新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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ルザミ

 

 

 

 船はゆっくりと浅瀬に入って行き、錨を下ろした。しっかりと岩場に錨が入った事を確認した船員の合図と共に、小舟が海に降ろされ、カミュ達四人は陸地を目指して櫂を動かす。次第に近づいて来る陸地に目を輝かせて立ち上がろうとするメルエをサラが必死に抑え、リーシャはその光景に苦笑を浮かべていた。

 

「サラ、メルエを見ていてくれ」

 

「はい」

 

「…………むぅ…………」

 

 小舟を陸地に上げ、近場にある木へ結びつけながら、リーシャはサラに指示を出す。浜辺で動き回る小動物達を見ようと動き回るメルエは、サラによって行動範囲を制限され、頬を膨らませていた。しかし、そんなメルエの傍を横切る貝を背負った小さな蟹を見つけ、彼女は目を輝かせてしゃがみ込む。決してそれに手を触れようとはしないが、その小動物の後を付いて行くように動くメルエの姿に、サラは小さな溜息を吐き出して苦笑を洩らすのだった。

 

「カミュ、何処へ向かうんだ?」

 

「この場所は地図には記載されていない。見た所、スーの村で聞いた<グリンラッド>ではなさそうだが、少し歩いてみる」

 

 小舟を固定し終えたリーシャは、地図を開いているカミュに向けて問いかけるが、その答えは求めていた物とは異なった物だった。

 リーシャは、カミュならばここが何処で、何処へ向かえば良いのかという事を理解していると考えていたのかもしれない。だが、実際にはカミュが持っている地図にこの場所は記載されておらず、しかもここはグリンラッドではないという。氷に覆われた場所ではない為、その可能性を考えていたリーシャであったが、明確に宣言されると、それはそれで衝撃的な物であった。

 

「メルエ、行きますよ。しかし、闇雲に歩き回る訳にも行きませんね……見た所、小さな島でしょうから、数日で歩き切れるとは思いますが……」

 

 小動物達を眺めているメルエを呼び寄せたサラは、カミュとリーシャの会話に入って来る。陸に上がる前に船上で見た島は、全貌が見渡せる程に小さく、サラの言葉通り、数日で全てを見る事は可能であろう。だだ、その結果、彼等に必要となる物が見つかるとは限らない。徒労に終わる可能性の方が高いと言っても過言ではない筈なのだ。

 

「ここは、見通しが悪い。少し開けた場所へ出てみる」

 

「そうですね。それが良いと思います。メルエ、行きましょう」

 

「…………ん…………」

 

 周囲を見渡したカミュは、木々が生い茂る場所を離れ、全体を見渡せるような場所を探す提案をし、それに頷いたサラは、先程拾った貝殻を眺めているメルエの手を取った。

 東側から小島に上陸したカミュ達は、外周を西へ向かって歩き始める。太陽は昇ったばかりであり、時間にはまだ余裕がある。明るい内に開けた場所へ出る事も可能であろう。

 

 

 

 四人が歩き回る中、ほとんど魔物の姿を見る事はなかった。このような小さな島には、元々魔物が暮らしてはいなかったのか、それとも死滅したのかは解らない。だが、もし死滅していたとすれば、この場所に『人』も存在しないという事になるだろう。だとすれば、やはり元々の魔物の数が少ないと考える事が妥当と言う事になる。

 

「カミュ様、あれは……」

 

 太陽も西の方角へ沈み始めているが、まだ周囲を視認する事が出来る程の明るさを維持している。海辺を歩いていた一行の右手に見えていた木々が姿を消し、島の内側を望めるようになった頃、何気なく島の内側を眺めていたサラが口を開いた。

 サラの言葉に、全員の視線が集まる。サラが指を差した方角へ視線を移したカミュは、少しも驚いた様子はなかったが、リーシャは予想していなかった為なのか驚きの表情を浮かべていた。

 

「煙……集落でもあるのか?」

 

 皆の視線が集まった先に見えたのは、天へ向かって立ち上る数本の煙。陽が沈み始めた頃に煙が上がるというのは、山火事でない限り、知恵のある者が食事などを作る為に火を熾している事を示している。そんな可能性を目の当たりにしたリーシャは、誰に問いかける訳でもない呟きを洩らした。

 夕陽の光を浴び、橙色に輝く煙は、穏やかな風に靡きながら、天へと昇って行く。暫し、その様子を眺めていた一行ではあるが、カミュが島の内側へと歩き始めた事から、皆がその後をついて歩き始めた。

 

「カミュ、ここからだと、陽が沈む前には着かないぞ? 何処か適当な場所で一夜を明かそう」

 

「わかった」

 

 中央へと進むカミュの後ろから掛かったリーシャの提案は、即座に了承される。陽が暮れてしまえば、如何に魔物が少ない島といえども、魔物の動きが活発となり、遭遇する危険性も高まって来る。余計な戦闘を行う意味がない以上、その危険を冒す理由もない。故に、カミュは周囲に広がり始めた闇の支配を考えながら、野営の場所も考慮に入れて歩いていたのだ。

 陽も完全に大地へ隠れ、周囲を闇が満たした頃、木々が立ち並ぶ場所でカミュ達は野営を始める。簡素な食事となり、ほとんどが木に生っている実などが主であり、獣の肉などはない。それでもメルエは嬉々として木の実を頬張り、美味しそうに笑顔を漏らしていた。

 

「しかし、この小島は何処なのでしょう?」

 

「地図にも記載されてはいないのだろう? 北へ向かい過ぎてしまったのかもしれないな」

 

 メルエの口元を拭っていたサラは、周囲を見渡しながら、疑問を洩らす。それに同意するように、リーシャは口を開いた。二人とも、正確な場所が解らないのだろう。この世界での常識として、世界の端には、奈落へと通じる崖が存在するという物がある。リーシャやサラに至っても、その説を例外なく信じていた。いや、リーシャは今も信じているのかもしれない。

 ただ、リーシャという人物は、この旅を通じて、己の目で見た物を信じるというように心が変化しつつある。故に、そこまで意固地になっている訳ではなかった。そして、もう一人、『賢き者』となった者は、自分が信じて来た物について再考するという考えに変化している。それは、現在も進行中なのだろう。

 

「ここが最北を越えてしまったとしたら……」

 

「それは無いだろう。まぁ、最北の果てが本当に奈落の底へ続く崖になっているのだとしたら、私達も無事では済まないだろうしな」

 

 だが、それでも二人が見ている物は同じではない。リーシャはその目で見るまで、自分の中にある常識を信じるが、サラは既に自分の中にある常識を疑い始めているのだ。それが、『戦士』と『賢者』の違いなのかもしれない。

 そして、その二人とも異なるのが、もう一人いる。世界の常識に縛られないというよりも、常識自体に興味を示していない者。

 

「ここが北の果てなのかどうかは、この際どうでも良い。それよりも、問題はグリンラッドへ向かうには、どの方角に行けば良いのかと言う事の方が重要だ」

 

「…………たべて………いい…………?」

 

 そして、何よりも、目の前にある果物以外に興味を示していない者が一人。考え込むサラの前に置いてあった果物に目を移し、三人の顔を恐る恐る見上げながら許しを請う姿を見たリーシャとサラは、苦笑に近い笑みを浮かべ、静かに頷いた。

 ここが地図上で何処を示しているのか等、この幼い少女にとって、本当に些細な事なのであろう。自分の周りに笑顔を向けてくれる三人がいる。それだけで、彼女は生きる意味を持てるのだ。

 嬉しそうに微笑んだメルエは、果物を口へ運び、果汁を溢しながら頬張り始める。

 

「そんなに焦らなくても、誰もメルエの果物を取らないぞ。ほら、口を拭いてやるから、こっちを向け」

 

「…………ん…………」

 

 隣に座っていたリーシャは、今までサラと話していた会話を終わらせ、布を持ってメルエの口周りを拭ってやる。手に果物を持ったまま横を向くメルエに苦笑を浮かべたサラもまた、その思考を一端停止させた。

 カミュの言う通り、今考えるべき事は、この世界の常識についてではない。彼等の目的地であるグリンラッドではないと考えられる小島から、どのような手段でグリンラッドへ向かうのかと言う事だろう。

 メルエに渡した果物とは別の木の実を口に入れながら、サラは明日からの行動について思考を巡らし始める。

 

「何にしても、あの集落のような場所へ行ってみてからだな」

 

 メルエの口を拭き終わったリーシャの言葉にサラは静かに頷き、カミュは無言で薪を火へくべて行く。果物を食し終わったメルエの手をサラの持っている水で洗い流し、もう一度リーシャがその手を拭いてやる。

 メルエはリーシャの傍で燃える焚き火を眺めていたが、その内、瞼を何度も下ろし始め、サラが果物を食べ終わる頃には、船を漕ぎ出していた。

 メルエを寝かしつけ、見張りのカミュを残して皆が眠りに就く事となる。静かな月の光が降り注ぐ中、風に揺れる木々のざわめきと、燃える炎の音だけが周囲を支配して行った。

 

 

 

 翌朝、太陽が昇ると同時に目覚めたカミュ達は、すぐに野営地を発ち、小島の中央を目指して歩き始める。昨日同様に、周囲に魔物の気配などはなく、一行は順調に歩を進めて行った。

 ここまでの旅の中で、これ程に順調に旅が進む事はなかったかもしれない。暖かいと言うよりも、暑いと言っても過言ではない陽射し。その暑さを冷ましてくれるように吹き抜ける海風。漂う潮の香りは、島の内側から漂う木々の香りと合わさり、清々しい程の高揚感を煽って行く。

 

「メルエ、のんびりしていては、また陽が暮れてしまいますよ」

 

 湧き立つ高揚感を抑え切れないメルエは、繋いでいた手を離し、木々の登る動物達や、地面に咲く花々へ意識を向け、何度も立ち止まってしまうのだ。何度目かになるメルエの行動に、流石のサラも苦言を呈した。

 このままでは、陽が落ちる前に目的地に辿り着けなくなってしまう。注意を受けたメルエは、『むぅ』っと頬を膨らませながらも、サラの手を握り、再び歩き出した。そんな二人のやり取りに苦笑を浮かべながらも、リーシャは最後尾を歩いて行く。

 眩しく輝く太陽の光を浴びながらも歩き、太陽が陰り始めた頃にようやく一行の前に集落と外界とを隔てる門が見えて来た。それは何とも不思議な情景のある場所。森の中でもなく、平原にある訳でもない。門の周囲にあるのは池というよりも湖というような物が広がっている。湖の中を転々とする浮島のような場所に家々が立ち並び、知能のある者達が暮らしている事を明確に示していた。

 

「何とも幻想的な場所だな」

 

「そうですね。何と言うか、とても美しい場所ですが、とても寂しい場所……」

 

 周囲を見ていたリーシャは、その何処か浮世離れした景色に嘆息を洩らす。それに対して半ば同意を示したサラであったが、集落全体を覆う寂しげな雰囲気を感じ、何やら思考へと落ちて行った。

 サラの言う通り、その集落は『人』の営みという空気が、今まで訪れた事のある町や村と比べて、とても薄いように感じる。三者三様の感じ方をしている横で、メルエは首を傾げ、近場にある湖に映る自分の顔と、中で泳いでいる小魚達に目を向けていた。

 カミュが木で出来た門に付属している金具を叩き、集落への来訪を告げると、暫しの時間の後、閂が外される音が響き、ゆっくりと門が開かれて行く。中から出て来たのは、中年の男性。その男性の後ろには、笑顔を浮かべた若い女性が立っていた。この集落で暮らす者なのだろう。男性が門番で、女性はたまたま近くにいた者といったところであろうか。

 

「このような所へ旅人が訪れるとは珍しい」

 

「ようこそ、忘れられし島ルザミへ」

 

 カミュ達が旅人だと分かると、中年男性はとても晴れやかな笑顔を向け、後ろに立つ女性もにこやかな笑みを浮かべて歓迎を示した。中年男性と女性の言葉と表情が、この集落に訪れる人間が皆無に近い事を物語っている。それは、女性が口にした単語が強く影響しているだろう。

 

『忘れられし島』

 

 その言葉通り、かつてはこの集落が栄えていた証拠が集落内部のあちこちに散りばめられている。門を潜ってすぐに目を引くのが、目の前に並べられた数本の石柱。神殿でも建っていたのではないかと思う程に立派な石柱が天に向かって伸びている。その石柱が、この場所に建っていたであろう建物の大きさを想像させていた。

 湖の上に浮かぶ小島同士を結ぶように掛けられている橋等も木造の物ではなく、石を切り、組み合わせた物。石を正確な形で切り取り、それを組み合わせる技術が、この集落の文化水準の高さをも物語っている。

 

「忘れられし島か……」

 

「サラが感じた想いも、間違いではなかったのかもしれないな」

 

 カミュ達全員が集落の中へ入った事で再び門は閉じられ、閂が掛けられた。集落は全体が見渡せる程の広さ。高い物は、目の前にある石柱と右手に見える三階層まである家屋だけある。人々に活気がないと言うよりも、集落が纏う雰囲気自体が儚い。それを感じたカミュが、先程の女性の言葉に納得し、リーシャはサラの感じた想いが正しかった事を口にする。唯一人、その想いを感じていた『賢者』だけは、途方もない程の衝撃を受けたような表情を浮かべた後、いつものように思考の海へと潜り込んでしまった。

 

「……ルザミ……やはり、ここは……」

 

 考え込んでしまったサラを見たリーシャは、不思議そうに首を傾げ、答えを求めるようにカミュへと視線を送る。しかし、カミュにもサラの疑問が理解出来ないのか、静かに首を横に振るのだった。

 そんな中でも、メルエだけは湖の中を泳いでいる魚に興味を奪われ、湖の縁でしゃがみ込んでいる。

 

「小さな村だが、ゆっくりして行ってくれ」

 

 歓迎を示していた中年男性がカミュ達の傍を離れた事を見て、ようやく一行は集落を見て回る事にした。考え込んでしまっているサラでは、メルエの手を握る事が出来ない為、リーシャがメルエと共に歩く。先頭を歩くカミュを見失う程に住民の数が多い訳ではない為、一行はゆっくりと周囲を眺めながら歩を進めて行った。

 魚が見られなくなった事に眉を下げていたメルエであったが、所々に咲く花々とそれに集う虫達に目を輝かせ、首を左右に動かしている。そんなメルエに苦笑を浮かべるリーシャの後ろで、サラは未だに考え込み、顔を上げる事はなかった。

 

「サラ、置いて行くぞ!」

 

「は、はい!」

 

 ようやく顔を上げたサラであったが、その表情は優れない。ここまでの経験上、その表情を見ただけで、リーシャは今のサラの状況を察した。今のサラは、悩んでいる訳ではない。己の中で行き着いた事実を受け入れる為に、それを消化する為に苦心しているのだろう。それが理解出来たからこそ、リーシャは小さな笑みを浮かべ、先を歩く事にした。

 サラの行き着いた事実が何であるのかは、リーシャには解らない。だが、サラが受け入れる為に消化する必要のある物であるならば、それはリーシャが考える事ではないと感じたのだ。もし、受け入れる事の出来ない物であれば、サラはそれを口にするに違いない。それをしない以上、心配する必要がない物なのだろう。

 

「カミュ、店があるぞ?」

 

 先頭を歩くカミュの前に、看板を下げている家屋が見えた。それは、今まで見て来た店舗とそう大差ない。ただ、看板が武器と防具を示していない為、おそらく道具屋であるのだろう。見た所、この集落に店がない為、食品から道具や武器までを取り揃える『何でも屋』なのかもしれない。カミュ達は、そのまま店の戸を開き、中へと入って行った。

 

「あれ? お客さんですか?」

 

とを開けて中へ入った一行を待っていたのは、予想外の言葉。通常の店であれば、客の来訪を歓迎する言葉が響く筈なのだが、カウンターの中にいた人間が発した言葉は、カミュ達の存在を問いかけるような疑問であった。店内部もかなり異様であり、商品棚と思われる棚には、商品が一つも陳列されてはいない。武器や防具は勿論、道具や食料、衣服などもないのだ。つまり、商品が皆無であるという事。

 

「……申し訳ありません。外に看板が出ていた物ですから、道具などを置いているお店かと思いまして……」

 

予想外の光景と言葉に、カミュは軽く頭を下げた。店だと思っていた筈の場所に商品がないのであれば、他人の家屋に無断で入ってしまったという事になる。店ではなく、単純な個人宅だったとすれば、それは大変無礼な事であろう。故に、カミュは素直に頭を下げたのだ。しかし、カミュが頭を下げた事に驚いた店主は、慌てたように手を振り、そんなカミュの謝罪に恐縮してしまう。

 

「いやいや、良いのです。貴方方は旅の方ですか? この場所に旅の方が来るなんて珍しい。もう何年もこのような事がないもので……この店も既に機能はしていないのです」

 

「お店ではないのですか?」

 

まるで、己の境遇を恥じるように頭を掻いた男は、この場所の現状を話し始めた。長い間、旅人等が訪れないという状況は、この場所を自給自足の集落へと変化させて行った。通貨自体が役に立たず、己の必要な作物や肉類などをお互いで遣り繰りしながら生きて行く。そのような場所に店は必要なくなって行くのだ。獣を狩る為の武器などは、以前から使っていた物を修繕したりしているのだろう。元々魔物の数も少ないこの小島は、『人』も『動物』も己の力で生きて行くには適した場所だったのかもしれない。

 

「ええ。お売り出来る物は何も無いですが……それでは、商人として生きて来た私の恥となりますね……そうですね、代わりに情報を差し上げましょう」

 

「……情報……?」

 

ここまでの旅の中で、『情報』という物が何よりも重要である事を、リーシャでさえも理解していた。アリアハンという小さな大陸を出て、様々な国や町や村を歩き、船を手に入れ、大海原に出ても、彼等の旅に目的地という物があったのは、『情報』という何にも代え難い物があったればこそ。細い糸のように頼りない『情報』を手繰って来た結果が、彼等の今を示していると言っても過言ではないのだ。故に、彼等は、男性が口にする言葉の一言一句を聞き逃さぬように神経を研ぎ澄ませる。

 

「もう十数年以上前に聞いた話なのですがね……<ガイアの剣>という剣は、サイモンという男が持っているそうです。いや、もう昔の話ですから……今の持ち主は変わってしまっているかもしれませんが」

 

「……ガイアの剣……?」

 

「サイモン?……う~ん……」

 

男の話は、かなり昔の話であった。十数年前という事は、オルテガが旅を始めたころであり、カミュが生まれた頃の話である。その頃の持ち主など、この時代では生きているかどうかも解らない。困窮に仰ぎ、売却してしまっているかもしれない。根本的な部分の話をすれば、<ガイアの剣>という物が何なのかさえもわからない。その知識がカミュ達にはなかったのだ。だが、唯一人、男の語った<ガイアの剣>の持ち主の名前に首を捻った者がいた。

 

「サイモン……サイモン……う~ん、何処かで聞いた事があるような気がするが」

 

「リーシャさんはご存知なのですか?」

 

微かに聞き覚えがあったのだろう。リーシャは、その名前を何度か口にし、再度首を捻る。カミュもサラも聞いた事のない名前だっただけに、そんなリーシャへ問いかけるのだが、首を捻るばかりのリーシャは、答えを絞り出す事が出来ない。そんなリーシャの姿が面白かったのか、見上げていたメルエもまた、小さな笑みを浮かべてリーシャと同じように小首を傾げて見せていた。

 

「貴重な情報をありがとうございました。お礼はゴールドでよろしいですか?」

 

「代金などいりません。これは、何もお売りする物がない事のお詫びなのですから」

 

情報代金として、カミュは腰に着けている革袋へ手を伸ばすが、男はそれを遮る。商人としての誇りを大事にした結果であって、見返りを求めた訳ではないと。『忘れられし島』という不名誉な名を持つ島で暮らす者の意地なのかもしれない。まず、ゴールドという通貨はこの場所では役に立たない事も原因の一つであろうが、にこやかに微笑む男の表情を見て、カミュは軽く頭を下げて、建物を退出した。

 

外へ出たカミュ達は、集落の北東へと足を進める。先程の店のような家屋から東へ進むだけではあるが、その間に二つの橋を渡る事となった。二つの橋はどちらも石で出来ており、そのしっかりとした造りは、カミュ達一行を驚かせ、メルエは軋む事のない橋を興味深そうに渡って行く。橋を渡った先には、この集落で一番大きな家屋が存在し、煙突から立ち上る煙が、住人がいる事を示していた。

 

「どなたですかな?」

 

「突然申し訳ありません。旅の者ですが……」

 

戸の金具を叩いた後、暫くして出て来た老人の問いかけに頭を下げて答えたカミュであったが、その言葉は、驚愕の顔を浮かべた老人の行動によって遮られる事となる。顔を上げたカミュの顔を見た老人は、突然カミュの腕を掴んだのだ。カミュであれば、その老人の手を避ける事も可能ではあったが、害意の欠片も無い手を避ける必要はなく、何かを問いかけるように老人を見つめた。

 

「そなたを待っておった。さぁ、早く中へ入りなされ」

 

カミュの視線に応えるように口を開いた老人の言葉は、更なる疑問を呼ぶ。カミュ自体、意味が全く解らないのだ。後ろに控えるリーシャやサラに理解出来る訳がない。ましてや、当初から全く興味がないメルエが理解出来る筈もなかった。先に中へと消えて行った老人の背中を見送ったカミュは、暫く動かず、戸の前に立ち尽くす。

 

「カミュ、知り合いなのか?」

 

「いや、全くの初見だ」

 

行動を起こさなかったカミュではあったが、リーシャの問いかけで我に返ったのか、首を数度横へ振った後、家屋の中へと入って行った。カミュの答えを聞いても納得できないリーシャとサラは、お互いの瞳を見つめて首を傾げる。カミュが初見と言う以上、この老人と会うのは初めてなのだろう。であるならば、後は老人の話を聞く以外に選択肢はない。あの老人がカミュという個人を待っていたという理由や、何故カミュを知っているのかという疑問は、直接本人から聞くしかないのだ。

 

「まぁ、掛けなされ。白湯しかないが……」

 

「いえ。ありがとうございます」

 

丁重に頭を下げるカミュの横に座ったメルエは、出されたカップに既に口を付けていた。冷ましたお湯をゆっくりと飲み、『ほぅ』と息を吐き出すメルエの頭に乗っている帽子をリーシャが取ってやる。そんな様子にやわらかな笑みを浮かべていた老人であったが、再びカミュの瞳を見ると、雰囲気を一変させた。それは、どこか厳しく、まるでカミュの内面を覗き込むような鋭い瞳。カミュも老人の瞳を見つめ、その後に語られる内容を待つ。

 

「わしは、近い未来を見る事が出来る。昔は『預言者』と呼ばれた事もあった」

 

しかし、老人の語り出しは、カミュだけではなく、リーシャやサラの予想とも異なっていた。間接的に語り出した内容は、老人の過去の素性を示す物。『預言者』と云われる者は、相手の未来を見る事が出来る者。自身の見た未来を残す事で、それは『予言』となり、後の世に強い影響力を残す事となる。その『預言者』の残した言葉が現実になる程、その『予言』は信憑性を増して行き、信憑性を増す程に、それは人々の間で『恐怖』へと変わって行くのだ。

 

「そなた達がここへ来る日を待っておった。そなた達が歩む道、その経路は見る事が出来ない。だが、そなた達が目指す『魔王バラモス』はネクロゴンドの山奥にいる」

 

「!!」

 

世界には、自称『預言者』という存在は数多くいる。その大半が当たり前の事実を大げさに叫び、当たれば良し、外れれば『予言した事によって未来が変わった』と言う。『預言者』と名乗る者の中で、己の言動に責任を持てる者など、本当に数少ないのだ。故に、大半の『預言者』という者は、誰もが知り得る事しか口にしないか、誰も確認する事が出来ない程に遠い未来しか口にしない。だが、目の前の老人は、そんな紛い物の『預言者』とは根本的に異なっていた。

 

「その道の最中、やがてそなた達は、火山の火口に<ガイアの剣>を投げ入れ、自らの道を開くであろう」

 

「……ガイアの剣……」

 

そこまで話し終えた老人は、一つ息を吐き出した後、ゆっくりと瞳を閉じた。カミュ達へ伝える言葉は口にし終えたのだろう。再び瞳を開き、白湯を口に運ぶ。その一連の動作を見つめながら、カミュは先程聞いたばかりの剣の名前を呟いた。<ガイアの剣>と呼ばれる剣は、先程訪れた店のような家屋にいた男性が口にした物。サイモンという者の所有する剣だと伝えられている。その剣を火山火口に投げ入れる事によって道が切り開かれるという言葉は、何か運命めいた物を感じずにはいられなかった。

 

「ふぅ……わしからそなた達に伝えられる事はこれだけじゃ」

 

「……貴重な情報をありがとうございました……」

 

誰も口を開かない重苦しい雰囲気を破ったのは、老人の方であった。老人から手に入れた情報を消化し切れていないまま、カミュは丁寧に頭を下げた。本当に『貴重』な情報であった。先程の家屋にいた男性から手に入れた<ガイアの剣>という情報と、老人から手に入れた使用方法の情報が一つに繋がったのだ。『最後のカギ』という重要な物を手に入れる為に行動していたカミュ達ではあったが、肝心の『魔王』へ繋がる情報は皆無であった。だがこれで、『魔王バラモス』という最終目的に近付く為には、<ガイアの剣>という剣を持つ『サイモン』という人間に会う必要性が出て来た事になる。カミュの言う通り、それは貴重な情報となるだろう。

 

カミュが席を立った事によって、横に座っていたメルエも椅子から飛び降りた。リーシャはそんなメルエの手を握り、老人へ軽く頭を下げる。老人はにこやかに微笑みを返すが、最後に席を立ったサラへ視線を向け、そこで暫しの間、視線を固定させた。自分に向けられた視線に、サラは少し首を傾げる。

 

「ふむ。そなたの悩みはすぐに晴れる。ここより南にある建物の最上階へ行ってみると良い」

 

「えっ!?」

 

突如掛った言葉に驚きの声を上げたサラであったが、老人はそれ以上の言葉を口にする事はなかった。カミュやリーシャには、老人が口にした言葉に思い当たる事などなく、興味を引くような物もなかったが、サラが何かを考え続けていた事だけは知っていた為、歩みを止め、サラの動向を注視する。全員からの視線が集まる中、サラは静かに頭を下げ、そして後ろを振り向く事無く、カミュ達の脇を抜けて外へと出て行った。

 

 

 

「サイモンか……思い出せないな……」

 

表に出ると、太陽は真上に昇っていた。昼時が近付いている事を示す太陽の位置を見ながら、リーシャは眉を顰めて言葉を洩らす。老人が示した『勇者一行』の歩む道には、<ガイアの剣>という剣が絶対不可欠な物となっていた。そして、その<ガイアの剣>の持ち主は、サイモンという人物であるという情報も既に入手している。だが、サイモンという人物が誰であり、そして何処にいるのかという事を示す情報は皆無。それは、この先の旅路の中で集めて行かなければならない情報であり、手繰って行かなければならない糸となった事を意味していた。

 

「カミュ様、あの建物に向かってもよろしいですか?」

 

「ああ」

 

悩むリーシャを余所に、集落の南東に位置する場所に建てられた建物を指差し、サラが許可を求めて来る。集落の中でも一際高さを誇るその建物は、老人がサラの悩みを解消する為に訪れる場所として口にした場所。カミュとしてもそれに異を唱える必要性を感じておらず、即座に頷きを返した。リーシャの手からカミュのマントへと手を移したメルエは、前を歩くサラという、いつもとは違う光景に首を傾げている。思い出す為に考える事を諦めたリーシャは、歩き始めたカミュ達を追って、南へと足を踏み出した。

 

「おや? 旅の方ですか?」

 

南東に位置する場所に建っている建物に近付くと、その建物の前で何やら作業をしている人物がカミュ達の来訪に気が付き、声を掛けて来る。先頭を歩いていたサラは、その人物に向かって丁寧に頭を下げ、目的を告げる為に口を開いた。久しく訪れる事のなかった旅人を歓迎するように笑顔を向けた男性は、サラの言葉を聞いて、快く建物の中へ一行を誘う。

 

「三階部分に見える大きな望遠鏡を見たのでしょう? あの人は少し変わった人でね。十年ぐらい前にエジンベアという所から、ルザミに来たんですよ。何やら一日中望遠鏡を覗いていますけど、同じ景色しか見えないでしょうにね」

 

「ありがとうございます」

 

サラが尋ねた言葉は、『この家に住んでいる方は、どのような方なのですか?』という簡単な問いであった。だが、そんな簡素な問いかけで、この男はその家屋の三階部分で暮らす人間の持つ物に興味を持ったのだと勝手に考えたのだ。確かに、改めて家屋を見ると、一番上の階層の窓からは大きな望遠鏡が飛び出している。それは、カミュ達が乗る船にあるような小さな物ではなく、小さくはない窓全体を覆う程の大きさを誇っていた。

 

建物の外側に上に続く階段があり、それは直接三階へと続いている。おそらく三階部分は借家のような物なのだろう。貸している部屋に、あのような望遠鏡を持ちこまれても尚、『変わった人』で済ます事が出来る程、この集落で暮らす人々は大らかなのかもしれない。そんな男の笑顔を背中に受け、カミュ達は三階部分へ向かう階段を上って行った。

 

「あ、あの……こんにちは」

 

先頭で三階部分の部屋へ入って行ったサラが挨拶の言葉を口にした時、その部屋の住人は設置されている望遠鏡を必死に覗き込んでいた。余りの真剣な様子に、声をかけようとしていたサラは、思わず口籠ってしまう。小さく呟くような挨拶であったが、望遠鏡を覗き込んでいる人間が来訪者に気付くには充分であったのだろう。望遠鏡から目を離し、後方を振り返った男は、サラを見付けてから不思議そうに首を傾げた。

 

「おや。このような所まで……どちら様ですかな?」

 

「カミュと申します」

 

男が発した問いかけに答えたのはカミュ。サラの横を抜け、男の目の前に立つ。基本的に対人の折衝はカミュが行う。そういう決まりではないが、パーティーの中では暗黙の了解となっていた。故に、サラもカミュの後方へと移動する。相手が国王等ではない以上、カミュとこの男の会話にサラやリーシャが口を挟んだとしても、

大きな問題になる事はない。サラは後方に下がりながらも、男へと質問を投げかけた。

 

「私はサラと申します。ここで何をされていらっしゃるのですか?」

 

「これはご丁寧に。私は……いえ、申し訳ありませんが、私の名をお伝えできない無礼をお許し下さい……ああ、見ていた物でしたね? 私はこの望遠鏡で大地を見ています」

 

サラの名乗りに対して、自分の名を告げようとしていた男であったが、何かを思い出したように口を噤み、名を明かせない非礼を詫びた。丁寧な物腰の言葉である事を考えると、かなり重い理由が存在するのであろう。サラは男の謝礼に首を振って答え、視線を望遠鏡へと移した。サラの視線の移動を見た男は、先程のサラの質問を思い出し、自分がしていた事を明かす。だが、その答えは、サラだけではなく、この場所にいる誰もが理解出来ない事であった。

 

「ふふふ。『何を変な事を』と思っていらっしゃるのでしょうね。では、『この地面が本当は丸く、時間と共に回っている』としたら、貴女方はどう思われますか?」

 

「……地面が丸い……?」

 

この段階で、カミュは男とサラの間から身体を動かし、傍観者の位置に立った。この男が語る内容が理解出来ない訳ではない。常識に捉われる事がないカミュだからこそ、そこに反発心も湧いて来ないのだが、逆に興味も湧いて来ない。故に、カミュは、男の言葉に喰い付いたサラに場所を譲ったのだ。カミュの横では、カミュとは異なり、興味を示しているが、全く理解出来ないという表情をしているリーシャが立っている。そして、その手を握っているメルエは、男との会話よりも、男が覗いていた望遠鏡に興味があるのか、物珍しそうに眺めていた。

 

「ええ。誰も信じてはくれませんが、東から太陽が昇り、西へ太陽が沈むのも、太陽が動いているのではなく、この地面が動いているからそう見えるのです。夜の星々もそう。この望遠鏡で見てみれば、遙か先に見える海の向こうからやって来る船などは、太陽と同じように水平線の向こう側から浮かび上がってくるように見えます」

 

「では、この地図が丸くなっているという事ですか?」

 

男の話は全く理解不能の物となって行った。リーシャなど既に話について行けず、困ったようにカミュへ視線を送る。しかし、カミュにしてみても、別段に興味を持てる内容でもなく、理解しようとも思わない物である以上、リーシャに向かって首を横へ振る事しか出来なかった。そして、先程までリーシャの手を握っていた幼い少女は、既にいない。

 

「ふむ。単純に地図を丸めた形ではありませんが……貴女の考えている通りで間違いはありません。しかし、私のこの考えを笑いもせず、そして怒りもせず……そのような方がいらっしゃるとは……」

 

サラの問いかけに少し考えた後、男は笑顔で口を開いた。基本的に、世界は平面であるという考えが常識である。それを唱えている団体がある訳でもない。ルビス教がその説を後押ししている訳でもない。国がそれを常識として公表している訳でもない。だが、この世界が生まれてから長い年月、この世界にある地面に対し、疑問を持った者など、誰一人としていないだけ。常識とは当たり前の知識。誰もが知っていて、誰もがそう思っている事。故に、それ以外の考えを持つ者というのは、異端とされる事が多い。この男もそんな扱いを受けて来たのだろう。

 

「私は、エジンベアという国で学者をしておりました。魔物の被害などそれ程ない時代。あの国は、世界でも頂点に立つ程に知識と文化を持っており、数多くの学者がいたのですが、やはり皆、先程私がお話しした事を信じてはくれませんでした。最後には……いや、結局、私はこのルザミに追放されてしまった訳です」

 

「エジンベアから……」

 

異端という扱いを受けた者の末路など、どの国でも同じである。

自分達とは異なる者は排除される。

それが『人』が歩んで来た歴史。

 

「しかし、私を追放しようと、私が死のうと、この地面は丸いのです。そして、回っているのです」

 

語っている内に、昔の熱が戻って来てしまったのだろう。拳を握り締めて語る男に驚いたメルエは、望遠鏡を覗いていた身体を跳ねらせ、慌ててカミュのマントへと逃げ戻ってしまう。男の過去は予想通り、順風満帆な物ではなく、哀しみと悔しさに彩られた物だった。声を張り上げて、自分が辿り着いた結論を吐き出す男を見るサラの目は、意味ありげな光を宿す。もしかするとサラは、世界の常識という考えを覆す結論に達したが故に不遇な余生を送る事になったこの男と自分を重ね合わせてしまったのかもしれない。

 

「あ、いや……すみません。我を忘れてしまいました。ただ、その証明に、このルザミから南に下れば、北端にある筈の<グリンラッド>という島に辿り着く筈です」

 

「……そうですか……やはり……」

 

「グ、グリンラッドだと!?」

 

首を振り、自分を取り戻した男であったが、自分の唱える説に理解を示してくれたサラに、何とかそれを証明できる物はと考え、言葉にする。そして、男の発した単語は、それぞれの胸に様々な想いを齎した。自分達が目指していた場所の名前が出た事に驚いたリーシャは思わず声を張り上げ、目的地の方角を思わぬ形で聞く事が出来た事にカミュは静かに頷く。ただ、サラだけは、まるでその事実を知っていたかのように、一人呟きを洩らしていた。

 

「私がこのルザミに来る途中で立ち寄った島でした。一面を氷で覆われた島ではありますが、その島の南西の位置に、草花が咲く草原があります。そこだけは陽が射すのか、氷はなく、穏やかな気温なのです。そこに、変わった老人が住んでいました。あの人も行くあてのない人ですから、まだ居るのではないでしょうかね」

 

スーの村で聞いた『偉大な魔法使い』という人物が住むと云われている島。その場所は氷で覆われていると伝えられていたが、確かに一年中氷で閉ざされていれば、とてもではないが、人間が生きていけるとは思えない。それもたった一人でとなれば、尚更である。だが、その疑問は、この男の言葉で溶けて行った。草花が咲く程に暖かい場所であれば、食料となる食物も育つだろうし、その他の動物達も生きて行く事が出来るだろう。

 

「ありがとうございました」

 

丁寧に頭を下げたサラは、これ以上聞く事はないとでも言うように、男の前を辞した。いつもとは異なり、先頭を歩くサラを見て、慌てて頭を下げたリーシャは、その後を追い、一つ溜息を吐き出したカミュは、マントの中にメルエを匿ったまま、下へと続く階段を降り始める。三人が出て行った事を確認した男は、再び望遠鏡に目を移し、いつもと変わらぬ光景を見始めた。

 

 

 

「サラ! サラは知っていたのか?」

 

「何をですか?」

 

既にこのルザミで知り得る情報は全て入手した。もはや、ルザミでする事がない以上、ここに留まる理由もない為、一行は出口へと向かう。その道中で、一言も口を開かないサラへリーシャが意を決して問いかけた。リーシャの問いかけに首を捻ったサラは、本当にリーシャが何を尋ねているのかが解らない様子。だが、リーシャにしても、どのように尋ねれば良いのかが解らず、救いを求めるようにカミュへと視線を送った。

 

「この馬鹿は、『地面が丸い事』、『地面が回っている事』、『グリンラッドがこのルザミよりも南にある事』をアンタが知っていたのかと聞きたいらしい」

 

「くっ」

 

助けを求められたカミュは、盛大な溜息を吐き出した後、リーシャを顎で指しながら、代弁するようにサラへ問いかける。その言い様に、顔を歪めるリーシャであったが、聞きたい内容が正しいだけに反論する事も出来ず、サラへ視線を戻した。対するサラは、ようやく理解出来たのか、一つ頷きを返したが、即座に首を横へと振り直した。

 

「いえ、そのような事は、ここで初めて聞きました」

 

「そうなのか? だが、それにしては驚いていないようだが? 私は話の半分も理解出来なかったが、地面が丸いなど信じられないぞ?」

 

首を横へ振ったサラは、そんなサラの様子に信じられない物でも見るような瞳を向けるリーシャへ優しく微笑む。サラという人物が、リーシャの中では別者に変わってしまっているのではないかとさえ思いながら。サラという『僧侶』はアリアハン大陸のレーベという村で生まれ、両親と共に城下町を目指す途中で魔物に襲われた。そして、両親を失ったサラは、アリアハン教会の神父を義理の父親とし、成長したのだ。故に、この旅に出るまで、アリアハン城下町を出た事がないと言っても過言ではない。そんな彼女が、地面が回っているという突拍子もない説を耳に入れる機会など有る筈がないのだ。だが、アリアハンを出た頃のサラであれば、このような説を鼻で笑い、相手にさえしなかった事も事実ではある。

 

「ですが、リーシャさんも聞いていた筈ですよ。メアリさんに<スーの村>付近まで送って頂いた時、メアリさんは、『海賊のアジトよりも更に南へ進むと、ルザミがある』と言っていました」

 

「あっ!?」

 

確かにサラの言う通り、メアリの船で送って貰った際に、メアリは『機会があれば、一度行ってみろ』という言葉を残していた。それは、海賊のアジトよりも南に位置する場所にある小島。その場所に<ルザミ>という集落があると。メアリが言っていた<ルザミ>と、今リーシャ達がいるこの場所が同一の物であれば、この地面や海が丸いという事の証明にもなるのだ。

 

「この村に入った際、『忘れられし島』と女性が言っていました。メアリさんも『忘れ去られたような場所』と言っていましたから、おそらくこの場所で間違いないでしょう。それに、<スーの村>自体も、以前に船上で話題になっていましたよね?」

 

「ん? ああ、私が提案した時か……」

 

メアリの言葉と、この場所の雰囲気から、それが同一の物である事は疑いようがない。いや、常識に縛られてしまえば、疑うよりも前に否定出来るのだが、リーシャとて、この旅の中で様々な物を見て来た者。目で見た物を信じると決めたこの女性にとって、今目の前に広がる光景こそが真実であり、否定する理由が自分の中にある古い常識だけであるのならば、その事実を受け入れる以外にないと考えていた。

 

「はい。あの時、頭目さんは、『遙か東にある大陸に<スーの村>がある』とおっしゃいました。ですが、私達は西へ向かって<スーの村>へ辿り着いています。その頃から少し疑問ではあったのですが、今回、北にある<グリンラッド>を目指していた筈なのに、南にある筈の<ルザミ>へ出た事で疑問は大きくなり、あの方のお話で納得が行きました」

 

「丸ければ、反対側へ出るという事か……」

 

既に理解不能の部分へまで話が飛躍した事で、リーシャの思考回路は停止寸前にまで追い込まれて来ている。その為、サラの言葉を噛み砕き、それを簡単に翻訳した言葉をカミュが小さく溢した。その言葉に、リーシャの顔が晴れやかになるのだが、唯一の回答者であるサラは、静かに首を横へと振った。そのサラの姿に、リーシャだけではなく、カミュも驚きの表情を浮かべる。

 

「いえ。正直、あの方の説が正しいかどうかはわかりません。確かに、丸ければ反対側に出られるでしょうが、東西南北が繋がる事はありません。違いますね……あの方の説で言えば、東西南北が全て交わる場所というのがなければならないという事です」

 

「なに? どういう事だ?」

 

「いや、もうアンタは解らなくて良いという範囲の話だ」

 

自分の頭の中で結論が出ているのだろう。サラはその説明をしようとするが、困ったように苦笑を洩らす。全く理解出来ないリーシャであったが、その問いかけは、溜息と共に斬って捨てられた。その言葉に怒りを露にするリーシャであったが、カミュの顔を見て、その怒りを納めた。カミュの表情を見ると、彼にも理解できていない事は明白であったのだ。そして、既に興味を失っている事も明白。

 

「この世界は、創造の神と『精霊ルビス』様によって造られたと云われています。我々『人』では、計り知れない物も数多くあるのでしょう」

 

「世界の理を考えるのは、俺達の仕事ではない筈だ」

 

最後のカミュの言葉に、リーシャは納得が行かないまでも、考える事を止めた。確かに、地面が丸いかどうかなどは、自分達が考えるべき事ではない。サラが目指す『生きる全ての物が幸せに暮らせる世界』という物に直結する事柄であれば、サラもまた、深く考えていただろう。だが、この問題はそうではないのだ。故に、サラも諦めの笑みを浮かべて、あのような形で締めくくったのであろう。彼等はここまでの旅で、様々な神秘に遭遇して来た。これもその一つと言われれば、そう納得せざるを得ないのだ。

 

一息吐き出したカミュは、ルザミを護る大きな門を潜って外へと出て行った。門番の男に頭を下げ、サラも外へと出て行く。そんな二人の背中を見ながら、リーシャは一息吐き出し、一度空を見上げた後、『道中気を付けて』と声を掛けてくれる門番に礼を言って、再び長い旅路へと足を踏み出した。

 

 

 

『人』がこの世界に誕生してから、長い年月が経とうとしている。『エルフ』や『魔物』よりも歴史の短くはあるが、『人』には、他の種族とは違い、何かを変化させようとする想いが宿っていた。それは自分達が劣っている部分を補う為の物であったり、自分達の生活を良くする為の物である事が大半である。だが、そんな過程の中、他の者からすれば『どうでも良い』と思われる事に疑問を持つ者も出て来るのだ。本来、そう言う者達が、世界を変えて行くのかもしれない。

 

 

 




読んで頂き、ありがとうございました。

思ったよりも長くなってしましました。
今回のお話には……いや、この辺りは別の場所で……

ご意見、ご感想を心よりお待ちしております

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