新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

130 / 277
アープの塔②

 

 

四方向へ伸びた通路を階段によって遮っているのは四本の柱のような太い壁。それは上の階層へ繋がっているように伸びている。そんな不思議な建築構造を眺めながら、カミュ達は東の通路に進路を取った。壁伝いに真っ直ぐ伸びていた道に魔物の姿はない。いや、何かの成れの果てである物が辺りに散らばってはいるが、それが『人』の物なのか、それとも『魔物』の物なのかが区別できない程に劣化している。骸骨というよりも、砕け散った骨のような物と言った方が正しいだろう。サラはその光景に眉を顰めるが、以前に歩いた<ピラミッド>の地下程でもない事から、その事を口に出す事はなかった。

 

「……火を熾すぞ……」

 

「あ、は、はい」

 

サラが思考の海に潜っている間に、一行は道を右に折れ、その先にある空間へ辿り着いていた。そこは、案の定の行き止まり。カミュは予想していた場所である為、何の感情も見せずに薪の入った革袋をサラへ要求する。今回、森で薪を集め、それを入れた革袋を運んでいたのはサラだったのだ。前衛で武器を振るう回数が多いカミュやリーシャよりも、後衛での指揮官であるサラが持ち運んだ方が効率が良い。長い時間火を熾す訳ではない為、その薪の量も限定されており、サラでも持ち運ぶ事の出来る重さでもあった。

 

「メルエ、マントを脱ぎましょう?」

 

薪をカミュに渡したサラは、濡れたメルエのマントを取ろうと近寄る。カミュは革袋の紐を緩めている時だった。メルエのマントの紐に手を掛けたサラの表情が厳しい物へと変化する。それを見たリーシャは、<バトルアックス>を片手にこの行き止まりの空間の入口へ視線を送った。メルエの眉が下がっている。只それだけ。それだけの事でサラとリーシャは、警戒感を露にしたのだ。この塔に入ってから、メルエの態度は変わらない。体調が不調という訳ではないメルエが眉を下げる理由は唯一つ。

 

「うっ! カミュ、この場所で戦う事は危険だぞ!」

 

「正面から来るのであれば、戦わざるを得ないだろう!」

 

革袋の口紐を再び結び直したカミュは、背中の鞘から剣を抜き放ち、前方へと踊り出た。珍しく語気の荒いカミュの言葉が、この後に遭遇する魔物の種類を物語っている。漂い始める死臭と、咽返るような腐敗臭。それが意味する物は、この世の者ではない魔物の登場。何度か戦った事のある、動く死体との再会である。

 

「カミュ、入口は一つだ。魔法は使えない。突っ込むぞ」

 

リーシャの言う通り、この行き止まりに向かって来る道はたった一つ。故に、その入口から入って来ようとする魔物に向かって魔法を放てば、自分達の行動が制限されてしまう。<ベギラマ>等の灼熱呪文を唱えてしまったとしたら、この狭い空間の中で蒸し焼きになってしまう可能性すらある。カミュもその事を承知しており、リーシャに向かって頷いた後、一つしかない入り口付近へと移動したのだが、これがいけなかった。

 

「キャァァ!」

 

カミュとリーシャが入り口付近に移動し、逆に後方へと移動した筈のサラとメルエ。そのサラの悲鳴が途轍もない轟音と共に狭い空間に響き渡った。入口が一つしかないという常識に縛られていたカミュ達にとっては、寝耳に水の如く、予想だにしなかった光景が広がる。壁際にいたサラは、後方から襲いかかった突然の攻撃を受け、前のめりに倒れ伏した。サラの後方は土と煉瓦で作った壁があったのだが、それが無残にも破壊されている。土埃と煉瓦の欠片を身に受けたサラは頭を抱えた事によって、完全な無防備となってしまったのは、サラに匿われていた幼い『魔法使い』。

 

「うっ! メ、メルエ!」

 

瞬時に立ちこめる死臭と腐敗臭。それが示す事は、逆側から壁を破壊して腐乱死体がこの空間に入って来たという事実。完全に目測を誤ったカミュやリーシャは、慌てて後方を振り返るが、その行動は遅すぎた。壁を突き破って来た魔物達は四体。この塔へ向かう途中に遭遇した<毒毒ゾンビ>と呼ばれる腐乱死体である。この塔には既に生物はいないと考えられていた。その過程が正しい事が証明されたのである。

 

リーシャは叫び声をあげるが、吐き気を抑えきれない程の腐敗臭が回りを支配し、声が届かない。カミュは剣を握ったまま駆け出した。しかしサラは、崩壊した壁に吹き飛ばされ、その残骸に埋もれてしまっている。必然的に、<毒毒ゾンビ>と相対しているのはメルエ唯一人となってしまった。メルエは魔物が迫り来る恐怖と、息も出来ない程の腐敗臭によって動くことさえ出来ない。緩慢な動きをする<毒毒ゾンビ>ではあるが、その腕は確実にメルエへと伸びて来る。カミュとリーシャはすぐさま駆け出したが、それでも間に合わない。

 

「…………うぅぅ…………」

 

余りの不快な臭いに、メルエはそのまま尻餅を突いてしまう。迫り来る腐敗した腕。彼女が頼りとする者達はこの場所にはいない。幼い『魔法使い』を救おうと掛けて来る二人の姿も、メルエの瞳にはもう映らない。その小さな身体と心に襲いかかる恐怖によって、メルエは瞼を閉じてしまったのだ。心の底から『助けて』という願いを発しながら。

 

「なっ!?」

 

「!!」

 

『間に合わない』とリーシャもカミュも感じた瞬間、瞳を閉じてしまったメルエの手が握っている杖が輝き出した。尻餅を突き、床に座り込んでしまったメルエではあったが、その手に握る<雷の杖>は、しっかりと立っている。そして迫り来る<毒毒ゾンビ>を睨むように向けられていた禍々しいオブジェの瞳が炎を宿した。それは、この幼い少女の心の扉を護る門番。『古の賢者』の持ち物であったと思われるその杖は、今はこの幼い少女を主と定めている。主を護る事が杖の定め。そして、その使命は具現化される。

 

「グモォォォォ」

 

オブジェの嘴から突如発生した光弾は、メルエに腕を伸ばしていた<毒毒ゾンビ>の胸部に直撃した。光弾の直撃を受けた<毒毒ゾンビ>は、後方へ弾き飛ばされる。魔物を弾き飛ばした光弾は、その場で瞬時に破裂し、炎の海を作り出した。燃え盛る火炎は、四体の<毒毒ゾンビ>を飲み込んで行く。破壊された壁が炎によって閉じられて行き、突入して来た魔物達の姿は見えなくなった。

 

「……ベギラマか……」

 

「サラ! 大丈夫か?」

 

<雷の杖>から発せられた光弾は、カミュやメルエが行使する事の出来る呪文に酷似している。それは、何度も唱えて来た灼熱呪文。<ベギラマ>と呼ばれるそれは、魔法力の制御の出来ないメルエの身体を蝕み、この『魔道書』に記載されている中で最高の灼熱呪文を機に、メルエは真の『魔法使い』としてこの世界に誕生したのだ。全世界の『魔法使い』が高位の者となる為に修練を重ね、ごく一握りの者しか手にする事の出来ない神秘を、今、只の杖が自ら発した。それが、どれ程驚くべき事であるのかは、小さく言葉を洩らしたカミュと、瓦礫の中からその光景を見ていたサラにしか解らない。リーシャの助けを借りて脱出したサラは、足を引き摺りながらも、座り込んでいるメルエの許へと向かった。そのメルエの手にはしっかりと<雷の杖>が握り込まれている。まるで、何かに耐えるかのように。

 

「メルエ、無事で良かった」

 

「…………うぅぅ…………」

 

<雷の杖>が自ら起こした神秘は、メルエが行使する<ベギラマ>よりも威力は劣るが、カミュの放つ物よりは上であった。『勇者』と呼ばれるカミュは、魔法に特化した者ではない。だが、それでも世界中の『魔法使い』の中でも限られた者しか行使出来ない<ベギラマ>という神秘を体現できる者である事には変わりはなく、それ以上の威力を杖自身の力のみで発現させる事自体が驚異なのだ。

 

自分の足の治療を後回しにして、メルエの身体に異常がないかを確認するサラの姿は、もはや肉親と言っても過言ではない物。味わった恐怖を訴えるようにサラにしがみ付くメルエの姿もまた、それ程までにサラを頼みにしている事の証。それは、リーシャにとって、喜び以外の何物でもなかった。しかし、その喜びを表情に出す事はなく、座り込んでいる二人を強引に立たせ、サラ自身の身体の回復をさせる。そして、すぐに後方へと引かせ、カミュと共に再び姿を現す腐乱死体を警戒するように<バトルアックス>を握り締めた。

 

「ベギラマ」

 

炎の中から身体の大部分が焼け、皮膚や骨までもが融解しかけている腐乱死体の腕が見えた瞬間、リーシャが前へ出るよりも先にカミュが呪文の詠唱を完成させた。炎の中から出かかった腕は、カミュの掌から発生した光弾に弾かれ、再び炎の海へと消えて行く。カミュが放った<ベギラマ>の炎は、燃える物も無く消え去ろうとしていた炎を再び燃え上がらせた。元々命を宿していない身体は、その炎の中で自身の身体が消滅するまで、足掻くように動き回る。全ての炎が消え失せた時、そこには燃え尽きた肉片しか残されてはいなかった。

 

「一度戻る」

 

冷たい瞳を<毒毒ゾンビ>へ向けていたカミュは、振り向き様に指示を出し、先頭を歩き始める。未だにサラへしがみついているメルエも、サラが歩き出すと同時に、カミュを追って歩を進めた。もはや、彼等の衣服は乾き始めている。改めて火を熾す必要などは既にないのかもしれない。だが、疲労を考えると、何処かで休息した方が良いのだろう。リーシャは、未だにサラの腕をしっかり握っているメルエを促し、カミュの後ろを付いて歩き出した。

 

「一度下へ向かって、上り直すのか?」

 

「ああ。右手前にあった階段を上り直す」

 

四つの階段の踊り場が繋がっていない為、隣の階段へ移る訳にはいかない。いや、カミュやリーシャだけであればそれも可能なのだろうが、サラやメルエがいる以上、わざわざ危険を冒してまで行う行為ではない。故に、全員がカミュの言葉に頷き、ゆっくりと階段を下りて行った。冷たい汗が流れて来る程に嫌な静けさに包まれている階層へ彼等は再び戻って来る事となる。

 

 

 

「メ、メルエ、<メラ>を使う時は、杖を使わないで、指だけで行使して下さい」

 

「…………むぅ…………」

 

階段を上り直し、北方面の通路を歩き、右手へ折れた場所に先程と同様の行き止まりの空間が広がっていた。注意深く周囲を確認したカミュが、ようやく革袋から枯れ木を床へと広げる。本来、いつものようにカミュがメラを唱えて火を熾すのだが、今回はメルエが前に出たため、その役目をメルエが担う事となった。だが、そのメルエが組まれた薪に向かって杖を掲げた事で、慌てたのはサラ。目を白黒させながらメルエの杖を下げ、早口で捲くし立てる。そんなサラの姿を見たメルエは、先程までの姿とは正反対に頬を膨らませ、不満そうに顔を背けた。

 

「メルエ! ちゃんとこっちを見て! メルエの力は強いのです。使い方を間違えたら、カミュ様もリーシャさんも哀しむ事は教えた筈ですよ!」

 

「…………うぅぅ…………」

 

『ぷいっ』と顔を背けたメルエを見たサラは、一息吐き出した後、厳しい瞳を向け、メルエの肩を掴む。メルエなりの我儘でもあったのだが、メルエが新たな杖を得た事によって心が高揚していたのも事実。しかも、先程恐怖に陥っていた自分を救ってくれたのは、新たな戦友となった<雷の杖>なのだ。メルエの中でも、<雷の杖>を媒体に行使した魔法の方が、<魔道士の杖>を媒体にして行使した魔法よりも威力があった事は理解しているのだろう。故にこそ、メルエの心は高ぶっていたのかもしれない。その心は、メルエの能力を理解しようと誰よりも考えてくれている姉のような存在に諌められた。先程まで膨れていた頬は萎み、眉を下げて俯くメルエの姿を見て、サラの瞳は和らいだ。

 

「メルエはもう解っている筈ですよ。だからこそ、あの時新しい呪文を唱えなかったのでしょう?」

 

「…………」

 

俯いていたメルエの顔が上がった。サラの言葉がメルエの心を見透かしている事の証明である。メルエは先程の<毒毒ゾンビ>との戦闘で、呪文を唱えようとはしなかった。それは、恐怖を感じ、身を固くしていた事も原因の一つであったろう。だが、メルエも『勇者』と呼ばれる者とここまで旅をして来た者である。一時の恐怖で身体を固める事はあっても、それを克服できるだけの経験を積んで来ているのだ。

 

それでもメルエは、あの時に杖から発せられた<ベギラマ>の追い打ちをカミュへ任せた。実は、サラが壁の下敷きになり、メルエが怯えていた時、一度サラはメルエと目が合っていた。その時は既に<雷の杖>から<ベギラマ>は発現した後。そして、サラがメルエの瞳に見た感情は『怒り』に近い物だった。サラという大事な姉に怪我を負わせた者への純粋な『怒り』。その感情を持ったメルエは、杖を握り締めたのだ。

 

「私はあの時、メルエが呪文を行使しなかった事が嬉しかった。メルエは、あの時に自分が呪文を行使した場合の被害を考えたのでしょう? あの狭い空間でメルエが灼熱系の呪文を唱えた時、前に出ようとしているカミュ様や、その隣にいたリーシャさんが大怪我をするかもしれないと考えたのでしょう?」

 

メルエは肯定も否定もしない。ただ、サラの顔を見上げるだけ。だが、サラは確信していた。あの時、メルエの身体の具合を確認しに来たサラにしがみついたメルエの手には、<雷の杖>がしっかりと握られていた。そして、しがみ付くメルエは、何かに耐えるように、そしてサラの無事を喜ぶように、サラを離そうとはしなかったのだ。『自分の言葉は、メルエにしっかりと届いていた』という喜びが、サラの胸に湧き上がり、そして心を満たして行った。

 

「メルエは、世界最高の『魔法使い』です。私がここで宣言しますよ。私達の事を考えてくれて、ありがとうございます」

 

「…………ぐずっ…………」

 

嬉しそうに微笑み、そしてメルエに頭を下げるサラを見たメルエの瞳から大粒の雫が溢れ出した。誰に認めて貰いたかった訳ではないのだろう。だが、メルエには『ちゃんと考えている』という自負もあったに違いない。それを伝える手段をメルエは持っていなかった。言葉という伝達方法を思うように使用できないメルエは、自分の考えや想いを明確に伝える事が出来ない。カミュ達三人は、メルエを誤解し、強く叱ったり、暴力を振るったりはしないが、それでもメルエが思っている事全てを理解する事も出来ないのだ。その筈のサラが、今、メルエの心をしっかりと受け止め、そして理解し、感謝すらしてくれた。それが、メルエには何よりも嬉しかったのだろう。

 

「そうだったのか。ありがとう、メルエ。私もメルエの成長が嬉しい」

 

カミュやリーシャは、今初めてメルエの想いを理解した。サラの口から出て初めて、あの時メルエが呪文を行使しようとしていた事を知ったのだ。自身の呪文の威力を知り、その効力を理解したからこそ、あの時メルエは魔法を行使しなかった。それがどれ程の成長なのか。カミュやリーシャはその事に驚き、そして心から喜んだ。リーシャに頭を撫でられたメルエは、はにかむように微笑み、そして涙する。しかし、そんな心温まる時間は、幼い『魔法使い』の導き手である『賢者』が再び打ち壊した。

 

「ですから、今の行為は駄目です。メルエが杖を使って薪に<メラ>を放てば、火が点くどころか、薪自体が消えて無くなってしまいますよ」

 

「…………むぅ…………」

 

せっかく褒められたにも拘らず、再び叱られた事で、メルエは頬を膨らませた。だが、今はメルエの心を理解した者達に囲まれている。故に、暫しの間むくれていたメルエは、小さく『ごめんなさい』という謝罪の言葉を口にした。その言葉を受け、サラは再び笑みを浮かべ、リーシャやカミュも瞳を優しく変化させる。『死』を感じさせる寂しい塔の一角に広がった優しい空間。それは、メルエが<メラ>による点火を成功させた事で更に大きくなり、全員の衣服が乾き切るまで続いた。

 

 

 

服が乾いた一行は、そのまま通路を戻り、今度は西の方角へ伸びている通路を歩き始める。死臭が漂う通路は、所々に生き物であった残骸が散らばっており、それに眉を顰めながらサラは歩いていた。手入れのされていない通路のあちこちには、雑草のような物が生えていたりするのだが、それらも何かに根元から引き抜かれていたり、千切られていたりする。

 

「カミュ……言いたくはないが……」

 

「ああ。わかっている」

 

通路に脇に目を向けていたリーシャは、苦々しく表情を歪め、前を歩くカミュに向かって言葉を投げかけた。その理解不能と思われる言葉に、カミュはしっかりと頷きを返した。リーシャが何を言いたいのか、そして何に不安を抱いているのかをカミュはしっかりと理解しているのだろう。重々しい空気を纏って進む三人の姿を見たメルエは、首を傾げながらも、杖を握る手に力を込めていた。

 

西へ向かう通路もまた、途中で右へと折れ、その先にあった行き止まりの空間には、上の階層へ繋がる階段が見える。この階段を上った先は三階層となる筈。外観から見る限り、<ナジミの塔>よりは高い事は明白であったこの塔は、少なくとも五階層まではあると考えても良いだろう。まだ先のある塔内部を考えながら、カミュ達は階段を上り始めた。

 

「うわぁ」

 

「…………はぅ…………」

 

階段を上り切った場所から広がる視界に、サラは驚きの声を上げ、メルエは感嘆の溜息を吐き出した。階段を上った先は、何も無い階層が広がっていたのだ。何も無いというのは決して比喩ではなく、言葉そのもの。カミュ達が上って来た階段のすぐ近くに、更に上へと続く階段があるが、それ以外には何も無い。中心部分がすっぽりと抜け落ちているような吹き抜けになっているのだ。塔の四隅にカミュ達がいる場所のような踊り場があるだけ。そんな不思議な光景にサラとメルエは驚いたのだ。

 

「カミュ、中央に踊り場があるぞ?」

 

「ああ。だが、そこへ向かう手段がない」

 

感嘆と驚愕で景色に見入っている二人を余所に、リーシャは塔の中央に『ぽつん』と浮かぶ不思議な浮島を発見する。吹き抜けとなった中央部分に浮かぶような不思議な踊り場は、幻想的な空間を作り出している要因の一つであった。下の階層の階段から繋がる通路同士を隔てていた太い柱は、この浮島を支える物なのだろう。だが、カミュの言う通り、完全な孤島と化した踊り場へ向かう手段がない。カミュ達側から見る限り、踊り場へ繋がる通路はない。対角線上にある踊り場から通路が伸びているようにも見えず、ましてや下の階層に対角線上の踊り場へ繋がる階段はなかった。

 

「今は考えても仕方がない。あの場所に何かがあるのだとしたら、行く方法も何かあるだろう」

 

「そうだな」

 

未だに幻想的な景色に見入っている三人に短い言葉を掛けたカミュは、そのまま近くにある階段へと向かう。カミュの言う通り、今考えても仕方がない事である為、リーシャは一度頷いた後、未だに中央部分を眺めているサラとメルエを促して、上へと向かう階段を上り始めた。吹き抜けを一陣の風が吹き抜けて行く。それは、何処か哀しみを覚えるような泣き声に聞こえた。

 

 

 

第四階層は、第三階層と同様に中央は吹き抜けがある。異なるのは、その中心に浮島が存在しない事と、吹き抜けを囲むように階層が存在している事の二点。四角形の形をしている塔の内周を回るように作られた足場をカミュ達は歩き出した。

 

「カミュ様、ここまで上って来ましたが、本当にここに<山彦の笛>はあるのでしょうか?」

 

「確かに、この塔は嫌な感じがするだけだな。こう、何か『人』の無念というか、憎悪というか……」

 

塔の吹き抜けが、構造上の物なのか、それとも老朽化による自然物の物なのかが解らない以上、吹き抜けの近くには寄れない。故に、サラはメルエの手をしっかりと握りながら、壁沿いに歩いていた。そんなサラの問いかけに答えたのは、問いかけた先のカミュではなく、サラの後方を歩いていたリーシャであった。リーシャが感じている何かは明確な物でもなければ、常識的な物でもない。『僧侶』ではないリーシャは、本来そう言った物を感じる事など出来ないのだが、ここまでの旅の中で培って来た彼女の経験と、そして尋常ではない程の大きな負の念が、リーシャにそう感じさせているのだろう。

 

「今から考えれば、入口の扉は、『古の賢者』様が掛けられた物ではないのかもしれませんね」

 

「……ああ……」

 

リーシャが感じているという事は、他の三人もまたその念を感じているという事。メルエなどは、三階層から四階層に上がる途中から、サラの手を握り締めて離そうとはしない。カミュも口を閉じ、警戒するように周囲へ視線を巡らせている。そんな中で再び口を開いたサラの言葉は、カミュの持っていた疑念を明確にする物だった。

 

サラは、この塔の入口の扉に掛けられた鍵に疑問を抱いていた。あの扉の鍵は、メルエのポシェットに入っている<魔法のカギ>で開錠する事が来たのだ。いや、もしかすると、アリアハン大陸で手に入れた<盗賊のカギ>でも開錠出来たのかもしれない。つまり、極単純なパドロックだったのである。ランシールにある神殿の入口を<最後のカギ>と呼ばれる物で施錠したと云われる『古の賢者』が、わざわざ簡単な鍵で施錠する理由が解らなかったのだ。そして、最も疑問を感じていたのが、魔物とはいえ、生命がいた筈の塔を、『古の賢者』が閉じ込めるように施錠したのかという物。サラであれば、間違いなくしない。塔を棲み処にしているとしても生命に変わりはない。ランシールの神殿には既に人などいなかったのであろう。だからこそ、あのスライムは生きていられた。しかし、この塔には、多くの生命がいた事が想像できる。それが一番の疑問であったのだ。

 

「カミュ、下へ続く階段があるぞ?」

 

「アンタは何処へ行くつもりだ?」

 

内周を歩く内に幾つかの階段が視界に入って来た。階段を上ってまず南へ向かったのが失敗だったのか、見えて来る階段は下層へ向かう物ばかり。それを見たリーシャがカミュに問いかけるが、カミュは溜息混じりにリーシャへと答えを返す。『むっ』と顔を顰めたリーシャであるが、それでも彼女は彼女らしく、もう一度カミュへ向かって口を開いた。

 

「だが、一度下に降りてみるのも手かもしれないぞ? あの中央にあった浮島に行く道があるかもしれない」

 

「……わかった……上への階段を探す」

 

だが、リーシャの進言は即座に斬り捨てられる。いや、正確に言えば、彼女の進言をしっかりと受け止め、それを理解して尚、カミュは下へ向かう事を却下したのだ。一連の会話を聞いていたサラには、カミュの考えている事が理解できているが、リーシャからしてみれば、馬鹿にされたとしか思えなかったのだろう。先程よりも眉と瞳を吊り上げ、唇を噛みしめながらカミュを睨みつけている。そんなリーシャの様子にサラは苦笑を浮かべる事しか出来なかった。

 

「カミュ様、向こうに見えるのは上の階層への階段ではないですか?」

 

南へ進んでいた内周は、既に南側の壁沿いを東へ向かい、更に壁沿いに北へと向かっている頃、ようやく一行の目の前に上の階層への階段が登場する。サラが声を出した時、既に全員の視界に入っていた為、お互いの顔を見て頷きを返した。傍に下の階層へ向かう階段もあったのだが、それには見向きもせず、先頭のカミュは、足を階段の一段目に掛ける。

 

「ん? カミュ、どうした?」

 

「……気をつけろ……何かいるぞ」

 

「え!? また魔物ですか?」

 

一歩足を掛けたカミュが、暫しの間動かない事を不審に感じたリーシャは、その行動を問いかけるが、返って来たカミュの言葉に驚いたのはサラであった。腐敗臭はこの場所まで漂っていたりはしない。鎧が擦れ合うような金属音がする訳でもない。それでも、階段の上部を睨みつけているカミュの瞳が、その上に敵がいる事を明確に示していた。サラは確認するように自分の手を握っているメルエを見るが、幼い『魔法使い』もまた、厳しい瞳を階段の上部へ向けている。メルエが何かを感じている以上、それはこちらに敵意を向けている者に他ならない。故に、サラはリーシャに視線を向けて、一つ頷きを返した。

 

「カミュ、何時でも良いぞ。サラ、メルエと共に私の後ろから上って来い」

 

「はい」

 

リーシャは<バトルアックス>を右手に持ち、準備が整った事をカミュへ告げる。常に最後尾を歩き、後方からの襲撃に備えていたリーシャがカミュと共に前衛に出る事が示すのは、前方の敵が強敵である可能性。後方の階段からの襲撃は、サラとメルエに委ね、彼女は上階層にいる敵へ意識を向けたのだ。その覚悟と緊張感を理解したからこそ、サラとメルエは大きく頷きを返す。肉弾戦を得意としない二人は、突如魔物に襲いかかられれば、対処する事が出来ない。サラは、己の武器を持ってはいるが、この塔にいた<キラーアーマー>のような魔物と一対一で戦闘が出来る程の技量はないのだ。

 

ゆっくりと階段を上がり、上部の階層にカミュが頭を出すのが最後尾にいるサラにも確認できた。だが、カミュはそれ以上進まない。カミュが進まない以上、後ろにいるリーシャもまた進む事など出来ない故に、サラもメルエも足を止めるしかないのだ。先頭ではカミュが首を動かし、周囲を確認しているのが解る。そして、首が後方へ向けられるその瞬間、カミュは左腕を顔の前に動かした。響き渡る金属音。金属と金属がぶつかり合ったその音が、敵の襲来を物語っていた。

 

「カミュ、早く出ろ!」

 

「メルエ、行きますよ!」

 

「…………ん…………」

 

<魔法の盾>で攻撃を防いだカミュを押しのけるように上の階層に足を踏み入れたリーシャは、即座に盾を構える。飛び出して来たリーシャに気付いたのか、瞬時に攻撃がなされた。構えた盾にぶつかる衝撃は、<キラーアーマー>の一撃よりも上。リーシャの身体が若干よろめく様に傾いた。既に世界最高峰の実力を誇る筈のリーシャの態勢をここまで崩す事の出来る者の存在に、サラは驚きを表す。リーシャが態勢を立て直すのを見て、サラとメルエはその後方へ急ぎ移動した。

 

「カミュ、気を抜くなよ」

 

「……アンタに言われる台詞ではないな……」

 

<バトルアックス>を構え直し、正面へ視線を向けたリーシャは、横にいるカミュの気を引き締める為に言葉を発するが、その言葉は溜息と共に流される。強敵と解る相手を前にしてもいつもと変わらぬやり取りを繰り広げる二人の姿は、後方にいたサラとメルエの心にも余裕を生み出した。足を踏み入れた五階層もまた、中央が吹き抜けのような形になってはいるが、四階層とは異なっている。カミュ達がいる北側にある足場と、対面にある足場が無数の縄のような物で結ばれており、対面に渡る為には綱渡りを行う他ないという奇妙な場所。

 

「グオォォォォォォ!」

 

「ひ、『人』なのでしょうか?」

 

そして、その奇妙な場所にいた者がまた異質。それ程広くない足場に立つその者は、姿形は『人』その物。着ていた衣服は既に朽ち果て、上半身の筋肉が露になっている。とても閉鎖された空間にいたと思えない程にしっかりとした筋肉は鋼鉄を思わせる程の物。右手にしっかりと握られている物は、つい先日までリーシャが持っていた<鉄の斧>だろう。顔が覆面のような物で覆われている為、素顔は解らないが、屈強な男である事は間違いがない。だが、サラが疑問として投げかけた様に、姿形は『人』であるのだが、纏う雰囲気の中に『人』を感じる物は何もなかった。

 

言語を知らぬかの様に叫ばれた雄叫び。

覆面から覗く瞳に黒目は存在していない。

血走った白目に浮き出た血管が瞳を赤く映らせる。

開かれた口から見える黄色い歯は、獣の牙のように鋭い。

振り上げられた斧には、血がこびり付き、錆が浮いている。

 

人外と言っても過言ではないその姿に、四人全員が息を飲む。

『死の塔』の主ともいうべき存在との戦いが、ここに始まった。

 

 

 




読んで頂き、ありがとうございました。

二話程で終了するべき筈だったアープの塔ですが、結局三話に分ける事になりました。
この先を描いたとしても20000文字ちょっとで終わるとは思うのですが、少し話がだれてしまう気がしたので、ここで区切りました。少し短い気持ちもしますが、よろしくお願い致します。

ご意見、ご感想を心よりお待ちしております。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。