斧の切っ先はサラの喉元から動きはしない。
緊迫した時間が流れる中、サラの後ろに隠れていた少女が、瞳を鋭く細め始めた。
それは、大好きな者を傷つける人間へ向ける怒り。それを象徴するように、一行を取り巻いていた魔法力に揺らぎが生じ始めた。
「メルエ、駄目ですよ。怒っては駄目です」
「…………むぅ…………」
その変化に真っ先に気が付いたのは、喉の部分から赤い血液を流しているサラ。
上手く声の出せない状況で尚、彼女は幼い少女を戒める。その力は相手を滅する物ではないと。
だが、大事な者を護る力を持つと考える少女は、その大事な者が傷付く事は許せなかったのだ。不満そうに頬を膨らませたメルエは、サラの腰に手を回し、斧を持つ男性を睨みつけた。
「このままでは話も出来ません。一度、斧を下して頂けませんか? 正直に言えば、追い詰められているのは、私ではなく、貴方達なのですから」
「なに?」
状況を把握した時、この『賢者』は誰よりも冷静な瞳を持つ者へと変わる。
現状で、自身の命が危機に迫っている状況に見えていても、その危機を容易く打破できる事を理解しているのだ。
彼女には、神秘を発現する事の出来る力がある。
彼女の後ろには、彼女以上の神秘を我が意に出来る者がいる。
世界を救う事の出来る程の力と剣技を有する者達がいる。
何一つ、サラが恐れる理由が存在しないのだ。
「斧を引け……それ以上、その者を傷つけるつもりならば、自身の腕と今生の別れを済ませておけ」
そして、サラの考えが正しい事の証明に、彼女の後ろには、最も頼りにする女性戦士が構えを見せていた。
彼等四人は、勇者一行である。
アリアハンを出た頃のような、何処にでも溢れている力自慢の者達ではない。
様々な出来事を乗り越え、様々な物事を目にし、彼等はこの場に立っている。
既に人外の力を有している者達が、ある地方で恐れられている程度の者に後れを取る事はない。それが、『人』であれば、尚更である。
斧を向けている者達の素顔は解らないが、話す言語は間違いなく人語であり、その流暢さから見る限り、彼等が魔物や魔族の類ではないと予想出来た。
人語を流暢に話す<スライム>に彼等は出会ってはいるが、武器を突き付けて脅すような真似をする魔族などには遭遇した事はなかったのだ。
「サマンオサ国王様の命により、<ラーの鏡>を取りに参りました」
「ならば、やはり魔物の類か!?」
リーシャとサラの気迫に押されて生じた僅かな隙で、一歩前に出たカミュは、サラの喉元に突き付けられていた斧の柄を掴み、この場所を訪れた目的を口にする。
しかし、その一言は、少し気を緩めていた覆面集団の何かに火を点けてしまった。
一気に臨戦態勢となってしまった空気に、溜息を吐き出したカミュは、背中から剣を抜き放つ。それが一行にとっての戦闘開始の合図となった。
リーシャは<バトルアックス>を手に取り、メルエは杖を高々と掲げる。
「メルエ、今回は後方で見ていて下さい。呪文を唱えては駄目ですよ。カミュ様とリーシャさんも、命を奪ってはいけません」
「…………むぅ…………」
先程から、自分の行動を抑制するばかりのサラの言葉に、メルエは不満そうに口を尖らせる。別段、呪文を唱えて、敵を殲滅する事に喜びを感じている訳ではないだろう。単純に、自分ばかりを抑えるサラの言葉が気に喰わないだけなのだ。
それを理解したサラは、メルエに小さくその理由を語る。
その内容を聞いたメルエは、全てを理解したように、一つ頷きを返した。
「相手は四人か……カミュ、腕を斬り捨てるのも駄目だからな!」
「わかっている……」
周囲を囲むように身構えた<デスストーカー>を見渡したリーシャは、その数を数え、未だにその一人の斧の柄から手を離さないカミュに注意を促す。
鬱陶しそうに返答したカミュは、引き戻そうと力を込めている<デスストーカー>の斧に装飾されている物に目を向け、その瞳を軽く細めた。
戦闘は既に始まっている。だが、彼等が恐れる程の力を<デスストーカー>が有している訳ではない。世に生きる大半の人間から見れば、その力は恐れる程の物かもしれない。
だが、所詮は『人』である。
どれ程の力を有していても、当たらなければ意味はない。
「マヌーサ」
四人の<デスストーカー>に唱えられた呪文は、その者の脳を直接蝕み、感覚を狂わせてしまう物。
瘴気の霧に覆われた大地に、更なる霧が充満して行く。
<デスストーカー>達の視界は、充満した濃い霧に包まれて行った。
「いやぁぁぁ!」
濃い霧に包まれ、恐怖に陥った<デスストーカー>達の横をすり抜けたリーシャは、その手に持つ斧を振り下ろす。霧に向かって振られていた<デスストーカー>の持つ斧に向かって振り下ろされた<バトルアックス>は、その柄を真っ二つに圧し折った。
攻撃方法が失われた事に気づいた<デスストーカー>は、次の瞬間、意識を失ってしまう。リーシャの肘が直接顎に入ったのだ。
意識の糸が切れてしまった<デスストーカー>が倒れ伏すのを見届ける事無く、リーシャは次の獲物へと足を延ばした。
実際に濃い瘴気に包まれていると考えていた大地ではあったが、毒のような物ではない。目の前の<デスストーカー>が『人』であると解れば、その者達が不自由なく呼吸している事が何よりの証明となる。
既にメルエの唱えた<トラマナ>の範囲外に飛び出したリーシャがそこまでの確信を得ていたかどうかは解らないが、その行動を止めようとしなかったカミュとサラは理解していたのだろう。
「ちっ!」
迫って来たリーシャと、霧の中に見える幻が重なったのか、一人の<デスストーカー>が振り下ろした斧が、正確にリーシャの脳天へと向かって来る。
それでも尚、軽い舌打ちをした彼女は、それを<ドラゴンシールド>で受け止め、前方へと押し弾いた。
泳ぐ<デスストーカー>の身体に向かって、<バトルアックス>を振り抜く。だが、その斧の面は刃の付いた部分ではなく、側面。凄まじい衝撃と共に弾き飛ばされた<デスストーカー>の身体は、生物の死骸が転がる地面へと伏して行った。
「ラリホー」
瞬く間に二人の同士が倒された事に動揺した<デスストーカー>の心の隙間に、パーティー最強の補助魔法使いが放つ呪文が滑り込む。
脳神経へと直接届く呪文は、その者を睡魔へと引き摺り込み、意識を奪って行った。
残る<デスストーカー>は、カミュに斧の柄を握られている男のみ。
全ての同士が、外傷一つなく昏倒させられている状況を、信じられない物のように見ていた男は、残るのが自分だけだと気付いた時、先程とは異なる冷たい汗を滲ませた。
「アンタ方は、誰の命令でここを護っていた?」
「ぐっ……」
斧から手を離そうとする男の喉元にカミュは剣を突き付ける。
先程とは、全く逆の立場となってしまった事に冷たい汗を流した男は、剣を突き付ける青年の瞳を見て、覚悟を決めた。
その青年の瞳は、男が今も崇拝する者と何処か似た雰囲気を持つ物。
何かを決意したような瞳が放つ物は、何かを護る為の光であり、何かを変える事の出来る光。懐かしささえも感じる程の光を見た男は、抵抗する事を諦め、斧から手を離した。
「お前達は何者だ?」
「勘違いするな……問い掛けているのは俺達だ」
斧から手を離して、抵抗を否定したにも拘らず、先程自分が発したような冷たい言葉を紡ぐ青年に、男は先程まで感じていた物が間違いであったのかと感じてしまう。
それ程にその言葉は冷たく、一言間違えただけでも命を失ってしまう程の緊迫感を持っていた。
彼等も<デスストーカー>と呼ばれていた者達である。多数の魔物達と戦い、生き残って来た。その相手の中には、人間と思しき者達も存在していただろう。『人』を殺す者を軽蔑出来る程の生易しい道を歩いて来た訳ではない以上、その冷たい言葉を否定する事は出来なかったのだ。
「カミュ様、それでは満足に話が出来ません」
「そうだぞ。私達はこの者達と戦いに来た訳ではないだろう?」
「…………カミュ………だめ…………」
そのような、死の覚悟を決めた男に、予期せぬ助け舟が渡される。
先程仲間達を打ちのめした者達が全員集まり、剣を向ける青年を諌めたのだ。それは、戦いを主として来た男の人生の於いて、奇妙に映る光景であった。
唖然と佇む男の前に出て来たのは、彼が斧を突き付けた女性。
真っ直ぐ見つめる瞳は厳しいながらも慈愛を含み、見る者を魅了する程の冷たさと温かさを持っている。
だからだろうか、男は、この女性と視線を合わせる事が出来なかった。
「貴方達は、ここで<ラーの鏡>を護っていたのですか? それは、サイモン様のご指示なのですか?」
「!!」
「なに!? ど、どういう事だ、サラ!?」
全ての前置きを取り払った言葉は、真っ直ぐ男の胸へと突き刺さる。
驚いたように顔を上げた男の表情が全てを物語っているのだが、それ以上の驚きと言葉を発した女性戦士の叫びによって、それは搔き消されてしまった。
サラが前へ出る以上、何らかの考えがあるのだろうと考えていたリーシャではあったが、その内容の突飛性に、つい言葉が出てしまったのだ。
サマンオサ国の英雄であるサイモンという人物が、サマンオサ国の国宝が眠る洞窟近くで追い剝ぎのような真似事をしている者達と関係しているという事自体、驚愕の事実であるのだが、その行為を指示したのが英雄と謳われる者であるという事は、英雄を崇拝するリーシャにとっては飲み込む事の出来ない物であった。
「……黙っていろ……」
「だ、だがな、カミュ……」
しかし、そんな女性戦士の暴走は、隣に立っていた青年によって遮られる。もはや、この青年に、前に出る意思はないのだろう。<デスストーカー>と呼ばれた男との会話をするつもりもない事が見て取れる。
その代り、耳だけは傾けており、その内容を聞き逃す気もない。
それを理解したリーシャは、抗議の言葉を飲み込む事にした。
何故なら、それはサラへの信頼の証と受け取ったからである。
「すまなかった……続けてくれ」
リーシャ達三人は、一度この『勇者』と逸れた事がある。
その時に交渉の矢面に立ったのは、『賢者』であるサラであった。
彼女は己の願いを実現するために、己の身を犠牲にする事も厭わない。周囲の者達が苦しむ事を誰よりも嫌うにも拘らず、己の身が危険に晒される事に対しての危機感が決定的に欠けていると言っても過言ではないだろう。
故に、刃を突き付けられても、怯える事無く冷静に対処し、再びその男の前に立つ事が出来ているのかもしれない。
ただ、それは、後ろにカミュという『勇者』と、リーシャという『戦士』、そしてメルエという『魔法使い』がいるからこその物と言っても良い筈だ。
もし、サラ一人であれば、その身を竦ませ、対処を考えるよりも先に、その命を散らしてしまっていたかもしれない。彼女の芯は強い物であると同時に、とても脆く儚い物でもあった。
「それを答える前に、お前達の素性を教えろ。この状況で条件を口に出来る立場ではない事は理解してはいるが、お前達がそれを口にしないのであれば、この首を刎ねろ」
「私達は、『魔王バラモス』を討伐する為に、アリアハンから旅をしている者です」
サラの言葉の中に出て来た、サマンオサ国の英雄の名に驚きを表していた男であったが、そう簡単にサラ達の要求に答える様子はなかった。
そればかりか、現状を理解して尚、優位にいる筈の一行に問いかけを返し、それに答えなければ、死を受け入れる事も辞さないという態度を示した事で、サラは即座に自分達の立場を答える。
ここで、カミュを『勇者』として紹介しなかった事は、もう一人の英雄を生んだサマンオサ国に対する配慮だったのかもしれない。
逆に予想外の答えが返った事で、男の身体は硬直した。
口を開いたまま、何かを言おうと数度開閉を繰り返すのだが、何も言葉は出て来ず、目の前に居る四人の若者へと視線を泳がせる。
「もう一度聞きます。貴方達は、この場所にある<ラーの鏡>を何から護っているのですか?」
再度問うように言葉を紡ぐサラではあったが、その内容は先程の物とは異なった物であった。
既に、<デスストーカー>と恐れられている者達が<ラーの鏡>を護っているという事は、サラの中で確定事項なのだろう。そして、それを命じた者も同様に確定しているのだ。
残るは、何者の手から護っているのかという一点に絞られる。
もしかすると、それさえもこの『賢者』の中では、只の確認に過ぎないのかもしれない。
「倒れた仲間達は全員無事だ。アンタ方の命を奪うつもりはない」
「……わかった」
薄汚れた地面へ倒れ伏す仲間達へ視線を動かしていた男であったが、その意味を理解したカミュの言葉によって、ようやく一息吐き出し、心を落ち着かせる。
そのままゆっくりと覆面へ手を掛け、それを取り外した男は、精悍な顔つきの男性であり、その瞳は、とても追い剝ぎのような真似をする者の持つ物ではなかった。
首元の筋肉は盛り上がり、その手に持つ斧を鍛錬の為に何度も振って来た事を想像させる。その鍛錬が、決してこのような姿を晒す為の物ではなかったという事も。
「アンタ方は、サマンオサ国の宮廷兵か?」
ようやく話ができる態勢となった事で、口を開いたのはカミュであった。
彼は、自分の手に残っている斧に装飾されている紋章を目にしていたのだ。
それは、この大陸へ来るために飛び込んだ『旅の扉』があった場所の鍵穴に刻まれていた物と同じ形状の物。
この世界で頂点に立つ程の軍事力を持ち、影響力を持つ程の英雄を生んだ国が掲げる紋章。
「……いや、正確には違う。我々は、サマンオサ国の英雄直属の近衛兵だ」
「英雄直属……? つまりは、サイモン殿の部下という事か?」
サマンオサ国の紋章が彫られた斧を持っているという事は、国家の兵士という事になる。それを考えて問いかけたカミュではあったが、目の前の男は静かに首を横へと振った。
そして、男の返答を聞いたリーシャは、信じられないという表情を浮かべ、その男の言葉を繰り返す。
それは、もう一人の英雄が生まれた、アリアハンという国家で生まれ育った者にとっては、仕方がない反応なのかもしれない。
アリアハン国に生まれた『オルテガ』という名の英雄は、間違いなく世界に誇る英雄であった。
だが、彼の父親はアリアハン宮廷騎士としての地位を持っていたが、彼自身はアリアハン宮廷に出入りする者ではない。リーシャのような貴族の出ではなく、力を認められた平民上がりの騎士を父に持つ彼は、騎士や兵士になる事を嫌い、何度か旅に出ていたのだ。
その旅の中で彼は妻と出会い、その妻との間にカミュが生まれている。
つまり、国家が認め、国家を代表する英雄であるオルテガではあるが、彼には何の実権も地位も有りはしなかったのだ。故に、彼に部下はおらず、『魔王討伐』という危険な旅へも一人で旅立つ他なかったのだった。
「詳しく話が聞きたい」
現状のサマンオサの状況を考えると、ここで男の話を悠長に聞いている暇はない。
だが、この話を聞かなければ、サマンオサの現状を正確に把握する事は出来ず、あの国王を自称する男の為に<ラーの鏡>を入手する事が正しいのかも判断出来ないだろう。
そこに、サマンオサの英雄と名高い、サイモンの名が出て来たからには尚更である。
それを理解しているからこそ、カミュの言葉に誰一人反論せず、倒れ伏している<デスストーカー>達を洞窟の入り口付近へと運び、リーシャ達もまた、洞窟の入口に座り込んだ。
洞窟の入り口付近は、地面に死骸などは散乱しておらず、良く見ると、古い焚き火の跡などもある。それは、もしかすると、この英雄直属の部下達の熾した物なのかもしれない。
「少し長くなるが……」
「構いません、細かく教えてください」
サマンオサ国の英雄を知る者達の瞳にも、この四人は何処か特別な物に映ったのかもしれない。ゆっくりと息を吐き出した男は、静かに腰を下ろし、静かに語り始めた。
時間が無い状況ではあっても、話を聞かなければならない必要性を感じている一行もまた、その話へ静かに耳を傾ける。
そこから、彼等が何故<デスストーカー>と呼ばれる存在へと落ちてしまったのかが語られて行った。
話を聞き終えたカミュは、無言で立ち上がり、そのまま洞窟の中へと入って行く。
当初から話に興味を示していないメルエは、ようやく行動を始めたカミュを追って、早足で洞窟へと潜り込んで行った。
その場に残されたのは、『戦士』と『賢者』。
そして、何も語る事無く、洞窟へと入って行った青年の背中を呆然と眺める事しか出来ない男だけだった。
「あの男は、本当にアリアハンの英雄の息子なのか?」
「ふふふ。そうだな……アイツを良く知らない人間には、そう見えるのだろうな」
既に見えなくなった青年の印象は、サマンオサの英雄に仕えていた者にとって、最悪の物と言っても過言ではなかったのだろう。彼の目には、とても世界を救う事の出来る者には映らなかったのかもしれない。
だが、そんな態度を見て、顔を顰める『賢者』とは異なり、女性戦士の顔は、静かな微笑みを湛えている。後方を振り返り、既に見えなくなった青年へと視線を向けた彼女は、小さな呟きを洩らした。
「アイツは、私の知るアリアハンの英雄にも、お前達が知るサマンオサの英雄にも、劣る事のない『勇者』だ。何も心配はいらない」
「……そうか……」
もう一度顔を戻した女性戦士の顔に浮かぶ笑みを見て、男は静かに嘆息する。
既に、サマンオサの英雄と呼ばれる者は、ここにはいない。
同様に、アリアハンの英雄と呼ばれた者も、この世には存在しない事を先程の話の中で聞いていた。それと同時に、無言のまま洞窟へと消えて行った青年が、その遺児である事を知る。
そのような世界の唯一の希望となる筈の青年は、彼の想像していた者ではなかったのだろう。
だが、その希望と共に旅をしている者達の姿は、サマンオサの英雄が持っていた輝きに似た物を持っていたのだった。
故にこそ、彼は小さく頷く。
彼等の頭に残る、幼い男子と同じ運命を持つ者へ全てを託して。
「カミュ様のお考えが正しければ、私達が<ラーの鏡>を持ち帰った時、サマンオサ国は大きな騒動となる筈です。その時、必ず貴方達の力が必要になります」
「そうだな、それにあの者の力もな……」
洞窟へ向かおうとしていたリーシャの横で、サラが口を開く。
<デスストーカー>とサマンオサ国城下町で恐れられていた者達の力が、そのサマンオサの危機に必要になると言うのだ。
彼等の境遇を聞いた筈のサラであったが、その瞳に微塵の疑いもない。
彼等ならば、必ず立ち上がってくれると信じている瞳を見て、リーシャは軽い笑みを浮かべる。そして、瘴気に覆われた空を見上げ、小さな呟きを溢し、そのまま洞窟へと入って行った。
「私達は、<ラーの鏡>を入手次第、<ルーラ>を唱えて、城下町へ向かいます。その時に一緒に行きましょう」
「……だが、<ルーラ>では大勢の移動は無理ではないか?」
自分達の境遇を知って尚、祖国を恨む事はないと信じる女性に戸惑っていた男であったが、全てを包み込む真っ直ぐな瞳は、揺るぐ気配もなく、男を射抜いている。
そんな真っ直ぐな瞳を受け続ける事が出来ず、男は一度目を瞑った後、女性が口にした呪文の欠陥を口にした。
彼とて、英雄の直属の部下として多くの『魔法使い』を見て来ている。
<ルーラ>という呪文は、術者のイメージに重きを置く物であり、術者の魔法力によってその場所へと移動する物であるのだ。
故に、移動出来る物量には制限があり、術者の実力によって個人差はあれど、大人数での移動などは、余程の実力者でない限り、不可能に近い。
「ここに居る以外にも、仲間達はいる」
「そうですか……ですが、こちらも<ルーラ>の術者は、三人いますから」
男の言葉に、一瞬の驚きを示したサラであったが、何も移動呪文を行使出来る人間が一人という訳ではない。
最悪の場合、メルエにはリーシャを付けるとしても、カミュとサラは単独で<ルーラ>を行使すれば、数十人の移動は不可能ではない。無理をすれば、メルエ一人でも何とか出来る可能性があるのだが、それを強いる気は、全くなかった。
だが、そんなサラの言葉にも、男は静かに首を横へと振った為、遂にサラの瞳にも揺らぎが生じてしまう。
<デスストーカー>と呼ばれる彼等の心の中に、以前まで自分の中に蠢いていた『憎悪』という感情が残っていると考えてしまったのだ。
本来、それは当然の事であると共に、誰が否定出来る感情でもない。
実際に、サラが飲み込まれていたその感情を、カミュ達三人が否定した事は一度たりともない。復讐を向ける相手を庇う事はあっても、サラの中の復讐という憎悪を否定し、弾劾した事はなかった。
その感情が『人』として間違った物であると言う事など出来る訳がない。むしろ、哀しみや憎しみという負の感情は、『人』であるからこそ湧き上がる物である事を誰よりも知っているのが、サラなのであった。
「俺達は、馬車を使って、先にサマンオサ城下町へ向かう。<ラーの鏡>を入手するのなら、少なくとも二日近く時間が掛かる筈だ。アンタ方が<ルーラ>を行使して、サマンオサへ着く頃には、俺達も辿り着ける」
「は、はい!」
しかし、眉を下げたサラへ向かって掛けられた言葉は、そんな彼女の考えを一蹴する物であり、『人』の強さを証明する物。
喜びに打ち震える心を抑え切れず、サラは大きな声で返事を返した。
彼等は、このサマンオサ大陸で恐れられる、<デスストーカー>と呼ばれる存在。
カミュ達のような『勇者一行』には届かないまでも、その力は本物であり、並大抵の魔物に屈する事など有り得ない。
彼等が馬車で移動すると言うのならば、徒歩で三日掛かった距離を、二日足らずで走破出来るだろう。
それだけの力を備えている事は、この洞窟の周辺で朽ち果てる死骸達が雄弁に物語っていた。
「では、サマンオサ城下町で」
「ああ、待っている」
真っ直ぐに向けられたサラの瞳を、今度は男も真っ直ぐ見つめ返す。
頷き合った後、サラは振り返る事無く、洞窟の中へと消えて行った。
暗闇に吸い込まれるように消えて行った四人の若者達の残像を見ていた男は、意を決したように顔を上げ、未だに意識を取り戻さない仲間を揺り起こし、その場を後にする。
過去の英雄達が繋げた想いは、確実に時代を超えて受け継がれていた。
受け継がれたその想いは、やがて大きな力へと変貌して行く。
読んで頂き、ありがとうございました。
実は、今回の話は、前回のお話にくっ付いていました。
ただ、どうしても長くなってしまうので、二つに分けた次第です。
少し短くなってしまいますが、次話以降は長い話が続きますので、ご容赦を。
ご意見、ご感想を心よりお待ちしております。