新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

161 / 277
ラーの洞窟(サマンオサ南の洞窟)②

 

 

 

 カミュの眠りは考えていたよりも早くに覚めた。

 リーシャの膝の上のメルエが未だに眠りから覚めない中、身体を起こしたカミュは、自身の身体の状態を確認するように立ち上がり、立眩みなどが無い事から、出発の準備を整え始める。

 これ以上、休めと言っても無理である事を察したリーシャは、膝の上で丸くなる少女を揺り動かし、軽い溜息を吐き出したサラは、焚き火の炎から<たいまつ>へ炎を戻して行った。

 

「フロアの南の方は、まだ見ていなかったな」

 

「そうですね。このまま壁沿いに歩けば、その方角へ出ると思います」

 

 目を擦るメルエの手を引いたサラは、リーシャの言葉に同調し、<たいまつ>に照らされた前方を指差す。

 洞窟内は、ここまで探索して来た物とは異なり、燭台のような物の数が圧倒的に少なく、例え存在していても、その燭台に枯草や枯れ木が備わっていない事が多かった。

 故に、周囲の闇は、奥へ進む程に濃くなって行き、視界は限りなく悪い状況が続いている。

 『人』は本能的に闇を恐れる。

 それは、元々、自分達種族が生きる場所ではない事を知っているからなのかもしれない。

 その意味では、サラが闇を恐れるのは、『人』として当然の感情なのだろう。

 

「通路があるようですね」

 

「どうする、カミュ?」

 

「進んでみる」

 

 サラの考え通り、壁沿いに進んで行くと、右へと折れるように別の通路が出現する。何処へ続いているのかも解らず、そもそも道が続いているのかも解らない物ではあったが、持っていた<たいまつ>の炎を通路の方へと向けたカミュは、そのまま進む事を提言した。

 <たいまつ>の炎は、まるで奥へと吸い込まれるように揺れ動いたのだ。

 それは、通路の奥へと空気が通っている事を示している。

 表に出るような道が続いているのか、それとも地底に何かがあるのかは解らないが、呼吸が出来る場所へと続いている事だけは確かであった。

 

「…………はこ…………」

 

 通路を進んだ先には、少女の瞳を再び輝かせる物が転がっていた。

 真っ直ぐ前へと進む道とは別に、左へと折れる細い道の入り口付近に転がっている物は、年季の入った宝箱のような物。

 即座に<雷の杖>を掲げる姿に苦笑を洩らした三人は、幼い少女の行動を咎める事はしなかった。

 呟くような詠唱と共に飛び出した魔法力は、正確に宝箱を打ち抜き、ぼんやりとした光で包み込み始める。

 

「メルエ、どうだ?」

 

「…………あお…………」

 

 先程見たばかりの呪文行使である為、隣に居たリーシャが魔法の結果を問いかけた。

 この呪文の結果は、術者でなければ解らない。

 故に、輝くような笑みを浮かべて振り返るメルエを見たリーシャは、そのまま静かに頷きを返した。

 リーシャの許しを得たメルエは、そのまま宝箱へと足を進め、箱へと手を掛ける。

 宝箱には鍵などは掛けられておらず、非力なメルエでも抵抗なく開けられる程の物であり、軋むような音を立てて開いた箱を覗き込んだ彼女は、そのまま箱の中へと手を差し込んだ。

 

「何がありましたか?」

 

「…………これ…………?」

 

 メルエへと近付いたサラは、彼女の取り出した物へと視線を落とす。

 だが、問いかけられた少女は、それが何なのかが理解出来ないようで、静かに首を傾げる素振りを見せた。

 首を傾げながらも差し出された小さな手の上には、丸みを帯びた縦長の種のような物と、完全に球体に近いような木の実がある。答えを求めるように見上げるメルエの瞳を見たサラは、それに対する明確な回答を持たず、言葉に窮してしまった。

 

「……また、何かの種か? トルドの所に寄る時にでも聞いてみよう」

 

「そ、そうですね。それもメルエのポシェットの中に入れておいてください」

 

「…………ん…………」

 

 横から覗き込んだリーシャが発した言葉は、純粋な瞳からの逃げ場を探していたサラにとって救いの手となる。

 それをポシェットへ仕舞うように告げられたメルエは、再びトルドという大事な者の居る場所へ行ける事を理解したか、笑顔を浮かべながら二つの種をポシェットへと入れて行った。

 メルエが種を仕舞っている間に、その先へと続く宝箱へ<インパス>を唱えたサラは、その発光が赤色である事を確認し、一度元の場所へと戻る事をカミュへと告げる。

 

 再び先程の通路のような部分へと戻った一行は、通路を東へと向かって歩いて行った。

 <たいまつ>の明かりは、淡い明かりによって照らし出された一行の影を岩壁に揺らめく様に映し出す。

 下半身から伸びる影は、壁を伝って大きくなり、頭部の部分などは見上げなければ見えない。その影の姿は、不思議な気持ちよりも恐怖を誘い、幼いメルエは影から逃げるようにサラの足下へ身を隠していた。

 

「…………はこ…………」

 

 それでも、前方から再び左へ折れる細い道の先にある箱を見付けたメルエは、<雷の杖>を大きく掲げ、前方へと魔法力を投げつける。飛び出した魔法力は正確に宝箱を射抜き、淡い発光を始めた。

 得意気になって呪文を行使するメルエの姿は、何処か微笑ましく、リーシャとサラは小さな笑みを浮かべて、その後ろ姿を見つめる。

 振り返ったメルエは、宝箱が発している色が安全を示す色である事をサラへと伝え、それに対して頷きが返って来た事を確認すると、宝箱へと駆け寄って行った。

 

「…………いし…………」

 

「これは……もしかすると『命の石』でしょうか?」

 

 宝箱を開けたメルエが再び首を傾げているのを見たサラは、宝箱へと近付き、取り出された物へと目を向ける。

 その手には、少女の言葉通り、青く透き通った石が乗っており、その色は、サラの頭にあるサークレットに嵌め込まれた石よりも淡い青色であった。

 以前何処かで見た事のある石の姿に首を傾げていたサラであったが、横から現れたカミュの顔を見て、その正体を思い出す。それは、アリアハンを旅立った頃に、『勇者』と呼ばれる青年が着けていたサークレットに嵌め込まれていた石と同じ光を宿していたのだ。

 

 『精霊ルビス』も加護により、死の呪文などからその持ち主を護る石。

 身代わりとなって砕け散る事によって、その役目を果たす石。

 その名を『命の石』と呼んだ

 

「メルエが大事にしている石の元の姿ですよ」

 

「命の石か……その石がなければ、二年以上前に、私達の旅は終わっていたな」

 

 不思議そうに石を見つめていたメルエであったが、サラの言葉でその石の正体に気が付き、嬉しそうに微笑みを溢す。

 その笑みの理由が理解出来るリーシャは、以前所有していた『命の石』の最後を思い出し、少し寂しげな笑みを浮かべた。

 カミュが旅立ち当初から所有していた『命の石』は、ガルナの塔と呼ばれる試練の塔で砕け散っている。<ミミック>が唱える死の呪文によって、深い闇へと叩き落とされたカミュは、その場所で生を諦めたのだった。

 生を諦めたカミュは、死への誘いに抵抗する事無く、その精神を崩壊させる筈であったが、その身代わりとして『命の石』が砕け散り、彼は再び現世へと舞い戻った。

 そして、その石は、彼の母親であるニーナという女性が送った物。

 

「…………ん…………」

 

「い、いや……それは、メルエが持っていてくれ」

 

 三人がその時の状況を思い出していると、先程まで石に魅入っていたメルエが立ち上がり、その手を一人に向かって突き出した。

 突如目の前に突き出された者は、その行為に戸惑い、反射的に断りを入れてしまう。

 だが、それはこの場に居る誰もが許さなかった。

 

「…………だめ…………」

 

「そうだな、それはお前が持っていろ。私達は、お前と違って、生への執着は強い筈だからな」

 

「ふふふ、そうですね。カミュ様がお持ち下さい」

 

 首を横に振って、厳しい瞳を向けるメルエは、頑として青年の断りを受け取はしない。再び突き出された両手の上には、吸い込まれるように透き通った青い石が乗っている。

 少女の行為に頬を緩ませた二人の女性もまた、その行動を肯定するように、カミュの拒絶を許さなかった。

 彼女達は、カミュが<地球のへそ>と呼ばれる洞窟内で、<ミミック>が唱えた<ザラキ>を弾き返した事を知らない。彼の心が、既に簡単に死を受け入れる物ではなくなっている事をまだ知らないのだ。

 

「わかった」

 

「良かったですね、メルエ」

 

「…………ん…………」

 

 だが、彼はそれを敢えて口にはしなかった。

 もしかすると、それは彼の心の変化がそうさせていたのかもしれない。

 以前の彼ならば、彼女達の好意を理解しようとはせず、断固として断っていただろう。

 『いらないのならば、その辺りに捨てて行け』とでも答えていたかもしれない。

 そんな、心を閉ざし切ったアリアハンの英雄の息子は、もう何処にもいないのだ。この四年近くの旅の中で、彼は本当の意味での『勇者』への道を歩み始めている。

 それは、自分の父親である英雄オルテガをも超える旅。

 『象徴』として生きて来た彼は、三人の仲間と、数多く者達との出会いによって、心を宿し、感情を持ち、大きな変革を迎えていた。

 

 だが、この時の行為を、彼等は後々で悔やむ事となる。

 

「メルエ、こちらに!」

 

「カミュ、抜け!」

 

 和やかな雰囲気は一変する。

 カミュに向かって笑みを浮かべていたメルエの眉が下がった事で、サラが周囲の空気の変化を感じ取り、それを受けたリーシャが<バトルアックス>を抜き放った。

 敵の襲来の合図。

 カミュも背中の<草薙剣>を抜き放ち、身構えるが、その瞳に魔物の姿は映らない。不審に思い、周囲に目を配るが、他の二人も魔物の姿を捉える事が出来ずに困惑していた。

 唯一人、幼い少女だけは、『命の石』を手放した両手でしっかりと<雷の杖>を握り、<たいまつ>の炎によって揺らめく岩壁を見つめている。

 

「カミュ様、壁の影です!」

 

 サラの声が響き渡るのと、カミュが<ドラゴンシールド>を掲げるのは同時だった。

 竜の鱗が軋む音が響き、それに遅れるように、カミュが振るった剣の風切り音が轟く。

 カミュの剣が斬った何かが歪むが、それに実態がないのか、そのまま虚空へと消えて行く。まるで自身の影を斬ったような手ごたえの無い感触に、カミュは眉を顰めて後方へと下がった。

 

「カミュ、また実体の無い魔物か?」

 

「おそらくはな……」

 

 一歩後退したカミュへ近付いたリーシャは、目の前で徐々に形を成して行く黒い影に斧を向けたまま口を開く。その問いかけに、カミュは静かに頷きを返した。

 彼等の長い旅の中で、実体の無い魔物というのは限られている。

 <氷河魔人>や<溶岩魔人>等は、剣や斧での攻撃で倒す事は出来なくとも、攻撃自体は当たっていた。<キズモ>などは、攻撃が効果を示していないように見えても、その物を攻撃する事は可能であったかもしれない。

 だが、目の前で形を成し始めているのは、黒い影。

 それは、以前にカンダタ一味がアジトとしていた洞窟で遭遇した魔物と酷似していた。

 

<シャドー>

その名の通り、影の魔物である。どのような構造になっているのかは解明されていないが、長く存在する洞窟などに棲みつく魔物であり、その洞窟に灯りを持って入って来た者の影と同化するように襲いかかる。影である為、物理的な攻撃方法が解明されておらず、遭遇した場合、逃げるという行為が最善の方法である事が伝わっていた。

 

 じりじりと後退して行く一行を追うように影を伸ばす<シャドー>は、攻撃方法を見つける事が出来ない一行を嘲笑うように、頭部と思われる影の部分に口のような空間を開いている。

 カミュとリーシャを前面に出したまま、元の通路とは逆の方へと後退して行った一行は、少し開けた空間へと出た。

 そこは、所狭しと宝箱が置かれているような場所であり、その光景を見たサラは、瞬時に嫌な空気を感じ取っていた。

 

「カミュ様、これ以上は後退出来ません。逆には出来ませんか?」

 

「わかった……メルエを頼む」

 

 サラの忠告を聞いたカミュは、後方を振り返る事無く、リーシャと頷き合ってから<シャドー>へと向かって駆け出す。

 伸びて来る<シャドー>の腕のような部分を辛うじて避けたカミュは、そのまま剣を振り下ろし、影の身体を分断した。

 手応えの無い感触に、再び剣を構え直したカミュの横から、リーシャの持つ<バトルアックス>が飛び込んで来る。その一閃は、再び形を成し始めた影を両断する程の威力を誇り、影は霧散して行った。

 <シャドー>の身体が細切れとなり、霧散して行った場所を、カミュ達一行が駆け抜ける。一行が振り向き、態勢を整えた頃には、先程まで後方にあった空間に再び<シャドー>の姿が現れた。

 

「メルエ、詠唱の準備を! カミュ様とリーシャさんで、あの影の魔物を奥の部屋へ押し込んで下さい」

 

「…………ん…………」

 

「わかった!」

 

 もはや、このパーティーの頭脳としての役割を一手に引き受けるサラの言葉が響き、指示を受けた者達がそれに応じる。

 サラの言う、奥の部屋とは、先程背にしていた空間の事であろう。所狭しと置かれていた宝箱は、既にサラによって確認済みであった。

 その色は、危険を示す色である『赤』。

 故に、その箱を開ける必要はなく、むしろ消滅するべき物であるという事。

 

「カミュ!」

 

「ちっ!」

 

 立ち位置を変えた一行は、<シャドー>を映し出す為に<たいまつ>を狭い空間へと掲げるが、<たいまつ>を持っていたリーシャが声を上げる。彼女の声を聞いたカミュも、眉を顰め、盛大な舌打ちを鳴らした。

 狭い空間には、宝箱が所狭しと置かれているが、今までは只の闇の中に過ぎなかったのだ。

 だが、<たいまつ>を向けた事で、そこに光が差し、影が出来る。

 それは、新たな魔物の誕生を促す物であった。

 

「メルエ!」

 

「…………ん………ベギラゴン…………」

 

 狭い空間に新たな<シャドー>が生まれ、その数は徐々に増して行く。

 一体の<シャドー>の腕が、前衛に出ていたカミュの首筋を斬り裂いたのを見たサラは、後方で<雷の杖>を握るメルエに向かって指示を叫んだ。

 サラの指示を聞いたカミュとリーシャは、即座にその場を飛び退き、狭い空間の入口を大きく開ける。首筋を片手で押えながら飛び退いたカミュの血の匂いに誘われるように歩み出て来た<シャドー>は己に向かって来る強大な熱風にその身を焼かれて行った。

 メルエの杖の先から発した熱風は、真っ直ぐ空間の入口へと向かい、出て来た一体の<シャドー>の飲み込みながら、宝箱の転がる広間へと着弾する。着弾した熱風は瞬時に炎の海と化し、全てを飲み込む程の火炎へと変化して行った。

 

「カミュ様、リーシャさん、早く下がってください! メルエ、退きますよ!」

 

 前方が、炎の海しか見えない状況になった事を確認したサラは、そのままメルエの手を取り、一目散に元の場所へと駆けて行く。サラの声を聞いたカミュとリーシャもまた、後方の状況を確認する暇もなく、駆け出した。

 元の通路へと戻った一行は、そのまま通路を左へと折れ、その場所で足を止める。

 カミュ達が道を折れるのを見計らっていたかのように、熱風が通路を吹き抜け霧散して行った。

 髪を焦がす程の熱風が吹き抜け、一行は息を止める。メルエの口と鼻をサラが手で押さえ、その熱風によって気管を焼かれてしまわないように配慮したのだった。

 

「今後、狭い通路での<ベギラゴン>は考え物だな……」

 

「そ、そうですね……十分に気を付けます」

 

 先程よりも幾分か広い通路へ出た事によって熱風は霧散し、暫しの時間が経過すると、若干の熱気を感じる程度の物へと変わって行く。

 ようやく呼吸が出来るようになった頃、カミュがその火力の凄まじさに、行使する場所と時を改める事を提案し、サラもまた、それに同意を示した。

 サラの手が離れた事によって、大きく息を吸い込んだメルエは、苦しそうに眉を顰めながら、サラの恨めしげに見上げている。そんな幼い少女の姿が、一行の間に流れる空気を和やかな物へと変えて行った。

 

「しかし……改めて、メルエの呪文の脅威を感じたな……」

 

「例え影の魔物といえども、あの火炎の前では消え失せてしまうでしょうね」

 

 未だに強い熱気を放つ細い通路の奥へと顔を覗かせたリーシャが、その状況を把握し、首筋に冷たい汗を流す。

 その恐怖は、何もリーシャだけのものではない。

 メルエの隣に立っていたサラもまた、その呪文の脅威に肝を冷やしていた。

 <ベギラゴン>という呪文の威力は、グリンラッドという永久凍土の氷ですら溶かす程の炎を生み出す物であり、灼熱系の最強呪文である事を否が応でも理解させられる物でもある。

 それをサラも理解していたのだが、岩壁にくっきりと残る焦げ跡に背筋が冷たくなってしまった。

 

「…………メルエ………だめ…………?」

 

「いや、メルエは指示通り動いた。状況判断が甘かっただけだ」

 

 そんな二人の様子を見ていたメルエが、何かを窺うように眉を下げたのを見て、傍に居たカミュが口を開く。

 彼の言う通り、メルエはサラという指揮官の指示通り、その目的を確実に遂行したに過ぎない。その威力を調整していたとしても、この世界で生きる『人』の誰もが行使出来ない最強呪文では、抑え切れない物でもあっただろう。

 

「そうです。メルエが悪い訳ではありません」

 

「ああ……さあ、先へ進もう」

 

 カミュの言葉を聞いた二人は、気持ちを落としてしまったメルエに向かって笑みを向け、その手を取るように手を差し伸べた。

 二方向から差し伸べられた手を見たメルエは、少し悩んだ結果、リーシャの手を取る。振られてしまったサラは、がっくりと肩を落とした。

 一行は、そのまま通路を東の方角へと進んで行く。先程の膨大な熱量を持つ火炎を恐れたのか、魔物達と遭遇する事はなかった。

 

 

 

 東へ進むと下の階層へと降りる通路があり、ぽっかりと口を開いてカミュ達を誘っていた。

 進むしかないカミュ達は、そのまま坂を下って行き、奥へと進んで行く。

 カミュの血液を回復する為に一時休憩を挟んではいるが、既に洞窟へ入ってから一日近くの時間が経過していた。

 

「こ、これは……」

 

「…………むぅ…………」

 

 階下に降りた一行は、その光景に言葉を失う。

 サラは、その光景に眉を顰め、メルエはその空気に顔を顰めた。

 坂を降り切った一行の前には、巨大な湖のような物が広がっている。しかし、その湖の水の色は、人々が生きる為に欲する物とは大きく掛け離れていた。

 紫色に濁る液体からは、瘴気のような煙が立ち上り、異様な臭いを漂わせている。その臭いがメルエの気分を害し、リーシャの腰に顔を埋める事となっていた。

 

「水が腐っているのか?」

 

「解らない……ただ、異様な瘴気に包まれている事だけは確かだな」

 

 リーシャの言葉に答えたカミュは、一歩ずつ前へと歩を進めて行く。臭いはきついが、吸い込んでもすぐに身体に異常を齎す物ではない事が理解出来た。

 この場に長く留まればどうなるかは解らないが、毒のような効力を持っている訳ではない事を理解したカミュは、そのまま湖付近の通路を歩き始める。

 湖をぐるりと回るように出来た通路は、紫色の水から立ち上る煙によって、霧が掛かったように視界を霞ませており、湖の中央への視界を遮っていた。

 

「…………はこ…………」

 

「またか!?」

 

 視界の悪い通路を歩いていた一行であったが、固まって歩いて行く為、リーシャ横からサラの横へと移動していたメルエが再び動き始める。

 その行動に、諦めにも似た言葉を発したリーシャは、慌てて少女の後を追うように駆け出した。

 だが、大きな箱へ魔法力をぶつけたメルエは、奇妙な表情を浮かべて振り返る。その視線の先には、彼女にこの呪文を教えた『賢者』がいた。

 幼い少女の瞳を受けたサラは、その奇妙な表情の意味を理解し、一つの質問を投げ掛ける。

 

「メルエ、色は何色でしたか?」

 

「…………きいろ…………」

 

 魔法力に反応し、発光した色を問いかけたのだ。

 それに対して答えたメルエの解答は、青色でも赤色でもなく、曖昧な黄色であった。

 安全とも言い難く、かといって危険だと断定も出来ない。

 そんな曖昧な色であった事から、メルエは単独で宝箱を開ける事も出来ず、困ったようにサラへと助けを求めたのだった。

 

「カミュ様」

 

「わかった」

 

 宝箱を諦めきれないメルエに苦笑を浮かべたサラは、傍に立つカミュへ声を掛ける。

 全てを理解した彼は、一つ頷きを返した後、メルエを追い越すように宝箱へと近付き、何時でも戦闘へ入る事が出来る態勢を整えて、それを足で小突いた。

 数度の確認を終えたカミュは、メルエへと振り返り、小さく首を縦に振る。それは、宝箱が安全である事の合図である事を理解したメルエは、嬉しそうに頬を緩めながら箱を開け始め、中へと手を伸ばす。しかし、中にあった物に手が触れた頃になると、再び何とも言えない難しい表情を浮かべた。

 その表情が、何と表現したら良いのか解らない程に奇妙な物であった為、カミュは不思議に思ってメルエの手元を覗き込み、それに遅れるようにして、リーシャとサラも近付いて来た。

 

「メルエ、何だそれは?」

 

「…………むぅ…………」

 

 リーシャの問いかけにも、メルエは唸り声を上げるばかりで答えない。

 それは、本当に何であるのかが解らないという物だけではないようにも見える。現に、メルエは先程まで手を触れていた物から手を離し、リーシャの傍へと移動していたのだ。

 戦利品を誇らしげに見せに来ない姿は、ここまでの道程で初めての事であり、カミュもサラも、それを不審に思う。

 メルエが離れようとせず、身動きが取れないリーシャの代わりに、カミュが箱の中へと手を伸ばした。

 

「それは、獣の皮ですか?」

 

「着包みなのか?」

 

 カミュが取り出した物は、何とも言えない物であり、広げられたそれを見たサラとリーシャは、それぞれの見解を口にするが、そのどれもが的を射ており、逆にどれもが的外れにも感じるような物であった。

 サラの言うように、獣の皮と言えば皮だろう。

 手足さえもすっぽりと覆うような大きさをしたそれは、顔の部分は切り抜かれたように空いている。皮とは言っても、細かな体毛までもそのままとなっているそれは、人の手で一から作られた物というよりも、獣や魔物の身体から表面だけを切り取ったような物であったのだ。

 そして、それはリーシャの言うように、人型に造り直されている為、人が着る事の出来る形になっている。着包みと言っても差支えない物であり、獣や魔物の皮で出来ている物である為、全身を護る防具とも成り得る程の物でもあった。

 

「しかし、誰がこのような物を着るというのだ?」

 

「魔物の着包みだとすれば、魔物の巣窟となっている場所でもカモフラージュとなるのかもしれませんね」

 

 リーシャの疑問に答えたサラの言葉は、妙に納得の出来る物でもある。

 この洞窟だけではなく、この時代では魔物の巣窟と化している場所は、世界中でも数多くあった。

 人工的な建造物である、塔やピラミッド、自然的に出来上がった洞窟など、暗闇がある場所に、魔物は好んで棲み付く事が多い。

 そのような場所に『人』が入り込む場合、最大の危険は、魔物との遭遇である。

 魔物や獣は、『人』の気配に気付く訳ではなく、大抵はその臭いによって反応する。『人』や『エルフ』のような種族よりも優れた嗅覚を持つ者達である為、臭いという物は、それだけ危険を運ぶ物でもあった。

 だが、もし、そのような場所に入る際、魔物や獣の皮から作られた着包みですっぽりと身体を覆ったとしたら、『人』が発する独特の臭いは、その着包みが発する臭いに紛れ、身を隠す事も可能であろう。

 

「…………メルエ………いや…………」

 

「……だそうだ。それは、この場所へ置いて行け」

 

「そうですね……とても売り物になりそうもありませんから」

 

 興味深そうに、その着包みを眺めていたリーシャとサラであったが、リーシャの足下であからさまな不快感を示す少女の声に、二人は我に返る。

 メルエが、そこまでの不快感を示す理由については理解出来ないまでも、今の一行には全く必要のない物である事は確かである。不必要な荷物を持つ程、一行に余裕がある訳ではない以上、着包みのような物を持って歩く必要はないのだ。

 元々、リーシャやカミュにとっては、その着包みは小さ過ぎ、着る事が出来そうなのは、サラとメルエぐらいであろう。その二人に着る気持ちが無いのであれば、尚更であった。

 

「カミュ様、向こう側の通路は、瘴気の煙が薄いようですが……」

 

 着包みを箱へ戻した一行は、再び湖の周囲を囲むように出来た通路を歩き始める。

 彼等が降りて来た坂から、反対側に当たる部分に差し掛かった頃、サラが口を開いた。

 一行が視線を向けると、サラの言葉通り、その部分からは中央を見る事が出来る程、瘴気の煙が薄くなっている。湖の水の色は相変わらず毒々しく、不穏な空気と不快な臭いを発してはいるのだが、その瘴気は何かに疎外されるように晴れていた。

 

「カミュ、中央に浮島のような物が見えるぞ?」

 

「それに……あれは、祭壇でしょうか?」

 

 中央へと目を凝らしたリーシャは、瘴気の侵入を阻害するように浮かぶ小さな陸地を見つける。濁り切った湖の上で、何からも干渉を受けないかのように佇む小島には、更に小さな祭壇のような物が造られていた。

 それは、ルビス教を信仰するサラの目で理解出来る程に凝った造りであり、このような洞窟内にある事が不思議な程に立派な物であったのだ。

 

「しかし、渡る方法がありませんね……」

 

「流石に、この湖を泳ぐ危険は冒したくはないな」

 

 祭壇を見ながらも、湖を周回し終えた一行は、中央の浮島へ渡る方法が無い事を理解する。中央へ伸びる通路が無いのであるから、残る方法は、この瘴気に満ちた紫色の水を泳ぐぐらいしかないのだ。

 だが、この空気を吸っているだけでも、身体に何らかの影響を残しそうな程の瘴気である。その源と考えても良い、紫色に濁った湖に入るという行為は、とてもではないが自殺行為に等しい物であろう。

 リーシャとサラの言葉を聞いたカミュは、一つ大きな溜息を吐き出した後、不意に天を仰ぐように首を上げた。

 

「上の階層に、下への穴があったか?」

 

「えっ!?……あ、あれは……」

 

 天井を見上げたまま言葉を発したカミュの視線を追うように瞳を動かしたサラは、その光景を見て、何かを考え込む。

 瘴気の煙で霞んではいたが、それ程高くはない天井には、ぽっかりと黒い穴が空いていた。

 二つの<たいまつ>の頼りない明かりでは確証はないが、その部分だけは、他の部分とは異なり、吸い込むような闇が広がっており、岩や土で出来た天井ではない事が窺える。

 その闇と同じようにぽっかりと口を開けたまま見上げるメルエの表情に笑みを溢しながらも、リーシャはサラの言葉を待った。

 

「この湖の中央付近に向かって空いた穴ですね……。降りて来た場所から考えると、あの骸骨の魔物と遭遇した開けた空間の辺りでしょうか……」

 

「あの場所は、隅々までは見ていないからな……カミュ、戻るのか?」

 

 少し考えを巡らせていたサラは、状況を把握し、自身の考えを口にする。その内容に反対意見を述べる者など、この場には誰もいなかった。

 もはや、このパーティーの中で、彼女の思考は、それ程の信頼を得ているのだ。

 リーシャの問いかけに頷きを返したカミュが歩き出すと同時に、一行は再び来た道を戻り始める。

 

 

 

 坂を上り、メルエの残した<ベギラゴン>の爪痕を過ぎた一行は、再び開けた空間へと戻って来た。

 相も変わらず、漆黒の闇が広がる空間は、<たいまつ>の炎だけでは全てを見通せる物ではない。周囲を照らしながらも、魔物との遭遇を警戒しながら進み、来た道とは逆方向の壁沿いへと移動を始めた。

 開けた空間の中央へ出るのを最後に回し、まずは入り口付近へと戻る事を考えたのだ。

 

「…………あな…………」

 

「えっ!? 何処ですか?」

 

 そんな一行が、ぽっかりと空いた穴を発見したのは、幼い少女の一言からであった。

 サラの手を握りながら歩いていたメルエは、自分が蹴った小さな石が、床を転がらずに消えてしまった事を不思議に思い、その場所へ注意深く視線を向ける。

 暗がりの中で、殊更に黒い闇が広がる床を見た彼女は、サラの手を引き、その存在を伝えたのだった。

 メルエの指差す部分へと視線を向けたサラが他の二人を呼び、持っている<たいまつ>を向けると、それが完全な穴である事が証明される。それ程大きな穴ではないが、人が二人程すっぽりと落ちる事が出来る大きさは持っていた。

 

「カミュ、飛び込むのか?」

 

「……この穴が予想通りの場所へ繋がっているとしたら、その下はあの湖だぞ? 不用意に飛び込んでは、あの濁った水の中に落ちる事になる」

 

 <たいまつ>を穴へ向けても、下の階層のはっきりとした姿は見通せない。何処へ繋がっているかも解らない場所へ不用意に飛び込む事の危険性を理解しているからこそ、カミュはその行動に二の足を踏んでいた。

 それはリーシャも同様であったのだろう。彼の言葉に反論する事もなく、小さく頷きを返した後、彼が再び口を開くのを静かに待ち続ける。

 この先の方法は、リーシャでも、今座り込んで穴の奥を覗き込んでいるメルエが考える物でもない。

 それは、このパーティーの頭脳でもある、カミュという名の『勇者』と、サラという名の『賢者』が考える事項であり、その指示に『戦士』と『魔法使い』は従うだけなのだ。

 

「あの浮島のような場所は、それなりの広さがありました。このまま落ちても湖の中に落ちる事はないでしょう……この穴が、予想通りの場所へ繋がっていれば、という仮定の話ではありますが」

 

 しかし、『賢者』であるサラが口にした物は、とても曖昧な物でもあった。

 明確な自信がある訳ではなく、予測の話でしか言葉に出来ない自分自身を悔いるように、サラの顔は歪んでいる。それが、一行の安全を完全に確保出来ないという現実を示していた。

 不穏な空気を感じ取ったメルエは、首を上に向け、不思議そうに一行を見回している。

 

「洞窟に入る前に行使した呪文をアンタは行使出来ないのか?」

 

「え? トラマナですか? いえ、私も行使出来ますが……」

 

 そんな一行の迷いを払ったのは、カミュの一言であった。

 洞窟に入る前の瘴気を避ける為にメルエが唱えた呪文は、一行の周囲だけ、空気を清浄するような物であり、本来はこのような場所を歩く事を目的とした魔法でもあるのだ。

 サラは伊達に『賢者』という職に就いている訳ではない。

 暫しの間、彼が発した言葉の意味を考えていたが、何かに気付いたように顔を上げ、座り込んでいるメルエと視線を合わせた。

 

「メルエ、スクルトの行使を!」

 

「…………ん…………」

 

 サラの指示を受けた少女は、即座に立ち上がり、持っていた杖を高々と掲げる。呪文の詠唱を完成させたメルエの杖から魔法力が溢れ、一行の身体に魔法力の膜を作り出した。

 メルエの膨大な魔法力によって身体を覆った一行を見たサラは、そのまま自身の内にある魔法力を開放して行く。

 詠唱の言葉は洞窟の外でメルエが唱えた物と同じ。

 だが、一行を包み込む魔法力の質は、それとはやはり異なっていた。

 魔法力の量で周囲の空気を遮断して浄化するメルエの物とは異なり、サラの唱えた<トラマナ>は、何層ものフィルターを作り出す事によって、外界の空気を濾過するような物であったのだ。

 この部分でも、呪文の理解力に関する違いが出ていたのかもしれない。

 

「リーシャさん、一固まりになって飛び込みます。全員が横になって入れる程の穴ではありませんが、皆が手を繋いで入れば問題ないでしょう」

 

「わかった」

 

 答えを導き出した『賢者』の指示は、一つ一つ明確な物であった。

 その方法を聞いたリーシャは、全面的な信頼を向けて頷きを返す。そして、その手は、笑顔を向ける少女の手を取り、もう片方の手を『勇者』の青年へと差し伸べた。

 

「カミュ様……もし、スクルトでも耐えられそうになければ、アストロンの行使をお願いします。あの湖に落ちてしまう程度であれば、トラマナで何とかなると思いますので」

 

「わかった」

 

 差し伸べられた手を、眉を顰めながらも握り返したカミュは、しっかりと頷きを返す。最後にサラがメルエの手を握った事で、全ての準備は整った。

 <スクルト>のような身を護る為の魔法力の使用は、サラのような特性も持つ者よりも、メルエのような特性を持っている者の方が強みを持っている。その膨大で強力な魔法力は、衝撃を吸収し、傷を最小限に抑える事の出来る程の膜を作り出す。それを信じているからこそ、彼等三人は、この方法を取ったと言えるだろう。

 

「……行くぞ」

 

 先頭の青年の発した言葉が全ての合図となった。

 カミュが飛び込んだ勢いに引き摺られるように、次々と穴へと吸い込まれて行く。最後のサラが漆黒の闇へと続く穴へ吸い込まれると、明かりの消えた空間に、闇と静寂が再び戻っていた。

 

 

 

 穴から下降して行く四人の身体は、重力に従って速度を早め、急激に迫った地面に落下する。メルエの放った膨大な魔法力に護られているとはいえ、ある程度の衝撃を受けた三人の呻き声が響いた。

 それでも、幼い少女だけは、二人の姉によってしっかりと護られている。

 ゆっくりと立ち上がった一行は、自分達が立っている場所が、考えていた通りの場所である事を確認し、前方に広がる不思議な光景に目を見開いた。

 

「す、すごい……この場所では、トラマナなど必要ありませんでした」

 

「カミュ……これが<ラーの鏡>なのか?」

 

 浮島のような小島には、遠目で見た時以上に立派な祭壇が祀られていた。

 それは、一国の国宝を保管する場所というよりも、地に於いて何かを奉っているような形をしている。

 凝った装飾の成された祭壇は、ある一つの道具を大事に掲げ、それだけを崇めるように存在していたのだ。

 剥き出しの姿で安置されているそれは、狂いの無い円形をしており、中央には全てを映し出すような輝きを放つ円形の鏡が嵌め込まれている。その鏡を護るように、等間隔で周囲に宝玉が埋め込まれており、その青白い光沢は、薄暗い洞窟の中でも鮮やかな輝きを放っていた。

 その青い宝玉は、サラのサークレットに埋め込まれた石とも、先程メルエが取り出した『命の石』とも異なる光を放ち、この階層を覆う瘴気をも寄せ付けない程の神聖さを保っている。サラの言葉通り、この鏡を中心に、神聖な光と澄んだ空気が広がっており、その浄化能力は、<トラマナ>という人工的な物とは比べ物にならない物であった。

 

「これ程の大きさだとは思わなかった。取り上げた後はリレミトで脱出する」

 

「えっ!? だ、だれが、この鏡を手にするのですか?」

 

 これ程の神聖さを持つ鏡であれば、<ラーの鏡>と呼ばれるサマンオサの国宝に間違いはないだろう。しかし、その大きさは想像以上の物であり、メルエの装備している円形の盾と比べて、二回り程小さい物と考えても相違ない。

 メルエのポシェットに入らず、カミュ達の腰に下げている袋にも入らないそれを持って、来た道を戻る事は出来ない事は明白である。実際に、穴に落ちてこの場所に来た以上、脱出方法は一つしかないと言っても過言ではないのだった。

 しかし、そんな確認を込めたカミュの言葉に驚いたのは、唯一人の女性である。その他の三人の中では、何も驚く事ではないというのが、このパーティーの特性を示しているようではあるが、既に<リレミト>という脱出呪文の準備に入っている三人を見て、サラは素っ頓狂な声を上げてしまった。

 

「ん? それは、サラに決まっているだろう?」

 

「…………サラ…………」

 

「アンタだな」

 

 そして、そんな驚きの瞳を向ける『賢者』に向かって、全員がほぼ同時に声を発する。サラがその言葉を理解するのに暫しの時間を要する程、その声は時間差の無い物であった。

 美しい物、珍しい物に目が無いメルエでさえ、この鏡を手にする人間は自分ではないと理解している。

 それが何故なのか、そこにどんな思いがあるのかは解らないが、幼い少女はその鏡に興味を示す事無く、既にカミュのマントの裾を握り締め、脱出の準備を終えてしまっていたのだ。

 

「わ、わたしですか!?」

 

「サラ、早くしろ。サマンオサの状況は解っている筈だろう?」

 

 自分が指名された事に、再び驚きの声を上げたサラではあったが、続くリーシャの厳しい言葉と、その真剣な表情を見て、唾を飲み込み、表情を一変させる。

 恐る恐る祭壇へと近付いたサラは、ゆっくりとその手を伸ばす。

 彼女の手が鏡に触れるか触れないかの所まで伸ばされた時、その鏡は一際強い輝きを発した。

 その光を、彼女はその身で憶えている。

 それは、『精霊ルビス』と神に祝福された物に降り注ぐ、神々しいまでに神聖な光。

 同時に、『精霊ルビス』から役割を与えられた物が持つ光でもあった。

 

「お願い致します。私達を……いえ、サマンオサ国を救う為、お力をお貸し下さい」

 

 その光は、一気に洞窟内に広がり、広い階層の全てを包み込む。

 瘴気に満ちていた階層は、その光を受けて姿を変えて行く。

 紫色に濁り、瘴気の煙を吐き出し続けていた湖は、美しく澄んだ水へと姿を変え、瘴気の影響でくすんだ岩壁は、その身に宿す鉱石の輝きを取り戻して行った。

 眩い光で目を閉じてしまったカミュ達とは異なり、サラはしっかりとその鏡を見据え、力強くその手を伸ばす。円形の鏡を掴んだサラは、その重さに驚きながらも、ゆっくりと台座から取り外した。

 その見た目とは異なる重量ではあったが、持てない重さではない。ここまでの四年の旅の中で、その力量を上げ、リーシャという世界最高の『戦士』による扱きに堪えて来たサラであれば尚更であった。

 

「サラ、行くぞ!」

 

「…………いく…………」

 

 サラの手の中に落ち着いた<ラーの鏡>は、先程まで放っていた光を収束させ、その本体へと取り込んで行く。眩い光が収まった洞窟内の光景に驚きながらも、リーシャとメルエは、国宝を手にしたサラを呼び寄せた。

 しっかりと<ラーの鏡>を胸に頂いたサラがリーシャの手を握るのを確認したカミュは、そのまま小さな詠唱を口にする。

 

「リレミト」

 

 詠唱の歓声と共に、四人の身体が粒子に変わり、集束して行く。

 暫しの時間、方角を定めるように漂った光の束は、一気にその速度を早め、上空の大穴へと飛び込んで行った。

 

 サマンオサという大国に伝わる国宝は、神代から伝わる物である。

 その存在意義と、その目的は解らない。

 だが、この鏡が『精霊ルビス』の意思を受け継ぐ物である事だけは確かであろう。

 世界は再び動き出す。

 真実の姿を映し出すと云われる鏡が放つ希望の光によって。

 

 

 




読んで頂き、ありがとうございました。

大変遅くなってしまいましたが、ようやく更新出来ました。
次話から、ようやくボス戦へと入って行く筈です。
ご意見、ご感想を心よりお待ちしております。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。