新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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ゾーマ城②

 

 

 

 地下へ続く階段を下りると、そこは小さな空間であった。

 周辺には何もなく、光の届かない地下である為に、『たいまつ』の頼りない炎しか明かりはない。だが、三人が持つ『たいまつ』で全てが照らす事が出来る程に、その場所は狭い物であったのだ。

 何もないその空間に一つだけある物は、更に地下へと下りるような下り坂のみ。漆黒の闇に包まれたその奥を見る事は叶わず、『たいまつ』を奥へと掲げたカミュは、用心深く下り坂を下りて行った。

 

「燭台はあるな」

 

 地下へ足を進めると、そこは先程の空間とは異なり、かなり広い空間である事が解る。何故なら、カミュ達の頬を吹き抜けて行く風が奥の方から大量に押し寄せていたのだ。

 その風が奥から押し寄せてくる物なのか、それとも更に下層から吹き抜けて来る物なのかは解らないまでも、『たいまつ』の明かりだけで進んで行けるような場所ではない事だけは確かであった。

 周囲に『たいまつ』を向け、壁に掛かった燭台を見つけたカミュは、そこに残る燃料に火を点し、徐々に明かりを確保して行く。何の為に、この燭台が設けられたのかは解らない。もしかすると、バラモス城のように、この場所もまた、魔族以外の生命体が作った場所なのかもしれない。

 

「カミュ、更に下へ向かう階段のような物があるぞ?」

 

「……どう思う?」

 

 燭台に点した炎によって視界が開けた事で、カミュ達が下って来た道の正面に階段のような段差が見えて来る。だが、それは階段というよりは、何かが滑り落ちたような物であり、少し足元を狂わせれば、そのまま下層へ落下してしまいそうな物であった。

 それに対して、暫し考えていた彼女が、『行った方が良いかもしれない』と口にした事で、その階段を下りるという選択肢は完全に除外される。そして、下りて来た坂と穴のような階段の間には、北側に向かう通路が延びている事を確認した一行は、そのままその通路を進んで行った。

 

「カミュ、これは一筋縄では行かないぞ」

 

「ああ」

 

 真っ直ぐに延びた通路を歩く中で、左右に掛けられた燭台に火を点して行く。徐々に見えて来た先ではあったが、一際大きな燭台に火を点した時、前方に広がるその光景にカミュ達は言葉を失った。

 見えて来たのは、所々が崩壊した空間。床が抜け、人が通れるかどうかさえも定かではない程の幅の通路が続き、その通路を形成する床も多くの亀裂が走っており、いつ崩れるか解らない物であったのだ。

 こちら側の燭台の炎では、向こう岸の様子は解らない。明かりが届かない部分は真っ黒な闇に覆われており、考えなしで進むには危険が大き過ぎるような物でもあった。

 

「……これは、ルビス様の塔に施されていた模様と似ていますね」

 

 更に言えば、その床のあちこちに、奇妙な模様が刻まれている。それは、ルビスの塔の探索時に見た物と酷似していた。

 カミュが纏う光の鎧が封印されていた柱に向かう為の通路に施されていた模様。その模様が刻まれた床は、その上に何かが乗った事を察知すると、自動的に動き出すという機能を持っていた。もし、この床もあの時と同様に動き出すのだとすれば、かなり困難な道である事に変わりはなく、ましてや魔物と遭遇してしまえば、自由の利かない足場の中での戦闘となるだろう。それは、今のカミュ達にとってかなり厳しい戦いになる事を物語っていた。

 

「確か、前へ進もうとすると、この模様であれば左に行ってしまうものですから……」

 

「…………メルエ………のる…………?」

 

「駄目だ」

 

 地面に屈み込み、その模様と現象を思い出しているサラを覗き込んだメルエの瞳は、楽しい事を見つけた時のように輝きを宿している。だが、そんな少女の企みは、母のような女性に首下を掴まれた事で潰えてしまった。

 不満そうに頬を膨らませる少女の姿は、とても大魔王に向かおうとする一行の物とは思えない。それでも、この少女が居るからこそ、この重要な場所であっても自分達が冷静さを失わず、平常心を保っていられるのだろうとリーシャは思っていた。

 だが、それとこれは別の話である。不満そうに頬を膨らませるメルエに軽い拳骨を落としたリーシャは、真剣な表情でメルエへ視線を送った。それを見た少女は、この場所が気を抜いてはいけない場所である事を改めて認識し、真面目な表情で首を縦に振る事となる。

 

「足元に気を付けてください。この奇妙な模様とは別に、崩れ落ちる危険性もありますから」

 

「メルエは私が抱き上げよう」

 

 自分の足で歩けない事を告知されたメルエは、残念そうに眉を下げるが、不満を口にする事はなかった。この場所で不満を口にしても聞き入れられない事は、幼い彼女であっても解る事であり、三人の真剣な眼差しでそのような状況ではない事を彼女なりに察したのだ。

 一歩一歩、足元に『たいまつ』を向け、他の人間が上に掲げる明かりで全体像を見ながら進む。奇妙な模様が隙間なく描かれている部分に出るまで、カミュを先頭に綱渡りのような状態で進んで行った。

 

「この床の模様であれば、右へ進もうとすれば前に動く筈です」

 

 サラの指示通り、まずはカミュが床に乗り、右方向へ進もうと足を踏み出す。それを感知したように床自体が前方の床と入れ替わるように動き出し、カミュの身体は前方へと押し出された。

 その光景を見たメルエの瞳が再び輝きを取り戻す。我儘を言って良い場面ではない事を知りながらも、その気体に満ちた瞳を自分を抱くリーシャへと向けた。

 しかし、その願いは聞き入れられず、首を横に振ったリーシャは、同じように移動を完了したサラの後を続いて床へと足を乗せる。落胆の表情を隠そうともしないメルエではあったが、ゆっくりと動き出す床の動きに、小さな笑みを漏らした。

 

「時間は掛かりますが、一つ一つ進んで行くしかないようですね」

 

 何度か動く床を越え、彼等はこのフロアの中央付近まで移動している。入り口付近の燭台に点した炎も小さくなり、今ではその周囲以外は全て闇の中に飲み込まれたようにしか見えない。逆に進行方向に至っては、『たいまつ』の明かりだけではほとんど照らす事は出来ず、真っ暗な闇だけが広がっていた。

 それでも、どれだけ時間を要しようとも、この場所を抜けなければならない。正しい道であるのかどうかと問われれば、未だに疑問は残るが、これ程の仕掛けが施された場所であるならば、大魔王ゾーマの居場所へ繋がっている可能性は高いと考えられた。

 しかし、そんな一行の努力は、足元の床に模様が途切れた事で『たいまつ』を上げた瞬間に無と帰す。カミュが上げた『たいまつ』の炎に照らされていたのは、巨大な石像。大魔王の魔力を濃密に受け続けたその石像の色は、不気味なほどに光り輝いていた。

 

「カミュ!」

 

 リーシャの叫び声と同時に、目の前の石像の腕が先頭に居るカミュの頭上へと振り下ろされる。盾で受けるという選択肢を取らなかったカミュが、狭い床を転がってそれを避けるが、その拳が脆い床に大きな亀裂を生み出した。

 この崩れかけたフロアで魔物との戦闘は無謀である。特に目の前の大魔人のような魔物との戦闘は絶対に避けなければならない。その巨大な石像の重量を支えるだけでもこのフロアの床は精一杯なのだ。それにも拘わらず、この場所で暴れまわれば、生み出す結果など明らかであった。

 

「うおりゃぁぁぁ」

 

 それでも、何もせずに石像に潰されるという結果を受け入れる事は出来ない。カミュと入れ替わるように前へ出たリーシャが横薙ぎに魔神の斧を振るった。

 大魔人の拳と、リーシャの魔神の斧が衝突する。それぞれが渾身の力を込めて振るった力は、衝撃を生み出し、全ての力を支える足元の石畳に亀裂を生じさせた。爆発するように弾かれた拳と斧、しかし、その強度は一目瞭然となる。刃毀れ一つない魔神の斧とは対照的に、大魔人の拳には細かな亀裂が入っていたのだ。

 人類最高の攻撃力を持つ戦士が、魔の神が愛した武器を渾身の力で振るっている。如何に魔人とはいえ、魔神には敵わない。一度入った亀裂は止まらず、横から再び剣を持って飛び出して来たカミュの一撃を受けた大魔人の片腕が粉々に砕けて行った。

 しかし、亀裂が入っていたのは何も大魔人の腕だけではない。カミュの放った一撃と、その着地の衝撃に耐えられなくなった石畳の亀裂は瞬時に広がり、瓦解した。

 

「メルエ!」

 

「…………スクルト…………」

 

 足場を失ったカミュとリーシャ、そして大魔人が下の階層へと落ちて行く。離れてしまった為に、カミュがアストロンを唱えたとしても、サラやメルエにその効果が届く事はないだろう。故に、サラはメルエに指示し、それに重ねるように自分もスクルトという防御呪文を唱えた。

 魔法力によって自分達を覆う膜を作った二人は、カミュ達が落ちて行った穴へと飛び込んで行く。下の階層までの距離がどれ程の距離かは解らないが、このフロアの天井の高さから考えるに、それ程の高さではないだろう。だが、それでも闇に包まれている先が奈落の底へ繋がっている可能性も有り得る。一抹の不満を持ちながらも、サラはしっかりとメルエの手を握ったまま下へと降りて行った。

 

 

 

 

 サラの考え通り、下の階層までの高さはそれ程の物ではなかった。だが、それでも着地したサラ達の足に伝わる衝撃は強く、二人のスクルトという呪文がなければ、彼女達の体重を支えている足の骨は砕けていただろう。そしてそれを感じたサラは、先に落ちたカミュ達の状況を確認する為に『たいまつ』を周辺に掲げた。

 カミュの持つアストロンという絶対的な防御呪文を唱えたのだろう。リーシャの肩を抱くような形で鉄化していた二人の身体が、徐々に生身の色を取り戻している。しかし、それよりも早くに体勢を立て直した大魔人は、欠けた足の石を無理に動かして立ち上がり、巨大な拳を振り上げていた。

 

「…………イオラ…………」

 

 それを見たサラが対策を講じる前に、地面へと足を下ろした少女が大きく杖を振るう。城の外で唱えた最上位の爆発呪文を唱えなかったのは、彼女なりに様々な事を考慮に入れた事が理由であろう。

 最上位の爆発呪文では、洞窟のような屋内であっては、全てを破壊しかねないという点。その凄まじい破壊力によって、カミュ達二人が傷ついてしまう可能性を考慮に入れた点。そして、自身の魔法力を極力温存するというカミュ達の方針を組み入れた点である。

 威力を絞った形の爆発呪文は、拳を振り上げた大魔人を破壊する程の威力はないが、それでもその巨体を後退させるだけの力は有していた。爆発の威力で仰け反った大魔人は、数歩後ろへと下がって行く。その隙に鉄化が完全に解けたカミュとリーシャが武器を構え、戦闘態勢を立て直した。

 

「この広さなら、邪魔になるような物もない」

 

 ぐるりと周辺を見渡したカミュは、落ちた先のフロアがそれ相応の広さを有し、戦いの邪魔になるような物がない事を確認する。その言葉通り、周辺には何もない広い空間が広がるだけであった。

 しかも、床は上のフロアとは異なり、今にも崩れそうな物ではなく、しっかりとした作りになっている。その証拠に、かなりの重量がある大魔人や、鉄と化したカミュ達が落ちた場所も、少し石床が削れている程度で亀裂などが入っている様子もなかった。

 フロアを囲むように燭台が立てられており、まるでこの広い空間に何かがあった様子さえある。カミュ達が動けない事を確認したサラは、大魔人への警戒をメルエへ任せ、燭台へと炎を移して行った。『たいまつ』から移された炎は、そこに残されていた枯れ木に燃え移り、広いフロアを照らして行く。視界が闇から晴れた事を確認したカミュとリーシャが、同時に『たいまつ』を投げ捨てて大魔人へと駆け込んで行った。

 

「うおぉぉぉぉ」

 

 真っ直ぐに飛び込んで行ったリーシャを払うように腕を振るおうと身体を動かした大魔人であったが、その腕は先程砕かれており、突進して来る女性戦士を弾き飛ばす事が出来ない。それは勇者一行を相手する者としては致命的な隙になった。

 腕がない事に気付いた大魔人が反対の腕を振ろうと動いた時には、大腿部の辺りにリーシャの斧が突き刺さる。そのまま振り抜かれた斧が、大魔人の片足を強引に奪った。片足を失って体勢が崩れる中、それでも残る腕で身体を支えようとする大魔人の首筋に王者の剣が突き刺さる。叫び声など上げる事の出来ない筈の大魔人の断末魔のような音が響き渡った。

 

「ふぅ」

 

 片腕を失い、片足を失い、頭部までも失った大魔人の中に残る灯火はない。大魔王の魔法力によって支えられていた大魔人は、その支えを全て失って床へと崩れ落ちて行った。

 地響きを鳴らして崩れ落ちた石像を見届けたリーシャは、溜まっていた息を吐き出し、背中に斧を納める。同じように剣を納めたカミュは、落ちている『たいまつ』を拾い上げ、周囲に残った燭台へと炎を移して行った。

 徐々に鮮明になるそのフロアは、上の崩れ落ちそうな部分全てと同等の広さを誇る。ただ、その場所には燭台以外は何もなく、見渡す限り岩で出来た壁しか見えなかった。

 

「カミュ様、こちらに上へ向かう梯子のような物があります」

 

 カミュとは反対の方角にある燭台へ炎を移していたサラは、自分とメルエの立っていた場所の後方に階段らしき物がある事を発見する。それは、階段と呼べる程しっかりした造りの物ではない。まるで這い上がるようにして何度も往復を繰り返した結果で出来た溝が、段差を生み出した物に見えた。

 周囲の燭台全てに炎を移し、このフロアを隈なく見渡しても、行く先はその階段らしき物しかなく、頷き合った一行は、カミュを先頭にそれを上って行く。そして、先頭のカミュが慎重にそれを上り切った時、自身の予想通りの光景に一つ溜息を吐き出した。

 

「やはりこの場所か」

 

「そうですね。元の場所に戻りましたね」

 

 カミュに続いて顔を出したサラもまた、自分が想像していた通りの光景に納得する。そこは、あの動く床がある場所に向かう前に立っていた場所であった。リーシャが見つけた階段らしき下り坂の先が、先程大魔人と共に落下した場所へと繋がっていたのだ。

 おそらく何かしらの影響で落下した魔族なのか魔物なのかが、必死に這い上がろうと苦心した事で出来た上り坂なのだろう。このゾーマ城の中に足を踏み入れた人間などが皆無に等しい事を考えると、魔物や魔族にとっても険しい城なのかもしれない。

 

「とりあえず、あの崩れ掛けの床から落ちても戻って来れる事は解ったな」

 

「……そう何度も落ちたくはないのですが」

 

 上り難い階段に苦心していたメルエを抱き上げたリーシャが最後に顔を出し、その場所が何処かを理解した後で、納得したように漏らした言葉は、サラには決して受け入れたくはない物であった。

 確かに、カミュの持つアストロンという呪文があれば、何度落ちても傷一つ残る事はないだろう。だが、それこそ行使の瞬間を誤れば命に係わる事であり、進んでその轍を踏む必要はないのだ。

 それでも、この崩れ掛けフロアに魔物や魔族がいないとは限らない。先程のように石像が設置されている可能性もあるし、その先に魔物が住み着いている可能性もある。それを考えれば戦闘は避ける事は出来ず、戦闘が激化すれば再び落下してしまう可能性もあった。

 

「やはり、随分と広い場所だったのだな」

 

「ああ、だが、これで行く方向は解った」

 

 しかし、その心配も杞憂に終わる。狭い通路を抜け、奇妙な模様が多く刻まれた場所まで歩いた一行は、視界が開けている事を理解した。

 下の階層にあった全ての燭台に火を点した事によって、所々で抜けてしまっている床からその明かりが届いていたのだ。下から明るく照らされたフロアは、薄暗くはあっても闇ではない。『たいまつ』の炎の明かりを必要とせずに進む事も可能であり、床に炎を近づけて模様を読み取る必要もなかった。

 奥の方まではっきりと見える訳ではないが、それでも全く見えないという訳ではない以上、歩けない事はない。下の階層で面倒に思う事なく、全てに炎を点した事が功を奏していた。

 

「メルエは、私が抱き上げていよう。サラは、模様を確認しながら指示を出してくれ」

 

「…………むぅ…………」

 

 再び動く床の上を進んで行かなければならない。それはカミュ達三人にとっては、出来る事ならば避けたい物なのであるが、メルエだけはそれは喜びになっていた。床へ近付いた事で目を輝かせていた少女は、突如抱き上げられて頬を膨らませる。だが、現状は我儘を言える物ではない事を理解している為かむくれるだけで不満を口にする事はなかった。

 そんなメルエの様子に苦笑を浮かべたサラは、そのまま床へと視線を落とし一つ一つの模様を読み取って行く。この模様がルビスの塔にあった物と同じ物であれば、『人』の手によって造られた物と考えられなくはなかった。だが、このゾーマ城が人の手によって造られたとは考え難い。そうなられば、逆転の発想から、あのルビスの塔の仕掛けもゾーマか、その側近などの手によって施されたと考えるのが妥当となる。

 魔法力などで仕掛けを作った場合、その模様の形や方角が先程とは異なる可能性も出て来るだろう。そこまで考えた結果、サラは再びその模様を注意深く読み取って行った。

 

「カミュ様、そのまま右へと足を踏み出してください」

 

 カミュのすぐ後ろを歩くように付いて行くサラが、カミュの足元にある模様を読み取って行く。先程大魔人と遭遇した場所を越え、再び模様が密集した床に入る頃、床の穴から漏れて来る下の階層の明かりがフロアの奥を照らし出して来た。

 薄暗くはあるが、何とか見える範囲で、先の方に三又に分かれるように延びる通路のような物が見える。動く床で身体を運びながらも、カミュはその光景を見た事で足を止めた。サラもまた、模様を読み取ろうと屈んでいた身体を起こし、ある方角へと視線を移す。サラの行動に同調するように、カミュとメルエも同じ方角に視線を移した。

 そこにあるのは、彼等が洞窟や塔などを探索する際に最も頼りにする人物の顔である。

 

「どっちだ?」

 

「ん? そうだな……真ん中は駄目だな」

 

 自分に集まった視線に驚く事なく、リーシャはカミュの問いかけに暫し思考する。彼女の天性の感覚ではあるのだろうが、それでも何とか皆の為になろうと真剣に考えているのが実に彼女らしい。そして、懸命に考えた結果が絶対に採用されない事を既に理解していても、自分が感じた事を曲げる事なく伝える彼女だからこそ、カミュ達三人は絶対的な信頼を向けるのだった。

 暫し考えた彼女は、三方向に分かれた通路を見やり、一つの選択肢を斬り捨てる。彼女としてはその後に右か左かという選択が残っている為、再度考えようと思っていたのだろう。だが、その一言を聞いたカミュはサラへ視線を送り、それにサラが頷いた事で向かう方角は完全に確定してしまった。

 

「ん? 右か左かを決めなくても良いのか?」

 

「いや、もう十分だ。真ん中の通路へ向かう」

 

 自分の答えを最後まで聞かない事を単純に疑問に思ったリーシャが問いかけるが、然も当然の事のようにカミュは会話を打ち切る。一番最初に捨てられた選択肢こそが、彼らをこの城の最奥へ導く物であるという事を疑いもしない彼は、そのままサラの指示を待って行動に移して行った。

 カミュの態度に腹を立てる訳でもなく、それを不快に思う訳でもなく、純粋に理解出来ないリーシャは首を傾げ、それを見ていたメルエも、彼女の腕の中で笑みを浮かべながら首を傾げる。何処まで行っても、どれ程に過酷な場所に居ても、この少女だけは変わらない。皆と共にある事に喜びを感じ、皆と共に笑い合える事に幸せを感じている。それを見たリーシャは、この笑みを護る為にも戦わなければと、優しい笑みをメルエへと向けた。

 

「まぁ、こうなるだろうな」

 

「簡単には通してはくれないだろう」

 

 真ん中の通路を進むと決めた一行は、動く床を計算しながら慎重に進み、遂にその通路へと足を下ろす。その通路には模様は描かれておらず、床が急に動き出す事はないだろう。だが、通路に掛けられた燭台に炎を移したカミュは前方にある影を見て剣を抜いた。

 予想もしていたし、それが当然と認識していても、自分達の障害となる者の登場に溜息を吐きたくもなるだろう。メルエを降ろして武器を構えたリーシャが、前方へ『たいまつ』を放り投げた。

 赤々と燃える『たいまつ』の炎に照らし出された影は二体。背中に蝙蝠のような大きな翼を持ち、それぞれの手には鋭い大きなナイフや長い鞭のような物を持っている。勇者の洞窟で遭遇したサタンパピーに酷似した魔族が、カミュ達の行く手を遮るように立っていた。

 

「コノ先ニ何ノ用ダ。人間ノ分際デ、大魔王様ノ城ヘ入リ込ムナド、許サレル事デハナイ!」

 

 鞭を持った一体が、その鞭を大きくしならせて床を打つ。それと同時に発せられた言葉は、流暢ではないが人語であった。この言葉が、人間が生み出した物なのか、それともエルフや魔族が生み出した物なのかは今ではもう解らない。正確に言えば、『人語』と称する事自体が誤りである可能性もあるのだが、それを論じるのは不毛であった。

 目の前に居る二体の魔物の力が、この城で下位にあるのか、それとも上位に位置するのかは解らないが、彼等が発する死の臭いは非常に強く、数多くの死の上に立っている事は明白である。

 

【バルログ】

サタン族として括られる魔族の頂点に立つ者の呼称。ベビーサタンの成長の結果がサタンパピーであれば、ミニデーモンの成長の結果がバルログではないかという説もあるが、信憑性は薄い。力の象徴としての名前を掲げている事からもその力量が相当な物である事が推測出来るが、遭遇した者が生き残った例はなく、伝承として残されている魔族でもあった。

ただ、遠目にその姿を見た者が遥か昔に存在し、対峙していた数多くの人間が指一つ動かさないバルログによって、一瞬で皆殺しにあったという伝承も残っている。謎の多い魔族ではあるが、その力量の高さは推測出来るだろう。

 

「死ネ」

 

 戦闘開始の時は近付き、相手の動きを見る為に構えを取ったカミュ達を嘲笑うかのように、バルログは一言人語を発した後で、奇声のような詠唱を完成させる。その瞬間、カミュ達四人の瞳に映っていた光景は闇の霧に包まれて行った。

 薄暗くとも見えていた通路は、霧が掛かったかのように闇に落ち、その闇の中を、人型の頭蓋骨を持つ光の筋が縦横無尽に飛び回る。飛び回る頭蓋骨が近くを通り抜ける度に囁かれる甘言は、生者の気力を吸い取り、死という闇へと引き摺り込む。それは、彼等四人を何度も絶望の淵へと落とした事のある忌むべき呪文であった。

 

「……お前が死ね」

 

 だが、今の一行の中に、そのような誘いに応える者はいない。誰もが絶望の淵から這い上がり、自身の目的を見つけている。悲しむ事もあるだろう、苦しむ事もあるだろう。それでも必ず立ち上がり前へと進むという覚悟の上で、今の彼等は成り立っているのだ。

 死への甘言を振り払い、瞬時に間を詰めたカミュが王者の剣をバルログへと振り下ろす。余りにも予想外の出来事に動揺したバルログであったが、間一髪のタイミングで持っていた短剣を掲げ、王者の剣を防いだ。だが、魔族が持っている剣といえど、たかだか短剣で受け止められる程、王者の剣は生易しい武器ではない。軌道を外す事しか出来なかったバルログの身体に裂傷が入った。

 

「グッ……」

 

 傷は浅いが、広範囲に及び裂傷から人間とは異なる色の体液が流れ出る。全体的に茶色に近い緑色をしているバルログの皮膚は裂け、苦しみに歪んだ瞳に怒りの炎が灯った。

 追撃をしようと剣を振り上げたカミュであったが、もう一体のバルログが振るった鞭を避けなければならず、その場に屈み込む。その機会を狙って傷を受けたバルログがカミュを蹴り飛ばした。

 流石は上位に入る魔族と言わざるを得ない力で蹴り飛ばされたカミュは、転がるように後方へと飛ばされる。それに乗じて前へ出たリーシャの斧も、前方から飛んで来た鞭によって弾かれた。

 正に息も吐かせぬ攻防に、サラとメルエは援護の呪文を唱える隙を見出せない。死の呪文こそ、既に脅威ではなくなったが、この魔族の恐ろしさがそれだけではない事は、今の攻防で明らかである。この狭い通路の中で、メルエの放つ強力な攻撃呪文は使えない。彼女が最も恐れる『仲間を傷つける』という可能性がある限り、彼女が杖を振るう事はないだろう。カミュとリーシャが呪文の通り道を空けてくれれば可能ではあるが、今の攻防を見る限りではそれも不可能に近かった。

 

「メルエ、危ない!」

 

 それでも手助けの隙を見つけようと必死に前衛二人の動きを見ていた少女は、大きな声と同時に真横へと押し倒される。その拍子に被っていた帽子が脱げて宙を舞い、ゆっくりと流れて行くように、メルエの瞳にその光景が映し出された。

 自分に覆い被さるサラ、そして宙を舞う帽子。帽子に付けられた花冠の花弁が一片落ちて行く。そして、彼女がカミュ達と出会ってからずっと被り続けて来た帽子を、一筋の光が真横に分断して行った。

 

「!!」

 

 生まれて初めて他人から買って貰った物。

 最も古く、最も大事な彼女の宝物。

 初めて出来た友との約束の証である花冠が取り付けられ、いつも一緒だった物。

 それが、彼女の目の前で破壊された。

 

「メルエ! 怒っては駄目です!」

 

 何が起きたのか理解が出来ない。理解したくはない。それでも目の前で落ちて行く大事な物は上下に分かれ、帽子としての機能全てを失っていた。

 花冠は無事である。帽子の根元に付けられた花は、未だに瑞々しく咲き誇り、己の無事を主に伝えているかのようであった。だが、花冠が付けられた部分とは別の上部が少女の胸に落ちて来た時、彼女の中の何かが燃え上がる。

 決して高価な物ではない。上の世界であれば、どこの町でも望めば手に入るような帽子である。魔法使いと呼ばれる職業の者が好んで被る何の変哲もない三角錐の帽子。だが、この少女にとっては、何にも替え難い宝物であった。

 胸の中から湧き上がるように何かが燃え上がり、それと同時に彼女の内にある膨大な魔法力が外へと漏れ出して行く。それに気付いたサラは、少女の瞳を真っ直ぐに見つめ、叫ぶように叱りつけた。

 

「メルエの宝物である事は解っています! それでも、今は怒りで呪文を唱えては駄目! 我慢して下さい!」

 

「…………むぅ…………」

 

 漏れ出した膨大な魔法力と反比例するように冷めて行くメルエの瞳を真っ直ぐに見つめ、繰り返しサラは叫び続ける。メルエがここまでの怒りを見せた事はない。カミュ達が攻撃を受けた時も怒りを表すが、これ程に冷たい瞳をする事はなかった。それだけ、この帽子が彼女にとって大事な物である事が痛い程に理解出来るサラだからこそ、何度も何度も少女の心へと訴えかけるのだ。

 彼女達の近くにバルログが来た形跡はない。二体の魔族が後方へ向かわぬように、前衛二人は必死に戦い続けている。先程の攻撃は、その距離をも越える物だとすれば、一体のバルログが持つ鞭での攻撃と考えるのが妥当であろう。

 金属ではない鞭で布を斬り裂くのだ。その威力は相当な物となる。もし、あれがメルエの顔面や胴体に直撃していたとすれば、この少女は真っ二つに斬り裂かれていた可能性さえもあった。

 

「カミュ、鞭の奴から先に倒せ! 手負いの奴は私が抑える!」

 

「わかった」

 

 度重なる呼びかけによって、ようやくメルエの瞳に光が戻った頃、鞭を持ったバルログを斧の一撃で吹き飛ばしたリーシャがカミュへと叫び声を上げる。サラやメルエの状況を確認出来る程、今の彼等に余裕はない。それでも、自分達が避けた鞭による攻撃が後方組の方へ向かったという失態だけは理解出来た。

 サラとメルエの声が聞こえる以上、彼女達に大きな怪我はないのだろう。それを把握したリーシャは、後方を脅かす可能性もある一体を先に葬る事を優先させたのだ。

 自身が抑えに回る事にしたのは、予想以上にバルログの動きが俊敏だった事が理由であろう。守備に徹する分には脅威ではないが、それを仕留めるとなれば、カミュの方が良いという判断であった。

 

「メラ」

 

 鞭を振るおうとするバルログを牽制するように、カミュが最下級の火球呪文を唱える。勿論、上位魔族であるバルログには、メラでは火傷一つ負わせる事は出来ないだろう。それでも、呪文も行使出来るという可能性を見せる事で、バルログの行動を制限しようとしたのだ。

 カミュの考えが功を奏し、バルログが鞭を振るう腕を戻す。その僅かな時間で間合いを詰めたカミュは、剣を振るうのではなく、勇者の盾を押し出す事で、バルログの体勢を崩した。よろめくバルログが苦し紛れに振るった鞭は、カミュの兜を弾き、その頬を斬り裂く。噴き出す血潮で視界を遮られながらも、瞬き一つせずにカミュは王者の剣を振り抜いた。

 

「グッ……人間ノ分際デ!」

 

 バルログの肩口に入った剣は、まるで真空の刃のように綺麗にバルログの身体を斬り裂いて行く。噴き出す体液の量が致命傷である事を物語っているが、それでも矮小な人類に負ける事を良しとしないバルログは、僅かに動く唇で再び呪いの言葉を紡いだ。

 瞬時に押し寄せる死への言霊。死こそが幸福と感じる程の甘言がカミュの耳に押し寄せ、奈落の底へと吸い込まれるような感覚に襲われる。

 

「人間も魔族も関係ない。俺が歩む道に立ち塞がるな」

 

 だが、何度行使しようとも、カミュがその呪いに身を任せる事はない。囁きかける甘い言葉を振り払い、勝利を確信していたバルログの眼前に移動する。そして、その剣を一気に振り落とした。

 彼の言葉通り、彼にとって、種族の違いなど些細な事柄なのだろう。それが人間であろうと、エルフであろうと、それこそ魔物であっても、彼は差別はしない。だが、一度敵となれば、それが例え同族である人間であろうと、非情に剣を振り下ろす筈だ。

 彼が歩む道、それが彼の望む道なのだとすれば、その道に立ち塞がる物は全て敵である。今はそれが大魔王ゾーマという全世界の生物にとっての悪であるが、その敵が人類の王族であっても、彼はその剣を振るい続けるのかもしれない。その時は、人類の希望ではなく、他種族の希望として彼は立っているだろう。それこそが、この世界さえも認める『勇者』の在り方であった。

 

「ギギギッ」

 

 袈裟斬りに斬られたバルログは、言葉を発する事さえも出来ず、大量の体液を噴き出して倒れ込む。数度の痙攣を繰り返した後、サタン族最上位に君臨する者はその生命を終えた。

 痙攣が終わり、完全に死体と化したバルログを看取った後、カミュはそれを乗り越えてリーシャの助太刀に入る。彼女が死の呪文の囁きに応じる訳がない事を誰よりも知るカミュではあったが、勇者の洞窟で遭遇したサタンパピーのように最上位の火球呪文を行使する可能性を考えた場合、抗魔力の低いリーシャにとっては、荷の重い相手でもあったのだ。

 

「うおぉぉぉ」

 

 しかし、そんなカミュの心配は杞憂に終わる。リーシャの相手であるバルログは、攻撃呪文を行使する様子はなく、カミュと対峙していた者と同様にザラキのような呪文を行使するだけで、後はナイフを振り回して攻撃を行う事しかしていなかった。

 そんな素人に毛の生えた程度のナイフ捌きでは、人類最上位の戦士に敵う訳がない。冷静にナイフを避けながら、時折発せられる死の言霊を物ともせずに迫って来るリーシャは、バルログにとって死の呪文よりも恐ろしい死神に見えた事だろう。そして、バルログの渾身の一振りを力の盾で弾き返したリーシャは、がら空きになった胴体を横薙ぎに払った。

 その一撃は魔人の名に相応しい程の物であり、筋肉に覆われたバルログの胴体を真っ二つに斬り裂く。自身が斬られた事さえも理解出来ない驚きの表情を浮かべたまま、バルログは命を散らした。

 上半身が床へと落ち、遅れるように下半身が膝を着く。それを見届けたリーシャは、斧を一振り振り払った後で、近付いて来たカミュへと視線を向けた。

 

「ん? この魔族は何か持っていたのか?」

 

「革袋か……」

 

 カミュへと視線を向けたリーシャではあったが、後方に居たサラとメルエが『たいまつ』を持って近づいて来た事によって、バルログの下半身の傍に何かが落ちている事に気付く。溢れ出る体液を避けるように落ちていたそれは、カミュの言葉通り大きな革袋であった。

 それを拾い上げたカミュではあったが、革袋の口を開けるよりも早くにリーシャへとしがみ付いた小さな影に視線を戻す。そこには、涙目で見上げる小さな少女の悲しみの表情があった。

 その腕には無残にも斬り裂かれた帽子があり、それが彼女が五年以上も被り続けて来た物であると気付いたリーシャは、深い溜息を吐き出す。カミュはそれ程大事のように感じてはいないが、長年使い続けた魔道士の杖を失ったメルエの姿を知っているリーシャは、この帽子との別れが大きな騒動を巻き起こす可能性を考えてしまったのだ。

 

「メルエ、その帽子はもう使えませんよ。悲しい事ではありますが、花冠だけは取っておきましょう?」

 

「…………ぐずっ…………」

 

 近付いて来たサラの提案を拒絶するように首を振るメルエを見て、リーシャは自分の予感が正しかった事を知る。彼女がこうなってしまった以上、一度リムルダールの町へ戻る必要があるかもしれない。只の我儘だと叱り付ける事が出来れば良いが、自分の武器や防具を大事に想う気持ちが痛い程に解るリーシャは、この少女の想いを無碍に出来ないのだ。

 何かを訴えるように帽子の残骸を突き出して来るメルエを見たカミュはそれを受け取り、サラの言葉通りに花冠だけを取り外す。その行動に驚きの表情を浮かべたメルエの頭に花冠を乗せ、帽子の斬り口を合わせようとしてみるが、鞭によって切断された時に切断面の何処かを失っているのか、上手く繋がりはしなかった。

 

「それを繕うのは無理だと思います。二つに分かれただけではないようですので」

 

「…………ぐずっ…………」

 

 カミュの行動を黙って見ていたサラではあったが、それが不可能な行動であり、無駄な事である事を誰よりも理解していたのも彼女である。何故なら、ここに来る前にその行動をサラ自体が行っており、何とかメルエの為にと考え続けた結果が、『諦める』という選択肢だったのだ。それでも諦めきれないメルエがリーシャに縋り付いただけであり、その結果は決して変わる事はない。

 一つ溜息を吐き出したカミュは、帽子の残骸をリーシャに手渡し、途中まで空けていた革袋の口を開く。実は、先程この袋を開けようとした時に、中に入っている物の形が若干見えていたのだ。そして、それがカミュの想像通りの物であれば、この状況を改善出来る一手となると見ていたのだった。

 

「……それは、帽子なのでしょうか?」

 

「何やら薄気味悪いな」

 

 革袋から取り出された物を見たサラは奇妙な物を見るように眉を顰め、その異様な姿にリーシャは不穏な言葉を口にする。何も考えずに自分の感想を口にしたリーシャへ厳しい視線を送ったカミュは、拾い上げた『たいまつ』でその手にある物を照らして行く。

 その形は、メルエが被り続けて来た『とんがり帽子』に酷似している。三角錐の形に整った物に丸い鍔が付いている。見た目は魔法使いが好んで被る帽子と同じ物であるのだが、サラとリーシャが眉を顰めた理由は、その鍔から先へ続く長い山頭部分にあった。

 広い鍔の根元には赤い宝玉があり、そこから山頭部分に掛けて、幾つもの目がある。その目は魔族に物のように鋭く、また描かれている訳ではなく、また縫い付けられている訳でもない。まるで目を埋め込んだように立体的であったのだ。

 だが、それでもその目が機能している訳でもなく、動く事もない。真っ赤な瞳という異様な雰囲気を放ちながらも、只の装飾として帽子に備えられている。だが、それでも一般の者にとっては十分に奇妙な姿である事だけは確かであった。

 

「ですが、何か不思議な感じのする帽子ですね……」

 

「そうか? 私には解らないが、サラがそう感じるのならば、そうなのだろうな。不思議な帽子だな……」

 

 サラとリーシャの良く解らないやり取りを無視したカミュは、不思議そうに見上げるメルエの頭から花冠を取り、それをこの不思議な帽子に掛け、暫く花冠へ視線を送った後、そのまま少女の頭へと乗せる。赤い宝玉を囲むように添えられた花々は、再び命を宿したように咲き誇り、瑞々しさを取り戻して行った。

 その光景を見て驚いたサラであったが、何やらメルエは不満そうに頬を膨らます。やはり、彼女にとってカザーブの村にて購入して貰った帽子は何よりの宝物なのだろう。それを簡単に諦め、新たな物を代わりとして与えられた事は、彼女として嬉しい物ではないのかもしれない。ましてや、リーシャやサラが眉を顰める程の物である。幼く、綺麗な物が好きな少女にとって、それは余り歓迎したくはない物であった。

 本来ならば、呪われた防具の可能性さえある見た目をした帽子をカミュがメルエに与える事はない。故に、メルエの頭に乗せる前に花冠を掛けたのだ。この花冠は既に五年以上の月日を経ても枯れてはいない。メルエの未来を心から案じた親友が生み出した花冠が、メルエを害するような道具に反応して瑞々しさを取り戻す訳がないのだ。それを見届けたカミュは、メルエの所有物として認めたのだった。

 

「……よ、良く似合いますよ、メルエ」

 

「そ、そうだな。益々、魔法使いらしくなって来たな」

 

 頬を膨らませるメルエを宥めるように口を開いたリーシャとサラの言葉が、そんな少女の不満に拍車を掛ける。それでも、大好きな青年から与えられた物を投げ捨てる訳には行かず、『ぷいっ』と顔を背ける事しか彼女には出来なかった。

 だが、それでも斬り裂かれた『とんがり帽子』をこのまま捨てて行く事だけは了承せず、折りたたまれたそれは、リーシャの腰の革袋へと納められる。未だに不満そうに頬を膨らませるメルエの手を引いたサラは、既に前方へ厳しい視線を送っているカミュの背中を見た。

 『たいまつ』の頼りない明かりに照らされた通路の先には、下層へと続く階段が見えている。階段というよりは、この場所もまた自然に生まれたような下り坂に近かった。

 

「カミュ、この先は地下の三階層だ。どこまであるのか解らないが、最終決戦が近い事には間違いない」

 

「ああ」

 

 既に、地上にある一階部分から二度下りの階段を下りている。ここまでの洞窟の中で最も深かった洞窟でも、サマンオサにあったラーの洞窟の地下四階部分までであった。その四階部分でさえ、ラーの鏡があった場所だけであり、実質は地下三階までの洞窟と言える。故に、次の階層が最終階層とリーシャが身構えるのも当然であった。

 それはカミュも同様である。だが、一度大魔王ゾーマの脅威を肌で感じたリーシャとは異なり、名と情報しか聞いていないカミュの緊張度は、彼女程ではなかった。

 如何に、精霊神ルビスと竜の女王を退ける程の力を有しているという話を聞いていたとしても、魔王バラモスを小者であると言い切れる程の力を有しているという話を聞いていても、それをカミュやサラは体感していない。この中で唯一それを感じた事のある者がリーシャであった。

 全てを滅ぼす事が出来るという言葉が嘘でない事の証明に、魔王バラモスさえも討ち果たしたリーシャでさえ、その力の片鱗を相手に足が竦んでしまっている。一歩も踏み出す事が出来ない程の圧倒的な力は、魔の王というよりは、全ての頂点に立つ者と言っても過言ではないだろう。カミュ達の実力もまた、上の世界からアレフガルドへ降り立った一年以上前に比べれば、別次元にまで上がっている。だが、それでも胸に広がる不安は、リーシャにしか解らない物なのかもしれない。

 

「行きましょう」

 

「…………むぅ…………」

 

 未だに膨れているメルエの手を引いたサラの声に、カミュとリーシャは頷きを返す。どれだけ強大な相手であれ、彼等には前に進むという選択肢しかない。ここで立ち止まるのならば、最初からこの場所に入ってはおらず、アレフガルドに降り立つ事もなかった。

 三つの『たいまつ』の明かりが徐々に階下へと消えて行く。

 最終決戦は着実に近付いていた。その準備も全て整っている。装備も整えたし、力も備えた。それでも尚、見えない敵は勇者達の心に不安を齎す。

 神や守護者でさえも退けるその強大な力に、地上で最も矮小な知的生命体である人間が立ち向かう。それが如何に無謀な行いであるのか、不可能な行いであるのかを誰よりも知っているのは、実は彼等勇者一行なのかもしれない。

 それでも彼女達は信じている。彼女達の前を歩く青年こそが『勇者』であり、この世界に光を取り戻す事の出来る唯一の希望である事を。

 

 

 




読んで頂き、ありがとうございます。
今月はとんでもなく忙しく、2話の更新が限度かもしれません。
頑張って描いて行きます。

ご意見、ご感想を心よりお待ちしております。

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