新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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サマンオサ城③

 

 

 カミュ達の魔法力によって、一行がサマンオサ城下町へと降り立つ頃には、太陽は疾うの昔に地平線に隠れ、空には大きな月が浮かぶ時間帯になっていた。

 闇夜に響くふくろうの声が何故か不気味に響き渡り、まるでサマンオサ国の現状を憂いているようにさえ感じる。眠そうに目を擦るメルエへ手を伸ばしながらも、サラは周囲の空気の変化を感じて、表情を引き締めた。

 

「サイモン殿の部下達の姿が無いな……」

 

「これから起こり得る事を考えれば、国外に出る方が安全だろう」

 

 肌寒くすら感じる夜風が吹き抜ける中、城下町へと続く門の周囲を一通り見回したリーシャが静かに口を開く。その声は大きくはなかったが、静けさの広がる夜の闇の中で、一際通る物であった。その言葉を聞いたサラの表情は曇り、カミュは然も当然とでも言うように言葉を繋げる。

 確かに、彼等の使命は、<ラーの鏡>という国宝を護る事。それ以外の指示を、サイモンから受けていたかどうかを知らないカミュにとって、使命を果たした彼等がサマンオサ国を脱出していたとしても何等不思議な事ではなかったのだ。だが、そこはやはり、『象徴』としての道を歩んで来た、彼の限界なのかもしれない。

 

「いえ、あの方達は、国外になど出る訳はありません。必ず、この場所へ来て下さいます」

 

「そうだな……しかし、サラ、あの者達を待っている時間はないぞ?」

 

 強く、そして熱い瞳。それは、真っ直ぐに城下町の先に見える王城を見つめていた。先程まで歪んでいた表情は自信を取り戻し、自分達のやるべき事を見出している。それを証明するように、リーシャが発した忠告にも、サラは視線を変える事無く、一つ小さな頷きを返した。

 心が決まった『賢者』程、このパーティー内で強い者はいない。それを知っているリーシャは、笑みを浮かべ、カミュは静かに瞳を閉じる。メルエだけは、目を擦る手を止め、各々の行動の意味が解らず、小さく首を傾げていた。

 

「さあ、行こう」

 

「はい!」

 

 この先に何が待ち構えているか解らない。僅か数日ではあるが、カミュ達が旅立ってから、更にこの城下町の雰囲気が重くなっているのを、彼等四人は感じていたのだ。城下町の門の勝手口のような場所が僅かに開いている事も、それを証明しているのかもしれない。

 『何かが動き始めている』

 それを、誰もが強く感じていた。十数年間に及ぶ迷走の時が、ようやく終わりを告げるのかもしれない。

 

 城下町の中に入った一行は、先程感じていた自分達の感覚が間違いではなかった事を感じていた。全ての家屋の扉は頑なに閉じられ、何者も入り込めないように施錠されている。中の明かりは、申し訳程度に灯され、それが更に不気味さを演出していた。

 夜の闇に漂う静寂は、国民達の心を表しているように揺らいでいる。耳が痛くなるような静寂の中に、不安と恐怖、そして何よりも強い叫びが込められているようであった。

 

「まずは、教会から地下牢へ入る」

 

「自称国王を連れて行くのか?」

 

「えっ!? 墓地から入るのですか!?」

 

 誰も出ていない城下町を歩くカミュが、この後の行動について発言した時、即座に全く異なる内容で、全く異なる反応が返って来る。リーシャからは、国王を自称する人間と共に行動する事の有無を、サラからは、その場所へ向かう為の通過場所についてを。何時もならば、何かを問いかけたならば、不承不承でも答えを返すカミュではあるが、この時ばかりは、何一つ言葉を発する事無く、教会の方へと歩みを速めて行った。

 

 

 

「おお! 戻ったか」

 

 墓地の一角に隠されていた階段を降りた一行は、サマンオサ城の地下牢へと繋がる牢獄の一つに作られた部屋の扉を開けた。扉を開け、中へ入ると、まるで一行を待ち構えていたように、一人の男性が声を発する。それは、先日国王の名を口にした者。カミュ達に、このサマンオサを救う為に<ラーの鏡>という国宝を所望した男性であった。

 

「して、ラーの鏡は手にする事が出来たのか?」

 

「……ここに」

 

 目の前にいる男性が、サマンオサ国王である証明が無い以上、ここでカミュ達が跪く義務はない。それを理解しているのか、男性もカミュ達を咎める事はなく、早々と本題に入った。カミュの返答と共に、後方に控えていたサラが一歩前へと踏み出す。その手には、神代の鏡が納まっていた。

 神秘的な輝きを放つ鏡は、その役目を果たす時を待っているかのように静かに佇んでいる。覗き込む者を吸い込むような輝きは、見る者を魅了し、まるで悪しき心までをも吸い込んでしまうかのようだ。

 

「うむ。その鏡は、今しばらくそなたが持っておれ」

 

「よろしいのですか?」

 

 国宝と謳われる程の物となれば、このサマンオサにとっても至宝に近い。この男性が真の国王ならば、他国の者の手に納まっている事を良しとはしない筈である。だからこそ、サラは問い返した。『この鏡を自分が持っていて良いのか?』という問いと共に、『本当にサマンオサ国王なのか?』と。

 だが、そんな彼女の心の内は、この男性には透けて見えていたのかもしれない。苦笑のような笑みを浮かべた男性は、小さく溜息を吐き出した後、サラへと視線を向けた。

 

「余の名は、アンデル。先代サマンオサ国王の実弟であり、十数年前より玉座に座す者である」

 

 初めて口にされたその名を聞いたカミュは、静かに膝をつけた。それは、正に王の持つ威厳。『人』の上に立つ者としての覚悟と、下々の者達を護る為の想いを持つ者だけが有する力である。

 その力を、この旅の中で、彼等は何度も目にして来た。

 砂漠の中にある過酷な環境の国を束ねる若き女性に。海を渡る貿易という手段を魔物に奪われながらも、自国の民と世界の民を案ずる男性に。そして、異教徒と伝えられる程に小さな島国の中で、そこで生きる民達の為に自身の命さえも投げ出そうとした、太陽のような少女に。

 

「ご無礼をお許し下さい」

 

 カミュから遅れるように、サラは男性の前に膝を着く。アンデルと名乗った男性が、本当に先代国王の実弟であるという証拠はない。だが、その身に纏う空気が、彼を国王だと示していた。カミュやサラだけでなく、リーシャやメルエも、この旅の中で数多くの王族に出会って来ている。その中でも、国王としての威厳を持つ王族の数は限られていた。

 自国の民を想い、自国の為に自身を捨てる王族は、この世界で決して多くはない。それを理解しているからこそ、彼等はこの王の前で膝を着いたのだ。

 

「よい。そなたらの働き、実に大義である。だが、本当の戦いはこれからであろう」

 

「……畏れながら、その儀、我らも同道させて頂きたく存じます」

 

 ここまでの無礼を詫びるサラの言葉を軽く流したアンデルは、その視線を移し、牢獄の奥へと向ける。

 その時、カミュは満を持して口を開いた。その言葉は、アンデルにとって予想外の物だったのかもしれない。大きく見開かれた目は、まるで信じられない者を見るかのように驚きに彩られ、何かを口にしようと開かれた口からは、言葉が出て来なかった。

 先程、ラーの鏡をサラへ託したままにしたのには、アンデルなりの考えがあったのだ。彼とて、今、この国の玉座に腰を下している者が、只の盗賊風情でない事ぐらい理解はしている。だからこそ、ラーの鏡を持ち帰るだけの力量を持つ者にそれを持たせたまま、偽国王の真実の姿を写そうと考えていたのだ。

 それは、一国の王としては恥ずべき行為なのかもしれない。だが、アンデルが把握している現サマンオサの国力から考えれば、万が一の事を考慮に入れた場合、使える者は何でも使うという狡猾さも必要だと考えていた。

 

「そ、その方らが、このサマンオサの為に戦うと申すのか?」

 

「……国王様の御心のままに」

 

 カミュが頭を下げると同時に、後ろに控えた三人の女性もまた頭を下げる。その姿は、十数年の間、偽りの王として玉座にいたアンデルでさえ、心震える程の光景であった。

 しかし、それは頭を下げている二人の女性もまた同様であった。リーシャという名の『戦士』も、サラという名の『賢者』も、この場所で、このような出来事が起こるとは考えてもいなかったのだ。まず、第一にカミュがこの場面で名乗りを上げるとは思ってもみなかった。

 だが、彼はアンデルという名の真のサマンオサ国王の前で跪き、このサマンオサの危機に立ち上がる事を宣言している。それは、まるでこの国の礎となって鬼籍へと入った英雄のように。

 

「……すまぬ……すまぬ」

 

 一行の姿に顔を沈めたアンデルは、目頭を覆うように手を翳し、嗚咽に近い言葉を洩らす。国王の涙を見るという事は、王族以外では禁忌に近い。カミュ達四人は顔を下げたまま、国王の次の言葉を待ち、静かに跪いたままの姿勢を維持していた。

 その四人の行動を察したアンデルは、流れ落ちる涙を拭い、何事もなかったように彼らへと視線を落とす。

 

「では参ろう。このまま地下牢から城へ上がる事は出来まい。故に、一度城下町へ出て、城の東側にある勝手口から城内へと入る」

 

「はっ」

 

 魔王討伐を図る『勇者』とはいえ、ここで他国の者に全てを委ねる事はサマンオサ国王としては出来ない。それを理解出来るだけの分別をアンデルは持っていた。他国の者の介入があったとしても、それを主導する人間は、この国の王でなければならない。そうでなければ、このサマンオサという大国が、他国の属国となってしまう可能性があるからだ。

 『魔王バラモス』という共通の目的があるからこそ、今の人間達は他国を侵略する事はないが、この弱り切ったそれぞれの国家であるが故に、他国の介入を許し、他国に吸収される恐れもあった。

 

「では、一度教会へと出ますが、夜の闇に紛れる為、城内に入るのは真夜中になるかと思われます」

 

「ふむ……とすると、些か問題ではあるな」

 

「はい。ラーの鏡によって、暴かれる姿を目にする者が少なくなります」

 

 アンデルの言葉を受け、カミュが先導する為の注意事項を発する。それは、彼の言いたい事の全てを語る物ではなかった。だが、アンデルは思案する表情を浮かべた後、カミュが考えている事と同様の物を想い浮かべ、確認の為に問いかける。

 それに答えたのは、カミュの後方で跪く『賢者』と名乗る者。サラが発した内容を聞いたアンデルは、自分が考えていた事と寸分違わぬ物である事を確認し、再び思案する為に瞳を閉じた。

 

「よい。まずは城内に入る。誰も周囲に居ないのであれば、当の国王に呼ばせれば良いのだ」

 

「……畏まりました」

 

 既にアンデルの中では、その手段も結果も見えているのかもしれない。カミュ達の先導を必要とせず、数年の期間幽閉されていた場所を出ていた。

 その表情に浮かぶのは、『覚悟』と『決意』。

 彼が、このサマンオサ国の王族として生まれ、初めて宿した物。

 それは、奇しくも、死に行く直前に、この国の英雄が部下へ語った『真の国王』となる者が宿す炎に酷似した物でもあった。

 遅すぎた覚醒は、様々な悲劇を乗り越え、本来の国家へと帰還する。

 

 

 

 教会の傍にある墓地から脱出した一行は、そのままサマンオサ城を目指す。

 夜の城下町は静けさに満ちており、まるで人々が生活さえもしていないかのような、痛みすら感じる静寂に支配されていた。

 カミュの後ろを歩くアンデルは、その町の姿を見て、自分が犯して来た罪を改めて自覚する。このサマンオサ城下町の惨状は、彼が己を偽り続けた結果なのだ。

 もし、彼が<変化の杖>という国宝を使う事無く、有りの儘の姿で玉座に着き、アンデルという名の国王として政務を執っていれば、<変化の杖>という国宝は、サマンオサ王室の一角で埃を被ったままであっただろう。彼が頻繁にそれを使用した事によって、その国宝は『秘宝』ではなくなってしまったのだ。

 悔しさに唇を噛み締めるアンデルの姿を見たサラは、彼に対して跪いたカミュの考えが間違っていない事を改めて実感する。サラ自身もまた、アンデルに対して、王の威厳を感じてはいたが、彼女一人では、あのような形で対応する事はなかっただろう。

 彼女の信じる、『人の守護者としての王族』からは、大きく掛け離れてしまったサマンオサの元国王に跪いたのは、彼女が信じ始めている『勇者』の行動が強く影響していたのだ。

 

「サイモン殿の息子はいないか……」

 

「それも、余の不徳の致す所だ。成人間近であったサイモンの息子が、この国の騎士として志願していないという事実が、全てを物語っておろう」

 

 サマンオサ城の敷地内に入ったリーシャは、数日前に見た姿を思い出し、不意に言葉にしてしまう。それは、前を歩くカミュも、そしてサラも気付いていた。

 だが、この夜中まで城下の敷地内に入っていれば、宮廷騎士等でない以上、明らかな不審者となる。それでも、リーシャは何かを期待していたのかもしれない。

 そんな彼女の期待は、顔を伏せたアンデルによって斬り捨てられた。

 彼が玉座から降ろされた時、サイモンの息子は成人間近にまで成長している。つまり、彼が父と同じ道を歩む気があれば、宮廷騎士へ立候補する資格はあったという事になるだろう。父親がこの国で並ぶ者がいない程の英雄であれば、採用される事は難しい事ではない。

 その未来の英雄である青年が国家の人間として属していないという事は、自ら志願していない事を物語っているのだ。

 そして、それはこのサマンオサ国や国王へ不満を持っているからであるとアンデルは考えていた。

 

「まだ、全てが終わった訳ではございません」

 

「そうであるな……余には、まだやらねばならぬ事がある」

 

 顔を伏せたアンデルに対し、口を開いたのはサラであった。

 本来、リーシャやサラのような、『勇者』の一従者に直答出来る権利は与えられていない。だが、アンデルという存在は、『勇者』であるカミュが跪いたとはいえ、名実共の国王ではないのだ。

 直答をしても咎める事は出来ず、そして、それを許す事が出来る雰囲気を彼は有していた。

 王族としての威厳を有してはいても、それは何処か温かみを持つ物。

 このアンデルという初老の男性を見たサラは、王族が何故、『人』の守護を任されたのかという説が世界に広まっているのかという疑問に対する答えを見たような気がしていた。

 国王としての威厳という物は、それは相手を威圧するだけの物ではなく、傍に居る者を包み込むような不思議な空気をも含んだ物である事を理解する。

 何者も受け付けない高貴さではなく、誰もが恐れる威圧感でもなく、その者の傍に居たいと感じる程の空気が国に人を集め、留まらせ、国を盛り立てて行くのだろう。

 それは、イシスという砂漠を領する女王にも、ポルトガという貿易国の再建に尽力を尽くす国王にも、ジパングと呼ばれる異端の国を束ねる若き国主にも、そして、異種族であるエルフという者達を統べる女王にも備わっていた物。

 それこそが、下々の者達の希望であり、光なのだと、サラは感じていた。

 

「勝手口から食堂を通り、謁見の間を通り過ぎる」

 

「謁見の間からは入る事が出来ないのですか?」

 

 勝手口の取っ手に手を掛けたカミュは、アンデルの言葉に口を挟んだ。

 ここまでの道中、リーシャはアンデルに向かって口を開いてはいない。リーシャという女性は、厳格な宮廷騎士である。

 例え、牢獄に入っていたとしても、一度跪いた相手となれば、それは王なのだ。

 アリアハンとサマンオサという国の違いはあれど、王族は王族であり、国王は国王。一宮廷騎士が軽々しく会話が出来る立場の人間ではない。

 そこがリーシャとサラの違いなのかもしれない。

 

「うむ。夜は、王族の居住区へ続く階段に兵士が配備されている。今の現状ではそこを上る事は出来ないだろう」

 

 城の台所は、人一人いない。全ての明かりは消え、そこで働いている人間は全て帰宅しているのだろう。

 それでも警戒しながら進む中、城の廊下へと出る扉から中を覗き込み、アンデルは城の内部に関して忠告を促す。

 王城の内部の詳しい構造を他国の人間に話す事は、サマンオサの国家機密を暴露する事になるのだが、今はそれを危惧している時ではない事を、アンデルは強く感じていた。

 

「それは王室近辺も同様ではないのですか?」

 

「いや、それはない。玉座に座る偽物も余と同様に<変化の杖>を使用している筈。余は筆頭大臣とサイモン以外を部屋に近づけた事はなかった。おそらく、それに関しても同様であろう」

 

「変化の杖を使用されていたのですか……」

 

 カミュの疑問に対するアンデルの答えは、全て理にかなった物であった。

 確かに、<変化の杖>という道具を使用して姿を変えているのであれば、それが露見する事は、命を失うに等しい。効力がいつまで続くか解らない物であれば、その可能性は未知数であり、己の傍に信頼出来る者以外は近づけないであろう。

 そして、その答えを聞いていたサラは、ここに来て全てを把握した。

 今まで可能性を追っていただけの物だったが、アンデルという王弟自身が<変化の杖>を使用していたのであれば、ここまで感じていた疑問が全て晴れるからである。

 

「まずは、北にある階段から、物見台へと上る」

 

 謁見の間の入り口付近を横へと抜けた一行は、そのまま通路を北へと向かい、途中にある地下牢への階段を素通りし、北東に見える上への階段を目指した。

 地下牢へと続く階段を見たサラが、一瞬眉を顰めるが、後方を歩くリーシャの手と、不意に繋がれたメルエの手に我に返り、再び力強い瞳を取り戻す。

 今、牢獄に繋がれる者達を見れば、サラの心は絶望に囚われてしまうかもしれない。何よりも、今、彼女達が牢獄へ足を踏み入れても、出来る事は何一つないのだ。

 

「良い月夜だ。だが、これ程の月夜に、民達の声が聞こえない。それも……今日で終わる」

 

 物見台へと出たアンデルは、漆黒の空に浮かぶ大きな月を見上げ、独り言を呟いた。

 それは誰に聞かせる物でもない。自分に言い聞かせるような呟きは、彼を真の国王へと変えて行く。暗示に罹るように瞳の色を変えて行ったアンデルは、城下に見える数多くの家屋へ視線を移した後、もう一度浮かぶ月を見上げた。

 そのまま先頭を切って物見台の梯子を降りたアンデルは、下のバルコニーを抜け、一つの扉の前へと出る。

 追って来たカミュ達一行に目配せをした後、彼はその運命の扉を力強く開け放った。

 

 

 

 偽国王は、巨大な鼾を掻きながらベッドで横になっている。

 呑気に高鼾を掻く偽国王のベッドに、四人の『勇者』と、真の国王の影が掛かり、薄く灯された明かりだけが、その来訪を見定めていた。

 

「起きよ!」

 

 ここまでの道中で堪忍袋の緒は切れかけていたのだろう。

 ベッドの横へと移動したアンデルが、横たわる偽国王の横っ腹を蹴り上げ、ベッドの下へと蹴り落とした。

 偽とはいえ、国王に対する行動ではない。何処の国家であっても、即座に処刑される程の行為に息を飲んだサラであったが、向こう側から伸びて来る手が一瞬『人』ではない何かに見えたような気がして、表情を引き締めた。

 

「何事じゃ! 余の眠りを妨げるとは……即刻首を刎ねてやろう!」

 

 立ち上がった偽国王は、先日カミュ達を牢獄へと入れた時と変わらぬ姿をしていた。その姿は、このサマンオサ国民全ては王として認める者の姿。だがそれは、既に崩御し、この世に居る筈の無い者の姿。

 それは、余りにも不自然でありながらも、とても自然にこの王宮に溶け込んでいる。まるで数十年間、何一つ変わっていないかのように佇むそれは、カミュやリーシャといった武器を携帯した者達を見ても、その余裕を変える事はなかった。

 

「大臣やサイモンも、この姿をこのような想いで見ていたのだな……」

 

 そんな中、唯一人苦々しく表情を歪めたアンデルは、目の前で歯を剥き出しながら叫んでいる物体に視線を向け、小さな溜息を吐き出す。それは、彼が十数年の間、借り受けていた兄の姿。

 父のように慕い、国王として尊敬していた兄の姿は、とてもおぞましい物に映った。

 あれ程に国の行く末を憂い、残す者達に託す事を喜びにさえ感じて息を引き取った兄を冒涜するその姿を、その兄を自分以上に敬愛する二人の忠臣にアンデル自身が見せ続けて来たのだ。

 それは、どれ程に許せぬ事であっただろう。

 それは、どれ程の哀しみを齎した事であろう。

 アンデルは、その感情を想像するだけで、胸が詰まる想いに陥る。大臣とサイモンの二人は、このような想いを抱えたまま、十年以上の時間を生きて来たのだ。

 それでも彼等は、アンデルという次代の王に賭けて、共に歩んでくれた。

 サイモンに至っては、自身の命を引き換えにしてでも、次の世代に国の未来を託したのだ。

 

「刎ねられるものならば、刎ねてみよ! 余が誰かも解らぬ愚か者が、このサマンオサ国の国王を名乗るな!」

 

 悔しさを滲ませて閉じられていた瞳を開いた時、アンデルは真の国王と化していた。

 『覚悟』と『決意』を宿した王は、今、それらに加えて『使命』という重き物を胸に刻んだのだ。

 彼には、多くの者達から託された『想い』がある。

 多くの者達から譲り受けた国がある。

 譲り受けた国を、託された想いを持って、良き物へと導く『使命』が出来た。

 

「馬鹿者どもが……」

 

 常に平伏するだけの人間しか見て来なかった偽国王は、その感覚が麻痺していたのかもしれない。

 いや、実際に考える事を放棄していたのかもしれないし、考える能力自体が無かったのかもしれない。

 どちらにせよ、この愚か者は、最悪の方向へと導かれて行った。

 偽国王は、ベッドの脇にある紐を力一杯に引く。その瞬間、何かが起きると身構えたカミュ達であったが、実際には何一つ起きず、拍子抜けする程に、王室は静寂を戻して行った。

 

「あれは、階下に居る衛兵達へ異変を知らせる為の物だ」

 

 アンデルの言葉で、全てが思惑通りに進んでいる事を理解したカミュ達は、部屋の扉を開け、外へと出て行く。メルエという幼子を庇うようにリーシャとサラが左右に立ち、アンデルを先に外へと出してから、殿をカミュが担った。

 彼等は、未だに偽国王の正体が解らない。只の盗賊風情であれば、ここまで警戒する必要はないのだが、逃げ出す一行を見つめる偽国王の顔には、おぞましいまでの余裕が見え隠れしていた。

 それは権力に縋る者が浮かべる、底の浅い余裕ではない事は、ここまでの長い旅を乗り切って来た一行には一目瞭然である。それは、何かに裏付けられた自信や余裕の表れなのだろう。だが、その根拠が解らない。

 

「国王様、ご無事ですか!?」

 

 一行と偽国王が表に出るのを見計らっていたかのように、階下から衛兵達が駆け上って来た。

 挟まれる形となった一行を見た衛兵達は、一瞬驚いた表情を浮かべた後、腰の剣を抜き放つ。アンデルの顔が見えなかったのか、元より知らなかったのか解らないが、数日前に牢獄に入れられたカミュ達の顔には覚えがあったのだろう。

 牢獄に入れられている筈の人間が、外に出ているという事自体が驚愕の事実なのだが、その者達が国王の居住区に入っていれば、それは処罰の対象となるのは必然である。

 衛兵達が剣を抜き放ち、カミュ達を斬り捨てようとする行為は、国家を護る者達として当然の行いであり、その精神が、国家という巨大な生き物を生存させる原動力となっているのだ。

 

「アンデル様、強行突破致します。バルコニーまで一気に出ますので、周囲の音などに惑わされる事無く、供の者達にお任せ下さい」

 

「メルエ、おいで」

 

「…………ん…………」

 

 自分達を取り囲むように剣を向けた衛兵達から視線を逸らす事無く、カミュは後ろに居るアンデルに言葉を掛けた。

 その言葉は、アンデルという王ではなく、その後ろに居る二人の女性の心に火を点ける。

 彼女達は、既に明確な『仲間』である。カミュという『勇者』の従者ではあるが、それは対外的な名目であり、実質は『勇者』と共に歩む者達。それを、彼はサマンオサという巨大国家の国王の前で宣言したのだ。

 『国王を託すに値する仲間である』と。

 この言葉に震えない者はいない。ましてや、ここまでの旅で、カミュという青年を見ていれば尚更であろう。

 三年以上になる月日は、彼女達を強固な絆で結んで来た。それが花開く場所が、過去の英雄達が交わった場所というのも、数奇な運命なのかもしれない。

 

「……行くぞ」

 

「はい!」

 

 リーシャがメルエを抱き上げた事を確認したカミュは、背中から<草薙剣>を抜き放つ。

 彼程の強者が剣を抜き放ったのだ。その威圧感は、例え一国の衛兵であろうとも怯まずにはいられない程の物。一瞬腰の引けた衛兵達の隙を突き、カミュは静かに指示を飛ばす。

 それに答えるサラの声が合図となり、一行は一気に先程入って来たバルコニーへと駆け出した。

 前方で構えられている剣を弾き、虚を突かれた衛兵の身体を、体当たりで弾き飛ばす。カミュが抉じ開けた穴をアンデルが通り抜け、それを護るようにサラとリーシャが抜けて行った。

 

「追え!」

 

 我に返った衛兵達の隊長らしき人間が、剣を振り上げ檄を飛ばす。しかし、完全に抜けられてしまった衛兵達が追うように振り下ろした剣は、幼子を抱える女性が片手で持つ斧に弾き返されてしまった。

 バルコニーへと続く扉を開けた一行の後姿を見ていた衛兵達が、慌てふためきながら追う中、一人笑みを浮かべる者。それは、先程まで傍観に徹していた偽国王その人であった。

 おぞましい笑みを浮かべた偽国王は、そのままゆっくりと歩を進めて行く。

 彼は何も疑ってはいないのだ。

 この数年の間に行って来た物と何等変わらないと。

 それは、この愚か者の限界であったのかもしれない。

 

「何事だ!?」

 

 全ての人間がバルコニーへと出終わった頃、扉の向こうに見える階段から、多くの重臣達が姿を現した。

 国王の異常を伝える装置は、何も衛兵達だけに伝えられる物ではない。一国の王の一大事は、全ての重臣達へ伝えられ、皆がこの王室へと集まって来たのだ。

 それは、偽国王にとって、切に願っていた事なのだろう。

 この偽国王は、先程の一件で、アンデルの正体に勘付いていた。偽国王は、一度アンデルの顔を見ているのだ。<変化の杖>を手に入れるその前に、この国の内情を見た時、死んだと公表されている王弟が先代の国王に化けている事を知る事となる。その頃を思い出しながら、偽国王は再びおぞましい笑みを浮かべた。

 王族の居住区に立ち入るという行為は、許可無き場合、許されざる行為となる。

 今の重臣達のように緊急事態であれば、情状酌量も有り得るが、それは極刑に値する物であり、暗殺目的となれば、死体さえも拷問に掛けられる程の大罪であった。

 全ての者がいる中でそれを叫べば、剣を抜いているカミュがいる以上、全ての者を連座して処罰出来る。例え、それが元王族である、死去した筈の人間であってもだ。

 この場所に集まった人間の中で、アンデルという王弟の顔を覚えている人間は少ない。それは、ここ数年の間で、偽国王となった物が全て処罰してしまったからである。

 筆頭大臣を含めて数人しか顔を知らない人間を王弟と断定出来る訳はなく、十数年前に死去した筈の人間が生きている事を納得させる事は難しい。

 大義名分を持って、王族を処罰出来る機会に、おぞましく顔を歪めた偽国王であったが、これから起こる事に考えを及ばす程の頭脳はなかったのかもしれない。

 

「ア、アンデル様……」

 

「アンデル様ですと!?」

 

 しかし、状況は変化し始める。

 先頭を切って階段を駆け上って来た筆頭大臣が、先日訪れた、世界を救う勇者一行に護られている一人の男性を見た時、思わず叫び声を上げてしまったのだ。

 サイモン無き後、アンデルへ食事等を運んでいたのは、この筆頭大臣であった。何時訪れるか解らない輝かしい復活の時を待つように、彼は先代国王と戦友との誓いを忠実に護り通して来たのだ。

 その彼の前に居る人物こそ、その誓いの元となる人物。

 頼りなく、名君であった兄の威を借りる者ではあったその人物は、勇者一行に護られてはいるが、それでも強い瞳を前へ向け、しっかりと立っていた。

 

「国王様……役者は全て揃いました」

 

「……であるな」

 

 周囲を取り囲むように全ての人材が揃い切った。

 後方から現れた国の重臣達は、今現在サマンオサを支える者達であり、前方に居るのは、現在のサマンオサを護る衛兵達。そして、何より、それらを掻き分け、前に出て来た者こそ、彼等が奮闘せねばならなくなった元凶であり、サマンオサの諸悪の根源である。

 身から出た錆ではあるが、自身の罪を受け入れて尚、アンデルはカミュ達を退けて前へと踏み出す。

 偽の国王であった者と、偽の国王の対峙である。

 

「その者達は、王室に入り込んだ暗殺者である。生死は問わぬ、斬り捨ててしまえ!」

 

 号令を出す偽国王の言葉に、衛兵達は剣を抜き、その後方に居る重臣達も、各々の武器を取る。文官や大臣等は、自らの武力は無い為、後方へと移動を開始するが、それはたった一人の、たった一つの行動によって制止された。

 真っ直ぐに掲げられた手は、動き出そうとした全ての人間達の行動を制止させる。それは、不思議な程に強い強制力を持ち、全ての者を従わせる程の威厳を持っていた。

 それこそ、真の国王が持つ力。

 

「大臣よ、長い間大義であった。余は、そなたの忠義、生涯忘れる事はない。そなたとサイモンから受けた恩を、今、この場で返そう」

 

 全ての者が息を飲む中、筆頭大臣は胸から湧き上がる感情を抑える事に苦心していた。

 涙で歪む視界の先には、彼と戦友が待ち望んだ王の姿。

 悠然と、そして泰然と構えるその姿は、彼等が待ち望み、先代国王が信じ続けて来た次代国王の姿。

 その言葉に大臣が答えられない中、勇者一行の中の一人が、不思議な道具を胸に抱え、アンデルの横へと並び立つ。

 瞬間、全ての者達の視界は光に包まれた。

 

 

 

「あ、あれは!?」

 

「何だ、これは!?」

 

 サラが、持っていた<ラーの鏡>を偽国王に向けた瞬間、中心の鏡を護るように嵌め込まれていた青い宝玉が輝き出した。

 南の洞窟内の瘴気すらも消し去る程の神聖な光は、王の居住区を包み込み、誰もの視界を奪い尽くす。

 青白い光は、王の居住区に広がった後、中心に嵌め込まれた鏡へと集束され、その輝きは鏡に吸い込まれた。

 そして、その鏡に映し出された物の姿に、全ての衛兵達が息を飲む。

 <ラーの鏡>は、アンデルの前に立つ偽国王へと向けられており、その周囲に立つ衛兵を映し出してはいるのだが、中央に立つ物は、国王の姿をした者ではなかったのだ。

 

「ば、化け物……」

 

「ど、どういう事だ!?」

 

 鏡を覗き込んだ衛兵達が次々と悲鳴を上げる中、遠目にしか鏡の中が見えない重臣達は事態が把握出来ない。

 騒然となるバルコニーへと続く王宮で、カミュ達勇者一行の動きだけは早かった。

 鏡を持っているサラと、その横に立つアンデルを護るように前へと出たカミュとリーシャが、それぞれの武器を手に取り、未だに先代国王の姿をしている物へと身構える。

 そして、悪夢の終幕劇は始まった。

 

「グヘヘヘ……み~た~な~」

 

 先程まで発していた先代国王の声とは、似ても似つかない物がバルコニーに響き渡る。その声と共に、不快な臭いが充満し、偽国王の身体は不思議な光に包まれた。

 呆然とする衛兵達は、光に包まれていた偽国王の姿が肥大して行くのを感じ、即座にその場を離れる。他所よりも天井が高い筈の王宮に於いても、それは異常と言える程の巨大さを誇った。

 徐々に姿を現すそれを確認した衛兵達は、即座に移動を開始し、重臣達を護るように誘導しながらカミュ達の後方へと移動する。

 

「や、やはり……魔物であったか……」

 

「アンデル様もお下がりください。ここからは我らが」

 

 見上げる程の巨体に変貌したそれを呆然と見つめていたアンデルに、その声は掛けられた。

 それはまるで王宮を護る騎士のように強く、頼もしい声。

 王を護る為に存在する騎士団の中でも、最も優秀な者達の集まりである親衛隊と称する事が出来る程の者が発するような、安心感を持てる声であった。

 発したのは、今までアンデルに対して口を開く事の無かった女性戦士。

 隣に立つ『アリアハンの勇者』と肩を並べ、戦闘用に改良された斧を持っていた彼女が、少し後方へと下がり、一度膝を着いて口上を述べたのだ。

 それは、魔物と化した物を前にしてする行為ではない。命を無駄にする行為に映るそれは、逆に考えれば、仲間達への絶対的な信頼をも表していた。

 

「すまぬ……」

 

 魔物の姿を見たアンデルは、自分が何も出来ない事を悟り、礼を尽くす騎士に向かって頭を下げ、後方で唖然としたままの大臣達の許へと移動して行く。

 立ち上がったリーシャは、一度<バトルアックス>を大きく振り、戦闘の準備を行った後、後方支援組の二人へと視線を移した。

 幼い『魔法使い』は、自分の身長よりも大きな杖を握り、目の前の巨大な敵に怯える事もなく、しっかりと相手を見据えている。

 そして、<ラーの鏡>を後方の大臣へと手渡した『賢者』は、腰に差していた<ゾンビキラー>を抜き放ち、幼い少女を庇うように立っていた。

 頼もしい仲間達を見た『戦士』は、小さな笑みを溢し、隣に立つ『勇者』へと視線を送る。その視線を受け止めた青年は、しっかりとした頷きを返した。

 

「グヘヘヘ……魔王様には、この国で時間を稼げと言われたが、人間の相手も飽きていたところだ。最初から皆殺しにしてやれば良かったんだ。久しく味わっていなかった人間の味を堪能してやる」

 

 外見とは似つかわしくない人語を流暢に操る事に、サラは一瞬眉目を顰める。

 知能を持つ魔物が初めてである訳ではない。だが、ここまで流暢に人語を操る物となれば、ジパングで戦った<ヤマタノオロチ>以来となった。

 あの強敵と戦って、既に一年以上経つ。その間にも彼等は数多くの魔物と戦って来たが、四人揃った状態で苦戦する事は、あれ以来無かったと言っても過言ではない。

 緑色の皮膚を持つ巨大な化け物は、リーシャやカミュの身体以上の太さの腕を持ち、贅肉で弛んだ腹部を獣の皮で覆い隠している。頭部に毛髪などは一切なく、緩んだ口元からは、紫色の舌が垂れ下がり、呼吸する度に不快な臭気を撒き散らしていた。

 手には巨大な棍棒を持ち、その一振りで何人もの人間の命を奪う事が可能である事を物語っている。

 

<ボストロール>

魔王の居城があるネクロゴンドに生息すると云われているトロル族の上位種。その巨体から繰り出される怪力は、トロルの中でも群を抜いており、『魔王バラモス』が掌握する魔物達の中でも上位に位置する魔族。人型をしている為、知能は持っているが、巨体に見合う大きさの脳は持っておらず、魔族の中でも知能は低い。『魔王バラモス』の掌握する魔物達の中でも上位に位置するトロル族の中でも、その怪力によって、他のトロルを従わせている事を買われ、サマンオサ国へと入り込んでいた。

 

「おでだけが魔物だと思うな。この国は終わりだ」

 

「何だと!?」

 

 異様な身体と流暢な人語が結び付くのに時間が掛かっていたアンデルは、その後に続いた言葉に目を見開いた。

 確かに、この見るからに低脳な魔物だけでサマンオサを陥れる事など出来はしない。

 『魔王』という存在を臭わす言葉を吐いた魔物を言葉に、どこか納得してしまっていたアンデルは、先程まで静寂に満ちていた場外から聞こえて来る悲鳴に気付き、慌ててバルコニーの手すりに手をかけ、城下町の方角へ視線を移す。

 

「な、何と言う事だ……」

 

「あれは、魔物の集団……」

 

 アンデルに続いて大臣達が手すりへとしがみ付く。

 視線の先に見えたのは、月明かりしかなかった城下町を赤く染める炎。そして、炎に照らし出された、数多くの異形の影であった。

 それが示す事は、城下町への魔物達の侵入。

 魔物が集団で町や村を襲う事は、ここ十数年の間では有り得ない事だった。

 何時しか『人』の心に慢心を生み、その警備も何処か手薄になっていた事は否めない。だが、城下町へと続く門の付近には、多数の兵士を配備しているにも拘わらず、魔物の侵入を許したという事は、それだけ多数の魔物が押し寄せて来ている事実に他ならなかった。

 

「グヘヘヘ……安心しろ。お前達は全て、おでが食ってやる」

 

 炎が上がる城下町の姿に唖然としていた一行の後方から、身も凍る程の声が響き渡る。闇夜の空気が震える程の声が、その場に居た者達の足さえも恐怖で震わせ、絶望へと包み込んだ。

 

「大臣、まだ終わった訳ではない! この愚か者は、余とこの者達に任せよ。そなたらは、我がサマンオサの宝である民達を護る為、兵を連れて城下町へと進め!」

 

「ア、アンデル様……」

 

 だが、絶望に包まれた者達の中で、それでも魂を奮い立たせる者が五人。

 その一人であり、この国の王である男が、呆然とする筆頭大臣へ檄を飛ばす。その声は、先程の<ボストロール>の声にも負けぬ程に月夜に響き渡り、恐怖に支配されそうになっていた者達の心に力を与える。

 これこそ、サマンオサという国を永らく護って来た王族の力。

 

「し、しかし、我らだけでは……」

 

 それでも、目の前に広がる光景は、それ以上に絶望的な物であった。

 国民達の悲鳴や怒号が飛び交う城下町には、『人』が生理的に嫌悪を示す程の魔物の奇声が混じり合っている。

 真っ赤に染まる城下町は昼間のように明るく、逃げ惑う民達の姿が更なる絶望を運んで来ていた。

 絶望を口にしたのが、重臣の誰だかは解らない。おそらく、王弟アンデルの姿を見た事の無い者だろう。十数年前のアンデルを知る者が、今の彼を見れば、その頼もしさに胸は震え、その威厳に勇気を湧き上がらせる筈。

 だが、初見の者にとっては、その姿は虚勢にしか見えなかったのかもしれない。

 

「サラ……待ち兼ねた者達が、ようやく来たようだぞ」

 

「えっ!? あ、あれは!?」

 

 おぞましい笑い声を上げる<ボストロール>の前で、絶望に包みこまれそうになっていた重臣達を余所に、警戒を怠る事無くバルコニーから城下町を見ていたリーシャが笑った。

 遠く見える城下町の中で、一際目立つそれは、城下町へと続く門から中へ入り、群がる魔物の中を突き進んで来る。

 民達の悲鳴は歓声へ変わり、魔物達の奇声は断末魔へと変わる。

 

「あ、あれは……サイモンの紋章か?」

 

「御意! 我が国の英雄、サイモンが掲げる紋でございます!」

 

 それは、眩く輝く軍旗。

 真っ赤に燃え上がる炎に照らし出されたその軍旗に描かれるは、サマンオサ国の稀代の英雄にして、サマンオサ国の守護者の紋。

 翻る軍旗に薙ぎ倒されるように魔物が道を開けて行く。

 軍旗を掲げ、魔物へ武器を向けるは、生前のサイモンの部下達。

 <デスストーカー>と噂される程に、町を恐怖に陥れた強者達である。

 

「ぐっ……このような……このような事……余は、夢を見ておるのか?」

 

「夢ではありませぬ。あれこそ、我が盟友の子。我が国の新たな英雄にございます」

 

 軍旗が翻る周囲を元サイモンの直臣達が固める中、その先頭を駆ける者の姿を捉えたアンデルは、溢れる想いと、溢れる涙を抑えきれず、口元を押さえて嗚咽を漏らす。

 先頭で魔物に剣を振るう姿は、若かりし頃のサイモンを彷彿とさせる程の雄姿。

 その頭部に装備した兜は、若き頃にサイモンが装備していた兜。

 その身体を覆うのは、サイモンの紋章と共に、守護すべき国家の紋章が刻まれた英雄の鎧。

 空高く掲げた剣は、月明かりに輝き、魔物達を退けて行く。

 サマンオサという大国に、再び英雄が戻って来た瞬間である。

 

 <デスストーカー>と呼ばれた元サイモンの部下達は、サマンオサに着いたと同時に、町外れにあるサイモンの自宅へと足を運んでいたのだろう。

 その真実を伏せる事を誓った彼等は、サイモンの妻や息子にも、事実を語ろうとはしなかった。

 それは、どれ程に苦痛を伴う物であったろう。対外的に反逆者として処罰されたサイモンが何を想い、何を願っていたのかを伝えられない彼等は、サイモンが語ったその時を待っていたのだ。

 何人もの仲間達が倒れて行っても、彼等が交わした誓いは重く、長い時間を待ち続けて来た。

 『真の王が立ち上がる時』という言葉は、数年間一度もなかった人間の来訪によって現実となる。

 偽国王の命で南の洞窟を訪れた者達は多くいた。その者達の多くは、何かに操られているように虚ろで、洞窟内で死した後は、骸骨となって動き始める。

 そんな中現れたのは、自分達が崇拝していた英雄に良く似た空気を持つ者達。

 その者達の話を聞いた彼等は、時が訪れた事を悟ったのだ。

 

「カミュ、始めようか」

 

「楽な戦いではないぞ?」

 

「私達に楽な戦いなど、一度たりともありませんでした」

 

「…………メルエ………やる…………」

 

 このサマンオサ国で生きる者達が感動に震える中、おぞましく顔を歪めた<ボストロール>と対峙していたリーシャが小さく微笑みを浮かべる。楽観的なその言葉に、軽く溜息を吐き出したカミュもまた、<草薙剣>を一振りし、その威圧感を増して行った。

 カミュが放つ、『勇気』という威圧感は、この国の英雄にも劣らない。それを改めて実感したサラは、これまでの旅を思い出し、何時如何なる時も、彼が前に立っている事を思い出す。

 その背中を最も純粋に見て来たメルエは、己の魔法力を確認し、強く<雷の杖>を掲げた。

 

 全ての役者は、このサマンオサ城下に集った。

 十数年迷い続けた一つの大国が、次代へと続く大きな波に飲まれて行く。

 二人の英雄の子らが巡り合う偶然は、サマンオサという大国を動かす必然となる。

 それは、『精霊ルビス』の導きなのか。

 それとも、亡き英雄達の導きなのか。

 

 

 

 




読んで頂き、ありがとうございました。

大変遅くなってしまいましたが、ようやくボス戦です。
頑張って描いて参ります。
ご意見、ご感想を心よりお待ちしております。

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