新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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トルドバーグ①

 

 

 

 ポルトガの港から、トルドという商人がいる開拓地までの距離は、カミュ達が今まで通過して来た船旅を考えると近い物である。

 僅か二日か三日程の船旅は、襲い掛かって来る魔物の数も限られ、天候が急に変わる事も稀であった。

 いつもの木箱の上に陣取り、潮風に靡く髪を押さえて海を眺めていたメルエは、前方に見え始めた大陸に目を輝かせ、木箱を降りてリーシャ達を呼びに走り出す。そんな幼い少女の姿に笑みを浮かべた船員達は、大陸が見えているにも拘らず、その事実を口にする事はなかった。

 

「おっ、陸地が見えたのか?」

 

「…………ん…………」

 

 普段は雨などが降らない限り、木箱から降りる事のないメルエが傍に寄って来た事で、リーシャは彼女が何を伝えたいのかを明確に理解する。自分の伝えたい内容が、口に出さなくとも伝わった事に満面の笑みを浮かべたメルエは、大きく首を縦に振った。

 もはや、海で遭遇する魔物達はカミュ達四人の敵ではない。唯一苦戦を強いられる可能性のある<テンタクルス>には、あれ以来遭遇する事はなかった。

 しかし、その<テンタクルス>であっても、死の呪文を行使出来るサラがいる以上、この船を破壊する事は不可能であろう。

 故に、この三日間程の船旅は、とても穏やかな物であった。

 

「益々、港が栄えて来ていますね」

 

「それだけ移民が多くなっているんだろうな」

 

 徐々に見えて来る港は、以前に訪れた頃よりも更なる繁栄を見せていた。

 以前よりも大きな船が何隻か停泊しており、荷を下ろす者達が黒い波となって動いているのが解る。それは、この開拓地が着実に『町』という形態に向かって歩み続けている事の証であろう。

 満足そうに頷きを返したリーシャは、その光景を眩しそうに見つめ、この状況を作り出した者を称賛するような言葉を紡いだ。

 

「これだけの人が訪れるようになれば、もう安心ですね」

 

「……それは逆だろうな」

 

 一般の船が辿り着く船着き場を横切り、カミュ達の船専用の船着き場へと移動する際に、海原へ轟く程の喧騒を見つめていたサラは、その光景を笑みを浮かべて見つめていた。

 だが、その笑顔はカミュの放った一言によって凍り付く。

 彼のような人物が、何の確信もなく、このような言葉を発するとはサラとて思ってはいない。彼なりに何らかの考えがあって発した言葉の中には、反論する事も、それに対して不満を述べる事も出来ない強さがあったのだ。

 

「ど、どういう事ですか? 『町』として機能する為には、数多くの人達が移住して来る事が不可欠な筈です。これだけの人達が訪れているという事は、移住して来た人達も多いという事ではないのですか?」

 

「カミュ、何が言いたいんだ?」

 

「確かに移民は増えたかもしれない。だが、『人』が増えるという事は、それだけ影が増えるという事でもある」

 

 それでも尚、疑問を呈したサラの顔には、余裕の欠片も見えなかった。

 もしかすると、彼女自身もまた、心の奥底に自分では認識出来ない程の小さな不安を持っていたのかもしれない。だからこそ、何とかカミュの言葉に反論したいという想いがある反面、それを覆す事が出来ないという不安も持ってしまっているのだろう。

 サラの後ろでメルエの手を引いていたリーシャは、カミュの発する言葉の意味を理解する事が出来ず、その意図が掴めなかったが、再び発せられた彼の言葉に、何か思いついたような仕草をする。

 そんなやり取りの中でも、全く話に興味を示さないメルエは、木箱の上へと戻る為、リーシャの手を放して駆けて行った。

 

「……カンダタへ話していたあの事か?」

 

「……行ってみれば解る」

 

 リーシャの問いかけを無視するように視線を外したカミュは、再び口を開く事はなかった。

 『カンダタ』という名前が出て来た事で、船員達の中にいる七人の男が振り返り、サラが怪訝な表情を浮かべるが、リーシャだけは何かを察したように眉を顰めて黙り込む。その二人の空気が尚更訝しく、サラはその真意を確かめようと口を開きかけたが、それは見えて来た港から投げられた停泊の為の縄によって遮られた。

 投げ入れられた縄を船止めに括り、船員達がゆっくりと船着き場へと近付く船を誘導して行く。掛けられた板を受け、船を降りる準備は整った。

 

「さぁ、メルエ、トルドに会いに行こう!」

 

「…………ん…………」

 

 重苦しく表情を硬くするサラの気持ちを吹き飛ばすように上げられたリーシャの大きな声は、満面の笑みを浮かべたメルエによって歓喜の声に変わる。先程まで甲板に漂っていた不穏な空気は、ムードメーカーでもある幼い少女の笑みによって消し飛ばされた。

 リーシャの手を取り、真っ先に船を下りて行くその後ろ姿は、この少女の心を知る者達にとって、無意識に笑みを浮かべてしまう程の優しさを滲み出している。

 小さな笑みを浮かべたカミュがその後に続いて船を降り、そんな三人の様子を厳しい表情で見ていたサラが、とても重い一歩を踏み出した。

 

「以前に来た時よりも道の幅が広がったか?」

 

「……そうだな」

 

「それだけ、あの場所に運ばれる品も増えたという事だと思います」

 

 トルドが開拓をする場所へと繋がる道は、以前に訪れた時よりも整備が進み、その幅も広げられていた。道と森を遮る柵が遠く見える程に広げられた道が、この世界で生きる『人』という種族の強さを物語っていた。

 カミュ達が最後に訪れてから、一年近く月日が経過しているとはいえ、それでも世界的な視点から見れば、それは本当に僅かな時の話である。『人』という種族の数倍もの寿命を持つ『エルフ』や『魔物』などから見れば、瞬きをする程の僅かな時間であろう。

 それでも『人』は、その僅かな時間を懸命に駆ける。エルフや魔物が懸命に生きていないという訳ではなく、『人』は短い時間の間でしか輝く事が出来ない以上、その短い時間で何かを残そうと生きるのである。

 だが、それは『人』の視点から見ると、儚い浮世での眩い程の輝きに映るが、他種族の視点からとなれば異なって来るのだ。貪欲に、そして強欲に他者の生活域ですら侵し、自身の生を輝かせる。それを美しいと思えるのは、『人』だけなのかもしれない。

 

「メルエ、そんな顔をするな。少し森側を歩こう」

 

 その証拠に、傍で鳥達の囀りや虫達の営み、そして咲き誇る花々の姿がない事に、幼い少女の顔は曇っていた。

 メルエという少女にとって、様々な者達が生きるこの世界は、果てしない輝きに満ちているのだろう。彼女にとって、自身や仲間に危害を加えないのであれば、魔物とて世界を生きる者達の一つなのだ。

 懸命に輝く花達を不必要に摘もうとはしない。森の中を縦横無尽に飛び回る虫達を不快に思って命を奪おうともしない。小動物達に対しては、自分の好意を伝えようと懸命に話しかけ、その温かみに触れようと手も伸ばす。それが、メルエという少女であった。

 

「町へ向かう人々も本当に増えていますね……」

 

「それだけ、アンタの理想からは掛け離れて来たという事なのだろう」

 

 広がった道を歩く人々や、引かれる台車を見ていたサラの呟きは、予想外の言葉によって断ち切られた。

 勢い良く振り向いたサラの表情を見る限り、カミュが発した内容に関して、思いが至っていたとは考え難い。本当にそこまで考えが及んでいなかったのであろう。その顔には、悲壮感さえも滲み出し、何かを口にしようと動く唇は、僅かに震えてさえいた。

 サラの理想は、『人』だけではなく、全ての生き物が幸せに生涯を全うする世界。

 実現困難であり、実現不可能な世界でもある。

 どれか一つの種族が繁栄するという事は、どこかの種族が没落する事と等しいのだ。全ての者達の均等な幸せを望むという事は、全ての者達の繁栄を拒む事にもなりかねない。

 そんな可能性を突き付けられたと、サラはカミュの言葉から感じ取ってしまった。

 

「で、ですが、それは……」

 

「だが……それでも、アンタは理想に向かって歩むのだろう?」

 

 自分の胸に湧き上がった未知なる不安を吐き出すように口を開いたサラの言葉は、遥か先の開拓地へと続く道を見つめる青年によって遮られる事となる。

 先程よりも驚愕に彩られた表情をしたサラは、真っ直ぐ道の先を見つめる青年の横顔を見つめてしまう。陽の光によって影を差す青年の横顔には、怒りも悲しみも、そして喜びによる笑顔もない。他人によって無表情と感じてしまう程の冷たい表情の中にある感情を窺う事は出来なかった。

 だが、自分の発した言葉が然も当然の事のように動じないその姿は、別の見方をすれば、絶対的な信頼を向けている事を示しているともなるのかもしれない。

 そんな青年の細かな変化を理解出来るサラではなかったが、彼が指し示す未来への道を再び見つめる決意だけは胸に戻す事が出来た。不安に押し潰されそうな程に揺れ動いていた瞳は定まり、歩もうとしている道の先にある可能性を知った事の恐怖で震えていた唇は、しっかりと結ばれる。

 

「はい!」

 

 再び灯った覚悟の炎を燃え上がらせるように宣言したサラは、隣に立つ青年が微かに笑みを溢した様に感じた。それは、本当に僅かな変化だったのかもしれない。実際は笑みなど浮かべる事無く、無表情で歩き始めていたのかもしれない。だが、それでもサラには、微笑んだように感じたのだ。

『自分が歩もうとしている道を支えてくれる者達がいる』

 それがどれ程の勇気となるだろう。

 それがどれ程の活力となるだろう。

 船の上で流し続けた溢れ出す想いが、再び溢れ出そうと胸を熱くさせる事を感じながらも、サラは真っ直ぐ前を見据えて歩き出した。

 

 前方ではリーシャがメルエと一緒に屈み込んで、柵の向こうで動き回る虫達を見つめている。その先には懸命に咲き誇る花々達が、虫達を誘う華やかな香りを風に乗せて運んでいた。

 世界は輝きに満ちている。サラはそれを、三年近く共に歩んで来た幼い少女に教えられた。

 『人』を守る為でもなく、ましてや『魔物』を打ち滅ぼす為でもなく、世界を救い、守る為に自分達は旅をしているのだと、サラはメルエを見る度に思い出さされる。

 それは、世界中の人間が、カミュ達へ『勇者』として期待する本分を裏切る物なのかもしれない。だが、それでも彼女はその道の先にある物を目指し歩み続けるのだろう。

 彼女を支える、大きくなった光と共に。

 

 

 

「カミュ……これは既に『町』だろう……」

 

「……そうだな」

 

 開拓地へと辿り着いた一行は、その入り口となる門の前で佇んでしまった。

 見上げる程に大きくなった門の中心には、あの日にトルドが打ち据えた<魔道士の杖>が今も輝いている。だが、その門を中心に広がる防御柵は、以前訪れた時よりも一回りも二回りも大きくなっていたのだ。

 それは、この開拓地自体の広がりを意味し、只の集落から『町』という機能を持ち始めている事を示していた。奇妙な縁でこの地に辿り着いた老人が望んだ物が、勇者一行に導かれた者の手によって現実へと向かって歩み続けている証拠。

 

「……町の名前も決まったのですね……」

 

 そして何よりも、<魔道士の杖>というこの町を象徴する町章の下に掲げられた板に記された文字が一行の驚きを誘っていた。

 四人が見上げた先には、町の名前が彫られた板が掲げられている。驚きと呆れに口を開いたまま見つめるリーシャとサラとは異なり、カミュの眉間には深い皺が刻まれ、それと反するようにメルエの瞳は輝いていた。

 

「ん? これはな、『トルドバーグ』と読むんだ」

 

「…………トルド…………」

 

 その板に彫られていた名は、『トルドバーグ』。

 カミュ達によって、この場所に導かれた者の名前がそのまま入っていたのである。

 それは、幼い少女にとっては、目を輝かす程の出来事であったのだろう。だが、他の三人はそれぞれに複雑な想いを抱いていた。その証拠に、この場で笑みを浮かべているのは、看板を嬉しそうに見上げるメルエだけである。

 この名前を決定する際に、トルドという『商人』が諸手を挙げて賛成の意を示したかどうかは解らない。だが、この名前が掲げられた事によって、この集落の代表者は、必然的にカザーブという小さな村の『商人』であった男となったのだ。

 リーシャは、トルドという人間が、自分の力や地位を表立って誇るような人物には思えない。そればかりか、彼の歩んで来た人生を顧みると、自身の功績を隠してでも発展に尽力を尽くす人物だと考えていた。

 それはサラも同様であり、自身が開拓した土地であったとしても、その名に自分の名前が付けられる事を良しとはせず、何があっても阻止するような人物だと考えていただけに、この看板を見た時、船上でカミュが語った言葉が思い出されてしまったのだ。

 

「…………いく…………」

 

「ああ」

 

 呆然と入り口の看板を見上げる三人を不満そうに見上げたメルエは、いつものように一番の保護者のマントの裾を引いた。

 集落の中へと入る為の荷物検査に並ぶ荷台が増えて行く中、自分がトルドに会えるまでの時間が遅くなってしまう事を危惧しているのだろう。不満そうに頬を膨らませ、せがむようにマントを引くメルエの姿を見て、カミュは重い足を一歩前へと踏み出した。

 

「荷台はないんだね。ようこそ『トルドバーグ』へ」

 

 荷台の荷物検査を待つ行列に並んだカミュ達の順番が来たのは、この門まで辿り着いてから数刻の時間を要した。

 上り始めていた朝陽は、既に真上まで昇り、昼食時を示している。門を守る検査員のような男の何処か卑屈めいた歓迎の言葉を受け、一行は友の名を掲げる町の中へと入って行った。

 

「うわぁ」

 

「…………トルド……すごい…………」

 

「そうだな……まさか、ここまで発展しているとは」

 

 町の中へと入った一行は、その景色の凄まじさに、先程以上の放心状態へと陥ってしまう。瞳を輝かせるメルエとは別に、リーシャとサラは純粋に驚きを示し、カミュはまたしても苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。

 この場所の光景は、既に町の中でも上位に入る程の繁栄を見せていたのだ。

 町の中には人が溢れ、ここで暮らす者達の家屋が立ち並び、商いを行う為に店を構える者達とは別に、敷物を敷いた上に商品を並べて売る者もいる。その賑わいは、アッサラームやバハラタのような巨大都市とまでは行かなくとも、一般の城下町を凌ぐ程の物であった。

 

「ようこそ、トルドバーグへ」

 

「あ、ああ、ありがとう」

 

 町の入口で固まっていた一行に女性が声を掛けて来る。おそらく、この町へ移住して来た者の家族なのであろう。水瓶を抱え、にこやかに笑みを浮かべるその顔は、旅人や商人への歓迎を示していた。

 この町も、バハラタのような自治都市と同様に、遠方から訪れる旅人や商人があってこその町なのである。訪れる商人との売買があってこそ、この町の店舗の品揃えは増え、旅人達が訪れるからこそ、この町に新たなゴールドが入り込んで来るのだ。

 それを理解していても、突如掛った声と、その言葉の中にある名前を聞いたリーシャは、咄嗟に返事を返す事が出来なかった。

 

「あれは、以前にトルドさんが建設していた劇場でしょうか?」

 

「…………むぅ………メルエ……いや…………」

 

 水瓶を持って去って行く女性に会釈を返したサラは、入り口から見て左手にある大きな建造物に目を止めた。

 その場所は、以前に訪れた際に、トルドが新たな娯楽施設を建設しようと縄張りを行っていた場所である。周囲に見える家屋などの数倍もある大きさを誇り、煌びやかな装飾を施された建物は、何処か威圧感さえも有しているように見えた。

 以前からその存在を嫌悪していたメルエは、その場所へ行く事を拒むように、傍にいたリーシャの腰元へとしがみ付く。だが、そんなメルエの願いは先頭を歩き出した青年によって打ち砕かれ、仕方なくリーシャに手を引かれてメルエは歩き出すしかなかった。

 

「いらっしゃい。どうぞ奥へ」

 

 建物内に入ると、賑やかな音楽と共に、人々の歓声が聞こえて来る。独特な雰囲気を醸し出すその場所に入った途端、メルエは逃げるようにカミュのマントの中へと入り込んで行った。

 入り口では、通常時であれば滑稽とも取れるような大げさな燕尾服を着込んだ男が、まるでカミュ達を品定めするような瞳を向けている。不快に感じる程の視線を向けられたカミュは、男の言葉に返事を返す事無く、小さな入り口から更に奥へと足を踏み入れた。

 

「最高!」

 

「いいぞぉ! こっち向いてくれ!」

 

 奥へと入ると、そこは劇場の会場であった。

 ステージでは、数人の踊り子達が踊り、客席には多くの男達が狂喜乱舞している。大声を張り上げ、贔屓の踊り子の名を叫ぶ者や、音楽と共に体を揺らし手拍子をする者など、その姿は様々ではあるが、町の外とは掛け離れた喧騒が広がっている事だけは確かであった。

 怯えるように自分の足にしがみ付くメルエを気にしながらも、周囲を見回していたカミュであったが、ここに居ても何も収穫などない事を察したのか、誰にも声を掛ける事無く、先程入って来たばかりの出口へと向かって歩いて行く。

 リーシャやサラも、知識として知っていた劇場という物の真の姿に驚きを表すが、メルエを怯えさせたまま眺めていたいとも思わず、カミュに続いて出口へと向かって行った。

 

「これはこれは、お帰りですか? でしたら、お代を頂きませんと」

 

 出口をカミュが潜ろうとした時、先程品定めをするようにカミュ達を見ていた男が、行く手を遮るように立ち塞がった。

 張り付いたような厭らしい笑みを浮かべた男は、手もみをしたまま、カミュ達の前に立ち、劇場への入場料金を支払うように要求して来る。有無も言わさぬ程の圧力を持ってカミュ達に対峙するその姿は、正当性を持っているという自信の表れなのか、屈強なカミュやリーシャの前でも怯む様子はなかった。

 劇場という場所へ入る事が初めてであったカミュではあるが、品物を売る訳でもなく、闘技場のように賭け事をする訳でもない以上、中に入り、踊り子の踊りを見た段階で料金が発生するのも致し方ない物なのかもしれないと考え、腰の皮袋へと手を伸ばす。

 

「四名様で、合計50000ゴールドになります」

 

「ご、ごま……」

 

「な、なんだと!?」

 

 カミュが支払う素振りを見せた事で、厭らしい笑みを浮かべた男は、その手を前に突出し、料金を口にする。しかし、その料金の額を聞いた一行は、驚きによって目を見開いた。

 皮袋へ手を掛けていたカミュでさえ、その額に驚き、手を止めてしまう。サラに至っては、言葉にならない声を発して、口を開閉させていた。

 メルエを抜いた三人の中で、一番冷静に物事を把握したのは、リーシャであったのかもしれない。驚きから立ち直った彼女は、怒りを隠そうともせず、カミュを押し退けて前へと躍り出た。

 筋肉質ではないが、鍛え抜かれた身体を持ち、背中に大きな斧を縛り付ける女性が迫って来た事で、男は厭らしい笑みを即座に消し、数歩後ろへと下がって行く。それでも、気丈にリーシャから視線を外さないのは、彼の『商人』としての意地なのかもしれない。

 

「な、なんですか!? この劇場に入った以上、正規の料金を払って下さい!」

 

「正規の料金だと!? この場所はトルドが造った劇場ではないのか!? お前のいう正規の料金はトルドが定めた料金なのか!?」

 

 入場しただけで、飲み物も飲まずに立ち去った者に対する正規の料金が50000ゴールドであれば、あの場所に既にいた者達は一体いくら支払う事になるのかさえ分からない。

 このパーティーの持つ装備品の中でも一番高価な物である<ドラゴンキラー>でさえ、通常の販売価格は15000ゴールであるのだ。それ以上に高い料金の劇場など、どれ程の価値があるというのだろうか。それがリーシャには解らなかった。

 故に彼女は、この場所を造ったトルドが料金を定める訳はなく、この男が勝手に定め、自分の懐へ入れているのだと考えたのだ。

 そして、そんなリーシャの予測は、概ね合っていた。

 

「ト、トルドさんのお知り合いの方でしたか……し、失礼致しました。どうぞお通り下さい」

 

 リーシャの口から出た人物の名前を聞いた途端、男の表情から完全に余裕が消え失せたのだ。即座に身体を退け、カミュ達一行が通れるように道の端へと寄り、そして深々と頭を下げる。

 男のその姿を見たリーシャは、自分の考え通り、トルドには無断で行っているのだと理解し、満足そうに出口へと向かって歩き出す。だが、サラは視線を合わせないように深々と頭を下げる男の姿を暫しの間見つめ、何かを考えるように眉を顰めていた。

 考え込むサラの横を通り抜けるカミュの表情はとても冷たく、そして何の感情も見えない程に無表情であり、それがリーシャとサラとは異なった考えを持っている事を示していた。

 

「カミュ、あの老人は、ディアンさんではないか?」

 

 カミュ達が出て来るのを待っていたリーシャは、劇場から出たカミュのマントの中から顔を出したメルエに微笑みを向け、町の中央を指差した。その先には、顔に刻まれた深い皺を歪めながら、満足そうに街の隅々まで見回している老人の姿がある。笑みを浮かべながら立ち並ぶ建物の眺め、通り行く人々の姿に顔を綻ばせると思えば、急に物思いにふけるように眉間に皺を寄せている。

 喜ぶように微笑んでいる老人の姿は、ここまでの経緯を知っているリーシャやサラにとってみれば、極当然の物ではあると思うが、その後の表情が理解出来ないため、少し首を傾げるのだった。

 

「おお……ここ町……なった。感謝………でも……トルド……評判悪い……」

 

「トルドさんの評判?」

 

 近づいて来たカミュ達に気が付いた老人は、輝くような笑みを浮かべて振り返るが、その笑顔は瞬時に曇って行く。この老人自体も、この場所がここまでの大きさになるとは想像していなかったのかもしれない。予想外の発展に目を輝かせてはいるが、急速な発展の裏で蠢く噂は、彼の耳にも逐一入って来ているのだろう。

 急速に発展する場所を指揮する者は、それなりの地位のある者であったとしても、様々な負の想いを受ける事になる。それは、『嫉妬』であったり、『不満』であったり、『恐怖』であったりと数多いが、それが指揮する者の評判となって町で噂されているという事実が問題であった。

 

「……トルド……みんな…働かせ過ぎる……」

 

 ここまでの急速な発展は、トルド一人の力では有り得ない。

 数多くの人間が移住し、その者達が自身の住む家や活動拠点を造り、そして商いを行う者や農業を行う者が増えて行く事で、町が活気に満ちて行く。

 町の縄張りと言うか、この場所に何を建て、この場所に何を造るかという事は、町の発案者である老人と共にトルドが考案して来たのだろうが、只の集落から町としての形態へ変化させて行ったのは、この場所で生きる事を決めた数多くの者達である事に間違いはない。

 

「トルドさんが、この町の皆さんに命令しているのですか?」

 

 サラの胸には言いようのない大きな不安が募っていた。

 それは、この場所へ来るまでの時間で徐々に大きくなって来た物であり、船上で投げかけられたカミュの言葉が起因となっている。

 トルドという、彼らが全幅の信頼を寄せている人物が変わってしまったのではないという想いが彼女の胸に湧いて来たのは、直近で訪れた場所がサマンオサと呼ばれる軍事大国であった事も理由の一つであろう。

 『人』が変わったような言動、行動をするという事には、それなりの理由が存在する。カミュやサラの印象が大きく変わったとはいえ、彼等の根本が変わった訳ではない。

 相変わらずカミュは無口であるし、自分の考えや想いを明確に口をする事は少ない。それでも彼の内面が大きく変わった事を知っているのは、リーシャやサラ、そしてメルエといった数少ない者達だけである。それは、サラに関しても同様であろう。

 多くの者達が、その変化を感じ取り、その変化が良い物と感じないとするならば、あのサマンオサの悪夢が蘇ってしまったのだ。

 

「いずれにせよ、一度トルドに会うのだろう?」

 

「ああ」

 

 サラの質問に対し、静かに首を横へと振った老人の姿を見たリーシャは、今後の行動をリーダーである青年に問いかける。それに対してしっかりと頷きを返したカミュは、自分の足元で不安そうに眉を下げるメルエの頭を撫でた後、町の奥に見える一際大きな家屋へと視線を移した。

 誰が見ても、この町で一番大きな家屋は、先程見た劇場とまでは言わずとも、豪邸と言っても過言ではない様相をしている。

 権力の象徴としてなのか、それとも驕りの表れなのかは解らない。だが、その建物の外観を見る限り、見る者に良い感情を抱かせない事だけは確かであった。

 

 

 

「ここは、トルド様の館である。用のない者は早急に立ち去れ」

 

 館の前まで辿り着いた一行の前に屈強な大男が立ち塞がる。まるで城へと続く城門を守るかのように立つ大男は、カミュ達へ威圧感のある瞳を向けていた。

 その姿にメルエはカミュのマントの中へ逃げ込んでしまうが、その他の三人が只の人間に怯える筈もなく、悠然と前へと足を踏み出す。忠告をしたにも拘らず迫って来るカミュ達に対し、逆に大男が怯みを見せた。

 

「私はリーシャという。中にトルドがいるのならば、取り次いでくれ」

 

「なっ!? トルドさんの知り合いなのか? ちょっと待っていてくれ」

 

 この館の門で待機する者は、国家に属する者ではない。ましてや、リーシャにとっては友にも近い者の館の前にいる人間である。故に、国家の門番の時には一言も口を開く事がない彼女ではあったが、今回は先頭に立って門番と相対した。

 本来、身分の違いなどで態度や言動を変化させる事はないリーシャではあるが、先程の劇場での一件や老人の話を聞き、胸の中で抑えきれない物もあったのだろう。それに加え、彼女の生まれが貴族である事も影響しているのかもしれない。

 

「余り感情的になるな。この町に関しては、俺達に何も言う資格はない」

 

「……カミュ様」

 

 リーシャの迫力に押された門番のような大男は、踵を返して館内へと入って行った。

 室内へ男が消えたと同時に、カミュは大きな溜息を吐き出し、前に立つリーシャへ鋭い視線を送る。視線とは裏腹に、その口調に咎めるような雰囲気はなかった。

  カミュ自体も辟易した部分もあるのだろうし、この変わり果てた状況に対し、何か思うところもあったのだろう。悲しげに顔を伏せるサラや、マントから出て来ないメルエを気遣うように、軽くリーシャを注意しただけであったのだ。

 

「よく来てくれた!」

 

 暫しの時間が流れた後、奥から懐かしい声が響いて来る。城や屋敷であれば、通常はその場所の主が居る場所へ案内する者がカミュ達のような来訪者を迎えに来るのであるが、ここでは主本人のトルドが迎えに出て来た。

 懐かしい声が聞こえた事によって、ようやくメルエがマントから顔を出す。満面の笑みを浮かべて掛けて来るトルドの顔を見て、幼い少女も花咲くような笑みを浮かべた。

 

 トルドに案内されて館の中に入った一行は、その内装にも驚く事となる。

 一国の城内とまでは行かないが、それでも一個人の館としては豪華過ぎる程の内装。高価そうな壺や絵画、煌びやかな燭台が置かれた廊下には、赤い絨毯が敷かれており、その絨毯に施された刺繍はとても凝った物であった。

 それらに反するように、トルド自身が身に着けている物は以前に出会った頃と変わる事はなく、粗末ではないが豪華でもないという物であり、館の姿との差異が大きい。

 館の内装に驚きを示すリーシャや、廊下にある高価そうな壺に手を伸ばすメルエを必死で止めるサラとは別に、カミュだけは真っ直ぐトルドの背中へ視線を送り続けていた。

 

「ポルトガへ戻っていたのかい?」

 

「トルド、私達の事よりも先に聞きたい事がある」

 

 館の中にある一室へ入った一行は、勧められるがままに席に着き、出された飲み物に手を付ける。飲み物を喉に通し、一息吐いたトルドがカミュ達の現状を訪ねようと口を開いたが、それを遮るようにリーシャが間に入った。

 リーシャのような良くも悪くも真っ直ぐな人間にとって、今のこの町の現状や、この館の姿などは納得の行く物ではないのだろう。その証拠に、リーシャの瞳は問い詰めるような厳しさを有しており、虚言を言える雰囲気でもなければ、カミュやサラが割り込む事の出来る空気でもない。

 トルドも何かを感じたのだろう。黙って頷きを返し、リーシャの言葉を待つ事となった。

 

「まず、あの劇場は何だ? トルドが仕切っている場所なのか?」

 

「いや、あれは建てた後に、ここで商売を始めたいという人間に譲ったが……何かあったのかい?」

 

 こうなってしまったリーシャに、遠回しな言い回しを期待する事自体が無茶であろう。直接的な言葉に目を丸くしたトルドは、その言葉の中に何が込められているのかが理解出来ず、傍で成り行きを見ていたカミュへと問いかけた。

 あの場所で『自分達には何も言う資格はない』と忠告したにも拘らず、この場で真っ先に問いかけるリーシャに対して溜息を吐き出したカミュは、視線を隣に立つサラへと移して行く。カミュの視線の意味を理解したサラは、あの劇場で遭遇した出来事に関して説明を始めた。

 説明が進む内に、先程までの困惑顔から厳しい表情へと移ったトルドではあるが、最後まで聞き終わった時、大きく息を吐き出し、表情を緩めるのだった。

 

「それは、申し訳ない事をした。今度注意をしておくよ」

 

「むっ……そうか。だが、あのような事を繰り返していれば、この町を訪れた人間が去って行ってしまうぞ」

 

 厳しく歪んでいたトルドは、リーシャが話す内容を聞き、その表情を改める。だが、それはその言葉を受け入れる物ではなく、何処か表面上の断り文句のように見えた。

 リーシャはそんなトルドの変化に気付く事はなく、サラもメルエも同様にトルドを信じきっている。残るカミュだけが、哀しそうに瞳を閉じた後、会話を打ち切るように前へと出て行った。老人から告げられた事を確認する前に、カミュが出て来た事を不思議に思ったリーシャであったが、彼が出て来た以上、この話題を続ける事が不可能である事を悟り、おとなしく後ろへと下がって行く。

 

「この<ドラゴンキラー>という武器を、通常の両刃剣のような形に作り替える事は可能か?」

 

「これは特殊な物だな……。ある程度の時間を貰う事にはなるが、何とかやってみるよ」

 

 二人の会話を聞き、サラとリーシャは、カミュが何故<ドラゴンキラー>を購入し、何故この場所を訪れたのかをようやく理解した。

 あの武器をそのまま使う気はなかったのだろう。ただ、龍種の鱗さえも斬り裂く程の刃を加工する事など本当に可能なのかどうかが、カミュでさえ確信を持てなかったのだ。

 この世界の剣の大半は、型に溶かした鉄や銅を流した物が主流となっている。それを更に鍛える事によって、より強力な武器にするという方法を取り、手間と時間を掛ける程にその価格も上昇するという仕組みになっていた。

 故にこそ、武器の加工などが出来る人間は、この世界でも限られているのだ。

 

「加工するにしても、今日明日に出来る物ではないからな……アンタ達の旅の途中で、また寄ってみてくれ。その頃には、この場所も本当の意味での『町』になっている筈だから」

 

 トルドの浮かべる笑顔は、メルエの顔にも花咲くような笑みを浮かべさせ、先程まで漂っていた不穏な空気をも吹き飛ばして行く。

 陽が陰り始めている事から、今日はこの場所で宿を取る事となり、リーシャを先頭にトルドの館を出て行った。最後まで手を振り続けるメルエが出て行った後、カミュだけがトルドの横で足を止める。

 

「このままでは……」

 

「解っているさ。だが、この場所が『町』となる為には必要な事だからな」

 

 カミュの口から出た言葉は、トルドによって遮られた。その全てを言わせないかのように、トルドは顔を見ずに言葉を紡ぐ。その顔には、確かな『決意』と『覚悟』が滲んでいた。

 トルドなりに、今この場所に渦巻く雰囲気を理解しているのだろう。そして、それがリーシャの言葉から確信に変わって尚、彼の中で譲る事の出来ない物があるのだ。

 それは、彼が信じ続けている者達によって導かれた場所を『町』にするという使命感なのか、それとも他にある想いなのかは解らない。何れにしても、トルドという『商人』の中にある想いは、例え彼が信じ続けるカミュ達一行であっても立ち入る事が出来ない物であった。

 

「……この場所に関しては、アンタに任せている。俺達に何かを言う資格はないが……無理だけはしないでくれ」

 

「ああ、ありがとう。自分なりに精一杯やってみるよ。しかし……アンタも数年前に比べると、随分変わったな」

 

 すれ違いざまに告げられたカミュの言葉に、トルドは目を見開いた。そして、出口へと歩いて行く青年の背中を見つめながら、先程までも見せなかった静かな微笑みを浮かべる。

 最後に加えられたトルドの言葉に足を止めたカミュであったが、何も返答する事無く、再び出口へと歩き出した。

 閉じられた扉を見つめながら微笑み続けたトルドの表情が、徐々に変化して行く。それはメルエへ向けていた温かく優しい物ではなく、何かを決心した『男』の顔。

 世界で最高位に立つ程の強さを持つ『父』の顔とは別の、世の中で戦い続ける『男』の強さを持つ顔である。どのような障害があろうと、どのような苦難があろうと、自身の信じた道を歩む強さと決意を持つ者の顔であった。

 

 

 

「カミュ、先程は何故止めた? この状況をトルドに改善して貰わなくては、この場所が『町』になる為の障害になってしまうぞ?」

 

「何度も言うが、この場所に関して俺達に口を挟む資格はない」

 

「し、しかし、カミュ様」

 

 夕陽によって真っ赤に染まり始めた集落の中で、リーシャ達三人はカミュを待っていた。

 先程は中途半端に終わってしまった会話を蒸し返すように口を開いたリーシャではあったが、その口調にカミュを責めるような強さはない。彼女自身、この青年が起こす行動全てを否定するような昔のままではないのだ。

 彼と共に歩み、彼の本当の心を知り、その心の広さと優しさを知り、彼を信じ始めている。『何か訳があるのだろう』という想いがあり、自分自身がそれらについて考える事に適していない事を知る彼女だからこそ、この場でも疑問を口にするだけであったのである。

 返って来たカミュの言葉が説明不足の部分が多い事は否めず、今度はサラが口を開く。

 問い詰めるようにカミュへ接近するサラとは異なり、何かを感じたのだろうリーシャは口を閉ざし、真剣な瞳でカミュを見つめていた。

 

「今はトルドを信じろ」

 

 訝しげにカミュを見つめていたサラだけではなく、その場にいる全員が声を発した青年を顔を見つめてしまう。それは、青年の顔に穴が開いてしまうのではないかと思う程の凝視であり、リーシャの瞳も、サラの瞳も、幼いメルエの瞳でさえも大きく見開かれていたのだった。

 『勇者』と呼ばれ、『魔王バラモス』という『人』の力では対抗さえも出来ない存在の討伐を命じられた青年は、この四年近くの旅の中で、メルエという彼が連れて行くと決めた少女の名前しか口にした事はない。四年近くも共に旅をして来たリーシャやサラでさえも、この青年から名前を呼ばれた事は今まで一度たりともないのだ。

 

「…………カミュ……トルド……すき…………?」

 

「……ああ、そうだな」

 

 メルエの口にする『好き』という内容は、世間一般の物とは多少の異なりがある。彼女の場合、他人に対しての評価の段階が『好き』か『嫌い』しかないのだ。

 そして、そんなメルエの問いかけに対し、肯定を示したカミュを見たメルエは満面の笑みを浮かべ、それ以外の二人は口を開け放ったまま、放心したように立ち尽くしてしまう。

 彼という個人が変わったという事は理解していても、その変化の度合いは、彼女達二人の認識を遥かに超えていたのだ。

 メルエは花咲くような笑みを浮かべてカミュの手を取り、宿屋への道程を共に歩き出す。放心状態から覚めたサラもまた、柔らかな笑みを浮かべてその後ろを歩き出した。

 唯一人、最後まで放心していた女性戦士だけは、何故か不満あり気に表情を歪め、肩を怒らせて『町』と成り行く道を歩くのであった。

 

 

 

 

 




読んで頂き、ありがとうございました。

大変お待たせ致しました。
出来れば、今月中にもう一話と考えています。

ご意見、ご感想を心よりお待ちしております。

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