新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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無名の土地④

 

 

 

 ランシールの村を出た一行は、二日という時間を掛けて船までの道程を歩く。

 その内の一日は、天候を崩して雨となり、体温が下がらぬようにメルエをマントに包んだカミュを先頭に歩みを続けた。

 船に辿り着く頃には、空を覆っていた分厚い黒雲も去り、晴れ渡る青空の広がる絶好の出港日和となる。

 

「野郎ども、出港だ!」

 

 カミュ達を迎え入れ、船は錨を上げて行く。

 帆に風を受けて、ゆっくりとその船体を動かし始めた船は、北西の方角へと向かって海を渡って行った。

 目指すは、開拓の町。

 彼等がこの世界で最も信頼する商人が作る町を目指し、船は進んで行った。

 

 

 

 船の上では、相変わらず、海の魔物達との戦闘が行われる。晴れ渡る穏やかな海であっても、魔物達もまた生きているのだ。

 食料を欲するように襲いかかって来る魔物達を撃退して行くカミュを後方から見ていたリーシャは、その力量の飛躍を改めて実感する。

 カミュの剣技やその腕力等が成長している事は知っていた。

 毎朝のように鍛錬を重ねて行く中で、自分へ振るわれる剣の鋭さと強さは、アリアハン大陸に居た頃と比べ物にならない。

 突き出される剣が、何時自分の頬の肉を抉り、腹を突き刺すかと冷や汗を掻く事もある。その剣と合わせた斧が弾かれないように力を込める事もある。

 それは、明確な力量の上昇なのだろう。

 

「カミュ、また腕を上げたな。試練の洞窟というのは、それ程の場所なのか……」

 

 船上の魔物を全て駆逐し終わったのを見計らって、リーシャはカミュへと声を掛けた。

 その言葉は、リーシャの本心なのだろう。

 試練の洞窟という場所へ向かう前から、カミュの力量が上がっている事は解っていたのだが、あの洞窟から帰って来たカミュを見た時、その『強さ』が更に一段上がったのだと感じていたのだ。

 だが、そんなリーシャの純粋な褒め言葉に、カミュは顔を顰める。

 明らかに不愉快そうな表情を見せるカミュを見て、不思議に思いながらもリーシャは苦笑を浮かべてしまった。

 この『勇者』と呼ばれる青年が、人目を憚らずに表情を作るようになったのは何時のころであったろう。アリアハンを出た頃には、能面のような無表情を貫き通す冷血漢であったのだが、何時しか彼は、リーシャ達三人の前では、喜怒哀楽を見せるようになっていた。

 それは、とても小さく、儚い物でもあった。

 だが、今のカミュの表情は、誰が見てもそれと解る物。

 それが何故か、リーシャには嬉しく感じたのだ。

 

「……だが、アンタにはまだ届かない……」

 

「ん?……あはははっ! 当たり前だ! まだまだカミュ如きに後れを取る物か!」

 

 そして、そんなリーシャの小さな喜びは、カミュの洩らした発言によって噴き出してしまう。

 カミュの力量の上昇は理解している。だが、それでもまだ自分には及ばない事もリーシャは理解していた。

 毎日カミュと鍛錬を重ねる中で、冷や汗を掻く事はあっても、自分の力が劣っていると感じた事は未だに一度たりともない。カミュの成長は何時の日か自分を追い抜く事を感じてはいるが、それが今ではない事も彼女は知っているのだ。

 

 「…………リーシャ………つよい…………」

 

 「ああ、私はメルエを護る為にもっと強くなるぞ!」

 

 戦闘の終了と共にサラの傍からリーシャの傍へと移動したメルエは、微笑みながらリーシャを見上げ、その誇りを誉め讃える。

 リーシャの中にある約束の一つである、『メルエとサラの剣となり盾となる』という物は、彼女にとって最も重要度の高い物なのかもしれない。メルエの頭を優しく撫でるリーシャを見ながら、サラはそのように考えていた。

 サラ自身、メルエを護るという約束は、何よりも大切な物へと変化している。そしてリーシャは、そんな自分とメルエを纏めて護る事を自身の使命と考えているのだろう。それが、サラにはとても嬉しかった。

 

「そろそろ例の大陸が見えて来る筈だが……」

 

 船は既にポルトガを超え、進路を北西から西へと変化させている。

 船の前方を注視している頭目の言葉通り、トルドが暮らす場所が見えて来る筈だった。

 頭目の言葉に、メルエは船首の方へ駆けて行き、何度も上陸した陸地を探すように目を凝らす。微笑みを浮かべたリーシャとサラがその後ろを続き、最後に頭目との会話を終えたカミュが近寄って行った。

 しかし、彼等はそこで、予想すらしていなかった光景を目の当たりにする事となる。

 

「何だ、あれは!?」

 

 まず口を開いたのはリーシャ。

 パーティーの中でも背丈のあるリーシャの視線からは、既に大陸の一部が見え始めていた。カミュにも見えているのであろう。その顔は、リーシャと同様、驚きの色に満ちている。

 続いたサラも見えて来た光景に驚いていたが、何かに納得が出来たように、優しい笑みを浮かべた。

 

「メルエ、良かったですね。メアリさんは、しっかりと約束を守ってくれましたよ」

 

「…………ん…………」

 

 メルエと視線を合わせるように屈んだサラは、木箱の上から眺めているメルエの肩に手を掛ける。その手を受けたメルエは、瞳に映る光景に目を輝かせ、そんなサラに向かって花咲くような笑みを浮かべた。

 彼女達の旅は、様々な者達との出会いによって成り立っている。

 その出会い一つ一つが、良い方向に回るとは限らない。

 だが、今回に限って言えば、サラ達三人が初めて経験した大冒険が、最高の結果を生んだ事になるのだろう。

 それは、大陸に近付くにつれて、船上に居る者達全ての顔が、驚愕の物へと変化して行く事が物語っていた。

 

「何故、これ程までに船が……」

 

「あれは、船着き場だぞ?」

 

 近づく大陸を船上で見ていた船員の一人が呟いた言葉が切っ掛けとなり、各々が自分の目に映る不思議な光景を語り出す。舵を取っていた頭目でさえ、部下に任せて大陸を凝視していた。

 一年近く前になるが、この場所を訪れた時には、船など一隻もなかった筈。そればかりか、船が近づこうにも、近場の浅瀬に船を止め、そこから小舟を使って上陸する事しか出来ない場所であったのだ。

 だが、徐々に大きくなる大陸には、立派とは言えないまでも、しっかりとした造りの船着き場が整備されており、そこに小さくはあるが数隻の船が着港していた。

 客船のようには見えないが、幾人もの商人を乗せた商船なのだろう。小さいながらも荷をしっかりと船に乗せ、着港している。

 

「トルドの町に、これ程の人々が訪れているのだな……あの暴力女、しっかりと約束は守っているという事か……ならば、こちらも必死に約束を遂行するために踏ん張らなければな」

 

「はい。頑張ります」

 

 船着き場に停泊している船達を眺めながら、リーシャは笑顔で言葉を紡ぐ。その言葉を聞いたサラは、同じように笑みを浮かべながら、逞しくも美しい女性を思い出す。そして、その時に交わした誓いも思い出し、決意の込められた瞳で頷いた。

 船がこの場所に停泊しているという事は、その船に乗っている人間の目的は決まり切っている。

 この場所の近くには、町や村がある訳ではない。あの、トルドという商人が創り上げようとしている場所以外には。

 これ程の船が訪れているという事は、それが只の商いの為という事は考え難く、その中に移住してくる移民達も含まれている可能性を示唆していた。

 つまり、あの場所が『町』となる一歩を歩み出した事になるのだ。

 

「そうか……アンタ方の話にあった女海賊と、トルドの話していた海賊は同一人物なのか」

 

 実は、リーシャ達三人の旅を詳しくカミュへ話してはいなかった。

 彼女達がカミュと逸れてから立ち寄った場所は、あの女海賊が拠点とするアジトのみ。その場所から真っ直ぐスーの村へと向かっている。

 そして、その唯一の立ち寄り場所で起こった出来事は、サラという『賢者』の立ち位置を明確な物にした物であったのだが、カミュはサラが傀儡となる事を恐れている節がある為、リーシャは多くを語らなかったのだ。

 故に、カミュはその女海賊との詳しい出来事を把握していない。逸れた先で出会い、メルエが<レッドオーブ>を譲り受けたという事しか知らなかった。

 

「やはり、トルドさんは気付いていたのですね」

 

「そうだな……サラの考え通りだ。トルドは、その恩恵を知っていたのだろうな。だからこそ、法外な要求でさえなかったら、それを受け入れる事にしたという事か」

 

「賊に対しての想いを断ち切る事は、相当な物があっただろうな……」

 

 喜び合うように笑っていたリーシャとサラは、カミュの言葉に凍り付くように

顔を固める。

 サラは、トルドの頭脳を信じていた。

 リーシャは、トルドの人柄とサラの頭脳を信じていた。

 だが、カミュだけは、その信頼と共に、その心情を案じていたのだ。

 トルドという商人は、その人生の全てを賊によって壊されていると言っても過言ではない。彼の愛した妻と娘は、賊違いではあるが、盗賊の一味の手によって、無残にもこの世を去る事となった。

 それは、決して消える事のない傷。

 そして、決して癒える事のない傷。

 だが、それでも彼は前へと踏み出した。

 

「船着き場へ着けてくれ」

 

「わかった」

 

 言葉を失ったリーシャとサラを余所に、カミュは頭目へと指示を出す。

 自身達の思慮の浅さを悔いながらも、サラの策が紙一重であった事を知り、リーシャ達は、トルドの英断と決意に感謝した。

 消える事のない傷を持ち、癒える事のない痛みを持ちながらも、彼は海賊と名乗っていた者達と手を組んだのだ。

 そこにどれだけの苦しみがあった事だろう。

 どれだけの痛みがあった事だろう。

 そして、どれ程の決意を胸に抱いた事だろう。

 それを考えると、リーシャやサラは胸に突き刺すような痛みを覚える。

 

「初めての船だな……この大きさじゃ、こっちじゃ無理だ! 向こう側の船着き場に着けてくれ。巨大な船の為に作った船着き場があるから!」

 

 悲痛の表情をサラが浮かべている間に、船は船着き場へ辿り着いていた。

 船着き場で船の誘導をしていた男が、カミュ達の船を見て、大きな声で呼びかけて来る。

 この船着き場に着けている船は、カミュ達の船に比べるとかなり小さな物が多い。ポルトガ国王の威信に懸けて造られた船は、世界でも有数の大きさを誇っていた。

 縄を投げようと身構えていた船員は、急遽進路を変えるように舵取りへ声を掛け、それを受けた舵取りは、船着き場の男が指し示した方角へと進路を取る。船はゆっくりと進路を変え、商船が一隻も停泊していない大きな船着き場へ辿り着いた。

 

「なんだ、ここは? 何故、この船着き場には船が無いんだ?」

 

「トルドだろうな……」

 

 大きな船着き場には一つの小屋があり、近づいて来る船を見て、驚いたように男が一人出て来る。暇そうにしていた男を見れば、この船着き場に船が停泊する事が皆無に等しい事は一目瞭然であった。

 つまり、この場所へ船を着ける者は誰もいないという事になる。

 そうなると、次には『何故?』という疑問が浮かんで来る。

 それに答えたのは、カミュであった。

 

「この場所に来る事になる船が本当にあるとは思わなかった。この船着き場は、この船の為だけに作られたような物だな」

 

 そして、そんなカミュの考えは、船員から縄を受け取った男に肯定される事となる。船着き場にある鉄柱に船員から受け取った縄を結びつけながら語った男の言葉は、この船着き場が特別に作られた場所である事を示唆していたのだ。

 それは、カミュ達が乗る船の為だけに作られた場所と考えても考え過ぎではないだろう。そして、カミュ達が乗る船の大きさ等を知っている人間と言えば、あの開拓地には一人しかいない。

 あの開拓地へ行く途中、ポルトガの港から共に出発したトルドだけである。

 

「トルドは、何時でもメルエがここに来る事が出来るように、船着き場を作っていてくれたのだな」

 

「トルドさんは、私の浅慮など及びもつかない程の思慮をお持ちでした」

 

 船着き場へ着けられる船は、ゆっくりとその動きを停止させた。

 それぞれの胸に、それぞれの想いを抱きながら、四人は船着き場へと降り、そこから見える景色を瞼に焼き付ける。

 以前に訪れた時とは全く異なるその眺めは、『人』が歩んで来た道を見るかのような感傷を抱かせる程の物。茂っていた森の木々は伐採され、開拓地へ真っ直ぐ伸びる道が整備されている。森の中を通るように切り開かれた道の脇には、魔物防止の為に高い木の柵が設置され、商人達の行き来を容易にさせていた。

 

「……行くぞ……」

 

「は、はい」

 

 例の如く、船員達の数名を船から下ろし、物資を購入する為に行動を共にする。船着き場から見える景色に呆然としていたリーシャとサラは、慌ててカミュの後を追って歩き始めた。

 しかし、そんなサラとリーシャの動きを止める者がいた。

 

「…………ん…………」

 

「え?……どうしました、メルエ?」

 

 いつもならば、真っ先にカミュのマントの中へと潜り込む少女が、サラを見上げながら、左腕を突き上げていたのだ。

 メルエの行動が理解出来なかったサラであったが、突き出された左手に握られていた物を見て、全てを理解する。

 メルエの右手には、<雷の杖>と呼ばれる神秘の杖が握られている。そして、突き出された左手が握っていた物は、古ぼけた木の棒。

 既に役目を終え、その先端に嵌め込まれた石も砕け散り、只の木の棒と化した<魔道士の杖>であった。

 

「そうでしたね。それをトルドさんに預けないといけませんでした。メルエの背中に結んであげます」

 

「…………ん…………」

 

 捨てる事を良しとしなかったメルエは、只の棒と化した<魔道士の杖>を、船室で大事に保管していたのだ。

 以前にカミュが話していた事を憶えていたメルエは、トルドの許へ行く事を知り、古き戦友を預ける為に持って来ていた。

 メルエから<魔道士の杖>を受け取ったサラは、優しい笑みを浮かべ、その杖をメルエの背へと結びつける。<雷の杖>は、メルエの背丈よりも高いため、背中に結ぶ事は出来ず、常に手に持っているのだが、<魔道士の杖>は昔からメルエの背中が居場所であった。

 余談ではあるが、最近メルエがカミュのマントに入る時、<雷の杖>はマントの外に出ており、その為にカミュが歩き辛そうにしている姿を見たリーシャとサラは、常に笑いを噛み殺していたのだった。

 

 

 

 四人と他の船員達は、整備された道を歩いて行く。

 カミュ達の横を、荷を積んだ馬車や荷台を引く者達が通り過ぎ、町の方角から歩いて来る商人達とすれ違う。それは、以前に訪れた際には考えられなかった光景であり、その者達の顔に浮かぶ笑みもまた、この時代の商人達としては珍しい程の会心の笑みだった。

 

「どうした、サラ?」

 

「えっ!? いえ、何でもありません……」

 

 行き交う人々を見る為に、頻りに首を動かしていたサラの表情は浮かない。サラの隣を歩いていたリーシャは、そんなサラを不思議に思い、声を掛ける。だが、それに対しての返答は、最近のサラが良く行う物であり、リーシャはあからさまに眉を顰めた。

 

「それは、最近のサラの悪い癖だぞ……サラの胸の内で消化し、答えが出る物ならば、それで良い。だが、それならば表情に出すな、言葉に出すな。私達はサラと共に歩んでいると思っている。サラのそんな表情を見れば、気になるのは当然だろう?」

 

「あ……申し訳ありません」

 

 厳しい一言で、サラは視線をリーシャへと移す。そこには、厳しく眉を顰め、サラを見つめる女性戦士の瞳があった。

 何時でも、どんな時でも、サラという個人を見つめ、温かく見守ってくれて来た瞳。それは、サラにとって何時でも『勇気』となり、『自信』となって来た物でもあった。

 故に、サラは小さく笑みを浮かべた後、自分の胸にあった物を吐き出し始める。

 

「このようにして、『人』は世界を広げて来たのだと感じていました。そして……このように自分達の世界を広げる為に、他者の世界を侵して来たのでしょう。あの時、カミュ様の言っていた意味が、ようやく私にも解りました」

 

「そうか……そうだな……私達『人』は、木を切り倒し、道を作り、町を作って来た。船を造り、新たな場所へ移動し、そこでも同じ事を繰り返す。確かにその行為は、他の生物の住処を侵しているのだろうな」

 

 サラの言葉を肯定するように、リーシャは道の脇に建てられた柵の向こう側へと視線を動かした。

 柵の向こうは、伐採されずに残る多くの木々が茂っている。小鳥達の囀りが聞こえて来る事から、その森の中には、多くの動植物達が生きているのだろう。森の真ん中に通された道によって、森は分断され、それによって離れ離れになった動物達もいるのかもしれない。

 突如として割って入って来た、『人』が造り出した道が、他の生物の生態系に変化を齎してしまう可能性は否定出来ない。森で暮らす魔物達も同様であろう。

 

「魔物が本気になれば、この程度の柵は問題ではないだろう。魔物が『人』を襲う理由の中には、『人』の増長を抑えるという物もあるのかもしれないな」

 

「えっ!?」

 

 リーシャは木で出来た柵を眺めながら、何気なく、本当に何も考えずに口にしたのだろう。だが、その言葉は、サラにとっては寝耳に水と言っても良い程の物だった。

 そのような考え方は一度たりともした事はない。『賢者』という中立の立場に立った時からを考えても、『人間の増長を抑えるために、人間を襲っている』等という考えに辿り着いた事はなかった。

 世界というは、多くの種族によって成り立っている。『人』や『エルフ』、そして『魔物』や『動植物』達。その中でも細かく分類すれば、数百、数千、数万という種類の生き物が生息しているのだ。

 そして、この世界は、その多くの種族のどれの物でもない。

 『魔物』の物でも、『エルフ』の物でもなく、ましてや『人』の物でもない。

 

「ん?……何か私は可笑しな事を言ったか?」

 

「い、いえ……おっしゃる通りなのかもしれません」

 

 唖然とした顔を向けるサラの視線に気づいたリーシャは、自身の発言に自信を持てなくなり、困ったように顔を歪めた。

 しかし、予期せぬ形で、新たな考えに導かれたサラは、リーシャの考えを認め、再び思考の海へと落ちて行く。

 自分の手を引きながら思考へ落ちて行ったサラを見上げていたメルエは、全く理解が出来ないのか、頻りに首を傾げながらも、柵の向こうに見える花々へと視線を戻して行った。

 

「アンタの考えは、自分自身が考えている以上に変化しているんだ。可笑しな事ではないが、その事は軽々しく口にするべきではない」

 

「そうなのか?」

 

「……カミュ様……」

 

 リーシャとサラの会話は、少し前を歩いていたカミュにも聞こえていた。

 多くの馬車や商人達が行き交うこの道であれば、魔物との戦闘について、警戒感をある程度は緩める事が出来る。故に、カミュ達四人が先頭を歩き、ランシールで購入した荷を乗せた荷台を引く船員達が後ろに続いていた。

 振り返ったカミュの瞳を見たリーシャは、その言葉の意味を正確に理解していないのかもしれない。だが、サラは、そんなカミュの真意を読み取っていた。

 先程リーシャが語った内容は、この世界の『人』にとって受け入れる事の出来ない物であろう。教会の唱える教えに背く考えと言っても過言ではない。そうなれば、リーシャは異端者と成り得る可能性もあり、大きく吹聴する危険性も伴って来る。

 カミュは、それを危惧しているのだ。

 

「お前がそう言うのならば、以後は口にしないようにしよう」

 

「その方が良いかもしれません。私達の間だけの話にしましょう」

 

 カミュの表情の真剣さが伝わったのか、神妙な顔つきになったリーシャは、大きく頷きを返す。サラもそれに同意し、小さく頷いた。

 

 彼等の目標は変わらない。

 『魔王討伐』という大望を果たす為に、彼等は歩んでいるのだ。

 だが、その旅の中で、彼等は確実に変化していた。

 それは、大望の先にある未来を変えて行く程の物なのかもしれない。

 

 

 

 森の中には、船着き場から徒歩で向かう者達の為に、簡素ではあるが、宿泊小屋が建てられていた。小さな宿泊小屋は、個人商人などで一杯になっており、カミュ達は、船員達と共に森の入り口付近で野宿する事となる。

 翌朝、再び歩き始めた柵で囲まれた道を歩み、森を抜けた先で、四人は再び驚く事となった。

 平原が広がる先に見えた景色は、以前と比べて全く異なる物であったのだ。

 森の中の道を護っていた柵とは比べ物にならない程に立派で、魔物の侵入を阻む事も出来る程に頑丈な壁に覆われたその場所は、魔王台頭以前に、各国が競って建てていた支城や砦を思わせる程の物だった。

 集落を囲むように堀を作り、山から流れる川の水を利用し、そのまま海へと繋がっている。堀を渡るように作られた門への道は、馬車が行き交う程度の幅しかない。

 自治都市と言っても過言ではないその姿に、カミュ達は感嘆の溜息を吐き出した。

 

「僅か一年で、ここまで変わる物なのか?」

 

「…………トルド………すごい…………」

 

 堀を渡り、門の前まで来た一行は、それを見上げたままで立ち尽くしてしまう。門の上に付けられたアーチ型の木の看板には、この場所の名前を彫るつもりなのだろう。未だにその名は彫られてはいないが、トルドが構想する町の規模の大きさに、改めて驚かされていた。

 木の看板を見上げたメルエは、まるで自身の誇りのように、嬉しそうに呟きを洩らす。そんなメルエの言葉に我に返った一行は、商人達が並ぶ門の検問場所へ並んだ。

 

「初めての方ですか? 荷を調べさせて頂いてもよろしいですか?」

 

「……ああ……」

 

 順番が回って来ると、商人風の人間が先頭に居るカミュへと声をかけて来た。

 その商人風の男の後ろには、二人の武装した男が立っており、その姿を見る限り、この門を護る門番のような者なのであろう。慣れた手つきで、船員達が引いている荷台の荷物を調べて行く。

 調べが終わり、もう一度カミュの前に戻って来た男は、荷物が問題ではない事を伝え、中へと誘導した。

 

 「人がこんなに……」

 

 「あの暴力女の恩恵がこれ程とは……」

 

 「会った事はないが、アンタに言われる事は、向こう側も心外だろうな」

 

 中へと入った一行は、その先に広がる光景を見て、再び驚愕する事となる。そこは、まだ町とは言えない程の物ではあるが、村だと言われれば、納得してしまう様相をしていた。

 以前に訪れた際には、スーの村出身の老人とトルドの二人しか生活をしていなかったのに対し、今では幾つもの家屋が建て並んでいる。煉瓦造りの立派な建物ではないが、人が暮らすには充分な佇まいをしており、それがこの場所へ移住して来た者がいる事を明確に示していた。

 集落の真ん中には、泉と呼べる程の大きさのある場所があり、湧き出る水は、別の場所で汲めるようになっている。水場には、女性達が桶を持って集まっており、それぞれの会話に夢中になっていた。

 何軒かの店が立ち並び、中には宿屋らしき場所も作られ始めている。商人達が並び、店では順調に商いがされているようだった。

 

「俺達は、店に行っているよ」

 

「わかった」

 

 カミュ達の後ろに付いていた船員達は、荷台を引いて店へと向かって行く。

 ランシールで、今回も<消え去り草>をある程度入手していた船員達は、それを売却し、この場所での特産を仕入れようとしているのだろう。心なしか、楽しんでいるような無邪気な笑みを浮かべる船員達を見たカミュは、小さな苦笑を浮かべた。

 未だに呆然と集落の中を見ているリーシャとサラを余所に、目的の人物を逸早く見つけたメルエは、カミュ達を置いて、その場所へと駆けて行く。

 このような集落の中では、メルエの勝手な行動が悲劇を生む事は無い為、カミュもリーシャも優しい笑みを浮かべたまま、その後を付いて歩き出した。

 

「…………トルド…………」

 

「ん? おお! メルエちゃんじゃないか!?」

 

 集落の入口から南の方角で建築が進められている建物の傍に立つ男性に駆け寄ったメルエは、小さいながらも嬉しそうに声を掛け、トルドと呼びかけられた男性もまた、メルエの姿を認識すると、大袈裟にも見える程に喜びを表す。

 メルエの身体を抱き上げんばかりに伸ばされた手が、帽子を取ったメルエの頭へと下された。

 目を細めてそれを受け入れたメルエは、頬笑みを浮かべたまま、背中に結ばれた木の棒を取り、それを掲げる。

 

「…………ん…………」

 

「何だい? この木の棒に何かあるか?」

 

 既に宝玉を失った<魔道士の杖>は、傍から見れば、小汚い木の棒にしか見えない。

 メルエが誇らしげにそれを自分へと掲げる事自体が理解できないトルドは、膝を折って、その棒を見つめる。しかし、そんなトルドの問いかけは、幼い『魔法使い』にとっては大いに不満な質問だったのだろう。瞬時に頬を膨らませたメルエは、『むぅ』と唸り声を上げて、トルドへ木の棒を再度突き出した。

 ますます混乱を極めて行くトルドの思考は、この幼い少女を探し出す事を約束した青年を探し始める。

 

「メルエ、それではトルドも解らないだろう」

 

「…………むぅ…………」

 

 声がした方へと視線を動かした先には、こちらへゆっくりと歩いて来る三人の人間が見えた。

 柔らかな笑みを浮かべながら近寄って来る女性は、背中に巨大な斧を担ぎ、何処か神秘的な色合いを持つ鎧を身に纏っている。一瞬、その姿を見たトルドは、その女性が誰であるのかが解らなかった。

 それは、その後ろから歩いて来る青年を見ても同様で、その顔を知っているにも拘わらず、纏っている雰囲気が以前とは全く異なる物であった為に、トルドは言葉に詰まってしまう。

 

「この杖は、メルエの成長を見届け、その役目を終えました。どうしても、メルエが手放したくないというので、トルドさんに預かって頂ければと思いまして」

 

 そして、最後に現れた女性を見て、トルドは何故か溢れて来る感情を抑える事が出来なくなっていた。

 トルドがその女性を初めて見た時に感じた印象は、決して良い物ではなかった。

 僧侶が被る帽子や、その身に纏う法衣を見ても、ある出来事から信仰心が薄れていたトルドには何も感じる事はなく、『勇者』と呼ばれるカミュや、屈強なリーシャから比べると、『頼りない』という印象しか浮かばなかったのだ。

 それが、今、目の前に居る女性の纏う雰囲気はどうだろう。

 これ程までに力強く、温かい雰囲気を纏っている者が、この世に何人いる事だろう。

 

「そうか……わかったよ。それよりも、まずは礼を言わせて欲しい。サラさんのお蔭で、ここまでこの場所は発展出来た」

 

「えっ!? い、いえ、私は何も……」

 

 メルエから<魔道士の杖>であった物を受け取ったトルドは、目の前に居る女性に深々と頭を下げた。

 それは、サラとリーシャにしか解らない謝礼だろう。簡単な部分しか事情を把握していないカミュは、少し離れた所でそのやり取りを見ているし、メルエに至っては、『何故、自分の杖よりもサラの方を優先するのか』と頬を膨らませていた。

 なかなか頭を上げないトルドに、慌ててしまったのはサラ。わたわたと手を振り、何とか頭を上げさせようとするのだが、そんなサラを無視するように、何時までもトルドは頭を下げていた。

 

「そのくらいにしてやってくれ。サラが困っている」

 

「そうか……どれ程に礼を述べても気が済まないのだが……あの海賊の棟梁自らこの場所に来た時には、この命も覚悟していた……」

 

 リーシャの助け舟によって、トルドはようやく顔を上げる。

 トルドの言葉通り、本当に心から感謝しているのだろう。顔を上げたトルドの瞳は、涙によって、若干潤みを帯びていた。

 サラやリーシャではなく、カミュに視線を向けているところを見ると、海賊の棟梁という存在の来訪は、トルド自身は信じていなかったのだろう。カミュへは、『首領を伴って二か月後に来るらしい』というように話をしてはいたが、その真実味を薄いと考えていた節があったのだ。

 実際、トルドが招き入れたカンダタ一味にしても、首領であるカンダタ自身がカザーブの村を訪れた回数は限られていた。

 腕力や暴力に訴える者達は、その後ろに控える者の威光を笠に権力を振るう事が多く、その威光自身が訪れる事は、最終手段であるのだ。最高権力者が前へ出てくれば、その下で動く者達が功名を得る機会が失われる。それ故に、実質、下の者が実際に動く事の方が多い事をトルドは理解していた。

 

「やはり、真っ当な人間だったか……」

 

「う~ん……真っ当な賊というのも可笑しな話だが、棟梁と名乗る女海賊が口にした報酬は、法外な物ではなかった。少し高い気もしたが、それも航路によって交渉する事も出来たしな」

 

 自分に向けられた視線に気付いていたカミュは、以前にここを訪れた際に話した会話を思い出し、それを口にするが、トルドはそれを全面的には肯定しない。そこに、やはりトルドなりの想いがあるのだろう。

 賊と名乗る以上、今は真っ当でも、自分の意を押し通す為に無茶をして来た経歴がある筈であり、それによって失われた命は数多くある筈である。その中身は、敵対勢力のような物ばかりではないだろう。それこそ、生まれてから死ぬまで、真っ当に生きて来た者達も多かった筈であり、それを行って来た者達を、真っ当な者と称する事は、トルドの中で出来なかったのかもしれない。

 

「それでも、あの女海賊の部下達が来た時の金額とは雲泥の差があった。それ程、初回に提示された報酬金額が馬鹿げていたという事なのだが……最初に値を吊り上げ、そこから落として行く事で相手の感覚を麻痺させる、商人の常套手段かとも思ったのだが、サラさんの名前が出た事で、全面的に信用したよ」

 

「メアリなどに、そんな事を考える事が出来る頭はないな」

 

「いや……アンタがそれを言う時点で間違っているように聞こえるが……」

 

「ぶっ!」

 

 リード海賊団改め、リード護衛団となった者達の襲来を思い出すかのように語るトルドの言葉に逸早く反応を返したのはリーシャ。

 しかし、そんなリーシャの言葉は、カミュの冷たい切り返しに会い、サラの抑え切れない笑いで吹き飛ばされた。

 先程までむくれたように頬を膨らませていたメルエも、その場の和やかな雰囲気に頬を緩め、笑顔を見せる。憤るリーシャをあしらい続けるカミュを見ながら、トルドは空を見上げてから、視線を戻した。

 

「積もる話もある。一度、家に戻ろう。アンタ方四人ぐらいならば、泊って行ける筈だ」

 

 太陽は西の空へと傾き始め、集落を赤く染め始めている。

 建築現場の人間達も、本日の計画を終えているのだろう。皆それぞれに、資材や道具の片づけを始めていた。

 トルドの提案を断る理由もない為、カミュ達はその提案に頷きを返す。

 

「私達の船の人達もいるのですが……」

 

「ああ、それなら、簡易的な宿は出来上がっている筈だから、そこに泊って貰えば良い。まだ、しっかりした物ではないから、料金も安いと思う」

 

 共に訪れた船員達の宿泊場所に対して尋ねるサラに対しても、トルドは集落の一部を指差し、宿泊施設がある事を告げた。

 店で売買をしているであろう船員達へ、カミュがその旨を告げる事にし、一行はトルドの自宅へと向かう事となる。

 

 

 

「何も無いが、とりあえずこれでも飲んでくれ」

 

 トルドの自宅は、以前にカミュ達が訪れた場所とは異なり、集落の一番奥に位置する場所に建てられていた。

 以前に訪れた店舗と同化した物は、この集落で店を構えたいと考えている者に、格安で売り渡したという事だった。移住して来る者を歓迎する為、その価格は本当に破格であり、<薬草>一つと変わらない程の価格だったという事を聞いたカミュ達は素直に驚く。

 出された飲み物に口を付けたメルエは、温かな飲み物に頬を緩め、そんな嬉しそうに微笑むメルエを見て、トルドもまた、優しく微笑み返した。

 

「まぁ、あの海賊達が、この場所に来る商船等を護衛してくれている為、ここまで人が増えた訳だ。今のところ、ポルトガ港からの護衛が主だが、エジンベア付近からの護衛も考えているという事だから、その内に世界各国の貿易は再開されるかもしれないな」

 

「もし実現できれば、本当に凄い事ですね」

 

 椅子に腰かけたトルドが、先程の話の続きを口にし、その内容の壮大さに、サラは感嘆の声を上げる。リーシャも流石に女海賊を貶す事は出来ないらしく、何処か不満そうな表情で黙り込んでいた。

 世界的な貿易が復活する事は、それ程簡単な話ではないだろう。

 実際には、日に日に魔物達の凶暴性は増している。まるで、この世界を覆う『魔王』の魔力が増して来ているかのように。

 今まで、人を滅ぼそうと直接的な行動に出て来なかった『魔王バラモス』であったが、その力は、日増しに大きくなっているのかもしれない。

 そんな海上で護衛を続けるのであれば、魔物との戦闘は避けられない物であり、戦闘を行う以上、それによる被害も必ず出て来る。護衛団の団員達は戦闘によって傷つき、最悪の場合は死に至る。死と隣り合わせの仕事である以上は給金を高く設定しなければならないだろうし、団員の補充も考えなければならないだろう。

 どれを取っても、『魔王バラモス』という存在がいる限り、護衛団の未来は暗い物になる可能性が高いのだ。

 

「それだけ、アンタを信じているという事だろう」

 

「えっ!? は、はい!」

 

 無邪気に喜ぶサラの横から、このパーティーの柱となる青年が口を開く。

 リーシャやメルエには、その言葉の真意に気付く事は出来なかっただろう。しかし、『賢者』とさえ呼ばれるサラは、その少ない言葉で、カミュの語る真意を全て理解した。

 サラが一瞬驚いたのは、その言葉がカミュから出て来るとは思っていなかったからだ。他人との繋がりを煩わしい物と考えていた『勇者』は、サラとメアリの強い想いを受け入れ、それを認めたに等しい発言をした。

 それがサラには何よりも嬉しい。

 

「それで、メルエちゃんの杖だったというこれに関してだが……」

 

 笑顔で大きく頷くサラを見ていたトルドは、その話を終了させ、手元に残る只の木の棒へ視線を移した。

 先程は、とりあえず受け取った形になってしまっていはいたが、商人である以上、それが何であるのかを把握しておきたいと思うのは、トルドの性なのかもしれない。

 <魔道士の杖>の顛末に関しては、リーシャとサラしか見ていなかった物であり、それを正確に語れる人間はサラしかいないため、詳細をトルドへと話し始めた。

 

「なるほどな……メルエちゃんは、やはり通常の『魔法使い』ではなかったのだな。こんなに幼いのに、アンタ方が頼みにする程の『魔法使い』なのだから、当然と言えば、当然か」

 

 事の顛末を聞き終えたトルドは、改めてメルエへ視線を送り、納得したように何度も頷く。トルドは、あの海賊が知っていた話を知識として持っていた。通常の『魔法使い』であれば、<魔道士の杖>の先端に嵌め込まれた宝玉が破損する事など有り得ない。トルドが見ていた限り、メルエがあの杖を乱暴に扱っていたとは思えない為、その破損が物理的な物ではないと考えたのだ。

 そして、その言葉にあるように、トルドはカミュ達の中にある想いをそのようにも理解していた。

 カミュ達の人柄をトルドなりに分析して行った結果、彼等が愛しさだけで、メルエのような幼子を旅に連れて行くとは思えなかったのだ。

 つまり、そこには、愛しく大事な幼子でも、連れて行く事の出来るだけの力を、その幼子が有しているのだと、トルドは考えていたという事になる。故に、トルドは、全てを理解し、全てを納得した。

 

「既に、メルエちゃんには新しい杖があるみたいだから、これは預かるよ……そうだ! この杖を、この場所の町章にしても良いかい?」

 

「町章ですか?」

 

 只の木の棒となった杖を受け取ったトルドは、椅子に座っているメルエの横に新たな相棒が鎮座している事を確認し、少し思案に耽った後、予想外の提案を口にする。

 それは、サラだけではなく、カミュやリーシャも予想していなかった物で、三人とも、トルドが何を言っているのかを理解出来なかった。メルエは当然首を傾げ、自分の宝であった木の棒を見つめる。

 町章という事は、この開拓地の象徴となる物。

 それを只の木の棒に焦点を当てるなど、考える事自体が無理であろう。

 

「町章にするというのは、どうなんだ? カミュ、どうなんだ?」

 

「……俺に聞くな……」

 

 国の宮廷騎士として生きて来たリーシャにとって、国を象徴する物である国章という物は、そこで働き生きる者達にとっての誇りと考えている。故に、町を象徴する証である町章という物も同じと考えていたのだ。

 その大事な象徴を、如何に世界最高の『魔法使い』であるメルエが使っていたとはいえ、今や只の木の棒になってしまった物を宛がうという事には違和感しか覚えないのも当然であろう。

 一度トルドに問いかけた後、同じ問いかけをカミュへとするその姿が、リーシャの混乱具合を如実に表していた。

 

「アンタ方は、必ず『魔王』を倒し、この世界に平和を齎すと信じている。そして、この場所は、そんな世界を救う者達が起こした町となるんだ。そんな『勇者』達と共に歩み、その力となるメルエちゃんが使っていた杖となれば、これ以上の町章はない」

 

 カミュやサラも、トルドの提案が無茶な物であると感じていたのだが、強い意志を持つ目をしたトルドの言葉を聞いて、納得せざるを得なかった。

 カミュ達の目標は、『魔王討伐』である事は、アリアハンを出た時から変わりはない。だが、彼等が『魔王バラモス』を倒す事を期待している人間ではなく、信じている人間がどれだけ居ただろう。

 暗く閉ざされかけた世界の闇を払ってくれると期待し、希望し、それを託した者達は数多くいる。そんな人々の身勝手な願いの為に、カミュという青年は『勇者』に祭り上げられたのだ。

 しかし、そんな期待や希望を掛けていた人々の中で、カミュという個人を信じた者は誰もいない。リーシャやサラでさえ、アリアハンを出た頃であれば、カミュ個人を信じてはいなかった筈だ。

 

 三年という月日が流れる程に長い旅を続け、彼等は信頼を育んで来た。

 今ならば、リーシャやサラは口を揃えて言うだろう。

 『この世界を救う勇者は、カミュしかいない』と。

 そして、同じ事を想う『人』が、この場所にも誕生していたのだ。

 

「…………つえ………すごい…………」

 

「そうだね……メルエちゃんが持っていた杖だ。凄い物でない筈がない。魔道士の杖という物は世界中に多く存在するが、メルエちゃんという魔法使いの為だけに存在した魔道士の杖は、この杖だけだよ」

 

 トルドの言葉に二の句を繋げる事が出来なくなったカミュ達の横から、誇らしげに胸を張ったメルエが口を開く。

 リーシャがメルエに伝えたその言葉は、幼い彼女の中で誇りとなっているのだ。

 自分自身という存在が許される為に必要だと考えていた魔法という神秘は、彼女の中で確固たる重みを得て、それを見守って来た武器は、長きに渡る戦友となっている。

 それをトルドにも理解してもらえた事に、メルエは歓喜し、花咲くような笑みを浮かべた。

 

「明日にでも、あの門の看板に取り付けよう」

 

「…………ん…………」

 

 柔らかくメルエの頭を撫でたトルドも、優しい笑みを浮かべ、この集落の象徴は確定された。

 この先、どのような事があっても、この町章だけは、この集落を見守っていく事だろう。例え、この場に居る者達がどのような事になっても。

 

「それで、メルエちゃん達と合流出来たという事は、オーブは全て集まったのかい?」

 

「いえ、まだ四つです。残りは黄色と銀色の物だというのですが……<シルバーオーブ>は何処にあるのか全く解りませんし、<イエローオーブ>の方は世界中の人々の手を渡っているそうで、こちらも見つけ出すのは難しそうです」

 

 話題を変えたトルドは、以前に聞いたオーブの事をカミュへと問いかけるが、それに答えたのは、メルエの隣に座っていた『賢者』であった。

 ランシールの神殿で聞いた話をするサラの表情は悲痛な物。物事を深く考えるサラだからこそ、残りのオーブの情報が絶望的な物に感じてしまったのだろう。

 残りの色を伝え、その入手方法が全く見当もつかない事を伝えると、それを聞いたトルドは、少し考えに耽って行った。

 

「サラ、何とかなるだろう? 私達の旅は、ずっとそうして来た筈だ。なぁ、カミュ?」

 

「……アンタ程に楽観的な考えをした事はないが、俺達には選択肢など無い事は確かだ。今ある情報を元に、見える道を辿って行くしか方法はない」

 

 悲観的なサラに比べ、カミュの言うように楽観的過ぎる言葉を発するリーシャ。そんな対称的な二人の姿に、トルドは笑みを浮かべる。カミュの鋭い指摘に憤慨するリーシャを見ていたメルエも笑みを溢し、先程まで沈んだ表情を見せていたサラもまた、胸の重みを払い、笑顔を作った。

 

「明日は、少しここを案内するよ。疲れているだろうから、ゆっくりと休んだら良い」

 

 それ以上の話をする必要はなかったのだろう。会話を切り上げたトルドは、何か食料を持って来ようと台所へ行くが、それはリーシャに止められた。

 まだ、陽が完全に落ち切っていない時間である。外の店も数件は開いているだろう。

 未だ未完成な集落である為、店頭の食料もそれ程充実はしていないだろうが、高望みをしなければ、カミュ達が腹を満たす事は十分に可能である。故に、リーシャはサラとメルエを伴って、買い物へと出て行った。

 

 食料を買って戻って来たリーシャであったが、トルドの家にある小さな厨房には、サラもメルエも入れさせなかった事だけは付け加えておこう。

 

 

 

 

 




読んで頂き、ありがとうございました。

描きたい事が多すぎて、少し間延びしてしまったかもしれません。
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