新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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リムルダール①

 

 

 

 大陸の東側へ湖に沿って歩くカミュ達は、左手に見え続ける町の明かりを頼りに歩を進めて行く。湖の畔は緩やかな波が立ち、様々な生き物が生活をしていた。それは、彼等の同道者である一人の少女にとって輝きを放つ光景である。少し歩けば屈み込む少女に困り果てたサラを見ていたリーシャは、頬を膨らませるメルエを強引に抱き上げて、先へと進んだ。

 『むぅ』と不満を露にするメルエに対して、早く宿に行って温かな食事を取ろうと提案するリーシャの顔には優しい笑みが浮かんでいる。『ぷいっ』と顔を背けるメルエに苦笑しながらも、先頭を歩くカミュの後を続いた。

 森に囲まれた中にぽっかりと空いた平原。そしてその中央にある湖に浮かんだ都市。その光景は、太陽が昇った時には本当に美しく映るであろう事は明らかである。だが、今のアレフガルドの全ては闇に閉ざされている。明かりがなければ、あの町へ向かおうと湖に落ちてしまっても可笑しくはなかった。

 

「リムルダールの町へようこそ」

 

 大陸の東側に着くと、湖と考えていた物が、堀のような物であった事が解る。湖の中央へと延びる道があり、その道はしっかりとした地面の上に出来ていた。

 しかし、左右には湖の水が満たされており、真っ直ぐに延びた道の先には大きな門が作られている。金属を使用した門は頑丈であり、大型の魔物の突進にも耐えられるような物であった。このリムルダールは、アレフガルド大陸の中でも王都の次に栄えた都市なのだろう。故にこそ、かなり高い防衛を誇っているのだ。

 ただ、平地にあるメルキドのように城壁で囲むのではなく、天然の湖に囲まれた土地に集落を作り、そこへ延びる唯一の道に頑丈な門を作る事によって、難攻不落の都市として機能しているのだった。

 

「随分と歓迎されていたな」

 

「闇に閉ざされてから、この町へ来る人も少ないのでしょうね」

 

 門兵の対応がとても良い事に、リーシャは少し首を傾げる。この六年の旅の中でもかなり上位に入る待遇であったのだ。

 だが、このリムルダールと云う都市は自給自足の町ではない。来訪者がいなければ特産は売れず、経済が停滞してしまうのだろう。故にこそ、闇に閉ざされて尚、この場所へ来る旅の者は、町にとっても重要な存在に他ならないのだ。

 今の時代、この場所に来る程の人間であれば、ある程度の強さを持つ者に限られている。それならば、希少金属などを使った武器や防具は売れるだろうし、旅に必要な道具類も売れるだろう。そして、この時代にこの場所を訪れた者は、暫くの間、この場所を離れる事が出来ない。何を目的としてこの町を訪れたのかは解らなくとも、この町を拠点とする可能性は高く、また、この地方の魔物の強力さ故に居付く人間も多かった。

 

「まずは宿屋だな」

 

「…………メルエ……おなか……すいた…………」

 

 既に一日の終わりが近いのか、町にいる人間は疎らになっている。今から情報収集や店巡りをする時間はないだろう。それを確認したリーシャは、物珍しそうに町を見ているメルエを再度抱き上げ、宿屋の看板を探す為に周囲に視線を向けた。

 情けなく眉を下げて空腹を訴えるメルエの頭を撫でながら、町の南側に宿屋の看板を発見したリーシャは、カミュを促して歩き出す。ドムドーラの町から野営を何度も繰り返してこのリムルダールに辿り着いたのだ。一行の身体に蓄積された疲労は、並大抵の物ではない。旅慣れた彼等だからこそ平然と歩いてはいるが、一般の人間であれば、過酷な旅であっただろう。それ程の苦労をしてでもこの場所へ訪れる者はいる。それがこのリムルダールの魅力を表しているのだった。

 

「いらっしゃいませ。四人様ですか?」

 

「ああ。一人部屋と二人から三人部屋の二部屋を頼む」

 

 宿屋の扉を開けると、広めのカウンターが見える。やはり太陽がある頃は多くの旅人で賑わっていたのだろう。だが、今はその広さに違和感を感じる程に閑散としていた。

 カウンターの店主は、久方ぶりの客人を満面の笑みを持って迎え入れる。この場所に留まる客はいるのかもしれないが、新規の客はいないのだろう。長く滞在している者がその宿泊費を払い続けられているかも定かではなく、それを考えればカミュ達のような新規客は経営者として歓迎すべき者なのだろう。

 ロビーとも言えるカウンター周辺では、この宿屋の客であろう親子が寛いでいる。小さな少年が走り回り、それを父親らしい男性が苦笑を浮かべて窘めていた。自分の腕の中から何とも言えない視線でそれを眺めるメルエに気付いたリーシャは、そっと床へその身体を降ろす。まさか降ろされるとは思っていなかったメルエは驚きの表情を浮かべてリーシャを見上げるが、そこにあった優しい笑みを受けて小さな微笑みを浮かべる。

 

「何処から来たの?」

 

 小さな笑みを浮かべていたメルエは、再び驚きの表情を浮かべる事となる。宿屋の店主から二部屋の鍵を受け取ったカミュがメルエ達の許へ戻って来る頃、ロビーを駆け回っていた少年が近づいて来たのだ。

 年の頃はメルエとそう変わらないだろう。だが、メルエの外見は氷竜の因子の影響もあって十歳にも満たないような姿である。メルエが生きて来た年数よりも、この少年が生きて来た年数の方が少ない事は確かであるが、当の少年からすれば、メルエは同い年程の少女にしか見えなかったに違いない。

 近づいて来た少年は、メルエに向かって笑みを浮かべながら話しかける。このリムルダールへ来る人間の中にはこの年頃の子供はいないのだろう。久方ぶりの同年代の子供に対し、嬉しそうに話しかけるのは当然の事なのかもしれない。

 それでも、相手は同年代の子供と接した事がほとんどない少女である。驚きの表情を浮かべると、カミュのマントの中へと逃げ込んでしまった。ラダトーム王都でシャナクを教えた少年には、まずサラが話しかけている。基本的に会話が苦手なメルエは、自分から誰かに話しかける事などなく、ムオルの村に居たポポタのように嫉妬の対象にもなっていない子供の問いかけに答える事も難しいのだ。

 

「?」

 

「メルエ、せっかく話しかけてくれたのに、逃げては駄目だろう?」

 

 自分が話しかけた事で逃げてしまったメルエの姿に、少年は眉を下げて首を傾げる。少年はメルエに対して敵意を持っている訳でもなく、害意を向けている訳でもない。少年としては本当に会話がしたかっただけなのだろう。故にこそ、逃げられてしまった事が不思議なのだ。

 そんな子供二人の姿に苦笑を浮かべたリーシャは、カミュのマントを広げて中にいるメルエに声を掛ける。だが、マントの中では困ったように眉を下げ、怯えたような瞳を向ける少女がカミュの腰にしがみ付いていた。

 どのような魔物に対しても臆さず、強力な呪文を使いこなす世界最高の魔法使いが、僅か一人の少年に怯える姿は、母親のような役割を持つリーシャにとっては何処か喜ばしく、そして微笑ましい物であった。

 

「凄い鎧だね……。お兄ちゃん達も大魔王を倒しに行くの?」

 

「申し訳ございません」

 

 マントの中へと逃げ込んだ少女に視線を向けていた少年であったが、すぐにそのマントを纏う青年の身体を覆う神秘的な鎧に目を奪われる。青白く輝く光を放ち、胸に記された黄金の神鳥が少年の胸に言いようのない高ぶりを覚えさせた。

 その勢いのまま口を開いた少年の発言に、ゆっくりと近付いて来ていた父親が慌てたように少年の言葉を遮る。大魔王という恐ろしい存在を息子が口にした事への恐怖なのか、それとも目の前に居る者達が持つ見た事もない武具への恐れなのかは解らないが、若干青褪めた顔色が、この父親が感じている感情を明確に表していた。

 

「そうだな。私達は大魔王ゾーマを倒す為に旅をしている」

 

「はい」

 

 そんな父親の心配が杞憂である事を告げるように、リーシャは柔らかな笑みを浮かべて少年へと頷きを返す。そしてそれを追認するようにサラもまた声を出して頷いた。

 そんな二人の様子をマントの中から見ていたメルエは、何処か悔しそうに頬を膨らませ、リーシャの腰へ移動してしがみ付く。まるで『自分以外の子供に微笑むな』とでも抗議を上げるような行動に、リーシャは苦笑を浮かべざるを得なかった。

 だが、そんなメルエを一瞥もせずにカミュを眩しそうに見上げる少年の目は、憧れのような輝きを湛えている。彼のような少年にとって、強力な魔物を剣や魔法で打ち倒して行く者は仰ぎ見る程の眩い輝きを放っているのだろう。

 しかし、そんな尊敬や憧れの視線を送る少年の言葉は、カミュ達が予想もしない物であった。

 

「でも、もう遅いよ。きっと、オルテガのおじちゃんが大魔王を倒してしまうから」

 

「オルテガ様だと……?」

 

 我が事のように胸を張る少年の微笑ましい姿は、今のリーシャには見えない。その口から発せられた名に硬直してしまったからだ。

 アレフガルド大陸でその名を聞くのは初めてではない。ラダトーム城の謁見の間にて聞き、彼女自身もオルテガの生存を確信している。だが、このリムルダールへ辿り着くまでその消息が解らなかった事もあり、不意を突かれてしまう形になったのだ。

 当の少年は満面の笑みでカミュ達を見上げ、同意を求めるように横にいる父親へと視線を移す。憧れの感情を隠しきれない息子に苦笑を浮かべた父親は、柔らかくその頭を撫でて大きく頷きを返した。

 

「オルテガ様はこの町に来ていたのか……それで、大魔王の城へ向かったのか?」

 

 能面のような表情になってしまったカミュを押し退けるように前へ出たリーシャは、少年にではなく、父親の方へ迫って行く。その圧力に怯んだ父親を心配そうに見上げる少年の表情に気付いたサラは、焦るリーシャを柔らかく抑えて口を開いた。

 

「私達は、オルテガ様と同様、上の世界からこのアレフガルドに参りました。あちらに居るのは、オルテガ様のご嫡子です」

 

「ちっ……」

 

 賢者として完成を向かえたサラは、カミュの冷たく刺すような視線に怯みはしても、一気に言葉を繋げる。この場所でカミュがオルテガの息子である事を語る意味があるかどうかは解らない。だが、オルテガの消息を尋ねるのであれば、その事実を公表する方が自然であった。

 『父の行方を捜す息子』という構図が出来上がれば、情報収集にも役立つだろうと考えたのだ。現に、オルテガという人物に対面した事のあるこの親子は、何かを感じたようにカミュへと視線を送っている。サラの言葉が真実かどうかを疑っているようではなく、何故かそれが真実である事を理解しているようであった。

 幼い頃に出会った記憶しかないリーシャから見ても、英雄オルテガと勇者カミュの外見は似ていない。雰囲気を見ても、太陽を思わせるオルテガに対し、カミュのその輝きは月を思わせる物である。だが、ジパング特有の黒いその瞳は、アリアハンの英雄と謳われた男のそれと同じ熱も持っていた。

 ここまでの六年の旅の中で、彼が迷いなく前を向く時、リーシャはその瞳にオルテガの面影を見ている。どれだけ憎み、どれだけ嫌っていても、彼がオルテガの一人息子であると思わせるその瞳は、何度も仲間達を鼓舞して来た。

 今思えば、ロマリア大陸を旅していた頃は、その瞳の輝きに曇りがあったように思う。だが、今では幼き頃に出会ったアリアハンの英雄よりも強い安心感を与える輝きを有しているとリーシャは感じていた。

 

「そうですか。オルテガ様の……。オルテガ様は記憶をなくされていると言っておられました。大魔王を討ち果たす為にこのリムルダールに寄った際に、宿を共にさせて頂き、色々とお話を聞かせて頂いたのです」

 

「そうか。オルテガ様はこのリムルダールから、大魔王の城がある島へ渡ったのか」

 

 上の世界であれば、英雄オルテガの息子だと名乗っても、信じる者は少ないだろう。だが、このアレフガルドではオルテガの名は英雄として轟いてはいない。このアレフガルド大陸での知名度という点だけであれば、カミュの方が高いのかもしれない。

 ラダトーム王都で勇者カミュの名を知らぬ者はもういないだろう。マイラの村では上の世界から来た武器屋の主人がカミュ達の名を高めている筈だ。ドムドーラでもレナという踊り子がいる。メルキドには城塞都市を守護するゴーレムを作る老人がカミュから助言を貰っていた。

 敢えて名乗りはしていない。それでも勇者カミュの存在は、このアレフガルド大陸に着実に根付いて来ている。最早、誰も知らぬ旅ではない。多くの者達の期待を彼等は背負い始めているのだ。

 

「このリムルダールで装備品などを調達されていましたので、資金を援助させて頂きました。この子がオルテガ様に憧れてしまいましたので。どうせ、大魔王を倒さなければ不要になるゴールドです。ならばと思い、オルテガ様へお貸し致しました」

 

 息子の頭を優しく撫でながら思い出を語るように話す父親の表情には優しい笑みが浮かんでいる。その表情を見る限り、息子と名乗ったカミュから資金を回収しようと考えている訳ではないのだろう。それでも苦々しく顔を歪めたカミュは、自分の腰に付いていた革袋をその父親へと突き出した。

 その行動には父親だけでなく、リーシャやサラさえも驚きを浮かべる。まさか、彼がオルテガの負債を肩代わりするとは思えなかったのだ。彼であれば、父親とも思っていない人間の負債など自分には関係ないと考えていた筈。この行動は、彼の変化という事だけが原因ではないのだろう。

 袋を開き、中にぎっしりと詰ったゴールドを確認した父親は、慌てたようにその革袋をカミュへと突き出した。

 

「そういう意味でお話した訳ではありません。これは受け取れませんよ」

 

「受け取っておけば良い。大魔王が倒されれば、必要な資金なのだろう?」

 

 突き返そうと差し出した男性の手を遮るようにリーシャが言葉を口にする。マイラの村の武器屋との会話を再現したような形であったが、こうなったカミュが己の行動を覆すとは思えない。それならば気持ち良く受け取って貰えるようにするのが自分の役割だとリーシャは感じていた。

 そんなリーシャの笑みを受け、男性は頭を下げて革袋を受け取った。この男性がどれ程に裕福な者なのかは解らないが、この闇の世界が続けばいずれ資金は底を突くだろうし、もしカミュが闇を払えば、そこからまた新たな生活の為に資金が必要になるだろう。ゴールドは有って困る物ではない。貰える物は貰うという考えの方が強かに生きて行けるのかもしれない。

 

「では、こちらをお返ししなければなりません。これは、資金を援助させて頂いた私達にと、オルテガ様よりお預かりした物です」

 

「指輪……ですか?」

 

 カミュから受け取った革袋を納めた男性は、懐から小さな布袋を取り出す。そして、その袋から掌に乗せたそれをカミュへと突き出した。

 それはサラの言葉通り、小さな指輪であった。華美な装飾などはなく、銀色に輝く輪の中央に、小さなすみれ色の宝石が埋め込まれている。女性が指にするような華やかさはないが、男性が着けるような無骨さもない。何とも言えないその輝きに、リーシャの腰にしがみ付いていたメルエが顔を輝かせた。

 受け取ったカミュの掌の中を見たいとせがむメルエを抱き上げたリーシャは、その小さな指輪がそのまま自分の許へと突き出された事に驚きを表す。男性から渡された布袋に納めたそれを、カミュはそのままリーシャへと手渡したのだ。

 

「俺が持っていても仕方がない。アンタが持っていろ」

 

「私がか!?」

 

「…………リーシャ……ずるい…………」

 

 確かに男性であるカミュがこのような綺麗な宝石が埋め込まれた指輪を身に着けるというのも可笑しな話である。だが、女性とはいえ、戦士であるリーシャが指輪を嵌めたまま斧を握るというのもどうかとサラは思っていた。

 しかし、そんなリーシャとサラの驚きを余所に、綺麗な物が自分の手元に来ない事に不満を感じたメルエは、頬を膨らませて抗議の言葉を口にする。最早聞き慣れたその言葉は、周囲の空気を和ます物になっていた。

 膨れたメルエの頬を突いたリーシャは、受け取った布袋を大事そうに腰の革袋へと納める。オルテガからカミュへと渡った物が自分の手元に来るというのが、リーシャには何かとても不思議な出来事のように感じる事となる。アリアハンを出る時、彼女はカミュを勇者という存在である事も認めず、更にはオルテガの実の息子であるという事さえも疑った。それでも旅を続ける中で、彼こそが勇者であると認め、今では英雄オルテガさえも超えた存在だと思っている。

 英雄から勇者へ、その品物が二つ彼女の手元にある。一つは兜、そしてもう一つがこの指輪であった。

 

「では、私達はこの辺りで」

 

 役目を果たしたかのように、男性は息子を促して部屋へと戻って行く。一度振り返った少年がカミュ達に向かって小さく手を振ったのを見たメルエは、リーシャに抱かれながらも遠慮がちに手を振っていた。

 

 

 

 湯浴みや食事を済ませ、ゆっくりと身体を休めた四人は、リムルダールの町での情報収集を始める。太陽は昇らずとも、朝と云う概念の許で活動を始めた町の人々の中を縫って、一行は町の中を散策して行った。

 武器屋の看板を見つけたリーシャがカミュを促し、買い物という言葉に目を輝かせたメルエが先頭を切って歩き出す。町の中という事で比較的自由にメルエを行動させている為、リーシャもサラもそんな少女の行動に頬を緩めるだけであった。

 しかし、そんな一行の耳に、聞き慣れた名が入って来た事でその足は止まる事となる。

 

「でも、私はオルテガ様が話していた事は信じられませんわ。この世界の上には、光り溢れる世界があるなんて。それに、あの方は記憶を無くしているのに……」

 

「そうか、お前はこの世界が闇に包まれてから生まれた子。光ある世界を知らぬか……」

 

 井戸で水を汲んでいる若い女性と、それの傍に立つ老人の会話がカミュ達の耳に入って来たのだ。その会話の中に出て来た名は、昨日宿屋で聞いたばかりの物でもあった。

 この世界の闇を払う為に旅を続ける『勇者』と呼ばれる青年に残った唯一の闇。彼をこの世に誕生させた親の一人であり、上の世界で名を轟かせた英雄である。このアレフガルドという大陸にどういう経緯でかは知らないが辿り着き、自身の名以外の記憶を失いながらも闇を払う旅に出ていた。

 全ての記憶を失いながらも、諸悪の根源である大魔王ゾーマを打ち倒す為に旅を続けているという事は、彼が英雄である事を物語っているのだろう。

 

「オルテガ殿もはっきりとは憶えていないのだろう。それでも、光溢れる世界と、そこに残して来た者達が記憶の奥深くにこびり付いているのだ。……記憶は必ず戻る。だが、果たしてその時まであの者が生きておるかどうか……」

 

 不満を持つように真っ黒な空を見上げる女性を見ていた老人は、独り言のように不穏な事を口にする。それを聞いたリーシャは溜まりかねたように老人へと近づいて行った。

 楽しみにしている買い物から遠ざかろうとするリーシャに不満を露にしたメルエがその後に続き、能面のように表情を失ったカミュはその場を動かない。こうなったカミュを動かす事の出来る人間は唯一人しかおらず、救いを求めるようにサラはメルエの腕を掴んだ。

 腕を掴まれた事で振り返ったメルエは、サラの意図を察してカミュの腕を掴む為に数歩戻る。腕ではなくマントの裾を握った彼女は、誘うように彼をリーシャの居る方向へと連れ立った。

 

「突然申し訳ない。私達も上の世界からアレフガルドへ来たのだが、貴方達はオルテガ様にお会いしているのか?」

 

「え? 上の世界から来られたのですか?」

 

 突然会話に割り入って来たリーシャに驚きを示した女性は、空へ向けていた視線を戻す。同様に視線をリーシャへと向けた老人は、何処か悲しみを帯びた表情をしていた。

 その表情からは、オルテガという人物を知っている人間が現れた事に対する何らかの苦悩が見て取れる。基本的に上の世界の人間に対して嫌悪感を示さないアレフガルドの人間にしては珍しい対応であった。

 

「先程のお話だが、オルテガ様は何処へ向かわれたのだ?」

 

 だが、そんな老人の反応に対して気にも留めない強い心を持ったリーシャは、真っ直ぐに再び疑問を口にする。丁寧な口調でありながらも拒否を許さない強さが言葉に宿っていた。

 ここまで来て、英雄オルテガの生存を疑う事など出来ない。それは、どれだけカミュが否定しようとも揺るがない事実である。上の世界では既に死んだ事になっている父親が生きているという事実は、通常の親子であれば涙を流して喜ぶ程の出来事なのだが、当の本人の表情は、喜びどころか全ての感情を捨て去ってしまったかのような冷たい物であった。

 この一行の中で、彼の父親について声を大にして問い掛ける事が出来るのは、彼と共にアリアハン城の謁見の間から旅立った女性戦士だけだろう。賢者となり、先程は情報収集の為にカミュがオルテガの一人息子であるという事実を公言したサラであっても、それに対してこれ程踏み込む事は出来ない。メルエなど、英雄オルテガという存在自体を知らず、それに対して何かを口にする事など有り得ないのだ。

 それは、この四人の中で唯一人、リーシャだけが英雄オルテガと対面し、言葉を交わした事があるという点も理由の一つなのかもしれないが、カミュという『勇者』の心の闇に踏み込める勇者は、共に旅をし、その心へと何度も踏み込んで行った彼女だけが持つ資格なのかもしれない。

 

「オルテガ様は、リムルダールの西にある魔の島へ向かわれました」

 

「魔の島に渡る術を知らずに行けば、海の藻屑となろう。そう伝えはしたが、頑として聞き入れようとはしなかったのだ」

 

 リーシャの剣幕に怯えながらも答えた年若い女性の言葉に対し、老人は目を伏せながらその続きを呟く。それは余りにも簡潔で、余りにも残酷な言葉。ここまで生存を信じ、疑う余地すらも無かった事柄が、根底から崩れ去る程の物であった。

 魔の島に向かうには、船は使えない。特殊な海流が来訪者を遮り、海を渡る事さえも出来ないのだ。その為の方法の一つが、リムルダール側から架かる橋を渡るという物であるのだが、その橋も既に消滅している。新たな橋を掛けない限り、リムルダール地方と魔の島の間にある海峡の海流に飲まれ、海の藻屑と消えて行く定めであった。

 

「それでも、オルテガ様は魔の島に向かわれたのか? どうやって向かうつもりなのか聞いていないのか? まさか、泳いで渡る訳でもあるまいに」

 

 老人の言葉を聞いたリーシャだけは、その生存を疑う事もない。ただ、渡る術を知らずに魔の島へと向かったオルテガがどのような方法で渡るつもりだったのかを問いかけた。もし、何らかの方法があるのであれば、カミュ達四人もそれと同じ方法で渡れば良い事であり、時間的猶予がない事を考えると、一刻も早く魔の島へ渡る必要があった。

 このアレフガルド大陸に生息し始めた魔物の強さは、上の世界に生息する魔物とは比べ物にならない。そんな魔物達と戦うのであれば、カミュ達のように万全の装備が必要となろう。前衛のカミュやリーシャが纏うしっかりした鎧に盾。そして敵を葬り去る為の武器。それら全てを身に着けたまま海へ飛び込むなど自殺行為である。特殊な海流の中を泳ぎ切る事自体が無謀であるのに、重い鎧などを身に着けたままであれば、泳ぐ前に沈んでしまう筈なのだ。故にこそ、リーシャはその方法を取るという可能性を真っ先に排除していた。

 

「わからん。どういう方法で魔の島へ渡るつもりなのかを口にはしなかった。ただ、あの鬼気迫る程の表情では、海へ飛び込んでいても可笑しくはなかろう」

 

「……そんな」

 

 リーシャの剣幕に怯みもせず、老人は静かに首を横へと振る。それは英雄オルテガの消息がこのリムルダールで完全に途絶えてしまった事を意味していた。

 精霊ルビスを解放したのはカミュである。カミュ達よりも前にこのリムルダールに辿り着いたオルテガが、ルビスの塔へ向かったという可能性は皆無であろう。古の言い伝えにある、『太陽の石』、『雨雲の杖』もカミュ達の手にある。オルテガが魔の島へ渡る方法など何一つないと言っても過言ではなかった。

 上の世界のバラモス城への道は、古の賢者の亡霊の話を信じるのであれば、オルテガが向かった頃には橋が架かっていた。故にこそ、ラーミアという不死鳥を復活させずともバラモス城へ向かう事が出来たと考えられる。

 だが、この老人の話を聞く限りでは、オルテガの来訪とカミュ達の来訪の日がそれ程離れていない可能性は高かった。それであれば、どれ程の英雄であろうとも、橋もなく、海流も激しい中、海峡を渡る事など不可能であろう。

 

「その建物に居る老婆の予言でも、オルテガ殿の先は暗かった」

 

「預言者だと?」

 

 衝撃を受けて固まったリーシャやサラから視線を外し、老人は町の南側にある小さな建物を指差す。それは、家屋としては小さく、看板も何も掛かっていない為、小さな民家にしか見えない建物であった。

 しかし、その民家の西側には、梯子が掛けられており、二階部分へ入る為の踊り場へと繋がっている。梯子さえ外してしまえば、二階部分に上がる方法もそこから降りる方法もなくなり、まるでそこへ誰かを閉じ込める為に作った階層のようであった。

 もし、一階部分の家屋内に二階へ続く階段がなければ、一階と二階が隔離された建物という事になるだろう。何処か歪な建物の雰囲気に、リーシャとサラは吞み込まれそうになっていた。

 

「では、儂らはこれで」

 

 最早カミュ達と話す事はないと老人は年若い女性を促し、その場を離れて行く。上の世界の事を聞きたそうにしていた女性を危険視したのかもしれない。上の世界という理解不能な場所から訪れた者達への反応としては、この老人の物こそが本来の物なのだろう。未知の物を恐れるという感情は人間であれば普通なのだ。

 好奇心は命を失う切っ掛けにもなる。経験豊かな人間ほど、その事実を身を持って知っている筈だ。だからこそ、未知の物、理解不能な物を恐れ、近寄らない。それこそが己の命を護る手段の一つであると、老人は知っているのだろう。

 

「どうしますか? 預言者という人の所へ行ってみますか?」

 

「魔の島へ渡る術というのを明確に知る事が出来るかもしれない」

 

 止まってしまった時を動かしたのは、サラの一言であった。

 彼等はここまでの六年以上の旅で、何度も死線を掻い潜って来ている。定められた道を捻じ曲げて彼等は歩んで来たのだ。細く頼りない糸を手繰るような旅ではあったが、誰かにその道を決められた事はない。例え、彼等の未来が魔王バラモスとの戦いで全滅という物であると予言されたとしても、彼等は歩み続けただろう。

 預言者と名乗る人物には、ルザミという忘れ去られた都で出会っている。その者が口にした未来は、『ガイアの剣』という武器がネクロゴンドの火口に投げ込まれ、道を切り開くという物であった。だが、それも結果的には、カミュ達が投げ入れたのではなく、剣が自ら火口へ落ちて行ったのだ。

 ルザミの預言者が語った内容が彼等の歩む道への助言となっても、それが決められた未来ではないという証明となるだろう。

 故に、預言者と名乗る者がどんな未来を語ろうと、彼等の歩みが止まる事はない。だが、ルザミの時のように、助言として聞くのであれば、それは有意義な物となる可能性は高いだろう。古からの伝承という曖昧な形でしかなかった魔の島への行き方が明確になるのであれば、とカミュは考えていた。

 

「そうだな。メルエが明日病気になるなどというような性質の悪い物でなければ、私達が気にするような物ではないだろう」

 

「それは、嫌な予言ですね……。メルエの身に何かあったら、この一行は機能しませんよ」

 

「…………メルエ……だいじょうぶ…………」

 

 少し表情が硬くなったカミュを見ていたリーシャが、雰囲気を変えるように声を上げる。そしてそれに反応するサラとメルエが、オルテガという名前によって険悪になっていた空気を変えて行った。

 サラの言葉通り、もし預言者が『その少女の身に……』などという言葉を口にした場合、カミュとリーシャは機能を停止してしまうかもしれない。そして、今ではそこにサラも仲間入りするだろう。

 魔物からの危機であれば、カミュとリーシャの二人は何があろうと護り切るという宣言の許に一蹴する筈だ。だが、それが内なる病などという物であれば、このリムルダールで時間を過ごし、その間にアレフガルド全域へカミュとサラがルーラを使い、薬師や医者を求めて飛び回る事になる。そんな未来が目に見えるだけに、サラは心底不快そうに顔を顰めた。

 三人がそれぞれの言葉を口にする中、表情を緩めたカミュが預言者がいるという建物へと向かって歩き出す。そして、扉に付いた金具を叩いて、ゆっくりと扉を押し開けた。

 

「こりゃ珍しい……。未来の見えない者達が来おった」

 

 扉の中には、老婆が一人。暖炉の炎の傍にある椅子に腰掛け、開いた扉へ視線を向けて目を見開いている。その瞳には驚愕の色が映り込み、カミュ達の内なる物を見ようと輝きを放っていた。

 奥へと入って良いものかどうかを悩むサラを置いて、カミュが老婆の傍まで近付いて行く。そのマントの裾を握ったメルエが椅子に座る老婆を物珍しそうに見上げていた。そんな少女の姿に、驚愕と警戒を示していた老婆の表情が緩む。優しい笑みを浮かべた老婆にメルエが返す物といえば、それは笑顔以外に有り得ない。自分に笑みを向けてくれる物に対しては、最大限の笑みで答えるのがメルエの礼儀であった。

 先程出会った同年代の少年も言葉を掛ける前に笑みを向ければ、メルエは笑顔で返したのかもしれない。今から考えれば、あの少年は少し性急過ぎたのかもしれないと、そんなメルエの笑みを見ながらサラは考えていた。

 

「ふむ。何を占って欲しいのじゃ?」

 

「……特にはありません」

 

 自分に前に現れたからには、予言という言葉を欲しているのだろうと考えた老婆が、先頭にいる青年に問いかける。だが、返って来た言葉が立ち直りかけた老婆に再度驚きを運ぶ事となった。

 『では、何の為にこの場所へ来たのか?』と問いかけたくなるその答えを発して尚、自分の前に立つ青年に老婆は困惑する。椅子の肘掛に手を掛けた少女が老婆を見上げて来る中、一歩前に進み出て来た立派な鎧を纏った女性が、困惑する老婆へと口を開くまで、老婆は放心に近い呆けた表情をカミュへと向け続けた。

 

「オルテガ様の未来を予言されたとお聞きした。その予言の内容と、魔の島へ渡る為の術を教えて頂きたい」

 

「なんじゃ……お前達はオルテガという男と知己の者であったか。どれ、そこの椅子に掛けなされ」

 

 リーシャの物言いに、ようやく合点が行った老婆は、納得したように頷きを返す。椅子から立ち上がった老婆は、暖炉の傍にある机へ手を向け、その机の周囲にある椅子へ腰掛けるように指示を出す。

 老婆が立ち上がった事で、彼女が座っていた椅子が揺れるように動く。肘掛に手を掛けていたメルエは、不安定になった椅子に驚いて手を離してしまった。老婆が座っていた椅子は、揺り椅子となっており、手を離しても暫く前後に揺れる姿が少女の好奇心を大いにくすぐる事となる。

 座りたそうに見上げて来るメルエを意図的に無視したサラは、老婆に勧められた椅子へと腰掛け、台所へと向かった老婆の帰りを待った。

 

「ん? その椅子が気に入ったのか? どれ、座らしてやろうかね」

 

「…………あり……がとう…………」 

 

 湯気の出たカップをお盆に載せて戻って来た老婆は、悲しそうに揺り椅子を動かすメルエを見て、苦笑を浮かべる。そして、持って来たお盆をサラへと手渡し、メルエを軽く抱き上げて揺り椅子へと乗せた。

 メルエの大きさには合わない物であり、深々と座ってしまえば揺れる事もないのだが、静かに揺れ動くそれに笑みを浮かべたメルエは、老婆に対して謝礼を述べる。謝礼に対して笑みで返した老婆は、畏まるように頭を下げたリーシャに軽く手を振り、カミュ達の対面に腰を掛けた。

 

「オルテガという男の事だったね」

 

「はい」

 

 カップに入った温かな飲み物に一度口をつけた老婆は、確認するように三人を見回す。リーシャが頷いた事を了解した老婆は、胸に両手をつけ、何かに祈るように目を閉じた。

 神や精霊に祈りを捧げるような物ではない。手を胸に置いてはいるが、手を合わせている訳ではない事がそれを物語っている。まるで自分の奥深くにある物と接触を図っているようにさえ感じる程、老婆は何か不可思議な物を醸し出していた。

 カップから立ち昇る湯気と、揺り椅子に座ったメルエだけが動く部屋の中、カミュ達三人は老婆の瞳が開く時を待つ。かなりの時間が経過し、飲み物の湯気の量が少なくなって来た頃、ようやく老婆は目を開けた。

 

「やはり、未来は変わらないね。オルテガに待つのは明確な死の臭いだけだ。魔の島に渡った後なのか、それ以前なのかは解らないが、死の避けられない道であろうな」

 

「……そんな」

 

「……そうか」

 

 目を開けた老婆の言葉は、その不可思議な雰囲気も相まって、何処か神秘的な空気を持つ強い物であった。

 人の言葉の信憑性など重要ではない。それが未来の話となれば尚更である。それでも、この老婆の言葉には、他人を納得させる程の強さが込められており、何処か逆らう事の出来ない色に染められていた。

 サラはその雰囲気に呑まれ、絶望に近い表情を浮かべる。それは悲痛な叫びを押さえ込んだような物。この四人の中でも、英雄オルテガという人物との接点がメルエに次いで低いのがサラである。もし、メルエの曽祖父である古の賢者がオルテガとの接点を持っていたとしたら、最も関係が薄いのかもしれない。

 そんな彼女が絶望を感じる程に、英雄オルテガという人物は、アリアハン国出身者にとって大きな存在なのだ。上の世界では、死ぬ筈のない者が死んだと世界中の人間が絶望した。中でもアリアハン国民の嘆きは相当な物であっただろう。その者が生きていたという希望が、瞬く間に絶望へと変わったのだ。

 

「だが、今は生きているのだな。ならば、何も心配要らない。運命など些細な事で変わる事を私達は知っている。そうやって、歩んで来たのだからな」

 

 だが、唯一彼の英雄と言葉を交わした事のある女性だけは、そんな絶望の風を吹き飛ばす。その言葉は、老婆が口にした物よりも強く、萎んでいたサラの勇気を奮い立たせた。

 六年という長い時間、彼等は四六時中共にいた。その中で何度絶望を味わった事だろう。何度心が折れかけた事だろう。それでも震える足を懸命に前へと出し、その運命に抗って来たのだ。魔王バラモスという絶対的恐怖の存在に立ち向かい、それを討ち果たしたのは誰でもなく彼らの力である。精霊神ルビスの加護が全くなかったとは言わない。それでも、定められた道を歩いて来たのではなく、暗中模索の中、懸命に道を切り開いて来たのは彼等四人である。それは、誰にも否定する事の出来ない事実であった。

 

「そうだろう、カミュ?」

 

「……ああ、そうだな」

 

 そしてこの女性戦士は、敢えて傍に座る勇者へと問いかける。それは、オルテガが生きているという事実に対してなのか、それともオルテガを救う事への同意を求めているのか、それとも単純に自分達の歩いて来た道が定められた物ではない事への確認なのかははっきりと口にしないが、彼女の表情を見たカミュは、小さな笑みを浮かべて頷きを返した。

 オルテガという名を聞いてから能面のような冷たい表情を続けて来た彼が、久しぶりに感情を出す。それを見ていたメルエが嬉しそうに微笑み、彼女の座った揺り椅子がゆっくりと動いた。

 そんな一連のやり取りを見た老婆もまた、小さな微笑みを溢す。彼女も自身の口から発せられた言葉が、他者にどんな影響を与える物なのかという事を理解していたのだろう。そして、これまで彼女の元に訪れた者達は皆、そんな絶望に近い未来を告げられた後は、憤りを見せるか、絶望に落ちて口も開く事が出来なくなっていた事を思い出し、彼女は微笑んだのだ。

 

「魔の島へ渡る術だったね……。大抵の者達の未来の中には、そんな術が見える未来はなかったけれど、お前達なら見えるかもしれない」

 

 先程は、四人の進む先が全く見えなかった老婆ではあったが、その近しい未来の中で、彼等ならば魔の島へ渡る未来があるのかもしれないと思い直す。そして、再び胸に両手を乗せ、静かに瞑想へと入って行った。

 再び静けさが広がる中、メルエの座った揺り椅子が軋む音だけが響く。暖炉にくべられた薪がパチパチと弾け、火の粉が飛んでいた。ゆっくりと流れる時間だけがこの部屋を支配し、カミュ達三人も口を閉ざして、老婆の覚醒を待つ事となる。

 

「……雫が闇を照らす時、このリムルダールの西の外れに虹の橋が架かるだろう」

 

 目を開けた老婆は、今見て来たばかりのようにその光景を口にする。それは、カミュ達の歩む道の先にある未来の一部なのだろう。確定した未来ではない。それでも彼等の歩む道の途中にある可能性の一部であった。

 少し疲れたように息を大きく吐き出した老婆を心配するように、揺り椅子から飛び降りたメルエが近付いて行く。そっと添えられた小さな手に驚きながらも、柔らかな笑みを漏らした老婆は、もう片方の手でメルエの頭を優しく撫でた。

 老婆の言葉を聞いたサラは少し考え、そしてカミュを見る。彼が頷いた事で完全に繋がった物を確認するように、その伝承を呟いた。

 

「……雨と太陽が合わさる時、虹の橋が架けられるであろう」

 

「アレフガルド大陸の伝承の一部だったな……虹の橋が架かるのは、リムルダールの西の外れである事に間違いはなさそうだ」

 

 その伝承を聞いたリーシャは、単純な答えを導き出す。深くは考えていないのだろうが、その答えは的を射ていた。伝承と予言が一致する部分は虹の橋という単語だけ。その部分だけを強調すれば、魔の島へ渡る為に橋が架かる場所は特定出来る。だが、事はそう単純な事ではなく、サラとカミュは少し思考へと入っていた。

 伝承では『雨と太陽が合わさる時』という一文。これに関しては、既に『雨雲の杖』と『太陽の石』という物を彼等は有している。故に、それを何らかの方法で繋ぎ合わせれば良いという考えに至るのだ。だが、予言で登場した『雫』という存在が何かという事が解らない。

 『雫が闇を照らす』という状況が思い浮かばないし、それが何を指しているのか、何を比喩しているのかが皆目検討も付かなかった。

 

「……南東にある小島に行ってみるしかないだろう」

 

「妖精様のお言葉ですね?」

 

 今の現状で予言の答えを出す事は難しい。だが、答えに辿り着く為の道筋は示されていた。

 それは精霊神ルビスの解放を願う妖精から告げられた事。雨雲の杖を受け取った際に、『雨雲の杖』、『太陽の石』、そして精霊ルビスの愛の証を持って、東南に浮かぶ聖なる祠へ向かうように告げていた。

 雫が何を示す物であるか解らなくとも、彼等が向かう場所は既に決まっている。そこに辿り着けば、自ずと『雫』が何かは解る事だろう。

 

「聖なる祠へ向かわれるか……あの場所へ向かう者が少なくなって久しい。南東の海岸にあった渡し舟が今もまだあるかどうか……」

 

 しかし、彼等の行く道は常に険しい。どれ程に彼等へ試練を与えるのだろうかと思う程に、障害となる壁が必ず立ち塞がって来た。

 南東に浮かぶ小島までの距離がどれ程なのかはわからない。マイラからルビスの塔のある小島までの距離ほどではないだろうが、それでも舟なしで渡れる程の距離ではないだろう。最後の一歩までが果てしなく遠い。それこそが、彼等の進んで来た道が最終局面に近付いている証なのかもしれない。

 

「行ってみるしかないな。行ってみて舟がなければ、その時に改めて考えよう」

 

「……筏でも作るつもりか?」

 

 リーシャの言葉で変わった雰囲気は、そのまま部屋全体の空気を変えて行く。絶望的な状況にも拘らず軽口を叩き合う二人に、サラとメルエも顔を合わせて笑みを溢した。

 何を言っても挫けず、どんな可能性を示しても心を折らない若者達の強さに、老婆は眩しそうに目を細める。闇に包まれた今のアレフガルドには、この眩しさが何処にもない。いずれこの世界から闇が払われる時、アレフガルド大陸の若者達にもこの光が戻るのだろうか、という僅かな希望が老婆の胸に湧き上がった。

 既に朽ち果てて行くだけとなった身を悔しく思った事は初めてである。闇に包まれたアレフガルドの未来は常に闇に包まれたように見えず、それは滅亡の兆しだと何処かで諦めていた。訪れる者達の目にも光はなく、希望を持つ者達も少なくなって行く中、残り短い余生を静かに過ごそうと考えていただけに、この四人の若者の突然の来訪は、老婆の胸に喜びと哀しみを同時に運んで来るものであったのだ。

 

「貴重なお話をありがとうございました」

 

「…………ありが……とう…………」

 

 立ち上がった一行にとって、この小さな預言者の館など通過点に過ぎない。用が済めば二度と訪れる事はないだろう。それでも丁寧に頭を下げる女性と少女を見ると、理由もなく涙が溢れそうになって来る。あと二十年、いや十年でも若ければ、この者達の行く末が見えたかもしれない。それは予言としてではなく、現実としての世界をだ。それを心から悔しがる自分がいる事に、老婆は小さな苦笑を漏らした。

 頭を下げた後、可愛らしい花冠が付いた帽子を被った少女は、会釈をした青年のマントの裾を握る。この素晴らしくも悔しい出会いも、もう終わりが近付いていた。

 

「よし。では、先程は途中で行けなかった買い物へ向かおう」

 

「…………メルエも…………」

 

「メルエの装備品は無いかもしれませんよ?」

 

 出口へと向かって行く四人の背中が、揺らめくように動く。知らずに溢れて来た涙が、老婆の視界を歪めてしまっているのだ。

 自分でも気付かない程、未来への希望を捨て切れていなかった事を改めて認識した老婆は、大声で笑い出したい気持ちを抑え、四人が扉を開いて出て行くのを待つ。静かに閉まって行く扉の先は、漆黒の闇に包まれた世界である筈なのに、四人の若者達の発する希望の光が眩い世界を老婆に見せていた。

 入って来た時には見えなかった彼等の未来。それが見えたのかと思った老婆であったが、今自分が見ている景色が、彼等の未来ではなく、この世界の未来なのではないかと思い直す。それがどれ程に美しい世界なのか、どれ程に喜びに満ちた世界なのか、想像するだけでも嬉しくなる。止め処なく溢れて来る涙と反して緩んでいく頬が、老婆の顔に満面の笑みを作り出した。

 

「……苦難に向かう若者達に大きな幸在らん事を。このアレフガルドに輝く未来が在らん事を」

 

 涙声で呟かれた言葉は、暖炉に点る炎の中へと溶けて行く。

 時代を作って来た者達が次代の若者達の幸せを願う言葉は、炎が生み出す煙と共に天へと還って行くだろう。そして、その想いも願いも、必ず天界の神や精霊に届くに違いない。

 切り開かれた道は、神や精霊の愛を呼び込む。恵みとなる太陽からの光を受け、食物は育ち、動物も育つ。恵みの雨は食物の成長を助け、動物達の喉を潤すだろう。そんな未来が、アレフガルド大陸で生きて来た一人の預言者の瞳に映り込んでいた。

 

 

 




読んで頂き、ありがとうございました。
11月、ぎりぎり三話の投稿が出来ました。
年内にあと三話は更新するつもりです。

ご意見、ご感想をありがとうございました。

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