新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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祠の牢獄

 

 

 

 ポルトガを抜けた船は南回りに航海を続け、テドンを越えてジパング付近も越えて行く。途中で何度か戦闘を行う事にはなるが、荒れていない海で遭遇する魔物は、最早カミュ達の相手になる程の物はおらず、怪我人一つ出さずに航海を続けて行った。

 ムオルの村を越えて北へ向かう途中、雪の積もった岬を見たメルエの瞳が輝き、上陸したいと駄々を捏ね始めたが、それはリーシャとサラに窘められ、敢え無く却下となる。残念そうに眉を落とし、不満そうに頬を含ませるメルエの姿に、長旅になって疲れを見せ始めた船員達の心も和んで行った。

 

「メルエ、待ちなさい!」

 

 最近のメルエは、甲板の上に置かれた木箱から海を眺め続けるだけではなく、船員達が釣り上げた魚にも興味を示し、甲板の上を跳ね回る魚を追う事もある。そして、手に取った小さな魚を考え事をしているサラの膝の上に乗せたりと、悪戯を行う事もあった。

 今は、幽霊船の時のサラの状態をからかう事を口にし、それに怒ったサラから甲板の上を縦横無尽に逃げ回っている最中である。もしかすると、このパーティー四人の中で最も変化した者は、この幼い少女なのかもしれない。

 

「あと数日もすれば、あの川へ入る事になる。天候も良いから何の問題もないとは思うが、あの岬の呪いを解く事が出来るのか?」

 

「解けると断言は出来ないが、やってみる価値はある」

 

 晴れ渡った空の下、北へと進む船は、着実にオリビアの岬へと向かって進んでいた。左手には巨大な森の広がる台地が見え、数日もすれば、ホビットが暮らす小さな祠が見えて来るだろう。その先にある大きな川から入った先が、オリビアの岬が存在する湖のような場所となる。

 天候が荒れれば、川の水位は上昇し、その流れも速くなる。航海に関しては、荒れなければ問題のない話ではあるが、その先にあるオリビアの岬付近で渦巻く海流に関しては、天候云々でどうにかなる問題ではないのだ。

 その後も、大きな問題が生じる事無く船は進み、数日後には内陸に向かって伸びる川へ入って行った。

 対岸も見えない程に大きな川は、様々な生き物達が生息している。魔物なども存在はするのだろうが、邪気はそれ程感じず、太陽の光に鱗を輝かせた魚達が躍るように泳ぎ回っていた。

 

「メルエ、そんなに乗り出したら海へ落ちてしまうぞ?」

 

「…………むぅ…………」

 

 木箱の上から水面を覗き込むように身を乗り出していたメルエの身体を抱き上げたリーシャは、不満そうに頬を膨らませる少女を窘める。抱き上げられ、川の中が見えなくなる事を嫌がるように身を捩るメルエに苦笑を浮かべたリーシャは、自分が支えるようにして、幼い少女に川の中を見せて行った。

 流れが穏やかな水面には、多くの魚達の他にも羽を休める海鳥の群れがいる。食事をするように時折水中に首を突っ込む姿に目を輝かせたメルエは、自分も水中へ顔を入れたいと訴えるようにリーシャを見るのだが、即座にその考えを理解したリーシャによってそれは却下された。

 

「見えて来たぞ」

 

「リーシャさん、準備を始めて下さい」

 

「わかった。メルエ、行こう」

 

 大きな岬とその下で渦巻く海流が見えて来た事を告げる頭目の声に、サラが即座に反応を返す。その投げかけに頷いたリーシャは、メルエの身体を甲板へ降ろし、その小さな手を引いて、船首へ向かって歩き出した。

 既にカミュとサラは準備を進めており、船は海流の影響が出ない境界線にある大きな岩場に錨を下している。岩場とはいえ、人間が上陸出来る程の物であり、しっかりと下された錨は、巨大な船の動きを固定させた。

 

「空にでも掲げてみるか?」

 

「効果があるとは思えないがな」

 

 革袋から取り出したロケットペンダントを手にしたリーシャは、その後の行動に関してカミュへ問いかけるが、それに対しては素っ気ない答えしか返って来ない。不満そうに眉を顰めるリーシャではあったが、空に輝く太陽に向けてロケットペンダントを掲げてみても、その銀に輝くペンダントの光が増すばかりで、目の前の海流に何の変化もなかった。

 固唾を飲んで見守る船員達にも落胆の色が見え、居心地が悪そうにペンダントを手元に戻したリーシャは、懇願するような視線をカミュへと向ける。ロケットペンダントを預かっているのはリーシャではあるが、その使用方法までも理解している訳ではない。故に、助けを求めるようにカミュとサラへ視線を送ったのだ。

 

「空に掲げても駄目なら、海流に投げ込むしかないな」

 

「ふぇっ!? そ、そのような事をして効果が無ければ、折角の糸口を失ってしまう事になりますよ?」

 

 助けを求められたカミュは、以前に話した物と同様の物を口にする。だが、その内容はかなり博打に近い物であり、サラは素っ頓狂な声を上げた。

 以前のカミュの言葉を聞いていたとしても、それを冗談と認識していたのかもしれないし、その言葉自体を聞いていなかったのかもしれない。

 確かにサラの言葉通り、一か八かの賭けのような行動は、彼等が苦労して手に入れた重要な糸口を失ってしまう事になりかねないだろう。特にサラにとっては、あの幽霊船の出来事を思い出す事も憚れるほどに苦労したという想いがある為、その想いは一入であった。

 

「わかった。やってみよう」

 

「え? え? す、少し待って下さい! 既にエリックさんの魂もルビス様の許へ旅立っています。そのペンダント以外に、エリックさんの遺品はないのですよ?」

 

 カミュの言葉に頷きを返したリーシャを見て、サラの声量は更に増して行く。

 彼女の言う通り、呪いを掛けていると考えられているオリビアという女性と繋がりを持っているのは、エリックという男性しかいない。そして、そのエリックという男性は、幽霊船の中で虚空へと消えて行ってしまっているのだ。

 消えた魂は、この世界の普及するルビス教によると、『精霊ルビス』の御許へ向かうとされている。つまり、再びこの世に戻る事は、『精霊ルビス』から新たな生を賜る以外に方法はないのだ。

 エリックという繋がりを失ってしまえば、オリビアの呪いは永遠に残り続けるであろうし、その繋がりは、リーシャが持っているロケットペンダント以外にはないというのも事実である。故にこそ、サラは慌ててその行動を止めようと思ったのだ。

 

「あ、ああ……」

 

 しかし、その願いは届かない。

 力一杯に振り被ったリーシャの腕から、大きな放物線を描いて飛んで行ったロケットペンダントは、渦巻く海流の中へと消えて行く。水中に入る音さえも聞こえない程の距離があるにも拘らず、サラの耳には絶望へと落ちる音が響いて行った。

 太陽の光を反射しながら飛んで行くロケットペンダントを輝く瞳で見つめていたメルエは、その輝きが消えてしまった先を凝視する。

 そして、その奇跡は始まった。

 

「船をしっかり固定しろ! 手の空いた人間は、船の一部をしっかり握れ!」

 

 甲板の上に頭目の叫び声が響き渡る。

 ロケットペンダントが水中に消えて暫くの時間が過ぎた頃、渦巻いていた水流が大きくうねり出したのだ。その水流の影響を受けるように、静かだった湖に大きな波が立ち、その上で待機していた船を大きく揺らした。

 錨を繋ぐ鎖が張り、船に固定している部分が大きく軋む。その音を聞いた頭目が、もう一つの錨を岩場に固定するように指示を出し、船が水流に飲み込まれないように船員達を動かして行った。

 

「……あれは、ペンダントですか?」

 

 揺れ動く甲板から岬を見ていたサラは、信じられない光景を目にする。

 先程水中へと確かに消えて行ったロケットペンダントが、再び太陽の光を反射するように輝き出したのである。湖の水でその身を濡らしたペンダントの輝きは、先程以上の物であり、見ている者の目を眩ませる程であった。

 空中に浮かび上がったペンダントは、その輝きを更に増して行き、そしてその輝きの中に確かな人影を作り出して行く。

それは、夜の闇に支配された幽霊船の中で消え去った魂と同じ形をした男性。

 その姿は、遠く離れているにも拘らず、サラ達でも視認出来る程の大きさに映し出されていた。

 

「ああ、エリック……私の愛しき人。貴方を、ずっと……ずっと待っていたわ」

 

 そして、何よりも船に乗る全員を驚かせたのは、エリックらしい人影が岬付近に現れた後で響き渡る美しい声。その声は、女性の物であると考えられる程に透き通り、全ての人間の脳へ直接響いて来た。

 姿は見えずとも、声が聞こえるという状況に戸惑いを見せる船員達であったが、リーシャに抱き上げられたメルエが突如として指を差した方角に視線を向け、その双眸を見開く事になる。

 メルエが指差した方向には、岬の先端があり、その岬の上に人影が映り出していたのだ。濃い栗色の長い髪を靡かせたその女性の影は、太陽の光に反射するような輝く笑みを浮かべて、水中より現れたエリックへと微笑みかける。

 何故、そのような光景が遠くから視認出来るのかが理解出来ないが、船に乗る全員がその光景を認識する事が出来ていた。それは、彼等がここまでで遭遇した不可思議な現象の中でも、かなり特殊な物であるだろう。

 

「オリビア……僕のオリビア。ああ……もう僕は君を離さないよ」

 

「エリック!」

 

 岬の先端から、崖下へと飛び込む女性の影に、思わず目を瞑ってしまったサラであったが、再び輝きを増した光に目を開き、男性と女性の影が重なり合う光景を目にする。飛び込んだオリビアと思われる女性を、水上で抱き締めたエリックと思われる男性は、そのまま力強くその身体を胸に抱いた。

 愛を語らう事無く、そのまま静かな口付けを交わした二人は、眩い光と共に天へと昇り始める。舞踏会で踊るように昇天して行く二人は、共に『精霊ルビス』の御許へと旅立って行った。

 

「……本当に『呪い』であった訳か」

 

「いや、『呪い』というよりは、寂しさに耐え切れなかった、女としての執念だろうな」

 

 二人の影が天へと消え去り、周囲の輝きも収まりを見せ始めた頃、呆然とその光景を見ていたカミュは、小さな呟きを溢す。

 彼としては、自然現象を死人の責任とする考え方を容認していなかったのだろう。渦巻く海流というのは、何かの拍子に出来上がる事もある。何処かの岩が崩れるだけで水流は乱れ、乱れた水流は更に環境を破壊し、それが何重もの渦を作り出す事もあるのだ。

 だが、目の前で繰り広げられた光景を見る限り、あの渦がオリビアという女性の『呪い』であったと考えるのが妥当であろう。その証拠に、周囲を満たしていた輝きが消えた今となっては、岬と岬の間にあった渦は、嘘のように消え失せていた。

 そんな状況に言葉を漏らしたカミュではあったが、彼とは異なる考えを持つ者がいる。それはこの船で数少ない女性の一人である戦士であった。

 『呪い』という表現ではなく、『執念』という言葉を用いる事により、その印象を和らげている。その考えにサラも賛成なのか、先程とは異なる笑みを浮かべながら、大きく頷いていた。

 

「どちらにせよ、これで岬の奥へ進む事が出来る」

 

「野郎ども、錨を上げろ!」

 

 リーシャとサラの微笑みに関心を示さないカミュは、頭目へ視線を動かす。その視線を意味を理解した頭目は、未だに呆然と空を見上げている船員達へ大声で指示を出した。

 慌てたように我に返った船員達は、各々の仕事へ戻って行く。錨が上げられ、岩場を蹴る事によって船は前へと進み出した。

 輝く陽光を背に受けて進む船は、『精霊ルビス』の祝福をその身に浴びているかのように、温かな光に包み込まれている。それは、愛し合う二人の再会を成し遂げ、母なる『精霊ルビス』の御許へと送り届けたカミュ達一行を褒め称えるように優しい光でもあった。

 

「岬を抜けたな……この後はどうするんだ?」

 

「湖の何処かに牢獄のような物がある筈なのだが」

 

 ゆっくりと両脇の岬を抜けて行く船。各々の仕事を行う船員達は、再び水流が生み出されないかと肝を冷やしていたが、無事に岬を抜けた事によって安堵の溜息を吐き出している。

 岬を抜けた船は、岬の前にあった湖と同程度の湖に出ていた。先程の場所よりも海水の濃度は更に低いのか、そこで泳ぐ生物達は、海で生きる者達とは大きく異なりを見せていた。

 

「小さな島が見えるぞ?」

 

 湖を進んでいると、左手には大きな大陸が見え、それがバハラタの北に位置する場所にある宿屋があった位置だと推測出来る。そして、それとは距離を取るように進んでいた船は、見張り台にいた男の言葉に出て来た小島へと近付いていた。

 見張りの男の言うように、その島は、船上のカミュ達の目にも小さな小島として映っている。それだけ小さな島である以上、人が暮らしているとは思えない。徐々に近づいて来る島への上陸の為、船員達は小舟を水上へ降ろす作業へと移って行った。

 

「この湖には邪気がない。俺達も状況を見て上陸し、食料や水などを調達する事にするよ」

 

「わかった。くれぐれも無理な戦闘は行うな」

 

 小舟に乗り込もうとした四人に向かって口を開いた頭目の言葉に、カミュは眉を顰める。

 確かに、この湖の周囲には、魔物が放つ邪気が多くはない。故に船を安全な場所へ停泊させた後、無人島であろう小さな島へ船員達を上陸させ、航海には必需品である柑橘類や食料となる肉類などの調達を行おうと考えたのだ。

 しかし、それはカミュにとって歓迎出来る物ではなかった。基本的に、船に乗る者に被害が出る事を極端に嫌う傾向がある彼は、自分達が同道しない形での上陸を危険視したのであろう。だが、彼に船員達の行動を縛る権利はない。この船の船員達は、カミュ達が雇っている訳ではなく、自分達で交易などの利益を得ている。

 故に、カミュは無理な行動を控えるように忠告する事ぐらいしか出来なかった。

 

「アンタ方も気を付けてな」

 

 だが、そんなカミュの想いは、この船に乗る誰もが知っている。

 優しい笑みを浮かべた頭目は、大きく頷いた後で、カミュ達の無事を祈る。それに同調するように、他の船員達もまた、爽やかな笑顔を見せた。

 和やかな空気が流れる甲板で、リーシャが抑えているメルエとサラが小舟へと移り、最後にカミュが小舟へと乗り移る。その際に、乗り込んで来るカミュを見つめる六つの瞳が優しい光を帯びている事に、カミュの表情は消え失せた。

 無表情へと変わったカミュを見たリーシャは、メルエと顔を合わせて笑い、そんな二人を見てサラも苦笑を浮かべる。手を振る船員達へメルエが手を振りながら小舟は小島へと出発した。

 

「メルエ、遠くに行っては駄目だと言っているでしょう!?」

 

「…………むぅ…………」

 

 小島へ上陸し、カミュとリーシャが小舟を木に括り付けている間、いつも通りメルエが動き回る。海岸の砂浜で動き回る小動物の動きに合わせるように動き、他の昆虫を見つければそちらへ移動してしまう。咲き誇る花を見つければそこへ屈み込むといったように、一つの場所に落ち着かないメルエにサラが苦言を呈すと、幼い少女は頬を膨らませて不満を露わにした。

 魔物の放つ濃い邪気を感じられないこの場所は、それ程多くの魔物が生息している訳ではないのだろう。湖の中心に浮かぶ小島では魔物の食糧となる大型の動物などの存在も少ないのかもしれない。

 

「カミュ様達が来るまで大人しくここで待っていましょう。ほら、カニさんもいますよ」

 

「…………かに……さん…………?」

 

 サラの差し伸べる手を不満気に握ったメルエではあったが、サラの指差した先で動く小動物の名を教えられたメルエはその場所へ屈み込み、ハサミを器用に使いながら砂を摘み上げる蟹を見て、微笑みを浮かべる。

 このように、サラが当たり前だと感じている物も全て、この幼い少女にとっては輝きに満ちた物に映っている事を、サラはとても羨ましく感じていた。

 『人』以外の生命を邪魔に感じる者も存在するし、『人』以外の生命を食料か敵としか区別出来ない者もいる中、この少女は『人』も含めて全ての生命に平等な想いを向け続ける。子供特有の物と言ってしまえばそれまでではあるが、彼女の瞳に映る景色が自分と異なっている事を、サラはいつも痛感するのであった。

 

「サラ、メルエ、行くぞ」

 

「はい! メルエ、行きましょう」

 

「…………ん…………」

 

 小舟を結び付け終えたリーシャがサラとメルエを呼ぶ声を発する。しっかりと答えたサラは、未だに目を輝かせながら蟹を眺めている少女の手を引き、立ち上がる。今度は不満を口にする事無く立ち上がったメルエは、その手を握って小さく微笑んだ。

 この小島は、木々は生えているが大きな森はなく、平原が広がる長閑な場所であった。

 海岸から続く砂浜の向こうには、木々が立ち並ぶ林があり、その林を抜けると見渡す限りが平原となる。空を見上げれば鳥が群れを成して飛んでおり、野生の動物達が平原の草を啄んでいた。

 長閑なその光景にメルエは微笑み、自分の手を握るサラの腕を引くように平原を歩き始める。そんなメルエを先頭に歩き出した一行は、平原の中央に巨大な石碑が立っている事に気が付いた。

 

「あの石碑……何処か変ではありませんか?」

 

 徐々に石碑に近づくにつれ、その異様さが際立ち始め、近くに居るメルエの衝動を抑えていたサラは、その石碑の姿に奇妙な感覚を覚える。それは、リーシャも同様であったようで、多くの慰霊碑などが立つこの時代でも、その石碑の異様さは著しい物であった。

 通常の慰霊碑などの石碑であれば、そこに何かが彫られている事が多く、何の為の石碑なのかは明白である。だが、この石碑には何も記されてはおらず、しかも切り整えられた物とは異なりその辺りに乱雑している大岩を用いたような風貌をしているのだ。

 

「……石碑の下を調べてみる」

 

「何かを押さえる為の物なのか?」

 

 サラやリーシャの言葉で、その石碑に対して不信感を抱いたカミュは、その石碑の下にある地面を調べ始める。何かを閉じる為の重しとしてそれを使用している可能性を暗に口にするカミュに、リーシャもまた石碑の下の枯れ草などを払い始めた。

 そんな二人の行動を興味深そうに見ていたメルエは、二人が枯れ草を退かす作業を始めた事で、嬉々としてその行動に加わり始める。リーシャの隣で枯れ草を退かし始めたメルエは、その草の下で生きる虫達の姿に頬を緩め、すぐに作業を中止してしまうのだが、それはまた別の話である。

 

「カミュ、やはり下に鉄蓋があるぞ」

 

「……地中に造られた牢獄という訳か」

 

 カミュの予想通り、先程まで石碑だと思っていた物は、慰霊碑のような物ではなく、地中に造られた何かを封じる為に乗せられた重しである可能性が現れた。

 ただ、強力な力を持つ者を封じる為、その上に神聖な物を乗せて邪気を抑え込むという方法を取る場合もある。地中深くに封じられた邪悪なる物は、その抑えの影響を受けて外部へ出る事が叶わないという物であるが、その場合、何らかの印がその抑えに記されている事が通常であった。

 ジパングの脅威であった<ヤマタノオロチ>を封じていたのは、その封じ手の血を引き継ぐ者が作り出す『般若の面』と呼ばれる神具であり、ジパング地方独特の手法ではあるが、その周囲は荒縄にて遮られ、『般若の面』の持つ力を荒縄へ伝える事で<ヤマタノオロチ>を封じ込めていた。

 しかし、この石碑には何の細工もなく、無造作に置かれているだけとなっている。それは神聖な物ではない事を示していた。

 

「動かす事は難しそうだな……破壊出来るか?」

 

「う~ん……まぁ、出来ない事もないが……」

 

「…………メルエ………やる…………」

 

 その岩の大きさから考えて、それを動かして退ける事は難しい。如何に怪力を自慢にするリーシャであっても不可能である事は明白であり、残りの手段としては石碑ごと破壊する事しかない。故にカミュはそれを問いかけるのであるが、流石のリーシャも即答は難しい物であった。

 そんな二人のやり取りを聞いていた幼い少女が急に立ち上がり、立候補をした事でカミュとリーシャは目を丸くする。誇らしげに胸を張り、<雷の杖>を高く掲げるその姿は、誰も出来ない事を自分が遂行するという事に対する自信の現れであるのかもしれない。

 

「メルエ、魔法を行使するのは良いですが、この石碑の上部に狙いを定めるのですよ? この石碑全てを対象としては、先程までメルエが見ていた小さな虫達も死んでしまいますから」

 

「…………ん…………」

 

 カミュとリーシャが口を開く前に、傍にいたサラがメルエに細かな注意を施して行く。メルエが何を行おうとしているのかが理解出来ないカミュやリーシャとは異なり、サラだけはメルエの意図に気が付いているのだろう。そして、その行動の結果起こり得る危険性さえも把握しているのだ。

 注意を受けたメルエは、一度視線を地面へ落とし、枯れ草の上を動き回る昆虫達を見て大きく頷きを返す。その頷きに微笑みを向けたサラは、細かな内容を説明する事無く、一行を石碑から離した。

 何を行おうとしているか解らずにサラに問いかけようとするリーシャをカミュが遮り、距離を離した一行は、メルエを先頭に、石碑に向かって立つ事になる。先頭に立ったメルエは、右手に握る<雷の杖>を高々と掲げ、全てを準備を始めた。

 メルエの周囲の空気が変わる。メルエの身体に内包されている魔法力が、外へと飛び出す準備を始め、それを今か今かと待ち侘びるように小さな身体の周囲を渦巻き始めた。

 

「メルエ、お願いします」

 

「…………ん………イオ…………」

 

 サラの合図に頷いたメルエは、呟くような詠唱を完成させる。その瞬間に耳鳴りのような甲高い音が周囲に響き、石碑の上部の周りの空気が圧縮されて行く、圧縮された空気が弾け飛んだ時、壮絶な爆発音と共に、カミュ達の視覚と聴覚を奪い取って行った。

 粉々に砕けた石碑の欠片は、地面に落ちる程の大きさも残されず、細かな細粒となり地面へと降り注いで行く。この粉末を吸い込まないように距離を取ったのだとすれば、メルエが行使する呪文と、その魔法の成長を正確に把握していたサラは流石と言ったところであろう。

 自分が成し遂げた結果を問いかけるように自分を見上げるメルエに微笑んだサラは、その頭に乗る帽子を取って、優しく頭を撫でた。

 

「良く出来ました。イオラではなくイオを行使したのは、素晴らしいです。そして、そのイオに関しても、これだけ調整出来るのはメルエだけですよ」

 

「…………ん…………」

 

 サラからの賛辞を受け、誇らしげに微笑むメルエは、サラが撫で終わるのを待って、次にリーシャの許へと頭を突き出す。苦笑を浮かべたリーシャは、褒め言葉と共にその頭を優しく撫でてやり、カミュも同様にメルエの小さな頭に手を置いた。

 根元の部分を残して消え去った石碑であれば、カミュやリーシャであっても移動は可能であろう。この幼い少女の底知れぬ力に驚きながらも、それを良い方向へ導いているサラという『賢者』の存在に、リーシャは改めて感謝の念を抱いていた。

 

「さて、動かしてしまおうか」

 

「……わかった」

 

 カミュからの賛辞を受け終わったメルエは、再びサラの手を握り、近くで動き回る小動物達へ視線を落とす。その姿を見届けたリーシャは、軽く溜息を吐き出しているカミュに向かって、石碑の移動を始める提案をした。頷きを返したカミュと共に残っていた岩を取り除き、その下に隠れていた鉄蓋の土を払う。出て来た鉄蓋は、人間一人が入れるかどうかの大きさしかなく、その全貌を見たリーシャは訝しげに首を傾げ、カミュへと視線を送った。

 カミュが口にしたような牢獄であるならば、罪人を閉じ込める目的があったとしても、それなりに大きな入り口が必要な筈であり、このような小さな入り口であれば、人を押し込むように入れなければならなくなってしまうのだ。

 

「……開けるぞ」

 

 首を傾げていたリーシャは、カミュの合図によって鉄蓋へ手を掛ける。そのまま力を込めると、重たい音を立てて鉄蓋が上部へと上がって行った。カミュ達が手を掛けた反対側には蝶番が付けられており、それを起点に扉が開く形になっていたのだ。

 土埃が舞う中で開かれた鉄蓋は、十数年開かれる事が無かったのか、地上の空気を一気に取り込むように吸い込んで行く。引き込まれる錯覚を覚える程の勢いに、重い音が周囲に響き渡り、それに驚いたメルエは、先程まで見つめていた昆虫から視線を外し、カミュ達の許へと移動して来た。

 

「<たいまつ>が必要だな」

 

「空気が残っているのかも解らない。暫く開放したまま様子を見る」

 

 覗き込んだ奥は、暗闇が支配しており、手元に灯りが必要である事を物語っている。それを感じたリーシャは、腰の革袋から<たいまつ>を取り出すのだが、冷静に内部を見ていたカミュは、時間を置いてからの探索を提言した。

 十数年の期間密封されていた場所であれば、他に通気口でもない限り、その中の空気が淀んでいる可能性が高い。呼吸が出来る程度の物であれば問題はないが、それが不可能であった場合、最悪<たいまつ>の炎さえも消え失せてしまうだろう。

 牢獄と名の付く場所である以上、この場所に放り込まれた者はいる筈であろうが、食料の差し入れもなく、そして空気の提供もないのであれば、僅か数日で命を落とす事は明白であり、それを目的として造られた物と言っても過言ではない。

 

「しかし、降りる階段さえもないぞ? この場所へ突き落す形で閉じ込める場所なのか?」

 

「……元々、許される事のない程の罪を犯した者の為の牢獄だ。どのような形で投獄しようとも、それに対して不満を述べる資格のない者達ばかりなのだろう」

 

「……そんな」

 

 暫しの時間が流れ、<たいまつ>へ炎を点したリーシャは、入り口付近から中へと視線を送った際に、中へと続く階段さえもない事に驚きを露わにした。

 だが、言われて見れば、確かにここへ連れて来られる者は、全て明白な罪人である。冤罪など有り得ない程の明確な罪を犯し、その罪は死で償うよりも重い物である人間が投獄されるとなれば、そのような配慮は必要ない事も事実であろう。罪とはそれほど重い物であり、重すぎる罪を犯した者を『人』として扱う必要性は、この世界にはないのだ。

 本来頂点に立つ筈の真の国王であれば、その選別はしっかりと行われるのであろうし、生きる為に盗みを行った孤児ような、情状酌量の余地が残される者達をこの場に投獄する事はない筈である。だが、この牢獄がサマンオサ国家が作成した牢獄であるならば、ボストロールという魔物が扮した偽国王の時代に罪もない人間が投獄されている可能性は捨て切れない。

 だが、殆どの者が処刑という形で殺害されている為、この場所に投獄されたのは、英雄サイモン唯一人と言っても差し支えはないだろう。

 

「入るぞ。メルエはアンタが背負って降りてくれ」

 

「わかった」

 

 近くに立つ木にロープを結び付け、そのまま地下の牢獄へ垂らした状態でカミュが降りて行く。ロープを伝い降りる作業である為、メルエを背負ってリーシャが降りる事となった。カミュが下へ降り立ち、<たいまつ>の炎が灯っている為、下の階層に空気がある事が理解出来る。故に、そのままサラを降ろし、最後にリーシャが降りて行った。

 薄暗くかび臭い地下は、不快な空気に満ちており、何処か生臭い臭いが漂っている。不快な臭いに顔を顰めたメルエは、そのままサラの腰にしがみ付くように顔を埋めるが、傍にある燭台に炎を移した事によって照らし出された地下牢獄の姿に、サラまでも顔を背けてしまった。

 

「……流石に、酷い有様だな」

 

 地下は牢獄というよりも、廃棄場であった。

 『人』であった物の廃棄場。正確に言えば、この場所へ落とされた時点では生きているのであるから、その表現は正しくはないのだが、散乱する人骨や、朽ち果てた衣服、そして既に土と化した老廃物などの光景は、そう表現せざるを得ない物であった。

 この場所へ落ちた者達が何を思い、何を悔い、何を嘆いたかは解らない。だが、その無念と悲しみ、そして何よりも強い恐怖だけは、今も尚、この牢獄の岩壁に染み入っていると感じてしまう程の空気が張り詰めていた。

 

「……奥へ進む」

 

 総じて顰める表情を無視するように歩き出したカミュは、散乱する白骨を踏みしめて前へと進んで行く。数十年、十数年という時間を散乱し続けていた白骨は朽ち果てており、触れるだけで粉々に砕け、上部から入り込む風に運ばれて霧散して行く。それ程に長い時間、この場に放置されていた遺体にサラは眉を顰め、未だに腰にしがみ付くメルエを引き摺りながら奥へと進んで行った。

 それ程広くはない牢獄は、何の為にあるのか解らない燭台が整えられている。それに一つ一つ炎を点して行くカミュを見ていたリーシャは、少し疑問を感じていた。

 

「もしかすると、元々あの鉄蓋はなかったのかもしれないな」

 

「網格子の物であれば、雨水も入れば空気も入りますね」

 

 その疑問にはサラも同意し、顔を顰めたまま周囲を見回した。正直に言えば、今のサラの心は余り平常心ではないのだろう。この牢獄の有様に嫌悪感を示している事も一つの理由ではあろうが、それ以上に、この場所に残り続ける怨念に近い程の空気が彼女の心を掻き乱していた。

 幽霊船という、この世でも悍ましい部類に入る難関を突破したばかりだというのに、再び無念の魂が漂うであろう場所に入らなければならなかったサラは、次第に震えて来る足を抑える事に必死であったのだ。

 故に、先程まで腰にしがみ付いて顔を埋めていた筈のメルエが顔を上げ、サラの顔の後ろを不思議そうに眺めている事に気付かない振りをしていたのだった。だが、明らかに自分を見ていない視線に、サラの我慢は限界に達してしまう。

 

「な、何かありましたか?」

 

「…………サラ………うしろ…………」

 

 意を決して、震える声でメルエに問いかけるサラであったが、返って来た答えを聞いて瞬時に顔を青褪めさせる。

 サラの後方には誰もいる訳はないのだ。カミュが先頭を歩き、その後方をリーシャ達三人が歩いていたのだが、サラとメルエが止まった事で、リーシャは一歩前へと出ていた。故に、サラの後ろには、先程までその腰にしがみ付いていた幼い少女しかいない筈であるが、その少女もまた、サラの目の前に立って小首を傾げている。それはつまり、サラの最も苦手とする者が後方に控えているという事に他ならなかった。

 真っ青に青褪めた顔に脂汗を垂らし、口を開閉するサラは、硬直したように身動きが出来ない。

 

「メ、メルエ……私を驚かそうとしても……だ、駄目ですよ」

 

「…………???…………」

 

 必死に紡ぎ出したメルエを窘める言葉は、反対側に首を傾げる少女によって否定される。そして、二人のやり取りに振り返ったカミュとリーシャの驚愕の表情が、更にサラを追い詰めて行く事となるのだ。

 『振り向いてはいけない』、『振り向く事など出来ない』という想いとは別に、サラの首は壊れた玩具のように後方へと動いて行く。鉄で出来た人形のように軋む音を立てて振り向いたサラは、その場に浮かぶ火の玉を見て、意識を手放しかけてしまった。

 腰が抜けたように座り込むサラは、薄暗い地下牢獄の中で浮かぶ火の玉を指差し、声にならない言葉を紡ぎ出す。それでも失禁しなかったのは、彼女が限界の境界線を越えぬように必死に堪えたからに他ならないだろう。

 

「我はサイモン……我が遺骸の傍を掘り起こせ。汝が大地に愛された者であれば、それは姿を現すであろう」

 

「ひぃぃぃ!」

 

「…………サラ………うるさい…………」

 

 カミュ達の目の前で浮かぶ火の玉から、直接頭に響く声が届き、サラはいつものような悲痛の叫び声を上げてしまう。更には抜けた腰を引き摺るようにメルエにしがみ付いた事で、少女から厳しい言葉を貰う羽目となった。

 言いたい事を告げ終えた火の玉は虚空へ消え去り、先程まで照らされていた場所も闇が広がり始める。その言葉の意味を考える事の出来る者は、この場には一人しかいない。本来であれば二人いるのだろうが、その片割れは腰を抜かして幼い少女にしがみ付いている始末。

 故に、リーシャは困惑に彩られた表情をカミュへと向けるのだった。

 

「……何処かにサイモンの遺骸となる白骨がある筈だ。その傍を掘り返す。そこからは、アンタの出番だ」

 

「私か?」

 

 サイモンの白骨となれば、それ相応の姿をしているのだろう。サマンオサの英雄であり、サマンオサの偽国王に最後まで抗った強者である。最後まで抵抗したと言われている以上、その身に何か装備品を纏っていた可能性も少なくはなく、肉体は滅びても、その身を護る鎧は残っている可能性があるだろう。

 しかし、リーシャとしては、自分の名前が最後に出て来た事に首を傾げる。自分の名前が出て来る理由が理解出来ないのだ。サイモンの名を発した火の玉は、決してリーシャを連想させる言葉を発していない。

 少なくとも、リーシャはそう考えていた。

 

「……自覚がないというのも、何処かアンタらしいが」

 

「何だというのだ!? 解るように説明しろ!」

 

 溜息と共に吐き出された物は、小馬鹿にしたような空気を持つ物ではなかったのだが、それでもカミュの言葉には過剰に反応するのがリーシャという女性戦士である。先程から、自分が理解出来ない事ばかりが進んで行く事に苛立ちを強めていた彼女は、カミュに説明を求めるのだが、それは軽い溜息によって流される事となった。

 行き場を失った怒りは、未だにメルエにしがみ付くサラへ向けられる事になり、足に力の入らない『賢者』は泣きながら喝を入れられる。しがみ付かれていたメルエも、心底困っていたのだろう。いつもならば、リーシャがサラを強烈に叱る時はそれを庇う節もあるのだが、この時ばかりは早々にカミュのマントの中へと入り込んでしまった。

 

「……行くぞ」

 

 ようやく立ち上がり、自身で歩行が出来る程度まで回復したサラを見たカミュは、<たいまつ>を前方へと掲げながら先頭を歩き出す。厳しい事を言いながらも、リーシャはサラに肩を貸し、その後ろを歩き始めた。

 この牢獄はそれ程広い場所ではない。少し進むとすぐに行き止まりとなり、いつも通りリーシャの発する方角の逆に進むという手法を取った一行は、再び行き止まりへと辿り着く。勝ち誇ったようなリーシャの表情に気が付かない振りをしたカミュは、その行き止まりに倒れ込んでいる一つの遺体の前へ屈み込んだ。

 

「……これか」

 

「……サイモン様は、自身が助からない事を察していたのでしょうね」

 

 <たいまつ>を翳すと、壁に寄り掛かるように座り込んだ白骨死体が浮かび上がる。その白骨は、身に鎧を纏い、その鎧は朽ちてはいるが安物ではない事が一目で解る代物であった。

 おそらく、国章と自身の紋章の入った鎧は自宅へ送り、代わりに着込んでいた鎧なのであろう。<ラーの鏡>の破壊命令が出た際に、既にサイモンはある程度察していたのかもしれない。自身が国家の為に出陣する際に常に装備していた鎧は、サマンオサの革新の際に息子であるサイモン二世が装備していた筈であったからだ。

 

「しかし、<ガイアの剣>はお持ちではないようです」

 

「毎回理解に苦しむが、サラの中ではこの白骨死体と、幽霊船の白骨の何がどう異なっているんだ?」

 

 カミュが掲げる<たいまつ>に照らされた白骨死体を注意深く見つめるサラを見ていたリーシャは、心底理解出来ないというように溜息を吐き出した。そのリーシャの反応に対し、敢えて無視を決め込んだサラは、その白骨の周囲をカミュに照らしてもらうが、やはりその傍に彼の所持していた筈の聖剣の姿はない。

 カミュへ視線を送ったサラは、彼が頷きを返すのを見て、白骨死体の前で手を組んだ。祈りを捧げるように手を組んで膝を折ったサラを真似るように、マントから出て来たメルエも膝を折り、暫しの時間が過ぎて行く。

 その後、サラが鎧を着込んだ白骨死体を丁寧に横へとずらし、先程まで白骨が座り込んでいた地面を露わにした。

 

「ここからは、リーシャさんにお願いします」

 

「なに? 私が何をすれば良いのだ?」

 

 もう一度白骨死体に向かって手を合わせ終えたサラは、後方で見つめていたリーシャに向かってその指示を出す。しかし、その意図が全く理解出来ないリーシャは、何をして良いのかが解らずに首を傾げる他なかった。

 

「その地面を掘り返してくれ。方法は問わないが、慎重に頼む」

 

「掘れば良いのか? わかった、やってみよう」

 

 カミュの瞳と口調が真剣な物である事を察したリーシャは、二つ返事で頷き、後方へと移動して来たサラと入れ替えになって、サイモンと思われる白骨死体があった地面を掘り始める。リーシャの作業の真似をして、自分も地面を掘ろうとするメルエを宥め、徐々に掘り返される地面へとカミュとサラは<たいまつ>を翳し続けた。

 どれくらいの時間、土を掘り返しただろう。元々、湿気の強い場所ではあるが、専用の道具が無くとも掘り返す事が出来るという事は、一度掘られた部分に土を被せた可能性が高い。つまり、誰かが何かを埋めたという事を容易に想像する事が出来た。

 

「ん? 何かがあるぞ」

 

 掘り続けていたリーシャの手が、何か硬い物に触れたのは、掘り返し始めてから四半刻程の時間が経った頃であった。

 慎重に残りの土を掻き出したリーシャの手に、革製の鞘が触れ、その周囲の土を掻き出す事で、ようやくその全貌が見えて来る。全ての土を掻き出したリーシャは、その鞘に納められた物を大事そうに抱き上げ、後方で<たいまつ>を持つカミュの前へと置いた。

 

「……これが<ガイアの剣>なのでしょうか?」

 

「状況的に、それ以外の答えはないと思うが」

 

 掘り出されたそれは、確かに剣のような形をしているが、サラが考えていたような物ではなかったのだろう。信じる事が出来ないというよりは、純粋にこれが本物であるという自信が持てなかったのかもしれない。それはカミュも同様であり、状況的な分析しか口にする事が出来なかった。

 その剣は、鞘に収まっている為、刀身などは見えないが、とても細身の剣である。カミュの持っている神代の剣と思われる<草薙剣>よりもずっと細く、抜身の姿が片刃の剣であっても不思議ではないだろう。剣というよりもサーベルに近いような外見であったのだ。

 

「いや、間違いなく<ガイアの剣>だろう。何となくだが、そう思う」

 

「……そうか。アンタがそう言うのであれば、間違いないだろうな」

 

 しかし、そんなカミュとサラの疑問は、掘り出した後、目の前に横たわる剣を呆然と眺めていたリーシャによって一蹴される事となる。

 確証などはない。それでも、この静かに地面と同化するように横たわる剣こそが<ガイアの剣>である事を、リーシャは肌で感じていた。それは誰にも説明出来ない程に曖昧な物であると同時に、誰にも否定出来ない程の確信でもあったのだ。

 それを理解したカミュは、彼女の言葉に何一つ異議を唱えない。サラもまた、未だに剣から目を離さないリーシャの姿を見て、大きく頷きを返した。

 

「これが……大地の女神に愛された剣か」

 

 誰一人何も出来ない中、リーシャがゆっくりとその剣を手に取る。手に取った剣の柄に手を掛け、そのまま反対の手で鞘を取り外し始めた。

 長年地面の下に眠っていた剣と鞘は、同化してしまったかのように固定されており、すんなりと抜けると考えていたリーシャは、その硬さに戸惑いを見せる。だが、再度力を籠めて鞘から引き抜いた事によって、<ガイアの剣>がその全貌を露わにした。

 刀身が表へと出た一瞬、眩い光が暗闇に支配された牢獄を照らし出すが、その光もすぐに収まりを見せる。

 メルエが<雷の杖>に出会った時のような衝撃的な光ではなく、リーシャが<大地の鎧>と出会った時のような包み込む優しさもない。まるで、蝋燭の最後の灯のような淡い光を放った剣は、その後は静かに沈黙を続けた。

 

「錆びている訳ではないが、刀身が曇っているな」

 

「アンタが持っても駄目なのか?」

 

 大地の女神から『人』の手に渡ったと伝えられる程の聖剣である。その剣を所有していた者は、一国の英雄としてその名を世界に轟かせ、その英雄の名と対になって世界に轟いた剣ではあったが、やはり聖剣と言えども寄る年波には勝てなかったのかもしれない。

 カミュが何に驚いているのかリーシャには理解出来なかったが、彼女は一流の戦士である。故に、武器の良し悪しは、鑑定士ほどではないにしても把握する事が出来た。その彼女の眼には、この剣の刀身が本来の輝きを失っているように映っていたのだ。

 

「私が持っているからこそ駄目なのだろう。もし、サイモン殿がこの剣を再び握る事が出来ていたら、この剣は本来の輝きと鋭さを取り戻したのかもしれない」

 

「……サイモン様だけの剣という事ですか」

 

 カミュとサラの持つ<たいまつ>の炎に照らすように<ガイアの剣>を掲げたリーシャは、その剣の輝きを取り戻す事が出来るのは、本来の持ち主である彼の英雄だけであると口にする。カミュと同様に何処か納得が行かない表情を浮かべるサラであったが、リーシャがそういう以上、納得せざるを得なかった。

 剣に大した興味を示さないメルエだけは、リーシャが掘り返した土から出て来た虫と戯れている。メルエから逃げるように動き回る虫へ手を伸ばす事無く、その動きと姿を見て微笑むメルエにとって、カミュ達が真剣に語り合っている内容など、この世に生きる小さな命に比べれば些細な事なのかもしれない。

 

「ふふふ。メルエ、サイモン様のご遺体にお祈りをしてから出ましょう」

 

「…………ん…………」

 

 そんなメルエの姿に気が付いたサラは、その隣に屈み込み、再びサイモンの白骨遺体に向かって手を合わせた。それに続くように、小さな手を合わせたメルエは、静かに瞳を閉じる。

 メルエが『祈り』の意味を理解するのはまだ先の事であろう。だが、サラの言葉に反論する事無く、嫌がる素振りを見せずに同じような行為をするという事が、この少女の心が少しずつ成長を遂げている事を示していた。

 祈りを終えた二人が立ち上がったのと同時に、カミュ達は出口に向かって歩き出す。

 本来であれば、サイモンの白骨をサマンオサ国へ持ち帰るべきなのかもしれないが、その手段をカミュ達は持ち合わせていない。骨壺となる入れ物もなく、まさか英雄の骨を革袋に入れて運ぶ訳にもいかない。いずれサマンオサ国へこの報が届く時、彼の国から息子であるサイモン二世がこの地に足を運ぶ事となるだろう。

 

 勇者一行の道を切り開くと予言された大地の剣が、勇者達の手元に渡った。

 大地の女神に愛された剣は『人』の世を駆け巡り、この世界の大地を護る為に旅を続ける者達の許へと辿り着く。この剣が彼等にどのような道を指し示すのかは解らない。だが、この剣が勇者達を更なる高みへと導くであろう事だけは、志半ばで倒れた英雄が確信していた筈だ。

 そして、この剣もまた、在るべき姿に戻る事を願っているのかもしれない。

 

 

 




読んで頂き、ありがとうございました。

ようやくガイアの剣を手に入れました。
ここからの勇者一行の旅路は一直線です。
頑張って描いて行きます。

ご意見、ご感想を心よりお待ちしております。

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