新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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ネクロゴンド地方

 

 

 

 ネクロゴンドの岩山の麓にあった入り口から洞窟に入った一行が出たのは、岩の山脈に囲まれた高原のような場所であった。

 空を見上げると青い空と白い雲に手が届くのではないかと思えるほどに近く見える。カミュに続いて外へ出たメルエは、突如入って来た眩いばかりの陽光に目を瞑り顔を顰めた。自分の顔に当たる暖かな陽光と、澄んだ空気の香りを感じたメルエは静かに目を開き、すぐ傍を流れて行く雲を掴もうと空へ手を伸ばす。

 高度がある場所である為、空気が薄いのかもしれない。見上げる空は抜けるように青く、緑に覆われた高原は太陽の光を一身に受けて輝いていた。

 

「これが、魔物の本拠地なのか?」

 

「さあな」

 

 洞窟を抜けた先の光景が、自分の想像していた物と余りにも掛け離れた物であった為、リーシャはその光景の前で呆然としてしまう。禍々しく、荒々しい魔物達が本拠とする場所と云われるネクロゴンド山脈に、これ程清らかな空気が流れている事に驚き、それを信じる事が出来ないのだろう。

 何度も何度も雲を掴もうと手を伸ばしているメルエに苦笑を浮かべながら、カミュはリーシャへと言葉を返す。彼にとって見れば、その場所がどれ程に清らかであろうと、魔王が居る場所であるかどうかが問題であり、それ以外は些細な事なのかもしれない。言葉と同時に歩き出したカミュに気付いたメルエがそのマントの裾を握って歩き出し、ようやく我に返ったリーシャがその後に続く中、洞窟内から一言も言葉を発する事がなくなったサラが、周囲へ視線を動かしながら、尚深い思考の海へと落ちて行った。

 

「……カミュ様」

 

「ああ……やはり、魔王の城へ辿り着く事は出来ないか」

 

 それは、太陽の光が陰り始めた頃に現れた。

 一行を暖かく照らしていた太陽が西の空へと傾き、今日という日が終わりを告げようとする頃、一行の前に大きな湖が見えて来たのだ。周囲に深い森なども無いため、その湖は、海ではないかと疑ってしまうほどに広く、一行を飲み込まんばかりの力に満ちていた。

 湖の海は濁ってはいない。だが、それでも決して澄んではいない。不快な腐臭などが漂っている訳ではないが、爽やかで胸の透くような雰囲気を漂わせている訳でもないのだ。それが、却って彼等の胸にある不安感を煽る。

 そして、それは湖に近づき、その先を見た時に現実となった。

 

「……あれが『魔王バラモス』の居城か」

 

 湖の遥先に雲に巻かれた城が見える。沈みかけた太陽の光は届かず、暗闇が覆うように黒く染まった雲によって遮られ、全貌は見えないまでもその巨大さは理解出来た。

 既にネクロゴンドの山脈の上部にある高原よりも遥か高い場所に浮かぶその城こそ、彼等が四年の月日を経て求め続けて来た魔物の本拠地であり、『魔王バラモス』の居城である。見る者の心を魅了し、その心に恐怖を植え付け、その意気までも奪ってしまう程に見事な城は、闇の中で物言わずに佇んでいた。

 先程までの清らかな高原の雰囲気などの一切を奪い尽くし、見る者の心さえも闇で覆い尽くそうとする城からは、凄まじいまでの禍々しい空気が流れ出ている。湖が濁ってはいないにも拘らず、不快感を感じてしまうのは、城から流れ出る瘴気に当てられてしまうからだろう。

 

「泳いで渡れるという次元の問題ではないな」

 

「そうですね……船で渡れる訳でもないでしょう。行く事が出来るとすれば、空中の瘴気を突き進む事ぐらいしか……」

 

 太陽の残光に照らされたバラモス城を見上げたリーシャは、その場所への道程が完全に断たれてしまっている事を悟る。それはサラも同様であり、今いる場所よりも遥か高みにある城へ渡る方法が非現実的な物しか残されていない事を理解していた。

 この世界で空を飛ぶ事が出来るのは、羽を持つ者達だけである。エルフや魔物の中には背に羽を持つ者もいるが、人間という種族にはそのような者は一人としていない。空を飛ぶという行為を人間が行使出来ない以上、彼等の四年という長い月日の旅全てが無駄に終わってしまう事を意味していたのだ。

 その事実をリーシャもサラも正確に把握していた。

 この場所にバラモスの居城があると信じて歩んで来た二人である。最後の決戦が近い事を感じ、それでも己の技量を高める為に常に努力を続けて来ていたのだ。その二人にとって、見上げる事しか出来ないその城は、精神と身体を支え続けて来た芯を折ってしまう程の存在感を示していた。

 

「アンタであれば泳いで渡れそうな気もするがな」

 

「な、なに!?」

 

 しかし、そんな二人を嘲笑うかのように、場違いな空気を放つ言葉が飛んで来る。その言葉を向けられた一人の女性戦士は、いつものように条件反射で振り向き、その場所に居た人物の表情を見て、己の心の弱さを悟った。

 彼女を真っ直ぐに見つめる青年の瞳に『諦め』や『絶望』などの色は欠片もない。彼女が四年の間ずっと見続けて来た、頼もしくとも儚いその瞳は、遥か高みにある城を見て尚、彼の心が折れていない事を明確に示していた。

 軽口を叩くその口元は微かに上がり、傍にいるメルエがそんな彼を見て柔らかく微笑んでいる。それが示す事を理解出来ないリーシャではない。

 この青年は、人類という弱い種族の希望であり、世界で生きる全ての生物達の希望でもある。その希望が生きている。他に何が必要だというのか。彼が歩む道を共に歩き、そしてその先にある物を見定める事こそ、四年の月日を共に歩んで来た女性戦士の使命である。それをリーシャは思い出したのだ。

 

「夜が更ける。木々のある場所で暖を取ろう」

 

「は、はい」

 

 自分を取り戻した女性戦士が空に視線を送ると、既に空の支配は太陽から月へと移っていた。その闇の時間は、魔物の支配する時間であると共に、その月と性質を同じくする人類の希望の時間でもある。

 月の光は、常に優しく大地へと降り注ぐ。闇に生きる者達でさえ、その明かりを受けて道を歩み、その光の優しさに心を和ませるのだ。

 絶望に折れそうだった心の芯は、青年の放つ柔らかく優しい光によってその強度を取り戻す。リーシャの言葉に大きく頷きを返したサラは、伸ばされたメルエの手を握り、湖に背を向けて歩き出すのだった。

 

 

 

 翌朝、霧の掛かる高原の視界の悪さに苦労しながらも、一行は湖を遠巻きに見るように歩き出す。既にネクロゴンドの洞窟の出口は見えず、その場所から北東へと高原を歩き続けると、湖の向こうに見えていた居城から流れる瘴気が濃くなって来るようにも感じた。周辺の空気が息苦しい程に濃くなり、それが頭の奥底を痺れさせるように視界を霞ませて行く。

 カミュを先頭に歩いてはいるが、その先頭のカミュの背中が霞んで来る事にサラは自分の目を何度も擦る。それはメルエも同様であったようで、何度か咳き込むような仕草をし、嫌々をするように数度首を首を振っていた。

 

「カミュ! 前に建物らしき物が見えるぞ!」

 

 瘴気によってカミュとサラは自分の足元に注意を向けるのが精一杯だったのだが、最後尾を歩いていたリーシャからは、前方に見え始めた小さな建物が確認出来ていた。

 顔を前方へと向けたカミュとサラにもその姿が見えて来る。それは、瘴気に包まれた中でも、その部分だけは澄んだ空気に満ちており、何かに護られたように輝きを放っていた。

 息苦しく感じていた筈の胸は、その建物を視認するだけで落ち着きを取り戻し、不安に満ちていた心は静けさを取り戻して行く。

 それが何の影響による物なのか、そしてその建物の中に何があり、誰が待っているのかに彼らは気付いていた。 

 

「……あの建物に『シルバーオーブ』があるのですね」

 

 これ程の瘴気の影響を受けない物など一つしかないだろう。

 彼らの旅の中で何度となく神秘を見せて来た、神代からの遺産であり、もはや伝説ともなっている『精霊ルビス』の従者を蘇らせると云われる六つの珠。世界中に散らばり、時には人の手に、時には魔物の手に、そして時には死者の手にあった物である。

 シルバーオーブは、その内の最後の一つとなる珠である。その情報は欠片もなかった。ランシールの神殿で遭遇した男性からもイエローオーブの情報は聞いたが、シルバーオーブに関する物は何一つとしてなかったのだ。

 それでも、目の前に佇む建物を見たサラは、そこに最後のオーブがあるのだと確信していた。

 

「……行くぞ」

 

 いつも通りのカミュの言葉であったが、その場にいた者全ての表情が引き締まる。『魔王バラモス』まではまだ届かないが、それでも確実に自分達がその場所に近づいている事を改めて実感したのだ。

 リーシャやサラの胸の内で、『やはりカミュは正しかった』という想いが湧き上がっている事だろう。あれ程の絶望な光景を見て尚、その希望と志を失わず、心を折らなかった青年こそ、やはり世界を救うと謳われる『勇者』なのだと。

 視界が歪む程の瘴気の中、一行の視界は徐々に晴れて行く。それは、特殊な能力を持つ珠の効果だけではないだろう。世界を救う『勇者』の後ろを歩いて来た彼女達三人は、常に彼によって濾過された空気の中を歩いていたのだ。それがどれ程に大きな存在なのかを知るのも、彼女達三人しかいないのかもしれない。

 

「……扉がありませんね」

 

「廃屋に近いのだろうな」

 

 傍に近づくとその建物の異様さが際立っていた。

 既に、人間が住んでいる気配などなく、建物は老朽化している。そこに取り付けられていたであろう扉も既に朽ちており、周辺に腐った木片が転がっていた。

 だが、朽ち果てた建物にも拘らず、その建物の放つ雰囲気は聖なる空気に満ちており、そこに何らかの神秘が残されている事に間違いはないだろう。それが解っていて尚、リーシャもサラも最初の一歩が踏み出せなかった。

 そんな中、踏み出したのは最も幼い少女である。握っていたマントの裾から手を離し、扉のない入り口から中を覗いた彼女は、ゆっくりと中を見渡した後、不思議そうに首を傾げて戻って来た。

 

「何かあったか?」

 

「…………むぅ…………」

 

 もしかすると、メルエは先程のサラの言葉を聞いていたのかもしれない。『オーブ』という単語は、彼女のポシェットに入っている五つの珠と同じ物を示している。それは、綺麗な物が好きな幼い少女にとって、自分の目で確かめたいという欲求が生まれて来る程の物だったのだろう。

 しかし、カミュの許へと戻って来た彼女は、不満そうに頬を膨らませ、首をゆっくり横へと振った。入り口付近からはそれは見えず、一人でそれ以上奥へ進む勇気はなかったのだろう。再び掴んだマントの裾を引き、カミュに一緒に来るように促すその姿は、後方で硬直していたリーシャとサラの心に余裕を取り戻す事となった。

 

「カミュ、入るしか道はないのだろう」

 

「そうですね。何があるか解りませんが、私達が選択出来る道は一つしかありません」

 

 後方から告げられた言葉を聞いたカミュは軽い笑みを溢し、メルエに促されるままに建物の中へと入って行く。

 小型の建物の中は昼間だというのに薄暗く、周囲を見渡すと窓らしき物は小さな物が数個あるだけであった。その窓から差し込む陽光も、傍にある魔王城からの瘴気の影響で陰りが見え、部屋の中全てを照らす程の力は残されてはいないのだろう。

 魔物の棲み処か、霊魂の掃溜め地と考えても可笑しくはない雰囲気を醸し出す建物内に入ると同時に、先程まで大層な口を叩いていたサラはリーシャの腕を握り締める事となった。苦笑を浮かべるリーシャではあったが、カミュの前を歩くメルエの手を握る何かが見えた気がして、目を見開く。それは、身体も足もない、透き通るような手であった。

 

「お、おい……カミュ……!!」

 

 そんな不可思議な物を見る事は初めてではないが、決して気持ちの良い物ではない。ましてや、それが死者の腕であれば、生者を黄泉の国へと引き摺り込む物であるというのが、一般的なルビス教の考えであるだけに、リーシャは前方を歩くカミュへと声を掛けた。

 だが、そんなリーシャの言葉は、突然発現した炎によって遮られる事となる。

 外から見た限りでは小さな小屋のようであった建物の中は、カミュ達が想像していたよりも広いつくりになっており、その中央を取り囲むように設けられた燭台に一気に炎が灯ったのだ。

 燃え上がった炎は、部屋全体を明るく染め上げ、昼間だというのに薄暗かった内部全体を照らし出す。そして、その炎はメルエの手を引いていた腕の持ち主を浮かび上がらせた。

 

「……あ、貴方は」

 

「ふむ。よくぞここまで参った」

 

 突如現れたその男性は、カミュ達のここまでの道程で何度か出会った事のある人物と同じ顔をした人間。年齢こそ、その場所その場所で異なってはいたが、その面影は変わってはいない。

 最後のカギを入手した祠、そのカギで入る事が出来たランシールの神殿、そこにいた人物は今目の前に立つ人物の若かりし頃の姿だという事が、誰に説明を受けた訳でもなく理解出来る。それ程老いている訳ではないが、あの場所に居た者達よりも更なる苦悩と、絶望を味わったその顔は、経験と年数が蓄積されていた。

 自分の手元から姿を現したその男性を見上げたメルエは、不思議そうに小首を傾げ、その姿を見た男性は暖かく柔らかな笑みを浮かべる。

 

「遥か高みにある『魔王バラモス』の居城へ行く為には、『不死鳥ラーミア』を蘇らせる必要があるだろう」

 

「……ルビス様の従者、不死鳥ラーミア……」

 

 カミュやサラがその男性に何かを問いかける前に、彼は一行の絶望を払拭させる程の情報を口にする。その中にあった単語に憶えのあったサラは、復唱するように口元で呟きを溢した。

 その名は、サラという『僧侶』が数多の苦難を乗り越え、『賢者』として生まれ変わった場所で聞いた物。ダーマ神殿というルビス教の聖地を管理する、教皇という雲よりも遥か上の存在だと思っていた人物から聞いた物でもあった。

 『精霊ルビス』という、この世界の守護者である者の従者の名であり、不死という生物を超越した存在の名でもある。

 

「僅か二十年程前には掛けられていた橋が今はない。あの城へ向かう為には、不死鳥ラーミアを蘇らせるより他はないのだ」

 

 驚きに固まるサラを余所に、男性は言葉を続けた。それを聞いていたカミュとリーシャも、男性の言葉に身体を硬直させる。

 二十年程前の事を持ち出して来るという事は、その二十年程前にあの魔王城へ挑んだ者がいたという事と同義。つまり、この死者であろう男性と、既にこの世に居ないと考えられている英雄が共に魔王へ挑んだ可能性もあるという事であった。

 先代の英雄となっているオルテガという男は、共に旅する者がいなかったと言われている。一人旅を続け、ネクロゴンドの火口で命を落とした事になっているのだ。だが、目の前の死者が共に旅する仲間だったとすれば、単純に話が変わって来る。

 それをリーシャとカミュは気付いていた。

 

「……話の腰を折るようですが、それはオルテガ様の事ですか?」

 

「ふむ」

 

 口を開かないカミュの変わりに、隣に居たリーシャがその男性へ質問をぶつける。それに対し、男性は静かに首を縦へと振った。

 何も知らない人間からすれば、男性とリーシャの会話は噛み合ってはいない。男性の言葉の中には、『二十年前には橋があった』という事柄しかなく、その橋を渡った人物がいるなどという事は一言も口にしていないのだ。

 だが、男性はまるでリーシャ達の考えている事も、聞きたい事も理解しているかのような面持ちで首を縦に振っている。その言葉が事実だとすれば、オルテガの死地はネクロゴンドの火口ではない事が確定してしまうのだった。

 

「ネクロゴンドの火口付近で船を降り、そのまま戻って来なければ、火口で命を落としたと船乗り達が伝える事だろう」

 

「……では、オルテガ様は生きていらっしゃる、と?」

 

 男性の口から出たオルテガ死亡説の裏側は、『何故そんな事に頭が回らなかったのか』と思う程に単純な物であると同時に、致し方ない物であると納得も出来る物でもあった。

 確かに、カミュ達と同じように、あの場所でオルテガが船と別れを告げたとなれば、オルテガの姿を最後に見た者は船乗り達という事になる。暫しの間、あの場所に停泊してオルテガの帰還を待っていたとしても、その期間は長くても数ヶ月だろう。それ程の時間が経過して尚、オルテガが世界中の何処にも戻っていないとなれば、ネクロゴンド火山の火口付近で命を落としたと考えるのが普通であり、それを否定出来る者は誰もいない。

 そして、その事実に対して大幅な希望的観測を入れ込むと、リーシャが男性へと問いかけた物になる事も否定する事が出来ないものだった。

 しかし、そんなリーシャの淡い希望は、男性が静かに首を振った事で、脆くも砕け散る事となる。

 

「……それは解らん。その後、あの者の名を聞く事はなく、姿を見た者もいないのであれば、想像は難しくはなかろう」

 

「しかし、それは……」

 

 尚も食い下がろうとするリーシャであったが、目の前に出された腕によって、その言葉を飲み込まざるを得なかった。

 隣に立っていたカミュがその腕をリーシャの胸付近に上げ、その言動を遮る。それは有無も言わさぬ程の強さを持ち、如何にリーシャといえどもそれ以上口を開く事は出来なかった。

 リーシャとカミュの間の溝は、アリアハンから出て四年の月日を経て埋まっている。既にその心と心の間に溝などはないかもしれない。だが、この『オルテガ』という人物に関してだけは、どれ程にリーシャがカミュの心へ入り込もうとしても、どれ程にその心を慮り、その心を知ろうと語りかけても、彼が心の全てを開く事はなかった。

 カミュの挙げた腕を見ながら悔しそうに唇を噛むリーシャの姿が、この四年の月日を経て尚、心を開かないその姿に対する彼女の心の内を明確に物語っているのかもしれない。

 

「……済まぬな。そなた達にこの『シルバーオーブ』を渡そう。全てのオーブを持ち、遥か南にあるレイアムランドへ向かうが良い」

 

 悔しそうに顔を歪めるリーシャへ視線を送った男性は、軽く目を伏せて謝罪の言葉を口にする。それに対するリーシャやサラの反応を見る事無く、男性は懐から一つの珠を取り出した。

 今まで一行が見て来たオーブとは明らかに異なるそれは、淡い光ではなく、眩いばかりの銀色に輝きを放っている。見上げていたメルエは、その光の眩しさに手で目を覆うが、それでも興味があるのか、手の隙間から輝く珠へ視線を送っていた。

 輝きに落ち着きを見せた銀色の珠を、男性は目から手を離したメルエの掌に乗せる。自分の掌よりも小さな珠を見たメルエは、その輝きに頬を緩め、男性に対して小さく感謝の言葉を漏らした。にこやかな笑みを浮かべる男性の顔は、先程までと異なり、溢れる程の優しさと暖かさに満ちている。それを不思議そうに見るリーシャとは対照的に、それまで硬直していたサラは、釣られるように笑みを溢していた。

 

「そなたならば、必ず『魔王バラモス』の許へと辿り着き、そして打倒する事が出来るだろう。そして、そなた達ならば、ルビス様もラーミアも力を貸して下さる筈だ」

 

 男性は一度カミュへと視線を動かし、その瞳を見て大きく頷く。そして、一行へと視線を移し、もう一度頷いた。

 その瞳に宿る優しい光は、まるで自分の子供の成長を喜ぶ好々爺が持つ物に似ている。暖かく見つめる先にあるのは、カミュでありリーシャであり、サラでありメルエであった。

 『精霊ルビス』という名を出し、その従者の名さえも知っているこの男性の素性は解らない。だが、この場所にカミュ達を導いて来た者は、間違いなくこの男性なのであろう。

 最後のカギの情報を手にしたカミュ達がエジンベアへ向かい、渇きの壷を入手した彼らはそのまま浅瀬の祠へと向かった。そしてその祠で出会った男性も彼と同様の魂を持つ者だとすれば、その者が口にした『ギアガの大穴』という物もカミュ達を導く為の言葉なのかもしれない。

 浅瀬の祠で出会った魂は最早その力を残してはおらず、カミュ達に最後のカギの在り処を示す事で限界であった。だが、その後に再訪したランシールの神殿に居た男性は、まず間違いなく目の前で微笑む男性であろう。

 そこまで思考を及ばせたサラは、自分の中で不確かだった物の全てが隙間もなく嵌まって行くのを感じていた。

 

「そなた達と会うのも、これで最後となろう。ここまでの道程は厳しく辛い事も多かった筈だ。だが、そなた達ならば、我らが護れなかったこの広い世界の未来を……更なる希望に満ちた物へと繋げてくれると信じておる」

 

「……それは、『人』にとってでしょうか?」

 

 そこまで何一つ口を開かなかったサラは、男性が発した別れの言葉に口を挟んだ。柔らかな微笑を浮かべる者がサラの考えている通りの人物であれば、彼はその身で『魔王バラモス』に挑んだ事は間違いないだろう。

 だが、その挑戦の源となる想いが何処にあるのかは解らない。今のサラにとって、この広い世界は、決して『人』だけの物ではない。エルフも魔物も、動物も昆虫も、そして草木や花々に至るまで、その命の限り生きて行く為の世界であるのだ。故にこそ、サラは悩み、考え、泣き、そして歩き続けている。

 『自分の考えは間違っているのか』、『自分の進んでいる道は正しいのか』、その問いを彼女はこの男性に対してせずにはいられなかった。

 

「驕るでない!」

 

「!!」

 

 しかし、そのサラの心の問いかけは、先程までの柔和な笑みを消し去った男性によって一蹴される。厳しい瞳をサラへと向けた男性は、迷える若者を一喝するように声を発し、その心の迷いを吹き飛ばす。身体が跳ねるように硬直したサラの横で、驚いたメルエがカミュのマントの中へと逃げ込んでいた。

 一喝の言葉の後、暫しの静寂が建物内を支配する。男性に気圧されたように揺れ動いていた燭台の炎が落ち着きを取り戻した頃、ようやく男性はその口を再び開いた。

 

「そなた達にどれ程の力があろうと、この世界の理を定める事など出来はしない。この世界が誰の物でもない以上、この世界で生きる許可を与える事が出来る存在があるとすれば、それはこの世界そのものである。ルビス様や、その上にいらっしゃる創造神であろうと、既にこの世界で生まれ死に逝く物を定める事は不可能だ」

 

「……そ、それは」

 

 男性の口から発せられた言葉は、ここまでの四年のサラの苦悩を根本から覆す程に強烈な物であった。

 『人』を救うと伝えられる『賢者』であろうと、『世界』を救うと謳われる『勇者』であろうと、この世界で生きる生物達を区別する権利などないという、当然といえば当然の考え。だが、それは、生きとし生ける物の幸せを願うサラとしては、辿り着く事の出来なかった答えでもあった。

 彼女にとって、それは彼女の考える悩みであり、彼女が導き出す答えであった筈だからだ。しかし、そんな極当然の答えに既に辿り着いていた者もいた。それは、そんなサラに対して何度となくその言葉を掛け続けて来た者でもある。

 

「サラ、揺れるな。そんな事は、サラが一番解っていた筈だ。この世界自体も、その場所で生きている物達も、それぞれの命を懸命に燃やしている。サラが目指す未来は、その命を燃やし尽くす事の出来る世界だろう? サラが世界を変える訳ではないし、私達にそんな力はない。私達に出来る事は、そんな当たり前の未来を妨げようとする者を打倒する事だけだ」

 

「……リーシャさん」

 

 常にサラの傍を歩み、その背中を押して来た者。彼女が悩む時、迷う時、涙する時、そんな時に何も言わずに進むべき道を指し示し続けてくれた姉のような存在である。

 難しい話が得意ではない彼女の答えは、至極単純な物になりがちである。だが、そんな単純な答えが、凝り固まったサラの思考に斬新な一撃を入れて来た。暗中模索を繰り返すサラの思考は、そんな一撃を受けて何度も修正を繰り返して来ている。それこそが、彼女を『賢者』として成り立たせている源なのかもしれない。

 

「ふむ。もし、『人』がこの世界に必要のない存在であれば、魔王が人類を滅ぼすまでその脅威は続く筈。これまで数多の人間が『魔王討伐』に向かいながら、この場所へ辿り着いた者がいないという事は、この世界の後押しがなかったからやもしれん……だが、そなた達という希望が生まれた。それがこの世界の答えであると、私は信じておる」

 

「……私達の存在自体が……世界の答えだと?」

 

 男性の言葉に対して呆然とするサラの横で、リーシャは何かに納得するように頷く。しかし、その傍にいたカミュの顔は見るからに歪み、明らかな不快感を示していた。

 この男性の言葉をそのまま聞くと、カミュ達の四人は、この世界の見えない力によって操られている人形のようにも聞こえる。それは、彼等四人の人格や感情を完全に無視した考えであり、極論を言えば、この世界で生きている物全てを冒涜するような物とも言えるだろう。

 アリアハンという国を出立した頃は、カミュという青年は自分の境遇に諦め、只死に逝く旅を続ける為に旅立つと考えている節があった。常に自分を『そういう存在』と称し、周囲からの身勝手な期待や、過剰な責務を当たり前の物として受け入れて来たのである。

 そんな彼が、『そういう存在』という物へ嫌悪を示すという態度を出しているというのは、今までになかった物なのかもしれない。

 

「カミュ、そうではない……そうではないんだ。私達は、私達に希望を託して来た者達の為に戦えば良い。ポルトガ国王や、イヨ殿、そしてトルドのような、私達が応えたいと思う者達の為に前へ進めば良いんだ」

 

 カミュが自身の事を『そういう存在』と言う言葉で表現しなくなったのは何時頃からだろう。彼がその言葉を口にする度に顔を歪め、悔しそうに唇を噛んでいた女性戦士は、今更ながらにそんな事を考える。

 今、彼女の横で顔を歪める青年は、サラという『賢者』が傀儡のように言われる事を不快に思っていると同時に、自身さえもそれとは認めていないのだろう。それがリーシャには何よりも嬉しい事のように感じていた。

 カミュは今、己の意思で『魔王討伐』という道を歩んでいる。それを否定されたように感じた彼が、その表情を歪めているのだとしたら、この四年の旅路の中でリーシャが行って来た事が間違いではなかったのだろう。

 彼女は何度となく彼の心に踏み込んで行っている。それこそ、相手の怒りを買う事もあったし、相手の感情を押さえ込む事もあった。それでも、リーシャという女性の心の奥にあった想いは、『カミュという人物の心が知りたい』という物と同時に、『カミュという一個人が只の象徴ではない事を解らせたい』という物もあったのだ。

 その長年の想いが届いた事を感じた彼女は、不覚にも視界が歪んで行くのを感じていた。

 

「カミュ……そなたの持つ剣の一振りは、この世界の行く末を決める物ではない。だが、その一振りは、そなたの後ろを歩く者達の道となる。サラ、そなたの導き出す答えは、全ての種族の生死を定める物ではない。だが、その答えが世界で生きる物全ての希望となるだろう」

 

 カミュとリーシャのやり取りを見つめていた男性の瞳に、先程と同じような暖かく優しい光が戻って来ている。苦悩する二人の若者に向けられた優しい瞳は、その胸の内に渦巻く悩みと苦しみを正確に見出し、正しい方向へと導いて行く。それはまるで親が子を導くように厳しく、親が子を諭すように優しい。

 カミュの名だけではなく、自分の名前さえも呼ぶ男性に対して目を丸くしたサラであったが、その言葉の内容を聞き逃さぬように耳を欹てる。そんな中、剣呑な声が聞こえなくなった事でマントから顔を出したメルエは、そんな男性の笑顔を見て、花咲くような笑顔を浮かべた。

 

「では、古き者は去るとしよう。そなた達の歩む先に、新たな光と希望があらん事を……」

 

 先程まで周囲を満たしていた不安の闇が晴れた事を感じた男性は一度大きく頷き、マントから出て来たメルエの頭を優しく撫でる。不思議そうにその手を受け入れたメルエであったが、その手が思っていたよりも優しく暖かい事に、目を細めて微笑みを浮かべた。

 メルエの頭から手を離した男性の手が透けて行く。

 その手はもう何も掴む事は出来ない。

 彼が望んだ世界の未来も、彼自身が夢見た自分の未来も。

 それでも彼は微笑を崩さない。目の前で輝く若き希望に、彼自身が夢見た世界を託したのだから。

 

「……メルエ……幸せに暮らしなさい」

 

 既に身体の半分以上が消え失せていた男性ではあったが、自分を見上げる幼い少女にだけ聞こえる呟きを漏らす。自分の名前が呼ばれた事に驚いたメルエが、何事かと問いかけようとした時には既にその身体の全てが天へと溶けていた。

 最後まで微笑を崩さなかった男性の魂から未来を託された四人の若者は、暫しの間、主の居なくなった建物内の虚空を眺める事となる。

 どれくらいの時間が経ったのかを誰もが口にしない中、不可思議に灯っていた燭台の炎が、奥の方から一つずつ消えて行く。まるで、この場所の役目が全て終わったかのように引いて行く炎の幕が、カミュ達の退場を促して行った。

 

「……あれは一体誰だったのだろうな?」

 

「あの方は、おそらく……いえ、これも推測の話ですね」

 

 外の時間もそれなりに経過していたのだろう。全ての燭台の炎が消え失せた建物内は、入って来た時よりも薄暗い。主を失った事も起因しているのか、肌寒ささえも感じる程の空気が流れていた。

 疑問を口にするリーシャに対し、何らかの答えに辿り着いているサラが答えようとするが、それは何時ものように途中で止められる。彼女自身に確信に近い程の想いはあるのだろうが、それを口にしたところで推測の域を出る訳ではない。そして、何より、あの男性の素性を知ったところで、自分達の旅の道が変わる訳でもない、とこの時のサラは考えていた。

 

「……行くぞ」

 

「ああ」

 

 既に建物の外へと出ていたカミュの傍には、リーシャ達を見つめるメルエがいる。ここが彼等の旅の終着点でない限り、彼等の歩みが止まる事もないのだ。

 次の目的地は『レイアムランド』。

 精霊ルビスの従者である、『不死鳥ラーミア』の眠る土地。

 カミュ達の手元には、その従者を蘇らせる為の『オーブ』が全て揃っている。

 『紫』、『赤』、『緑』、『青』、『黄』、『銀』という六つの珠が揃う時、この世界の守護者の従者が蘇るという伝説が、遂に現実のものとなるのだ。

 

「ルーラ」

 

 彼等が最も信頼する海の男達と出会う為に詠唱を開始し、それが完成すると同時に空中へと浮かび上がった彼等の身体が、北西の空へと消えて行く。

 『魔王バラモス』に挑む為に旅立った者達の数は計り知れない。だが、その中で『魔王バラモス』の姿を見た者は皆無と言っても過言ではなかった。

 誰も到達する事が出来ず、誰も達成する事が出来なかった、そんな遥か高みへとカミュ達四人は駆け上がって来ていた。

 それは、世界を見守る『精霊ルビス』の加護なのか、それとも均衡を保とうとする世界そのものの意思なのか。

 それは誰にも解りはしない。

 

 

 

 




読んで頂き、ありがとうございました。

今回は少し短めです。
戦闘を抜きましたので、少し短くなってしまいました。
ようやくバラモスに手が掛かりそうになっています。
ご意見、ご感想を心よりお待ちしております。

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