新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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リムルダール④

 

 

 

 漆黒の闇ではあるが、リムルダールの住民が活動を始め、朝を迎えた頃、カミュ達一行は再び出立の準備を始める。このリムルダールに戻ってから既に二日が経過していた。

 大魔王ゾーマは、カミュ達が城へ入った事に気付いているだろう。このアレフガルドが完全に闇に沈み、生命が絶えるまで時間はない。カミュとオルテガという親子の関係が完全に修復された訳ではないが、それでも彼等は立ち止まる事が許されていなかった。

 宿屋の表に出た一行の後ろに、オルテガが居る。だが、敢えてその存在を無視するように歩くカミュの後姿は、以前とは異なり刺々しい物ではない。それを理解しているメルエが、カミュの傍でマントの裾を握りながら歩いていた。

 

「私も共に行こう」

 

 だが、流石にこのまま町を出る訳には行かない。立ち止まったカミュの背中に、ようやく父親が声を掛けた。

 その手には大魔王城で回収して来たバスタードソードが握られており、盾もしっかりと装備している。一時は完全に失われた右腕に握られたバスダードソードが、篝火の炎に照らされて怪しく輝いていた。

 その一言に振り向いたカミュの瞳は厳しく、射殺す程の威圧感を宿している。如何に前を向いて歩く事を決意してはいても、その恨みも憎しみも捨て去った訳ではない。どれ程の綺麗事を並べようとも、彼の中でオルテガは未だに自身の父親ではないのだ。

 サラでさえも立ち竦む程の威圧感を発するカミュに対し、リーシャは軽く溜息を吐き出し、その空気が嫌な物だと理解したメルエが頬を膨らませる。恨めしそうなメルエの視線に気付いたカミュは、肩の力を抜き、深呼吸をするようにゆっくりと息を吐き出した。

 だが、その後に吐き出された言葉は、サラとオルテガの身体を硬直させる事となる。

 

「必要ない」

 

 一切の取り付く島もない程の拒絶。そこに反論は許されず、誰であろうとそれを覆す事は出来ないと思える程の遮断であった。

 凍り付くサラとは別に、言葉と異なる空気を出しているカミュに気付いたメルエは頬を萎ませてマントの中へと潜り込む。じゃれ付く小動物のような姿は周囲の空気を柔らかくするのだが、それでもカミュが発した言葉の内容が変わる訳ではなかった。

 唯一人、もう一度息を吐き出したリーシャだけは、苦笑のような笑みを浮かべて、オルテガへと視線を送る。救いを求めるように視線を動かしたオルテガの瞳を見たリーシャは、満を持して口を開いた。

 

「私からお話しましょう。私もカミュと同感です。オルテガ様の同道は必要ありません」

 

「し、しかし……」

 

 求めた救いの手は伸ばされる事なく、最も話が通ると思っていた女性戦士にまで拒絶された事で、世に轟く英雄は言葉に窮する事になる。どれ程の威圧感を発したとしても、オルテガがカミュに怯む事はない。だが、それはカミュの強さを知らないという物ではなく、ましてや彼よりも強者であると云う理由ではない。それこそ、彼らの中に流れる同じ血が関係する物なのだろう。

 互いが互いを認識出来なかったとしても、彼等は紛れもない親子であり、一度親側が認識してしまえば、どれ程の力を持っていようとも、カミュはオルテガの息子なのだ。世には息子を恐れる親もいるかもしれないが、愛する息子であれば、何を行おうと、どのような存在であろうと、子は子なのである。

 しかし、リーシャは違う。彼女もまた、勇者カミュと共に前線に立ち続けて来た勇士であり、魔王バラモスを討ち果たした者の一人であった。アレフガルドに生息する強力な魔物達をその斧だけで退けて来た歴戦の戦士である。それは最早人外の者と称しても可笑しくはないだろう。

 

「理由を述べるのならば、私達四人は六年以上もの旅の間で、戦闘の連携を育んで来ました。オルテガ様が加わる事によって、その連携は乱れ、不測の事態を招く恐れがあります。既に大魔王ゾーマの姿が見えて来ようという所まで来ている以上、新たな連携を育む余裕はありません」

 

「だが、戦力は多い方が……」

 

 リーシャの言葉に反論の隙はない。至極当然の物言いであり、それを覆す材料をオルテガは持ち合わせていなかった。

 六年という旅路は、バラバラだった四人の若者を『絆』という不確かな物で結び付けている。不確かな『絆』という物は、何時しか掛け替えのない物となり、彼等の心と心を結びつける物となって行った。

 それは一朝一夕で生まれる物でもなく、平凡に過ごして来た時間で生まれる物でもない。何度も衝突を繰り返し、何度も互いを傷つけ合い、欠けた心に相手の心が合わさる事で生まれる物。それは、カミュ達四人にしか解らない経験が生んだ奇跡でもある。

 それでも、命を賭けた戦場へ向かう息子を見送るだけという状況を、オルテガは認めたくなかった。今まで失っていた時間を取り戻そうとする懸命な働き掛けは、厳しい瞳を向ける息子が視線を外し、先程まで会話をしていた女性戦士が哀しげな表情を浮かべた事で終幕を迎える。

 

「……オルテガ様、無礼を承知で私がお話しましょう。この言葉をカミュには言わせたくない」

 

 哀しげな瞳を厳しく細めたリーシャは、言葉を失ったオルテガに向かって最後通告を口にした。それは、避けられない言葉でありながらも、出来る事ならば避けて通りたい物だったのだ。

 それでも、リーシャはカミュの代わりに前に立つ。本来であれば、息子である彼が言わなければならない言葉なのかもしれないが、彼の口からそれを言われる事は、オルテガにとって良い物ではないと共に、リーシャ自身が聞きたくないという思いもあったのかもしれない。

 

「この先の戦いでは、オルテガ様の存在は、私達の足手纏いになります」

 

「なに?」

 

 その言葉がどれ程に驚くべき言葉なのかを知るのは、オルテガだけだっただろう。その証拠に、リーシャが発する言葉を予想していたかのように、サラもカミュも眉一つ動かす事はなかった。

 オルテガの胸に悔しさと怒りが湧いて来る。如何に竜種に敗れたとはいえ、彼には英雄としての矜持や誇りがある。それを口にした女性が生まれる前から魔物と渡り合い、それを打ち倒して来た。

 何度も死線を掻い潜り、強敵を薙ぎ払って生き残って来ている。その経験と力量は、世界で『英雄』と称されるに値する物であり、それを否定されるという事は、彼の人生全てを否定される事に等しかった。

 魔王バラモスを打ち倒したとはいえ、四人の若者に遅れを取るとは思えない。ましてや、彼の息子以外は全て女性なのだ。男尊女卑の考えを特段持っていなくとも、サラは勿論、年端も行かぬメルエと比べられて『足手纏い』扱いされる事は、オルテガには承服出来ない物であった。

 しかし、瞳に怒りを浮かべたオルテガを見ても、リーシャは揺るがない。上の世界では誰もが憧れ、誰もが畏れた英雄の怒りを向けられて尚、リーシャは眉一つ動かす事はなかった。

 

「納得が行かれませんか? ならば、一度カミュと手合わせをされると良いでしょう」

 

「は?」

 

 流石にこれにはサラが驚いた。まさか、そのような形で親子の対話を持って行くとは予想していなかったのだろう。驚きの表情を浮かべるオルテガよりも先に、サラの間の抜けた声が響き渡った。

 カミュにとっても予想外だったのか、不愉快そうに眉を顰め、リーシャを睨みつけている。その鋭い視線を受けても、彼女は全く動じずに、オルテガの返答を待っていた。

 先程の怒りが消え、何かを悟ったような表情になったオルテガは、一度バスタードソードを大きく振り、その言葉を受け入れる。頷きを返したリーシャが一度リムルダールの門を潜り、外に向かって歩き出した。

 自分の意思を悉く無視されている事に苛立ちを覚えるカミュであったが、この手合わせを受けなければ、オルテガが同行する事を諦めない事は明白である為に、溜息を吐き出しながらも剣を抜くしかなかった。

 

「オルテガ様、もし、後方に居る二人を侮られているのならば、思い違いです。この二人が相手となれば、私とカミュが組んだとしても、一瞬の内に骨一つ残らず消滅させられるでしょう」

 

 外への道を歩く途中で、先程のオルテガの怒りの瞳の中に、サラやメルエを侮る色を見たリーシャは、そう宣言する。オルテガという英雄は人間としても一流の者であり、他者を侮るような事は通常であればしない筈なのだが、リーシャからの言葉で怒りという感情が表に出てしまい、そんな人間の悪しき部分もまた共に出て来てしまったのだ。

 サラとメルエという女性は、確かに剣士ではなく、戦士でもない。純粋な武器での戦いとなれば、オルテガの足下にも及ばないだろう。だが、真の戦闘となり、彼女達二人の本気が表に出た場合、リーシャの言葉通り、誰が相手でも骨一つ残らずに消し去る事は可能なのだ。

 サラの行使する補助呪文で抑えられ、メルエの圧倒的な攻撃呪文で消し去られる。それは瞬きをする暇さえも与えられない状況となるだろう。特に、魔法力の放出が出来ないリーシャにとっては、絶対に敵対したくない二人であった。

 

「カミュ、呪文は禁止だ。純粋な剣技での模擬戦とする」

 

「わかってる」

 

 勇者と英雄の戦いである。もし、そこに英雄しか行使する事の出来ない呪文まで登場してしまえば、このリムルダールという町自体が消滅しかねない。故にこそ、町の中ではなく、一度外へ出たのだ。

 そしてリーシャの意図を正しく理解したサラとメルエは、いつでも呪文の行使が可能なように、それぞれの詠唱準備に入って行く。町の外へ出てしまった以上、魔物といつ遭遇しても可笑しくはない。故にこそ、その露払いを彼女達呪文使いが担うのだった。

 

「オルテガ様も良いですね? 純粋な剣技による模擬戦ですが、命のやり取りも禁止です」

 

「わかった」

 

 オルテガは既に戦闘態勢に入っている。彼の中でも目の前で剣を持って立つ息子は強者と認められているのだろう。そして強者と戦う事を楽しむというのも、英雄である証であった。

 その点が、カミュとオルテガの相違点と言っても過言ではないだろう。カミュは決して戦いを楽しむ事はない。負けず嫌いという性質はあるものの、剣を振るう事を楽しんでいる様子はなかった。もしかすると、大魔王ゾーマを討ち果たした後は、二度と剣を握ろうとはしないかもしれない。そう思わせる節がカミュにはあった。

 オルテガの心の何処かには、『息子の成長を見てやろう』という想いがあるのかもしれない。だが、その成り行きを見ているリーシャ達三人は、まるでその結末を知っているかのように、オルテガへ哀れみに近い瞳を向けていた。

 

「始め!」

 

 リーシャの掛け声と同時に、一気に間合いを詰めたのはオルテガだった。対するカミュは、剣を握ってはいるものの、構えは取っていない。リーシャとの模擬戦の時のような、いつでも動けるような態勢を取ってはいなかった。

 通常の人間、いや、かなりの使い手であっても、このオルテガの突進に反応する事は難しいだろう。それ程の速度で肉薄したオルテガを見ても、カミュは眉一つ動かさず、振り抜かれる剣を持っている勇者の盾で受け止めた。

 

「くっ」

 

 英雄の一振りとは、巨大な魔物さえも両断し得る一撃である。例え盾で受け止めても、人間など弾き飛ばす程の剣撃。だが、それを片手で受け止めたカミュは、先程の場所から一歩たりとも動いておらず、逆に苦悶の声を漏らしたのは、一撃を放ったオルテガの方であった。

 英雄が放った最強の一撃は、受け止めた者ではなく、それを持つ英雄自身の右腕に痺れを残す。だが、そんな身体の不調を気にする余裕が、彼に与えられる事はなかった。

 左手に装備した勇者の盾で受け止めたカミュは、そのまま王者の剣の刺突を繰り出す。風を切る音がオルテガの耳に入った時には、彼の右頬はその風によって斬られ、生温かな血液が流れ落ちていた。

 カミュが意図的に外した事を理解出来ない程、オルテガの力量は落ちぶれてはいない。しかも、剣先が触れていないにも拘らずに切れている頬で、カミュ自身の力量を侮り過ぎていた事を悟った。

 

「ふぅ……。すまない、本気で行く」

 

 一息吐き出したオルテガは、目の前に居る者が最愛の息子であるという認識を捨てる。一瞬で鋭い瞳に変化した目の色は、強者と戦うというよりも、魔物のような人外の物に対抗する為の物に見えた。

 バスタードソードが突き出され、それをカミュが再び盾で受け流す。それは一撃必殺の威力を誇る物であるが、リーシャ自身が模擬戦を止めようとしない事からも、カミュであれば対処出来る程度の攻撃である事が解った。

 受け流され、身体が泳いだオルテガの腹部にカミュの足が突き刺さる。食した物全てを吐き出してしまいそうになる衝撃を受けたオルテガは、そのまま後方へ転がる事で衝撃を緩和した。

 起き上がったオルテガは、再び剣を突き出すが、その剣はカミュの持つ王者の剣の刃で逸らされる。込めた力を流されたオルテガの顔面にカミュの持つ盾が振り抜かれた。

 吹き飛ばされたオルテガは、追い討ちに備える為に即座に体勢を立て直すが、その視線の先には、先程と変わらない姿で立つカミュの姿が見えていた。

 

「……ここまでの差か」

 

 オルテガは、真の英雄である。その生い立ちを見ても、カミュとそれ程変わらないに違いない。幼き頃から父に剣を習い、宮廷に入り込んでは呪文の契約を行った。

 魔物の討伐隊に入ったのも、カミュとそれ程変わらない歳だったかもしれない。その中で剣を振るい、呪文を行使し、人間の脅威となる魔物と渡り合って来た。

 確かに、オルテガの少年時代であれば、討伐隊の規模も大きくはなく、対する魔物の凶暴性も今とは比べ物にならない程穏やかな物だっただろう。だが、そこで育んだ経験を重ね、彼は強力な魔物達とも渡り合う力を手にしている。そして、宮廷騎士として名を上げている父の手解きを受けて、対人の戦闘にも長けた存在となっていた。

 だからこそ、今の自分とカミュの力量の差を、僅かなやり取りで痛感してしまう。『この相手には敵わない』という本能が働き、それを裏付ける力の差を身を持って味わった。

 

「しかし、息子に越されるという事が、これ程に悔しく、これ程に嬉しい事だとはな……」

 

「ちっ」

 

 嘔吐感が収まったオルテガは立ち上がり、再度バスタードソードを握る。その顔に、宿屋を出た頃の悲壮感はない。むしろ何処か清々しく、何処か晴れやかな物であった。

 悔しそうに顔を歪めながらも、嬉しさを隠し切れないように口端が緩む。そんな何とも言えない微妙な表情を浮かべるオルテガを見て、リーシャは微笑み、カミュは盛大な舌打ちを鳴らした。

 僅か一合の打ち合いでは模擬戦は終わらない。戦闘態勢に入ったオルテガを見て、カミュはようやく構えを取った。

 これ程の力量の差があれば、先程の打ち合いの際に、オルテガを刺し殺し、斬り殺していても可笑しくはない。だが、それでも彼はそうしなかった。自分の胸の中にある憎悪が消えた訳ではない事を知っている彼にとっては、その無意識の行動が最も苛立つのだろう。嬉しそうに微笑むオルテガにもう一度大きな舌打ちを鳴らしたカミュは、苛立たしげに剣を振るった。

 

「すまない。そして、この愚かな父の我儘に付き合ってくれた事に礼を言う。これが、最後だ」

 

 目の前に居る息子に頭を下げたオルテガだったが、再度上げられた顔には満面の笑みを浮かべている。そして、再び引き締まった表情を見て、カミュは態勢を低くして構えを取った。

 何度も言うが、オルテガは確かに英雄なのだ。その力は人類の限界を大きく超え、世界中に名を轟かせる程の男である。

 同じく英雄として謳われるサイモンという男には、魔物を打ち倒せる程の武器があった。『大地の剣』とも伝えられる名剣であり、神剣。勿論、サイモン本人も英雄としての素質と力を備えていたのだろうが、それでもガイアの剣と呼ばれる武器がなければ、オルテガと並び称される程の存在となってはいなかっただろう。

 逆に言えば、その手に神剣の類の武器を持たず、その身に神代の鎧などを纏わずに名を馳せたオルテガという男が異常なのだ。

 

「ふん!」

 

 一気に肉薄して来たオルテガが振り下ろす剣は、その速度、力共に、人間など両断出来る威力を誇る。それを盾ではなく剣で受け止めたカミュであったが、予想以上の力であった為にはじき返すことが出来なかった。

 肉薄する親子の顔には正反対の表情が浮かぶ。肩を使ってカミュを押し出そうとしたオルテガは、逆に押し返され、振るわれた剣を辛うじて盾で受け止めた。

 一瞬でも気を抜けば、命諸共斬り捨てられるという緊迫感に、オルテガの額から大粒の汗が流れ落ちる。それでも彼の顔には笑みが浮かんでいた。それは強者と戦えるという楽しみではなく、息子と剣を合わせるという喜びから来るのかもしれない。

 リーシャやサラの持っていた『たいまつ』を地面に突き刺す事で得ている僅かな明かりの中、人類史最強の勇者と英雄の戦いは続いた。

 

「うおぉぉぉ」

 

 何合か剣を合わせる中で、オルテガの胸を喜びと共に大きな寂しさが占めて行く。息子に越される悔しさ。息子が自分を追い越して行く喜び。そして、追い越して行った息子の背中を見る事しか出来ない寂しさ。

 全力を出している自分に対し、目の前の息子には余裕がある事に気付けない男ではない。この差を埋める手段がない以上、オルテガがカミュ達の旅に同道する資格はないのだ。

 それがここまで悔しい事だとは知らなかった。それがここまで嬉しい事だとも知らなかった。そして、何よりもこれ程までの寂しさを感じる事だとは思いもしなかった。

 悔しさで、嬉しさで、寂しさで溢れ出る涙が目の前の息子の姿を歪ませる。それでも、息子の勇姿をしっかりと焼き付けようと、目を見開いた。自分の振るう剣は、既に明確な軌道を失っている。闇雲に剣を振るう赤子のようでありながらも、オルテガは剣を振るう事を止める事が出来なかった。

 出来る事ならば、この時間が永遠に続いて欲しいとさえ願う。何時までも何時までも、息子と剣を合わせ、その姿を見ていたいと願う。だが、そんな父親としてのささやかな我儘も、最早許されてはいなかった。

 

「ふん!」

 

 これ以上の打ち合いは、意味を成さない。オルテガという男の我儘に何時までも付き合っていられる程、彼等には時間はなかった。

 振り下ろされたオルテガのバスタードソードを、カミュが真上に斬り上げる。自身の力さえも利用された反撃に、オルテガの手は剣を握る力を失った。

 空高く跳ね上げられたバスタードソードは、大きな弧を描きながら回転し、オルテガの後方の地面へと突き刺さる。そして、彼にとって長く短い、初めての息子との対話の終了の鐘がなった。

 

「そこまで!」

 

 リーシャの掛け声を聞いたオルテガは、涙が溢れ出る笑みを浮かべてその場に座り込んだ。

 荒い息を整えているのか、それとも嗚咽を漏らしているのか解らない息を吐き、一度大きく振り上げた拳を地面を叩き付ける。

 だが、その行動に反するような表情を浮かべているオルテガを見て、リーシャの頬を一筋の涙が流れ落ちて行った。彼女もまた、自身の父との打ち合いを願い続けて来た人物である。幼い頃は楽しみでありながらも、恐ろしい時間であったが、父を失ってからは、『もう一度、もう一度』と願い続けて来た時間でもあった。

 カミュを羨ましいと思うと同時に、自分もまた、今の成長した姿を父に見せたかったと心から願うのだ。その想いが、涙となって流れ落ちたのだった。

 

「……本当に強くなったのだな」

 

 冷たく見下ろすカミュに対し、本当に嬉しそうに微笑むオルテガ。その対照的な姿は、とても不思議であり、そして神秘的な物に見えた。

 この親子の生い立ちはそれ程変わらない。その違いは、自身が望んだか否かだけである。オルテガはその力を望み、カミュは望まなかった。

 サラはそんな二人が、正しく英雄と勇者の違いを体現しているように思えた。自ら望んでその場所へ向かい、名を上げる英雄。望まぬにも拘わらず、まるで必然のようにその場に立ち、周囲を変えて行く勇者。

 そこに正誤や優劣はないのかもしれない。だが、世界という途方もなく広く大きな視点で動かす事が出来るのは、英雄でなく、勇者なのかもしれなかった。

 

「アンタはアリアハンへ戻れ」

 

 唐突に告げられたカミュの言葉に、リーシャとメルエを除く二人の反応が遅れる。先程までの笑みを消したオルテガの顔は、『アリアハンに戻れる』という事自体に対する疑念があり、カミュへと弾かれたように視線を向けたサラの顔には、カミュ自身の変化に戸惑う色が見られた。

 だが、それを予想していたリーシャだけは、自分に向けられたカミュの視線に頷きを返し、座り込んだまま呆然とカミュを見上げるオルテガに近付いて行く。そして、昨日の内にカミュから預かっていた一つの革袋を手渡した。

 

「これは……キメラの翼か!?」

 

「はい。このアレフガルドに生息するキメラとの戦闘の後で、一つだけ残されていた翼です」

 

 その革袋からオルテガが取り出したのは、一つの翼。鳥のような羽毛で包まれながらも、竜種のような鱗を持つ不思議な翼だった。

 それは、既に上の世界では入手が不可能となっている希少な道具。天高く放り投げて行きたい場所を思い浮かべるだけで、その翼に残る魔法力がその者を運ぶとされる物であった。

 上の世界では一度も見る事のなかった道具ではあるが、このアレフガルドで遭遇したキメラ本体から入手した物を今まで大事に持ち続けていたのだ。この一行には、ルーラの術者が三人いる以上、余程の事がない限りはキメラの翼の出番はない。どれ程に希少な道具であろうとも、世界樹の葉ほど替えの効かない物ではなかった。

 

「こんな貴重な物を……。だが、これを使っても、アリアハンに戻れる訳ではないだろう?」

 

「その件は、私から説明させて頂きます」

 

 キメラの翼を手にしたオルテガであったが、その希少性に驚きながらも、冷静に物事を分析する。このアレフガルドと、アリアハンのある上の世界は、完全なる別世界である。同じ世界であれば、どれ程に離れていたとしても、ルーラやキメラの翼で移動は可能だろうが、異世界となればその限りではなかった。

 そんなオルテガの姿を見て我に返ったサラが一歩前に出る。一行の頭脳であり、今では世界で唯一の賢者となった彼女は、今のアレフガルドと上の世界の状況を概ね把握していた。

 これもまた仮定の話になるが、もし、オルテガの旅路に、サラのような存在が同道していれば、彼の旅も大きく変化した事だろう。疑問に思った事を流す事が出来ず、それについて納得行くまで考えるような存在がいれば、その旅路も幾らか楽になっていたに違いない。

 

「今、上の世界とアレフガルドは繋がっている状態です。ルビス様の復活によってその歪みや繋がりが小さくなってはいますが、それでもアレフガルドと上の世界は繋がっている筈。このアレフガルドに、ルーラを行使出来ない人達しかいないのは、行使出来る人達は既に上の世界に帰っているという可能性が高いからだと思われます」

 

 上の世界でルーラという呪文を契約した者は、大抵が要職に就いている者達ばかりである。国家の宮廷に所属する魔法使いがその大半で、独立した魔法使いなど皆無に等しい上の世界で、ルーラを行使出来る者がアレフガルドに落ちて来るという可能性は低かった。

 だが、それでも皆無という訳ではないだろう。何かの拍子に地割れに合い、このアレフガルドへ落ちて来たカンダタやマイラの村のジパング夫婦のように、魔法使いが落ちて来ていても可笑しくはない。だが、アレフガルドを異世界だと思っていない状態であれば、ルーラという帰る為の手段を持つ魔法使い達が、いつまでもアレフガルドに残っているという可能性は限りなく低かった。

 

「おそらく、ルーラやキメラの翼で、魔王の爪痕を抜ける事は出来るのだと思います。それでなくては、私達もこの世界に来る事が出来なかった筈ですから」

 

 そして、その仮説が正しい事の証明に、このアレフガルドへ来た上の世界の者達は、ほぼ全てが上の世界に出来た穴から落ちて来ている。それは、異空間に取り込まれたとか、歪む時間軸に巻き込まれたとか、そのような非現実的な物ではなく、例外なくこのアレフガルドの空から到来しているという事であった。

 空から落ちて来る際に、落下によって死んだ者もいたかもしれないが、アレフガルドの空の一部と、上の世界に出来た穴が繋がっていると考えても良いだろう。

 ラーミアという神鳥もまた、上の世界とアレフガルドを繋ぐ裂け目から降りて来た事もまた、その説の信憑性を高めていた。

 

「試す価値はあるという事だな」

 

「ええ、ルーラは術者の魔法力ですが、キメラの翼は魔物の魔力です。その翼に宿る魔法力の量は解りませんが、少なくとも並みの人間などよりも遥かに多いでしょう。もし、通常の魔法使いの魔法力では届かない距離であったとしても、キメラの翼ならば可能な筈です」

 

 このアレフガルドに到達し、上の世界に戻った事のある魔法使いという存在が皆無だったとしても、戻る事の出来なかった理由がルーラを継続する為の魔法力不足だったとしても、アレフガルドに生息していたキメラの翼ならば、それを可能にするだけの力を宿している可能性は高かった。

 キメラという複合種は、他の単一の魔物よりも魔法力が高い。その魔法力の残骸であったとしても、本来ならば世界に残る事も許されない種族にも拘わらず、この世界に顕現し続けている自体で、残る魔法力の高さは窺えた。

 サラの考察が終わる頃、再びカミュがリーシャへと視線を送る。それに対して、何故か笑みを浮かべたリーシャは、しっかりと頷きを返した。

 

「オルテガ様、これを」

 

 再び近付いたリーシャは、ルビスの塔からずっと持ち続けて来たある物をオルテガへと手渡す。それは、特殊な形状をした一品物の兜であり、長い間カミュの頭部を護り続けて来た兜でもあった。

 それを手にしたオルテガは、何故自分にこれが手渡されたのかを理解出来ないような表情を浮かべるが、すぐにそれが何かに気付く。

 

「これは、私の……」

 

「違う」

 

 自分が被り続けて来た物である事に気付いたオルテガは、手渡して来たリーシャを見上げ、呟きを漏らす。だが、その言葉は最後まで紡ぐ事は出来ず、途中で遮られた。

 言葉を遮られた声が、力強い物であった事に驚いたオルテガは、その声の発信元へと視線を移す。だが、そんな緊迫したやり取りを見ていたリーシャだけは、心から面白い者を見るように微笑みを浮かべていた。

 サラは、そんなリーシャの笑みの真意に気付く事が出来ず、不思議そうに首を傾げ、それを見ていたメルエもまた、笑顔で首を傾げる。独特の雰囲気が流れる中、一つ息を吐き出したカミュが言葉を繋げた。

 

「それはポポタの物だ。アンタがアリアハンに帰ったならば、ムオルの村へ行き、ポポタに返してやってくれ」

 

「ムオルのあの少年か?」

 

 カミュの声は、先程まで剣を振っていた頃よりも穏やかな物であった。アリアハンを出た当初から比べれば、まるで憑き物が落ちたかのような表情で、オルテガを見下ろしている。冷たいといえば、冷たい表情であろう。だが、その冷たさの中にも、仲間達だけが感じ取れる温かさが存在していた。

 その証拠に、剣を背中に納めたカミュに向かって近づいて行った少女は、その足下にしがみ付き、笑みを浮かべている。それを見たオルテガの瞳にも優しさが戻って行った。

 もし、自分がアリアハンで過ごしていたならば、カミュもまた今の少女のように自分の足にしがみ付き、笑みを向けてくれていただろうか。そんな決して見る事の出来ない世界へ想いを馳せて行く。

 

「ゾーマが倒されれば、上の世界は完全に平和が訪れます。その時には、アリアハンからムオルへの航路も出来ているでしょう。海の魔物は消えて無くなりはしないでしょうが、上の世界には大きな護衛団が開設している筈ですから」

 

「……わかった」

 

 ここでカミュ達の申し出を断る事など出来る訳がない。オルテガがどれ程に望もうとも、どれ程に抵抗しようとも、彼がカミュ達と共に大魔王ゾーマへ向かう事は許されないのだ。ならば、息子から託された約束を果たす事こそが、彼が出来る唯一の行動であった。

 最早悔しさもない。立ち上がったオルテガは、目の前に立つ愛しい息子の姿を眩しげに見つめる。親らしい事など何一つ出来てはいなくとも、息子自身が自分を親だと思っていなくとも、この青年はオルテガにとって掛け替えのない唯一人の息子である。そして、二十年以上もの長い旅路の果てに見つけた、彼の誇りでもあった。

 

「先にアリアハンに帰っている。お前なら、必ずゾーマを討ち果たす事が出来ると、私も信じている。ゾーマを倒し、必ず戻って来てくれ。そして、お前を息子と呼ばせて欲しい」

 

「……」

 

 リーシャから渡された兜を被り、キメラの翼を握り締めたオルテガは、真剣な瞳をカミュへと向ける。息子の胸に残る憎悪を軽く見ている訳ではない。その憎しみも悲しみも、全て責任は自分にあると考えているし、そこから目を背けるつもりもない。故にこそ、改めて共に暮らし、本当の親子としての時間を過ごしたいと考えていた。

 オルテガの呼び掛けにカミュは応えず、ただ真っ直ぐにオルテガを見つめる。苛立ちと怒り、そして僅かな情。そんな色を浮かべながら見つめる息子の姿を見て、オルテガ勘違いをしてしまった。

 『出来もしない約束をするつもりはないのだろう』と。

 

「……名残惜しいが、これ以上は歩みを邪魔する訳にも行かないな。アリアハンで待っているぞ、カミュ」

 

 そう告げて微笑んだオルテガは、一筋の涙を溢した後で、天高くキメラの翼を放り投げた。

 漆黒の闇の空に上がった一枚の翼は、眩いばかりの光を放ち始め、投じたオルテガの身体を包み込む。ゆっくりと浮かび上がり始めるオルテガの身体を、四人は異なる想いと表情で見送って行った。

 愛しい息子の姿を焼き付けるように見つめ続けるオルテガの身体が尚一層に輝き、一時の停滞の後、光の筋となって漆黒の夜空へと消えて行く。

 

「良かったのですか? ゾーマを倒せば、上の世界との繋がりも消滅する事をお伝えしなくて」

 

「まぁ、オルテガ様も薄々気付いていただろうな」

 

 戻って来る事を待つと宣言して帰って行ったオルテガの光が消え、再び静寂と闇の支配が戻った頃、サラはカミュとリーシャへ問いかける。カミュが戻って来る事を期待させて良かったのかと。

 不死鳥ラーミアの話を信じるのであれば、大魔王ゾーマを討ち果たし、このアレフガルドに光を取り戻した時、上の世界とアレフガルドを結ぶ裂け目は完全に閉ざされる事になるだろう。そうすれば、如何に人外の魔法力を持っていようとも、上の世界はルーラで戻れる場所ではなくなるのだ。

 だが、リーシャはそのような事は、オルテガ自身も察しているだろうと言う。それでも彼は諦めてはいないのだ。再び息子と会える時を、そして愛しい息子と共に暮らせる日を。

 

「行くぞ」

 

「ああ、これでやり残した事はない。後は、大魔王ゾーマを倒して、このアレフガルドに光を取り戻すだけだ」

 

 いつもの表情に戻ったカミュは、全ての荷物を拾い上げ、再び西にある虹の橋へ向かって歩き出す。そして、その背中を見たリーシャは、晴れやかな笑みを浮かべて気合を入れ直した。

 歩き出すカミュの足下には、大魔王にさえ匹敵する程の魔法力と才能を持つ少女がおり、その後ろには大魔王さえも恐れた名を受け継ぐ賢者が歩く。そして、最後尾には、当代の勇者も、世界に轟く英雄でさえも敵わない女性戦士が続いた。

 

 全ての試練を乗り越え、成長を遂げた勇者は、歴史に残る程の猛者達を率いて、至上最凶の大魔王へ挑んで行く。旅は終盤に差し掛かり、長かった苦しみも終わりを向かえる。

 目指すは、諸悪の根源『大魔王ゾーマ』。

 全てを滅ぼし、絶望へと落とす者。他者の絶望を愉悦とし、その苦しみを糧とする者。

 それに向かうは、人類の希望であり、世界の希望。

 決戦の時は近い。

 

 

 




読んで頂き、ありがとうございました。
これで二十二章もラストです。
次話から最終章となります。

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