新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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ルビスの塔⑤

 

 

 暗闇に染まる塔内部に、凄まじい音が鳴り響く。それなりに広い空間に集まっていた虫達が、その大きな音と衝撃で一斉に拡散して行った。

 長年放置されて来た塔には、魔物以外にも生物は数多く生息している。小さな虫達のような生物は基本的に暗闇を好む者も多く、そんな小さな命がこの塔の各所で息衝いていた。

 光の鎧が封じられていた太い柱に繋がる通路から落ちて来た四体の鉄像は、下の三階層の中央にある広い空間の床に大きな亀裂を走らせる。鉄色から人間の肌の色へとゆっくりと戻って行き、最初に立ち上がった青年に遅れるように、鎧を纏った女性とサークレットを頭に装備した女性が立ち上がった。

 最も遅れて鉄化が解けた少女の手を引いて立ち上がらせた女性が持っていた『たいまつ』に再度火を点して周囲へと翳す。幾つもの燭台らしき物が見えるが、その中に枯れ草のような物は一切ない事からも、この場所が通常の人間が入って来る事の出来ない場所である事が解った。

 外から入り込んで来たのであろう枯れ草や枯れ木を拾い上げて燭台に入れ、それに火を点す事で明かりを確保する。周囲を照らす炎は小さくはあるが、それでも既に一年近くの日数をアレフガルドで過ごして来た彼等は暗闇に目が慣れ始めている。少しでも明かりがあればある程度は見通す事が出来ていた。

 

「上に戻るのか?」

 

「いや。ここが中央であれば、奥の突き当りを右に曲がればまだ行っていない場所に出る筈だ」

 

 メルエの様子を確認したカミュは、『たいまつ』を持って先頭へ出る。その後ろから行き先を尋ねるリーシャに対し、彼は迷う事なく答えを返した。

 二人の様子を見ていたサラは、何処か違和感を覚えて首を捻るが、傍でそれを面白そうに見上げながら真似をするメルエを見て、自分が感じた物の答えを知る。それは、この塔に入ってから、カミュはほとんどリーシャへ行く道を尋ねる事がないという事であった。

 正確に言うのであれば、前回の探索時はリーシャに道を尋ねていたが、今回の探索ではそれが皆無となっている。天が流す涙も晴れ、精霊ルビスとその愛を一身に受ける勇者との距離が近くなったからなのか、当代の勇者の歩みに迷いはなくなっていた。

 

「よし。メルエ、行くぞ」

 

「…………ん…………」

 

 首を傾げているメルエを呼んだリーシャは、その小さな手を握ってカミュの後ろを歩き出す。真っ直ぐに伸びた通路は暗闇に閉ざされており、魔物の襲撃の可能性を残していた。だが、それでもカミュという勇者の後方を歩く少女の顔には笑みがある。大好きな母のような存在に手を引かれながら、壁に張り付く虫へと視線を移し、その小さな命の営みに微笑みを浮かべていた。

 最後尾を歩く事になったサラは、徐々に近付く大きな力に緊張しながらも、何処までも変わらない少女の姿に心を和ませる。程よい緊張感を残しながらも、心の余裕を持ち続ける一行は、再び精霊神ルビスが封じられた塔の探索を開始した。

 

「しかし、カミュ様、その鎧が封じられていた場所は四階層だったと思います。ルビス様が封じられているとすれば更に上の階でしょうから、一度四階層に戻った方が良いのではないですか?」

 

「そうだな……確かに、上の階で鎧のある中央に行く道と、左手に進む道があった筈だ。あの左手に階段でもあるのかもしれないな」

 

 真っ直ぐ伸びる通路を歩き、行き止まりまで辿り着いた時にサラが口を開く。左手にはうっすらと明かりが見えており、その明かりが先程カミュ達が通った際に燭台に点した炎だとすれば、その近くのある階段で上の階へ戻る事は可能であろう。そして、精霊神ルビスという存在が天界より下向するとすれば、この塔の最上階である可能性は高い。封じられた場所が最上階とは限らないが、地下でない以上は最上階と考えるのが通常であった。

 そしてそれに対してリーシャもサラの言葉に同意を示す。四階層にはまだ歩いていない箇所があり、その方向に五階層へ向かう階段がある可能性はあるだろう。だが、そんな二人の言葉を聞いたカミュは、『たいまつ』を持ったまま首を横へと振った。

 

「アンタがそういう以上、あの方角に階段がない事は確定した。行くだけ無駄だ」

 

「なっ!?」

 

「……そう言われると反論出来ませんね」

 

 久しぶりに自分の意見を全否定されたリーシャは絶句し、その後で追い討ちを掛けるような言葉を発したサラを厳しい瞳で睨み付ける。どこか懐かしさを感じる程のサラの失言に、それを見上げていたメルエが小さく微笑んだ。

 その無邪気な微笑みを見て、一つ息を吐き出したリーシャは、既に歩き始めていたカミュを追って歩き出す。自然な形でその手を取ったメルエも歩き出し、残されたサラは久しぶりに硬直してしまった身体を必死に動かして慌てて三人を追い駆けた。

 右手に進む通路は再び狭い空間へと出る。そして、また右手に向かう通路が見え、この先もその一本道しかない事が解った。建物の構造上、西に向かっていた一行が北への通路に入ったと考えるべきであろう。太陽も出ておらず、光さえ届かない塔の中でそれを明確にする事は出来ないが、塔の入り口の向きから考えられる方角はそうであった。

 

「カミュ」

 

「……ああ」

 

 真っ直ぐに前進していたカミュの足が止まる。それを見たリーシャは背中から斧を取り、繋いでいたメルエの手を離した。手を離されたメルエは最後尾を歩いていたサラの横へと移動し、闇に支配された塔の奥へと視線を向ける。それは明確な戦闘開始の合図であった。

 雷神の剣を抜き放ったカミュは、『たいまつ』を壁に付けられた燭台に掛け、明かりを確保する。しかし、ぼんやりとした明かりの向こうに見えて来た姿を確認すると、顔を顰めた。それはリーシャも同様であり、不快そうに顔を顰めた後、それの到着を待たずして一気に駆け出す。

 カミュ達の前に現れた存在は、暗闇に紛れるような肌の色をしている魔族が三体。内二体は同種族である事が解るが、残る一体がカミュとリーシャの顔を顰めさせる原因となっていた。

 

「メルエ、マホカンタの準備をしておいた方が良いみたいです」

 

「…………ん…………」

 

 後方支援組となったサラとメルエは、カミュ達が顔を顰める原因となった魔物とは別の二体へ視線を向け、詠唱の準備に入る。サラが視線を送った魔物は、勇者の洞窟と呼ばれる場所で遭遇した事のある魔物であり、マイラの森でもその姿を確認していた魔物であった。

 人間では有り得ない体躯の色をしており、耳は大きく尖り、口からは牙が生える。背中には蝙蝠を思わせるような大きな翼があり、右手には鋭利な刃物を持っていた。サタンパピーと呼ばれるその魔物は、何度か遭遇して入る中で、強力な呪文を詠唱した事がある。それを見越してサラは対策を口にし、メルエはそれを察して頷きを返したのだ。

 

「うおりゃぁぁ」

 

 後方の二人が詠唱準備に入る中、一気に肉薄したリーシャは、その他の二体とは異なる容貌をした魔族に向かって斧を振り下ろす。虚を突かれたその魔族は仰け反るように斧の刃を避けようとするが、人類最強の戦士が振るう斧の速度は、魔族が考えるよりも速く、顔面を隠すように装着されていた仮面を砕き、頭部に裂傷を付けた。

 噴出す体液がマクロベータと呼ばれる魔族の顔面を濡らして行く。リーシャやカミュが顔を顰めたのは、この魔族が再び腐乱死体を呼ぶ可能性を考えたからであった。故にこそ、他の二体を無視してでも、この魔族を葬り去ろうとしていたのだ。

 体液が吹き出て尚、マクロベータは倒れる事はなく、仮面の外れた顔面を隠すように手を翳し、怒りの咆哮を上げる。それは、このシャーマン族の魔族が腐乱死体を呼ぶ時の声とは異なり、純粋な怒りの咆哮であった。

 しかし、右手に持つ杖を大きく振るい、何かをしようと動き出したマクロベータの首が静かに床へと落ちる。脳という命令器官を失った魔族の身体は、そのまま床へと崩れ落ちた。振り抜いた雷神の剣に付着する体液を飛ばしたカミュは、残るサタンパピー二体も倒そうと動き始めるが、その一歩目で行動を止めてしまう。それは、目の前の魔族が掲げる刃物の先に輝く魔法陣を見てしまったからであった。

 

「MER@40M」

 

 硬直してしまったカミュに向かって奇声のような詠唱が発せられる。それと同時に刃物の先に模られた魔法陣が輝き、その中心から巨大な火球がカミュ目掛けて飛び出した。それは、自らを魔王と呼び、カミュ達が生まれた世界を恐怖に陥れた者が使用していた呪文。

 魔王を自称する者が、『あの方』と敬称をつけて呼ぶ者が生み出した呪文は全てを飲み込み、全てを融解させる力を持った最上位の火球呪文である。闇に包まれた塔内部を一気に照らし出す明るさと熱量を持った火球が、硬直した勇者へと襲い掛かって行った。

 だが、その行動を予期していた者達が、それぞれの方法で、同じ呪文を詠唱する。

 

「…………マホカンタ…………」

 

「マホカンタ」

 

 少女が振るった杖先から飛び出した魔法力は勇者の身体を包み込み、賢者が突き出した手から発した魔法力は戦士の身体を覆って行った。

 魔法力の壁は、全ての呪文を跳ね返す光の壁となり、前衛二人を護る力となる。しかし、カミュという勇者に迫り来る巨大な火球は、マホカンタが生み出す光の壁さえも破壊する力を秘めていた筈。それを知るカミュとリーシャは、いつでも動けるように態勢を立て直し、迫る火球の熱を感じていた。だが、それは彼等前衛二人が、後方支援組の力量の上昇を甘く見ていた証拠となる。

 火球が放つ光を反射するように輝く光の壁は、火球が触れると同時にその輝きを強くした。そして、小さな亀裂も生む事なく、人一人分の大きさもあるだろう火球を弾き返す。床に当たった鞠が返って来るように、術者へと戻った火球は、その術者の身体全てを飲み込み融解させて行った。

 断末魔を上げる暇もなく消え去ったサタンパピーは、ルビスの塔という神聖な場所にその生きた証である影を残して行く。一瞬で消滅した事によって強く残った影は、おそらく消える事はないだろう。それ程に凄まじい光景であった。

 

「あの二人は益々強くなって行くな」

 

「この魔物が放つ呪文が、魔王やメルエよりも強いという可能性はないがな」

 

 消え去ったサタンパピーを見つめていたリーシャは、頼もしそうにサラやメルエを見つめて微笑む。その横で残るサタンパピー一体を睨みつけながらも、カミュは自分の考察を口にした。

 確かに、このアレフガルド大陸に生息し始めた魔物が如何に強力な者達であるとはいえども、魔王と名乗った程の者よりも上ではないだろう。そして、その魔王さえも凌駕し得る力を持つ魔法使いよりも上位の者である訳もない。それ故に、もし魔王バラモスと戦闘をした当時のメルエが放ったマホカンタであっても、先程のメラゾーマと思われる火球は跳ね返す事が出来た筈だ。

 大魔王ゾーマが生み出したと考えられる呪文を下賜された魔族とはいえ、その力量には確かな差がある。魔王バラモスは決して弱者ではない。もし、このアレフガルドという大陸でもう一度遭遇したとしたら、今の彼等であっても全滅の危機に陥る可能性は否定出来なかった。

 

「逃げるか? それも一つの選択だ」

 

 残ったサタンパピーは、カミュ達へ身体を向けながらも、逃げ腰の姿勢になっている。登場と同時に葬り去られたマクロベータの死体が転がり、同属は自分の放った最上位の呪文によって影にされてしまっていた。その状況下において、単身で向かっていく程、この魔族の知能は低くはない。そしてそれを容認するような言葉を発して剣を下ろした青年を見たサタンパピーは、恐る恐る後退を始め、それでも動かない事を確認した後で一気に戦線から離脱をして行った。

 ドラゴンという竜種の上位種との再戦に挑もうとする二人にとって、最早サタンパピーなど物の数ではない。メラゾーマという最上位火球呪文を防ぐ方法はなくとも、後方支援組の二人が磐石である限り、前衛二人が揺らぐ事はもうないだろう。それを確信出来る程度には、彼等の力量は上がっていたのだ。

 

「メルエのあの呪文は本当に凄いな。全ての呪文を跳ね返すのであれば、最早恐い物無しだ」

 

「あれは、メルエの判断力があってこそです。通常であれば、呪文に呪文を合わせる事など不可能でしょう。少しでも遅れれば呪文の効果を外へ出さない最悪の壁になってしまいますし、早ければ回復呪文さえも弾く余計な壁になってしまいます」

 

 近寄って来たメルエの帽子を取ってその頭を撫でるリーシャが口にした言葉に、サラは反論する。確かに、マホカンタの行使が一拍でも遅ければ、呪文の影響を受けた者を閉じ込める最悪の壁となってしまい、逆に敵が行使する呪文全てを恐れてマホカンタを唱えてしまえば、その後に受ける物理的な攻撃によって傷ついた身体を癒す術を失ってしまう。スクルトやスカラ、バイキルトなどとは異なり、その行使機会が難しい呪文である事は間違いなかった。

 メルエという魔法使いが世界の頂点に立つのは、その魔法力の多さや修得呪文の多さだけが原因ではない。まるで自分の手足を動かすように呪文の行使を行い、それを最適な場所と時に展開させる事が出来るという特殊な才があるからであった。

 サラという賢者は、そのメルエよりも魔法力の制御や応用には優れているが、先程のマホカンタの行使でも解る通り、メルエが行使する瞬間に合わせて詠唱を行っている。それは、メルエがサラよりも他者の魔法力の流れに敏感である事を示していた。

 

「そうか、今後の戦いでも二人を頼りにしているぞ」

 

「…………ん…………」

 

 サラの言葉の中身の半分程しか理解出来ないリーシャではあったが、メルエが凄いという事だけは十分伝わり、頼りになる小さな魔法使いに笑みを浮かべる。その笑みを受けた少女もまた、花咲くような可愛らしい笑みを浮かべて大きく頷きを返した。

 そんな二人を余所にカミュは周囲を見渡すように『たいまつ』を翳し、真っ直ぐ続く通路を歩き始める。何かに取り付かれたように突き進むカミュの姿に心配そうな瞳を向けたリーシャであったが、それでも不思議そうに首を傾げているメルエの頭に帽子を乗せ、その手を取って歩き出した。

 真っ直ぐに続く通路は、塔の北の部分へと伸びている。壁に付けられた燭台に残った火種に炎を移して明かりを確保しながら進んで行くと、再び少し開けた空間に出た。そして、そこでもまた右手に向かう通路が見え、一行はその通路へと足を踏み入れる。

 

「行き止まりか?」

 

「でも、リーシャさんはこちらの通路を示していませんでしたよね」

 

 通路に出た一行は、塔内部に入り込んで来る風の音を耳にしながらも、その先が壁に覆われた行き止まりである事に気付いた。

 先頭で足を止めたカミュに向かって口を開いたリーシャであったが、後方で首を捻った姿で真面目に疑問を呈するサラに溜息を漏らす。確かに、リーシャが指し示す方向は行き止まりが多くはあったが、それでもカミュが進む道が全て正しいという訳ではない。リーシャの示した道とは逆方面に歩く方が正しい事が多かったが、それも絶対という事はあり得ない筈なのだ。

 それにも拘わらず、リーシャの探知能力に絶対の信頼を向けているサラは大真面目に首を捻っている。それが喜ぶべき物であるのか、それとも小馬鹿にされていると怒るべき物なのかが判断出来ず、リーシャは溜息を吐き出していた。

 

「……壁が壊れている」

 

「…………おそと…………」

 

 突き当りまで動いたカミュは、左手にある筈の塔の壁がない事に気付く。先程感じていた風はこの壁に出来た大きな穴から入り込んだ物であったのだ。カミュの横からその穴を覗き込んだメルエは、それが外へと向かう穴である事を口にする。サラが口にする敬称をつけた単語であるが、何時もそれを聞いているメルエが口にすると、何処か間抜けな響きに聞こえる事でリーシャは小さな笑みを浮かべた。

 しかし、そんな微笑みは近寄って来るメルエが何故か遠退き始める事で凍り付く。先頭に居たカミュの足元の床が動き出し、まるで壁に空いた穴へ吸い込んで行くように誘っていたのだ。

 そのカミュのマントを掴んだメルエさえも運び始めた床は、そのまま一行四人全員を壁の穴へと落として行く。一瞬振り向いたカミュの瞳を見たリーシャは一つ頷きを返し、右手でメルエの腕を、左手でサラの腕を取り、床の動きに身を任せた。

 壁の穴から宙を飛んだカミュは、全員がしっかりと繋がっている事を確認してアストロンを詠唱する。何物を受け付けない鉄の塊となった四人は、そのまま重力に従って下層へと落ちて行った。

 

 

 

 塔の一階部分に大きな音と振動が響く。三階層から落ちたカミュ達は、そのままルビスの塔一階の北側に突き出した出丸のような場所に落下した。

 北側の西と東を結ぶ通路から突き出したバルコニーのような場所は、巨大な塔を安定させる為に作られた場所なのだろうが、その場所は外から入る事は出来ず、内側からも繋がる通路がない。まるで人ではない何かの出入り口のように空は開け放たれているものの、高い壁が空を飛べない人間を遮っているような場所であった。

 徐々に鉄化が解けた一行は、落下の際に消えてしまった『たいまつ』に再び炎を点し、周辺を確認してから前方に見える通路へと足を踏み入れて行く。

 

「精霊様達の出入り口なのでしょうか?」

 

「解らないな。この塔を作り上げた職人でなければ、この構造は説明出来ないだろう」

 

 通路を進んで行くと左右に分かれた道があり、後方を振り返ったサラは、この塔の不思議な構造に疑問を呈す。確かに、三階層から落とすような仕掛けが床にあった事も驚きではあるが、カミュ達だからこそ無事であっても、通常の人間であれば間違いなく死んでいる筈であった。故にこそ、どのような意図で作られたのかがサラには理解出来ないのだろう。

 侵入者を排除する為だけであれば、その先の道を作る必要はない。それにも拘らず、先程の場所から上層へ向かう事の出来る道が残されている。それは、この通路を通るという選択肢があったという事を意味していた。

 何の為にこのような経路を生み出したのか解らない。もう一点疑問を差し挟むのならば、カミュ達が落ちる事となった床は、光の鎧があった柱に通じる通路の時のように乗った瞬間に動き始めた訳ではない。まるでカミュやサラという人物を確認した後に、この場所へ誘導するように動き始めていた。それが何の意志によるものなのか、それはこの場で答えが出る物ではない。それは、この上で封印されている者のみが答える事の出来る物であった。

 

「カミュ、右で良いのか?」

 

「……アンタは左だと思うのだろ?」

 

 迷う事なく右の通路へ進路を取ったカミュの背中にリーシャは問いかける。しかし、逆に問いかけられた言葉に、彼女は言葉に窮する事となった。確かに、リーシャは何となく左だと思ってはいたが、その問いかけをする事もなく右へ進路を取る彼に対して、光の鎧を入手する前よりも胸騒ぎを感じていたのだ。

 導かれるように歩くカミュが、誰かに意志を乗っ取られているのではないかという妄想に近い不安が彼女の胸に襲う中、小さく笑みを浮かべた彼の表情がその不安を霧散させて行く。この儚げな笑みは、カミュでなければ浮かべる事ないのだ。そして、その小さな笑みに、リーシャの手を握っていた少女が満面の笑みで応えた事でそれは確信となった。

 

「行くぞ」

 

 メルエの笑みに頷きを返したカミュは、そのまま右へ折れた通路を真っ直ぐに進む。そして突き当たりの空間に見えた階段を上り、二階層へと戻って行った。

 二階層でも、北側の西と東を結ぶ通路が真っ直ぐに伸びており、そこに待ち受ける魔物もおらず、一行は難無く三階層へと足を伸ばす。三階層はカミュ達が外へと放り出された階であり、この階層の北側の通路は結ばれていない。西から伸びた通路は途中で行き止まりとなっており、反対側の東側へ出た一行は、すぐ傍にある四階層へ向かう階段を使って上層へと足を踏み入れた。

 

「その鎧があったのは四階だったな?」

 

「そうですね。確かに四階だったと思います」

 

 四階層の北東部分に出た一行は、一階層、二階層と同様に東から西へと伸びた通路を渡り始める。真っ直ぐに伸びた通路は左右をしっかりと壁が作られており、太陽が昇っている昼間でも日光が差し込む事はないだろう。通気の為の穴は空いていても、それは雨風を遮る為に下方向へ向けて空けられた物である為に光を呼び込む事はない。『たいまつ』の炎を燭台に残る僅かな枯れ木へ移す事で慎重に歩き続けた。

 通路の中央部分でこのルビスの塔に棲み付く魔物と遭遇するが、それはラゴンヌという名の魔物が二体。その魔物達は既にカミュ達の敵ではなく、脅威となる筈のマヒャドでさえも、氷竜の因子を持つメルエが唱える呪文程でもない。賢者、魔法使いの二人が放つ最上位灼熱呪文によって相殺され、その隙を突いた前衛二人の刃を受けた二体のラゴンヌは、嚙み付く相手を間違えた事を理解する事なく、命を散らして行った。

 

「この階段を上れば、最上階だろう」

 

「……そこにルビス様が」

 

 北東から北西へ繋がる通路を渡り終えると、そこには上の階層へ向かう階段が見えて来る。天から下向して来る精霊神を迎えるとはいえども、人間が生み出す建造物の層は限られているだろう。このルビスの塔は、今まで探索して来た多くの塔の中でも最も高い物ではあるが、それでも階数を増やす事には限界があるのだ。

 外観から見た状況であれば五階層までは限界であり、光の鎧が封じられていた場所が四階層であるならば、最上層は五階と考えるのが妥当であろう。そして、そこが最上層であれば、その場所に居る者は唯一人。

 『精霊神ルビス』のみである。

 

「ここから先は何があるか解らない」

 

「気を引き締め直さなければな」

 

 階段へと足を掛けたカミュは、後方へ振り返り続く三人へ警告を発する。それを受けたリーシャが厳しく表情を引き締め、それを見たサラとメルエもしっかりと頷きを返した。

 ここまででドラゴンのような竜種を確認していない。前回に遭遇した四体のドラゴンは氷竜となったメルエが全て葬っている。だが、大魔王ゾーマから見ても重要な場所となるこのルビスの塔に竜種が四体しか居ないという事はないだろう。仮に、ドラゴンがあの四体だけだったとしても、それ以上の力を持つ者がこの上層で待ち受けている可能性は大きかった。

 メルエを死に誘い、リーシャとカミュによって消滅させられた魔王の影が大魔王ゾーマにカミュ達の情報を伝えていなかったとすれば、この塔に増援が呼ばれる事はないのかもしれないが、それでもこの上の階が安全な場所であるとは考えられない。気を引き締めて動かなければ、再び全滅の危機に瀕する可能性も高いのだ。

 

「しかし、その鎧は凄いな。正直、『たいまつ』がいらないのではないかと思う程、前を行くカミュの姿がはっきりと解る」

 

「…………カミュ………すごい…………」

 

 階段を上り始めたカミュの背中を見ながら呟いたリーシャの言葉に、手を握るメルエが大きく同意を示す。その言葉通り、青白く輝く鎧は、漆黒の闇に包まれたルビスの塔の中に於いて、リーシャ達の道標のように輝きを放っていた。

 不死鳥ラーミアが羽ばたく時に発するような神々しい輝きを宿す鎧は、その勇者を誰よりも信じる少女にとっても誇らしい物となっている。自分の大好きな人間が、大好きな神鳥の紋章が刻まれた鎧や盾を身に着け、そして自分を照らす輝きとなっている事は、常に暗闇を歩いて来た少女にとって何よりも嬉しい事柄なのだ。

 満面の笑みを向けるメルエの瞳を見たカミュは、引き締めた表情の中で小さな笑みを作り、再び上層へと視線を移す。今までの不安が嘘のように霧散して行く事を感じたリーシャは、後方で頷くサラへ頷きを返した後、階段を上り始めた。

 

「右へ行っても、左へ行っても同じだ」

 

「……わかった」

 

 階段を上り終えたカミュは、視線をリーシャへと向ける。この塔に入って初めての問いかけに暫し考え込んだ彼女は、どちらの方へ向かっても変わりがない事を口にした。相変わらずの精度を持つ探知機能に驚きを見せながらも、カミュは頷きを返して階段から右手に見える通路を歩き出す。メルエと共に、そんな二人の様子を『くすくす』と笑うサラもまた、頭に乗るサークレットを直し、もう一度意識を引き締めて奥へと向かった。

 方角でいえば真っ直ぐ南へ伸びる通路には、魔物や魔族の残骸が転がっている。周囲に体液の染みのような物があるにも拘らず、全てが骨だけの形になっている事からも、何物かによって喰われた可能性は高かった。

 

「……カミュ、奥に竜種が居る事は間違いない」

 

「ああ」

 

 既にメルエの手を離し、斧を握っているリーシャが、周囲に残る白骨へ視線を向けて口を開く。周囲に散ばる骨の中に人間の物と思われる骨は一つもない。四足歩行の動物のような骨や、明らかに魔族と思われる奇妙な形の骨ばかりが転がっていた。

 ドラゴンは竜種の上位種である。史上最強種と云われる竜種は、本来であれば魔物や魔族などよりも上位に位置する存在であるのだ。それは知能や技術ではなく、単純な弱肉強食という部分で言えば、このルビスの塔内部で頂点に居るのだろう。食料がない塔内部では魔物が魔物を喰らう事もあり、それが魔物や魔族とは一線を画す竜種となれば、元々それらを食料として喰らっていた可能性も否定は出来ないのだ。

 

「メルエ、杖の準備を。今回はドラゴラムの詠唱は必要ありません。例えドラゴンになってもメルエを嫌いになる事など有り得ませんが、今回は皆の力で打ち倒しましょう」

 

「…………ん………メルエ……やる…………」

 

 燭台に炎を点しながら前へ進むカミュ達を追うように歩いていたサラは、哀しそうに床に残る骨を見つめる少女にある呪文の禁止を伝える。それは前回の探索で少女が全てを掛けて唱えた呪文であった。

 己の中に受け継がれる因子を呼び起こし、太古から流れる血脈へと還る呪文。竜種最上位種の一つである氷竜へと姿を変え、己の大事な者を脅かす敵を全て葬り去る為の呪文であり、その敵を葬らなければ姿を戻す事さえも自力では不可能な物でもあった。

 今のサラは、例え強大な力を持つ竜種に姿を変えようとも、メルエに対して恐怖を抱き、それを避けるような真似はしない。だが、この少女を妹として心から愛しているからこそ、彼女にその呪文を行使させる事を良しとはしなかった。

 

「居るな……」

 

「不意を突くか?」

 

 南へと伸びた直線の通路の先には再び東へと向かう通路が見える。そこまで来て初めて、カミュ達の耳にあの独特な唸り声が届いた。

 地の底から響くような唸り声は、竜種の呼吸とも云われている。体内から灼熱の炎を吐き出す竜種の喉は焼け爛れ、呼吸をする度に唸るような音を発すると伝えられていた。

 一息呼吸を整えたカミュは、東へ向かう通路に足を踏み出す。通路に入った途端、塔内部の大気が震え始め、カミュ達三人の頬に痛い程の威圧感が襲い掛かった。それでも、竜の因子を持つメルエの瞳に怯えの色は見えない。それを見たカミュとリーシャは、不敵な笑みを浮かべて一歩一歩中央へと進んで行った。

 

「……三体か」

 

「ならば、前回よりは楽だな」

 

 南東へ向かう通路は、半分まで進むと北へと伸びる中央を通る道と、そのまま東へ向かう道へと分かれる。壁沿いに身体を付けたカミュは、『たいまつ』の明かりを少し掲げながら中央への道を覗き込み、そしてその場所で目標となる敵を発見した。

 三体のドラゴンが床へ寝そべり、唸り声を上げながら何かを護るように塞がっている。これらを倒さずして先に進む事は叶わず、避けて通る事は不可能だろう。カミュの言葉にリーシャは軽口を叩くが、竜種の上位種が三体というだけで、通常の人間は絶望を感じる程の戦力であった。

 前回探索時は四体。確かに一体少なくはあるが、メルエが放ったイオナズンによって一体を葬り去ってからも、一行は全滅の危機まで追い詰められた事を考えると、決して楽観視出来る物ではない。それが解っているからこそ、軽口を叩きながらもリーシャは表情を崩さずに、じっとりと滲んで来る汗を感じながらも、魔神の斧を握り締めた。

 

「メルエ、俺とコイツにスクルトとバイキルトを」

 

「…………ん…………」

 

「あっ、スクルトではなく、スカラを唱えましょう。リーシャさんの分は私が唱えます」

 

 集団に効果のあるスクルトよりも、単体を対象としたスカラの方が効力は高い。膨大な量を持つメルエの魔法力でカミュは包まれ、緻密なサラの魔法力でリーシャが包まれる。それぞれの武器にも魔法力の膜で覆われ、戦闘準備は完成した。

 ついでと言わんばかりに、身体の俊敏さを上げるピオリムを二人に掛けたサラは、前方に見える緑色の鱗を持つ三体のドラゴンに視線を向ける。その威圧感は、前回遭遇した時と全く遜色はない。それでも、前回ほどの絶望感はなかった。

 時折上げられる咆哮は大気を震わせ、塔の壁が軋む。それでも足は竦まず、身体も震えない。前回の敗退から僅か数ヶ月。その僅かな時間の中で、一行は確実にその力量を上げていた。

 己の脆弱さを実感し、力量不足も痛感した。大魔王討伐どころか、その場所に辿り着く事さえも不可能である事を知り、この再戦の為に力を付けて来たのだ。

 だが、そのような事は彼等四人にとっては苦ではない。何故なら、この六年近くの旅は、最初から今までその繰り返しであるのだから。アリアハンを出た当初は魔王バラモス討伐という使命に意気込んでいたリーシャやサラは、遭遇する魔物の強さが上がるにつれ、その目標に届く為には力量を上げて行くしかない事を痛感し続けて来た。

 魔王バラモスを倒す為に上げて来た力量は、いつの間にか魔物や魔族をも圧倒する物になっていたが、それがアレフガルド大陸に来て変化する。再び挑む者としての立場に戻された彼等は、再度己を磨く事に力を入れ、そして今この場所に立っている。

 

「行くぞ」

 

 リーシャの言葉にあった『奇襲』という言葉を無視し、カミュは雷神の剣を抜き放って堂々と寝そべるドラゴン三体の前へと進み出る。その行動に驚きもせず、リーシャが斧を軽く振りながら彼の隣に並び、その後方に呪文使い二人が続いた。

 悠然としたその姿は、前回命からがら逃げ出した者達の物とは思えない。各々の瞳は怯えの色など見せず、仲間への信頼と自信に満ち溢れていた。ゆっくりと確実に中央へ続く通路を四人は歩く。一体のドラゴンが近付いて来る脆弱な人間達に気付き、長い首を上げた。

 

「グオォォォォ」

 

 脆弱な人間という獲物の出現に、一体のドラゴンが咆哮を上げ、それに呼応するように残る二体も畳んでいた足を伸ばして立ち上がる。人間の数倍の大きさを持つ竜種の身体が、凄まじい威圧感を撒き散らす中、先頭を歩く青年が纏う鎧が青白い輝きを発した。

 胸に刻まれた神鳥の紋章が飛び立つように発せられた輝きは、後方から続く三人の心に忍び寄る恐怖を打ち払って行く。『勇気』の象徴と云える青年が今、史上最強種の上位に君臨する物と再び対峙した。

 一振りした剣先から稲妻のような光が迸り、神鳥の紋章が輝く盾は全てを防ぐように空気を変えて行く。三体全てのドラゴンが小さな侵入者に襲い掛かる準備を完了させ、大きく口を開いた。

 勇者一行の戦いの幕が上がる。

 

 

 




読んで頂き、ありがとうございます。
本当はドラゴン戦終了までと思ったのですが、相当な文字数になりそうでしたので区切りました。

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