新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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過去~サマンオサ①~

 

 

 

 サマンオサという国は、世界有数の軍事国家であった。

 周囲を険しい山々に取り囲まれ、<ルーラ>という魔法を行使出来ない者達は、『旅の扉』という移動手段を使わなければ、国内に入る事さえ叶わない。その為、他国の国内侵略を許した事はなく、魔王台頭以前は、絶対不可侵の国家として、その名を世界に轟かせていたのだ。

 険しい環境の中で育った人々は、その環境に適するように強力になって行った魔物達との戦闘でその力量を上げて行く。世界各国の中でも苛烈な環境下では、魔物の力もそれ相応に上がっており、このサマンオサ国周辺の魔物は、世界中でも上位に入る程の力を持っていた。

 それ故に、国家が所有する戦力も必然的に、他国よりも上位に位置する事となり、その軍事力は脅威に値する物となっていたのだ。

 その軍事国家であったサマンオサ国の中の最高戦力が、この国で生まれ、この国の危機を何度も救って来た一人の英雄である。

 サマンオサ国の国民達は、その名を畏敬の念を込めて呼ぶ。

 サマンオサの英雄、『サイモン』と。

 

「よくぞ戻ったサイモン! その様子だと、『旅の扉』付近に出没していた魔物の討伐も滞りなく済んだようだな」

 

「はっ!」

 

 サマンオサ国の王城の謁見の間に、一人の男性が通される。

 鍛え抜かれた鋼のような筋肉を持ち、その身体を赤紫の鎧で覆うその男こそ、このサマンオサ国で英雄と謳われるその人。

 齢は三十路を迎える手前であろう。

 男としても、戦士としても脂の乗った彼は、他国との戦にも、魔物との戦闘でも傷一つ負う事はなく、幾度もサマンオサ国に勝利と栄光を捧げて来た。

 今もまた、勅命を受け、サマンオサ国の出入りを可能とする唯一の手段である『旅の扉』周辺の魔物達を一掃し、帰城したばかりである。

 

「ごほっ……うむ、大義であった……ごほっごほ」

 

「国王様……」

 

 自身の前で跪き、赤い絨毯を見つめるサイモンに労いの言葉をかけていたサマンオサ国王が、数度の咳き込みを見せた。

 不敬とは知りながらも、その音を聞いたサイモンは、顔を上げて国王の顔へ視線を向けてしまう。本来、英雄とはいえ、国家の一家臣に過ぎないサイモンが国王の尊顔を見つめる事は罪に値する行為であるのだが、その様子を見ても、国王は軽く片手を上げるのみであった。

 

「大事ない……しかし、魔王台頭以降、日増しに魔物達は凶暴性を増して行くな……今は『旅の扉』が顕在ではあるが、この先、商人達の出入りも少なくなろう」

 

「御意にございます」

 

 国王の身を案じるサイモンであったが、その心配を国王が受け取らないとなれば、これ以上の詮索は不敬となる。故に、サイモンは、続く国王の言葉に同意を示し、再び深々と頭を下げた。

 軍事国家として名高いサマンオサ国ではあったが、この現国王は、軍事国家の国王にある独裁者のような者ではない。軍事とは他国を侵略する物ではなく、自国の民を護る物、という考えの下、サマンオサ国の平和と安全を守って来ていた。

 既にこの世界に『魔王バラモス』が台頭してから数十年の時間が経過している。当初は、それ程目立つ事の無かった影響も、ここ数年で顕著に表れ始め、それに比例するように魔物達の凶暴性も増していた。

 世界中の国家の人口は減少の一途を辿り、魔王台頭時から比べると、幾つかの国家もこの世から姿を消している。国家が消滅するのであるから、その国家に属する町や村なども同様で、魔物に抗う力の無い町や村の消滅数の方が何倍にも多い程であった。

 

「ふむ……世界では、魔王討伐に旅立つ者達も数多いと聞くが、討伐の成功の報が届いた試しはない。我が国としても、現状では魔王討伐に割く戦力が無い以上、国の将来を考えて行かねばならぬのかもしれんな」

 

「はっ」

 

 先程の咳き込みの影響なのか、胸に手を置いたままの国王は、軽く瞳を閉じた後、自身の思案内容を独り言のように呟く。

 その呟きは、自身に言い聞かせるような物であると同時に、目の前で跪く家臣をも納得させようとする物であった。

 魔王の力が日増しに大きくなって行く中、世界中では魔王討伐の声が高らかに上がり始める。それは、年を追う毎に大きくなり、今や全世界の腕に自信のある者達の共通の目的となって行き、毎日のように新たな『勇者』が旅立っていた。

 だが、その誰もが魔王討伐どころか、魔王の居城にまでも到達する事は出来ず、『魔王バラモス』の居場所も突き止められないまま、この世を去ってしまう。生き残った者達は、二度と魔王討伐という言葉を口にする事無く、隠遁とした生活を送る者達が多かった。

 軍事国家として名高いサマンオサ国は、元から強力な魔物達が近隣に生息しており、魔王の魔力をによってその狂暴性を増した事により、国内の治安維持が現状での第一優先事項となっている。

 英雄として名を馳せるサイモンは、諸悪の根源である『魔王バラモス』を討伐する事が急務である事を理解していても、祖国の為を考え、この場所を離れる事は出来なかったのだ。

 自国の英雄の胸の内を理解しているからこそ、このサマンオサ国の国王もまた、胸を痛めていた。

 

「しかし、兄上……我が国の将来とおっしゃるが、魔王を討伐する以外で現状を打破する事は難しいのではないですか?」

 

 国王と英雄の、言葉に出さない思いやりは、不意に掛けられた言葉によって遮られる。

 声の主は、このサマンオサ国の第一王位継承権を持つ者。

 前国王の忘れ形見であり、現国王の実弟でもある男性であった。

 忘れ形見と言われる通り、この王弟の年齢は、現国王とはかなりの開きがある。現国王は、齢四十半ばを超えているが、王弟の歳は、玉座の前に跪く英雄よりも一つか二つ下になるだろう。

 齢四十半ばを超えた現国王には子が出来ず、王妃は既にこの世にはない。何度か側室を設けた事もあるが、その誰もが懐妊する事無く、年若いままこの世を去っていた。

 自身に輿入れしてくる娘達が、悉く早逝してしまう事から、何時しか妃を迎える事も、自身の子を儲ける事も諦めてしまっている。

 

「確かにお前の言う通りだ、アンデル。だが、魔王の討伐の成功を祈るだけでは、国は瓦解し、民達が苦しむだけだ」

 

「では、如何するおつもりなのですか?」

 

 王弟アンデルは、決して暗愚な男ではない。

 だが、第一王位継承権を持つと言っても、所詮は王弟であり、国王に実子が生まれれば、即座にその継承権を失う者となる。故に、国政を担う者達の中では、この王弟を政務の中心には据える事は禁忌となっていた。

 幼くして前国王である父を亡くし、父親代わりに自分を育ててくれた兄の役に立ちたいという想いこそあれ、王弟アンデルは、圧倒的に経験が少な過ぎたのだ。

 

「今まで、外国からの物資に頼っていた部分を補って行く。一年や二年でどうなる物でもないが、自国で作物を育て、自国で必要な物資を作って行くのだ。幸い、我が国には、武器や防具などを作る際の技術力がある。諸国から作物の苗や種を購入し、我が国で育てられる物を増やして行く他あるまい」

 

「自給自足を行うというのですか?」

 

 サマンオサ国は、諸外国の隔たりが他国よりも強い。

 来る者を拒むような険しい山々に囲まれ、出入り口は、王城の東にある『旅の扉』しかない。一度に大量の人間を運ぶ事が出来ない為、訪れる商人の数も限られていた。

 その為に、東にある『旅の扉』は三か所の異なる場所へと繋がっており、多くの商人達が安全に訪れるように設置されているのだが、魔物の凶暴化が進む昨今では、その優位性も鳴りを潜めて来ている。

 三つの『旅の扉』によって、多くの文化や文明を吸収して来たサマンオサではあったが、ここ最近の来国者の減少によって、物資の流通にも影が差し始めていたのだった。

 

「うむ……それは、『旅の扉』が正常に稼働し、商人達が訪れる今しかないのだ。これ以上先延ばしにすれば、動こうと考えた時には、既に諸国との交流は不可能になる」

 

「そうでしょうか? サイモンはどうだ?」

 

「……ご英断かと存じます」

 

 魔王の台頭以来、日増しに強まる魔物の力は理解してはいても、自国が孤立してしまう危機感をどうしても持ち得ないアンデルは、玉座の前で跪いたままの英雄に声を掛けた。

 王族の会話に口を挟む事は出来ない為、じっと口を噤んでいたサイモンであったが、問いかけには答えなければならない。暫しの時間をかけて、国王の言い分に賛成の意を唱えた。

 本来、国王の考えに反対意見を出すなど、一家臣に出来る行為ではない。

 だが、このサイモンという男は別であった。

 例え自身の命が無くなろうとも、祖国の為に諫言を行う事の出来る者であり、その事を国王も王弟も知っていたのだ。

 

「ふむ……ならば、早速大臣たちと協議に掛けよう。この件については、アンデルを総督として話を進める。良いな?」

 

「わ、わたくしですか!?」

 

 サイモンの同意を聞き、国王はそのまま話を進めて行く。

 そして、その責任者の取り決めもまた、国王の独断で行われた。

 それに驚いたのは、この王弟である。前述の通り、彼は政務の中心からは極力切り離されていた。それは、現国王に実子が出来た時、政務の中心に王弟がいるという危険性を考えての物。

 王位継承権の最上位は、現国王の嫡男となるのだが、政務の中心に王弟がおれば、その派閥やその財務によって、王弟の力の方が上となり、相続紛争の幕開けとなってしまうからだ。

 それをアンデルも理解しており、兄の役に立つ為に日夜政務の勉強をしてはいるが、所詮は机上の論である事は否めず、実際に政務に立つ事はなかった。

 その自分が、兄が示した国の将来に係わる大事業の責任者に指名されたのだ。

 驚く以外に感情など表わしようがない。

 

「では、本日はここまでだ。サイモン、大義であった……ごほっごほっ」

 

「兄上!」

 

 話す内容は全て終了した、と国王が口を開き、サイモンが再び深く頭を下げたその上から、先程以上の咳き込みが聞こえて来た。

 それと同時に、傍に立つ王弟の声が響く。

 再び顔を上げてしまったサイモンの瞳には、玉座に寄ろうとする弟を遮るように、国王が左腕を上げている姿が映った。

 

「大事ない! 騒ぐな!」

 

 厳しい言葉を弟へとぶつけた国王は、不安そうに顔を上げたサイモンを見て、弱々しい笑みを浮かべる。

 謁見の間には、位の低い兵士達以外、国王、王弟、サイモンの三人しかおらず、兵士達は玉座の奥と、入口の門付近に居る為、この騒ぎにも気付く様子はなかった。

 王弟と国王の声は厳しい物ではあったが、現状を理解している為か、何処か圧し殺したような声であった事も幸いしていたのかもしれない。

 

「サイモンも下がって良い」

 

「はっ」

 

 英雄と謳われている者でも、主である国王の言葉に逆らう事は出来ない。

 国王が退出する事を望んでいるのであれば、余程の事でない限り、それを拒む事は罪となってしまうだろう。

 一度深々と頭を下げたサイモンは、そのままゆっくりと立ち上がり、頭を下げたまま数歩後ろへと下がった。

 素早く振り返ったサイモンは、一切の脇目も振らずに、謁見の間を後にする。

 

「サイモン様、ご機嫌麗しく」

 

 謁見の間を出て、回廊を歩くサイモンに対し、宮廷で暮らす貴族達が声を掛けて行く。その一つ一つに笑顔で答えながらも、サイモンの頭の中では他の事柄に想いを巡らせていた。

 サイモンは貴族の出ではない。

 宮廷騎士の中でも、平民から実力を買われて騎士となった者の子であった。

 陪臣とまではいかなくとも、国王から直接お声が掛かる程の地位を持っている訳ではなかったサイモンは、幾度もの魔物との戦闘や、他国との戦争によってその功名を上げ、サマンオサ国随一の力量と名声を手に入れたのだ。

 それ程の力と栄誉を持った一家臣には、様々な勧誘もあった。

魔王台頭後の世界は、常に脅威と隣り合わせでの生活を余儀なくされ、国家は自国の防衛に力を入れる。その為には、自国を守れる程の力量を持つ物が不可欠であった。

 纏まった軍を率いて魔物と戦う事は出来る。

 だが、その軍を率いる者もまた必要なのだ。

 

「国王様の事……迂闊な事は言えぬな」

 

 そんなサイモンをこのサマンオサ国に留めていたのは、祖国という想いとは別に、現国王という存在がある。

 現サマンオサ国王は、名君と呼ぶに相応しい王であった。

 バラモス台頭以前から、他国への侵略を嫌い、防衛に於いてのみに軍事力を行使しており、他国の商人達の誘致を積極的に行いながら、『旅の扉』までの街道の護衛として、国家の軍を派遣するなど、国家の繁栄を第一と考えていたのだ。

 民を慈しむだけではなく、民が生きる為に何が必要かを知っており、それを独断で決断するだけの能力を持っていながらも、重臣達を集め、合議を元に物事を進める柔軟性も持っている。

 この陸の孤島と言っても過言ではないサマンオサが、世界屈指の軍事国家であると同時に、世界屈指の先進国である事が出来るのも、現国王が若くして即位した事が無関係ではないだろう。

 

 しかし、ここ最近の国王には怪しい影が忍び寄っていた。

 以前は、謁見の間には常に重臣達が控えていたのだが、先程の謁見の際に見た通り、最近では玉座の周囲には、筆頭大臣と王弟しか配置されていない。

 重臣達との合議にも参加しない日もあり、まるで人を遠ざけるような印象さえも持ってしまう物であった。

 不審に思う重臣達もいたが、協議に上がって来る王の政策などに陰りは見えず、王の能力が衰えた訳ではない以上、それ以上の詮索は不敬に当たる物であると、誰もが黙認していたのだ。

 

「お帰りなさい!」

 

 様々な事を思案しながら歩いていたサイモンであったが、町外れにある一軒の家屋の前まで辿り着くと、まるでサイモンが来た事を察したように開かれた扉に我に返る。

 飛び出して来たのは、齢五つか六つ幼い男子。

 満面の笑みに輝く瞳を宿した男子は、サイモンまで一気に駆け寄り、その胸へと飛び込んで行った。

 突如飛び込んで来た子供をしっかりと受け止め、そのまま抱き上げたサイモンの顔にも笑みが浮かび、男子を追うように家屋から出て来た女性に視線を移す。

 サイモンとそう変わらぬ歳の頃に見える女性に顔にも笑みが浮かんでおり、しっかりとサイモンの首に腕を回す男子を優しく見つめていた。

 

「あなた、ご無事のご帰還、ご苦労様でございました」

 

「うむ。変わりはなかったか?」

 

「母上は、僕が護っているから大丈夫だよ!」

 

 言葉を聞く限り、この女性はサイモンの妻なのだろう。深々と頭を下げたその姿に、サイモンは満足そうに頷きを返した。

 彼の首に纏わりつくのは、彼の嫡子。

 五つ六つという幼さにも拘わらず、彼の中には、脈々と英雄の血は流れているのだろう。誇らしげに胸を張り、父親に答える姿を見た夫婦は、笑みを濃くする。

 サマンオサ国随一の英雄である彼には、祖国と共に護るべき存在があった。

 それが、この二人の家族である。

 

 

 

「あなた、お城から急使の方がお見えです」

 

 久しぶりに戻った自宅で家族の団欒を楽しんだその夜、揺り起こす声に、サイモンは目を覚ました。

 隣で寝ていた筈の妻が彼を揺り起こし、王城からの急使の来訪を告げたのだ。

 即座に身支度を整えた彼は、客間で待たせている急使の許へと急ぎ、王城へと登城して行った。

 急使の言葉は、『至急登城するように』という一言だけ。

 理由もなく、しかも発信元が国王ではなく、王弟であるアンデルであった。

 

「サイモン様がお見えになられました」

 

「通せ!」

 

 城内に入ったサイモンは、そのまま謁見の間へと通される。案内の者が発した言葉に返って来たのは、サイモンも良く知る筆頭大臣の声であった。

 中へ通された後、案内の者は出て行き様に人払いを指示される。厳粛な雰囲気の漂う謁見の間は、何処か悲壮感さえも漂っていた。

 玉座の横に立つ大臣の表情も明らかに強張っており、暗闇でもその表情が優れていない事が解る。

 嫌な予感を拭えないサイモンであったが、玉座の前で跪いたまま、大臣の言葉を待った。

 

「サイモン、こちらへ」

 

 案内の者が謁見の間を去り、周囲に人の気配が無くなったのを確認した大臣は、サイモンを立ち上がらせ、奥の階段へと歩を進めて行く。

 サイモンは英雄ではあるが、宮廷では一家臣にしか過ぎず、その位は大臣よりも数段劣る。無言で頭を下げたサイモンは、大臣の後を続く様に階段を上り、一度も足を踏み入れた事の無い場所へと入って行った。

 そこは、王族のみが入る事を許される居住区。

 王族以外に出入りが許されているのは、身の周りの世話をするメイドと、その代の筆頭大臣だけである。

 

「サイモンをお連れ致しました」

 

「入れ」

 

 階段を上った先にある一つの部屋へと辿り着いた大臣は、後方にサイモンが控えている事を確認すると、部屋の扉をノックした。

 ノックと同時に来訪を伝えると、中から静かな声が返って来る。

 その声もまた、その場所の主であろう国王の物ではなく、王弟であるアンデルの物であった。

 先程感じていた嫌な予感が、信憑性を増して来た事に眉を顰めながらも、サイモンは頭を下げたまま部屋へと入って行く。王族の部屋である事が解っている以上、一家臣に過ぎないサイモンは、面を上げる事は出来ないのだ。

 入室して即座に跪き、顔を伏せたままのサイモンの頭の上から弱々しくも威厳のある声が響く。

 それは、サイモンが主と仰ぎ、崇拝する者の声。

 再度深く頭を下げたサイモンは、一言も聞き逃すまいと耳を欹てた。

 

「良く参った。久方ぶりの家族との一夜に呼び出した事を詫びよう」

 

「滅相もございません。このような畏れ多い場所へお呼び頂けた事、終世の栄誉と致します」

 

 その声は、とてもではないが、サイモンが崇拝し、畏敬した者の発する物とは思えない程に弱り切っている。

 昼前に謁見をした際には、咳き込みはしたが、それでもしっかりとした力強さを持つ声ではあったのだが、今はその面影もない。不覚にも目に溜まった雫を落とさぬように、サイモンは声を振り絞った。

 

「サイモンよ……そなたのお陰で、この国の民の安全は、幾度となく護られた。この国の王として、そなたに改めて礼を申す」

 

「畏れ多いお言葉……」

 

 国王からの言葉に、サイモンは言葉を失くしてしまう。

 先程振り絞った筈の声は、既に喉から出て来ない。

 顔を上げる事さえも敵わない程に込み上げる想いは、サイモンの頭に様々な思い出を巡らせ、胸を詰まらせて行った。

 

「これ……そなたの顔をよく見せよ」

 

 騎士や戦士は、己の涙を見せる事を嫌う。

 それでも、国王の命となれば、それに逆らう事など出来はしない。しかも、それが自身の唯一崇拝する王であれば、尚更であろう。

 既に抑える事の出来ない涙が止め処なく流れる瞳を拭う事さえ出来ずに、サイモンはゆっくりと顔を上げた。

 歪む視界の中、寝具に身体を横たえた国王が顔だけをこちらへ向けているのが解る。その姿を見たサイモンの視界が再び歪み始めた。

 

「……近う寄れ」

 

「はっ」

 

 国王の言葉に、短く返したサイモンは、膝を床へ着けたまま、国王の傍へと擦り寄って行く。

 四十の半ばを過ぎたこの国王は、崇拝する相手であり、畏敬の念を向ける相手でもあった。

 だが、それと同時に、サイモンにとって兄とも思える程に慕っていた相手でもあったのだ。

 宮廷の下級騎士の息子として生まれたサイモンは、その剣の腕を磨き、呪文を学んだ。決して裕福ではない彼にとって、呪文を学ぶというのは給金の全てを吐き出す覚悟がいる物であった。

 そんな彼の才覚を見出し、その援助を行いながらも声をかけ、叱咤激励をしてくれたのが、現サマンオサ国王その人である。

 

「騎士に涙は禁物ぞ……恥と思え……ごほっ」

 

「国王様!」

 

 大きく暖かな手が己の頬に触れ、笑みを浮かべながら叱るその姿に、サイモンは再び涙する。

 だが、再び咳き込み出した国王に、思わず声が出てしまった。

 サイモンの動きを制するように手を上げた国王のその手は、自身の命の源によって、赤く染め上げられている。それを見たサイモンは、悔しそうに唇を噛みしめ、声を詰まらせた。

 

「口惜しいが、余はここまでのようじゃ。余の死後は、アンデルをサマンオサ国王として盛り立ててやってくれ」

 

「兄上! そのような弱気な事を申してはなりません」

 

 自身の死期を悟っているのか、国王は、サイモンと大臣へ視線を向けながら、自身の死後の体制に関しての言葉を残す。

 ここで国王の言葉に反論したのは、王弟であるアンデルだけであった。

 サイモンも、筆頭大臣である男も、これが自分達が慕い続けた国王の最後の言葉である事を知っているのだ。

 故に声を挟まない。

 全ての言葉を聞き洩らさぬように、そして全ての仕草を脳裏に焼き付けるように、国王へ視線を固定させたまま、無言で続く言葉を待っていた。

 

「アンデル……お前はまだ若い。だが、お前は余を超える男であると信じておる。お前はまだ気付いておらぬだろうが、お前には国王としての才が溢れておるのだ。余では成し遂げられなかった民の平穏を成し得る事が出来るのは、お前しかおらぬ」

 

「兄上……わたしには……私にはそのような才はございません」

 

 国王は知っていた。

 この王弟が、宮廷内の老若男女を問わず、好かれている事を。

 彼は、人々を分け隔てる事はない。

 自身が国王の弟という立場であり、国王に実子が誕生すれば、即座に用済みとなる事を知っていたアンデルは、自身を王族として見てはおらず、平民や貴族という垣根を越えて人と接していたのだ。

 故に、平民からの人気は当然の事、王族の権力を振り翳す事の無いアンデルは、貴族からもその人柄を受け入れられていた。

 常に自国で生きる者達の事を考え、自身が政務の中心に入れないと知りながらも、案があれば国王や大臣へと進言する。それが通らなくとも不貞腐れる事などなく、何が駄目であったのか、何処に落ち度があったのかという事を練り直し、再び案を持って来る姿は、重臣達からも高印象を持たれていたのだった。

 名君ある所に影はある。

 だが、そんなアンデルの活動は、このサマンオサ城内の隅々までに光を行き渡らせ、影の出来る暇を与えなかったのだ。

 

「サイモン、それに大臣……そなた達には、アンデルの後見を命じる。こ奴の光が曇らぬよう、そなた達の力を貸してやってくれ」

 

「国王様のお心のままに」

 

「しかと承りました」

 

 アンデルから視線を外した国王は、二人の寵臣へこの国の希望の補佐を命じた。

 胸に手を当て、深く頭を下げた大臣の声と、跪いたままで深く頭を下げるサイモンの声が重なる。既に、サイモンの瞳からは涙は消え、そこの瞳は、決意の炎と使命を受けた輝きに満ちていた。

 そんな二人に満足そうに笑みを浮かべた国王は、そっと瞳を閉じる。

 ゆっくりと身体を戻した国王は、大きな溜息を一つ吐き出した。

 

「今日は良き日じゃ……余には見える。サマンオサ国の民達の笑顔と、それを支えるお主達の姿が。今日は良き日じゃ……良き日じゃ……」

 

「兄上!」

 

 最後の言葉は、もはや聞き取れぬ程に小さく、ゆっくりと閉じられた口は、もはや動く事はなかった。

 上下に動いていた胸も静かに止まり、その者の生命活動の終わりを告げる。

 ここに、サマンオサ国の稀代の名君が消え去った。

 

「ぐっ……」

 

 兄の遺体にしがみ付く様に涙を洩らすアンデルの姿を見た大臣は、抑えて来た物を溢してしまう。込み上げた嗚咽を抑える事が出来ず、口元を押さえて呻き声を洩らした。

 彼もまた、この聡明な国王によって見出され、その頭脳と功績によって筆頭大臣まで上り詰めた男である。

 サイモンと異なるのは、元々貴族の出であったという点。

 しかし、貴族の三男という、家督を継ぐ事も、領地を継ぐ事もない身であった彼の頭脳という物を評価し、その頭脳を発揮できる場を与えたのは、落命した王であったのだ。

 歳はサイモンよりも十以上も上であり、サマンオサ国王よりも若干下である。

 そんな四十を超えた男が涙を抑えられぬ程、国王の死という物の影響は大きかった。

 

「……くっ……アンデル様、本日はこちらでお休みください。明日には国王様の崩御を皆に伝えなければなりません。アンデル様は、明日からはサマンオサ国王として、葬儀を指揮して頂く事になります」

 

「大臣様、今はまだ……」

 

 しかし、彼にはまだやらなければならない仕事が残っている。

 筆頭大臣として、サマンオサ国王に仕えて来たのだ。

 次代国王として、アンデル王弟が即位した場合、先代が重用していた腹心達が同じ立場で生きる事が出来ない可能性もある。だが、そのような心配よりも、まずは敬愛していた国王の遺言通り、王弟であるアンデルを即位させ、このサマンオサ国自体が揺るぎない事を、自国だけではなく、他国にも宣言しなければならない。

 彼に悲しんでいる時間はないのだ。

 そんな大臣の発言に、サマンオサ国の英雄が異を唱える。歳も地位も、役職さえも上である大臣に対しての言葉としては、余りにも無礼な物ではあったが、国王が身罷れたばかりでの物としては余りにも酷い大臣の物言いに、サイモンは軽い反発心を持ってしまった。

 

「サイモン、お前の気持ちも、アンデル様のお気持ちも痛い程に解っているつもりだ。泣き暮らせるのであれば、私とて三日三晩泣き通して見せよう。だが、国王が御隠れになった今、悠長にしている時間はない。魔物の動きが活発になる中、国王が不在であれば、民衆の心は静まらぬ」

 

「はっ! このサイモンの浅慮、平にご容赦を!」

 

 サイモンの心を正確に受け取った大臣は、表情に不快な物を滲ませる事無く、それでも厳しさを崩す事無く語り出す。

 その言葉を聞いたサイモンは、己の狭量を恥じた。

 泣き暮れる王弟の心を慮るばかりに、先代が愛したサマンオサ国の民の心を忘れていたのだ。

 名君と呼ばれた王への想いは、個人差はあれども皆同じである。サイモンや大臣のように己を護る腕力や知力、そして権力等の力がある者ならば良い。だが、サマンオサ城下町で暮らす国民の大多数は、何の力も持たない者達ばかりなのだ。

 国という保護下でなければ生きられないのは皆同じではあるが、その依存度は異なる。それを痛烈にサイモンは再認識した。

 

「ではアンデル様、明日にはお迎えに上がります」

 

 その言葉と共に、大臣は王の寝室を出る。

 それに続く様に、アンデルに一礼したサイモンは、もう一度サマンオサ国王の亡骸に向かって手を胸に置いて深々と頭を下げた後、寝室を出て行った。

 残された王弟は、動かぬ肉塊と成り果てた兄の胸に顔を埋めながら、夜を通して涙を流し続ける。

 それが、この先十数年続く、サマンオサ国の悲劇の始まりであった。

 

 

 

 翌日、アンデルは王の寝室から出て来る事はなかった。

 大臣とサイモンが呼びに行くが、中から鍵を掛け、呼びかけにも応じようとはしない。

 それでも、大臣とサイモンは、致し方ない事だと考え、一日の猶予を持つ事にした。

 

「アンデル様にとって、国王様は父も同然だ。父親を失ったのであるからその喪失感は、一日や二日で埋まる物でもあるまい」

 

「御意」

 

 王弟アンデルは、年老いた先代と第二夫人との間に生まれた所謂妾腹の子である。国王の血を引いてはいるが、正室と呼ばれる第一夫人との間に生まれた兄とは、基本的な格が異なっていた。

 第一夫人は、若くして亡くなってはいたが、第一夫人の実家となる貴族達からは疎まれる存在であり、その心労も重なり、母である第二夫人もまた、若くして天に召されている。

 幼くして庇護者を失ったアンデルを護ったのは、次期国王である皇太子であった。

 年が一回り以上も上の兄は、政務の傍らでアンデルを気に掛け、様々な事を教える。

 城の中の事、城の外の事、海を越えた遙か先にある国々の事。

 アンデルの全ては、兄である国王から学んだのだ。それは、もはや兄と言うよりも父に近い存在であっただろう。

 

「明日、また参ります」

 

 王の寝室の扉の前で、そう告げて去った大臣とサイモンであったが、その翌日も前日と異なる部分は何一つなかった。

 寝室から出て来ず、呼びかけにも応じない。

 塞ぎ込んでいるのかと考え、このサマンオサ国の行く末を案じた大臣とサイモンではあったが、その日の夜も同様となれば、もはや一刻の猶予もなくなっていた。

 サマンオサ国の気温はそれ程高まる事はない。それでも、生命を失った人体を放置しておいても変化が現れない程の永久凍土でもないのだ。

 死体は腐り、崩れ落ちて行く。

 サマンオサ国王ともあろう人間の遺体が、腐り落ちる事など許される訳はない。

 そして、ここまで返答がないという事は、王弟アンデルもまた、国王に殉じてしまったという可能性も出て来るのだ。

 

「ご無礼をお許し下さい!」

 

 その可能性を全く考えていなかった事を、大臣もサイモンも激しく後悔した。

 無礼な行為を謝罪しながら、王の寝室の扉を蹴破るように飛び込んだサイモンは、寝室に入ったと同時に漂う腐敗臭に顔を顰め、所狭しと飛び回る蠅に目を怒らせる。

 サイモンが王の遺骸に群がる蠅を斬り払い、その場に蹲る様に倒れるアンデルへ大臣が駆け寄った。

 気を失ってはいるが、小さな呼吸を繰り返すアンデルの姿に安堵した大臣ではあったが、王の変わり果てた姿に顔を顰め、早急に棺桶の準備をサイモンへ命じる。そこで、他者に知られる事が無いようにと厳命したのは、この大臣の唯一の失態であったのかもしれない。

 

「アンデル様! アンデル様!」

 

 夜であった事も幸いし、サイモンは誰にも気付かれる事無く木の棺桶を用意した。

 この魔物が横行する時代、一度の魔物討伐の遠征で何人もの兵士が死んで行く。それは、現地で魔物に殺される物だけではなく、魔物との戦闘による負傷が原因で命を落とす者達も多いのだ。

 死体を放置しておけば、悪しき魔王の魔力によって魔物に堕ちてしまうと考えられた時代である。死体は速やかに棺桶へと入れられ、火葬や埋葬という形で供養された。

 

「このような粗末な物に……国王様、お許し下さい」

 

 蠅が集る程の状態にまで落ちた王の亡骸を放置する訳にはいかない。

 これ以上の時間は、蠅の子を生み出し、恐ろしい死病もを生み出す事になるからだ。

 このサマンオサ国の全てを愛した国王を、そのような厄災にしてはならない。それは大臣とサイモンの共通の認識であった。

 アンデルを自室へと戻した大臣とサイモンは、そのまま国王の遺体が入った棺桶を運び出し、城の外へ出る勝手口の近くにある木の根元へと埋める事となる。

 一国の国王の密葬としては、余りにも不敬な行為ではあった。だが、現状では、それ以外に方法が無い事も事実。

 このような状態の国王を世間に晒せば、それを知っていた大臣とサイモンだけではなく、後継者であるアンデルさえも咎を受ける事となる。

 大臣もサイモンも、自分達が罰を負う事を恐れた訳ではない。唯一つ、国王の遺言を果たす事が出来ない事を恐れたのだ。

 

「アンデル様は、国王様以上の王と為られるのでしょうか?」

 

「私には解らん。だが、我々の敬愛する国王様が信じたお人だ。必ずやサマンオサを良き方へ導いて下さるだろう」

 

 アンデルの即位。

 それは彼等二人が敬愛する国王が願った事。

 だが、サイモンは半信半疑であった。

 サマンオサ国王を信じているからこそ、その言葉が信じられない。今、土の中へと埋葬された国王以上の王は存在しないと信じているからこそ、その王が発した言葉を信じる事が出来ないのだ。

 故に呟いた一言であった。

 そして、大臣もそんなサイモンの言葉を罰する事はなく、それでも尚、国王の言葉を信じるという事を宣言する。

 

「畏まりました。このサイモン、命に代えましても、アンデル国王をお護り致します」

 

「うむ。共に後見として、アンデル様をお護りしようぞ」

 

 ここに二人の男の誓いが成された。

 それはとても成し難い誓い。

 月が輝く木の下で成されたその盟約は、その後も破られる事はない。

 それは、ここから始まる地獄の始まりであった。

 

 

 

「アンデル様……そのお姿は……」

 

 翌朝、皆が起き出すよりも早くにアンデルの寝室へ向かった大臣とサイモンは、通された寝室内で声を失う。

 歴戦の勇士であるサイモンでさえ、扉を閉め、跪いた後で身体を硬直させてしまった。

 呆然自失の二人は、不敬とは知りながらも顔を上げたまま、目の前に立つ人物から目を離す事が出来ない。正確に言えば、何も考える事は出来なかったのかもしれない。

 

「アンデルは、昨日にこの世を去った。私は兄になる」

 

「し、しかし……」

 

 大臣とサイモンの目の前に立つ人物、それは先日崩御した筈の国王その人であったのだ。

 姿形を似せた程度の物ではない。

 何処をどう見ても、何一つ変わる事無いその姿は、生前の精力に満ちていた国王その物であった。

 部屋に入った直後は、大臣もサイモンも、思わず『国王様!』と呼びかけてしまいそうになった程の姿ではあったが、声までも同じとなれば、再びこの世に戻ったと言われれば、信じてしまいそうになる。

 だが、目の前の国王は、『兄になる』という言葉を残した。

 それは、彼がアンデルである事を明確に表す言葉。

 

「まず……そのお姿は、どうして……」

 

「大臣ならば知っておろう。このサマンオサ国には、二つの国宝がある。一つは、南の洞窟に祀られている<ラーの鏡>。そして、もう一つが、この杖だ」

 

 何とか絞り出した大臣の疑問に、悠然と答えるその姿もまた、生前の国王その物である事に、大臣とサイモンは戸惑うが、目の前に突き出された一つの杖に更に驚かされる。

 それは、真っ直ぐに伸びた金属製の杖の先に、丸い宝玉が嵌め込まれた物。

 まるで宝玉を護るように、杖の上部は金属の板が円を描き、その宝玉は青く怪しい光を帯びていた。

 金属製とは言っても、その輝きは鉄や鋼鉄とは異なり、人工の物ではない事が窺える。

 それこそが、サマンオサ国の二大国宝の一つである<変化の杖>であった。

 

「これは、変化の杖と呼ばれる物。念じた者に成り代わる事が出来る杖だ。兄上の寝室に掛けられてあった」

 

「そ、それは解りましたが……何故、国王様のお姿に……」

 

 何処か誇らしげに杖を見せるアンデルの姿に、サイモンは思わず口を開いてしまう。

 英雄とはいえ、位の低いサイモンは、次期国王と大臣の会話に口を挟む権利を有してはいない。本来であれば、叱責と共に軽い罰を受けるのであるが、当の大臣もまた、目の前の光景に取り乱していたのだろう。サイモンを見たまま一つ頷いたアンデルの答えを待つ事にした。

 

「兄上はあのようにおっしゃられたが、私には国王となる才はない。名君と謳われた兄上がこの世を去り、私のような者が国を継ぐ事となれば、この国の民達は戸惑い、迷う事だろう。貴族達も皆、この国を去ってしまうかもしれない」

 

「そ、そのような事、断じてありません!」

 

 しかし、待っていたアンデルの答えを聞いた時、大臣もサイモンも自分達の愚行を悔やんだ。

 このような答えを待っていた訳ではなく、そのような答えをする者の後見を託された訳でもない。強い失望と、強い哀しみが胸を打つ中、大臣は何とか声を振り絞り、アンデルの答えを否定した。

 だが、そんな大臣の言葉にも耳を貸さず、アンデルは静かに首を横へ振る。

 

「私は決めた。今後、私を兄と思って仕えてくれ。兄のように広い視野を持っている訳ではないが、私なりに努力し、少しでも兄に近づけるように生きるつもりだ。今日より、王弟アンデルはこの世にはいない。二人もそう心得よ」

 

 強い意志と、何よりも強い拒絶。

 それは、筆頭とはいえども、一大臣と一家臣に拒む事が出来る者ではなかった。

 零れ落ちそうになる涙を堪えながら、サイモンは深く頭を下げ、この偽りの国王に忠誠を誓うのだ。

 先代国王から受けた命を遂行するために、月に誓った想いは、先代国王の姿を模す王弟に裏切られて尚、破られる事はない。

 それは、サイモンに遅れて跪いた筆頭大臣も同様であった。

 

 王弟アンデルは、不慮の病でこの世を去ったと公表され、大々的な葬儀も行われた。

 豪華な棺桶には、重みを誤魔化す為に家畜の肉を入れ、そのまま王家の墓へと埋葬される。元来、尊い一族である王族の亡骸を見る事は叶わないという風習があった事が幸いし、アンデルの死は正当に執り行われた。

 だが、一部では、アンデルは死んだのではなく、武者修行の旅に出たのだと噂する者も多かったと云われている。

 その噂の出所は、宮廷内部とも、城下町の一角とも、サマンオサ城下町では囁かれていた。

 

 

 

 




読んで頂き、ありがとうございます。

過去編は余りにも長く二話に分けました。
ご意見、ご感想を心よりお待ちしております。

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