新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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ネクロゴンドの洞窟②

 

 

 

 一行は次に現れた十字路を当然のように左に折れ、そのまま真っ直ぐ上って行く。洞窟内部は緩やかに上がっており、徐々に上層へと進んでいる事が実感出来た。洞窟内の空気が薄くなっていない事から、何処かに通風口のような穴があるのか、それとも違う場所へと続く出口があるのだろう。

 視界の悪い中を進んだ先へと<たいまつ>を掲げると、少し開けた空間に出た事が解る。細い通路のような場所を一列で歩いていた一行は、魔物の気配を警戒するように横へと広がり、<たいまつ>の灯りが届く範囲を広げて行った。

 

「あれは……剣か?」

 

 そんな中、最後尾に居たリーシャが<たいまつ>を掲げた右方向に不思議な光景が広がっていたのだ。

 人の手が入っていないながらも祭壇のように岩が崩れ、その一段上の岩に何かが突き刺さっている。その祭壇のような場所は、自然に出来たとは考え難い程にしっかりと周囲の岩が砕けてはいるが、何者かが整えたとは思えない程に荒い物であった。

 元々長い年月で作り出された洞窟部分の岩肌を強引にくり貫いたような形の岩に突き刺さった物を見たリーシャは、その形状に相応しい名称を口にする。

 

「とてつもない力を感じますね……」

 

 リーシャの声に視線を移したサラは、その物を目にすると、怯えたように一歩後ろへと下がった。それと同時にメルエもサラの後ろへと隠れてしまい、必然的に前衛二人が取り残される形となる。

 祭壇のように崩れた岩に突き刺さっているのは、間違いなく剣であろう。今現在は、岩に突き刺さっている為、柄の部分と刃の中央付近までしか見えはしないが、<たいまつ>の灯りを受けて輝くその姿は、攻撃の為に使用する金属である事は明白であった。

 柄は細いがしっかりした造りであり、装飾などは皆無であるが眼を引く程の強さを持つ。中腹まで見えている刃は、今打ったばかりのような輝きを放ち、その鋭さはカミュの持つドラゴンキラーを凌ぐほどの物であった。ただ、その刃の色は通常の金属のような鋼鉄色ではなく、真っ赤に燃えるようにも、黄金のように輝くようにも見える。それは、カミュが放つ天の怒りと呼ばれる呪文の色のようにサラには見えていた。

 

「なっ!?」

 

「サラ! メルエとそこで待っていろ!」

 

 剣に惹かれるように近づいたカミュは、<たいまつ>の炎に照らされる事で見えて来た剣の周囲に息を飲む。カミュの変化を敏感に感じ取ったリーシャは、後方から近づいて来ようとするサラとメルエの足を制止させた。

 剣の突き刺さった祭壇のようにくり貫かれた岩の周囲には、それこそ埋め尽くされる程の骨が散乱していたのだ。それは人骨ばかりではなく、魔物のような形をした骨も数多い。総じて言える事は、その骨の中で原型を残している物が少ないという事だろう。

 人骨だけであれば、ここで魔物に襲われたのだとも考えられるが、魔物の骨までもがこれ程の数あると言う事が、その異様さを物語っていた。

 

「カミュ、気をつけろ」

 

「……ああ」

 

 <たいまつ>を掲げたまま周囲を警戒していた二人であったが、魔物の気配がない事で、一歩カミュが前に出る。その行動に警告を放ったリーシャは、援護するようにバトルアックスを手に取った。

 慎重に一歩踏み出したカミュが何の骨だか解らない物を踏み砕く。乾いた音が洞窟内に響き、少し離れた場所に居たサラが眉を顰めた時にそれは起こった。

 

「カミュ様!」

 

 後方から見ていたサラとメルエでしか気付かない場所から、煌く刃が振り抜かれる。<たいまつ>を片手で持っていたカミュは剣を抜いておらず、その咄嗟の叫びに本能で反応した。

 振り抜かれた刃は、カミュが掲げたドラゴンシールドによって防がれ、鱗が軋むような音を立てて弾かれる。踏み出した足を戻したカミュは、態勢を立て直すのと同時に、<たいまつ>を捨てて剣を握り締めた。

 カミュに代わってサラが刃の出所へと<たいまつ>を向けると、そこに居たのは人成らざる者。カタカタと不快な音を立てながら起き上がったのは、周囲に散乱する骨が寄り集まった物であり、何の骨だかも解らない物の寄せ集めは、頭部だけは人型の物となっていた。

 腕は太さも長さも異なる物が六本。その腕全てに錆びた剣が握られており、頭部の人骨は古ぼけた鉄兜を被っている。カタカタと顎を上下に動かしながら迫って来る骸骨に、カミュは一歩引きながらも攻撃の態勢に入っていた。

 

<地獄の騎士>

骸骨剣士と同様の死して尚、剣を手放さない者の成れの果て。騎士としての誇りが自らの死を認める事を許さず、大地を彷徨い続けていた魂が、『魔王バラモス』の魔法力の影響を受けて蘇った亜者である。ネクロゴンド地方という特異性もあり、魔王の魔法力の影響を強く受けた為、その魂の力は増大し、骸骨剣士よりも上位の魔物と化していた。もはや伝説の域へと達していると言っても過言ではないその魔物の姿を見た者は現代にはおらず、魔物の行動や生態なども不明である。ただ、伝承に近い言い伝えでは、この魔物と遭遇した者達は全て、体の自由を奪われたとしか思えない奇妙な状態で死んでいる事が多かったと云う。

 

「ちっ!」

 

 カミュは左から振るわれた剣を盾で防ぎ、その隙に右手でドラゴンキラーを振るうが、その攻撃は地獄の騎士の別の腕にある剣で防がれた。

 勇者一行は、ここまでの旅で数多くの激戦を乗り越えて来ている。如何に伝承でしか伝わっていないような魔物であれ、劣勢に陥る事はない筈である。だが、もはや滅びる肉体もない骨だけの騎士が相手であり、しかも六本もある腕から繰り出される攻撃を、一つの盾と一本の剣で凌ぐのにはかなりの力量を必要とする事には変わりがなかった。

 三本目の腕がカミュへ向かって振るわれた時、後方に控えていたリーシャが前に出る。ドラゴンシールドで攻撃を防いだリーシャは、即座にバトルアックスを振り抜き、地獄の騎士の一本の腕を砕いた。

 

「リーシャさん、横です!」

 

「退け!」

 

 一本の腕を砕き飛ばしたリーシャは、追い討ちを掛けようと斧を振り上げる。しかし、その横合いから振り抜かれた剣を見たサラの悲鳴にも似た声が上がった。

 気付いたリーシャの盾は間に合わず、武器を持つ手を強く引かれた事で、リーシャは後方へと投げ出される。代わりにその剣を受けたのは勇者と呼ばれる青年の盾であった。軋む龍種の鱗が錆びた剣を弾き返し、態勢を立て直す為に後方へと下がろうとした彼に、更なる追撃の魔の手が伸びる。

 先程リーシャによって腕を砕き飛ばされた地獄の騎士が、その空洞しかない口を大きく開き、奇妙な唸り声を上げ始めたのだ。それは、今までの旅で聞いた事のある、魔物特有の呪文詠唱とは異なり、何かを吐き出そうとする魔物の唸り声に似た物であった。

 

「くそっ!」

 

「リーシャさん! 担いででもカミュ様を下がらせてください!」

 

 骨だけとなり、何処にも何かを溜め込む場所などない地獄の騎士の口から、真っ赤に燃え上がるような煙が吐き出される。それをまともに受けてしまったカミュは、大きな舌打ちと共に悪態を口にした。

 真っ赤に染まる煙はカミュの全身を包み、その身体の器官を麻痺させたように停止させて行く。身体の全ての器官が焼き付いてしまったかと思う程の痛みと痺れが全身を覆い、カミュはその場に倒れ伏した。

 状況を即座に判断したサラは、カミュの後方で尻餅を突いていたリーシャに立ち上がるように指示を出す。追撃しようとする地獄の騎士の剣がカミュへと突き下ろされるが、倒れ伏したカミュの足を掴んだリーシャが、その身体を一気に引いた事によって、間一髪で難を逃れる事となった。

 

「キアリク」

 

「おりゃぁぁぁ!」

 

 意識はあっても動く事の出来ないカミュに向かってサラが詠唱を開始する。それは、しびれくらげなどの毒によって麻痺した際の治療呪文であり、メルエの命を救った事のある呪文。カミュの身体の何処にも火傷の痕もない事を確認したサラは、ある種の毒のような物によって、神経自体が焼かれたのではないかと考え、麻痺治療呪文を唱えたのだ。

 柔らかく暖かな光がカミュを包み込み、焼け付いた器官がその機能を回復させて行く。全身の神経や器官が麻痺していたカミュの回復にはそれなりの時間を要する事となり、その間にも近づいて来る一体の地獄の騎士の胸部を、リーシャは思い切り突いて距離を取る事とした。

 

「あの骸骨が吐き出す物には注意して下さい。神経系の呪文ではありませんが、身体の器官を麻痺させる物のようです」

 

「魔法で一掃は出来ないのか?」

 

 回復して行くカミュと、戻って来たリーシャに注意を促したサラは、逆に問いかけられたリーシャの疑問に首を振る。

 骨だけとなった物へ灼熱呪文を唱えても効果は余り期待出来ないだろう。更に言えば、この場所で最強の灼熱呪文であるベギラゴンをメルエが唱えれば、狭い空間の空気は一気に失われ、最悪カミュ達も焼け死んでしまう事になる。

 メルエが最も得意とする氷結系呪文であっても、骨のみの魔物を一掃する事は難しいかもしれない。元々肉体を持たない骨だけの存在である地獄の騎士を凍らせたとしても、その魂まで昇華出来るかどうかは定かではないからだ。活動を停止させる事は出来るだろう。この地下洞窟の気温であれば、氷が解けるまで時間がかかると考える事が出来るが、サラとしては自信を持って応える事は出来なかった。

 残るは、イオ系のような爆発呪文となるのだが、メルエやサラ、そしてカミュも詠唱出来る中級呪文であるイオラ一撃では、地獄の騎士二体を一掃出来るかどうかは怪しい。連発すれば洞窟自体が持つかどうかも解らず、万が一にも洞窟が崩れ始めれば、カミュ達一行は生き埋めになってしまう可能性さえもあるのだ。

 

「来るぞ」

 

 回復が終わり、立ち上がったカミュが再び剣を握る。サラとリーシャは神妙な顔をしているが、カミュは再び剣を構えて、離れた地獄の騎士と向き合った。

 <焼けつく息>という人間にとって脅威となる攻撃以外は、骸骨剣士と大差はない。ここまでの旅で何度も強敵と戦って来たカミュ達が遅れを取るような相手ではなく、十分に注意を払えば、恐れるような相手ではない。それが理解出来たリーシャもバトルアックスを構え直し、前線へと足を踏み出した。

 

「え? きゃぁぁぁ!」

 

 しかし、そんな二人に地獄の騎士が吐き出す息への注意を促そうとしたサラは、突如響き渡った強烈な音と風によって、後方へ弾き飛ばされる。前線に出ていた二人は、即座に盾を掲げる事によって、その衝撃と熱を防ぎはしたが、立ち上がっていたサラは、襲い掛かる熱風を受け、メルエの足元まで転がった。

 自身の身体の状況を確認するよりも早くに前方へと視線を戻したサラは、その場に広がる光景に絶句する。

 

「カミュ、下がるぞ!」

 

 盾の隙間から前方を確認したリーシャは、カミュの腕を取って後方へと飛ぶ。そして、それを待っていたかのように、再び大きな破裂音と共に熱風が襲い掛かって来た。

 破裂音はカミュ達よりも前にいる地獄の騎士を中心に発しており、それはこのパーティーの内、三人が行使出来る爆発呪文に酷似した音と効果を発揮している。地獄の騎士の前後の空気が歪み、それが圧縮された途端に弾けるという物。

 

「メ、メルエ?」

 

「…………むぅ………メルエ……じゃない…………」

 

 その爆発がイオラだと感じたサラは、自分の後ろで杖を掲げているメルエへ視線を送る。だが、その咎めるような視線を受けた少女は、不満を露にし、何度も首を横へと振った。この場所で爆発呪文を行使する事をしなかったのは、メルエの中でジパングでの出来事が残っているからなのだろう。故にこそ、それでも自分を疑うサラに対して、怒りに似た感情を持ってしまったのだ。

 だが、それであれば誰が行使しているというのか。サラは自分が行使していない事を誰よりも知っているし、前線に出たカミュの身体が爆風によって僅かに傷ついている事から、彼でもない事が解る。既に二体の地獄の騎士の身体は上半身が粉々に弾け飛んでおり、それでも下半身が僅かに動いている事で、活動が停止していない事が微かに解る程度の物となっていた。

 

「あっ!」

 

 微かに動く地獄の騎士の下半身が、自分を攻撃して来た者の方向へと動いた時、サラは驚きの声を上げる。それはカミュやリーシャも同様であり、驚いた分、盾を掲げる一瞬が遅れてしまった。

 サラがメルエを庇うように覆い被さり、リーシャよりも復活が一歩早かったカミュが最前線で盾を掲げる。それを待っていたかのように、先程カミュ達が目にした一本の剣の刀身が輝き、巨大な爆発音が洞窟を包み込んだ。

 空気が歪み、圧縮し、そして弾ける。微かに残っていた地獄の騎士の下半身は、最後の爆発に耐える事は出来ず、木っ端微塵に砕け散る。洞窟が揺れ、天井から小岩が降り注いで来た。

 

「メルエ、大丈夫ですか?」

 

「…………ん………サラ……痛い…………?」

 

 メルエの上から身体を退けたサラの顔と手には火傷の痕が残っている。それを目にしたメルエの眉は下がり、その部分に翳すように手を動かした。だが、この幼い少女は『魔法使い』であり、『僧侶』でも『賢者』でもない。回復呪文は行使出来ず、自らの魔法力を使って他者を癒す事は出来ないのだ。

 その事を彼女は悔しく思っているのだろう。自分の手から淡い緑色の光が出ない事に眉を下げ、悔しそうに唇を噛む。そんな少女の姿に、サラはにこやかに微笑み、自分自身で回復呪文を唱え始めた。

 

「この場所の地形は、あの剣が造り出したものなのか……」

 

「あの剣の付加効果がイオラなのだろう。まさか、剣自体が自らを護る動きをするとは思わなかったが」

 

 メルエの頭に手を乗せていたサラは、前方でリーシャの傷に回復呪文を唱えながら語るカミュの言葉を聞き、ようやく今までの出来事の全てが繋がったような気がした。

 あの剣は、このような場所にあるのが不思議な程の高価な物なのだろう。神代の剣と言っても過言ではない程の武器であり、その内には力強い能力を秘めていると考えられる。その能力とは、メルエの持っていた『魔道士の杖』や、今所有している『雷の杖』、そしてジパングの至宝である『草薙剣』のように何らかの呪文と同等の効力を持つ物である事は間違いがない。

 イオラと似た効果を生み出す能力を持った剣は、この洞窟の岩壁の奥に封印されていたか、それとも埋まっていたかしたのだろう。それを何者かが掘り起こしたのか、それとも自然に一部が表に出てしまったかは解らないが、強引にそれを引き抜こうとした者がいた筈である。

 メルエの『雷の杖』、カミュの『草薙剣』、リーシャの『大地の鎧』のような神代の物は、その武器や防具自身に意思があるかのように、主となる者を選ぶ事がある。この剣もまた、主となり得る者以外の手に渡る事を拒み、それを退ける為に能力を行使していたのだとしたら、この自然に出来上がった祭壇のような場所も理解出来るという物であった。

 

「カミュ様、リーシャさん。流石にあの剣を手に入れる事は諦めた方が良いのでは? もし主として認識されなければ、先程のようにイオラを直接打ち込まれますよ」

 

 現状を理解出来たサラは、それでも近づこうとするカミュとリーシャに向かって注意勧告を促す。確かに、もしカミュやリーシャがあの剣の主と認められなければ、既に破片として散らばっている地獄の騎士と同様の末路を歩む事となるだろう。サラの腰元にしがみ付いているメルエもまた、同様の想いを持っているようで、カミュやリーシャを心配そうな瞳で見つめていた。

 だが、当のカミュとリーシャは、お互いの顔を見比べ、一つ頷きを返した後、並んで剣へと近づいて行く。思わず息を飲んだサラではあったが、カミュとリーシャが同じ行動を起こす事は珍しく、それを止める手段を持ち合わせてはいなかった。

 

「あの剣は、何故かお前を呼んでいるような気がするんだ」

 

「いや、俺にはアンタを呼んでいるような気がするが……」

 

 岩に突き刺さった剣に手が届く程の距離まで近づいても、その剣が再び輝きを放つ事はなく、巨大な爆発音も、焦がすような熱風も起こる様子はない。それに安堵を浮かべたサラであったが、その先で話し合う二人の会話に首を傾げた。

 『何故、自分を呼んでいる気がしていないのに、あの二人は自ら近づいたのか?』と思うのと同時に、『それは二人を呼んでいるという事ではないのか?』という、何処か予感めいた物さえも浮かんで来る。それは、二人が剣へ手を伸ばした事によって確信に変わった。

 

「抜けるか?」

 

「ああ、問題ない」

 

 カミュが伸ばした手はしっかりと剣の柄を握り込み、そのまま問題なく引き抜き始める。おそらくここ数十年以上、もしかすると数百年かもしれないが、いずれにしても誰も触れる事のなかった柄へ触れ、それを引き抜いた者がその所有者となる資格を持つ事だけは確かであろう。

 台座のような岩から徐々に姿を現し始めた刀身は、一行がこれまで目にしたどんな剣よりも異質なものであり、反り上がった刀身の幅は太く、真っ赤に燃え上がるように赤く染まっている。赤く染まった刀身には、稲光のように輝く亀裂が浮き出ており、それがカミュの放つライデインによって起こる稲妻に良く似た姿に映った。

 

「凄まじい力を有した剣だな」

 

 カミュから剣を受け取ったリーシャはそれを何度か振り、その内に秘められた大きな力を肌で感じる事となる。吸い付くような柄からは、刀身に込められた力が流れ込んで来るような錯覚に陥る程の物。掲げて見れば、闇しかない洞窟の中でも光が差すような輝きに満ちており、手にした者の心までも魅了する力を宿していた。

 だが、その刀身はドラゴンキラー等とは異なり、反りが深い。更に刀身の幅も大きく、剣先の背は二股に分かれた部分も存在し、とても鞘に収める事など出来はしないものである事が解る。裸の状態で岩に突き刺さっていた事も頷ける一品であった。

 

「カミュ、この剣はお前が持て」

 

「……わかった。ならば、アンタはこのドラゴンキラーを使え」

 

 何度か素振りをしていたリーシャであったが、それをカミュの手に返すと、その使用者を定める。リーシャの持つバトルアックスの劣化が激しい為、サラはその剣の持ち主は、この最強の戦士になるだろうと考えていた。だが、それは当の本人によって否定され、それに同意したカミュが鞘ごと剣を背中から取り外した事で決定事項となる。

 若干驚きを表したリーシャであったが、カミュから受け取った剣を腰に下げ、先程まで手にしていた斧を愛おし気に一撫でした。スーの村で購入してから二年近くも共にして来た武器である。丁寧に使い続けたリーシャにとっては、宝物に近い物であろう。

 

「剣を使うのは本当に久しぶりだな……暫くは感覚を取り戻す為にも、この斧も持って行こうと思うが、良いだろうか?」

 

「……好きにしろ」

 

 リーシャの武器は、アリアハンを出てから三度変化している。

 アリアハンから持ち出した物は、宮廷騎士に支給される量産型の鉄の剣。切れ味は鋭くは無く、リーシャの丁寧な手入れによって何とか斬るという行為が出来た程度の武器。そして、その武器はカザーブの村で購入した鋼鉄の剣に取って代わった。

 リーシャの武器が剣であったのはここまでである。その後、アッサラームで購入した鉄の斧は、長くその身を護るばかりか、彼女の大切な仲間達の命をも護り、強大な敵であるヤマタノオロチという龍種の身体さえも斬り裂いた。

 その鉄の斧も、龍種の鱗と斬り合うという無理が祟り、スーの村で購入したバトルアックスという斧に変わる。この戦闘用に改良が施された斧が、リーシャの最強武器であったのだ。

 その斧で数多くの魔物を葬り、何度と無くサラとメルエを救って来た。少し前のガメゴンロードの戦闘では、メルエの放ったメラミを一刀両断したのもこのバトルアックスである。一心同体と言っても過言ではない程に馴染んだ斧という武器は、既にリーシャという戦士の象徴とも言える物だったのかもしれない。

 

「…………リーシャの……おの………すごい…………?」

 

「ん? そうだな、凄いぞ。メルエを『魔法使い』にしてくれた魔道士の杖と同じぐらいに凄い。だからこそ、もうそろそろ休ませてやらないとな」

 

 何時の間にかリーシャの足元へ移動していたメルエが、斧を見上げるように言葉を発する。それは、メルエという幼い少女を育てた一つの杖が終焉を迎えた時に、リーシャが語った内容であった。彼女は、自分と同じように、リーシャが武器を大事に思っている事を感じていたのだろう。間髪入れずに胸を張って答えたリーシャの言葉に笑みを浮かべて大きく頷きを返した。

 そんなメルエの頭を優しく撫でたリーシャは、再びバトルアックスを背中に結びつけ、<たいまつ>を拾い上げる。周囲を改めて照らして見れば、数多くの骨と共に、新しい魔物の死骸も散乱している。おそらく、あの剣の餌食となったのだろう。中にはガメゴンロードのような死骸もあり、マホカンタなどで反射しても、対象が剣であればそれ程の被害は無く、際限なく連発されるイオラによって命を落としたのだと考えられた。

 

「まるで、カミュ様の放つライデインのような剣ですね」

 

「『稲妻の剣』とでも言うのかもしれないな」

 

<稲妻の剣>

神代の時代から存在する剣である。人間など地上には存在する以前に神々が使用していた剣と伝えられていた。その刀身は神々の怒りを象徴するような輝きを放ち、幾筋もの稲光が走ったような模様が施されている。世界に多くの種族が存在し始めた頃に地上へと落ち、その輝きと、雷が落ちた時と同じような現象を起こすその剣を、畏怖も込めて『稲妻の剣』と呼ばれる事となった。一度振るえば大地を割り、海を割る。再び振るえば地上を破壊するような稲妻を落とすと云われ、長らく神が持つ武器として崇められて来たが、人間がこの地上で活動を始める頃になると、その姿を現す事はなくなり、伝承のみを残す形となった。そして、何時しか誰も知り得る事の無い、忘れられた遺産となって行くのだ。

 

 刀身を裸で持ち歩く事は出来ず、カミュは持っていた汚れた布を引き千切り、刀身に巻いて行く事によってそれを隠した。そのまま背中へと結びつけたカミュは、そのまま奥へと進む為に歩き始める。リーシャの手を握ったメルエが歩き始め、その後をサラが追って歩き出す。ネクロゴンドの洞窟の深部へと向かい始めた一行は、順調に歩み始めていた。

 

 

 

「酷い臭いだな……」

 

「死臭か……」

 

 稲妻の剣があった場所から更に上がった場所にある十字路を右に折れた一行であったが、そのまま進んだ先にあった二又の分かれ道に漂う臭いに全員が顔を顰める事となる。洞窟内を吹き抜ける風は無く、ほぼ無風状態にも拘わらずに漂う臭いという物は、異常以外の何物でもない。リーシャが不快感を露にし、カミュがその臭いの事実を口にした。

 漂う不快な臭いは、この旅で何度も嗅いだ事のある物であり、何度も目にした物でもある。それは生き物が死んだ後に漂う物であり、死した生物の持つ肉体が徐々に朽ちて行く時に放つ物でもあった。

 

「…………むぅ…………」

 

 不快感を露にするメルエではあったが、この場所で呪文を詠唱する事はない。腐乱死体が出て来る訳でもなく、誰かが襲われている訳ではない以上、彼女に何かをする必要性が無いのだろう。

 腐った死体や毒毒ゾンビなどの腐乱死体は、元々は生ある人間である。何らかの原因で死亡した人間がこの世に未練を残し、漂う魔王の魔法力の影響で彷徨い続ける事になった魔物なのだ。故に、このネクロゴンドの洞窟のように未開の地では人間自体が存在せず、たまたま入り込んだ数少ない人間は、肉体を残す事無く魔物の餌となる。

 ここまでの道中で新しい焚き火の跡や、火を熾した跡など無い以上、少なくともここ数年以上は誰もこの場所に足を踏み入れていないという事になる。それならば、この真新しい死臭は人間のものではないと推測出来た。

 

「アンタはこの分かれ道は、どちらに行くべきだと思う?」

 

「……死臭が漂う方角だな」

 

 死臭が漂って来る方角は直進する場所である。もう一つは左に折れる方角であり、いつものような様子で尋ねるカミュの問いかけに、リーシャは神妙そうな表情で答えた。

 しかし、神妙そうなリーシャとは異なり、カミュとサラは明らかな安堵の溜息を吐き出す。それを不思議そうに見つめるメルエの表情は、不快な臭いによって歪んでいた。自分がかなり深刻に考えているにも拘わらず、何故か安堵する二人を見たリーシャもまた、不思議そうに二人を見る事となる。

 

「だが、カミュ……死臭が漂うからという訳ではないが、何故か私はあそこに行きたくないな」

 

「なに?」

 

 しかし、そんなカミュの表情もまた、続けられたリーシャの言葉に歪んで行く。二方向しかない道のどちらへも行きたくないと彼女は言うのだ。これまでこのような事はなかった筈であり、必ずどちらかの道を指し示して来ていた。それにも拘らず、今回はこの場所から出来れば動きたくはないとはっきり口にしている。

 最初に直進を示した以上、この二又の分かれ道は、左方向が次の階層へ繋がる道である可能性は高い。だが、彼女がここまで明確に拒絶するという事は、直進した先にも何かが存在する可能性があるのだろう。故にこそ、カミュは迷った。

 

「カミュ様、行ってみましょう。万が一ですが、魔物に襲われている者がいるのかもしれませんし、逆に魔物が何かに襲われているのかもしれません」

 

 悩むカミュに道を示したのは、先程彼と同様に安堵していた『賢者』であった。

 彼女はこの死臭の元が何かを知るべきだと説いている。人間が魔物に襲われているのかもしれないし、人間以外の種族が魔物に襲われているのかもしれないと。それは、『人』を護る者としてある『賢者』という存在であれば当然のものであろう。

 だが、同時に彼女はこうも言った。

 『魔物が何かに襲われているのかもしれない』と。

 それは、人間という種族であれば考慮に入れる必要はなく、むしろ喜ぶべき事だろう。絶対悪と考えられている魔物が襲撃されているのだとすれば、弱い立場である人間としては喜ぶべきものというのが通常の考えであるからだ。

 だが、サラの瞳を見る限り、そのような感情は見えない。むしろ、その場合は魔物であっても救うべきだという強い意思さえも感じられる。それは人間としては異端な考えであり、『賢者』としても稀な物なのかもしれない。

 それでも、彼女が強い意志をぶつけた相手である『勇者』は、しっかりと頷きを返した。

 

「メルエ、私の後ろに。呪文の詠唱は私の指示に従って下さいね」

 

「…………むぅ…………」

 

 カミュが頷いた事によって、このパーティーの行動は決まる。どれ程に自分達の意見を述べたとしても、最終的な判断を下すのは彼である事を、彼女達全員が理解しているのだ。

 不満そうに頷くメルエの手を引いたサラが最後尾を歩き、先頭のカミュが持つ<たいまつ>の灯りが、奥の空間を少しずつ照らして行く。その後ろに続くリーシャの<たいまつ>とサラの持つ<たいまつ>の灯りが狭い空間を照らし出す時、彼女達はその場に広がる光景に言葉を失った。

 

「うぐっ……」

 

「…………むぅ…………」

 

 その場に広がる光景と、噎せ返るほどの死臭にサラは口元を押さえ、その手を握るメルエは不快そうに顔を歪めながらサラの腰元へとしがみ付く。カミュやリーシャであっても、その凄惨な光景に眉を顰めて行った。

 そこは、正に地獄絵図と言える光景が広がっていたのだ。

 周囲には所狭しと死骸が転がり、その死骸は古い物の上に新しい物が重なるように積み上がっている。どの死骸も原型が解らないほどに切り刻まれており、夥しい程の体液が洞窟の床を満たしていた。

 古い死骸は腐乱が進み、奇妙な虫が這い回っている。乾いた体液が異臭を放ち、足元はぬめりを持っていた。

 

「サラ、メルエを連れて一度外へ出ろ」

 

「え? あ、はい。解りました」

 

 周囲に<たいまつ>を掲げたリーシャはその光景を見て、後方のサラにメルエを連れ出す指示を出す。どれ程に魔物を葬って来たカミュやリーシャであっても、この場所の光景は凄惨を極めていたのだ。幼い少女であるメルエが見るような光景でもなく、その少女の心に刻ませる光景でもない。命という重みを理解し始めている彼女に、この光景は重過ぎると判断したのだった。

 しかし、サラがメルエの手を引いて元の場所へ戻ろうと振り返った時、その奇声は狭い空間に轟く。テドンの名産である絹を裂くような奇声は、魔物が折り重なった一つの場所から響き、その場所で立ち上がったミニデーモンと思われる魔物がある方向へ向かって武器を掲げて突進した。

 

「あれは……鎧か?」

 

 先程、稲妻の剣を発見した時と全く同様の言葉を口にしたのはリーシャである。彼女の持つ<たいまつ>の炎がミニデーモンの向かった場所へと動き、その先に鎮座する一つの防具を照らし出したのだ。

 それは武具に精通するリーシャでさえも疑問に思う形状をした防具。鎧と呼ぶには余りにも無骨であり、余りにも凶悪な姿をしている。胴体はそれ程に奇妙な所はなく、胸部には十字の紋章が記されていた。腰回りまで覆うように造られており、その防御力が高い事が伺える。だが、最も異質なのがその肩当部分であった。

 両肩にある肩当からは、鋭い刃が伸び、まるで武器をそこに納めているかのように怪しい輝きを放っている。その刃の鋭さは、世に出回っている鋼鉄の剣などとは比べ物にならず、それこそ先程入手したばかりの稲妻の剣と同等の神代の剣と言っても過言ではなかった。

 

「キシャァァァ!」

 

 その鎧が収まっている場所もまた、稲妻の剣があったような岩肌で出来た台座のようなものである。ただ、先程と異なるのは、その台座が爆発などの破壊によって出来上がったものではないだろうと言う事。まるで鋭利な何かで斬り整えられたかのように綺麗な断面を作っていたのだ。

 そして、その理由は、先程のミニデーモンの持つ三又の槍が鎧に触れたと同時に判明される。

 槍が触れた瞬間、眩い輝きを放った鎧は、揺らぐ事無く鋭利な刃を生み出した。その刃は、決して魔法力によって生み出された真空の刃などではない。金属製の刃としか表現出来ない刃物が、その鎧から生み出され、攻撃を繰り出したばかりのミニデーモンへと襲い掛かって行ったのだ。

 斬り刻まれるミニデーモンの身体は、既に数える事が出来ない程の傷を負っており、最後の一太刀が魔物の身体をすり抜けると同時に、上半身と下半身は真っ二つに斬り分けられてしまった。

 

「……すごい」

 

 再び魔物の死臭だけが漂う静寂さが広がり、その光景を目にしたサラが思わず言葉を漏らしてしまう。稲妻の剣といい、この鎧といい、魔物にとってこれがどれ程の物であるのかは解らないが、それでもこれだけの数の魔物を高々一防具が駆逐してしまう事に、サラは呆然となるより他なかった。

 この鎧を人間が着ていれば、集団で襲い掛かって来た魔物によって中の人間だけが死を迎えてしまうだろう。それでも鎧には傷一つつかず、主を殺した魔物を滅ぼすまで、その攻撃を停止しないのかもしれない。稲妻の剣は、近づいて来た者が主でなければ攻撃を繰り出すが、この鎧は攻撃を受けたと同時に発動した事を考えると、サラの考えが的外れな訳ではない事が解る。

 

「あの鎧も手にするのか?」

 

「触れた瞬間に斬り刻まれる可能性は捨てきれないな」

 

 稲妻の剣の時とは異なり、リーシャもカミュも余り積極的ではない。触れれば斬れるという物は、防具としての優秀さよりも、危険性を多く孕んでいるのである。そもそも、その鎧を装着する際に斬られるかもしれないし、その鎧に触れた者を見境なく攻撃するならば、それを装備した者に触れる事さえも出来なくなるのだ。

 だが、防具としての性能の高さは、ミニデーモンの槍を受けても傷一つない事で証明されている。ネクロゴンドの洞窟へ入り、魔物の強さが段違いになっている事を実感している一行にとって、入手したい防具である事も確かであった。

 

「……行って来る。外で待っていてくれ」

 

「盾を掲げて行けよ」

 

 暫く逡巡していたカミュであったが、意を決したように鎧へと近づいて行く。その背に声を掛けたリーシャは、サラとメルエを伴って先程の分かれ道まで戻るため、異臭が立ち込める空間を後にした。

 そのまま分かれ道へ戻ったリーシャは腕を組んでカミュを待ち、サラは何やらメルエと話を始める。サラの言葉に小さな頷きを返したメルエは、カミュが出て来るであろう入り口に向かって雷の杖を掲げた。

 

「無事に手に入れられたようだな」

 

「そうですね……ではメルエ、ベギラゴンを」

 

「…………ん………ベギラゴン…………」

 

 鎧を手に持ったカミュが出て来た事で、サラがメルエへと指示を出し、それを受けた少女は杖を振るって呪文の詠唱を完成させる。杖の先のオブジェの口から吐き出された凄まじいまでの火炎は、そのまま入り口を抜けて奥の空間に着弾した。

 凄まじい轟音を響かせて燃え上がる炎は、入り口の奥を真っ赤に染め上げ、その熱風が一行へと襲い掛かる。その瞬間、サラは右手を掲げ、彼女が持つ最高位の氷結呪文を唱えた。

 ヒャダインの冷気が押し寄せる熱風を防ぎ、一行の身を護る。メルエのベギラゴンの火炎を押し返す事や、その炎を鎮火する事など出来はしないが、余波の熱風程度であれば十分に相殺出来るものなのだ。

 

「カミュ、その鎧は着る事が出来そうか?」

 

「触れた程度では斬れる事はないようだ。この鎧が、どこから攻撃と認識するのかは不透明だな」

 

 魔物の死骸を焼き払い、その身を昇華させたメルエは、リーシャの横から鎧を覗き込み、奇妙なその形に首を傾げる。そんなメルエの頭に手を乗せながら、装備が可能なものかどうか尋ねるリーシャの表情は、何処か不安を滲ませるものであった。

 カミュ自身も、この鎧に只ならぬ力を感じてはいたが、それが何であるのかを理解出来ない為、どうしても装備する事を躊躇っている節がある。それは人間としてではなく、生物としての本能から来る恐怖が原因であるのかもしれない。

 そんな二人の不確かな不安は、最後に現れたサラの口から明確にされた。

 

「この世界には、呪われた武具があると聞いた事があります。その武具を装備した者は呪われ、自身の意思を剥奪されてしまうという事でした。それらの呪いを解く事が出来るのは教会でも最上位に入る者だけで、その呪文もまた、ルビス様の祝福を受けた者しか契約が出来ないと云われています」

 

「呪いの鎧か……」

 

 武器や防具には、多くの怨念や無念を帯びて放置される物もある。そういった物は、その負の念に引き摺り込まれ、それを装備した者を呪縛する事もあった。呪いによって縛られた者は、己の意思を失い、武具に宿った怨念の手先となってしまう。錯乱したように仲間を攻撃する事もあるし、自傷行為に走る事もある。最悪なものは、装備した途端に命を落とすという物もあると云われていた。

 この鎧がそうであるとは限らないが、呪いの武具はその雰囲気以外には判別する事は出来ず、装備して初めて呪われた武具である事が解る場合が多い。それは、解呪の方法がない場合には命取りとなる事を示していた。

 

「サラは唱えられるのか?」

 

「正直に言えば、これは『経典』に記載された呪文ではなく、『魔道書』に記載された物なのです。本来は僧侶の呪文ではなく、魔法使いが行使する呪文。『裏魔道書』と呼ばれ、国家の管理下に置かれた場所に安置されています」

 

「……裏魔道書?」

 

 サラが呪いを解く呪文を行使出来るのかどうかを問いかけた筈のリーシャであったが、その答えは彼女の想像の斜め上を行っていた。初めて聞くその存在に目を見開いたリーシャは、カミュへと視線を送るが、静かに首を横に振られた事で、彼もその存在を知らないと言う事を理解する。

 『魔道書』に記載された呪文を行使出来るという事は、修練を積んだ司祭のような存在は、『賢者』に近いものになっているとさえ考えられる。ならば、サラのような可能性を秘めた者が世界には数多くいたと言う事になるのだ。

 

「『経典』と『魔道書』へと分けた際に、記載を間違えたという説もありますが、実際のところは定かではありません。宮廷魔術師と呼ばれる程に高位の魔法使いでも、この呪文を行使出来ない者は多く、本来であれば『経典』に記載されるべき呪文という説が有力です」

 

「…………メルエ………できる…………」

 

「なに!?」

 

 サラの話を聞く限り、限られた者だけしか閲覧出来ない物である事が解り、それならばここにそれを行使出来る人間がいない事が予想されていたのだが、突然横から飛び出した自慢気な声にリーシャは驚愕する。そんなリーシャの姿が面白かったのか、いつも以上に胸を張って誇らしげに立つメルエの姿に、サラは小さな微笑を浮かべた。

 『魔道書』の呪文であれば、メルエが行使出来る事は不思議ではないが、国家で管理されているような書物をどうやって閲覧したのかが解らない。故に、リーシャと同じようにカミュも首を傾げる事となる。

 そんな二人の姿が不満なのか、頬を膨らませたメルエは雷の杖を掲げた。

 

「ふふふ。メルエ、今その呪文を唱えても効果は現れませんから意味がありませんよ」

 

「…………むぅ…………」

 

 自分が行使出来る事を見せようとしていたメルエをやんわりと止めたサラは微笑を崩さず、むくれるメルエの背中を優しく撫でる。確かに解呪の呪文であれば、呪われた者がいなくてはその効果を実感する事など出来はしないだろう。

 完全に話から置いて行かれてしまったカミュとリーシャは、二人の顔を交互に見る事ぐらいしか出来なかった。

 

「申し訳ありません。そういう武具もある事をお話したかっただけです。実は『悟りの書』にも記載されていましたし、私も既に契約だけは済ませてあります。ただ、カミュ様であっても、リーシャさんであっても、呪われたお二人を私とメルエで何とかする事は難しいですので、呪われる時は一人ずつにして下さい」

 

「……一人ずつ……」

 

「いや、サラ……私達が呪われる事は確定事項なのか?」

 

 悪戯が成功したような笑みを浮かべたサラは、メルエと共に柔らかな空気を醸し出す。ネクロゴンドという未開の土地で魔物達と戦う者達の会話とは思えない空気に、カミュは呆れた様な表情を浮かべ、リーシャは何かに諦めた溜息を吐き出した。

 その後、誰がこの鎧を着てみるかという事になるが、リーシャは大地の鎧がある事を理由に拒否した事によって必然的にカミュの装備品となる。肩当の部分に手が掛からないように鎧を着たカミュは、自分の意思が今もまだ残っている事に人知れず安堵する事となる。

 自分の身体に吸い付くように馴染んだ鎧は、刃のような鋭さを持ちながらも、その主と周囲の者を護るように静かな輝きを放っていた。

 

「メルエ、今度からカミュに不用意に近づいてはいけないぞ。いつ何時、あの刃がメルエに向かって飛んで来るか解らない」

 

「…………むぅ…………」

 

 いつもの意趣返しとも取れるようなリーシャの言葉に、メルエは不満そうにうなり声を上げる。この幼い少女にとって、それだけカミュという人物は大事な存在なのだろう。いつでも共に居たいと思うし、いつでも傍に居て欲しいと願う。自分を常に護ってくれる保護者の傍に寄れないという事は、メルエにとって苦痛でしかないのだ。

 そんな不満そうなメルエの頭をカミュが優しく撫でる。気持ち良さそうに目を細めていた彼女は、リーシャの言葉のように鎧が自分を攻撃して来ない事に花咲くような笑みを浮かべた。

 

<刃の鎧>

神代から伝わる鎧の一つ。神同士が争っていた時代に使用されていた鎧という言い伝えもある。研ぎ澄まされた金属は、その身に攻撃を受けると、刃を生み出して反撃をするという神秘を起こす。真空の刃でもない、金属そのものの刃は、攻撃を仕掛けて来た者の身体を斬り刻むように攻撃を繰り返すと云う。ただ、それを身に纏った主との絆が反撃の成功率に左右するという噂もある。主であった神の死によって地上へと落とされたこの鎧は、長い時間を地底で過ごし、新たな主の到来を待っているという伝承が伝わっていた。

 

「よし、先へ進むか!」

 

「はい!」

 

 メルエの笑顔を見たリーシャが号令を上げる。それに呼応するようにサラも声を上げ、<たいまつ>の炎を拾い上げて前を歩き出した。

 メルエもまた、小さな手でマントの裾を握って、カミュを促しながら洞窟を上り始める。屈強な鎧を纏う事となった『勇者』は新たな剣を背中に背負って歩き出した。

 神代の武具を手に入れた『勇者』達は、ネクロゴンドという未開の地の最深部へと向かって突き進む。誰も手に入れた事のない武器を持ち、誰も手にした事のない防具を纏った彼等が向かう場所は、誰も成し遂げた事のない偉業への道なのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 




読んで頂きありがとうございました。

少し早めの更新になりましたが、次話は少し遅くなるかもしれません。
頑張って描いて行きます。
ご意見、ご感想を心よりお待ちしております。

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