新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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ポルトガ城下町①

 

 

 

 ポルトガへ着く頃には、陽も陰り始め、夜の支配が着々と進む頃であった。

 港町でもあるこの国は、つい数年前までは港を閉じ、船の往来など皆無に等しい状態であったが、トルドが作り始めた町の振興によって、貿易という物が再開され、暗闇が支配する夜になっても、灯台が明かりを絶やさぬようにされていた。

 対岸にある、カミュ達も訪れた場所にある灯台と共に、ポルトガの港にも新たに簡素な灯台が作られ、夜の間も船の来航を許可しているのだ。

 そんな灯台の明かりが鮮明になる時間にポルトガ城下に入ったカミュ達は、まず宿屋へと向かって歩き出した。

 

「カミュ様、何故ポルトガなのですか? スーの村の方が、あの『旅の扉』の場所から近いと思うのですが」

 

「そうだな……確かに航海の危険性を考えれば、あの者達はスーの村で停泊しているのではないか?」

 

 ポルトガ城下に入ると、サラがここまでの道中で感じていた疑問を口にする。それに同意を示すように口を開いたリーシャもまた、同じような疑問を持っていたのだろう。

 サマンオサへと続く『旅の扉』がある島へ上陸する前に、船を下りた後の事を頭目とカミュは話し合っていた。

 海の魔物と戦う事ならば、元カンダタ一味がいる限り、船の乗組員であっても可能ではある。だが、誰一人欠ける事無く航海を進めるという大前提で言えば、それは大きな危険を伴う事も確かであり、ましてや<大王イカ>のような魔物や<テンタクルス>のような魔物と遭遇した場合、全滅は必至である。

 故に、カミュ達が戻るまでの間は、何処かで停泊しているという事で合意が果たされていたのだ。

 

「確かにスーの村近辺という可能性もあるが、あの場所では船員全員が陸に上がる事は出来ない。ましてや、スーの村へ行くとなれば数日の間は徒歩の旅が必要となる。あれから一月以上の時間が経過しているのだから、天候の良い時を見計らって、ポルトガまで戻っている可能性の方が高いだろう」

 

「…………ふね…………」

 

 夕食時の喧騒に覆われたポルトガ城下町の中でカミュのマントの裾を握っていたメルエが、遠くに見えるポルトガ港に停泊する一際巨大な船のマストを発見する。

 カミュの見解に概ね理解を示していたリーシャとサラであったが、メルエの指差すマストが、他の建物などの間から見えた時には、明らかな安堵の溜息と共に、喜びを表していた。

 カミュの考え通り、一行を降ろした後、船は時間を掛けてこのポルトガまで戻って来たのだろう。遠くから見る限りではあるが、船体には大きな外傷はないようであり、順調な航海を続けて来た事が伺えた。

 おそらく以前に到着していたのだと考えられ、現在は故郷であるポルトガで思い思いに過ごしているだろう。故に、カミュ達は予定通りに宿屋で一泊する事にした。

 

「部屋に猫がいないか探してくれ」

 

「猫……ですか?」

 

「…………ねこ…………?」

 

 宿屋の店主から別棟にある部屋の鍵を渡された一行は、少し離れた場所にある別棟に向かう。その途中で不意に口にしたカミュの言葉に、サラとメルエは仲良く首を傾げた。

 この四人の中でカミュの言っている内容が理解出来るのは唯一人。

 だが、その唯一の一人もまた、カミュの言っている意味が解らず、眉を顰めながら首を捻っている。そんな姿に溜息を吐き出したカミュは、静かに自分に割り当てられた部屋の扉を開けた。

 カミュに割り当てられた部屋は、以前に宿泊した場所と奇しくも同じ部屋であり、中に入ったカミュは部屋の内部を注意深く見回す。そして、小さな机の下で逃げる為に身を構えている猫の姿を見つけ、扉の外で成り行きを見守っていた三人を部屋の中へと招き入れた。

 

「…………ねこ…………」

 

 最後に部屋に入ったリーシャが扉を閉めてしまった事によって、机の下にいる猫の退路は絶たれてしまう。諦めにも似た姿を晒す猫に対して、真っ先に反応したのは、やはり動物に一番興味を示す幼い少女であった。

 目線が低いメルエは、机の下にいる猫の姿を真っ先に見つけ、花咲くような笑みを浮かべて駆け寄って行く。以前、ホビットがいた祠で生活していた猫達は、そんなメルエに好意的に接し、背中までをも撫でさせてくれた。

 そんな思い出が残るメルエだからこそ、何の疑いもなく、机の下にいる猫に向かって手を伸ばしたのだが、それは予想外の結末を生む事となる。

 

「ふしゃぁぁ!」

 

 先程まで静かに机の下で佇んでいた猫が、メルエが手を伸ばした途端に豹変したのだ。

 威嚇するような声を上げ、身の毛を逆立たせる。前足を屈め、逆に後ろ足を伸ばす事によって尻を上げてメルエを威嚇していた。

 それでも、動物に対する免疫も経験もないメルエは、何かが解らずに手を伸ばす。それ程奥行きのない机の下である事から、机の前で屈み込んだメルエの手は、無理をする事無く猫の元へと届いたのだった。

 

「ふしゃぁぁ!」

 

「…………!!…………」

 

「メルエ!」

 

 しかし、そんなメルエの無垢な行為は、手痛いしっぺ返しを貰う事となる。

 威嚇しても尚、伸ばして来るメルエの手に向かって振り抜かれた小さな前足には、鋭く輝く爪が付いていた。

 鋭い爪で肉を引き裂かれたメルエの手の甲から鮮血が弾ける。三本の線を残し、そこから溢れ出す真っ赤な血液は床を濡らし、自分の身に何が起こったのかを理解出来ないメルエは、その場に尻餅を突いてしまった。

 慌てて近寄って来たサラが、その手の甲に向かって回復呪文を唱えた事で傷跡は綺麗に消えていったが、初めて受けた動物からの拒絶は、メルエの心に大きな傷跡を残してしまったのかもしれない。

 

「…………ぐずっ……メルエ……だめ…………?」

 

「今のはメルエが悪い。動物達も、自分の身に危険が迫ると思えば牙を剥く。始めに、メルエが害を為すつもりがない事をしっかりと伝えてからだ」

 

「そうですね。ほら、もう一度メルエの声で呼びかけてみましょう?」

 

 既に傷が消え去った手を握り締め、涙を堪え切れずに猫へと問いかけるメルエの姿は、哀愁を漂わせていた。

 だが、大事な妹にも等しいメルエを傷つけられたにも拘らず、リーシャもサラも、その結果が生まれた事に対してはメルエの落ち度である事を口にする。誰一人味方がいない状態でも尚、再びメルエは机の下で威嚇を続ける猫に向かって、謝罪の言葉を口にし、自分の許へ来てくれるように懇願の言葉を呟いた。

 そんな、少女の微笑ましい行動にリーシャとサラが頬を緩める中、何処か怪訝そうな表情を浮かべたカミュは、何かを考えるように目を細めていた。

 

「<ラーの鏡>を取り出しておいてくれ」

 

「え?」

 

 ようやく怒りを納めたのか、威嚇を弱めた猫の様子を見て、懸命に説得を続けるメルエの後ろで呟かれたカミュの言葉に、サラは思わず顔を上げてしまう。

 サマンオサ国で手に入れたばかりの<ラーの鏡>は、本来は門外不出の国宝である。既に使用する理由などもなく、カミュ達にとっても無用な長物ではあるが、易々と表に出せる代物ではない事も確かであった。

 サラの素っ頓狂な声に振り返ったリーシャは、ようやくこの場所に猫がいる事を理解し、何故カミュが猫を探していたのかを把握する。

 

「この猫は、あの時の女性なのか? 確かに<ラーの鏡>であれば、真実の姿を映し出し、魔王の呪いといえども解いてしまう可能性があるな」

 

「え? え? 魔王の呪い? ど、どういう事ですか?」

 

 このポルトガには、呪いを受けた事によって、夜の間は猫に変化してしまう女性と、昼の間は馬に変化してしまう男性がいた。その二人は、恋心を交し合った者同士ではあるのだが、その事実を知る者は、カミュとリーシャという二人しかいない。

 当の本人達も互いがどのような姿になっているのかを知らず、生死さえも確かめられてはいなかった。故にこそ、サラが知る由もなく、カミュとリーシャの会話自体を理解する事が出来なかったのだ。

 

「メルエ、少し下がろう。それでは、猫の方も机の下から出てくる事は出来ないぞ」

 

「…………むぅ…………」

 

 動物との対話を望むメルエにとって、すぐ目の前にいる猫が歩み寄って来てくれない事は悲しい事であり、知らず知らずに身を乗り出すように猫との距離を縮めてしまっていた。

 それは、メルエ自身にその気は無くとも、小動物には圧迫感を与えてしまう行為であり、例え中身は『人』であったとしても、現状の猫にとっては恐怖に映ってしまったのだろう。

 リーシャに腕を引かれ、その腕の中にすっぽりと納められてしまったメルエは、不満そうに頬を膨らませるが、危険性を感じなくなった猫が、伺うように外へと出て来た事によって、表情を和らげて瞳を輝かせた。

 

「カミュ様、<ラーの鏡>です」

 

「それをあの猫へ向けてくれ」

 

 事情を把握出来ないまま、自分が預かっていた神代の鏡を取り出したサラは、その後に続いたカミュの言葉に従い、警戒するように出て来た猫に向かって鏡を向ける。

 リーシャの腕の中で手を伸ばしていたメルエは、そのまま抱き上げられてしまった事に対して再び不満の声を発するが、目の前で起こり始める現象に驚き、目を丸くさせる。

 

「え?」

 

 鏡を持ったサラ自身が驚きの声を上げる中、鏡の中に映り込んだ猫は、鏡の中でその姿を変化させて行く。

 真実を映し出すと伝えられている鏡には、若く美しい女性が映り、自分の姿に驚いているような表情を浮かべているのだ。それは、以前にリーシャが見た女性と寸分も違わず、腰まで伸びた長く特徴的な癖のある髪は、今も同じ物であった。

 鏡に映し出された姿に驚くサラの目の前で、眼も眩む程の光が放たれる。部屋全体を包み込むような光は、四人の視界を奪い、世界を変えた。

 

「あ……あ……」

 

 それは誰の呟きだっただろうか。

 光の収まった前方を見たサラの声だったのか、愛しい姿であった猫が豹変した事に驚いたメルエの声か、それとも先程鏡に映り込んでいたそのままの姿をした女性だったのかもしれない。

 カミュとリーシャ以外の者達の驚きが言葉となって部屋に響く中、夢のような現象は現実の物となった。

 真実の姿を映し出すと云われる<ラーの鏡>に映った女性の姿は、先程まで猫であった者の真実の姿。神代から伝わり、『精霊ルビス』から『人』の手へ渡された道具は、『魔王バラモス』の呪いさえも弾き飛ばしてしまったのだ。

 

「まだ夜なのに……夜なのに……」

 

「呪いが解けた。貴女は元に姿に戻り、今後猫になる事は二度とない筈だ」

 

 カーテンの隙間から部屋に入り込むのは月の光。

 それが意味するのは、外が未だに夜の闇に支配されているという事実。数年もの間、闇が支配する時間は猫の姿に変化していた女性は、自分の瞳に映る手足や身体を見てもまだ、その事実を信じる事が出来ていなかった。

 しかし、現実に女性の姿は元の人間の姿に戻っている。それが示す意味は、『魔王バラモス』が罹けたと考えられる呪いが解かれたという事。

 実際に、『魔王バラモス』が呪いを罹けたのかどうかは解らない。だが、神代から伝わる道具が効力を発揮した事だけは確かであろう。

 

「あ、ありがとうございます……ありがとうございます」

 

 ようやく自分の身に降り注いだ天からの救いを理解した女性は、大粒の涙を浮かべ、何度も何度もカミュ達へと頭を下げる。その姿は、ここまでの苦しみと哀しみを想像させ、事情を理解出来ないサラまでも、理由の解らない涙を溢れさせた。

 戯れようと思っていた猫が突如として成人の女性へと変化した事によって、メルエだけは何処か納得の行かぬように頬を膨らませて女性を睨んでいたが、リーシャが優しくその頭を撫でる事によって、何とか機嫌を持ち直す事となる。

 

「カミュ、あの男性にも<ラーの鏡>を使うのか?」

 

「あの男性? カルロスの事ですか!? カルロスは生きているのですか!?」

 

 メルエの頭を撫でながら問いかけたリーシャの言葉にカミュが反応するよりも、涙を溢し続けながら頭を下げていた女性の方が反応は早かった。

 自分と同じような境遇にいる可能性のある人間となれば、彼女の中では愛しい恋人しか浮かばなかったのだろう。生存しているかもしれないという僅かな希望を胸に生きて来たこの女性の頭の中には、『恋人も、もしかすると自分と同じように動物になっているのかもしれない』という想いが合ったのかもしれない。

 そんな藁をも掴むような想いは、静かに首を縦に振ったリーシャの動きによって現実となる。奇跡のような現実を目の当たりにし、彼女は再び大粒の涙を流すのであった。

 

「人間の状態のままで<ラーの鏡>の効力が発揮されるのかが確定出来ない以上、夜が明けるのを待ってから放牧地へ行った方が良いだろうな」

 

「そうか……残念だが、カミュの言う通りかもしれない。サブリナと言ったか?……悪いが、カルロスという名の男性と会うのは、明日になるな」

 

 喜びを満面に湛える女性の顔を見て、自然に笑顔を作っていたサラとメルエであったが、現実的なカミュの言葉で、喜色に満たされていた部屋の温度が僅かに下がった。

 今目の前にいるサブリナという名の女性が呪いから解き放たれたのは、猫の状態で<ラーの鏡>を覗き込んだからである。昼間に人間に戻ってしまう彼女が、人間の姿のまま<ラーの鏡>を覗き込んでも、映し出されるのはそのままの人間の姿。それでは、夜を待たなければ、呪いから解き放たれたのかどうかを確認する事は出来ない。

 今人間の姿でいるであろうカルロスという男性に対して<ラーの鏡>を使用したとしても、夜が明けるまではその効力が発揮されたのかを確認する事は出来ないという事になるだろう。であるならば、目の前で効果が解る状態で<ラーの鏡>を使用する方法が正しいと言えるのかもしれない。

 

「だ、大丈夫ですよ。事情はよく解りませんが、この人達がこのように話す以上、何の心配もいりません」

 

「…………ん………だいじょうぶ…………」

 

 一転して落ち込むサブリナに対し、見かねたサラが魔法の言葉を口にする。この言葉を、メルエという幼子の前で発した以上、サラは大きな責任を背負う事となった。

 そして、サラがこの言葉を口にする以上、この案件で心配する必要がないという事を誰よりも知っているメルエもまた、花咲くような笑みを作り、魔法の言葉を口にする。

 そんな二人の笑みを見たサブリナも、哀しみを滲ませた表情から安堵の表情へと変えて行った。

 

「では、明日だな……そういえば、サブリナはこの町に家はあるのか?」

 

「あ……はい。大丈夫です。数年ぶりですので、未だに私の家かは確かではありませんが……」

 

 行動を起こす日取りを確認したリーシャであったが、目の前で微かな笑みを浮かべるサブリナを見ていて一つの疑問が浮かんだ。そして、サブリナの答えを聞き、それも当然だと思う反面、その言葉の哀しさに眉を顰める。

 彼女の話を聞く限り、彼女達には何の罪もないのだろう。それでも彼女達は呪いを掛けられ、数年もの間、自宅にさえ帰る事が許されなかった。

 そんな非道な仕打ちにリーシャは顔を歪め、事情を把握し切れていないサラまでもが眉を顰めて何かに耐えている。そんな二人の表情に気が付いたサブリナは、柔らかな笑みを浮かべ、もう一度頭を下げた。

 

「私なら大丈夫です。元の姿に戻れたのです。住む場所など何とでもなりますよ。本当に、本当にありがとうございました」

 

「もし、戻る家がなければ、この宿に戻って来い。三人部屋で少し狭いかもしれないが、私達と共に眠れば良い」

 

 深い感謝を示したサブリナは、顔を上げた時に掛けられた頼もしい言葉に、もう一度輝くような笑顔を作る。

 小さく頷きを返したサブリナはカミュの部屋を出て行き、それを見届けたリーシャ達もまた自分達の部屋へと戻って行った。

 

 

 

 翌朝、宿の別棟前で待ち合わせをし、カミュ達と共にサブリナは宿屋のカウンター奥にある放牧地へと足を進める。

 空は、希望に満ちたサブリナの心のように晴れ渡り、雲一つない晴天。

 青く透き通るような空は、今までの苦労も、心を押し潰そうとする哀しみをも吸い込むように広い。吹き抜ける心地良い風を目一杯吸い込み、花咲くような笑みを浮かべて空を見上げるメルエを見て、サブリナもまた、柔らかな笑顔を浮かべていた。

 宿屋のカウンターへ部屋の鍵を返し終えたカミュは、奥の放牧地へ向かう許可を貰い、そこへ続く扉へと手を掛ける。ゆっくりと押し開かれる扉の先に待っている光景を考え、高鳴る希望と増してゆく不安を押し隠すように、胸に手を合わせた。

 

「…………おうま…………」

 

 以前来た時にも見た動物ではあったが、あの時よりもメルエの心は成長している。スーの村で出会った『エド』という名の馬との会話が、幼い彼女の心に鮮明に残っているのだろう。

 誰よりも早く馬に駆け寄って行ったメルエは、届かない手を必死に掲げ、馬を撫でようとするが、それは予想外の行動に遮られた。

 

「ヒヒィィン」

 

「メルエ!」

 

 駆け寄って来るメルエに怯えた様子を見せた馬は、前足を振り上げ、威嚇の行動に出る。

 数倍もある巨体から繰り出される攻撃が当たれば、メルエの身体など容易く吹き飛ばされ、命を落としてしまうだろう。だが、それは一瞬の内に詰め寄った絶対的な保護者によって阻止された。

 メルエを掻っ攫うように抱き上げたカミュは、そのまま真横へと飛び、馬の前足を掻い潜る。メルエがいた場所へ振り下ろされた前足の蹄は、放牧地の地面を深々と抉った。

 

「メルエ、大丈夫ですか?」

 

「昨晩も言っただろう? 不用意に近づいては駄目だ。動物達も驚いてしまう。しっかりと、メルエが敵意を持っていない事を解ってもらってからだ」

 

「…………ごめん……なさい…………」

 

 カミュの胸元に顔を埋めていたメルエの許へ駆け寄ったサラとリーシャは、その身が無事である事に安堵の溜息を漏らす。そして、昨晩もメルエを諭した内容を口にしたリーシャは、それに対して可愛らしい謝罪をするメルエの後ろで、怪訝そうに目を細めるカミュの表情に気が付いた。

 何かを考え込むように、そして何かを懸念するように細められた彼の瞳は、未だに興奮冷めやらぬ馬を射抜いている。それは敵意のような物ではなく、ましてやメルエが傷つけられそうになった事への怒りでもない。その違いはリーシャにも解るのだが、明確な理由が解らない。

 

「カ、カミュ様、今のは不用意に近づいたメルエの責任ですよ。動物の本能に対して怒りを向けるのは……」

 

「いや、サラ、それは違う。カミュ、何か気掛かりな事でもあるのか?」

 

 しかし、カミュの微妙な反応が理解出来ないサラは、カミュが馬に対して怒りを向けていると感じてしまっていた。その点に掛けては、世界最高の頭脳を持つ『賢者』であるサラであっても、リーシャの足元にも及ばないのかもしれない。

 そんな若干の怯えを見せるサラを制したリーシャは、メルエを地面へと下したカミュに向かって、その理由を問いかける。心の機微には聡いリーシャではあるが、その内容までは理解する事が出来ない。

 だが、カミュは小さく首を横へと振った。

 

「まずは呪いを解く事を優先する」

 

 こうなれば、このパーティーでメルエの次に頑固者であるカミュが明確な答えを口にする事はないだろう。それを理解したリーシャは、軽い溜息を吐き出し、サラへ<ラーの鏡>を準備するように伝えた。

 落ち着きなく成り行きを見ていたサブリナを呼び寄せたリーシャは、興奮が幾分か収まって来た馬へ少しずつ近づき、自身に敵意がない事を示し続ける。そんなリーシャの後ろからゆっくりと近づいて来たサラが、馬を驚かせないように<ラーの鏡>を取り出した。

 

「大丈夫だ。落ち着け、落ち着いて鏡を覗き込め」

 

 太陽の陽光を反射した鏡に驚きを見せる馬へリーシャが言葉を投げかける。相手に安心感を与えるような静かな声は、興奮し始めた馬の心に落ち着きを取り戻させた。

 最後にカミュのマントを握るメルエが到着した頃、リーシャの後ろから鏡を覗き込んだサブリナは、そこに映り込んでいる馬の姿に驚きを見せる。

 鏡に映っているのは、目の前にいる馬である筈。

 だが、陽光に輝く鏡の中で驚きの表情を浮かべているのは、彼女の愛した唯一人の男性。

 共に夢を語り、共に愛を語り、共に未来を語った愛しい者。

 その姿を見たサブリナの瞳から、昨晩よりも大量の涙が零れ落ちた。

 

「カ、カルロス!」

 

 サブリナの叫びにも似た声に反応したかのように、カミュ達の視界は、眩い光によって遮られる。空から降り注ぐ陽光を受け、輝く鏡の効力を受け、目の前の馬の身体が光に包まれたのだ。

 昨晩のサブリナと同様に、眩い光が収まる頃には、その場所に馬という動物の姿はなくなっていた。

 代わりに存在するのは、事情を把握し切れずに呆然と佇む一人の男性。

 自身の腕や掌を何度も眺め、その手で身体のあちこちを触り続けていた男性が、ようやく目の前で涙を流して口元を抑える女性の姿に気が付いた。

 

「サ、サブリナなのか?」

 

「ええ……ええ……カルロス、ああ、カルロス!」

 

 何度も何度も恋い焦がれた相手との再会に、二人の声は詰まる。

 信じられない奇跡が彼女達に言葉を失わせる。

 いや、もはや言葉などいらないのかもしれない。

 この奇跡が夢のように消えてしまう事を恐れるように、ゆっくりと近付いた二人の指先が触れる。それは、抑えていた想いが溢れる切っ掛けとなった。

 

「サブリナ!」

 

「カルロス!」

 

 お互いの名を叫んだ二人の身体が交わる。

 二度と離さないという意思の表れのように強く抱き締める腕は、狂ったようにお互いを求め合う。お互いの体温を感じ、お互いの息遣いを感じ、お互いの愛を確かめ合った。

 口付けを交わす事はせずとも、激しく求め合うその姿は、恋愛経験の乏しいリーシャやサラは目のやり場に困ってしまう。しかし、先程まで馬が人になってしまった事に頬を膨らませていたメルエは、恋人達の行為を見て、傍にいたサラの腰に抱き着いた。

 嬉しそうに頬を緩め、自分に抱き着いて来るメルエを見て、サラは苦笑を浮かべながらもメルエの小さな身体を抱き締める。

 

「この方達が、私達を救ってくれたのよ」

 

「貴方達が……ありがとうございます。本当にありがとうございます」

 

 二人の顔は、涙と鼻水で見られた物ではない。

 だが、それに勝るような笑みが、見る者の心を温かくさせて行く。

 だが、何度も何度も頭を下げる二人に、軽く頭を掻いたリーシャの横から出て来たカミュの表情は、温かさや喜びを微塵も浮かべてはいなかった。

 

「一つ聞きたい。アンタ方は動物になっている時に自我はあったのか?」

 

 感動の再会と、和やかな雰囲気を一変させる冷たい声色。

 その質問の意味が理解出来ないサブリナとカルロスは、謝礼の言葉を飲み込み、呆然とカミュを見つめる。

 サラは、やはり自分の考えは間違っていなかったのではないかと感じていたが、リーシャは何か危惧する部分があったのかもしれないと、呪いの解けた二人へ視線を戻した。

 

「いえ……完全に自我が残っている訳ではありませんが、意識はありました」

 

「私も同じです。猫であった時の記憶は曖昧ではありますが、その時は何とか『人』に見つからないようにと、考えながら行動していました」

 

 二人の答えを聞いたカミュの瞳が細められる。

 只ならぬ雰囲気を醸し出す青年に、若干の怯えを見せる二人に気遣うようにリーシャが間に入った。カミュにその気はないのだろうが、彼の纏う雰囲気はこういう場面では恐怖の対象になってしまうのだ。

 サラが危惧しているような『怒り』の感情ではないだろう。彼が何を恐れているのかは知らないが、何処かしらに不安要素を見つけてしまったからこそ、ここまで真剣になっているに違いはない。

 

「そうか……ならば、メルエを襲った時の事は憶えていないのか?」

 

「や、やはり!?」

 

「カミュ、あれはメルエの落ち度だぞ」

 

 しかし、表情を緩めたカミュの口から出た言葉は、サラの考えを肯定するような物であり、リーシャの確信を打ち砕く物であった。

 慌てて弁解するリーシャであったが、振り向いたカミュの瞳を見て、自分の心配が杞憂であった事を悟り、そのままサブリナ達の答えを待つ事となる。

 不安と心配で『おろおろ』しているサラと、自分の名前が出て来た事で不思議そうに首を傾げるメルエだけが、状況から取り残されていた。

 

「あの時は……何故だか解りませんが、言いようのない恐怖に襲われまして……」

 

「私は、何か嫌な思い出が蘇った気がして……こんな可愛らしい女の子なのに」

 

 沈黙が支配する中、ようやく絞り出された声が小さく響く。

 言い難そうに顔を歪めた二人の様子から見る限り、その時の事を朧気ながらも憶えているようであった。

 暫しの間、二人の顔を見つめていたカミュであったが、『そうか』という呟きを漏らした後、そのまま放牧地を出て行ってしまう。急に切り上げられた会話に驚きながらも、再びお礼の言葉を告げ、深々と頭を下げるサブリナとカルロスへ別れを告げ、リーシャとサラも放牧地を後にした。

 サラの腰元に未だにしがみつくメルエの振る手に、サブリナが柔らかな笑みを作って応えている。それはメルエにとって、この上ない喜びであり、先程よりも色濃い笑顔を浮かべたメルエは、外へと続く扉を潜るまで手を振り続けていた。

 

 また一つ、栄誉を望まぬ者の起こした奇跡の伝説が残る。

 彼らが残した足跡は、限られた者達の心に確実に残り、後の世へと語り継がれるのだろう。

 『魔王バラモス』という諸悪の根源が消え失せるかどうかは誰にも分からない。だが、その目標に向かって歩き続ける者達の軌跡は、着実に人々の心に残って行くのだ。

 

 

 

 




読んで頂き、ありがとうございました。

少し短めですが、一話にすると長すぎるのでこのような形で分けました。
たぶん、皆様が気にされているであろう、この場面で手に入る武器ですが……
纏まりが悪いので、次話で描こうと思います。

ご意見、ご感想を心よりお待ちしております。

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