新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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ホビットの祠

 

 

 

「どなたかいませんか?」

 

先頭を歩くカミュが口にした言葉は、周囲を覆う岩壁に反響し、空しく響き渡る。木造の家屋ではなく、石を積み上げて造られた家屋は珍しい。興味深そうに周囲を見ていたリーシャは、腕の中のメルエが身動ぎをした事でその身体を床へと下した。下されたメルエは、周囲の雰囲気を気にもせず、一人で奥へと歩き出してしまう。それに慌てたのは、リーシャとサラである。何度言っても、興味のある物への好奇心を抑える事が出来ないメルエを窘める為にその後を追った。

 

「メルエ、勝手に行くなといつも言っているだろう!?」

 

「…………ねこ…………」

 

追いついたリーシャから叱られたメルエは、眉を下げ、哀しそうに目を伏せるが、自分が感じた物を指差しで伝えようとする。メルエの指先を辿って行くと、可愛らしい猫が二匹、床でじゃれ合っているのが見えた。家屋内部の構造に興味を奪われていたカミュ達は、その存在に気付きもしなかったが、建物の構造等に全く興味を示していなかったメルエは、その小さな命の息吹を感じ取っていたのだろう。

 

「なんだ、お前達は?」

 

メルエが猫の傍に屈み込み、リーシャとサラが苦笑しながら近付いた時、後方から声が掛った。気配が感じられない程の小さな息吹に振り返ったカミュは、その声の持ち主の姿を見て、既視感を覚える。その背丈はカミュの腰程しかなく、メルエと同程度の物。癖のある髪の毛は無造作に伸び、背丈に似合わぬ厳つい顔には立派な髭が蓄えられていた。全員の視線が集まっても、それを意に介さぬ姿が以前に出会った小さき者を彷彿とさせる。

 

「…………ノルド…………?」

 

そんな四人の想いをメルエが代弁した。『バーン』と呼ばれる異端の英雄を祖先に持つホビットの名を口にしたメルエは、不思議そうに小首を傾げる。メルエが不思議に思うのも無理はないだろう。この場所は、ノルドが暮らしていた『バーンの抜け道』へと続く洞窟とは似ても似つかない物。船という移動手段で海を渡った場所にいる筈のない者がいた事に驚きを隠せなかったのだ。それはカミュ達も同様で、その姿を凝視するように見つめていた。

 

「ほぉ……お前さん達は、あの異端児を知っているのか?」

 

基本的に異種族側から見た場合、その種族の個体の違いは見分けが付き難い。エルフの中でも『人』の女性に近い容姿をしている者達に関しては、その容貌の違いから個体の区別は付くのかもしれないが、『魔物』や『ホビット』のような完全な異種族の容姿を『人』が区別出来ないのだ。故に、違うとは理解していても、目の前のホビット族らしき者の言葉を聞くまでは、『もしかしたら』という想いは抜け切れていなかった。

 

「ノルドさんをご存知なのですか?」

 

「アイツは、我々ホビット族の中でも異質な存在だ。あれが同じホビット族である事も信じられないが」

 

サラは、異なる存在である事を理解したと共に、ノルドという存在を知っているのかを問いかけるが、その答えの中には僅かな侮蔑と小さな恐れが含まれていた事に顔を顰める。それはカミュやリーシャも同様に感じたようで、リーシャは明らかな不快感を示していた。しかし、最もその感情を剝き出しにしたのは、目の前にいるホビットと同程度の背丈しかない幼い少女だった。『むぅ』と頬を膨らませ、相手を睨みつけるメルエは、その言葉の中に自分の大切な者を傷つけるような物を感じたのだろう。

 

「いや、すまん。あれを蔑むつもりはなかった。それ程に特殊な能力を持っていた者と言いたかっただけなのだが、不快にさせてしまったようだ」

 

そんな四人の想いを理解したのか、目の前にいるホビットは軽く頭を下げた。カミュ達が感じたような感情が多少なりとも籠っていた事を示すように、そのホビットの表情には羞恥が見え隠れしている。相手を侮蔑する事を羞恥と感じる事が出来る神経を持っている事が、このホビットの人となりを証明しているのかもしれない。その謝罪を受け取ったメルエは、小さく首を縦に振った後、再び猫の前に屈み込んだ。

 

「しかし、旅の者か……何やら若い頃を思い出す。儂も、昔は『オルテガ』殿のお伴をして旅したものだ」

 

「オルテガ様!?」

 

無造作に伸びた髪の毛を掻きながら口にしたホビットの言葉は、傍で聞いていたリーシャとサラを驚かせ、カミュから表情を奪う。何度も聞いて来た『オルテガ』という英雄の軌跡。その伴をした者が出て来た事と、それが『人』ではない異種族である事に驚きを感じたのだ。目の前にいるホビットの腕は、四人が知るノルドというホビットには劣るが、それでも充分な逞しさを誇っている。手先が器用なだけのホビットの中でも腕力が強い部類に入る者なのだろう。もしかすると、彼はホビットではなく、ドワーフの血を継いでいる物なのかもしれない。

 

「風の噂で、オルテガ殿は火山の火口に落ちて亡くなったそうじゃが、儂は未だに信じられん」

 

このホビットは、オルテガの『魔王討伐』への旅に同道していた訳ではないのだろう。もし、同道していたのだとすれば、共に火山火口で命を散らせていた可能性は高く、もし生きていたとしても、オルテガの死に直面していた筈なのだ。ならば、それ以前の旅に同道していたのだろう。それは、おそらくカミュの父と母が出会う頃の旅。

 

「この方は……」

 

「言わなくて良い」

 

カミュの素性を話そうとするサラを厳しい口調で止めたカミュは、興味を失ったようにメルエの傍へと近付いた。言葉を制されたサラは、何かを求めるように視線を動かすが、溜息と共に首を横へ振ったリーシャを見て、その言葉を飲み込む事しか出来ない事を悟る。確かに、ここでカミュが名乗り出たとしても、これ以上の情報が出て来るとは思えない。このホビットが未だに認めていないとはいえ、世間ではオルテガは死んだ事になっている。ホビットがオルテガは生きているという証拠を持たぬ以上、問答は不要なのだ。

 

「この辺りの魔物も、日増しに凶暴になって行く。気を付けて旅を続けなされ」

 

「ありがとうございました」

 

ホビットの対面は、当然始まり、呆気なく終わった。頭を下げたリーシャとサラは、カミュの後を続いてメルエの傍へと向かう。ホビットもまた、その名を告げる事も無く、奥へと消えて行った。旅の中には深い出会いもあれば、袖が触れ合うだけのような些細な物もある。小さな出会いも何処かの世界で何らかの縁があった物なのかもしれないが、その縁は今生の物ではない。

 

「メルエ、行くぞ」

 

「…………むぅ…………」

 

可愛らしい猫を眺めながら笑みを浮かべていたメルエは、先を促すカミュの言葉に不満を漏らす。実は、いつも眺めているだけのメルエであったが、つい先程この猫に触れたばかりであったのだ。伸ばしたメルエの手を引っ掻く事も無く受け入れた猫は、背を撫でるメルエの手を気持ち良さそうに受け入れ目を細めている。初めて触れる猫の温かみを感じたメルエは、自分がリーシャ等にされるように優しくその背を撫でていた。

 

「ふふ。メルエはその猫と仲良しになったのだな」

 

「…………ん…………」

 

メルエの隣に屈み込んだリーシャは、猫の背を撫でるメルエの頭を優しく撫でる。猫と同じように目を細めたメルエは、嬉しそうに微笑み、小さく頷きを返した。自分以外の他者との交流という喜びを学び始めたメルエにとって、それが『人』であろうと、『動物』であろうと、それこそ『魔物』であろうと区別はないのだ。自分に敵意を向けない者、カミュ達が敵と看做さない者に関しては、そこに種族の区別はない。後は好意の問題だけなのだ。

 

「にゃ~ん」

 

「…………にゃ~……ん…………?」

 

嬉しそうに微笑むメルエに向かって一鳴きした猫を見たメルエは、猫の鳴き声を真似て、小首を傾げながら声を発する。その行為はとても微笑ましく、リーシャとは反対側のメルエの隣に座り込んだサラの表情も笑みへと変えて行った。リーシャも優しい笑みを浮かべるのだが、その二人の笑みは、瞬時に凍り付く事となる。

 

「では、この場所から南へ向かった森の中で、東西南北に聳える大岩があります。その大岩が交わる場所に行ってみなさい」

 

「!!」

 

先程まで可愛らしく鳴き声を上げていた猫が、突如として人語を話し始めたのだ。人語を話す異種族は何度か見て来た。その中でも、スーの村では人語を話す馬さえも見て来ている。だが、やはり獣と言っても過言ではない者が流暢に人語を話す姿は、常識という観念を持つリーシャとサラには慣れない物であった。カミュだけは、人語を話す猫に対し、逆に興味を持ったのか、目線を合わせるように屈み込む。そして先程まで小首を傾げていたメルエは、真剣な表情で猫を見つめていた。

 

『もし、人語を話す動物を見たら、話して上げて下さい』という言葉を覚えていたメルエは、真剣にその言葉を聞いている。馬のエドとの約束を護る為に一生懸命聞いているのだが、その内容はメルエには理解出来ない。次第に眉を下げ、困ったように見上げるメルエの瞳を見たカミュは、小さな苦笑を浮かべた。メルエの考えている『お話』と、猫が話す内容は掛け離れていたのだ。自分が猫の話を理解出来ない事が哀しく、メルエはカミュの横で涙を浮かべている。

 

「貴重な情報をありがとう」

 

「…………ありが……とう…………」

 

それでも、猫に向かって頭を下げるカミュの横で、メルエは小さな頭を下げた。意味は理解出来ないが、カミュが礼を言う以上、それは貴重な物だったという事が解ったメルエだが、上げた顔は哀しみに満ちている。基本的にメルエは、他者と話が出来る程の伝達能力がある訳ではない。それでも、その想いは持っているのだ。『自分の想いを伝えたい』、『相手の想いを理解したい』という彼女の想いは、この個性的な面々を繋ぐ楔となっている。メルエの横に居たサラは、その願いを理解し、優しい瞳を向けた。

 

「メルエ、まだお話をしたい事はありますか?」

 

「…………ん…………」

 

サラの問いかけに頷いたメルエは、小首を傾げる猫に対し、言葉足らずではあるが、一生懸命語りかける。そんな想いは、『人』ではない者の心へも届いた。暫しの間、メルエの問いに猫が答え、猫の問いにメルエが答えるというやり取りが続き、最後には笑みを戻したメルエが、優しく猫の背を撫でる事で小さな会話は終了する。満足そうに笑みを浮かべたメルエとの別れを惜しむように鳴く猫に向けて小さく手を振ったメルエは、傍にいるリーシャの手を握り、その場を後にした。

 

「カミュ、あの猫の話にあった場所へ向かうのか?」

 

「何があるか解らないが、何かがある事だけは確かだろう」

 

家屋の外へと出た一行の進路は、カミュの言葉で決定する。しゃべる猫という奇妙な存在が語る場所へ目指す事に奇妙な想いを持ったリーシャであったが、既にしゃべる馬の情報に基づいた場所を目指している最中である以上、そのような事を考える事自体が無意味である事に気付き、笑みを溢した。再び森の中へ入っており、遠目に見える大岩を目指して南下を始めている。虫や花に興味を示して立ち止まるメルエを動かす為に苦心するサラは、助けを求めるようにリーシャを見つめていた。

 

「メルエ、サラを余り困らせるな。ゆっくりしていると陽が暮れてしまう。ほら、私と手を繋いで歩こう」

 

「…………むぅ…………」

 

魔法等の技術的な面は、サラの言う事に逆らう事はないが、日常生活の事となればどこか甘えを見せてしまうメルエも、リーシャの言葉に逆らう事は出来ない。むくれたように頬を膨らませはするが、大人しくリーシャの手を握り、ゆっくりと歩き出した。その様子を見て、疲れたような溜息を吐き出したサラは、苦笑を浮かべ、カミュの横へと移動する。

 

「カミュ様、あの大岩を目指すのですか? しかし、東西南北にあると云われる大岩となれば、最低でも四つあります」

 

「東西南北にある大岩の中心へ行けという話だった。この場所を考えると、見えている大岩は北の部分に位置する物だろう。そう考えれば、あの大岩の裏へ回ると南方にまた大岩が見えて来る筈だ。その大岩に向かって真っ直ぐ南へ下ると、必然的に東西南北の中心に出る事になる」

 

「よく解らないが、このまま真っ直ぐ進めば良いのだな?」

 

サラの問いかけに答えたカミュの言葉は、地図を見ながらの物であり、サラを納得させるのに充分な物だった。だが、カミュの話を理解出来たのは、サラ一人であり、聞いていたのか聞いていなかったのか解らないメルエは、二人を見上げながら小首を傾げ、リーシャに至っては、カミュの言葉の一部分のみを復唱する事で今後の進路へと歩き出す。手を引かれたメルエは若干の困り顔を浮かべ、サラへ助けを求めるような視線を向けている事を感じたサラは、苦笑を浮かべてカミュを促し、それを受けたカミュは、リーシャを追い抜いて歩き出した。

 

大きく見えている大岩への距離は、カミュ達が考えていたよりも遠く、大岩が近付いて来る感覚もないまま歩き続け、陽が落ちた頃になっても、大岩の姿が視覚的に変化する事はなかった。森の中で火を熾し、食事の支度をしている最中、メルエは近くの木にいた<りす>に何やら話しかけていた。スーの村に居たエドという馬や、先程別れたばかりの猫のように人語を話す動物がいるかもしれないと考えているのだろう。だが、『話が出来るのならば、エドの言葉通りお話がしたい』というメルエの願いは、その<りす>には届かなかった。

 

「メルエ、こっちにおいで」

 

言葉に答える事無く森の奥へと逃げてしまった<りす>に肩を落としたメルエは、リーシャの呼びかけに頷き、『とぼとぼ』と火の傍へと歩いて行く。メルエの到着後に食事を始め、完全に闇の支配が及ぶ頃には、見張りのリーシャ以外は眠りに付く事となる。

 

 

 

翌朝、再び歩き始めた一行は、メルエの好奇心を上手く抑えながら南へ下り、太陽が真上に昇る直前に、大岩に辿り着いた。それは、カミュ達が考えていた物よりも遙かに大きく、真下からでは頂上が見えない程の岩。地面に接している部分の外周も大きく、左右を見ても岩の果てが見えない程。その雄大さに目を奪われていた四人は、感嘆の息を吐き出し、再び歩き始める。

 

「カミュ様、ここからなら大岩が三つ見えますよ」

 

「なるほど……東西南北とはこういう事だったのか」

 

「アンタは、どういう物を想像していたのか聞きたいぐらいだが」

 

大岩の裏側へ回り、進行方向からみて完全に真裏まで来た時、そこから見える景色にサラは声を上げた。そこは、高い木々が聳える森の中。それでも遙か前方と、左右に巨大な岩が見えていたのだ。その大きさは、カミュ達が背にしている大岩と大差はないだろう。自然の産物なのか、それとも何らかの意図があって人工的に置かれたのかは解らない。だが、その壮観な光景は、見る者の心を掴んで離しはしない。何かに納得するように頷いたリーシャをカミュが窘め、それに苦笑を浮かべるサラを見て、メルエも笑みを浮かべていた。

 

「では、ここから前方に見える大岩を目指して歩けば良いのですね」

 

「森の中ではあるが、幸い全ての岩は見えている。常に自分達の位置から見える岩の位置を確認しながら進めば間違いはない筈だ」

 

サラは確認を込めてカミュへ問いかけ、その答えを聞き、頷きを返す。このまま進んでも陽が暮れる前へ辿り着くのは難しいだろう。陽が落ちれば、岩を確認する事が出来なくなり、その場で野営を行うしかなくなる。故に、行動は早い方が良く、リーシャやメルエの返事を待つ事無くカミュは歩き出した。この場所では地図など役に立たず、目印となるのは東西南北に見える大岩だけ。カミュ達の後を付いて歩くだけのリーシャやメルエとは違い、常に岩の位置を確認する事がサラの仕事となるだろう。それを自覚したサラは、リーシャとメルエに前を歩かせ、自分が最後尾になる事を名乗り出た。

 

 

 

「カミュ様、陽が陰り始めて来ました。進行方向は間違いありませんが、これ以上の強行は危険を伴います」

 

南へ下っていた一行の背に見える大岩の根元が見えなくなった頃、太陽は西の空へと傾き始め、周囲を赤く染めて行く。最後尾を歩いていたサラの言葉に頷いたカミュは、リーシャに視線を送り、野営の準備を始めた。例の如く、メルエは傍にいる虫や花を見る為に屈み込み、笑みを溢している。彼女にとって、何処に行こうと関係ないのだろう。誰と行くのかが問題であり、そこに何があるのかも関係はない。それをその表情が物語っていた。

 

「…………ヒャダルコ…………」

 

そんな和やかな時間は、突如として詠唱を開始したメルエの呟きによって斬り裂かれた。詠唱と共に木々を凍らせる程の冷気がメルエの杖から発現し、何かとぶつかり蒸発して行く。異変に気付いたカミュ達がメルエの方向へ視線を移すと、木々の隙間から降り注ぐ炎と、メルエの杖から発した冷気が拮抗を続けていた。慌ててメルエの傍へと駆け寄るカミュ達の後方に着弾したもう一つの光弾は、炎の壁を造り出し、退路を断つ。

 

「ベギラマですね」

 

「魔物か!?」

 

冷静に状況を把握したサラの横で、メルエの傍へ辿り着いたリーシャが上空を見上げた。闇が浸食を始めているとはいえ、太陽の持つ力強い光は、まだ森を赤く染め上げている。上空を舞う影は、以前に遭遇した事のある魔物と似通った部分が多々あった。カミュ達が上空へ視線を送っている間に、メルエは後方で立ち上る炎に向かって、再び<ヒャダルコ>を詠唱する。冷気によって炎は鎮火し、森の温度も正常な物へと戻って行った。

 

「敵の姿が見えなければ、どうする事も出来ないぞ?」

 

「呪文を行使出来る存在であれば、降りて来る必要もなさそうですね」

 

上空へ視線を送りながら、呟いたリーシャの言葉をサラは肯定する。確かに、上空から魔法を唱える事が出来るのならば、わざわざ地面へ降りて来る必要性はない。空を飛んでいる以上、カミュ達の攻撃が届く事はなく、対処方法がないに等しい事となるのだ。上空を舞う影は、カミュ達を諦める様子は見えない。臨戦態勢は続いており、気を緩める事も出来ない。

 

「カミュ、来るぞ!」

 

「ちっ」

 

上空を見上げていたリーシャが、その影の動きを見て注意を促す。その声に反応したカミュが一歩後ろへと飛ぶと、元居た場所を影が吹き抜けて行った。カミュ達の頭より上を悠然と飛び続ける魔物の姿は、やはりカミュ達の予想通り、以前遭遇した魔物と同じ物。箒に跨り、メルエが被っているような先の尖った帽子を被った老婆の姿。テドンからの帰り道で遭遇した魔物と言うよりも魔族に近い物であったのだ。

 

<魔法おばば>

その見た目と、魔法を唱える姿から『人』の中で名付けられた魔族の女性。<魔女>よりも長い年月を過ごし、その体内に眠る魔法力を鍛えて来た者である。唱える呪文に大差はないが、その威力はその過ごして来た年月に比例し、強力になっている。物理攻撃は<魔女>同様に低く、主に魔法での攻撃に偏る傾向があった。

 

「サラ、魔封じの呪文を!」

 

「はい! マホトーン」

 

リーシャの指示が最後まで言い終わらぬ内に、サラの詠唱は完成する。高度を下げた<魔法おばば>の姿を確認したサラは、既に詠唱の準備を始めていたのだ。その結果、リーシャが振り返るよりも前にサラは右腕を突き出している。<魔法おばば>の数は二体。降りて来た二体へ行使された魔法は、その内一体の魔法力の流れを狂わせ、地面へと落として行った。魔族とはいえ、その姿は『人』の老婆のような物。魔法力を失った<魔法おばば>など、『人』の老婆と見た目も攻撃力も変わりはない。斧を振るう事を躊躇ったリーシャには、一瞬の隙が出来てしまっていた。

 

「どけ!」

 

そんなリーシャの横合いから飛び出して来たカミュの一閃が、闇の支配がひろがって来た森に煌く。素早い一閃は、魔法力を狂わされ、地面に尻餅をついていた<魔法おばば>の首を根元から刈り取った。噴き出す体液と、地面へ落ちた老婆の首。それに気を向ける事もなく、カミュはもう一体の<魔法おばば>へと向き直る。しかし、即座に左手にある<魔法の盾>を掲げた。

 

「…………ヒャダルコ…………」

 

カミュの盾に衝撃がぶつかった瞬間、凄まじい熱量が彼を包み込む。魔法の盾を持つ左腕の肌を焼き、カミュの髪の毛を焦がして行った。しかし、この青年が傷付く事を容認する程、このパーティーの『魔法使い』は大らかではない。先程、<魔法おばば>の唱える灼熱呪文を相殺し、着弾して壁を作っている炎を鎮火させた氷結呪文がカミュの後ろから牙を向く。カミュの熱し切った身体を急激に冷やして行く冷気は、<魔法おばば>の<ベギラマ>の炎を押し返し、霧散させて行った。

 

「よし!」

 

カミュの目の前の炎が鎮火した事を見て、覚悟を決めたリーシャが駆け出す。手には<バトルアックス>を握り締め、<魔法おばば>との距離を詰めて行くのだが、カミュの横を通り過ぎようとした時、上空を漂う<魔法おばば>の手が挙がった。それが呪文の行使である事を理解し、リーシャは身構えるが、紡ぎ出された言葉に愕然としてしまう。それは、彼女達が最も恐れる呪文。

 

「……バシ……ルーラ……」

 

明らかに人語と解る言葉を紡ぎ出した<魔法おばば>の呟きを聞いた時、リーシャの身体はその場で固まってしまう。彼女達をカミュと逸れさせ、メルエの心を奪ってしまう可能性もあった凶悪な呪文。それを上空に居る魔族が唱えた事を明確に示す詠唱だったのだ。リーシャは固まり、サラは目を見開く。その呪文に対して成す術はない。命中率の低いその呪文が、リーシャの脇を通り抜けてくれる事を祈る事しか出来なかった。

 

「…………マホカンタ…………」

 

その中で一人、冷静さを失っていない者が存在する。呆然と佇むリーシャに<雷の杖>を向け、神秘とも言える魔法を行使する幼い少女。本来であれば、<雷の杖>を手にした彼女であれば、サラの指示を待たなくとも、的確な魔法の行使は可能なのだ。その利発性は、サラという『賢者』にも勝るとも劣らない。その心の幼さ故に、姉のようなサラの補助を必要としているだけ。自分の頭で考え、その場面場面で適した魔法を行使する。そんな『魔法使い』としての基本は既に出来上がっていた。

 

「キエェェ――――――」

 

メルエの発した魔法力は、呆然と佇むリーシャを包み込み、その身体を光の壁で覆って行く。リーシャへ襲い掛かった圧力は、輝く壁に弾き返され、対象を変化させた。上空に向かって弾かれた圧力は、箒に跨っていた<魔法おばば>の身体に衝突し、一瞬の内に遙か彼方へと弾き飛ばす。奇妙な雄叫びを残したまま、<魔法おばば>はカミュ達の視界から瞬時に消え去った。残ったのは、木々の隙間から見える空を呆然と見上げるカミュ達三人と、仕事を遣り遂げた事の達成感を胸に湧き上がらせる幼い少女。

 

「メルエ! 絶妙の行使でした! 凄いです、やはりメルエは凄いです!」

 

そんな中、真っ先に自我を取り戻したのは、メルエの一番近くに居たサラであった。手放しで喜び、腰を屈めてメルエを抱き締めるサラの表情は、本当に優しく慈愛に満ちた笑みだった。大好きな姉に抱き締められ、何度も誉め讃えられる事で、メルエの顔にも満面の笑みが浮かぶ。若干胸を張るようにサラを見つめていたメルエの頭に乗る帽子が取られ、癖のない茶色の髪が優しく梳かれた。メルエが見上げると、そこに居たのは優しく微笑むリーシャの姿。自分の周りへ集まって来る者達の表情が笑顔である事が、メルエは嬉しくて仕方がない。

 

「メルエ、ありがとう。私はメルエに救われてばかりだな」

 

「今度飛ばされる時は、アンタが一人旅をしてくれ」

 

「ぷっ」

 

笑顔でメルエへ礼を述べるリーシャの横から、かなり辛辣な皮肉が飛んで来た。その皮肉を聞いたサラは思わず吹き出してしまう。実際に、もしあの時一人残ったのがカミュではなくリーシャであったのならば、この四人が再会する事は不可能に近かったであろう。武器も使え、魔法も行使出来るカミュであったからこそ、サラ達三人と合流する事が出来たのだ。回復呪文も移動呪文も行使出来ず、更には方向感覚が致命的なリーシャだけでは、森から出る事も出来ずに、彷徨い続ける事になっていたのかもしれない。それが自分でも解っているのだろう。リーシャは苦々しく顔を歪め、カミュとサラを睨みつける事しか出来なかった。

 

「で、ですが、やはりメルエは世界最高の『魔法使い』です。私も負けないように頑張らないと」

 

「…………ん…………」

 

話題を変えるようにメルエに視線を合わせたサラの顔を見て、メルエも笑顔で頷きを返す。魔法に関しての絶対的な指揮者であるサラからの褒め言葉は、メルエの中で大きな自信と成り、そして誇りとなって行く。『世界最高』という言葉の意味をメルエは理解していない。それでも、自分の事を認めてくれているという一点だけは、肌と心で感じているのだろう。その後、場所を変えて野営の準備を進め、火を囲んで眠りに就くまで、メルエの顔から笑みが消える事はなかった。

 

 

 

陽が昇ると同時に再び歩き始めた一行は、魔物と遭遇する事もなく順調に歩を進め、森を南へと下って行く。昨日の喜びの余韻を残しているメルエは、この日も笑顔で歩き続けていた。休憩回数も少なく歩き続けた結果、太陽が真上に上る頃、カミュ達は幻想的な世界へと迷い込む。今まで所狭しと生い茂っていた木々を抜けた先には、平原とも言える草原が広がり、森の中にぽっかりと空いた空間には、太陽からの輝く光が降り注いでいた。

 

「うわぁ」

 

「…………はぅ…………」

 

サラとメルエが同時に感嘆の声を上げる程に幻想的な景色は、まるで自分達がお伽話の世界に入り込んでしまったような感覚さえ持ってしまう程。鳥達の鳴き声が遠く聞こえ、優しく吹き抜けて行く風がその鳴き声を運んで来ており、暖かな陽差しは全ての草花に降り注ぎ、競い合う事もなくその光を受け取った花々は狂おしい程に美しく咲き誇っている。しかし、何よりも一行の目を釘付けにして離さないのが、その草原の中央にそびえる大木であった。

 

「この木はどれ程に大きいのだ?」

 

その木の根下へ歩いて行く中で発したリーシャの問いかけに、答える事が出来る者は誰も存在しなかった。見上げても大きく広がった枝に生い茂る葉によって視界が遮られている。森の中から見えた障害物は、大岩だけと思っていた彼等にとって、これ程の大木が見えなかった事自体が不思議でならないのだ。悠然と聳える大木には、様々な命が宿っており、そこを住処にする鳥達や虫達が生きている事を主張するように声を発していた。

 

「この木は……」

 

四人が木を見上げている最中、その木の余りの大きさに、メルエが反り過ぎて後ろへ倒れてしまい、それを介抱するリーシャが苦笑を浮かべる。そんな微笑ましいやり取りの中、サラだけは何かを考え込むように黙り込んだ。木を見上げ、自分の頭の中にある記憶を辿って行くように深い思考の渦へと落ちて行ったサラが帰って来たのは、メルエがリーシャに抱き上げられながら、もう一度木を見上げた時だった。

 

「『世界樹』……」

 

「せ……かいじゅ?」

 

サラの呟きは、大木を見上げていたリーシャの耳に入り、腕の中にいるメルエと共に、仲良く首を傾げる事となる。リーシャやメルエだけではなく、カミュもその名を聞く事が初めてなのだろう。視線をサラへと移したカミュは、サラが語る続きを待っていた。サラは再び頂上の見えない大木を見上げ、その葉の隙間から降り注ぐ陽光を眩しそうに浴びる。そして、自分に集まる視線に気付き、恥ずかしそうに顔を俯かせた。

 

「昔、アリアハン教会にあった書物の中に記されていた木です。この世界に生きる人々が『世界の端』という伝承を信じる源と言っても良い木……この世界を支え、他の世界へも繋がると云われている伝説の木と記されていました」

 

「世界を支える?」

 

カミュは訝しげにサラを見つめ、リーシャは既に理解不能に陥っていた。それ程にサラの話は突然の物であり、即座に受け入れる事など出来る物ではなかったのだ。メルエは既に興味を失っており、大木の幹に集う虫達に夢中になっている。そんな中、全員の顔を見たサラは、苦笑を浮かべながら口を開いた。

 

「はい。元々は、様々な世界を内包している木と伝えられて来たそうですが、何時しか、世界を覆う程に大きな木という物が、世界を支える木という物に変わり、今の伝承へとなったのではないかと考えられています。おそらく、それは『人』の間だけの話ではないでしょう。そして、世界樹の根は、こことは異なる世界へと繋がり、その世界では別の幹となって、その世界を支えているとも云われています」

 

「世界樹か……」

 

もう一度、その木を見上げたカミュは、その名を復唱する。小さく呟かれた言葉の裏にどのような感情があるのかを推測する事は出来ないが、隣に立っていたリーシャには、とても哀しい呟きに聞こえた。サラの話す内容は、伝承であって事実ではない。もし事実であるならば、この場所でカミュ達が目にする事など出来ない筈。だが、ここに来るまでにその存在を視認する事も出来ず、その気配すら感じる事が出来なかったというのも事実であり、それが一行に奇妙な空気を運んで来ていた。

 

「そして、もう一つ伝承があります。それは……きゃあ!」

 

世界樹と呼んだ大木へ視線を移したサラが、再び何かを語ろうと口を開いた時、カミュ達と大木に向かって一陣の突風が吹き抜け、サラは可愛らしい悲鳴を上げる。突風はカミュ達の胸元から吹き上げるように大木を揺らし、その風に帽子を攫われそうになったメルエは、慌てて帽子のつばを握り締めた。揺らされた大木は葉を擦り合わせて音を発し、揺らめきながら枝を躍らせる。その時に、木々に居た鳥達の鳴き声が全く聞こえて来なくなっていた事にようやく一行は気付いた。

 

「…………は……っぱ…………?」

 

旋風のような物が過ぎ去り、カミュ達三人が態勢を立て直した時、リーシャに抱かれていたメルエが上空を見上げながら口を開く。その言葉に全員の視線が大木へ戻り、その大木の一つの枝から舞い落ちる影を目にした。それは、メルエの言葉通り、一片の葉。まるで風の中を泳ぐように舞い落ちるそれは、落ちる先を以前から定めていたように、一人の青年の掌へと降り立つ。掌を覆い隠してしまう程の大きさを持つ葉は、『世界樹』と謳われる大木に相応しい姿。

 

「『世界樹の葉』です」

 

「これにも何か言い伝えがあるのか?」

 

カミュの手に降り立った世界の奇跡へ視線を移したサラが、その名を重々しく口にする。そのサラの口ぶりに、リーシャは何かがあるのではないかと考え問いかけるが、サラは困ったような表情を見せて、容易に口を開こうとはしない。枝から離れてしまっているにも拘らず、まるで今も枝から茂っているかのように瑞々しく輝く葉は、カミュの手の上で全員を照らし出していた。

 

「いえ……その葉を使用する事など無い方が良いのです」

 

「何か引っ掛かるが、サラがそう言うのならば、敢えて聞く必要はないのだな?」

 

意味深な言葉を呟き、再び口を閉ざしてしまったサラを見たリーシャは、心に引っ掛かりを覚えるが、敢えて追及する事をせず、一枚の葉を落したきり沈黙を続ける大木へと視線を戻す。そんなリーシャに小さく頷きを返したサラも、自分の記憶にある神秘を片隅に追いやるように、上空を見上げていた。リーシャの腕から身を乗り出すようにしてカミュの手の中にある葉を見ていたメルエもまた、只の葉である事に興味を失くし、つまらなそうに周囲へ目を向けている。

 

「カミュ様、その葉は大事に保管していて下さい。伝承通りであるならば、その葉はどれ程の時間が経過しても瑞々しさを失わない筈です」

 

「……わかった……」

 

暫しの間、自分の手の中で佇む葉を見ていたカミュではあったが、サラの言葉に頷きを返し、懐に入っていた布で葉を包んだ。そのまま、メルエのポシェットには入れず、自分の腰に下げてある革袋の中へ丁寧に仕舞い込む。カミュ自身も、何故自分の許に舞い落ちて来たのかを理解出来てはいなかっただろう。この大木が、サラの言う通り『世界樹』と呼ばれる伝説の樹木であるならば、その存在自体が不可思議な物であり、その葉もまた神秘に彩られた物である事は間違いない。どのような効力があるのかは定かではないが、サラの口ぶりから推測すると、その使用方法も効果も伝承として残っているのだろう。故に、カミュもその事でサラを問い詰めるような真似はしなかったのだ。

 

「あの猫が言っていたのは、この『世界樹』という樹木の事なのか?」

 

「おそらくは……よく見れば、この場所から東西南北の大岩の姿を正面に確認出来ます。ここが中心である以上、あの猫が話していたのは、『世界樹』の事だと考えて間違いないでしょうね」

 

「ならば、戻るぞ」

 

リーシャの問い掛けへのサラの答えから、この場所を訪れた目的は達成された事になる。そうであるならば、これ以上の探索は無意味であり、カミュ達には他に向かわなければならない場所がある以上、早急に船へと戻る必要があった。リーシャの腕から降ろされたメルエが先を歩くカミュのマントを掴んだ事で、一行の出発準備は整い、草原の中心に聳える大木に背を向ける。

 

世界の神秘と言っても過言ではない存在である『世界樹』。伝承でしか残されていないその樹木を見た者は誰もいない。遙か昔にその姿を見た者はいるのかもしれないが、今は自らの姿を隠すように佇み、只のお伽話となっていた。何故、カミュ達がこの場所へ来る事が出来たのか。何故、カミュの掌に神秘は舞い降りて来たのか。それを知る者は、同じくお伽話のような伝説の存在だけなのかもしれない。

 

 

 




読んで頂き、ありがとうございました。

ドラクエⅢで登場のあのアイテムです。
やはり、この存在は物語にも登場させなければならないと思っていました。
再登場するのは、かなり後になるかもしれませんが……

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