新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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サマンオサ城④

 

 

 

 月明かりが降り注ぐサマンオサ城のバルコニーは静寂が支配している。

 既にサマンオサ国の重臣達は衛兵達を連れて、城下町へと駆け出して行った。新たな英雄となり、城下に軍旗を翻す者に負けじと駆け出す衛兵達を頼もしく見つめていたアンデルは、視線を移す。

 動かした視線の先には、先程正体を現した<ボストロール>。人々を恐怖に陥れる程の姿は、覚悟を決めていたアンデルの心さえも怯ませる。

 だが、その異形と同時に見えるのは、余りにも若い『勇者』達の背中。

 これ程の恐怖を誘う程の化け物を前にして、サマンオサ国の衛兵達が一人も欠ける事無く城下へと赴く事が出来たのは、彼等の存在があったればこそなのだろう。<ボストロール>の放つ威圧感を濾過するかのように、彼等の後ろは浄化された空気が流れている。

 自分が見て来た英雄とは異なる空気を醸し出す彼等に、アンデルは改めて彼等の目指す高みを実感した。

 

「アンデル様、お下がりください」

 

 様々な想いを胸に、カミュ達の背中を見つめていたアンデルへ筆頭大臣の声が掛かる。

 彼だけは、アンデルの補佐とその身を守る為に、この場に留まっていた。

 一つ頷いたアンデルは、アリアハンから訪れた次代の『勇者』達の邪魔にならぬように、後方へと退いて行く。

 それが、戦闘の合図となった。

 

「いやぁぁぁ!」

 

 後方へ下がるアンデル達へ首を向けた<ボストロール>を視界に納めたリーシャが、<バトルアックス>を構え直し、一気に<ボストロール>へと肉薄して行く。

 三年以上の旅の中、彼等四人は数多くの魔物達を倒して来た。

 魔物の身体能力は、基本的に『人』を凌駕しており、その速度や力は、通常の人間では対抗出来ない程の物である。必然的に、それと戦う者達にもそれ相応の能力が要求されるのだが、カミュ達一行は、徐々に強力になって行く魔物達に合わせるように、その力量を上げて来た。

 中でも、前線で戦う二人は、その身体能力を大きく上昇させており、魔物に付いて行く速度と、力負けしない筋力を備えて来ている。基本性能が異なる中でも、『人』の優位点を最大限に発揮し、結果を生み出して来たのだ。

 そんな『人』の範疇を大きく超えた戦士が持つ<バトルアックス>が、彼女の倍近くある巨体の太もも上部へ吸い込まれて行く。

 だが、今回の敵は、彼女達の想像を大きく超えた存在であった。

 

「リ、リーシャさん!」

 

 緑色の皮膚を持つ怪物は、その弛んだ贅肉や巨体の影響で、素早くは動けないだろうと判断したリーシャは、自分の斧が吸い込まれる瞬間、視界が急に暗転したと共に、激痛に襲われた事で混乱に陥る。

 バルコニーの壁に激突した身体は、命の源である血液を吐き出し、その場に倒れ込んだ。

 慌てて駆け寄ったサラは、リーシャの身体の状況を見て、息を飲み込む。彼女の左半身は大きく腫れ上がり、内部からの出血の為か、どす黒い色を浮かべていた。

 呻き声を上げるリーシャへ即座に<ベホイミ>を唱えたサラは、折れた骨が内臓などを傷つけていない様子を見て、一息吐き出したが、一度の詠唱では癒し切れない状況に表情を引き締める。

 予測していない方向からの、速度のある攻撃は、正確にリーシャの身体を打ち抜き、その機能を損傷させていた。それは、数多くの魔物達と戦い続けていたカミュ達の自信を崩壊させる程の威力を誇る攻撃。

 正に『痛恨の一撃』と言っても過言ではないだろう。

 

「メ、メルエ! 怒っては駄目です! 攻撃呪文の前に、唱える呪文がある筈ですよ!」

 

 回復呪文を唱え続けるサラの視界の端に、自身の背丈よりも大きな杖を掲げて前へ出る少女の姿が映り込む。『むっ』と頬を膨らませたその姿は、自身の大事な者を傷つけられた事に対する怒りが表れていた。

 しかし、詠唱を始めようとした幼い少女は、自身が信じるもう一人の姉によって、その行動を制止される。

 不満そうな表情を浮かべる彼女であったが、サラの瞳を見つめ、小さな頷きを返した。

 だが、そんな些細なやり取りも、先程、人類最高位に立つ『戦士』を弾き飛ばした怪物を目の前にして行う物ではない。

 メルエが視線を戻し、杖を掲げようとしたその時には、既に頭上に巨大な棍棒が迫っていた。

 

「ぐっ……」

 

「…………カミュ…………」

 

 自分の目の前に迫る棍棒に瞳を閉じかけたメルエの前に、大きな盾が掲げられる。このサマンオサで販売されていた<ドラゴンシールド>と呼ばれる盾を頭上に掲げた『勇者』の身体が、とてつもない重量を持つ音を響かせて沈み込んだ。

 骨が軋むような重圧を受けたカミュは、膝を崩してしまうが、それでも後方で不安そうに見つめる少女に危害を加えさせるつもりはないと、必死に耐える。

 更に後方で見守るアンデルでさえも、絶望に打ちのめされそうになる攻防という僅かな時間は、数多くの難敵を打ち倒して来た『勇者一行』の絆を、ようやく起動させた。

 

「メルエ、何時まで呆けているのです! 詠唱を!」

 

 横から飛んで来た叱責を受けて我に返ったメルエは、不安そうに下げていた眉を上げ、<雷の杖>を掲げる。

 その姿こそ、人類最高位に立つ『魔法使い』の姿。

 一国の『英雄』ではなく、世界の『勇者』の護り手の姿。

 いや、正確に言えば、『世界の』ではなく、『自身の』なのかもしれない。

 

「…………スクルト…………」

 

「うぉりゃぁぁぁ!」

 

 稀代の『魔法使い』が放出する強大な魔法力が一行を包み込む。

 魔法力に包まれたカミュが持つ盾の防御力も上がり、<ボストロール>の棍棒を押し返して行った。

 その状況に驚きの表情を浮かべた<ボストロール>の横から、腹の奥から響く雄叫びが轟く。

 雄叫びと共に振り抜かれたのは、戦闘用に改良された斧。

 鍛え抜かれた<バトルアックス>は、カミュの盾を押し込もうと力が込められた棍棒を横から弾き飛ばした。

 下へ向けて力が込められた物は、横からの圧力には弱い。圧し折る事は出来なかったが、棍棒はカミュが持つ<ドラゴンシールド>の上を滑るように、横へと弾かれて行った。

 

「むぉぉぉ!」

 

「スクルト!」

 

 予想していなかった者の乱入に腹を立てた<ボストロール>は、先程まで瀕死の重傷を負っていた筈の女性戦士に向けて棍棒を振り上げる。

 だが、その棍棒が振り下ろされるよりも早く、女性戦士を回復させた『賢者』の詠唱が響き渡った。

 メルエという稀代の『魔法使い』が行使した膨大な魔法力を、世界で唯一の『賢者』であるサラの放つ、細やかな魔法力が包み込む。それは、おそらくこの世界の人類が持つ、最強の防御魔法なのかもしれない。

 

「…………バイキルト…………」

 

「やぁ!」

 

 <ボストロール>の棍棒を受けたリーシャの盾は、鉄よりも硬く、柳よりもしなやか。性質の異なる二重の魔法力によって包まれた盾は、圧倒的な暴力である棍棒を往なすように受け流して行く。

 力の行き場を失った<ボストロール>の身体は泳ぎ、態勢を崩すように踏鞴を踏んだ足下へ、防御力低下の付加と、世界最高位の『魔法使い』が放つ魔法力に包まれた<草薙剣>が振り抜かれた。

 噴き出る体液と、沈む巨体。

 片膝を着く様に沈んだ<ボストロール>へ、態勢を立て直したリーシャが突き進む。

 

「…………バイキルト…………」

 

「グォォォォ!」

 

 しかし、リーシャの一歩は、メルエの詠唱を搔き消し、衝撃のように突き抜けた雄叫びによって制止された。

 怒りに燃えるようで、尚且つ全てを包み込むような雄叫びに、この場の全員が包まれる。まるで、身体から『勇気』を奪い尽くされてしまうかのような、圧倒的な力を感じる雄叫びに身が竦んでしまうのだ。

 僅かな時間ではあるが、行動が止まってしまった一行に向かって振り抜かれた棍棒は、最も傍に居たカミュへと吸い込まれて行く。

 

「ぐぼっ」

 

 受け止めようと掲げた盾は、棍棒の威力を殺し切れず、そのままカミュの身体は弾き飛ばされた。

 身体は折れるかのように曲がり、盾さえも破壊しかねない程の衝撃は、とても<スクルト>を重ね掛けした恩恵を受けているようには見えない。それこそ、メルエの魔法力も、サラの魔法力も消え失せてしまったような姿に、サラは驚きを隠せなかった。

 

「メルエ、もう一度スクルトを!」

 

 カミュの許へと駆け寄りながら、サラは、呆然と佇む少女へ指示を出す。目の前から絶対的守護者が消え失せた事に呆然としていたメルエは、その指示によって目を覚まし、<雷の杖>を高らかと掲げた。

 再び、メルエの持つ膨大な魔法力がカミュ達を包み込む。

 カミュやリーシャの身体が再度輝き出し、その身体を魔法力という膜が覆って行った。

 

「マホトーン!」

 

 サラは、先程の<ボストロール>の攻撃を見て、全てを把握していた。

 メルエとサラという、人類最高位に立つ魔法の使い手達の魔法力さえも消し去ってしまう物となれば、<ルカナン>や<ルカニ>という、防御力低下の呪文しかあり得ない。そして、その予想が正しければ、既に元の防御力へ戻ってしまったばかりか、逆に盾や鎧が脆くなってしまっている可能性さえもあるのだ。

 即座にメルエへと指示を出したサラは、右手で<ベホイミ>と唱えながら、左手を<ボストロール>へと向けて詠唱を完成させた。

 『賢者』として旅を続けて来たサラの力量も、メルエと同様に大幅に上がっている。それは、『教典』に記載されている、最上位の回復呪文を片手で行使し、その他の呪文を行使出来る程の物。

 右手へ流す魔法力と、左手に流す魔法力を分け、その呪文特有の魔法力へと変えて行く力を有し始めているのだ。

 一度の詠唱では癒し切れない傷に眉を顰めながら、『この先も旅を続けて行くのならば、<ベホイミ>では駄目なのだ』と彼女が感じていると同様に、彼女自身の力が、<ベホイミ>という回復呪文では物足りない物へと変化していた。

 

「グォォォォ!」

 

 だが、それ程に力を付けたサラが行使する呪文であっても、確実にその効力を発揮するとは限らない。

 再び雄叫びを上げた<ボストロール>が空気を震わせ、カミュ達一行の身体が何かに包まれて行く。それは、先程と同様に、身体に纏う何かを奪い去る程の不快感を味わう物であった。

 目に見えると感じる程に濃いメルエの魔法力が消え去って行くという事実が、サラの唱えた<マホトーン>が効力を発揮しなかったという事を示し、逆に、<ボストロール>の発した防御力低下の魔法がその力を如何なく発揮された事を示している。

 

「メルエ!」

 

 それを理解したサラは、瞬時に視線を動かす。

 その先には、絶対的な保護者を失った幼い少女。

 <スクルト>という防御力上昇の呪文を行使したそのままの姿で、迫る巨体を見上げたまま、身体を固めてしまったメルエの頭上から、巨大な棍棒が振り下ろされる光景であった。

 メルエの左腕には、<魔法の盾>と呼ばれる盾が嵌められている。彼女のような非力な『魔法使い』の為にあると言っても過言ではないその盾は、何度となく、幼い少女を護っている。

 だが、その盾も、持ち主である少女が耐えられる衝撃にしか効果は発揮出来ない。歴戦の戦士である、カミュやリーシャという人間でさえも、瀕死の重傷を負うような圧倒的な暴力を支える事が出来る程、メルエという『魔法使い』は筋力を有している訳ではない。<ボストロール>の棍棒がそのまま振り下されれば、その小さな身体は、圧倒的な力で潰され、肉塊と化してしまう事だろう。

 幼い少女を救う事の出来る、絶対防御を誇る呪文を行使出来る者は、未だにサラの回復呪文を受けている最中。身体の内部さえも傷ついている可能性もある彼は、未だに動く事さえ出来はしないのだ。

 

「舐めるなぁぁぁ!」

 

 久しく感じていなかった、戦闘時の絶望感を味わいかけたサラの視界の隅から猛然と駆ける一つの影。

 <バトルアックス>と呼ばれる、戦闘用に改良された斧を振り被り、振り下ろされる棍棒に合わせるように駆けるのは、彼女達が姉のように慕い続ける『戦士』。

 常に強く、常に厳しく、そして常に優しく暖かい。

 そんな女性戦士が振り被った斧が振り抜かれた時、彼女の倍近くもある巨体が振り下ろした棍棒が弾き飛ばされた。

 

「メルエ! 後方へ下がれ!」

 

「…………ん…………」

 

 全ての魔法力が消え失せたと感じた雄叫びであったが、所詮は<ルカナン>か<ルカニ>の効力しかない。

 サラが唱えた<スクルト>の後に唱えられたメルエの呪文は、その対象であるカミュとリーシャの武器に魔法力をしっかりと纏わせている。<スクルト>の対義に位置する<ルカナン>は、そ身に纏う魔法力の膜を打ち消す事は出来ても、武器の攻撃力を上げる<バイキルト>の魔法力の膜までもは打ち消すが出来ないのだ。

 メルエという稀代の『魔法使い』の魔法力を纏わせた<バトルアックス>は、その切れ味だけではなく、耐久性さえも増している。リーシャという世界屈指の『戦士』が振り抜いてこその物ではあるが、<ボストロール>の巨体から繰り出される暴力にも負けぬ程の威力を誇っていた。

 

「ぐむぅぅぅ」

 

 リーシャの倍、メルエの三倍もあろうかという巨体が揺らぐ。

 弾き返された棍棒の重みで腕が離れた隙に、メルエはサラのいる後方へと下がって行き、カミュが、前衛で斧を構え直すリーシャの横へと駆けて行った。

 再び立て直された陣形。

 それは、この『勇者一行』にとっての最強布陣。

 前衛の『勇者』と『戦士』、後方の『賢者』と『魔法使い』。

 三年以上もの間、旅を続けて行く中で出来上がったその布陣は、味方にとってはこれ程頼もしい物はなく、敵にとってはこれ程厄介な物はない。

 

「メルエ!」

 

「…………ん………ヒャダイン…………」

 

 サラの隣へと移動したメルエに怖い物はない。

 広い視野を持った『賢者』が彼女に道を指し示してくれる。

 彼女は、その道を突き進むだけ。

 <雷の杖>から迸った冷気は、踏鞴を踏むように態勢を崩してしまった<ボストロール>の棍棒を包み込んで行く。

 だが、何かを察した<ボストロール>は、寸前の所で棍棒を振り回し、纏わり付く冷気を振り払って行った。 

 メルエの放つ氷結呪文は、その物体の中までも凍り付かせ、機能さえも奪ってしまう。それを振り払い、棍棒を護るように動いたのは、<ボストロール>という魔物の本能なのかもしれない。

 

「やぁぁぁ!」

 

 冷気を振り払ったとはいえ、その腕が無傷な訳ではない。

 急激に下がった温度の中で振るった<ボストロール>の腕は、数多の氷が付着し、その機能を大幅に減少させていた。

 攻撃方法である腕が凍ったという事は、脅威が失せたという事と同意。

 そして、それを見逃す程、歴戦の勇士達は甘くはない。

 カミュの振るった剣が、仰け反っていた<ボストロール>の腕を斬り裂く。しかし、それは武器を持っている方の腕ではなく、それを庇うように出されたもう一方の腕。

 致命傷を与える事も出来ず、その腕の太さが原因で腕を斬り落とす事さえも出来ない。

 

「…………スクルト…………」

 

「スクルト!」

 

 後方から頼もしい詠唱が響き、前衛で戦うカミュとリーシャの身体を魔法力が包み込む。魔法力の光が収束するのと同時に、凍り付いた腕を無理やり動かした<ボストロール>の一撃がカミュを襲った。

 しかし、再び二重の魔法力に護られたカミュは、その一撃を<ドラゴンシールド>を掲げる事によって防御する。棍棒に付着していた氷が弾け飛び、竜の鱗が軋む音が響いた。

 それでも、『勇者』は立っている。

 盾の上部から<ボストロール>を睨む瞳は、鋭い光を宿しており、自身の倍近くある巨体の隙を窺っているようであった。

 

「虫けらどもが!」

 

 <ボストロール>の頭では、カミュ達四人は、瞬く間に叩き潰す事が出来る物と考えていたのだろう。

 彼等のような魔族の中では、『人』という種族は、物と同じ様に脆弱な存在であり、赤子の手を捻るように命を奪う事が出来る物なのだ。実際に、<ボストロール>のような巨体を持つ魔物であれば、指一本で人間を潰す事も可能であろう。それだけの力量の差がある筈だった。

 だが、この愚かな魔物の前に立ち塞がる人間は、何度棍棒を振るおうと、再び立ち上がって来る。

 この魔物が振るう棍棒の一振りは、同族である<トロル>でさえも退く程も一撃。その怪力の破壊力を持って、魔王から声をかけて貰える地位まで上り詰めたこの魔物からすれば、脆弱と考える『人』という種族が倒れないという事実が、許容する事が出来なかった。

 

「マホトーン!」

 

 苛立ちを隠さない<ボストロール>に向けて掲げられた手は、先程から彼等を何度も戦場へ送り出す原因となっている女性の物。

 先程効力の無かった呪文を再び唱える彼女の表情に諦めは見えない。呪文が効かない相手ではなく、単純に呪文の効力が届かなかったと考えたサラは、相手の魔法力の流れを狂わせる魔法を再度詠唱したのだ。

 鬱陶しそうに顔を歪めた<ボストロール>は、詠唱を終えたばかりのサラへ向けて、その手に持つ棍棒を叩き込む。唸る棍棒は、周囲の空気を巻き込み、凄まじいまでの風切り音を轟かせた。

 

「サラ、下がれ!」

 

「…………メラミ…………」

 

 横殴りに振られた棍棒は、間に割って入って来たリーシャの盾によって防がれるが、苛立ちを露にする<ボストロール>の力は、先程までの物よりも強力であり、盾で力の全てを受け止めきれなかったリーシャの身体は、サラの前から弾き飛ばされる。

 防壁を失ったサラの瞳に、再び棍棒を振り上げた<ボストロール>の姿が映り込む。だが、迫り来る絶望の光景を見ても、彼女の表情は揺るがない。それは、仲間への絶対的な信頼なのか、それとも内に秘める自信の表れなのかは解らないが、剣を構えようともせずに<ボストロール>を見上げる彼女の後方から聞こえて来た呟くような詠唱は、真っ直ぐ<ボストロール>を打ち抜いて行った。

 

「グォォォォ!」

 

 <雷の杖>の先から発生した火球は、正確に<ボストロール>の顔面を打ち抜き、緑色の肌を焼いて行く。

 顔面で揺らぐ炎を振り払うように腕を振るう<ボストロール>が、天に向かって大きく雄叫びを上げた。

 その雄叫びは、再び一行を襲い、その身体から力を奪って行く。それは、先程サラが唱えた<マホトーン>の効果が無かった事を意味していた。

 己が唱えた防御魔法を無にする雄叫びを上げる<ボストロール>を見上げるメルエの頬は、不満そうに膨れ上がり、再度呪文を行使しようと<雷の杖>を高らかに掲げている。

 

「メルエ、駄目で……!」

 

 <雷の杖>を掲げたメルエは、先程よりも一歩前へと踏み出していた。

 その一歩は、生と死を分かつ程の大きな一歩。

 後方に居た筈のメルエがサラと並び立つ姿は、顔面に直撃した火球の炎が消えた<ボストロール>の瞳にしっかりと映り込んだ。

 メルエの放つ<メラミ>の火球は、『人』が放つ物としては巨大な物である。だが、巨体を持つ魔物の顔面全てを覆う程の物ではない。その肌を焼くに留まり、目や呼吸器官を傷つける程の物ではなかった。

 再び棍棒を振り上げた<ボストロール>は、自身の肌を焼いた者に向かって、それを力任せに振り下ろす。唸る棍棒が迫る中、先程のサラとは異なり、眉を下げたまま呆然と棍棒を見つめるメルエの命は、風前の灯火であった。

 

「アストロン!」

 

 サラが目を覆いそうになり、リーシャが態勢を立て直し様に駆け出そうと身体を動かした時、その声は、サマンオサ城のバルコニーに響き渡る。

 古来から、英雄や勇者にしか唱える事の出来ない呪文。

 いや、正確には、『勇者』にしか唱える事の出来ない呪文なのかもしれない。

 響き渡るその声を聞いたメルエの眉は上がり、安心し切ったような笑みを浮かべたまま色を変化させて行く。何物も受け付けない鉄へと変化して行ったメルエの上に、遅れて棍棒が振り下ろされた。

 凄まじい音がバルコニーに轟く。

 バルコニーを形作る石畳に罅が入り、鉄像となったメルエの足が床にめり込むが、小さな身体は何の変化も見られない。あれ程の暴力を受けて尚、一切の干渉を受け付けないその姿に、リーシャとサラは改めて驚きを示した。

 

「呪文の効果が切れた後、メルエの事を頼むぞ」

 

「は、はい!」

 

 驚きの表情を浮かべていたサラの横を、リーシャが駆け抜けて行く。駆け抜け様に口にした言葉に大きく頷いたサラは、鉄像となったメルエの前へ移動し、前方に向かって駆け出した二人に向けて<スクルト>を唱えた。

 形勢は変わらない。正に一進一退の攻防が続く戦いではあるが、逆に考えれば、カミュ達が圧倒的な危機に陥っている訳ではないという事にもなる。

 サラの魔法力にも、まだ余力はある。それは鉄となってしまったメルエも同様であろう。

 カミュもリーシャも瀕死に落ちたとはいえ、回復呪文のお陰で傷は癒えている。また、戦闘自体が始まったばかりである為、体力もしっかりと残っていた。

 

「バイキルトの効力は残っているか?」

 

「ああ、大丈夫だ。カミュこそ、先程の怪我は大丈夫なのか?」

 

 前線に戻って来たリーシャは、問いかけられた言葉に、自身の武器である<バトルアックス>へ視線を落とす。そして、その斧を覆うように取り巻く魔法力が健在である事を確認し、逆にカミュへと問いかけた。

 その問いかけに対しての答えは返って来ない。

 だが、小さく彼が頷くのを視界の端に納めたリーシャは、唸り声を上げて顔を歪める<ボストロール>へ視線を移し、再び武器を構え直した。

 

「アンデル様、ここでは彼等の邪魔になってしまいます」

 

「う、うむ……これが、『勇者』の戦いなのだな……」

 

 そんな『勇者一行』の更に後方で戦いを見ていたアンデルは、その戦いの凄まじさに声を失っていた。

 彼の瞳に映る魔物は、どう見ても人の手に負える代物ではない。

 成人した人間の倍近くもあるその巨体から生み出される暴力は、一薙ぎで人間の命諸共吹き飛ばしてしまう程の脅威を持っていた。更に言えば、その武器を振るう風圧だけで、生きる希望を失ってしまう程の力を有していたのだ。

 アンデルという新たな国王が言葉を失う程の戦いの中、今や老臣となりつつある筆頭大臣が声を掛ける。既にその手はアンデルの腕を掴み、これ以上前へ出ないように注意を払っていた。

 

「ここは、一度城の外へ……」

 

「……うむ」

 

 城から出れば、城下町に迫っている魔物という危険が生じる。だが、このままこの場所へいるよりも、一度外へ出た後で城に残る者達が上の階に行かないように努める事の方が重大であると大臣は考えていた。

 城の中には女子供も多い。中でも、アンデルの実子である王女が今も尚、城の中に留まっている可能性があるのだ。

 

「……すまぬ、アリアハンの勇者よ……我がサマンオサ国の未来を、そなたに託すぞ」

 

 深々と頭を下げる姿は、国王としての威厳には欠けている。

 他国の者へ頭を下げ、国の行く末を託すという行為は、このサマンオサで暮らす多くの者達には見せる事が出来ない王の姿であろう。だが、この場所には、魔物と対峙する者達の他には、彼を幼い頃から見て来た大臣しか残っていない。その大臣も、アンデルと同じように、彼等の背中を見つめ、軽く頭を下げていた。

 英雄の息子という立ち位置であれば、この国の英雄であるサイモンの子も同じ場所に居るのだろう。だが、城下町へ軍旗を靡かせて入って来た彼を見た時、自分を牢獄から連れ出した者達と異なる部分を、アンデルは見出していた。

 それは、圧倒的な経験の差。

 魔物との戦闘という部分では、サイモンの息子も、オルテガの息子に劣っている訳ではないだろう。幼い頃からサマンオサ国で暮らすサイモンの息子の方が、逆に強い魔物との戦闘回数は上なのかもしれない。

 だが、その瞳に宿す光の強さは、このアリアハンの勇者の足元にも及ばない。

 それは、勇者としての輝きという物ではなく、辿って来た道の中で見聞きした物が造り出した輝き。

そして、その背に背負う、数多くの『想い』が造り出した輝き。

 それは、『英雄』ではなく、『勇者』だけが持ち得る尊い輝きなのかもしれない。

 

「……準備は良いな?」

 

「誰に物を言っている?」

 

 後方から人の気配が無くなった事を感じたカミュが、<ボストロール>から視線を外さずに、言葉を溢す。その言葉を聞いたリーシャが、不敵な笑みを浮かべて斧を構え直した。

 すぐ後ろでは、アストロンの効力が切れたメルエの身体を、サラが石畳の床から抜いている。頬を緩めながらサラへしがみつくメルエの姿は、とても強力な魔物を前にして見せる物ではない。

 それ程に、彼等には余力があるのだ。

 それは、彼等の成長も大きな要因の一つであろう。

 彼等の絆の強固さも要因であろう。

 だが、目の前に居る魔物の特性が最大の原因である事は確かであった。

 

「生意気な奴らだ! 黙っておでに喰われていれば良い物を!」

 

「魔物に喰われるのは、私の趣味ではないな……」

 

「己の分を弁えての行動の筈だが……」

 

 それは、カミュとリーシャの発言に表れていた。

 魔物に喰われる事を趣味とする人間などいる筈がない。もし存在するのだとすれば、生涯で一度きりしか味わう事の出来ない貴重な趣味であろう。

 生意気という言葉は、目上が目下に使う言葉である。己の力量も弁えずに発した言葉や、起こした行動に対して使用する言葉であるのだ。

 彼等の行動や発言は、決して相手を侮っている故に出た言葉ではない。

 確かに、<ボストロール>の圧倒的な暴力と、それを補う<ルカナン>という呪文は厄介極まりない。

 だが、逆に考えれば、それだけである。

 一行の身を焼き尽くす火炎を吐き出す訳でもない。

 一行の思考を混乱させる程に、複数の首がある訳でも、複数の尾がある訳でもない。

 気を抜けば自身が跡形もなく潰される程の暴力があるだけ。

 それは、今の彼等には、それ程恐れる物ではないのかもしれない。

 

「さぁ、仕切り直しだ」

 

 ここから先は『勇者』の戦い。

 国を護る為の礎となった『英雄』の戦いでも、世界の平和の為に散った『英雄』の戦いでもなく、ましてや大国の新たな『英雄』となった者の戦いでもない。

 後の世に、その名を残さぬ『勇者』の戦い。

 

 月明かりが照らすバルコニーに一陣の風が吹き抜ける。

 魔物の咆哮と、『勇者』達の雄叫びが夜の闇に響き渡った。

 

 

 

 

 




読んで頂き、ありがとうございました。

少し短くなってしまいましたが、ボストロールの戦闘は二話に分けました。
ご意見、ご感想を心よりお待ちしております。

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