新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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精霊の祠

 

 

 

 ドムドーラの町に着いた一行は、地図を見ながら歩くカミュを先頭に真っ直ぐ南へ下って行く。ドムドーラ砂漠は南にも大きく伸びており、この周辺の大地が時間を掛けて砂漠化している事を示していた。

 周囲の気温も低く、肌寒さを感じながらも南へ歩き続ける。『たいまつ』の炎だけが頼りであり、砂地を歩き難そうに進むメルエの手を引きながら、彼らのゆっくりとした足取りで砂漠を進んだ。

 砂漠の途中で休憩を取る訳にも行かず、砂漠を抜け切るまで歩き続けた結果、周辺に緑が見えてくる頃には、懸命に歩き続けていたメルエはカミュの背の上で眠ってしまっていた。

 

「カミュ、この森で野営をしよう」

 

 不安定な砂漠を歩き続けるというのは、想像以上に体力を使う事になる。旅慣れた勇者一行であっても、その体力の消耗は多く、サラなどは疲れ切ったように木の根元に腰を下ろした。そのサラの傍にメルエを降ろしたリーシャが、枯れ木を集めて火を熾して行く。周囲の木々から果実を集めて来たカミュが戻り、軽い食事を取った後で、見張り番を残して順々に身体を休めて行った。

 考えているよりも疲労は溜まっているのだろう。リーシャやカミュも互いに見張り番を交代すると即座に眠りに落ちて行く。大魔王ゾーマという強大な敵に挑む者達といえども、彼等もまた人間なのであった。

 

 

 

 メルエの起床を待って再び歩き出した一行の前に小高い山が見えて来る。海へ繋がる道を遮るように聳える山は、アレフガルド大陸の南西部分を包むように占めており、この山道を登っていかなければ、この大陸の南東部分には向かえない事を示していた。

 十分な睡眠をとったサラとメルエは元気にカミュの後を続いて山道を歩き始める。急な傾斜ではなく、比較的緩やかな傾斜が続いており、また以前はメルキドへの道として使っていた部分の草が少ない事からも、歩む道順は解った。

 

「カミュ、一度海に出るのか?」

 

「いや、この山道はそのまま山越えになって東の森へでる筈だ」

 

 闇に包まれた山の為、カミュ達三人が持つ『たいまつ』の炎の明かりだけが頼りである。炎が揺れる度に木々の影の大きさが変わる事を最初は面白がっていたメルエも、何か若干の恐さを感じたのか、サラの後方に隠れるように歩き始めていた。

 地図上ではこの山の向こうには海がある事になっている。一度海まで出て、海沿いに歩くのかと問いかけるリーシャに対し、カミュは山道がそのまま大陸の南東の森へ繋がっている事を口にした。

 おそらく、この山で数度の野営を行わなければならないだろう。それはカミュの持つ地図を見れば一目瞭然である。それは、旅慣れた勇者一行であってもかなりの危険を伴う道であった。

 本来、山や深い森は魔物達の棲み処である。その山で野宿を敢行するとなると火を熾すだろう。そして火を熾せば、獣や魔物に自らの位置を伝える行為となる。それは、人間という種族にとってはこれ以上ない程の危険を伴うのだ。

 

「このような山道を歩いて、只の吟遊詩人が無事でいられるのか?」

 

「ガライさんは、普通の吟遊詩人ではないのかもしれませんね。もしかするとルーラを修得しているかもしれませんし、魔物を退けるだけの力量を有しているのかもしれません」

 

 ふとリーシャが溢した言葉は、彼女なりの正直な感想なのだろう。確かに、カミュ達でも警戒しなければならない野営を数度行いながら行う山越えは、通常の人間であれば不可能に近い。ましてや比較的線の細い印象のある吟遊詩人などでは明らかに不可能であろう。もしかすると、筋肉隆々の吟遊詩人なのかもしれないが、それだけ身体的な特徴や所有している武器に特徴があれば、必ず噂に上っている筈であった。

 急な坂道ではないが、それでも長い山道は体力を奪って行く。少しずつ会話は少なくなり、山の中腹に差し掛かる頃には、サラの息は多少ではあるが乱れ始めていた。

 

「サラ、後は下るだけだ。もう少し頑張れ」

 

「は、はい。私は大丈夫です」

 

 少し前からメルエはリーシャによって抱き上げられている。この山道をメルエの歩調に合わせて歩くという時間を掛ける事は出来ない。闇に包まれた山道が持つ危険性を誰よりも知っているカミュ達だからこその選択ではあったが、それ故にカミュやリーシャの歩く速度が優先となる為、サラには厳しい速度となるのだ。

 気丈に振舞ってはいるが、疲労感が激しいサラを横目に、山道の中でも比較的開けた場所へ出るまで彼等は歩き続ける。大木がそれぞれに茂った葉を広げて護る大地で野営を行う事になった一行は、それぞれの役割を全うした。

 メルエは枯れ木を拾い、その薪をサラが組んで行く。数年間太陽が出ていないアレフガルドには、命を落として枯れた木々も多く、薪に困る事はない。近場で十分な枯れ木を拾えたメルエは、サラが組んだ薪に小さな炎を点した。

 夜の闇の寒さを和らげる炎が点り、周囲を明るく照らし出す。食料を取りに行ったカミュとリーシャが戻るまで、サラはメルエと寄り添いながら炎の中に薪を焼べ、少女に字や言葉を教えていた。

 山の小川で汲んだ水と、その小川に生息していた魚を持ったリーシャが戻って来る頃、果実を収穫して来たカミュも戻って来る。四人全員が食す事が出来るだけの食料であり、果物を見たメルエは目を輝かせてカミュの足元へと近づいて行った。

 何でも食し、食べ物に関しては好き嫌いをしないメルエではあるが、中でも木の実や果実を好んで食べている。もしかすると、それも彼女の祖先である竜種の血筋の影響なのかもしれない。

 

「メルエ、まだお勉強中ですよ? 食事は皆が揃ってからです」

 

「…………むぅ…………」

 

 カミュの抱える果実を貰おうと手を伸ばしていたメルエは、焚き火の近くから窘めるサラの言葉に不満そうな表情を作った。

 メルエは決して勉強嫌いではない。自分の頭の中に未知である知識が入る事に喜びを感じ、それを楽しいと思っている。なかなか自分の思い通りに行かない魔法の修練とは異なり、解らなかった物が解るという喜びを感じる程に彼女の知識は真っ白であったのだ。

 だが、そんな喜びさえも、目の前にある大好きな果実には遠く及ばない。頬を膨らませて不満を露にするが、そんな自分を擁護してくれる人物がいない事を理解したメルエは、渋々といった感じでサラの許へと戻って行った。

 

「カミュ……」

 

「音は出すな」

 

 食事の支度が済み、焚き火の周りに刺さった魚の串刺しから良い香りが漂い始めた頃、周囲の木々が風とは別に擦れる音が響いて来る。草を掻き分けるような音に気付いたリーシャが傍にある斧に手を掛け、同じようにそれを理解したカミュは身動きをしないように指示を出した。

 しかし、そんなカミュ達の目論見を破るように物音は真っ直ぐカミュ達へと向かっており、徐々にその物音は大きくなって来る。果物を手にしていたメルエが不満そうに頬を膨らませ、サラが焚き火の周囲から魚の刺さった串を抜いた。

 魚の焼ける匂いに誘われて来たのだとすれば、間違いなく肉食の獣か魔物だろう。竜種のような強大な敵ではないかもしれないが、それでも僅かな時間で戦闘を終わらせる事など出来はしない。

 

「グオォォォ」

 

 そして、何者かの姿が見えるよりも前に、それが発したであろう叫びが闇の山に轟く。竜種の雄叫び程ではないが、それでも通常の人間であれば竦み上がる程の威圧感を有した雄叫びは、それだけの力を有した魔物である事を物語っていた。

 食事の雰囲気から一変して戦闘態勢に入った一行は、焚き火を背にしながら、雄叫びを上げた主を待つ事になる。ゆっくりと近付いて来る足音は徐々に大きくなって来て、目の前に伸びた草が横に分かれて行くのが見えた。

 剣を構えたカミュが前に立ち、サラとメルエを護るようにリーシャが立つ。一行の戦闘準備が完了した頃、ようやくその魔物が姿を現した。

 

「グモォォォ」

 

「熊か!?」

 

 後方にある焚き火の炎によって照らされた前方の木々を掻き分けて現れたのは、巨大な熊。鋭い牙の生えた口を大きく開き、その口端からは狂ったように涎を垂らしている。炎に照らし出された体毛は灰色にくすんでおり、振り回される太い腕の先には鋭い爪が光っていた。

 鬼気迫るように暴れ回る巨大熊の影響で、山に生えた木々は薙ぎ倒され、カミュ達の視界も広がって行く。大魔王ゾーマの魔法力の影響力が強いのか、それとも強大な魔法力がこの熊の許容量を超えてしまっているのかは解らないが、瞳に生気は無く、血走った白目部分が真っ赤に充血していた。

 一気に間合いを詰めて来た熊の一撃を盾を掲げる事で受け止めたカミュの身体が宙に浮く。魔王バラモスの攻撃でさえも根が生えたように動かなかった勇者の身体を浮かせる程の怪力は、脆弱な人間など一撃で葬り去る事も可能である事を物語っていた。

 

「サラ、メルエと共に後方へ下がれ! 焚き火の近くで援護を頼む!」

 

「はい!」

 

 一体の熊がカミュを薙ぎ払った向こうから、もう二体の熊が姿を見せる。それを確認したリーシャは、直接戦闘向きの装備をしていない二人を後方へと下がらせた。

 もし、サラがこの熊の一撃を受けてしまえば、水の羽衣は裂け、その奥にある肉をも引き裂かれてしまうだろう。それはメルエも同様である。二人とも盾は持っていても、それであの怪力を防ぐ事が出来る訳ではない。故にこそ、リーシャは後方へ下げた後、一歩前へと踏み出した。

 その瞬間を待っていたように振り抜かれた太い熊の腕を、ドムドーラで購入した力の盾で受け止め、一気に斧を振り抜く。固い体毛を突き抜けて熊の身体に突き刺さるが、見た目以上に強い筋肉によって、その刃は止められた。

 

【ダースリカント】

熊系の魔物の最上位に位置する存在である。元々は野生の熊であったが、その中でも特出する力を持つ者が大魔王の魔法力の影響を受けて凶暴性を強めた結果、強力な魔物が犇くアレフガルド大陸の中でも中位以上に位置する場所に君臨した。

上の世界に生息する豪傑熊やグリズリーが魔王バラモスの魔法力の影響を受けていたのに対し、復活した大魔王ゾーマの魔法力を受けているダースリカントは、その凶暴性も強さも段違いである。その凶暴性は、自我を失って狂ってしまったようにさえ感じる物であった。

 

「…………スクルト…………」

 

 武器による一撃を止められたリーシャに向かって振り下ろされたダースリカントの腕が大地の鎧に達するよりも前に、メルエの放った呪文が魔法力の鎧を生み出す。リーシャの身体を覆った膨大な魔法力が、その強力な一撃を緩和させ、その勢いを利用して武器を抜いたリーシャは後方へと飛んだ。

 三体になったダースリカントは、リーシャの後ろにいる二人へ標的を移す。明らかな刃物を持った前衛二人よりも、子供に見える少女を相手にした方が楽である事は狂った魔物であっても理解出来るのだろう。

 しかし、そのような甘い考察が通じる程、勇者一行の後方を任された者達は弱くはない。

 

「マヒャド」

 

 リーシャが横に離れた隙を見つけて突き進んで来た一体のダースリカントが、最上位の氷結呪文による冷気に包まれる。一気に下がった気温と共に身体の細胞が死滅して行き、ダースリカントは真っ白な氷像へと変わって行った。

 リーシャが付けた傷から溢れ出ていた体液が、ダースリカントの体内の細胞を死滅させる致命的な物となったのだろう。サラの方向へ腕を伸ばしたまま、ダースリカントはその身体を崩し、地面へと倒れ込む。そのまま己の重量によって、粉々に砕けて行った。

 一息付いたサラであったが、すぐ横で自分の出番を奪われた事で恨めしそうな瞳を向ける少女の視線を受け、苦笑を浮かべる。

 

「メルエのマヒャドは強力過ぎます。メルエの事ですから、カミュ様やリーシャさんは大丈夫だと思いますが、それでも周りの木々や虫さん達は大変でしょう?」

 

「…………むぅ…………」

 

 カミュやリーシャに被害は向かわないと断言された事で、それ以上の文句を言えなくなってしまったメルエは、不満そうに頬を膨らませて、残る二体のダースリカントへと視線を向ける。二対二となり、数の上では互角となった前衛の戦いも、終盤を迎えていた。

 一撃の強力さは、ルビスの塔で遭遇したドラゴンに引けを取らないだろう。それでも、その一撃を容易く受ける二人ではない。力の盾という強力な防具を手にしたリーシャは、本来の騎士としての動きに忠実な戦い方を見せていた。

 盾で防いでは、態勢を変えて斧を振るう。斧を振るっては立ち位置を変えて相手の動きを見るという繰り返しをする事で、徐々にダースリカントを追い詰めて行く。本来であればもう一体の動きを気にしなければならないのだろうが、リーシャの頭の中では他のダースリカントなど片隅にも残っていなかった。

 彼女の横には、最も信頼する青年がいる。彼女の後ろには愛する二人の妹のような存在がいる。それだけで、彼女は自分の目の前にいる敵に集中出来るのだ。

 

「大魔王さえいなければ、お前達も寿命を全う出来たのかもしれないな。だが、すまない。私達にはやるべき事があるのだ」

 

 息も切れ始めたダースリカントの力ない一撃を盾で弾いたリーシャは、血走ったその瞳を真っ直ぐに見つめながら、がら空きになったダースリカントの胴に向かって魔神の斧を振り下ろした。

 魔の神が愛し、大地さえも斬り裂くと伝えられる斧の一閃がダースリカントの胸へと吸い込まれて行く。振り下ろされた斧が綺麗な軌道を経て振り抜かれ、それを片手で回したリーシャが、石突きで地面を打つと同時に、ダースリカントの胸から一直線に切れ目が入った。

 自分が斬られた事さえも理解出来ないダースリカントは、己の身体から溢れ出す体液と臓物に困惑の表情を見せる。力の入らなくなった身体が膝から崩れて大地に着く時、哀れみを含んだ瞳を向けたリーシャが真横に斧を薙いだ。

 

「カミュはどうだ?」

 

「私達が手を出す必要はないでしょうね」

 

「…………むぅ…………」

 

 ダースリカントの首が地面に落ちるのと、前方で獣の断末魔が聞こえたのはほぼ同時であった。

 上位の竜種との戦闘で己の未熟さを痛感したカミュとリーシャは、今まで以上に実践的な鍛錬を重ねて来ている。それこそ、サラやメルエが起床する前から、彼等は本当の武器を手にして模擬戦を重ねて来ていた。

 腕や足が欠損しなければ、首が落ちなければ、カミュが契約しているベホマで傷の治療は可能である。だからこそ、二人はギリギリの戦いを繰り返していた。切磋琢磨という言葉が合うように、最近ではリーシャがカミュに教わる事も多くなった。辛うじて、未だにリーシャの方が上の地位を維持してはいるが、この旅が終わる頃にはその立場は逆転してしまうだろうと、リーシャは思い始めている。そして、その日はそう遠くはないのかもしれない

 

「メルエ、熊さんのお墓を作りましょう?」

 

「…………ん…………」

 

 カミュの突き入れた雷神の剣がダースリカントの胸を貫き、背中から突き抜ける。大きな口から吐き出された体液の量が、この魔物に残された命の時間を物語っていた。

 引き抜いた剣に引っ張られるように前のめりに倒れたダースリカントは、数度の痙攣の後で息絶える。その最後を見届けたカミュが剣を振って体液を飛ばし、鞘へと納め終えるのを見て、サラは隣で哀しそうにダースリカントの死体を見つめるメルエへある提案を口にした。

 戦闘となれば容赦はしない。自分や自分の大事な者達を傷つけようとするのならば、躊躇無くその命を奪う。だが、それでも他の生き物の死という現象を哀しく感じる事の出来るメルエが、サラは心から愛おしく感じた。

 竜種の因子を受け継ぐとはいえ、遥か昔の祖先である事は間違いは無く、メルエの中に流れる血は人間と変わりはない。人間と同じような心を持ち、人間と同じような死を迎える。それを人類と呼ばずに、何が人類なのだろう。

 そんな人間としての感情と心を持った少女が、他の種族の死を哀しむという事が、サラの目指す輝ける未来への道を明るく照らし出しているようにさえ感じていた。

 

「カミュ、私達が穴を掘るぞ」

 

「穴を掘るならば、俺ではなくアンタだろう?」

 

 確かにカミュの言う通り、穴を掘るのならば剣よりも斧の方が楽であろう。だが、神代から繋がる強力な武器を穴掘りの道具として考える勇者に、リーシャもサラも呆れた溜息を吐き出した。

 近くに落ちていた石などを使い、簡単な穴を掘った後、カミュとリーシャがダースリカントの遺骸を一つ一つ丁寧に埋めて行く。その穴にサラとメルエが土を掛け、最後にメルエが積んだ花を添えた。

 実は、闇に包まれたアレフガルドで咲く花は、懸命に生きている証であり、それを摘む事に抵抗感を感じながらも、小さく謝罪の言葉を口にしてメルエは積もうとしていたのだが、それをリーシャが一度止めている。不思議そうに見上げた少女に笑みを溢した彼女は、土ごと花を掘り起こし、ダースリカントを埋めた近くに植え替えたのだった。

 

「世界広しといえども、魔物の墓を作って祈りを捧げる者は、あの二人しかいないだろうな」

 

「……そうだな」

 

 植え替えた花に頬を緩ませたメルエは、隣に跪いたサラに倣う様に胸で手を合わせる。瞳を閉じて冥福を祈るその姿を後方から見ていたリーシャは、誇らしそうに微笑み、カミュへ同意を求めた。そんなリーシャの言葉に小さな笑みを浮かべた勇者が頷きを返し、それを見た彼女は満面の笑みを浮かべる。

 魔物を恨み、魔物を憎み、その存在自体を消滅する為に旅立った僧侶が、今は魔物の死を悼んで祈りを捧げている。どんな事にも興味を示さず、己の命さえも軽んじていた勇者が、今はそんな仲間の行動を好意的に受け入れていた。

 五年以上に渡る長い旅は、決して無駄ではない。己の変化を恐れず、その変化を受け入れて来た結果は決して悪い方向へ向かっている訳ではなかった。

 それがリーシャには何よりも嬉しかった。

 

「さぁ、先程の魚をもう一度火で炙って食事にしよう」

 

「そうですね、メルエもお腹が空いたでしょう?」

 

「…………おなか……すいた…………」

 

 魔物の死骸を弔った直後に、食事を口に出来るという時点で、あの心の弱かった僧侶は何処にもいないのだろう。意気揚々と焚き火の方へ戻って行く女性三人の背中を見ながら、カミュは苦笑を浮かべるのであった。

 

 

 

 その後、食事を取り、仮眠を取った一行は、再び歩き始める。山下りとなった為、登りよりも速度は上がり、幼いメルエは転ばないようにしながらも自分の足で歩いていた。

 一度の休憩を挟み、再び歩き始めた頃、ようやく一行は平地へと出る。周囲の木々の茂みが深くなり、山から森へと入った事が解る。森の中で微かに潮の香りが漂って来た事からも、海が近いのだろう。つまり、一行はようやくアレフガルド大陸の南端へと辿り着いた事になるのだ。

 森の木々は深く、只でさえ闇に包まれたアレフガルドの中でも更なる暗闇に包まれている。『たいまつ』の炎が揺らめく度に周囲の状況が確認出来るが、正直サラには自分達がどの方角へ向かっているのかさえも解らなくなっていた。

 サラは基本的に方向音痴ではない。それでもこの森の中では方向感覚が狂ってしまったように解らなくなるのだ。太陽も月も出ておらず、星さえも見えない中で、地図を片手に先頭を歩くカミュの凄さを改めてサラは感じていた。

 そんな彼女の不安を余所に、全く我関せずでメルエと話しながら歩いているリーシャを見て、サラは思わず笑ってしまう。元々、旅を続ける中で目的地までの道に関しては、全面的にカミュへと託しているリーシャにとって、己の感じる方向感覚などは気にする必要性のない物なのだろう。同じくメルエもまた、カミュ達の進む場所へ共に行くだけであるから、その道がどのような物であろうと気にする事はないのだ。

 

『……カ…ュ…カミ……』

 

 楽しそうに歩くメルエの姿に微笑んでいたサラは、突如頭の中に飛び込んで来た微かな音に顔を前方へと向ける。そして、同じように何かに反応したようなカミュの姿を見て、先程聞こえて来た物が幻聴ではない事を悟った。

 そして、もう一度振り返ったサラは、先程と同じように楽しそうに会話を続けるリーシャとメルエを見て、ある結論に辿り着く。それは、先程聞こえて来た物が、バラモス城で聞いた精霊ルビスの声と似ているという物であった。

 厳密には声ではないのであるから、それが似ているとは断定出来ない。だが、サラとカミュにしか聞こえず、それが脳に直接飛び込んで来るような類の物である点で、何らかの繋がりがあるのではないかと考えたのだ。

 

「カミュ様!」

 

 先頭でその声に気付きながらも何事もなかったように地図に視線を落とすカミュを見たサラは声を荒げる。この声が精霊神ルビスの声であろうが、他の者の声であろうが、カミュに向かって語り掛けていることには間違いがない。それにも拘らず、まるで風の音とでもいうように素知らぬ顔をして無視しようとするカミュの行動がサラには信じられなかった。

 当の本人は不愉快そうに眉を顰め、そんなカミュの反応にリーシャとメルエが何かが起きた事を悟る。集まった一行の中でもその微かな声が聞こえる者と聞こえない者が半数に分かれていた。サラから事の次第を聞いたリーシャは呆れたように溜息を吐き出し、自分が聞こえなかった事が不満なメルエは頬をぷっくりと膨らませた。

 

「…………サラ………ずるい…………」

 

「メルエ、仕方ないだろう? サラはルビス様の祝福を受けた賢者だ」

 

 膨れるメルエを窘めるリーシャの言葉が、幼い少女の心に残っていた対抗心と嫉妬心に火を点ける。ダーマ神殿で賢者としての祝福を受けたのはサラであるが、順番的にはメルエの方が先にその場に立っていた。未だに単語を全て理解出来ないメルエではあるが、あの頃は自分の名前ぐらいしか読む事が出来なかった。

 『悟りの書』という書物の中身が見えていても、その文字や文を理解する事が出来ない者を『賢者』とは呼べないという事で、メルエは祝福を受ける事が出来なかったのだ。それでも、竜の因子を受け継ぐ古の賢者の末裔となれば、この幼い少女に賢者としての才能が溢れている事は確かである。それこそ、当代の賢者であるサラよりも、才能という点では遥か上位に位置する事だろう。

 だが、それを知るのは、カミュ達三人だけである。当の本人は、自分の身体に竜の因子が残っている事も、自分の祖先が名高い賢者である事も知らない。今は、自分の好敵手であるサラという身近な姉が、自分が出来ない事が出来るという事への嫉妬でむくれているだけなのだ。

 

「カミュ様、このまま海岸沿いに進みましょう。この森の向こうから声が聞こえています」

 

「そうだな。ルビス様が本当にあの塔に封じられているのだとすれば、その声はサラの言う通りにルビス様の物ではないのだろう。何物かは知らないが、カミュの名を呼んでいる以上、お前に関係する筈だ」

 

 カミュは森に出てから北へと進路を取ろうとしていた。だが、サラはその方角に異を唱え、南端から望む海沿いを進む事を口にする。ここまで真っ向から進路に対して対立した事は、この長い旅路の中でも初めての事かも知れない。先頭に立つカミュの進む道を共に歩んでいた彼らが、行く方向に対して議論するという不思議な光景に、先程まで頬を膨らませていたメルエが首を傾げていた。

 不愉快そうに眉を顰め、舌打ちを鳴らしたカミュを見る限り、出来れば係わりたくないという想いが露になっている。不安そうにそれを見つめるサラと対照的に、『困った奴だ』とでもいうように笑みを浮かべて溜息を吐き出すリーシャは、首を傾げているメルエを抱き上げた。

 

「カミュ……私達は、こうやって細い糸を手繰って来たのではなかったか?」

 

「ちっ」

 

 行く事を拒否するように顔を背けていたカミュに最終勧告が為される。その言葉を否定する事は彼にも出来ず、反論出来ない代わりに大きな舌打ちが響いた。

 メルキドという町へ向かってはいるが、その場所に何かがあると云う情報を入手した訳ではない。唯一あるとすれば、ガライという吟遊詩人がいるというぐらいな物だ。それでも、ガライという人物がカミュ達の旅に何らかの影響を与える事はないだろう。つまり、メルキドへ行くのは、新たな情報を仕入れる為とも言えるのだ。

 故に、カミュにはサラの提案を退ける明確な理由がない。二人が聞いた声という細い糸を手繰るという道を蹴る事は出来ないのだ。何故なら、リーシャの言葉通り、そういう方法で彼等は旅を続けて来たからである。細く頼りない糸のような情報を辿って、彼等は誰も辿り着けなかった魔王バラモスの居城へ入り、誰も成しえなかった魔王討伐という偉業を成した。

 それが『勇者一行』の旅である。

 

「さぁ、行こう」

 

 常に最後尾を歩いて来た女性戦士の掛け声で、先頭のカミュが森を東へと歩き始める。それはサラが示した方角であり、二人が微かに聞いた音の発信源の方向であった。

 不思議そうに首を傾げていたメルエも、次第に濃くなって行く潮の香りに頬を緩める。木々の隙間から見える真っ暗な闇が、海である事を明確に物語る程に潮の香りが濃くなって来た頃、一行はようやく木々が生い茂る森から出た。

 そこは芝が生い茂る平原ではなく、砂地で覆われた砂浜であった。押し寄せる波が打ち上げられ、それが再び海原へ戻るという繰り返しが心地良く感じる程に優しい音を生み出す。生命の源とさえ言われる海という大きな神が、カミュ達の帰りを喜ぶように、静かな歓迎の舞いを舞っていた。

 

『……こっち……へ……』

 

 潮風を胸一杯に吸い込もうとするメルエに苦笑を浮かべていたサラは、再び聞こえて来た声に反応する。即座にカミュへ視線を送ると、諦めたように彼は歩き出した。

 砂浜を真っ直ぐ東に進み、いつまでも続く潮の満ち引きの音を聞きながら、魔物の襲来もなく彼らはその場所へ辿り着く。それは、幻想的な光景であった。

 遥か昔は美しい場所であったのだろう。綺麗な装飾が成された外壁には今では苔が生え、周囲を護る堀に入れられた水は腐り、異様な香りを放っている。何かを祀るような外装から見ても、この場所が特別な祠である事は解るが、この場所を訪れる者がいなくなって久しい事を外観が物語っていた。

 そんな祠の入り口の扉の前に、見慣れた石像が置かれている。それは、このアレフガルドを護る英雄や勇者を模造した物ではなく、このアレフガルドそのものを造ったと伝えられる、アレフガルドの母の像。

 精霊神ルビスであった。

 

「ルビス様に纏わる祠なのでしょうか?」

 

「カミュとサラにしか聞こえない声というのであれば、そうなのだろうな」

 

 入り口の前で立ち止まった四人は、祈りを捧げるように手を合わせる石像を見上げる。感傷的な口ぶりのサラに対し、現実的な言葉を返すリーシャ。そんな二人に対し、無言で扉へ進んで行くカミュを追って、メルエが小走りに駆けて行った。

 重苦しい扉を押し開くと一気に押し寄せるかび臭さが、この場所が長年放置されていた事を物語っている。顔を顰めたメルエがカミュの腰に顔を押し付け、それに苦笑したサラがメルエの手を引いて後ろへ下がった。

 先に中に入ったカミュが『たいまつ』を翳して奥を確認する。闇に包まれたアレフガルドで長年放置されていた場所であれば、魔物の棲み処になっていても可笑しくはなく、中が崩れていても不思議ではないのだ。

 

「え?」

 

 しかし、そんな一行の不安は杞憂となる。カミュに続いてサラやメルエが入り、最後にリーシャが扉を潜ると同時に、後方の扉が自然に閉まった。

 扉が閉まると同時に周囲にある燭台に一斉に炎が点り、祠内部を一気に照らし出す。外観からは想像さえも出来ない程の美しい光景がそこにはあった。

 円を描くように設置された全ての燭台に炎が点り、その燭台の内側を綺麗に澄んだ水が円を描いて流れている。堀の内側には草花が生え、綺麗な花を咲かせた植物からは甘い香りが漂っていた。

 真っ直ぐに伸びた石畳には、職人によって美しい絵画が彫り込まれており、その一つ一つの凝った出来栄えが、この場所の神聖さを物語っている。美しく装飾された石畳の向こうには一際大きな絵画が掛けられており、その絵画の出来栄えは、知識の無いカミュ達でも言葉を失う程の物であった。

 中央には精霊ルビスと思われる、紅く豊かな髪を持つ女性が立ち、その周囲には満面の笑みを浮かべた妖精達が飛び回っている。そんな妖精と精霊神の戯れを微笑ましく見守る精霊達が脇を固め、この絵画に描かれた全ての者が、中央にいる女性を愛し、慕っているようにさえ見えた。

 

『よくぞここまで来ました。私は、その昔にルビス様にお仕えしていた妖精です』

 

 幻想的な光景に言葉を失っていた一行は、突然目の前に現れた存在に息を詰まらせる。先程まで精霊ルビスの周囲を飛んでいた絵画の妖精が、そのまま絵から抜け出てしまったのではないかと思う程に予兆もなく声が飛び込んで来たのだ。

 既にその声はカミュやサラだけではなく、リーシャやメルエでさえも聞こえ、その姿もはっきりと視認出来る。妖精の姿をこれ程にはっきりと生み出す事が出来る程に、この祠は強い力を秘めているのだろう。

 

「貴方がカミュですね。あの時、ルビス様のお声を届けたのは私です。貴方達のお陰で、ルビス様を封じる力は弱まりました。ですが、未だにその封印は解かれません。貴方達ならば、必ずやルビス様を解放する事が出来る筈です」

 

「やはりルビス様はあの塔に……」

 

 真っ直ぐ妖精へ視線を向けながらも、返事一つしないカミュに代わって、サラが妖精に問いかける。そんな行動を特に咎める事なく、その妖精は小さく頷きを返した。それは、ここまでの旅で、『人々の間に飛ぶ噂』でしかなかった事柄が、明確な事実となった瞬間でもあったのだ。

 ルビスの従者を名乗る事は人間でも出来る。それは勝手な思い込みや煽て上げられた者ばかりであるが、自称をするのは自由であり、余程の悪行に走らない限りは咎められる事はない。だが、目の前に居る妖精という存在は別であろう。

 カミュどころか、メルエよりも小さく、人間と比べる事自体が愚かであると感じる程の背丈しかない。背中には蝶や羽虫のように透き通った四枚の羽が生え、その羽根を動かす事でカミュ達の目の前で小さな身体を宙に浮かしていた。

 そのような神秘の存在が精霊神ルビスの従者として働いていたとなれば、それは人間が口にするよりも遥かに信憑性がある。それに加え、あのバラモス城でルビスがカミュに語り掛ける媒体となっていたとなれば尚更であった。

 

「どうか、どうか、ルビス様をお救いください。このアレフガルドにはルビス様のお力がまだまだ必要なのです。ルビス様を解放出来るは、今代の勇者である貴方だけです」

 

 先程のサラの質問に頷きを返してはいたが、この妖精の瞳に映る人間はカミュ唯一人なのかもしれない。カミュの眼前を飛び、真っ直ぐにその瞳を見つめて語られる言葉に切実な願いが込められていた。本来、妖精という括りであれば、上の世界に居たエルフやドワーフ、ホビットなども妖精という事になる。そういう人間よりも遥かに上位の力を持つ存在がカミュのような一人間に対して、懇願するという事自体が異常であった。

 魔王バラモスを倒そうと、どれ程に強力な武器や防具を身に纏おうと、カミュは人間である。ジパングの国主の血筋という一般の者とは異なる部分はあるが、それでも人間という理から出てはいない。サラのように神や精霊の祝福を受けてその身に宿る力を変化させた訳でもなく、メルエのように太古の異種の因子を持っている訳でもない。彼はアリアハンを出た頃から何一つ変わらず、己を磨いて来た一人間なのだ。

 

「私の想いと願いを、この杖に託します。ルビス様に愛される貴方ならば、ルビス様をお救いになられたその時には、その愛の証を賜る事でしょう。この『雨雲の杖』と何処かにある『太陽の石』、そしてルビス様の愛の証を持って、東南に浮かぶ聖なる祠へお向かい下さい」

 

「……雨と太陽が合わさる時、虹の橋が掛けられる」

 

 頭に直接響く妖精の声を聞いていたサラは、突如目の前に現れた一本の杖を見て、ラダトーム王城で聞いた伝承を思い出す。それは、次期ラダトーム国王である王太子が語った、アレフガルド大陸に古くから伝わる言い伝えであった。

 カミュの目の前で浮いている杖は短い物である。メルエの持つ雷の杖の半分の長さもないだろう。『たいまつ』とほぼ同程度の長さしかなく、余計な装飾なども一切為されていない。しかし、その杖先からは絶え間なく白い煙のような物が吐き出されており、それがまるで雲のように映っていた。

 その名の通り、雨雲を生み出す杖のなのかもしれない。元来、生物というものは、太陽の恵みと、雨の恵みがなければ生きては行けない。しかし、逆に言えば、太陽の恵みだけでも生きては行けず、雨の恵みだけでも死滅してしまうだろう。二つの偉大な恵みが合わさるからこそ、この広大な大地で生物が繁栄出来るのだ。

 

「どうか、ルビス様の為にも、そして貴方達の為にも、この世界をお救いください」

 

 サラが思考の海へと落ちて行く中、目の前を飛ぶ妖精が再度カミュへ願いを口にする。先程から妖精に手を伸ばそうとするメルエを窘めていたリーシャは、何も言わずに妖精を見つめるカミュへと視線を移した。

 彼の生い立ちを一番理解しているリーシャは、彼の胸の内にある消化しきれない想いを知っている。彼が勇者となったのは、自らの意思ではなく、他者からの強制であった。それは彼の望みではなく、彼の願いでもない。如何に精霊神ルビスに愛されていようと、彼がそれを望んでいた訳ではなく、むしろその愛の為に進むべき道が決まってしまった事を恨んだとしても仕方のない幼年期を彼は送っていた。

 常に彼の願いは誰にも届かず、彼の望みは叶う事はない。自らその望みの為に動く事も出来ず、全てを諦めるしかなかった。そんな彼が、他者の願いを、それも憎むべき元凶の救出という願いに対して返答をする訳がない。

 彼の生い立ちを知った者であれば、この長い旅を共に歩んで来たリーシャ以外はそう感じた事だろう。

 

「……!! ありがとうございます!」

 

 しかし、彼は目の前を飛ぶ妖精に向かってしっかりとした頷きを返す。

 それを見た妖精の表情は一気に明るくなり、その妖精の心を喜ぶように、周囲の蕾が一斉に花を咲かせた。燭台に灯る炎は輝き、妖精の周囲にキラキラと輝く粉が舞う。妖精の持つ羽から零れ落ちるように輝く粉は、喜びの舞を舞うように飛び回る妖精の後を追って、綺麗な光の川を生み出した。

 リーシャに抱かれたメルエは、その光景に頬を緩ませる。キラキラと舞う鱗粉のような物を掴もうと伸ばされた小さな手は、この深い闇に閉ざされたアレフガルドに差し込んだ細く小さな光の筋を掴もうとする生物達の象徴なのかもしれない。そんな感傷的な想いをリーシャは感じていた。

 

「これはメルエが持っていてくれ」

 

「…………ん…………」

 

 妖精の鱗粉を取ろうと伸ばされた手に与えられたのは、先程まで宙に浮いていた小さな杖。このアレフガルドの成り立ちにさえも係わると云われている杖は、人類最高位の魔法使いの手に渡った。

 手にした者の魔法力に反応するように輝きを放った杖は、静かに雲の生み出しを停止する。そのままメルエの大事な物袋であるポシェットの中に納まり、次なる出番を待つ事となった。

 嬉しそうに飛び回る妖精がメルエの周囲を旋回し、そして飾られた絵画の中へと吸い込まれて行く。それと同時に、祠の中を照らしていた燭台の炎が、一つまた一つと消えて行った。この祠は、精霊神ルビスと、それに従う妖精達を祀った場所なのだろう。いずれ、大魔王を討ち果たした時には、再びその栄華を取り戻すに違いない。

 

「カミュ、偉かったな。メルエと同じぐらい偉かった」

 

「ちっ」

 

 まるで子供を褒めるような言葉を口にするリーシャに、カミュは大きな舌打ちを鳴らす。彼女の顔が満面の笑みを浮かべている事も、彼を不機嫌にさせる理由の一つなのだろう。理由も状況も解らないメルエもまた、母親のようなリーシャに褒められた事が嬉しく、花咲くような笑みを浮かべた。

 『たいまつ』の炎の明かりだけとなった頃、ようやくサラが再起動を果たす。己の中でバラバラになっていた事象が繋がったのだろう。この場所へ来る以前よりも、先に対する展望が開けたような明るい表情になっていた。

 

「まずはメルキドだな。その後で、もう一度あの塔へ行こう」

 

「ああ……竜種などに後れを取る訳にはいかない」

 

 一行の道は定まった。

 苦い記憶が新しいあの場所へ、もう一度挑む時が近付いている。手も足も出ず、幼い少女の決死の想いによって命を拾った場所。あれから既に数ヶ月の時間が過ぎ、勇者一行はもう一段上の高みにある。世界最高種である龍種の最上位種であるサラマンダーでさえも苦戦せずに戦える程に上がった力量は、このアレフガルドの生みの親である精霊神ルビスを救うに値する程の物となっていた。

 先頭に立って祠の扉を引いた青年は、苦しく悲しい幼年時代を過ごしている。それでも、今の彼の胸には、そのような過去さえも捨てる程の決意が宿っていた。簡単に捨て去る事が出来る想いではなかっただろう。容易く変える事の出来る価値観ではなかっただろう。だが、それでも、彼は前へと進み始めている。

 

「行くぞ」

 

 扉を開いた先には、未だに星一つ見えない闇が広がっていた。その闇もいずれ晴れる時が来るだろう。何故なら、この世界の希望は今、小さな三つの輝きと共に、大きく輝き始めているのだから。

 大地さえも創造する偉大な精霊神に愛された青年は、彼を慕い、信じる者達と共に、世界さえも覆う程の闇を晴らす光となる。

 アレフガルドの朝も、もうそこまで来ているのかもしれない。

 

 

 




お読み頂き、ありがとうございます。
次話はメルキドになると思います。
完結も近づいて来ました。
頑張って描いて参ります。

ご意見、ご感想を心よりお待ちしております。

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