新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

209 / 277
カザーブの村④

 

 

 

 周囲を険しいロマリア山脈に囲まれ、その森から吹き抜ける風と雨雲によって生い茂る木々が生み出した森に護られた小さな村に一つしかない道具屋の一室では、近年聞く事のなかった幼い子供の声が響いていた。

 部屋の外にまでは届かないまでも、その一室の空気は重苦しく、その道具屋の店主とその横に建つ若い女性は、困惑した表情を浮かべながら成り行きを見守る事しか出来ない。当事者である少女の瞳からは大粒の涙が溢れ出しており、感情を余り出す事のなかった少女の変貌に店主は驚きながらも、それだけの絆を築いて来た者達へ羨望の感情を抱いていた。

 

「…………いや…………」

 

 まるで絶対に離れないという意志を示すかのように一人の青年の腰にしがみ付いた少女は、首を何度も横へと振りながら、腕をきつく回している。この場所に着いたのが僅か数刻前であり、その僅か数刻前には店主との再会を喜ぶように満面の笑みを浮かべていた少女の表情は恐怖と悲しみに満ちていた。

 カザーブと呼ばれるロマリア国にある小さな村は、四年前と変わらず、細々とした生活の中にも人々の生活が満ち溢れている。カンダタ一味というゴールドの収入源を失って尚、自給自足と鉱石の採掘によって成り立つこの村は、魔王バラモスの消滅という衝撃的な出来事にも大きな影響を受ける事はない。これから先の時代であれば、来訪者は徐々に増え、村の中の活気は上がって行くのかもしれないが、僅か数日で大きな変化は見られる筈もなく、魔王バラモスが打倒されたという報も届いていないのかもしれない。

 

「……メルエ」

 

「…………いや…………」

 

 そんな村に大きな霊鳥が舞い降りたのは、数刻ほど前。村の住民が空に大きな影を見つけ、魔物の襲来かと怯える中、村から少し離れた場所に降り立った霊鳥は、まるで主人を待つように静かに翼を休め始めた。そして、その方角から村の門を潜って来たのは、幼い少女を連れた一人の青年だったのだ。

 マントの裾をしっかりと握った少女は、村の門を潜ると一直線に一つの家屋に向かって駆け出し、それを見た青年は優しい笑みを浮かべながらその後を追う。魔物の襲来の可能性に怯えていた村民は、口々に二人の噂を始め、その中で彼等二人の容姿を憶えていた者の言葉によって安堵の溜息を吐き出した。

 一軒しかない道具屋の扉の前に立った少女が悲しそうに扉の金具を見上げ、追いついた青年がその金具を叩く。中から顔を出した人物が、少女の想像していた者と異なっていた事で、扉の前で首を傾げる少女の姿に村人達は小さな笑みを浮かべていた。

 最近戻った道具屋の店主は、一人の若い女性を連れて戻って来ていたのだ。若い頃に最愛の妻と娘を亡くした彼は、深い哀しみと濃い影を背負っており、村人達も声を掛けられない程の空気を纏っていたのだが、その女性と戻った彼には一切の影が無くなっていた。

 彼が新たな人生を歩み始めた事を村人達は喜び、新たな村人となった若い女性を歓迎する。その女性は髪色が漆黒という特色を持っていたが、そのような違いなど一蹴するかのように活発な性格をしていた彼女は、僅かな時間で村人達に溶け込み、今では再婚の儀式は何時になるのかという村人達の問い詰めに、道具屋の店主が困惑する程になっていた。

 

「……メルエは、暫くここに居てくれ」

 

「…………いや…………」

 

 道具屋へ入って行った少女は、店主であるトルドとの再会を喜び、魔王バラモスを討ち果たした事を青年が報告すると、我が事のように小さな胸を張る。暖かな空気と、柔らかな優しさに包まれた時間は流れ、青年がトルドへ依頼を口にした瞬間にその時間は終わりを告げた。

 青年は、トルドに対して少女を一時預かって欲しいという願いを口にする。驚きを表したトルドが声を荒げた事で、隣の部屋で出された食事を口にしていた少女が戻って来てしまった。内容を聞いた少女は、目を潤ませながら青年にしがみ付き、今の状況へ至る。最早、口を挟む事さえも出来なくなったトルドと若い女性は、成り行きを見守る事しか出来なかったのだ。

 

「暫くすれば、あの戦士と賢者がこの場所に来る。その時、メルエは二人と共にアリアハンで暮らすか、ここで暮らすかを選べば良い。それまではここでゆっくり暮らすんだ」

 

「…………いや…………」

 

 小さな腕に精一杯の力を込めてしがみ付いていた少女ではあったが、相手は魔王さえも討ち果たす勇者である。力任せではなく、ゆっくりと離され、少女と瞳を合わせようと青年が屈み込んだ。

 説得するように、落ち着いた声で語りかける勇者カミュの言葉も、彼と共に歩み続けて来た魔法使いメルエの耳には届かない。最後まで聞く事無く、彼女の首は横へと何度も振られた。僅か数刻前の喜びは消え失せ、悲しみと焦りだけがメルエの心を支配している。最早涙は抑える必要もなく、大粒の雫となって木で出来た床へと零れ落ちていた。

 

「…………メルエも………いく…………」

 

「駄目だ」

 

 再びしがみ付こうとするメルエの腕を掴み、厳しく眉を顰めたカミュは一度首を横へと振る。それは、完全なる拒絶であり、絶対の強制力を持つ言葉。出会った頃から最大にして最強の保護者であるカミュが、自分の願いも祈りも無視して拒絶した事に、メルエの心は絶望に覆われた。

 幼い彼女にとって、カミュという青年は絶対の存在である。それは、彼が世界に認められる『勇者』だからではなく、彼女に光を与えてくれた者だからであった。そのような存在に受け入れて貰えないという状況に、メルエは抗う手段が何一つない。彼を看破出来る弁がある訳でもなく、彼を叩き伏せる力がある訳でもない。彼女に残された手段は、数多くいる子供達と何一つ変わらない事だけであった。

 

「…………いや………うぇぇぇぇぇん………メルエも……メルエも……いく…………」

 

 天井に顔を向けて感情がある限り泣き叫ぶ。それ以外の手段を持ち合わせていないこの幼い少女を誰が責める事が出来ようか。何度も何度も同じ言葉を繰り返しながら泣き叫ぶ少女の姿は、トルドやその横にいる若い女性の涙も誘った。

 幼い子供が自分の思い通りに行かないという理由で泣く事は、子供を育てた事のあるトルドは知っている。だが、世界を救う程の力を有した少女が、只泣く事しか出来ないのだ。それは、この勇者と呼ばれる青年に少女を連れて行けない理由が存在する事を示していた。

 故にこそ、トルドは口を挟めない。感情的に言うのであれば、幼い子供を置いて何処へ行くのだと怒鳴りたい気持ちで一杯なのだ。だが、目の前の青年の苦しみに似た表情を見てしまうと、そこにある父性を嫌でも感じてしまう。そこには、家族に持つ感情に近い物が見ていたのだった。

 

「……馬鹿な事を言うな。メルエは、あの二人と共に生きろ」

 

「…………うぇぇぇん…………」

 

 哀しみに近いような表情を浮かべたカミュはメルエの頭に手を乗せ、数度撫でたところで立ち上がる。成す術のないメルエは泣く事しか出来ない。しがみ付いても剥がされ、自分の想いを口にしても拒絶された。彼女は今までに感じた事のない絶望を味わっているのだろう。その泣き声は、彼女にしては珍しい程に大きく、家屋の外にも響き渡る程の物であった。

 しかし、この幼い少女は、彼女を護る保護者達に出会ってから全てが変化している。常に彼女を見守る者がおり、常に彼女の声は誰かに届く。魔物との戦闘でも、心の奥底に刻まれた恐怖にも、魔王という強大な敵との決戦でもだ。

 彼女の悲痛な叫びは必ず届く。

 

「……あっ」

 

「馬鹿はお前だ!」

 

 トルドの横に立っていた女性が入り口の扉の方へと視線を向けて小さな呟きを漏らした瞬間、メルエの前に立っていた青年が真横へと弾き飛ばされた。

 道具屋の居間にある木で造られた椅子などを薙ぎ倒し、勇者カミュは床へと倒れ込む。新たにメルエの前に現れたのは、拳を握り締めた屈強な女性戦士。怒りを隠そうともしないその表情は、倒れ伏したカミュへと向けられ、未だに立ち上がらない彼を心配するどころか、追い討ちを掛けるように再び拳を掲げていた。

 

「…………リーシャ…………」

 

「……メルエ、大丈夫だ。私達はいつまでも一緒だ。心配するな、泣くな、私を信じろ」

 

 カミュへと追い討ちを掛けようとする女性戦士であったが、腰にしがみ付いて来たメルエによってその行動を取り止める事となる。しがみ付くように顔をつけるメルエを見て苦笑を浮かべたリーシャは、ゆっくりと小さな身体を抱き上げ、その瞳を見て魔法の言葉を口にした。

 涙で赤く染まった瞳をリーシャに合わせ、ゆっくりと頷いたメルエは、そのままその肩へと顔を落とす。すすり泣くように嗚咽を繰り返す少女の姿が、先程まで感じていた恐怖と絶望の深さを明確に物語っていた。

 

「リ、リーシャさん……カミュ様が気を失っていますが……」

 

「ん? 当然の報いだ! あの程度の一撃で気を失っているようでは、この馬鹿は旅立って直ぐに命を落とした筈だ」

 

 魔王を倒した『勇者』とはいえ人間である事に変わりはない。それが、魔物との戦闘時であれば、彼は一瞬も気を緩める事はなく、どのような攻撃を受けても意識を飛ばす事はなかっただろう。だが、このカザーブという村に魔物が入り込む事はなく、その上に後方からの突然の攻撃を受けてしまっては、如何に歴戦の勇士であっても一溜まりもないだろう。しかも、その攻撃を放った者もまた、人類最高位に立つ者なのだ。

 倒れたまま意識を失っているカミュに近づき、息があるかどうかを確認したサラは、多少呆れ気味にリーシャへと言葉を投げかける。それに対して後悔の念の欠片もない彼女の物言いに、ここへ来るまでに交わした会話の内容を思い出してしまった。

 

 

 

 

 アリアハン教会にリーシャの雄叫びが轟き、何事かと飛び込んで来た育て親である神父に対し、再び旅へ出る事をサラが告げると、全てを理解した神父は哀しいような嬉しいような笑みを浮かべてた。

 身支度を済ませ、最後の挨拶を告げたサラに向かって、『もう一度、顔を良く見せておくれ』という言葉と共に涙を溢した老いた神父は、その身体を強く抱き締めた後、この先の続く長い旅の中でサラの心に残り続ける言葉を告げた。

 

『何処にいようと、何をしていようと、サラは私の娘だよ』

 

 サラの双眸からも大粒の涙が溢れ、ここまで育ててくれた事への感謝の言葉を告げる。そして、神父に引き取られてから十数年間口にした事のなかった『父』という言葉を、彼女は育ての親に向かって口にしたのだった。

 涙の別れの後、城下町の外へ出る為にアリアハン城下町を歩く中、リーシャとサラは現在の状況を再確認し、行き先を明確に設定する。その際に、リーシャは長く疑問だった事への答えをサラから聞く事となる。

 

「リーシャさんは、カミュ様の背中にある傷を憶えていますか?」

 

「ん? ああ、あの歪に残った傷跡の事か?」

 

 ランシールという村へ向かっている最中、メルエの唱えた呪文の余波を受けたカミュは、全身に火傷を覆う事となった。人類最高位に立つ魔法使いの放った灼熱呪文によって、高温に熱せられた鎧を剥ぎ取った彼女達は、歳若い青年には似つかわしくない傷跡を、彼の背中で発見する事となる。

 リーシャからカミュの母と祖父の話を聞いたサラは、突然その事を口にしたのだ。サラが何を言うつもりなのかが解らないリーシャは、相槌を打ちながらも首を傾げる。

 

「私の記憶も曖昧なのですが……あの傷を癒したのは私かもしれません」

 

「なに?」

 

 独白に近い懺悔を突然始めたサラに驚いた表情を浮かべたリーシャは、歩いていた足を止め、サラの方へと向き直った。そこで見たサラの表情は、苦しそうに眉を顰めながらも、まるで過去の自分の過ちを暴露したように苦笑を浮かべている。

 確かに、サラはアリアハン教会に所属する僧侶である。神父と共にその身に『経典』の呪文を刻み込み、身体に傷を負った者や、魔物の攻撃で毒を受けた者などを治療するという仕事を行っていても不思議ではない。現に、アリアハンを出る頃には、最下級ではあるが回復呪文をサラは行使していた。

 だが、カミュの傷を見る限りでは、それ程新しい傷ではない事は明白であり、その頃にサラが回復呪文を行使出来たかどうかには疑問が残ってしまう。

 

「私の初行使のホイミだったのです。神父様が魔物討伐隊に同道していて不在の時、母親に背負われた同じ歳くらいの男の子が教会を訪れました」

 

「それが、カミュなのか?」

 

 遠い記憶を掘り起こすように視線を空へと投げるサラの言葉に、リーシャは聞き入ってしまう。今はそのような事よりも急がなければならない理由があるにも拘らず、何故かその話を聞いておかなければという気持ちを持ってしまっていた。

 サラの気を軽くさせる為などではない。過去の懺悔を聞いて、その者の気持ちを軽くさせるのは、本来サラのような僧侶の仕事であり、決して宮廷騎士であったリーシャの本分ではないのだ。

 そんなリーシャの気持ちを知ってか知らずか、サラは彼女の問い掛けに小さく首を横へと振った。

 

「解りません。記憶が曖昧ですし、私自身気が動転していて、母親の顔も憶えていません。ただ、鍛錬中に刃抜きした剣で強引に斬られたという背中の傷が醜かった事だけは憶えています。神父様が不在である事を告げると、その母親は幼い私に泣き縋るように回復呪文を行使する事を懇願して来ました」

 

「……そうか」

 

 記憶が曖昧ではあるが、リーシャはそれがニーナとカミュの二人であると確信する。カミュの祖父であるオルテナは、名誉の挽回という執念に囚われていた。故に、厳しい鍛錬をカミュに課し、それから逃げ出そうとするカミュを感情的に斬り付けたとしても不思議ではない。

 何故、その場に祖父の姿がなかったのかは疑問ではあるが、サラが憶えていないのか、それとも自分の行為の正当性を訴える為に家で待っていたのかは解らない。しかし、その母親がニーナであり、己の息子の命を救おうと必死だった彼女の姿は容易に想像出来た。

 

「呪文の契約は済んでいましたが、行使した事のない状態だった私には、男の子の背中の傷は難易度の高い物でした。傷は塞がり、出血も止まり、鼓動も落ち着きましたが、その背中の傷は残るであろう事は一目瞭然だったのです」

 

「それでも、その母親は泣いて礼を述べていたのだろう?」

 

 リーシャはようやくサラが何故その話を今したのかを察する。彼女もまた、この場所にいないカミュという青年に対し、思う部分があったのだろう。

 彼を糾弾するつもりなど欠片もない。彼の受けて来た苦しみや哀しみを理解出来るとは微塵も思っていない。だが、彼が見る事の出来なかった側面が、このアリアハンには数多くあったのだと、改めて彼女も感じているのだ。

 それは、四年以上もの長い旅の中で、世界各国で生きる者達を見て来たからこそ見える物なのかも知れない。リーシャの問い掛けに、サラが小さく頷きを返した事が、彼女が何を言いたかったのかを明確に物語っていた。

 

「アイツも何時か解る時が来る。いや、もう解っているのかもしれないな」

 

「そうでしょうか……」

 

 小さな笑みを浮かべたリーシャは、今彼がいるであろう場所へ続く空を見上げながら、呟くように言葉を紡ぐ。その言葉の内容に首を傾げたサラは、それに同意する事は出来ないようだが、リーシャにはその確信があった。

 立ち止まっていた足を動かし、外へと繋がる門に向かって歩きながら、リーシャは先程サラから問い掛けられた疑問に答えるように口を開く。その口調は先程までの怒りが嘘のように静かで、暖かい優しさに満ちていた。

 

「サラは、カミュの行く場所がカザーブだとは思っていないのか?」

 

「え? あ、はい。可能性の一つとしては一番高いかもしれませんが、他にも行く場所はあるでしょうし、トルドさんの所に寄るとしても、すぐに出てしまうかもしれません」

 

 確かに、カザーブの他にも行く場所はある。ましてや、トルドは今はあの開拓地で出会った女性と新たな生活を始めたばかりだろう。ようやく動き始めた商人の人生を、メルエを連れて行く事によって巻き戻す必要はないのだ。

 メルエを見れば、トルドは必ずアンを思い出すだろう。アンや最愛の妻を忘れろという事ではないが、必要なく過去の思い出を引っ張り出す事もない。それが解らないカミュではないだろうし、その他にもメルエが『命の石の欠片』を手渡す程の者達はいるのだ。

 可能性としては高くとも、必ずそこにいるとは限らないというのがサラの考えであった。

 

「バラモスとの戦いで、メルエがあの巨大な火球呪文……メラ…ゾーマだったかを行使した時、バラモスの目の色が変わった事を憶えているか?」

 

「え? 確かに、必要以上にメルエに執着していたかもしれません」

 

 突然投げかけられた問い掛けに、サラは記憶の糸を辿るように頭の中を掘り起こす。

 あの戦闘時、確かにバラモスは何度と無くメルエへと手を伸ばしていた。その全てがカミュやリーシャによって阻まれ、最上位の爆発呪文はメルエ自身のマホカンタによって阻まれている。だが、最後の最後まで、バラモスの腕は幼い魔法使いに伸ばされていたかもしれない。

 思い当たる節もある事で、サラはリーシャに向かって頷きを返す。賢者とはいえ、彼女もあの戦いでは生死の境を何度も彷徨いながら必死に戦っていたのだ。

 

「バラモスは、己の命が尽きようとして尚、メルエへと手を伸ばしていた。それが、ゾーマという存在の為だとすれば、メルエという存在はゾーマにとって不利益になる可能性があるのだろう。そして、あの馬鹿がサラの聞いた声を聞いていたとしたら……」

 

「一人で旅立つ……」

 

 リーシャは敢えて最後まで語る事をしなかった。

 バラモスが本当にメルエに執着を見せていたのか、カミュがゾーマの存在を知っていたのか、ゾーマにとってメルエという存在が害となるのかなど、不確定な推測部分が多過ぎる。推定の域を出る物ではないし、カミュの行動に関しては完全にリーシャの思い込みであった。

 だが、カミュという青年と四年以上旅を続けて来たリーシャにとって、彼が起こし得る行動の推測には自信がある。それが間違っていないという自信もあるし、確信もある。それだけリーシャ自身が彼を信じているのだろう。

 

「私も同じではあるが、あの馬鹿にとってメルエは絶対に護らなければならない存在なんだ。今のカミュがカミュとして有り続けられるのは、メルエが居たからこそだからな」

 

「メルエを置いて、一人で旅立つつもりなのですね」

 

 魔王バラモスさえも討ち果たした『勇者』が一人で旅立つ場所となれば、それはそれ以上に過酷な戦いしかないだろう。もし、カミュが安寧に生きて行きたいと考えているならば、絶対にメルエを置いてはいかないからだ。

 メルエを護る事。それは自由を手に入れた『勇者』の至上の使命である。今の彼にはそれしか残っていないとも言えるのかもしれない。サラが聞いていた精霊ルビスの声らしき物を彼もまた聞いていたとすれば、魔王バラモスの上に立つ者がいる事を察していても可笑しくはない。その凶悪な存在の目的がメルエという少女であるならば、それを阻止する為に彼が旅立つ事は想像に難しくはなかった。

 そして、何もかもをその背に背負おうとする彼だからこそ、一人で旅立つという選択肢を選んでしまうだろう。リーシャ程ではないが、サラも朧気ながらにそれを理解する事が出来た。

 

「宮廷騎士の職と、貴族の地位も国王様にお返しして来た。残っていた婆やにも宮廷での職を与えてくれるとお言葉を頂いた。もはや、私に後顧の憂いはない」

 

「え? えぇぇぇぇぇ!? リ、リーシャさん、今何と仰いましたか!?」

 

 カミュの居場所を特定した理由の話が終わる頃、ようやく彼女達二人は外へと続く門を抜ける。抜けるような青空を飛ぶ鳥達を見上げたリーシャは、晴れ晴れとした顔で腕を大きく上げた。

 何でもない事のように飛び出した言葉を聞いたサラは、何かの聞き間違いではないかと一瞬考えた後、弾かれたように横に居るリーシャへと顔を向ける。貴族がその称号を返還するという事の意味は、国家に対しての裏切りに近い物であるのだ。

 『この国の貴族として生きる事は出来ない』という意思表示であり、国家否定と受け取られても反論出来ない程の暴挙である。更に言えば、宮廷騎士としての職も辞退したとなれば、反逆の意志と受け取られても否定は出来なかった。

 それを井戸で水を汲んで来たとでも言うように、当たり前の事として口にするリーシャがサラには信じられなかったのだろう。目を丸くしたままリーシャを見上げる彼女は、口を開閉させながらも言葉が一切出て来なかった。

 

「サラはカザーブまで私を送ってくれた後で、アリアハンに戻ると良い。サラには、この先でするべき仕事が山程あるだろうからな」

 

 先程までの怒りを胸の内に納めたリーシャは、当初の予定通りの行動を取るようにサラへと語りかける。この世界で『キメラの翼』という道具が希少な物であり、一国家の宝物としてしか残されていない以上、リーシャのような一戦士が所有している筈がない。そして戦士であるリーシャに魔法力が備わっていないのだから、ルーラという移動呪文の行使も出来る筈がない。故に、彼女がカザーブの村へ向かおうとすれば、海を渡るしかないのだ。

 ロマリアへ続く旅の扉への入り口は再び封鎖されており、魔法の玉を生み出した老人の生死は解らない。再びあの壁を壊す手段がない以上、彼女は海を渡る他に方法はなかった。しかも、定期的な連絡船なども無い為、泳いで渡るしかない。それは、余りにも無謀で無茶な方法だろう。

 だからこそ、リーシャはサラへ頼み込んだのだ。移動手段を有するこの賢者に願う事しか彼女には出来なかった。

 しかし、その言葉を聞いたサラの表情が一瞬で変化する。先程まで驚愕に見開かれていた瞳を細め、視線を外した彼女は、そのまま詠唱の準備に入り始める。態度が変化したサラに驚いたリーシャは、動きを止めてしまった。

 

「何をされているのですか!? 早く私の腕に掴まって下さい! 詠唱が完成してしまいますよ!」

 

「あ、ああ」

 

 珍しく怒気を滲ませた声で発言するサラに戸惑ったリーシャではあったが、自分の方を見もしようとせずに詠唱を完成させる姿に、慌ててその腕を握る。サラの魔法力がリーシャの身体を含めて広がり始め、二人を包み込んだ。

 後はその言葉を紡ぐだけという状況になっても、暫くの間サラは完成した魔法を行使しない。まるで何かに迷っているように唇を噛み締めている彼女の姿に首を傾げたリーシャは、サラの顔を覗き込むように視線を向けた。

 

「一つだけ、リーシャさんに言わせて下さい」

 

「ん?」

 

 意を決したように上げたその顔を見たリーシャは、自分の失態に気付いて眉を顰める。それでも、その口から出て来る言葉を聞かなければならない事を察し、静かに耳を傾けた。

 サラの顔は、このアリアハンを出た頃のような僧侶の顔ではない。長い旅路で何度も見た、何かに悩んでいる顔でもない。何かに哀しむ物でも、何かに苦しむ物でもなく、ましてやこのアリアハンへ戻って来た時のような穏やかな物でもなかった。

 それは、リーシャという女性戦士が信じ、メルエという幼い魔法使いが師事し、カミュという世界の勇者が頼る者の顔。

 

「……私は、『賢者』です」

 

「ああ、そうだったな」

 

 その一言にどれ程の想いが詰め込まれているかを理解出来ないリーシャではない。彼女もまた、教会での会話を済ませた時に、このアリアハンへ二度と戻らない事を覚悟していたのだろう。そんな不退転の決意を、リーシャは踏み躙ってしまったのだ。

 リーシャとしては、サラという存在の立ち位置を考えての発言のつもりだったのだろう。だが、それは本当の意味で、『賢者』という存在の重責を理解していなかったのだ。サラの責務と理想は重く、それこそ人類が到達出来ない程に遥か遠い。それでも前へと向かって進もうとする彼女にとって、先程のリーシャの言葉は無視出来ない物だったのだろう。

 

「ルーラ!」

 

 力強い詠唱と共に、二人の身体を包み込んでいた魔法力がその効果を発揮する。一気に浮かび上がった二人は、上空で一時滞空した後、北西の方角へと飛んで行った。

 

 

 

 

 そんな一連の会話を済ませ、彼女達二人がカザーブの村に付いた頃、村中の者達が一軒の家屋を取り巻くように眺めていた。不思議に思った彼女達が近づくと、そこは何度か来た事のある一軒の道具屋。彼女達が最も信頼する商人と言っても過言ではない者が営むその場所へ近づくと、何故村人達が注視しているかが理解出来た。

 外まで漏れている幼い子供の泣き声。木と少ない煉瓦で造られた家屋からは、余程の声でなければ外の人間は意識を向ける事はない。それにも拘わらず、村中の人間の視線を集めるとなれば、その発信源を彼女達は容易に想像出来た。

 そして、扉を叩いても返答がない事を理解したリーシャが中へと入り、カミュが気を失う事になったという事である。

 

「や、やぁ、いらっしゃい。随分久しぶりだね。まずは、魔王討伐お疲れ様……いや、世界に平和を齎してくれた事を心から感謝するよ」

 

 突然起きた一連の騒動の中、家主であるトルドが正気に戻る。やはり、殴られて気を失った青年の事も、殴った事を後悔する事もなく胸を張る女性の事も知っている彼にとって、この騒動は衝撃的な物でありながらも何処か納得出来る物だったのだろう。実際、彼の隣に立っている女性は未だに衝撃から立ち直れずにいた。

 女性の年齢は、リーシャとそう大差はないだろう。若干リーシャよりも上である事は解るが、三十路を越えている事はないと思われる。ジパング出身という事もあり、様々な苦労をして来た彼女にとっても、今の騒動は大きな衝撃を受けてしまう物だったのだ。

 

「トルド、久しぶりだな。あの町を出るなら出るで、何か言伝を残しておいてくれれば良かったんだ」

 

「ああ……すまない。私の考えでは、何故か君達は二度とあの場所に戻って来ないような気もしていたからな」

 

 未だに小さな嗚咽を繰り返すメルエの背を優しく叩きながら、リーシャはトルドの行動に苦言を呈す。彼の横に立つ女性の父である鍛冶屋に話を聞かなければ、リーシャ達はトルドの行方を知るどころか、あの町で犯罪者として扱われていたかもしれないのだ。世界を救った勇者一行が犯罪者扱いされては堪った物ではない。

 そんなリーシャの苦言を受けて苦笑を浮かべたトルドは、頭を軽く下げながら、自分の考えを語る。確かに、イエローオーブが手に入った彼らにとって、あの町に実質的な目的は何も無い。だが、それはトルド自身が自分の存在の大きさを誤認している事を示していた。

 

「トルドさんがあの場所にいる限りは、私達は必ず行きましたよ」

 

「あははは。そうだね、君達はそういう人間だった」

 

 トルドが居る町。

 それだけで、彼らがその町に立ち寄る絶対の理由に成り得るのだ。自分達の目的であるオーブ収集という物の為に己を犠牲にした友人を見捨てる事が出来る程、彼らの心は強くはない。そして、彼を父親のように慕うメルエが居る限り、その場所に行く事を拒否する事など誰も出来ないのだ。

 サラの言葉を受けたトルドは、柔らかく暖かな笑みを浮かべる。決して相手を馬鹿にした笑みではない。そこに居る者達の性根を理解し切れていなかった自分へ向けた苦笑であり、その想いを嬉しく思う笑みでもあった。

 

「何故、解放される事が出来たんだ?」

 

「ん? ああ……まぁ、たまたまだな」

 

 リーシャが場の空気も省みずに発した疑問に対し、トルドは明確な答えを返す事はなかった。何処かはぐらかすように頭を掻き、口篭るように押し黙る。何ともいえない沈黙が流れる中、ようやく倒れ伏していた勇者の意識が戻った。

 半身を起こしたカミュは数度頭を振った後、人を射殺せる程に強い視線で、自分の前に立っている女性戦士を睨みつける。しかし、それ受けたリーシャは、その恐ろしい視線を何処吹く風で受け止め、興味なさ気にトルドへと視線を戻した。

 

「カ、カミュ様、言いたい事は私達にも山程あるのです。これ以上リーシャさんを刺激する事は得策ではありませんよ」

 

「ちっ!」

 

 傍で屈み込んでいたサラの呟きを聞いたカミュは、忌々しげに舌打ちを鳴らしながら立ち上がる。しかし、再び厳しい視線をリーシャの横顔へ投げかけようとした時に、その肩口からの恨めしそうな視線を受けて視線を逸らしてしまった。

 先程まで嗚咽を繰り返していた少女が、カミュの意識が戻った事に気付き、先程まで自分が受けた悲しみと絶望を表すような瞳を彼へと向けていたのだ。若干頬を膨らませながらも、その頬に残る涙の跡が、カミュという勇者の心に強大な罪悪感を生み出して行く。それに耐える事が出来ないかのように、彼は視線をトルドへ向ける事で逃げ出した。

 

「トルドさんが手を付けなかったゴールドが発見されたのです。一つ一つ送って来た者の名前と日付を記して一室に管理していた物が見つかった時、人々は守銭奴だと揶揄しました。しかし、商売に困窮した時に無償で与えられたゴールドが、自分達が献上していた物の中から出された事を帳簿で知った事で、トルドさんの解放が決まったのです」

 

「……流石はトルドさんですね」

 

 口を開こうとしないトルドを見ていた一行への答えは、トルドの隣に立っていた女性から告げられる事となる。確かにトルドが投獄されていた場所で聞いた話では、賄賂として献上された物には手をつけていないと語っていた。しかし、それを名前や日付を付けて管理し、その者達が困窮した時の支援金に回していたという事は初耳であったのだ。

 その話の重要度をリーシャは理解出来なかったが、サラは少し考えただけで、彼が生み出した制度の有用性と実用性を理解する。呟くように告げられたトルドへの賞賛を聞いた女性は、満足そうに笑みを浮かべた。

 

「その後、それぞれの持ち主へ資金は戻され、その資金の中で持ち主がいない物や持ち主が返還を拒んだ物は、協賛準備金として町の備蓄金となりました。商売を支援する為の貸出金として、今後は町の者達が管理して行く事になります」

 

「……そうか」

 

 女性が繋げた内容を聞いていたカミュは、その内容の先進性に驚き、先程までの怒りを忘れたように聞き入る。国家では備蓄の食糧などを持ち、飢饉などに備える方法は既に導入されているが、商人という生産性の無い職業に対しての支援は、国家として行われている所は無かったのだ。

 何処の国家にも属さない自治都市として成り立つ開拓地ならではの制度であろう。同じ自治都市でも、黒胡椒という特産によって人を呼ぶ事の出来るバハラタや、夜の街として若者の夢を体現したようなアッサラームでは、商売を基本とした純粋な商人を護る制度は生まれなかった筈である。

 世界的に画期的なこの制度は、商人という職業の立ち位置を大きく変えて行く物となるのだが、それはまた別の話であった。

 

「もういいよ。悪いが、飲み物でも持って来て貰えるか?」

 

「あっ、ごめんなさい」

 

 我が事のように自慢気に話す女性に苦笑を浮かべたトルドは、まだまだ話し足りないというような彼女の言葉を制止し、来客に飲み物を振舞うように頼む。自分が何時の間にか熱を込めて話していた事に気付いた彼女は、恥ずかしそうに顔を赤らめ、そのまま台所の方へと消えて行った。

 その背中を追うように一行の視線が動くが、その中で唯一人、メルエの視線だけは未だにカミュを恨めしげに見つめている。自分がここへ置いて行かれるという不安がまだ彼女の胸を占めているのだろう。カミュの一挙一投足を見逃さないように彼女の瞳は厳しく細められていた。

 

「あの女性と所帯を持つのか?」

 

「ん? 今までは考えてもみなかった事なんだが……」

 

 女性の背中を優しい瞳で見つめているトルドに笑みを溢したリーシャは、とても優しい声色で問い掛ける。それは決してトルドを責めるような物ではなく、むしろ喜び、祝いの気持ちを持った物であった。

 そんなリーシャの気持ちを感じたトルドは、気恥ずかしそうな笑みを浮かべながら、衣服の中へと手を差し入れ、とても小さな物を取り出す。それは、何処かで見た事のある物のようでありながら、知っている物とは全く異なった形をした物であった。

 

「メルエちゃん……貰った物をこうする事には少し抵抗があったのだが、俺はこの石にあの人も護って欲しいと想っているんだ。許してくれるかい?」

 

「…………ん…………」

 

 トルドが懐から取り出した物は、二つの小さな指輪。その指輪には、淡く青色に輝く小さな石が嵌め込まれている。それは、リーシャに抱かれた少女が、自分の大事な者を護って欲しいという願いを込めた奇跡の石。魔王バラモスという強大な敵をも打ち倒す事となった『勇者』の命を死の呪文から護り切った石である。

 おそらくトルド自身が加工したのであろう。二つに分けられた『命の石』の欠片は、それぞれの指輪の上で淡い輝きを放っていた。その輝きを見たメルエは、先程までの鋭い瞳を緩め、嬉しそうに微笑を浮かべる。そんなメルエの大きな頷きを受けたトルドもまた、満面の笑みを浮かべた。

 

「そうか……。その石は、メルエの願いが込められている。だが、あの女性を護り抜くのは、お前だぞ」

 

「ああ……今度こそ、この手で護り抜いてみせるよ」

 

 メルエの嬉しそうな微笑に表情を崩したリーシャであったが、瞬時に表情を引き締めた後で、トルドへと苦言を呈す。誰も口にしなかった古い傷を、彼女は敢えてこの場で口にしたのだ。

 それが意味する事を理解出来ないトルドではない。先程までの緩んだ表情を苦悶に歪め、それでもしっかりとした光を宿した瞳でリーシャを見つめ返す。そこから口にされた言葉は、彼の心からの決意に満ちており、その力強さは『男』が持ち得る最上位に立つ程の物であった。

 彼が、長く愛し続けた妻と娘を忘れる事はない。それは深い傷となって彼の心に死ぬまで残る事だろう。だが、それもまた彼の教訓となり、強さとなる。それを強さとする心を、彼はこの勇者一行に学び、あの開拓地で出会った女性に掘り出されたのだ。

 

「トルドさん、これを……」

 

「……これは」

 

 そんな決意の炎を宿したトルドの瞳が、再び涙に包まれる。サラが手にした大きな布を解き、一つの衣服を取り出した。

 それは、四年前にトルドが一行へと預けた衣服。『みかわしの服』と呼ばれる物と同じ素材で作られ、彼の妻が愛する娘の為にと繕った衣服である。

 あの時からずっとメルエの身を護り続けて来た衣服であったが、エルフの隠れ里を再訪した際に購入した『天使のローブ』が今はメルエの身を護っている。決して不要になったから返還する訳ではない。その事は、先程まで笑顔であったメルエの顔が歪んでいる事が証明していた。

 彼女にとって、友の形見であり、友の父親の愛情が篭った物である。手放したくはないのだろうが、船を降りる時にそれを船室から持ち出したサラと共に話をした結果、今後のトルドの事を考えて涙を飲む事に決めたのだ。

 

「大事に使わせて頂いていたのですが、どうしても綻びが出来てしまって……私が何度か継ぎ接ぎをした結果、このような姿に……」

 

「ありがとう。この服の今の姿が、メルエちゃんをしっかりと護ってくれた証拠だと思うよ。アンとメルエちゃん、俺の二人の娘が着た服だ。大事にさせて貰うよ」

 

 メルエが魔物から攻撃を受けた事など数える程しかない。だが、それでも通常の人間であれば一撃で葬られる程の魔物達の攻撃を受けて来たのだ。その鋭い嘴で貫かれ、魔物の放つ呪文の余波を受け、ところどころが綻んでしまったとしても、それは仕方のない事なのだろう。

 そんなメルエの衣服は、綻んでしまった事を訴えて来た彼女の願いを受けて、サラが何度も繕って来たのだった。少しでも痛みが生じると、泣きそうな表情で衣服を持って来るメルエに辟易しながらも、サラは何度もその衣服に針を通している。その結果、どうしても異なる色になってしまっている部分や、糸の跡が残ってしまっている部分などが出来てしまっていた。

 それでも、トルドは涙を浮かべながらその衣服を大事そうに抱き締め、微笑を浮かべて何度も頷きを返す。新たな門出となった彼に対しての贈り物としては異色かもしれないが、最適な物でもあったのかもしれない。

 

「……もう、君達と会える事はないのかな? ここへ来て、これを渡してくれたという事は、そういう事なのか?」

 

「え? あ、いえ……そういう訳では」

 

「ああ、おそらく会う事はもう無いだろう」

 

「トルド、達者で暮らせよ」

 

 衣服を胸に抱いたまま、トルドは感じ続けていた疑問を口にする。それは核心的な物であり、アリアハン国王の意図を汲んでいるサラには答える事が出来ない物であった。

 だが、アリアハン国王の考えや優しさなどを知らないカミュは、そのままの答えを口にしてしまう。そして、それを横目で見ていたリーシャもまた、別れの言葉を口にしたのだった。

 旅立つ理由は言わない。だが、彼等一行は魔王さえも討ち果たす力を有した者達である。その立場の難しさを、カンダタ一味という集団を村へと招き入れたトルドは理解していた。そんなトルドに、カミュ達は旅立つ理由の想像を一任したのだ。

 

「…………メルエも………いく…………」

 

「大丈夫だ、メルエ。先程も言ったが、私達はいつも一緒だ」

 

「そうですよ。ずっと一緒です」

 

 先程の問答を思い出したメルエは、リーシャの肩越しにカミュを睨みつけ、もう一度先程と同じ言葉を口にする。だが、今回は彼女の願いではなく、彼女の決意であった。それを理解したリーシャが後押しし、サラが決定付ける。残るは唯一人の回答だけなのだが、その青年は苦々しく表情を歪め、重苦しく口を閉ざしたままであった。

 緊迫した空気の中、ようやく飲み物を用意し終えた女性が居間へと戻って来る。一変した部屋の空気に戸惑いながらも、それぞれの前に飲み物を置いた彼女は、トルドの隣の席へと腰掛けた。

 

「……勝手にしろ」

 

 全員の視線が集中する居心地の悪さに顔を歪めたカミュは、吐き捨てるように言葉を紡ぎ出す。それは、彼の行動に全員が同道する事を許す物であり、今後も共に歩む事を了承する物であった。

 メルエが花咲くように微笑み、それを見たリーシャは彼女の額に自分の額を付けて微笑み、その二人を見たサラは手を合わせて微笑んだ。今も変わらない四人に対して、トルドも優しげに笑みを溢し、何がどうなっているのかが解らない女性もまた、その暖かな空気に笑みを浮かべる。

 

「よし。トルドの新たな門出に乾杯だ!」

 

 全てが丸く収まった事を理解したリーシャは、女性が持って来てくれた杯を手にして、友であり恩人でもある商人の新たな門出を祝う。その言葉に全員が杯を手にし、腕を高らかに掲げた。

 照れくさそうに微笑むトルドと、それで何かを察した女性の幸せそうな微笑を見ながら、サラは一気に飲み物を飲み干す。

 それは、トルドの幸せを願う四人の想いであり、二度とは会えない友への別れの杯でもあった。

 

 

 

 




読んで頂き、ありがとうございました。
これにて、トルド編は完結となります。

ご意見、ご感想を心よりお待ちしております。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。