新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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マイラの村①

 

 

 

 マイラの村へ向かう道は漁師の男性が知っていた。彼はあの場所で漁を営み、その魚や貝などを干物にしたり塩漬けにしたりした物を、内陸にあるマイラで売却する事で生計を立てていたのだ。ここ数年は海は勿論、陸地でも強力な魔物の出現が相次ぎ、マイラへの行動も危険が高くなった為、自給自足の生活が続いていたらしい。そろそろ命を賭けてでもマイラへ向かわなければ、その命も尽きてしまう所まで追い詰められていたが、カミュ達の来訪という強運に見舞われたのだった。その強運は、狭い袋小路へと追い詰められたこの男性の未来を明るい大通りへと導く程の物となる。

 巨大な森を背にしたマイラの村への道は決して平坦な物ではなく、その途中では魔物達が数多く生息していた。しかも、ラダトーム王都周辺にいるスライムベスのような弱い魔物はおらず、グールやマドハンド、そしてマイラの大陸を守護する為に造られた石達のように一般の人間では生命を諦める事しか出来ない魔物達が主流である。

 そんな絶望的な道にも拘らず、海で魚を揚げる事だけをして来た普通の男性が傷一つ受けずに生きている事が出来るのは、今まさに魔物達との戦闘を繰り広げている四人の若者達が最大の要因であろう。

 

「カミュ、またあの石像を呼ばれる前に終わらせるぞ!」

 

「わかっている。あの手の魔物はメルエに任せる。一気に焼き払え!」

 

 腐敗臭を撒き散らしながら森近くの平原を徘徊しているグールへ向かったリーシャは、その近くの地面から生え出した手を見てカミュへ声を張り上げる。一体のグールを斬り捨てたカミュは、次々と生えて来るマドハンドを見て眉を顰めるが、後方にいる少女が杖を動かしたのを見て、もう一体のグールへと駆け出した。

 サラの横へと出て来た少女の杖の先が妖しく光るという不思議な光景を漁師の男性は、その光景を何処か夢の世界のような気持ちで見つめる。彼は漁師であるが、このアレフガルドの住人でもある。この世に魔法という神秘がある事も知っているし、魔物達がそれを行使する事も知っている。そんな魔物に対抗する為に国家の中枢にいる者達の中で強力な呪文を唱える魔法使いが存在する事も噂程度ではあるが聞いた事もあった。だが、その光景を見た事は一度たりとも無いのだ。

 

「メルエ、今です」

 

「…………ベギラゴン…………」

 

 大地に生えた手が一つの場所に集まった事を確認したサラは、マドハンドが次の行動に移る前に杖を持ったメルエへと指示を出す。その指示と同時に振り抜かれた雷の杖の先のオブジェの口が開いた。

 眩いばかりの閃光が輝き、息も出来ない程の熱気が周囲を包み込む。大量のマドハンドが湧き出した大地に着弾した閃光は、一気に炎の海を生み出した。闇に包まれたアレフガルドの大地を真昼のように照らし出し、真夏のように周囲を熱気が包み込む。その圧倒的な光景は、ここまで魔法という神秘と離れた生活をしていた男性の根底を覆してしまう程の物であった。

 自分が共に行動しようと決めた相手は、人間という枠を超えてしまった者達であり、彼等の怒りを買えば、自分など瞬きをする暇も無く消滅する事が瞬時に理解出来る。その相手に恐怖を抱いてしまうのは、生物としては当たり前の事であろう。

 だが、それでもこの男は怯まなかった。何故なら、彼ら四人に同道しないという選択肢も、海の傍に建てたあの小屋に残るという選択肢も無いのだから。『どうせ、何を選択しても行き着く先が死であれば』という考えがある彼は、その中でも最も生き残る可能性の高い道を選んだ。それは、『人』という種族の強かさなのかもしれない。

 

「大丈夫ですか?」

 

「はっ!? あ、ああ、アンタ方のお陰で傷一つない。マイラの村は、あの森を進んだ先にある」

 

 何処か不安を宿した瞳を向けて自分を気遣う女性を見て、男性は立ち上がる。自分が彼等を恐れていると判断されれば、この場所に置いて行かれるかもしれないという可能性がある以上、男性は気丈に振舞う必要があった。そんな男性の内心を見透かしているように弱々しい微笑みを浮かべた女性は、視線を森の方へと向ける。

 剣に付着した体液を振り払った青年が腐肉の塊となったグールに向けて中級の灼熱呪文を唱え、再び広がった炎の海が、この世に彷徨い続けた死者の魂を天へと還して行った。その後、地図を広げた青年は、他の仲間達へ合図を送り、森の中へと入って行く。それに続くように歩き出した少女を追って、男性を伴った二人の女性が歩き出した。

 

「この森の入り口で今日は休むのか?」

 

「そうだな……。マイラの村までの距離がわからない以上、無理をするべきではないだろう」

 

 森の入り口付近で周囲を見渡しているカミュを見たリーシャは、既に一日の終わりが近づいている事を察する。常に闇が支配するアレフガルドでは太陽の傾きで一日の動きを察する事は出来ない。故に、旅をする者の経験が全てという事になるのだ。何度かの休憩と食事を挟みながら歩き続け、自身の疲労度合いと空腹を指針として休憩時期を決めるのは、先頭を歩くカミュであり、旅慣れたリーシャの役割でもあった。

 マイラまでの道は、旅慣れない漁師の男性も同道している為、歩く速度も遅く、休憩の回数も多い。更に言えば、極力魔物との戦闘が行われないように配慮をしている為、危険性の高い行動は控えていたのだ。

 

「メルエ、一緒に枯れ木を集めて来ましょう」

 

「…………ん…………」

 

「いや、枯れ木も私とカミュで集めよう。サラはメルエと共にこの場所で待っていてくれ」

 

 野営が決定したと同時にサラがメルエへと手を伸ばす。この一行の野営時は各々の役割は決まっていた。火を熾す為の枯れ木を集めるのはサラとメルエ、そして食料となる獣や魚、そして木の実などを採取して来るのはカミュとリーシャとなる。特にサラが賢者として生まれ変わってからは、一行を二分する事の危険性は少なくなり、今ではそれが当然の配置となっていた。

 しかし、今回の行動には一般人である男性が同道している。故に、この場所で男性の身を護る人間が必要となり、リーシャはそれをサラに託したのだ。若干不満そうに頬を膨らませたメルエに苦笑したリーシャであったが、改めてカミュと森の奥へと入って行く。二人の背を見送ったサラが、傍に落ちている少ない枯れ木を組み始めた事で、ようやくメルエもその枯れ木に小さなメラを放った。

 

 

 

「枯れ木も食料もこのぐらいでいいだろう」

 

 森の奥へと入り、枯れ木を持っていた縄で括りつけたカミュは、リーシャが抱える木の実や獣を見て、一つ息を吐き出した。闇に支配されたアレフガルドではあるが、森で暮らす小動物達も逞しく生き抜いている。全盛期に比べれば数は少なくなっているだろう。それでも子を成し、懸命に次世代へ命を紡いで行く生物の在り方は変わらずに残っていた。

 他者の生命を口にしなければ生きては行けない『人』という種族もその数を減らしてはいてもまだ生き残っている。この世界の生物達が全滅する前に大魔王ゾーマを討ち果たす必要性を、手に持つ小動物の遺体を見ながらリーシャは改めて思っていた。

 

「待て!」

 

 縄で縛った枯れ木の束を持ったカミュを先頭に野営場所へ戻ろうとしていた二人であったが、その途中でカミュは小さくとも鋭い声を発した事で、行軍は停止する。木々の陰に隠れるように屈み込んだカミュに続きリーシャもその後方で屈み込み、鋭い視線を向ける彼の瞳の先を見つめた。

 闇と静寂が支配する森の中でじっと息を殺していると、僅かな振動が地面を伝ってカミュやリーシャの身体に襲い掛かる。始めは僅かな物であったが、それが近付いて来ている事の証明であるように振動が大きくなって行く。

 

「ここから暫く、息を吐き出すな」

 

 小さな声で忠告を受けたリーシャは口を開く事なく、首だけで了解を示す。魔物達は、人間などとは比べ物にならない嗅覚を持つ。人間の放つ体臭や吐き出す息の臭いでその存在を見つける事も可能であるのだ。

 振動の大きさから、遭遇した事のある『動く石像』や『大魔人』のような本来生命を持たぬ石像なのかと考えたリーシャであったが、そんなカミュの忠告がそれらのような相手ではない事を察した。

 そして、遂にその存在が姿を現す。

 

「なっ!?」

 

 思わず声を漏らしてしまったリーシャを誰も攻める事は出来ないだろう。しかし、振り向いたカミュの瞳は鋭く彼女を諌める物であり、それを受けた彼女は口を手で覆い、もう一度深く身を隠した。

 木々の生い茂る森の先に見えた物は、骨。それもカミュ達の倍以上の大きさを誇る巨大な骨が、その骨格を崩す事も無く歩いていたのだ。

 その骨格を見る限り、人類の物でない事は確かである。巨大な頭蓋骨の先には大きな二本の角のような骨があり、大地を踏み締める足の骨の付け根にある尾骶骨には、長い尻尾のような骨がついていた。また、背中には巨大な翼を模る骨が広がっており、それがこの骨の化け物の生前の姿を物語っている。

 

「……竜種の成れの果てか」

 

「世界最高位に立つ竜種でさえも、大魔王ゾーマの魔力には抗えないのか?」

 

 カミュ達の存在に気付く事なく、森の奥深くへと移動して行く骨の化け物が遠く離れた事で、ようやくカミュは口を開く。幸いな事に、サラやメルエが待つ野営地の方角から来た訳でも、そちらへ向かう訳でもなかった為、敢えて戦闘を行わなかったが、それが正解であったのかもしれない。竜種の成れの果てとはいえ、あの形状の骨格を持つ竜種であれば、ヒドラやヤマタノオロチとはまた異なった種族の竜である事は明白である。竜の女王と同様の竜種であったとすれば、それ相応の力を有していてもおかしくはなかった。

 そして、竜種という種族は、間違いなく世界最高位に立つ種族である。人類やエルフ、そして魔族であろうとも、その種族差は越えられない。下位の物であれば、エルフや魔族の上位に立つ者よりも力量は劣るだろう。だが、竜の女王と同等の種族となれば、それは相対する事の出来る相手ではなかった。

 そんな上位に位置する種族の亡骸さえも操る大魔王ゾーマの力に、リーシャは改めて旅の困難さを知る事となる。

 

 その後、野営地へ戻った二人は、先程遭遇した骨の化け物の話をする事はなく、静かに休憩を取る事とする。相対した訳ではない為、その力量が解らない以上、この場で変に先入観を植え付けるべきではないというのが、カミュとリーシャの共通した認識であったのだ。

 リーシャが採取して来た果物を美味しそうに頬張り、満面の笑みを浮かべているメルエの口元をサラが拭う。くすぐったそうに笑うメルエの姿が、食事の時間を和ませている。マイラの村へ辿り着けば、一先ずは漁師の男性とは別れる事になるだろう。その後には再度あの骨の化け物と遭遇する可能性は高く、メルエの頭を撫でながら、リーシャはその時に起るであろう激戦へと気を引き締めていた。

 

 

 

 一眠りした一行は、森の奥へと向かって歩き出す。途中途中で足を止めて小動物や昆虫、そして花々を目を輝かせて見つめるメルエに苦労しながらも、森を進んで行った。

 北へと向かって進んで行く道は、獣道というよりは人間が踏み締めたような道が続いており、柵こそある訳ではないが、何度も何度も人間がこの道を通った事が解る。先頭を歩くカミュの直ぐ後ろに漁師の男性が荷物を引きながら続き、何度かある曲がり角の道を伝えていた。

 森に入ってから半日程の時間を進むと、急に木々の無い開けた空間へ出る。そこには明らかな集落の入り口が見えていた。

 大きな木造の柵が周囲に巡らされ、集落の後方は険しい岩山が保護している。魔物の襲撃に備える為に作られた柵は、今現在アレフガルドに生息する強力な魔物達に対してとなれば心許ない物であるが、通常の魔物達への備えとしては有効な物であろう。集落の中は、人間が落ち着くような明かりが灯されており、少なくない数の者達がここで暮らしている事を物語っていた。

 

「…………むぅ………くさい…………」

 

「また、あの腐乱死体か」

 

 しかし、そんな集落の門の前に佇んだ彼等であったが、リーシャの手を掴んでいた少女の顔が顰められると同時に吐き出された呟きを聞き、即座に臨戦態勢となる。確かにメルエが言うように、集落の周囲を異様な臭いが包んでいる。何度か遭遇した腐乱死体のような目も開けられない程の臭いではないが、まるで玉子を腐らせたような臭いが周囲を漂っていたのだ。

 軽く溜息を吐き出したのはカミュとリーシャ。歴戦の戦士達である彼らにとっても、あの腐乱死体との戦闘は、肉体的にも精神的にもかなり辛い物なのだろう。その溜息には、辟易とした想いが十二分に詰まっているようであった。

 

「……でも、この臭いは村の中からしていますね」

 

「なに!? 既に村は壊滅していて、死体全てが腐乱死体の集まりにでもなっているのか!?」

 

「…………むぅ………いや…………」

 

 臨戦態勢に入り、周囲を警戒するように視線を動かしていたリーシャは、不意に告げられた予想もしない言葉に戸惑ってしまう。何かを考えるように集落の中へと視線を移すサラの瞳が厳しく細められた事で、リーシャの中である事が決定付けられてしまった。そして、そんな場面を想像したのか、完全に眉を下げてしまったメルエがカミュのマントへと逃げ込んでしまう。

 マイラの村が、テドンの村よりも凄惨な場所となってしまった瞬間であった。

 

「いや、この臭いは『硫黄』だよ。上の世界には、温泉はないのか?」

 

「……温泉?」

 

 しかし、四人が次の行動へと移ろうとしたその時、不穏な空気によって硬直していた男性がようやく口を開く。何度もマイラの村へ来た事のある彼にとって、この臭いは嗅ぎ慣れた物だったのだろう。だが、ここまでの道中でグールという動く腐乱死体を見てしまった彼は、あの時の恐怖と吐き気を思い出してしまい、一時的に思考を手放してしまっていたのだ。

 だが、よくよく考えれば、村の中が全て腐乱死体で埋まっていたとしたら、このような明かりは灯っていないだろうし、中から住人達の賑やかな声も聞こえて来る筈が無い。そんな事に思い至った彼は、臭いの元である物の正体を彼等に伝えたのだった。

 対するカミュ達にとって、湯浴みというのは重要な行為ではあったが、大地から湧き出す熱湯という物を見た事はない。温泉に浸かり、心と身体の疲労を取るといった行動が取れる程、彼等の旅は悠長なものでもなかった。初めて聞く名に、初めて嗅ぐ臭い、そんな未体験の存在に彼等は戸惑う事しか出来なかった。

 

「まぁ、入ってみれば解るさ。ここまで無事に来れたのは、アンタ方のお陰だ。俺は知り合いの家に泊めてもらうが、アンタ方の宿代は俺に持たせてくれ」

 

 ここまでの道中で、どれ程に凶暴な魔物と遭遇しても顔色一つ変えずに対処していた四人の若者の表情が、今まで見たことの無い程に呆けているのを見て、漁師の男性は何処か安堵したような溜息を吐き出す。今まで強引に抑え付けていた恐怖心であったが、今の四人の表情を見ると、『彼もやはり人間なのだ』という安堵の想いが強く湧いて来たのだ。

 このマイラを知る者であれば誰しもが知っている『温泉』という存在。平和な世であれば、その歓楽を求めて多くの人間がこの地を訪れるそれを、彼等は見た事がなかった。それだけなら特別珍しい事でもなかったが、温泉に漂う硫黄の香りを腐乱死体の臭いと勘違いし、もう少し遅ければ、武器を片手に村へ乱入する所であったのだ。ここまでの道中の毅然とした姿しか知らない彼にとって、そんな何処か間の抜けた四人の行動が、恐怖の針を振り切らせ、笑いへと変える程の物だったのだろう。

 

「ぷっ……。そのまま武器を振り回して村へ乱入すれば、大魔王討伐を目指す勇者どころか、盗賊や山賊だったぞ。あはははっ」

 

「あははは……危ないところでしたね。とんでもない恥と、誤解を受けるところでした」

 

 笑い出した男性に対し、表情を顰めたリーシャとは異なり、サラは脱力したように肩を落として乾いた笑いを吐き出す。例え賢者であっても、知らない事は多くあり、それはこのアレフガルドで生きる者達にとって常識的な事である可能性もある。どれだけ濃密な経験を重ねて来たとしても、彼等はこの世に生まれて未だ二十年程度しか生きてはいないのだ。そんな当たり前の事を再認識したサラは、『むぅ』と頬を膨らませるメルエの手を取って小さな笑みを浮かべた。

 笑われている事と、一向に消える事の無い臭いに顔を顰め続けるメルエではあったが、よくよく考えれば、彼女は潮風の香りを初めて嗅いだ時もこのような顔をしている。その後、海を渡る船からの景色に心を奪われた彼女は、そんな海の景色と共に漂う潮の香りを好ましい物へと変えて行った。

 温泉という物がどのような物なのかは未だに定かではないが、それがこの少女にとって心地良い物であれば、この奇妙な臭いもまたそれを示す物として好ましい物へと変わるかもしれない。

 

「さぁ、入ろう」

 

 一頻り笑い終えた男性は、木造の門を叩き、村の入り口を護る門番と幾つか言葉を交わす。小さな勝手口のような門を開けてもらった男性は、未だに憮然とした表情で村の入り口を見つめる四人を中へと誘った。

 カミュを先頭に門を潜り、最後に入ったリーシャが周囲の魔物の気配に注意しながら門を閉じる。門の両脇に灯された篝火の奥は、かなりの人数が暮らす大きな集落となっていた。闇を晴らすように多くの篝火が焚かれ、数多くの家屋が所狭しと建てられている。中央の大通りが村の背に聳える岩山へ向かって真っ直ぐ伸びており、その大通りを挟むように様々な店が並んでいた。

 予想していたよりも遥かに栄えた町並みに驚いたカミュ達ではあったが、漁師の男性が持っていた荷物を売りに行くという言葉と、宿屋には話をつけておくという言葉と共に去って行く姿を見て我に返る。

 

「カミュ、どうする?」

 

「宿へ向かう前に武器と防具の店や道具屋へも寄って行きましょう。勇者の洞窟のような場所が幾つもあるとは思えませんが、ある程度の備えは必要である事は確かです」

 

 残された一行は、この後の行動方針をカミュへと尋ねる。リーシャは純粋に方針を問いかけているのに対し、サラはここまでの道での教訓を組み入れて準備を提案していた。

 確かに、勇者の洞窟のように呪文を行使出来ない場所は多くないだろう。だが、そのような場所が無いと言い切る事も出来ない。万が一、再びそのような場所に踏み入れてしまった場合、薬草や毒消し草、麻痺を治す満月草などの持ち合わせが無ければ今度こそ全滅してしまうだろう。そんな可能性を打ち消す為にも、サラの言い分通り、道具屋である程度の備えをしておくべきであった。

 賢者の申し出に確かな説得力があった為、マイラの村へ入った一行の指針は決定する。まずは武器と防具の店、そしてその後に道具屋へ向かう事で一行は行動に移った。

 幸い、武器と防具の店は大通りの右手に看板が見えており、未だに硫黄の臭いに顔を顰めるメルエをリーシャが抱き上げ、店舗へと足を進める。

 

「いらっしゃい。色々と揃えているから、遠慮なく見ていってくれ」

 

 武器と防具の店の扉を開いた途端、中のカウンターに居た店主は驚いた表情を浮かべた直後、満面の笑みを浮かべてカミュ達を歓迎する。おそらく、長く続く闇によって、このマイラの村へ来る人間も激減しているのだろう。この村で生活する人間にとって、武器や防具はそれ程必要に迫られている物ではない。貨幣の流が止まる事はないだろうが、このような時代になってしまえば、食料を自給自足している物が一番強い。ゴールドが幾ら有っても腹は膨れないのだから当然であろう。

 だが、そのような時代の先にある物を見据えて動く者達が商人である。そんな商人であっても客が居なければ商売にはならず、客を求めて旅するには、余りにも過酷な状況であったのだ。

 

「この村特有の物はどんな物があるんだ?」

 

「この村特有の武器や防具か……。この『水の羽衣』という防具を販売しているのは、この村だけだろうな。今や、この一着しかないが」

 

 カウンター前まで移動したカミュが店主へ販売商品に関して問いかける。その問いかけに暫し考え込んだ店主は、奥に入って一つの木箱を持って戻って来た。

 しっとりとした木箱はまるで水に濡れているように見える。売りつけようとする商品の入った木箱を濡らすような雑な扱いしかしていない店かと誰もが落胆した時、店主は木箱を空けながらその防具について軽い説明を挟んだ。

 中に入っていた衣は、その名の通り、羽根のように軽やかで美しい輝きに満ちている。透き通るような青色に彩られたそれは、確かに羽衣という名に相応しい物であった。店主の言葉を信じれば、このマイラでしか売られておらず、尚且つこの一着しか残っていないというかなり希少価値の高い防具である事が解った。

 

「これは、『雨露の糸』という天上の女神様が紡いだ糸によって作られる。雨が降った翌日に稀に見つかる物なのだが、このマイラの森の近くにある事が多いんだ。その糸を特殊な方法で編み込んで作られるんだが、今はそれを織れる者がいなくてな」

 

「女神様が紡いだ糸ですか……」

 

 その衣の美しさに見惚れていた一行は、その衣に纏わる話を聞いて尚更に驚いた。精霊神ルビスを信仰する大陸に伝わる天上の女神の話。それは何とも神秘的で美しく、もし平和な世の中であれば女性はこの防具を競うように欲するのではないかと思われる程に魅力的な物であった。

 雨露の糸の貴重さも然る事ながら、既にこの衣を織れる人間が居ないという事がその希少性と美しさに拍車を掛けている。闇の中でも輝く湖面のように流れる衣の表面は、カミュ達四人の顔を映し出していた。

 

「この衣は、その名の通り水のように滑らかで、露のように軽い。炎のような攻撃に対してもそれなりの耐性があるみたいだしな。だが、こんなに美しく、価値のある物だが、今のマイラでは売れない。水のような特性のある物を保管するのも難しくて、もし買ってくれるのなら、ある程度は安くさせて貰うよ」

 

「カミュ、サラの着ている魔法の法衣もそろそろ限界かもしれない」

 

 店主の話を聞いていたリーシャが口にした『限界』という言葉は、決してサラの着ている魔法の法衣という衣服の状態を示している訳ではない。上の世界以上の魔物達が蔓延るアレフガルドを旅する中で、サラだけがテドンで購入した防具を身に纏っているのだ。

 メルエが纏っている天使のローブという物は、テドンよりも遥か前に訪れたエルフの隠れ里で購入した物ではあるが、それを織ったのはエルフであり、その中にはかなり特殊な特性を編み込んである事も考えれば、サラの物とは比べ物にはならない。

 実際、メルエの実母が織った魔法の法衣という防具は、同様の法衣などに比べて遥かに良い性能を持っている。特殊な技法で編み込まれた絹の糸には、呪文に対する耐性なども備えられていたからだ。

 それでも、この先の旅を考えるのならば、この場所で装備品を変えておくべきだとリーシャはカミュに語っていた。

 

「いくらだ?」

 

「本来は一品物という形になるから値が上がるんだが、12500ゴールドでどうだ?」

 

 リーシャの言い分を受け入れたカミュは、店主に対して値段を問いかける。しかし、返って来た金額に、一行は眉を顰めた。

 高過ぎる訳ではない。これ以上に高い装備品を既にラダトームで見ている。逆に一品物となるそれの値段としてはどうにも中途半端な物なのだ。それが、この防具の信憑性を下げてしまっている。だが、この衣の特殊性を考えると、今の時代で在庫として抱えるには難しい物である事も理解出来る為、カミュ達は微妙な表情を浮かべてしまったのだった。

 

「わかった、貰おう。これは調整が必要なのか?」

 

「いや、雨露の糸は伸縮を自ら行うから、着たい人間が着るだけで良い」

 

 懐からゴールドを取り出したカミュはカウンターへそれを置き、店主の言葉を聞いて『水の羽衣』の入った木箱をサラへと押し出す。半ば無理やり押し付けられたサラは、この場で着替える事も出来ず、店主と木箱、リーシャと木箱というように視線を彷徨わせて戸惑った。

 その後、店主の勧めで試着室へと入って行くサラを恨めしそうに見つめる幼い視線に気付いたリーシャはいつも通りの買い物風景に苦笑を漏らす。『むぅ』と頬を膨らませる少女にとって、買い物時は誰よりも期待に胸を膨らませているのだろう。『また、自分も何か買ってもらえるかもしれない』、『何か新しい物が自分の物になるかもしれない』という願いに近い期待が、いつも彼女の胸の中にあるのだ。それは、この少女の年齢と生い立ちから考えれば仕方の無い事だとリーシャは考えていた。

 

「メルエにはエルフの人々の願いの詰まった天使のローブがあるだろう? それに武器はメルエの守護者でもある雷の杖だ。それをメルエは手放すのか? ならば、他の物を買うか? 今まで一緒に戦って来て、何度もメルエを護ってくれたそれを捨てるんだな?」

 

「…………むぅ…………」

 

 それはリーシャでしか口に出来ない言葉なのかもしれない。彼女ほど、自身の武器や防具に愛着を持ち、長く使い続ける者はいない。既に武器としての機能を果たせないドラゴンキラーが今も彼女の腰に差されている事がそれを物語っていた。

 だが、幼い少女からすれば、その言葉は卑怯であり、カミュのような青年が聞けば鼻で笑うような事でもある。今の武器よりも良い物があれば即座に買い換えるという姿勢が彼の命を救って来た事も確かなのだ。

 それでもリーシャはメルエにこの言葉を伝えただろう。それは、魔道士の杖という一般的な武器を心の支えとし、あれ程に依存していたメルエだからこそ、雷の杖という武器もまた、彼女の心を支える事の出来る武器である事を伝えようとしたのだ。そして、彼女が身に着ける『天使のローブ』という物は、エルフ族の者達の願いと想いが込められた物である事、そしてその願いがリーシャ達三人の願いでもある事をメルエには理解して欲しかったのかもしれない。

 だが、幼い少女にはそれは少し難しい事であった。膨らませた頬のまま、サラの入っていた試着室を睨み、『ぷいっ』と顔を背けてしまう。流石のリーシャも苦笑を浮かべるしかなかった。

 

「他には何かあるか?」

 

「他にか……。そうだな、この『賢者の杖』というのも一品物ではあるな。何でもこのアレフガルドへ来た『賢者』がこのマイラの村で多くの人々を治療するのに使ったという逸話が残された物だ」

 

 膨れるメルエを視界の隅に納めたカミュは、意図的にそちらへ視線を向ける事なく、店主へ他の物を見せてくれるように頼む。そんなカミュの言葉に応えるように店主が取り出した物は、木造の杖であった。

 メルエが昔所有していた魔道士の杖のような木造の杖は、杖先が木槌のような形をしている。片方は尖っているが、もう片方は先が平たく整えられており、その中央には不思議な宝玉が埋め込まれていた。

 このアレフガルドにも『賢者』という存在が居たのか、それともカミュ達が生まれた上の世界からアレフガルドへ訪れたのかは解らないが、その伝承が信憑性が皆無ではないという事が解るだけの雰囲気を持った物であったのだ。

 

「これもサラに必要か?」

 

「この杖の付加能力がベホイミやベホマと同じような物であれば、あの洞窟のような場所でも役には立つだろうが……」

 

「…………サラ………ずるい…………」

 

 『賢者の杖』という名は、確かにサラが持つ物には相応しい。だが、リーシャの中でサラという人物と杖という武器が結びつかない。それはカミュも同様であったのか、何処か消極的な発言となっていた。唯一、幼い少女だけは、不満そうに頬を膨らませ、試着室を睨みつける。

 『むぅ』と再び頬を膨らませ始めたメルエを抱き上げたリーシャは、その頬を軽く突きながらもその杖の必要性についてカミュへもう一度視線を向けた。その視線を受けたカミュは、軽く首を横へ振りながら、その持ち主となる可能性のある人物のいる場所へと視線を移す。

 

「これは、本当に凄い衣ですね。まるで常に身体の周囲に水が流れているような気さえします」

 

 店舗内に流れる何とも言えない雰囲気を察する事なく試着室から出て来た『賢者』は、着終えた『水の羽衣』の素晴らしさに感動を覚え、歓喜の表情を浮かべている。全員にその素晴らしさを理解して貰いたいという感情が漏れ出している笑顔は、自分に集まっている奇妙な視線に気付いた時に凍りついた。

 カミュやリーシャの微妙な瞳、そして店主の困ったような表情、何よりも不満と妬みを濃く宿したメルエの鋭い視線が、サラを硬直させてしまう。『水の羽衣』という神代の防具にも近い物が自分には似合わなかったのかと大きく外れた事を考えながらも、それらの視線が全く違う物である事に気付き、首を傾げてしまった。

 

「え、えぇ……何かありましたか?」

 

「…………サラ………ずるい…………」

 

 恐る恐る問いかけたサラの言葉に被せるように発せられた少女の言葉は、いつも通りの物ではあったが、ここまでの旅の中でも何度も遭遇した場面であった為にそこまでサラが動揺する事はない。それよりも、カミュとリーシャの視線が移ったカウンターの上に置かれた一つの杖が彼女の視界に入って来た。

 何とも言いようが無い不思議な雰囲気を持つその杖は、何かを語りかけるようにサラの前に置かれており、不満そうに近づいて来たメルエの頭を撫でながらも、サラはカウンターへと進み出る。疑問を口にする前に、彼女はリーシャへと視線を移し、その後カミュへと瞳を向けた。

 

「賢者の杖という杖だ。遥か昔、このマイラを訪れた賢者が使っていた物らしい。話を聞く限り、ベホイミやベホマといった回復呪文と同等の付加能力を持っている可能性が高い」

 

「この杖を使うとしたら、サラだろうな。私達には使えないし、メルエには雷の杖がある」

 

 サラの視線の意味に気付いたカミュとリーシャがその杖に秘められているだろう能力を口にする。それを聞いた彼女は若干の驚きを表情に出し、もう一度カウンターの上に乗る杖へと視線を落とした。

 回復呪文というのは最上位の神秘である。生きている者達にとって、他者を殺める呪文よりも、他者を生かす呪文の方がより神秘に近いのだ。だからこそ、教会に属する者達がこれ程に重宝されるのだろうし、信仰を強めて行く。それだけの神秘を内に宿す杖となれば、これ程に貴重な物はないだろう。それは、このアレフガルドを覆う闇を払う者達が持つ物として十分な価値を持つ物でもあった。

 

「回復呪文の効果を持つ杖であるならば、私が持つ物ではありませんね。確かに、勇者の洞窟のような場所が他に無いとは限りませんが、それでもこの杖はこの村にあるべきだと思います」

 

 だが、それだけ貴重で希少な武器を、当代の賢者は笑顔で固辞する。その笑みを見たリーシャは何かを察したように笑みを浮かべ、カミュは小さな呆れの溜息を吐き出して瞳を閉じた。先程まで膨れていたメルエは、『何故買って貰える物を断るの?』とでも言うように首を傾げる。

 水色に輝く羽衣を纏った賢者は、そんな少女の頭をもう一度撫で、目線を合わせるように屈み込む。不思議そうに見つめるメルエと目を合わせ、柔らかな笑みを浮かべたサラは賢者の杖を固辞した理由を口にした。

 

「この杖に回復呪文の効果が有るのならば、魔法力を持つ者であれば使用が出来るかもしれません。人や、動物や、それこそ魔物であっても、傷ついた方々を救える手段は残しておきたいのです」

 

 『水の羽衣』の輝きとは別に、リーシャにはサラが眩しく見える。あれ程に悩み、苦しみ、迷い、泣いて来た女性が、今や魔物さえも救う手段を残しておきたいと口にしていた。何故か湧き出して来る涙が、何の涙なのかがリーシャには解らない。だが、五年という月日で遥か高みへと昇り始めた彼女の道が、真っ直ぐに伸び続けている事を祈るのであった。

 

「カミュ様、この杖は幾らですか?」

 

「ん? ああ、まだ伝えてなかったな。15000ゴールドだよ」

 

 問いかけられたカミュは、そのまま店主へ視線を移す。その視線に品物の値段を伝えてなかった事に気付いた店主は、苦笑交じりに口を開く。その値段もまた、納得が出来るような、それでいて納得出来ないような微妙な値段であった。

 水の羽衣よりも高い値段ではあるが、それでも賢者と呼ばれる人間が使用し、回復呪文と同程度の付加効果を持っている武器としては安過ぎると言える。リーシャが装備しているミスリルヘルムの値段が18000ゴールドである事を考えると、破格の値段と言っても良い。

 

「この盾は買い取って頂けますか?」

 

「ん? 随分珍しい盾だな。これは上の世界の盾なのか? そうだな……随分使い込まれているようだから、5000ゴールドで買い取るよ」

 

 15000ゴールドは決して少ない金額ではない。サラは水鏡の盾を装備する際に外した魔法の盾をカウンターに置いて買取を依頼する。少しでもゴールドが入ればと考えての行動ではあったが、店主の以外な言葉に彼女は素っ頓狂な声を上げてしまった。

 魔法の盾は上の世界では2000ゴールド程度で販売されている物である。故に、この店主が申し出て来た買取価格は倍以上の値段となるのだ。確かに、このアレフガルドには魔法の盾という盾は存在しないのかもしれないが、その品質で言えば、水鏡の盾の方が数段上であった。物珍しさという部分もあるのかもしれないが、もしかすると上の世界の武器や防具、そして道具などを収集する人間からの需要があるのかもしれない。

 

「カミュ様……」

 

「アンタの負債だぞ……。この杖をくれ。その盾の買取額を引いた10000ゴールドだ」

 

 縋るように見つめて来るサラに溜息を吐き出したカミュは、厳しい楔を打ちながらも腰の革袋からゴールドを取り出す。この店だけでもかなりのゴールドを使用した為、腰の革袋の膨らみはかなり小さくなっていた。

 柔らかく微笑むリーシャの横で、『結局買って貰うのではないか!』という想いを隠そうともせずに鋭い視線を向けるメルエへ微笑んだサラは、購入した賢者の杖を持って、そんな少女の頭上に杖先を下ろす。大好きな姉のような存在から下ろされた杖によって、予想だにしない暴力を受けると思った少女は驚きに目を見開いた後、ぎゅっと瞳を閉じた。だが、一向に襲って来ない衝撃に目を開け、首を横へと傾げる。

 メルエが不思議そうに首を傾げると同時に、賢者の杖の杖先が淡い緑色の光を放ち始め、心地良い空気を生み出した。それは、まさに回復呪文が生み出す癒しの輝きであり、生命への祝福の光である。

 

「やはり、お二人のおっしゃる通りでしたね。この杖には回復呪文の効果が備わっています」

 

 杖に願う事で回復呪文と同程度の癒しを生み出す。光の度合いから見ても、おそらくはベホイミ程度の力ではあろうが、死に瀕するような傷でなければ大抵の傷は治療が可能な力であった。

 その光を生み出したサラは、満足そうに杖を持って微笑み、再びカウンターへと戻す。購入された物が戻される事に驚いた店主は、疑問に満ちた瞳をサラへと向けた。

 

「この杖はお貸し致します。このお店に置いて頂き、必要になった際には使用出来る方に持って頂いて、苦しむ方々を救って下さい」

 

「え? あ、ああ……それは構わないが」

 

 サラのその言葉を予想していなかったのは、この店主とメルエだけであったのだろう。不思議そうに首を傾げる少女と、驚愕に目を見開いた店主だけが戸惑いを見せていた。

 購入金額となるゴールドを支払った以上、賢者の杖の所有者はこの一行であり、先程その杖を手にしたサラである。その人間が武器をどう扱おうと店主が何かを言う権利はなく、その申し出を断る事など出来はしない。必然的にサラの言葉を受け入れるしかなかった。

 

 この『賢者の杖』と呼ばれる杖は、後世にまで『賢者』から送られた杖として、マイラの村を護る象徴となって行く。どれ程の困難が訪れようと、どれ程の苦難が待ち受けようと、このマイラだけは常に来る者を拒まず、訪れる者達を和ませる町として名を残して行く事となる。

 にこやかに微笑む賢者の顔は、武器屋の店主から誇張を含めて語られて行く。それは、アレフガルドに長く伝わる一つの物語となって行くのだった。

 

 

 




読んで頂き、ありがとうございました。
次話もマイラの村となると思います。
おそらく「閑話」となるでしょう。

ご意見、ご感想を心よりお待ちしております。

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