新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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サマンオサ城⑥

 

 

 

 

 サマンオサという巨大国家を飲み込んでいた、深く暗い闇が取り払われてから一夜が過ぎ去った。

 国王に化けていた魔物を打ち倒したカミュ達一行は、城下町にある宿屋で一晩を明かすのだが、魔法力を消費した功労者であるサラとメルエが昼になっても起きない為、国王からの呼び出しに応える事が叶わず、そのままもう一夜を明かす事になったのだ。

 

 

 

 <ボストロール>と呼ばれる巨大な魔物を打倒したのは、カミュという名の、アリアハンが送り出した『勇者』であった。

 だが、その雄姿を見た者は、このサマンオサ国家の中で皆無に等しい。王族の血を継ぐアンデルでさえ、その瞬間を見てはいないのだ。

 サマンオサ国民が目にした物は、城下町に入り込んだ魔物達であり、それを排除する為に現れた英雄の息子である。国民達は、国王が化け物であった事を知らず、その化け物がどれ程に強大な力を持っていたかも知らない。

 サイモンという英雄の血を継ぐ者が、新たなサマンオサ国の英雄となって戻って来た事に歓喜し、その者を讃えた。

 サマンオサ国として、ここ数年間における政治を王族が行った物として公表する事は、国家の転覆を意味する為、魔物が国王に化けており、先代の国王はその魔物によって殺害されていたという形で発表する。

 後継争いを避ける為に、死亡と公表して諸国を旅していた王弟であるアンデルが、サマンオサの危機に舞い戻った事を大々的に発表し、新たな次代国王として、正式に王位を継承した。

 これにより、サマンオサという大国は、新たな国王の執政へと移り変わり、ここまでの暗い過去に心を病んでいた国民達は、その変化を歓迎し、アンデルという国王の誕生を昼夜を問わずに祝い続ける。

 

「これで良かったのであろうか……」

 

「あの者達には、国王様直々にお言葉をお掛けなされ。このサマンオサを良き方へ導く為ならば、あの者達も理解してくれましょう」

 

 自身の罪を理解し、自身の力の無さを理解しているアンデルにとって、まるで国民を騙しているようなその動きは、釈然としない物が残る物だった。筆頭大臣と話し合った結果、それ以外に方法が無いという事も理解しているだけに、その罪悪感は広がって行く。

 だが、国王に化けた魔物の原因がアンデル自身にあるという事を公表してしまえば、それが王族に対する不信感を強め、国家の不安定さをも強めてしまう結果となるだろう。それは、『魔王バラモス』の力が強まった今、国家としての機能を著しく失い、国民達を危険に晒す事となる。

 今回の一連の事態から、『魔王バラモス』の力の強さを見せつけられる事となり、それも同時に理解したアンデルは、筆頭大臣の言葉に頷く事となった。

 

「余には、兄上のような力はない。だが、このサマンオサ国を想う気持ちに関して言えば、今はあの時の兄上よりも強いという自負がある。この国を良き方へ導く事は、余の力だけでは到底叶わぬ。そなた達全員の力が必要だ。この国を良き方へ導くのならば、手段も労力も、金銭も厭わぬ。余と共に、このサマンオサの新たな国造りに奮闘してくれ」

 

 謁見の間にて即位の言葉を述べたアンデルの姿を見て、筆頭大臣は込み上げる想いを抑える事に苦心する。

 長く待ち侘びた瞬間である事もあったが、それよりも、先代国王が何故、自分を超える者としてアンデルの名を挙げたのかを理解したからであった。

 この新たな王は、自身の未熟さを心得ている。それは今に始まった事ではなく、自身が持つ力で何を成す事が可能なのか、何を生み出す事が可能なのかを常に考えているのだ。

 先代国王が存命の頃も、彼は自身の頭で考え得る政策を案として提出している。そして、それは自己満足の物ではなく、常にサマンオサ国やそこで暮らす国民達を想っての政策であった。

 実現不可能な物であったり、甘い考えを捨てきれぬ物であったりと、棄却される事は多かったが、それでもその想いだけは、誰しもが認める物であったと言えよう。

 そして、この数年間に及ぶ時間が、彼のその想いを尚更に強くしていた。

 自国の国民を想い、名君と呼ばれた兄の威を借りていた弟は、その失態を知り、その罪を知る。

 

「我らの力の全ては、サマンオサ国の為に」

 

 筆頭大臣の言葉と同時に、全ての臣下の者達が跪く。

 国という生き物は、優秀な国王だけで動く訳ではない。余りにも優秀な国王が上に立てば、その臣下となる者達は只の駒と化してしまうのだ。

 駒と化した者達に、その仕事への誇りは持てない。自分でなくとも出来る仕事に対して誇りを持つ事は、非常に困難な事柄である。

 己の力を発揮する場所を与えられ、その仕事を任されて初めて、『人』は他に目を向ける事が出来るのだ。

 『この仕事は国王の為』

 『この仕事は国の為』

 『この仕事は国民の為』

 愚王であれば、その者達の仕事に目を向ける事が出来ず、働きに見合う褒賞も与えられず、逆に見合わない者を裁く事も出来ない。それが続けば、そこに不正等の暗部が生じる事だろう。

 だが、アンデルは違う。

 国王自らが向く方角は決まっており、その為に臣下の者達の力を借りるという信念を貫く限り、このサマンオサが暗部に落ちる事は二度とない。

 下で働く者達の旗頭と成り得る者。

 その者もまた、時代は『名君』と呼ぶのだ。

 

「国王様、明日は我が盟友サイモンの子と、アリアハンから訪れた者達を召し出します。その前に、姫にお声をお掛け下さい」

 

「う、うむ……しかし、あれに何と声を掛ければ良いか……」

 

 そんな、将来の名君を悩ます事柄が一つだけあった。

 サマンオサ城下町に入り込んだ魔物達を討伐した新たな英雄に対しても、このサマンオサを覆っていた暗い闇を払った勇者達に対しても、その恩賞はアンデルの中で決まっている。

 だが、自身の血を分けた娘に対してだけは、その後の処置を決めかねていたのだ。

 

「お気持ちは解ります。ですが、姫のお気持ちもお考えくだされ」

 

 アンデルが兄の姿を借りていた際に生まれた娘は、サマンオサ王族の血を継ぐ、大望の姫となった。

 既にこの世を去った妻にも、この娘にも本来の姿を見せた事の無いアンデルではあるが、娘を愛する想いに偽りはない。故にこそ、彼を悩ませていたのだ。

 サマンオサ国の姫は、先代国王の姿をしたアンデルを父だと思っている。幼い頃に優しかった父が急変し、暴君へと変わった姿に心を痛め続けていた。

 父だと思っていた国王は、魔物が化けていた物であり、数年前に父は魔物に喰われて死んでしまったと信じているのだ。

 今更、自分が本当の父親であった事など伝えられる訳が無い。アンデル自身の保身の為ではなく、愛する娘の心を護る為にも、そのような事を事実として伝えられる訳が無いのだ。

 

「解っておる」

 

 溜息を一つ溢したアンデルは、玉座から天井を見上げる。

 愛する娘の心を想い、この国の行く末を想った溜息は、静かに謁見の間に溶け込んで行った。

 

 

 

 アンデルという新国王が玉座に座った翌日、謁見の間には数多くの重臣達と、先日の英雄達が召集された。

 玉座の周囲に重臣達が陣取り、玉座の前にはサイモンの元部下達が跪く。

 元部下達を従えるように跪くのは、新たな英雄となったサイモンの息子。

 父が被っていた兜を横に置き、先日身に纏っていた鎧をこの日も装備している。眩く輝くその鎧には、このサマンオサ国の紋章が刻まれており、それが彼の心を示しているように輝いていた。

 そんな英雄一行とは一線を画すように、一固まりになって跪くのは、アリアハンが送り出した勇者一行。

 先頭にカミュという青年が跪き、その後ろに三人の女性が跪いている。

 

「よくぞ参った。面を上げよ」

 

 謁見の間に現れたアンデルが玉座に腰を下ろし、声を発した事で、サマンオサの歴史に残る謁見が始まった。

 国王であるアンデルの声に一度深々と頭を下げた一行は、顔を上げる。悠然と座るアンデルの姿に、国王の威厳を見たサラは、その姿を眩しそうに見上げ、表情には出さずに心で微笑みを浮かべた。

 サイモンの元部下達はこのような謁見の間に呼ばれる事自体が初めてなのだろう。恐縮したように大きな身体を縮め、国王の尊顔を拝する事さえも拒んでいる。

 対するサイモンの息子は、表情を一切変えずに国王であるアンデルを射抜き、まるでその資質を試すように目を鋭く光らせていた。

 それは、不敬に値する程の行為であろう。だが、ここで彼を罰する事が出来ないという事を、この新たな英雄は誰よりも理解していたのかもしれない。

 

「まずは、このサマンオサ国と、城下で暮らす民達を救ってくれた事、国王として改めて礼を申す」

 

 玉座から頭を下げるアンデルの姿に、先程とは異なるどよめきが起きる。

 一国の国王が、英雄とはいえ一国民に対して頭を下げるという行為は、本来であれば禁忌に等しい。

 王族としての威厳があるからこそ、その一族は国を統べる者として認められるのである。どれだけ功労があろうと、それに対し褒賞を与えたり、感状を与えたりする事で認め、決して一個人として礼を述べる事は許されてはいないのだ。

 

「我が国の英雄であるサイモンは、我が国の守護者でもある。そのサイモンの部下であったそなたらには、再びこの国を護って貰いたい」

 

 一同のざわめきが収まらない中、アンデルはそれを意に介さずに言葉を続ける。喧騒の中でも驚く程に通るその声は、小さく跪くサイモンの元部下達の耳にもしっかりと届いて行った。

 魔物と国王が入れ替わった時期は明確には公表されていない。

 城下町で暮らす国民達の間では信じられていないが、国家として押した反逆者としての烙印を、国王自らが払拭したのだ。

 英雄と呼ばれた者の部下としては、心だけではなく、その身でさえも震える程の言葉であっただろう。事実、元部下達は身体を震わせ、中には嗚咽を漏らす者さえいた。

 

「サイモンは、余の恩人であり、余の友でもある。その血を継ぐ者が、再びこのサマンオサを救う英雄として舞い戻ってくれた事、心より嬉しく思う。その感謝の意を込めて、そなたには今後『サイモン二世』を名乗る事を許そう」

 

 続いて出たアンデルの言葉に、元部下達の嗚咽は声を上げる程の泣き声へと変わる。

 彼等が崇拝する者の名は、その息子へと受け継がれた。

 それは、先代の英雄の功績を認めると共に、その子にも同様の期待をしているという表れである。

 サイモンという名は、サマンオサ国に永代刻まれる事となり、その栄誉ある名は脈々と受け継がれていく事になるだろう。

 

「有り難き幸せ。父の名に恥じぬよう、このサマンオサ国の為に尽くす所存にございます」

 

「うむ」

 

 誇らしげに顔を上げ、先程よりも幾分か表情を緩めたサイモンの息子は、アンデルに向けて深々と頭を下げた。それらのやり取りに、元部下達の嗚咽も大きくなる。

 この者達は、おそらくサイモン二世となったこの青年の下に就けられる事だろう。それもまた、彼等の望むところであり、予てよりの願いでもあった。

 

 そんな国王とのやり取りを聞いていたリーシャは、彼等の感動を余所に、全く異なる事を考えていた。

 『もし、カミュがオルテガの名を継ぐ事を許されたとしても、このような表情を浮かべるだろうか?』

 そんな考えは、リーシャの頭の中で即座に否定される。

 流石に国王の目の前で悪態を吐く事はないだろうが、固辞する事は間違いない。カミュという人間の中で、自身の父の名は誇らしい物ではなく、憎悪をも抱く不快な名なのである。

 もし、万が一にも、オルテガという英雄が『魔王討伐』に出る事無く、アリアハンを護る為だけに戦っていたとしたら。

 もし、アリアハンに留まり、カミュという息子との時間を過ごしていたら。

 そんな可能性の話にもならない物ではあるが、それであればカミュもまた、その名に誇りを感じ、そんな父のようになろうと生きていたのかもしれない。

 どちらが恵まれ、どちらが不幸なのかという事を論じる事自体が不毛な物ではあるが、リーシャはこの英雄の息子達の相違点に考えを巡らしてしまうのだった。

 

「そこでじゃ。そなたには、サマンオサ国の英雄として……」

 

「畏れながら! 私は父の名を継ぐ者として、このサマンオサ国を護る為に戦いとうございます。その儀、何卒お許し下さい」

 

 国王の言葉を遮るなど、万死を持って償う程の罪である。しかし、アンデルは真っ直ぐ向けられた瞳を見て、その全てを察した。

 その瞳には、『まだ、認めてはいない』という想いが込められていたのだ。

 サイモン二世となった青年は、サマンオサ王族に対しての不信感が植え付けられている。父を奪われた子の憎しみは、そう簡単に消え去る物ではないのだ。

 その愛情を一身に受けた者であれば尚更であろう。

 リーシャの父のように、国家の仕事の中での栄誉ある死とされていれば、例え周囲の目はきつくとも、父の死を誇りある死として受け止める事は出来る。だが、反逆者としての烙印は撤回されたとはいえ、一度は国家から排除されたのであれば、父を崇拝する者としては許せる事ではない。

 彼は、サイモン二世となった事で、このサマンオサ国でもある程度の地位を得た。今後の働き次第では、国王に向かって諌言する地位を有する事も可能であろう。

 愛する父が愛した国を護る為、彼は彼なりに考えていたのだ。

 

「相解った。そなたには、国の防衛を指揮して貰おう」

 

 アンデルは、小さな溜息を吐き出し、その願いを受け入れる。

 彼の素行は、決して臣下の物ではない。だが、彼の周囲には元サイモン直属の部下達がいる。国家に仕える者としての心得は、彼等から徐々に学んで行く事だろう。

 アンデルは、己の中にある『覚悟』と『決意』を胸に、『使命』を果たすだけ。それがこの若き英雄の歩む道を正しい方向へ導く事になるに違いない。

 

「大義であった」

 

 自国の英雄への勲功論証を先に終えたアンデルは、その者達を下がらせる言葉を発する。金銭などの褒賞に関しては、この場で口にするべきではないと考えていたのかもしれない。

 その辺りを理解している様子のサイモン二世達は、国王の言葉に深く頭を下げ、謁見の間を後にした。

 その後、重臣達も下がらせた事によって、謁見の間には国王アンデルと筆頭大臣、そしてカミュ達一行だけが残される形となる。

 他国から来た一行に、国としての恥部を見せた訳である為、その口止めも含めて様々な想像が為され、重臣達は渋々ながらも謁見の間を後にした。

 

「さて……改めて礼を述べさせて貰う。このサマンオサを救ってくれた事、心から感謝する」

 

 側近さえも遠ざかった事を確認し終えたアンデルは、先程よりも丁寧に頭を下げる。その姿は、玉座に座したままであるにも拘らず、カミュ達や大臣さえも息を飲む程の神聖さを醸し出していた。

 正しく、自国を救ってくれた救世主に対しての礼を尽くしているのであろう。重臣達や側近、そしてサイモン二世となった者がいる前では見せる事の出来ない姿は、彼の心を明確に示している。

 

「重ねて、此度の一件、サマンオサ国民に正確に伝えられない事を詫びる」

 

 感謝の念を伝える時とは相反するように尊大な態度で謝罪を口にしたアンデルは、先程とは異なり、一国の国王としての顔に変化していた。

 カミュ達への感謝の気持ちは、国王としてと共に、個人としても表明していたのだが、この謝罪に関しては、サマンオサ国王としての言葉である事を示している。

 国の政策として行った物である以上、他国の者に口を挟む権利はないという事を言外に示しているのだ。

 それを明確に感じ取ったカミュは、深く頭を下げた後、国王アンデルへ顔を向け、ゆっくりと口を開いた。

 

「畏れながら申し上げます。此度の件、我々が成した事など微々たる物でございます。全ては、サマンオサ国の皆様方が成した事」

 

「……感謝する」

 

 カミュの瞳を見たアンデルは、素直に感謝の意を口にした。

 アンデル自身有り得ない事とは考えていても、ここでこの一行が今回の一件での不満を口にすれば、サマンオサ国として何らかの対応をしなければならない。そこに、国の救世主である事や、国王の救出者である事などは意味を成さない。アリアハンという国家が送り出した者達であるという一点だけの問題となってしまうのだ。

 『魔王バラモス』という世界共通の脅威がある時代を考えると非常に愚かな事ではあるが、それが『人』の世界なのである。

 

「オルテガ殿にサイモンを同道させていたとしても、結果は変わらなかったのかもしれぬな……」

 

 アンデルは、カミュの後方で跪く者達の表情を見て、安堵した想いとは別の感情を持った。

 三人の若い女性達は、皆顔を伏せてはいるが、その表情に変化はない。幼い少女に至っては、アンデルとの会話に全く興味を示していない事さえ伺えた。

 おそらく、アリアハンの英雄であるオルテガが、今回のカミュ達のようにこの国を救ったとしても、同じような言葉を残すであろう。

 だが、それは多分に謙遜の意味も込められた物であり、実際の想いは異なるのかもしれない。もし、同道している者達がいれば、その者達が不満を口にしなくとも、その表情や態度に少なからず表れていた筈である。

 そのような自己顕示欲が、彼らには一切感じられなかった。

 先程、この場を後にした英雄サイモンの息子達には、自己の力を証明したいという欲がある。だからこそ、萎縮していたとはいえ、この謁見の間に意気揚々と出仕出来たのだ。

 それが、『英雄』と『勇者』の違いのように、アンデルは感じていた。

 

「これまでの英雄達が魔王を討伐出来なかったという事実も、当然の事なのやも知れぬな」

 

 アリアハン国のオルテガ。

 サマンオサ国のサイモン。

 両名共に誰しもが認める『英雄』である。

 国家の敵となる他国の者達と戦い、戦功を上げ、国家を脅かす魔物達を討伐し、名声を高めた。

 だが、彼等はそのような場があってこそ輝く者達。

 戦いの場があり、名を上げる状況が整ってこそ、彼等の武は光り輝くのだ。

 それこそが、『英雄』の証。

 戦いに自ら身を投じ、その場で己の武を振るう者。

 だが、逆に考えれば、その者達は何も生み出す事はない。

 彼等によって救われる者達はいるだろう、彼等によって命を護られる者達もいるだろう。

 それでも、彼等が成せる事は、既に出来上がった状況の中で戦う事だけなのである。

 

 では、その状況を生み出す者とは誰か。

 それが『勇者』である。

 英雄と呼ばれる者達と同様に、戦いに身を投じる者でありながら、『勇者』と呼ばれる者は、その理由が異なるのだ。

 自ら戦いに身を投じる訳ではなく、彼等の周囲で戦いが起こるのでもなく、『勇者』という存在が状況を動かし、時として戦いへと発展させる。

 必ずしも、剣を抜き合うような争いになる訳ではない。

 時には討論になり、時には慈しみ合いとなり、時には分かち合いとなる。

 全ては、その『勇者』と呼ばれる存在が生み出した『必然』による物。

 生み出された『必然』の中で名を上げる者が『英雄』となり、その地位と名誉を手にして行くが、『必然』を生み出した者の存在と功績は限られた者にしか残らない。

 その限られた者達が語り継ぐ事によって、その存在は『勇者』となるのだ。

 

「この世に生きる人間の中で、そなた達が……いや、そなた達だけが成し得る事の出来る物なのかもしれん」

 

 オルテガもサイモンも、世界にその名を轟かす程の『英雄』である。

 実質一人で旅を続けて来たオルテガの力量は、アンデルの目の前で跪く四人の若者達よりも上なのかもしれない。

 魔物を倒すという能力に掛けては、このサマンオサ国の英雄であったサイモンも劣る者ではないだろう。

 それでも、彼等は『英雄』という枠からは抜け出す事は出来ない。

 彼等が如何に強かろうと、『必然』を生み出す事の出来ない彼等では、『魔王』を討伐出来ないばかりか、『魔王』にすら辿り着けないのが道理である。

 

 このサマンオサ国を変えたのは、サマンオサ国で暮らす民であり、英雄の息子であり、アンデルという新国王である。彼等が動いたからこそ、この国は変化し、新たな時代を造り出したのだ。

 しかし、その全ては、アリアハン国が送り出した四人の若者達が訪国した事から始まった。

 今まで、このサマンオサ国の現状に心を痛め、苦しみを抱きながらも、誰一人として動き出さなかった国が、たった四人の……いや、たった一人の青年の出現によって大きくうねり出す。

 

 もし、筆頭大臣がカミュ達の謁見を許さなければ、彼等が地下牢へ向かう事はなかっただろう。

 もし、地下牢を護る門番が、彼等の脱獄を見逃さなければ、そして地下牢からの抜け道の噂を伝えなければ、彼等がアンデルという王弟に出会う事もなかっただろう。

 年齢差のある歪なパーティーを見たアンデルが彼等を信じなければ、国宝である<ラーの鏡>が再びサマンオサ国に戻る事もなかっただろう。

 それは、サマンオサ国の英雄であるサイモンの直属の部下達も同様であり、部下達が彼等を信じなければ、城下町を襲う魔物は、町で暮らす国民達を全て喰らい尽くしていただろうし、サマンオサに新たな英雄が生まれる事もなかった。

 全ては、アンデルの目の前で跪く、『勇者』が起こした『必然』なのだと考える方が自然であろう。

 それが、『英雄』と『勇者』の違いだと、アンデルは考えたのだ。

 

「そなた達に、余から褒美を取らす」

 

 一度目を瞑り、自身の馬鹿げた考えに小さな笑みを浮かべながら、アンデルは溜息を吐き出した。

 再び目を開き、目の前で跪く四人の姿を確認したアンデルは、その者達の功績を知る限られた人間として、労に報いる言葉を発する。

 それは、筆頭大臣でさえ予想もしていなかった言葉なのだろう。驚いたように顔を上げたカミュ達と同様に、見開いた瞳を国王であるアンデルへと向けていた。

 

「この<変化の杖>と、<ラーの鏡>を褒美として取らす」

 

「こ、国王様、そ、それは……」

 

 だが、続くアンデルの言葉に驚きは増し、言葉を失ってしまう。

 褒美の品として挙がった物の名は、このサマンオサ国にとって秘宝として存在する国宝であったのだ。

 一対となる二つの国宝は、このサマンオサ国を見出し、そして正した宝具。

 神代から残されていると伝えられる程の物であり、サマンオサ王族が『精霊ルビス』から与えられたとさえ伝わる物であった。

 

「よい! この二つは、確かに我が国の国宝であった。だが、もはや必要はない。己の姿を偽る必要もなく、己の真実の姿はこの国の民達が映し出してくれる」

 

「国王様……」

 

 『英雄』と『勇者』の違いを知ったアンデルは、同時に国王としての真の役割を知る事となる。

 どれ程に己の姿を偽っても、その王が行った政は、必ず国に反映されてしまう。良い物であれば、それは国民の笑みとなり、悪しき物であれば、それは国民の涙になる。

 国王として残した足跡には、必ずその国で生きる者達の顔が付いて来る。笑みという花を咲かすのか、涙という雨を降らすのか、それは全てその国を統治する者の働きによって決まるのだ。

 

「余に偽る物など、もはや何も無い。我が国の民達こそが、真実の余を映し出す鏡となろう」

 

 その言葉は、どれ程に尊い物であっただろう。

 昨晩に、死ぬまでの涙を全て流し終えたと思っていた大臣の瞳から、再び熱い想いが流れ落ちて行く。

 国に仕える者であれば、この言葉に心を動かされぬ者などいるだろうか。

 カミュの後方で跪いていたリーシャでさえ、胸に込み上げる熱い想いを抑えるのに必死であった。

 

「そなた達に、十数年間己を偽り続けた愚か者から言葉を贈る」

 

 大臣が口元を押さえ、言葉を失ってしまった事に苦笑を洩らしたアンデルは、玉座から立ち上がり、カミュの前に<変化の杖>と<ラーの鏡>を置き、ゆっくりと口を開く。

 静かにカミュ達全員を見渡し、自虐するような言葉を口にしたアンデルの瞳は真剣な輝きを放っていた。

 誰も言葉を挟む事は出来ず、その口から発せられるであろう言葉を固唾を飲んで待つ。

 

「そなた達が培って来た経験や、広げて来た見聞は、そなた達の未来を裏切る事は決してない。この先、迷う事はあろうが、己達が歩んで来た道を信じて進むが良い!」

 

「……はっ」

 

 謁見の間に轟く声は、『勇者一行』の胸に届き、定着させて行く。

 この言葉は、この先の旅で、長らく彼等の心に残って行く事だろう。

 時に彼等の心を叱咤し、時に激励する。そして、沈み込みそうになる彼等の心に勇気と決意を思い出させて行く事だろう。

 その証拠に、アンデルの言葉にカミュが声を返すまでに、暫しの時間を要するのであった。

 

「既にルビス様から愛されておるそなた達には今更ではあるが、そなた達の旅に、ルビス様の多大な加護があらん事を」

 

 アンデルの最後の言葉で、謁見は終了した。

 カミュ達の心にサマンオサ王族の偉大さを植え付ける結果となった謁見は、様々な物を残して行く。

 もはや話す事はないと口を閉ざしたアンデルが玉座へと戻ったのを見て、カミュ達も立ち上がり、謁見の間を後にした。

 

 

 

 謁見の間から『勇者一行』が出て行った後、筆頭大臣も仕事へと戻り、謁見の間にはアンデル一人となる。

 暫しの間、高い天井を眺めていたアンデルは、これから動き出すサマンオサ国への期待と不安を感じていた。

 彼に出来る事など、広いサマンオサ国のなかで限られている。それでも、これからは彼自身が動き出さなければ、この大国が変わる事など有り得ない。

 再び『決意』と『覚悟』を持って、『使命』へと向かおうと視線を戻したアンデルの瞳に、一人の美しい女性が映り込んだ。

 

「お、叔父様……」

 

 それは、彼が偽りの王として同じ場所に座していた頃、彼と妃となった妻との間に生まれた小さな命であり、次代へと続く小さな希望となる姫君であった。

 彼女自身、全てに於いて不安定なのだろう。

 サマンオサ国としては、魔物と国王が入れ替わった時期を明確にはしていない。故にこそ、この姫が生まれた時期の国王が、本当にサマンオサ王族であったかも定かにはしていないのだ。

 彼女の出生の秘密を知っているのは、この国でアンデルと筆頭大臣しかいない。それは、姫という立場を危うくする物であり、当の本人でさえも、自身の身を曖昧な物に感じていたのかもしれない。

 王弟としての明確な地位を持ち、今や国王となったアンデルには子供がおらず、必然的に王位継承権はこの姫君に移る。しかし、その姫君が本当に先代の子である証拠はなく、寧ろ邪魔な存在と考えても可笑しくはないのだ。

 彼女がそれでも、アンデルを『叔父』と呼んだのは、微かな希望を胸に宿していた証拠なのかもしれない。

 

「どうなされた?」

 

「叔父様……私は、私にはどのような処分が……」

 

 他人行儀なアンデルの言葉に、姫君は眉を顰める。

 それは、自身を親族として認めていないように感じてしまったのだ。

 親族として見ていないという事は、疑いを持っている事と同義。それは、姫君の命運を左右する程の物である。

 故に、か細く震える声で、玉座に座る王へと問いかけるのだ。

 『自分は何時裁かれるのか』と。

 

「処分? 何故、お前を処分する必要がある? お前は余の娘となるのだ。これからは、余を父と思い、心安らかな日々を送るが良い」

 

 だが、アンデル自身は、予想もしていなかった言葉に心底驚き、目を見開いた。

 先程、この謁見の間でアンデルが口にした言葉の中にあった、『もはや偽る物など何も無い』という言葉には、たった一つの偽りが含まれている。

 それは彼の生涯に掛けて偽り続けて行かなければならない程の大きな物。

 血を分けた本当の娘を、先代である兄の娘として接して行かなければならない大きな嘘。

 それを改めて認識したアンデルは、口調を崩し、自身の心の中を吐き出すように、柔らかな笑みを浮かべて言葉を紡いだ。

 

「こちらにおいで」

 

 玉座から伸ばされた手は、真っ直ぐに姫君へと向けられている。

 その笑みは、全てを包み込むような愛に満ちており、向けられた者に絶対的な安心感を齎す程の優しさが込められていた。

 それは、親だけが持つ事の出来る無償の『愛』。

 何よりも強く、何よりも優しい『愛』。

 

「……お……おとう……さま?」

 

 真っ直ぐに差し伸べられた手に吸い込まれるように引き寄せられた姫は、その手に触れた瞬間、理由の解らない感情に包まれた。

 無意識に溢れ出した涙が、次々と頬を伝って行く。

 

「うむ……うむ! 今日から、この私がお前の父だ!」

 

 真っ直ぐに向けられた『愛』は、必ず子の心に刻まれる。

 生まれてから幾年もの間注がれ続け、心に刻みつけられた『愛』を忘れる事など出来はしない。

 親となった者にしか注ぐ事の出来ないその『愛』は、姿形が変わってしまっていても、心が反応をするのかもしれない。

 無意識に求め、無意識に応えるそれは、生物がこの世で脈々と受け継いで来た物。

 親から子へ、子から孫へと繋いで来たそれは、消え去る事などないのかもしれない。

 

 

 

 長く苦しい時代は終わりを告げる。

 大国を覆っていた厚い闇は、『勇者』が造り出した必然によって動き出した様々な者達が払った。

 一つの時代が終わり、また新たな時代が始まる。

 

 

 




読んで頂き、ありがとうございました。

これにて、ようやく第十三章も終章となります。
次話は、勇者一行装備品一覧を更新致します。

ご意見、ご感想を心よりお待ちしております。

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