新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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ラダトーム王都③

 

 

 

 ルーラによってラダトーム王都へ戻った一行は、そのまま宿屋の門を潜る。既にラダトーム国王に大魔王ゾーマの討伐を誓っている身であるのだから、ラダトーム王城の中で一室を借りる事は可能であろう。だが、それを望む者は一行の中に誰もおらず、サラとメルエの意識が戻っていないという状況もあって、そのまま宿屋で二部屋を借りる事となった。

 宿屋の一室にメルエとサラを寝かせ、カミュ達も仮眠を取る。ルビスの塔を離れ、メルエの容態に心を配り、更には死という物を目の当たりにした彼らもまた、想像以上の疲労を溜めていたのだろう。湯浴みをする事もなくベッドに入ると、そのまま意識を失うように眠りに就いた。

 そんなカミュ達二人が目を覚ましたのは、一日近くが経過した後となる。その頃でもまだサラとメルエの意識は戻らず、彼女達二人がかなり危険な状態まで陥っていた事を証明していた。

 

「私が買い物に行って来るから、お前は二人を見ていてやってくれ」

 

「わかった」

 

 二人はここ数日食べ物を口にしていない。それを考えたリーシャは、マイラの村で出来なかった温かな料理を作る事を決め、留守番を先程マイラの村から戻ったばかりのカミュに託す。マイラの村から直接ラダトームへ戻った為、目を覚ました後に再度ルーラを行使し、カミュはマイラの村の宿屋に置いて来ていた荷物を取って来ていたのだ。

 この場をそんなカミュに託すというリーシャの考えは間違いではない。メルエの心は既に救われている事は明白であり、再び一人で彷徨い歩く事はないだろう。それでもリーシャは、この二人を心から心配しており、目付け役としてカミュを残したのだった。

 メルエを蘇生させたとはいえ、彼女を明確な死へ向かわせた原因の一端はサラにある。それを誰よりも知っているのはサラであり、故にこそ責任を感じ続けていた彼女は、己の命を犠牲にして仲間を救おうと行動したのだろう。スカルゴンとの戦闘時にカミュが感じたサラの呪文行使の雰囲気を聞いたリーシャは、そう結論付けていた。

 その後、宿屋の厨房を借りて温かなスープを作ったリーシャは、市場で売っていた柔らかなパンを軽く焼いた物と一緒に部屋へと持って来る。その頃になってようやく、賢者が目を覚ますのであった。

 

「あっ……」

 

「起きたのか?」

 

 ぼんやりとする意識の先にカミュとリーシャがいる事に気づいたサラは、何処か気まずそうに表情を歪めて視線を逸らす。彼女にとって、今回のルビスの塔からの一連の出来事は自らの責任が大き過ぎると感じているのだろう。掛け布団を握る手が細かく震えている事からもそれが容易に想像出来た。

 そんな彼女の予想通りの表情に苦笑を漏らしたリーシャは、盆に載せたスープとパンを彼女へ渡し、その傍に椅子を動かして腰を下ろす。自分の傍にリーシャが座った事でびくりと身体を動かしたサラは、手渡された料理に口を付ける事もなく、ただじっとその盆を見つめていた。

 

「ゆっくり食べろよ。急に食べると、身体が驚いてしまうからな」

 

 優しい笑みを溢すリーシャをちらりと見たサラは、再び盆へ視線を落とし、そのまま黙り込んでしまう。スープを掬うスプーンを持つ事もなく、何かを恐れるように身動き一つしないサラに対し、リーシャは大きな溜息を吐き出した。

 そんな溜息にすら過剰に反応したサラを見たカミュは静かに瞳を閉じてドアにもたれ掛かるように立ち、カミュの姿を見たリーシャは意を決したようにサラへと口を開く。これは後回しにしてはいけない内容の話となるのだろう。それを理解したリーシャは視線を合わす事もないサラを真っ直ぐと見つめた。

 

「何か気になる事でもあるのか? メルエはサラの横でまだ眠ったままだ」

 

「!!」

 

 リーシャの口から飛び出した少女の名を聞いたサラは、先程以上に大きな反応を示し、大きく開かれた瞳をリーシャへと向ける。それがサラが最も心を痛め、現状で最も話題にしたくはない事であったのだ。

 怯えるように瞳を潤ませてリーシャを見るサラは、明らかに何かを恐れている。その恐怖の内容を知っていて尚、リーシャもカミュもその事には一言も触れはしない。それはサラが己の口で吐き出さなければならない事であるからだ。

 

「なぜ……何故、カミュ様もリーシャさんも私を責めないのですか!? メルエがあのような状況になったのは私が原因です! 私はメルエを殺してしまうところだったのですよ! 私は……私は!」

 

「そうだな……それは否定しない。サラがメルエを拒絶したからこそ、この状況になった。それは変えようのない事実だ」

 

 変わらず真っ直ぐに見つめて来るリーシャの視線に耐えられなくなったサラは、己の心を吐き出すように叫び始める。押し潰されそうになる程の罪悪感と、生涯消える事のない後悔。それから逃げ出したいという心が、彼女の声を大きくさせていた。

 だが、彼女の目の前に居る姉のような存在は、それを否定してくれるような甘い人間ではない。サラの言葉を全て肯定し、彼女の罪を明確にする。それはサラという賢者には己を断罪するような厳しい言葉であった。

 

「だが、サラはメルエを救ってくれた。あのままでは私もカミュも喪失感で大魔王ゾーマへの戦いどころの話ではなかっただろう。今はサラへ感謝の気持ちしかない」

 

「で、でも……」

 

 リーシャの言葉の中身は理解出来る。しかし、己を許す事の出来ないサラにとっては、それは慰め以外の何物でもなく、即座に受け入れる事の出来ない物であった。言い淀むサラを優しく見ていたリーシャではあるが、突如厳しく眉を顰め、真っ直ぐに彼女の瞳を射抜く。その視線を受けたサラは恐怖よりも安堵に近い表情を浮かべた。

 だが、やはり、この母のような、姉のような女性戦士は、そんな妹の逃げを許すような人間ではない。

 

「メルエの事は今は良い。サラがあの場面で自分の力の全てを使って救ってくれた。それだけで今は十分だ。だがな……カミュから聞いたが、あの竜の骨との戦闘で、サラは自己犠牲の呪文を行使しようとしたのか?」

 

「え?」

 

 突然矛先が変わってしまった事に驚いたサラは思考が追いつかない。呆けた表情に変わった彼女であったが、リーシャの真剣な表情と更に鬼気迫る程の怒気を感じ、言葉を失ってしまった。

 スカルゴンとの戦闘でサラが行使しようとした呪文の詳細をカミュもリーシャも理解出来ていない。ただ、既に意識を戻していたカミュが己に回復呪文を行使する中で聞いた文言を聞く限り、サラが行使しようとしていた物が、彼女の命を代償に発現する物である事が容易に想像出来た。戦闘が終了し、ラダトームに辿り着いた後、サラが一向に起きない事を心配したリーシャに向かって、カミュはその経緯を話している。それは、リーシャにとって最も許す事の出来ない行為であったのだ。

 

「自己犠牲は美しいか、サラ? 自分の胸に湧き上がる罪悪感と、この先も苦しめられるであろう後悔から逃げる手段に私達を使うな! その命の犠牲で助かった私達は、サラ以上の罪悪感と後悔で苛まれる事になるんだ! この世に残る人間の心も考えてくれ……サラを想う人間はたくさんいるんだぞ……私も、カミュも苦しむ。そして、誰よりもメルエが苦しむんだ」

 

「リ、リーシャさん……」

 

 怒りを通り越し、悲しみに押し潰されそうになった女性戦士の瞳から涙が零れ落ちる。最近涙腺が弱くなった彼女は、唇を噛み締めながら視線を落とした。

 この一行全員は、大なり小なり自己犠牲によって生かされている。特にサラやメルエは両親の愛で生かされていた。それもまた両親の自己犠牲による物であるが、サラもメルエも幼かった事もあって、その犠牲に感謝する事はあっても後悔はしていない。

 だが、リーシャだけは、自身の身を犠牲にして他者を生かした父親を誇りに想うのと同時に、それによる後悔を強く持っていたのだ。残された者は、その罪悪感と後悔を背負って生きていかなければならない。それをこの四人の中で最も感じて生きて来たのは彼女に他ならなかった。

 

「いいか、サラ。自分の命を掛けてでも護りたいと思う事の出来る相手がいるのは幸せな事だ。だが、サラがそう想う相手であれば、その相手も同じ事を想うだろう。サラを護る為に私が死んでいたら、どう想う? 私の命の上に成り立つサラの命は、簡単に捨てる事の出来ない物だ。周囲の目に苦しもうと、大きな期待の重圧に苦しもうと、投げ出す事は出来ない。死んで行く者は、良い事をしたと思うかもしれないが、残された者には苦しい道が続く。本当に私達を思ってくれるのであれば、共に生き残る道を決して諦めないでくれ」

 

 サラは言葉を発する事が出来なかった。それ程にリーシャの想いは強く、サラの心の奥底に突き刺さって行く。自分が成そうとしていた事は、決して綺麗事だけでは済まされない物であり、それによって全員を苦しめてしまう可能性さえもあった事を痛感したのだ。

 故に言葉が出て来ない。サラなりの言い分は幾らでもある。それこそ、あの戦いがそのまま続いてしまっていれば、カミュやリーシャを失う可能性もあり、そうなれば力の無いサラやメルエは即座に命を落としただろう。そうならない為にも自分の命を犠牲にしようとしたという言い分は正当性を欠く物ではない。

 だが、その前にリーシャに告げられた言葉は、サラの心の奥底にある想いを的確に捉えていたのだ。メルエに対しての罪悪感、自身に対しての強烈な後悔。それは否定出来ない程の物であり、そこから逃げ出したいと考えていた事も今考えてみれば事実であった。

 

「……メガンテという呪文です」

 

「ん?」

 

 的確に突かれてしまえば、それを認めるしかない。そして、それを認めてしまえば、自分が悩み、苦しんで来た理由が明らかになる。全てが明らかになれば、恐れていた事が嘘のように、サラの胸にしっかりと落ちて来た。

 自分があの時考えていた事は、バラモス城でリーシャに頬を張られたカミュのように気高い物ではない。自身の命を投げ出すという部分だけは同じであっても、その胸の内にある想いが異なっていた。

 アリアハンを出たばかりの頃のカミュであれば、想いは同じであったかもしれない。自分の命を軽く見て、生きる希望も気力もそれ程はなく、いつその命を手放しても良いとさえ考えていただろう。だが、今の彼の瞳には、そのような諦めや絶望の光は欠片もない。それは明確な違いであった。

 

「己の命と引き換えに、脅かす敵を全て葬り去ると伝わる、『悟りの書』に記載されていた呪文です。その効力の信憑性が何処までかは解りませんが、行使した者の身体は粉々に砕け散り、二度と……!!」

 

 メガンテと呼ばれる僧侶の流れを汲む者の最終奥義に近い呪文の詳細を話し始めたサラであったが、その言葉を最後まで口にする事は出来なかった。

 部屋全てに響き渡るような強烈な音と、目の前が一気に闇に閉ざされるような衝撃がサラを襲う。一瞬、何が起こったのかさえ解らぬ衝撃を左の頬から頭部に受け、彼女はベッドから吹き飛ばされたのだ。

 壮絶な音を立ててベッドから吹き飛ばされたサラは、木で出来た床に落ちる。意識が飛んでしまったのではないかと思う程に脳が揺れ、吐き気が襲い掛かる程に目が回っていた。ゆっくりと意識が戻って行くのを感じると、即座に顔の左半分に壮絶な痛みが襲い掛かる。

 足元が覚束ない状態でベッドの淵に手を掛けて立ち上がろうとするサラは、自分の左側の視界が徐々に失われて行くのを感じた。それは、先程受けた衝撃の影響で左の頬が左目を覆うように腫れ上がって行っているからである。真っ赤に腫れ上がる頬と瞼が視界を完全に覆ってしまった頃、ようやくサラはベッドに掴まりながらも立ち上がる事に成功した。

 

「おい、やり過ぎだ」

 

「うるさい! カミュは黙っていろ!」

 

 意識も朦朧とするサラを見ていたカミュが、その状況に落とした張本人を抑えるように近付くが、怒り心頭の女性戦士の想いは治まらない。振り解くようにカミュの腕を払った後、サラの目の前まで近付き、仁王のように上から彼女を睨み付けた。

 片目分の視界しかなく、その瞳ですらぼんやりとしか周囲を認識出来ないサラは、近付いて来る鬼のような女性戦士を焦点の合わない瞳で見上げるしか出来ない。それでも、徐々にはっきりとして行く意識の中で、自分の発した言葉に彼女が激怒している事を理解して行くと顔右半分を青くして行った。

 

「粉々に砕け散るだと!? その後はどうするつもりだった!? 答えろサラ! サラの肉片を見ながら、私達はどうすれば良いんだ!?」

 

「あ……あ……」

 

 鬼気迫るリーシャの表情と言動が、揺れる脳に痛い程に響く。先程までは自分が行った自虐行為を頭では理解していただけであった事が解った。リーシャの怒りの表情と、それにも拘らず瞳から流れ落ちる涙が、サラの心に太い杭となって突き刺さって行く。

 あの呪文が成立してしまった時、自分は既にこの世にはおらず、粉々に砕け散った肉片と化していただろう。血肉を撒き散らし、真っ赤に染め上がった大地で、生き残った者達はその光景を見つめる事しか出来ない。行使者の想いも願いも、夢も希望も伝わらず、深い後悔と大きな喪失感に苛まれながら、呆然と立ち尽くすしかないのだ。

 その光景を想像した時、サラは自分がその場にいる事の出来ないという当然の事をようやく理解する事が出来た。それは、もう二度と、目の前で涙を流す女性戦士を見る事も出来ず、その声も聞く事が出来ないという事であり、自分が夢見る世界を体感する事も出来ないという事である。

 

「…………サラ…………」

 

 そして、あれ程に生還を願った少女と二度と会えないという事を示しているのだ。

 小さく震える声で姉のように慕う女性賢者の名を呼ぶ少女の瞳は何処か怯えを含んだように潤んでいる。その瞳を残る右目で確認したサラは、無意識に大粒の涙を溢した。

 この少女に自分が大好きである事を伝えなければならない。それを伝える為に自分が生き残った事を思い出し、それを伝える前に再び死に急いだ己を激しく悔やんだ。怯えるように上目遣いで自分を見る少女に笑いかけようと口元を動かすが、腫れ上がっている頬では上手く笑顔が作れない。それでも涙は溢れ、腫れて見えない左目からも洪水のように零れて行った。

 

「メ、メルエ……ご、ごべんなさい」

 

 腫れが酷くなった頬では上手く言葉が紡げない。いや、それよりも大泣きしている状態では言葉も発する事は出来ないだろう。それでも彼女の声は幼い少女に届いて行く。先程まで俯くようにサラを窺っていた少女は、両目を涙で一杯にしながらサラの腰へとしがみ付いた。

 絶対に離れないという意思表示のように、きつく腕を回したメルエは、顔をサラの腹部に押し当てたまますすり泣くように嗚咽を漏らす。そんな少女の姿が、サラの心に強い後悔と、それ以上の感謝が押し寄せた。

 この幸せを自ら手放そうとした己への後悔と、それを防いでくれた仲間への感謝、そして一度は手放しかけた命を再び戻してくれた精霊ルビスへの感謝である。真っ赤に腫れ上がった頬の痛みも忘れる程の喜びに打ち震え、崩れるようにメルエを抱き締め、そして、自分の胸の中にあった堰を自ら切るように大きな声で泣き声を上げた。

 

「あの腫れが引くまでは外に出る事も出来ないぞ」

 

「うっ……ホイミで腫れは引かないのか?」

 

 サラとメルエの感動的な再会に涙を浮かべていたリーシャであったが、近付いて来たカミュの厳しい指摘に言葉に詰まる。確かに、先程は感情が高ぶっていた為に強く平手を振り抜いてしまったが、彼女の力は人類最高峰にある物であり、不意を突けば人類の勇者の意識さえも刈り取る事の出来る者であるのだ。

 その力を一点集中で顔面に受ければ、通常の人間であれば顔面の骨が砕けていても可笑しくはない。それでも意識を手放す事なく、大きな怪我もなかった事が、サラという人間が大魔王さえも倒し得る勇者一行の一人である事を物語っていた。

 しかし、見る見る腫れ上がった彼女の頬は、その尋常ではない被害を明確にしており、既に左半分は右半分の倍ほどの大きさになっている。今はメルエとの再会の感動と、己の中にある全てを吐き出す興奮によって痛覚も麻痺しているのであろうが、それが醒めると、凄まじい痛みと高熱にうなされるであろう事は容易に想像出来た。

 

「ようやく死地から戻って来た者を再び死地へ追い落とすな」

 

「……すまない」

 

 大声で泣き続ける二人を余所に、厳しい言葉を受けたリーシャが肩を落とす。先程までの怒気を消し去り、意気消沈してしまったリーシャに軽い溜息を吐き出したカミュは、メルエを抱き締めたまま泣き続けるサラの顔に手を翳し、最上位の回復呪文を詠唱した。

 徐々に顔面の腫れが引いて行き、再び美しい姿に戻って行く。頬骨や頭蓋骨に損傷はなかったのだろう。元通りに戻った事に安堵の息を吐き出したリーシャであったが、そんな自分の状態に気付かないかのように、サラは泣き続けていた。

 

「メルエの為に料理を作ったのだろう? 持って来たらどうだ?」

 

「あ、ああ。そうだな、そうだったな」

 

 未だにメルエが目を覚ましていなかった為、リーシャは彼女の分の食事を持って来ていない。スープは温かい方が良く、柔らかなパンも温かな方が良いに決まっている。リーシャを気遣うようなカミュの提案に一も二もなく頷き、そのまま台所の方へと消えて行った。

 慌しく階段を駆け下りる音が部屋に聞こえて来る頃になって、ようやくサラの腰からメルエが顔を上げる。その瞳は涙で濡れてはいるが、不安に満ちており、頼りなく揺れ動いていた。そんな少女をようやく戻った視界で捉えたサラは、その不安を受け止める役目を全うしようと身構える。暫し見つめ合った後、静かにメルエが口を開いた。

 

「…………サラ………メルエ……きらい…………?」

 

「大好きです! 嫌いになる事など、絶対にありません! 今ならば……今ならば自信を持って言います。私は、ずっとメルエが大好きですよ!」

 

 メルエの遺体に向かって何度も叫んでいたサラの声はメルエには聞こえていない。あれ程に切実に訴えていた言葉も、あれ程に悲壮感を漂わせていた雰囲気も、魂を手放していたメルエには届いていないのだ。

 故にこそ、目が覚めた時に傍にいたサラを見たメルエは、大きな嬉しさを感じると共に、とても大きな恐怖も感じていたのだろう。先程まで泣きながら自分を抱き締めてくれるサラの温かさを感じていても、その恐怖が消え去る事はなかった。そんな恐怖を胸に残しながらも、少女は自分の口から真実を確かめずにはいられなかったのだ。

 例え、ここで姉のように慕う女性に拒絶されたとしても、それこそ自分を見る瞳に恐怖と怯えが見えてしまったとしても、それを受け入れざるを得ない事をメルエは理解しているのだろう。

 しかし、そんな少女の恐れは杞憂となる。満面の笑みを浮かべ、それでいて大粒の涙を流しながら高らかに宣言された言葉は、少女が持つ知識の中で最上位に位置する好意を示す言葉。心の奥底から湧き上がるように溢れ出す喜びが、少女の顔に笑みを浮かべさせた。

 

「…………メルエも……ずっと……サラ……すき…………」

 

「……ありがとう。ありがとう……メルエ」

 

 再び自分の肩に顔を埋めてしまったメルエの言葉に、サラは感極まる。再び始まった大きな鳴き声に、カミュは大きな溜息を吐き出しながらも小さな微笑みを浮かべた。

 悲しみではなく、喜びの涙が溢れる部屋を優しい空気が満たして行く。そんな部屋に温かな食べ物の香りが漂い始め、その香りに誘われるように抱き合う二人から可愛らしい音が響いた。

 数日間何も食していないのだから、良い香りに生物として反応してしまうのは仕方のない事ではあるのだが、それが先程までとは異なり、安堵によって緩んでしまった結果である事にサラは顔を赤らめる。そんなサラに対し、小さな笑みを浮かべたメルエの頬には、くっきりと涙の後が残っているが、その笑みはぎこちない物ではなく、心から浮かべた笑みである事は誰の目にも明らかであった。

 

「サラの分も温め直して来たぞ。二人とも、こっちへ来てゆっくり食べろ」

 

 両手にお盆を持って登場したリーシャは、最愛の妹のような二人の顔に浮かぶ笑みが先程までの物とは明らかに異なる物になっている事に気付き、満面の笑みを浮かべる。サラの顔から視線を動かしたメルエが盆に載る料理に釘浸けになった事で苦笑に変えたリーシャは、幼い少女を呼び寄せ、ベッドの横にある椅子に座らせた。

 テーブルの上に乗ったスープからは温かな湯気が立ち昇り、横に添えられた柔らかそうなパンからも良い香りが漂って来る。待ち切れないようにスプーンを手に取ったメルエがスープを掬うよりも先にパンへと齧り付いたのを見たサラも、その横へと腰を下ろした。

 

「慌てるなよ。急に食べ物を入れたら、メルエのお腹もびっくりしてしまうからな」

 

「…………ん…………」

 

 リーシャの言葉に頷いてはいるが、この幼い少女は全く理解していないだろう。何故なら口一杯に詰め込んだ食べ物を飲み込みながら頷いているのだから。

 それでも嬉しそうに微笑みながら食す少女と、そんな少女の口元を拭いながらスープを口へ運ぶサラは本当の姉妹のように見えるだろう。彼女達の間に生じた亀裂は、互いを想う優しさと強さによって隙間なく埋められ、これまで以上にその絆を強めている。この先、如何なる事があろうと、この二人の絆が揺らぐ事はなく、誰であろうと、この絆を崩す事は出来ない筈である。

 勇者一行の一つが、完全に結びついたのであった。

 

「カミュ、ドムドーラという町への行き方は解っているのか?」

 

「地図上では解るが、実際歩く事が出来る場所なのかは解らない」

 

 カミュの持っている地図は細かな部分が記されている訳ではない。大体の方角と、その地形が記されている程度である。この程度の地図で旅を続けて来たという事実が奇跡に近い物ではあるのだが、それもまたカミュという青年が勇者であるが故なのかもしれない。

 ラダトームの南西にその町の名は記されてはいるが、その場所へ向かう道が詳しく記載されている訳ではない。つまり、行ってみなければ判断する事も出来ないのだ。

 

「私達の旅は常にそうであったからな。まぁ、サラもメルエもいるし、大丈夫だろう」

 

「……そうだな」

 

 リーシャの楽観的過ぎる言葉にカミュも肯定の意を示す。それに彼女は少し驚きながらも、満面の笑みを浮かべた。

 スカルゴンという強敵数体をカミュとリーシャの二人で倒したとはいえ、この先の旅を二人だけで歩める訳はない。後方支援組の二人がいなければ、大魔王ゾーマの打倒はおろか、そこへ辿り着く前に朽ち果ててしまうだろう。

 嬉しそうにスープとパンを頬張る少女と、その横で涙を流しながら微笑む女性賢者の復活が、この勇者一行の完全復活と更なる向上を示していた。

 

「よし、今日はゆっくり休んで、明日早くに出立しよう」

 

 リーシャの言葉を聞いたサラとメルエが頷きを返し、二人は食事を取った後に再び眠りに就く。切り離された魂を呼び戻し、息を吹き返したという経緯を持つ二人にとって、今はゆっくりと休む事で離れていた魂と身体をしっかりと繋げる必要があるのだろう。

 翌日まで一度も目覚める事もなく眠り続ける二人を見ていたリーシャが再度心配になり、カミュの部屋に入り込んで来るという事件もあったのだが、それはまた別の話である。

 

 翌日、旅の準備を終えた一行は、ラダトーム王城へ向かう事なく、そのまま王都を出た。

 既に買い揃えるような武器や防具はなく、細々とした物を補充するだけで十分であった彼らは、そのまま南西に向かって歩を進める。闇が支配するアレフガルド大陸の中で、人の営みを示すように灯る王都の明かりを背にして進む彼等の表情は数日前のような悲壮感漂う物ではなく、何処か晴れ晴れとした物であった。

 もし、ルビスの塔の守護をドラゴンという上位の竜種に任せ、そして竜種の因子を持つ賢者の血筋の少女の抹殺を命じたのが大魔王ゾーマだとすれば、自分に仇名す者の力を強めてしまう結果となる。勇者という青年を中心に成り立つ四人の絆は、旅を始めて五年の月日の中で最も強固になっているだろう。そして、今後はその絆が更に強まる事はあっても、それが壊れる事は決してないのかもしれない。

 それは、この闇に覆われたアレフガルドの朝が着実に近付いている事を示していた。

 

 

 

 




読んで頂き、ありがとうございます。
短いですが、更新致します。
次話からようやく物語がまた動き始めます。

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