新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

274 / 277
大魔王ゾーマ⑥

 

 

 絶対に認めないと誓った。

 こんなにも冷たい目をする人間が、憧れの英雄であるオルテガの息子であるなど、彼女の中の何かが拒否していた。

 自分の父親に不満などない。それでも、世界にその名を轟かせる程の英雄の息子として生まれた彼を羨ましく思っていたし、妬ましくも思っていた。

 だが、そんな英雄の息子が成人し、魔王討伐の勅命を受ける事が決定した時、予期せぬその旅への同道の命を国王から賜る。その時は、嬉しくもあり、誇らしくもあった。それにも拘らず、出会った彼の瞳は、氷のように冷たく、視界に入る人間さえも、そこに居ない物として見ているようにさえ見えたのだ。

 

「……それはアンタが女だからだ」

 

 アリアハンの城下町を出て、初日の野営の時、彼は自分の目を見つめて、そう断言した。

 騎士として、立派な功績を残していても、出世する事が出来ないのは、自分の性別が女性であるからだと。女性であるが為に、周囲の男性からの妬みを買い、それが足枷になり上に行く事が出来ないばかりか、その為に魔王討伐という旅へ出されたと彼は断言したのだ。

 生きて討伐出来れば良し。旅の途中で死んでも、厄介払いという点で良し。そんな夢も希望も無い事を淡々と告げる彼の瞳が、正直に言えば怖かった。

 自分が持っていたオルテガへの憧れを引き継いでいる筈の英雄の息子に落胆し、自分が信じて来たアリアハンという国家に絶望するような事を彼は当たり前の事のように口にしたのだ。泣きたくなる程に悔しく、悲しい夜であった事を、今でも憶えている。

 

「ふざけるな! 例え、『勇者』であろうと『人』である事には違いはない! 傷つけば倒れ、死に至る事もある。それ程の苦労をして来た同じ『人』を労う事すらも出来ないのか!?」

 

 アリアハン大陸を出て、ロマリア大陸に入った頃に遭遇したメルエという幼い少女との出会いは、そんな英雄の息子の心と同様に、一人の女性戦士の心も変化させて行く。

 カザーブという小さな村での悲劇に終止符を打ち、予期せぬトラブルに見舞われて辿り着いたノアニールという村にしては大きな集落での出来事。エルフの女王の怒りに触れた村人達全てが眠りに付く中、一人の老人に向かって彼女が発した言葉は、自分へ返って来るような痛い物であった。

 英雄の息子として彼に期待を掛け、この辛い旅も、魔王討伐という実現困難な苦しい道も、全ては勇者として当然の物であるという考えを彼女も持っていたのだろう。だが、少しずつ漏れ出した彼の本音が、彼女の中へ浸透して行くにつれ、徐々に考えが変わって行ったのだ。

 勇者といえども『人』であり、自分達と変わらず『心』がある。傷も受ければ、死も賜る。そんな極当たり前の事を真剣に考えるようになったのはあの頃からであろう。

 

「……アンタはどこまで変わって行くつもりだ?」

 

 そんな彼女の考えがしっかりと形を成し、確定したのはピラミッドでの出来事の後であろう。カミュという勇者の死ではなく、カミュという一人の人間の死を感じて泣き続けるメルエを見て、彼女の中にある想いも一つに固まったのだ。

 疲労の為に眠り続けるサラとメルエの横で、その気持ちを纏める事が出来ないままに吐き出した時、彼は静かにそう告げた。

 彼女自身、自分が変わったという自覚はなかったし、今でも自分が変わったとは思っていない。自分の考え、想いが変わって行く事に戸惑わず、それを否定しないと誓ってはいるが、それでも自分という人間が変わったとは微塵も思っていなかった。

 その後も、何度か彼の口から告げられるその言葉は、彼女にとって全く理解出来ない単語であった。

 

「お前が悩み、苦しむ時は、私も共に悩もう。そして、お前が辿り着くその先を私は見届ける。それが私の『使命』だ」

 

 カンダタという盗賊との二度目の戦いの時、彼は人類の禁忌である『人殺し』という罪を背負う事になる。その日の夜、バハラタという町で一人月を見上げる彼の言葉を聞いた時、彼女の胸の奥にあった感情が溢れ出した。

 勇者といえども人であり、心を持っているという事実。そんな一人の青年に、世界の問題全てを背負わせるという異常性。知らずに溢れ出した涙は、そんな全人類の罪を認めた物であった。

 彼を『月』のような男だと思ったのもこの頃からであった。太陽のように激しい輝きで全てを照らし出すのではなく、静かで優しい光を放つような存在。その横に立つのであれば、彼の帰る道を照らす、太陽となろうと心に誓った。

 

「……お前は……変わり過ぎだ……」

 

 それは意趣返しのつもりであった。だが、この言葉を口にした時に胸に湧き上がった溢れ出て来る想いは、何にも変えがたい喜びとなる。

 『この青年を信じて歩んで来た』という漠然とした想いが、正当化された瞬間であり、自分の胸の中で生まれた想いをはっきりと理解した瞬間でもあった。

 魔王バラモスを目前にしたネクロゴンド付近での一幕。夜空に浮かぶ月しか知らない、そんな二人の会話は、彼女の胸に生涯残り続ける大切な思い出となる。

 

「何度言ったら、お前は解ってくれる? 何度問い掛けたら、お前は私達と共に歩んでくれるんだ?」

 

 それは悲痛な叫び。魔王バラモスを倒し、ようやく平和が訪れると感じた瞬間に彼女を襲った絶望は、生まれてから感じた事のない底の見えない闇であった。役目を終えたかのように倒れ伏し、そのまま命さえも手放そうとする彼を見た時、言いようの無い恐怖を感じたのだ。

 自分自身、考えるよりも行動が先に出る性質である事は承知している。彼のその心に向かって何度も叫んでいた内容が、彼の心の傷を抉る物であるという事にまで理解が及ばずに、何度も衝突を繰り返して来た。それでも、自分自身の本心を彼に告げていたつもりであるし、その想いを伝えてきたつもりでもあったのだ。

 だが、それでも彼は死を選んだ。それがどうしても許せず、苦笑を浮かべた彼の頬を無意識に叩いてしまった。今から思えば、あの頃には、既に彼は自分の身体の一部となっていたのかもしれない。

 

「……サラは助かったのか?」

 

 アレフガルド大陸へ降り、今まで以上の激戦を乗り越えてぶつかった壁は、想像以上に高い物であった。

 上の世界でメルエと共に彼女の母の仇討ちを成功させた時に、その胸に宿った憎しみという闇を晴らしたと考えていた賢者には、憎しみとは異なる大きな闇がずっと巣食っていた。竜種の末裔の因子を受け継いでいたメルエの姿を見たサラは、その胸に宿っていた恐怖という闇を広げ、愛する妹分を拒絶してしまう。その末路は、両者の消失というリーシャが最も恐れる物であった。

 賢者サラの完成と、精霊神ルビスの愛情によってその試練を乗り越えた時、彼女はここまでの旅では一度も見せた事の無い程に泣いた。声を上げ、喉を枯らし、それでも尚、止まらない涙を流し続ける。その場所は、彼女が最も信頼する青年の胸の中であった。

 六年以上にも渡る旅の中で、彼女が涙を流した事は数度ある。だが、あの時のように心の全てを吐き出すように号泣した事は初めてであった。心に迫る不安から開放され、それを告げた青年の柔らかな笑みを見た時、彼女の心を支えていた虚勢の壁の全てが剥がれ落ちたのだろう。

 

「私は本当に嬉しかった……」

 

 精霊神ルビスとの謁見を経て、辿り着いたゾーマ城での最後の試練を乗り越えた時、リーシャの心に偽りなど、欠片も残っていなかった。

 己を誇示する理由もなく、自身の至らなさを隠す必要も無い。今、この場にある己の姿が、あるべき姿であり、それを否定する必要性など皆無であった。

 ゾーマ城へと渡る為の虹の橋は、ここまでの六年間という長い旅路の結晶である。彼等四人の想いの結晶であり、彼等が出会った全ての生物の願いの結晶でもあった。

 それが何よりも誇らしい。出会った頃のサラの姿やその想いを思い出し、そこから何度も襲う大きな苦しみの波を避けずに、全てを受け止めた彼女の成長の軌跡が誇らしい。出会った頃には塞ぎこむように心を閉ざしていた小さな少女が、己の感情を思い出し、それを徐々にではあっても見せ始めた事に喜び、幼い少女なりに自分に出来得る事を探し、努力し、その大きな力を受け入れた彼女の強さが誇らしい。

 そして、何よりも、目も覆いたくなる程の幼少期を過ごし、人間全てを憎んでも可笑しくは無い日々を乗り越えて尚、その心を失う事のなかった一人の青年が誇らしかった。

 世界で唯一の賢者となった妹のような女性。古の賢者の血を受け継ぎ、それと同時に竜の因子さえも受け継いだ妹のような少女。英雄オルテガという世界に名を轟かす者の息子として生まれ、古の勇者の魂さえも受け継いでいた、誰よりも愛しい青年。

 そんな特別な何かを持つ者達の中で、自分だけが何も有していないという事実に悩んだ事もある。だが、そのような悩み自体が些細な事に思える程に、彼女は共に歩む三人を誇りに思っていた。

 

「さぁ、余の腕の中で息絶えるが良い!」

 

 万全の状態で挑んだ大魔王ゾーマとの戦闘。そこに至るまでに交わした三つの戦闘が、彼女の心に宿った誇りが誤りではなかった事を示していた。

 上の世界を旅していた頃であれば、四人が万全だったとしても勝利を掴む事が難しいとさえ感じる三体の強敵。竜の王を自称し、カミュばかりか、メルエにまで虚仮にされたキングヒドラという魔物の力は、世界に轟く大英雄であるオルテガでさえ手も足も出ない程に強力であったし、魔王バラモスの死体を圧倒的な魔力によってこの世に戻した成れの果てであるバラモスブロスは、上の世界で辛うじて勝利したバラモス本体よりも強力な存在であった。

 だが、それらの強敵を容易く退けて尚、大魔王ゾーマという存在は圧倒的であったのだ。

 攻撃は一太刀も届かず、その攻撃は防ぐ事さえ難しい。更に、攻撃面でも防御面でも重要な補助呪文は、その腕の一振りによって無に帰してしまうという絶望感。

 気付く間もなく意識を失い、完全な死を理解した時には、何故か自分の身体はこの場に立った頃と変わらぬ万全な状態へと戻っていた。『今までの事は夢であったのか?』という疑問が思い浮かぶ程に不可思議な現象であったが、彼女の視界に真っ先に入った青年の姿が、それを明確に否定する。

 

「リーシャ……頼む!」

 

 そして、この言葉を聞いた時、彼女の内に秘められた全ての力が湧き出て来るような錯覚に陥った。

 彼がメルエに語りかけた時、それは通常通りの流れであると受け止めた。彼が彼として成り立っている原因である少女にだけは、当初からその名を呼んでいたし、それを彼女も極当然の事として理解している。だが、その彼が、共に歩んで来た賢者の名を呼んだ時、不覚にも嫉妬に近い醜い感情を持ってしまう。何度も衝突しながらも、彼がサラを強く信頼している事は知っていた。だが、その心の距離がここまで近付くとは思っても見なかったのだ。

 順番的に次は自分なのではと期待し、裏切られて落胆する。自分が考えているよりも、自分が想っているよりも、彼の中で自分の存在は大きくないのではと、場所も弁えずに気分が落ち込んだ。

 故にこそ、その短くとも強い言葉に歓喜した。沸き上がる喜びは、何よりも強い力となる。先程まで、真っ暗な闇しか見えなかったフロアが、輝きを放っているように広がって行った。

 今であれば、何が来ようと、どれ程の絶望であろうと、恐怖に陥る事はない。湧き上がった勇気は天突く程に迸り、身体にも心にも力が漲って行った。

 

 

 

「絶望と苦しみを味わい続けながらも執着する程の美しき世界であったか!?」

 

 薄れ逝く意識の中、もう一度愛しい青年が自分の名を呼んだ声が聞こえた気がし、リーシャは耳を澄ます。だが、耳に入って来たのは、身の毛もよだつような高笑い。そして、意識を失う直前に聞いた言葉が思い出された。

 自分達の歩んで来た全てを否定されるその言葉は、それでも彼等の歩んで来た道の全てを物語っている。ここまでの旅路の中で、何度も絶望を味わって来たし、立ち上がる事の出来ない程の苦しみも感じて来た。そのような事は、誰よりも生に執着して来たリーシャが一番理解している。

 この言葉を、サラが聞けば迷うかもしれない。メルエが聞いていれば、疑問を持つかもしれない。カミュであれば、否定は出来ないかもしれない。

 だが、大魔王ゾーマがそれを問いかけていたのは、一番心を折りたい相手でありながらも、決して折れない心を持った、『人間』の代表であった。

 

「……当り……前だ」

 

 小さな呟きのような叫びは、未だに彼女の身体を壁に打ち付けているゾーマにしか届かない。だが、彼女自身、その相手に対してだけに返答しているつもりであった。

 その呟きと共に煌く閃光。それは、意識を手放そうとしていて尚、彼女の手にしっかりと握られていた一振りの斧。魔の神が愛し、今は一人の人間の女性を愛した戦斧である。

 魔の神の手から離れた時から、その真価を一度も示した事のないその斧は、魔王バラモスの居城となった、古代ネクロゴンドの石像の手に納められていた。神の威光も魔の脅威も薄れ始めた時代に、その斧は真の主の手へと渡るのだ。

 それは、世界で最も脆弱な種族であり、その中でも更に脆弱な、人間という種族の女性であった。もしかすると、青年の勇者としての覚醒も、竜の因子という希少性を受け継いだ少女の存在も、世から抹殺された賢者という立場と力を継承した女性の完成も、この数奇な巡り会わせには敵わないのかもしれない。

 

「ぐおぉぉぉぉ!」

 

 鋭い閃光は、明確な軌道を走り、主の首を絞めていた一本の腕を斬り落とす。異色の体液が吹き上がり、支えを失くしたリーシャの身体が床へと落ちた。

 手首から先を失ったゾーマが苦悶の声を漏らし、怒りに満ちた視線をリーシャへと向ける。しかし、その視線を遮るように、ゾーマと彼女の間に一人の青年が割って入った。

 何処か安堵した空気を醸し出しながらも、明確な敵意を隠そうともせずにゾーマを睨むカミュの背中を見て、リーシャは静かに呼吸を整える。そして、未だに痛む頭部や身体の節々に顔を顰めながらも一歩前へと歩み出した。

 

「……これ程に、生きる価値のある世界など無い。苦しみ、哀しみ、悩みながらも、皆が懸命に生きている。人間だけでなく、動物も、花も虫も、魔物でさえも懸命に生きている。生きる為に多種族を殺める時もあるかもしれないが、命を懸けて生きる者達の道を遮る事が出来るのも、懸命に生きている者達だけだ」

 

 前へ歩み出したリーシャは、手首の体液を泡立たせながら治癒を始めたゾーマに向かって枯れた声でその想いを吐き出す。

 この言葉を発する権利を持つのもまた、命を懸けて生を全うしようと貫いて来た彼女だけなのかもしれない。どんな時も、どれ程の怪我を負おうと、彼女だけは死を受け入れる事はなかった。

 自身が生きる為、大事な者達が生きる為に、魔物や魔族を数多く殺めて来た。だが、魔物や魔族さえも殺める事の出来る強力な力を有して尚、彼女はその力に溺れる事なく、自身の戦う理由を貫き通して来たのだ。

 多くの命を奪う事は決して許される事ではない。それが魔物や魔族であっても、罪は罪であろう。アリアハンを出た当初は、魔物を葬る理由に『憎しみ』に近い感情があったかもしれない。だが、長い旅路の中で出会った人間やエルフ、そして魔物達の命を見てきた彼女は、その憎しみに陥る事なく、真っ直ぐに事実だけを受け入れて来た。

 その罪を背負って尚、この美しく輝く世界で生き抜く為に。

 

「娯楽や愉悦で葬って良い命など無い! 命を懸けず、懸命に生きる者達の道を塞ぐ事は許されない! 今日より明日を夢見て、明日より更に先の未来に希望を抱いて生きる者達が作る世界の輝きは、お前には理解出来ないだろう。苦しみの先には、輝く未来があると信じて生きる者達の強さを、お前は見ようともしないだろう。それでも世界は輝き続ける。そこで生きる全ての者達が発する輝きによってな!」

 

 上の世界には、闘技場と呼ばれる魔物と魔物を戦わせて賭け事をする場所が各所に作られている。人間に良い感情を持っていないカミュが更にその感情を大きくした場所であり、リーシャやサラでさえも吐き気のするような場所であった。

 あれは、命という掛け替えのない物を弄ぶ場所であり、それは人間という種族が悪意を増大させた結果に生まれた傲慢の象徴でもある。だが、このアレフガルドには、そのような場所は微塵もなかった。

 このアレフガルドという大陸に広がる精霊神ルビスの教えであれば、この先の未来でも、この地にあのような場所が出来る事はないだろう。それこそ、サラという女性がいる限り、この世界にそれが誕生する事はないとさえ、リーシャは考えていた。

 

「……無理をするな」

 

 喉を枯らして叫ぶリーシャがふらついた事で、それを支えたカミュが最上位の回復呪文を唱える。頭部の裂傷、内部の裂傷が癒えて行く事を感じ、リーシャは再び戦斧を構えた。

 泡立つ手首の体液が形を作り、再び元通りの形を取り戻したゾーマは、先程までの余裕を失いかけている。明らかな苛立ちを顔に滲ませ、怒気を隠そうともしていない。睨みつける様にリーシャを見つめ、その周囲には圧倒的な冷気が渦巻いていた。

 絶対唯一の存在であり、絶望の体現者であるゾーマが、矮小な人間一人に怒りを向けている。それは、異常であり、異様であった。

 

「真の闇の中に光は生まれません。闇に差し込む光はあれど、闇の中で生まれる光はないのです。闇は影であり、影は光無くしては生まれません。この世界で生きる全ての者達の輝きが生み出した影に負ける訳には行かないのです」

 

 圧倒的な冷気が支配するフロアの中で、ようやく炎の壁を鎮めた後方支援組が集う。炎を杖で払うように歩くメルエの後方から登場したサラの姿は、それこそ、賢者に相応しい神々しさを放っていた。

 劣勢に追い詰められようとも、出来うる限りの事を考え、行い続ける者。リーシャという女性戦士が、ゾーマによる執拗な攻撃を受けて尚生きているのは、炎の壁に遮られながらも、ルビスに祈りを捧げ続け、賢者の石の力を行使し続けていたからに他ならない。

 

「……最早、絶望によって光を見失う事はない」

 

「黙れ!」

 

 全員が無事であった事を確認したカミュは、リーシャよりも一歩前へと踏み出す。その瞳に絶望の色など欠片もない。彼の心の支柱となる者達は、皆がその瞳に勇気の炎を宿している。決して折れる事なく、決して消える事のない炎は、その元となっている勇気の種火を更に燃え上がらせていた。

 苛立ちを露にしたゾーマの左腕が振り抜かれる。常人であれば、その一振りで原型を留める事なく潰されるのだが、勇者の盾を構えた彼は、その強烈な一撃を受けて尚、微動だにせずゾーマを睨み付けた。

 

「希望を捨てる事もせず、絶望に歪まぬ者達など不愉快以外の何物でもない。光など、容易く闇に飲まれる物であるという事を理解させてやろう!」

 

 絶対唯一の存在にして、圧倒的な絶望の闇として君臨する己を、光が生み出した影と称された事に憤りを感じたゾーマは、復活した右腕の手首を振り抜き、再び氷の刃を出現させる。闇の衣を失った大魔王ゾーマの身体は、人間が持つ武器であっても傷つける事が出来るが、それでもその圧倒的なまでの強大さは依然変わらない。

 上空に滞空した氷の刃が一斉にカミュ達へと降り注ごうとするその時、幼い少女が大きく杖を振った。

 

「…………マヒャド…………」

 

 それは、氷竜の因子を受け継いだ少女が最も得意とする氷結系最上位呪文。降り注ぐ氷の刃の対面に同じように氷の刃を作り出し、それを相殺するかのように衝突させる。灼熱呪文などで融解させる訳ではないため、周囲を蒸気が包み込む事はなく、氷の破片だけが周囲に拡散して行った。

 稀代の魔法使いとはいえ、大魔王の魔法力と拮抗する訳ではない為、砕き切れない氷の刃が降り注ぐが、その程度であれば、各自の盾で防げる数である。ただ、最上位の氷結呪文に最上位の氷結呪文をぶつけた影響で、周囲の気温は急激に下がった。

 その場に身体を縛り付けるような寒さの中、カミュが動き出す。予想外の対応に虚を突かれたゾーマの懐に飛び込んだカミュは、そのまま王者の剣を振り下ろして行く。

 

「ぐぬぅ」

 

 だが、それでも大魔王ゾーマの命を刈り取るには程遠い。剣筋を防ぐように前に出した掌が、魔法力を纏いながら、その剣を押し留めていた。

 無傷ではない。それでも腕を斬り裂く程でもない。剣を伝って滴り落ちる体液の量が、その傷の深さを物語っているものの、剣を掴まれた形となったカミュの身の方が危険に晒される形となっていた。

 僅かな時間でも無防備になった隙を見逃す存在ではない。一瞬によって振り抜かれたゾーマの腕が正確にカミュの身体を打ち抜き、床へと叩き付けられる。その勢いで剣は抜け、それと同時に、ゾーマの方からカミュ達と距離を取った。

 その表情は、怒りと憎悪によって歪み、纏う魔力も先程よりも禍々しく揺らいでいる。人間という最弱の種族を相手に、自らが後退する事になったという事実に気付いたゾーマは、言葉に出来ない程の怒りを感じていた。

 

「鬱陶しいわ!」

 

 倒れ付したカミュに対して回復呪文を唱えながらも、身を守る為の補助呪文の行使をメルエに指示するサラを見たゾーマは、その呪文の詠唱が完成し、カミュ達の周囲に魔法力の壁が生まれたと同時にその手を突き出す。巻き起こる凍て付く波動が全ての補助呪文を無効化し、間髪入れずに吐き出された猛吹雪が、波動によって固まりつつあった一行の身体を更に凍り付かせる。

 周囲を覆う氷の結晶が身体に付着していく中、再び最年少の少女が大きく杖を振るう。一行を取り囲むように生み出された灼熱の火炎が、吹雪からもゾーマからも一行を護る炎の壁となり、凍り付きそうになる一行の身体を和らげた。

 

「…………メラゾーマ…………」

 

 炎の壁によって遮られた視界をものともせず、メルエが再度杖を振るう。杖先のオブジェの嘴の前に大きな魔法陣が浮かび上がり、その中心から特大の火球が姿を現した。

 火球に指示を出すようにメルエが杖を振り下ろす。術者の命を受けた火球は、真っ直ぐにゾーマが居た場所に向かって行き、灼熱の炎の壁に穴を空けた。

 突如現れた特大の火球を見ても、ゾーマは揺るがない。その行動を予測していたのか、避けるように身体を動かし、火球に向かって再び吹雪を吐き出した。だが、火球と吹雪のぶつかり合いで巻き上がった高温の蒸気の壁の中を一つの影が突き抜ける。煌く閃光は先程ゾーマの片腕を斬り落とした戦斧。上段から振り下ろされたその刃は、真っ直ぐにゾーマの脳天へと向かっていた。

 苛立ちの表情を浮かべたゾーマは、振り下ろされた斧に合わせるように腕を振り抜く。斧の刃の腹に裏拳を当て、その軌道を大きく逸らした。

 

「うおぉぉぉぉ!」

 

 だが、勇者一行の前衛は一人ではない。そして、大魔王ゾーマを倒し得る武器は、魔の神が愛した武器だけではないのだ。

 斧の軌道を逸らされ、身体が泳いだリーシャへ追い討ちを掛けようとしたゾーマに向かって、歴代の勇者の魂と、この世界の全生命体の願いを具現化した剣が振り下ろされる。その軌道は正確無比。数多の魔物の命を刈り取り、自身の命を賭けて磨き上げて来た至高の一振りであった。

 肉を切り、骨を絶つ感触がカミュの手に重量を持って圧し掛かる。煌く剣の輝きを曇らす程の体液が噴出し、それがこの戦いの中で構築されていた一定の壁を打ち砕いた。

 手も届かず、遠く離れた大魔王ゾーマという存在と、人類のみならず、全世界の生命体の希望とも云える勇者との距離を一気に縮め、その頂に手を掛けるまでのものとなる。それは、先程まで彼等の胸に残っていた小さく儚い希望の光が、大いなる輝きを取り戻す切っ掛けとなった。

 

「ぐっ」

 

 肩口から入った王者の剣は、ゾーマの胸までを斬り裂き、大量の体液を床へと溢れさせる。傷口を押さえるように後方へと後退りしたゾーマは、苦悶に歪む表情のまま、再び吹雪を吐き出した。

 だが、胸までを斬り裂かれた影響なのか、その吹雪の強さは、先程までの物よりも幾分か弱く、カミュが掲げた勇者の盾の効力によって、前衛二人には届かない。傷口は泡立ち、既に修復を始めているものの、その傷の深さから瞬時に終える事が出来ないのだろう。左腕手首を復元したばかりのゾーマにとって、それは、見た目以上の深手であった。

 隙を見て、吹雪を遮る霧のカーテンと、カミュ達の身体を守る魔法力の鎧を生み出したサラへ視線を送ったゾーマは、不愉快そうに右腕を突き出し、凍て付く波動を発動する。何度も何度も無意味な行動を繰り返す行動は、とてもではないが『賢者』という称号に相応しい者のしている物とは思えなかった。

 

「ふん!」

 

 しかし、無駄だと断じる事さえ出来るその行動は、大魔王に小さな隙を生み出し、カミュ達に攻撃の機会を与える。連携というものは、己の考えだけでは繋がらない。相手の考えを読み、仲間の行動を予測し、仲間が自分の行動を読んでくれると信じて行わなければならないのだ。

 その行動の原理が、このゾーマ戦でようやく発現し始める。強大な力と、震える程の威圧感に、自身の考える未来に対して身体が付いて行かないという状況が続いていたが、勇者カミュの完成、そして戦士リーシャの覚醒という事象を経て、勇者一行が完成したのだ。

 

「忌々しい!」

 

 だが、大魔王ゾーマとて、並みの魔族ではない。幾ら隙を突かれたとはいえ、何度も何度も無防備で攻撃を受け入れる訳ではなかった。

 カミュが再度振り下ろした剣を避け、その影から現れたリーシャの身体を蹴り飛ばす。間が離れた瞬間を狙って、再び最上位の氷結呪文を展開させた。

 カミュとリーシャは、降り注ぐ氷の刃を凍える手で握り締めた武器で防ぎ、後方からの支援を待つ。その期待通り、後方から熱風が巻き起こり、渦巻くような灼熱の火炎が氷の刃を溶かして行った。その威力は、先程までのベギラゴンよりも幾分か弱い事からも、行使者がサラである事を物語っている。

 

「…………イオナズン…………」

 

 ベギラゴンの行使者が誰であったかという事にゾーマが気付いた時は、カミュ達から距離を取った愚にも気付く時となる。ベギラゴンの炎とマヒャドの冷気がぶつかり、蒸気の壁が出来た事で後方へとカミュ達が下がった事を確認した稀代の魔法使いが、その杖を大きく振るっていた。

 当代の賢者をして、『本来の使い手』とさえ称される少女が放った爆発系最上位の呪文。その余波だけでも周囲を更地にしかねないその呪文は、一瞬の輝きの後、フロア全ての光と音を消し飛ばした。

 賢者サラがベギラゴンから間を置かずに行使したマホカンタの光は、前衛二人の身体を包み込み、爆発そのものとその余波から身を守る壁となる。爆心にいた大魔王ゾーマの姿も爆発するような輝きに消え、その凄まじい爆風によって確認する事も出来なかった。

 

「……やったのか?」

 

 このイオナズンは、最高の場面で、最高のタイミングで放った至高の一打である。並みの魔物など名残さえも残らずに消え失せるだろうし、魔王バラモスであっても、その命を刈り取るに十分な一撃であった。

 その自覚と自信が、カミュ達四人にはあった。故にこそ、爆風が巻き上げた砂塵と、崩れる壁の破片によって見え辛くなった前方へと目を凝らしながらも、リーシャはその言葉を呟いたのだ。

 長く苦しかった戦闘も終結の時を迎えたのだという安堵と、悲願を成し遂げたのではないかという達成感を感じているのは、リーシャだけではない。後方支援組の二人もまた、身体の力が入らない程に魔法力を消費しており、疲労と達成感で床に膝を突いていた。

 

「ちっ」

 

 イオナズンによる強大な爆発によって、天井の一部が崩れ落ちる。キングヒドラ、バラモスブロス、バラモスゾンビという強敵との連戦。そして大魔王ゾーマとの激戦によって劣化していた天井が、稀代の魔法使いが起こした神秘に耐えられなかったのであろう。

 だが、安堵するリーシャの横で勇者の青年が鳴らした舌打ちは、天井が崩れ落ちて来る事への苛立ちではなかった。

 崩れ落ちて来る天井と共に、その周囲に氷の刃が煌いている。それが何を意味しているのかを瞬時に理解したカミュは、横にいるリーシャの身体にしがみつくように体当たりし、後方へと転がった。

 

「……そんな」

 

 あのイオナズンは、至高の一撃と言っても過言ではないものであった筈。カミュやリーシャが時折見せる武器による会心の一撃のように、最高のタイミングで、最高の魔法出力を見せた、究極の物であった。

 カミュとリーシャが居た地点に降り注ぎ、次々と砕け散る氷の刃を見たサラは、愕然と言葉を漏らす。あれ以上の一撃など、今の彼等に生み出す事など出来はしない。それは、再び訪れた絶望の時であった。

 

「……余をこれ程に苦しめるとはな。許す事の出来ぬ程に怒りを覚えるが、それでも尚、貴様らに賛辞を送ろう」

 

 氷の刃が齎す冷気によって、徐々に晴れて行く爆風の向こうに見えて来た影は、絶望の象徴であり、絶対唯一の存在。纏っていた衣服は破れ、その身体も無傷ではない。カミュに斬られた肩口の傷は癒え切れておらず、片腕は爆発によって千切れかけていた。

 それでも、この大魔王は生きている。纏う魔法力の量は戦闘開始時に比べて格段に落ちてはいるが、未だに瞳の光は消えておらず、その威圧感も健在であった。

 千切れかけた腕から流れる体液が大きく泡立ち、修復を急いでいる。全ての傷よりもそちらを優先しているようにも見え、時間を置かずに修復される事は明白であった。

 全身全霊の連携を見せ、最高の一撃を放った後に訪れた絶望の瞬間。通常の人間であれば、張り詰めていた糸が切れ、全てを手放し、諦めてしまうだろう。既に、後方支援組二人の魔法力も底を突いている。身体を支える魔法力を失ったメルエは、立っている事も難しく、両膝を床へ着けていた。

 安堵と達成感に辿り着いた気持ちを再び奮い立たせるのは難しい。ここまでの立て続けの戦闘による疲労も合わさり、彼女達の気力が根こそぎ奪われてしまったのだ。

 だが、大魔王と対成す者。その青年だけは異なっていた。

 

「決着を付けよう」

 

 この世の全ての絶望を担う絶対唯一の存在である大魔王。

 この世の全ての希望を背負う唯一無二の存在である勇者。

 互いに満身創痍の身体でありながら、真っ向から向かい合う。

 

「片腹痛いわ」

 

 どれ程の傷を負おうと、大魔王ゾーマの力は、勇者カミュの力を遥かに凌駕している。それは、カミュ自身が最も理解しているだろう。

 それを痛い程に理解して尚、彼は一本の剣を構えて先頭に立つ。その背中から立ち上る物は、勇気の炎。上気した身体から周囲の景色が歪む程の熱気が立ち上っていた。

 その背中を見た女性戦士が真っ先に立ち上がる。常に彼と共に前線を駆け抜け、彼が背中を唯一預ける存在が、再び彼の横へと立ち並んだ。

 決着の時は近い。

 それは、新たなる夜明けなのか、それとも光を覆い尽くす闇なのか……。

 

 

 




読んで頂き、ありがとうございました。
大変遅くなりました。
ここまで来ての停滞を心からお詫び致します。

ご意見、ご感想を心よりお待ちしております。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。