新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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ドムドーラの町②

 

 

 

 暗闇が支配する朝、目が覚めたリーシャは自分の胸の近くで静かに眠るメルエの髪を優しく梳く。窓の外を見ると、徐々に明かりが灯って来ており、ドムドーラの町の生活が始まった事を示していた。

 リーシャの隣のベッドでは未だにサラは眠りの中におり、この一行の身体に見えない疲労が蓄積していた事が解る。このままいつまでも眠らせてやりたいと思いながらも、リーシャは静かにベッドを降りて着替え始めた。

 階下に下りると、既にカウンターには主人が控えており、その主人に洗濯用の桶と石鹸を借り受け、宿屋の裏にある井戸まで出て行く。宿屋専用の井戸である事から人は皆無に等しく、桶を置いたリーシャは井戸に取り付けられている滑車を中へと落とした。しかし、幾ら落としても水面に桶が届いた感触はなく、滑車に取り付いている縄が限界を迎えるのではないかと不安になる頃になってようやく滑車が止まる。水を含んだ桶の重みを感じながらリーシャが滑車を上げていると、宿屋の扉から少女が出て来た。

 

「ん? メルエ、起きたのか?」

 

「…………リーシャ………いなかった…………」

 

 水桶が上部まで上ってきた事で、それを洗濯用の桶へ移し変えたリーシャは、近付いて来る少女の頬が膨れている事に気付いて苦笑を浮かべる。そして、自分の予想通りの返事をする少女に、柔らかな笑みへと変えて行った。

 リーシャが起床し、温もりが変わった事で目を覚ましたメルエは、傍に母のような存在がいない事で不安になったのだろう。マイラの村を経て、絶対の信頼で結ばれた一行ではあったが、幼い少女の依存心を大きくしてしまうという弊害も持っていたのかもしれない。

 

「洗濯をしようと思ってな。メルエ、カミュの服を持って来てくれるか? 鍵は持っているだろう?」

 

「…………かぎ………いらない…………」

 

 傍に寄って来た少女の顔の汚れを井戸の水で拭いながら、リーシャはメルエに仕事を割り振る。それはこの少女に与えられたいつもの仕事ではあるのだが、大きく頷いたメルエの言葉に、持って来ていた三人分の衣服を桶に入れていたリーシャは驚きの表情を浮かべた。

 最後のカギという、全ての鍵を開錠出来る道具はメルエがいつも肩から下げているポシェットの中に入っている。その道具があれば、世界中にあるどんな場所にも入る事が可能であり、その開錠に許可を必要とはしない。その為、洗濯時には必ずその鍵を使ってカミュの部屋に乱入するのが宿屋での朝の恒例となっていた。

 毎回の襲撃を理解しているにも拘らず、必ず鍵を掛けるカミュも大概なのだが、毎回鍵を強引に開錠するリーシャやメルエも相当な物であろう。だが、そんな恒例行事の為に最後のカギは必要ないとメルエは口にしたのだ。リーシャは遂にカミュも諦めて施錠する事がなくなったのかと考えた。

 だが、その考えはメルエと共にカミュの部屋の前に到着した時に間違っていた事に気づく事となる。

 

「メルエ、鍵が掛かっているぞ? 最後のカギを出してくれ」

 

「…………いらない…………」

 

 ドアノブに手を掛けて施錠を確認したリーシャはメルエへ催促するが、それに大きく首を振ったメルエは、リーシャとドアの間に入り込む。突然の行動に驚いたリーシャではあったが、メルエが何をするのか解らずに一歩後ろへ下がった。

 雰囲気で何となくメルエが何かをするつもりなのだという事は理解出来てはいたが、魔法力を感じる才の無いリーシャは、それが呪文行使という方法である事に気付かない。だが、メルエが何やら口元を動かしているのを見付け、彼女は焦り出した。

 

「ちょ、ちょっと待て、メルエ! まさか爆発呪文でドアを吹き飛ばすつもりなのか!?」

 

 リーシャの中でメルエの放つ呪文は強力だという印象が強い。リーシャ達でさえ苦労する魔物を一瞬で薙ぎ払う程に強力な呪文を多く持つこの幼い少女が、ドアに向かってそれを解き放てば、それは開錠する必要などないだろうが、ドアどころかこの建物自体が吹き飛んでしまうだろう。それを想像したリーシャは慌てて少女を抑えるが、振り向いたメルエの顔を見て、それが勘違いであった事が解った。

 振り向いたメルエの頬は目一杯に膨れており、先程のリーシャの発言が大いに不服である事を示している。賢者サラによって魔法力の制御を理解した自分が、このようなドアに向かって爆発呪文を唱えると思われていた事が不満なのだろう。『むぅ』と唸り声を上げた後、『ぷいっ』と顔を背けて、再びドアへと視線を戻した。

 

「…………アバカム…………」

 

 指をドアノブへ突き出したメルエが呟くような詠唱を完成させる。ドアノブ周辺が輝く光に包まれた後、乾いた金属音を響かせて開錠が成された。

 呆けたような表情をしていたリーシャではあったが、満足そうな笑みを浮かべて振り返ったメルエを見て、諦めの溜息を吐き出す。最後のカギという道具があるにも拘わらず、このような呪文は必要ではないだろう。それでも、新たな呪文を覚え、そしてそれを使いこなす姿を見せたいという欲求に動かされた少女に呆れていたのだ。

 このメルエの行動は、カミュから言わせれば魔法力の無駄遣い以外の何物でもないだろう。それでも、この魔法という神秘に誇りを持っている少女からすれば、何よりも大事にしている行動の一つなのであった。

 

<アバカム>

世界中のどんな鍵をも開錠出来る呪文である。だが、呪文とは名ばかりの物で、本来は所有者の魔法力の制御により開錠をするという物であった。その為、体内の魔法力を放出するのではなく、体内にある魔法力を制御して鍵を外すという物に近い。

多くの魔法力を持つ魔法使いのみが契約可能な呪文であるが、『悟りの書』に記されている通り、術者の魔法力制御が秀逸でなければ成り立たない。あらゆる呪文の中でも特殊な物の一つであり、修得が困難な呪文の一つでもあった。

 

「今後は、最後のカギを使おうな。何も無理してメルエが魔法を唱える必要もないだろう?」

 

「…………むぅ…………」

 

 手放しで褒めてくれるだろうと考えていたメルエは、自分の予想とは真逆の反応を示すリーシャに対して不満そうに頬を膨らませる。確かに鍵があれば用が足りる呪文ではあるが、攻撃呪文などとは異なり、体内から魔法力を放出する訳ではない以上、消費量は皆無に等しいのだ。魔法力を感知出来ないリーシャにそれを理解しろというのは無理な話ではあるが、それでも褒めて欲しかったメルエにとっては不満な反応であったのだろう。

 ドアノブに手を掛けてカミュの部屋に入るリーシャの後ろを歩くメルエの不満の捌け口は、未だにベッドで眠る青年へ向かう事となる。気配に敏感な彼が、部屋への侵入を許して尚も眠り続けるという事は、リーシャやメルエの気配は警戒する必要のない物と認識されているのかもしれない。

 

「…………カミュ………おきる…………」

 

 ベッドの脇にある小さな椅子によじ登ったメルエは、カミュの身体を大きく揺さぶると共に、その上に乗るようにベッドへと乗り込む。圧迫感と振動で目を覚ましたカミュは、目の前にあるメルエの顔を見て何処か諦めたような瞳を向けた。

 メルエをベッドから落とさないように起き上がったカミュは、同じように呆れた表情を浮かべているリーシャを見て溜息を吐き出し、着替えていた衣服を指差す。頷きを返したリーシャは、ベッドからメルエを降ろし、カミュの衣服をその小さな両手の上に乗せた。

 誰からも褒めて貰えない状況に対して不服そうに頬を膨らませたメルエであったが、大事な仕事として任されたカミュの衣服の洗濯を遂行する為に、そのまま部屋の出口へと向かって行く。カミュの衣服を持っている事で前が見えていないメルエを気遣って一緒に部屋を出ようとするリーシャは、思い出したようにカミュへと振り返って口を開いた。

 

「メルエが開錠の呪文まで覚えたぞ」

 

「……最早、メルエは何でも出来るな」

 

 自分の言葉を聞いて大きな溜息を吐き出したカミュの表情を見て、ようやくリーシャにも笑みが戻る。

 アリアハンという島国を出発して既に五年半の月日が流れている。このアレフガルドへ降り立ってからも半年が経過しようとしていた。魔王バラモスを討ち果たした後も、成長を続けるサラやメルエを見ていると安心感や頼もしさに加え、不安も少しずつ大きくなって行く。それは強力になって行くその力が、その後の生活に支障が出て来るという可能性を考えてしまうからだろう。

 だが、何処か呆れるような表情を浮かべるカミュを見て、そんな心配は自分の杞憂である事を改めて認識したのだ。どれ程に強力な呪文を使用するようになろうとも、カミュがメルエを娘のように考えている限り、彼女に居場所がなくなる事はない。そしてリーシャ自身もその居場所を護る為に動くのであれば、問題など皆無であった。

 

 

 

 その後、起きて来たサラも洗濯に加わり、洗い終わったものを外に干す事になる。だが、日光が出ないアレフガルドでは風などで自然に乾くのを待つ為に、かなりの時間を要する事となった。

 一日の大半を洗濯物の乾燥に費やした一行は、ゆっくりと身体を休め、疲れを残す事なく宿屋を出立する事が出来た。宿屋を出た一行は伝説の剣の素材の情報を集め始める。一日も終わりに近付いた町には人が溢れており、情報は多く集まって行った。

 

「また、新たな井戸を掘らなければならないな……」

 

 町の東側にある井戸へ桶を下ろしていた男性は、引き上げた桶の中に入っている水の量を見ながら溜息を漏らしていた。元々オアシスがある場所に作った町ではない。それ故に、昔掘った井戸から湧き出る水を細々と使っているのだろう。もしかすると、先程までリーシャ達が行っていた洗濯も気を遣わなければならなかったのかもしれない。

 このドムドーラのある場所は全てが砂で覆われたわけではなく、しっかりした大地の土台の上に作られていた。まだ砂丘化が進んでいないだけではあるが、地下には未だに地下水が溜まっている地点も残されている。その為、一つ枯れては場所を変えて掘ってはいるが、その枯れるまでの時間は徐々に短くなっているのだろう。それはこの大きな町の寿命のようにさえ感じられてた。

 

「この町から東へ向かうと、メルキドという町がある。高い壁に囲まれた防衛度の高い町だからすぐに解ると思う。つい先日、吟遊詩人のガライもメルキドへ向かったばかりだ」

 

 この周辺の事を尋ねようと町へ入る門の門兵に声を掛けると、新たな町の名が出て来る。聞き覚えの無い町の名前ではあるが、このアレフガルド大陸では有名な町なのだろう。

 魔物が横行するようになってから、数多くの都市は防衛の為に柵や壁を作って襲撃に備えるようになった。だが、それでも急拵えの物が多く、強力な魔物の襲来を防ぐ事の出来る物など皆無に等しい。そのような中、高い壁に囲まれた町となれば、各国の王城がある城下町のような、他国からの防衛をも考慮した城壁に近い物という事であろう。

 吟遊詩人ガライという名前も初耳ではあるが、ここまで門番が自信を持って口にしているのだから、この人物もアレフガルド大陸で有名であると考えられる。重要な案件は一つもないが、頭の片隅に入れておく必要はあるのかもしれない。

 門兵に丁寧にお礼を述べた後、再びドムドーラの町を歩き始めた。

 

「私は伝説の剣の素材となるオリハルコンを求めてこの場所を訪れた。この町にあるという話を聞いたのでな」

 

 町を当てもなく歩いていると、強固な鎧を身に纏った一人の戦士がカミュ達へ声を掛けて来る。彼等が探している物を彼も探しているようであり、その金属が何の為に存在しているのかも知っているようであった。

 古の勇者が手にしていた剣は、このアレフガルドでは御伽噺ではなく、生きた伝説として語り継がれているのであろう。故にこそ、その剣を手にしたいという者は後を絶たず、オリハルコンという神代の金属の噂が流れると、それを求めた者達が訪れるという歴史を辿っていた。

 カミュ達の前で鋭い視線を向けて来る戦士も立派な鎧を纏い、腰に大きな剣を下げているのを見る限り、それなりの力量はあるのだろう。だが、それでもその力量はカミュ達の足元にも及ばない。彼はルビスの塔で遭遇したドラゴンはおろか、マイラの森で遭遇したスカルゴンにさえ歯が立たない事は明白であった。

 大魔王ゾーマ討伐を目指すカミュ達と比べる事自体、この男性の戦士には気の毒な事ではあるのだが、古の勇者が手にしていた世界最強の剣を欲するのであれば、明らかな力量不足である事は事実である。彼の纏う雰囲気を見る限り、カミュ達がカザーブの村で購入した鋼鉄の剣が関の山であろう。それ以上の剣を求める事は、分不相応と言っても過言ではなかった。

 

「やはり、この場所にあるのだろうか……」

 

「さぁな。可能性としては高いが、元来このような話は真実である可能性の方が低いからな」

 

 肩を怒らせながら去って行く男性戦士の背中を見つめながら呟いたリーシャの言葉にカミュは首を振る。そんな様子を不思議そうに見つめていたメルエが、手を繋ぐサラを見上げて首を傾げた。

 ここまで周囲に知れ渡っている噂にも拘わらず、それが未だに発見されていないという事は、ここにそれが無いという証拠にもなってしまう。あの戦士の感情を見る限り、この町を訪れている人間は彼だけではないのだろう。彼はカミュ達の姿を見て牽制の意味も含めて声を掛けてきたのかもしれない。カミュ達がその話に食いついてくれば、同じ物を目指す敵となり、逆であれば良い情報源になるとでも考えたのだ。

 

「そうですね……。ですが、魔法のカギのときの事もありますし、もしかすると何か特別な仕掛けがある場所に安置されているのかもしれません」

 

「破壊された伝説の剣の素材を安置する特別な場所などあるのか? それこそ、噂が立ちそうなものだが……」

 

 確かにサラの言葉通り、イシス国にあると伝えられていた魔法のカギは、何百年という歴史の中でもその場所に安置され続けていた。カミュ達がその安置場所であるピラミッドを探索する前にも、数多くの人間がピラミッドの中に入っていて尚、その神代の鍵はそこに在り続けていたのだ。

 カミュの父であり、全世界の英雄とされていたオルテガでさえも、その鍵を手にする事はなく、旅を続けている。彼の場合は、そもそもピラミッドに立ち入る事が不可能であった為という事もあるだろうが、それもまた必然を起こす勇者と、起きた必然の中で名を残す英雄との違いなのかもしれない。

 魔法のカギ自体はピラミッドの中に在り続けたが、それは巧妙な仕掛けによって護られており、その仕掛けを解く鍵は、イシス王宮で生きる一部の人間にしか伝わってはいなかった。そのような物があれば、このドムドーラという一つの町の中でもオリハルコンを見つけられない理由としては成り立つだろう。

 

「そうですね。例えば、枯れた井戸の中とか……」

 

「井戸の中!? こんな闇のアレフガルドで、真っ暗な井戸の中から人が出て来たら大変な騒ぎになるぞ? それこそ、サラの苦手な類だろう?」

 

 枯れた井戸は通常使用する目的も無くなり放置となる。中に水が入っていても放置された井戸などであれば雑草などが多く生え、湿気を好む生物の住処となるのだが、完全に枯れてしまった井戸であれば話は別である。入り込む砂が埋め尽くす井戸の底は、闇で覆われたアレフガルド大陸の中でも最上位の暗さを誇るだろう。そのような場所にオリハルコンという希少金属を運び込み、隠す為の仕掛けなどを施した人間がいるとすれば、かなりの奇人である。

 遥か昔にそれを行った人間がいるのであれば、陽の光が届く頃に行っているのだろうから、目撃者は多数いるだろう。もし、人目を避けるように行ったとすれば、それもまた、霊魂の類として噂が出る筈である。

 第一にオリハルコンという素材で造られた神代の剣が祀られているのであれば、そのような仕掛けがあっても可笑しくはないが、砕かれて素材だけとなった金属がそのように仰々しく隠されているかとなれば、答えは否であろう。

 

「…………あわあわ…………」

 

「メ、メルエ!?」

 

 リーシャの言葉を聞いたサラが嫌そうに顔を顰めると、それを見ていた少女は笑みを浮かべながらあの言葉を口にする。最早、サラにとってはしつこさに嫌気が差す言葉であり、カミュやリーシャからすれば呆れる程に繰り返されて来た言葉だ。実に四年から五年もの間、この少女はサラに向かってこの言葉を口にしているのだから当然であろう。既にリーシャもメルエを諭す気にも叱る気にもなれない。そんな言葉であった。

 サラにしても、相手をしなければ良いのだが、元来の律儀さなのか、しっかりとこの少女の相手をしてしまう。それがメルエにとっては何よりも楽しいのだろう。彼女にとって、このような交わりもまた、大好きな者達との大切な交流なのだから。

 

「井戸の中に下りる必要もないだろう。もう少し町の様子を見てみる」

 

「本当に井戸の中にあったら驚きだがな」

 

「井戸が枯れる現象も、オリハルコンの影響という可能性が……いえ、それはないですね」

 

 サラとメルエのやり取りを横目に周囲を確認していたカミュが方針を決定し、リーシャが同意する。そんな二人のやり取りに、僅かに残る可能性を口にしたサラは、吹き抜ける風の中に混じった砂を感じて首を横へ振った。

 この町の状況を見れば、砂漠化が進んでいる元凶がオリハルコンという神代の金属である可能性は低いだろう。想像以上の力を有している金属なのかもしれないが、それでも大地を枯らすという影響を及ぼすとは思えない。大地の女神が愛する場所を枯らす物を神が生み出す訳がないからである。

 一行は井戸の近くを抜けて町を歩いて行くと、町の外れに残る草原のような場所が見えて来た。砂漠が進むドムドーラ地方でその部分だけが青々とした草花が生え揃っている。陽の光が無い為にその草達の色が生き生きとしているとは感じないが、それでも風に靡く草花が砂漠に残るオアシスのように見えていた。

 

「あら……また光ったわ」

 

 闇が支配する草原のような場所には、数匹の牛や馬が放たれている事から、そこが牧場である事が解る。そんな牧場と思われる場所に視線を向けて立つ一人の女性が顎に指を当てながら小首を傾げていた。

 女性はカミュ達が近付いている事にも気付いていないのか、頻りに首を傾げながら牧場の方へ視線を向けている。自分の隣に若い女性が立った事で、ようやくカミュ達の存在に気付いた女性は、驚いたような表情を浮かべた後で軽く会釈を返した。

 

「どうしたのですか?」

 

「あ、はい。時々、牧場の方で何かが光るのです。茂みの奥の方だとは思うですが、何か気になってしまって」

 

 隣に立ったサラの質問に戸惑いながらも口を開いた女性の話す内容に、今度はリーシャとメルエが首を傾げる。牛や馬が生活する牧場の中で輝くような物が存在するとは思えない。ましてや陽の光も届かないアレフガルドの地で輝くという事は、その物体自らが発光する必要があるのだ。

 だが、それに対してカミュとサラは一瞬眉を顰めた後、視線を牧場の方へと向けた。もし、この女性の言葉通りであれば、光を反射する物ではなく、光を発する物がそこにある可能性が高い。神代の金属とされ、世界最強の武器の素材となる金属であれば、その物自身が輝きを放っていても可笑しくはないのだ。

 だが、この女性程度しか気付かない程に弱い光しか発する事が出来ないという事に一抹の疑問は残るが、それでも調べてみないという選択肢はない。丁寧に女性にお礼を述べた後、女性が去って行くのを確認した一行は、牧場の中へと足を踏み入れた。

 

「この茂みの中を探すのか?」

 

「可能性があるとすればこの場所だろう」

 

「まずは探してみましょう」

 

 馬や牛を退けて中に入った一行は、牧場の茂み近くまで移動して地面を探し始める。片手に『たいまつ』を持ち、地面に腰を下ろして探すのだが、牧場だけあって牛や馬の糞が大量に落ちていた。それらを踏まぬように、そして拾い上げぬようにしながら各自が探す始めるのだが、そう簡単に何かが見つかる事はない。

 カミュ、リーシャ、サラの三人がそれぞれ異なる方角を探す中、メルエはサラの傍で屈み込んでいた。そんな少女が何かを見つけたように草の中に手を入れ、顔を綻ばせる。そして、それを持って立ち上がったメルエは、足早にサラが屈み込む場所へと駆けて行った。

 

「…………あった…………」

 

「え!? もう見つけたのですか……きゃぁぁぁ!?」

 

 自分に突き出された小さな手に気付いたサラは、簡単に見つけ出したメルエに驚き、その手にある物へと視線を送るが、そこに居た奇妙に動く物体を見て叫び声を上げる。メルエの小さな指に抓まれたそれは、うねうねと奇妙に身体をくねらせながら、懸命に逃げ出そうともがいていたのだ。

 その名は『ミミズ』。土の中で暮らし、その土を富ます事の出来る貴重な生物ではあるのだが、その奇妙な体躯から忌み嫌われる事も多い生物であった。数年も前の話になるが、この生物をサラが苦手としている事は周知の事実となっている。メルエにとって、この一連の出来事の後でかなり辛い経験もしているのだが、そのような事は幼い彼女にとっては過ぎ去った過去の出来事なのかもしれない。

 叩き落とされるように手を叩かれ、そのことで手を離れたミミズは地面の中へと逃げ込んで行く。手を叩かれた事に『むぅ』と頬を膨らませたメルエは、恨めしげにサラを睨み付けていた。そんな少女の瞳を見て、サラは大事な事をこの少女に伝えていなかった事に気付く。

 

「メルエ、探しているのは虫さんではありません。オリハルコンと呼ばれる石です。暗い所で時々光るらしいのですから、それを探して下さい」

 

「…………ん…………」

 

 メルエは皆が牧場に屈み込んで何かを探しているからそれを真似ただけであり、何を探しているのかを知らずに、地面にある物を眺めていたのだろう。それでも、サラが探していた物がミミズでない事ぐらいは彼女の理解しているのだろうが、それは自分に何も教えてくれないサラへの報復も兼ねていたのかもしれない。

 先程のサラの叫び声を聞いたカミュとリーシャが視線を向けて来るが、その後の二人のやり取りを聞いて再び地面を探し始める。皆が大地へと視線を落とす頃、再び屈み込んだメルエは伸びている草を掻き分けてサラの言葉にあった物を探し始めた。

 その後、誰もが無言のまま探し続けていた中、多少の飽きが訪れていたメルエは、地面に落ちている何かを慎重に拾い上げてサラの許へと戻って行く。自信満々の表情で突き出された手を見たサラは、再びがっくりと肩を落とす事となる。

 

「メルエ……それは、ただの石ではありませんか。時々輝くような石ですよ、それは本当に何の変哲も無い石です」

 

「…………むぅ…………」

 

 メルエが手にしていたのは、何処にでもあるような普通の石であった。暗い闇の中でも一目で解るような只の石を然も得意気に突き出す少女に呆れたサラは、溜息と共にその申し出を却下する。だが、そのサラの態度に不満を顕にしたメルエは、もう一方の指を突き出し石の一部分を指した。

 もう一度溜息を吐き出したサラは、それでもメルエの指先へ視線を向けたのだが、その先にあった物に驚愕する事になる。驚きの表情を浮かべたサラを見たメルエは、満足そうに笑みを浮かべた。

 その石の先には、小さな昆虫が留まっており、その昆虫が定期的な感覚で身体を光らせていたのだ。それはまるで石が輝くようにも見え、なんとも幻想的な物となっている。もしかすると、先程の女性はこれを見たのかもしれないと思ってしまう程に儚げな光を見たサラは何か身体の力が全て抜けてしまうような感覚に陥った。

 この石に止まっている虫は、本来清い水辺に住む物であり、このような砂漠の地で見かけるような物ではない。現に、この周囲に同じような光を放つ虫は見つける事は出来ず、この一匹だけが何故かこの場所で生を受けたという事になるのだろう。もしかすると、このドムドーラの北側にある山脈から流れ落ちる川があり、そこで生を受けた虫がこの近くまで下りて来たという可能性もあるが、何にせよ牧場の輝きの秘密は解けてしまったように思われた。

 

「……メルエはその辺に座っていて下さい。カミュ様達とお話をして来ます」

 

 笑顔を浮かべていたメルエだが、疲れたように息を吐き出すサラを見て、何か悪い事をしてしまったのではないかと不安に駆られる。最早自分の事を見ようともせずに立ち上がるサラの姿が、その不安を大きくさせて行くが、これ以上我儘を言って困らせる事を良しとはせず、近くの少し大きな石に腰掛ける為に『とぼとぼ』と歩き始めた。

 そんなメルエを余所に、脱力感一杯のサラは未だに懸命に地面を探しているリーシャの許へと辿り着く。仕事を放棄して近付いて来たサラを不審に思ったリーシャが、曲げていた腰を一気に伸ばし、身体全体で伸びをするように立ち上がったのを見て、サラは今メルエが持って来た物について語り始めた。

 その話を聞くに連れてリーシャの表情に落胆の色が見え始め、寄って来たカミュの表情にも若干の疲れが見えて来る。サラの推測は的外れな物ではない。遠くからその光が見えるかどうかは定かではないが、微かにでも見えていれば、それは瞬く輝きとして映るだろう。

 

「この牧場には無いという事か?」

 

「無いと考える方が良いかもしれないな」

 

 最後の望みを繋ぐようなリーシャの問いかけは、カミュによって斬り捨てられた。元々あるかどうかも定かではない金属であり、このドムドーラという町にある可能性どころか、アレフガルドという大陸にある可能性さえも低い金属である。それを見つけ出す事が雲を掴むような話であり、アレフガルド大陸に生えている草の中から一本だけ特別な草を探すような物であったのだ。

 故にこそ、情報が命となるのだが、ここに来てオリハルコンという金属に関する情報がとても曖昧になっている。ここまでの旅でそのような曖昧な情報はあったが、それでもそこまで導いてくれる確かな物が必ず存在していたし、重要な物程、それの方から呼びかけて来るようにカミュ達を誘っていた。

 しかし、今回のオリハルコンにはそれがない。誰もその奇妙な金属の正確な情報は掴んでおらず、また、それの方から呼びかけて来る事もない。最早、手詰まりと言っても過言ではなかった。

 

「メルエは向こうで休んでいますから、呼んで来ますね」

 

 完全に手詰まりとなってしまった事で、一行の行動指針が途絶えてしまった。残るは、このまま再び精霊神ルビスが封じられた塔へ赴き、その身を解放させるだけである。それは、あの場所でドラゴンという強敵に歯が立たなかったという記憶の新しい今はまだ、かなり危険が高い行為であろう。カミュとしても、時期尚早と考えていたのだ。

 リーシャという女性戦士は、この旅が始まった頃からその行動が一貫している。旅の指針はカミュという勇者に委ねており、余程の事がない限りはそれに異を唱える事はない。悪く言えば、カミュに全てを丸投げしているという見方もあるが、彼女は己の分を弁えているとも言えた。

 

「カ、カミュ様! リーシャさん!」

 

 辿って来た糸が切れてしまった事で途方に暮れそうになっていた二人の耳に、切羽詰ったような叫び声が響く。このような場所で魔物の襲来は有り得ないだろうが、それでも皆無ではない。背中の武器を抜き放った二人は、サラの声がした方へ『たいまつ』を向け、そちらへと駆け出した。

 

 

 

 

 

 サラがカミュ達の許へ行ってしまった頃、一人残されたメルエは近くにある石の上に腰掛けようと近付いていた。周囲は吸い込まれるような深い闇に覆われ、物音さえもしない静寂に包まれている。この一行で『たいまつ』を持っているのはカミュ達三人であり、その三人が一ヶ所に集まってしまうのだから、必然的に残されたメルエの周りに何一つ明かりが無い状態になってしまうのだ。

 普段ならば、そのような事が無いように必ずメルエの傍に誰かが居るのだが、先程メルエが示した事柄に深い絶望を感じてしまったサラは、それを考える余裕さえも失ってしまっていたのだろう。賢者にあるまじき失態と言わざるを得ないが、今は誰もそれを責める事は出来ない。当のメルエも、サラがカミュ達への報告を済ませれば、すぐに皆で戻って来る事は理解している為、寂しいと感じる事もなかった。

 

「…………??…………」

 

 そんなメルエであったが、近付いた石に腰掛けようと手を伸ばした時に感じた違和感で首を傾げる。何を感じたのかさえも自分では理解出来ないのだが、確かに何かを感じていた。

 もう一度確かめようと手を伸ばしては見たが、周囲の闇にも静寂にも変化はない。メルエの着ている天使のローブの布が擦れるような音しか聞こえず、伸ばした手の先も見え辛い闇が広がっているだけであった。

 

「…………うわぁ…………」

 

 しかし、その指先が石に触れた時、メルエは今まで口にした事の無いような奇妙な声を上げる事となる。メルエが腰を掛けるには丁度良い大きさの石は、彼女の手が触れた瞬間、弾かれるような輝きを発したのだ。

 まるで火花が散るかのような激しい輝きは、本当に一瞬ではあるが、確かに確認された。手元どころか牧場の茂みの奥までも見通せる程の輝きが放たれたのだ。だが、それは一瞬の出来事であり、メルエから少し離れたカミュ達は気付かなかったかもしれない。

 それでも、珍しい物が好きで、綺麗な物が好きなこの幼い少女は、再び手を差し伸べる。だが、またあの輝くような輝きを見たいと願うメルエではあったが、その願いは石には届かなかった。

 

「…………??…………」

 

 冷たい石の感触が指にあるにも拘らず、光らない事に首を傾げたメルエは、すぐに不満そうに頬を膨らませて、もう一度石に触れる。しかし、今度もあの輝きは発せられず、牧場を覆う闇と静寂に変化はなかった。

 『むぅ』という唸り声を上げたメルエは、その後も何度か石に触れるが、輝きを放つ事は無く、時間だけが過ぎて行く。その内、メルエの後方から石が放った物ではない明かりが近付いて来た。

 

「メルエ、何をしているのですか?」

 

「…………いし………ひかった…………」

 

 『たいまつ』を持って現れたサラは、幼い少女の不可思議な行動に首を傾げる。振り向いたメルエは、小動物のように頬を膨らませて、不満そうに今見た出来事を口にするのだが、その内容に見当がつかないサラは、再び首を傾げるのであった。

 サラの気のない態度を見たメルエは、先程の光景をもう一度起こそうと、何度も何度も石に触れる。最後の方では石を叩くように『ぺしぺし』と音を立てるが、先程見た幻想的な現象が起きる事はなかった。

 メルエの可愛らしい姿に先程までの絶望が払われたように感じたサラは、微笑みを浮かべながら彼女を軽く抱き上げ、そのまま石に腰を下ろさせる。その時、サラの腕が石に触れた瞬間、眩いばかりの輝きが岩から発せられた。

 

「へ?」

 

「…………ひかった…………」

 

 一瞬の出来事で、即座に闇に戻った牧場に、サラは間の抜けた声にならない息を吐き出す。そんなサラを座りながら見上げていたメルエの顔は、『言った通りだろう?』とでも言いた気な表情を浮かべていた。

 確かにメルエが話した通りの現象が起こってはいたが、それでもその理由に説明が付かない。一度目は光ったのに、その後何度もメルエが触れても光らなかった石が、サラが触れた途端に光を放った。その事が大いに不満なメルエが頬を膨らませてはいるが、サラは仕組みが解らない為にそれを宥める余裕が無い。最後の手段として、後方で今後の方針について話し合っているであろう二人を呼ぶ事しか出来なかった。

 

 

 

 

 

 サラの声を聞いて武器を片手に駆けて来た二人は、奇妙な光景を目にする。むくれたように頬を膨らませて石に腰掛ける少女と、その横で少女が座る石を『ぺしぺし』と叩く女性の姿であった。

 その光景だけでは、彼女達が何を求めて何をしようとしているのかが解らない。何にせよ、魔物の危険性はないと思われた為、二人は武器を納める。一息付いた頃を見計らって、未だに無心で石を叩くサラへリーシャは声を掛けた。

 

「何をしているんだ?」

 

「え!? こ、この石が……」

 

「…………いし………ひかった…………」

 

 しかし、何をしているのかを問うリーシャに対する答えは、後から来た二人にとって全く理解出来ない物であった。

 戸惑うように口を開くサラは明らかに動揺しており、その石に腰掛けるメルエは不満そうな表情をしながらも瞳には自信が満ちている。『石が光る』という事自体が理解の範疇を超えているのだが、その経緯も状況も把握出来ない為に、全く理解出来ないというのが正直なところであった。

 石から降り立ったメルエがリーシャへ近付き、その手を取って石へ近づいて行く。何をしているのかが解らないリーシャではあったが、為すがままにメルエに付いて行った。石に近づくと、メルエはリーシャの手を石へと導き、闇の中で冷たく冷やされた石に指先を触れさせる。メルエが何をしようとしているのか、何を求めているのかが解らない以上、石に触れたリーシャは答えを求めるようにサラとメルエへ視線を動かした。

 

「…………ひからない…………」

 

「あれ? 初めて触れたのに、光りませんね?」

 

 しかし、そんなリーシャの視線の先には、明らかに落胆したメルエの表情と、先程以上に困惑したサラの表情があった。

 先程の不満そうな表情から一変し、眉を下げたメルエはリーシャの腕から手を離して、もう一度自ら石へと触れる。しかし、サラやメルエの話すような現象は起きず、再び不満そうに頬を膨らませるのだった。

 サラは、この石に初めて触れた時だけ輝きを放つのかと結論付けそうになっていたところだっただけに、リーシャが初めて触れた時に輝かなかった事で再び思考の海へと潜って行く。何が影響して輝きを放つのか、そしてこの石は何故輝くのかという疑問が、賢者の頭脳を一気に稼動させて行った。

 

「…………カミュも…………」

 

 一人が思考の渦に落ち、一人が何故だかわからない落胆と憤りに苛まれる中、メルエが再び動き出す。一番後ろにいた青年の手を取り、石の前まで移動した彼女は、その手を石へと近づけて行った。

 そして、その手が触れるか触れないかの時点で、彼女達は再び幻想的な光景を目の当たりにする。

 一瞬カミュの指先から何かが石に吸収されたように見えた後、大きな輝きが一気に溢れ出た。その輝きもまた僅かな時間ではあったが、先程メルエが触れた時やサラが触れた時に比べると大きさも眩しさも桁違いの物であったのだ。

 四人全員を包み込むような大きな輝きが闇の中の牧場を包み込み、即座に石の中へ収束して行く。驚きの表情を浮かべるサラとリーシャは言葉も出ない程に固まり、その横では満面の笑みを浮かべたメルエは再び光らせようと、石へ手を伸ばしていた。

 しかし、再度メルエが触れても石に輝きは戻らない。それが不満な少女は、頬を膨らませながら『ぺしぺし』と何度も石の表面を叩いた。それに飽きた頃、一際大きな輝きを発現させたカミュの腕を取り、もう一度石に触れさせようとする。

 そして、その試みは功を奏した。

 

「……何故だ?」

 

「私達は一度光り、リーシャさんは光らなかった。私達に有って、リーシャさんに無い物は……」

 

 先程よりは小さくとも、瞬くような輝きはとても美しい色。全てを包み込むような温かさを備えながらも、心の奥底に眠る何かを揺さぶるような勇気を持つその輝きを見て、ようやくリーシャが疑問を溢す。不思議な現象を何度も見て来た彼女達であっても、この石に纏わる出来事はもう一段上の神秘であったのだ。

 困惑するリーシャの横で思考の海に落ちていたサラは、カミュが起こした出来事を考慮に入れ、更なる考察を進めて行く。何らかの答えが出たのか、サラがもう一度顔を上げた時、面白がったメルエが再びカミュの腕を石に近づけようとするところであった。

 『もういい』というカミュの拒絶に頬を膨らませたメルエをリーシャが軽く叱り、その幼い身体を抱き上げた頃、サラの答え合わせが始まる。

 

「この石がオリハルコンだと思います」

 

「これがか?」

 

 断言するように口を開いたサラに皆の視線が集中する。先程までの輝きなど嘘のように静かに佇む石を指差したリーシャは、まるでサラが血迷ってしまったのではないと声を上げた。

 何の変哲も無い石にしか見えないそれは、土などに汚れながらも欠けている様子もない。言い伝え通りであれば、大魔王によって粉々に砕かれた伝説の剣は素材であるオリハルコンとなったとされていた。つまり、この石のような塊のままであれば、粉々に粉砕されてはいない事になる。むしろ、高温によって溶かされた物が冷えて固まったと考えた方が正しいような姿であったのだ。

 

「詳細は解りませんが、この石は魔法力に反応していると思うのです。メルエや私も初めて触れた時には、カミュ様の時ほどではないにしろ輝きを放ちました。リーシャさんが触れても輝かなかったのは、魔法力を外へ出す事が出来ないからだと思います」

 

「ぐっ……」

 

 自分の問いかけを無視され、更には一番突いて欲しくない部分を突かれた事で言葉に詰まってしまったリーシャが表情を歪める。

 確かにリーシャは魔法力を放出する才能は皆無であった。魔法力の元となる物は確かに彼女の身体にも宿ってはいるのだろう。だが、それを放出する能力が皆無な為、呪文の契約も行使も出来ない。それは彼女にとって幼い頃からのコンプレックスであり、負い目でもあった。常に、魔法が使えていればという想いを持って過ごして来た少女時代の思い出は、彼女の心に残り続ける傷でもあったのだ。

 そんな痛い部分を突くサラの指摘は鋭く、リーシャの心を抉って行くのだが、謎を究明している最中のサラは、そんな姉のような存在の心の痛みに気づく事はなかった。

 

「カミュ様の魔法力に反応したこの石は、おそらく主を定めたのだと思います。古の勇者様がお持ちになっていた剣ですので、カミュ様を主として定めたとしても可笑しくはない筈です。今までも誰かの魔法力を感じて輝きを放っていたのでしょうが、風や雨などにも魔法力は混ざりますので、それに反応していた可能性もあります。己の主となる者の魔法力を探していたのでしょう」

 

「…………カミュ………ずるい…………」

 

 自分の時は一度しか光らなかったという事実を今更になって思い出したメルエは、先程まで懸命に触れさせようとしていた彼の腕を握ったまま、恨めしそうに見上げる。苦笑を浮かべたカミュは、そんなメルエの帽子を取り、頭に手を乗せて柔らかく撫で付けた。

 『むぅ』と頬を膨らませながらもカミュの手を跳ね付けられないメルエは、傍で未だに傷心しているリーシャの腰に抱き着く。メルエが抱き着いて来た事でようやく我に返ったリーシャは、もう一度石へと手を伸ばした。

 しかし、先程と同じように全く反応を示す事のない石に対し、メルエのように『むぅ』と唸り声を上げたリーシャは、一度石を殴りつけるのだった。

 

「リ、リーシャさん!?」

 

「大魔王が数年も掛けて砕いたと伝えられる剣だ。アレの一撃で砕けてしまえば、それは偽物という事だろう。最も、既に大魔王以上の力をアレが有していれば別だが」

 

「…………リーシャ……まおう…………?」

 

 リーシャの一撃に慌てたのはサラである。神代の武器の素材である可能性が高いと口にしたばかりであるにも拘らず、それに対して強烈な一撃を叩き込むのだから、サラにしてみれば冷や汗物であった。

 しかし、事の成り行きを見ているカミュは冷静な分析を口にする。確かに、伝承では大魔王自らが何年もの時間を掛けて砕いたという説もあるらしく、それだけの時間と労力を必要とする金属が、人間の一撃で砕ける訳はないのだ。カミュの言葉通り、既にリーシャの力が全てを滅ぼすと云われる大魔王を越えていれば別の話ではある。

 苛立ちの一撃を石に加えるのを見て避難していたメルエは、カミュの言葉を聞いて昔耳にした一つの説を思い出す。リーシャという母のように慕う女性が実は魔王という存在であるという物だ。眉を下げてカミュへ問い掛ける少女の顔には、明らかな不安の色が浮かんでいる。自分の大好きな人間が討伐の対象になっては困るという事だろう。それを阻止するようにカミュとリーシャの間に入り込んだメルエを見て、不覚にもサラは笑いを漏らしてしまうのだった。

 

「そうか、まだサラはそんな事を言っているのだな?」

 

「ふぇ? え、何故ですか? 今の会話の何処にそんな要素があったのですか?」

 

 しかし、そんな賢者の余裕の笑みは、即座に凍り付く事になる。

 そもそも、その事をメルエに話した人間は僧侶時代のサラであった。軽い冗談のつもりが、冗談で済まなくなってしまったのはメルエの不用意な発言が原因ではあるが、元々は、何も知らないメルエにそれを伝えてしまったサラの落ち度である。

 この状況でサラの落ち度は何もない。サラが悪いところは、先程リーシャのコンプレックスを無意識に突いてしまった事ぐらいであろう。だが、あの言葉で、今のサラの印象はリーシャの中ではとても悪くなっている。そして、遥か昔にメルエに教えた言葉を聞いて、全ての悪はサラであると断定されたのであった。

 徐々に近付く人類最高の戦士の一撃は、つい先日身を持って味わったばかりである。あの時は興奮の為に記憶が曖昧ではあったが、それでもあの衝撃と強烈な痛み、そして狭まって行く視界への恐怖はサラの心の奥に刻み付けられていた。

 及び腰になって逃げようとするサラを護る為にメルエが立ち塞がる事はなかった。どんな魔物からも、どんな苦難からも護ると心に誓う少女ですら、今のリーシャは恐ろしい物に映っているのかもしれない。

 

「あの石を持って、マイラへ戻るぞ。その後は、メルキドという町へ行ってみる」

 

「あっ、はい! メルエ、ルーラの詠唱の準備を」

 

 予期せぬ救いの手が差し伸べられた事で、サラは即時の脱出を図る。近付く恐怖を感じていたメルエもまた、即座に頷きを返して詠唱準備に入った。

 行き場を失った苛立ちを抱えたリーシャは、カミュに鋭い視線を向けるのだが、その視線を真っ直ぐ受け止めた青年は、それこそ彼女にとって予期せぬ言葉を紡ぐ。それはリーシャにとって受け入れる事の難しい物でありながらも、受け入れざるを得ない強制力を持つ言葉であり、苦々しく表情を歪めても、彼女は頷きを返すのであった。

 

「俺が持てば光るとなれば、オリハルコンを持てるのはアンタだけだ。オリハルコンを持ったアンタとメルエは俺が繋ごう」

 

 確かに、カミュが触る度に輝きを放たれては堪らない。そして、両手でそれをリーシャが抱えたとなれば、そんな彼女と詠唱者である少女を繋ぐ者が必要となるだろう。それをカミュが名乗り出たのだ。

 『お前が持っても光るだけだろう!』という言葉が喉から出掛けるが、メルエを抱き上げるかオリハルコンを抱えるかの違いであり、それならば余り人目を集めない方が良い事くらいリーシャでも理解出来る。悔しそうに顔を歪めたリーシャは、苛立ちをぶつける為にもう一度オリハルコンと思われる石を殴りつけてから、一気にそれを抱え上げた。

 

「…………ルーラ…………」

 

 抱き抱える事の出来る程度の大きさにも拘らず、それなりの重量はあるのだろう。自分の背丈よりも大きな岩を動かす事の出来るリーシャでさえもそれを持ち上げた事で表情を歪めた。

 それを見て、詠唱者であるメルエに皆が集まるのではなく、リーシャの許へと全員が集合する事で、少女の詠唱は完成する。一気に放出された魔法力に包まれた一行は、そのまま上空に浮かび上がり、北東の方角へと飛んで行った。

 

 古の勇者が持っていた剣が、新たな勇者の手に渡る日は近い。

 『天の雷を操る者が持ちし剣は、嵐をも呼ぶ』とも伝えられる剣は、勇者が持つ事によってその真価を発揮するとさえ謳われていた。

 その武器が当代の勇者の手に還る時、闇に包まれた世界が大いなる光に照らされるのかもしれない。それは、もうすぐそこまで来ていた。

 

 

 




読んで頂き、ありがとうございます。
これにてドムドーラ編は終了です。

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