新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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第十七章
バラモス城⑤


 

 

 

 天井が崩れ落ち、上部から陽の光と共に泉の水が落ちて来る。鳴り響く轟音の中でも、リーシャ達三人の心は静寂に満ちていた。

 彼女達の目の前には、首の半分を斬り裂かれた魔王の姿がある。最後の命の源を盛大に噴出させ、支える腕もない魔王の身体は、水に浸かり始めた床へと落ちていた。世界中を恐怖で支配し、世界の全てを手中に納めようとしていた魔王という存在の没落は、その偉業を成し遂げた者達によって見届けられる。最後の一太刀を振るった勇者は、膝まで達した水の中で魔王バラモスの最後を見つめていた。

 

「ぐっ……ゆ、ゆるさぬ……わ、我は…諦めぬぞ……」

 

 擦れ行く瞳を懸命に戻し、魔王バラモスは目の前に立つ勇者カミュを睨みつける。その瞳に宿る憎悪は凄まじく、並みの人間であればその視線だけで心の臓が止まってしまう程の物であるが、それを真っ直ぐに受け止めたカミュは、穏やかな顔でその死に様を見届けた。

 如何に魔王とはいえ、失った命を巻き戻す事など出来はしない。魔王バラモスがどれ程願ったところで、カミュ達に雪辱を果たす機会は永遠に訪れる訳はなく、『諦めない』という意志だけでどうにか出来る問題ではないのだ。

 命の灯火も消え失せ、バラモスの瞳から光が失われて行く。それでも伸ばそうとするの腕の先は既になく、カミュ達を捕まえる事など不可能。魔の頂点に君臨し、全ての魔族を従える程の力を有する存在が今、最も脆弱な人類によって打ち倒された。

 

「えっ!?」

 

「なにっ!?」

 

 崩れ落ちるバラモスの巨体を見つめていたリーシャとサラが声を上げる。今まで何の感情もないような穏やかな表情を浮かべていたカミュでさえ、眉を顰めた。

 瞳の光も失われ、伸ばした腕が床へと落ちるその瞬間に、魔王バラモスの身体が突如現れた闇の中へと吸い込まれて行く。まるで突如現れた闇の中から伸ばされた腕によって引き摺り込まれるように徐々に闇の中へと消えて行くバラモスの身体を、一行は成す術もなく見守る事しか出来なかった。

 しかし、その身体の全てが飲み込まれる時、再びバラモスの瞳に怪しい光が点った事には誰一人として気付きはしなかった。

 

「…………カミュ…………」

 

「えっ? あ! カ、カミュ様!」

 

「カミュ!」

 

 バラモスの身体が完全に闇の中へと消え失せ、暫し呆然とした時が流れて行く中、メルエが突如として駆け出す。その行動に気付いたリーシャとサラがほぼ同時に声を上げた。

 彼女達の前方で死に逝くバラモスを見届けていたカミュが、崩れ落ちるようにその場に倒れ込んだのだ。それを逸早く見つけたメルエの瞳からは大粒の涙が零れ、床に溜まった水に落ちて行く。最早自分の腰までになっている水を掻き分けて進もうとするメルエの身体を軽々と抱き上げたリーシャがその場に駆け寄って行った。

 

「サラ! どうなんだ!」

 

「ベホマは掛けました! で、ですが……まるで、命の灯火が消えて行くようで……」

 

 倒れ伏したカミュの身体には既に傷はない。即座に唱えられた最上位の回復呪文によって、その身体に付けられた傷は全て治癒している。それにも拘らず、カミュの身体から徐々に力が抜けていくのをサラは感じていた。

 まるで自分の役割は全て終えたかのように、その『死』を受け入れるかのように、当代の勇者は、この世を去ろうとしている。一度消えかけた命の灯火であっても、サラの唱える最上位の回復呪文は再度燃え上がらせる事を可能とする。だが、その対象となる者が完全に『死』を受け入れ、『生』を諦めてしまえば、それを呼び戻す事は誰も出来はしないのだ。

 まるで太陽の光がカミュだけに降り注いでいるように、その場所だけ神秘な空気が満ちて行く。それがカミュという青年を天へと導く道筋となっているようにさえサラには見えてしまっていた。

 

「カ、カミュ! お前はメルエを置いて行くのか!? 目を開けろ! 私は許さないぞ!」

 

「…………カミュ…………」

 

 サラの表情と、神秘的に降り注ぐ陽光を見上げたリーシャは、今カミュが迎えている状況を正確に理解する。それはメルエも同様であり、リーシャの腕から逃れるように水の中へと入り、カミュの身体にしがみ付いた。

 あれ程の激戦を潜り抜け、この場に立っているリーシャ達三人が本来であれば奇跡に近い。だが、それ以上に、カミュが生きて最後の一太刀を繰り出した事の方がより奇跡に近いのだ。

 彼を支え続けていたのは、その心である。誰しもが魔王バラモスの圧倒的暴力の前に倒れ伏し、死を迎えるのを待つだけとなっても、彼だけはその攻撃を受け続け、それでもそこに在り続けていた。それがどれ程に無謀な事で、どれ程に奇跡的な事かを理解出来ない程、サラ達は愚かではない。

 『勇者』としてアリアハンを出た当初は、自分の命を軽い物として考えていた彼は、テドンの夜を越えてその命の重さを知る。だが、その命の優先順位だけは、この四年間で一度たりとも変わることは無かった。それを誰よりも知っているのは、今涙を流しながら叫び続ける女性戦士なのかもしれない。

 

「……カミュ様」

 

 信じ続け、憧れ続けた『勇者』という偶像を打ち壊した青年こそ、真の『勇者』であった。その大きくはない背に、様々な想いを背負い、数多くの重責を背負い、そして数多くの命を背負っていただろう。その事実を知ろうともせず、サラは何度も彼を愚弄して来た。しかし、どれ程彼を罵倒しようとも、彼はその在り方を変える事はなく、その道を歩み続ける。何時しかその道は彼女の目指す指針となり、彼女の歩む道となる。それに気付いたのは、本当に僅か前の事であった。

 消え逝く命の灯火を、只見つめる事しか出来ないサラは、己が歩んで来た道が本当に正しかったのかどうかを自身に問い掛ける。何故、ここで未来の希望となる青年を失わなければならないのか、何故、彼のような犠牲がなければ世界は平和を得る事が出来ないのか。

 そんな途方に暮れるサラの耳に、リーシャの叫びとメルエの泣き声以外の声が届いたのは、カミュの身体が冷たくなりかけた時であった。

 

『カミュ……カミュ……聞こえていますか?』

 

 何処か遠くから呼び掛けられる声。それでいて、直接脳へと響くようなその声に気付いたサラは、その発信源を探すように顔を上げる。だが、その声が聞こえているのはサラだけのようで、リーシャは今もカミュの身体を抱き上げたまま声の限り叫んでおり、メルエは涙を流しながら天に向かって叫び続けていた。

 サラにしか聞こえないその声は、それでも彼女に対して呼びかけている訳ではない。その声は、命の灯火を消そうとしている青年に向かってのみ呼びかけ、その青年にのみ問い掛けている。

 

『カミュ……カミュ……私の声が聞こえていますね?』

 

 サラにしか聞こえないその声が、崩落を迎えた魔王城に響き渡り、それと同時に暖かな光が周囲を包み込む。その光は倒れ込むカミュの胸の辺りを中心に広がり、カミュという『勇者』を祝福するように輝きを放っていた。

 それでも、リーシャやメルエはその圧倒的な輝きに気付かない。自分達をも包み込むような暖かな祝福に気付く事無く、身動き一つしないカミュの傍で叫び声を上げ続けていた。そんな二人の悲痛な叫び声が何処か遠くに聞こえる程、どこからともなく聞こえて来る声はサラの心と頭に直接響き渡る。

 

『カミュ、貴方は本当によく頑張りましたね……私も貴方を誇りに思いますよ』

 

 メルエが大きな泣き声を上げ、倒れ伏すカミュの背中に覆い被さる。リーシャもまた大粒の涙を頬に伝わせながら、水に浸かり始めた床へと崩れるように膝を落とした。だが、サラだけはそれらの光景が遠い映像のように見つめ、直接響いて来る声に意識を奪われる。

 サラに向けられた訳ではないその声は、既に命の灯火を消してしまいそうな程に弱りきった『勇者』だけに届く物。『勇者』の功績を讃え、『勇者』の存在意義を認め、『勇者』であるカミュを一個人として慈しむ暖かな声。

 ようやく、サラはその声の持ち主を確信した。

 

『貴方のお陰で、私を封じている力も弱まりました。これより後の事は全て私に任せ、貴方は自身の幸せの為に生きなさい』

 

 優しい声は、倒れ伏すカミュの心へと送り込まれる。

 彼が生きて来た二十年の人生の中で、その身は彼の物でありながらも彼の物ではなかった。彼自身の希望を持つ事は許されず、意志さえも持つ事は許されない。世界中の生物の希望を一身に背負い、その行動は他者の意志によって決定される。

 彼個人の幸せを考慮に入れる者など誰一人としておらず、自分達の幸せの為の人柱として、『勇者カミュ』は存在していたのだ。故にこそ、彼は自分自身の意志というのを明確にする事はなかった。そんな彼に対し、『己の幸せの為に生きろ』というのは、余りにも優しく、そして厳しい要求であるのかもしれない。

 

『魔王バラモスが消滅した事によって、貴方のいる世界とこちらの世界との均衡が崩れています。あの者の復活も近いでしょう……』

 

 カミュへ注がれていた暖かな光がその胸の中へと浸透して行く。光の全てを取り込んだカミュの身体全体が淡い光を放った。戻って行くカミュの生気が目に見えて解る程に、その輝きは強く、生命の喜びに満ちている。だが、それが理解出来るのもサラ一人であった。

 最早カミュ一人に語る物ではなく、独白に近い物へと変わっていた声は、魔王バラモスが倒れて尚、世界が平和に包まれる事がないという事実を遠回しに語っている。だが、その真意に気付く事が出来る程、当代の賢者の精神は落ち着いている訳ではなかった。

 

『カミュ……貴方が大事に思う者と、貴方を大事に思う者が同一である訳ではないのです。貴方は多くの愛によって護られて来ました。これからは、貴方が大事に思っている者を護りなさい。その先に貴方の幸せがきっとある筈です』 

 

 僅かに身動きをしたカミュの様子を見たリーシャが歓喜の声を上げ、その声でメルエが上半身を起こす。再びカミュの背中に耳を当てたメルエは、その奥に聞こえていた微かな振動が、しっかりとした脈動へと変化している事に気付き、満面の笑みを浮かべた。

 リーシャとメルエには相変わらずこの不思議な声は聞こえず、勇者の帰還を心から喜んでいる。零れ落ちる涙を隠そうともせずにリーシャは青年の身体を抱き締め、それに覆い被さるようにメルエが抱き着く姿は、サラに自然な笑みを浮かばせた。

 

『さぁ、行きなさい。決してこちらの世界に来てはいけませんよ』

 

 その声がサラの耳に届いたと同時に、全員が暖かく大きな光によって包まれる。

 『精霊ルビス』

 その大いなる存在を示すかのような暖かな光はサラの脳裏に強烈な印象を焼き付ける。生まれてから二十年以上も崇拝し続けて来た者の声を聞き、その胸に抱かれるような感覚に包まれた彼女は全てを委ねた。

 突如包まれた事でリーシャとメルエは驚きの表情を浮かべて慌てるが、いつもならば即座に対応策を取る筈のサラが落ち着いた表情で瞳を閉じている姿を見て、その身を委ねる判断をする。魔法力とは異なるその光が、とても暖かく優しい物である事に気付いた彼女達は、徐々に癒えて行く自分の心と身体を自然に受け入れる事が出来た。

 

「クェェェェ!」

 

 柔らかな光が消え、涼やかな風を頬に受けたサラは、その双眸をゆっくりと開く。差し込んで来る朝陽が眩しく輝き、吹き抜ける風と共に、その場でカミュ達を待ち続けていた神鳥の鳴き声が響いた。

 ラーミアが居るという事は、この場所がバラモス城の傍である事に間違いはない。だが、そのバラモス城は、魔王が作り出した瘴気によって包まれていた筈であり、このような清々しい空気が流れるような事はなかった。

 思わず見上げた神鳥ラーミアの巨大な身体の向こうに、抜けるような青空が広がっている事を確認したサラは、自分達が成し遂げた偉業を改めて実感し、大きく息を吐き出す。魔王バラモスの消滅によって、魔物達の攻撃性を高めていた瘴気が薄まったのだろう。これにより、魔物達の生態は変わらないだろうが、少なくとも人間を襲い続けるような攻撃性は鳴りを潜める筈である。

 不思議なあの声の内容という気掛かりはあるものの、この世界に全生物の平和が戻ってきた事は確かである。サラは湧き上がって来る喜びを噛み締めるように瞳を閉じ、溢れて来る涙を隠すように天を仰いだ。

 

「カミュが目を覚ますまで待ってくれ」

 

「クエェェェ」

 

 そんなサラの横では、未だに目を覚まさないカミュを心配するように座り込んだリーシャと、最早カミュの胸の上で瞳を閉じてしまいそうになっているメルエの姿がある。先程、自分達を包み込む暖かな光の心地良さは、幼い少女を眠りに誘うには十分な力を持っていたのだろう。

 ゆっくりと瞼を落とし、旅立って行く彼女の夢の世界が、この世界のように平和である事を願いながら、サラはラーミアへと近づいて行った。

 それは、彼女には問い掛ける内容があったからだ。今、この場で聞かなければ、聞く時はもうないだろう。それはカミュの意識が戻る前に、リーシャという女性騎士に問い掛けなければならない事なのだった。

 

「リーシャさんは、アリアハンへ戻るのですか?」

 

 それは一国家の騎士として生きて来た者への問いかけ。

 リーシャという女性は若くして宮廷騎士に取り上げられた逸材である。女性であるという事で蔑視されてはいたが、それでも宮廷騎士として生きる事の出来る技量と器量を見込まれていたのだ。誰も彼もが騎士としての名誉を与えられる訳ではない。そこにはそれに相当する程の力量を示す必要性が生じて来る。様々な試練を乗り越え、彼女は一国の騎士として取り立てられていた。

 リーシャという女性は、カミュに同道していた理由がサラやメルエとは大きく異なっている。サラは自分自身の意志でカミュとリーシャを追いかけ、半ば強引に同道を願い出ていたし、メルエに至っては運命とも言える出会いによって彼らと共に歩んで来ていた。それに対し、リーシャはアリアハンという一国家からの命を受け、カミュという勇者と共に歩んで来ている。

 要するに、彼女だけは国家からの使命を受けて勇者一行となっているのだ。故に、今でも彼女はアリアハン国の宮廷騎士であり、彼女の上にはアリアハン国王が居るという事になる。彼女にはアリアハンという国に戻り、成果の報告を行う義務があり、魔王討伐後は騎士として再びアリアハン国家に仕える義務もあった。

 

「ん?……そうだな。国王様にご報告申し上げなければならないな」

 

 例え四年もの月日を共に過ごし、命を預けあった中でも、国家という枠内であればリーシャとサラは身分も地位も異なっている。落ちぶれたとはいえ、リーシャはアリアハン国の貴族であり、サラは一教会の僧侶であった。

 アリアハンという一国家の中に戻ってしまえば、今のように気軽に声を掛け合う事は出来ないだろう。リーシャがそれを気にする事はなくとも、他の貴族達がそれを拒む筈である。例え、世界を救った人間の一人とはいえ、対外的に魔王を討伐したのは『勇者』であり、それに同道した女性騎士とされるのだ。そこに、サラやメルエの入る余地があるとは思えなかった。

 

「……ぐっ」

 

 そんな思いに気持ちを落としていたサラを余所に、ようやく最大の功労者が目を覚ます。カミュが身動きをした事で、その胸の上で眠りに落ちそうになっていたメルエも目を覚まし、開かれた勇者の瞳を覗き込むように顔を出した。

 目を開いた途端、目の前にメルエの顔がある事に驚いたカミュであったが、その顔が花咲くような笑みであった事に苦笑いを浮かべる。ゆっくりと起き上がるカミュの胸に抱きついたメルエをそのままに、カミュは一度周囲を見渡し、現状を把握して行った。

 

「身体は大丈夫か? 不思議な事だが、私達の身体の傷は全て癒えていた。だが、お前はまた命を手放そうとしていたからな!」

 

「リ、リーシャさん。魔王バラモスとの戦いは死力を尽くしたものでしたから……カミュ様が悪い訳ではありませんよ」

 

 カミュの身体を気遣う様子のリーシャであったが、彼の身体に異常がない事を理解すると、一変して厳しく表情を引き締める。カミュを責めるような言葉を口にするリーシャを諌めようとサラが口を挟むが、先程まで流し続けていた涙の跡が残るリーシャを顔を見ていた彼は、小さな笑みを浮かべた。

 その笑みは、今までの旅の中でも見た事のないような儚い微笑み。それは、リーシャの胸に先程まで感じていたような不安と恐怖を呼び覚ますのに十分な威力を誇った。

 

「リ、リーシャさん!」

 

 咄嗟の動きだったのだろう。振り抜かれた右腕は若い勇者の頬を打ち、それを受けた彼も、そしてその行動を起こした女性戦士も驚きの表情を浮かべていた。

 突然の出来事に驚きの声を上げたサラは、同じように驚きの表情を浮かべているメルエの手を握り締める。もしかすると、この場面で自分の出番はないのではないかと感じる程に静かな時が流れて行き、傍で佇むラーミアでさえも鳴き声一つ上げはしなかった。

 

「魔の王を倒しても、その先にあるのがお前の死では駄目なんだ……。何度言ったら、お前は解ってくれる? 何度問い掛けたら、お前は私達と共に歩んでくれるんだ?」

 

 リーシャとて、先程までの戦いが死を賭した戦いである事は十分に理解している。アリアハンを出た頃とは全く異なる想いをその胸に宿し、この歳若い勇者が魔王と対峙していた事も知っている。それでも、その身を犠牲にし、自分達を護ろうとしてくれた青年を褒め称える事だけは、彼女には出来なかったのだ。

 誰かの犠牲の上にしか成り立たない平和である事も重々承知している。ここまで多くの魔物達の命を奪って来たし、多くの人間達の死を見て来た。だが、それは己が生き抜く為にしてきた決断の末である事。お互いが己の生を諦めず、譲れない戦いの中で勝敗を分けて来たのだ。

 死を覚悟する事と、死を受け入れる事は全く異なる。リーシャもサラも魔王との戦いで自分達の死を覚悟していたが、自分達の死を受け入れようとは思っていなかった。

 魔王バラモスの消滅を見届けたカミュは、それを受け入れようとしていた。その先に続く自分の生を手放し、役目を終えたかのように死を受け入れようとしていたのである。サラのベホマでさえも、彼の命の灯火の消滅を抑えられなかった事がそれを示しているのだろう。

 彼が護ろうとしていた者達と共に歩む未来を諦め、もがく素振りさえも見せなかったその姿が、どうしてもリーシャは許せなかった。

 

「私達が……いや、お前が勝ち取ったこの世界で、どうして生きようとしてくれない!? この世界はお前を拒絶していたか? この四年以上の旅の中で、お前は何を見て来たんだ!?」

 

 その悲痛な叫びは、彼を四年以上も見続けて来た者にしか発する事が許されない慟哭なのかもしれない。この熱い女性戦士の双眸から再び零れ落ちた涙が、彼女の胸を締め付ける悔しさを明確に物語っていた。

 いつもならば、仲間内での諍いなどには過敏に反応するメルエでさえも、今のリーシャに掛ける言葉は見つからず、心配そうに眉を下げたままカミュを見上げている。それはサラも同様であり、何と声を掛ければ良いのか、はたして自分が声を発して良いのかさえも解らなかった。

 

「生きる事を諦めないでくれ……。少なくとも、私はお前に生きていて欲しいと思っている」

 

「…………メルエも…………」

 

 どれ程の沈黙が流れた事だろう。瞬きをする程度の時間であったかもしれないし、陽が沈む程に長い時間であったようにも思える。そんな痛いような沈黙が流れる中、ようやくリーシャが口を開く。

 それは懇願。

 彼の生き方も、彼の想いも、彼の覚悟も理解して尚、彼の生を願う一人の人間の想い。

 それに呼応するように、先程まで心配そうに眉を下げていた少女が口を開く。その眉はしっかりと上がり、何かを決心するように熱い瞳をカミュへと向けていた。勇者の生還を誰よりも喜んだ彼女の瞳を見ていた青年は、先程とは全く異なる小さな笑みを溢す。

 

「……大丈夫だ」

 

 その一言にどれ程の物が詰まっているのだろう。想像する事さえも難しく、読み解く事など決して出来ない短い物ではあったが、彼なりの全ての答えがその魔法の言葉に詰め込まれていたのかもしれない。

 見上げていた少女が微笑み、女性戦士は乱暴に瞳を拭う。全員の想いを全て受け止めてしまった女性賢者だけが、今更になって大粒の涙を溢し続けていた。

 この短く、儚い言葉に込められていた想いを、誰もが捉えきれていなかった事を知るのは、もう少し後の事となる。

 

「ぐずっ……カミュ様、真っ直ぐアリアハンに戻られますか?」

 

「……いや、一度トルドの所へ寄りたい」

 

 次から次へと溢れ出す涙を拭いながら問い掛けたサラの言葉は、意外な返答によって遮られる。

 この瘴気が晴れた今となっては、世界中に魔王バラモスの消滅が広まるのも時間の問題であるだろう。魔物達から凶暴性は失われ、魔王の魔法力によって生まれていた魔物達はその生命を手放している筈だ。

 そんな世界において、カミュという青年は完全なる『勇者』となってしまっている。誰も成し遂げる事の出来なかった『魔王討伐』という偉業を成し遂げ、この世界に平和を齎し、人類の未来を護った彼は、世界中の人間達が讃える存在へと昇華しているだろう。

 そんな英雄以上の存在の帰国は、凱旋と呼ぶに相応しい物になるだろうし、送り出した国家としてもそうでなければ示しが付かない。

何処かで一泊して休息を取るかを問い掛けたつもりであったサラは、意外な言葉に涙を止めてしまった。

 

「…………トルド…………」

 

「確かに、トルドの身が心配だな。イエローオーブの借りもある。寄ってから戻っても、ラーミアであれば数日も掛からないだろう」

 

 懐かしい名が出て来た事に目を輝かせたメルエを見て、リーシャは苦笑を溢しながらその頭を優しく撫でる。

 確かに神鳥ラーミアの復活は、トルドの犠牲があってこそと言えるのかも知れない。投獄されてしまった彼の身は、町の人間達の差配に委ねられている事も事実であり、悲観的になる必要はないかもしれないが、楽観的に考えられるような物でもなかった。

 ラーミアという神鳥であれば、船などよりも速い速度で移動が可能であり、トルドバーグに寄ってもアリアハンへの帰還が大幅に遅れる訳でもないだろう。故に、リーシャはカミュの目的の内容も確認せず、その提案を了承した。

 

「わかりました。では、まずはトルドさんの所へ向かいましょう!」

 

 自分の考えとは大きく異なる方針ではあったが、それでもサラは満面の笑みを浮かべる。最早、最終の目的は達成したのだし、多少は自分達の時間を持っても非難される事はないだろう。賢者となったサラも、この今の瞬間だけは考える事を放棄し、自分が大事に想う者達との行動を純粋に楽しんでも良い筈だ。

 嬉々としてラーミアの背に乗ったメルエは、その柔らかな羽毛の上に寝そべり、既に瞼を落とし始めている。全員がその背に乗った事を確認した神鳥は、大きく一鳴きをした後、翼を広げて羽ばたき始めた。

 ゆっくりと離れて行く大地に見える城は、この場所を訪れた時とは全く異なる雰囲気を醸し出しており、その城を住処にしている魔物達の心が穏やかな物になっている事を示している。朝陽に映える城の美しさに目を奪われ、周囲の泉に映るその雄大さに心奪われた。

 この場所を切り開いた人間が造った城なのか、元々魔物の物であった城なのかは解らない。だが、今サラの瞳に映るその城は、何者も拒む事はなく、穏やかに佇んでいた。

 

 

 

 




読んで頂き、ありがとうございます。
かなり短くなってしまいましたが、今回は二話に分けました。
二話目も短い物になります。

ご意見、ご感想を心よりお待ちしております。

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