新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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ラーの洞窟(サマンオサ南の洞窟)①

 

 

 

 サラが洞窟の中へ入ると、洞窟の入り口付近で、カミュが<たいまつ>へと火を点している最中であった。

 屈み込んで<たいまつ>を置き、それに向けて指を向けているカミュの横で、同じように屈み込んだメルエが<たいまつ>を覗き込んでいる。その姿は親鳥から離れない雛鳥の姿に良く似ており、サラは思わず微笑んでしまった。

 メルエも<たいまつ>に火を点した事はあるが、基本的にその仕事はカミュの役回りである。静かに火が点るのを見守っているメルエは、カミュにじゃれついているようにも見え、暗闇の中で優しい光を湛えていた。

 

「サラも来たな。カミュ、進もう」

 

「ああ」

 

 サラが無事合流した事を確認したリーシャは、<たいまつ>を持って立ち上がったカミュの傍に居るメルエの手を取り、先を促す。

 洞窟内は、何処か神聖な空気が流れているかのように、外の瘴気を遮断していた。

 だが、澄んだ空気の中にも邪気は漂い、洞窟内に魔物が棲み付いている事を明確に示している。それを感じているからこそ、カミュは先頭を歩き、リーシャはメルエの手を握っていたのだ。

 だが、そんな父母のような二人の想いは、幼い少女の予期せぬ行動によって破綻する事となる。

 

「…………はこ…………」

 

「あっ! メルエ!」

 

 洞窟の入口から細い通路を抜けた先には、かなり開けた空間が広がっていた。

 全てを見渡せる程に平坦な空間であった為、その空間に落ちている物が真っ先に目に入る。それは、先頭を歩いていたカミュだけではなく、後方を歩いている三人の女性の瞳にも同様に入り込んで来た。

 そして、それが目に入った途端、幼い少女の瞳は、先程とは全く異なる程に輝き、興奮を抑え切れないかのように、リーシャの手を離して駆け出してしまう。

 以前、あれ程強烈に叱責を受けた事があるにも拘らず、それを完全に忘れてしまったようなメルエの行動に驚愕したリーシャは、制止する機を逸してしまった。

 

「カミュ!」

 

 イシスの歴史的建造物であるピラミッドを探索中に陥った危機を、否が応にも思い出したリーシャは、先頭にいる青年へ叫び声を上げる。

 しかし、リーシャと同様に、予期せぬ行動を起こした少女に戸惑っているカミュは、その小さな身体を制止する事は出来ず、易々と脇をすり抜けられてしまった。

 歴戦の勇士達をすり抜けた少女は、笑みを浮かべながら、地面に転がっている宝箱のような物体へと近付いて行く。

 焦燥感に襲われたのは、カミュとリーシャ。

 しかし、カミュの不甲斐無い姿に不満を口にして駆け出そうとするリーシャの身体を、先程まで静観していた『賢者』の手が制した。

 

「おそらく大丈夫です。メルエ、離れた所から唱えるのですよ!」

 

 ゆっくりと前へ出て来たサラの言葉に目を見開いたリーシャは、前方で振り返り様に頷くメルエの姿を見て、小さく首を捻る。カミュも同様で、駆け出そうとしていた身体を無理やり制御し、疑惑の瞳をサラへと向けた。

 しかし、メルエの背中を見守るサラの瞳に、恐怖や焦りはない。

 メルエの身の安全を絶対的に信じている瞳は、カミュとリーシャの心に、不安や疑問よりも興味を齎した。

 

「…………インパス…………」

 

 宝箱のような箱からある程度の距離を残し、メルエが<雷の杖>を掲げる。

 宝箱とメルエとの距離は、カミュ達とメルエとの距離よりも離れていた。

 それは、万が一の事があっても、カミュ達が即座に行動に移れば、難を逃れる事の出来る距離。それを理解したからこそ、カミュ達も何も言わずにメルエの行動を見つめる事にしたのだ。

 メルエが掲げた杖の先にあるオブジェの瞳が光り、魔法力の塊が吐き出される。

 吐き出された魔法力の塊は、前方に放置されていた宝箱に直撃するが、箱を破壊する事無く、その物を包み込むように広がりを見せた。

 

「メルエ、何色ですか!?」

 

「…………あお…………」

 

 その光景に言葉もなく呆然とする保護者二人を差し置いて、サラが前方のメルエに声を掛ける。その言葉の内容も、カミュやリーシャには全く理解出来ない物であり、二人は顔を見合せて、サラへ振り返る事しか出来なかった。

 だが、そんな二人の困惑を余所に、振り向いたメルエは明るい笑みを浮かべて、サラの問いに答える。そして、その答えを聞いたサラは、メルエに向かって小さく頷きを返した。

 

「お、おい! 勝手に開けては……」

 

「大丈夫です。メルエの行使した呪文によって、青色に発光したのであれば、危険はありません」

 

 サラの頷きを見たメルエは、そのまま宝箱へと近付き、その箱へと手を掛けようとする。驚いたリーシャが、制止しようと声を出すが、その言葉はサラによって遮られた。

 サラの言葉通り、何の抵抗もなく箱を開けたメルエは、中を覗き込み、その小さな手を箱の中へと差し込んで行く。

 このパーティーの頭脳であるサラを信じてはいても、やはり不安は拭えないリーシャは、メルエの傍へと駆け寄って行き、メルエが箱から取り出した物へと視線を向けた。

 

「…………ん…………」

 

「あ、ああ……これは、ゴールドか?」

 

 自分の傍へと駆け寄って来たリーシャに気付いたメルエは、箱から取り出した物を両手に乗せ、そのままリーシャへと差し出す。拍子抜けしながらもリーシャが受け取った物は、輝きを失い、くすんだ色にはなっているが、この世界に流通する貨幣である、ゴールドに違いはなかった。

 それ程の額ではない事から、既に誰かによって盗み出された物なのかもしれない。もしかすると、洞窟の外で出会った<デスストーカー>達の蓄えの一つなのかもしれないが、その真意はカミュ達には理解出来ない物であった。

 

「…………インパス…………」

 

 僅かなゴールドをリーシャに手渡すと、その場所から少し先に見える次の宝箱へ向かって、メルエは再び呪文を行使し始める。

 先程と同様に杖から飛び出した魔法力の塊は、先に見える宝箱を包み込み、不思議な輝きを放つ。その色を確認したであろうメルエは、即座に宝箱へと近付き、何の躊躇いもなく箱を開けて行った。

 未だに、何が何やら理解出来ないカミュとリーシャだけが、状況から取り残されて行く。そんな二人に苦笑を浮かべたサラは、宝箱を覗き込み、手を差し入れているメルエの傍へと、ゆっくり近づいて行った。

 

「…………ん…………」

 

「あ、ああ……ありがとう」

 

 今度は貴方へと云わんばかりに、カミュへと差し出されたメルエの両手の上には、先程とほぼ同額のゴールドが乗っている。戸惑い気味のカミュの掌へと落とされたゴールドが乾いた音を立てる中、傍に立っていたサラが小さな笑みを浮かべながらカミュの耳許へと口を寄せた。

 何故か、小さなお礼を述べたカミュを見上げるメルエの瞳が不満そうな光を宿し、心なしか頬を膨らませている事が、それが正しい見解である事を示している。

 

「カミュ様……メルエは、自分で危険かそうでないかを見極め、宝を発見した事を褒めて欲しいのです。あの時の失敗はもうしないという、メルエなりの自信の表れなんですよ」

 

 耳元で囁かれた小さな言葉は、今のメルエの心情を正確に表現しているのだろう。小さな胸を張り、自信満々にゴールドを手渡していたメルエの姿を思い出したカミュは、小さな苦笑を浮かべ、少女の頭に手を差し伸べた。

 帽子を取り、その柔らかな髪の上に乗せ、優しく動かされた手を満足そうに受け入れたメルエは、嬉しそうに目を細め、柔らかな笑みを浮かべる。

 カミュに引き続き、リーシャの手も受け入れたメルエは、満面の笑みを浮かべ、次の宝箱へと杖を掲げた。

 

「しかし、サラ……あのように、何度も呪文を唱えてしまっていても大丈夫なのか?」

 

「あの呪文は、魔法力を多く必要とはしません。自身の中にある魔法力を、ほんの少し分け与えるような物です。メルエの魔法力の保有量から見れば、それは微々たる物です」

 

 再び魔法力を宝箱へ飛ばすメルエの後ろ姿を見ながら、その身を案じたリーシャの不安は、サラによって否定された。

 確かに、メルエの保有する魔法力は、今や『賢者』となったサラであっても、足下にも及ばない程の物であり、強力な攻撃呪文を乱発しない限り、底を突く事はないだろう。

 第一に、これから洞窟内を探索するという時に、魔法力が枯渇する危険がある行為を、サラが許す訳はない。それでも尚、幼い少女の身を案じるリーシャという女性は、本当に母親のような感情を有しているのかもしれない。

 

「そもそも原理は何だ?」

 

「原理は解りませんが、『悟りの書』に記載されている呪文の一つで、密閉された箱のような物の中に、害意を持つ生命体がいると赤色に発光させ、無機物であれば青色に発光させるという物のようです」

 

 前方で箱へ手を差し入れているメルエの姿を眺めながら、カミュが一つ疑問を口にする。しかし、それに対しての明確な解答を得る事は出来なかった。

 『悟りの書』と呼ばれる、古の賢者が残した遺産の中には、その原理の解らない呪文が数多く記されている。本来、呪文を唱え、魔法を体現するという行為自体が、原理の理解出来ない物であるからこそ、それは神秘と呼ばれているのだ。

 つまり、カミュの問いかけこそが、何処かずれた物であるとも言えるだろう。

 それ程、彼も困惑していたのだ。

 

「害意の無い生命体が入っていた場合は、黄色に発光する事もあるそうです」

 

「何にせよ、メルエの行動を制限出来なくなる、少し厄介な呪文ではあるな」

 

 付け加えるように口を開くサラの言葉を上の空で聞いていたリーシャは、困ったように眉を下げ、小さな溜息を吐き出した。

 カミュ達と出会い、己の知らなかった世界に飛び出した少女は、信頼出来る保護者を得て、好奇心という本来の子供らしさを取り戻している。

 その背中には、この広い世界を飛び回る為の翼が小さく生え始めており、上手く制御しなければ、何の恐れも抱かずに大空へと舞い上がってしまうだろう。

 妹のように、そして娘のように彼女を想っているリーシャにとって、彼女が大空へと飛ぶ日を心待ちにしている反面、それに対する不安と、寂しさも持ち合わせているのだ。

 そんなリーシャの本心に気付いているサラは、柔らかな笑みを浮かべて、戻って来る少女へと視線を移した。

 

 

 

 その後も、まるで洞窟に入った人間を誘い込むように配置された宝箱へ向かってメルエは<インパス>を唱え続け、その中に入っていたささやかな宝物をカミュやリーシャへと手渡して行った。

 開けた空間の右壁に沿うように配置されていた宝箱は、そのまま奥の通路を右へと曲がり、更に右に曲がる事によって小さな空間へと向かっている。

 サラの言い付け通り、少し離れた場所から呪文を行使していたメルエであったが、その魔法力が発する輝きが、安全を示す青である事に何の疑いも覚えず、次々と宝箱を開けて行った。

 

「メルエ、そこまでです」

 

 しかし、箱の中身を手渡す度に頭を撫でられ、満面の笑みを作りながら呪文を詠唱する幼い『魔法使い』の行動は、狭い空間へ入る直前に遮られる。

 何時の間にかメルエのすぐ後ろに立ったサラは、狭い部屋のような空間へ入ろうとする彼女の肩に手を置き、中へ入る事を制止したのだった。

 洞窟内の通路は、カミュの持つ<たいまつ>と、リーシャの持つ<たいまつ>によって、明るく照らし出されてはいるが、突き当たりに位置するような空間は、闇に覆われている。

 それは、まるで何の疑いも持たずに、嬉々として入って来る旅人達を飲み込もうと口を開いた化け物のようであった。

 

「リーシャさん、<たいまつ>をこちらに向けて頂けませんか?」

 

「わかった」

 

 自分の後方に居るリーシャに声を掛けたサラは、<たいまつ>の炎によって映し出された闇の空間へと目を凝らす。

 サラよりも少し前へと出たリーシャは、ゆっくりと狭い空間へ<たいまつ>を動かし、闇を払って行った。

 サラの腰の横から覗き込むように顔を出したメルエも、中の様子が炎によって明らかになるのを確認して行く。

 

「…………はこ…………」

 

「メルエ、駄目です!」

 

 照らし出された空間の中には、メルエが口にするように、先程と同様の宝箱が転がっていた。

 その数は、全てで四つ。

 静かに佇むその箱を視界に捉えたメルエは、嬉々として前へ出ようとするが、その行動は、またしてもサラによって制止される。

 不満そうに頬を膨らませて見上げるメルエの瞳に、厳しい表情に引き締めたサラの顔を映り込み、その表情を見たメルエは、不満を抑えるように、小首を傾げた。

 

「……血の匂いだな……」

 

「そうだな……」

 

「インパス」

 

 小首を傾げるメルエの肩に手を置いたカミュが、闇へと身体を入れ込み、その中に漂う嗅ぎ慣れた臭いに顔を顰める。

 同様の臭いを感じていたリーシャも、即座にその言葉に頷きを返し、二人の言葉を聞き終えたサラは、右手を横へ薙ぎ振るように呪文を詠唱した。

 メルエの唱える<インパス>とは異なり、サラは小分けにした自身の魔法力を四つの宝箱へ向かって投げつける。

 四つに分断された魔法力は、寸分の狂いもなく宝箱へ直撃し、不可思議な光で包み込んで行った。

 

 元来、サラとメルエの呪文行使には、決定的な違いがある。

 それは、単純な魔法力の絶対量の違いが一つ。

 そして、もう一つは、その魔法力の扱い方にあった。

 人外と言っても過言ではない程の保有量を有するメルエは、その魔法力の量によって全てを補うだけの素質と、才能がある。

 逆に、人類の頂点に立つ『賢者』となったサラは、元々魔法力の調節に秀でた才能を有していた。

 もし、このパーティーに、メルエという規格外の『魔法使い』が存在しなければ、サラもまた、人類最高の呪文の使い手として、自身の中に眠る魔法力の量で勝負していたかもしれない。

 『賢者』となったサラには、それだけの魔法力の量と素質があった。

 だが、それも人類という枠の中ではという話である。

 『人』という種族の中で、サラが敵わない相手は、傍で不思議そうに首を傾げている幼い少女だけなのだ。

 

「赤ですね……おそらく、宝箱に擬態した魔物でしょう」

 

「凄いな……そこまで解るのか……」

 

<インパス>

『悟りの書』という古の賢者が書き残した書物の中に契約方法が記された呪文の一つ。密閉された宝箱などに自身の魔法力をぶつける事によって、その中身の危険性を図る魔法である。危険性が無い物であれば、それは青色に輝き、危険な物であれば、赤色へと変化すると記されていた。呪文の術者の魔法力によって反応を示す為、術者にしか色は確認が取れないという欠点はあるが、<人喰い箱>や<ミミック>が蔓延る洞窟などでは、かなり重宝される呪文の一つである。

 

 サラは、全ての宝箱が赤色に発光している事を確認し、そのまま踵を返した。

 目の前にある宝箱に未練が残るメルエは、奥にある宝箱へ向かって、もう一度自身の魔法力を宝箱へと投げつけ、その色を確認する。そんなメルエの行動をサラも止める事はしなかった。

 そして、聞き分けのない幼い少女にも、その宝箱が発する色が確認できたのだろう。目に見える程の落胆を身体全体で表現したメルエは、差し出されたサラの手を握り、共に元来た道を引き返し始めた。

 もはや、何が何やら理解が追い付かないのは、カミュとリーシャの二人だけである。

彼らとて、共に旅する呪文の使い手達が生み出す神秘を何度も見て来た。

 だが、今見ているのは、二人が投げつけた魔法力でぼんやりと輝く宝箱の姿だけなのだ。

 それで全てを理解出来るのは、『賢者』と『魔法使い』の二人だけなのかもしれない。

 

「カミュ……古の賢者とは、余程の者達なのだろうな」

 

「それこそ、今更の話だな……」

 

 もう一度闇の中へと<たいまつ>を向けたリーシャは、小さな呟きを洩らした。

 古の賢者という存在が、只者ではない事など、疾うの昔にリーシャも理解している筈。

 それでも尚、リーシャの考えている神秘という枠を飛び出してしまう程の光景であったのだろう。

 それはカミュも同様で、溜息と共に吐き出された言葉とは裏腹に、リーシャに向かって小さな苦笑を浮かべている。

 その表情が、とても優しく、とても静かな物に感じたリーシャは、呪文の使い手である二人の成長を素直に喜ぼうと思い直し、カミュに対して柔らかな笑みを浮かべた。

 

 

 

 元の開けた場所へ戻った一行は、再び<たいまつ>を掲げながら周囲の探索を開始する。

 先頭をカミュが歩き、サラがメルエと手を繋ぎ、最後尾をリーシャが歩く。

 前と後で灯された<たいまつ>が、一行の周囲を広く照らし出され、視界を広くしていた。

 中央に出る前に、右側に壁を確認しながら、広間の外周を確認して行く方法を取った一行は、ゆっくりとした足取りで先へと歩いて行く。

 

「…………ほね…………」

 

「えっ!?」

 

 そんな中、壁側を歩いていたメルエが、足下に何かを見つけ、繋いでいたサラの手を引いた。

 突如引かれた腕に驚いたサラは声を上げ、メルエが指さす方向へと視線を移す。そこには、朽ち果て、肉や皮も失った骨が幾つも転がっていた。

 一体の遺体ではないだろう。

 数体の遺体が折り重なるように骨となり、寂しげに転がっている。

 兜のような物を被ったまま骨となった頭蓋骨や、その傍に転がる無数の剣などから、この遺骸達がサマンオサの兵士の可能性が伺えた。

 

「何故、このような場所に兵士達が……」

 

「まだ新しい死骸のようだが」

 

 何故、サマンオサの兵士がこの場所で朽ち果てているのか。

 剣の状態や兜の状態から見ると、とても骨にまで朽ち果てる程の時間が経過しているとは思えない。

 考えられるのは、この洞窟に棲み付く魔物との戦闘で命を落とし、その魔物達に血肉を喰われたのだろうという事。

 それでも、元英雄の部下達が守護していた洞窟へ入るという事は、それなりの目的があったと推測出来る。

 誰かの指示であったのか、それとも元英雄の部下達の仲間なのか。

 今の現状では、それを推測する事が出来る程の情報はなかった。

 

「…………だめ…………」

 

「カミュ!」

 

 もう一度確認しようと近付いたカミュの行動を幼い少女が窘める。

 その小さな呟きが響いた時、最後尾に居た女性戦士が声を発して飛び出した。

 横合いから飛び出した何かが、突如としてカミュへと襲いかかり、その首筋を狙って振るわれたのだ。

 それは地面に散らばった無数の剣の一つ。

 そして、その剣を振るのは、無数に散らばる骨の一つ。

 

「くっ……」

 

「やぁぁぁ!」

 

 リーシャの叫びで、咄嗟に行動に移したカミュは、間一髪の隙間に盾を滑り込ませる。

軋むような音が、振るわれた剣の力強さを物語っていた。

 苦悶の声を上げるカミュの横から躍り出たリーシャは、手にした<バトルアックス>を横へと振り抜くのだが、それは虚空を斬るように何も斬り裂く事はない。

 剣を振るった者は、虚空に浮かぶ骨の一部だけ。

 斬る物が無い以上、例え人類最強の戦士といえど、攻撃は不可能であった。

 

「メルエ、下がって」

 

 態勢を立て直す為に距離を取った一行は、<たいまつ>の炎に照らされて蠢く人骨の動きに息を飲み込む。

 近場の壁に取り付けられた燭台のような場所に<たいまつ>を差し込んだカミュは、そのまま背中の剣を抜き放ち、リーシャもまた、後方に控えるサラへと<たいまつ>を手渡した。

 蠢く人骨は、徐々にその身体を作り上げて行き、生ある時の面影を取り戻して行く。

 原型を留めている物だけが集まり、寄せ集めのように人の形を成して行くそれは、もはや魔物と呼ぶに相応しいだろう。

 寄せ集めの身体は、徐々に人の姿とは掛け離れて行き、原型を残す腕の部分を多数引き寄せ、数本の腕を持つ異形へと変貌して行った。

 腕の合計数は、全部で六本。

 左右対称に三本ずつの腕は、それぞれ剣を握り込んでいる。

 

<骸骨剣士>

アンデッドの魔物の中でも強力な種族の一つ。死して尚、無念を残した遺骸が魔王の魔力によって蘇った魔物である。<腐った死体>等とは異なり、血肉を残していない骸骨が寄り集まり、一体の生物としての姿を形取った。不揃いのように見える骨だが、形を形成した後、魔王の魔力によって馴染む事で<骸骨剣士>としての身体となって行く。剣士の名に相応しく、生前の記憶を持つ様々な腕を持つ事から、剣の腕も相応の物を持っていた。

 

「ちっ」

 

 形を形成し終えた一体の<骸骨剣士>の後方で蠢く骨達を見たカミュは、大きな舌打ちを鳴らす。

 それは、この他にも数体の<骸骨剣士>が形成されるという事を示していた。

 原型を留めている骨の数から見れば、もう二体の<骸骨剣士>が出来上がると予想が出来る。

 その全ての腕を数えると、全てで十八本にもなっていた。

 カミュ達全員の腕を数えても、倍以上の数になるのだ。

 

「骸骨が相手では、私やメルエの呪文はそれ程効果を示さないと思います」

 

「しかし……いつも思うが、サラの中で、骸骨と幽霊の違いは何なんだ?」

 

 三体目の<骸骨剣士>が形成されるまで、カミュ達は何も出来なかった。

 正確に言えば、何かをする事によって、不測の事態が起きる事を嫌ったのだ。

 故に、最後の<骸骨剣士>が散乱する剣を手にしたのを見て、サラは正確に状況を把握し、それを前衛二人に伝えるのだが、その言葉を聞いたリーシャは場違いであり、見当違いな疑問を口にしてしまう。

 リーシャの目から見ても、死者の姿である骸骨が勝手に動き、身体を形成する姿は、気味の悪い物に違いはない。サラ程に闇を恐れ、霊的な物を恐れる事はないが、それでも、<腐った死体>のような腐乱死体や、目の前の動く骸骨を気味が悪いと感じる心はあるのだ。

 そんなリーシャからすれば、幽霊のように透き通った存在に対して異常な程の恐怖を感じるサラが、動く骸骨を前にして冷静でいる事は奇妙な事なのかもしれない。

 

「無駄話は後だ」

 

「わかっている!」

 

 サラとメルエの放つ神秘の効果が薄いと解った以上、攻撃の主力は、前衛で武器を振るうカミュとリーシャである。

 それを理解している二人だからこそ、カミュはリーシャを窘め、窘められた彼女は、恥ずかしそうに声を荒げた。

 戦闘準備は、双方共に整った。

 残るは、動き出す切っ掛けだけである。

 双方共に動けない時間が過ぎて行く。

 歴戦の勇士であるカミュとリーシャが動けないのだ。

 それは、この三体の<骸骨剣士>の力量を明確に物語っていた。

 

「メルエ、イオ系は駄目ですよ!」

 

 黙っている事が出来なくなったメルエが身動きを始めた事に対するサラの発言が、その均衡を破る形となる。

 最初に動いたのは、一体の<骸骨剣士>。

 右側にある三つの腕の一つをカミュ目掛けて突き出した。

 未だに朽ちてから新しい剣は、刀身に錆なども浮かんでおらず、人間の肉を突き刺す事など容易である。燭台に掲げられた<たいまつ>の炎によって怪しく輝く剣は、真っ直ぐにカミュの胸へと吸い込まれようとしていた。

 

「ちっ」

 

 しかし、その動きを見切っていたカミュは、僅かな動きで剣先を避け、返す剣でその腕を斬り落そうとするが、直後に盛大な舌打ちを鳴らし、盾を掲げる。

 竜の鱗と金属がぶつかる奇妙な音を立てた盾には、<骸骨剣士>の他の腕が握る剣が襲い掛かっていた。

 片側の腕だけでも、これだけの攻撃が為されるのだ。

 両側の腕を使用した場合、カミュでは捌き切れない可能性を示唆している。

 それが三体となれば、それ以上の厳しさになる筈。

 

「くらえ!」

 

 嫌な汗がカミュの頬を伝った時、横合いから繰り出された<バトルアックス>と呼ばれる斧が、<骸骨剣士>の首へと吸い込まれた。

 轟音を響かせて振り抜かれた斧は、<骸骨剣士>の頭部を斬り落とす。

 斬られた勢いをそのままに、兜を被った頭蓋骨は、壁へ吹き飛び、砕け散った。

 

「リーシャさん!」

 

 しかし、元々正規の命を持たないアンデッドである<骸骨剣士>が、首が無くなった程度で活動を停止させる訳がない。

 首から上を失くしながらも、六本ある腕を奇妙に使いながら、リーシャへと襲い掛かって行った。

 助けに向かおうと動いたカミュは、新たに参戦した<骸骨剣士>によって、その行動を妨げられる。

 人型の魔物にここまで苦しめられた事は彼等にもなかった。

 ここまで遭遇した魔物の中で、異形をした物がいなかった訳ではない。

 だが、攻撃手段が無数もある魔物となれば、カミュ達よりも体格が巨大な物ばかりであったのだ。

 

「…………メラミ…………」

 

 そのような巨大な魔物達と戦って来たのは、何もカミュやリーシャだけではない。

 常に彼等二人の後方には、彼等を援護する為に控えている者達がいた。

 この世の神秘とも言える魔法を操り、様々な危機を好機へと変えて来たのは、後方で控えていた者達であるのだ。

 <雷の杖>という名の大きな杖を前へと突き出し、呟くような詠唱を発したメルエの魔法力が、神秘へと変換されて行く。

 飛び出した大きな火球は、リーシャに向かって三本の腕を同時に振り下ろそうとしていた<骸骨剣士>に向かって走り、その胴体を吹き飛ばした。

 

「やぁぁぁ!」

 

「メラミ」

 

 メルエの呪文によって壁に身体を打ち付けた<骸骨剣士>へ、リーシャが追撃の雄叫びを上げるのと同時に、もう一人の後方支援組が呪文の詠唱を行う。

 残るもう一体が、<バトルアックス>を振り上げたリーシャを攻撃しようと動いたのだが、サラの指先から飛び出した火球がその身体を押し返した。

 メルエの唱えた同呪文のように、<骸骨剣士>の身体を吹き飛ばす程の威力はないが、<骸骨剣士>の腕の骨数本を溶解させるだけの熱量を誇っている<メラミ>は、リーシャに向かって振り上げていた二本の腕を根元から崩壊させる。

 サラの援護を受けたリーシャは、<骸骨剣士>の首筋部分から叩き割るように斧を振り下ろした。

 

「キシャァァ」

 

 既に奇声を上げる器官も存在しない<骸骨剣士>は、骨が軋むような音を立てて、その場に崩れ落ちる。

 メルエの唱えた<メラミ>によって、胴体の一部が融解していた<骸骨剣士>には、立っている事が出来る程の余力は残っていなかった。

 粉々に粉砕された<骸骨剣士>に見向きもせず、リーシャはサラの呪文で踏鞴を踏んだもう一体に向かって駆け出して行く。

 その間にカミュは六本の腕を搔い潜りながら、一体との戦闘を終結させようとしていた。

 

「ふん!」

 

 盾と剣で捌き続けて来たカミュは、既に六本あった腕の骨の内三本を砕いている。

 残る三本の腕であれば、それ程苦労する事はない。

 それだけ、カミュという『勇者』の力量も上がっているという事なのだ。

 二本同時の攻撃を<ドラゴンシールド>で防いだカミュは、下段から<草薙剣>を<骸骨剣士>へと突き入れる。

 元々血肉が無い<骸骨剣士>の身体に剣を突き入れても、骨と骨との隙間に剣が入り込むだけの結果しか生まれないのだが、それこそが彼の狙いでもあった。

 力を込める声を発して、剣を上へと突き上げる。

 剣は、腹部の隙間から、原型を留めている肋骨を砕きながら頭蓋骨へと真っ直ぐに突き上げられた。

 

「最後だ」

 

 首筋から抜けた剣を構え直したカミュは、そのまま<骸骨剣士>の頭蓋骨へと剣を振り下ろす。

 先程の攻撃によって兜を落してしまっていた魔物の頭部に、斜めの軌道で入った剣は、そのまま頭蓋骨を半分に叩き割って行った。

 身体の砕かれ、頭蓋骨も叩き割られた<骸骨剣士>は、空洞となっていた眼球部分の怪しい光を失って行く。そして、そのまま静かに崩れ落ちて行った。

 

「リーシャさん、下がって!」

 

 一仕事を終えたカミュが、崩れ落ちた<骸骨剣士>の残骸を見ながら息を整えていると、後方から厳しい叫びが轟いた。

 既に一体を倒し終えたリーシャが斧を持って、残る一体へと駆け出した瞬間、その<骸骨剣士>は、頭蓋骨の下顎を動かし、まるで口を大きく開けるような仕草をしたのだ。

 それが何を示しているのかを理解出来る者など存在しない。

 声を上げたサラであっても、振り返ったカミュであっても、目の前まで身体を動かしたリーシャであってもだ。

 

「どけ!」

 

 だが、何を示しているのかは解らずとも、何かを行おうとする行動である事だけは理解出来る。

 そして、僅かな時間ではあるが身体を硬直させてしまったリーシャとは異なり、カミュの行動は迅速であった。

 即座に駆け出したカミュは、<骸骨剣士>の目の前に移動していたリーシャを吹き飛ばし、その間に滑り込む。それを待って行ったかのように、<骸骨剣士>の眼球の窪みが怪しい光を宿し始めた。

 

「メルエ、牽制の為に呪文の行使を!」

 

「…………ん…………」

 

 攻撃呪文の行使のように周囲の大気に歪みが生じた訳ではない。

 熱気に包まれる訳でもなく、冷気によって一気に体感温度が下がる訳でもない。

 もし、呪文の行使であったのならば、受けたカミュだけが何らかの影響を受けた可能性があるのだが、サラが見る限り、カミュが正気を失っているようには見えず、眠りに落ちているようにも見えなかった。

 得体も知れぬ行動を取った<骸骨剣士>に無暗に近付く事は危険を意味する。

 故に、サラは牽制を行い、<骸骨剣士>から距離を取る方法を取ったのだ。

 

「…………ヒャダルコ…………」

 

 広い空間であったが、洞窟内で灼熱呪文を唱える危険性を把握したメルエは、自身が行使出来る氷結呪文の中でも中間に位置する威力を持つ呪文を行使する。

 吹き抜ける冷気がカミュの脇をすり抜け、カミュの持つ盾と左腕の一部に氷を付着させながら、<骸骨剣士>へと襲い掛かった。

 カミュが<骸骨剣士>とメルエの対角線上に居た事で、メルエは<ヒャダルコ>を選択したのだろう。しかも、その威力は、メルエの放つ氷結呪文としては威力を最小限にまで抑えた物である。

 故にこそ、カミュの身体を凍りつかせる事はなかったが、それは敵である<骸骨剣士>も同様であった。

 元々血肉の無い身体である為、<腐った死体>のように身体が凍りつくという感覚はないのだろう。骨同士の軋みが酷くなり、動き辛くなったという程度の物であったのかもしれない。

 それは、致命的な物だった。

 

「カミュ様、一端引いて……」

 

「ぐっ」

 

 <ヒャダルコ>の冷気によって、視界に曇りが生じていた一行は、<骸骨剣士>の動きを認識する事は出来なかった。

 態勢を整える為に退く事を提案するサラの声は途中で遮られ、代わりに先程前線に躍り出た青年の苦悶の声が響き渡る。

 

「カミュ!」

 

「リーシャさん、カミュ様をこちらへ! メルエ、もう一度<メラミ>を!」

 

 取り戻す視界の中、リーシャとサラの目には、数本の剣に胴体を貫かれたカミュの姿が映り込む。

 <骸骨剣士>の持つ六本の腕の半数が、カミュの胴を護っている<魔法の鎧>に向かって伸び、その手にある剣が<魔法の鎧>を貫き通し、反対側の背中から顔を出していた。

 即座に引き抜かれた剣に続き、真っ赤な血潮が弾け飛ぶ。

 <魔法の鎧>に空けられた穴から噴き出す血液が三人の視界を覆う中、崩れるようにカミュが膝を着く。

 状況を正確に把握してからのサラの指示は早かった。

 カミュに最も近い場所に居るリーシャへと指示を出し、後方に控えるメルエに呪文の行使を命じる。

 小さく頷きを返した『魔法使い』の瞳に宿るのは、怒りの炎。

 大事な者を傷つける者に対しての明確な怒りは、先程まで巧みに制御していた魔法力を解放させた。

 

「…………メラミ…………」

 

 飛び出した火球は、その大きさも然る事ながら、その熱量の密度は、周囲の空気を全て失わせる程の物であった。

 一気に息苦しくなる感覚を覚えながらも、膝を着きながらも倒れようとはしないカミュを担いだリーシャは、一気に真横へと飛ぶ。

 リーシャとカミュの移動を待っていた火球は、その速度を早め、剣を構える骸骨へと向かって行った。

 先程の氷結呪文を受け、凍り付いていた骨は、真逆の熱量を受け、一気に崩壊へと向かって行く。

 避けるには余りにも大きく、弾き返すには圧倒的に熱量の密度が濃い。

 成す術なく火球に呑み込まれた<骸骨剣士>は、断末魔を上げる器官も持たない為、静かに壁の滲みへと堕ちて行った。

 

「ベホイミ!」

 

 既に、メルエの魔法力を感じていたサラは、<骸骨剣士>の反撃など心配してはいない。今のメルエならば、周囲の被害を考えながらも確実に相手を沈める能力があると理解しているからだ。

 当初は、骨である<骸骨剣士>に魔法という神秘は効果が薄いと考えていたサラであったが、<メラミ>の行使により、それが間違いであった事を理解していた。

 故に、即座にカミュへと近付き、自身の持つ最高の回復呪文を唱えるのだが、<魔法の鎧>に空いた穴から溢れ出す血液は、すぐには止まらない。

 苦しそうに顔を歪めながらも意識を失わないカミュであったが、見た目以上の深手である事は、淡い緑色の光に包まれながらも塞がらない傷跡が物語っていた。

 

「…………カミュ…………」

 

「あれは、防御力を下げる呪文だったのか?」

 

「おそらくは<ルカナン>かと……ベホイミ!」

 

 全ての<骸骨剣士>を倒し終え、最後の一体を壁の滲みへと変えたメルエが、不安そうに眉を下げながら近寄って来る。

 リーシャの考え通り、防御力の高い筈の<魔法の鎧>を容易く突き破るほど、<骸骨剣士>の持っていた剣が名剣だとは思えない以上、それは呪文の効力を受けた結果だという結論に至った。

 そして、それは『賢者』であるサラによって肯定される。

 二度目となる<ベホイミ>の行使によって、辛うじて塞がり始めた傷跡を見るサラの瞳は険しい。その瞳は、リーシャやメルエが見る物とは異なる物を見ているのかもしれない。

 

「やはり……ここから先の旅では……」

 

 塞がって行く傷跡を見つめながら、小さな呟きを洩らしたサラは、もう一度<ベホイミ>を詠唱する事によって、カミュの傷を完全に癒し終えた。

 痛みがなくなった事によって、カミュの表情も和らぎ、それを見たメルエの顔にも笑みが浮かぶ。

 立ち上がったカミュを見て、リーシャも満足そうに微笑み、最悪の状況から回復させた功労者へと視線を落とすのだが、肝心の女性は、未だに何かを思いつめたように自身の掌を見つめていた。

 

「サラ、どうした?」

 

「ふぇ!? い、いえ、大丈夫です。カミュ様、身体の傷は癒えましたが、鎧の傷は直す事が出来ません。新しい鎧を買い替える事は出来ませんので、注意なさってください」

 

「ああ……助かった。鎧の穴もそれほど大きくはない。すぐに買い替える必要もないだろう」

 

 不審に思ったリーシャの声に大袈裟に反応したサラであったが、即座に意識を切り替え、立ち上がって身体の具合を確かめているカミュへと注意を促す。

 サラへ軽く頭を下げたカミュは、鎧に空いた三つ程の穴に指を這わせ、鎧の具合も確かめるが、確かに鎧という機能を全て失っているような物ではなかった。

 <ルカナン>という防御力低下の呪文の影響を受けていた<魔法の鎧>ではあるが、術者の崩壊によって、今はその防御力も許へと戻っている。

 防御力が低下した所を一突きに突かれた事が幸いしたのだろう。剣の刃の幅程の穴であれば、それ程大きくはない。更に言えば、<骸骨剣士>が所持していた剣は、カミュの持つ<草薙剣>のような刀身の幅の広い物ではなく、アリアハンを出る時にカミュやリーシャが持っていたような細身の物であった事が幸いしていた。

 

「探索を続ける」

 

「大丈夫か? 血液の回復も万全ではないだろう?」

 

 <ベホイミ>という回復呪文は万能ではない。

 どれ程に大きな傷も、それを塞ぎ、癒す事は出来る。

 だが、その者の身体で生成される血液までを増やす事は出来ない。

 大怪我を負った者を回復させる事は出来ても、即座に戦線へ戻す事は不可能なのだ。

 それが、<ベホイミ>という『教典』に記載された『僧侶』の呪文の限界なのであろう。

 

「悠長に事を構えている時間はない筈だ」

 

「そ、それはそうだが……」

 

 リーシャの心配を冷静に斬り捨てるカミュの言葉は、この場に居る誰もが理解している事であった。

 現状のサマンオサ国は、何時如何なる時に消滅してしまっても可笑しくはないのだ。

 それは、国民の不満が原因であったりするのではなく、国民自体が国から消滅してしまう程の危機である。それを彼等は、その場で見て来ていた。

 それでも、何故かリーシャは不満であった。

 カミュという人物が『勇者』であると最も信じているのは、今となってはこの女性戦士であろう。

 アリアハンを出た頃は、この青年を『勇者』と認めるどころか、英雄として名高いオルテガの息子である事さえ認めてはいなかった。

 だが、四年近くにもなる旅の中で、その存在の大きさ、その在り方、そしてその心根の優しさを知った彼女は、カミュこそが『勇者』であると信じ始め、今では盲信と言っても過言ではない程に、彼を信じている。

 だからこそ、『勇者』でなければどうする事も出来ないサマンオサの状況を知ってはいても、その為に己を犠牲にしようとする青年を許す事は出来なかった。

 

「やはり駄目だ。暫し、この場所で休む」

 

「え?」

 

 先程の戦闘場所から少し歩いた場所で、その想いは噴き出した。

 それは、毅然として先頭を歩くカミュの背中が、微かに揺れた事を確認したからに他ならない。

 最後尾から大きな声を発したリーシャに、サラは驚きの声を上げるというよりも、意外過ぎる言葉に放心したような声を発した。

 以前使った残りである少量の薪を取り出したリーシャは、そのまま地面に撒き、それに<たいまつ>から炎を移して行く。赤々と燃え上った焚き火に歩みを止めてしまったカミュとサラであったが、その場に座り込んだリーシャを見たメルエは、嬉々としてその膝の上へと移動してしまった。

 

「リーシャさん?」

 

「この洞窟も何があるか解らない。どれ程に深い物なのか、何処に<ラーの鏡>という物があるのかもな……だからこそ、カミュが万全でなければ、サマンオサへ戻る事さえも危ういと私は思う」

 

 もはや座り込んでしまったリーシャは、サラの言葉も受け付けようとはしない。

 既にメルエは、膝の上でリーシャの胸にもたれかかり、瞼を閉じ始めていた。

 リーシャの言葉には理解出来ない部分がある訳ではなく、むしろ一理も二理もある物である。

 戦闘での核も、謎解きでの核も、カミュではないかもしれない。

 最近の戦闘で全体を見通しているのはサラという『賢者』である事は、全体の認識であるし、謎解き等で頭脳を発揮するのもサラである。

 それでも、このパーティーの全員の総意として、核はカミュだという認識もあるのだ。

 この個性的な四人の心を一つにしているのは、眠りに落ちそうになっている幼いメルエであるだろうし、一つになった心の機微を感じ、それらが離れないように纏めているのは、リーシャという核であろう。そして、纏まった四つの心を制しているのは、サラという核なのかもしれない。

 それでも尚、このパーティーがパーティーとして成り立っているのは、カミュという『勇者』の存在があったればこそであると、リーシャもサラも、そして幼いメルエも胸を張って言うに違いない。

 

「そうですね……確かに、私達は必ず<ラーの鏡>を持ち帰らなければなりません」

 

「ああ。持ち帰った後も何があるか解らない以上、万全で挑む必要があるだろう」

 

 サマンオサの状況は理解しているし、それが一刻を争う事である事も承知している。

 それでも、サラは笑顔で納得し、リーシャの横へ座り込んだ。

 一刻を争う程に緊迫しているサマンオサ国ではあるが、それを立て直すためには<ラーの鏡>という物が絶対的に必要である事に違いはない。

 そして、それを手に入れる為にも、その後の壁を越えて行く為にも、カミュという人物は絶対不可欠な存在なのだ。

 既に眠りに落ちてしまったメルエの髪を梳きながら、リーシャはカミュが座るのを促す。

 

「わかった……だが、それ程時間が取れないのも事実だ」

 

「ああ……短い時間でも良い。お前は、保存食を口にした後、少しの間眠れ。私とサラで見張りを行う」

 

 溜息混じりに了承したカミュの言葉に、リーシャは満足そうに頷きを返した。

 僅かの時間でも、何かを口にし、身体を横たえる事によって、身体は生き永らえようと血液を作り出す。

 もしかすると、リーシャの膝の上で眠りについているメルエは、遠く砂漠の国でカミュが倒れてしまった時の事を思い出していたのかもしれない。

 あの時は、何も考えずにカミュの言葉通り先へ進んだが、今の三人は、あの時のように全てをカミュに託している訳ではないのだ。

 自分達の目で見て、自分達の頭で考える。

 その先で、カミュの口にした方針に間違いがなければ従うという構図が出来上がって来ていた。

 

 身体を横たえたカミュは、革袋を頭の下に敷き、すぐに眠りへと落ちて行く。

 意識はそれを拒んではいても、身体は確かに休息を欲していたのだろう。

 意識を手放す事の出来る程に信頼できる仲間が、今の彼の周囲には存在していた。

 それは、二十年前に旅に出た先代の英雄であるオルテガとも、このサマンオサに残る事を決めた英雄サイモンとも、そしてそのサイモンの息子とも異なる、カミュという当代の『勇者』が持ち得る宝なのかもしれない。

 時代は流れ、人の心は動き、世界は変わって行く。

 その時代に『賢者』と呼ばれた者とは異なる思想を持ち、異なる行動を起こす者が、今の時代の『賢者』として立ち上がり、脈々と連なる英雄や勇者の歴史の中で異質とも言える者が、当代の『勇者』として、時代と世界を切り開いて行く。

 

 

 

 




読んで頂き、ありがとうございました。

少し長くなってしまいました。
一話でこの洞窟を終えようと思っていたのですが(苦笑)
やはり、このような形になりました。
このままだと、第十三章は二十話を超えてしまいますね……

ご意見、ご感想を心よりお待ちしております。


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