新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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サマンオサ大陸②

 

 

 

 サマンオサ国王を名乗る男性の居た部屋を出た一行は、この地下牢にあるという抜け道を探す為、周辺を探り始める。

 だが、それぞれに壁や地面を確認して行くのだが、それらしい部分は見つからなかった。

 作業をするのが楽しいのか、サラと一緒に壁を手で押すメルエの姿は、焦り始めていた一行の心を静めて行く。

 ある程度、周辺を探り終えた時、リーシャが前の壁を触っているカミュへ口を開いた。

 

「カミュ、残るは牢の中だけだぞ?」

 

 リーシャの言葉に頷きを返したカミュは、メルエから<最後のカギ>を受け取り、牢屋の扉を開け放った。

 上の階のように狭い牢屋ではなく、広々としたその牢屋の壁には、打ち付けられた鎖があり、囚人の手足を繋ぐ為の物である事は一目で理解出来る。周辺に血痕のような染みが残っており、その血痕が新しい物ではない事が、古い物までも残る程の壮絶な行為が有った事を明確に示していた。

 眉目を顰めたリーシャとサラであったが、そのような光景を見ていなかったように壁を探るカミュが微かな声を上げた事で、意識を戻す事となる。

 

「どうした?」

 

「この部分は向こう側に通じているのかもしれない」

 

 壁に手を当て、軽く叩いていたカミュは、返って来る音の違いに気が付き、その部分の向こう側が空洞であると考えたのだ。

 リーシャが一つ頷く事によって、サラはメルエの手を引き、後方へと下がる。背中の剣に手を掛けようとしたカミュも、それをリーシャによって制された事で、後方へと下がって行った。

 皆が下がったのを確認したリーシャは、背中の<バトルアックス>を抜き、カミュが指示した壁に向かって身構える。そして、そのまま力の限り、斧を振り下ろした。

 

 振り降ろされた斧が土壁に当たると同時に、轟音を立てて壁が崩れ始める。

 土が塗られていた格子状の木舞が破壊され、それによって乾いた土が激しい音を立てながら床へと落ちて行く。

 周囲の壁と同じように見えるように製作されていたのだろう。それ程の厚さもない壁は、リーシャの一撃によって完全に破壊され、牢屋から続く細い通路が姿を現した。

 

「……行くぞ……」

 

 破壊された壁に驚いているサラや、リーシャの剛腕に感動し、目を輝かせているメルエを余所に、牢屋の中にあった燭台から火を移したカミュは、先頭に立って、細い通路の中へと入って行く。その後を追うように、三人はそれぞれ歩き始めた。

 通路は真っ直ぐに伸びていたが、周囲は暗闇に支配されている。誰も口を開く者はおらず、奇妙な静寂だけがその場に広がっていた。

 

 通路の先には急な上り坂になっており、坂を上って行くと、天井のように覆われた鉄の板に突き当たる。先頭を歩いていたカミュが、その鉄の板を動かそうと力を込めると、引き摺るような音と共に大量の砂が落ちて来た。

 落ちて来る砂が掛かり、不満そうに頬を膨らませるメルエの頭を撫でていたリーシャは、それが外へ出る予兆である事に気付いており、差し込んで来る光が、それを証明している。

 差し込んで来る光は、太陽の光のように眩しい光ではなく、静かに降り注ぐ月の光。

 目が眩むような目映い物ではなく、何処か安心するようなその光に、リーシャは先程まで波立っていた心が静まって行くのを感じていた。

 

「こ、こんな……ば、場所に出るのですね」

 

「…………あわ……あわ…………」

 

 到達したのは、メルエの中で楽しい記憶として残っている物を引き摺り出す場所であり、サラの中に忌まわしき記憶が眠る場所でもあった。

 月明かりが照らす闇の中に立ち並ぶ多くの十字架。

 不気味に輝く十字架の下では、供えられた花等を啄む鳥が鳴き声を上げている。

 その全てが禍々しく、サラの恐怖心を煽って行く。

 最後に出て来たリーシャの拳骨を受けて涙目になるメルエの姿に苦笑しながらも、サラは一刻も早くこの場所を抜けたいと考えていた。

 

「このまま行くのだろう?」

 

「ああ」

 

 夜も更け、周囲に人影の無くなった城下町ではある。通常であれば、宿屋で一泊をし、翌朝出発するのだが、現状を考えれば、そのような事は許されないのだ。

 故に、リーシャの言葉は、問いかけではなく、只の確認。

 その証拠に、頷きを返したカミュを見た彼女は、満足そうに頷き、まだ頭を押さえているメルエに手を伸ばした。

 

 夜の城下町は人影がなかった。

 人影が無いというのではなく、人が全くいないのだ。

 人の気配さえも感じない程に静まり返った町は、死の闇に覆われた廃墟のような不気味さを漂わせている。

 その町の姿は、とても一国の城下町とは思えない。四人の誰もが、この町の姿に、メルエの生まれ故郷の姿を重ねていた。

 

 

 

 城下町の門兵を起こし、城下を出た一行は、月明かりと<たいまつ>の炎を頼りに夜道を歩き始める。地図を持つカミュを先頭に、南へ進路を取った彼等は、目の前に見える山の入口を目指した。

 人通りなど皆無に等しい山は、獣道のような細い道しかなく、一固まりになって歩く彼等の傍で、フクロウの鳴き声が響く。カミュとリーシャによって挟まれるように歩いていたサラは、メルエと繋いでいる手に力を込めた。

 『むぅ』と頬を膨らませ、眉を顰めたメルエであったが、痛い程の力ではなかった為、再びフクロウ達の声に耳を澄まし、小さな微笑みを浮かべた。

 

「キィィィ」

 

 そんな静かな山道に、絹を裂くような悲鳴が轟いた。

 正確に言えば、悲鳴ではなく、何かの雄叫びのような甲高い音。

 フクロウ達の静かな音色に頬を緩めていたメルエは、突如響いた奇声に顔を顰め、不愉快そうに唸り声を上げる。

 奇声の理由は唯一つしかなく、一行は各々の武器に手をかけ、周囲を警戒するように視線を巡らせた。

 

「メルエ、これを着けていましょうね」

 

「…………むぅ…………」

 

 山の木々の隙間から出て来た者の姿を見たサラは、万が一を考え、メルエの口と鼻を覆うように布を巻き付けて行く。嫌がるように首を振るメルエに何とか布を巻きつけたサラは、腰の鞘から長剣を抜き放った。

 まだ、鍛錬もしていない剣ではあったが、何故かそれはサラの手に吸いつく様に馴染み、まるで古くからの戦友のように鋭い輝きを放つ。

 戦闘の準備は整った。

 ゆっくりと木々の影から現れる、三体の魔物に向かって全員が己の武器を抜き放つ。

 

「キキィィィ」

 

「カミュ、一気に勝負を決めないと、また面倒くさい事になるぞ」

 

 出て来た魔物は、片手に持っていた物を突き上げるようにして奇声を上げている。それは、木で出来た棒のような形状をしているが、その先には小動物の頭蓋骨のような物が取り付けられている。

 邪教の祀りに使用されるようなその棒を高々と掲げた魔物は、面長の大きな仮面をつけ、首には獣の皮を巻き、腰には木々の葉を巻き付けていた。

 全てが異形ではあるが、似たような姿をした魔族と一度遭遇した事がある。それは、ランシールへ一度目の訪問の為に歩いていた時だった。

 

<ゾンビマスター>

サマンオサ地方に古くから存在する邪教の信徒の成れの果てと云われている。神や『精霊ルビス』ではなく、魔族や魔物を崇める宗教であり、サマンオサ国家から邪教としての烙印を押され、追放された者達が、その身と魂を魔王へと捧げ、膨大な力を手にしたと伝えられていた。元々、魔族や魔物に生贄を奉げる教えであり、命を落とした『人』の死骸を操る外道。その在り方から、このサマンオサ地方では、彼等を<ゾンビマスター>と呼んでいた。

 

「一体ずつ、確実に倒して行く」

 

「わかった。サラ、メルエを頼んだぞ」

 

 カミュの提案に頷きを返したリーシャは、一体に向けて<バトルアックス>を構え、彼よりも先に前へと出る。

 素早く間合いを詰められ、戸惑いを見せた<ゾンビマスター>であったが、寸前のところで一撃を避け、胸に浅い傷を残しながらも、体勢を立て直した。

 <ゾンビマスター>が体勢を立て直した場所には、既にカミュが陣取っており、待っていたかのように<草薙剣>を薙ぐ。その剣に合わせるように繰り出された杖は、付加効力を持つ剣を受けて尚、折れる事はなく、カミュの一撃も致命傷を負わせる程の物ではなく終わった。

 

「なかなかやるな……」

 

 二人の攻撃を受けて尚、胸に浅い傷を負っただけの魔物に向かって呟いたリーシャは、その他の二体にも注意を向ける。しかし、他の二体は様子を見るように戦闘を眺めていた。

 それを確認した二人は、互いに頷き合い、もう一度<ゾンビマスター>へ向かって武器を構える。

 相手の力量は把握した。

 本気の殺し合いの幕開けである。

 

 

 

「メルエ、あの一体は、お二人に任せましょう」

 

「M@H0T#」

 

 カミュとリーシャが一体との戦闘を再開した頃、後方支援組は別の戦いを開始していた。

 心配そうにカミュ達を見つめるメルエに声をかけ、<ゾンビマスター>と彼女の間に身体を滑り込ませようとしたサラは、突如聞こえた奇声に身構える。木々の隙間から出て来た時とは異なる奇声が、魔族特有の詠唱であると考えたのだ。

 メルエを護るように手を伸ばしたサラであったが、それよりも先に、メルエの身体が僅かに揺らいだ。そして、まるで彼女の体内から吸い出されるように、何かが飛び出て行く。

 

「…………むぅ…………」

 

「メ、メルエ、大丈夫ですか?」

 

 自分に身体を預けるようにするメルエを見て、サラはその身を案じた。

 だが、不満そうに頬を膨らませたメルエは、先程奇声を上げた<ゾンビマスター>を睨みつけるように視線を動かし、右手に持っている<雷の杖>を掲げる。サラの腕から身体を起こした彼女は、そのまま特殊な文言を呟いた。

 

「…………マホトラ…………」

 

「キィェッ」

 

 杖を<ゾンビマスター>へ向け、詠唱を行った途端、今度はその魔物が態勢を崩す。生気を吸い取られたように膝を落した<ゾンビマスター>を見て、サラは現状を正確に理解する事となる。

 それは、『悟りの書』に記載されている呪文の一つで、かなり特殊な部類に入る呪文であった。

 敵を殺める攻撃魔法でもなく、戦闘を有利にする補助魔法でもなく、味方を護る回復魔法でもない。

 

<マホトラ>

術者の魔法力を使う事無く、他者の魔法力を奪い去る魔法。体内に宿る魔法力を強制的に吸い取り、自身の魔法力として変換する事を目的とした呪文である。本来、他者の魔法力を自分の中へ埋め込む事は出来ないが、その詠唱によって、自身の魔法力と同じ形へ変換する事によって、魔法力の補充という形で成り立つ物であった。故に、特殊であり、特異なのだ。

 

「…………だめ………メルエの…………」

 

「マホ…トラだったのですか……」

 

 可愛らしく頬を膨らませたメルエは、そのままもう一度杖を掲げる。魔法力を取り戻した彼女は、反撃と云わんばかりの呟きを乗せ、その神秘を解き放った。

 溢れ出る魔法力は、彼女の呟きによって完成され、<雷の杖>という媒体を通って神秘となる。

 

「…………メラミ…………」

 

 木々が生い茂る山の中という事を考慮に入れたのだろう。メルエは圧縮した火球をその杖から放った。

 火球は、真っ直ぐ<ゾンビマスター>へ向かって飛んで行き、魔法力を吸い取られた事で体勢を崩していた魔物を打ち抜いて行く。火球は触る物を溶解させる程の熱量を誇り、胴体部分に受けた魔物は、胸から腹部にかけてを失った。

 声を上げる暇もなく、腹部を抉り取られた<ゾンビマスター>は、呼吸すらも出来ぬ状態で地面へと倒れ伏す。

 

「あっ!?」

 

「キエェェェェ」

 

 圧倒的なメルエの攻撃に息を飲んでいたサラは、残る一体の行動を視界の端に捉え、驚きの声を上げる。

 手に持っていた木の棒を高々と掲げた<ゾンビマスター>は、先程とは全く異なる雄叫びを上げたのだ。

 それが何を意味するのかが解らない程、彼等の旅は未熟な物ではない。ランシールで遭遇した<シャーマン>にも似たような行動があり、その結果として、何が出て来るのかは明白であった。

 

「キシャァァァ」

 

「ちっ……遅かったか」

 

 サラがその行動に気付き、メルエの口元を覆っている布をしっかりと巻き直している間に、<ゾンビマスター>の身体は、真っ二つに斬り裂かれた。

 一体を倒し終えたカミュが、<ゾンビマスター>の後方へ回り、その剣で薙ぎ払ったのだ。体液を溢し、胴体部分と離れた下半身は、力なく地面へと崩れ落ちる。しかし、それは、剣に付着した体液を払った青年が呟いた言葉通り、一拍遅い物であった。

 

「…………むぅ…………」

 

「うっ……お、おえっ……」

 

 口元を布で覆っているメルエでさえ、その臭いに唸り声を上げ、賢者の後方へと隠れてしまうのだ。前面に出されたサラにとっては、堪った物ではないだろう。

 周囲を覆い尽くすような腐敗臭が広がり、息すらも吸えない程の圧迫感が場を支配する。

改めてこの悪臭を嗅いでしまうと、サマンオサの地下牢を支配していた汗や垢の臭いが可愛らしく思えて来るから不思議である。

 <ゾンビマスター>の死骸の近くではなく、サラとメルエの至近距離の地面から湧き出た腐乱死体は、ゆっくりとした動きで、サラとの距離を縮めて行った。

 

「メ、メルエ……おえっ……下がってください」

 

 目も開ける事が難しい程の腐敗臭に、カミュやリーシャでさえも近づけない。一体だけの<腐った死体>であるのだが、その瘴気は、歴戦の勇士達をも退ける程の物であったのだ。

 手を伸ばす腐乱死体の姿を見たサラは、自分にしがみ付くメルエを後方へと下げる為に引き剝がし、持っていた剣を正眼に構える。引き剝がされたメルエは、哀しそうに眉を下げながらも、大人しく後方へと下がって行った。

 

「はぁぁぁ!」

 

 近づいて来た<腐った死体>に向かって、サラは息を吐き出すと同時に<ゾンビキラー>を振るった。その切っ先は、伸ばされた腐乱死体の腕を斬り裂き、腐り切った腕は、地面へと落ちて行く。

 しかし、その光景を見た一行は、驚きで声を失ってしまった。

 地面へと落ちた<腐った死体>の腕は、まるで聖なる炎に包まれるかのように燃え上がり、跡形もなく消え去ってしまったのだ。しかも、サラの持つ<ゾンビキラー>に付着した肉片もまた、青白い炎に包まれて燃え尽きて行く。

 

「これが……聖なる剣の力……」

 

 我が目を疑う程の光景に、呆然としていたサラであったが、苦悶の叫びのような唸り声を上げながら暴れる<腐った死体>を見て、我へと返って行った。

 腕を斬り落とされた腐乱死体は、その部分から燃え上がる青白い炎を消そうと腕を振るい、それでも徐々に上がって来る炎に恐れをなし、徐々に後退して行く。それを見逃す事は、リーシャという戦士の扱きを受けて来たサラには出来ない相談であった。

 

「やあ!」

 

 <腐った死体>を追うように、一歩踏み出したサラは、<ゾンビキラー>を振り下ろす。腐乱死体の肩口から入った剣は、その身体を袈裟斬りに斬り裂いた。

 血液も体液も出ない傷口から燃え上がった聖なる炎は、青白い線が走るように腐乱死体を包み込み、その全てを燃やし尽くして行く。これこそが、<聖水>と呼ばれる物に漬けて尚、朽ち果てる事のなかった剣の実力であった。

 聖なる水は、神と『精霊ルビス』の祝福と加護を内包し、様々な効力を持つ。

 力の弱い魔物を寄せ付けない程の聖気を持っているし、身体の内部を病んだ者の病も鎮めるとも云われている。だが、最も強い効力は、神や『精霊ルビス』の祝福を受けていない者、つまりはこの世に生を持っていない者にこそ発揮されるのだ。

 

「……眉唾物ではなかったのだな……」

 

 青白い炎に巻かれ、その身を消滅させて行く<腐った死体>を呆然と見ていたリーシャは、サラが持っている剣の効力に驚いていた。

 全く効力が無いと思っていた訳ではないが、話半分程度に考えていたのだろう。その絶大な効力は、そんな彼女の言葉を失わせる程の威力を持っていたのだ。

 それは、その隣で剣を鞘に納めたカミュも同様である。彼もまた、聖なる炎に巻かれる腐乱死体を、何処か異世界の物でも見るような瞳で見つめていた。

 

「…………サラ………すごい…………」

 

「ふぇっ!? あ、は、はい……私も驚いています」

 

 全てが灰と化し、煙となって天へと還って行った後、先程まで後方に控えていたメルエが、剣の切っ先を呆然と眺めているサラに抱き付いて来る。

 輝く瞳を向ける彼女に、サラはようやく笑顔を取り戻した。

 自身が手にした武器の強大さに驚いていたが、その力を恐れる事はない。力の使い方を考え、学び、そして実行に移す彼女達にとって、強大な力は、敵ではなく味方なのだ。

 

「サラ、良くやった」

 

 近寄って来たリーシャに肩を叩かれたサラは、その手に持っていた<ゾンビキラー>に再度視線を落とし、そのまま鞘の中へと納めて行く。

 リーシャに向けて上げられた彼女の顔には笑みが浮かび、その笑みを見たメルエは少し不満そうに頬を膨らませた。

 <腐った死体>を倒したのはサラではあるが、その前に一体の<ゾンビマスター>を倒したのは自分であると言いたいのだろう。それに気づいたリーシャは、幼い主張を告げる少女の頭も優しく撫でてやった。

 

 月明かりはまだ山を照らしている。

 一行の歩みは、幼い少女が目を擦り始めるまで続いた。

 

 

 

 一行の歩む速度は、これまで以上の物であった。

 通常の人間で四日程掛かる山道を越えるとなれば、投獄されている者達の命も危うい。ましてや、目的地の洞窟がどれ程の広さを持つ物なのかも解らないのだから、出来るだけ山を越える時間は短い方が良いのだ。

 日に休憩は一度か二度。

 それ以外は常に歩き続ける事で、一行は日数を削って行く。時には、陽が落ちた山道も<たいまつ>を頼りに歩き続けた。

 幼い為の眠りを必要とするメルエを背負い、後方を歩いたのはリーシャ。メルエのような幼子であれば、アリアハン屈指の戦士の歩く速度が変化する事はない。山を二日で抜け、三日目には目的の洞窟近くまで出て来た。

 

「カミュ様、地図ではこの辺りなのですか?」

 

「地図上では、この辺りに橋がある筈だ」

 

「橋? 私達は洞窟へ向かっているのではないのか?」

 

 山道を抜け、平原に出たリーシャとサラは、先頭で地図を片手に周囲を確認する青年へと視線を移す。迷う事無く、山を二日で超えられたのは、この青年の能力の賜物であろう。

 常に正確な道順を導き出すその能力は、『勇者』ならではの物なのか、目に見えぬ力の導きなのかは解らない。だが、彼がこの近くに洞窟があると言えば、そこに洞窟がある事に疑う余地はないのだ。

 故に、彼から返って来た答えが、洞窟というの名ではなく、橋という物であった事にリーシャは驚きを表した。

 

「地図によれば、山から下りて来る小川に囲まれた場所にあるらしい」

 

「ならば、少し東の方なのかもしれませんね」

 

 カミュの見解を聞いたサラは、少し上空を見上げた後、方角を示し出す。

 このサマンオサ大陸は、巨大な山脈に囲まれており、『旅の扉』以外での入国が不可能な場所。だが、山から湧き出る水は、細い小川となり、海へと流出しているのだ。

 船などが渡れる幅や深さを持つ物ではない。だが、海へ流れている以上、西側に聳える山脈の方ではなく、森のある東側なのではないかと考えるのが妥当な物でもあった。

 

「サマンオサ城を出てから、今日で三日目だ。何とか今日中に洞窟を見つけ、中に入りたいな」

 

「そうですね、急ぎましょう」

 

 太陽は昇ったとはいえ、まだ東の空を赤く染めたばかり。

 ここから半日掛けても、日暮れまでには間に合う。洞窟内で二日掛けたとしても、<ルーラ>という移動呪文があれば、サマンオサの状況にも間に合う可能性がある。それは、最優先事項でもあったのだ。

 平原を東に向かって歩く一行は、各々が別方向に視線を送りながら、目的地を探す為に首を巡らす。幼いメルエも一生懸命に首を動かし、低い視点から目的地を探していた。

 メルエの姿に苦笑を浮かべたリーシャは、その身体を担ぎ上げ、肩車のような状況で少女を乗せる。急に高くなった視点に目を輝かせたメルエは、『メルエ、頼むぞ』というリーシャの言葉に、大きく頷きを返した後、再び視線を動かし始めた。

 

 

 

 暫しの間、一行はゆっくりと歩を進めながら周囲を見渡し続ける。

 既に太陽は真上へ差し掛かり、一行に残された時間も少なくなっていた。

 

「…………かわ……あった…………」

 

「えっ!? 本当ですね! カミュ様、向こうの方に小川が見えます」

 

 そして、そんな状況の中、目的地を発見したのは、最も視点の高いメルエであった。

 少し右よりの前方へ指を向けたメルエは、目的地の周辺にある小川を発見し、それを呟く。その声は、周囲へ視線を巡らせていたサラの耳に届き、全員へと通達されて行った。

 先程よりも速度を速めた一行は、風によって運ばれて来る湿気に向かって歩き、その場所へと辿り着く。

 

「こ、これは……」

 

「酷いな……」

 

 だが、一行が見た景色は、想像を絶する程の衝撃的な物であった。

 流れる小川は、人の腰までもない程の深さではあるが、その流れはとても速い。まるで、その場の何かを洗い流すように流れる小川は、大きな音を立てながら下流へと流れていた。

 そして、その急流は、小さな大地を取り囲むように流れており、その大地へと掛けられた橋へと上がった一行は、その場の光景に絶句してしまう。

 

「こ、これは、魔物達の死骸ですか?」

 

「いや、人間の物も交じっているな」

 

 橋の上から見た小さな大地は、腐り切った死骸が転がり、その臭気と瘴気に満ちていた。

 まるで腐った海のように流れる瘴気の波は、その大地を丸ごと包み込み、入ろうとする者を拒むように広がっている。その先が見えない程の濃い霧は、全てその瘴気で出来ているのではないかと思う程の不快感を感じ、それより先へは足が動かない程でもあった。

 呆然と立ち尽くす一行ではあったが、この橋の上で時間を潰していても仕方がない事は確かであり、それを最も理解している『賢者』が、逸早く心を立て直す事に成功する。

 

「メルエ、あの呪文は使えますか?」

 

「…………??………ん…………」

 

 リーシャの肩から降ろされたメルエは、振り返ったサラが口にした言葉に思い当たる物が無かったのか、暫しの間首を捻っていたが、自分を真っ直ぐ見る瞳に何かを気付き、大きく首を縦に振った。

 満足そうに頷いたサラは、メルエの傍に他の二人を寄せ、一固まりになるように指示を出す。

 <ルーラ>や<リレミト>を行使する時のような陣形を組んだ事に首を傾げていたリーシャであったが、<雷の杖>を高々と掲げるメルエの姿を見て、その肩に手を置いた。

 

「…………トラマナ…………」

 

 呟きを詠唱へと変えた幼い少女に反応するように、<雷の杖>のオブジェの瞳が光り出す。オブジェから吐き出された何かは、その大地を覆う瘴気と拮抗するように広がり、一行を包み込んで行った。

 それを確認したサラは、そのまま橋を渡り、瘴気に包まれた大地へと足を下ろす。慌てて追いかけたカミュとリーシャもまた、メルエと共に大地へと足を着けた。

 

「サラ……この呪文は何だ?」

 

「トラマナという『悟りの書』に記載されている呪文で、瘴気に包まれた場所や、毒に侵された場所などを歩く為の呪文のようです」

 

<トラマナ>

この世界には、生物が生息していない場所が数多くある。龍種が生きる場所や、その他の魔物が生きる場所。そして、生物が生きてはいけない場所などだ。そのような場所は、人間のような潜在能力の弱い生物が立ち入る事の出来ない理由が存在する。その理由は、毒の霧で満たされた場所であったり、濃い瘴気に覆われた場所であったりと様々であった。そんな場所でも、何かの理由で入る必要のあった『古の賢者』が考案し、編み出した呪文が、この呪文である。

 

 大地に下り立つと、不快な空気を一切感じない。まるで、メルエの魔法力によって、周囲の空気が濾過されているように澄んでいた。

 メルエを中心として広がる空間は、周囲を覆う濃い霧はなく、視界も開けている。足下には不快な死骸が散乱している事に変わりはないが、その臭気すらも消え失せてしまっているように感じた。

 一行は、そのまま小さな大地の中央へと進む。

 何故なら、この小さな大地の中央に、盛り上がった山が見えていたからだ。

 先程まで、濃い瘴気の霧によって、一寸先も見えなかった視界は、人類最高の『魔法使い』の唱えた呪文の効力によって晴れて来ている。

 そして、一行は、その盛り上がった山の麓で大きく口を開ける入口へと辿り着いた。

 

「おい! この場所に何の用だ!?」

 

 しかし、洞窟の入口にカミュが手を掛けた時、後方から予期せぬ声が掛かる事となる。濃い瘴気の影響で、視界と共に気配も感じ辛くなっていた為、一行はその者達が近付く事を許してしまっていたのだ。

 そして、間が悪い事に、洞窟の入口に手を掛けていたカミュと共に、リーシャも前へと出ていた時。つまり、後方支援組であるサラとメルエが、声の持ち主達に対して前面に出てしまう形となっていたのだった。

 

「答えろ! ここへ何をしに来た!」

 

 勢い良く振り向いたサラの喉元に突き付けられたのは、リーシャの持っているような、戦闘用に改造された斧。サラの喉の薄皮一枚を綺麗に切り裂き、細く赤い筋を作って行く。奇しくも、その筋が、彼等のこの行動が脅しではない事を明確に示していたのだった。

 それを感じたサラは、動けない状況にも拘わらず、瞬時にメルエの手を引き、自分の後方へと移動させる。その際に、斧の切っ先で多少の傷は広がりはしたが、致命傷になる程の深さではなかった。

 

「貴方達は……」

 

「勘違いするな。問いかけているのは、俺達だ」

 

 喉元に斧を突き付けられて尚、動き、声を発しようとするサラの行動に、斧を向けていた男が低い声を絞り出す。それは、明確な殺意を含んだ物であり、答えようによっては、瞬時に斧を横へ振り抜く事を示唆していた。

 そして、何よりも、斧を持つ男の後方に居る数人の者達からも、その殺意は伝わっており、その者達が、そのような行為を何度も行って来た事を意味している。

 サラが人質に取られている以上、一行に選択の余地はない。

 ゆっくりと歩き出したカミュが、その者達の前へと出て行った。

 

「やるつもりか?」

 

 瞬時に身構えた者達は、各々の武器を抜き放つ。

 未だ射程距離に入ってはいないカミュを警戒しながらも、何時でもサラを殺せるように、斧を持つ手に力を込めた男は、顔を覆面のような物で覆っていた。

 後方で武器を抜き放った者達も同様で、まるで素顔を隠すかのように被られた覆面に開けられた穴からは、鋭い瞳が光を宿している。

 彼らこそ、この十数年ほどでサマンオサ地方に名を轟かせた者達であり、サマンオサ地方で知らぬ者はいないとさえ云われている者達である。

 

<デスストーカー>

『忍び寄る死』と名付けられたその者達は、サマンオサ地方でも恐怖の対象となっていた。国内の恐怖に慄いていた国民は、サマンオサ城下町近くで、魔物の死骸の上に立つその者達を見て、更なる恐怖へと落とされたのだ。その姿を見た頃に城下町付近で起こっていた、作物が荒らされ、家畜などが消えて行くという出来事も相まって、次は自分達の番ではないかと恐れる人々の間で噂になっていた。巨大な斧を持ち、覆面によって隠された口は耳まで裂け、その瞳は血に飢えるように赤く染まっているなどと、噂は噂を呼び、その者達を見た城下町の南方へは、ここ十数年近付く者さえも皆無となっている。

 

 

 

 ここ十数年で広まった、サマンオサ地方の怪異が、今、世界を救う為に歩む一行と対峙する。

 それは、新たな時代の幕開けとなる出会いであったのかもしれない。

 

 

 

 




読んで頂き、ありがとうございます。

少し短くなってしまいましたが、サマンオサ編の佳境への入口です。
ここからが本番になると思います。

ご意見、ご感想を心よりお待ちしております。

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