新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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レイアムランド

 

 

 

 一行の乗った船はその後は順調に航海を続けていた。海は荒れる事はなく、天候が急変する事もない。比較的穏やかな海原を南へ南へと船は進んで行った。

 先の戦闘で腕を失った船員も、己の仕事を全うしている。他の人間達も彼に対して特別な配慮をする訳でもなく、いつも通りに仕事を振っていた。だが、時折訪れる片手では不可能な仕事に関してだけは、何人かの船員がさり気無く手を貸し、何事もなかったように己の仕事に戻って行く。

 最初こそ、申し訳なさそうに顔を下げていた片腕の船員であったが、己の武器となったバトルアックスを見つめ、再び顔を上げて仕事を始める。そんな事を続けながらも、船は真っ直ぐレイアムランドへと向かっていた。

 

「気温が下がって来ましたね……南へ向かっている筈なのに」

 

「そうだな。この分では、雪でも降り始めそうだ」

 

 船が南へ進む度に上がっていた気温は、ある地点を境に急激に下降して行く事となる。南下して行けば行く分だけ気温は高くなるというのがこの世界の常識であり、比較的南方にあるアリアハン大陸などは、常に穏やかな気温で一年が経過する。だが、アリアハン大陸の緯度を越えた辺りから周囲の気温が急激に下がっていた。

 太陽の光が届かない訳ではない。甲板の上には太陽が燦々と輝いており、その光を海へと降り注いでいる。だが、その太陽がテドン辺りにいた頃よりも遠く感じる事にサラは気付いていた。

 太陽との明確な距離が解るという訳もなく、只単純にそう感じるというものであった為、その事をサラも口にする事はなく、気温が下がって来ている事だけに疑問を感じているように口を開く。それを聞いたリーシャも肌寒さを感じていたのだろう。サラの言葉に同意を示し、若干雲が広がり始めた空へと視線を移した。

 

「メルエ、上に防寒具を着ましょう。ほら、こっちへ来て」

 

「…………むぅ………いや…………」

 

 何時ものように甲板に置かれた木箱の上から海を眺めていたメルエは、サラの呼びかけに頬を膨らませ、そのまま『ぷいっ』と顔を背けてしまう。甲板の中央にいるリーシャやサラとは異なり、船の縁から海を眺めているメルエは冷たい風を身体全体に受けている筈である。だが、冷たい風を受けた事で頬を赤くしている少女は、防寒具を着る事を拒否していた。

 基本的にメルエは厚着を嫌う節がある。アンの服を着ていた頃も、天使のローブを着ている今も、それ以上の重ね着をする事を嫌がるのだ。購入して貰ったマントは、カミュとお揃いという事もあり、余程の事がない限り脱ごうとはしないが、手を覆う手袋でさえも嫌がるメルエの身体に防寒具を着せる事はいつの間にかサラの役目になっていた。

 

「もう! いつもいつも我儘を言って! こんなに頬も手も赤くなっているのですから、寒いのでしょう!?」

 

「…………メルエ………さむくない…………」

 

 鼻息を荒くしながら近寄って来るサラから逃げるように顔を背けるメルエの手は、言葉通りかなり冷たくなっている。赤くなった手はそのまま放っておけば凍傷にかかってしまう恐れさえもある。もしかすれば、既にメルエには手の感覚さえもないのではないかという極論にまで達したサラは、大慌ててその手を摩り、息を吐きかけて暖め始めた。

 自分の手を何故か摩るサラの行動が理解出来ないメルエは、先程までの不機嫌さを無くし、不思議そうに首を傾げる。そんな二人の姿に苦笑を浮かべたリーシャは、ようやく重い腰を上げて近づいて行った。

 

「メルエ、そのまま放っておいたら、手が腐って落ちてしまうぞ? 赤い内ならまだ良いが、それが紫色になってしまったら、メルエの手はもう駄目だな」

 

「…………!!………いや…………」

 

 突如現れたリーシャが告げた言葉は、メルエの幼い恐怖心を煽って行く。確かにリーシャの言う通り、今のメルエの手はほんのり赤く染まっている。それが紫色へ変化するまでの時間がどの程度なのかは解らないが、彼女が慕う母のような存在が嘘を言う訳がない以上、もしこの手が紫色になってしまった時、メルエの手は枯葉が地面へ落ちるように手首から先が落ちてしまうのだろう。そんな恐怖心しか湧かない光景がメルエの頭に過ぎって行った。

 瞬間的に首を横へと振ったメルエは、サラの持っていた手袋を大急ぎで手に嵌め、何度も取っては中にある自分の手の色を確認する。しかし、そう簡単に手の色が変わる訳は無く、何度見ても赤い色をしている自分の手を見て、泣きそうな表情でリーシャを見上げるのであった。

 

「大丈夫ですよ。暫く手袋をしていれば、普通の色へと戻ります。さぁ、上着も羽織りましょう」

 

 メルエが着る『天使のローブ』という防具は、ローブという名はついているが、上着のように羽織る物ではない。中に薄いワンピースのような物を着て、その上に桃色の法衣のような物を纏うような物であった。正確に言えば、この桃色の法衣のような物が『天使のローブ』と呼ばれる効力を持っているのかもしれない。

 身体に羽毛の入った厚手の物を着せられ、動き辛そうに顔を顰めるメルエの姿に、サラとリーシャは笑みを浮かべる。それでも文句を言わないのは、この幼い少女の中で腐った死体のようになってしまうという恐怖心があるからなのだろう。

 

「降って来たな……」

 

「最南端まで行けば、最北端と同様に気温は低いのかもしれませんね」

 

 先程まで見えていた太陽は厚い雲に覆われて見えなくなっている。陽の光が届き辛くなっている為、周囲が薄暗くなり、空を見上げると白い小さな結晶が降り始めていた。

 雪という物は、基本的には北方の地域でしか見る事が出来ない。元々気温が上がりづらい地域では、季節によっては雪に覆われる地域もあるのだ。だが、現在の季節がそうでない以上、このような南方で雪が舞い落ちるという現象が、この場所が北の果てにあるグリンラッドと同様の気候になっているという推測が出来るだろう。

 

「島が見えて来たぞ!」

 

 舞い落ちる雪が自分の頬に当たった事で笑顔を取り戻したメルエが空に向かって大きく手を広げた頃、寒さに震えながらも見張り台に立っていた船員から前方に陸地が見えて来たという声が掛かる。全員が前方へと視線を送ると、舞い散る雪の向こうに青い海とは異なる色が見えて来た。

 陸地である事に間違いはないのだろうが、その場所は以前に訪れたグリンラッドと同様に真っ白な雪に覆われており、永久凍土に近い場所である事が解る。グリンラッドには草木が生えるような場所があったが、この場所にそれがあるかも怪しいほどに真っ白に染め上げられていた。

 

「上陸出来そうな場所を探す。しかし……この場所に錨を下ろせるような場所があるかは定かじゃないな」

 

「難しいのであれば、こちらで何とかする」

 

 カミュの返答に苦笑を浮かべた頭目は、『そう言われちゃ、意地でも何とかするのが海の男だ』という言葉を残し、船員達に向かって矢継ぎ早に指示を飛ばして行く。指示を受けた船員達はそれぞれの仕事へと戻り、船の上陸に向かって着々と向かって行った。

 陽が落ちる頃には錨を下ろす場所も決まり、停泊した船で一夜を明かした後、陽が昇ると同時に上陸する事になる。久しぶりに見た雪に興奮冷めやらぬメルエを寝かし付けるのに苦労したリーシャは深々と降り積もる雪を船室の窓から眺めながら、自然に瞼が落ちるのを待って眠りに就いた。

 

 

 

 翌朝、太陽が昇ると同時に、防寒具に身を固めた一行は上陸を果たす。一面雪に覆われた場所は、誰もが通る事は無かったのだろう、一歩進む度に足が沈み込み、身体ごと落ち込みそうになるほどであった。元々体の小さなメルエなどは一歩進もうとすれば腰までがすっぽりと入ってしまい、まともに歩く事も出来ない。仕方ないと首を振ったリーシャが抱き上げるが、折角楽しみにしていた雪から引き剥がされた事に不満を露にしたメルエが頬を膨らませた。

 一歩進む毎に深々と突き刺さる足を引き抜き、再び奥へと嵌る雪原を歩くのは想像以上の体力を使う事になる。一向に歩は進まず、太陽は傾き、風と共に吹きつける雪が強くなって行く。防寒具に積もる雪を払いながらも歩く一行の前に魔物が表れる事もなかった。

 

「カミュ、何処かで休める所を探さなければ、陽が落ちてからでは厳しい事になるぞ」

 

「ああ」

 

 見渡す限り雪原を歩いているだけに、周囲に身を隠すような場所は見当たらない。洞穴のような場所があればよいが、山のような場所を歩いている訳ではない為、そのような穴も発見出来なかった。

 次第に強まって行く雪は、既に吹雪といっても過言ではない。視界も悪くなっている中、唯一の明かりである太陽の微かな光さえも遮られてしまっては、歩むべき道さえも見失ってしまう可能性もあるのだ。

 

「し、しかし……周囲に風や雪を遮るような場所はありませんよ!」

 

 最早大声で語り掛けなければサラからカミュへの言葉は届かない。体力的に二人よりも劣るサラは、メルエを抱いたリーシャよりも後方を歩いていた。口を開く度に口の中へ入る雪に顔を顰めながらも、しっかり開かない目を懸命に開けたサラは、薄暗くなり始めた周囲を見て口を開く。

 同じように周囲を見渡したリーシャは、身体の態勢を立て直しながらも、再びカミュへと声を飛ばした。

 

「カミュ! 遮る場所が無ければ、作るしかないぞ!」

 

「何を言っているのか、理解に苦しむ!」

 

 『なければ作れば良い』

 この考えが、多種族に比べて遥かに劣る人類が、この世界で繁栄した原点である。

 エルフ族に比べて魔法力は無く、魔族に比べて力も無い。鳥のように大空を飛ぶ事も出来ず、魚のように海を渡る事も出来ない。草花のように太陽の光だけで生きて行く事は出来ず、牛や馬のように草花だけを食して生きて行く事も出来ない。

 そんな人類がここまで繁栄を遂げたのは、その無力さを実感し、自分達でも他種族のような優位性を実現出来ないかと試行錯誤を繰り返して来た結果なのだ。

 魔法力が少ないのであれば、行使出来る数少ない呪文をより深く研究すれば良い。力が足りないのであれば、それを補う武器や防具を生み出せば良い。空を飛べないのであれば、それを補う呪文を行使する為に研究をし、海を泳ぎ渡る事が出来なければ、それが可能な乗り物を作れば良い。そういう過程を経て、現在の人類は成長を続けて来たのだ。

 リーシャの口にした言葉は、実に人間らしい物であった。だが、そんな実例がない以上、カミュは不快そうに言葉を吐き捨て、サラは困惑するように首を傾げる。既にメルエは眠そうに目を擦っており、三人の会話に興味を示してはいなかった。

 

「この大量にある雪で洞穴のような物を作れば良い! 風を凌げれば、寒さ程度は何とかなるだろう!」

 

 一気に言い切ったリーシャは、カミュにメルエの身体を預け、手袋の上から周囲の雪をかき集め始める。少し前辺りから、足が沈み込む深さは変化していた。太腿近辺まで沈み込んでいた雪の道は、足首程度の沈み込みに抑えられて来ている。

 海に近い場所ほど、降り積もる雪が新雪なのだろう。比較的温かな場所に降り積もる雪は、太陽の熱で解かされる事も多く、凍りつく前に再び雪が降り積もるのかもしれない。それに対し、既に島の内陸側に移動していたカミュ達のいる場所は、雪の量は差ほどでもないが、誰も踏みしめない雪が氷となって固まっていたのだった。

 氷の上に降り積もった新雪を集め、リーシャは手早く洞穴のような物を作成して行く。カミュ達四人が入れるほどの洞穴が出来たのは、頭の上に降り積もった雪によって、サラの身長がカミュと並ぶほどになった頃であった。

 

「これでどうだ!?」

 

「……リーシャさんの凄さを改めて感じました」

 

 誇らしげに胸を張るリーシャの肩から湯気が立っている。それだけの重労働であった事は確かであるが、その結果出来上がった物を見たサラは、自分の中にある常識という物が如何に役に立たないものであるかを改めて感じる事となった。

 同じように唖然として吹雪を頬に受けていたカミュは、何を思ったのか革袋から『たいまつ』を取り出し、それに点された炎を雪で作った洞穴の淵に翳す。徐々に溶ける雪を見たリーシャが、自分の力作を壊しに掛かっているのだと感じ、血相を変えてカミュへと詰め寄った。

 

「壊すつもりは無い。こうしておけば淵は凍るだろう」

 

「……なるほど。そうすれば強い風が来ても耐えられますね」

 

 溶けた場所は、即座に凍りついて行く。それだけの気温である事もあるのだが、その場所に新雪が積もっても、凍りついた場所であれば、それ程積もらずに下へと落ちて行くだろう。幸い、この雪の洞穴は円形状に作られていた。

 カミュの考えている事が理解出来たサラは納得したように頷いているが、その仕組みが理解出来ないリーシャは、釈然としないように眉を顰める。だが、カミュが破壊しようとしている訳ではない事だけは理解出来た為、それ以上は何も口にしなかった。

 唯一人、出来上がった巨大な雪の洞穴を見上げていた幼い少女は、その出来栄えに目を輝かせ、誰よりも早くに中へと入り、雪や風の影響がない事に頬を緩ませる。そのままもう一度外へ出されたその顔は、満面の笑みを湛えていた。

 

 雪で作成された洞穴の中は、風や雪を遮れるだけではなく、温かさも持ち合わせていた。四人で入る事が出来ると言っても、宿屋ほどの広さは無い。故に、四人の体温で暖められたその場所は、入り口が狭い事もあって暖かな空気が逃げていかないのだろう。

 火を熾す事が叶わない為、リーシャとサラ、そしてメルエは身体を寄せ合うようにして固まり、そしてメルエは何時しか眠りに就いてしまっていた。濡れた服は乾かないが、汗で身体が冷える事はない。濡れた身体をこのような雪原で放置しておけば、その場所から凍りつき、腐り落ちてしまう恐れもある。だが、そのような可能性を危惧する必要もなさそうであった。

 

 

 

「よし、風も落ち着いて来たな」

 

 翌朝、太陽の光が真っ白な雪原に輝く頃、雪の洞穴から顔を出したリーシャは、外の状況を確認して顔を綻ばせた。

 雪自体は夜半過ぎに止みはしたが、風が強く降り積もった雪を舞い上がらせ、視界が極めて悪かったのだ。だが、朝陽が昇ると共に風は大分弱まり、雪は太陽の光を反射する輝く大地へと変化して行く。ようやく出発する事が出来そうになり、一行は出発の準備を始めた。

 メルエだけは、リーシャが作成した雪の洞穴から出るのを嫌がり、駄々を捏ねるように頬を膨らませるのだが、『ならば、メルエはここでお留守番だな』というリーシャの言葉を聞き、慌てて準備を始める事となる。

 

「おそらくですが、地図上ではこの辺りでしょうね」

 

「無闇に歩き回っても仕方がないが、ここまで見渡す限り雪原では歩くしかないのか」

 

 歩き始めた一行は、カミュが持つ地図へと視線を落とす。大きな世界地図のような物しか所有していない彼等が見るのは、大まかな場所である。このレイアムランドという南の果てにある島自体の開拓が進んでいない以上、この島の詳しい地図がある訳もなく、船が進んだ航路から大まかな上陸地点を導き出し、現在位置を把握する事しか出来ないのだ。

 上陸したのは、島の北東にある場所である事が予想され、微かに見える太陽の位置から、その場所より南西に進んで来たのだと考えられる。巨大な雪原が広がる永久凍土の島には目印となる場所などは無く、通常の旅人であれば、迷い彷徨い死んで行くのが常であろう。彼等が培って来た四年の経験があるからこそ、この雪原を突き進む事が出来るのかもしれない。

 

「島の中央付近を目指して歩く。何かを見たら声を出せ」

 

「わかった」

 

「わかりました」

 

「…………メルエも…………」

 

 進む方角の方針が定まり、カミュの言葉に他の三人が頷きを返す。

 島の中央を目指すとはいえ、その場所が中央付近である事が明確にわかる訳ではない。歩く速度と、掛かる日数によって計算をして行くしかないのだ。それは、彼等が歩んで来た四年という経験が成せる技であろう。

 

 その後、四日近く雪原を歩き続けた彼等は、寒さと疲労で誰しもが口数が少なくなる中、ようやく目的地へと到達する事となる。その場所は、雪原に建てられた巨大な神殿。遥か上空に見える円形の屋根は、雪に覆われて尚、その雄大さを現していた。

 神殿を覆うように作られた石壁は、その高さも然る事ながら、その長さにも驚くほどの物。先が見えない壁を呆然と見つめるメルエの横で、目の前にある巨大な門の前に祀られた『精霊ルビス』の像からサラは目を離す事が出来なかった。

 天へと祈りを奉げるように手を合わせた『精霊ルビス』の瞳は、それと相反するように大地へと向けられている。瞳を閉じる訳でもなく、そしてその手を広げている訳でもない。まるで、この大地に生きる物全てを見守るように、その像は佇んでいた。

 門の正面から見ると、円形の神殿の屋根は『精霊ルビス』を護る巨大な羽根のようにも見える。大きく広げられた羽根が、世界を見守るルビス像を護っているのだ。従者が主人を包み込むようなその姿は、サラの心に深く刻まれて行った。

 

「ここに不死鳥ラーミアがいるのか」

 

 見上げる程に大きな神殿にリーシャは感嘆の声を上げる。その横で、同じように見上げようとしたメルエが、その余りの高さに引っ繰り返りそうになるのをその手で押さえたカミュは、そのまま神殿の門を潜って行った。

 城門のように大きな門の横にある勝手口のような扉に鍵は掛けられておらず、来る者を拒む様子はない。このような極寒の地を訪れようとする者もいないのだろうが、まずレイアムランドという島が存在する事を知る者もいないのだろう。そして、例えその存在を知っていたとしても、海の果てが底の見えない崖になっていると信じているこの世界の住人は、南の果てにあると伝えられるレイアムランドに向かおうとは考えないのだ。

 

「広いな……」

 

「はい」

 

 中に入ると、外から見た通りに巨大な広間が広がっていた。

 その圧倒的な広さと天井の高さは、以前に訪れたダーマ神殿という、ルビス教の聖地さえも足元に及ばない。リーシャはその巨大さに圧倒され、サラは言葉を失った。

 中央には巨大な燭台があり、大きな炎が点されている。その炎によって広間全体を照らして入るが、炎の大きさと広間の大きさの釣り合いが取れていない為、広間は薄暗く翳っていた。

 真っ直ぐに中央へと歩いて行くカミュの後ろに続いたサラ達は、その広間の状況が徐々に見えて来る。中央の燭台の後ろには巨大な台座があり、その台座の上には楕円形の球体の影が映っていた。そして、その台座を囲むようにサラの背丈と同じ高さの金の台座が等間隔に六点設置されている。その六点の黄金色に輝く台座の横に二つずつの小さな燭台があるが、こちらには炎が点されてはおらず、周囲を照らすだけの明かりが灯るとも思えない程の大きさであった。

 

「……人か?」

 

「えっ?」

 

 巨大な楕円形の影が乗る台座に近づいていた先頭のカミュが突如立ち止まる。突然立ち止まったカミュの背中に周囲を物珍しげに見ていたメルエが衝突し、不満そうな表情を浮かべた時、不意にカミュが口を開いた。

 その言葉に正面へと視線を向けたサラは、カミュの言葉通りに台座の前に二つの人影がある事を確認し、驚きの表情を浮かべる。サラとしては、このような極寒の地に人間がいるとは考えていなかったのだろう。このような場所では『人』が生きる為の食料も無く、常に雪や氷に覆われた場所では寒さで命を落とす可能性もあるからだ。

 だが、更に一歩ずつ近寄った結果、それが間違いなく二人の人間の姿だという事が理解出来た。いや、正確に言えば人間ではないのかもしれない。二人の背丈はメルエよりも小さな者であり、このような極寒の地で人間の子供が生きて行く事が不可能である以上、異なる種族と考えた方が正しいのだろう。

 

「私達は卵を護っています」

 

「え?」

 

 先頭のカミュが二人へ言葉を掛ける前に、片方が口を開く。カミュ達になど興味がないかのように、振り返る事無く、視線は台座へと向けられていた。それでもその言葉が自分達に向けられた物である事を理解したカミュ達は、その場で立ち止まり、その言葉に耳を傾ける。

 台座に近づいたサラは、ようやくその上に乗った物を把握する事が出来た。それはサラどころか、リーシャの背丈よりも遥かに大きな卵。一体何の卵かも解らない程に巨大な物であり、巨大生物の多い魔物の中でも、この卵に見合う大きさの物となれば、龍種以外にはないだろうと考えられる程物であった。

 そして、薄暗い中で気付きはしなかったのだが、その卵の真上に屋根は無く、透明なガラスで覆われている。そのガラスの大きさも卵をすっぽりと飲み込んでしまうほどに大きく、如何にこの神殿自体が巨大なのかを明確に表していた。

 

「世界中に散らばる六つのオーブを金の台座に奉げた時……」

 

「伝説の不死鳥『ラーミア』は蘇りましょう」

 

 卵が放つ圧倒的な存在感に気圧されそうになっていたサラを余所に、台座から視線を動かさなかった二人の人間がカミュ達へと振り返る。振り返った二人の者の顔を見たカミュやリーシャは驚き、サラは何処か納得してしまう。

 その二人の者は、女性と言われれば女性に見え、男性だと言われれば男性にも見える中性的な存在であったのだ。背丈こそ小さいが、その瞳が宿す物は幼子のそれではない。自身の役割を把握し、それを担うだけの資質を備えている事が、サラには理解出来た。それは、カミュ達が歩んだ四年の月日の経験があってこそなのだろうが、その姿こそが『精霊ルビス』の従者に相応しい物のようにも感じたのだった。

 

「メルエ」

 

「…………ん…………」

 

 言葉を投げかけた後、役目を終えたかのように再び台座へ視線を移した二人を見たカミュは、そのまま台座を中心に配置された六つの台座の方へと歩いて行く。カミュに声を掛けられたメルエはポシェットに手を入れ、その後を追いかけて駆け出した。

 金の台座の一つに辿り着いたカミュは、メルエが取り出した一つのオーブを手に取る。

そのオーブの輝きは『紫』。

 異教徒の住む島として伝えられる島国であり、この世界を救うと謳われる『勇者』として生きる青年の祖母が生まれ育った、日出る国の国主に伝わる霊宝。

 民を愛し、民と共に泣き、民と共に喜ぶ国主が、懸命に民を護ろうとその身を奉げて生きる証である。

 それは『決意』の珠。

 

「あっ……」

 

 金の台座へと『パープルオーブ』を置いた瞬間、その台座の両脇にある燭台に炎が点る。サラが少し間の抜けた声を上げた時には、カミュとメルエは次の台座へと移動を始めていた。

 次の台座に辿り着いたカミュへ、再びメルエがポシェットから出したオーブを手渡す。

 その輝きは『赤』。

 この世界にある七つの海の覇権を争った海賊達が、その行く末を誓い合った証。一方は滅び、一方が残る中、それぞれの想いと願いが込められた珠である。最後まで悪党であり続けた者と、悪党で終わるのではなく、自分を信じて着いて来る者達と共に生きる者との想いが合わさった結晶。

 それは『夢』の珠。

 

「この炎に、数多くの想いが詰まっているのだな」

 

「は、はい」

 

 再び点った炎を見上げたリーシャは、自分達が歩んで来た旅を振り返る。決して楽な道ではなく、辛いだけの旅でもなかった。その中で出会った数多くの者達に支えられて来たからこそ、今の彼等があるのだろう。

 それを感じたサラもまた、揺らぐ炎がぼやけて来るのを感じながらも、懸命に頷きを返す。いつでも彼女は一人ではなかった。それは、アリアハンで生きていた時も、そしてこの旅の中であってもだ。

 

「メルエ」

 

「…………ん…………」

 

 次の台座に辿り着いたカミュの声に応えたメルエの手に、次のオーブが乗せられている。

 その輝きは『緑』。

 既にこの世界から消え去った小さな村に残された父の願い。その願いに応える為に、その村に残る魂の欠片を集め、奇跡を起こし続けて来た珠。自らの命を奉げ、娘の幸せを祈り続けた男のささやかであるが故に壮大な願い。それを叶え続けて来た奇跡の証。

 それは『祈り』の珠。

 

「メルエのお父様とお母様の願いの炎ですね」

 

「ああ」

 

 一際輝くように燃え上がった炎は、メルエという幼い少女の幸せを願い、その身に愛を注ぐかのように暖かい。『精霊ルビス』の祝福を受け、その御許へと昇った両親が、今も笑顔でカミュの後ろを付いて歩く少女を見守り続けてくれる事を願ってサラは胸に手を合わせた。

 四つ目の台座に奉げられた珠の輝きは『青』。

 『精霊ルビス』の許、大地の女神が愛した防具が眠る場所。たった一人でしか入る事を許されず、その者の覚悟と想いを試される場所で輝いていた珠。

 己の存在を認め、己の矮小さを自覚して尚、前へと進もうとする者の前に姿を現すその珠は、『精霊ルビス』の前に跪く像の手の中に納められていた。

 それは『勇気』の珠。

 

「……あと二つ」

 

 巨大な卵が乗る台座の周囲を囲むように燃え上がる炎を視界に納めた中性的な二人は、小さく呟きを漏らす。何かを期待するように、喜びを押さえつけているかのように、その声は微かな震えを含んでいた。

 そして、カミュとメルエがリーシャ達とは対角線上にある台座へと近づいて行く。幼い小さな手からまた一つのオーブが手渡される。雪雲の隙間から顔を出した太陽の輝きが、卵の真上にあるガラス張りの屋根を通してオーブへと降り注いだ。

 その輝きは『黄』。

 他のオーブとは異なり、それはあらゆる者の手を渡り歩いて世界を渡る珠。人間という種族に限らず渡り歩くその輝きを繋ぐのは絆である。

 アリアハンを旅立った一行が最初に築いた絆は、過疎化が進む小さな村で道具屋を営んでいた男であった。妻と娘を失い、それの原因となった己を呪い、自責の念で潰されそうになったその男に未来へと繋がる道を示したのはカミュ達であり、その男が自己を犠牲にしてでも絆に応えようとした証。

 それは『信頼』の珠。

 

「トルドさんは大丈夫でしょうか……」

 

「大丈夫だ。魔王を討ち果たした後には、真っ先に知らせに行こう」

 

 点された炎は、そのオーブを手にした男のように力強く、それを見たサラの頭にあの結末が思い出される。カミュ達にとって望まぬ結末になってはしまったが、彼の命はまだ繋がっていた。リーシャの手がサラの肩に乗せられ、その暖かさを感じたサラは大きく頷きを返す。

 最後の台座は、既に晴れ渡った空から降り注ぐ太陽の光を受け、黄金色に輝いていた。最初に置いたパープルオーブの対面に位置する場所にある金の台座に辿り着いたカミュの手に最後のオーブが乗せられる。

 眩いばかりに輝く金の台座と相対するような輝きは『銀』。

 この世界を憂い、『人』の行く末を憂い、己の命をかけて戦って来た男性からこの世界の未来を託された証。人間の為だけではなく、この世界で生きる全ての物の幸せな未来を願い、その命を賭けて来た者達の想いを宿す宝玉。

 それは『希望』の珠。

 

「私達は……私達は、この日をどんなに待ち望んでいた事でしょう」

 

 最後のオーブが奉げられた。

 全ての台座にオーブが並び、全ての燭台に炎が点る。全てのオーブが一斉にその身を輝かせ始め、その輝きは共鳴するように大きくなって行った。

 オーブごとに異なる輝きの色を眺めていた二人の者は、感動に打ち震えるように声を詰まらせる。それでもその瞳は真っ直ぐに台座へ向けられ、鎮座する巨大な卵に向かって両手を伸ばした。

 その姿はまるで我が子の誕生を願う母親のようにも、まるで弟や妹の誕生を祝う兄や姉のようにも見える。徐々に六つのオーブの輝きが増して行く中、リーシャとサラの許へと戻って来たカミュとメルエも台座の卵へと視線を移した。

 

「時は来たれり……今こそ目覚めの時!」

 

「無限に広がる大空はそなたの物……舞い上がれ、大空高く!」

 

 中性的な空気を持つ二人が言葉を発する。その言葉に呼応するようにオーブの輝きが一つに集まり、一気に卵へと集約されて行く。卵の中へ吸い込まれるように、六色に輝く光が広間を輝かせた。

 全ての明かりが卵へと吸い込まれるのと同時に、燭台に点っていた炎もまた消えて行く。先程まで輝いていた太陽さえも、一時的に流れて来た雲に顔を隠し、広間は薄暗い闇に閉ざされて行った。

 

「なんだ?」

 

 闇と静寂が支配し始めた広間に、小さな音が響き始める。その音を聞き取ったリーシャが不思議そうに台座を注視すると、その台座に乗せられていた卵が震えるように動いていた。右に左にと動く卵の殻へ少しずつ亀裂が入って行く。亀裂が大きくなる度に雲に隠れていた太陽が顔を出し始める。

 その誕生を祝福するように降り注ぎ始めた太陽の輝きが、巨大な神殿の広間を全て包み込んだ時、待ち望まれたその刻が訪れた。

 

「キュエェェェ」

 

 広間全体に轟く雄叫びは、広間の空気を震わせ、聞く者の身体さえも震わせる。だが、その震えは決して恐怖から来る物ではなく、感動に近い震えであった。

 分厚い殻を突き破って飛び出して来たそれは、神々しい程の輝きを放つ巨大な鳥。

 純白の翼を大きく広げ、天高く雄叫びを上げるその姿は、精霊ルビスの従者というよりも神の従者に近しい物にさえ見える。赤い鶏冠は炎が燃えるように輝き、白い羽毛で覆われた首筋の付け根は、森を思わせるような鮮やかな緑色の毛で覆われていた。瞳は青空のように深い蒼色をしており、嘴は黄色く輝く。見る者を魅了するような尾羽は紫色が映え、その先は銀色の羽毛が太陽の光を受けて輝いている。

 まるで全てのオーブの色を受け継いだかのようなその鮮やかな色合いは、不死鳥という名よりも、遥か昔に伝承と化した『鳳凰』という存在と云えるのかもしれない。しかし、その伝承もまた、遥か昔にジパングで語られていた伝説の存在である為、今この時代でその名を知る者は誰一人としていないのも事実である。

 

「…………きれい…………」

 

「ルビス様の従者……ラーミア様」

 

 その高貴な姿にメルエは目を輝かせ、サラは心を奪われたかのようにうわ言を口にする。カミュ達を一瞥したラーミアは、そのまま神殿の中で数度羽ばたき、そのまま天井を覆っていたガラスに向かって一気に飛び上がった。

 カミュ達四人の誰もがガラスに衝突すると感じた瞬間、まるで吸い込まれるようにガラスをすり抜けて行く。障害など無かったかのように大空へと飛び上がったラーミアに唖然としたサラではあったが、上空に向けていた視線を戻し、振り返った二人の者を見て我に返った。

 中性的な顔立ちをした二人の身体もまた、先程のラーミアのように輝きを放っている。眩しいほどではないが、静かな輝きは神々しさを湛えていた。

 

「伝説の不死鳥ラーミアは蘇りました。ラーミアは神の下僕(しもべ)……心正しき者であれば、その背に乗る事を許されるでしょう」

 

「さぁ、ラーミアが貴方達を待っています。外へ出てご覧なさい」

 

 二人の者の顔には優しい笑みが浮かんでいる。その笑みを包み込むように輝きが増して行く。包み込んだ光がそのまま集約され、その背に翼を生み出すように形を形成して行った。

 不死鳥ラーミアの誕生に驚いていたサラの表情に、先程以上の驚愕が張り付く。笑顔を浮かべたままの二人は、そのまま空中へと浮かび上がり、ラーミアと同じ経路を辿って天へと昇って行ったのだ。

 

「精霊様……」

 

 この世界で精霊と称されるのは『ルビス』だけではない。数多くの精霊達の頂点に立つ者が『精霊ルビス』であるのだ。

 その精霊を見た者はこの世界でも限られた者しかいない。その限られた者の中でも現存する者など皆無に等しいだろう。それ程に貴重な出会いを果たしたのだが、余りの光景にカミュ達の思考が追いついて行かない。そんな中、メルエだけは先程飛び出していったラーミアの後を追いかけたいのか、頻りにカミュのマントの裾を引き続けていた。

 

「出るぞ……」

 

 その言葉を合図に外へと向かって歩き出すカミュ。その後ろを嬉しそうに笑顔を浮かべながら追うメルエ。そんな二人が出口へと消え去って初めて、自分達が置いていかれた事を理解したリーシャとサラは、慌てて出口へと駆け出した。

 誰もいなくなった神殿内に暗闇と静寂が支配する。台座の全ての炎が消え失せ、差し込む陽光だけが台座に残る卵の殻の残骸を照らしていた。

 

 

 

「クエェェェェ」

 

 神殿の外へと出た一行を待ち受けていたのは、巨大な鳥。

 天に向かって一鳴きをしたラーミアは、その瞳をカミュへと向けて頭を垂れる。その瞳は、親を見つけた子供のように歓喜に満ちており、主人を見つけた従者のように使命感に燃えていた。

 大きな嘴をカミュの身体へ摺り寄せ、その顔をカミュへと擦りつける。彼の中に何かを見ているのか、それともラーミア自身が彼を『勇者』として認めたのかは解らないが、その在り方だけはリーシャ達三人にも明確に理解出来た。

 

「…………ラーミア…………」

 

 そんな不死鳥と勇者のやり取りを羨望の眼差しで眺めていた少女は、意を決したようにその名を呼んで手を伸ばす。幼い少女にとって、初めて見る不死鳥はその胸に宿る好奇心を湧き上がらせる存在だったのだろう。

 好意を表す為に満面の笑みを浮かべたメルエは、戸惑うカミュの身体に擦り寄るラーミアの顔に向かって手を伸ばしたのだ。

 『以前の人語を話す猫のように自分を受け入れてくれるのではないか』、『人語を話す馬のエドのように自分と話をしてくれるのではないか』という期待が、ポルトガの町で不用意に手を伸ばした記憶を掻き消してしまっている。受け入れてくれるだろうという期待は、受け入れてくれる筈だという曖昧な確信へと変わってしまっていたのだ。

 

「え?」

 

「…………!!…………」

 

 故に、ラーミアのその行動は意外であった。

 手を伸ばすメルエから逃げるように顔を持ち上げたラーミアは、一度メルエを威嚇するように嘴を開き、そのまま在らぬ方向へ顔を背けてしまう。驚いたように目を見開くメルエと、精霊ルビスの従者と呼ばれる霊鳥の起こした行動に戸惑ったサラの声が雪原に消えて行った。

 目を見開いたメルエはその小さな手を向ける方向を見失い、暫しの間固まっていたのだが、やがてゆっくりともう片方の手の中へと納め、悲しそうに眉を下げながら両手を胸の前へと隠してしまう。

 明らかな『拒絶』。

 害を成そうとされた訳ではないが、それでも完璧なまでの拒絶を受けた少女の心は、深い谷底へと落とされたように沈み込んで行く。周囲の三人の誰もが声を掛けられず、メルエの瞳に無意識に溜まって来た涙が雪原の雪を溶かす頃、ようやく少女は口を開いた。

 

「…………ラーミア………メルエ………きらい…………?」

 

 ようやく搾り出した言葉は、既に絶望の色に染まっている。それは相手に対する確認のようであってもそうではない。メルエの中では最早確信となっている事を口にしているのだろう。相手が自分を拒絶するという事は、相手が自分を嫌っているという事。それはメルエの中では揺るがない事実なのだろう。

 リーシャからお叱りを受けた事はある。サラから拒絶のような態度を取られ、無視された事もある。それでも彼女達はメルエを大事に想ってくれているし、大好きだとも言ってくれていた。だからこそ、僅かな期待を込めて、メルエは顔を背けるラーミアに問い掛けた。

 言葉が通じるのかどうかも解らない。自分自身が持つ好意が伝わるかも解らない。それでも、幼い少女が自分の想いを伝える方法は限られており、それを精一杯示す事しか出来ないのだ。

 

「メルエ……」

 

 傍で見ているリーシャやサラでさえも辛くなってしまう程に悲痛な表情を浮かべるメルエは、それでも尚、一人きりでラーミアへと問い掛けている。この幼い少女にしてみれば、自分自身が何故嫌われるのかが理解出来ないのだろう。だが、同時に昔はそれが当然であった事を思い出しているのかもしれない。

 カミュ達と出会い、メルエという常識さえも無い幼子に無条件の好意を向けてくれる者と数多く出会う事となる。彼女が微笑めば微笑み返してくれ、彼女が頑張れば褒めてくれる。そんな普通の幼子であれば当たり前に受ける事が出来る好意を、当たり前に感じるようになったのは極最近であった。それまでは、何処へ行こうとも、何をしようとも、彼女に当たり前に向けられて来たのは、嫌悪であり、暴力であったのだ。

 それを悲しい事だと感じ始めたのは何時の頃からであろう。今のメルエにとって、相手からの拒絶は、何よりも辛く哀しい事なのかもしれない。

 

「…………ごめん………なさい…………」

 

 再度問い掛けて尚、一向に顔を向けてくれないラーミアを見ていたメルエの瞳から、大粒の涙が溢れ出し、雪原へと落ちて行く。冷たい哀しみが詰まった水滴は雪原の雪を溶かす事無く、瞬時に凍り付いてしまった。

 ポルトガの町で猫に向けた手を引っ掻かれた時のように、何か自分に落ち度があったのかもしれないと思い至ったメルエは、顔を背けるラーミアに向かって小さく頭を下げる。だが、そこまでが限界であった。

 傍に立っていたリーシャの腰にしがみ付き、小さな嗚咽を繰り返しながら、何度も何度もしゃくり上げる。全く受け入れる気のないラーミアを見上げる事はもう出来なかった。力強くしがみ付くメルエの背を撫でるリーシャも、ラーミアがメルエを拒絶する理由が解らず、困惑するばかりである。

 

「ルビスの従者と言っても、この程度か」

 

「お、おい、カミュ!」

 

 リーシャの腰元で嗚咽を繰り返すメルエの姿に、軽い溜息を吐き出したカミュが鋭い言葉を吐き捨てる。それを怒りだと誤認したリーシャは慌てたように手を伸ばすが、その手は穢れの無い真っ白な羽毛によって遮られた。

 カミュが言葉を吐き捨てるよりも早く、不死鳥と崇められ続けた神代の生物は、か弱く幼い少女の許へと首を伸ばしていたのだ。柔らかな羽毛がリーシャの腰に埋めた少女の頬を撫でる。嗚咽を繰り返していたメルエの身体の震えが緩やかになって行った。

 恐る恐るという様子でリーシャの腰から顔を離したメルエの瞳に、大きく澄んだ蒼色の瞳が移り込む。まるでメルエの心の中を覗き込むような純粋な瞳は、その本質を見抜いて行った。

 

「…………ラー…ミア…………」

 

「クエェェェ」

 

 真っ赤に泣き腫らした瞼を向け、小さくその名を溢したメルエは小さな手をもう一度その大きな嘴へと伸ばす。その呼びかけに一鳴きしたラーミアではあったが、その鳴き声は先程の物とは異なり、威嚇の物ではなく優しく受け入れるような物であった。

 震える小さな手が黄色に輝く嘴に触れ、その手を受け入れるようにゆっくりとラーミアは瞼を落とす。優しく撫でようと必死なメルエではあったが、その表情は徐々に緩み、涙の後が残る頬が柔らかく上がって行った。

 その場で足を畳んだラーミアは翼を軽く広げ、その内にメルエの包み込むように閉じて行く。リーシャの腰元から離れたメルエは、柔らかく暖かな羽毛に包まれ、満面の笑みを浮かべた。自分を受け入れてくれている事を理解した少女は、その羽毛に顔を埋めもう一度涙を溢す。

 

「カミュ……お前は斬るつもりだっただろう?」

 

「アンタ程の馬鹿ではない」

 

 鋭い視線を向けるリーシャに向かってカミュは溜息を吐き出す。その溜息と共に吐き出された言葉にリーシャは言葉を詰まらせた。

 いつもと異なり、馬鹿にされたにも拘わらず反論しないリーシャの姿に驚いたサラであったが、その理由に思い当たり、盛大な溜息を吐き出す。そして、鋭い視線をこの馬鹿親達に向けるのであった。

 カミュを責めきれないのは、リーシャにもその気持ちがあったからなのだろう。『斬る』とまでは行かないが、神の下僕とも、精霊ルビスの従者とも言われる霊鳥に対して怒りを向けた事は事実なのだ。それがどれだけ大それた事であり、分不相応の驕りであるかを二人に伝えなければならないとサラは胸に炎を点すのであった。

 この二人は、メルエという少女に甘すぎる。時には叱り、時には窘めはするが、根本的な部分でこの少女を傷つける者を敵と看做す傾向がある。それは最早、親馬鹿という世界ではなく、馬鹿親の部類に入るほどの物であった。メルエの行動全てを肯定する訳ではないだろう。だが、どんな行動を行おうとも、メルエの全てを受け入れ、最終的にはその存在を肯定してしまう。それがこの少女にとっても危うい事だとサラは感じていた。

 

「二人とも! ルビス様の従者様の前ですよ!」

 

「キュエェェェ」

 

 サラの声に応えるように一鳴きしたラーミアは、その背を更に低く屈め、メルエの前に翼を下ろす。その行動に不思議そうに首を傾げていたメルエではあったが、好奇心には勝てず、その翼を上ってラーミアの背中へと辿り着いた。

 『乗れ』と言わんばかりにカミュ達へ蒼色の瞳を向けるラーミアを見た一行は、何も言わずに頷き合い、その背の上で嬉々として周囲を見渡している少女の許へと向かう。巨大な翼は、カミュ達三人が乗ったところで揺らぐ事はなく、柔らかな絨毯の上を歩いているような感覚さえある。背中まで辿り着くと、自分を受け入れてくれたラーミアの背中に寝そべり、ふかふかの羽毛にメルエが身を委ねていた。

 

「キュエェェェェ」

 

 大きな雄叫びを天高く奉げた後、ラーミアの翼がゆっくりと羽ばたき出す。落ちないようにと屈み込んだカミュ達ではあったが、その背に乗る者達の事もラーミアは考慮しているのか、足場に一切の揺らぎは無い。一瞬の浮遊感を感じた後は、徐々に離れて行く雪原の色が遥か向こうに見えて来た。

 天高く舞い上がった伝説の不死鳥は、当代の勇者一行を乗せて大空を旋回する。

 

「北東の海岸に船がある筈だ。そこまで行けるか?」

 

 人語が理解出来るかどうか定かではない中、大きな背から遠くにあるラーミアの顔へカミュは目的地を告げた。

 空中に浮かび上がったにも拘らず、カミュ達の周囲には風がほとんど無い。何かに護られているかのように穏やかな風と暖かな陽光が降り注ぎ、カミュが口にした言葉も難無く響き渡る。その声に応えるかのように首を小さく下げたラーミアは、翼をはためかせて北東の空へと移動を開始した。

 

 遥か昔、この世を創造した神と、この世を守護する精霊の許には神鳥が控えていた。その大きな翼で風を切り、その不死性を持って世界を渡る。己が主人と定めた者に忠実であり、全ての種族を超えた存在として世界を見守る役目を果たす。

 常に精霊ルビスの傍らで世界を見つめて来た神鳥は、ある時期を境にこの世界からその姿を消した。この世が乱れる時、再び己が主人と定める存在が登場する事を願い、その身を封印したのだとも伝えられていたが、その伝承もまた、時と共に薄れて行く。

 『精霊達の力が宿った六つのオーブの光が集まりし時、精霊の長の従者は蘇る』。

 遥か昔、神鳥の存在を知る者達が語り継いだ伝承である。

 

 

 




読んで頂き、ありがとうございました。

考えていたよりも長くなってしまいました。
ここで十五章を終えようか、それとももう一話繋げようか考え中です。

ご意見、ご感想を心よりお待ちしております。

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