新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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第二十章
マイラの森④


 

 

 

 今までの不安と恐怖の全てが取り払われたように安らかな寝息を立て、晴れやかな表情で眠るメルエとサラを背負ったカミュとリーシャは、一度マイラの村へと戻る事となる。サラをリーシャが背負い、メルエをカミュが背負うのだが、背負う二人の表情も何処か晴れやかな優しさに満ちていた。

 彼らを襲った最大の危機は、それを迎え入れる原因となった者の手によって打ち払われ、それを取り巻く全ての要因が繋がって行く。精霊ルビスという世界の守護者を救う為に訪れた塔で、彼らと共に旅を続けて来た少女の謎が解放され、それを知った賢者が恐れを克服した先に、蘇生呪文と云う神と精霊の祝福が生まれる。そして、蘇生呪文を成功させた賢者の身を護る為に、精霊ルビスの魔法力の一部が解放された。

 全ては、精霊神ルビスへと繋がっているのだ。

 

「カミュ、まずはラダトームへ戻るのか?」

 

「そうだな。二人が目を覚ましたらルーラで一度ラダトームへ戻る」

 

 マイラの村の入り口となる門がそろそろ見えて来るであろう頃、リーシャは今後の方針についてカミュへと問い掛ける。その問いかけにカミュは真っ直ぐ頷きを返した

 このマイラの村周辺で出来る事は既にない。精霊神ルビスの解放の為の探索が中止された時点で、この周辺での情報は途絶えてしまうのだ。ならば、マイラの村の武器屋の中で聞いたオリハルコンという神代の希少金属の情報しか残されてはいない。必然的に次に向かうべき場所が限られてしまうのだった。

 武器屋での情報としてはラダトームの南西にあるドムドーラという町付近での発見情報がある。一度ラダトーム王都へ戻り、そこから徒歩で向かうしか方法はないのだ。

 

「二、三日は猶予はあるのだろう? 完全なる死から戻って来た二人を少し休ませてやりたい」

 

「猶予などがある筈のない事ぐらいアンタが一番知っているだろう? それに、それでもこの二人よりも優先して行う必要性があるかどうかもアンタが一番解っている筈だ」

 

 今、カミュの背中で眠りについている少女は、先程まで本当の死を体験していた筈である。死の呪文を受け、魂を弾き飛ばされた肉体は完全に生を手放していたのだ。その魂を強引に戻した女性賢者も魔法力を枯渇させて死への道を歩んでいる。精霊神ルビスの祝福なのか、それとも祈りの指輪の効力なのかは解らないが、彼女もまた死から生還を果たしたばかりであった。

 そんな二人を休ませる事もなく再び戦いへと向かわせるのは、流石に蛮勇を通り越して無謀に近い物である。特に、魔法と云う神秘による補助や攻撃を頼りとして前線で戦っているカミュとリーシャにとっては、この二人が生命線と言っても過言ではないのだ。万全でない二人を連れて歩いたとしても、それは死に直結する程の愚行となるだろう。

 

「ふふ、そうだな。二人の重要性は私達が一番知っているからな」

 

 闇に包まれたアレフガルドに猶予などある筈がない。大魔王ゾーマの力が日増しに上がって行く事を考えれば、カミュ達以外にそれに立ち向かう戦力がない以上、一刻を争う状況に変わりはないのだ。

 それでも、それ以上に重要なのが後方支援組である二人の状態であると言い切るカミュがリーシャには嬉しかった。それは、言い換えれば、大魔王ゾーマが全快になろうと、それこそこのアレフガルドが闇に落ちてしまおうと、サラとメルエという二人が万全の状態で戻れば何とでもなるという強い信頼に基づいている物であるからだろう。

 先程まで感極まった泣き顔を見られた事の気恥ずかしさもあったリーシャは、闇の中をマイラの村へ向かって突き進むカミュの背中を見ることが出来なかった。

 

「……止まれ」

 

「!!」

 

 しかし、そんな何処か甘酸っぱい雰囲気は即座に森の闇の中へと消えて行く。メルエを背負ったまま先頭を歩いていたカミュが声を潜めて行動を制したのだ。

 カミュの表情は見えなくとも、その緊迫感は後方を歩いていたリーシャにも伝わっている。現状、呪文使いであるサラとメルエを欠く戦闘はかなり厳しい上、彼が纏う雰囲気から察するに強敵である事が窺えた。それは絶体絶命の危機であると言っても過言ではないだろう。

 ましてや、竜種の上位種に対して遅れを取ったばかりの彼らにとって、目の前に迫っている魔物は鬼門に等しい物であった。

 

「グオォォォォ」

 

 マイラの森の木々が震える程の咆哮が響き渡る。その咆哮の位置や大きさから判断するに、それ程距離がある訳ではないだろう。徐々に大地に伝わる揺れが大きくなって来る事が、その魔物が着実にカミュ達の方へと向かって来ている事が解る。それは絶望的な状況であった。

 先程の咆哮は、竜種が上げる物に酷似している。ルビスの塔で遭遇したドラゴンが上げた物とは多少異なってはいるが、それでも他者を圧倒するそれは、広いマイラの森の隅々にまで木霊していた。

 

「……カミュ」

 

「出来る限りは戦闘を避けたい。だが、どうしようもなくなれば、先に行け」

 

 メルエを木の根元に下ろしたカミュは、その傍で屈み込んで雷神の剣を抜く。その様子を見ていたリーシャは、彼の発言に対して瞬時に表情を歪めた。

 確かにリーシャであれば、サラとメルエの二人を担いで歩く事は可能であろう。だが、それでもカミュを生贄にその場を去るという選択肢を取る訳がない。それは、どのような状況になろうと、誰がどれ程に強く言おうと変わる事はないのだ。

 全滅という最も最悪の状況になろうとも、彼女からすれば、この四人の内の誰が欠けても勇者一行が終了する事は目に見えているのだ。それがサラであろうと、メルエであろうと、リーシャであろうと、そして己を犠牲にしようとしている勇者本人であっても変わりはない。彼等全てが揃っているからこそ、巨大な敵に立ち向かえるのだ。

 それを、ここ数日でリーシャは骨身に染みる程に痛感していた。

 

「サラとメルエの援護は期待出来ない。それでも私達だけでやり過ごすしかない。あの塔で己の弱さを実感した。ここを乗り越えてこそ、私達はこの二人と並んで戦える筈だ」

 

「……わかった」

 

 森の大地を揺らす振動は先程よりも大きくなっている。その振動の大きさが、近付いて来る魔物の大きさに比例しているのだろう。カミュとリーシャの武器を握る手に力が入る。並大抵の魔物であれば瞬殺出来る技量を持つ二人が緊張を感じる程の強敵の予感が明確にしていた。

 前方の木々が薙ぎ倒されるのが見えて来る頃、カミュ達二人の肌を痺れさせる程の圧迫感が襲い掛かる。既に持っていた『たいまつ』の炎は消していた。出来る事ならばやり過ごしたいという想いから消してしまっていた明かりが仇となり、森全体を見渡すには難しい闇が邪魔となる。

 

「グオォォォォ」

 

 現れたのは一体の巨大な骨。以前、マイラの村周辺で遭遇しかけた魔物である。巨大な竜種の成れの果てである骨が、大魔王の魔力によって蘇り、現世を彷徨う魔物となった物であった。

 あの時は、この骨が竜種の成れの果てである事しか解らなかったが、今のカミュ達にはこの竜種の骨の生前の姿が理解出来る。ルビスの塔で遭遇したドラゴンのように四足で歩くのではなく、巨大な後ろ足二本で大地に立つその姿は、最上位に位置する竜種の物であるという事が。

 背骨から突き出す翼を模る骨が、この竜種が空中を飛ぶことが可能であった者である事を示しており、後ろ足よりも小さな前足の骨が、この竜種が大地を二足歩行で歩き回る者であった事を示している。

 それは、竜の女王やメルエの祖先と同等の力を持っていた竜種の証であった。

 

「カミュ、避ける事は諦めるしかない。炎を灯して視界を確保しなければ戦闘は難しいぞ」

 

「……覚悟を決めろよ。現状では厳し過ぎる相手だ」

 

 既に竜種の頭蓋骨はカミュ達へ照準を合わせている。それは戦闘が避けられない状況になった事を示しており、戦闘を覚悟するならば少なくとも視界を確保するだけの明かりが必要であったのだ。それを口にしたリーシャへ視線を移したカミュの表情は険しく歪んでいる。迫り来る相手の強さと、自分達の力量を比べると、必然的に厳しい戦いになる事が解っているのだ。

 それでも、この場面であの魔物から逃げる事は出来ないだろう。サラとメルエという二人を担いで全員が無事逃げる事が出来る時間を確保する事など出来はしない。それが成れの果てとはいえ竜種が相手であれば尚更であった。

 

「……行くぞ」

 

 消してあった『たいまつ』に再度炎を灯すと、二人を中心に森が照らし出される。それは戦闘の合図であり、ここから始まる二人の死闘の開始の鐘であった。しかし、この竜種の成れの果ては、世界最上位に上り詰めた二人の覚悟を容易く潰す程の力を秘めていたのだ。

 既に生きる屍となった竜種に明かりなど必要はなく、カミュ達へと標的を絞っていたのだろう。『たいまつ』に火を灯して立ち上がった二人に向けられた頭蓋骨の口の部分が大きく開かれ、闇に包まれた森の中に冷気が噴き出された。

 各々の武器を持つ手が悴んでしまうような冷たい息は、駆け出した二人の出鼻を挫く。持っていた盾を掲げて身を護るようにしたカミュの横から、固い骨だけになった尾が振り抜かれた。凄まじい衝撃と共にカミュは弾き飛ばされ、太い木の幹へと衝突する。

 

「させるか!」

 

 木の幹の付け根に崩れたカミュに追い討ちを掛けようとする竜種の骨に向かってリーシャは魔神の斧を振るった。しかし、その骨は人間の物ではなく、世界最高種族と云われている竜種の物である。如何に神代の斧とはいえ、一撃で両断出来る物ではなかった。

 再び大きく口を開いた頭蓋骨を見たリーシャは、一歩後方へ飛んで盾を掲げる。先程と同様の冷気が降り注ぐ中、それでも怯まずに彼女は一歩一歩前進を続けた。そんな彼女を見て、竜種の骨は巨大な脚部の骨を持ち上げる。巨大な竜種にとっては『人』という種族など、『人』から見た虫のように小さな存在でしかない。容易く踏み殺せるとでも考えたその骨は、先程まで木の根元に崩れていた青年の存在を忘れていた。

 

「させるものか!」

 

 巨大な足に向かって振り抜かれた一振りの剣は、天から降り注ぐ雷の神が愛した一品。雷鳴の如く凄まじい轟音を立て、その剣は固い竜種の骨を砕く。大腿部の最も太い骨をも砕くその一撃は、世界を救うと謳われる勇者の一撃に相応しい物であった。

 砕かれた骨では巨体を支える事は出来ず、膝を着くように地面へと身体を落とした竜種の骨に向かって、リーシャが追い討ちを掛けるように斧を振り下ろす。落ちて来た頭蓋骨へと突き刺さった斧はそのまま振りぬかれ、左目があったであろう窪みから下顎までに大きな亀裂を生んだ。

 しかし、ここは『全てを滅ぼす者』と自負する大魔王ゾーマの手中にある、闇の世界アレフガルド。そして、今は大魔王ゾーマの魔法力によって操られてはいるが、目の前の魔物は世界最高種である竜種の成れの果てである。

 

「……バラモスと同じように、自己修復するのか?」

 

「ちっ」

 

<スカルゴン>

古の最も希少な種族と云われた氷竜の一種の成れの果てである。今や世界中からその姿を消し、絶滅したとさえ考えられていた。そんな希少種の骨だけとなった部分を大魔王ゾーマが膨大な魔法力を注ぎ込む事によって復活させ、アレフガルド大陸を歩く番人としたのだ。

生前の記憶もなく、敵を葬るだけの存在となってはいるが、その驚異的な力は竜種の上位種そのままである。メルエの祖先である氷竜よりも下位の存在であるのか、吐き出す冷気は敵を完全に凍りつかせる程ではないが、それでも生物としては脅威に値する物であった。

大魔王の魔法力によって蘇った存在である為、大魔王が生存している限り、多少の傷や亀裂であれば修復が可能である。それは生前の竜種と云う種族では有り得ない能力でもあった。

 

「グオォォォ」

 

 声にならない咆哮を上げて再度スカルゴンが冷気を吐き出す。周囲の木々に霜が降り、気温がぐっと下がって行く中、カミュは後方で眠る二人へ視線を送り、それを庇うように盾を掲げた。予断を許さないそのような状況にも拘らず、彼の行動を見たリーシャは笑みを浮かべ、スカルゴンへと突進して行く。

 煩い蝿を払うように振り抜かれた骨だけとなった尾を僅かな隙で避けると、持っていた斧を修復中の大腿部へと振り抜いた。修復中とはいえ、神代の剣で砕かれた大腿部を再度神代の斧で砕いたのだ。最早その足は使い物にはならず、スカルゴンは先程よりも大きく身体を崩す。

 

「全ての骨を粉々に砕いてしまえば、修復など出来ない筈だ!」

 

 スカルゴンが歩いた時の振動が再現されたような音がマイラの森に響き渡った。仁王立ちのようにスカルゴンの正面に立ったリーシャが、手に持つ魔神の斧の柄を地面へと叩きつけたのだ。

 竜種最上位種と言っても過言ではない氷竜の成れの果てを相手に毅然と立つリーシャは、人類最上位に立つ戦士の姿に相応しい。最早、ルビスの塔でドラゴンを相手に弱気になった女性戦士はここにはおらず、力量こそ飛躍的に上がってはいなくとも、精神的にはあの頃よりも数段上の場所にいる筈である。

 収まりを見せ始めた冷気を感じたカミュは盾を下ろし、正面に真っ直ぐ立つ彼女の背中を見て小さな笑みを浮かべた。

 

「ぐっ」

 

 しかし、そんな彼等の余裕も瞬時に崩れ去る。それは、大きく口を開けたスカルゴンに気を取られたリーシャが真横に吹き飛んだ事によって顕現された。

 大きくしなった尾骨が盾を構える隙もなくリーシャを吹き飛ばし、カミュが間に入る暇もなく吐き出された冷気がリーシャの身体諸共に周囲の木々を包み込んで行ったのだ。吹き荒れる冷気がリーシャが身に纏う大地の鎧に霜を降ろし、一気に体温を下げて行く。

 剣を振り上げたカミュが迫り来る尾骨を弾き返してリーシャの傍に辿り着いた頃には、彼女は歯が嚙み合わない程に震え、唇を紫色へと変色させていた。メルエの放つ冷気の最上位呪文は、寒さを感じる暇もなく細胞全てを凍りつかせて行く。それに比べ、徐々に身体の体温を低下させるような冷たい息は、生物の活動を鈍らせて行くという物であった。

 

「ちっ……文句は言うなよ」

 

 リーシャの状況を把握したカミュは軽い舌打ちと共にリーシャの鎧目掛けて最下級の火球呪文を唱える。燃え上がる火球がリーシャの腹部に直撃し破裂し、火の粉が飛び散る中、彼女の鎧に降りた霜が溶けて行った。

 荒療治にも程があると文句を言える程の行為ではあるが、強敵を目の前にして身体を暖めている暇などありはしない。多少の火傷を覚悟の上での行為であったのだろうが、それを受けたリーシャもまた、状況を理解している為に苦情の一つも言わずに立ち上がった。

 

「立ち上がれないにも拘らず、とんでもない魔物だな」

 

「尾には気をつけろ。それに、戦闘に慣れて来たのか、先程よりも若干だが冷気が強くなっている」

 

 闇の中で不気味に光るスカルゴンの瞳の窪みを見ながらも、二人は再び戦闘態勢に入る。冷静に分析をしている二人ではあるが、その内容が恐ろしく厳しい物である事も重々承知していた。

 スカルゴンの左大腿部は粉砕されており、自然治癒だけでは回復が難しい事は明白である。片足を失い自由に動けない魔物の相手となれば、カミュ達がかなり有利な状況になる事は確かであるが、それを感じさせない程の力をスカルゴンは有していた。

 更に言えば、先程リーシャが受けた冷気は、先程まで受けていた物よりも威力が上がっている事が解る。それは、ここから先の戦いの中でかなり不利な状況に陥る可能性さえも示唆しているのだ。

 

「……一体であっただけでも救いだろうな」

 

「動けない相手だ。冷気を交わしながらでも叩くしかあるまい」

 

 カミュの言う通り、この魔物が二体以上いた場合、逃げ出す事は不可能に近い。ルーラを使用して逃げるにしても、その詠唱が完成する前に全滅する可能性すらある。それ程に危険な相手である事は、この数度の攻防で身を持って二人は感じていた。

 だが、今の状態であれば、二人が圧倒的に有利である事実もまた変わらない。如何に強力な魔物とはいえ、身動きが取れない状態で人類最高峰の戦力を相手に優勢を保ち続ける事は不可能であろう。時間は掛かるかもしれないし、代償は必要かもしれないが、カミュ達二人の勝利は揺るがない事も確かであった。

 

「グオォォォォ」

 

 しかし、そんな冷静な分析に基づく余裕は、カミュ達の後方から轟く咆哮によって霧散する事となる。それは、先程までに感じていた最低最悪の状況の訪れを示唆していた。

 振り向く為には前方のスカルゴンから目を離さなければならない。それが今の状況で最も危険な行為であると知りながらも、二人は振り向かずに入られなかった。そして、そこで再び襲い掛かる絶望を見る事となる。

 

「ちっ!」

 

「……マイラの森の精霊に呪われてでもいるのか?」

 

 盛大な舌打ちをしたのはリーシャであり、絶望的な光景に精霊という行為の存在に対する悪態を口にしたのがカミュである。

 このマイラの森付近で、彼らは何度も危機を味わっていた。それは、本来この森を守護する役割を持つ森の精霊の力が弱まっている事の証拠であり、アレフガルド大陸に大魔王ゾーマの力の支配が強まっている事を明確にしているのだ。

 それがこの、二体目となるスカルゴンの出現で現実味を帯びて来ていた。

 

「カミュ、お前はあの骨の化け物に止めを刺せ。それまでは何とか持ち堪えてみせる」

 

「……わかった」

 

 リーシャに頷きを返したカミュは、既に動く事の出来ないスカルゴンへと向かって駆け出す。彼としてもリーシャ一人に万全のスカルゴンの相手を押し付ける事を良しとはしていないだろう。それでもここで右往左往していては全滅の可能性が高くなるばかりであり、手負いのスカルゴンを早急に葬ってリーシャに加勢をした方が勝率は確実に上がるのだ。

 故にカミュは雷神の剣を背中へと戻し、稲妻の剣を腰から抜き放つ。駆けて来るカミュを視認したスカルゴンが尾を振るう前に、彼はそのまま剣に己の意志を命じた。

 主の命を受けた剣が神々しい輝きを放ち、その輝きが弾けるように大きな爆発を起こす。爆風と熱風が周囲を覆う中、そのまま剣を握り締めたカミュはスカルゴンに向かって振り下ろした。固い竜骨と神代の金属がぶつかり合う高い音がマイラの森に響き、それと同時に何かが砕ける乾いた音が響き渡る。爆風が晴れた後には、既に稲妻の剣を腰に戻して背中から雷神の剣を抜き放ったカミュと、尾骨を中途から斬り飛ばされたスカルゴンが現れた。

 

「ゴオォォォ」

 

 苦しみとも怒りとも言えるような叫びを上げるスカルゴンを尻目に、再びカミュが走り出そうとした時、後方でリーシャが相手をしていたもう一体のスカルゴンが巨大な咆哮と共に大きく口を開く。それは、先程までカミュの目の前で瀕死になっているスカルゴンが上げていた咆哮とは別種の物であり、聞く者の心の奥底にある本能へ警告を鳴らすような物であった。

 咄嗟に振り向いたカミュは、リーシャ目掛けて大きく開くスカルゴンの口の奥が輝いているのを見る。その輝きは、まるで永久凍土であるグリンラッドで見た氷の結晶による物に酷似していたのだ。

 リーシャが纏っているのは大地の鎧である。海で生活する生物以外の全ての者達の拠り所となる大地を護る母神に愛された者だけが纏える鎧であり、その至上の愛は、大地に及ぼすあらゆる事象を軽減させる程の物。それでも、今スカルゴンが吐き出す物は、魔法力の耐性のない女性戦士には厳しい物である事が推測出来た。

 

「フバーハ」

 

 しかし、どんな時も前線二人だけで戦闘を行って来た事などない。常に彼等の後ろには頼れる仲間が存在していた。その状態がどのような物であろうと、二人の後方には必ず彼女がいるのだ。

 未だに体調は万全でなくとも、彼女はこの一行の頭脳である。ふらつく足元を懸命に支えながらも立ち上がった彼女は、スカルゴンと相対するリーシャの前に霧の壁を作り出した。

 直後に吐き出された輝く氷の結晶は、先程のスカルゴンが吐き出した冷たいだけの息ではなく、人間のような弱い生物を凍り付かせるような息である。それでも生み出された霧はその氷の結晶を暖かな水蒸気で包み込み、水へと変えて行った。

 斧を握るリーシャは、頬を緩めながらも真っ直ぐにスカルゴンへ向かう。水へ変化した冷気を受けて身体を湿らせながらも、そこを突き抜けた彼女はスカルゴンの背骨に斧を突き刺した。だが、最も太く、最も頑丈な骨に突き刺さった斧は容易く抜く事は出来ず、痛覚を持たないスカルゴンはそんな彼女の身体を地面へと叩きつける。

 

「ぐぎゃっ」

 

 潰れた蛙のような声を出して地面へと叩きつけられたリーシャの手から離れた魔神の斧は、支える者を失い地面へと落ちる。倒れ伏したリーシャに追い討ちを掛けるように振り上げられたスカルゴンの尾骨が真っ直ぐに落とされた。

 ようやくリーシャの許へと辿り着いたカミュがその尾骨を勇者の盾で防ぎ、踏ん張りを利かせるように足を地面に突き刺す。凄まじい重圧を受けながらも尾骨を退けた彼は、そのまま雷神の剣を振り抜いて尾骨を斬り裂いた。

 

「バギクロス!」

 

 リーシャを起き上がらせるカミュ目掛けて、身動きの出来ないスカルゴンが身体を引き摺りながらも攻撃を加えようとしているのを見たサラは、枯渇状態から戻ったばかりにも拘らず、初行使の呪文の詠唱を完成させる。顔色さえも戻っていない状態にも拘らず、このような大呪文を行使する事自体が、この状態の厳しさを明確に示していた。

 木々に護られた森の中を風が荒れ狂うように舞い始める。サラが胸で十字を切るように詠唱を完成させると、真空の刃が十字に切られ、縦と横での風の動きが竜巻のように変わり、固い竜種の骨を切り刻んで行った。

 

<バギクロス>

『悟りの書』に記載された攻撃呪文の一つであり、僧侶としての魔法力を持った人間にとって最強の威力を誇る呪文でもあった。

大気中の風を味方に付け、真空の刃として敵を襲う。術者が切る十字に沿って動く真空の刃が、それを受ける者にとって断罪の十字に見える事から『バギクロス』という名前が付けられたと云われている。真空呪文であるバギ系の呪文の中でも最上位に位置し、その刃は鋼鉄さえも容易く切り刻むとされていた。

『悟りの書』という場所に記載されている事から、現在は失われた神秘となり、最早この呪文の存在を知る者は、魔族やエルフ族以外には存在しない。

 

「カミュ様!」

 

 手負いの一体を葬り去ったサラは、視線をカミュへと向けるが、倒れ伏すリーシャに最上位の回復呪文を唱えていた筈の彼の姿はそこにはなかった。視線を上へと向けると、どんな時でも彼女達三人を導いてくれていた青年が鋭い牙によって嚙まれて持ち上げられている姿が見える。そこには、先程まで存在しなかった三体目のスカルゴンの姿があったのだ。

 一体を葬り去り、残る一体を目覚めたサラを含めた三人で相手をしようとしていた矢先の三体目の登場である。ルビスの塔での絶望を乗り越えて決意を新たにした者達の心を再び折ってしまいかねない状況に追い込まれていた。

 

「カミュを離せ!」

 

 回復呪文を受けていたリーシャは、立ち上がり様に魔神の斧を拾い上げ、カミュを咥えているスカルゴンの大腿骨を駆け上がる。そのまま首の骨を目掛けて斧を振るうが、首の骨を砕く事は出来なかった。だが、それでも顎の力を弱めるだけの攻撃であったのか、カミュはその口元から離され、真っ逆さまに地面へと落ちて行く。地面へ叩きつけられたカミュの腕はあらぬ方向へと曲がり、意識は飛んでいた。

 そんな青年に駆け寄ろうとしたリーシャを阻むように、先程凍り付く息を吐き出したスカルゴンが後ろ足を突き出す。忌々しげにスカルゴンを見上げたリーシャの瞳に怒りの炎が宿り、途中で途切れている尾骨を水鏡の盾で弾き返して全力で斧を振るった。

 

「グオォォォォ」

 

「フバーハ」

 

 竜骨へと斧を突き刺すリーシャの横から、新たに現れた三体目のスカルゴンが生物を凍らせる息を吐き出す。それを避ける術はリーシャにはなく、水鏡の盾を掲げた瞬間、彼女の前面に再び霧の壁が出現した。

 頼もしい味方の援護に口端を上げたリーシャではあったが、それと同時に前のめりに倒れる賢者の姿を見て眉を顰める事となる。

 如何に世界で唯一の賢者といえども、先程まで魔法力の枯渇によって命さえも手放しかねない状態であった者である。その人間が大呪文を何度も行使出来る訳はなく、再び魔法力が枯渇状態になったのだ。

 祈りの指輪を使おうにも、その指輪は何度も精霊神の力に耐えられる物ではない。つい先程、離れ行く魂さえも繋ぎ止める神秘を見せたその指輪に、それだけの力が残っているとは思えなかった。つまり、今の現状でサラの魔法力を回復させる方法が無いに等しいという事である。

 

「カミュ!」

 

 一旦態勢を立て直す事を決断したリーシャが横たわるカミュの身体を担ぎ上げ、スカルゴンから距離を取るように後ろへと下がる。眼球のない窪みをリーシャに向けたままのスカルゴン二体も敢えてその後を追うような事はなく、冷気を吐き出す準備をするように身体を向けていた。

 前のめりに倒れていたサラも何とか身体を起こし、戻って来たリーシャが下ろしたカミュの身体の状態を調べようと動く。だが、既に魔法力が枯渇している彼女に唱えられる回復呪文はなく、これ以上の行使は彼女の命さえも削ってしまう物であった。

 

「サラ、祈りの指輪は使えないのか?」

 

「……はい。その力が感じられません。暫くは使用出来ないのかもしれません」

 

 荒い息を吐き出したサラは、リーシャの質問に必死に答える。しかし、既にその顔は青白い物を通り越し、土色へと変化していた。それは、正に死相と言っても過言ではないだろう。それでも必死に身体を動かそうとする妹のような存在に、最近緩んで来た涙腺が再び崩壊しそうになるのをリーシャは必死に抑えた。

 今は泣いている暇などありはしない。目の前には未だに活動を停止させないスカルゴンが二体、虎視眈々とカミュ達を狙っているのだ。力及ばずとも、この場を切り抜ける為に力を振るえるのはリーシャという女性戦士しか存在しないのが事実。

 この状況がどれ程に最悪な物であっても、ここで心を折らぬだけの成長は、マイラの村の宿屋で眠るメルエを前にして遂げているのだ。それは決意であり、誓いである。彼女は二度と心を折らない。どれだけ強敵を前にしても、どれだけの苦難にぶつかろうとも、彼女の心は折れる事はないのだ。

 

「サラ、カミュの治療は放っておけ。目が覚めれば、自分で治すだろう。もし、目を覚まさなければ、叩き起こしてやれ。お前は眠っている場合じゃないだろうとな」

 

「え?」

 

 斧を構えたリーシャの瞳は、既に前方で口を大きく開いたスカルゴンへ向けられている。その背中は今まで見て来た彼女の物よりもずっと大きく見え、何処か安心感さえも感じさせた。

 だが、それでも巨大な竜骨の魔物は強力であり、彼女一人で支える事は不可能であろう。その証拠に、あれ程に大きく見えていた背中は、死へと真っ直ぐに突き進む哀しい色を帯び始めていた。それに気づいたサラは、再び己の中で何かを決意する。そして、ゆっくりと立ち上がり、静かに瞳を閉じた。

 前方では横薙ぎに振るわれた尾骨を盾で弾き、一体の脛を斧で砕くリーシャの奮戦が見える。しかし、その劣勢は明らかであり、攻撃をした直後に吹き抜ける冷気が徐々に彼女の動きを鈍らせていた。

 

「……ルビス様、申し訳ございません。二度もお救い頂いた命を、再び投げ出す事をお許し下さい」

 

 前方での戦闘は苛烈を極めている。一体のスカルゴンの腰の骨を砕いたリーシャではあったが、一体が振るった足を受けて大木へと身体を打ち付けていた。咳き込むように血を吐き出した彼女が立ち上がろうとする頃、先程まで閉じられていたサラの瞳が開かれる。

 祈りを捧げるように胸の前で合わせられた両手に力を込める。じわりと滲み出すようにサラの身体全体から光が溢れ出した。その輝きはこれまで見た物とは大きく異なる。メルエが竜種に戻る為にドラゴラムを唱えた時や、サラが蘇生を叶える為にザオリクを唱えた時とも異なっていた。

 それは、魔法力の発現ではなく、本当に命その物を放出しているような危うい輝き。

 

「……大事な者達を傷つける者を、我が命と引き換えに退け給え」

 

 呟きが言霊となり森へと溶けて行く。サラの言葉の一言一句が溶けて行く度に彼女の身体から発せられる輝きは強くなって行った。溢れ出した輝きは大きな力となり、漆黒の闇に閉ざされた森を覆うような光となる。

 全てを告げ終えたサラの顔色は、既に土色を通り越し、生者の物ではなかった。何処か儚く、それでいて神々しささえも感じる彼女の存在は、『人』であるとか、『賢者』であるとかを超越した存在に昇華してしまったのかもしれない。

 強く合わされた両手を解き、前方のスカルゴンへと突き出したサラは、大きく息を吸い込み、最後の言霊を大気に乗せる。

 

「メガン……」

 

「……何をするつもりだ」

 

 しかし、その言葉は最後まで紡がれる事はなかった。詠唱を完成させる最後の一言を口にしようとしたサラの肩が強く引き戻されたのである。

 中断された言霊は何も生み出す事なく大気へ溶け、サラを覆っていたあれ程の輝きは時間を撒き戻したように身体の中へと吸い込まれて行った。再び闇に支配されたマイラの森に、投げ出された『たいまつ』の明かりと、スカルゴンの瞳の窪みから放たれる不気味な光だけが取り残される。それは、サラの決意にも似た何かが不発に終わった事を示していた。

 

「……アンタが死んでどうする。後ろで黙ってみていろ」

 

「……カミュ様」

 

 サラを後方に押し退けたカミュは、雷神の剣を握って前方へと駆け出す。取り残される形となった彼女は、それでも駆けて行く勇者の背中から目が離せなかった。

 これまでも何度も見て来た背中である。危機に陥った時、必ず見ていた背中でもある。誰よりも前に立ち、どんな災いからも後方にいる者を護る為に立ち続けて来た者の背中であった。それが今、一回りも二回りも大きく見えている。先程のリーシャの背中よりも大きな安心感に包まれた時、サラは再び意識を手放し地面へと倒れ込んだ。

 

 

 

 木の根元で座り込んでいたリーシャは自分が優しい光に包まれて行く事を認識する。まるで父親に抱かれたような暖かさと安心感が身を包み、今まで感じていた痛みも苦しみも消して行く事を感じた彼女はゆっくりと瞳を開けた。

 目の前には彼女が想像していた通りの者の姿が映り、今まで感じた事のない嬉しさが込み上げ、自然と頬が緩んで行く。何か押さえようのない衝動が彼女の胸の中に湧き上がるが、その感情が何なのかが解らない彼女はその衝動を抑える事しか出来なかった。

 

「アンタは今の状況が解っているのか? アンタこそ、眠っている場合ではない筈だ」

 

「ふふふ。そうだったな、すまない」

 

 自分の前で笑みを溢すリーシャに眉を顰めたカミュは、憎まれ口に近い物を口にする。そんな彼の口調と内容が面白かったのか、小さな笑い声を漏らした彼女は、素直に謝罪を口にして立ち上がった。

 手に持った魔神の斧を一振りし、前方で口を開くスカルゴンを一睨みする。その視線は、既に人類が放てるような気配を持つ物ではない。相手を怯ませ、行動を遅らせる事も出来る程の威力を持つ視線であった。

 

「サラは?」

 

「寝かせた」

 

 短い言葉のやり取り。それだけでこの二人には十分であった。

 最早後方からの援護は期待出来ない。サラとは異なり、完全に魂を切り離されていたメルエは暫く目を覚ます事はないだろう。サラに至っては、再度陥った魔法力枯渇という状態から抜け出すには、少なくとも丸一日以上の睡眠が必要となって来る筈であった。

 それでも、先程サラの援助が必要であった勇者と戦士は最早ここにはいない。あの援助と、あの覚悟を見た彼等二人にとって、前方で喚く亡者など敵ではなかったのだ。

 

「そうか。ならば、行くか?」

 

「すぐに終わらせる」

 

 後方で地面に倒れ伏すサラへと視線を送ったリーシャは、満足そうに頷いた後でカミュへと視線を送る。その視線に気づきながらも目を合わせる事なく、カミュは剣を掲げた。

 相手の力量は解った。攻撃方法も解っている。強敵である事も、その力量の差も理解している。それでも、今の二人にとっては目の前のスカルゴンなど敵ではない。己の内から漲る自信と、自分の隣に立つ者への信頼。その二つがあれば、二人がこの程度の魔物に負ける訳はないのだ。

 駆け出すリーシャの横をカミュが疾走する。大きく開かれた一体のスカルゴンの口から生物を凍り付かせる程の冷気が吐き出された。その瞬間に前へと移動したカミュが左腕に装備された勇者の盾を掲げる。

 

「……行け」

 

 勇者の盾とは、アレフガルド大陸を救った勇者が装備した盾。その盾はありとあらゆる物から装備者を護る。燃え盛る炎はまるで盾を避けるように吹き抜け、凍えるような吹雪は盾が持つ神聖な輝きによって溶かされるとさえ云われていた。

 その名に相応しく、掲げられた勇者の盾を中心にカミュやリーシャを包むように暖かな空気が広がり、生物を凍り付かせる程の冷気はカミュ達へは届かない。神代の勇者が所有していた盾が、次代の主として、次代の勇者としてカミュを認めた瞬間でもあった。

 冷気を遮る大きな盾に守られていたリーシャは、カミュの合図と共に一気にスカルゴンの前へと躍り出る。虚を突かれたスカルゴンは、全力で振り抜かれた魔神が愛した斧の一撃を無防備で受ける事となった。

 

「グオォォォ」

 

 苦悶のような声を上げたスカルゴンの腰骨が粉々に砕け散る。上半身を支える腰骨を砕かれた事によって自然の法則に従い落ちて来る巨大な頭蓋骨に下から突き上げるように振り抜かれた斧が突き刺さる。

 腰骨を粉砕した時の一撃よりも弱かった為なのか、突き刺さった斧が頭蓋骨を両断する事は無かったが、巨大な頭蓋骨が突き刺さった斧を手放さずにその上半身の重量を支えるリーシャは、人間としての枠を完全に超えてしまっているのだろう。

 そして、そんなリーシャに向けて口を大きく開いたスカルゴンに向かって駆け出したカミュが前方に手を広げながら詠唱を完成させる。突き出された手の先にあるスカルゴンの口の中で空気が一瞬で圧縮され、カミュがその掌を閉じた瞬間に一気に弾け飛んだ。

 

「うらぁぁぁ!」

 

 カミュが放ったイオラという中級爆発呪文に怯んだスカルゴンを捨て置き、リーシャの斧に突き刺さった頭蓋骨を繋ぐ首の骨に向かって雷神の剣を振り下ろす。巨大な頭蓋骨を支える為に太く作られている骨ではあったが、神代の勇者と同格の者と認められた青年の一撃に耐える事は出来なかった。

 頭部との繋がりを失った上半身は、そのまま地面へと落ちて行き、地響きを立てて崩れて行く。地面に落ちた骨はそのまま風化して行くように砂に戻って行った。

 

「カミュ、残り一体だ!」

 

 仮初の命を失った竜種の頭蓋骨を放り投げたリーシャは、残る一体のスカルゴンに向けて斧を振るう。先程までの苦戦が嘘のように一体を葬り去った二人ではあるが、スカルゴンが強力な魔物である事に変わりはない。勇者の盾の威力に行動が遅れたスカルゴンであったからこそ、一気に勝負を決める事は出来たが、残る一体が先程と同様に簡単に崩れるとは思えなかった。

 だが、それでも二人の自信は揺るがない。最早、今目の前に居る存在は、そこまで大きな魔物ではない。竜種とか、魔族とか関係はない。既にカミュとリーシャは、この竜種の成れの果てよりも上位に立ってしまっているのだ。

 

「グオォォォ!」

 

「メルエの祖先の同種かもしれないが、それでも愛着は湧かないな」

 

「アレに愛着が湧くようであれば、アンタも人間ではないだろう」

 

 威嚇するように咆哮を上げるスカルゴンを見ながら呟いたリーシャの軽口に、カミュは口端を上げる。それだけの余裕が彼等二人の心に生まれていた。

 一度笑い合った二人は、一陣の風となってスカルゴンへと突き進んで行く。待ち受けていたように大きく口を開いたスカルゴンが凍り付く息を吐き出すが、それを読んでいたようにカミュが雷神の剣を掲げた事によって生まれた大きな火炎がその冷気を防いだ。

 冷気と火炎がぶつかり合い、蒸発して行く熱した空気を潜り抜け、リーシャが斧を真っ直ぐに振り下ろす。大きく口を開いた頭蓋骨の鼻先に突き刺さった斧は口元を真っ二つに斬り裂いた。

 着地したリーシャを追い越すように走り抜けたカミュが雷神の怒りにも似た一撃を繰り出す。真横に薙ぎ払った剣は、片足の骨を真っ二つに斬り裂き、大きなスカルゴンの胴体を地面へと崩した。

 

「生まれ変わる時には、再び世界の守護者と成り得る竜種の誇りを……」

 

 崩れ落ちて来たスカルゴンの瞳の窪みの光は消え掛けている。その瞳の色を見たカミュが哀れみを持った視線を送り、雷神の剣を一気に振り下ろす。スカルゴンの眉間に入った剣は、稲妻を落としたかのよう音を響かせて竜種の頭蓋骨を砕いて行った。

 粉砕された骨はそのまま砂に還るように風に乗り、マイラの森の奥へと消えて行く。それは、この厳しい戦闘が終了した事を物語っていた。

 僅か数刻前よりも前衛二人の力量が上がっている事を示す物であり、彼等二人の大望にまた一歩近づいた事を示している。勇者一行の攻撃の要の強化が着々と進んでいたのであった。

 

「カミュ、マイラの村へ戻らず、このままルーラでラダトームへ向かった方が良いのではないか?」

 

「そうだな。ラダトームの宿屋で休もう」

 

 先程までの激戦の余韻はない。既にスカルゴンであった竜種の骨は全て風化し、風と共に大地へと還っている。魔神の斧を一振りして背中へと戻したリーシャが、同じように剣を背中へと戻したカミュへと問い掛けた。

 マイラの森からマイラの村へ戻る必要はない。オリハルコンと云う神代の金属を手にしていない以上、あの武器屋による必要もなく、あの村の宿屋に固執する理由もなかった。ならば、木々が開けた場所でルーラを使用して、そのままラダトームへ向かう事に何も支障はないのだ。

 そのままサラを担ぎ上げたリーシャが、メルエを抱き上げたカミュの腕を掴んだ事で、移動呪文の詠唱は完成する。先程の戦闘で薙ぎ倒された木々によってぽっかりと開けた空への道を上がって行った光は、南西への方角を定めて飛んで行った。

 

 生まれ故郷のある世界全体が恐れていた魔王バラモスを討ち果たす実力を有した者であっても、大魔王ゾーマが生きた世界の魔物達には届かない。世界最高種と呼ばれる竜種の上位種にさえも届かなかった。

 だが、彼等の想いは強い。世界を救うというような物ではなく、その手にある者を憂うその心は、『人』として最も強い想いなのかもしれない。その想いの先に、世界を脅威に陥れる大魔王ゾーマの討伐という大望が見えているのだろう。

 勇者一行の旅は、最終局面へと近付いていた。

 

 

 




読んで頂き、ありがとうございました。
二十章の開始です。
頑張って描いて参ります。

ご意見、ご感想を心よりお待ちしております。

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