新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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ポルトガ港

 

 

 

 大空に舞い上がった不死鳥の翼は、この世で生きるどの鳥類よりも大きく、力強かった。

 一掻きで大きく上昇し、もう一掻きで景色が急転する。それはまるで奇跡を見ているように神秘的で、夢を見ているように儚い。遥か下に見える雪原の白と、太陽の光を反射する海の青さが全ての者の心を魅了していった。

 

「メルエ、乗り出すな! 落ちたら死んでしまうぞ!」

 

 不思議な物で、遥か上空に上がったにも拘らず、カミュ達一行の傍は穏やかな風が流れている。口を開いて会話をする事も出来るし、目を開いて景色を楽しむ事も出来た。自分の横を通り過ぎようとする白い雲を掴もうと手を伸ばしたメルエを窘めたリーシャであったが、その雲の流れる速さを見て、自分達の頬を凪ぐ風の優しさに首を傾げる。それはサラも同感であったようで、あれ程の寒さを感じた雪原の上にも拘らず、その痛烈な寒さを感じない事に驚きを表していた。

 あと僅かで雲まで手が届きそうだったにも拘らず、自分の身体を引き戻されたメルエは、不満そうに頬を膨らませ、リーシャから顔を背けてしまう。しかし、そんな我儘が許される事はなく、間髪入れずに落とされた拳骨に涙目になるのであった。

 

「カミュ様、船が見えて来ました」

 

「降りれるか?」

 

「キュエェェェ」

 

 大空へと舞い上がり、ラーミアが数回羽ばたいただけで、一行は船が見える海岸付近に近づいていた。それは数日の時間を有しながら雪原を歩いて来た彼らにとって驚異的な速さであり、舞い上がった直後に空の旅が終了してしまったとも言えるだろう。そして、そんな短い空の旅に涙目になっていた筈のメルエは再び頬を膨らませていた。

 カミュの言葉を理解したかのように一鳴きしたラーミアは、羽ばたきを繰り返しながら、徐々に着陸態勢へ入って行く。急速に雪原が大きくなって行き、周囲の雪が大きく舞い上がった。船のある海岸傍へ着陸する為、巻き起こる風によって海は荒れ、船は大きく揺れ動く。悲鳴にも似た船員達の怒声が響く中、ラーミアの巨体はようやく着陸を果たした。

 

「……あまり人の住む場所の近くには着陸出来ませんね」

 

「そうだな……ラーミアを魔物扱いされては堪らないな」

 

 未だに視界さえもはっきりしない吹雪の中、呆然と雪原に下りたサラの呟きにリーシャも同意を示す。勇者一行四人を乗せて軽々と飛ぶ巨体は、『不死鳥ラーミア』という正体を知る者以外には脅威として映ってしまうだろう。

 ただ、決してラーミアの身を案じて出た心配ではない。それは、魔物扱いをしてラーミアに攻撃を仕掛けようとする『人』の身を案じた物である。『精霊ルビス』の従者としてその名を残すラーミアは、魔物などよりも上位の能力を有している事は明らかであろう。そのような存在が『人』相手に遅れを取る事などないだろうが、ラーミアという伝説の不死鳥が『人』の傲慢を許す訳がない。

 加えて、この巨鳥に対して最も好意を示している少女の身体に内包された魔法力は、『人』という種族の中でも特出しており、とてもではないが一国の宮廷にいる『魔法使い』などでは太刀打ちは出来ない。既に世界で生きる『人』という種族を滅ぼす事が出来る程の力を有していると言っても過言ではないのだ。

 ラーミアとメルエ。この二つの存在が人類の敵となっただけでも、現在の魔王と同程度の脅威となる可能性がある。そこにメルエの保護者であるカミュという青年が加われば、魔王さえも凌ぐ程の脅威になりかねない。

 『魔王バラモス』という脅威に怯えながらもそれを目標として来たリーシャやサラだからこそ、自分のすぐ傍に居る人間がそれに挑むだけの力を有している事を知っている。そして諸悪の根源に挑む力を有するという事は、その諸悪の根源と同様の脅威を振り撒く事が出来る存在である事と同意なのだった。

 

「船に向かうぞ」

 

 四人全てを降ろして翼を畳んだラーミアは、次の指示を待つようにカミュへと視線を向ける。そんな不死鳥に向かって『少し待っていてくれ』という言葉を残した青年は、そのまま木に括りつけていた小舟を海に浮かべて乗り込んで行く。

 先程の大きな揺れの余韻が残る船は、未だに喧騒が続いている。ラーミアから離れたがらないメルエを抱き上げたリーシャがその後を続き、サラは不死鳥を見上げてその蒼い瞳を暫し見つめてから小舟に向かって歩き出した。

 

「アンタ達だったのか……驚かせないでくれ」

 

「すまない」

 

 船に近づいて来た一行を見つけた頭目が船の上から安堵の声を漏らす。船員達によって引き上げられた小舟は無事に船へ辿り着き、一行は乗組員全てから労いの言葉を掛けられた。そんな中、頭目だけは何処か呆れたような声を発し、それに苦笑を浮かべたカミュが小さく謝罪の言葉を口にする。

 船から少しはなれた海岸からこちらを見つめている巨大な鳥へと船員達の視線は自然と集まって行き、その回答を求めるようにカミュ達へと視線が移動して行った。距離があるにも拘らず、船員達が乗る船と同程度の大きさに見える鳥という存在は、常識とはかけ離れた物であっただろう。

 世界に数多く暮らす魔物の中でも鳥と同じ形をしている物は多い。海域にも出没する事がある、ヘルコンドルなどもその手合いであるが、人間よりも大きな身体を持つ者はいても、船より大きな身体を持つ者は存在しないのだ。そのような存在となれば、大王イカやテンタクルスのような魔物に限られていたのだった。

 通常であればその姿は恐怖の対象となるのだが、勇者一行を良く知る彼等だからこそ、その存在を受け入れる為に説明を求めているのだろう。

 

「ルビス様の従者と伝えられる、不死鳥ラーミア様です」

 

「…………ん………ラーミア…………」

 

 全船員への答えは、その全ての視線が集まったカミュではなく、この場の誰よりも『精霊ルビス』という存在を敬うサラによって告げられる。

 その答えは俄かに信じられる物ではなかった。伝説上の存在となっている不死鳥ラーミアではあるが、その伝説自体が既に風化している物だからだ。この世界に六つのオーブに纏わる言い伝えを知る者の数が限られている以上、そのオーブを終結させる事で復活する存在を知る者の数も限られて来るのは当然の事であろう。

 しかし、困惑する船員達は、サラに続いて口を開いた幼い少女の顔に浮かぶ表情を見て、それを受け入れる事に決めた。この幼い少女は、その生物の種族などに囚われる事無く、その存在の本質を見抜く力がある。彼等は長く共に旅をする中で、そんな考えを持っていたのだ。

 船で出る海の男達は、その仕事の内容から荒くれ者が多くなる。特に幼子から見れば、その体躯や言動は恐怖を感じる事も多いだろう。それでも、メルエという少女は、一度たりとも彼等を怖がることはなかったのだ。

 

「そうか……そうなると、船での旅も終わりということだな」

 

「……ああ」

 

 幼い少女の微笑みに心を和ませながら巨大な神鳥を眺めていた船員達は、同じように眺めていた頭目の小さな呟きと、間を取って答えたカミュの言葉を聞き、一斉に視線を動かした。そこで見た物は、何処か納得したような表情の中にも寂しさを滲ませる頭目と、少し眉を顰めながらもしっかりと頷く勇者が立っている。

 それは、彼等船員と勇者一行の旅の終わりを確定させる物であった。

 ポルトガ港を初めて出港した時から、既に三年の月日が流れている。時間にすればそれ程の長い物ではない。如何に種族の中でも寿命が短い『人』であっても、三年となれば、人生の中で考えれば僅かな物でしかないのだ。だが、その僅かな時間は、数十年と生きる人間の人生でも通常であれば経験出来ない出来事と、習得出来ない知識に満ちていた。

 訪れた事のない場所。出会った事もない人種。見た事も無い特産品や名産品。そのどれもが彼等の知的好奇心と冒険心を満たして行った。

 巨大な船を動かす為には、経験して来た船の扱いよりも難しい事など山ほどあった筈。

 嵐の中を進む為に帆を畳まなければならず、それを成す為に手の皮を何度剥いだ事だろう。

 冷たい風が吹く中で、甲板の掃除の為に水を使い何度手を荒らした事だろう。

 勇者一行と離れた際に遭遇した魔物達との戦闘の為に、何度命の危機を味わった事だろう。

 それも全て、今となっては思い出の一つに過ぎないのかもしれない。

 

「ルーラで帰りましょう。皆さんと一緒に……ポルトガへ!」

 

 走馬灯のように蘇る三年の旅路を船員達が見ていた時、一人の女性が口を開いた。

 それは、戦闘ではなく、その叡智と魔法力によって何度も船員達の命を救って来た女性。命に係わる程の傷を負ってもそれを癒し、常識を恐れる海の男達に新たな世界を見せて来た者である。

 弾かれたように顔を上げた船員達の視線がサラという一人の『賢者』へと集中して行く。その内容を聞く限り、勇者一行がネクロゴンド火山の入り口へ向かう前に頭目と話していた物である事は誰もが気付いていた。

 別れを惜しむならば、最後の航海となるポルトガまでの航路を、様々な想いを乗せて共に進む事が最善であろう。だが、彼等一行にそのような悠長な時間は与えられてはいない。次第に強まりを見せる『魔王バラモス』の力は、この世界を席巻し、飲み込もうとしている。感傷に浸る余裕など、本来の彼等には残されてはいないのだ。

 ならば、この場所で船とは別れを告げ、即座に不死鳥ラーミアと共に旅立つ必要がある筈。だが、それが出来る程に彼等四人は強くはない。この場所で船と別れを告げるとなれば、この船は自力でポルトガまで辿り着かなくてはならない。魔物との戦闘を数多く経験し、並みの船乗りよりも力量は上とはいえ、海に生息する魔物達と戦い続けながら航海出来る程ではないのだ。

 それを理解しているからこそ、サラという『賢者』はそれを提案したのだった。

 

「サラ……出来るのか?」

 

 しかし、その提案には無理がある。

 以前の会話の中でも、その成否は曖昧であった。サラ自身もそれが可能であるかと問われれば、胸を張って答えられるほどに自信がある訳ではない。人間一人の魔法力に限りがある以上、その魔法力によって運ぶ物にも制限があるのは当然であるからだ。

 それでも、彼女は顔を上げたまま、小さく微笑む。

 彼女は『賢者』である。出来ない事を然も出来る事のように語る事はしない。それを行う価値がある物であり、その必要があるのであれば、それを可能とするのも彼女であった。

 

「私一人では無理でしょう。ですが、ルーラを唱える事が出来る者は三人いますから」

 

「…………メルエ………できる…………」

 

 ルーラという呪文は、本来『魔道書』と呼ばれる物に記載される物である。『魔法使いの力量を測るならば、ルーラを基準に考えろ』と云われる程、『魔法使い』の才能の線引きとして人間の世界では考えられている呪文であった。

 宮廷に仕える魔法使いの基準は、まず第一にルーラを行使出来るかどうかという部分が第一関門である。カミュ達のように『経典』や『魔道書』に記載される呪文以外も行使出来る者達から見れば、ルーラという呪文は初期呪文に近い物ではあるが、『経典』や『魔道書』に記載されている呪文でさえも全て契約出来ない事が当然とされている『人』の中では、それが常識なのだった。

 『魔法使い』としての才能に溢れ、今や世界の頂点に立つメルエは当然ルーラを行使する事ができ、幼い頃から何度も命の危機に曝されて来たカミュにとって、その呪文は命綱のような物でもあった。そして、『僧侶』としての道を歩んでいた女性は、『賢者』として生まれ変わった事によって、『魔道書』の呪文さえも行使が可能となっていたのだ。

 

「行使出来ないのは、アンタだけだったな」

 

「くっ……」

 

 軽い笑みを浮かべたカミュの挑発に対し、悔しそうに唇を噛み締めたリーシャは、射殺さんばかりの呪詛の視線を青年に送る。魔法への憧れを幼い頃から持ち続け、それでも自分には無理であると諦め、魔道士の杖という神秘でその望みを再燃させ、それでも自分達の仲間が持つ魔法力の強さと量にその望みを萎まされた彼女からしてみれば、カミュの言葉は涙が出る程に悔しい物だったのだろう。

 リーシャの余りの反応に、自分の失態を今更ながら感じたカミュは、隣にいたメルエの咎めるような視線を受け、素直に頭を下げた。その一連の様子が何処か優しい風を持つ物で、サラを筆頭に船に乗る者全ての表情を和らげて行く。

 

「……それでどうするつもりだ?」

 

「はい……カミュ様には魔法力だけを頂きます。ルーラの感覚で魔法力を放出して下さい」

 

 リーシャの機嫌が直らないままに、カミュは早々にサラへとその方法を問い掛ける。彼にとってしても、ルーラという呪文によって船のような巨大な物を運ぶ事が可能だとは考えていなかった。故に、その方法などに思い当たる事もなかったのだろう。

 そして、その方法として告げられたサラの答えを聞き、彼は驚く事となる。

 『魔法力だけを出せ』という内容が良く理解出来なかったからだ。呪文とは、詠唱を持って完成する。自身の魔法力を神秘へ変えるのは、その詠唱による言霊であり、契約によって刻まれた陣である。特にルーラという呪文は、術者が目的地を思い描き、それを言霊に乗せる事で完成するのだ。

 カミュは当惑という言葉が当て嵌まるほどに呆けた表情を浮かべてしまった。

 

「最後にメルエも含めた三人で詠唱を行い、ルーラを完成させます。私が目的地であるポルトガを思い描きますので、カミュ様はその魔法力を」

 

「……わかった」

 

 正確には理解などしてはいないだろう。

 彼がルーラを唱える時は、彼が目的地を思い描いているのだから当然の事なのかもしれない。ただ、三人が同じ場所を思い浮かべるのだから、どちらにしても同じだと考えたのだ。

 そんなカミュの隣では、瞳を輝かせた少女がサラを見上げている。そんな少女に瞳を合わせるように屈み込んだサラは、先程よりも厳しい表情を作ってメルエを見つめた。

 

「このルーラは、メルエが鍵となります。重大な役目ですよ」

 

「…………ん…………」

 

 厳しい表情の中で告げられた役目の重さを理解したメルエは、大きく頷きを返す。それとは逆にカミュやリーシャは首を傾げてしまった。何故、メルエが鍵となるのかが解らないのだ。確かに、魔法力の量や魔法の才能という点から見れば、メルエの方が上だろう。だが、魔法力の質やその理解度となれば圧倒的にサラが上である。今回のような特殊な呪文行使となれば、サラが全てを掌握すると考えるのが普通であろう。

 

「メルエ……カミュ様と手を繋ぎ、その魔法力を感じなさい。そしてその魔法力に自分の魔法力を合わせ、この船を覆うように展開して下さい」

 

「…………ん…………」

 

 ここからは、魔法という神秘の専門家達の独壇場となる。そこに、『勇者』であるカミュも、『戦士』であるリーシャも入り込む余地など有りはしない。正直言えば、理解が追いつかないのだ。

 三年以上前、メルエが魔道士の杖を握ったばかりの頃、その制御方法が理解出来ないメルエに対しカミュとサラで教えようと動いた事はある。だが、カミュもサラもその制御方法を頭で理解した訳ではなく、身体で理解していた節があり、教える事は出来なかった。

 そして、魔法に関してだけは、そんな数年前とカミュは変わってはいない。あの頃と同じように、頭で考えずに彼は呪文を詠唱し、それを行使している。それに比べ、サラは『賢者』として生まれ変わった時に、一度挫折を経験していた。あの時の経験があるからこそ、魔法力の制御という事の重大性を認識し、そして呪文という物を深く考えて来たのだ。

 それは、『勇者』であるカミュと、『賢者』であるサラの習得出来る呪文の数の違いも影響しているのかもしれない。現に、カミュは三年前と比べても、行使出来る呪文が二桁に増えている訳ではない。

 

「私は更にその上から魔法力を展開します。全てが完了した後で私が声をお掛けしますので、三人同時に詠唱を完成させます」

 

「…………ん…………」

 

「……わかった」

 

 サラの言葉にしっかりと頷いたメルエとは対照的に、カミュは何処か曖昧な返事を返す。その姿がリーシャには自信が無いように見えてしまった。

 カミュという青年があのような表情を浮かべる事は珍しい。常時自信に漲っている訳ではないが、何事にも動じる素振りを見せない彼が完全に女性二人に押されているのだ。そんな表情を見て、リーシャが笑みを我慢出来る訳がない。呆けたカミュから視線を外し、堪え切れない笑いが甲板に響いて行く。そんなリーシャの笑いを聞いて初めて、船員達は自分達もその魔法の神秘を体験出来る事を実感したのか、隣同士で笑い合い、肩を叩き合った。

 

「…………むぅ………メルエ……できる…………」

 

「あはははっ……すまない、メルエを笑った訳じゃない。メルエが出来る事は信じているさ。心配なのはカミュだ。ふふふ……お前、本当に理解出来ているのか?」

 

 真剣にサラの言葉を聞いていたメルエは、そんな自分が役に立たないと笑われたのだと考え、頬を膨らませてリーシャを睨みつける。そんな幼い怒りを見たリーシャは笑いを抑え切れないながらも懸命に弁明を始めた。そして、メルエに対して弁明を終えた後に、先程の仕返しとばかりにカミュに向かって挑発的な言葉を発して、盛大な笑い声を上げるのだった。

 笑われたカミュは憮然とした表情を浮かべるが、その言葉に反論する事も出来ず、鋭い視線をリーシャに向けるのだが、それが益々彼女の笑いを誘って行く。収拾がつかなくなる程の状況は、サラが大きく手を打つまで続いた。

 

「では、始めましょう。カミュ様、ラーミア様に共に飛んで頂けるようにお願いして貰えますか?」

 

「……伝える? 何をすれば良い?」

 

「…………メルエ………やる…………」

 

 手を打ったサラへと皆の視線が集まる中、巨大な船を魔法力によって移動する準備が始まる。まずは、ルビスの従者であるラーミアに、自分達が向かう場所に付いて来て欲しい旨を伝えろというのだ。

 これに困惑したのはカミュである。サラとしては、ラーミアから最も好意を受けているカミュにその役目を託したに過ぎないが、彼からすればラーミアが自分に懐く理由が理解出来ない。精霊ルビスという存在も信じておらず、その恩恵も、その恵みも、その加護も信じていない自分に、その従者であるラーミアと意思疎通が出来る訳がないと考えているのだ。

 そんな彼の姿に再び笑いが込み上げて来たリーシャが声を発する前に、一歩前へと進み出たメルエが、船尾へと駆けて行く。そのまま船尾で木箱の上に乗ったメルエは、身振り手振りでラーミアに何かを伝えようとしている。傍から見れば、ただ別れの手を振っているようにしか見えない。

 だが、暫し手を振っていたメルエがその行動を止めると、天に向かって一鳴きしたラーミアはゆっくりと翼を動かし始めた。途端に風が巻き起こり、海が波立つ。揺れる船の柱にしがみ付きながらも船員達はその神秘的な光景に見惚れてしまう。それ程の雄大であり、神々しいその姿が、彼等には世界を照らす光のように映ったのかもしれない。

 

「……メルエは、アレと意思疎通が出来るのか?」

 

「いや、どちらかと言うと、メルエの身振り手振りは意味を成していないように私には見えたぞ? むしろラーミアがその心を読み取ったのではないか?」

 

 飛び立ったラーミアを見上げながら満足気にこちらへ戻って来るメルエの姿を呆けたように見ていたカミュは、呟くような疑問を口にする。それに答えたのは、同じように船の揺れに動じず腕を組んだままで立っていたリーシャであった。

 メルエが船尾に立ち、身振り手振りで何かを伝えようとし始めると、それに気付いたラーミアの首がしっかりと船へと向かったように見える。そして、あの蒼く輝く瞳によって、メルエだけではなく自分達をも見られていたような気がしていたのだ。

 メルエだけではなく、自分を含めたカミュ達全員の心の奥を見透かすような視線を感じていたリーシャは、それこそが神秘の体現である不死鳥の持つ力ではないかと納得もしていた。

 

「メルエ、ここに来てカミュ様と手を繋いで下さい」

 

「…………ん…………」

 

 意思疎通が出来た事への喜びなのか、それとも保護者であるカミュと手を繋ぐ事が嬉しいのかは解らないが、メルエは満面の笑みを浮かべながらその手を差し出す。ゆっくりと握られたカミュの手の暖かさを感じたメルエは、笑みを濃くしながらもう片方の手をサラへと伸ばした。

 リーシャはそんな三人の姿に微笑を浮かべながらも、その輪の中に入れない一抹の寂しさを感じる。だが、それ以上に、今満面の笑みを浮かべる少女の存在に心から感謝を感じていた。

 この少女がいなければ、おそらく彼等はこのような高みまで登る事は出来なかっただろう。この少女の微笑がなければ、本物の『勇者』は誕生しなかったに違いない。そして、当代の『賢者』もまた、この少女の悲しみと苦しみ、そして未来へ向ける希望を知らなければ誕生はしなかった筈だ。

 全てがメルエという存在によって成された事ではない。だが、起点はこの天涯孤独の少女であった事は紛れもない事実なのだろう。

 

「カミュ様、ルーラの準備を。メルエ、カミュ様の魔法力とゆっくり合わせて行ってください」

 

 カミュが静かに瞳を閉じる。それと同時に彼の身体を覆うように溢れ出した魔法力は、腕を通り幼い手へと移動して行く。自分の中にある魔法力を確認するように息を吐き出したメルエは、受け取った魔法力と合わせた膨大な魔法力を船全体に行き渡らせて行った。

 球体に船を閉じ込めるように広がりを見せた魔法力は、空の青さをも歪ませる。魔法力を持たない者達でさえ視認出来る程の空間の歪みが、この巨大な客船全てを包み込んだ事を示していた。

 その状況を見ていたリーシャは、柔らかな笑みを浮かべながら、そっとカミュの手を握る。驚きに目を見開いた彼に向けられたその笑顔は、歴戦の戦士とは思えない程の美しさを誇っていた。

 心を乱されたカミュの魔法力が揺らいだ事に気付いたメルエは厳しく眉を顰め、頬を膨らませてカミュを窘める。慌てて集中した青年の姿に船員達の笑い声が響いた。

 

「カミュ様とメルエは詠唱の準備を」

 

 最後の調整に入った『賢者』が己の魔法力を展開して行く。人類最高位に立つ『魔法使い』の膨大な魔法力の外側を覆うように、緻密な魔法力が展開されて行った。先程まで、外側の空間が歪んでいたように感じた景色が、その魔法力が展開されて行った部分から透き通って行くのが解る。濃度の濃い魔法力を均して行くように、魔法力が視認出来なくなって行った。

 全ての準備が整い終わる。一つ息を吐き出したサラがその瞼を開け、カミュとメルエへと視線を移した。それに頷きを返した二人が静かに口を開く。

 そして、三つの声が重なった。

 

「ルーラ」

 

 感じる浮遊感は、三年の旅路の最後を飾る。

 海面より浮かび上がる巨大な船は、真横にラーミアが見える位置まで上がり、船員達から大きな歓声が上がった。

 夢の体現。

 人類最高位に立つ三人の魔法力が、巨大な船と、そこで生きる全ての者を人類では踏む事の出来ない未開の空へと運ぶ。

 三人の集中力は途切れない。自身の頭に浮かぶ明確な目的地の姿を認識し、その場所へ移動するように強く念じた。

 大きな光に包まれた巨大な船は、神話に残る神の船のように神々しく輝いている。その横を飛ぶ鳥もまた、その時代を生きた神鳥。神々しく輝く光は、真っ直ぐ北へと向かって航路を取った。

 

 

 

 

 空が一日の終わりを告げるように赤く染まる頃、南の空から光が現れる。それを見たポルトガ国民は己の胸に湧き上がる恐怖を抑える事は出来なかった。ポルトガの南に位置する方角には、魔王の本拠と噂されるネクロゴンドがある。その噂を知る者も限られていたが、空を飛べる種族となれば、鳥類か魔族のみである事は周知の事実である。そんなポルトガ国民にとって、突如として現れた巨大な光は、その胸の内に押し込めていた恐怖心を煽って行ったのだ。

 城下で大きな悲鳴が上がる中、ポルトガ城でもバルコニーへ出て来た国王が南の空へと視線を向けていた。その先に見えるのは巨大な二つの輝き。見た当初は、何か特別な攻撃呪文がポルトガに向けて放たれたのかとも考えたが、攻撃魔法にしてはその輝きは神々し過ぎる。神秘と言っても過言ではない魔法という物ではあるが、世界を旅したこの国王は、魔物が放つ魔法の禍々しさを知っていた。故に、その可能性を打ち消したのだ。

 暫し空へと目を向けていた国王は、一瞬目を見開いた後、マントを翻して後ろに控える従者に向かって命を発した。

 

「我が国の英雄の帰還だ! 港を開ける準備をしておけ!」

 

 その命を受けた従者が城下へと駆け出して行く。それを見送った大臣もまた、采配を振るう為に国王に頭を下げてその場を後にした。

 貿易国であるポルトガでは、海に出る事が出来る者を保護している。身分の上下などはないが、周囲に生息する魔物達が城下を襲う事がない以上、外に向けて船を出す者の勇気と強さを讃える風習があるのだ。

 特に、魔王台頭後の世界は魔物の脅威に怯える事も多かった。だが、ここ最近に誕生した海の護衛団の登場によって、全盛期には遠く及ばないまでも、多くの船が国外の町や国との貿易を再開している。そして、その船達の帰還こそ、このポルトガ国という国家を成り立たせている要因なのだ。

 故に、戻って来る者達全てが、ポルトガ国にとっては英雄となる。国を富ませ、国を潤わせ、そしてそこで生きる者達に希望を与える。それを英雄と呼ばずして何を英雄と成すのか。それが、貿易で生きて来た国家の思想であった。

 

「船だ!」

 

 港に集まり始めた多くの国民の中で、誰が最も早くその光の内に隠された姿に気付いただろう。誰かが発した声に賛同し始めた民衆は、その光が持つ独特な神聖さに飲まれ、感嘆とも驚嘆ともつかぬ息を吐き出した。

 徐々に近づく光の中には大きな船があり、その船に見慣れた紋章が刻まれている事に気付いた民衆が歓声を上げ始める。徐々に大きくなって行く歓声は、その船の全貌がはっきりと見え、ポルトガ港の南の海面に着水するまで続き、それと共に飛んで来た巨大な鳥がポルトガ城下町を飛び越えていく姿を見て鳴り止んだ。

 誰一人として口を開けない程の静寂が広がり、その静寂が少しずつ破られて行く。ざわつき始めた民衆は、今ポルトガ城下町を飛び越えて行った影が何であったのかを口々に語り合い、顔を突き合わせていた。

 

「……成功しましたね」

 

「そうだな。メルエ、お疲れ様」

 

 そんなポルトガ国民達の感情を余所に、ポルトガ港傍の海面に無事着水した船の甲板では、世界初の試みであり、おそらく長い歴史の中でも成功した例ない偉業を成した者達がその労を労い合っていた。それ程の奇跡を起こした当代の『賢者』は、力が抜けたように甲板へと座り込んでしまう。そんなサラを横目に、流石に疲労感を感じているのか、笑みにも力がないメルエの頭をリーシャが撫で付けた。

 船員達は体験したばかりの奇跡の影響で、言葉もなく周囲を見渡している。時間は経過しているが、彼等がいるのは、間違いなく生まれ育った国の海域。風を受けて進む船の縁では海水が泡立ち、漂う潮風は彼等の鼻をくすぐる。そして何よりも、船の進行方向に見える港では大歓声と共に帰還を喜ぶ懐かしき者達の姿が見えていた。

 

「……一年も経過していないのにな……何故か胸を締め付ける程に懐かしい」

 

 前方に見えるポルトガ港を見ていた頭目の瞳に光る物が見える。確かに、最後にポルトガを訪れてから一年は経過していない。グリンラッドで『船乗りの骨』を手に入れ、幽霊船に乗り込み、その際もポルトガへ寄らずに開拓の町へ向かい、そしてジパング、ネクロゴンドと進んで来た。

 それでも、この航海が未だに通過点であれば、頭目の胸にこのような想いは湧き上がる事はなかっただろう。だが、このままポルトガ港へ入ってしまえば、彼等が夢見た旅も終了の時を迎えてしまう。

 最初は海に出る事が出来るだけで良かった。魔物の脅威に怯え、誰しもが海に出る事が出来なくなった時、頭目は生まれ故郷であるポルトガ国は死んでしまったと感じていたのだ。

 ポルトガの若き皇太子は、苦しい国情を把握もせずに諸国を旅するような奔放な人間だという噂もあり、ポルトガ国民の多くは国の未来に希望を感じる事が出来ては居なかった。

 魔王という超越した存在に世界全体が怯え、その配下である魔物の脅威によって町の防壁から出る事も叶わない。貿易国であるポルトガ国は元々自給率が低く、食料などは海の特産以外は他国からの輸入に頼っている部分も多かった為、国民の生活の水準は徐々に低くなって行ったのだ。

 

「……改めて礼を言おう。俺達をこの海に連れ出してくれ、そして素晴らしい景色と夢を見させてくれた事……俺達は勇者一行と共に歩めた事を、生涯の誇りとする」

 

 だが、多くの国民達の展望とは異なり、放蕩息子であった皇太子が国に戻り、数年後に即位してからのポルトガは、本当に徐々にではあるが変化して行く事となる。

 国庫からの資金によって、周囲の開墾作業が進み、専業の農家が増えて行った。畑は数多くなり、それに合わせて城壁さえも変化して行く。農家として暮らす者達をも囲い込むように作られた城壁は、町全体の大きさをも広げて行ったのだ。

 魔物の脅威に怯え、生活範囲を狭めて行く国が多い中、それを広げた国家はポルトガ国だけではないだろうか。海産物に加え農作物の生産も上がり、ポルトガ国の自給率は少しずつ上がって行く。その為、国力が衰えて行く他国に比べ、ポルトガの国力はそれ程落ちる事はなかった。

 絶望と不安に押し潰されそうになっていた国民達はその僅かな変化に縋り、未来に夢を繋いで行く。そんな綱渡りのような日々が続く中、渡航が完全に禁止になっていた港に突如として活気が戻り始めた。

 国王の私財を投げ打って巨大な船が造船され、その船に乗せる物資も国内のあらゆる物が選ばれる。船の乗組員もそれと同時に選出され、港は久方ぶりの活気に満ちて行った。

 それが、『勇者一行』との旅の始まりだった。

 

「礼を言うのはこちらの方だ。アンタ方がいてくれたからこそ、ここまでの旅が出来た」

 

「そうだぞ。私達だけであれば、海には出る事が出来ない。例え海に出たとしても、初回の航海で見舞われた嵐によって海の藻屑と化していた筈だ」

 

 何もかもが順風な航海ではなかった。

 ポルトガ港を出てすぐに嵐に見舞われ、大荒れの海で最悪の魔物と遭遇する。全ての船を海の藻屑と変えて来た大王イカと遭遇した時、正直に言えば頭目も航海を諦めた程だ。海に出た事を後悔はしなかった。それでも頭目として多くの乗組員達の命を預かる者として後悔の念が浮かんでしまったのだ。

 そんなこの世で生きる海の男達全ての天敵とも言える大王イカは、ポルトガ国王に私財さえも投げ打たせる程の青年によって海へと沈む事になる。それを見た時、この頭目は自分の人生を賭けるに値する者達だと認識した。

 そして、そんな頭目の判断は間違いではなく、ポルトガ港を出てから約三年の間にこの広い世界の隅々まで渡って行く。世界の東と西の端が繋がっている事など、この勇者一行と旅をしなければ、頭目は死ぬまで理解する事はなかっただろう。

 

「ありがとうございました。どのように表現したら良いか解りません……私こそ、この船で過ごした時間を生涯忘れる事はありません」

 

「…………ありが……とう…………」

 

 死を連想させる出来事など一度や二度ではない。だが、それも今では自分達海の男が、この世界を救う勇者一行と旅を続けた証であり、この胸に残る誇りである。その全ての危機を乗り越え、誰一人欠ける事無く旅を終えた事で、彼等の心に残る物は楽しい笑顔ばかりであった。

 たった一人で帰船したカミュを見て、明らかに失望した事もある。だが、そんな彼の心は既に定まっており、仲間を信じ、再び巡り合う為に船を走らせた事は、全船員達の胸に残っていた。そして、数多くの場所を巡った後で辿り着いたスー近辺から帰って来た勇者の横には、三つの笑顔があり、その姿を見た全船員達の顔も瞬時に笑みが浮かんだ。

 船の上では魔物と遭遇しない限り常に和やかな航海であった。当初は、海の男達に慣れない少女は木箱の上から海を眺めるだけであったが、それも最初の内だけ。食料調達の為に釣りを始めた船員達の傍に寄り、揚がった魚を眺めてはその名を問いかける。魚に触れる事が出来るようになってからは、それを姉のように微笑む女性の膝元に置くなどの悪戯をして、船員達を笑わせた。

 思い出されるのは、常に笑顔である。

 

「……余り、泣かせないでくれ……そら、港へ着くぞ」

 

 船に乗るだけの者にとって、船乗りとは所詮従業員である。特別視する者も少なければ、それに感謝する者も少ない。自分達が目的の場所に辿り着くまでの付き合いだと考え、会話さえしない者も多いだろう。

 だが、この船は何もかもが違った。この船の主である青年は、表にこそ出ないが、その心は優しさで満ちている。その横で彼を見ている女性は誰よりもこの青年を理解しようとしており、その心は慈愛に満ちながらも厳しさを宿していた。誰よりも他者を慮り、それを魔物にさえも向ける女性は、この船に乗る者達の命を何度となく救ったし、人の心を和ませるような花咲く笑みを浮かべる少女は、その愛らしさで船員達の心を何度も救って来たのだ。

 この船に乗る者全てが仲間であり、戦友である。

 もはや、勇者一行とは、四人の若者だけではなく、この船に乗る者達も含まれるのかもしれない。

 

「わあぁぁぁぁ!」

 

 涙が止まらぬ瞳を何度も押さえつける頭目を見たサラは、自分の瞳からも溢れ出る物をとめる事が出来なかった。リーシャとメルエは優しく微笑み合い、その横でカミュが苦笑を浮かべる。そんな一行のやり取りの間に、船は大歓声に包まれながらも港へと入って行った。

 数多くの貿易船が出入りするようになったポルトガ港ではあるが、この国章を掲げる船は別格である。世界の希望である勇者達と共に旅をし、未だに船が向かえない場所の名産や特産を数多く運んで来るのだ。それは、この世界の未来を夢見させるに十分な物であり、ポルトガ国で生きて来た者にとっては何よりの希望となる物であった。

 故に、人々は歓喜する。いや、正確には狂喜と言った方が正しいのかもしれない。狂ったように喜び、それを身体全体で表し、声を枯らす程に叫ぶ。それは、船の甲板で繰り広げられて来た別れの儀式を遮る程に大気を揺らした。

 

「ありがとう。貴方達と海を渡る事が出来て幸せだった」

 

 船が港に着くと、船員達が錨を下ろし、港に繋ぐ為のロープが投げられる。船員達はジパングや開拓の町で仕入れた品物を降ろす為に、渡し板を掛けた後で一人一人船を降りて行った。誰しもがその瞳に涙を溜め、カミュ達四人と固い握手を交わして行く。幼いメルエともしっかりと握手を交わす為、屈み込んで泣き笑いを浮かべる船員達の姿に、サラの涙腺は既に崩壊していた。

 笑顔を浮かべていた筈のメルエでさえ、その雰囲気を察したのか、寂しそうに眉を下げ、何度か鼻を啜っている。大泣きする事はないが、船員達との別れを嫌がるようにその手を離そうとはしないのだ。始めはそんなメルエに苦笑を漏らしていた船員達だが、『むぅ』と唸ったきり言葉を発さず涙を溢したメルエを見て、その場にいた全ての船員達が男泣きに泣いた。

 

「ぐっ……野郎ども、永遠の別れじゃねえ! キリキリ動かねぇか!」

 

 一向に進まない別れの儀式にようやく頭目が口を挟む。その声も涙声であれば、その頬も濡れ切っている。

 男が泣く事は恥ずべき事という常識が罷り通る海の男達ではあるが、泣くと決めればそこに恥も外聞もない。この勇気ある四人の若者達と三年以上も旅を続けて来たのだ。そこに何を恥じる必要があろうか。誇りにこそ思えど、その涙は弱さから来る物ではない。

 メルエの手を離した船員達は、港に集まった民衆の歓声を掻き消す程の泣き声を上げながら荷物を下ろす仕事へと移って行く。それぞれの想いを彼等四人に掛け、最後にメルエの頭を撫でる。見送るサラもメルエも、既に号泣と言っても過言ではない程に嗚咽を漏らし、その姿を見続けているリーシャも強く唇を噛み締めていた。

 

「……俺達は、この国で働いて行こうと思う。俺達に出来る事を探し、それに一所懸命に打ち込んで行くよ」

 

「……が、頑張って……ください」

 

 最後の最後にサラの手を握り締めたのは、このポルトガ国で船乗りとして再出発を果たした七人の男達。三年の月日をカミュ達と共に旅し、その間に一切の弱音も不満も口にする事なく、どんな仕事もやり通した者達である。

 彼等が犯した罪は生涯消える事はない。

 彼等に害された者達の恨みは生涯消える事はない。

 それでも、そこから目を背けず、自らの命と覚悟を掛けてこの三年間を生きて来たのだろう。彼等七人の顔は、覚悟を決めた三年前よりも更に精悍な物へと変化していた。

 以前彼等が棟梁と仰いでいた男に向かって告げた物と全く同じ物をサラは口にする。最早言う言葉はないのだろう。余人には理解出来ない程の覚悟を示した者に対して、何かを告げる必要はなく、それは両者の間に流れる多くの涙が全てを物語っている物なのだ。

 

「次に合う時には、このバトルアックスに見合うだけの男になっているつもりだ」

 

「ああ」

 

 最後に隻腕の男が自分が背中に担いでいる斧を軽く叩いた後、リーシャに右手を差し出す。がっしりとした体躯の男の瞳からは大粒の涙が流れ、リーシャに向かって深々と頭を下げていた。何時まで経っても上がって来ない頭に苦笑を浮かべたリーシャの瞳にも小さな雫が光る。

 全ての者達との別れは済んだ。

 最後の一人である、この船の実質的な船長とカミュが握手を交わす。お互いに最早口にする言葉はなかった。ただ、その瞳を見つめ、小さく頷き合うだけ。

 カミュから順に握手を終えて船を降り始める。しゃくり上げるように嗚咽を繰り返すサラの手を握り、もう片方の手で同じような状況になったメルエの頭を撫でた頭目は、四人を送り出した後、作業をしている船員達へ指示を出した。

 頭目の声で船員達全員が港から城下町への道を作る。野次馬となった民衆に取り囲まれないようにカミュ達一行の歩むべき道を作ったのだ。道の壁となった男達の頬は涙で濡れてはいるが、総じて笑顔。それぞれの頭に、それぞれの思い出を浮かべながら、彼等は世界の希望となる四人を送り出す。

 船員達の作る壁が途切れる場所まで歩いたカミュ達は一つに固まる。カミュの衣服を他の三人が掴むと同時に、小さく唱えられた詠唱と共に彼等は城下町の外へと飛んで行った。

 

「我らが勇者に栄光あれ!」

 

 その光の尾を眺めながら叫んだ頭目の声は、騒然といた民衆の中でも一際大きく、ポルトガの港全体へと響き渡る。それに呼応するように高々と掲げられた腕は、三年の旅で鍛え上げられ、陽に焼けた物ばかりであった。

 町の外へと飛んで行った光が消え、港に集まった民衆の騒ぎも一段落した頃、一陣の風と共に舞い上がった大きな光が、ポルトガから南東の方角へと飛んで行く。

 それは、ポルトガに希望と夢を与え、世界に未来を齎す光。

 

 

 

 貿易国家ポルトガには、長く伝わる伝承がある。

 ポルトガ国が所有する貿易船の中でも一際大きな客船の船首にはポルトガ国の国章が刻まれていた。それは、国が所有するポルトガ国家の貿易船を示している。その所有者はポルトガ国の王族ではなく、ポルトガ国家その物であり、その貿易の利益などは全て国庫に入る物であった。

 その船の初代船長と船員達は勇者一行を乗せて旅をしたとも伝えられ、その船の舵には勇者一行から託された守りの加護を持つ宝玉が埋め込まれている。優しく淡い青色の輝きは、強大な魔物と遭遇する危険性を軽減し、その船の安全な航海を護ると伝えられていた。

 その加護を受け、初代の船員達は船を傷つける事無く航海を続け、数多くの品々をポルトガ国へと持ち帰っている。船員達の中には、商人も舌を巻く程の商才を持つ者や船を操る者とは思えない程に戦闘に長けた者達がいた。

 弱者を虐げず、仕事に不平を言わず、己に与えられた事を喜ぶように働く彼等は、ポルトガ国の中でも海の守護者として名声を得て行く。中でも、どんな魔物にも、どんな荒くれ者にも引かず、常に先頭に立つ男の左腕は肘から先は無く、唯一残った鍛え上げられた右腕一本で、常人では持ち上げられない程の戦斧を軽々と振り回していたと云われている。

 

 

 




読んで頂き、ありがとうございました。

これにて十五章も終了です。
この後、勇者一行装備品一覧を公開し、十六章へ入ります。
十六章は、決戦です。
おそらく戦闘がメインの章となるでしょう。
頑張って描いてまいります。

ご意見、ご感想を心よりお待ちしております。

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