新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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勇者の洞窟(ラダトーム北の洞窟)①

 

 

 決して明ける事のない夜の森を抜けると、一気に広がる砂丘が見えて来る。未だに眠気を訴えるメルエの手を引いたサラも、真っ暗な闇の中に広がる砂丘を不思議な気持ちで眺めていた。

 何処か神聖な空気を感じるようで、飲み込まれそうな不穏さも持ち、全身の毛が逆立つ程に禍々しい瘴気を吐き出しているようで、何やら生命の源へ帰って来たような感覚に陥る。そんな不思議な空気を持つ場所であった。

 全員が揃っている事を確認したカミュは、砂丘の盛り上がった頂上に向けて歩き始める。吹き抜ける風が砂を巻き上げ、それが目に入る事を防ぐようにマントを掲げると、カミュの動きを待っていたかのように、その中でメルエが逃げ込んだ。

 この砂丘には生物が住んでいないのか、イシス砂漠のような魔物が這い出て来る様子もない。吹き曝しの風と、巻き上がる砂という強敵を凌ぎながら、カミュ達は砂丘の頂上へと向かって歩き続けた。

 

「……あれのようですね」

 

 二つの『たいまつ』のみという乏しい明かりの中、迷う事無く歩き続けた一行は、頂上付近でぽっかりと口を開ける洞穴を見つける。先頭のカミュが持つ炎に照らされながらも、吸い込むような闇が広がった洞穴は中の様子を窺う事は出来なかった。

 砂丘の砂とは異なり、古代からの岩で形成された洞穴である事が窺える。砂丘の砂が入り口に溜まってはいるが、洞穴の中まで砂丘という事はないようであった。人類が入った形跡は乏しく、明かりを灯す設備などは全く残されてはいない。頷き合った一行は、そのまま洞穴の中へと入っていった。

 

「メルエ、カミュ様の邪魔になってしまいます。こちらへ」

 

「…………むぅ…………」

 

 洞穴の中へ入ってからもカミュのマントに潜り込もうとするメルエの姿に苦笑を浮かべたサラは、甘えたがりの少女を自分の許へと呼び戻す。不満そうに頬を膨らませた彼女であったが、『たいまつ』を前方へ掲げながら真剣な瞳で周囲を見渡しているカミュを見上げ、渋々といった感じでサラの手を握るのであった。

 洞穴の内部は、入り口からは想像も出来ない広さを持っているようで、外の砂丘部分の地下全てに亘って広がっているのではないかと感じる程の面積がある。入り組むように岩壁があり、分かれ道が多く存在していた。

 このような時の一行の共通認識は、只一つ。

 

「……どっちだ?」

 

 入って直ぐに登場した分かれ道の前で足を止めたカミュは、振り返った先にいる一人の女性へ問いかける。それと同時にサラとメルエもまた、その女性へと振り返った。

 全員の視線が集まるのを感じた最後尾の女性戦士は、その行為に慣れたかのように嘆息し、考えるように顎へ指を添える。暫しの時間、左右へ分かれる道を交互に見比べていたリーシャであったが、困ったような表情を浮かべ、首を傾げた。

 

「どっちへ行っても同じような気がするな……本当に奥へと続いているのか?」

 

「アンタがどちらも行き止まりのように感じているのなら、間違いなく奥へ繋がっているのだろう」

 

 困惑したように自分の感じた事を語るリーシャの言葉に、カミュは納得したように前方へと視線を戻す。言っている事は正しいのだろうが、言われた側からすれば良い気がする訳がない。不快そうに一瞬眉を顰めたリーシャであったが、サラとメルエの笑顔を見て、諦めたように一つ息を吐き出した。

 先頭の勇者が選んだのは、向かって右側に続く道。その道を歩いて直ぐに見えた分かれ道に対してもリーシャの反応は同じであった為、迷う事無く左に折れた。

 洞穴内の闇は強く、『たいまつ』の炎では本当に手元しか見えない。まるで洞穴の奥から闇が噴出しているのではないかと思う程に濃い闇が、一行の足を遅らせていた。

 

「カミュ、洞穴内に転がる枯れ木などに火を移して行こう。亡くなった者達には悪いが、未だに残る衣服達にも炎を移さなければ、視界が悪過ぎる」

 

「……わかった」

 

 洞穴内の入り口付近には、人骨が幾つか転がっている。それは、己を英雄と勘違いした者達の成れの果てなのだろが、既に骨さえも風化してしまった物も多く、人であった痕跡もない。中には数体の人外の骨などもあるが、それが人間との戦闘での死なのか、それとも自然な死なのかは解らなかった。

 注目するべき部分は、人骨の周囲にはそれが着衣していたであろう衣服の成れの果てがあり、薄汚れているとはいえ、着火する事が可能であろうと考えられる事である。しかも、この砂丘の中心に位置する洞穴の中にも、生命力の強さを物語るように植物が生えているという事であろう。枯れ木と呼ばれる立派な物は無くとも、枯れ草などはそれなりに溜まっており、それに着火する事で周囲を照らす事も可能であると見えた。

 僅かな時間であっても、周囲を照らす明りが灯るというのは、人間にとって重要な事である。このような些細な事でも、やはり太陽という物の有り難味をサラは深く実感するのであった。

 

「キシャァァァ」

 

 周囲の枯れ草に火を移し、幾分か周囲が見渡せるようになった時、前方の曲がり角から二体の生命体がカミュ目掛けて飛び掛って来る。咄嗟な事であったにも拘わらず、カミュは左腕に装備した水鏡の盾を掲げる事によってその奇襲を防いだ。流石は、『水の如く受け流し、鏡のように跳ね返す』と謳われる程の盾と言っても過言ではないだろう。突如現れた物の奇襲を受けて尚、傷一つ付いていないその盾は、それだけの信頼を受けるに値する代物であった。

 一端距離を取ったカミュは稲妻の剣を握り、後方へと移動したサラとメルエが呪文詠唱の準備に入る。カミュの隣に移動したリーシャが『たいまつ』を前方に掲げ、現れた魔物の姿を曝した。

 その魔物の姿は今まで見た事も無い程に異様な物であり、『人』としての本能が嫌悪感という警告を鳴らし続ける程の物であったのだ。乏しい光に照らされたその身体は、闇に紛れて紺色のような色をしている。もし陽の光を浴びたのならば、紫色の光沢を持つ物なのかもしれない。

 巨大な目と耳まで裂けた口。その口から覗く牙は『たいまつ』の炎を受けて怪しく輝いていた。背中には巨大な蝙蝠のような羽を生やしており、頭部は奇妙な形をしてはいるが、髪の毛のような体毛が一切無い。左にいる一体は錆びたナイフを持ち、右の一体は長い鞭のような物を握っていた。

 

<サタンパピー>

大魔王ゾーマの世界で生きる魔族。魔族の中でも最下層にいる下級魔族という声もあるが、それは大魔王ゾーマの世界の中でという意味で考えれば、それ以外の世界ではかなり上位の力を持つ魔族と考えて良いだろう。

大魔王ゾーマの下で働く者という説もあり、それに相応する呪文も修得していると云う噂もあるが、実際に遭遇した者達の中で生存している者はおらず、推測の域からは出ていない。同じように、下級魔族であるベビーサタンの成体という説もある。奇しくも皮膚の色やその攻撃方法などから見てもかなり有力な説という考えもあるが、それも遠くから確認した上の世界の人間の言であるだけに、信憑性が薄いと云われていた。

 

「キシャァァァ」

 

「ふん!」

 

 左側にいた一体のサタンパピーがカミュに向かって飛び掛るが、その小型ナイフの一撃を盾で流した彼は、一気に剣を振り下ろす。少なくない体液を飛ばし再び後方へと引き下がったサタンパピーではあったが、それ程に深手ではない。更に手を傷口に当て、何かを呟くように発生している姿を見たサラは、驚きの表情を浮かべた。

 それは、明らかに回復呪文を行使している仕草なのだ。だが、最早、魔物がそれを行使するという事に対してサラが驚く事はない。ならば、何故サラが驚愕の顔を向けたかというと、それは明らかな呪文行使の後でも、その傷が塞がる気配が一切無かったという事であった。

 回復呪文は、怪我という肉体的損傷に対してであれば万能に近い。欠損部分を復活させる事は不可能ではあるが、それでも斬り裂かれた傷に対しては有効である。尚且つ、このアレフガルドで遭遇する程の魔物であれば、少なくとも中級以上の回復呪文を唱えるであろうと考えた場合、あの程度の傷であれば、間違いなく治癒する事が出来る筈なのだ。

 

「リ、リーシャさん、最悪の場合、この洞穴からは出た方が良いかもしれません」

 

「なに? どういうことだ?」

 

 魔物と対峙するという状況で身動きが取れないカミュを補佐しようと動き始めたリーシャに、サラは重々しく言葉を告げる。しかし、そのような簡易な説明では他者には届く訳がない。リーシャのように魔法の知識が薄い人間に対してであれば尚更である。

 サラの言葉の意味を考える余裕もなく、もう一体のサタンパピーが動き始めた。手に持った鞭のような武器を振るい、リーシャの足を絡め取ろうとする。後方へ下がる事でそれを辛うじて裂けたリーシャではあったが、それを見越していたように、もう一体のサタンパピーが体液を飛ばしながら彼女に向かって来ていた。

 

「…………メラミ…………」

 

 しかし、大事な者の危機を黙って見ている事が出来る程、この一行の魔法使いは消極的な人間ではない。自信の身長よりも大きな杖を振るい、中級火球呪文を詠唱した。

 リーシャへの配慮の為か、最大級の火球呪文を唱えなかったのは彼女の成長なのだろうが、そこで一行は不思議な光景を見る事となる。左側から迫る錆びたナイフをカミュと同様に盾で弾いたリーシャは、若干の驚きを示した顔で、後方のメルエへ振り返る。そこには、何とも哀しそうに眉を下げる少女が、己の杖を眺めながら呆然と立ち尽くしていたのだった。

 サラは、今起こった出来事に何処か納得したような表情を浮かべる。メルエが杖を振るう瞬間、確かにメルエの身体から杖へと魔法力が通っていた。だが、その魔法力が杖の先から放射される瞬間、まるで何かに吸い込まれてしまったかのように、魔法力が消え去ってしまっていたのだ。

 

「カミュ様! この洞穴はおそらくピラミッドの地下と変わりません! 魔法の行使が何かに邪魔されています!」

 

「ちっ!」

 

 呪文が使えないという事は、この一行にとってはかなりの痛手となる。呪文の行使が不可能という事は、魔物側にも同じような状況であると云う事ではあるが、それを含めて尚、この一行にとっては致命的と言っても過言ではない物なのだ。

 それは、メルエという一人の少女である。この少女は魔法力の量とその才能によって、勇者一行の一人として成り立っている。それ以外は、成人前の幼子に過ぎず、例え魔法力を体力に補っているとはいえ、防御力も攻撃力も一行の中で最弱なのだ。

 それは、魔物と戦う意味では完全な足枷となる。足手纏いと言っても過言ではない。幼い少女を庇いながら戦うという行為と、護りながら戦ういう事は、似ているようで全く異なると言っても良いだろう。

 

「MER@40M」

 

 舌打ちを鳴らしたカミュに向かって、サタンパピーがその片腕の人差し指を向けて来る。それは何処かで見た事のある呪文行使の形であった。

 魔の王と呼ばれたバラモスがカミュ達に向かって行使し、後方で眉を下げている少女がその規格外を露にして唱えた呪文。大魔王ゾーマの名を持ち、全ての魔法を弾くとされる光の壁さえも破壊しかねない威力を持つ火球。それを生み出す姿に酷似していたのだ。

 メルエが呪文を行使出来ず、魔法を探究するサラが口にした事が真実だとすれば、それが例えメラゾーマと呼ばれる全てを飲み込む火球を生み出す呪文だとしても何も恐れる必要はないのだが、カミュとリーシャは後方の二人を護るように盾を掲げた。

 

「……やはり」

 

 しかし、カミュとリーシャの行動は意味を成さず、サタンパピーの指先からは火球の欠片も発現しない。もし、このサタンパピーが以前遭遇した事のあるベビーサタンのように行使不可能な呪文を詠唱し、それに必要な魔法力を有していなかったとなれば話は別であるが、このアレフガルド大陸に姿を現し始めた大魔王ゾーマ直轄の魔族達が、己の領分や力量を把握していない訳はなく、サラの推測通りの状況である事が解った。

 つまり、この勇者の洞窟と呼ばれる場所は、何故かは解らないが、呪文の行使が不可能な場所であるという事。体内から放出された魔法力が神秘に変換される事なく霧散してしまっているのだ。

 

「カミュ、一気に決めるぞ!」

 

 相手もまた呪文が行使出来ないとなれば、この女性戦士に恐れる物はない。例え相手が魔族であろうと、剣技のみの戦いとなれば負けない自身が彼女にはあった。それは四年以上の戦いの旅を歩み続けて来た多くの経験に裏付けられた物であり、決して驕りなどではない。現に、一気に間合いを詰めた彼女は、一体のサタンパピーが振り抜いた鞭を斧で斬り裂き、そのまま半身を回転させるように再度振り抜いた斧によってサタンパピーの上半身と下半身を斬り分けていた。

 一撃で勝負が着いた事を見た一体のサタンパピーは、もう一度指を突き出し、先程と同様の奇声を発するが、サラの予測通りに魔法が発現する事はない。己の状況に困惑しているのか、元々知能が低い魔族なのかは解らないが、その無駄な行為は、人類最高位に立つ者達を相手取る中で命を捨てる程に愚かな物であった。

 肩口から斜めに入った稲妻の剣が、もう一体のサタンパピーの命を奪って行く。岩壁に噴き上げるサタンパピーの体液の量が、この魔族の生命が尽きた事を物語っており、カミュ達の勝利が確定した。

 

「カミュ様、呪文が行使出来ない洞窟は危険です。一度外へ戻りましょう」

 

「そうだな……薬草などの準備も必要だろうし、ここは一度戻った方が良いだろうな」

 

 サタンパピーの死骸を確認したカミュは、剣に付着した体液を振り払い背中へ納める。それを待っていたかのように口を開いたサラの提案にリーシャも同意した。

 呪文が行使出来ない場合の弊害は、何も攻撃方法の一つが失われる事だけではない。基本的にこの一行はサラとカミュの持ち得る回復呪文に頼っていた傾向が強かった。二人が行使出来る最上位の回復呪文であるベホマは、死に逝く程の重傷であろうと瞬く間に塞ぎ切る神秘である。どれ程の怪我を負う事になろうとも、どれ程の火傷を負う事になろうと、二人の回復呪文があれば、死という結末から回避する事も可能であった。

 だが、呪文が行使出来ず、神秘も発現しないとなれば、一行と死という物の距離が一気に縮まってしまう。回復手段は薬草という物しかなく、それも煎じた物を飲んだり、磨り潰した状態の物を患部に当てたりといった方法しかない。それでは、大きな裂傷などには対処出来ず、傷が自然治癒で塞がるまでの間、強引に縫いつけたりという原始的な手段しかないのだ。

 

「尤もな提案だが……この場所はそれを許してはくれないみたいだな」

 

「え?」

 

 サラ達の提案に頷いたカミュであったが、『たいまつ』を掲げて来た道を戻る為に先頭へ立って直ぐに立ち止まってしまう。不思議に思ったサラが前方へと視線を向けるが、その先に広がるのは闇ばかりであり、カミュが口にした意味が把握出来ない。枯れ草や衣服の残骸へ移して来た火も消え掛けており、洞窟全体を照らすような明りが無い中、その疑問は明確に体感出来るようになった。

 まるで洞窟そのものが震えるかのように響き渡る振動。洞窟の天井が崩れ落ちてしまうのではないかと思う程に細かな石が降って来る。それは巨大な何かがカミュ達に向かって歩いて来ている事を意味していた。

 

「下がれ! ここから戻る事は不可能だ」

 

 その振動の大きさから、ここまでの道幅一杯の巨体である事は予想出来る。幼いメルエなどは、余りの振動に立っている事さえも出来ない程の物であったのだ。メルエを抱き上げたリーシャが最後尾から先頭へ切り替わり、殿をカミュが務める形となる。

 後方へ行けば、左に折れる道と正面に向かって続く道に分かれていた。本来であればリーシャの意見を聞き、逆に進むような場面ではあったが、後方から迫る脅威への対処によって、カミュもサラもそれを失念する。暫しどちらに行こうか迷っていたリーシャであったが、不意に顔を上げると左に折れるように曲がって行った。

 だが、揺れる洞窟内でリーシャを追ったサラとカミュは、その場所で立ち止まるリーシャの背を見て、警戒していなかった行き止まりにぶつかったのだと勘違いしてしまう。行動をリーシャに委ねた事を悔やむように彼女の隣へ移動するが、その視線の先には闇だけが広がっており、『たいまつ』の炎が届く範囲で確認する限りは行き止まりではなかった。

 しかし、リーシャの瞳も、その腕の中にいるメルエの瞳も真っ直ぐに闇の奥へと向けられており、それが何を意味する物なのかは明白である。そして、それを表すかのように再び先程と同様の振動が洞窟内に響き渡り始めた。

 

「……アンタが選んだ道が外へと続く道なのは間違いないだろうな」

 

「……奥へ進むしかないのか?」

 

 戻る事も左に折れる事も出来ないという状況の中、残された道は洞窟の奥へと続く正面の道だけである。迫り来る魔物を打ち倒せば済む事ではあるが、後方と左方からで急激された状態で、尚且つ回復手段も少ないとなれば、極めて危険な行為であると言えるだろう。

 正面の道へ戻った一行は、来た道の方角から姿を現す巨大な魔物の姿を一瞬目で捉えた。それを見た瞬間、自分達の決断が間違っていなかった事を知り、無心に奥へと向かって駆けて行く。

 彼らが目にしたのは、垂れ下がった贅肉を露にし、腰巻のような皮一枚を肩から被る事によって下半身を隠した巨体の化け物。闇に覆われており、全体的な皮膚の色などは把握出来ないが、巨大な棍棒を手にして周囲の壁を打ち鳴らしながら進むその姿は、恐怖の象徴のようにさえ思える。だらしなく垂れ下がった長い舌からは、涎が地面へと落ち、血走った瞳は闇の中でも獲物を捕らえるように爛々と光を放っていた。

 

「二体に挟み撃ちにされる訳には行かない! 走れ!」

 

 感じた振動は二つ。ならば、あの巨体がもう一体近付いて来ているという事に他ならない。呪文の行使が出来ない以上、あの巨体と相対するのはカミュとリーシャだけである。一人一体を相手取り、無傷で勝利を収められると考える程、彼等は愚かではない。

 ここまで遭遇した魔物の中で彼等が見た事もない魔物達は、全て上の世界に存在する魔物の上位種である事が予測出来る。もし、あの巨体を持つ魔物が、上の世界でいたトロルの上位種であるボストロールの更に上に存在する物であれば、尚の事であった。

 駆け出したカミュ達の前に現れる魔物はおらず、そのまま一気に坂道を下って行く。おそらく洞窟の下層へと続く坂道なのだろう。回復の手段もない中で本来は進むべき道ではないのだろうが、彼等に残された道はなく、それを突き進むしかなかった。

 

「このまま奥へ進むのか?」

 

「……先程の魔物が下って来ないとも限らない。本来であれば進むべきではないのだろうが、この洞窟全てが呪文の行使が不可能という確証もない筈だ」

 

「しかし、危険ですよ。私やリーシャさんの革袋の中にも薬草は幾つかありますが、それでも大きな怪我に対応は出来ません。古の勇者様の装備品が残されている可能性があるとしても、進むべきではないと思います」

 

 坂道を下り切った辺りから、上層部の振動が収まり始める。それは、先程の魔物がカミュ達を追って来なかった事を証明しており、危機を一旦は回避出来た事の証明であった。だが、もう一度同じ場所に戻った際に、あの魔物が移動しているという保証はない。それどころか、待ち伏せをしている可能性も捨て切れなかった。今、上層へ戻る事が危険であるという認識はカミュもサラも共通している。しかし、カミュとサラではその後の認識が異なっていたのだ。

 カミュは、この先へ進む事で、可能性として捨て切れない呪文行使が可能な場所でリレミトによって脱出を考えているようであり、サラはその少ない可能性を追う危険性を危惧している。上層部で行使出来ない物が、下層で行使出来るようになる訳がないというのがサラの考えであり、そこまで辿り着く間に遭遇するであろう魔物との戦闘が如何に苦しい戦いになるかを理解しているが故の物なのだろう。

 

「カミュ、サラの言う事は尤もだ。極力魔物との戦闘は避けた方が良いだろう。魔物も同様に呪文行使が出来ないとなれば、直接戦闘のみにはなるが、一瞬の気の緩みが致命傷になる」

 

「わかっている……俺の持っている薬草も数が多い訳ではない。敢えて危険に飛び込む必要はないだろう」

 

 サラの言葉を理解したリーシャは、忠告に近い物言いでカミュへと提言する。奥へ向かうかどうかを決めるのはカミュである。これは今も昔も変わりはない。様々な危険性などを考慮するのはサラであるが、最終的な道を決定して来たのは勇者である彼であった。

 その道の全てが正しかったとは言わない。だが、彼がその道を歩もうと決意した時、それは彼がそこから先の危険性を全て考慮した上での物である事だけは確かであった。だからこそ、リーシャはその上で尚、ここから先の道が危険である事を告げる事によって、一人で全てを背負おうとする彼の荷を共に背負う事を口にしたのだろう。

 

「わかりました。私もメルエも呪文の行使は出来ません。攻撃呪文は勿論、回復呪文も補助呪文も行使出来ません。お二人を補助する事は出来ませんし、救う事も出来ないと思ってください。せめて足手纏いにならないよう、メルエと共に努めて行きます」

 

「…………むぅ…………」

 

 カミュの決定とリーシャの提言を聞いていたサラは、一行の行動方針が確定した事を把握する。方針が確定した以上、それに反論するならば、この状況で尚、外へ出る方法を提示しなければならない。それが出来ないならば、カミュの決定に従う以外に道はないのだ。

 だが、この先の道が上層と同様に呪文行使不可能な道であるならば、サラはまだしもメルエは全く役に立たない。幾らサラの足元で頬を膨らませたとしてもその事実は覆る事はなく、呪文行使が可能になる訳でもなかった。カミュとリーシャの補助が出来る訳でもなく、回復出来る訳もない。本当に戦闘の邪魔にならないようにメルエと大人しくしている他はないのだ。

 

「…………メルエも……もってる…………」

 

「あれ? メルエは薬草をたくさん持っているのですか? メルエのポシェットは何でも入っていますね」

 

 厳しい表情でカミュとリーシャへ宣告したサラの足元から不満そうな声が響く。サラに見えるように掲げられた小さな手には、町の道具屋などで売っている薬草が数枚握られていた。誇らしげに掲げられた薬草がまだポシェットに入っているとでも言うように軽く叩く仕草をした少女を見て、サラは驚きながらも優しく微笑みを返す。一時は、六つのオーブ全てを収納していた物であり、今もメルエの宝物である命の石の欠片を幾つも詰め込んでいるポシェットである。無限に入る訳ではないだろうが、収納上手というメルエの意外な才能にサラは目を丸くしたのだ。

 自分が役立たずではない事が証明出来たメルエは小さく笑みを作り、近寄って来たリーシャの顔を見上げて更に笑みを強くする。帽子を取って頭を撫でられると、嬉しそうに目を細めて微笑んだ。

 

「私が以前、花々の中に生えていた薬草を見つけてメルエに渡したんだ。メルエは薬草の見分け方を覚えていたのだな」

 

「え? では、メルエは山や森で屈み込んでいる時に集めていたのですか?」

 

「…………ん…………」

 

 リーシャは女性戦士ではあるが、討伐隊に従軍した事もある宮廷騎士である。国からの物資も限られている中、回復呪文を行使出来る者も少ない。必然的に重傷者以外の者達は薬草などの簡易的な治療しか受けられず、回復呪文を行使出来る者も重傷の者でなければ身分の高い者を優先する事になるのだ。

 アリアハンを出立した時は、国を挙げての勇者であるカミュに対して討伐隊以下の物資しか送られていないなどと考えてもいなかった為に準備をしていなかったが、野生の薬草を見分ける程度の知識を彼女は備えていた。それをいつも花々や虫達を眺めているメルエに教えたのだろう。そして、自分でも出来る事を見つけた少女は、嬉々として薬草を蓄えていたのだ。

 出番が来るかも解らない物をしっかりと保存していた事に驚いたが、おそらく劣化した物は捨て、新しい物に差し替えたりなどという事をし続けていたのだろう。花々を摘む事を極力避ける彼女は、『もしかすると、皆を救う事が出来るかもしれない』という小さな可能性の為に、この行動を繰り返していた。

 満面の笑みを浮かべる少女の頷きを見たサラは、何故だか目頭が熱くなって来る。依存するばかりでなく、少しでも皆の助けになろうと日々何かを考え続けている少女に、頭が下がるばかりであった。

 

「万全とは言えないが、それでも準備は出来た」

 

「……後方は頼む」

 

 いつでも戦闘態勢に入れるように魔神の斧を手にしたまま、リーシャは準備が整った事を告げる。前方をカミュが警戒し、後方をリーシャが警戒するという常の布陣ではあるが、中央にいる二人を護りながらの行動となるという差異があった。

 『たいまつ』の炎が届く範囲の視界しかない中、一行は慎重に歩を進める。所々でリーシャの意見を聞きながらも、それとは反対の道を進み続ける事は変わらなかった。奥へ奥へと進んでいるにも拘らず、空気が薄くなる事もない。ただ、奥へ進む程、まるで風が奥へと流れているかのように『たいまつ』の炎が揺らいでいる点だけがカミュ達の印象に残っていた。

 

「カミュ様、気をつけて下さい。メルエが何かを感じています」

 

「私も前へ出よう」

 

 どれ程進んだ頃だろう。運良くなのか、それともこの階層に魔物が生息していないのか、ここまで全く魔物に遭遇しなかった一行であったが、不意に自分の手を強く握ったメルエの変化に、当代の賢者は強敵の来訪を察した。

 メルエの様子に怯えは見えない。それでも前方を睨みつけるその姿は、ここまでの魔物とは異なる力を有した存在を感じているようにも見える。ここまでの旅で何度となく、この少女の不思議な感覚に救われて来たサラは、尚一層の警戒を提言した。

 サラの緊張感の篭った言葉に、最後尾を歩いていたリーシャも前衛へと加わる。ゆっくりと慎重に歩を進めるカミュの視界に大きく分かれた道が現れたのはその頃であった。

 

「……どっちだ?」

 

「右だな」

 

 自身の問いかけに間髪入れずに返された言葉を聞いたカミュは、真剣な表情でしっかり頷きを返し、迷う事無く正面に続く道を歩き始めた。緩やかに下方へと続く坂道を歩きながら、それでも警戒を緩める事無く『たいまつ』を周囲へ翳し続けるカミュ達の前に壁が見えて来る。一瞬、行き止まりにぶつかったのかと思いはしたが、『たいまつ』の炎は左に揺らいでおり、それを理解したカミュが左へ視線を移すと、ぽっかりと空いたような入り口が口を開けていた。

 入り口は狭く、人一人が通れるような物ではあったが、その穴のような物を潜った先はこれまでの通路とは比べ物にならない程の開けた空間が出来ていたのだ。炎を掲げ、周囲を照らしてみても、天井の高さはかなり高く、通路の幅もカミュ達四人が横に並んでも尚余る程である。自然に出来たと言われても首を傾げるしかない程に大きく開けた場所は、まるでその部分全てが何かによって喰われたと考えてしまうような物であった。

 即座に大きく左に折れるように巨大な通路は繋がっており、迷う事無くカミュはその道を歩き、左へと足を踏み出す。

 

「…………だめ!…………」

 

「!!」

 

 しかし、カミュのその行動は、後方を歩いていた幼い少女によって阻まれる事となった。

 突如としてカミュの腰にしがみ付いたメルエは、絶対にその先に行かせないとでも言うように、力を込めている。珍しい彼女の行動にリーシャやサラも驚き、その足を止めてしまっていた。

 その行動は、彼等の命を寸での所で繋ぎ止める程の物となる。

 

「グオォォォォ」

 

 洞窟内に響き渡る大きな轟きの後、カミュ達の目の前を真っ赤な火炎が襲う。凄まじいまでの火炎は、そのまま壁に衝突し、岩壁の表面を融解させながら消えて行った。

 もし、あのままカミュが通路を曲がっていたら、盾を掲げる暇もなく、怒涛のように押し寄せる火炎に飲み込まれていた事だろう。この洞窟内では絶対防御の呪文であるアストロンは行使出来ない。それを避ける方法は皆無に等しいのだ。

 辛うじて炎を避けた形の一行であったが、彼等の行く道を妨げる魔物が未だに健在である事は明白である。この広い一本道を通り抜けなければ奥へは進めず、その魔物がカミュ達の存在に気付いて炎を吐き出したとなれば戻る事も叶わない。最早逃げ道はないのだ。

 

「……龍種か」

 

「カミュ様、吐き出される炎は危険です。正面からぶつかるには、相殺する氷結呪文は行使出来ません」

 

 先程の火炎によって通路の各所に落ちている枯れ草などに燃え移った炎が広い通路を照らす。ゆっくりと通路の奥へと視線を移したカミュはその場に存在する魔物の姿を捉えた。同じようにその姿を捉えたサラは、自分達が直面している危機的状況を把握し、対策を必死に考えるが、何の対応策も浮かばない事で苦悩の表情を浮かべる。

 彼等の視界に入ったのは、空中を漂うように泳ぐ長い胴体を持った魔物。巨大な頭部を持ちながらもその重さを感じさせない動きは、正に空を泳いでいるようにも見える。大きく開かれた口には無数の牙が生え、長い髯のような物を持ち、頭部には鶏冠のような鬣を持つ。その体躯の大きさと鋭い瞳は、見る者を恐怖に慄かせる程の威圧感を持っていた。

 

「グオォォォォ!」

 

 大気が震える程の雄叫びを上げた龍種は、標的を完全にカミュ達へと切り替える。再び大きな口を開け、その中に燃え盛るような火炎を見たカミュは、後方にいる全員を押し出すように通路を戻った。

 再び吹き抜ける火炎が周囲の物を燃やし、洞窟内を明るく照らす。剣を抜き放ち、リーシャへと視線を移したカミュは、口端を上げるように微笑んだ。その微笑みの意味を朧気ながらも理解した彼女もまた、不敵な笑みを浮かべる。

 

「まるで、この奥にある物を護っているかのようですね」

 

「これまで遭遇した龍種の中でも群を抜いているぞ、あれは」

 

「……それでも、竜の女王ほどではない」

 

 カミュ達の進行を遮るように立ち塞がる龍種の姿を見たサラは、その奥に何があるのかという疑問を感じる。あれ程の魔物が死守しようとする物となれば、古の勇者の遺品という可能性以上の物があっても不思議ではなかった。

 飛龍と呼べる種族は、ここまで相対した物で二種。スカイドラゴンと呼ばれる龍種と、その上位種であるスノードラゴンである。空中を泳ぐように飛び、その体内から火炎や吹雪を吐き出す恐るべき魔物であったが、それは同時に各地で神聖化された存在でもあった。

 スカイドラゴンに至っては、ガルナの塔で『悟りの書』という古の賢者の遺品を護るかのように存在していたし、ランシールにある試練の洞窟でも奥にあるブルーオーブを守護するように存在していた。先程遭遇したサタンパピーなどの魔族とは一線を画した存在と考える事も出来るし、異なる使命を帯びた存在とも考えられる。

 しかし、この場で倒さなければならない存在である事だけは明確な事実であった。

 

「竜の女王様よりも上の存在であれば、大魔王ゾーマなど既に消滅していますよ」

 

「あの程度の相手に苦戦しているようでは……」

 

「大魔王ゾーマなど夢のまた夢という事だ!」

 

 カミュの言葉を聞いたサラの表情に余裕が生まれる。確かにこのアレフガルドに来る前に訪れた城で最後の力を振り絞っていた者は、世界の守護者である竜種の女王。大魔王ゾーマとの死闘の末、その力の大半を失っていたとはいえ、その力はカミュ達の範疇を大きく超えていた。様々な強敵と戦って来たカミュ達であっても恐れ戦き、身動き一つ出来ない。魔王バラモスという脅威の前でも自分の役割を果たしていたメルエが、恐怖の余り何も出来ない程に怯える。そんな相手であった。

 その存在に比べれば、如何に龍種の最上位に位置する程の存在でも、足元にも及ばないだろう。そして、竜の女王と対等の戦いをした大魔王ゾーマを討ち果たそうとするならば、この程度の存在を避ける事など出来はしないのだ。

 

<サラマンダー>

翼を持たず、空を泳ぐように飛ぶ龍種の最上位に位置する存在。最上位に位置する場所にいるだけの力量を持ち、吐き出す炎は魔王バラモスが吐き出していた物に匹敵する程の威力を持つ。最早、『人』の世界では伝説化している存在であり、その吐き出される炎の威力から、炎の精霊が姿を現した物として崇める地域もあった。

本来であれば、上空を泳ぐように飛び、自由を尊ぶ存在であるが、人間が勇者の洞窟と呼ぶ地底深くで何かを護るように存在するという噂もある。それが地深くにあると伝わる古の勇者の装備品の伝説の信憑性を高める事となっていた。

 

「行くぞ」

 

「ああ」

 

 リーシャの掛け声に応じるようにカミュが駆け出す。一気に間合いを詰めて来た二人の人間に対し、サラマンダーは炎を吐き出す機会を失った。

 カミュの一撃を泳ぐように避けたサラマンダーは、大きく口を開いて体内から炎を吐き出そうとするが、続いた斧による一閃を避ける為、火炎放射を中断せざるを得ない。牽制を含めたリーシャの一閃であったが、矢継ぎ早に攻撃を繰り出す二人の人間に対し、サラマンダーは警戒心を強くして行った。

 距離を取ってしまっては、サラマンダーに炎を吐き出す機会を与えてしまう。今の状態では吐き出される炎が最大の脅威であるが故に、カミュとリーシャは交互に武器を振る事で相手のとの距離感を把握していた。

 

「メルエ、私達には私達のやるべき事がありますよ。この器でメルエの持つ薬草を磨り潰して下さい。私は布を水で濡らしておきます」

 

「…………ん…………」

 

 カミュ達二人の戦闘を眉を下げながら見つめているメルエの手に力が入る。杖を握り込む手を見たサラは、メルエが自分の不甲斐なさを悔しく思っている事を理解し、今自分達がやるべき事を告げた。

 魔法を行使出来ないという事は、メルエがこの戦闘に参加出来ないという事に他ならない。ならば、直接的に戦闘に参加するのではなく、戦闘を行う者達を支える裏方の仕事をすれば良い。それもまた重大な役割の一つであり、今のメルエにしか出来ない事でもあった。

 メルエの身をサラ一人で守る事など出来はしない。それでも周囲を警戒する事はサラの仕事であり、いざという時には腰に下げたゾンビキラーを持ち、魔物と対峙しなければならない。故に、サラが無心で薬草を磨り潰す事は出来ないのだ。

 

「グオォォォォ」

 

 炎を吐き出す事が出来ない事に苛立つサラマンダーは長い身体を捻り、力任せに尾でリーシャを弾き飛ばす。水鏡の盾を掲げて受け止めた彼女であったが、その強力な力によって距離を作ってしまった。

 距離が空いたという事は、サラマンダーにとって最も得意とする攻撃が可能になったという事と同意である。大きく開かれた口の内部に燃え盛る火炎が見えた時、リーシャが態勢を立て直すよりも早く、サラマンダーと彼女の間にカミュが割り込んでいった。

 吐き出される火炎の威力は凄まじい。まともに受けてしまえば、一瞬でカミュ達の身体は燃え尽きてしまうだろう。だが、カミュは左腕の水鏡の盾を斜めに倒し、炎を受け流すように構える。計算通りに火炎が反対方向へ流れる中、リーシャを突き飛ばして目線で合図を送った。

 その瞳の合図を間違える程、彼等の信頼の絆は薄くはない。

 

「おりゃぁぁぁぁ!」

 

「グギャァァァァ」

 

 未だに途切れる事のない火炎を受け流す水鏡の盾が高温により真っ赤に染まり、それを持つカミュの左腕から焦げ臭い匂いが立ち上る中、火炎の横を抜けた女性戦士の持つ神代の斧が煌きを放つ。

 真上から振り下ろされた魔神の斧が長い胴体を持つサラマンダーの鱗を突き抜け、深々と斬り裂いた。噴き上がる体液と共に、サラマンダーの胴体の下部が地に落ちる。胴体の半ば付近を深々と斬り裂かれた事によって、空中を泳ぐ事が出来なくなったのだ。

 空中から身体を落とした事により、必然的にサラマンダーの頭部も高度を下げる。余りの激痛に火炎の放射も停止した事によって、ようやくカミュが水鏡の盾から手を離した。地面に落ちる水鏡の盾は真っ赤に染まっており、落ちた事で金属音を響かせるが、形状は変化していない。落ちた衝撃で形状を変化させないこの盾が、如何に加工が難しい金属で造られているかが解る程であった。

 しかし、対照的にカミュの腕は無残な状態になっている。刃の鎧で守られた部分以外の皮膚は爛れ、金属に張り付いた皮が剥がれて真っ赤な肉が見えていた。

 

「カミュ!」

 

「わかっている!」

 

 それでも勇者の怠慢は許されない。

 厳しい言葉がリーシャから飛び、苛立ちを含む大声を発したカミュは稲妻の剣を握り込んで正面のサラマンダーへと振り下ろす。裂傷の痛みに顔を歪めていたサラマンダーがそれでも大きく口を開こうとした眉間に剣が吸い込まれ、力任せにそれを突き入れた。

 龍種の鱗さえも補助呪文の助けもなく斬り裂く神代の剣の鋭さも驚愕に値するが、それを片手で扱う青年の力量もまた人外の物である。深々と突き刺さった剣を引き抜く事で、洞窟の天井へ向かって体液が噴き上がった。

 サラマンダーは最後の力を振り絞って口を開くが、口内の火炎は弱々しい。それを吐き出す事も出来ず、何度となく口を開閉するが、徐々に失われて行く瞳の光がサラマンダーの命の灯火と共に消え失せたと同時に頭部が地面へと落ちて行った。

 

「メルエ、磨り潰した薬草をこの布の上に」

 

「…………カミュ…………」

 

 戦闘が終了した事を理解したサラは濡らした布をメルエに差出し、器の中で磨り潰した薬草を乗せさせる。薬草を乗せられて染まって行く布は、サラやカミュが回復呪文を行使した時のような淡い緑色に変化して行く。それを確認し、サラとメルエはカミュの許へと駆け出した。

 稲妻の剣を振り、サラマンダーの体液を飛ばしたカミュは、熱を飛ばした水鏡の盾を取ろうと左腕を伸ばした時に苦痛で顔を顰める。本来であれば動かす事さえも苦痛な程の重度の火傷である。その腕で再び盾を装備するなど、通常の人間では不可能に近かった。

 盾の持ち手には、カミュの皮膚の残骸がこびり付き、どれ程に高温であったかを物語っている。サラマンダーの息の根が確実に止まっている事を確認し終えたリーシャでさえも、その盾の状態を見て顔を顰める程であった。

 

「カミュ様、早く腕を出して下さい! メルエ、水筒を!」

 

「…………ん…………」

 

 苦痛に歪むカミュの腕を強引に奪ったサラはその火傷の状態の酷さに厳しい表情を浮かべ、メルエへ手を伸ばす。泣きそうに眉を下げながらも、自分の腰にある水筒を手渡したメルエは、心配そうにカミュの腕を覗き込んでいた。

 一気に水筒の水を腕に振り掛けると、激痛が走った為かカミュが低い呻き声を漏らす。その声を気に掛ける様子もなく、磨り潰した数枚の薬草を染み込ませた布でその火傷の部分を覆い、その上から包帯のような細い布を巻いて行く。薬草も擂り鉢も包帯も、アリアハンを出立した初期の頃しか使用する事のなかった物であるが、それでも使用する時もある筈と持ち歩いていた事が幸いしていた。

 回復呪文によって傷を癒す時、傷が癒える苦痛を感じる事はない。だが、自然の治癒を促進させ、それを補う為の薬草などを使用する際は、自身の身体が発する警告が鳴り止む事はないのだ。

 

「やはり、あの火炎は厄介だったな」

 

「バラモスの吐き出していた火炎並だ。この先で遭遇する火炎を吐き出す魔物達が、皆この威力の火炎を吐き出すとなると、かなり苦しいな」

 

 カミュ達の周囲は、先程の火炎の名残を残し、視界が良くなっている。明りが灯るという事でこれだけの安心感を得られる事を改めて知ったサラはカミュに座るように促し、残りの包帯を巻いて行った。

 心配そうに見詰めるメルエに魔法の言葉を伝え、包帯を結ぶ事で固定したサラは、そのまま洞窟の奥へと目を向ける。その瞳は僅かな不安の色を残しており、そんな賢者の不安をカミュもリーシャも理解していた。

 この勇者の洞窟は人類未踏の場所である。それは、この洞窟が何層になっているかも定かではなく、その奥が何処まで続くのか、どのような魔物が生息するのかも判明していない事を意味していた。つまり、ここから奥へと向かっても、どれ程の時間が掛かるのかも解らない。更に言えば、今遭遇したサラマンダーのような魔物が多数生息しているようであれば、回復呪文が行使出来ない一行にとっては死への行軍となる可能性もあった。

 

「行くのか?」

 

「この下り坂の先にまだ洞窟が続くようであれば、一度戻る」

 

 リーシャの問いかけに、カミュは即答した。

 サラの懸念を理解して尚、この先に何があるのかを見る必要があると判断したカミュは、もう一歩奥へと進む事を決断する。だが、一行が感じている不安を誰よりも痛感しているのもまた、腕に大きな火傷を負った彼である事も事実であり、この階層と同様に入り組んだ洞窟が続くようであれば外へ戻るという事も同時に決断したのだ。

 立ち上がったカミュは包帯に巻かれた腕の具合を見て、再び水鏡の盾を装備する。あれ程の高温に曝されて尚、ラダトーム王都で購入した時と何も変わらない姿を残している盾に頼もしさを感じながらも、『たいまつ』を掲げて歩き出した。

 リーシャとサラも頷き合い、メルエの手を引いて歩き出す。

 だが、この決断が、彼等を更なる苦境へと追い込む事となった。

 

 

 

 




読んで頂き、ありがとうございます。
おそらくこの洞窟は三話構成になるかもしれません。

ご意見、ご感想を心よりお待ちしております。

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