新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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バラモスゾンビ

 

 

 

 カミュ達の目の前に散乱するバラモスブロスであった残骸に、闇の炎が荒れ狂うように入り込む。巻き上がるような炎が全ての骨へと入り込み、濁った色へと変化して行った。

 瘴気と化した炎は、散乱する骨を集め始め、一つの形へと形成して行く。その瘴気の濃さにカミュ達は一歩も動く事が出来ず、只々成り行きを見つめる事しか出来ない。そして、再び仮初の命が吹き込まれて行った。

 

「グオォォォォォ!」

 

「……ここまで来ると、流石に哀れだな」

 

 吹き込まれた瘴気による命は、バラモスの骨を生前と同等に組み合わせる。最早、言葉を話す事は出来ず、雄叫びとも悲痛の叫びとも取れる奇声を発するだけになったそれを見たリーシャ達は、余りの光景に言葉を失った。

 だが、言葉を失い、動く事さえも出来ない三人の前に立った青年が、静かに口を開く。どれ程の圧力を受けても、目標を見失う事なく、真っ直ぐに前を見る事の出来る『勇者』が再び剣を握った。

 大魔王ゾーマの配下となった瞬間から、このバラモスという魔族には死さえも許されていなかったのかもしれない。精霊神ルビスの封印という功績を持ち、他の魔族よりも圧倒的な力を有するからこそ、バラモスはゾーマの傍にいる事が出来たのだろうが、その代償として、彼は常にゾーマの要望に応え続けなくてはならなくなった。

 応えられない場合は、その権力に応じた報いを受ける事になる。逆に言えば、それだけの権限をバラモスはゾーマによって与えられていたのだろう。

 

「行け、バラモスゾンビよ。その生贄達を余に奉げよ」

 

 既に生きる屍と成り果てたバラモスは、骨だけの姿でカミュ達に襲い掛かる。ドラゴンゾンビやスカルゴンと同様に、物言わぬ屍となってまで、大魔王の魔法力に縛られ続けるその姿は、数々の魔物や魔族を葬って来たカミュ達としても悲痛な思いを感じる物だった。

 この骨の魔物がバラモスである名残は、その骨に付着するゆとりのある衣服の切れ端と、首から下がる趣味の悪い首飾りだけである。上げる咆哮も、最早生前の頃とは明らかに異なる物であり、生物としての嫌悪感しか感じない奇声に近い物であった。

 巨大な身体を動かしながら、近付いて来るバラモスゾンビを見上げる一行全員が戦闘態勢に入る。それは、彼等四人が、キングヒドラやバラモスブロス以上の強敵である事を認識しているという事であった。

 

「ぐっ」

 

 振り抜かれたバラモスゾンビの腕が勇者の盾を掲げるカミュに直撃する。想像以上の力によって吹き飛ばされたカミュは、横の壁に直撃し、床へ倒れ伏した。

 カミュの状態を見るだけでも、バラモスゾンビの力がバラモスブロスよりも上である事を物語っている。既に筋肉も何もない骨に腕力があるという事自体が可笑しな話ではあるが、その分、自身の肉体を気遣う必要もなく、通常以上の破壊力を発揮出来るのかもしれない。

 倒れ伏したカミュが口から血液を吐き出す。体内までも傷つけられた証明であり、それを見たサラは祈りを奉げるように瞳を閉じた。その瞬間にサラのサークレットに嵌め込まれた深い青色をした宝玉が輝きを放つ。『賢者の石』と伝わる宝玉がその力を解放し、仲間達の傷を癒して行った。

 

「本当に何度も使用する事が出来るのだな」

 

「但し、ベホイミ程度の力しかありませんから、深い傷までは完全回復させる事は出来ないと思います」

 

 立ち上がったカミュを見たリーシャは、祈りを終えたサラへと語り掛ける。『賢者の石』という物の逸話しか聞いた事のない彼女は、『何度も使用可能』という部分を正直疑っていた。故にこそ、再び顕現された奇跡を目の当たりにし、その異常性と有用性を改めて感じたのだ。

 しかし、それはカミュやサラが行使する最上位の回復呪文であるベホマ程の力はなく、サラが修得しているベホマラーと同等の力しかない。それを告げるサラへ、笑顔で『十分だ』と答えたリーシャは、そのままバラモスゾンビに向かって駆け出した。

 最早、一対一という構図や、魔法力などの温存を考えていられる状態ではない。目の前に居るバラモスゾンビという敵は、ここまで遭遇した魔物や魔族の中でも最上位に立つ強敵であろう。全員の総力を持って当たらなければ、大魔王ゾーマの討伐という悲願を成し遂げるどころか、その前に全滅してしまう可能性さえもあった。

 

「カミュ、合わせろ!」

 

 駆け出したリーシャは、迫り来るバラモスゾンビの腕を掻い潜り、カミュへと指示を出す。前衛二人が各々の武器を持って左右に別れ、その太い大腿骨を粉砕しようと同時に武器を振るった。

 しかし、大魔王ゾーマの魔法力によって生み出されたバラモスゾンビは、斬りつけられた部分を瘴気で包み込み、即座に回復作業を始めて行く。舌打ちを鳴らしたリーシャは、死角から迫ったバラモスゾンビの腕を受け、床を転がって行った。

 単純な攻撃力を測るのならば、バラモスゾンビはトロル族や大魔人のような魔物よりも上であろう。それらの攻撃を受けても吹き飛ばされるような事はなかったリーシャが、床を数度跳ねる程に弾き飛ばされていた。

 

「メルエ、カミュ様の援護を!」

 

「…………ん…………」

 

 リーシャの姿を見たサラは、その状態が深刻であり、賢者の石での回復では間に合わない可能性を感じ、メルエを残して倒れ伏すリーシャの傍に駆け出す。後を託されたメルエはしっかりと頷きを返し、カミュに向けて杖を振るった。

 それはスカラという、防御呪文。術者の魔法力を身体に纏わせ、その身体の防御力を上げて行く効果を持つ物である。メルエの魔法力によって護られたカミュは、再びバラモスゾンビと対峙した。

 知らず知らずに額から流れ落ちる汗は冷たい。不用意に動けない一触即発の緊迫感は、心地良さなど微塵もない命のやり取りであった。オルテガやサイモンのような英雄と謳われる者達の中には、このような緊迫した場面を楽しむ人間もいるのかもしれないが、元々、戦う事に何の感情も差し込まないカミュには不快な物でしかない。だが、それでもカミュは身動き一つせず、剣を構えたままでバラモスゾンビの動きを待った。

 

「…………バイキルト…………」

 

 不思議な帽子を装備しているメルエは、同じ呪文を行使してもサラよりも消費魔法力が少ない。元々、貯蔵魔法力の量も多いメルエが、その消費魔法力も軽減されるのだから、その行使回数は膨れ上がるだろう。それを自覚しているメルエは、己の大事な者を護る為ならば躊躇いはなかった。

 少女が杖を振った瞬間、カミュとバラモスゾンビの両者間に張り詰められた緊迫の糸の一本が切れる。その僅かな空気の変動は、強者にとっては大きな変化であり、過敏に反応したバラモスゾンビはその腕を一気に振り下ろした。

 このような緊迫した場面は、後手にさえ回らなければ後攻の方に分がある。一瞬の隙を突いたカミュは、バラモスゾンビが振り下ろした拳に合わせるように剣を振り抜いた。剣を覆っているのは人類最高位に立つ魔法使いの膨大な魔法力であり、その鋭さを増した刃が、輝きとなってバラモスゾンビの拳を斬り裂く。

 

「グオォォォォ!」

 

 生きる屍となり、理性も全て吹き飛んだバラモスゾンビに、最早言語を話す能力はない。不快な奇声を発しながら斬り裂かれた拳を再度振り下ろす姿を見上げたカミュは、哀しみさえ含んだ瞳をバラモスゾンビへと向けた。

 魔王バラモスは、上の世界では恐怖対象であり、絶対悪の象徴でもあった。誰もがその存在を恐れ、誰もがその名に恐怖していただろう。カミュのように、その討伐を命じられた者は、何処かで絶対的な死を予見していた筈である。それ程の存在であったのだ。

 あのネクロゴンドの奥に聳え立つ城でその姿を見た時、培って来た経験と自信を打ち砕く程の存在感を放ち、その強大な力に絶望さえカミュ達は感じている。だが、あの時の魔王バラモスには、自身が魔王である誇りと、それを誇示しようとする想いがあった。

 骨だけとなった今よりも、単純な力は弱いかもしれない。だが、あの誇りとそれを示そうとする意志は、倒そうと挑んだカミュ達の想いと同じく強い物であった筈だ。その姿を知っているカミュにとって、理性も意志も、頭脳も言語も、全てを失ったバラモスは見るに耐えない存在となっていた。

 

「ふん!」

 

 振り下ろされた拳を避け、陥没する床に足を取られる事なく踏み込んだカミュは、煌く剣を振るう。一閃された王者の剣は、バラモスゾンビの腕の骨を斬り付け、硬い骨に亀裂を入れた。

 即座に修復作業に入るバラモスゾンビの身体が、濃い瘴気を放つ。黒い闇の炎に包まれた腕の骨が亀裂を修復し、再び元通りの姿へと変わって行った。

 生半可な傷であれば、即座に修復してしまう程の瘴気の量。一気に致命傷を与えなければ、打倒する事は難しいだろう。それを理解したカミュは大きな舌打ちを鳴らした。剥き出しの骨であるバラモスゾンビの身体は、硬い骨であるというだけで防御力が高い訳ではない。だが、その攻撃の破壊力は凄まじく、バラモスゾンビの攻撃を警戒しながら剣を振るうとなれば、渾身の力を込めるという場面を作り出す事が難しいのだ。

 

「カミュ、決着をつけよう」

 

 だが、それも一対一という状態であればの話である。

 サラの回復呪文によって戦線へと戻って来たリーシャが、魔神の斧を握り締め、バラモスゾンビを見上げる。カミュという勇者の横で常に武器を握って来た彼女は、勇者との間合いも、剣を振るう呼吸も、そして後方からの援護のタイミングも熟知していた。

 頼もしい味方が戻って来た事で、大きく息を吐き出したカミュは、再び迫るバラモスゾンビの巨体へ鋭い視線を送る。同時に顔を上げたリーシャは、その一瞬で振り抜かれたバラモスゾンビの蹴りを間一髪で避けた。

 

「……一瞬の隙が命取りになる」

 

「ああ。だが、私達の旅自体がそのような物だったぞ」

 

 唸りを上げた風がリーシャの頬を切り、小さな傷から血液が流れているのを見たカミュは、軽く左手を掲げて、最下位の回復呪文を唱える。頬の傷が綺麗に消えたのを確認し、再び剣を握り込んだ彼は、自分の隣に立つ事を唯一認めている女性戦士へと警告を口にした。

 一瞬でも気を抜いてしまえば、命諸共に刈り取られる程の攻撃力をバラモスゾンビは有している。サラやカミュが最上位の回復呪文を修得していても、完全に命を奪われた物を蘇らせる事は出来ない。それを可能とする道具は、既にカミュの腰に下がる革袋の中にはないのだ。

 だが、リーシャの言う通り、彼等の旅路は常に死と隣り合わせであった。気を抜けば死へと直結する道を歩み、死を賭して戦いを続けて来ている。カミュが語った忠告などは、今更な物であろう。忠告を蹴ったリーシャの顔にも、それに頷きを返したカミュの顔にも不敵な笑みが浮かんでいた。

 

「…………スクルト…………」

 

 そして、そんな二人を補助する声が後方から響く。一行全員の身体を魔法に特化した少女の魔法力が包み込む。カミュに至っては、先程のスカラの魔法力が残っている上に重ね掛けをされた状態となり、尚更に強い護りに護られる形となった。

 それに加えて、リーシャの武器にも己の魔法力を分け与える為に少女は杖を振り、前衛の二人の戦闘準備が完了する。剣と斧を振るう前衛二人に、それを補助する後衛二人。それは、この一行が七年近くに及ぶ旅路を乗り越えて来た最強の布陣であった。

 

「グォォォォ」

 

 叫ぶ事しか出来ないバラモスゾンビの腕が振り下ろされる。しかし、万全の態勢となった一行にとって、その攻撃は脅威とはならないだろう。バラモスブロスのように、多彩な攻撃がある訳ではない。魔王バラモスのように他者を圧倒する程の存在感がある訳でもない。ただ、力任せの攻撃を何度も受ける程、彼等の経験は優しい物ではなかったのだ。

 振り下ろされた拳が突き刺さる床には、前衛二人の姿はない。巻き上がった土煙が視界を遮る中、カミュとリーシャは左右に分かれて己の武具を振るった。

 

「ちっ」

 

 しかし、大魔王ゾーマの魔法力によって甦った魔王であった者の残骸は、既に失った視覚でカミュ達を捉えている訳ではない。右から斬りかかったリーシャの斧を左腕で払い、左側から剣を振るったカミュの身体ごと、引き戻した右拳で薙ぎ払った。

 吹き飛ばされたカミュは再び壁に突き刺さり、それを見たリーシャが舌打ちを鳴らす。そんなリーシャを無視するように上げられたバラモスゾンビの片足が、壁から崩れ落ちたカミュを潰そうと捻り落とされた。

 

「…………イオラ…………」

 

 それでも、バラモスゾンビの行動全てを容認する事など出来ない。振り下ろされる片足に向かって振り抜かれた杖が、大気を急速に圧縮して行く。立ち上がるカミュの耳に響く甲高い音が、瞬間的に圧縮された大気が弾けた事を物語った。

 爆発はバラモスゾンビの片足を直撃し、その巨体ごとカミュから遠ざけて行く。横合いから受けた圧力によって、バランスを失った巨体がよろめくのを見たリーシャは、そのままバラモスゾンビの腰目掛けて魔神の斧を振るった。

 賢者の石の癒しの光を受け、立ち上がったカミュは、リーシャの一閃によって砕けた骨の破片が降り注ぐ中、再びバラモスゾンビの大腿骨目掛けて剣を振り下ろす。甲高い音を響かせて剣と骨がぶつかり合い、その鬩ぎ合いに負けた骨に大きな亀裂が入った。

 

「ちっ、厄介な」

 

「カミュ! 継続的に攻撃を加えなければ、倒せないぞ!」

 

 リーシャが振るった斧が直撃したバラモスゾンビの腰骨は砕け、大きな亀裂が入っている。同じようにカミュが斬り付けた大腿骨にも亀裂が入っているのだが、身体を支える事を優先したバラモスゾンビは、腰を優先して修復を始めていた。

 それを見たカミュは盛大な舌打ちを鳴らし、戻って来たリーシャは、治癒能力を上回る攻撃を継続的に加えていかなければ打倒出来ない事を語る。

 バラモスやバラモスブロスにも自然治癒を上回る、大きな修復能力があったが、それでも生身の血肉があった彼らと、骨だけであるバラモスゾンビには修復に要する時間に圧倒的な違いがあった。肉を塞ぎ、体液が通う管を戻し、肉を繋ぐ筋を戻す。それが完了しなければ修復が終了しなかった前者とは異なり、砕けた骨を瘴気によって戻すだけの作業である後者では、後者の方が動き出す為の時間が早いのだ。

 

「カミュ様、リーシャさん、下がってください」

 

 一度止まってしまえば、再び攻撃を加える隙を探す作業となる。膠着状態に陥ってしまったカミュとリーシャは、後方から届いたサラの声に即座に反応した。

 飛び退くように後方へと下がり、バラモスゾンビとの距離が開いたと同時に、賢者の隣に立つ少女が大きく杖を振るう。振るわれた杖の先から発現した魔法力が、空中に大きな魔法陣を描き上げた。

 それと同時に急速に圧縮されて行く大気。耳鳴りがし、視界が歪む程に圧縮が進み、まるでカミュ達とバラモスゾンビを隔てるように大気の壁が生み出された。

 

「…………イオナズン…………」

 

 最後の仕上げのように杖を再度振るった少女が、詠唱の完成を告げる呟きを口にする。同時に全てを包み込む膨大な光が弾け、凄まじい爆発音と爆風がゾーマ城最下層を覆った。

 本来、洞窟内などでの行使を制限していた呪文であったが、この場所の耐久性はバラモスブロスの唱えたイオナズンに耐えた事で証明されている。故にこそ、サラはその行使の制限を解除し、膠着した流れを動かす起因としてメルエに指示を出したのだ。

 今から思えば、この少女が唱えるイオナズンの威力は、魔王バラモスや、強力化したバラモスブロスが行使した同呪文よりも上であろう。地震のように床は揺れ、その衝撃に耐えられない部分は地割れのように亀裂が入る。壁を形成する岩は崩れ、天井を支える支柱にも大きな亀裂が入っていた。

 何度も行使する事は許されない。それだけの力を、既にこの魔法使いは有しているのだ。魔王バラモスが恐れ、大魔王ゾーマでさえもその存在を認識する、古の賢者の血脈。竜族と人族の間に生まれた奇跡の系譜は、今、この時を以って、最大の華を咲かせたのかもしれない。

 

「流石は、魔王であった者と言ったところか……」

 

「だが、全ての傷を癒す事は出来ないようだな」

 

 凄まじい爆風により、カミュ達にまで届くほどの熱量が炎を生み出し、バラモスゾンビの周囲を激しい炎が燃え盛っている。だが、土埃が晴れた炎の奥から現れた姿を見て、カミュは感嘆に近い呟きを漏らした。

 身体を形成する骨の各所には亀裂が入り、爆発による熱でその骨の一部は融解している。それでも生前には眼球があったであろう窪みには怪しい光を宿し、一歩、また一歩と前へ踏み出してくるその姿は、大魔王ゾーマに次ぐ、魔族最強の名に相応しい物であったのだ。

 だが、それでもバラモスゾンビが持つ自己修復機能は、全てを傷を修復するには至らない。活動に重要な部分の修復を先に行っている事から、頭部の亀裂はそのままであり、頭頂部にあった瘤のような物は折れたままであった。

 

「行くぞ」

 

 焦土と化した最下層のフロアは、相応の熱気に包まれている。一歩踏み出せば汗が噴き出し、二歩前に出れば肌が焼けた。それでも、カミュは剣を握り、一気に駆け出す。そして、その掛け声を聞いたリーシャもまた、斧を掲げて走り出した。

 ちりちりと髪や肌が焼ける音が耳に入り、手にした斧が真っ赤に染まる程の熱量。その中を駆け抜ける苦しみは、本来の人間であれば不可能な物であろう。それでも、この機会を逃す事など出来ない二人は、炎の中を進んで来るバラモスゾンビの身体に向かってそれぞれの武器を振り下ろした。

 熱によって、その頑強さが薄れている部分に振り下ろされた剣と斧が突き刺さり、それを振り払うようにバラモスゾンビが動く。元々、力という点に掛けてはバラモスやバラモスブロスよりも上である故に、突き刺した武器を振り切る事も出来ずに、カミュとリーシャは左右の壁へと吹き飛ばされた。

 

「…………マヒャド…………」

 

 最早、この段階まで来て、魔法使いメルエの中に『魔法力温存』という意識は欠片も残っていない。明確な敵としての認識を向けたバラモスゾンビは、愛するカミュとリーシャを傷つける悪者であり、倒すべき敵なのだ。

 後方に控える大魔王ゾーマ戦が、想像を絶する程の苦しい物になろうとも、今、この場でバラモスゾンビを倒さなければ、カミュ達の命も危ういとなれば、この少女にとって呪文を行使する事を抑制する理由にはならないのだ。

 振り抜かれた雷の杖の先にあるオブジェの口が開き、そこに大きな魔法陣が現れる。魔法陣を突き抜けて吹き荒れる暴風のような冷気が、爆炎によって熱し切ったバラモスゾンビの骨に襲い掛かった。

 生物の生命諸共に凍り付かせる程の冷気が、熱によって真っ赤に染まっていたバラモスゾンビの骨を一気に冷却して行く。如何に史上最凶の大魔王ゾーマの魔法力と、彼が生み出す瘴気によって型式を保っているバラモスゾンビだとしても、それが融解する程の熱を瞬時に冷却されれば脆くなる。そこをカミュ達は突いた。

 

「うおぉぉぉ」

 

 吹き飛ばされ、壁に直撃したカミュ達は、サラの所持する賢者の石の力を受けて身体を回復させ、休む暇もなく、その手に持った武器を振り下ろす。先にバラモスゾンビに辿り着いたカミュは、未だに周囲を覆う圧倒的な冷気に悴む手を無理やり動かすが、その刃が骨に到達する前に、振り抜かれた拳を受けて吹き飛んだ。

 だが、引き戻された拳には、大きな亀裂が入る。熱を瞬時に冷却した事によって脆くなった拳でカミュを殴り飛ばしているのだ。そのカミュの身体は、全身を神代の鎧が護っている。光の鎧と呼ばれるその鎧は、希少な金属で造られており、この世にある鎧の中でも頂点に位置する物であった。

 バラモスゾンビの身体を構成する骨が如何に濃い瘴気によって覆われているといえども、脆くなった状態でそのような鎧を殴ってしまえば、自壊するのは理である。そして、その綻びに止めを刺すように、一筋の光が駆け抜けた。

 

「うおりゃぁぁぁ!」

 

 引き戻された拳に合わせるように振り抜かれた魔神の斧は、一筋の光となってバラモスゾンビの腕を突き抜ける。斧が突き抜けると同時に、乾いた音がフロアに響き、リーシャが再び斧を構える頃には、バラモスゾンビの肩口近くまで亀裂が広がっていた。

 それに構わず振り上げられたその腕を見たリーシャは、先程までとは異なり、構えを取ったまま動こうともしない。避ける暇がない訳ではない。避ける術がない訳ではない。それにも拘らず、動こうとしないリーシャに向かって振り下ろされたバラモスゾンビの腕は、リーシャに到達するよりも前に瓦解した。

 

「よし!」

 

「気を抜くな!」

 

 肩口から先の腕が音を立てて崩れ、欠片となって降り注ぐのを見たリーシャは、大きく気を吐く。しかし、そんな一瞬の隙を見逃してくれる程、理性を失ったバラモスは易しい相手ではなかった。

 カミュの忠告の激がサラやメルエの耳に入った時には、既にリーシャの姿は掻き消される。先程までそこに確かにあった女性戦士はおらず、変わりに極太の腕の骨だけが見えていたのだ。

 その直後に響く巨大な衝突音。それと共に崩れる岩壁。そして、土煙が収まる頃には、石の瓦礫に埋もれた女性戦士の姿が見えて来る。

 一瞬の隙を突いたバラモスゾンビの攻撃は、正に『痛恨の一撃』と言えるだろう。意識をしていなかったとはいえ、身体を覆っていた緊張という力を僅かに抜いてしまった瞬間に訪れた過剰な程の力は、歴戦の勇士であるリーシャの身体をも易々と吹き飛ばし、その意識を刈り取る程の物であった。

 

「行け!」

 

「は、はい! メルエ、カミュ様を頼みますよ」

 

「…………ん…………」

 

 追い討ちを掛けようと動き出したバラモスゾンビの前に立ち塞がったカミュは、剣を握り締めて後方へ叫ぶ。それを受けたサラは、隣に立つ少女に後を託し、瓦礫に埋もれた女性戦士を救う為に駆け出した。

 賢者の石が何度も使用出来る奇跡の石だといっても、その効力はベホイミと同等。現状のリーシャの姿を見る限り、身体の内部を損傷している可能性は高く、最悪ベホイミでは間に合わない状況も考えられた。

 ベホイミよりも上位の回復呪文をカミュも行使する事が出来るが、現状でカミュがバラモスゾンビの前から離れるという選択肢は有り得ない。カミュやリーシャだからこそ、その強大な暴力に立ち向かう事が可能であり、その攻撃を受けるだけの体力も経験も有しているからだ。

 

「…………メラゾーマ…………」

 

 自分の前に立つカミュに苛立ちを見せるバラモスゾンビが動き出したと同時に、後を託された少女が杖を振るう。マヒャドの時よりも巨大な魔法陣が空間に表れ、その魔法陣の中央から全てを焼き尽くす程の火球が飛び出した。

 その火球の速度は凄まじく、轟音と共に瞬時にバラモスゾンビへと迫って行く。自身の髪が焼き切れ、肌が焼き付く感覚に気付いたカミュは、バラモスゾンビの残った腕を剣で弾き、その体勢を崩した後で後方へと全力で飛んだ。

 

「ほぉ……」

 

 バラモスゾンビの後方から静かに響いた感嘆の声。それが大魔王ゾーマの発した物だと気付ける余裕が、今のカミュ達にはなかった。それ程にバラモスゾンビとの戦闘は苦しい戦いであったのだ。

 体勢を崩されたバラモスゾンビは、急速に迫る巨大な火球を避ける事が出来ない。片腕は肩口から失い、未だに治癒能力が機能しておらず、残る腕もカミュによって弾かれた為に大きく逸れている。迫る火球は、そのままバラモスゾンビの頭部に直撃し、その頭蓋骨を形成する骨を融解させて行った。

 骨が焼かれる異臭が漂い、全てを飲み込む灼熱の火球がバラモスゾンビの頭部を抜けて、後方の壁に直撃する。天から降り注ぐように瓦礫が床へ落ち、それを見届けるように火球は消滅した。

 そこに残ったのは、頭部を形成していた頭蓋骨を失ったバラモスゾンビの身体。すっぽりと頭部だけを失い、立ち竦むバラモスゾンビを見上げたカミュは、余りにも呆気ない幕切れに、呆然としてしまう。それは、先程のリーシャが犯した過ちである事に気付いた時には、彼の意識は途切れていた。

 

「ぐぼっ」

 

 吹き飛ばされ、背中に凄まじい衝撃を受けたカミュは、盛大に血液を吐き出した後で床に倒れ伏す。後方で杖を握っていたメルエからすれば、先程リーシャが掻き消されたと同様の光景であっただろう。瞬時に消え失せた彼女の絶対的な保護者は、リーシャが崩れた近くの壁に直撃したのだ。

 首から上を失い、視界さえない筈のバラモスゾンビが動いている。それは既に生命という枠組みからは大きく逸脱した存在である事を示していた。

 同じように、骨の魔物である、ドラゴンゾンビやスカルゴン達でさえ、首を断ち切り、頭部を失えば、その空洞の窪みから光を失い、動かなくなっている。それにも拘わらず、このバラモスゾンビは頭部という重要器官を失って尚、カミュという敵の位置を見失う事なく、そして、未だに戦闘意識を失ってもいなかったのだ。

 

「リーシャさん……正直、私もメルエも、これ以上の呪文行使は控えたい状況です。祈りの指輪があるとはいえ、未知数の相手との戦闘に対する備えは持ち得る限り持っていたいですから」

 

「ああ、解っている。だが、カミュだけは頼む。その後は、メルエと共に後ろで待っていてくれ」

 

 吹き飛ばされたカミュの方へ向かう前に、回復を終えたサラは立ち上がったリーシャに向かって口を開く。その内容は切実であり、辛辣。ここまでの苦戦を考えていなかったという訳ではないが、それでもこれ以上の苦戦は許されないという忠告であった。

 剣を握り、それを武器として相手を倒すのは、サラやメルエの仕事ではない。そして、この状況で呪文の援護を無尽蔵に出来る程、サラ達後方支援組に余裕がある訳でもないのだ。

 リーシャやカミュを責めている訳ではない。むしろ、それを全て託さなければならない事に罪悪感さえ抱いているだろう。それでも、この場面でサラは口にしなければならなかった。

 『あれは、貴方達二人の仕事だ』と。

 

「油断はしない、慢心もない。ここからは、この私が相手をしよう」

 

 油断なく魔神の斧を構えたリーシャは、頭部さえ無い化け物に名乗りを上げる。

 基本的にバラモスゾンビの攻撃は、その腕力に頼った直接攻撃しかない。吐き出される火炎もなければ、全てを無にする極大爆発呪文を行使する事もない。そのような敵の相手であれば、本来はサラの言葉通り、前衛二人がそれを打ち倒さなければならないのだ。

 この頂まで登ったリーシャという女性戦士は、共に歩む勇者のように呪文を行使出来る才能は皆無。それは奇しくも、目の前に立ちはだかる骨の化け物と共通であった。ならばこそ、この場でリーシャがこの化け物に負ける事は許されない。『人』と『魔族』の違いなど些事に過ぎない。相手が誰であろうと、何であろうと、神秘を体現しない者が相手となれば、彼女が負ける事は出来ないのだ。

 

「ぬるい!」

 

 頭部をなくしたバラモスゾンビは、既に奇声を上げる事もない。本来であれば頭部にある瞳の窪みが向いている方向や、発する咆哮などで、攻撃の場所や時を察するのだが、今のバラモスゾンビにはその対応が出来ない。だが、無言で振り抜かれる腕をリーシャは斧で弾き返した。

 それは、ここまで彼女が歩んで来た道で培って来た経験値が成せる事であろう。何度も自身の力の無さに歯痒い想いをし、誰の目も触れない場所で何度も何度も武器を振るい続けた。今でこそ、彼女自身、カミュという男性に超えられてしまった事を自覚してはいるが、それを単純に『好し』とした事などない。

 己が未熟であれば、自分の護りたい者達も護れず、前へ進む事も出来ないと考えていた彼女は、常に一人で武を磨いて来たのだ。カミュと切磋琢磨した時間を否定はしない。だが、それ以上に彼女は一人で努力を重ねて来ている。魔法力を放出する才に恵まれず、頭脳明晰などとお世辞にも言えない事は十分に自覚していた。故にこそ、一つしかない自分の強みを伸ばす為に、彼女は血が滲み、血反吐を吐く努力を重ねて来たのだ。

 

「ぐっ」

 

 バラモスゾンビが蹴り上げた足を力の盾で防ぎ、それと同時に力の盾に願う。左腕に装備した盾が発した淡い緑色の光が自身を柔らかく包み込んだと同時に、リーシャは魔神の斧を横薙ぎに振るった。

 片足を上げた状態のバラモスゾンビは、地面を支えるもう片方の足に食い込んだ魔神の斧によってバランスを崩す。そしてそれに追い討ちを掛けるようにリーシャは、上段から斧を振り下ろした。

 乾いた音がフロアに響き渡り、バラモスゾンビを支えていた大腿骨に巨大な亀裂が入る。即座にそれを修復しようと治癒能力を回すのを確認したリーシャは、その足を放置したまま、もう片方の足へと斧を振り抜いた。

 

「喰らえ!」

 

 リーシャの動きに気付いたバラモスゾンビがその腕を振るうも、踏ん張りの利かない状態での攻撃など、今のリーシャにとって恐れる程の物ではない。ひらりと拳を避けたリーシャは、一度の攻撃で小さな亀裂の入った箇所に、渾身の力を込めて斧を振り下ろした。

 治癒能力を片足に回している上体のバラモスゾンビに、もう片方の足へ治癒を回す余裕はない。深々と突き刺さった斧が床へと振り下ろされた時、膨大な瘴気で支えられていたバラモスゾンビの大腿骨が真っ二つに斬り裂かれた。

 身体を支える足を失った巨体が、大きな音を立てて床へと沈み込む。最早、こうなっては、如何に暴力と呼べる力を持ち、首を失っても消えない生命力を誇るバラモスゾンビといえども、成す術は残されていなかった。

 

「任せる」

 

「ああ、任せろ!」

 

 厳密に言えば、メルエのメラゾーマによって、頭部を失った時点で、バラモスゾンビの敗北は決定していたのだ。それでも、魔王と名乗った頃の誇りと意地が、理性さえも失くした身体を支え続けて来たのだろう。

 回復を終えたカミュがリーシャの傍に近付き、静かに声を掛ける。それに応じるように猛々しい宣言をしたリーシャが、再び斧を振り抜いた。

 残る片足に直撃した魔神が愛した斧は、治癒能力での回復ごと破壊するように、バラモスゾンビの残る足を粉砕する。骨の欠片が飛び散り、そして、巨体が完全に床へと沈んだ。

 それでも尚、残る腕を動かそうと動く骨の残骸を見たリーシャは、倒れ込んで来た骨の中枢を支える背骨を真っ二つに叩き割る。甲高い音と共に砕け散った背骨が床へと落ちたと同時に、今までバラモスゾンビを覆っていた膨大な瘴気が闇へと還り始めた。

 

「最後だな」

 

「ああ、もう二度と迷うな」

 

 溢れ出した瘴気が徐々に燭台で燃える黒い炎の中へと消えて行くのを見たリーシャは、隣に立つカミュへ問いかけ、それに頷きを返した彼は、まるで哀れむようにバラモスゾンビへ声を掛け、その首から下がった趣味の悪い首飾りへ剣を振り下ろす。金属と金属がぶつかる音を響かせ、魔王バラモスをこの世に縛り付けていた最後の楔が砕け散った。

 一気に溢れ出した瘴気はカミュ達の視界を真っ黒に染め、燭台で燃え上がる闇の炎全てを包み込みながら、奥にある祭壇へと吹き抜けて行く。物言わぬ骨となったバラモスゾンビは、最早この世に残る資格さえも失ったかのように、風化していった。

 

「ふははははは! 予想以上に余を楽しませてくれるものだ。この礼はせねばなるまいの」

 

 膨大な瘴気の向かう先。この世の負の感情全てが還る先。

 それは、この戦いに一切の手を加えず、ただ見届け続けて来た絶対唯一の存在。

 高らかに謳うように発する声は、対峙する者達の心に拭い切れない恐怖と絶望を刻み込む。

 その手は、闇を掴み、闇を放つ。どれ程に輝く光を持つ存在であっても包み込み、希望の光を絶望の闇で塗り潰すだろう。

 その名は大魔王ゾーマ。

 最初にして、最後の決戦の火蓋は、切って落とされようとしていた。

 

 

 




大変遅くなりました。
読んで頂いて、ありがとうございます。

今月中には必ずもう一話仕上げます。
大魔王ゾーマとの最終決戦、始まります。

ご意見、ご感想を心よりお待ちしております。

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