新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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ロマリア城②

 

 

 

 翌朝、サラは日の出と共に目覚めた。

 昨晩早くに、ベッドへ入った為であろう。十分な睡眠により、身体の疲れも大分取れている。サラは早々に着替えを済ませ、宿屋を出てロマリア教会へと向かった。

 

 宿屋から、少し王城の方向に歩くと、アリアハン教会よりも若干大きめな教会が見えて来た。

 屋根には、『精霊ルビス』が天に向かって手を合わせている彫像が掲げられている。

 この世界では、『精霊ルビス』を崇める事は万国共通の宗教なのだ。例え、いがみ合っていても、人は皆等しく『精霊ルビス』の子なのである。

 教会に入ると、まだ陽が昇って間もないというのに既に先客がおり、ルビス像へ向かって跪き手を合わせていた。

 年老いた老婆であったが、サラが入って来た事に気が付いていないのか、微動だにせず、静かに祈りを続けている。サラは、老婆の祈りが終わった後にしようかと考えたが、この後にリーシャとの稽古が控えている事から、老婆の隣に跪き祈りを始める事にした。

 

「若いのに、良い心がけと思ったが、その服装からすると『僧侶』様でありましたか?……いや、『シスター』とお呼びした方がよろしいのかな?」

 

 真剣に祈りを続けるサラへ不意に声がかかる。

 声のする方へ視線を向けると、祈りが終わった老婆が、顔の皺を濃くした笑みを浮かべ、サラを見ていた。

 

「あ、いえ、『シスター』と呼ばれる程の者ではありません。未だ修行中の身です」

 

「これは、これは。立派な『シスター』とお成りなさい。貴女のような若い方ならば、色々と悩む事もお有りでしょう。ですが、何事も貴女を成長させる試練とお考えなされ……悩み、考え、前に進む事こそが、人を成長させる一番の物です」

 

 老婆に対して、一言礼を述べたサラではあったが、何か自分を見透かされているような、そんな不思議な感覚に包まれた。

 サラが今持っている悩み。

 それは、ルビス像を前にして話せるような内容ではない。

 

「……僧侶様……この世に、絶対はありませんよ。ルビス様は『人』を子としてお考えになられます。子であるからこそ、教え導く事はありますが、子の考えや子が歩む道を否定し、阻害する事などありません」

 

「……あ、あなたは……」

 

 押し黙ったサラに対して老婆が続けた言葉は、聞き方によってはルビス信仰を否定しているようにも聞こえる物だったのだ。

 熱心にお祈りをしていた老婆が、それも教会の中でそのような事を話す事にサラは驚き、そして呆れた。

 

「申し訳ありませんな。悩める若者に説教をするのも、年老いた婆様の楽しみの一つでしてな……ついつい……」

 

 サラが呆けた顔で老婆を見ていると、やわらかな笑みを保ったまま、老婆もまたサラを見ている。不思議な空気が教会内に流れ始めていたが、そんな空気を破ったのは、やはり彼女だった。

 

「サラ、お祈りは済んだか?」

 

 教会の扉が開き、眩いばかりの光と共に中に入って来たのは、姉のように思い始めている、頼りになる『戦士』だった。

 

「ほっほっ。お連れさんかね?」

 

「は、はい……」

 

 悠然とこちらに向かって歩いて来たリーシャは、サラの隣にいる老婆の存在に気が付き、軽く一礼した後、正面のルビス像に向かって手を合わせる。リーシャの姿は、既に旅立てるような恰好で、それはつまり、祈りが終わると同時に、サラにとって地獄に近いリーシャとの鍛練が開始されることの証明でもあった。

 別段暑くもないのに、額から汗の雫が垂れ落ちて来るのを感じながら、サラはリーシャの祈りが出来るだけ長くかかるように祈るのだった。

 

「サラ、行こう。おそらく今日、ここを発つ事になる筈だ。ならば、今日は軽めの鍛練にしよう」

 

「あ、はい!」

 

 祈りの終わったリーシャが振り向き様に言った言葉は、サラの胸を撫で下ろさせる物であり、自然とサラの返事も明るくなる。そんな二人のやり取りを見ていた老婆もまた、顔の皺を濃くし、笑みを溢していた。

 

「ほっほっ。悩みは、死すまで無くなる事はありません。自身の悩みに押し潰されそうになられたのなら、またここに寄りなされ。心の内をお聞きするだけであれば、この老婆にも出来ます故」

 

「……ありがとうございます……貴女は……この教会の……」

 

 先程のような物ではなく、サラの身を気遣う物言いに、サラの疑問は大きくなって行く。

 お礼を述べて、深く頭を下げたサラは、窺うような視線を向け、老婆へと問いかけるのだが、その問いかけにも、老婆は優しい笑みを浮かべていた。

 

「……はい。この教会で司祭をしております」 

 

「!! 失礼致しました!」

 

 司祭となれば、教会を任されている者と考えて遜色はないだろう。

 サラを育ててくれた神父様もまた、司祭である。

 ルビス信仰で司祭とは役職であるが、それに対し、神父とは呼称であって役職ではないのだ。

 更に、その役職は、男女問わず与えられる。

 故に、この老婆が、実質ロマリア教会の管理者であると考えて良いという事となる。

 

「いや、いや、お気になさいますな。今、私は法衣を着てはいませんよ。ですから、ただの老婆と思ってくだされ」

 

「……はい……ありがとうございます」

 

 身分を明かされ、『老婆と思え』など、土台無理な話だ。

 熱心な信徒であるサラにとって、司祭程の人間と面と向かって話す事さえ出来よう筈がない。現に、今のサラは、ルビス像にしていたように、老婆の前で跪いている。

 昨日、一国の国王を前にして、立ち上がり言葉を発しかけたようなサラとは違う。同じ雲の上の存在でも、国王と司祭とでは、サラ自身が感じる畏れ多さの実感が違うのだ。

 

「サラ、時間があまりない。行こう」

 

 このままでは埒が明かないと感じたリーシャの声で、ようやく立ち上がったサラは、深々と司祭に頭を下げた後、先を行くリーシャを追い、教会の門を開いて外へ出た。

 残された老婆は、未だ温かい笑みを浮かべながら、サラの出て行った門を見詰めていた。

 

 

 

「カミュ王、お目覚めでしょうか?」

 

 カミュは既に目を覚ましており、着替えを済ませていた。

 濡らしたタオルで顔を拭いていると、ドアのノックと共に、中を確認する声が聞こえて来る。

 カミュに割り当てられた部屋は、王が暮らすような部屋ではなく、一般に他国の貴族等の客賓が通されるような部屋であった。

 この事からも、王室全体が、カミュを国王として担ぐ気は微塵もない事を示している。

 

「……はい……どうぞ、お入り下さい」

 

 カミュがドアに向かい了解の意を示すと、遠慮がちにドアは開かれ、外から給士が顔を覗かせた。

 それなりの年齢を重ねた女性であり、おそらく若い頃から、このロマリア王宮に仕えている者なのであろう。

 

「お食事をご用意しています。皆さまも、そろそろお集まりになる頃ですので、お急ぎ下さい」

 

 一人の給士が、国王に掛ける言葉とは思えない内容を告げた後、カミュを案内する事なく、下がって行った。

 来いと言われても、食事を取る場所が何処であるのか分からないカミュは少し考えたが、あまり遅くなっても失礼と考え、とりあえず外に出る事にした。

 部屋を出てはみたものの、謁見の間までの道程は知っていても、食堂の場所が右か左かも分からない。数度周囲を見たカミュは、謁見の間からこの部屋までの間に何もなかった事を思い出し、謁見の間とは逆方向に歩き出した。

 

「あら、カミュ王、おはようございます」

 

 カミュが廊下を歩いていると、不意に横から声がかかる。彼は驚く事もなく、そちら側に顔を向けると、にこやかな笑顔を湛えた王女が立っていた。

 この王女の顔には、謁見の間でカミュ達が謁見をしている時から、その後の食事の時、更には夜に就寝の挨拶に至るまで、まるで、『作り物の仮面を被っているのでは』と思う程、常に笑顔が張り付いていた。

 

「……おはようございます、王女様……」

 

「あら、随分と他人行儀ですのね。これから、我が夫となるお方が」

 

 カミュの返しに、初めて笑顔という仮面を取って、明らかな不満顔を表す。その表情は、元来の美しさを持つ王女に、可愛らしさというエッセンスを加えた、男という性別に生まれたからには惹かれずにはいられない、そんな表情であった。

 

「……いえ、それは……」

 

 しかし、それは、一般の男性ではという話であり、当のカミュは全く興味を示しておらず、何やら口籠っているのも、また違う理由のようであった。

 うろたえたカミュの姿に、王女の表情が笑顔へと戻って行く。

 

「ふふっ、まあ、よろしいですわ。さあ、食事に参りましょう、あなた」

 

「……」

 

 再び笑顔の戻った王女であったが、その笑顔は、先程までの仮面のようなものではなく、心から楽しんでいるような、花咲く笑顔であった。

 カミュは、一瞬驚いたように目を見開くが、小さな溜息を吐いた後、王女に腕を取られ、食堂へと歩き始める。

 

 食堂での食事は、カミュと王女の二人以外にも、老人が一人同席していた。

 歳を考えると、おそらく先代のロマリア王と考えて間違いないだろう。カミュに対し、興味の欠片も示さないところは、他の重臣たちと同様で、この場に明らかに不似合いなカミュを、空気と同様に扱っているようでもあった。

 

「どうしたのですか、あなた? 食事が口に合いませんか?」

 

 カミュの手が止まっている事に気がついた王女が、カミュへと声をかけるが、その表情や物言いを聞くと、完全に面白がっているのが理解出来る。彼女は、この状況を明らかに楽しんでいた。

 常に周囲の人間に対し、興味らしき物を示した事のないカミュでさえ、今自分が置かれている状況に、内心焦りに近いものを感じているのにだ。

 

「すまんの。お主も、あのどら息子の我儘に付き合ったのであろう。あ奴は、昔から遊び好きであったが、歳をとり、子が出来てもその辺は全く変わっておらん。政も国務大臣と、その子に任せっきりでな……」

 

「!!」

 

 突然話し始めた先代の言葉に、カミュは心からの驚きを表す。

 カミュがここまで驚く事は、それ程ある物ではない。

 先代が『その子』と示した人間は、カミュの隣で、からかう事を面白がっている王女その人であったのだ。

 つまり国政は、王女が絡みながらも、国務大臣を陣頭に行っているという事になる。王女とはいえ、一国の国政を司るとなれば、中途半端な事は出来ず、まともな大臣であれば、才がないと感じれば、前に出て来る事を許さないだろう。

 そうなれば、今のロマリアは国務大臣が無能なのか、それとも、この横で楽しそうに笑っている王女が有能なのかのどちらかになる。

 

「……では、あの闘技場等も……」

 

「うむ。案は、その子が出した。実際に指揮したのは大臣じゃがな」

 

 昨日見た闘技場。

 その存在は、カミュの心象では最悪な物であった。

 ただ、国の取る政策として考えれば、あれ程に優れた施設はない。『人』にとって、憎しみの対象たる『魔物』同士の戦いを賭けの対象にする。

 その対象である魔物は、死という決着がつくまで戦わせ、最後に生き残った物も、人間の手によって大観衆の前で殺されるのだ。

 民の不満の捌け口としては、これ以上の物はないと言っても過言ではない。

 

「ふふっ、私は思った事を口にしただけですわ。それをどう実現させるかは、全て我が国の重臣たちの腕です。優秀な家臣たちを持っているからこそ出来た事です」

 

 手で口元を押さえながら、謙遜するその姿は、自分の頭脳や才能に絶対の自信を持っている表れであろう。

 もしかすると、このロマリア国の頭脳は彼女なのかもしれない。

 

 

 

 朝食も取り終わり、部屋に戻ろうとするカミュの横に、再び王女が並んで来た。

 廊下に出て、周囲の人間の姿がなくなるまで、一言も発する事はなく、カミュと同じ速度で歩いて来る。

 

「……何かご用でしょうか……?」

 

 堪りかねたカミュが、王女に向き直り口を開いた。

 そんなカミュの行動も予測していたように、柔らかな笑みを浮かべながら、王女も歩む速度を落として行く。立ち止まったカミュの瞳を見上げる王女の瞳は、何か悪戯を思いついた子供のように輝いていた。

 

「そうですね……目的の物は見つかりましたか?」

 

「!!」

 

 少し、顎に指を置いて考える素振りを見せた王女が発した言葉に、カミュは表情にこそ出さなかったが、驚きで言葉が出なかった。

 カミュの昨晩の行動は、城の者が寝静まった夜中に起こされた筈。

 それにも拘らず、この王女はカミュの行動を知っている節を見せているのだ。

 

「……何の事でしょうか……?」

 

「あら、別に惚ける必要はないですわよ。少し見ただけですが、貴方のような方が、自らの使命を投げてまで王になりたいとは思わないでしょう?……ですから、何か目的があるのではないかと思っただけですわ」

 

 何を言っているのか分からないとでも言うようなカミュの言葉に、王女は間髪入れず反応する。それは、まるで、『私にはお見通しですよ』とでもいう得意気な様子であった。

 

「ご心配には及びませんわ。貴方のようなアリアハンから来た人間が、ロマリアで何か事を起こせばどうなるかは知っていらっしゃると思いますもの。でしたら、例え貴方がこの城から何かを持ち出したとしても、それは、この国には必要のない物。それも、例え失ったとしても、その事を誰も気がつかないような程の物なのでしょう?」

 

「……」

 

 沈黙を続けるカミュを見て、自分の推測が間違ってはいない事を確信した王女の表情が、悪戯を成功させた子供のように咲き誇る。男性であれば、表情を崩すであろう王女の笑みを見ても、カミュの顔は能面のように静かであった。

 

「ですから、私はその事で、事を荒げるつもりはありません。それに貴方は、今日にはこの城をお出になるつもりなのでしょう?」

 

「……はい……」

 

 自分の考えが正しいと証明できた事に満足そうな王女は、畳みかけるようにカミュへと言葉を繋いで行く。カミュを見上げる王女は、顔の前で両手を合わせ、飛び上りそうな程に喜びを表していた。

 

「やはり、そうでしたのね。ああ、口調も元に戻してくださって構いませんわ。それこそ、私を王女としてではなく、平民のように扱ってくださいな」

 

「……」

 

 だが、王女が続けた一言を聞いたカミュの表情に変化が現れる。

 その変化は、おそらく、今現在では誰にも理解はできない程に小さな物だった。

 

「ふふっ、こう見えても、私は結構貴方を気に入っているのですよ。たった一日ですけど夫婦となりましたし。お父様の言う通り、意志の強い目をされておりますしね」

 

「……」

 

 王女が一方的に話す中、カミュの口は開く事なく、徐々に表情が失われて行く。

 王女の言葉の何かが、カミュの心を動かした事に間違いはない。 

 だが、それはプラスではなくマイナスの方向であった事は、確かであろう。

 

「そうですわ! カミュ殿、あなたが『魔王バラモス』を倒した暁には、本当に私と婚姻を結び、このロマリアの王となりませんこと? 『魔王』を倒した勇者であれば、一国の王となっても誰も文句は言いませんわ。どう、良い考えでしょう?」

 

 王女は自分が考えた案が、とんでもない名案だと言わんばかりに、柏手を打ち、目を輝かせながらカミュの返事を待った。

 確かに、カミュが『魔王』を倒したとなれば、カミュの名声は瞬く間に世界中へと広がるだろう。

 それこそ、彼の父オルテガも遠く及ばない程に。

 そんな英雄がロマリアという一国の王となり、先代王の血を引く王女を妃として迎え、その間に子を成せば、ロマリア王国は世界で並ぶもののない程の国となる事は間違いがない。それこそ、全世界を統一できる程の力を有す事だろう。

 おそらく、この賢女である王女からすれば、そこまで考えての発言なのであろう。

 もし、カミュが『魔王討伐』を成し遂げられないという事は、それは『死』という結末を意味する。つまり、ロマリア王国としては、多大な利益はあるが、損はないという提案なのである。

 しかし、王女の視線の先には、王女の可愛らしさや美しさ、そして聡明さに対し、照れたように顔を綻ばせる男達とは、全く正反対の表情で立つカミュの姿があった。

 

「……王女様、失礼を承知で、先程の王女様のお言葉に甘えさせて頂きます」

 

「え…ええ……」

 

 無表情のカミュの様子に、怯みながらも返事を返す王女の姿は、流石と言っても良いのかもしれない。リーシャや、サラでさえ、このカミュの無表情には足が竦みかねないというのにだ。

 

「ここ十数年での国家の立て直しに関しての賢策、見事だと思います。今このロマリアが国家として成り立っているのも、王女の力無くしては有り得ない事でしょう」

 

「そ、そうね……」

 

 カミュの表情や瞳からは、とても王女を褒め称えている様子は見受けられない。言葉では、その王女の功績を讃えてはいるが、その内心は違う物である事が明白なのであった。

 

「その上で敢えて言わせて頂きます」

 

「ええ……」

 

 徐々に、顔が強張って行くのを感じた王女であるが、カミュの瞳から目を離す事は出来ない。それが『勇者』としての能力なのか、それともカミュという人間の質なのかは王女には理解できない事だった。

 

「俺は、賢しげな女は嫌いだ。平民と同じようにと言うのなら、この国に来ている奴隷商人にでも売り飛ばしてやろうか?」

 

「!!」

 

 突然豹変したカミュの姿に驚き目を見開く王女。

 自分の言葉の何が気に食わなかったのかさえ、理解が出来ない。

 対するカミュも同じだった。

 こんな事を言うつもりもなかった。自分の物言いが、仮にも王族に向ける言葉ではない事は解っている。しかも、発している言葉は、カミュ自身も勝手さに身悶えてしまうような内容なのだ。

 昨日見た、闘技場の実情。

 それの発案者の、『平民と同じように』と言った一言が、カミュの中の何かを弾けさせた。

 この王女は知らないのかもしれないが、この城で働く貴族達の中には、平民の奴隷を蹂躙している者達もいる。闘技場で働く人間の中には、魔物に誤って殺された人間もいるだろう。

 平民とは、王族や貴族が考える程、平穏な暮らしをしている訳ではない。『人間は皆平等とでも言うのであれば、それ相応の立場で話せ』とでもカミュは思ったのかもしれない。

 しかし、当のカミュもまた自分の発言に困惑していた一人であり、『何故このような事を言ったのか』、『何に腹を立てたのか』という事さえ理解してはいなかった。

 そんな中、先に立ち直ったのは、王女の方であった。

 

「……そ、そうですか。残念ですわ。まあ私も、自分の損得の勘定もできず、感情だけで判断をするような脳なしは御免です。今の私への言葉は、『平民と同じように』と言った私にも落ち度がありますから、不問に致します」

 

 立ち直った王女の表情に憤怒の気配は微塵もない。

 謁見の間で見たような張り付いた笑顔を見せながら、カミュへと返答するところは流石一国の王女であり、その国政を担う賢女なのであろう。

 

「……失礼致しました……」

 

「お父様は、いつものように闘技場へ向かっている事でしょう。そちらへ行けば、会う事も出来る筈ですわ」

 

 それでも、自らが受けた動揺を隠すように髪を後ろへと靡かせ、王女はカミュへと視線を向けた。

 その視線を受け、カミュの表情に若干の色が戻る。

 『相対するに値する人間』。

 それは、カミュの傲慢な考えであるだろうが、彼は王女をそう評価し始めていた。

 

「……ありがとうございました……」

 

「いえ。それでは、ごきげんよう」

 

 頭を下げるカミュにちらりと視線を向けるだけで、王女はそのままドレスのスカートを翻して歩いて行く。

 頭を上げたカミュは、王女の後ろ姿を見送った後、自室へ戻り、剣とサークレット等の武具を身に着け、王城を出るために外へと向かった。

 

 

 

「うぅ……うぅ……」

 

 リーシャとの稽古が終ったサラは、宿で用意されている朝食を食べるのに四苦八苦していた。

 今日から、剣の素振りに加え、槍の立ち回りも入ったのだ。

 教会での言葉とは違い、リーシャの訓練は厳しく、槍など持った事のないサラは、その重みと重心の取り辛さに何度となく尻もちをついた。

 アリアハン城下町を出た時には、肌荒れもしていない綺麗な物であったサラの手は、今や、剣の素振りと槍の稽古でマメだらけになっている。マメができ、そのマメが潰れ、そしてその上にまたマメが出来る。剣の素振りでの力の入れ具合が、やっと解りかけていただけに、新たな武器の登場で、サラの手には新たなマメがぎっしりと出来ていた。

 その為、食事をとる為のフォークやスプーンが思うように持てない。

 

「はははっ。サラ、最初は誰しもそうだ。そのうち、今、マメができている場所の皮が厚くなって、少しぐらいの稽古ではマメなど出来なくなるぞ」

 

「うぅ……それはそれで嫌です……」

 

 ごつごつした手になる事を、好ましいと思う女性は少ない。

 いや、目の前に座るリーシャならば、『この手を見る度に、自分が強くなっている事を実感する』と嬉しそうに言いそうだとサラは思ったが、自分の身の危険を感じ口にする事はしなかった。

 

「そうも言ってはいられないだろう? これから先、旅は過酷になって来る。それこそ、私とカミュだけではどうにもならない事があるかもしれないのだ。そんな時、サラも剣や槍で戦力となれば、私としては心強い」

 

「……はい……」

 

 リーシャの顔を見れば、それはサラを乗せる為に言っているのではない事ぐらい、サラにも解る。リーシャは心からそう思っているのだろう。

 だからこそ、サラも心苦しいのだ。

 サラは、自分にそれ程の能力が隠れているとは思っていない。リーシャの大きな期待に応える事の出来る才能など、自分の中の何処を探しても見つからないとさえ思っていた。

 

「……ですが……カミュ様は、本当に旅を続けられるのでしょうか?」

 

「ん?……それは、大丈夫だろう。朝食を取り終わったら、城門の方まで行ってみよう」

 

 サラの中にある別の心配事を聞き、『そちらは全く心配していない』とばかりに、リーシャは卵を口に放り込む。その姿に、サラは溜息を吐くしかなかった。

 リーシャという『戦士』の中に、何故それ程の自信があるのかが理解できないのだ。

 サラの信じ続けていた『勇者』像とは掛け離れた存在であるカミュという青年を、まだサラは信じ切る事が出来ていなかった。

 

 

 

 リーシャとサラが城門に辿り着き、暫く経つと、城門に立つ兵士達が何やら話した後に、城門が開いた。

 城門から出て来たのは、王が纏うマントではなく、旅へと向かう為のマントを羽織ったカミュ。

 

「……なんだ、もう来ていたのか……?」

 

 リーシャ達の下まで歩いて来たカミュは、リーシャとサラの存在に大した驚きもせず、まるで当たり前の事のように言葉を交わす。そんな二人の会話を、サラは不思議な物を見るように眺めていた。

 

「ああ、サラは不安がっていたが、私は、お前が王になどなれない事は、解っていたからな」

 

「……そうか……」

 

 得意げに胸を張り、『どうだ』と言わんばかりに話すリーシャの姿に、後ろに控えるサラは笑みを溢す。それでも、カミュは何の感情も持たない表情で、歩き出した。

 

「実際、今日中に王位を返上するとは思っていたが、ここまで早いというのは正直予想外だった。追い出されるような事をして来たのか?……まあ、お前を夫として迎えなければならない王女様にしてみれば、何とか破談の方向に向かわせたいと必死になるだろうがな」

 

 続くリーシャの言葉に、サラは、朝早くから城門に向かう事になった我が身を憐れんだ。

 同時に、確信もなくこの時間から城門で待つ事にしたリーシャの行動に、脱帽したい気分になったのだ。

 当のリーシャは、カミュの行動を見抜いていた自分に大層満足気で、カミュに対して無謀な戦いを挑んで行く。

 

「……やはり、女は多少抜けていたり、馬鹿であったりした方が楽で良い……」

 

「な、なんだと!!」

 

 カミュは、そんなリーシャの挑発には乗らず、一つ深い溜息をついた後、リーシャからあからさまに視線を外し、呟きを洩らす。

 彼の発言は失礼極まりない。

 明らかに、それはリーシャを指している。

 誰と比較してなのか、どんな想いを込めているのかは、サラには想像もできないが、心底呆れ顔で溜息を吐くカミュの姿は、とても印象的な物であった。

 

 

 

「それで、すぐに出発するのか?」

 

「いや、まずは闘技場に向かう」

 

 もはや恒例になりつつある、不毛な戦いを繰り広げた後、リーシャはカミュに今後の方針を尋ねるが、返って来た答えはリーシャとサラの二人には、驚きの物であった。

 

『何故向かうのか?』

 

 その理由を述べる事もなく、カミュはさっさと闘技場に向かって歩き出してしまう。

 リーシャは別として、サラにとっては、あの闘技場は極力近寄りたくない場所の一つとなっていたのだ。 

 武器屋の前にある階段を降りると、昨日と同じように、珍妙な格好をした男が、歓迎の挨拶をかけて来た。

 その男の言葉を完全に無視するように、カミュは辺りを見回した後、目標を定めたように一直線に歩いて行く。何が何やら解らないリーシャとサラは、昨日と同じような歓声とも奇声とも判別できない音の中を、カミュに続いて歩いて行った。

 

「……国王様……」

 

 ある人物の真横に立ったカミュが、その人物に囁くように出した言葉にサラは驚きを見せる。その人物は、みすぼらしい恰好をしてはいるが、まさに昨日謁見の間にて拝顔した、ロマリア国王その人であったのだ。

 

「……ん?……おお、これはこれは。カミュ王ではありませんか……ですが、私はこの上にある道具屋の隠居です。人違いではありませんか?」

 

「……国王様……今の段階で私を『王』と呼ぶ者は、昨日あの場にいた者以外はおりません。間違っても道具屋のご隠居にそれを知る方法はありません……」

 

 国王と呼ばれたその人物は、惚けるように視線を外すが、それを許すカミュではなかった。

 カミュの言葉に、一瞬眉目を顰めた国王は、一つ深い溜息を吐き出す。サラはそんな二人のやり取りを唯呆然と眺める事しか出来なかった。

 

「……おお、これはしくじったわ! それで、如何したのじゃ?」

 

 ロマリア国王は、もう一度カミュに向き直る。その姿は、やはり一国の王が持つ威厳が、見え隠れしていた。

 国政を王女や大臣に任せてはいても、王族が生れながら有する威厳という物を、この国王も有しているのだろう。

 

「……はい。やはり、私のような若輩者には、国王という重責に耐える事のできるだけの物はございませんでした」

 

「……ふむ。そのような筈はないだろう。わしには、『王』としての能力など微塵もない。だが、その分、人を見る目というのは備わっていると自負しておる」

 

 確かにロマリア国王の言う通り、この国王には人を見る目が備わっているのかもしれない。それでなければ、若い王女の資質を見抜き、案を出させ、その案を実行する為の人物までも見抜き、国務大臣という地位を与えたりはしないだろう。

 愚王という者にも、二種類存在する。

 政治や軍部、またはその時勢を顧みる事を全くせず、民を苦しめ、国を滅亡に追いやる者。

 逆に、自分の能力を信じ過ぎ、何もかもを自分一人でやろうとし、家臣達を信用する事なく潰して行く者もまた、国を滅ぼす愚王なのである。

 今、目の前にいる国王は、確かに個人の能力としては、国王として及第点にも届かない者なのかもしれない。しかし、周りの者を信じ、その人物達を適材適所に配置する事の出来る王なのだろう。

 

「確かに……王女様や国務大臣、それにその他の文官や武官の方々を見ると、国王様の目は確かな物であると感じております。ただ、私のような若輩者では、今は国王様の期待にお応えする自信がございません。私では、成す事が出来たとしても、この闘技場の廃止ぐらいな物です」

 

「なんと!! お主は、この闘技場の持つ意味合いが理解出来ぬとでも申すのか?」

 

 国王の席を辞退する理由を聞き、国王は驚きに目を見開いた。

 国政を担う事の出来る者として見ていたカミュという青年が、その政策の一つである『闘技場』の役割に気付かない訳がないと考えていたのだ。

 

「いえ、それは存じておりますが、所詮アリアハンの田舎者ですので、賭け事という物に対しての免疫がございません。一度廃止してから、他の方法を考える事となるでしょう」

 

「……むむむ……解った。この闘技場は、製作にもかなりの時間と資金がかかっておる。そう簡単に廃止する訳にもいかん。わしの楽しみの一つでもあるしの。やはり、お主には、その姿が一番似合っておるのかもしれんの」

 

「……申し訳ございません……」

 

 サラが未だ、この闘技場に不釣り合いなロマリア王の存在に、呆けたままになっている間に話が進み、サラが気付いた時には、すでに決着がついている頃であった。

 リーシャは、淡々と話を進めるカミュを見ながら、素直に感心する。

 ロマリア国王の自尊心を傷つける事もなく、自分の意の方向に話を進めて行くその話術に。

 祖国アリアハンを田舎と吐き捨てはしたが、この場では仕方がない事だと納得もしていたのだ。

 

「良い良い。では、わしは城へ戻るとしよう。お主達は、このまま旅立つが良い。『金の冠』を、我が前に持って来る事を期待しておるぞ」

 

「……はっ……」

 

 場所が場所なだけに跪く事はしなかったが、手を胸に置いて、頭を下げるカミュを満足気に頷きながら見つめ、ロマリア国王は階段を上って行った。

 国王の退場は、カミュ達一行しか知らない。

 この闘技場にいるロマリア国民達の誰一人として、この場に国王がいた事など気付きもせず、この場を去って行った者へ目を向ける者などもいなかった。

 

「良かったです。もしかしたら、カミュ様はこのまま旅を止めてしまうのではと考えてしまいました」

 

 ロマリア王の後ろ姿を見送った後に、サラは安堵の溜息と共に、自身が今まで不安に思っていた胸の内を吐き出す。その不安は、疲労感を伴ってサラの身体から溢れ出した。

 

「だから言っただろう。それは心配ないと」

 

 サラの様子に、再び胸を張り答えるリーシャの姿に、珍しくカミュは苦笑する表情を出した。

 カミュの表情の変化を見て、自然とサラも笑顔が戻る。

 三者三様の和やかな雰囲気を保ちながら、三人は地上へと続く階段を上って行った。

 

 

 

「死にてぇのか!!」

 

 階段を上り終えた途端に三人の耳に入って来たのは、人の怒鳴り声と、馬の嘶きだった。武器屋のカウンターに先程までいた筈の主人はおらず、武器屋と宿屋の間にある道には多くの人だかりが出来ている。先程の罵声の発生源であろう人間は、昨日見た馬車の操縦士であった。道に唾を吐きかけたそれは、手綱を引き、再び馬車を動かして街の出入口へと走らせて行く。

 カミュ達三人が立つ武器屋側とは反対側に、武器屋の主人が倒れており、それを確認したサラが慌てて駆け寄り、リーシャもその後に続くが、カミュはゆっくりと道を渡って行った。

 

「大丈夫ですか!?」

 

 倒れ込んでいる武器屋の主人にサラが声をかけると、その体躯がゆっくりと動き始め、主人の腕の中から、一人の少年が這い出て来た。出て来た少年は、未だ気を失っている武器屋を一瞥したが、そのまま泣きながら走って行ってしまう。その姿にサラは声をかける隙を見つけられず、走り去る少年を見送るだけしかできない。

 リーシャが気を失っている武器屋の身体をそっと起こし、頭部などに外傷がないかを確かめた後に、再度仰向けに寝かせた。

 

「……うぅ……」

 

 すぐに武器屋の意識は戻り、その目を開けていく。

 外傷はなかった事から、一時的に気を失っていただけなのだろう。何とか身体を起こす武器屋の顔を覗き込むように、サラとリーシャの顔が動いた。

 

「大丈夫か?」

 

「……うぅ……ああ、なんとかな……」

 

 リーシャの問いかけに回答し、身体を起こす様子からは、どこも異常がなさそうに見える。しかし、状況的に考えて、あの馬車から子供を救うために飛び出し、子供を抱えたまま反対側へ突っ込んだのだろう。馬車と接触していたら、どこか打っているかもしれない。

 

「……馬車とは接触はしていなさそうだな……」

 

「ん?……ああ、間一髪だったがな」

 

 武器屋の無事が確認でき、ほっと胸を撫でおろすサラの後ろから、今まで傍観していたカミュが前へ出て来るが、その表情からは、武器屋の身体を心配していた様子は微塵も感じない。

 

「……しかし、何故アイツらは、あれ程に急いでいた?……こんな街中で、あそこまでの速度を出す必要性はない筈だ」

 

 カミュの疑問は尤もである。如何に城下町の正門へ続く街道といえども、そこまで広い訳ではない。馬車がすれ違うのも一苦労する程の幅しかないのだ。

 そんな状況の中で、あれ程の速度で馬車を走らせれば、人を撥ねる可能性も出て来る可能性もあるだろう。

 

「……ああ……実は城門近くで、あいつ等の馬車の幌が捲れる場面があってな。その中が偶然見えたらしい。中には一人の女の子供がいた。売れ残りなのかもしれない。それを見た子供が騒ぎ出したら、人が集まってきちまって、この状態になった」

 

「……子供…ですか……?」

 

 つまり、馬車の中に売れ残った奴隷がいる事に気付いた子供が騒ぎだした為、元々奴隷商人を快く思っていないロマリア国民の感情を揺さぶり、大人も含め馬車を囲むように騒ぎ始めたと言うのだ。

 奴隷商人としても、一人や二人の民ならば、高圧的に出る事も可能であったろうが、群衆となれば、逃げるより他に道はなかったという事なのだろう。

 

「……それにな……奴隷商人と門兵が話している内容を聞いてしまった奴がいたらしい。そいつが言うには、その中にいた少女は売れ残りではなく、奴隷商人のお気に入りという事だった」

 

「……」

 

「どういう事ですか!?」

 

 カミュと、リーシャの二人は、武器屋の言葉が指し示す先が見えていたが、サラには見当がつかない。自然とその声も荒くなって行った。

 サラの声に、リーシャの顔は悔しそうに歪み、武器屋も再度俯いてしまう。

 

「……奴隷商人達に嬲られた後、殺されるという事だ……」

 

「えっ!!」

 

 カミュが呟いた言葉にサラは絶句し、武器屋は更に呻き、リーシャの顔は更に歪む。

 その様子を見ても、カミュの表情に変化は見られない。元々関心がないのか、それともこの時代に諦めているのかは解らない。

 それでも、カミュの瞳は冷たく、感情を宿していないようだった。

 

「な、何とかならないのですか!?」

 

「……ならない……」

 

 サラの呟きに返って来たのは、リーシャの答えだった。

 リーシャは、カミュに馬鹿にされる事はあるが、紛れもなく、国の中枢にいる『宮廷騎士』なのだ。

 冷静に判断しなければならない事には、非情ともいえる冷酷さを見せる。

 

「……アンタは奴隷全てを解放でもするつもりなのか? 奴隷や孤児、この世界には報われない人間など数多くいる。そんな人間の全てを救うつもりなのか? もし、奴隷商人の下から解放出来たとしても、誰がその面倒を見る? アンタか? 食糧、資金、住処に仕事、誰がそれを世話する?」

 

「……そ、それは……で、ですが!」

 

 カミュの放つ正論は、サラの胸に深く突き刺さり、その願いを抉って行く。

 実際に、サラはそこまでの思考はなかった。

 『奴隷』という報われない道を歩み始めてしまった人間の未来を憂い、その未来に同情しているだけ。

 そこに確固たる決意はなく、そして覚悟もない。故に、カミュへ反論する事が出来ないのだ。

 

「……話にならないな……」

 

 話を途中で打ち切ったカミュは、そのまま街の出入口に向かって行く。リーシャは、未だに顔を上げないサラの頭に手を置くが、何も言葉が浮かばず、黙ってサラを促した。

 信仰の理想と、教会の中だけでは知りえない現実とのギャップに、サラは押し潰されそうになる。しかも、その現実を知らないのは、このパーティーの中でサラだけなのだ。

 それが、更にサラの心を苦しめていた。

 

 様々な想いを胸に、一行はロマリアの城下町を護る門を潜って行く。

 新たな大陸で始まる彼らの旅には、暗雲が立ち込め始めていた。

 

 

 

 


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