新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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トルドバーグ②

 

 

 一行が乗る船は大海原へと出て、再び潮風が靡く場所へと戻って行った。

 いつものように、木箱に乗ったメルエは波飛沫に瞳を輝かせ、海鳥が集まる場所で跳ね回っている魚達に感嘆の息を吐き出す。そんないつも通りの光景に頬を緩ませながらも、サラは船首を見つめるカミュへと視線を移した。

 祠の牢獄を出てから、この青年は何かを思いつめるように言葉を発する事はなかったのだ。カミュという青年が無口である事は、アリアハンという生国を出てから一貫してはいるのだが、何かいつもと異なる雰囲気である事に、サラは不安を募らせていた。

 あの祠の牢獄という場所は、確かに凄惨な場所であっただろう。サラ自身もその中の光景を目にした時、胃の物を全て吐き出してしまいそうな衝動に駆られている。白骨遺体が各所に散乱し、老廃物が土に還る程に長い時間放置されていた。地下にある牢獄である事から、『地獄』と命名しても支障はないだろうとさえ考えてしまう程の光景。

 だが、サラ達四人は、更に凄惨な場所や場面を目にして来た。とても言葉では言い表せない程の悲惨な出来事を聞いて来たのだ。その中でも表情一つ変えず、全てを希望に変えて来た青年が、口を閉ざし、まるで心さえも閉ざしているように海を眺めている。それがサラの心に不安を運んで来ていた。

 

「心配するな。カミュは既に遥か先を見ているだけだ」

 

「え?」

 

 そんなサラの肩を優しく叩く手の持ち主の声が甲板に響く。サラと同じ方向を見るその瞳は、サラとは真逆の色を帯びていた。

 それは『信頼』の瞳。

 不安に揺れ動く事もなく、疑問に彩られる事もない、真っ直ぐにその者の真実を見据える程に強い瞳は、温かな光を宿していたのだ。

 そんなリーシャの瞳を見て、サラは初めて気付く。カミュの様子が変であった事は確かではあるが、その事に対して、リーシャもメルエも何も口にはせず、態度にも表す事はなかった。ここまでの旅を振り返れば、心優しい女性戦士は、この青年の心が揺れ動く時には何らかの言葉を掛けている。遠目で見ていただけではあったが、その事にサラは気が付いていた。

 そして、最も幼い少女は、この青年を誰よりも信じ、誰よりも頼りにしている。誰よりもその変化に聡く、誰よりもその心を慮っているこの少女が、今はとても楽しそうに海を眺めているのであるから、何も心配する必要はないのかもしれない。

 

「カミュの背から目を離すな。それが、サラの追い求める先へと続く道を切り開く」

 

「……私が求める道……」

 

 今のサラでは、リーシャが見据える未来を見る事は出来ない。サラにとって、リーシャの発する忠告や言葉は、遥か先を見据える尊い言葉として確立していた。

 メルエを救う時にリーシャが発した言葉通り、その先の道でサラを大いに苦しめる事になり、バハラタという自治都市の町長の娘を救う時に発したリーシャの言葉は、サラを包み込んでいた分厚い殻を破る一石となった。

 何時でも周囲に目を配り、何時でも自分を見つめ続けてくれるリーシャの言葉は、サラを『賢者』へと押し上げ、そして大きく羽ばたかせ続けて来たのだ。

 それを誰よりも理解しているサラは、リーシャが発した言葉を胸に刻みつけるように反芻する。自らが歩み、求め続ける道とは何かという事を未だに理解してはいなくとも、彼女はその言葉通りにカミュの背を見つめながら歩み続ける事になるのだ。

 

「カミュ、そろそろ<ドラゴンキラー>も出来上がった頃ではないのか?」

 

「……わかった」

 

 考え込むサラの表情に優しい笑みを浮かべたリーシャは、その目標となる青年へ声を掛ける。その言葉に頷いたカミュは、頭目へ次の目的地を告げた。

 既にトルドバークという名が付いた開拓地で、その創始者であるトルドへ<ドラゴンキラー>という武器の改良を依頼してから数か月の時間が経過している。一日、二日で終える作業ではないだろうが、数か月単位となれば問題はないだろう。

 カミュと同様、リーシャもまた<ドラゴンキラー>という武器の必要性を感じていたのだ。龍種と呼ばれる世界最強種族は希少種としても名高い。故に、それ程に数多く遭遇する訳ではないだろうが、魔王の本拠地へ近づけば、その可能性も今までとは比べ物にならぬ程に高まるだろう。

 カミュの持つ神代の剣である<草薙剣>の斬れ味も引けを取る事はないが、どれ程に素晴らしい剣であっても、この剣は借り物である。

 ジパングという異教の国に伝わる神剣。

 神から初代国主が賜ったその剣は、必ず無傷で返さなければならないという事をカミュもリーシャも理解していた。本来の持ち主であり、ジパングという小国を世界に名高い国家へと導く可能性を秘めた新たな国主の手の中へ返す事は、この勇者一行の総意なのだ。

 

「メルエ、トルドの所へ行こう」

 

「…………ん…………」

 

 カミュが目的地を決めた事によって、リーシャは海を眺める少女の許へと近付いて行く。目を輝かせて海を眺めていた少女は、自身の肩に置かれた手に振り返り、その手の主の言葉に先程まで以上の笑みを浮かべて大きく頷きを返した。

 北回りに航路を取った為、徐々に気温は下がり、海鳥などの姿も疎らになって行く中、メルエの笑みは終始消える事はなく、船は進んで行く。

 

 

 

 数週間の時間を経て、船はエジンベア大陸の東の海を進む。

 スーの村のある大陸を抜け、開拓地の港が見えて来る頃には、祠の牢獄を出てから一か月近くの時間が経過していた。

 夜が明け、太陽が東の空から昇り始めた頃に船は港へ繋がれ、未だに夢の中から抜け切れないメルエの手を引いたリーシャが陸地に足を付けた事で、一行全員の上陸が果たされる。早朝という事で、港の喧騒はなく、離れた一般の港の船も皆静まり返っていた。

 

「来る度に、この港は大きくなっていくな」

 

「そうですね……この場所の知名度も上がり、多くの商船が赴くのでしょうね」

 

 トルドバーグへと向かう道を歩くリーシャは、一般の船が停泊する港を見て言葉を漏らす。それは見たままの真実であり、以前に訪れた時よりも多くの帆が風に靡いていた。

 サラもまた、その光景を眩しげに見上げ、自身の考えを口にする。彼女の言う通り、この場所の知名度が上がれば上がる程、訪れる商人の数は増えて行くのである。その中には、世界で有力な商人もいるであろうし、大きな商団の者もいるであろう。そのような者達が運んで来る荷は、希少価値の高い物なども含まれており、立ち上がったばかりの町には手が出ない物もあるだろうが、それでも町の活性化には大きく貢献する物である事は確かであった。

 

「ようこそトルドバーグへ」

 

「……あ、ああ」

 

 しかし、そんな眩しげに輝いていたリーシャやサラの瞳は、町の入口である門の前で陰りを見せ始める。

 訪れる商人達の運んで来た荷を確かめる門番達の表情に輝きが無いのだ。何かに疲れたようなその表情は、口にする言葉にも表れており、その中に覇気はなく、只の形式的な挨拶と化している。それは以前のような希望に満ち満ちた物ではなかった。

 その門番の表情と言葉に首を傾げるリーシャとサラであったが、メルエだけは門の上に打ち付けられている<魔道士の杖>であった物を見上げて満面の笑みを浮かべている。その後方にいるカミュは、瞳を細め、感情を抑えるように門を潜って行った。

 

「町の喧騒は変わらないな」

 

「はい……門番の人の疲れが溜まっていたのかもしれませんね」

 

 夕暮れ時の町は、人々の喧騒に包まれている。既にこの場所へ移住して来てから数年の時が経過している者もいるだろう。その者達はこの町が暮らす場所であり、生きる場所なのだ。既に自分の町と公言しても笑う者などおらず、そのように長い期間生活をしている者達は、新たに移住を決めた者達と共に発展に寄与している筈であった。

 商人達との商いを終えた店は店仕舞いを始め、食料品などを売る店は、稼ぎ時とばかりに声を張り上げて客を呼び込む。以前に訪れた劇場にも灯りが灯され、夜の仕事の始まりを物語っていた。

 

「トルドの屋敷へ向かう」

 

「…………ん…………」

 

 町を見渡しているリーシャやサラを置いて、カミュは先頭を歩き出す。行く目的地を聞いたメルエは、笑みを浮かべてマントを裾を握った。久しぶりに会うトルドに対し、色々な想いを持っているのだろう。

 嬉しそうに微笑むメルエを見て、リーシャやサラも優しい笑みを溢す。だが、微笑みとは裏腹にメルエの瞼は何度か落ちかけ、その眠気を払うように、手でその瞳を擦っていた。

 

「ここはトルド様のお屋敷だ」

 

「わかっている……カミュという、取り次いでくれ」

 

 トルドの屋敷の前には、以前訪れた時と同様に屈強な男が立っていた。許可のない者は通さないという気構えの元、門へ近づくカミュ達を遮るように言葉を発したが、それに対しての返答を聞いて、先程までの威勢が急速に萎んで行くのが解った。

 対外的には仮面を被り続けるカミュが、このような形で門番と接する事は非常に珍しい。『お前には興味の欠片もない』という事をはっきりと伝えるかのような口調は、屈強な男を黙らせるのに十分な威力を誇っていた。

 自分よりも二回り近く小柄な青年を前に、門番は冷たい汗が背中を流れるのを感じ、その言葉に逆らう事が得策ではない事を悟る。声を出さずに了解の意を示した門番は、そのまま屋敷の中へと入って行った。

 

「……カミュ?」

 

 カミュの背中から感じる不穏な空気を敏感に感じ取ったメルエが首を捻り、それを後方から見ていたリーシャが小さな問いかけを発する。だが、その問いかけにカミュが反応するよりも前に、屋敷の扉が再び開かれた。

 開かれた扉から出て来たのは先程の門番ではなく、彼等が良く知る商人。柔らかな笑みを浮かべた商人の顔を見えた途端、先程まで首を傾げていたメルエの顔も輝くような笑みが浮かんだ。

 以前訪れた時と変わりなく、屋敷に似合わない質素な身なりで現れたトルドは、メルエの頭に手を乗せる為に屈み、四人の来訪を心から喜ぶ。そのままトルドは屋敷の中へと案内し、大広間へと四人を通した。

 

「よく来てくれたね。ドラゴンキラーならば、出来上がっているよ」

 

 大広間の椅子へ四人を座らせたトルドは、歓迎の言葉を口にするのと同時に、広間の壁に掛けられた一本の剣を手に取った。その剣を持って、カミュの前のテーブルの上へと置いたトルドは、そのまま四人の対面の椅子へと腰かける。カミュ達全員の瞳がテーブルの上に乗る一振りの剣へと向けられた。

 カミュ達が持ち込んだ<ドラゴンキラー>という武器からは想像も出来ない程に形を変えた剣は、見る者を魅了する程の輝きを放っている。手に嵌め込むような形で装備する筈だったドラゴンキラーではあるが、テーブルの上に乗るそれは通常の剣と同様に柄と刀身に分かれていた。

 刀身はしっかりとした鞘に収まっているが、長刀と言っても過言ではない長さを持ち、柄の部分には凝った装飾が施されている。<スカイドラゴン>や<スノードラゴン>のような姿形をした龍が、柄に巻き付くように伸び、柄頭でその恐ろしい口を開いている。柄に巻き付いた龍の身体は、握る者の手に合わせるように、滑り止めのような役目を担っているのだろう。

 

「カミュ、抜いてみろ」

 

 その美しい姿に見蕩れていた一行の中で、武器に関して最も理解があるリーシャは、この武器は『勇者』である青年が抜くべきだと考えた。それに頷いたカミュは、龍の身体を手にするように柄を握り、ゆっくりと鞘を引いて行く。

 滑るようにその身を表したドラゴンキラーの刀身は、陽が落ち始めた事によって薄暗くなり始めた大広間を照らし出す程の輝きを放ち、その眩しさにメルエは瞳を閉じてしまった。

 現れた刀身は、申し分のない長さを有しているにも拘らず、その幅や厚みに関しても、一般の<鋼鉄の剣>よりも上位の物となっている。触れるだけで斬れそうな程に鋭く輝く刃は、龍種の鱗さえも容易く斬り裂くと伝えられるに十分な物でもあった。

 

「これ程までの剣に化けるとは……この町の鍛冶職人は相当な腕を持っているのだな」

 

「そうだろう? 何でも、ジパングという国から来た人間らしい。ここは新興の町だからな。個人の趣味や信仰に対する偏見も少ない。数年前に移住して来たが、今ではこの町随一の職人だよ」

 

「ジパングですか!? あの国に何か不満があったのでしょうか?」

 

 カミュが手にする剣の出来栄えに感嘆の声を上げるリーシャに、トルドは得意気に胸を張る。何処か子供じみたその姿に笑みを浮かべそうになっていたサラの顔は、トルドが発した中にあった国名に驚きの物へと瞬時に変化した。

 ジパングという国は、今は新たな国主の元、新たな道を歩み始めたばかりである。そのような国から移住しようと考える者が出て来ているとなれば、それは由々しき問題であり、新たな国主の器を疑われる事になるだろう。サラは、自分より年若い新国主の人柄と優しさ、そしてその器の大きさを知っているだけに、トルドの言葉が信じられなかったのだ。

 

「その男がジパングを出たのは、もう十年近く前の事のようだ。何でも、ジパングはかなり不穏な空気に包まれていたらしく、鍛冶を生業としている友人と共に、家族ぐるみで国外へ逃げたと言っていたな……。途中でその友人と友人の妻とは別れてしまったらしいが、この町の噂を聞いて来たらしい」

 

「……そうですか。今のジパングは、その鍛冶屋さんがいらっしゃった頃とは様変わりしている筈です。新たに若い国主が国を治めており、その治世は素晴らしい物になるでしょう」

 

「そうだな。だがなサラ、その者はもはやこの町の人間なのだろう。望郷の念に駆られているのならば別だが、このような見事な剣を打つのならば、この者の心は定まっている筈だ」

 

 鍛冶屋の身の上話を聞いたサラは納得を示す。その鍛冶屋がジパングを出たのは、<ヤマタノオロチ>という厄災が国を覆い始めた頃なのだろう。その脅威は、一般の人間であれば抗う事など出来ない程の物であり、ヒミコという国主を崇拝する者が多い中、国と共に生きるのではなく、自分の道を切り開こうと考える者がいても何もおかしな事ではないのだ。

 だが、身勝手な言い分ではあるが、サラにとって新たな国主となったイヨという女性は、盟友に近い存在である。異教徒の国と悪名高く、世界地図にも記載されない程の国ではあるが、一国を束ねるに相応しい物を持っている年若い国主は、サラの憧れであり、誇りでもあった。

 そんなサラの想いを知っているリーシャは、意気込むサラを抑えるように微笑み、それを柔らかく制止する。何事も、心が定まらなければ成し得る事など出来ない。それは、物を産み出す者であれば顕著に表れるのだ。その者が生み出す物が素晴らしければ、その者の心は揺れ動いている訳はなく、一つの事に真っ直ぐ向き合っている事を証明しているのだ。

 

「確かに素晴らしい剣だ。代金はどうすれば良い?」

 

「ああ……そうだな、悪いがドラゴンキラーの半額程払って貰えるか? 鍛冶屋にはそれ相応の礼をしたい。いずれは、その剣がドラゴンキラーと呼ばれる事になるように、量産を目指してはいるが、如何せん元々のドラゴンキラーの製造方法が解らないからな」

 

 剣を鞘へと納めたカミュは、自身の要望以上の出来栄えに満足していた。それだけ素晴らしい一品であったのだ。

 ドラゴンキラーという物を持参したとはいえ、龍種の鱗さえも斬り裂くと伝えられる程の刀身を加工し直す作業はかなりの労力を要したであろう。その労力に見合う代金を支払うのは当然の事であり、この出来栄えを考慮に入れれば、その代金が元のドラゴンキラーを越える物であっても、カミュに異存はなかった。

 だが、トルドが口にした言葉に、カミュだけではなくリーシャやサラまでも驚きを露わにする。それは、代金が半額という物ではなく、この剣を量産する計画を持っているという事実にであった。

 

「ドラゴンキラーは、この町の象徴と成り得る程の物だ。あの鍛冶屋がいなければ不可能だろうが、それもまたこの町の名物になるさ」

 

 夢を追うように視線を虚空へと向けたトルドを、リーシャとサラは眩しげに見上げたが、ゴールドをテーブルに置き終えたカミュだけは、静かに目を細める。その瞳は、厳しい光を持ちながらも、何処か哀しいまでの優しさに満ちている事に、視線を動かしたリーシャは気が付いた。

 だが、リーシャには、何故カミュがそのような瞳を向けるのかが解らない。その瞳に込められた感情を把握しているが故に、その感情が何故トルドに向けられるのかが理解出来ないのだ。

 

「おっと、そうだ。もう一つ、アンタ方に渡しておかなければならない物があるんだ。少しここで待っていてくれるか?」

 

「…………むぅ…………」

 

 そんなカミュとリーシャの視線に気付かなかったトルドは思い出したかのように手を打ち、奥の部屋へと向かおうとしたが、その足はここまで一切口を開かなかった幼い少女の唸り声によって停止する。振り返ったトルドは、頬を膨らませながらも目を擦る幼い少女の姿が映った。

 眠そうに目を擦りながらも、自分の相手をしてくれない事にむくれているのだろう。しかし、そんな意地も限界が近いように見えた。

 

「…………メルエ……ねむい…………」

 

「そうか、そうか。もう陽も落ち切ってしまったね。それは明日にしよう。悪いが、明日もう一度、ここに来てくれないか? その時に、渡す事にするよ」

 

「……わかった」

 

 目を擦りながら自身の欲望を口にする少女を誰も咎めはしない。睡眠欲を我慢しなければならないのは、成人を迎えた者だけだからである。メルエのような幼い子供は、眠る事もまた、成長を助ける仕事なのだ。よく食べ、よく眠り、よく遊ぶ。それこそが、この時代に生き延びる子供の鉄則でもあった。

 柔らかな笑みを浮かべて、明日の来訪を願うトルドに向かって頷きを返したカミュは、新たな<ドラゴンキラー>を手にし、大広間の出口へと向かって歩き出す。その後をサラが続き、最早首を落とし始めたメルエを抱き上げたリーシャが最後に歩き始めた。

 玄関まで見送りに出て来たトルドに向かって会釈をしたリーシャとサラは、宿屋に向かって歩き出す中、カミュは怪訝な表情で立っているトルドに向かって静かに口を開く。

 

「……そろそろか?」

 

「ん? そうだな……そろそろそんな時期だな。早ければ、一月後ぐらいだろう」

 

 小さく呟かれたカミュの言葉で全てを察したトルドは、夜の喧騒に包まれ始めた町を一回り見回した後、静かに返答した。その表情を見る限り、彼の中に焦りはない。全てを悟ったようにも、全てを飲み込んだようにも見えるその表情に、カミュは一瞬顔を顰めた。

 トルドという商人にとって、この開拓地での町造りは、既に最終段階に入っているのだろう。自身がやるべき事はやり終えたという想いが無ければ、『人』はこのような表情を浮かべる事はない。それが理解出来るからこそ、そしてその後に起こり得る物が予測出来るからこそ、カミュは柄にもなく言葉を言い淀んでいるのだ。

 

「……命だけは粗末にするな。アンタが死ねば、メルエが悲しむ」

 

「ふふふ……本当に、まさかアンタからそんな言葉を聞くとは思いもしなかった。あははははっ!」

 

 全てを要約したようなカミュの言葉にトルドは呆気に取られた表情を浮かべ、瞬時に小さな笑い声を漏らす。そして、予想もしなかったカミュの言葉に対し、トルドの笑い声は徐々に強まって行き、最後には空を見上げての物となって行った。

 突如上がった笑い声にリーシャとサラは振り返るが、お互いに首を傾げた後、再び宿屋への道を歩き始める。

 いつまでも笑い続けるトルドの前で憮然とした表情を浮かべるカミュは、最後にもう一度表情を引き締め、涙まで流し始めたトルドを睨み付けた。

 

「何かがあった時、抵抗はするな。抵抗しない者にまで凶器を向ける者は、この町にはいない筈だ」

 

「ああ……忠告通りにするよ。これが、俺に出来る最後の仕事だ。しっかりとやり遂げるさ」

 

 涙を拭いながらも表情を改めたトルドは、しっかりと頷きを返す。トルド自身、ここに至るまでのカミュとの会話は、何処か一線を引いていた物であった。だが、最後のカミュの言葉を聞き、この年若い青年が、この町の状況を正確に把握し、尚且つ自分の考えをも理解している事を認めたのだ。

 暗い裏街道に近い場所で生きて来た二人だからこそ、理解出来る事であったのかもしれない。盗賊や海賊が歩む裏街道とは異なり、『人』という種族の心の闇が漂い淀む場所を彼等二人は通って来たのだ。

 最後に頷き合い、カミュは先に行った三人の後を追うように歩き出した。

 

「いらっしゃい。旅の宿屋にようこそ」

 

 宿屋に入ると、愛想の良い男性がカウンターに立っていた。部屋の要望を伝えたカミュは宿賃を支払い、鍵を受け取る。それぞれに鍵を配布し、それぞれの部屋へ皆が入って行った。

 カミュはいつも通りの一人部屋だが、大部屋が開いていなかったため、サラとメルエが一部屋に入り、リーシャが単独の一人部屋となる。既に夢の中へと旅立ったメルエをサラと同室のベッドへ寝かしつけたリーシャは、湯浴みを終えた後でベッドへと入った。

 メルエの小さな寝息を聞きながら、湯浴みで濡れた髪をタオルで拭き取っていたサラは、部屋に付いた小さな窓から夜の闇に支配された町と、暗く広がる空を見上げる。明るく大地を照らす月明かりが小さな窓から差し込み、眠るメルエを優しく包んでいた。

 メルエの髪を一度梳いたサラは、そのままベッドへと入り、眠りに落ちて行く。

 

 

 

 皆が眠りに落ち、宿屋の明かりが全て消え失せる。夜の代名詞でもある劇場の明かりだけが小さく灯る町は静寂に満ちていた。

 劇場の喧騒が遠く聞こえる町の中で、月明かりを覆い隠すように雲が流れて来ている。星々の光は雲の影に隠れ、町の中にも月明かりの届かない影が出来始めて行った。

 そんな中、一人の少女が目を覚ます。昨晩は、いつもより早い睡眠欲に負け、陽が沈み切る前にその瞼を閉じてしまった少女は、闇の支配が終わる前に覚醒を果たしてしまったのだ。ゆっくりと起き上がった少女は、部屋の中を見回すように首を動かし、隣のベッドに姉のように慕う女性が眠っている姿を認めて、安堵の笑みを浮かべる。

 

「…………???…………」

 

 暫しの間は笑みを浮かべたまま呆けていたメルエであったが、何かに気付いたように首を左右に動かし、最後には傾げてしまった。

 何に疑問を感じたのかは解らないが、ベッドから勢い良く降りたメルエは、そのまま壁に付けられた小さな窓の下へと移動する。その場所から窓を見上げ、自分の背が届かない事に眉を下げるが、部屋の中にある木箱を移動し、その上に乗る事で何とか窓の外を覗き込んだ。

 自身の鼻の中程から上の部分しか出ていないメルエにとって、窓の外から見えるのは、動く雲が大好きな月を覆い隠そうとしている姿だけであり、二階部分にある宿屋の部屋では、下の部分で何が起こっているのかまでは全く視認する事が出来なかった。

 しかし、その不穏な空気を、この聡い少女は敏感に感じ取る。

 別段、町が騒がしい訳ではない。

 人々の喧騒が聞こえる訳でもない。

 それでも、この少女の胸は騒ぎ出し、何か言いようのない焦燥感に駆られて行く。

 

「…………サラ………サラ…………」

 

 メルエという幼い少女は、膨大な魔法力を持つ稀代の『魔法使い』である。どのような魔物に対しても対抗出来る程の神秘を生み出す事の出来る才を持ち、どのような劣勢をも覆す事の出来る程の力を持つ者なのだ。だが、それと同時に、感情という『人』として当然の物を持ち始めたばかりの幼い一人の少女でもあった。

 そのような少女が、言いようのない不安に襲われた時、起こす行動は一つしかない。それは、自身が頼りとし、信じている人間に助けを求めるという物。

 木箱から飛び降りたメルエは、ベッドの中で静かに寝息を立てるサラの傍に近寄り、その身体を激しく揺する。激しくとは言っても、メルエの持つ力には限界があり、深い眠りに落ちているサラは容易に目を覚まさなかった。

 これがカミュやリーシャであれば、自分が近づいた時点で目を覚ましてくれると知っているメルエは、不満そうに頬を膨らませてサラを再度揺すり始める。もしかすると、カミュやリーシャであったのならば、メルエが窓へ移動した時点で目を覚まし、声を掛けてくれたかもしれないと考えるメルエは、徐々に強まる揺れに対しても全く目を覚ます様子のないサラに対して怒りさえも感じ始めていた。

 

 夜空には月が浮かび、優しい光を大地へ注いでいるが、暗く寂しい場所で苦しむ者達に救いの道を示すように輝く月は、少しずつ近づく大きな雲にその身を隠されてしまうかもしれない。

 この世の希望を示す月の明かりを遮られた大地は、漆黒の闇に閉ざされるだろう。

 希望に満ちた大地に深い闇が襲い掛かる時、暗く長い夜が始まるのだ。

 

 

 

 




読んで頂き、ありがとうございました。

第十四章の最後を飾る回です。
次話で第十四章は終了となり、いよいよ第十五章へ入ります。
この町の行方を頑張って描いて行きたいと思っています。

ご意見、ご感想を心よりお待ちしております。

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