた兵士達は、捕らえられる直前にあの子が逃がした妻と子を追った。地下道に逃げ込んだ二人を数人の兵士で執拗なまでに追い詰め、子供の方を先に殺し、妻の方は兵士達で何度も何度も凌辱を繰り返し……最後には殺したそうだ……」

 

「!!」

 

「……そうか、地下道にあった親子の骨はその二人か……魔物ではなく、人間に殺されていたとはな……」

 

 サラは完全に俯いてしまう。

 自分が先程ぶつけた言葉がどれ程酷い言葉だったのかを痛感していた。

 もし、この真実を知っていたとしたら、<レーベの村>にいる老人の『恨み』と『憎しみ』は、サラ等が口を挟む事を許さない程の物であろう。

 

「ちょ、ちょっと待て! 何故、貴方がそれを知ったのだ!? 貴方は階下の事は解らなかったと言っていただろう!」

 

「わしは、元から国家の罪人であり、神敵だからの……わしの所まで上って来た兵士が、自慢気に話してくれた……」

 

 肉の付いていない手を、血が滲む程に握り締め、小さな呟きのような声で老人は答えた。

 リーシャとしては、一般兵とはいえ、アリアハンを代表して盗賊捕縛の命を受けた者が、そのような非道な行為をした事実を信じたくはなかったが、老人が何の脚色もなく真実を語っている事は明白。

 それは、先程、盗賊行為に関しての見解を述べた事でも窺えた。

 

「わしは、その兵士達がここの入口を塞いでからの事は解らん。あの子が生きておるのか、それすらも解らん」

 

「バコタは生きています。まだ牢獄の中でしょう……一つお聞きしたいのですが、貴方がその兵士の行為を知った経緯は解りましたが、何故弟さんはそれを知ったのですか?」

 

 再び、余所行きの仮面を被ったカミュが老人に素朴な疑問を投げかける。

 確かに、今の話では、<レーベ>にいるバコタの父親がその事実を知る経緯が解らないのだ。

 リーシャとサラがそれを知らない以上、アリアハン大陸で公表されている訳ではない。

 

「それは、わしにも解らん。あの子には何人か部下のような人間がいたが、その人間が伝えに行ったのか、もしくはあの子自身が文でも託したのかもしれん」

 

「……」

 

 一連の話が終わり、『ナジミの塔』の頂上にある部屋に何とも形容しがたい沈黙が広がる。

 サラは自分の発言を悔やみ、現実の重みに涙を流していた。

 リーシャもまた、アリアハン国にある黒い部分の大きさに悩み、何も知ろうとしなかった自分を悔やむ。その横で、カミュだけは、何事もなかったかのような、何も感じない表情で老人を見つめていた。

 

「……これを……」

 

 沈黙を破ったのは、老人であった。その破れかけた衣服の懐から取り出した物をカミュへと手渡す。

 それは、小さな鍵。

 錆などが見当たらない程に磨かれ、銀色の光沢を放っていた。

 

「それは、<盗賊の鍵>じゃ。ミスを犯したあの子は、盗賊稼業から足を洗おうとしておった。それは、その前にあの子から渡された物じゃ。この鍵であれば、弟の家の鍵も開ける事が出来るじゃろう」

 

「ですが……それでは、犯罪者と同じではないですか!?」

 

 手渡された物が、盗賊の所有物である事を知り、サラが叫び声を上げる。

 バコタの境遇を知り、アリアハン国の持つ黒い歴史を知って尚、サラはその鍵を受け取る事に抵抗を感じていたのだ。

 

「わしから託された事を伝えなされ……ふむ……少し待っていなさい。手紙も託そう。それも共に渡せば良い」

 

 サラの心の叫びを受け流すように答えた老人は、その細い腕で取り出した紙に筆を走らせた。

 相手の心情を慮る事のない言葉を吐いた自覚のあるサラは、それでも柔らかな笑みを浮かべる老人を見て、居た堪れない思いを抱く。

 

「……まだ、我々の目的を話してはいない筈ですが……」

 

「……ふむ……数か月前に、あの子から噂を聞いた事がある。『魔王』の支配からの解放の為、十数年ぶりにアリアハンから旅立つ者がおると……アリアハン宮廷騎士にアリアハン教会の僧侶。お前さんじゃろ、お若いの?……ならば、お前さんの望みは、この大陸から出る事の筈」

 

 余りにもスムーズに話を進める老人は、カミュが感じた疑問にも、さも当然の事のように一行の目的を言い当てる。その老人の答えにリーシャとサラは驚くが、カミュは無表情に老人を見つめたままであった。

 

「弟は、鍛冶屋の才はなかったが、それとは違う物に非凡な才を示しておった。あ奴ならば、お前さんたちの要望に応える事もできるじゃろう……今の世界が歪んでしまっているのも、魔物達が横行するこの時代が影響している部分も多々ある筈じゃ……」

 

 何かを想うように瞳を閉じた老人を三人は見つめていた。

 一つ息を吐き出した後、老人は再びカミュ達を見回し、ゆっくりと口を開く。

 

「わしはもう長くはない。だが、今苦しんでいる子供達が、少なくとも今よりも幸せに暮らせる世が来れば良いと思っておる。その手助けが出来るのならば、わしが生きていた意味も少しはあるというものじゃ」

 

 続けて話す老人の言葉に、サラは再び自分の頬を流れ落ちて行く物を感じた。

 リーシャもまた、サラの涙を見ながら、老人の話に感じ入る所があったのであろう。先程までの雰囲気はなく、瞳に力が宿ってはいなかった。

 

「……ほれ、これも持って行くが良い」

 

 書き終わった手紙を老人から受け取ったカミュは、無言で老人に頭を下げた。

 暫くの間、頭を下げていたカミュだが、顔を上げたと同時に老人に背を向け歩き出す。

 サラは、初めてみるカミュの姿に、溢れる涙を抑える事が出来なかった。

 

「下の階に宿屋があった。貴方も私達と共に下へ降りよう。このままでは、貴方の身体がもたない」

 

 階段に脚を掛けたカミュを追いかける前に、リーシャが老人へと声をかける。その内容にサラも同意するように頷き、老人を促すように後ろに立った。

 そんな二人の気遣いにも、顔の皺をより一層濃くしながら、優しい微笑みを浮かべて老人は頭を横に数回振る。

 

「……いや、わしはいい……」

 

「な、なぜですか!? このままでは……このままでは……」

 

 老人の悟りきったかのような笑みに、リーシャは何かを感じたように俯くが、サラには老人の言う事が理解できない。老人の手を掴もうと伸ばした手が、行き場を失い、宙を彷徨っていた。

 

「ありがとう……お嬢さん。しかしの……わしは少し疲れた……これからはお嬢さん達の時代じゃ……」

 

「で……ですが!」

 

 尚も言い募ろうとするサラの肩が優しく包まれる。サラが顔を上げると、そこには本当に辛そうに顔を歪めながら、頭を静かに振るリーシャの姿があった。

 サラはそんなリーシャの姿に老人の意志が固い事を感じ、そして、それを飲み込まなければならない事に再び涙する。

 自分の胸に顔を埋めるサラを歩かせながらリーシャが階段まで辿り着くと、先に降りていた筈のカミュが立っていた。

 カミュは、老人が手紙を託した時に、その覚悟を感じていたのだろう。リーシャを見るカミュの瞳がそう語っていた。

 カミュに向かって一度頷いたリーシャは、サラを歩かせながら階段を降りて行く。部屋に残ったカミュは、もう一度深く頭を下げると、振り向く事なくリーシャの後に続いて階段を下りた。

 

広い空間に一人残った老人は、深く息を吐き、虚空を見上げる。

 

「これで良い……わしは、この日の為に生きて来たのかもしれんの……ならば、これでわしの役目も終えよう……」

 

老人は、椅子に深く座りながら言葉を吐き出し、そして静かに目を瞑った。

 

 

 

 一階部分に降りるまで、カミュ達は何度かの魔物との戦闘を行った。

 だが、誰一人として言葉を発する者はいなかった。それぞれの胸中に、先程の老人との対話が影響を及ぼしていたのだ。

 リーシャとサラは今日の朝までは、もう一度、あの宿屋に泊って行こうと考えていた。

 だが今は、とてもではないがそんな気分にはなれない。出来れば、早々にこの塔から離れたいとさえ、二人は思っていた。

 

「……カミュ……<キメラの翼>を買ってはいないのか?」

 

 そんな思いが、リーシャの口から言葉として零れ落ちた。

 少し前を歩くカミュは、その言葉に足を止め、二人の顔を見るように振り向く。

 カミュが二人を見て感じた印象は、『顔面蒼白』。

 それ程、二人の顔色は酷かった。

 

「……アンタは、何時の時代の人間だ?……今のアリアハン大陸で、<キメラの翼>を置いている道具屋などある訳がないだろう?」

 

「ど、どういうことだ!」

 

 カミュが溜息交じりに発した言葉に、リーシャは驚いた。

 いつもと違うのは、サラがそんなリーシャに驚いていた事だろう。それは、サラもカミュと同様の事を考えている事に他ならない。

 

「アンタは国からの補助によって、何度かの魔物討伐の際に<キメラの翼>を使用した事があるのだろうな……だが、今のこの時代に、アリアハン大陸の道具屋が<キメラの翼>を入手する手段などあると思うのか?」

 

「!!」

 

 カミュの言葉を聞いても、その意図する物を理解できていない様子のリーシャに、カミュは盛大な溜息を吐き出す。

 彼女は、例え下級といえども『騎士』だった。

 与えられた武器と防具で国家を護る。

 国家から支給される物で、彼女は全てを賄えていたのだ。

 実際に、食料などの調達でさえ、貴族である彼女には召使いがいる。

 つまり、彼女は正確な意味で、平民の生活を知らないのだ。

 

「……唯でさえ<キメラの翼>自体が希少なのに、こんな外の世界との交流を断った大陸に入手できる方法がある訳がない……アンタが使用した物も、国が昔に入手して、宝物庫にでも入れて置いた物だろう」

 

<キメラの翼>

希少種の魔物である<キメラ>が持つ二つの翼を胴体から切り離した物であり、頭に行きたい場所をイメージしながら、その翼を天高く放り投げると、翼から発する魔力によって行きたい場所へ運んでくれるという、非常に便利な道具である。<キメラ>自体が非常に強力な魔物であり、一匹の<キメラ>から二枚しか取れない為、昔から希少価値が高かったが、他大陸との交流を断ったアリアハンでは、既に一般の者では手に入らない程の道具となっていた。

 

「……サ、サラも知っていたのか?」

 

「は、はい。私のような者は、その存在を文献などで知るだけで、実物を見た事さえありません」

 

 一国の宝物庫にしかない道具である。

 サラのような教会に住む一少女が目にする事などあり得る筈がない。

 それが、貴族であるリーシャと、平民であるサラとの大きな隔たりだった。

 

「……そうだったのか……」

 

 自分の無知と、この塔からすぐに離れられないという事実から、更に落ち込むリーシャの様子を見ていたサラも、同様に気分が沈んで行く。リーシャの言う<キメラの翼>を使用する事が出来れば、塔の外に出てすぐにでも<レーベの村>まで戻る事が可能な筈だ。

 しかし、それが使えないとなると、またあの地下道を通らなければいけない。あの親子の屍のある地下道を。

 重い空気を引き摺りながら、一行は一階へと続く最後の階段を下り終えていた。

 もう一度、あの地下道を通るのであれば、その前に宿屋で身体を休め、明日移動した方がまだ良いとさえサラは考える。この塔の内部で眠る事自体が可能かどうかは別にしても、このままの状態であの地下道を歩くなど出来る訳はなかったのだ。

 それはリーシャも同様であった。

 

「……わかった。とりあえず、塔の外に出るぞ」

 

 一階に降りてから、サラが歩き出さない事に対して、カミュは呆れ返ったように溜息を吐き、外へと歩き出す。カミュの行動を不思議に思うが、付いて行く以外に選択肢はない為、サラはカミュに続いて歩き出し、その後をリーシャも続いた。

 

「……それで、どうするんだ?……一つぐらい<キメラの翼>を持っていたのか?」

 

 塔の一階部分から出た外部は、見渡す限り海であった。

 そもそも『ナジミの塔』自体が小さな島の中央にあるのだ。

 サラが日暮れの海風に当たっている横で、リーシャはカミュへこれからの行動を問いかける。

 

「ルーラを使う」

 

「なに!?」

「えっ!?」

 

<ルーラ>

その効力は<キメラの翼>と全く同じ魔法である。術者自身のイメージと魔法力によって、対象を目的地に運ぶ事の出来る魔法。国家が管理する『魔道書』の中に記載されており、中級の『魔法使い』が契約する事の出来る魔法である。運ぶ事の出来る対象は、その術者である『魔法使い』の力量によって違うが、数人が限度であり、卓逸した魔法力を有する者であっても、荷車や馬車などが限界と云われていた。

 

「カミュ様は<ルーラ>を行使する事が出来るのですか?」

 

 サラの疑問は尤もだ。通常、初級の修行を終えた『魔法使い』が契約出来る魔法である。それを『魔法使い』でもないカミュが使うと言ったのだ。

 それは、アリアハンのみならず、全世界の常識を覆す程の話である。

 

「……俺が初めて覚えた呪文だ……昔、必要に駆られてな」

 

「……」

 

 サラの疑問に答えたカミュの言葉に、カミュの幼少時代の片鱗を見た事のあるリーシャは言葉に窮していた。

 サラもリーシャの様子から、カミュのその答えに、これ以上疑問を挟む事は許されないと感じ、黙り込む。

 

「俺の腕を掴め。掴んだのなら絶対に離すな」

 

 そんな二人の様子を気にするわけでもなく、カミュは詠唱の準備に入る。二人は躊躇しながらも、カミュの腕をしがみつくように掴んだ。

 二人が自身の両腕を掴んだ事を確認したカミュが、一度目を瞑り、何かを考えるように空を見上げる。

 そして詠唱は紡がれた。

 

「ルーラ」

 

 カミュの詠唱の言葉と同時に、カミュを中心に魔法力の光が三人を包み込む。

 サラが、自分の身体が宙に浮いたのを感じたのも束の間、三人の姿は空高くに舞い上がり、北の空へと消えて行った。

 

 

 

 

 

 


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