新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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ネクロゴンドの洞窟③

 

 

 

 カミュ達は、緩やかに上る坂道を上り、再び周囲が岩壁に囲まれた場所へと出ていた。天井となる岩盤までの距離はあり、歩く事に不自由はない。更に上層へと入った事は洞窟内の気温が全く異なる事で理解出来た。

 洞窟内の闇は、下の階層よりも更に強くなっており、頼りなく燃える<たいまつ>のみが、彼等の道を指し示す道標となる。ここまでの道程の中で魔物と遭遇する事はなく、稲妻の剣や刃の鎧があった場所で多くの魔物が命を落としていた事が窺えた。

 

「……どっちだ?」

 

「また私に聞くのか? どっちに行っても変わりないとは思うが、強いて言うなら左だな」

 

 最早諦めの境地に達したのか、リーシャは激昂する事無く道を示す。それに対して大きく頷きを返したカミュは、そのまま直進の道を選んで歩き出した。

 深い溜息を吐き出したリーシャを見たサラは柔らかい笑みを浮かべ、その顔を見たメルエも花咲くような笑みを浮かべる。<たいまつ>の炎に照らされているとはいえ、表情の変化が解り辛い中でも、その場の雰囲気が柔らかくなった事だけは誰しもが感じていた。

 そのまま直進した先にあった分かれ道も更に直進していた先頭のカミュが突如立ち止まる。一寸先が闇の状態で歩いていた一行であったが、カミュが足を止めた事に気付いたサラが他の二人へ注意を促し、カミュの横へと寄って行った。

 

「それ以上進むな」

 

「え!?」

 

 一歩前に出ようとしたサラの体を、カミュが静止する。理由の解らないサラではあったが、予想以上に力強い手で止められた事で、自分の足元へ視線を送り、そのまま硬直してしまった。

 サラの足元には、巨大な空洞が口を開けており、<たいまつ>の炎では照らし切れない程の闇が、その空洞の奥深さを物語っている。あと半歩、彼女の足が前へと踏み出していたら、彼女は何処まで続くか解らない程の闇の底へと落ちていってしまった事だろう。

 

「ほらな。やはりこっちが行き止まりであっただろう?」

 

 冷や汗を掻くサラを余所に、リーシャが胸を張る。やはり自分の意見を無視し続けられる事に不満を持っていたのだろう。<たいまつ>の炎の先にある底も見えない巨大な穴を見て勝ち誇るリーシャは、嫌味の色が濃い笑みを浮かべ、傍に居たメルエまで胸を張って鼻息を荒くしていた。

 しかし、このやり取りも今に始まった事ではない。リーシャを無視するように<たいまつ>を周囲に翳したカミュは、巨大な穴を囲むように床が続き、その先へ向かえると判断した。慎重に歩き始めた彼にサラが続き、『往生際の悪い』と呟いたリーシャは、メルエを抱き上げてその後を歩き出す。

 

「こちら側はしっかりした地盤になっているな」

 

 円を描くように岩壁沿いに歩いていたカミュ達は、その奥に続く上層へと上がる坂道を発見する。崩れそうな床岩を踏み抜かないように注意を払いながらも一行は固まりながら奥へと進んで行った。

 魔物の気配はない。道の奥から流れて来る風は冷たく冷え切っているが、死臭や腐敗臭のような不快な臭いが漂って来る事はなかった。先程の大穴の例がある為、一歩一歩足元に注意を向けながらも周囲への警戒も怠らない足運びは、着実に一行の疲労を蓄積させて行く。

 

「カミュ、ここら辺りで一度休憩を入れないか? どれ程の高さや長さがあるか解らない以上、体力を維持していく必要がある筈だ」

 

「わかった」

 

 上の階層へ上がってすぐの場所でリーシャの意見を受け入れたカミュが腰を下ろす。それを基点に円を描くように座った一行は、洞窟に入る前に拾い集めた枯れ木を取り出し、火を熾し始めた。

 リーシャの膝枕に頭を乗せたメルエはそのまますぐに眠りへ落ち、サラも安堵の溜息を吐き出しながらぐったりと腰を落とす。視界が利かない場所での行動というものは、瞳からの情報に頼りきった人間にとっては、想像以上の気力と体力を使う物であったのだ。

 緊張感というものを常に持って行動する事は難しい。いつ何処から現れるか解らない魔物の脅威を警戒し、突如として足場を失う可能性を警戒するという行動を常に続けて行く事は、長い旅を経験して来たカミュ達であっても、極度の緊張を強い入り、大きな疲労を残していた。

 

「この洞窟はどれ程に大きな物なんだ? おそらく、外は陽が落ちてしまっているだろう」

 

「そうですね……かなり大きな洞窟なのは確かだと思います。ですが、この先に『魔王バラモス』の居城があるとすれば、魔物の数が少ないような気もします」

 

 リーシャの言葉通り、既に外は日も暮れている事だろう。感覚だけの判断ではあるが、長く旅を続けて来た彼等の感覚が正しければ、夜中に近い刻限となる。それは、ほぼ丸一日の間、この暗い闇に閉ざされた洞窟内を彷徨い歩いた事になるのだ。

 身体を横たえたメルエが即座に眠りに就いた事や、リーシャに答えを返したサラの瞼が落ちそうになっている事が、蓄積された疲労を物語っている。だが、その疲労は、これまでの洞窟内の行動の物とは異なっていた。

 このネクロゴンドの洞窟内でカミュ達が行った戦闘は、片手で数える事が出来る程の数である。魔物自体と遭遇する回数も少なく、稲妻の剣や刃の鎧を発見した場所以外では集団の魔物さえ見た事がなかったのだ。

 

「カミュ、もしかするとの話だが……この洞窟の奥に強力な魔物が生息していたとして、それが外の世界に出て来なかったのは、その剣と鎧があったからなのではないか?」

 

「……この剣と鎧が、魔物の流出を抑えていたとでも言うのか?」

 

 倒れ込むように眠りに落ちてしまったサラに苦笑を浮かべたリーシャは、焚き火の炎を調整していたカミュに向かって、少し前から気になっていた事を口にする。それはカミュにとって考えても見なかった物であり、改めてリーシャの瞳を覗き込むように視線を動かした。

 彼女の表情を見る限り、それが只の戯れではない事を理解したカミュは、何かを考えるように黙り込む。赤々と燃える焚き火の炎が落ち着き、パチパチと枯れ木に残った水分が飛んで行く音だけが洞窟内に響いた。

 

「この奥が『魔王バラモス』の居城へと繋がっているのであれば、その可能性がないとは言えないが、この洞窟が外へと続いているのであれば、魔物が洞窟を通らなければならない理由がないな」

 

「……確かに、そうか。だが、ならば何故、あの魔物達はその剣や鎧に執着するように攻撃を繰り返していたのだろうな?」

 

 リーシャは、刃の鎧が魔物達の進行を食い止め、入り口側に近い場所にあった稲妻の剣が魔物に止めを刺しているように見えたのだろう。確かに、累々と積み重ねられた魔物の死骸は、そのような錯覚に陥るほどに凄まじい物であった。何度も押し寄せる魔物を倒し続け、人間達の暮らす世界への道を塞ぐように鎮座する二つの武具を崇めてしまう事は自然の流れなのかもしれない。

 だが、カミュが言うように、翼のある魔物達までこの洞窟を抜ける必要はない。刃の鎧によって最後に倒された魔物はミニデーモンであり、その魔物の背中には蝙蝠のような翼が生えていた。それがあれば空を飛べる為、わざわざ洞窟内を通り抜ける必要性はないだろう。

 サラが疑問に思ったとおり、この洞窟が魔王の城へ繋がっている可能性はかなり低いだろう。ならばと、リーシャは次の疑問を口にした。それは、カミュもまた疑問に思っていた事でもありながら、昔から理解していた事であるのかもしれない。

 

「同族を殺されれば、魔物も復讐に燃えるのかもしれない。幽霊船で遭遇した魔物の考えが全てではないのだろう……この剣と鎧を手にする為に近づいた可能性もあるがな」

 

「魔物の仲間意識か……」

 

 以前のリーシャであれば、カミュの言葉を鼻で笑っただろう。諸悪の根源であり、本能のままに生きる低知能な魔物が仲間意識を持っているなどと考える事自体が異端な事なのだ。

 しかし、この長い旅路の中で、魔物の中には知能を持ったものも存在し、知能を持った魔物の恐ろしさを肌で感じて来たリーシャにとって、このカミュの考えを否定する事は出来なかった。

 神代の剣と鎧が魔物にとってどれ程の脅威になるのかはリーシャには想像も出来ない。稲妻の剣は、今はカミュを主と定めてはいるが、力量の足りない者であれば、例え人間だろうとその能力を開放し、弾き飛ばした事だろう。それは逆に言えば、魔物であろうと、その力量に見合う者であれば手にする事が出来たという可能性も否定は出来ない。

 刃の鎧という防具にしても同様な事が言えるだろう。だが、リーシャとしては魔物の仲間意識という言葉の方が、強く胸に残る事となった。

 

 

 

 その後、カミュとリーシャが交代で眠りに就く事で、束の間の休息を取った一行は、最後のメルエが自然に目を覚ますのを待って、再び洞窟内を歩き始めた。いや、正確に言えば、歩き始める準備を始めたと言った方が良いだろう。

 この階層は、下の階層からの坂道を出てすぐに分かれ道が存在していたのだ。それも三方向へ分かれており、崩れ落ちた床がその分かれ道を明確に区切っていた。

 分かれ道となれば、このパーティーの道標となる者は一人しかいない。起きたばかりのメルエでさえも、その人物を見上げて指示を待つ程の信頼を向けていた。最早言葉は要らないのか、全員の視線がその者へと集まり、方向を示してくれるのを今か今かと待っている。

 

「どの方向へ進んでも変わりはないと思う」

 

「それはどういう意味だ?」

 

 憮然とした表情で言い放ったリーシャの言葉に対してカミュは疑問に思った事を口にする。下の階層まででのリーシャの言葉の中にも同じような物が出た事はあったが、ここまで明確に発せられた物ではなかった。まるで、全てが行き止まりに通じているような物言いに、カミュは疑問を持ったのだ。

 リーシャという道標が機能しないとなれば、全ての道を進むしかない。それは、この闇に包まれた洞窟を隅から隅まで歩かなければならない事を意味し、それが一行の疲労を増幅させる事になる事は明白であった。

 

「カミュ様、とりあえずは歩かなくては」

 

 カミュの疑問に対して、リーシャは明確な回答を出す事は出来ない。何故なら、彼女のこの能力は全て感覚での物であり、そこに理由がある訳ではないのだ。先程までの不満気な表情と打って変わって首を傾げるリーシャと共に、メルエが笑みを浮かべながら首を傾げる。

 <たいまつ>の頼りない炎に照らされた少女の笑みを見ながら、サラは現状を正しく把握し、考え込んでいるカミュへ進言した。一つ頷きを返したカミュは、そのまま崩れた床の隙間を縫うようにして前方の道を歩き始めた。

 床が脆くなっている可能性も高く、一行は慎重に歩を進めるが、その一本道は真っ直ぐ続き、結局行き止まりに辿り着く。

 

「戻りましょう」

 

 行き止まりを確認したカミュは、サラの言葉に頷きを返して、元来た道を戻り始める。そして、下の階層へと続く坂道へ戻ると、そのままその場所を突っ切るように直進した。

 真っ直ぐ続く一本道は、そのまま左に折れ、再び行き止まりにぶつかる。少し開けたその空間は、カミュの持つ<たいまつ>の炎によって照らされ、一部分が見えて来た。

 

「カミュ!」

 

 そこが行き止まりであるかどうかを確認していたカミュとサラは、その存在に気付く事はなかったが、初めから何処へ行っても同じだと感じていたリーシャだけは、<たいまつ>の炎を反射して輝く何かが横切った事に気付いた。

 勇者の名を叫んだリーシャは、腰に刺していたドラゴンキラーではなく、背中に背負ったバトルアックスを抜き放つ。咄嗟の対応となれば、やはり長年共にした武器を手にしてしまうのだろう。リーシャが武器を構えた事によって、その傍にいたメルエもまた、雷の杖を掲げた。

 

「何ですか、あれは!?」

 

「ちっ!」

 

 リーシャの対応に、ようやく何者かがこの空間にいる事に気付いたサラは、自分の持っている<たいまつ>をカミュとは反対方向へ掲げ、照らし出す範囲を広げる。その時、まるで<たいまつ>の灯りから逃れるように動く物体を見た彼女は、自分の中にある常識を覆すその姿に驚愕の声を上げた。

 その物体は、人が目で追う事が難しい程の速度で空間を動き回り、照準を合わせる事さえも許してはもらえない。四人を翻弄するように動き回る姿が停止するのを待たなくてはならない事にカミュは大きな舌打ちを鳴らした。

 

「……金属系のスライムか?」

 

 空間の入り口付近にリーシャとメルエがいる為、行き場を失った物体が停止する。その姿を三つの<たいまつ>が映し出し、全貌が明らかになった。

 炎の明かりを反射するように輝く銀色の体躯は、ダーマ神殿付近で遭遇したメタルスライムに似た物であり、それは剣などを弾き返す程の強度を持つ金属のような物。それでも『ぷるぷる』と揺れるように動くそれは、人間の知識では説明が付かない物質で出来ている物である。

 だが、今も尚揺れ続けるその物体は、カミュの記憶にある物とは少し異なっていた。

 一行の記憶にある金属のスライムは、通常のスライムと同様の姿をしていたが、今目の前で揺れるその物体は、通常のスライムとは異なる形態をしており、どちらかと言えば毒質によって形状が崩れたバブルスライムに似た物であったのだ。

 

<はぐれメタル>

スライム系の亜種中の亜種。

スライムの亜種であるメタルスライムの中でも異常種と云われている。金属よりも硬いながらも、スライムのように柔らかな形状を維持出来るメタルスライムという種族の中で稀に生まれる異端種であり、その形態を維持する事が出来ずに崩れた物だと考えられていた。

異端種を弾くという行為は、生物の中では当たり前の行為であり、それは魔物であっても変わらない。集団で生息する事の多いスライム種から爪弾きとなった物は、単独での行動が多くなる。その為、自身の身を護る為にその身体の強度は更に増し、人間などにとっては、メタルスライムよりも上位の魔物と認識される事となった。

 

「カミュ、来たぞ!」

 

 その異様な姿に動けなかった一行ではあったが、その隙を突いた<はぐれメタル>は、一気にカミュ目掛けて突進して来た。素早さでは、彼等を遥かに凌ぐその動きに、カミュの防御が間に合わない。<はぐれメタル>は、カミュの胴体ではなく、更に上へ跳躍し、被っている兜を弾いて頭部へ体当たりをして来た。

 大きな金属音を響かせて床へと落ちた<オルテガの兜>が『カラカラ』と音を立てて回る。着地した<はぐれメタル>が忙しなく洞窟内を動く中、リーシャ達の目の前で人類の希望である青年の身体がゆっくりと倒れた。

 

「カミュ様!」

 

 見た目はスライム状の生物である<はぐれメタル>ではあるが、その体躯は並みの金属よりも強度が高く、以前は鋼鉄の鎧でさえも簡単に窪ます程の攻撃力を有していた。その体当たりを頭部に受けたカミュは、彼の父親が装備していた兜によって致命傷は逃れたものの、脳震盪を起こして気を失ってしまっていたのだ。

 彼が忌み嫌っていた者の装備品によって命を救われるというのも皮肉な話ではあるが、気を失った彼が固い床に再度頭を打ってしまっては、命に係わる惨事となってしまう可能性もある。それを案じたサラであったが、咄嗟に身を乗り出したリーシャの腕にその身は受け止められた。

 だが、カミュの傍へ駆け寄ろうと動き始めたサラの耳に奇妙な雄叫びが響き渡る。

 

「@#(9&)」

 

「メルエ!」

 

 その雄叫びを聞いたサラは、瞬時に後方に控えているメルエに指示を飛ばす。その雄叫びは<はぐれメタル>から発せられた事は明白であり、それが魔物特有の詠唱だという事に気付いたサラはその名を呼ぶだけの指示を叫んだのだが、このパーティーに属する幼い『魔法使い』はそれだけで全てを理解した。

 雷の杖を振り上げたメルエは、小さな呟きのような詠唱を紡ぐ。

 

「…………ヒャダルコ…………」

 

 倒れたカミュに向かって<はぐれメタル>が吐き出した炎弾が床に着火すると同時に完成した呪文は、冷気の塊となって燃え上がる炎へと吹き荒れて行く。

 幼い少女が生み出した冷気は、ヒャダインよりも一段下位の氷結呪文。全てを凍らせる程の冷気ではないが、生命力の乏しい魔物であれば凍りつかせる事も出来る程の威力を誇る。

 本来であれば、魔物の唱える呪文に対して人間が対抗する事は不可能に近い。だが、ギラという初級の灼熱呪文であれば、一段上の氷結呪文で相殺する事が出来る可能性もあるのだ。それが、人間の中でも最高位に立つ『魔法使い』の実力でもあった。

 もし、この魔物がベギラマという中級灼熱呪文を唱えていれば、如何にメルエと言えどもヒャダインを唱えざるを得なかっただろう。そしてその時には、この狭い洞窟の中での被害も大きくなり、気を失っているカミュの身にも危険があった筈である。

 

「ピキュー」

 

 メルエが唱えた呪文の弊害と言えば、灼熱呪文と氷結呪文がぶつかり合った事によって生じた水蒸気の量であろう。凄まじい音を立てて瞬時に蒸発して行く冷気は、カミュ達と<はぐれメタル>との間に真っ白な壁を作り上げてしまった。

 蒸気の壁によって遮られた視界の向こうで奇妙な声が聞こえたが、熱した蒸気は下手な炎よりも危険であり、リーシャ達はその場を動く事が出来ない。未だにカミュの意識も戻っていない為、動くに動けないというのが正確なところではあるが、<はぐれメタル>という魔物がメタルスライムと同様に呪文の効果がない魔物だとすれば、メルエやサラの呪文行使にも意味はないというのも動けない理由であった。

 

「な、なに!? いないぞ!」

 

「……逃げてしまったようですね」

 

 そして、蒸気の壁が晴れたその場所に、魔物の姿はなかった。

 既にこの場から離れてしまったのだろう。余韻も残さない程の逃げっぷりにリーシャは驚愕し、サラは呆れ返ってしまう。困ったように眉を下げるメルエの肩に優しく手をかけたサラは、呆れの篭った呟きを漏らした。

 同じように溜息を吐き出したリーシャは、気を失ったカミュを起こす事にする。その際の、サラの傍から離れたメルエが、『ぺちぺち』とカミュの頬を叩く姿に二人が軽い笑みを溢した事は、彼の知らない出来事であろう。

 

 

 

 その後、意識を取り戻したカミュを先頭に元の場所まで戻った彼らであったが、残る方角は一つであり、互いに確認する必要性もなく、そのまま残りの道を突き進む事となる。その道は真っ直ぐ伸びた一本道であり、<たいまつ>の炎だけでも通路を照らし出せる程に細い物であった。

 魔物の気配はなく、只暗闇だけが続くその道を歩き続けていた彼らの視界に次なる十字路のような物が移り込んだ時、足元の異変に気付く事となる。

 

「これ以上は進めませんね」

 

 足元へ<たいまつ>を向けると、先頭を歩いていたカミュの少し先から床が抜けていた。一行を飲み込むように深い闇を広げた穴は、通路全体に行き渡っており、向こう側へ渡る事はどうあっても不可能である事が窺える。

 飛び越えて行くには距離が遠く、ロープなどを掛けようにも向こう側に何かを引っ掛ける物もない。サラの言葉通り、これ以上は前へ進めない事は明白であった。

 

「しかし、全ての道を通ったぞ? 他に道などなかった筈だ」

 

「……ルーラなどでも無理だな」

 

 ここまでの道中で、このフロアにある全ての道は歩き尽くしている。それでも向こう側へ渡る方法がないという事は、下の階層に別の上り坂があった可能性があり、もう一度下の階層へ戻る必要性が生じてしまうのだ。

 カミュが言うように、ルーラという移動呪文がカミュ達には行使出来るが、元来の目的と異なる使用方法は、意図した物と異なる結果を生み出す可能性がある。目視している場所へ移動するという使い方もない訳ではないだろうが、飛び越せないまでもすぐそこにある場所へ移動する為に使用する事は繊細な魔法力の制御が必要となり、人類の枠を飛び越えてしまっている彼等ではその微妙な調節は難しいかもしれなかった。

 

「一度戻りましょう……あっ、カミュ様!」

 

「カミュ!」

 

 来た道を戻って、一度下の階層へ降りようとした一行ではあったが、一斉に動き出した四人の重みに耐え切れないかのように床が軋みを上げる。必然的に先頭を歩いていたカミュが最後尾になっており、その足元が一気に崩れ落ちたのだ。

 それに逸早く気付いたサラが手を伸ばしてカミュの腕を握るが、落下の勢いを止める事は出来ない。そのサラの腕をメルエを抱き上げたリーシャが握り、何とか支えようと踏ん張るが、崩れ始めた床は、その支える地面さえも奪って行った、

 

「アストロン」

 

 全員が闇に吸い込まれた事を理解したカミュは、即座に最強の防御呪文を唱える。急速に高まって行く浮遊感が失せ、四人の身体が何物の受け付けない鉄へと変わって行った。身体が鉄へと変わりきると、四体の鉄像が落下速度を上げて暗闇へ飲み込まれて行く。

 落下した鉄像の後を追うように、三つの<たいまつ>が周囲を照らしながら下の階層へと落ちて行き、冷たい洞窟内に再び静けさが戻っていった。

 

 

 

「大丈夫か?」

 

「…………ん…………」

 

 落下した先は、少し広めの空間であった。

 鉄化が解けたカミュが、同じように鉄化が解けたメルエの身体を起こす。傍に落ちていた<たいまつ>を拾い上げて周囲を照らすと、他の二人も近くで起き上がろうとしているところであった。

 アストロンという呪文は、『勇者』のみが行使出来る魔法であるが、その防御力を術者の意思で維持し続ける事は出来ない。どれ程の時間、身体が鉄のままの状態が続くかどうかが解らない呪文はある意味賭けに近いものである。流石に行使して即座に効力が解ける事はないが、他の者達の安全が確認出来た事にカミュは安堵の溜息を漏らした。

 

「……ここは、先程通った場所とは違いますね」

 

 カミュとメルエの許に歩いて来たサラは、<たいまつ>を翳して周囲を確認し、現在の状況を正確に把握する。確かに、狭くはないが見た事のない空間に<たいまつ>の炎が灯り、隅々までは見渡す事は出来ないが、それは確実に今まで歩いて来た場所とは異なる物であった。下の階層へ落ちた事は確かではあるが、それは先程まで歩いて来た場所とは違う場所にある階層。そこで始めて、このネクロゴンドの洞窟がカミュ達が考えていた物よりも確実に大きな事を理解した。

 この少し広い空間の中央に落ちた一行は、<たいまつ>の炎に照らされた部分しか認識出来ない。壁際であれば、その壁に沿って歩くという方法もあるのだが、この状況ではその方法も取る事は出来ず、歩く方角を決めかねていたのだった。

 

「メルエ、周囲にメラを放てるか?」

 

「…………???………ん…………」

 

 突然カミュが口にした言葉の意味が解らなかったメルエが小首を傾げる。だが、実践するように一方向ヘ向けてカミュがメラを放った事で、幼い『魔法使い』にもその意図が理解出来た。

 カミュが放ったメラは、何もない洞窟内を明るく照らしながら岩壁に向かって飛び、壁にぶつかった事で弾けて消える。その過程で照らされた洞窟内の状況を把握出来たのだ。暗闇が支配する洞窟の全てを<たいまつ>で照らす事が出来ない以上、ある一定の間隔で奥まで照らす必要がある。これは、その方向に魔物がいた時の牽制にもなるのだが、メルエにはそこまでは理解出来ていないだろう。

 

「こちらと向こう側に上り坂がありましたね」

 

 メルエとサラ、そしてカミュによって放たれたメラが周囲の状況を正確に照らし出す。魔物の気配はなく、二つの方角に上の階層に上がるであろう上り坂を確認した。

 洞窟などで分かれ道があった場合、このパーティーが頼る者は一人しかいない。それは全員の総意であり、その視線は当然のようにその一人に向かって送られる事となる。

 

「あっちだな」

 

「……わかった」

 

 いつも通りに憮然とした表情で応えた女性戦士であったが、それに対して大きく頷いたカミュが選択したのは、これもいつも通り真逆の方角にある上り坂であった。

 何の説明もなく歩き始めたカミュの後ろを、サラもメルエも当然のように付いて行く。もはや慣れたと言っても過言ではない行動ではあるが、それでも胸の奥に湧き上がる怒りを否定する事が出来ないリーシャは、近くに落ちていた小石を蹴り飛ばしてその後を歩き始めた。

 

「ここは、落ちる前に居た場所ですね」

 

「ああ、元々はあの裂け目も繋がっていたのだろう」

 

 カミュが選択した上り坂を登り、一本道となった洞窟を進んで行くと、見た事のある場所に辿り着く。その場所は、先程の地盤崩壊にって一行が下へ落とされた場所であり、その証拠に<たいまつ>の炎で照らし出された向こう側の床は大きく崩れ落ちているのが解った。

 元々は、今カミュ達が立っている場所と、先程崩れ落ちた場所は繋がっていたのだろう。だが、長い年月を経て地盤が緩み、下の階層のような空洞が出来てしまった事によって崩壊する事になったと考えられる。そうなれば、カミュ達が立っている場所もまた絶対的な安全区域でない事が解った。

 魔物と遭遇していない事が幸いしている為、この場所で激しい動きをする事はない。だが、この場所にトロルのような巨大魔物が居たり、メルエの放つイオ系の呪文を唱えたりすれば、一気に洞窟自体の崩壊に直結する可能性さえもあるのだ。そこまで予想したサラは、更に下層で発見した『稲妻の剣』の能力によって、この場所の地盤が緩んでいた可能性もある事に気が付いていた。

 

「早めにもう一つ上の階層へ行きましょう」

 

 幸い、彼女達の後ろには、もう一つ上の階層へと続であろう上り坂が見えている。何処まで続くか解らない洞窟ではあるが、サラの記憶が正しければ、この上り坂を上った先は四階層か五階層となる筈だ。

 カミュ達が入り込んだ洞窟の入り口は、険しい岩山の麓にある場所であった。まるで山登りでもしているかのような洞窟探索は、洞窟自体の崩壊という危険性と共に、カミュ達四人の体力の低下という危険性も孕んでいる。小休憩を挟みながら探索を行ってはいるが、冷たい岩肌は冷たい空気を生み出しており、徐々にではあるが確実に四人の体力を奪ってしまっていたのだ。

 しかし、カミュを先頭に上りきった一行は、上の階層に出た事に安堵するよりも、絶望に苛まれる事となる。

 

「カミュ、予想以上に広い場所のようだぞ」

 

「……正直、アンタ頼みとなる。申し訳ないが、堪えてくれ」

 

 上の階層の闇は更に濃くなっており、一寸先も闇に閉ざされていた。その向こうへ<たいまつ>を向けはするが、何処まで続くか解らない程の一本道の奥からは冷たい空気と共に、一行の心を弱らせる程の闇が襲い掛かって来ている。

 直感的にこのフロアが広く入り組んでいる事を理解したリーシャがカミュへその事を告げると、それを聞いた彼は、珍しく彼女に謝罪に近い言葉を漏らして来た。彼自身、リーシャの心の内などは重々承知していたのだろう。

 常に道を尋ねるくせに、一度たりともその道を選択しないという事は、懸命に考えている人間を嘲笑う行為である。普通ならば、その腹いせに自分が感じた事に嘘を混ぜて答えたりする事も考える人間が出て来ても可笑しくはない。それにも拘らず、この女性戦士は、毎回必ず自分の中で最善と思われる道を導き出す事に懸命になり、少しでも皆の旅が楽になるようにと答えていた。それでも、その道は絶対に選択されない。

 それはどれ程に屈辱的な事であろう。どれ程に悲しい事であろう。

 懸命に導き出した道を選択して貰えないという事は、その道を導き出した彼女自身を信じてくれてはいないという事に他ならない。正確に言えば、彼ら程リーシャという女性戦士を信じている者達はいないのだが、それは当の本人には絶対に伝わらない信頼であるのだった。

 

「私達はリーシャさんを信じています。リーシャさんが道を指し示して下さっているからこそ、ここまでの旅を歩み続けて来れたのだとも思っています」

 

「…………メルエも…………」

 

 言葉にしなくても繋がる想いはある。他人はそれを『絆』と呼ぶ事もあるだろう。だが、人の想いとは、本来言葉にしなくては相手に伝わらない事もまた事実である。いくら胸の内で思っていたとしても、それを言語という風に乗せなければ相手の心には届かないのだ。

 故にこそ、エルフも人も言語という手段を編み出し、お互いの心を伝え合う歴史を築いて来ていた。いや、下級の魔物に言語という手段があれば、ここまで世界は拗れる事はなかったのかもしれない。それは、ランシールに居たスライムとメルエの繋がりが物語っているだろう。

 何にせよ、サラとメルエの信頼は、しっかりとリーシャの胸の奥へと届く事となる。加えて、申し訳なさそうに告げたカミュの心は、彼の心を四年という長い月日を掛けて追って来たリーシャの胸に直接響いて来たのかもしれない。

 

「……任せろ。これ以降は、カミュがどの道を選択しようと文句は言わない。私は私が思う最善の道を指し示そう」

 

「ふふふ。ありがとうございます」

 

 皆の信頼を受け入れたリーシャの顔は、先程までの不満に満ちた物ではなくなっていた。何か強い誇りを手に入れたような爽やかな笑み。それは、見ていたサラとメルエの顔にも優しい笑みを浮かべさせる程に暖かな物であった。

 歩き進めた一行が始めに出会った分かれ道は、リーシャが直進する事を示唆し、それを受けたカミュは左に折れる。次にぶつかった十字路は、目の前が行き止まりである事が既に見えていた為、右か左の二択になるのだが、リーシャが右を示した事で、迷う事無く左の道が選択された。

 悉く自分の指し示した方角と異なる道を選択するカミュに対しても、先程の言葉通り不満を表す事のないリーシャは、手を繋ぐメルエと柔らかな笑みを浮かべながら歩き続けている。だが、そんな彼等の和やかな雰囲気は、大きな橋のような地盤を渡った先で一変した。

 

「グオォォォォ!」

 

 岩壁が震える程の雄叫びが、暗闇が支配する洞窟内に響き渡る。その雄叫びは、一行が今まで聞いた事もない程に大きく、禍々しい。人間としてではなく、生物としての本能が、その雄叫びを上げる物への恐怖を呼び覚ませた。

 即座に戦闘態勢に入った一行は、少しずつ足を前へ踏み出し、<たいまつ>の明かりを前方へと向けるが、先頭に立つカミュの右腕でさえ細かな震えを齎していた事に、リーシャだけが気付く。そんなカミュとリーシャに護られるように前へと進んでいたサラとメルエがその正体を見た時には、前衛二人が一気に駆け出した後であった。

 

「おりゃぁぁ!」

 

 未だにドラゴンキラーを使わず、使い慣れたバトルアックスを振るったリーシャであったが、その斧は、雄叫びを上げていた魔物の一振りによって弾き返される。泳いだ身体に追い討ちを掛けるように横から魔物の体当たりが襲いかかって来る辺りで、その魔物が複数である事が解った。

 体当たりによって吹き飛ばされたリーシャの身体を受け止めたカミュは、持っていた<たいまつ>を放り投げ、魔物がいるであろう場所を確認する。

 その魔物は、姿を見る限り只の獣にしか見えない物であった。しかし、その姿は空想上に存在する獅子と呼ばれる獣に酷似しており、カミュやリーシャばかりか、サラでさえも初めて見る物。鋭い牙を持ち、その牙を納める口は大きく裂け、目は吊り上り、その顔面を覆うように鬣が靡いている。そして何よりも、通常の獣のように四足歩行のような動きをしてはいるが、その魔物の足の数は合計で六本あった。更に言えば、その背中には大きな蝙蝠のような羽が付いており、空中を飛ぶ事も可能である事を示している。

 

<ライオンヘッド>

ネクロゴンド地方に生息すると伝えられている獅子という獣が魔物へ進化した物だと考えられている。世界中を探しても、獅子という獣は確認されておらず、ネクロゴンド地方にある密林地帯や草原地帯に生息すると考えられており、その姿は伝説上の動物と云われていた。

獅子という獣は百獣の王とも謳われており、全ての獣の中で頂点に立つ程の力を有していると考えられている。その全ての獣の王が魔物化しているため力は強く、並みの人間であれば、その腕の一振りで細切れになってしまうとまで云われていた。

 

「すまん、カミュ。だが、あの魔物の力は相当な物だ。洞窟の外で遭遇した巨人族のような魔物の力と大差はないぞ」

 

「……それが三体か」

 

 態勢を立て直したリーシャは、目の前で唸り声をあげている魔物から目を離す事無く忠告を口にする。それを受けたカミュは眉を顰めながら、自分達を囲むように近づいて来る魔物に向かって舌打ちを鳴らした。

 一行が遭遇したライオンヘッドは全部で三体。どれが統率者という訳でもないが、一つの群れなのかもしれない。唸り声を上げ、鋭い牙の脇から涎を垂らして近づいて来るその姿は、元を質せば只の獣に近い人間の本能に警告を促す程の威圧感を放っていた。

 

「どのような攻撃を仕掛けてくるか解らない以上、安易な呪文は行使出来ない。俺達が前に出るしかないだろう」

 

「そうだな……このバトルアックスには悪いが、力加減を気にせず、思い切り振り抜かせてもらおう」

 

 カミュの言う通り、魔物の特性が解らない以上、後方からの呪文支援は逆に危機に陥ってしまう可能性がある。下の階層で遭遇したガメゴンロードが行使したマホカンタのような呪文を有している魔物であれば、人間の枠を超えてしまった二人の呪文で一行が全滅してしまう恐れさえあるのだ。

 それ程に、今のサラやメルエの力は飛び抜けてしまっている。それを理解したリーシャは、己の手にあるバトルアックスを一振りし、不敵な笑みを浮かべた。

 今までの戦闘の中で、彼女が手を抜いていたなどという事は有り得ない。そのような余裕は彼らにはなかっただろうし、そのような愚行を繰り返していたら、間違いなくこの場所には到達出来てはいないだろう。

 だが、それと同時に、魔物を相手にする際、己の武器というのは絶対不可欠な物でもある。故に固い敵や特性の解らない敵に対しては牽制の意味を含めた偵察のような攻撃をする事もあった。それは、ここまでの旅で何度かカミュが武器を欠損してしまっているのに対し、リーシャは一度もないという事が物語っているのかもしれない。

 

「やぁぁぁ!」

 

 再び前線に躍り出た二人は、警戒しながらも距離を詰めて来るライオンヘッドに向かってその手にある武器を振るう。だがリーシャの斧は先程と同様にライオンヘッドの前足に弾かれ、カミュの一撃はライオンヘッドが背中の羽を使って飛び退いた事によって避けられてしまった。

 リーシャの一撃は決して遅い訳ではないし、軽い訳でもない。現に、二度目となるこの返しでは、一体のライオンヘッドにそれ相応の報いを与えている。斧を弾いた筈の前足には鋭く斬り裂かれた傷が残り、毒々しい色をした体液が滴り落ちていた。

 そして、カミュの攻撃を避けた一体の動きを見る限り、このライオンヘッドの背中から生えている羽は退化した物だという事が解る。自分の身体を浮かび上がらせ、空中を飛び回れる程の強靭さを持たない羽なのだろう。故に、この魔物はそれを使って後方へ下がる速度を上げる事しか出来なかったのだ。

 

「カミュ、前だ!」

 

「ちっ!」

 

 自分の剣を避けた一体のライオンヘッドとは別の一体がカミュの真横から飛び出し、それに対応していた彼は、先程剣を避けた一体の動きが見えておらず、リーシャの言葉を聞いて初めて、自分の目の前にライオンヘッドが迫っている事に気が付いた。

 飛び掛るように跳ねたライオンヘッドが、その前足と中足とで切り裂くような一撃を繰り出す。それは寸分違わずにカミュの胴体を切り裂くような軌道を描いた。しかし、その一撃はカミュの纏う『刃の鎧』によって完璧に防がれた。そして再びあの現象が発現する。

 

「リーシャさん、下がって!」

 

 サラの叫びと共にリーシャが素早く飛び退く。その直後に烈風のような刃の嵐がライオンヘッドへと襲い掛かった。真空の刃ではなく、金属音を響かせるその刃は、ライオンヘッドの身体を切り刻んで行く。だが、一度の刃ではその命を奪い去る事までは出来なかった。

 毒々しい色をした体液を撒き散らしながらも怒りの遠吠えをしたライオンヘッドの周囲に、他の二体も集まって来る。一度距離を取ったカミュ達と付かず離れずの距離を保ったまま、三体のライオヘッドはカミュ達に向かって大きく口を開いた。

 

「皆さん、離れて!」

 

 サラの声が狭く暗い洞窟内に響き渡ると同時に、先程とは異なる雄叫びを三体のライオンヘッドが同時に発する。その雄叫びは暗い洞窟を一瞬の内に眩く輝かせ、周囲の温度を一気に上げて行った。

 メルエを抱き抱えたリーシャ、背中を向けて後方へ駆け出したサラはその熱風を受ける事無く難を逃れるが、一歩遅れたカミュの前に着弾した三つの灼熱弾は破裂し、一気に炎が燃え上がる。燃え上がった三つの炎は瞬く間に合体し、その火力を増していった。それは、メルエの放つベギラゴンという灼熱系最強の呪文の威力に勝るとも劣らない程の威力であり、飲み込まれるカミュの身体全てを焼き尽くすには十分な力を有しているだろう。

 

「メルエ、ヒャダインを!」

 

 炎に飲み込まれて行くカミュに向けて手を掲げたサラは、リーシャの腕の中で唖然としているメルエへ指示を飛ばす。その声に我に返ったメルエは地面へと降り立って杖を掲げ、即座に指示通りの呪文を詠唱した。

 続けて唱えられたサラのヒャダインが、メルエの生み出した冷気を後押しする。一気に吹き抜ける冷気は、熱風に押し負ける事無く炎にぶつかり、盛大な音を立てて水蒸気を吹き上がらせた。

 真っ白な蒸気に覆われた洞窟内で尚も氷結呪文の詠唱を繰り返したサラは、徐々に晴れて行く視界の先に、鈍い輝きを放つ鉄像を見つけ、安堵の溜息を吐き出す。リーシャやメルエも同様に、その姿を見た瞬間、表情を緩めた。

 

「メルエ、魔物に警戒を! リーシャさん、アストロンの効力が解けると同時に、カミュ様をこちらへ!」

 

 状況を把握したサラの指示は的確且つ迅速であった。

 ライオンヘッドの放った物が灼熱系の呪文であり、その回避が間に合わないと悟ったカミュは即座にアストロンを唱えたのだろう。何物も受け付ける事のない鉄へと変化したカミュは、どれ程の高熱に覆われようとも、その身体に傷一つ負う事はない。だが、いつ効力が切れるか解らないその呪文は、次の攻撃に対しての危険性も否めなかった。

 再び詠唱を開始しようとしていたライオンヘッドに向けて放たれた火球は、三体のライオンヘッドの中央に着弾し、洞窟の床を抉り取る。メルエが作ったその隙を利用し、鉄化が解け始めたカミュの身体を抱えたリーシャがサラの許へと戻って来た。

 

「……すまない、助かった」

 

「あの三体が放ったのは、おそらくベギラマでしょうが……ベギラマを三連続で唱えられては厄介です。私だけのヒャダインでも、メルエだけのヒャダインでも対抗出来ないと思います」

 

 意識を取り戻したカミュは、リーシャやサラに対して例を述べる。首を横に振ってその謝礼を誇示したサラは、魔物が放ったであろう呪文の分析と、一行が直面している状況を正確に把握していた。

 例え中級の灼熱呪文とはいえ、魔物が唱える攻撃呪文である。一体の放つベギラマであれば、サラのヒャダインでも対抗出来るだろうが、それが三体同時に放たれたり、三連続での詠唱となれば、サラよりも強力な氷結呪文を行使出来るメルエであっても対抗は出来ないのだ。

 

「相手の魔法力を狂わせる呪文は効かないのか?」

 

「やってはみますが、効果がなかった時の事も考えておかなければ危険です」

 

「力もそれなりにある。接近戦だけでも厄介だ」

 

 唸り声を上げながらお互いの位置を変えて警戒を続ける三体のライオンヘッドから視線を離す事無く、カミュ達三人がこの戦闘について協議を重ねて行く。そんな三人の様子を見上げていたメルエは、自分がその中に入れない事に徐々に不満を募らせて行き、カミュが話す頃には頬を膨らませ始めていた。

 『むぅ』と頬を膨らませる自分の姿に誰も気付いてくれない事に怒りを爆発させたメルエは、傍に立っていたカミュのマントの裾を握り、それを何度か引き始める。ようやく幼い『魔法使い』が何かを主張している事に気付いた一行は、一斉に視線を下げた。

 

「…………あたらしい………おぼえた…………」

 

「え!?」

 

「なに!?」

 

 全員の視線が自分に集まった事に満足したメルエは、まるで胸を張るようにその言葉を発する。もはや聞き慣れたと言っても過言ではないその言葉ではあるが、何度聞いても驚きの表情を浮かべるリーシャとサラの姿が、メルエの欲望を満たしているのかもしれない。

 嬉しそうに笑みを浮かべるメルエを見るリーシャの表情は、未だに驚きを表したものではあったが、もう一人は即座に表情を引き締めた。それは何かを咎めるように厳しく、何かを諭すように穏やかな相反する色を映し出している。

 

「メルエ、その呪文はまだ駄目です。メルエには制御し切れないでしょう?」

 

「そうなのか?」

 

 サラの口から出た言葉は、メルエの発した言葉を否定する物であった。

 メルエが新しい呪文を覚えた事を口にする時、その呪文を行使する事に技量や精神が追いついていなかった事は今までに一度しかない。それは、ベギラマと呼ばれる灼熱の中級呪文を唱えた時だけだ。

 あの時のメルエは魔法力の流れを認識せず、その才能のみで呪文を行使していた。故にこそ、彼女はベギラマという中級呪文を行使する力を持っていながらも、その身を犠牲にするような行使の仕方しか持つ事が出来なかったのだ。

 だが、今のメルエは己の力量を把握しているし、何よりもその呪文の行使に際しての調節さえも可能となっている。そんなメルエが己の行使出来る呪文を誇張する訳がないという思いが、リーシャの首を傾げていた。

 

「…………むぅ………メルエ……できる…………」

 

「駄目です!」

 

 魔物を置き去りにした会話は続き、カミュだけがライオンヘッドの動きに注意しながら何時でもアストロンを唱えられるように準備を整えている。

 サラは厳しく窘めるが、それでもメルエは頑として納得しない。頬を膨らませてサラを睨みつける姿は、通常時であれば微笑ましいものではあるが、今は戦闘の真っ最中である。このようなやり取りに時間を掛けている事が出来ないのだ。

 溜息を吐き出したリーシャは、睨み合う二人に言葉を掛けた。

 

「メルエ、出来るのか?」

 

「…………ん………メルエ……だいじょうぶ…………」

 

 問いかけるように視線を下へと向けたリーシャに対し、メルエは魔法の言葉を口にしながら大きく頷きを返す。それを見るリーシャの瞳は先程とは打って変わって厳しい光を宿していた。

 そんな瞳を見つめるメルエの瞳の中に宿る光に陰りはない。しっかりと見つめ返した瞳の中には自信と覚悟が漲っている。それを確認したリーシャは、厳しい表情を緩め、そして頷きを返した。

 

「サラ……メルエがこの言葉を言った以上は大丈夫だ。私が保証しよう」

 

「……どういう事ですか?」

 

 自信を持ってメルエの言葉を肯定したリーシャに対し、サラは不思議そうに首を傾げる。メルエが発した言葉にどのような力があるのかがサラには解らないのだ。

 メルエという少女は、出会ってから三年の月日が経って尚、己の胸の内を言葉にして伝えるという事を苦手としている。いや、正確に言えば苦手意識さえも持っていないだろう。彼女にとって、言葉とは必要最低限が伝われば良いという思いがあり、それだけでも彼女の周囲にいる人間が彼女の事を理解してくれるという絶対の自信があるのだ。

 メルエがサラから教えられた、『大丈夫』という魔法の言葉の意味と、その強さを知っているのは、メルエ唯一人である。メルエの中にある想いというのは、彼女にしか解らないものであり、彼女が口にしなければそれが伝わる事はない。今までは、彼女が口にする『大丈夫』という言葉の重さを理解しなくともその自信を伝える事は出来たが、今のサラは別の確信を持っている為に届かない。

 だが、彼女を含め、このパーティー全員を見つめ続けていた女性戦士は、この幼い少女が口にする言葉が、少女にとってどれ程に重く強い言葉なのかを理解していた。何度も崩れ落ちそうになって来たメルエという、人間として未熟な少女を立ち上がらせて来た経緯を知っているリーシャにとって、サラがメルエに対して絶対の自信を持っている時にしか使用しない一つの言葉が神格を持つ程に高められている事に気付いていたのだ。

 故にこそ、この場面でリーシャもまた、その言葉を口にする。

 

「ちっ!」

 

 そんな三人の耳に、前線で魔物と対峙していたカミュの舌打ちが聞こえて来た。

 警戒するようにカミュ達との距離を保っていたライオンヘッドではあったが、その内の一体がカミュに向かって飛び掛って来たのだ。その一体は、唯一傷一つ負ってはいない魔物であり、その速度も他の魔物達よりも上である。元々魔物としての格も上位に入る者であり、歴戦の勇士であるカミュであっても気の抜けない程の速度であった。

 稲妻の剣でライオンヘッドの爪を弾き、更に迫る後ろ足をドラゴンシールドで防ぐ。その重圧は強く、カミュ自体が数歩後ろへ下がる事となった。

 

「ワオォォォン!」

 

 後方へ下がったカミュを見た他の二体のライオンヘッドが、詠唱となる雄叫びを上げる。それに呼応するようにカミュへ攻撃を繰り出していた一体も雄叫びを続けた。

 輝きを放つと同時に、凄まじいまでの熱風が洞窟内を駆け巡り、生み出された灼熱弾がカミュの足元へと着弾した。

 

「…………マヒャド…………」

 

 しかし、その灼熱弾が破裂し、生み出されようとしていた灼熱の火炎は、カミュの後方から吹き荒れる凄まじい冷気によって一気に凍り付いて行く。振り抜いたメルエの杖の先から、既に冷気ではなく氷の刃が飛び出していた。

 呟くような詠唱の後、生み出された冷気は周囲の水分を全て氷の刃と化して行く。対象を凍り付かせるだけではなく、その周囲の全てを凍りつかせるその威力は、溶岩さえも凍りつかせたヒャダインを遥に凌いでいた。

 対象となっていないカミュの身体さえも凍りつきそうになる程の冷気が周囲を包み込み、燃え上がった炎を鎮火させるどころか、その炎さえも形状を保ったままで凍りつかせる。考えられない程の冷気がベギラマの呪文を完全に打ち消してしまっていた。

 

「カミュ、急げ!」

 

 呆けていては足元までが凍り付いてしまうと感じたリーシャは、カミュに急ぎ戻るよう指示を飛ばす。その声を聞いたカミュは、自身の周囲にベギラマを放ち、圧倒的且つ暴力的な冷気への抵抗を示し、後方へと飛び退いた。

 リーシャを押し退けるように前へと出ていたメルエの杖は、未だに前方のライオンヘッドへと向けられている。その横で一人の『賢者』が、成す術もなく凍り付いて行く三体の魔物の姿を呆然と眺めていたのだった。

 

「……何故?」

 

 サラは、メルエ自体が未だにこの最強の氷結呪文を御していないと考えていたのだ。ヒャド、ヒャダルコ、ヒャダインという氷結呪文の頂点に立つこの呪文は、その威力も然る事ながら、その特異性も際立った呪文であった。

 この洞窟に入ってから、メルエが呪文の契約の為に一人で行動した事などない。皆で一塊で休憩していたし、必ず誰かが起きてはいた。魔物への警戒の為に全員が眠りに就くなどの愚行は犯してはおらず、それ以外に呪文の契約や修練を人知れず行う機会など有りはしなかったのだ。

 

<マヒャド>

氷結系最強の呪文にして、氷結系の完成形呪文。

その契約方法は古の賢者しか知らず、『悟りの書』と呼ばれる伝説の書物にしか記載されてはいない。長い歴史の中でも、この呪文の契約が出来た者は限られており、歴代の『賢者』と呼ばれる者達の中でも一握りの者だけであった。

周囲に冷気を生み出すだけではなく、その圧倒的な冷気は生み出された瞬間に氷の刃となって対象を貫く。対象を貫いた刃がその体躯を凍りつかせ、永遠の眠りへ落として行くとまで云われる圧倒的な氷結呪文である。

 

「……メルエ、貴女は一体何を……」

 

 ライオンヘッドという強敵三体を瞬時に死へ落として行った幼い少女を褒め称えるリーシャと、その圧倒的な呪文の凄まじさに驚きを隠せないカミュを余所に、今も尚洞窟内を支配する冷気の中で、サラだけが凍りついた魔物を見て小さな呟きを漏らす。

 その後、リーシャの指示と逆の道を歩き続け、一行はネクロゴンドの洞窟を抜ける上り坂を発見するのだが、その間もサラは一言も口を開く事はなかった。

 

 

 




お読み頂き、ありがとうございました。
これでネクロゴンドの洞窟は終了となります。

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