新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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~幕間~【北西大陸近辺海域】

 

 

 

 二日程で船は雨雲を抜け、穏やかになった波に乗り、北へと向かっていた。

 海鳥達の鳴き声や、輝く陽光の下で、同じように目を輝かせたメルエが木箱に乗って海を眺めている。穏やかに揺れる船が波を割って進む姿は、何時までもメルエにとっては楽しい事なのだろう。

 メルエの傍にはリーシャが立ち、同じように移り行く景色を眺め、その後方では、頭目と共に地図を見ながら、カミュが方角を確認している。

 だが、その場に居る筈の者がいない。

 

「…………サラ…………」

 

「ん? そうだな、少し具合が悪いのだろうな?」

 

 先程まで輝く瞳で海を見ていた筈のメルエが、思い出したかのようにリーシャへ振り返る。心配そうに眉を下げ、窺うように自分を見上げるその瞳に、リーシャは答えに詰まってしまった。

 救いを求めるように彷徨わせた視線の先には、頭目との話を終えたカミュがおり、リーシャはその青年の名を高らかに叫ぶ。名前を呼ばれたカミュは、不審な表情を浮かべながらも、リーシャとメルエの許へと近付いて行った。

 

「…………サラ…………」

 

「こんな感じでメルエが心配してしまっていてな……」

 

 近づいて来たカミュを見上げて眉を下げるメルエは、小さくサラの名を口にする。先程までの輝く瞳は海の藻屑と消え、何かを不安がるように肩を落とすメルエに、カミュは大きな溜息を吐き出した。

 リーシャにしても、それをこの青年に言う事は間違いである事を理解しているのだろう。だが、サラのここまでの道程を知っているだけに、あの生真面目な『賢者』に掛ける言葉が見つからなかったのだ。

 

「……正直に言えば、俺には、アレが何に対して抵抗を感じているのかが解らない。俺達は、旅の途中で数え切れない程の魔物達の命を奪って来た筈だ。その方法が、剣や斧であるか、攻撃呪文であるか、精神呪文であるかの違いだけにしか感じない」

 

「……確かに、私達は数多くの魔物達の命を奪って来たな……それは、カミュや私の振るう武器だけではなく、メルエや、そしてサラの放つ呪文によっても……」

 

 懇願するようなリーシャの視線を受けたカミュは、静かに口を開く。その言葉は、相手を突き放すような物ではなく、心の底から理解出来ないという事を示す物だった。

 故に、リーシャもカミュを責めるような発言をする事無く、その事実を事実として受け止め、己の行って来た事を省みる。その行為自体が、アリアハンを出立した頃とは比べ物にならない物なのだが、それでも悩む彼女自身が変化した証拠なのだろう。

 

「確かに、あの『死の呪文』の効力は凄まじい。あの時は、その威力に声を失った。だが、あれがなければ、待っていたのは俺達の『死』だ」

 

「そうだな……おそらく、サラは己の力を恐れているのだろう。この世の全ての生物へ『死』という物を否応無く与える事の出来る、その力を……」

 

「…………サラ…………」

 

 リーシャの言葉が、サラの持つ巨大な力を明確に表していた。

 カミュやリーシャという人間は、確かに世界最高峰に立つ強さを持っている。数多くの魔物を打ち倒す事の出来るその力は、多くの生物の命を奪う事の出来る力でもある。それは、メルエも同様であり、その内に宿す強大な魔法力からなる神秘によって、数多くの魔物を葬って来た。

 メルエの場合、その善悪を理解しているという事自体が怪しくはあるが、自分に敵意を持って挑んで来た者や、自分の大事な者を傷つけた者に対してしかその神秘を行使する事もなく、あのランシールでの一件からは、その力の制御さえも学んでいる。

 

「今、あの『賢者』に声を掛ける事が出来るのは、俺でもアンタでもなく、メルエだけなのかもしれないな」

 

「…………メルエ…………?」

 

 視線を動かしたカミュが見るのは、自分を見上げていた少女。

 可愛らしく小首を傾げる少女は、何故、自分の名前が出て来たのかが理解出来ずに、不思議そうにカミュを見つめる。今のサラが、何故か元気のない事を知ってはいるが、その理由をメルエは理解出来ていない。だが、彼女が最も頼みにする青年は、そんなサラを元気付ける事が出来るのは、メルエしかいないと思っているのだ。

 カミュの言葉を聞いていたリーシャは、一瞬、メルエと同様に首を傾げたが、その真意を理解し、納得したように一つ頷く。

 

「そうだな……己の力の強大さをサラから学んだメルエだからこそ、今のサラを救ってやれるのかもしれないな」

 

「…………???…………」

 

 柔らかな笑みを浮かべ、目線を合わせて来たリーシャの言葉も、メルエは理解する事が出来なかった。

 全てを理解出来ず、首を頻りに傾げるメルエの姿がとても可愛らしい。リーシャとカミュがその姿に小さく微笑み、もう一度メルエと目線を合わせて口を開く。

 吹き抜ける潮風は、徐々に冷たさを増し、海鳥の数も少なくなっていた。靡く自分の髪の毛をそのままに、メルエは自分に向けられる二人の瞳を真っ直ぐに見つめ、その言葉を聞き入れる。

 

「メルエ、サラを元気付けてやってくれ。ランシールで、メルエがサラに教えて貰った事を、今度はあの生真面目な『賢者』に教えてやってくれ」

 

「頼んだぞ、メルエ」

 

「…………ん…………」

 

 両肩に乗ったリーシャの手はとても暖かい。それは、まるで自分の『想い』をもメルエへと託しているかのように、幼い心へと沁み渡って行く。その隣で、小さな微笑みを浮かべながら言葉を掛ける青年の言葉は、この旅の中でも聞いた事のない程の優しさに満ちていた。

 大事な役割を託された事を理解したのだろう。メルエは、大きく頷きを返し、先程まで下げられていた眉をしっかりと上げる。

 木箱から飛び降り、真っ直ぐに船室へと歩むメルエの背中に迷いはない。微笑ましい物でも見るかのようにその背中を見守る二人の視線が、幼い少女の背中を強く押していた。

 

 

 

「はい?」

 

 突如として叩かれた自室の扉の音に、サラは一瞬身体を跳ねらせた。

 彼女が、<テンタクルス>と呼ばれる強靭な魔物に対して、『死の呪文』という最終手段を行使してから、既に三日近くが経過している。その間、彼女は生理的な所用以外では、この部屋を一歩も出る事がなかった。

 心配したリーシャがこの部屋を訪ねて来たのも、既に二日程前が最後になる。その後は、軽い食事等を持って来る事はあっても、扉を開けないサラに溜息を吐き出し、扉の前に食事を置くだけであった。

 自身を心配してくれているリーシャの作った料理に手を付けないという行為が、あの優しい女性戦士の心をどれ程に苦しめるかという事を理解していて尚、サラは食事を口にする気にはなれなかった。

 

「…………メルエ…………」

 

「えっ!? す、少し待っていて下さい」

 

 人の気配も感じず、足音さえも聞こえずに、突如として叩かれたドアに驚いたサラは、無意識に返事をしてしまっていたのだ。ここ二日間は、声を出す気にもなれず、リーシャの問いかけにも答える事もしていない。それ程に、彼女の心は何かに蝕まれ、崩壊の一途を辿っていた。

 そんなサラであったが、ドアの向こうでノックをした者が、予想もしていなかった人物である事で、逆に我に返ってしまう。今まで、その少女の笑顔で救われて来た事は何度もある。だが、この少女が自ら人の心へ赴く事は今まで一度もなかったのだ。

 それは、冷たいとか無関心という物ではなく、理解出来ない事に対して、自分が何も出来ない事を、この聡い少女は理解しているからに他ならない。もしかすると、誰かの不安や恐怖を拭える程、相手の心を理解出来ない自分に彼女はもどかしさを感じていたのかもしれない。それでも、このように単独で訪れる事は珍しいを通り越して、奇跡に近い行為でもあった。

 

「メルエ、どうしたのですか?」

 

「…………サラ………メルエと………おはなし……する…………」

 

 扉を開けた先には、ドアノブにも届かない背丈の少女が、サラの顔を見上げて立っている。常に持っている<雷の杖>は、今はその手にない。甲板で海を眺めている時は、戦闘を考えて、甲板の所定の場所に立てかけているのだが、その杖を持って来なかった事で、船上で戦闘が始まった訳ではない事を示していた。

 サラの問いかけに対するメルエの答えが、全てを物語っている。リーシャでも話す事が出来ない相手となってしまったサラの様子を見に来ただけではなく、それを相手に話をしに来たというメルエの瞳は、まるで戦闘を開始する時のように、真剣な色を宿していたのだ。

 

「お話ですか? でも、今は……」

 

「…………だめ………おはなし……する…………」

 

 今の自分では、メルエとまともな話が出来ないと考えていた。それは、気分の問題なのだが、正直に言えば、『メルエと話している余裕はない』と考えていた事は事実である。要は、メルエという純粋な瞳と心を持つ者と相対したくはなかったのだ。

 だが、そんなサラの我儘は、幼い少女によって斬り捨てられた。

 真っ直ぐに射抜くような瞳を向けたメルエは、首を横へ振り、頑としてサラの言葉を受け付けない。そればかりか、何も言わずに、そのままサラの部屋へと入って来てしまった。

 男性であるカミュの部屋に勝手に入ってはいけないという事をサラに教わっていたメルエであるが、ここはサラという女性の部屋であり、時々は自身も共に眠る部屋である以上、メルエに遠慮という物を感じる必要はなかったのだ。

 

「仕方ないですね……その椅子に座ってください」

 

「…………ん…………」

 

 入って来てしまったメルエを追い出すような事はサラには出来ない。いや、正確に言えば、メルエという少女が、この部屋に一人で来たという事で、サラの退路は全て断たれたと言った方が良いのかもしれない。

 勧められた椅子によじ登るようにして座ったメルエは、サラが座るのを待つように、足をぶらぶらと揺らしていた。

 温かい飲み物を入れ、それをメルエへと渡したサラは、何処か何かを恐れるようにして、メルエの対面に座る。実際に、飲み物を入れたカップを持つその手は、小刻みに震えていた。

 

「それで、お話とは……」

 

「…………メルエ………サラ……すき…………」

 

 何も話さず、『じっ』と見つめるメルエの視線に耐えきれなくなったサラは、意を決したようにメルエへと声を掛ける。しかし、その言葉は途中で遮られ、被せるような言葉によって消えて行った。

 いつものように途切れ途切れではあるが、しっかりとした強さを含むその言葉は、サラの心へと直接打ち込まれる。もしかすると、サラがメルエからその言葉を直接受け取る事は、出会ってから二年という月日の間で初めてかもしれない。

 リーシャが言われる事は聞いた事がある。自分が眠っている横で、その言葉をカミュへ伝えている事も聞いた事がある。だが、このように瞳を合わせて、真っ直ぐに伝えられた事は初めての物だった。

 その言葉は、今のサラの心に何よりも響き、溜め込んでいた『想い』が瞳を伝って溢れ出す。目の前に座る幼い少女の姿が滲んでしまう頃、真っ直ぐに見詰めていた少女の口が再び開かれる。

 

「…………サラの……まほう……つよい…………」

 

「えっ!?」

 

 ゆっくりと開かれたメルエの言葉は、感動に呆けていたサラの心に突き刺さる。深々と突き刺さった心から血が流れる事はないが、その痛みと苦しみは、瞬時の内にサラの身体を蝕んで行った。

 メルエが言っている魔法という物は、数日前にサラが行使した<ザキ>と呼ばれる『死の呪文』の事であろう。それを理解したサラは、恐怖と不安の為に、メルエから視線を外そうとするのだが、真っ直ぐに自分を見つめるその瞳から逃げる事は出来なかった。

 もし、今、このメルエから目を逸らしてしまえば、自分は二度とメルエと向き合う事が出来ないと思ったのだ。いや、それだけではなく、二度とメルエが自分と瞳を合わせてくれないとさえ感じてしまった。

 

「…………サラの……まほう……怖い……ちから…………」

 

 瞳を逸らさないサラを見ていたメルエが言葉を続ける。ゆっくりと、それでいてしっかりと紡がれる言葉は、いつもの幼い少女の物とは比べようがない程に強い物だった。

 その言葉を受けたサラの身体が小さく跳ねる。

 『怖い』という言葉が、サラの中の恐怖と不安を煽り立てたのだ。

 それでも、サラが逃げる事をこの幼い少女は許さない。射抜くような純粋な瞳は、サラの身体を硬直させ、その心を縛り付ける。サラには、この幼い少女の言葉を聞き続ける以外に選択肢は残されていなかった。

 

「…………みんな………サラ……きらい……なる…………」

 

「!!」

 

 それは、最後通告に近い物だったのかもしれない。

 サラ自身、<ザキ>という呪文を行使した際、その呪文の効力の強さと、恐ろしさを実感していた。

 実は、この呪文の契約を済ませたのは、かなり以前の事である。

 『経典』という教会が保持していた物の中に記載されていた契約方法によって、彼女がこの呪文を習得したのは、<ヤマタノオロチ>という強敵と戦い、自身の力の無さを痛感した後であった。つまり、カミュと逸れる頃には、この呪文との契約は済んでいたのだ。

 だが、『経典』に記載されている、『死の呪文』としての効力と、彼女が目にしたあのカミュの光景が、その呪文を行使する事を躊躇わせていた。何度も、その呪文を行使する場面はあった筈であり、その呪文の行使によって救われる窮地はあった筈。それでも、彼女はそれを行使する事が出来なかった。

 数多くの魔物を、自身の魔法の発現によって葬り、メルエの魔法を指示する事で葬って来た彼女が、今更、魔物を葬る事に罪悪感を覚える事自体が可笑しな事であり、実際に彼女は自身の歩む道の中で、他者の命を奪うという行為に対してその決意を飲み込んでいる。

 そのようなサラという『賢者』が恐れる物は、唯一つ。

 

『自身が持つ力の強大さ』

 

 <ザキ>という呪文は、問答無用の『死の呪文』であり、その効力が発動し、それを跳ね除ける力の無い物に確実な『死』を与える魔法である。

 そこに、強靭な身体や体力などは無力。

 どれ程に強い鋼の鎧を纏っていようと、鋼の筋肉を纏っていようと、どれ程の生命力を持っていようとも、その呪文を受け入れてしまった時点で、その命は闇に吸い込まれてしまう。それは、サラの考えでは、『人』の範疇を大きく超えてしまう程の力であった。

 『生』と『死』という物は、教会の教えでは、本来は『精霊ルビス』や神によって与えられる物であり、『死』を迎えた生物は、『精霊ルビス』の御許へ迎えられるという物であった。それを『人』の身で自由に行う我が身を、サラは恐れたのだ。

 加えて、<ザキ>などの『死の呪文』によって強制的に『死』を迎えた者の魂は、『精霊ルビス』の御許へ行く事は許されず、闇へ落ち、永遠に彷徨い続けるとさえ云われていた。

 

「メ、メルエ……」

 

 今のサラの瞳は、頼りない程に弱い。

 その心の有り様を示すように脆く、そして儚い。

 縋りつくように向けられたサラの瞳。

 それと対照的に厳しいメルエの瞳は、真っ直ぐサラを射抜く。

 

「…………だいじょうぶ……メルエ……サラ……すき…………」

 

 そんなサラの縋る瞳を真っ直ぐ見つめたメルエは、常に自分を励まし、奮い立たせて来た魔法の言葉を紡いだ。

 それは、目の前で不安に押し潰されそうになっている女性が口にする魔法の言葉。どれ程に強力な攻撃魔法よりも、どれ程に強力な回復魔法よりも、神秘に限りなく近い言葉。

 それをメルエは知っている。

 立ち止まった心を前へ踏み出させる『勇気』を与え、壊れかけた心を再び奮い立たせる『決意』の炎を灯す言葉を、メルエは姉のように慕う女性へと分け与えた。

 

「あ…あ……」

 

「…………サラの……まほう……護る……ちから…………」

 

 ここまでのメルエの言葉を聞いたサラの瞳からは、全てが流れ落ちてしまうのでないかと思う程に、涙が溢れ出していた。

 ようやく彼女は気付いたのだ。

 ここまでのメルエの言葉は、あのランシールの村で自分が、この幼い少女へ伝えた物でもある事を。

 何があろうと、メルエがどのような存在になろうと、自分はメルエが大好きだという事を伝えたあの時、サラはメルエのその力の恐ろしさ、そして尊さを語っていた。

 

『敵を殲滅する為の力ではなく、大切な物を護る為の力』

 

 それを伝える為に、サラは様々な話をメルエと交わしていた。

 メルエの強大な力は、周りの人間に恐怖を与え、怯えさせる事もある。だが、それでも、メルエの想いをサラ達は理解しているし、そんなメルエを護る。だからこそ、メルエもまた、その強大な力を無闇に使うのではなく、大事な物を護る為に使うのだという事を、彼女は細かく語り聞かせた。

 力を制御し、自身の力の恐ろしさを知り、必要な時に、必要な形で行使する。それを幼い少女は、理解し、飲み込み、自分の中で消化して見せている。

 今、サラの目の前で厳しい瞳を向ける少女は、もうあの頃の少女ではない。一つの殻を破り、自身の中に眠る強大な力を理解した少女は、本当の意味での『勇者一行』に同道する『魔法使い』へと成長していたのだ。

 

「メ、メルエ……」

 

「…………いつも……つかう……だめ…………」

 

 涙に濡れる瞳を自分へ向けたサラを見ているメルエの瞳は、厳しさの中に、とても大きく優しい光を宿している。純粋に、その者の真意を汲み取るその瞳は、サラの中で渦巻いていた不安や恐怖を少しずつ取り除いて行った。

 強大な力には、それに相当する程の大きな責任を伴う。自身を見失わず、他者を見下さず、その力を制御しなければならない。それが他者を踏み躙る程の力を有した者の義務。

 故に、それを当り前の力だと思ってはいけない。

 常にある力だとは思ってはいけない。

 

「…………サラ……考える………練習……する…………」

 

「はい……はい!」

 

 涙は止まらない。

 闇に閉ざされ、前も後ろも見えなかったサラの心の壁に、拙い言葉を懸命に繋いだ幼い少女の努力によって、小さな穴が開けられる。次々と想いが溢れ出すその小さな穴は、彼女の歩む道に一筋の光を差し込む光道となった。

 何度も頷きを返すサラを見ていたメルエの瞳が、ようやく緩んだ。

 彼女の心も頭脳も大きく成長している。だが、幼い頃に植えつけられた物は容易に取り去る事は出来ない。その為、幼い頃から自分の想いを相手へ伝えるという行為をして来なかったこの少女は、相手の言葉を理解出来ても、自分の中にある物を相手に伝える為の言葉を探す事が不得手なのだ。

 伝えようとしても伝わらないのではなく、伝えようとしても聞いて貰えないという生活を続けて来たメルエに取って、自分の想いを伝える必要は皆無となり、細かな想いを伝える方法を失った。

 そして、初めて出会った、自分へ愛情を向けてくれる者達は、自分が想いを言葉にしなくとも、自分の想いを理解してくれる者達であり、同じようにそれを言葉にする必要性がなかったのだ。

 このサラとの会話が、彼女が自分の想いを伝えようと、懸命に言葉を探し、口にした二度目の出来事。

 

「…………サラ……だいじょうぶ………メルエ……しんじる…………」

 

「……はい…はい……」

 

 メルエの最後の言葉は、もう聞こえない。

 何度も何度も頷きを返し、目の前の少女の胸に顔を埋めてしまったサラは、声を圧し殺し、泣き続けた。

 そんなサラの姿を見ても、メルエがからかう事はない。

 優しくその背に手を置き、自分がリーシャにいつもして貰っているように、その背を一定のリズムで叩き続ける。

 サラの不安と恐怖が去るように。

 自分が彼女を好きだという気持ちを注ぎ込むように。

 

 

 

「…………!!…………」

 

 どれ程の時間が流れただろう。

 泣き続けていたサラが眠りに就いてしまうのではないかと思う程の時間が流れた頃、部屋の外の喧騒に、メルエは首を動かした。

 多くの者達が甲板へ走る音が響き、船体が先程まで以上に大きく揺れる。

 船室に付けられた窓の外は、夕陽によって赤く染まってはいるが、雨が降っているようには見えない。その事が示すのは、一つしかないだろう。

 

「魔物だぁ!」

 

 船室で休んでいる船員達に向けられた声が、廊下に響き渡る。

 甲板の上に魔物が出現したのだろう。サラの部屋の近くにある船員達の部屋から、外へ飛び出して行く音が聞こえて来た。

 魔法という神秘を体現する者達は、今はカミュ一人しかいない。故に、数多くの魔物達が甲板へ上がって来てしまえば、船員達も武器を取って戦う必要が出て来るのだろう。

 

「…………!!…………」

 

 その音がメルエの耳にも明確に聞こえた時、メルエの胸に顔を埋めていた『賢者』の顔が上がった。

 ここ数日のサラの状況を知っているメルエは、若干の不安を残してサラへ視線を送るが、その表情とその瞳を見て、花咲くような笑みを浮かべる。

 顔を上げた『賢者』の顔は、メルエが大好きな姉の顔。

 いつでも自分を勇気付け、自分を奮い立たせてくれる姉の顔。

 

「さあ、メルエ、行きましょう。私達の大切な人達を護る為に」

 

「…………ん…………」

 

 涙の筋の残る頬を緩め、優しい笑みを向ける大好きな姉に、メルエもまた満面の笑みを持って頷きを返した。

 立ち上がったサラは、立て掛けられた<鉄の槍>を背中に結び、もう片方の手で幼い妹の手を握る。そして、不安と恐怖という殻を破る扉をその手で押し開けた。

 

 

 

 『魔王討伐』という大望へ向かう者には、その魔王に対抗するだけの力が要求される。その力は、『人』が抗う事の出来ない者へ対抗する程の物である為、『人』に恐れを抱かせる程の力でもあった。

 『賢者』という職業は、そんな弱い『人』と『精霊ルビス』の懸け橋となる者と云われている。その力は強大であろうとも、『人』の為に振われる力であると。

 だが、当代の『賢者』は悩み、苦しむ。

 それは、『人』の為だけの力なのかと。

 彼女の悩みは、時間が解決してくれるような物ではないだろう。彼女がその足を前へと進めれば進める程、その悩みは具現化され、大きくなって行く。

 だが、それでも彼女は歩みを止める事はないのかもしれない。

 彼女の心を知り、想いを知り、彼女を見守る者がいるのだから。

 

 

 

 

 




読んで頂き、ありがとうございました。

今回は少し短めの物語を付け足しました。
この回も実際、本来であれば必要ないのかもしれません。
ですが、どうしても差し込みたかったんです。

ご意見、ご感想を心よりお待ちしております。

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