新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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ロマリア大陸③

 

 

 

 一行は山道を抜けるまでにも、何度か魔物に遭遇し、戦闘を行った。

 大抵は、以前遭遇した<アニマルゾンビ>や<キラービー>、そして<軍隊がに>であり、カミュとリーシャによって悉く排除されて行く。カミュやリーシャも、サラやメルエの陰には隠れているが、ロマリア大陸に入ってから、剣の腕が上がっている事は確かであった。

 剣での攻撃の効き難い魔物が多くなっている中、闇雲に剣を振るうのではなく、どこをどう攻撃すれば有効な攻撃になるのかを、常に考えながら剣を振るっているのだ。

 自然とその剣の軌道は鋭く研ぎ澄まされ、それを振るう身体も無駄な動きが少なくなる。彼らが、自分の力量のレベルアップに気が付いているかは定かではないが、<軍隊がに>をサラの補助魔法の助け無しで倒しているのは、何も<カザーブの村>で購入した<鋼鉄の剣>という武器の変化だけが原因ではないだろう。

 ただ、もう一度一行の前に姿を現した<ギズモ>は、再びサラの<バギ>の前に消え失せる事となる。一度ならず二度までもサラによって、自分の新魔法の行使を妨げられたメルエの機嫌はますます下降していった。

 

「うぅぅ……メルエ……」

 

「…………」

 

 先程の戦闘から、一言も口を聞いてくれなくなってしまった少女にサラは、ほとほと困り果てていた。

 実際、サラが<ギズモ>を倒した時のメルエの表情は、その手に掴むマントの持ち主であるカミュと同じような無表情を貫いている。メルエのその表情に、その怒りの度合いを感じ取ったサラは先程から頭を下げ続けているのだが、メルエはその口を開こうともしなければ、表情を緩める事もしない。

 

「メルエ、いい加減許してやったらどうだ?……カミュも言っていただろ? 『メルエの新魔法は使うべき時が必ず来る。その時にメルエの実力を見せてくれれば良い』と」

 

「…………」

 

 サラの困り顔を不憫に思い始めていたリーシャは、メルエを宥める為に声をかける。リーシャの隣を歩いていたメルエは、その声に頬を膨らませてリーシャを見上げた。

 今まで、カミュのような表情を失くした顔をしていたメルエに、頬を膨らませた不満顔ではあるが、表情が生まれた事に若干安堵しながらリーシャは溜息を漏らす。

 

「メルエが、活躍の場をサラに奪われたと怒る気持ちが分からないでもないが、私達は仲間なんだ。私やカミュの剣では倒し難い魔物はメルエとサラが、メルエとサラの使う魔法が効き難い魔物は私とカミュが……そうやって協力していかなければ、これから先でもっと強い魔物が現れた時に苦労する事になる」

 

「…………」

 

 不満顔を続けるメルエに、リーシャは苦笑を浮かべた。

 『奴隷』という状態であるメルエが、カミュによって救い出されてから、まだ数日である。それにも拘らず、今のメルエは、自己の中に芽生えた嫉妬を前面に出しているのだ。

 それが、自分達を認めている事の表れだとリーシャは感じ、喜びも含んだ不思議な感情に包まれていた。

 

「メルエは、これから先も私達と旅を続けるのだろう?」

 

「!!…………ん…………」

 

 リーシャの顔を見上げ、その言葉を不満そうに聞いていたメルエであったが、最後の問いかけに、力強く頷いた。

 メルエの返事に満足そうに頷いたリーシャは、メルエの肩に手を乗せて笑顔を見せる。

 

「それなら、サラと仲直りだな? メルエにも、もちろんサラにも魔法では活躍してもらわなければならない。それに二人は違う魔法を使うだろ? メルエに使えない補助魔法をサラが使う。メルエが使う攻撃魔法の威力は、どう頑張ってもサラには使えない」

 

「…………」

 

 リーシャの言葉の中には、納得の行かない部分も含まれてはいたが、メルエはじっとリーシャの瞳を見つめながら、真剣にその話を聞いていた。

 

「メルエの魔法は、私達全員を助けてくれる魔法だ。だから焦らなくても良い。これから、私達がメルエと共に旅する道は、果てしなく長いのだから」

 

「…………ん…………」

 

 リーシャの言葉はメルエをどこか途中の町や村で置いて行くものではなかった。

 それがメルエには嬉しい。

 メルエは、リーシャの顔を見上げながら笑顔で頷いた。

 

「メルエ!!」

 

「…………でも………サラ………きらい…………」

 

「あぅっ!」

 

 メルエの表情の変化を、少し前を歩きながらも確認したサラは、メルエに笑顔を向けるが、冷たいメルエの言葉に珍妙な声を上げる。山道を抜けて平原に出るまで、魔物がうろつく場所に似つかわしくないリーシャの笑い声が響いていた。

 

 

 

 平原に出てから休憩を取り、休憩中に地図を見ていたカミュが指し示す方角へ一行は再び歩を進める。平原を西に進むと、肌に触れる風に塩分が混ざっているのを感じ始め、一行の鼻に潮の匂いが広がって来た。

 リーシャの隣を歩くメルエが、不思議そうにリーシャを見上げる。

 もしかすると、メルエは海を見た事がないのかもしれない。若干鼻につくその香りに顔を顰めているメルエの表情がおかしく、リーシャは笑顔を作った。

 

「メルエは、海を見た事はないのですか?」

 

「…………うみ…………?」

 

 リーシャの代わりに発したサラの疑問に対し、メルエは小首を傾げて言葉を反芻する。その様子にリーシャとサラの疑問は確信に変わった。

 

「そうか……メルエが生まれ育ったところは、内陸の町か村なのだろうな……」

 

「……そうですね」

 

「…………???…………」

 

 リーシャがそのメルエの言葉に、考えた憶測を口にし、それにサラも同意を示すが、当のメルエは二人の会話内容が分からず、反対側に首を傾げていた。

 これから先に、盗賊との戦闘が控えているかもしれない者達と思えない程の和やかな雰囲気が流れるが、それは一人だけ会話に参加していなかった先頭を行くカミュによって壊される。

 例の如く、カミュが背中の剣を抜き放ったのだ。

 その合図に、今まで笑顔を作っていたリーシャとサラの顔も引き締まり、警戒しながらもそれぞれの武器に手をかける。

 現れたのは<軍隊がに>が二匹。

 魔物の方もこちらに気がついたが、襲いかかって来る様子はなく、戸惑っている様子だった。 

 

「カミュ様! 魔物は戸惑っています!」

 

 魔物達の様子を見て、自分達の好機を理解したサラが先頭で剣を構えるカミュへ声をかけるが、カミュは動こうとしない。そればかりか、しばらく魔物と睨み合っていたカミュが、ハサミを上げ威嚇を始めた<軍隊がに>を見て、その剣を背中の鞘に納めてしまったのだ。

 

「なっ!? 何をしている!」

 

「カミュ様!!」

 

 アリアハン大陸以来となるカミュの行動に、驚きの声を上げたリーシャとサラは武器を構えて魔物に向かおうとするが、それはカミュが上げた両腕によって阻まれる事となった。

 

「……行け……」

 

 ハサミを上げて威嚇を続ける二匹の内の一体がカミュの様子をじっと見つめた後、そのハサミをゆっくりと下ろす。もう一匹の<軍隊がに>は、なぜか威嚇をしていた<軍隊がに>の後ろで終始動かず、成り行きを見つめていた。

 

「くっ! カミュ! お前は何を言っているんだ!?」

 

 怒鳴るリーシャに一瞥をする事なく、カミュは<軍隊がに>の方を見つめている。そんなカミュを見るサラの表情は、最近あまりなかったカミュとの衝突時と同じ様に、憤怒に耐えるような厳しい物だった。

 暫くカミュと見つめあっていた<軍隊がに>達は、成り行きを見守っていた方の<軍隊がに>から徐々に離れて行き、ある程度の距離を保つと、もう一方も離脱を始め、カミュ一行との距離を離して行く。

 

「!!」

 

 突如、カミュの手が上がり横に立つサラの口を塞いだ。

 サラは、詠唱を始めていたのだ。

 おそらく、覚えたばかりの攻撃呪文である<バギ>を使用しようとしたのであろう。

 

「ぷはっ!」

 

 <軍隊がに>の姿が見えなくなって、カミュはサラの口から手を離した。

 リーシャはカミュを見つめている。息が回復したサラもまた、息を整えながらもカミュを睨むが、そんな二人の様子に一人だけ訳が分からないメルエは、リーシャとサラの様子に若干怯えながらもカミュのマントの裾を掴んでいた。

 

「……どういう事ですか?」

 

 サラがカミュを糾弾する。

 それは、魔物を逃がしたという行為。

 それは、仲間達の行動までも制限した行為。

 それら全てについてであった。

 

「……カミュ……」

 

 しかし、サラ以上の糾弾をすると思われていたリーシャは、何故か悲哀に満ちた表情をしながらカミュを見ていた。

 サラはそんなリーシャを不思議に思いながらも、再びカミュへと視線を移す。

 

「……何がだ?」

 

「な、何がではありません!! 何故魔物を逃がすのですか!? 何故私達が魔物を倒す事まで妨害するのですか!?」

 

 平原に響くサラの声量は凄まじく、カミュのマントを掴んでいたメルエは、マントから手を離し、両耳を塞ぐ。しかし、カミュの顔は能面のような無表情で、そのサラの叫びに更に表情を失くしていった。

 

「……アンタには見えなかったのか?」

 

「何がですか!?」

 

 質問を質問で返すカミュにサラの苛立ちが募る。

 しかも、カミュの言っている意味が理解出来ないのだから尚更だ。

 

「……一匹何もしてこないで後方に控えていた<軍隊がに>がいた筈だ……」

 

「そ、それが、どうしたと言うのですか!?」

 

 サラとカミュの問答は、リーシャを彷彿とさせる程に堪え性がない物だった。

 サラの怒りが凄まじいのか、それともサラが本当は答えを解っているのかは解らないが、サラのその姿には焦燥感すら感じられた。

 

「……後方に控えていた<軍隊がに>の後ろには、小さな<かに>が二匹程いた……」

 

「!!」

 

「……」

 

 カミュが言うように、後方にいた魔物は何かを庇うようにしていた。

 リーシャは、実際にその事を気が付いていたのだ。

 

「そ、それで見逃したとでも言うのですか!? 新たな脅威となる子供の魔物を見逃したのですか!?」

 

「……ああ……」

 

「……カミュ……」

 

 魔物は『人』にとって悪以外何物ではない。

 そう信じているサラには、新たな脅威となる魔物を見逃したと平然と言うカミュを、信じられない物を見たような表情で見つめていた。

 

 『何故?』

 『この人間は、『人』に勇気と希望を与える勇者ではないのか?』

 『これから成長し、脅威となる子供を、何故見逃すのか?』

 それがサラには理解できない。

 

「な、何故ですか!? 何故魔物を見逃すのです!? カミュ様が見逃した子供が成長し、凶暴な魔物となって『人』を襲ったとしたら、カミュ様はどう責任を取るのですか!?」

 

「……どうもしないが……」

 

 サラが必死に行う疑問にカミュは一言だけ答えた。

 その一言に、文字通りサラは言葉を失う。世界中の人間が希望を託す勇者が、『人』に対する責任放棄を口にしたのだ。

 サラは絶望すら覚えた。

 

「ど、どういう……こと……ですか……?」

 

 もはやサラには怒鳴る事も出来ない。

 カミュにその真意を確認したい一心で口を開いた。

 

「そのままの意味だ。別に、あの魔物達がこの先『人』を襲ったとしても、俺の知った事ではない」

 

 しかし、返って来た答えは、サラを奈落の底へ落とす程の物であり、サラは自分の視界が暗く染まって行くのを感じる。

 それでも、この『僧侶』は果敢に闇へと突き進んだ。

 

「……カミュ様は……勇者ではないのですか……?」

 

「前も言った筈だ。俺は、何も成してはいない」

 

 サラの頭の中で築き上げられていた『勇者』像が、音を立てて崩れて行く。

 ここまで、色々な事があったが、それでもサラは、カミュこそが『勇者』だと心のどこかで信じていた。

 それが完璧に裏切られたのだ。

 

「……アンタも、メルエを助ける時に言っていた筈だが……?」

 

「な、何をですか……?」

 

 サラは、カミュの言っている意味が全く理解できない。それは、カミュへと向けた表情が物語っており、そのサラの表情を見たカミュは、一つ溜息を吐き出した。

 何故か、この場で口を開いているのは、カミュとサラの二人だけとなっている。リーシャはメルエの手を握りながら、じっと二人を見つめていたのだ。

 

「『この世に死んで当然の命などない。生きる価値がない者などいない』とな」

 

「そ、それは!!」

 

 確かにサラはメルエを救う時のカミュとの問答の際に、そのような言葉を発した事を憶えてはいた。

 しかし、それはサラにとって『人』に対しての物であり、『魔物』は含まれてはいなかったのだ。

 

「俺はあの時、アンタの言葉に同意した。今、逃がした<軍隊がに>の子供にしろ、生きる権利はある筈だ。しかも、一匹は身を捨ててでも後ろに控える子供と、おそらく妻を護ろうとしていた。そこまでする者に、生きる価値も権利もないと言うのか?」

 

「し、しかし!!」

 

 ここまでカミュの話を聞いて初めて、あの時リーシャがサラに言った言葉の意味を、サラは知る事となる。

 

 『今のサラの言葉が、おそらくこれから先、サラを大いに苦しめる事になるだろう』

 

 今思えば、リーシャはこうなる事を予想していたのかもしれない。そして、あの時のカミュの小さな笑顔は、この時を予想し、自分をいたぶる事への楽しみの笑みだったのかもしれない。その証拠にリーシャは、先程から一言も口をきかず、黙ってメルエの肩に手を置き、サラを見つめていた。

 

「アンタが魔物に恨みを持つ経緯も知っている。だが、先程の魔物の姿と、アンタを護ろうとして死んでいった親達の姿と何が違うんだ?」

 

「!!」

 

 カミュが言った一言に、サラの顔は戸惑いの表情から怒りの表情に変わって行く。

 自分が誇りにすら思っている親を侮辱された。

 それは許されない事。

 サラが憎悪を瞳に宿し、カミュを見上げたその時、今まで一言も声を発しなかった者が口を開く。

 

「カミュ!! 今の発言は取り消せ! そこまでの言い分は理解した。それでも、他人の親と魔物を同類として扱うな!」

 

 今まで黙って成り行きを見ていたリーシャが怒鳴り声を上げたのだ。

 メルエの肩に手を置いたまま口を開くリーシャの瞳は怒りを宿してはいるが、それは憎悪ではない。

 

「サラ、サラも落ち着け! カミュ、サラに謝罪をしろ! 今のは明らかにお前の失言だ!」

 

 自分達の傍まで歩いて来たリーシャは、サラの気持ちを鎮静させるために、サラの肩を抱きながら、語りかける。カミュは無表情ではあるが、いささか自分の言葉が過ぎた事は認めているのだろう。

 それ以上、サラを糾弾する事はなかった。

 

「……すまなかった……言葉が過ぎた……」

 

 その代り、カミュはサラに向かって頭を下げる。

 自分の考えが、この世界では異常なのは解っていた筈。しかし、この旅で自己の考えを他者に話す機会が多かった為、自己防衛にも似た配慮を忘れていたのだ。

 それは、カミュは気が付いていないが、仲間となったリーシャやサラに対する甘え以外何物でもないだろう。

 

「……ただ、『魔物』であろうが『人』であろうが、命は命だと俺は思う。アンタ方は納得しないかもしれないが、この旅が続く限り、俺はその考えを捨てる事はない」

 

「……カミュ……」

 

「では、カミュ様は、『魔王バラモス』が子供を護っていたら、魔王討伐も諦めると言うのですか!?」

 

 その証拠に、続いて出たカミュの言葉は、その内心を他者に話し、己の考えを他者に理解してもらおうとする物に近かった。

 しかし、カミュの謝罪を聞いても、サラの瞳に宿った憎悪が消える事もなく、尚も問答を続けようとする。

 

「……さあな……その場にならなければ答えようがない」

 

「それでは答えになっていません!!」

 

 尚も執拗にカミュへと噛み付くサラに、カミュは盛大な溜息を吐き出した。

 頭に血が昇り、瞳に『憎悪』の炎を宿しているサラは、カミュの態度に苛立ちを覚える。しかし、それはカミュの次の言葉で、急速に冷まされて行った。

 

「……俺は……『人』自体が、護る価値のある物なのかも分からない……」

 

「えっ?」

 

 答えをしつこく求めるサラは、珍しく口ごもりながらカミュが返してきた言葉に、憎悪に満ちていた瞳を驚きに見開く物へと変化させ、言葉を失ってしまう。リーシャもまた、初めて見るカミュの苦しみに近い苦痛な表情に、戸惑いを隠せなかった。

 

「……メルエ……?」

 

 苦しみに似た表情で想いを吐き出したカミュの手を、何時の間にかメルエが握っていた。

 『どこか痛いのか?』

 『何か哀しいのか?』

 問いかけるようにカミュを見上げるメルエの瞳は、哀しみを宿していた。

 

「……大丈夫だ……」

 

「…………ん…………」

 

 カミュがどのような考えを持っていようと、そのような想いを抱きながら苦しんでいようと、カミュの手を握るこの少女を、カミュが救った事は紛れもない事実なのだ。

 カミュが救わなければ、メルエは少女の身でありながら、女としての最大の恥辱を味わい、絶望に苛まれながらその命を散らしていただろう。

 リーシャは、カミュの考えに全面的に賛成は出来ない。しかし、メルエはルビス教では、前世の咎人という位置づけになっている。

 つまり、魔物とほぼ同類の扱いなのだ。そのメルエを救うという事は、信仰に関係なく、命ある全てが等しく生きる権利があると認める事になる。

 それをリーシャも否定する事は出来なかった。

 

「……カミュ様、私はカミュ様の考えを認める事は出来ません。私は『人』の幸せを奪う魔物を許す事は出来ませんし、そんな魔物の命を価値ある物として考える事など出来ません」

 

「……そうか……」

 

 カミュの目を見て、その考えを真っ向から否定するサラを、カミュは瞳に色々な想いを宿して見つめている。そこに宿る物は、これから先の旅で、カミュとサラが決して交わらない事を示唆していた

 

「これから先、カミュ様が魔物を逃がすような事があったとしても、私はそれを追って葬ります」

 

「……『人』の幸せを奪う者が、必ずしも魔物だとは言えない筈だ……」

 

 カミュの言葉に再び眉をしかめたサラであったが、気を取り直し、カミュに言葉を投げかけ続けた。

 それは、カミュとサラの決定的な決別を意味し、このパーティー内に走る亀裂を物語っている。

 

「カミュ様が何を考えているのかは、私には全く理解できませんが、カミュ様が『魔王』に向かって旅をしている事に変わりはない筈です」

 

「……」

 

 カミュは、もはやサラと視線を合わせようともしない。

 何も話す気はなく、考えを理解しようとも思わない。

 そんな様子で、カミュはサラへ背を向けた。

 

「でしたら、私は旅を続けます。『魔王バラモス』に近づく事が出来る可能性があるのは、今の時代ではカミュ様だけです。悔しいですが、それが現実です。ですから、私はカミュ様について行きます」

 

 無言で頷きもしないカミュの態度を肯定と受け取ったサラは、自分の想いを吐き出し、そのサラの姿を見て、リーシャはサラの成長を認めざるを得なかった。

 今まで、カミュに噛みつく事はあっても、ここまで自分の想いをはっきり口にする事のなかったサラが、カミュに対して毅然と話しているのだ。

 その内容は決して仲間が交わすようなものではない。

 以前リーシャが考えたようにこの二人の考えが交わる事は、永遠にないもののような気さえする。お互いの妥協点は、『魔王バラモス』の討伐という物だけだ。それも、今のカミュの言葉を聞く限り、いつ挫折するか分からない。

 リーシャは再びこのパーティーの行く末に暗雲が立ち込め始めて行くのを感じていた。

 

「…………サラ………きらい…………」

 

 呆然とするリーシャ。

 背を向けてしまったカミュ。

 内に静かなる憎悪の炎を燃やすサラ。

 そんな三人を見ていたメルエが、目に涙を溜めながら発した言葉は拒絶。

 

「……メルエ……き、嫌いでも結構です」

 

 対するサラが発した言葉もまた拒絶であった。

 サラはカミュとのやり取りで頭に血が上っている。今は、カミュを庇う為のようなメルエの言葉に感情を露わにしてはいるが、冷静になった時、彼女はきっと後悔するだろうとリーシャはサラを見ながら思っていた。

 

「…………うぅぅ…………ぐずっ…………」

 

 いつも、メルエの『嫌い』発言に慌てるだけだったサラが、強硬な態度をとった事によって、メルエはどうしたら良いのかが分からない。メルエに残された事は、その双眸に溜まった涙を重力に従って下へと落として行く事だけだった。

 

「メルエ、こっちにおいで」

 

 重苦しい雰囲気でお互いを傷つけるようなやり取りに、最も心を痛めていたのは、この幼いメルエなのかもしれない。

 メルエは、言葉に反してサラを気に入っているのだろう。故に、そんなサラと自分を救い出してくれたカミュとの争いが、たまらなく嫌だったのかもしれない。

 『とてとて』と自分の方に歩いて来たメルエの身体を抱きしめながらリーシャは考える。

 『どうすれば、このパーティーが前に進む事が出来るのか?』と。

 しかし、その答えは出て来ない。それは、何もリーシャの頭が悪いのが原因ではないだろう。

 

 

 

 その後、誰一人口を開く事なく、平原を歩き始める。方向を変えて南に下って行き、川にかかった橋を渡ると、一行の視線の先に高々とそびえ立つ一つの塔が見えて来た。

 距離はまだある為、根元は見えないが、塔としては、<ナジミの塔>よりも大きいのかもしれない。

 

「……あれが<シャンパーニの塔>……」

 

 サラが発した言葉に誰一人反応は示さなかった。

 先程の争いから、メルエがサラに近づく事はなく、リーシャもまたそんなメルエの手を引いていた為、答える余裕がなかったのかもしれない。

 

「おそらく、あそこに着くまでに陽が落ちる。今日はこの辺りで一度野営してから、明日に塔へ入る」

 

 先頭を歩いていたカミュがリーシャに向かって口を開くのだが、先程のサラとのやり取りなど忘れてしまったかのようなカミュのその態度に、リーシャは疑問を感じていた。

 『カミュは、人としての心を持ち合わせていないのではないか?』と。

 あれ程のやり取りをした後なら、後悔や憤怒といった感情が表に出ていても仕方がない筈だ。ましてや、先程はカミュの言い分など誰も聞く事はなく、サラが一方的に捲くし立てていただけである。

 

「わかった。メルエ、向こうの森の入口に行こう。向こうに着いたら、サラと一緒に薪を集めてくれ」

 

 カミュの言葉にリーシャが頷き、突然の雨に備えて森の中に入る事を提案する。その際に、いつものようにメルエへ仕事を与えるが、当のメルエは、リーシャの発言に怯えたような目を向けながら首を横に振った。

 

「ん?……どうしてだ? この前は、しっかりと薪を集めてくれただろう?」

 

「…………」

 

 メルエの必死の様子に、疑問を持ったリーシャが問いかけるが、返って来たのはまたしても首を横に振る否定的なものだった。

 メルエの示す強い拒否反応に、リーシャは大いに戸惑う。

 

「……メルエは、私と集めるのが嫌なのだと思います……」

 

 リーシャの疑問の答えを出したのは、そんなメルエの様子に悲しそうな微笑みを浮かべたサラであった。

 サラの答えが正解である事を示すように、サラの声に怯えたメルエがリーシャの後ろへと隠れてしまう。サラは、メルエが隠れてしまった事を確認し、笑みの影を一段と濃くした。

 

「……薪は私が集めます。メルエはカミュ様かリーシャさんと果物などを取って来て下さい」

 

「……サラ……」

 

 サラはそう言うと、リーシャの脇を通って、一人で森へと向かって歩き出す。その背中は、先程までカミュに向けていた憎悪の炎の欠片もなく、ただ哀しみだけを宿していた。

 カミュ、リーシャ、そしてメルエの三人はその後ろ姿をただ見送るしか出来なかった。

 メルエが悪い訳ではない。

 自己の拒絶を恐れる少女にとって、軽々しく口にしていた『嫌い』という言葉を返されたのだ。

 それは、『メルエに嫌われても良い』という事と同意。つまり、『メルエの事が嫌いだ』と言われたのと同じ事のように感じたのだろう。

 ただ、メルエはサラが激昂した事を恐れているのではないのだ。

 それは、再び自己を否定される事や拒絶される事への怯え。言葉とは裏腹に気に入っているサラという人物から、突き放される事を恐れての事。

 故にメルエは、これだけ怯えても尚、サラが好きなのだ。それが理解出来るからこそ、リーシャはメルエに何も言う事が出来ない。メルエの怯えも理解出来るし、先程のサラのメルエに対する言動も理解出来るからだ。

 そんなパーティー全員の心の中と同じように、今まで晴れ渡っていた空にも暗雲が立ち込め始めていた。

 

 

 

 森の中に入ってからサラが火を熾し、食料を取りに行っていた他の三人が戻って来た頃、雲行きが怪しかった空から、大粒の雨が降り始めた。

 木が鬱蒼と茂る森の中であった為、雨に打たれる事はなかったが、それでも身体が感じる温度は下がり、肌寒さを感じた一行は、自然と火の回りに集まる形となる。

 夕食を取る際も、お互いに口を開く事はなく、黙々と食事をこなしていた。

 メルエは俯きながら、いつもよりもゆっくりしたペースで食事を口に運ぶ。その様子を気にかけながらも、掛ける言葉が見つからないリーシャは、心配そうにメルエを見つめていた。

 

「……」

 

 カミュは、軽く食事を済ませ、今は背負っていた<鋼鉄の剣>の手入れを始める。サラは、そんな三人の様子に気まずさを感じ、この空間を誰が作ってしまったのかを理解しながらも、自分の行動を後悔すまいと心に決めていた。

 

「カミュ、この様子では明日も雨だろう。明日の塔の探索はこの雨の中では危険ではないのか? 足元も滑り易くなっているだろうし、塔の内部も<ナジミの塔>のような吹き曝しになっているだろうからな」

 

「……確かにそうだろうな。しかし、それこそ何時止むか分からない雨を気にしている時間はない。カンダタから<金の冠>を取り戻して、カザーブにでも帰った方が良いだろう」

 

 沈黙が続く食事風景の中、リーシャが口にした物は、雨の心配というより、おそらく雨の影響によるメルエの心配なのだろう。<ナジミの塔>も上の階に上がれば、塔の外側に壁は存在せず、上空の風に吹かれて態勢を崩せば、地上まで真っ逆さまに落ちてしまうような物であった。

 おそらく、この<シャンパーニの塔>もそう変わりはないだろう。

 そうなれば、この雨によって塔の内部は水浸しになっている可能性が高い。雨の影響で、塔の床は滑り易くなり、唯でさえ歩みがたどたどしいメルエが、足を踏み外す事も考慮に入れなければとリーシャは考えているのだ。

 それぐらいは、カミュも頭には入っているだろう。それでも、空模様を見れば、一日や二日で止むような気配ではない。目に入る限り、空には黒い雲が広がっており、上空には風がないのか、雲の流れはとても遅いのだ。

 とすれば、雨の降りしきる中、例え森の中といえども、何日も野営をする訳にはいかない。火を熾してはいるが、人の体温の低下は否めなく、長くその時間が続けば、それこそ幼いメルエの体力が持つかどうか分からないのだ。

 故に、カミュは強硬策を取る事にした。

 

「……わかった。お前がそう決めたのなら、それで良い」

 

「……リーシャさん……」

 

 サラは、大人しくカミュの案を受け入れるリーシャに違和感を覚える。先程のサラとカミュのやり取りの間も、カミュに対して言った言葉は、サラへの謝罪の要求だけだった。

 決してカミュの考えを否定する事はなく、そればかりか『言い分は理解した』と言ったのだ。

 冷静になって初めて、サラはリーシャのその言葉の異常性を理解する事となる。

 

「とりあえずは、ここの火は絶やさないように気を付けてくれ。雨によって、寒さが厳しくなる筈だ。メルエ、俺のマントにしっかり包まって火の傍で寝ろ。ここなら雨の雫が落ちて来る事もないだろう」

 

 リーシャの理解を得たカミュは、次々と指示を出して行く。特にメルエの身体に気を遣う部分に、サラは驚きと共に若干の悔しさが込み上げて来た。

 カミュはメルエを、旅を共にする大事な仲間と認識しているのだろう。いや、むしろ家族に近い感覚で見ているのかもしれない。ならば、『自分は、カミュから仲間として見られているのだろうか?』という疑問がサラの頭の中に渦巻くのであった。

 

「それとメルエ、今日は夜のあれは禁止だ。わかったな?」

 

「!!」

 

「……あれ?」

 

 続くカミュの言葉に、メルエは驚きで目を見開く。

 だが、リーシャとサラはその言葉の真意を読み取れずにいた。

 

「…………どう………して…………?」

 

「……気がつかれてないと思っていたのか? とにかく、今日の夜は禁止だ。わかったな?」

 

 メルエは眉尻を下げ、何かを懇願するようにカミュを見上げている。カミュの言葉通り、メルエの中では皆が知らない事であったのだろう。

 故に、メルエはカミュへ怯えた瞳を向けるのだ。

 

「…………うぅぅ…………」

 

「……メルエ、そんなに焦るな」

 

 メルエの『何故知っているのか?』という問いに、若干呆れ顔で念を押すカミュ。しかし、尚も唸り声を上げて首を縦に振らないメルエに、カミュは優しく諭し始める。

 <とんがり帽子>を脱いだメルエの頭に手を置きながら諭すカミュに、ようやくメルエもその首を縦に振る事となった。

 

「あれとは何ですか?」

 

 一部始終を見ていたサラがカミュへと問いかける。

 それは、あの衝突があってから初めての二人の会話となった。

 

「……ああ、それは……」

 

「…………だめ!!…………」

 

 しかし、カミュがサラに応えようとしたとき、この場の全員を固まらせる程の声が森の中に響く。言葉を途切れ途切れにしか話した事のないメルエが、はっきりとそれも周囲に響くような声量でカミュの言葉を遮ったのだ。

 

「……メルエ……」

 

「…………だめ………言う………だめ…………」

 

 驚きにメルエの名を口にするサラを余所に、再度いつもの口調に戻ったメルエが、カミュのマントを抱えながら拒絶を繰り返す。その瞳には睨むような強さはなく、まるで何かに怯える子供のような姿だった。

 

「……わかった……」

 

 メルエの懇願するような瞳に、カミュは静かに頷いた。

 サラは、再び悔しさに似た感情を胸に抱く事となる。

 『何故、メルエは自分に教えてくれないのか?』

 『自分だけが、このパーティーからはみ出してしまっているのではないか?』

 そんな想いがサラの胸に渦巻くのだった。

 しかし、サラの横で『訳が分からない』という表情でメルエを見ているリーシャの姿には気が付いていなかった。

 もし、気が付いていたのなら、メルエが隠している事を知らないのが自分だけとは思わなかっただろう。いや、カミュの言葉にメルエが驚いていたのだから、メルエはここにいる全員に対して隠していた事が理解出来た筈だ。

 

 

 

 雨雲によって、いつも照らしている月の光もすべて隠れてしまい、焚き火の火だけが唯一の灯りとなる中、火の周りで横になっていた一つの人影が起き上がった。

 

「……またか……」

 

 カミュは火の傍で膝を抱え、身動き一つしない人影に向かって盛大な溜息をついた。

 火の番と見張りをしている筈の人物は、既に眠りに落ち、その役目を果たしていないのだ。

 

「おい! いい加減にしろ」

 

「!!」

 

 珍しく怒気を含ませたカミュの声に、丸くなっていたリーシャは勢いよく顔を上げた。

 火の傍で薪をくべている内に、眠気に負けてしまったのだろう。それは、ほんの数分かもしれない。火の状況から考えて、それ程長い時間眠りに落ちていた訳ではない事は推測出来た。

 

「アンタな……これでは、俺達も眠る事など出来ない! アンタを信用して、見張りを任せていた筈だ!」

 

「!!……す、すまない……気をつける」

 

 感情を剥き出しにするカミュの姿に、リーシャは素直に頭を下げるしかなかった。

 それは、カミュの言葉の中に『信用して』という言葉が混じっていた事も大きな原因ではあるとは思うが、何故かカミュの『怒り』という感情は、何かを気遣っている節がある事をリーシャは無意識に悟っていたのだ。

 

「……頼む……疲れているのは解っているが、メルエやあの僧侶には魔物の気配を感じる事は出来ない」

 

「……すまない……」

 

 そして、リーシャの無意識の推測が間違っていなかった事は、続いたカミュの言葉で証明された。

 カミュの心境にどんな変化があったのかは解らない。だが、カミュの言葉には、リーシャの疲れを考慮する言葉どころか、メルエやサラへの配慮も含まれていた。それを明確に理解したリーシャは、再びカミュに向かって頭を下げる。

 

「メルエ……は……何処だ?」

 

「!!」

 

 リーシャの謝罪を横目に、カミュは何気なく他の二人を確認しようとして首を巡らし、一点を見つめて止まってしまった。

 そのカミュの言葉に、リーシャも動きが止まる。そこで丸くなっている筈の人物が見当たらないのだ。

 

「……あの馬鹿……」

 

 何故か、カミュもリーシャも、夜のメルエの動きを察知出来ない。

 気配が動くのを感じないのだ。

 それが何故なのか、カミュにもリーシャにも理解できない。

 

「……ん? ど、どうかしたのですか?」

 

 カミュとリーシャのやり取りに、身体を横たえていたサラが目を覚まし、目を擦りながら事の次第を問いかけて来た。

 カミュは、サラの顔を見ても何の返答もせず、周囲を再び確認し始める。そんなカミュの態度に溜息を吐きながら、リーシャはサラへと答えた。

 

「メルエが居なくなった! この近くにいる事は間違いないと思うのだが……」

 

「えっ!? どうしてですか?……はっ! ま、まさかカミュ様が言っていた事ですか!?」

 

 リーシャの答えに、しばらく呆けていたサラだったが、頭の回転が正常に戻ると、すぐに夕方のカミュの言葉を思い出す。その表情、話し方全てが、いつものサラであり、そこにあの暗い影は差していなかった。

 

「カ、カミュ……ど、どうするんだ!?」

 

「……落ち着け……例え魔物が出て来たとしても、メルエならば夜明けぐらいまでなら、魔物との戦闘は出来るだろう」

 

 メルエの事となると何故か我を忘れてしまうリーシャのパニック状態を見て、カミュの方は逆に落ち着きを取り戻す。しかし、カミュも言葉とは裏腹にメルエの身を案じている事は、その表情を見ればすぐに解った。

 

「手分けして探しましょう!! 今、私達がここでメルエを案じても仕方ありません」

 

「そ、そうだな」

 

 その二人の慌てぶりを余所に打開策を講じたのは、意外にもサラであった。サラの冷静な判断に、ハトが豆鉄砲を食らったような顔をしてリーシャが頷き返す。サラの中に息衝いていた何かが、動き出そうとしていた。

 

「では、リーシャさんは向こう。カミュ様が向こうで、私はあちらを探します。一刻程経ったら、見つけても見つからなくても、ここに集合という事で良いですね」

 

「……ああ、わかった……」

 

 きびきびと指示を出すサラに、面を食らいながらカミュも頷く。

 実際、カミュはメルエの目的を理解しているだけに、それ程に心配はしていない。だが、雨により避難していた魔物達の警戒心を刺激し、メルエが襲われやしないかという部分が気にかかっていたため、素直にサラの指示に従ったのだ。

 

 

 

 三方に散ったカミュ達は、それぞれの手に<たいまつ>を持ち、森の中を彷徨い始める。リーシャがメルエを呼ぶ声は、逆方向を探しに行ったサラの耳にも暫くの間は聞こえていた。

 それも次第に遠くなり、聞こえなくなった頃、サラは雨でぬかるんだ地面に残る小さな足跡を見つける。

 その足跡を追って行くと、サラは妙に開けた場所に出くわした。

 そこは、森の中でも一際大きな木々がそびえ立ち、その木々が伸ばす枝と葉のおかげで雨の雫一つ落ちて来ない、そんな場所であった。

 真っ暗なその空間に<たいまつ>の火を向ける。サラはここに来て、真っ暗な暗闇の森の中を自分が一人で歩き回っているという事実に気がついた。

 メルエの事を聞いてから、必死な想いが大部分を占め、その事に気が付く余裕はなかったのだ。

 故に、大胆にも、頼りになる二人とは別方向を選択し、ここまでの道を歩いて来たのだが、開けた所に出て火を翳す瞬間に、サラの心は冷静さを取り戻し、恐怖心を呼び起されるのだった。

 

「ひっ!!」

 

 サラは自分が翳した火の先に、二つの光る物を見て悲鳴を押し殺した。

 その二つの光は、暫くはじっと動かなかったが、急に上昇し、ある一定の高さを保ったままサラの方向に向かって来たのだ。

 

「ひっ! ひぃぃぃ!!」

 

「…………」

 

 サラは恐怖で膝が笑い始め、その場を動くことが出来ない。しかも、一度照らすために掲げた<たいまつ>を落としてしまい、足元以外を暗闇で覆ってしまった為、更に恐怖が増して行った。

 

「…………なに…………?」

 

「へっ!?」

 

 二つの光が次第に大きくなり、ぼんやりとその光を象る影が見えて来た時、その光は言葉をサラに掛けて来る。その声はサラの知っている声であり、間抜けな声を上げる事となった。

 

「メ、メルエですか!?」

 

「…………」

 

 サラの記憶にあるこの声の持ち主の名を呼ぶと、その二つの光は、ゆっくりと上下に動いた。

 その反応にサラは『ほう』と溜息を漏らし、足元に落ちた<たいまつ>を掲げる。そこには、メルエが首を傾げて立っていた。

 

「よ、よかったぁ……メ、メルエ、駄目ではないですか。一人で歩いては……」

 

「…………」

 

 サラの言葉を聞いているのか解らない程の無表情で、メルエはサラを見上げていた。

 自分の言葉に何の反応も示さないメルエを、サラは眉尻を下げて見つめ返す。先程までの恐怖心も消え、心を落ち着かせたサラは、溜息と共に、再び安堵の言葉を洩らした。

 

「本当に心配したのですよ」

 

「…………サラ………メルエ………きらい…………」

 

 サラの安堵の溜息と語りかける内容に、メルエは意味不明な言葉を綴っていた。

 サラは、それが何を意味しているのか理解出来ない。先程までの無表情とは違い、<たいまつ>のよって照らし出されたメルエの表情は、『哀しみ』という感情に包まれていた。

 

「えっ?……ど、どうしたのですか?」

 

「…………サラ………メルエ………きらい…………?」

 

 メルエはその言葉を言うと俯いてしまった。

 サラは、全ては理解出来なかったが、何が言いたいのか要点だけは理解する。つまり、メルエは『自分がサラに嫌われたのではないか』と心配しているのだ。

 

「そんな事はありませんよ。私がメルエを嫌いになる事等ありません」

 

「…………」

 

 サラが感情的に発した言葉は、この幼い少女の心を想像以上に傷つけていたのだ。

 誰からも認められず、誰からも必要とされず、誰からも好かれない、そして、挙句の果てには『奴隷』として売り払われた少女にとって、初めて自分に好意を示してくれた存在からの拒絶。

 それは、メルエという少女の心を破壊するのには、充分な威力を持っていたのだ。

 

「本当です。そんな心配はいりませんよ。例えメルエが私を嫌っても、私がメルエを嫌いになる事は絶対にありません」

 

「…………」

 

 力強くメルエに宣言するサラは、先程までのような怯えは一切なく、むしろ胸を張って答えている。サラも気付いてしまったのだ。

 自身の発した言葉で、どれ程に相手を傷つけていたのかを。

 笑顔で宣言するサラの様子を見て、メルエは小さく微笑み、そしてこくりと頷いた。

 

「ところで……メルエは、こんな夜中に一人で何をしていたのですか?」

 

「…………」

 

 メルエの笑顔に心が晴れ渡るような感覚を覚えたサラは、メルエに何をしていたのか問いかけるが、メルエは言い難そうに俯いてしまった。

 先程までの小さな微笑みは消え、再び眉を下げてしまったメルエを見て、サラは大いに慌てふためく。

 

「あ、い、いえ! メ、メルエが言いたくないのなら、良いのですよ?」

 

「…………言わ………ない…………?」

 

 メルエの様子に調子に乗っていた自分の心を悔い、サラは慌てて弁解を始める。しかし、そんなサラを窺うように見上げたメルエは、ゆっくりとサラへ問いかけた。

 

「えっ!? も、もちろんです。誰にも話しません。メルエと私の秘密です!」

 

 メルエの問いかけを聞いたサラは、自分とメルエの間に出来る信頼の証を喜び、それを口外しない事を宣言する。力強く握った拳で胸を叩いたサラを、メルエは暫し呆けたように見つめていた。

 

「…………ひみ………つ…………?」

 

「はい!!」

 

 メルエはサラの答えに訳が分からないのか首を傾げていたが、満面の笑みで頷くサラの表情に、自分の言った事をサラが了承した事を感じ、その腕を取る。不意に握られた手を引き摺られるように、先程メルエが居たであろう場所までサラは連れて行かれた。

 

「…………ここ…………」

 

「……魔法陣…ですか……?」

 

 サラの答えに、メルエは黙って頷きを返す。

 つまり、何時ぞやのように、メルエは魔法の契約をしていたという事になる。周囲には、魔方陣を書く為の木の枝と、『魔道書』を読むために灯した木の枝が落ちていた。

 

「メルエは、新しい魔法の契約をしていたのですか?」

 

「…………」

 

 <たいまつ>に照らされたメルエの眉は、再び下へと落ちてしまう。サラの言葉の何がメルエの表情を変えてしまうのかが解らず、サラは困惑の表情を浮かべる事となった。

 

「えっ!? 違うのですか?……契約は出来たのですか?」

 

「…………」

 

 サラの最初の問いに全く動かなかったメルエの首は、二回目の問いには、ゆっくりと横に振られた。

 つまり契約の魔法陣は敷いたが、契約が成立しなかったのだろう。それは、メルエの魔力が足りないのか、それともメルエの力量が契約完了の条件を満たしていないのかは解らない。だが、契約が出来ずに、メルエが哀しんでいる事だけは、サラにも理解が出来た。

 

「メルエは、毎日契約の儀式をしているのですか?」

 

「…………ん…………」

 

 メルエは、サラの問いに素直に頷きを返す。実は、メルエは最初にカミュから契約の方法を教わってから、毎夜、『魔道書』を持ち出して契約の儀式を行っていたのだ。

 カミュの契約を見た時が夜中だった事もあり、メルエの頭の中には『契約儀式=深夜の儀式』という構図が成り立っていたのだろう。 

 

「メルエ、魔法の契約の仕方は誰に教えてもらったのですか?」

 

「…………カミュ…………」

 

 メルエの答えに、若干顔を顰めたサラではあったが、その表情をすぐに戻し、もう一度メルエとの話をする為、空模様とは裏腹に乾いている地面に座り込んだ。

 サラの様子に、メルエもその隣に座り込む。

 

「カミュ様はメルエに、魔法陣さえ敷けば契約出来ると教えたのですか?」

 

「…………」

 

 サラの問いかけにメルエの首は横に振られ、それは、サラの想像とは相反する答えを導き出す。

 幼いメルエに強引に魔法を教え込んだのではないという事。

 つまり、この魔法との契約はメルエの独断である事を確信したのだ。

 

「では、メルエも、魔法は簡単に契約出来ない事を知っているのですね?」

 

「…………大き………く………なって………から…………」

 

 サラの問いかけに、暫しの間俯いていたメルエが、たどたどしくも明確な答えを口にした。

 それは、以前、魔法の契約を続けようとしたメルエにカミュが告げた言葉。メルエはその言葉を覚えてはいても、正確に理解をしていなかったのだ。

 

「そうですよ! メルエが、身も心も成長してからです! ですから、焦っても仕方ないのですよ。毎日新しい魔法を覚えられるという事はありません」

 

 メルエは、カミュが言っていた言葉を思い出しながら、一生懸命サラに答えている。それが解るからこそ、サラも真剣に教えていた。

 サラの真剣な想いを感じられないメルエではない。サラが自分に向かって何かを伝えようとしている事を察し、真剣な表情で隣に座るサラを見つめていた。

 

「メルエの気持ちも解ります。私も、アリアハンの教会でお世話になっていた頃、早く魔法を覚えたいと思っていました」

 

「…………おなじ…………」

 

 小首を傾げるように動かすメルエの姿を見て、サラは柔らかな笑顔を作る。サラにとって、孤児となった後の人生は、決して不幸ばかりではなかった。

 しかし、親代わりとはいえ、親ではないという事実が常にサラを脅かしていたのもまた事実なのだ。

 

「はい! それでも、メルエと同じように契約が出来なくて、何度も泣いてしまいました」

 

「…………サラ………すぐ………泣く…………」

 

 メルエから発せられた厳しい指摘に、サラは声を詰まらせる。それと同時に、忌まわしき記憶がサラの頭の中で蘇った。おそらく、メルエは<カザーブ>での出来事を言っているのだろう。

 

「うっ! そ、それはメルエも同じですよ!」

 

「…………メルエ………違う…………」

 

 その会話は、諭すように話すサラの雰囲気とは裏腹に、姉妹などが交わす会話のように和やかな、そして微笑ましい物であった。

 もし、この場にカミュやリーシャが居たとしてもこの二人の会話に割り込む事はしなかっただろう。

 

「うぅぅ……それで良いですよ……とにかく! 私もメルエと同じように、早く魔法を覚えたいと思っていたのです」

 

「…………また………泣く…………?」

 

 話を戻そうとしたサラの意図を無視するように、メルエは小首を傾げる仕草をしながら問いかける。サラは、戻そうとした話を蒸し返され、がっくりと肩を落とすのだった。

 

「な、泣きません! メルエこそ、私の事が嫌いなのではないですか?」

 

「…………きらい………じゃない…………」

 

 この二人の会話は全く前に進まない。しかし、今度は間髪入れずに返って来たメルエの答えに、サラは笑顔を戻した。

 自分が発した言葉で、サラを傷つけてしまう事をメルエは恐れたのかもしれない。

 

「よかった。私はね、メルエ……今がとても充実しています。リーシャさんがいて、メルエがいて……そして、カミュ様がいて……」

 

「…………サラ…………」

 

 カミュの名を口にする時に若干顔を顰めたが、自分の中の気持ちを正直にサラは吐き出しているようだった。

 その想いはメルエへと確かに伝わる事となる。だからこそ、メルエは正直な疑問を口にした。

 

「…………サラ………カミュ………きらい…………?」

 

「……どうでしょう? 確かにカミュ様の考えは、納得出来ない事ばかりですし、怒りを覚える事もあります。ですが……カミュ様は、私がアリアハンの教会にいるだけでは知り得なかった事を色々と教えてくださいます。それに……」

 

 『嫌い』か『嫌いじゃない』かの二通りしか『人』に対する評価を知らないのか、メルエの問いかけは酷く単純な物だった。

 しかし、サラはカミュをその二通りの感情では計れないと感じている。

 

「それに、カミュ様は『勇者』様です。きっと、何時の日か分かって下さると信じています……最近、カミュ様の優しさが少しだけ解るのです。それはね、メルエのお蔭なのですよ」

 

「…………メルエ…………?」

 

 突如出て来た自分の名前に、メルエは再び小首を傾げた。

 不思議そうにサラを見つめるメルエを見て、サラもまた、笑顔を見せる。<たいまつ>の炎が揺らめく中、この姉妹のような二人の会話は続いて行った。

 

「はい。メルエに接するカミュ様を見ていると、優しさを感じます。冷酷に思えたカミュ様は、やはり人々をお導きになる『勇者』様だと思う事が多いのです。何故、あのような考え方をするのか理解は出来ませんが、もう少しカミュ様を見てみたいと思うのですよ」

 

「…………カミュ………勇者………ちがう…………」

 

 しかし、今までサラの話を静かに聞いていたメルエが、突如サラの話に反論した事にサラは驚く。メルエの方へ視線を向けると、メルエはサラの方をじっと見ていた。

 

「…………カミュ………は………カミュ…………」

 

「!?……メルエは知らないかもしれませんが、カミュ様はこの全世界で、『勇者』様として認められているのですよ?」

 

 暫し見つめ合った後に口を開いたメルエの言葉は、とても単純な回答。それは、サラにとっては子供の戯言に聞こえたのかもしれない。カミュが『勇者』である事を知らないメルエだからこそ言える言葉である事もまた事実である。

 

「…………ちがう…………」

 

「??」

 

 メルエの必死の反論はサラには届かない。カミュを『勇者』と信じているサラには、何故メルエが、ここまでむきになっているのかすら理解が出来ないのだ。

 それが、今のサラの限界でもあった。

 メルエの語ったこの一言が、途轍もない重みを持った言葉である事をサラが知るのは、遥か先の事である。

 

「メルエにとってはそうなのですね」

 

 故に、サラは無難な言葉を返すのみとなるが、幼いメルエはサラも理解したのだと思い、頷くのだった。

 満面の笑みで頷くメルエに、サラも笑顔を返す。暗闇で覆われた森の中は、雨が木々の葉を打つ音だけが響いていた。

 

「さあ、メルエ戻りましょう。このように寒い所に居れば、身体を壊してしまいます。リーシャさんもカミュ様も、メルエを心配して探していますよ」

 

「…………ん…………」

 

 サラの呼びかけに頷いたメルエは、魔法陣の傍に置いてあった『魔道書』を大事そうに胸に抱えて、サラの後ろについて歩き出した。

 

「あ、あれっ?……ここからどう行ったら戻れるのでしょうか?」

 

「…………こっち…………」

 

 しかし、最後まで締まらないサラの一言に、メルエが前に出てサラを先導する事になってしまうのだった。

 

 

 

「カミュいたか!?」

 

「……いや……」

 

 一刻を遙かに過ぎ、リーシャは野営地へ戻る途中でカミュと出くわした。

 メルエの所在を問いかけるが、返って来た言葉は良い物ではない。カミュの返答を聞いたリーシャの表情は、この世の終わりでも見て来たかのように暗く沈んでおり、彼女がメルエをどれ程に心配しているのかが窺える。

 

「そうか……一体、何処へ行ったというんだ!?」

 

「あの僧侶の方かもしれない……一度戻る」

 

 カミュの提案にリーシャも頷き返し、二人は野営地へ向かって走り始める。カミュもリーシャも途中で魔物と遭遇はした為、抜き身の剣を握っていた事に気が付き、鞘へと戻しながら走った。

 野営地に戻ってリーシャは周辺を見渡すが、サラの姿はない。

 『自分達が襲われたように、魔物に襲われたのではないか?』という不安がリーシャを襲う。

 攻撃呪文を<バギ>しか行使出来ないサラにとって、強力な魔物が何体も現れた場合、苦戦する事は必至であろう。

 

「……おい……」

 

 そんな最悪な状況を考え、顔を青くしていたリーシャは、肩を叩かれ我に返る。肩を叩いた人間へ振り返ると、カミュが火の近くを指さし、呆れ顔で溜息を吐いている途中であった。

 

「……あれは……?」

 

 カミュの指さす場所を、目を凝らして見てみると、火の傍に置いてあったカミュのマントが異様に膨らんでいる。カミュは呆れたように、自分の寝床へと歩いて行ってしまった。

 リーシャも確認の為に火の傍まで進むが、途中で溜息を漏らしてしまう。

 

「すぅぅ……すぅぅ……」

 

 そこには、カミュのマントに包まったサラとメルエが、可愛らしい寝息を立てていたのだ。

 メルエを抱きしめ、幸せそうな寝顔を見せるサラを見て、リーシャは呆れを通り越して笑みまで浮かんでしまった。

 おそらく、メルエを見つけて戻っては来たが、リーシャもカミュも戻ってはおらず、暖を取る為にメルエと共にマントに包まって火にあたっている内に、二人とも眠りに落ちてしまったのだろう。

 何と人騒がせなことだろう。

 しかし、そんな二人をリーシャは怒る気はなかった。

 カミュはすでに身体を横たえ、眠りに落ちていた。

 今度こそ、カミュに厭味を言われないよう、リーシャは焚き火に薪をくべながら、カミュとの交代時間まで見張りを続けるのだった。

 

 雨は止む気配はなく、未だに木々を揺らし大きな雨音を立てている。

 この分では、リーシャの予想通り、明日も雨は降り続いている事だろう。

 

 

 

 




読んで頂きありがとうございました。

本日は、この一話だけで更新終了です。
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