新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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戦闘⑪【メルキド地方】

 

 

 

 精霊の祠を出た一行は、軽い雨が降り出した砂浜を西へと戻り、雨を避ける為に森の中へと入って行く。この五年の旅の中でも、何度となく雨は経験しているが、通常時に闇に包まれているアレフガルドでは、雨による気温の低下は激しい。衣服が濡れている事も相まって、体温が低下する事で体力さえも奪われて行くのだ。

 氷竜という最上位の竜種の因子を受け継いでいるメルエは寒さには強いのだが、流石に衣服が濡れ出すと寒さを感じるらしく、雨を避けるようにカミュのマントの中へと逃げ込んでいる。森の木々が伸ばす葉が雨を多少なりとも遮ってはくれているが、それも数年の時間に及ぶ闇の支配によって力強さは奪われており、雨を全て防ぐ事は出来ていなかった。

 

「何処かで火を熾して休むか?」

 

「いや、この分では枯れ木も見つからないだろう。地図によれば一日、二日でメルキドへ辿り着ける筈だ。行ける所までは進む」

 

 森に入った事で、雨が止む事を待つ提案をリーシャがするが、カミュはそれを斬り捨てる。確かに、この状況で雨が止む保証は何一つなく、雨で濡れ始めている木々では焚き火を熾す事も難しい。それならば、一歩でもメルキドに近付いた方が良いだろう。その考えの根本には、最悪の場合であれば、ルーラでドムドーラへ戻るという選択肢もあるという部分もあった。

 頷きを返したリーシャは、雨によって消されている魔物の気配などを注意深く探るように周囲へ目を向けながら最後尾へと戻って行く。森を抜け、橋を渡り、再度ドムドーラのある大陸へと戻った一行は、そのまま北へと歩を進めて行った。

 闇の世界でも大きく育った深い森が続き、右手には海から入り込んだ水が大きな湖を形成している。対岸が見えない湖は真っ黒な闇の穴のように見え、微かに聞こえる波の音がその場所に湖がある事を物語っていた。

 

「カミュ、森を抜ける前に一休みしよう」

 

 傾斜がある森を歩き続けて来た経過もあり、サラもメルエも少し疲労が見えている。冷たい雨を受けていた事も原因の一つであろう。海辺の森よりも木々が生い茂っているこの場所ならば、雨風を凌ぐ事が出来、枯れ木を集める事も可能だとリーシャは考えたのだ。

 それに頷いたカミュを見て、リーシャは歩きながらも乾いた木々を拾い集め始める。了承したのであれば、休憩場所に相応しい場所を見つけるのはカミュの役目であり、その時に迅速な行動を取る事が出来る準備をするのがリーシャの役目であった。

 左手には険しい岩山が聳え、右手には大きな湖がある。太陽が出た昼間であれば、これ程美しい場所もないだろう。だが、今は深い闇に覆われており、カミュ達が持っている『たいまつ』の炎だけが唯一の明かりとなっている。対岸から見れば、火の玉がふらふらと雨の中で移動しているように見えるに違いない。それは見る者によっては恐怖を感じる程の光景だろう。

 

「メルエ、メラで火を点けてくれ」

 

「…………ん…………」

 

 森の先に平原が見えて来た頃、ようやくカミュの足が停止する。それを確認したリーシャが比較的乾いた地面に拾って来た枯れ木を組んで行く。最近では、焚き火に点火する役目はメルエの物となっていた。以前とは異なり、自分の力を理解し、制御が可能となった彼女は、絶妙な力加減で焚き火に火を点す事が可能となっている。それ故に、今では他の者が点火しようとすると、それを遮って前へ出るようにさえなっていた。

 燃える炎の熱で濡れた服を乾かして行く。徐々に小雨になって来た雨は、暫くすれば完全に止むだろう。そう考えれば、既に精霊の祠を出てから一日近く歩いている事に気付く。闇で覆われた世界であるから昼と夜の感覚がないが、身体に残る疲労感がそれを明確に示していた。

 こくりこくりと舟を漕ぎ始めたメルエを見て、リーシャはその小さな身体を自分の膝の上へと乗せる。一瞬目を開けたメルエであったが、そのまま吸い込まれるように眠りへと落ちて行った。

 暖かな焚き火の炎を受け、周囲の温度も幾分か上がった頃、木々の葉を打つ雨音も止み始める。しとしとと地面に落ちる水滴も疎らになり、燃える枯れ木の半分が炭化したのを確認したカミュは、湿った土を掛けて炎を消した。リーシャに揺り動かされてメルエが目を覚まし、サラも準備を完了させて立ち上がる。

 

「服も乾いたな?」

 

「ああ、十分だろう。メルキドの場所は解るのか?」

 

 立ち上がったカミュの確認に頷いたリーシャは、彼が広げた地図を覗き込む。『妖精の地図』と呼ばれるそれは、精霊神ルビスの下で働く妖精が描いたと伝えられる地図であり、このアレフガルド大陸の隅々までを詳細に記載した物である。その地図にもメルキドという町の名前は記載されているが、その場所までの経路は覗き込んだリーシャには理解出来ない物であった。

 首を傾げるリーシャを見上げていたメルエも同じように首を傾げ、それを見たサラは柔らかな笑みを浮かべる。何が楽しいのか理解出来ないが、首を傾げた後でメルエは楽しそうに水溜りに足を踏み入れ始めた。ぱしゃぱしゃという音と共に飛沫がサラの足に掛かり、それを嫌がる姿を見たメルエは、尚の事サラに向けて飛沫を飛ばす。それは、リーシャの拳骨が落ちるまで続くのであった。

 

「これまた大きな橋だな」

 

「そうですね。やはり大きな湖なのですね」

 

 森を出て平原を歩き続けると、右手にあった湖を渡る為の橋が見えて来る。この場所まで来ると、左手の大きな山脈から流れ込む水によって淡水化しているのだろう。時折跳ねる魚達に目を輝かせたメルエが、橋の欄干から既に川のような幅になった湖を覗き込んでいた。

 この橋を見るだけでも、如何にアレフガルドという大陸の技術が優れているのかが解る。基本的に力も魔法力も上の世界の住人達よりも弱いアレフガルド大陸の者達がこれだけの橋を作り出すには技術力が必要となる筈であった。精霊神ルビスにより近い為なのか、神代からの技術が残っている為なのかは解らないが、武器や防具の種類から見ても、アレフガルド大陸の技術力は高い位置にあると考えても良いだろう。

 

「メルエ、見ていても真っ暗でしょう? 行きましょう」

 

「…………むぅ…………」

 

 ただでさえ闇に包まれていて湖の中など見えはしない。それに加え、雨上がりで濁った水では、如何に『たいまつ』で照らそうとも、その中で生きる生物達の姿は見える訳がないのだ。それでも、少女にとっては不満なのであろう。頬を膨らませて不満を露にしてサラの手を握る姿に、リーシャは苦笑を漏らした。

 橋を渡り切った一行は、先程の強い雨の影響でぬかるんだ地面を注意深く歩く。人の往来が少なくなっているこの道は、僅かな雨でも歩行が困難になる程に荒廃していた。ぬかるみに足を取られ、歩く事が困難になったメルエを抱き上げたリーシャは、本来であれば雨上がりの太陽に輝く草原へと視線を移す。

 

「このまま南へ下る」

 

「そこにメルキドがあるのか?」

 

 地図から目を離したカミュは、後方で平原を見つめているリーシャ達に目指す先を指し示す。リーシャの問いかけに頷きを返し、そのまま歩き始めた彼の後を追って、二人は歩き出した。

 人の手が入らず、伸び切った芝を掻き分けて歩いていた一行は、雨上がりの濡れた草の先に奇妙な動きをする影を見つける。先頭のカミュの動きが止まり、背中の剣に手を掛けながら歩き始めた事で、他の三人もまた戦闘準備態勢に入った。

 静かに歩みを始めた一行であったが、その先で奇妙な光景を見る。闇のアレフガルドの中でぽっかりと灯る明かりは、明らかに火を熾した事による物である事が解る。それが町の灯りではない事は、立ち上る煙の量からしても確かであろう。

 マイラの森の中で雷神の剣を手にした大魔人と遭遇した時を思い出したカミュは、その時に手にした剣を握り締める。近付く程に漂い始める焦げた臭いが、この明かりの元が炎である事を示しており、雨上がりである事を考えれば、それが自然に生まれた炎でない事を物語っていた。

 

「何かがいるぞ?」

 

「いつでも戦闘に入れるようにしておけ」

 

 この先の炎が人工的なものであるとすれば、カミュ達の持つ『たいまつ』の炎は既に相手にも見えているだろう。警戒という段階は過ぎ、臨戦という段階に入る。地面に降り立ったメルエも雷の杖を手にし、いつでも呪文の行使が可能な状態に入った。

 一歩一歩近付くカミュ達の視界に、立ち上る大量の煙と、周辺を明るく照らす大きな炎が見えて来る。そして、その周囲を踊るように回る二体の生物が見えた。

 炎に照らされて映るその姿は、人間と全く相違ない形をしており、異なる部分と言えば、その体躯の色だけであろう。真っ赤に燃え上がる炎に照らされているにも拘わらず、踊りを踊るその身体は闇に解けるような暗い青色をしている。それは、通常の人類では考えられない色であり、カミュ達が見て来たエルフ族などでもあり得ない色素であった。

 腰に巻いた布のような物は、体躯とは正反対に真っ赤な血のような色をしており、右手に持った不気味な杖の先には、小さな頭蓋骨が嵌め込まれている。踊る中で動かされる顔には、楕円形の奇妙な仮面が付けられており、時折発する叫びは、この世に生命を持たぬ者への呼びかけにさえ聞こえる程に不気味な音であった。

 

「あれは、腐乱死体を呼ぶ奴か?」

 

「おそらくですが、それの上位種に当たる魔族でしょうね」

 

 踊りに意識を向けているからなのか、近付くカミュ達に気付いていない魔族を見て、リーシャはその存在をサラへと問いかける。その問いかけに対し、サラの考察は適切であった。

 シャーマンやゾンビマスターといった、この世で生きる者ではない魔物を呼び出す魔族との戦闘は何度か行っている。何体も腐乱死体を呼び寄せるその戦闘方法は、生者にとっては地獄のような時間であった。

 漂う死臭に腐敗臭。その全てが生きている人間にとっては耐え難い異臭であり、苦痛である。更には身体への気遣いもなく全力で振るわれる腐乱死体の腕は、無意識に身体の損傷を考えて力を抑えて行動する生者にとっては脅威であった。

 

「気付かれなければ、そのまま素通りしたいが……」

 

「しかし、あれが何の儀式かは解りませんが、メルキドの町に悪い影響がある物であれば、放ってはおけませんよ」

 

 歴戦の勇士であるリーシャであっても、腐乱死体との戦闘は避けられるのであれば、避けたいというのが本音であろう。だが、焚き火の周囲を踊り回る魔族の行動がこの近くにあるメルキドという町に対して悪影響を及ぼす物であるならば、サラという賢者にとっては捨て置く事は出来なかった。必然的に、彼女達二人は、この一行の決定者である青年へと視線を送る事になる。

 当の青年は先頭で屈み込みながら、注意深く魔族の動きを見ていた。見えているのは二体だけではあるが、既に腐乱死体を呼んでしまっている可能性は否定出来ない。その上、この魔族自体が他にいる可能性も考えると、迂闊に飛び出す事は危険であった。

 静かに剣を抜いたカミュが、ゆっくりと焚き火へと近づいて行く事で、リーシャ達も戦闘態勢へ入る。しかし、サラの頭の中には、一つの不安が残されていた。それは、万が一の可能性ではあるが、この魔族が行っている儀式が悪しき物ではない場合である。先程の雨を請う為の儀式であれば、この大地で生きる者達にとっての恵みでもあり、それをサラ達が断罪して良い訳がない。だが、哀しい事にカミュ達にそれを確認する術はなかった。

 

「うっ……カミュ、アレが来るぞ」

 

 そんなサラの憂いは杞憂に終わる。一歩前へと踏み出した一行の鼻に、最早嗅ぎ慣れた臭いが飛び込んで来たのだ。生物が死滅し、その形状を保つ事が出来なくなった際に放つ強烈な臭いであり、腐り、朽ち果てるのみとなった物が放つ臭いが周囲に充満して行く。

 丁度、風下に位置する場所にいたカミュ達は、その腐敗臭を受ける形となり、抑え切れない吐き気と、目に染みるような痛みに襲われた。焚き火の周囲を回る魔族に導かれるように集い始めた腐乱死体の数は多い。徐々に増えて行くそれは、既に五体を超えていた。

 圧倒的な腐敗臭が燃え盛る焚き火の周囲に充満して行く。最早、鼻も捻じ曲がり、臭いを感じる事さえも出来なくなった四人は、眩暈がする程の状況の中、前方の魔族を敵として明確に認識した。

 

「メ、メルエ、一気に決めましょう。あの焚き火の周囲に腐乱死体が集まったら、二人でベギラゴンを放ちます」

 

「…………むぅ………ん…………」

 

 余りの臭いに涙目になりながらサラの腰に顔を埋めていたメルエは、その提案に小さな頷きを返す。腐乱死体は動きも遅く、炎に弱い。一気に焼き払えば、それ程苦労せずに一掃出来ると考えたのだ。

 そうなれば、残る二体の魔族の相手はカミュとリーシャとなる。未知の魔族の戦闘能力は把握出来ていないが、それでも単体でドラゴンと同等の力を有しているとは思えない。そうであれば、再度ドラゴンとの戦闘を望む彼らの敵ではないだろう。

 

「…………ベギラゴン…………」

 

「ベギラゴン」

 

 カミュとリーシャが様子を窺っている間に、集まり始めた腐乱死体は、魔族の周囲に全て集った。炎に照らし出される腐乱死体の姿は醜い。皮膚は腐り落ち、腐り切った肉は不快な体液と共に地面へと落ちている。生前に着ていたであろう衣服もまた、布の切れ端を身に纏っているようにしか見えない有様であった。

 人とは思えない程の呻き声を漏らしながら歩き回る腐乱死体は、生者にとって恐怖以外の何物でもないだろう。そんな十体近い腐乱死体は、一気に吹き荒れた熱風に飲み込まれて行く。人類最高位に位置する魔法使いと、人類唯一の賢者が放った最上位の灼熱呪文は、焚き火の手前に着弾し、恐ろしいまでの炎の海を生み出した。

 

「ウ……アア……」

 

 腐った肉の焼ける臭いが立ち上り、創造神の御許へ還るように天へと上って行く。ベギラゴンの着弾と共に駆け出したカミュとリーシャは、炎の海を避けた二体の魔族を追って各々の武器を握った。

 しかし、全ての腐乱死体が炎の海に飲まれて天へ還る訳ではない。最早、痛みも苦しみも感じる事のない生きる屍は、炎によって自分の身体が燃える熱さも感じる事は出来ないのだ。故に、炎に撒かれてもそのまま歩き続ける者達は出て来る。腐乱が進む事によって燃え易くなった身体に炎を纏いながらも前進して来るその姿は、心の弱い者からすれば、心を壊してしまっても可笑しくはない姿であった。

 炎の腕を伸ばしてカミュやリーシャに掴みかかろうとするグールの群れを、前衛二人は容赦なく切り捨てて行く。この土地で放置された年数が長く、腐乱死体として目覚めてからも多くの時間を過ごして来た者はグールとなる。そんな逸話が残る魔物ではあるが、基本的性能は腐った死体などと相違はない。既に竜種とさえも戦う事の出来る者達に触れる事など出来はしなかった。

 

「キイィィィ」

 

 グール達を切り捨てていたカミュの真横から勢い良く振り抜かれた棒は、即座に掲げた勇者の盾によって防がれる。仮面を付けていても解る程の怒気を放ち、持っている儀式用の杖を振り回す姿は、魔族らしい禍々しさを持っていた。

 当初の予想通り、二体の魔族はベギラゴンという最上位の灼熱呪文の炎から身を避けている。流石に無傷という訳には行かなかったのか、身体のあちこちに火傷の痕が残ってはいるが、命に係わる程の怪我ではない。焼け焦げながら地面へと倒れ、煙と共に天へと還って行く腐乱死体達が周囲を覆う中、二体の魔族がカミュ達の前に立ち塞がった。

 

【マクロベータ】

シャーマン族の最上位にいる魔族である。生きる屍の支配が未熟な内はシャーマンと呼ばれ、操れる屍の種類や量が増えてくれば、ゾンビマスターとして扱われる。多くのシャーマンを支配下に置くのがゾンビマスターであれば、そのゾンビマスターを従わせるのが、マクロベータであると云われていた。

脳も腐り、自我さえも失った腐乱死体を完全に支配するだけではなく、大魔王の魔法力を利用してその腐乱死体を生み出し続ける事が出来るという事も、マクロベータである証なのだ。

本来は魔族などではなく、異常な研究に没頭した人間の成れの果てなのかもしれない。長い時間を経て、人間界から追放された彼等は、魔にしか拠り所を持てず、より強い力を求めて魔族との交配を重ねていった結果がシャーマン族の起源だという説もあった。

 

「カミュ、こいつらは回復呪文も使うようだぞ」

 

「完全に傷が塞がっているな……。ベホマかもしれない」

 

 マクロベータの攻撃を防いだ盾を降ろしたカミュの横にリーシャが戻って来る。もう一体のマクロベータとの戦闘の中で斬りつけた胸の傷が塞がって行く事を伝えに来たのだ。

 視線をマクロベータへ向けると、胸に向かって手を翳し、淡い緑色の光と共に傷を癒す姿が見える。浅い傷ではない事は、地面に溜まっている体液の量を見れば解る。それでもその傷が完全に塞がった事を確認したカミュは、それが最上位回復呪文の効果だと断定した。

 最上位回復呪文であるベホマは、『悟りの書』に記載されている呪文である。それが示す事は、人類でも賢者に相当する者以外は契約が不可能であるという事であった。現に、このアレフガルドのみならず、上の世界を含めても、人類で行使出来るのはサラとカミュの二人だけであろう。もしかすると、エルフ族の中でもこの呪文を行使出来る者は皆無に等しいのかもしれない。もし可能であるとすれば、傷ついたエルフ達を救い、導いて来た女王だけであろう。

 マクロベータという腐乱死体を操る魔族と、最上位の回復呪文がリーシャには結びつかない。死者を操るという行為と、生者を癒すという行為が真逆の事だという認識があるのだろう。

 だが、よくよく考えれば、腐乱死体を生み出すという行為は、言い方を変えれば不完全な蘇生に等しい。死の呪文を受けた者だけに効果を示すザオリクやザオラルとは異なり、完全な死者をこの世に呼び戻すのだから、それは魔術というよりは神術に近いのだろう。元々、シャーマンとは神と人との架け橋となる者の呼称であった。雨を請う祈りを捧げ、実り多きを願う言霊を捧げ、神の言葉を聞く事の出来る者達だった故の力なのかもしれない。

 

「腐乱死体を呼び寄せて町を襲わせる訳にはいかない。回復出来るのならば、せめて苦しまぬように一撃で意識を刈り取るしかないな」

 

「魔族や魔物に慈悲を向け、その未来を憂うのは俺達の仕事ではない。その苦しみと悩みを抱え続け、それを実現する人間は他にいるだろう?」

 

 回復呪文によって癒えるのは傷だけである。体内を巡る血液や体液は戻らず、体力も戻るまでに時間を要する。傷を付け、それを癒し、という事を繰り返せば、想像以上の痛みと苦しみを味わう事になるのだ。そんな事を口にし、少し悩むように眉を顰めたリーシャに向かって発した言葉は、辛辣ながらも彼女に喜びを運ぶ物であった。

 彼は口にしたのだ。この先の未来では魔族や魔物の命さえも考慮に入れられる世界があるという事を。そして、それを実現するのが、彼らの後方で戦局を見つめている一人の女性であるという事を。今はただ、その優しい未来を邪魔する大魔王ゾーマという元凶を倒す事だけに、自分達は邁進するだけで良い。その中で必ず未来のへの道標を見つけると彼は信じているのだ。簡素で投げやりな口調ではあるが、前を見る彼の瞳がその信頼を物語っている。それがリーシャには何よりも嬉しかった。

 

「ああ、サラの目指す未来は明るいぞ。その為の泥はお前が被ると言っていたな」

 

「俺が被るとは言っていない。別にアンタが全て被っても良い筈だ」

 

 奇声を上げる魔族を前にして軽口を叩き合う二人の表情には笑みが零れている。ルビスの塔への再挑戦という状況を前にして、彼等二人には焦るような危険な感情はないのだろう。特にカミュにとっては、精霊神ルビスの解放など通過点の一つに過ぎないのかもしれない。憎しみさえも消え掛けている青年の心には、生まれてから初めての余裕が生まれていた。

 一気に駆け出した二人が、マクロベータの目の前で二手に分かれる。左右に分かれるように動いたカミュ達にマクロベータの視線が泳ぐ。一瞬生まれたその隙を逃さずに振り抜かれた雷神の剣が、一体のマクロベータの首を斬り飛ばした。

 噴き出す体液に驚いた残る一体は、自分に迫る巨大な斧の刃先に気付き、無理やり身体を捻るが、その鋭い振りを完全に避ける事は出来ず、肩口から腹部までを大きく斬り裂かれる。持っていた儀式用の杖は真っ二つに折れ、奇妙な仮面には噴き出した体液が盛大に降り注いだ。

 しかし、その傷の痛みをマクロベータが感じる暇もなく、もう一度横薙ぎに振り抜かれた魔神の斧がマクロベータの上半身と下半身を切り離す。その頃にこの魔族の意識はなく、既にその魂を手放し、冥府へと落ちて行っていた。

 

「一撃では仕留め切れなかったか……」

 

「腕が鈍ったのか?」

 

 一撃で首を斬り落としたカミュと、それが出来なかったリーシャ。得物の違いはあれども、その力量は着実に近付いて来ている。それを表すように、カミュの軽口に対して、出会った頃を彷彿とさせるように怒りを露にするリーシャの心の中にも、その日が近づいているという思いがあるのだろう。

 そんなリーシャに対し、逆にカミュは面を食らってしまう。彼女がここまで怒りを露にするとは思えなかったのだろう。彼の中では、目の前の女性戦士と自分の力量の差はまだまだ大きいのだ。それだけ、カミュという勇者から見ても、リーシャという戦士は高く大きな壁なのである。

 アリアハンを出た頃は、血が上り易く、敵を侮る姿を見せるような典型的な宮廷騎士だと考えていた。だが、旅を続けて行く中で、その技量の高さに驚き、何度となく敗れた模擬線で唇を噛み、いつしかその戦い方を目で追うようになって行く。対人の戦闘方法を学び、盾と剣の使い方を見て憶える。その繰り返しで強くなって行く自分を感じながらも、それでもまだ遠く高い位置にいる彼女を認めずにはいられなかった。

 アリアハンを出た頃には、頭一つ抜けていた身長も、今ではほぼ同程度にまで変化している。見上げるように話をしていた物が、今では同じ目線で会話が出来るようになっていた。身体の成長、力の増加、そしてそれに伴う技量の上昇は、年齢が上であるリーシャを上回っていたのだ。

 一頻り、怒りを口にしたリーシャは、大きく息を吐き出した後で優しい笑みを浮かべる。その成長を喜ぶような笑みは、とても柔らかく、綺麗な物であった。

 

「ちっ」

 

 理由の解らない笑みを向けられたカミュは、小さな舌打ちを鳴らして地図を開く。近付いて来たメルエがリーシャの笑みを見て笑顔を浮かべると、サラはマクロベータの遺骸に向かってベギラマを放った。

 グールのような腐乱死体は、炎に包まれた場合には骨も残らない。特にベギラゴンのような灼熱呪文を受けてしまえば、朽ち果てた肉体は全て燃え尽きるのだ。故に、周辺にある遺骸はマクロベータの物だけであった。ベギラマという中級灼熱呪文を受けて僅かに残った骨を焚き火の傍に埋めたサラは、目的地を確認して歩き出したカミュを追って動き出す。真っ直ぐに南へ向かって歩き出した先には微かな明かりが見え始めていた。

 

 

 




読んで頂き、ありがとうございました。
短いお話ですが、次話もすぐに投稿致します。

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