新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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~幕間~【北の海海域】

 

 

 

外は既に夕暮れ時。陽は西の海の先へと沈み始めており、世界を真っ赤に染め上げていた。赤く輝く海が幻想的に塔を照らし出す。十数年に渡る負の螺旋を紡いでいた塔の解放を祝うかのように、塔へ入る時に降っていた雨は止み、晴れ渡る空には赤く輝く雲が優雅に流れていた。

 

「…………カミュ…………?」

 

「ふふふ。大丈夫です。ほら、あの入り口付近に見えているのが、カミュ様ですよ」

 

メルエが<リレミト>を行使し、塔の外へと脱出したリーシャ達三人は、塔の西側に出ている。目の前には輝く赤い海が広がっており、海鳥達が一鳴きした後、巣へ帰る為に飛び交っていた。表に出てすぐにリーシャに抱き上げられていたメルエは、絶対的保護者を探す為に首を回すが、その姿は見えず、不安そうに声を洩らす。そんなメルエに苦笑を浮かべたサラが、塔の南側にある入り口付近に見える影を指差した事で、メルエの表情に花が咲き誇った。リーシャの腕から降り、入口へ向かって駆け出すメルエの姿に苦笑し、リーシャとサラはゆっくりと歩き出す。

 

「カミュ、<山彦の笛>とやらは手に入ったのか?」

 

「……ああ……」

 

足下にしがみ付くメルエに困惑しながらも、リーシャの問いかけに頷きを返したカミュは、懐から小さな道具を取り出した。それは、笛というよりは、ある地方で造られていた『オカリナ』と呼ぶに相応しい外見をしている。細長い笛ではなく、角型というか、丸みを帯びた丸型というか、とても表現し難い形をしており、そこに幾つもの穴が掘られている。おそらく、その穴を指で押さえる事によって、音を紡ぎ出すのであろう。

 

「しかし、私は楽器を吹く事は出来ません。リーシャさんは出来ますか?」

 

「いや、私も出来ない」

 

笛を手に入れたは良いが、その演奏が出来ない事を懸念したサラは、隣にいるリーシャへ尋ねるが、その答えは素早く返って来た。尋ねはしたが、その解り切った答えに動じる事無く、サラはカミュへ視線を移す。サラもリーシャの答えは予想出来ていたのだろう。剣一筋と言っても過言ではないリーシャの人生の中で、楽器を演奏する事などなかった筈なのだ。しかし、それは今サラが視線を送っている人間も同様であろう。

 

「楽器など触った事も無い」

 

ここでサラは困り果てる。当然と言えば当然の結果なのだが、カミュもやはり楽器を演奏するどころか、触れた事もないと言う。『オーブ』という『精霊ルビス』と自分達を繋ぐ貴重な物との接点となる<山彦の笛>を見つけたは良いが、それを使用出来る者が誰もいないのであれば、宝の持ち腐れになってしまうのだ。そうなれば、ここまでして入手した意味さえも失ってしまう。サラは、深い息を静かに吐き出した。

 

「…………メルエ………できる…………」

 

「ふぇ!?」

 

「なに!?」

 

しかし、そんなサラの溜息を聞いていた幼い少女が、落胆する三人の顔を見上げながら、驚くべき発言をしたのだ。その言葉を聞いた三人は例外なく驚きの声を上げる。サラなど奇妙な声を発し、目を丸くしてメルエを見つめてしまっている。それ程に突然告げられた言葉が衝撃的な物であったのだ。最近は少しずつ表情の変化が分かるようになったカミュだったが、この時ばかりは、リーシャやサラであっても一目で分かる程の驚きを示していた。

 

「メルエ、笛が吹けるのか?」

 

「え? 劇場で誰かに教わったのですか?」

 

「…………ん…………」

 

リーシャの言葉を切っ掛けに、サラが自分の頭に浮かんだ可能性を口にした。そして、メルエはその問いかけに対して即座に頷きを返したのだ。確かに、メルエは劇場の踊り子の養子として育った筈。そして、幼いながらも、劇場の下働きとして、少なくとも数年の間は働いていたという事実がある。だが、それは将来踊り子になる上での下積みをしていた訳ではなく、単純に扱き使われていたと言った方が正しいのだろう。そんなメルエに楽器の練習をする時間など有ったとは考え難いのだ。

 

「カミュ様、メルエに<山彦の笛>を貸してあげて貰えますか?」

 

「……ああ……」

 

カミュから<山彦の笛>を受け取ったメルエは、嬉しそうに微笑みながら三人を見渡した。皆がメルエの言葉を信じ切れていないのか、全員の表情には張り付いたような笑みが浮かんでいる。引き攣った笑みを浮かべる三人に少し首を傾げたメルエではあったが、そっと歌口へと口を宛がった。夕暮れ時の赤い光を浴びながら、メルエは静かに息を吐き出す。同時に響き渡る透き通った音。何の曲なのかは解らない。本当に簡単なメロディーであり、とても短い曲。

 

あの劇場で、毎日洗濯や床拭きを行っていたメルエには、食事だけはしっかりと与えられていた。踊り子達と共に食事が出来る訳ではない。下積みの少女達と共に出来る訳でもない。下働きの合間を縫って、劇場の女将がメルエに簡単な食事を持って来てくれていたのだ。その時、たった一度だけ教えて貰った曲。それが、メルエが吹いている曲だった。単調で短い曲。笛は劇場の物であった為、それ以降メルエが吹いた事はないのだが、人形のように人生を送っていたメルエにとって、初めて外から受けた刺激は、身体に沁みついていたのだろう。

 

「凄いです! 凄いですよ、メルエ!」

 

「ああ。良い曲だな」

 

吹き終わったメルエが歌口から口を離すのを待ち切れないかのように、サラは手放しで褒め千切った。メルエが笛を吹くという事自体が想像出来なかったのだろう。見事に吹き切ったメルエに向けて、最大の笑みを浮かべたサラは、メルエを抱き締めるように腕を伸ばす。音楽とは無縁であったリーシャも、メルエが吹いた笛の音色と、一生懸命に吹き切ったメルエを讃える言葉を告げた。二人の賞賛を受けたメルエは、唯一人、口を開かない青年に視線を向ける。

 

「凄いな……メルエは、何でも出来るのだな」

 

それが、『勇者』として、たった一つの道だけを歩いて来た青年の正直な感想だったのだろう。自分が『苦しみ』と『怒り』と『絶望』を感じながらもようやく手に入れた魔法という神秘を、この幼い少女は、魔法陣に入っただけで契約する事が出来た。自分と同じように『絶望』を感じ、親さえも他人として見ていた筈のこの幼い少女は、カミュ達との出会いにより『愛』を知り、『心』を手に入れる。カミュから見れば、この二年程の短い時間で、次々と色々な物を手に入れ、成長を続けて行くメルエが眩しく映ったのかもしれない。

 

「よし! その笛はメルエが持っていろ。そうだな……船に着いたら、メルエの首から下げられるように紐のような物をつけてみよう」

 

「…………ん…………」

 

リーシャの提案にメルエは笑顔で頷きを返す。<山彦の笛>の持ち主は、メルエと決まった。演奏者がメルエしかいないのだ。そうなるのが必然なのだが、そのメルエが吹く事の出来る曲も一つしかない。それも、とても単調で簡単な物。それによって山彦が発生するのかどうかが懸念されるが、その事を気に掛ける者は誰もいなかった。そこに思い至らない者などいない。それでも不安はない。彼等が歩んで来た道の険しさに比べれば、何と言う事も無い些細な事だと考えているのかもしれない。

 

 

 

「おお! お帰り」

 

その後、二日程掛けて、一行は船へと辿り着く。そこまでの道中で何度か魔物との戦闘を行って来たが、カミュ達が苦戦する事はなく、メルエの魔法の機会もほとんどなかった。サラがメルエを抑制している事もあるが、メルエが呪文の行使を強行する事も無く、魔物達はカミュの剣とリーシャの斧の錆と化して行く。リーシャは、意気揚々と船に乗り込むメルエとサラの背を見ながら、ここまでの道中を思い出していた。メルエの成長は、やはり群を抜いている。だが、その影に隠れて、サラの分析力やその戦闘力も大きく成長を果たしていた。

 

メルエを護るように後方に控えている事が多いサラではあるが、魔物がサラ達の方へ行かないとは限らない。その際、メルエの呪文が行使出来るような状況であれば問題はないが、今のメルエが行使する魔法の威力を考えると、状況をしっかり把握する必要性も生じ、前線にいるカミュ達への被害を考慮しなければならないのだ。そして、その際はサラがその手に<鉄の槍>を持ち、魔物と対峙する必要があるのだが、サラはその役目をしっかりと担っていた。魔物を一撃で仕留める事は出来ない。それでも、自身の持つ魔法と技術を駆使し、魔物を駆逐している。それは、明確なサラの成長であろう。

 

「カミュ、私達は『魔王バラモス』を討伐する為に歩んでいるのだな……」

 

「……何を今更……」

 

リーシャの横を抜けて船に乗ろうとしていたカミュは、リーシャの呟きに首を傾げる。カミュにとって、その問いかけは愚問であった。カミュ自身、自分がその為だけに生かされていると考えている節がある。それ以外に目的はなく、それ以外の生き方は許されない。『魔王バラモス』を討伐出来るか出来ないかという事は、カミュにとって然して重要な事ではなかったのだ。途中で魔物によって殺されようと、平原で倒れ伏そうと、それこそ『人』によって殺されようとも、彼はそれを受け入れるだけ。

 

「サラにも新しい武器が必要だな。何時までも<鉄の槍>では心許無い」

 

「ああ。武器に関しては、アンタに任せる」

 

だが、そんなカミュの心も徐々に変化している。今のカミュは、自身の死は許容出来ても、その他の三人の死は許す事が出来ないだろう。自分の身を呈してでも、彼は彼女達を護ろうとするかもしれない。ただ、カミュのその行為は、リーシャも許す筈がないのだ。彼女は、自分を含め、誰一人欠ける事を許しはしない。それこそ、『魔王バラモス』という諸悪の根源との決戦に挑む時も、一人も死なせないように動く事だろう。そんな彼ら二人の心の変化もまた、成長の一つなのかもしれない。

 

「目的の物は手に入ったのか? ならば、今度は北へ進むんだな?」

 

「頼む」

 

カミュが乗り込んで来た事で、頭目との会話が始まった。目的の品の入手に関して頷いたカミュを見て、頭目は次の目的地を問いかける。次の目的地は塔へ行く前に目指すつもりだった<グリンラッド>という北にある島。万年氷に覆われていると言われる島を目指す。カミュの言葉に大きく頷いた頭目は、久しぶりの出港に心躍らせる船員達へ大声を張り上げた。

 

「出港だ!」

 

頭目の言葉に割れるような雄叫びを上げた船員達は、それぞれの配置へつき、船を動かし始める。晴れ渡る空からは、心地よい風が吹き、船の帆に力を与えていた。スーの村の南側から海に出た船は、そのまま陸地を離れ、西側に大陸を見ながら、北へと進路を取る。波は天候と同様に穏やか。久方ぶりの潮風を満面の笑みで受けているメルエは、いつも通り木箱の上に立ち、海鳥達の声を聞いていた。

 

 

 

船は順調に北へ進む中、気候は少しずつ変化して行く。船が出港して二週間が経つ頃には、左手に見えていた大陸がその姿を南へと移動させていた。地図上で見れば、既にエジンベアの西方に位置する海上を走っている事になる。汗を掻く程に暖かい気候であった大陸を離れた船上は、空気自体が冷たくなって行き、身体に触れる風も肌寒くなって行った。今まで笑顔で海を見つめていたメルエは、どこか不思議そうに空を見上げ、肌で感じ始めている気温に首を傾げる。

 

「随分気温が下がって来たな……メルエ、こっちにおいで」

 

船の上で前方を見ていたリーシャは、身体を一瞬震わせた後、空を見上げながら小首を傾げているメルエを手元へと呼んだ。傍にいるサラも若干の肌寒さを感じているのか、マントを引き寄せ、体温を保温するように包まる。首を傾げていたメルエだけは、何故か寒さを感じてはいないように、不思議そうに海を見つめ、暫くしてからリーシャの許へと歩み始めた。

 

「あれ? これは?」

 

「ん? 雪を見た事がないのか?」

 

メルエがリーシャの許に辿り着き、その腕に包まれたと同時に、上空から白く輝く粉が舞い降りて来る。自分の肌に落ちた白い粉が持つ冷気を感じたサラは、次々と降り注ぐ結晶へ手を翳し、それを不思議そうに見つめ、口を開いた。リーシャに抱かれたメルエも、舞い落ちて来る小さな結晶達に目を輝かせ、リーシャの腕から抜け出し、笑みを浮かべて天を見上げる。そんな一行の様子に、頭目は若干の驚きを示しながら口を開いた。

 

元々、サラはアリアハン大陸にあるレーベの村で生まれ、アリアハン城下町にある教会で育った。リーシャは、カミュと出会うまでアリアハン大陸を出た事はない。カミュも同様である。メルエに至っては生まれた土地は解らないが、物心付いた頃には、アッサラームと言う砂漠に程近い、暖かな土地で暮らしていた。アリアハンは、地図上でも南に位置する大陸。気温は比較的穏やかで、急激な温度変化など有りはしない。故に、彼等は、上空から降り注ぐ天使からの送り物を見た事はなかったのだ。

 

「…………ゆ……き…………?」

 

「ああ。こういう寒い地方では、偶にこんな天気になる。溶ければ水になるから、船上では結構貴重な資源って訳だ」

 

「これは冷たいのですね……でも綺麗ですね」

 

上空を見上げながら両手を広げるメルエの顔にも、翳した手に舞い落ちる結晶の温度を確かめるサラの顔にも笑みが浮かんでいる。初めて見る物に興味を示しているメルエは、自分の手に触れた雪をリーシャへ見せようと手を伸ばすが、リーシャの許へ行く頃にはメルエの体温で溶けてしまう。『むぅ』と頬を膨らませ、再び上空に手を翳すメルエの姿は、カミュやリーシャだけではなく、船員達の心も温めて行った。

 

「しかし、随分北へ来てしまったようだ。この先は何も無いかもしれないぞ? それこそ、世界の端だからな」

 

「スーの村のある大陸の北と言う事だったからな。もう少し先じゃないのか?」

 

はしゃぐメルエやサラに頬を緩めていた頭目だが、北へと進む船の進路について苦言を呈する。しかし、それに答えたのは、船の進路を話し合って来たカミュではなく、隣で上空を見上げていたリーシャであった。確かにリーシャの言う通り、情報の中ではスーの村があった大陸の北に島があるという。だが、その島は、二週間経過した今もまだ見えはしない。故に、リーシャはもう少し北へと進む事を告げたのだ。スーの村の村長が話していた『氷に覆われた島』という言葉もリーシャの頭に残っていたのかもしれない。

 

だが、サラはリーシャの提案にではなく、頭目の言葉に意識を奪われていた。地図上に記載されている世界の端。それは平面に記された世界の縮図である地図にはしっかりと記載されている。いや、厳密に言えば何も記載されていないのだ。羊皮紙で出来ている地図では、東西南北に記載できる物に限度があるのだが、この世界ではそれが世界の果てと考えられていた。東西南北に広がる海は、端へ行けば奈落へと落ちると考えれ、船は世界の端に行く前に戻らなければ、その奈落へ引き摺り込まれるとさえ考えられていた。実際には、世界の端と考えられていた西の海の先には、スーの村がある大陸があったのだが、常識と言う鎖に縛られている頭目や船員達は、自分達の知っている<スーの村>とは別の村が西の大陸にも存在しているとでも考えているのかもしれない。

 

「しかし、これ以上行けば危険が大きい。ある程度進んだら西に向かうぞ?」

 

「……わかった……」

 

この世界の常識とも言える説を信じている海の男達は、世界の端へ向かう事を恐れる。その先に何があるか解らないからだ。通説通り、滝壺のような形で奈落へ引き摺り込まれる可能性もある。この世界に、『世界の端』を見た者は誰もいない。何故なら、世界の端へ行った者は皆、奈落へ吸い込まれ、帰って来る事はないと信じられているからだ。それを理解しているからこそ、カミュは静かに頷きを返す。リーシャも頷きを返すのだが、サラだけは、神妙な面持ちで船の先頭を見つめていた。

 

「メルエ、寒くはないですか?」

 

「…………ん…………」

 

空から舞い降りる小さな結晶は、船員達の指の感覚を失わせて行く。寒さに悴んだ手に息を吐きかける船員達を見たサラは、未だに笑顔で天を見上げる幼い少女を気遣った。頬を赤くしながら、白い息を吐き出したメルエは、サラの問いかけに大きく頷きを返す。初めて見る物に対する好奇心は、メルエの心を高揚させ、体感する温度をも気にかけない物へと変化させていた。

 

 

 

船は、更に一週間の間、北へと向かって進路を取る。その間も雪は船上に降り積もり、船員達と共にカミュとリーシャは雪搔きに追われる事となった。一人メルエだけは、降り積もった雪を笑顔で触り、頬も掌も真っ赤にしながら、サラと共に何かしら遊びを考え駆け回る。

 

それも、次第に止み始めた雪によって終わりを告げた。雪を降らしていた厚い雲が消え、顔を出した太陽からは、暖かな光が降り注ぐ。それに応じて船上の気温も上がって行き、メルエが作った雪の人形なども溶けてしまう。徐々に溶けて行く制作物に眉を下げ、リーシャとサラに懇願の視線を送るが、二人にはどうする事も出来なかった。

 

「暖かくなって来てしまいましたね……やはり……」

 

「そろそろ良いだろう? この空気の変化は世界の端に来た変調かもしれない。そろそろ西へ向かおう」

 

気温の変化に対し、何かを考え込むサラを余所に、頭目を始めとする船員達が『そわそわ』とし始める。既にスーの村の大陸を出港してから一ヶ月ほどの時間が経過しており、周囲が海ばかりの為に確認は出来ないが、地図上の端に辿り着く可能性も出て来ていた。故に、その未確認の場所へ行く事への恐怖が海の男達の心を蝕んでいたのだ。船員達を代表して口を開いた頭目の言葉に、カミュもリーシャも頷く他はなく、船は旋回。舵を動かし西へと進路を取る事となった。

 

「魔物だ!」

 

西へ進路を取り始めてすぐに、船の行く手を遮るように魔物が現れた。船を覆う程の体躯がある訳でもない魔物達は、船上へと上って来る。何度も遭遇した事もあるその姿に、船員達も心なしか安堵の表情を浮かべていた。船上に上がって来たのは、下半身に尾びれを残した人型の魔物。海を渡る船を何隻も沈めて来た<マーマン>と呼ばれる物だった。

 

「メルエ、下がれ!」

 

傍にいたメルエをサラと共に後ろへ下がらせ、リーシャは<バトルアックス>を握って前線へと躍り出る。背中から剣を抜いたカミュもまた、一体の<マーマン>の首を跳ねて、前線へと向かった。既に元カンダタ一味の船員を中心に、船員達も武器を取って魔物との対峙を始めている。しかし、その光景は、いつもの物とは異なりを見せていた。

 

「なんだこいつら! くそ!」

 

以前に遭遇した時は、数体の魔物が出現していても一体ずつ対応して行けば、<マーマン>程度に後れを取る船員達ではなかった。だが、今回遭遇した<マーマン>達は、連携と言っても過言ではない程に纏まりを見せている。個別に動くのではなく、『人』一人に向かって数体で動くなど、まるで何かの指示を受けて動いているようにも見えるのだ。

 

「気を抜くな! こちらも三人以上で固まり、魔物と対峙しろ!」

 

直観的な何か、いや、本能的な何かでそれを感じ取ったリーシャが、苦戦している船員達へ指示を飛ばす。『勇者一行』という絶対的強者達の存在を思い出した船員達は、心の動揺を鎮めて行った。指示通りに元カンダタの部下達がリーダーとなった隊を形成し、魔物と対峙し始める。魔物の攻撃を避け、一人が攻撃する時には、他の者が防御に徹する。これによって、魔物を倒せなくとも、大きな損害を受ける事もなくなった。

 

「…………メラ…………」

 

その時である。先頭で剣を振っていたカミュの横を、小さく圧縮された火球が通り過ぎ、カミュの前で弾け飛んだのだ。サラと共に後方で控えていたメルエの放った最下級の火炎呪文である。<雷の杖>という自分の能力を発揮するのに適した杖を持ったメルエの呪文は正確無比。カミュの周囲の温度を瞬時に下げる程の威力を持つ冷気を射抜き、霧散させた。霧散した冷気は圧縮された火球によって霧状の水となり、船上を霧となって覆って行く。

 

「皆、一度下がれ」

 

即座に出されたカミュの指示により、船員達は対峙していた魔物と距離を取り、船上の後方へと一端下がり始めた。<マーマン>達も動こうとはせず、数体の魔物の死体を挟み、両者が睨み合う形となる。徐々に霧が晴れ始め、視界が戻る事には、船員達の避難も終わり、『勇者一行』という最強戦力が前線で魔物と対峙する構図が出来上がっていた。

 

「あれが司令塔か?」

 

「そのようです。明らかに他の<マーマン>達とは雰囲気が異なっています」

 

斧を眼前に向けながら問いかけるリーシャの言葉に、サラは同意の言葉を返す。霧が晴れた先には、数体の<マーマン>が横一列に並び、その後ろに一体の<マーマン>が不気味に佇んでいた。後方にいる<マーマン>は、その姿形から通常の<マーマン>達とは異なりを見せ、身体は一回り以上大きく、その身を覆う鱗の色素も鮮やかな緑色をしている。数体の<マーマン>を盾のように配置し、手下を扱うように、カミュ達へ攻撃の姿勢を見せていた。それはリーシャの言う通り、司令塔と言う呼び名に相応しい姿。

 

<マーマンダイン>

海に生息する魔物である<マーマン>の上位種とされる魔物。<マーマン>同様に、その姿は半魚人としか表現できない物。ただ、<マーマン>よりも体躯は一回り大きく、その体躯が<マーマン>との力関係を如実に示している。普段は北の海のような海水の冷たい海域に生息する魔物で、その住処に相応しく、氷結呪文を行使する事もあった。ただ、基本的性能は、<マーマン>とそれ程大差はなく、一番厄介なのは、その知能。呪文の行使が出来る程度の知能を持っている為なのか、自分が束ねている<マーマン>達を使って『人』を襲わせる事が多い。

 

「メルエ、先程のは仕方ありませんが、灼熱呪文などは絶対に駄目ですよ」

 

「…………ん…………」

 

杖を握って立っているメルエにサラは注意を促す。いつもならば多少なりとも頬を膨らませるメルエであったが、今回は神妙に頷きを返し、司令官であるサラの指示を待つ態度を示した。満足そうに頷いたサラは、<鉄の槍>を手にし、周囲を囲むように動く<マーマン>達の行動を注意深く見渡し始める。そして、パーティーの頭脳は、戦略を立て終え、その指示を口にするのだ。

 

「カミュ様とリーシャさんは、あの大きな<マーマン>だけを目指して下さい。途中にいる<マーマン>は、私が何とかしますので」

 

「……わかった……」

 

「ふふふ。頼もしくなったな、サラは……」

 

サラの指示を受けたカミュは無表情で頷き、リーシャは笑みを溢して斧を掲げる。一歩一歩前に向かって歩いて来た者達だけが、リーシャの言葉を理解する事が出来るだろう。もし、旅を始めたばかりの頃であれば、このような統制の取れた魔物達の出現に驚き、咄嗟の行動など出来なかったかもしれない。だが、様々な事を乗り越えて来た彼らには、信じる事の出来る者達がいる。自分の役割をこなす。その単純ではあるが難しい事を達成した先には、必ず道が開けて来たのだ。故に、カミュとリーシャは走り出す。パーティー内の頭脳が考えた未来を実現する為に。

 

「キシャ―――――」

 

駆け出したカミュ達が一直線に向かうのは、<マーマン>達の司令塔となっている<マーマンダイン>唯一体。だが、魔物達もそれを黙って見ている訳がない。囲むように動いていた<マーマン>が、まるで鶴が羽を閉じるようにカミュとリーシャを挟み込んで行った。それでもカミュとリーシャは脇目も振らず、前方で牙を剥いている<マーマンダイン>を目指す。彼等二人にとって、サラが『気にするな』と言った魔物等、気にする必要などない物なのだ。

 

「バシルーラ!」

 

カミュ達に覆い被さるように殺到する<マーマン>達は、その身に一陣の風を受けた感触を味わった後、虚空へと投げ出される。後方ではカミュ達の方へ手を翳す『賢者』の姿。以前、自分達が離れ離れという危機に陥れられた忌まわしき呪文。それを彼女が満を持して行使したのだ。まるで弾き飛ばされるかのように、船の外へと飛び出した<マーマン>達は、そのまま西の空へと消えて行く。一度に数体の同朋が戦線を離脱してしまった事に驚いた数体の<マーマン>は、行動に移す前にカミュとリーシャによって斬り捨てられた。

 

『悟りの書』と呼ばれる『古の賢者』が残した遺産に記されていた呪文の契約を、サラは既に済ませていたのだ。この呪文によって始まった苦難は、彼等四人を著しく成長させる。その呪文の存在をサラは既に『悟りの書』で見ていた。新たに浮かび上がった文字や魔法陣は読み取れても、契約が出来なかった呪文の契約が完了してしまう程に、彼女は『賢者』としての成長を遂げていたのかもしれない。メルエとの呪文の修練の中、彼女はその契約を済ませており、適切な場面と場所で行使するだけとなっていたのだ。

 

「魔物達が飛んで行く姿が、こんなにも爽快だとは知らなかったな」

 

自分達を覆っていた魔物達が次々と空へ投げ出され、そのまま遙か彼方へ飛んで行く姿は、笑いが浮かんでしまう程に滑稽であり、リーシャは頬を緩ませる。元来、リーシャはその武器で魔物を殺害する事に愉悦を覚えるような者ではない。『魔物=悪』という考えを植え付けられてはいたが、それを討伐する事が自分の責務であると考えても、それが楽しい行為だと考えてはいなかったのだ。故に、命を奪う訳でもなく、驚きの表情を浮かべたままに空へと飛んで行く魔物の姿に笑みを溢す。

 

「…………メラ…………」

 

しかし、そんなリーシャの横を火球が通り過ぎ、前面で弾けて霧を作り出した事によって、その表情も厳しさを取り戻した。再び<マーマンダイン>が氷結呪文を唱えたのだろう。距離を詰めているリーシャでも気付かなかった事を、後方で見ていたメルエが気付いた。それはメルエという幼い『魔法使い』の成長を物語っているのかもしれない。<雷の杖>という強力な杖を手にした事が、暴走していたと思われていたメルエの魔法力の本質を浮き彫りにした。カミュ達が考えていた物とは異なり、実際のメルエは、無意識の内にその体内にある魔法力を制御していたのかもしれない。強大な魔法力を無意識に恐れ、それを抑えつけていて尚、彼女の身体から漏れる魔法力は強大であったのだ。しかし、カミュとの再会によって取り戻した心は、大事な戦友との別れを受け入れ、新たな友となり得る杖との出会いによって強くなる。そして、この幼い少女は真の『魔法使い』となった。

 

「呆けるな!」

 

「わかっている! 突っ込むぞ!」

 

カミュの怒声に返答したリーシャは、霧の中へと突入する。一見、無謀にも見えるこの行動ではあるが、それをカミュが止める事はなかった。何故なら、彼等二人は、<マーマン>の上位種程度の魔物に後れを取る程の者ではない。彼等の剣や斧は、更に強大な魔物の命を散らして来た。それは自信と言う名の経験を積み上げ、彼等の強さを高みへと押し上げて行く。だからこそ、彼等はお互いを信じ合う。自らと共に歩んで来た者が積み上げて行った経験と自信を。

 

「やぁぁぁぁ!」

 

<マーマンダイン>への止めはリーシャが刺した。<マーマンダイン>を護ろうとする<マーマン>達をカミュが斬り捨て、その脇を抜けたリーシャの<バトルアックス>が一閃。その巨体を生かす暇も与えられずに喰い込んだ斧の刃先が、<マーマンダイン>の命の灯火を刈り取って行く。脇下から喰い込んだ斧は、胸を貫き、反対側の脇を抜けて行った。真っ二つとなった<マーマンダイン>は断末魔の叫びを上げる事もなく、肉塊に変化し、それを見た<マーマン>の生き残り達は、我先にと海へ逃げ込んで行く。

 

「ふぅ……なんとかなったな」

 

「先走り過ぎだ。相手があの程度であったから良かったが、少しは危険性を考えろ」

 

斧を一振りし、背中に納めたリーシャは一息吐こうとするが、同じように剣を鞘へ納めたカミュの苦言に言葉を詰まらせる。カミュにしてもリーシャを信じてはいるのだ。ただ、それでも未知の敵に対しての軽率な行動は、一人の『死』だけではなく、パーティーの全滅という最悪な状況へ誘う可能性もある以上、カミュは苦言を呈すしかなかったのかもしれない。カミュの表情を見たリーシャが、己の行動を省み、素直に頭を下げたのだから、リーシャもそれを理解しているのだろう。

 

「し、しかし、あれは私達が受けた魔法だな? サラはあの呪文も行使出来るのだな」

 

「……魔法を受けたのは、アンタだけだ……」

 

未だに睨みつけるカミュから視線を逸らし、リーシャは話題を変える事にした。しかし、話題を変えようと口から出た物は、再びカミュに斬って落とされる。確かに、以前<ヘルコンドル>が行使する<バシルーラ>を受けた者は、リーシャ唯一人。弾き飛ばされそうなリーシャに掴みかかったのが、メルエとサラである以上、リーシャの言うような『私達』という言葉が当て嵌まるとは思えない。再び言葉を詰まらせたリーシャの余所に、カミュは<マーマンダイン>の死骸を海へと投げ入れた。

 

「<バシルーラ>は、カミュ様が来る前に、スーの村で契約が出来ました。行使する事は余りないとは思っていたのですが、上手く発動してくれて良かったです」

 

「…………メルエ……も…………」

 

悔しそうに唇を噛むリーシャの横に移動したサラは、呪文の行使場面が適切であった事に胸を撫で下ろす。そんなサラの表情を見て、ようやく表情を緩めたリーシャであったが、足下で自分を見上げながら頬を膨らませるメルエを見て、苦笑へと変えて行った。どれ程にサラから魔法について学ぼうとも、メルエの中では譲れない何かがあるのだろう。『魔法に関してだけは、誰にも負けたくない』という気持ちが表情に表れている。それは、メルエが『魔法使い』である事を示しているのかもしれない。

 

「ありがとう、メルエ。メルエのお陰で、冷気によって凍り付く事もなかった」

 

「…………ん…………」

 

帽子を取り、ゆっくりと頭を撫でつけるリーシャの手を、目を細めて受け入れたメルエは、柔らかく微笑んだ。彼女がどれ程の強力な魔法を行使しようとも、どれ程に心が成長しようとも、その胸にあるたった一つの願いに変わりはない。『カミュやリーシャ、そしてサラに褒められたい』、『メルエは凄いと頭を撫でられたい』というささやかな幸せを望む。それがメルエの願い。広い世界へ飛び出し、様々な物を見て来た彼女ではあるが、まだ己の翼だけで大空を飛べる程、その翼は強くはないのだ。

 

「魔物の脅威も去った事だし、このまま西へ進むぞ?」

 

「……ああ、頼む……」

 

四人のやり取りを見ていた頭目の言葉で、停滞していた船は再び速度を上げて海を走り出した。数週間前とは逆に、汗ばむ程に暖かな陽射しを受け、船員達は各々の持ち場へと散って行く。一週間程前には雪が降っていたとは思えない程に、体感温度は高く、北へ向かっていたとは思えない程の気候に、サラは先程までの笑みを消して、一人眉を顰めるのであった。

 

 

 

「陸が見えたぞ!」

 

そして、更に数日の航海を経て、彼等はようやく待望の島を視界に納める事となる。スーの村の村長の話通りに北へ向かって船を走らせた結果辿り着いた場所は、小さな島。村長の言葉の中にあった『氷に覆われた島』という言葉とは程遠く、暖かな陽射し降り注ぎ、湿り気を帯びた風が吹き抜ける場所。

 

<グリンラッド>と呼ばれる場所には、『偉大な魔法使い』がいると云われる。

その島は常に氷で覆われ、草花が生える場所は唯一つ。

 

その場所にいると云われる『偉大な魔法使い』を求めて旅をして来た者達は、似ても似つかない小さな島へと辿り着いた。地図では世界の端に近い場所と考えられる場所。地図にも載らぬ小さな島は、まるで『勇者一行』が来る事を待ち望んでいたかのように、晴れ渡る空の下、静かな波と共に、彼等の船を誘っていた。

 

 

 




読んで頂き、ありがとうございました。

更新が遅くなりました。
本当は、次の目的地も含めて一話としようとしたのですが、また目測を誤りました。
一端ここで区切り、次話へ繋げたいと思います。

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