新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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大魔王ゾーマ⑦

 

 

 

 脆くなった天井の欠片が崩れ落ちて来る。天井が抜ける事はなくとも、その破片の大きさは、人間を容易く潰しかねない物であった。

 闇が支配していた最下層のフロアには、燭台に点る赤々とした炎が光を与え、人間の目にも隅々が見えるようになっている。そんな中で睨み合う大魔王と勇者。崩れ落ちる天井の一部分が床に衝突する音が響く中、両者共に身動き一つせず、相手の動きを見つめていた。

 ゾーマの片腕の修復は進んでいる。だが、身体全体に付けられた傷全てを癒す事は出来ず、溢れ出た体液が床へと落ちていた。対する勇者の身体は、傷一つない。だが、それは外傷という点に於いての話であり、その疲労度で言えば、その場に立っている事さえも辛く感じていても可笑しくはない程の物であろう。

 そんな勇者の背中を見ていたサラが震える足を叩きながら、懸命に立ち上がる。

 

「メルエ、お祈りを」

 

 魔法力とは別に、この旅の中で培って来た体力がサラにはある。疲労で動けなくなろうとも、気力で立ち上がる事が可能であると同様に、気力がなくなろうとも、全身に僅かに残る体力で無理やり身体を動かしたのだ。

 だが、元々子供の体力しかなく、その全てを膨大な魔法力で支えて来たメルエは、魔法力を失ってしまえば、このような場面で立ち上がる事など不可能である。故にこそ、その指に嵌められている指輪へ祈りを捧げる事を指示したのだ。

 これから先の戦いは、サラもまた、気力で身体を支えるしかないだろう。このゾーマ城で手に入れた『祈りの指輪』を嵌めたサラは、静かに精霊ルビスへと祈りを捧げた。全快する事はなくとも、ある程度の魔法力は補われる。疲労による足の震えは治まり、その瞳に再び光が灯った。

 

「…………メルエ………まもる……!!…………」

 

 サラの身体が祝福の光に包み込まれたのを見たメルエは、同じように手を合わせて誓いの言葉を口にする。彼女は精霊神ルビスを見知っていても、それに祈りを捧げるという行為自体を理解している訳ではない。故に、自分自身に誓った言葉を捧げ、その為の力をルビスから借り受けるというような認識なのかもしれない。

 だが、その誓いの言葉がルビスへと届けられ、彼女の身体が祝福の光に包まれると同時に、その指に嵌められていた指輪が音を立てて砕けてしまう。砂漠の王国イシスの女王から約束と共に与えられた絆の証が、役目を終えたように床へと落ちて行ったのだ。

 

「ルビス様のお力に耐えられるだけの力が残っていなかったのでしょう。その指輪は、メルエが大事にしていた魔道士の杖と同じように、役目を終えたのです。だから、泣いてはいけません」

 

「…………ん…………」

 

 指輪に祈りを捧げた回数は、一度という訳ではない。この長い旅の中で、メルエは何度もその指輪に誓いを立てて来た。その度に指輪はメルエの誓いに応え、その力を貸し与えて来たのだ。そして今、その最後の力を使って、メルエの誓いに応えたのだろう。

 涙を堪えるように唇を噛み締めたメルエは、回復した魔法力を原動に立ち上がり、真っ直ぐにゾーマへと視線を送る。その姿を見たサラもまた、小さく微笑みを一瞬浮かべ、再び厳しい表情でゾーマへと視線を送った。

 万全ではなくとも、再戦の準備は整った。自分達が回復を優先すれば、相手もまた回復してしまう。身体の傷や魔法力は回復したとしても、身体に蓄積された疲労は回復しない以上、長期戦となればゾーマに軍配が上がる事は間違いない。それ程に、基本的な性能が異なっているのだ。

 

「ピオリム!」

 

 サラのその詠唱が、再戦の鐘となる。仲間達全員に及ぶ魔法力が、彼等の筋肉に作用し、俊敏さを上げて行き、カミュとリーシャが未だに傷を修復しているゾーマへと駆け出した。

 接近したカミュが振り下ろす王者の剣の一撃を、破れたマントを投げ捨てる事で避けたゾーマは、その後方から迫るリーシャの斧を魔法力の纏った片腕で受け止め、腹部に蹴りを放つ。激しい動きで裂けた傷口から異色の体液が噴出すのに躊躇いもせず、ソーマは再び腕を突き出した。

 凍て付く程の波動が迸り、カミュ達が纏った魔法力が吹き飛ばされる。突如戻った俊敏さに身体が追いつかない状態のカミュを狙ったゾーマの拳は、正確に彼の胸部を打ち抜き、後方へと弾き飛ばした。

 

「ごふっ」

 

 光の鎧という歴代の勇者が纏っていた鎧を身に着けていたカミュでさえも息が詰まる程の一撃。腹部を蹴られたリーシャに至っては、盛大に血液を吐き出していた。それは、身体の内部を傷つけられた証拠であり、それを見たサラは瞬時に賢者の石を発動させる。

 カミュとリーシャを包み込む淡い緑色の光が彼等の傷を癒し始めたと同時に、再び周囲を圧倒的な冷気が支配し始めた。

 大魔王ゾーマといえども、魔法力は無尽蔵ではない。だが、それでも人間であるサラやメルエに比べれば、その貯蔵量は圧倒的な差があった。魔法力を身体の修復に回して尚、神代の剣を受け止める事の出来る魔法力を展開し、そして最上位の氷結呪文を行使出来る余裕はある。それこそが、絶対唯一の存在と謳われる魔の王の在り方であった。

 

「…………マヒャド…………」

 

 無数に浮かぶ氷の刃に対抗するように、メルエが再び最上位の氷結呪文を詠唱する。魔法力が完全に回復した訳ではない為、その効力も戦闘初期の頃の勢いはない。相殺出来る氷の刃の数も少なく、カミュとリーシャのそれぞれが掲げた盾に数多の氷刃が降り注いだ。

 自分が成した結果が歯痒いのだろう。噛み締めた唇が切れ、メルエの口端に血液の筋が流れる。それでも戦局は待ってはくれず、次々と変化していった。

 口から吹雪を吐き出したゾーマから一歩遅れてフバーハを唱えたサラは、吹き飛ばされたリーシャの身体にベホマを唱える。唱えた直後に再び指輪に祈りを捧げ、己の魔法力を回復させた。

 

「遅いわ!」

 

 軽減された吹雪の中を突っ切って姿を現したカミュの剣を防いだゾーマは、治り切っていない腕でカミュを横殴りに吹き飛ばす。修復途中の腕さえも酷使しなければならない程にゾーマも追い詰められてはいるのだが、それでもその余裕は崩れず、勇者一行を翻弄していた。

 後手後手に回ってしまえば、カミュ達はゾーマの攻撃を防御する事しか出来ない。攻撃に転じるには、その切っ掛けが必ず必要であった。

 ゾーマはここまでの戦いの中で、マヒャド、吹雪、凍て付く波動以外の特殊攻撃を使用していない。メラゾーマという呪文を編み出した存在であれば、その他の呪文などを使用しても可笑しくはないにも拘らず、それを貫き通している。それが、大魔王としての拘りなのか、意地なのかはわからない。もしかすると、魔方陣を生み出してはいても、それの契約、行使が出来ないのかも知れないが、今は、それが細いカミュ達の命の糸を辛うじて繋いでいる理由となっていた。

 

「ぐっ……隙が無さ過ぎる。サラ、この状況を打破出来る策はないか?」

 

「難しいです。ゾーマの意識を何らかの形で、一瞬でも逸らせれば……」

 

 サラの回復呪文を受けたリーシャは蓄積された疲労に抗うように立ち上がり、戦局を変える事が出来る可能性を問いかける。だが、それに対する賢者の答えは無情な物であった。

 今のゾーマに隙が見えない。戦闘開始時は、明らかな慢心があった。カミュ達を周囲を飛ぶ羽虫のように見て、余裕を崩す事はなかった。それ故に、想像以上の力をカミュ達が示した時は、多少なりとも隙を見せていたのだ。

 『隙を見せようとも容易く消し去れる』という自信がゾーマにはあったのであろうし、それを成し得る力も有していたのだろう。だが、カミュ達の力を認め、褒め、それを受け入れたゾーマに慢心は欠片もない。あるのは、目の前の敵を葬り去るという目的だけである。それが、只でさえ強大な敵である大魔王という存在を、更なる高みへと押し上げていた。

 

「…………メラゾーマ…………」

 

 リーシャとサラの話の間にも戦闘は進んで行く。吹き飛ばされたカミュに追い討ちを掛けようと腕を振り上げたゾーマに向かってメルエが杖を振るった。

 ゾーマとカミュとの間に割り込むように極大の火球呪文が飛び、床の岩を融解させながら進んで行く。意識をメラゾーマへと向けたゾーマはその対策の為に動き出し、カミュは転がるように後方へと退いて行った。

 先程のイオナズンの影響で、ゾーマの身体もまた満身創痍。足は思うように動かず、極大火球を避ける事も出来ない。メラゾーマという最上位の呪文の威力は、それを編み出した本人であるゾーマが最も理解しているだろう。故にこそ、ゾーマは修復途中の腕に魔法力を纏わせ、その腕を火球に向けて横薙ぎに振るった。

 

「ぐおぉぉぉぉ」

 

 通常であれば、瞬時に融解する程の高熱を持つ火球に向かって振るわれた腕は、魔法力の壁を挟んで火球の進路を強引に変えて行く。しかし、その高温の被害を無にする事は出来ない。火球は軌道を変え、真横へと流れて行くものの、ゾーマの片腕は完全に融解し、肘上から先が消滅してしまっていた。

 肉が焦げ、溶ける不快な匂いを漂わせながらも、怒りの瞳をメルエへ向けたゾーマは、一気に猛吹雪を吐き出す。吐き出された吹雪はメルエの周囲を包み込むように吹き荒れ、少女の姿が雪の中に隠れてしまった。

 如何に氷竜の因子を受け継ぎ、寒さへの耐性が強いとはいえ、彼女は間違いなく人間であり、このような吹雪の柱の中心で生命活動を維持出来る強さはない。一瞬の出来事に打つ手を繰り出す事が出来なかったカミュが駆け出そうとするが、それは再び出現した氷の刃に阻まれた。

 

「メルエ!」

 

 リーシャの悲痛な叫びが轟く中、降り注ぐ氷の刃を相殺する為の炎を顕現させたサラは、未だに天井へ舞い上がるように渦巻く吹雪の柱から視線を外す。一瞬、その行動に大事な妹のような存在を切り捨てる覚悟を持ったのかと考えるが、この一行の頭脳とも云える賢者が、メルエという稀代の魔法使いの生存を諦める訳がない。

 相殺し切れない氷の刃は、カミュが盾で防ぐ事を信じていたし、それ以上に、メルエならばあの吹雪の柱を吹き飛ばす事も可能であると信じていた。故にこそ、彼女は今自分が成すべき事の為に行動に移したのだ。

 

「ベホマラー」

 

 最早、賢者の石の効力では間に合わない。それぞれの傷の具合を診る事も出来ない戦闘状態の中で、それでも自身の魔法力で持って処置に当たらなければならない場面にまで陥っているという事を、彼女は察知していた。

 小さな少女を包み込む吹雪の柱の前で呆然とする前衛二人の傍に寄ったサラは、その傷具合を見つめて再度回復呪文を唱える。そして、状況を打破する為の布石の為に口を開いた。

 

「カミュ様の言葉通り、決着を付ける時です。これ以上長引けば、勝利への糸口さえも見えなくなります。私が道を開きます。カミュ様とリーシャさんはゾーマへ……」

 

「何をするつもりだ?」

 

 口を開いたサラから漂う不穏な空気に、カミュが静かに口を開く。この瞳は、サラが何度か見せた覚悟の瞳。それは、ここまでの旅の中で何度も見て来てはいても、その中に決して許容の出来ない覚悟も含まれていた事を彼は知っているのだ。

 問いかけた瞬間に歪んだ彼女の顔が、その予想が正しい事を示している。そして、ここまで口を濁すと言う事は、彼女の命さえも勘定に入った賭けなのだろう。その中身を問いかけようとしたカミュの横からリーシャが悲壮の叫びを上げた。

 

「それよりもメルエは大丈夫なのか!?」

 

「メルエならば心配要りません。最悪、ドラゴラムを唱えればあの程度の吹雪はどうとでもなるでしょう。その呪文行使に必要な魔法力も残っている筈です。身体そのものを消滅させるような呪文や、死の呪文でない限り、メルエを魔法で倒す事など出来ません。それは吐き出された吹雪とて同じです」

 

 メルエという少女の身体に流れている血は、太古から繋がる氷竜の因子を受け継いでいる。冷気や吹雪に耐性があるという事以外にも、魔法力を開放する事によって、太古の姿に成れるという力も有していた。

 そして、竜種に変化したならば、例え大魔王が吐き出した物であろうとも、氷竜を凍らせる事など不可能である。そして、それを誰よりも理解しているのはメルエ自身であり、自分の力を信じているのも彼女自身なのだ。故にこそ、サラは少しも心配してはいなかった。彼女であれば、自らで吹雪の檻を突き破って来ると信じているのだ。

 そして、事、魔法という神秘に関しての才能でいえば、唯一の賢者であるサラであっても、肩を並べる事は出来ない。メラゾーマのように、直撃すればゾーマの腕さえも消滅させる程の熱量を持つ物でない限り、メルエという少女を倒す事は魔法という神秘では不可能に近いのだ。

 サラの言い分に一先ず納得を示したカミュは、先程中断してしまった会話を再開する。

 

「メルエとイオナズンの契約をしていた際に、私が魔法陣に誤った文字を幾つか記した事がありました。普通は文様を誤れば、その契約陣は作動しないのですが、私だけ契約が完了してしまったのです。その呪文の効果は私にも解りません。便宜上、パルプンテと名付けました」

 

「パルプンテ……不明という事か?」

 

 それは、世界共通の言葉ではない。上の世界でもある地方の方言のような物である。世界の南部に浮かぶ小さな島国の大陸のみに伝わる言葉であり、その意味を知る者も、その島国で暮らす一部分の人間だけであろう。今ではそれなりの年齢を重ねた者しか使わず、使う場面も数少ない為、そんな老齢の人間の傍にいなければ知り得ない言葉でもあった。

 アリアハンという小さな島国に伝わる、奇行に及ぶ者を指す蔑視的な差別用語。それがパルプンテという言葉である。そして、それを自身のみが契約をしてしまった呪文に付けるという事が、サラがこの呪文に対して信用していない事を明確に示していた。

 

「どのような効果があるのか解りませんが、契約者である私が解らない以上、ゾーマに対して意表を突く事が出来るでしょう。その間に……」

 

「却下だ」

 

「却下だな」

 

 しかし、その作戦を実行する為の詰めへと入ろうとするサラの言葉を前衛二人は同時に遮る。口を揃えて否定されてしまったサラは、口を何度か開閉するが言葉が出て来なかった。

 このような大詰めとなった戦闘の中で、サラが口にした前振りは何一つ間違いはない。これ以上に戦闘が長引けば、カミュ達の勝利の可能性は、一分どころか一厘もないだろう。大魔王という存在と、人間とはそれだけ基本性能が異なるのだ。

 今の大魔王に隙はない。それ故に、前衛二人が近づく事が出来ず、活路を見出せないという状況に陥っていた。だからこそ、その活路を切り開く為にも、その効果が誰にも解らない呪文を唱えて隙を突こうとしているのだ。

 例え、その呪文の効果というリスクを背負おうとも、今の状況はそのような事を言っていられる状況でもなく、今までも大きなリスクを背負い、それを乗り越えて来たという自信があるからこその提案であった。

 

「何が起こるか解らないという事は、その負の効果が私達に向かう可能性もあるという事だろう? 命を賭けて戦いをしてはいるが、生きる事を諦めている訳ではない。全員が生き残る可能性を模索した結果であっても、誰かを犠牲にしなければならないというのであれば、私はそれを受け入れる事は出来ない」

 

「ですが!」

 

 ここに来て尚、リーシャは己の道を譲らない。徹頭徹尾、彼女は生きる事を諦めないし、誰の命であっても手放そうとはしないのだ。

 しかし、残された手段が皆無に近い以上、そこに拘る事は出来ない。そして、その時に天秤に乗せる事の出来る物は、自分の命以外に有り得ないというサラの考えもまた、旅を始めた時から変わる事のない物でもあった。

 この四人は、根底こそ似てはいても、決して相容れる事の出来ない者達の集合体でもある。それを繋ぎ止める為の楔と成ってるのがメルエであり、その楔を繋いで来たのがリーシャである。そして、繋がった一行をここまで先導して来た者が口を開いた。

 

「そろそろメルエが戻るぞ。最後まで足掻くと決めた筈だ。この場に誰も立っていられなくなった時まで、それは封印しておけ」

 

 天井を突き抜けるように立ち上った吹雪の柱が、急速に収束して行く。まるで、操る主を変えたかのようにその勢いを失くし、静かに床へと落ちて行く雪と氷の結晶が、その中心に立つ少女の姿を輝かせていた。

 炎を操り、吹雪を相殺した訳でもない。冷気を操る氷竜と変身した訳でもない。ただ静かに杖を掲げて立つ少女が、真っ直ぐにゾーマを見つめながら杖を振るった。

 吹き荒れる吹雪を制し、振るった杖先から再び巨大な火球が飛び出す。それを見たカミュは火球を追うように駆け出し、リーシャもまたその背を追って駆け出した。

 悔しそうに顔を顰めたサラではあったが、一つ大きく息を吐き出した後は小さな笑みを浮かべる。そして、幼い妹のような少女を護る為に、その傍へと駆け出して行った。

 

「クワァァァァ!」

 

 最早片腕を失ったゾーマがメラゾーマを弾き返す事は出来ない。だが、衰えたとはいえ、ゾーマの力は健在である。凍て付く波動のような冷気を生み出し、吹き荒れる吹雪で巨大な火球を包み込んだ。

 火球全てを凍らせる事は出来なくとも、表面の温度を急速に下げて行けば、その火球は脆くなる。脆くなった火球は、速度を失い、対処する事を可能にする。避ける事が出来れば、後は後方から迫る二人の攻撃を潰すだけであった。

 火球の横から飛び出したカミュを振るわれた剣よりも早くに殴り潰し、その後方から現れたリーシャを再び蹴り飛ばす。カウンター気味に入った蹴りは、リーシャの腹部を正確に打ち抜き、殴り潰されたカミュは床へと倒れ付す。

 即座にサラが唱えた回復呪文が二人の身体を包み込み、傷を修復させる。だが、それでも自身の力を利用された攻撃は、二人の疲労を一気に表面に噴き出させてしまった。

 

「塵となれ!」

 

 懸命に立ち上がろうとするカミュへ振り下ろされるゾーマの拳。後方へ蹴り飛ばされたリーシャの援護は間に合わず、彼が掲げようとしている盾だけではその威力を抑える事は出来ない。しかし、噴き出した疲労は彼の足から行動力を奪い、横へ転がる事も出来ず、それを真っ直ぐに受け止める事しか出来なかった。

 だが、その衝撃は、彼が考えていたよりも軽く、盾に当たった直後に消え失せる。懸命に震える足を動かして後方へ下がった彼が見た物は、手首から先を失い、怒りの表情を後方へと向けるゾーマと、その後方へと抜けて行く火球であった。

 

「何度も、何度も忌々しい!」

 

 メラゾーマがゾーマによって打ち消される事を確認したメルエが、再び火球を生み出していたのだ。カミュとリーシャへの対応を優先したゾーマにはそれは見えず、追い討ちを掛けようとしたゾーマの腕を消滅させている。だが、ここまでの呪文連続行使の代償により、メルエの魔法力は枯渇状態に陥り、その火球はメラミと呼ばれる中級程度の威力しかなかった。

 本来のメラゾーマであれば、ゾーマの身体ごと消滅させるだけの威力を持っていたが、込められる魔法力の量が少なく、その火力も熱量も、ゾーマの手首を消し去る事しか出来なかったのだ。そして、行使者であるメルエ自身は、完全に魔法力を枯渇させてしまった為に、膝から崩れるように床へと倒れ伏していた。

 

「メルエ、これを!」

 

 即座にサラが己の指に嵌められていた指輪をメルエの指に嵌め、その両手を合わせさせる。小さな声で呟くように決意の言葉を紡いだ少女の身体を祝福の光が包み込んだ。

 メルエの身体に魔法力という活力が戻る事を見届ける事なく、気力を振り絞ってリーシャが駆け出す。そして、それを追うようにカミュが走り出した。

 体力、気力、魔法力、胆力、全てに於いて、これが最後となる。この場にいる誰しもがそれを痛い程に理解していた。相対するゾーマでさえも、これが互いに全力を賭けた最後の場面であると理解し、リーシャとカミュの動きを身動きせずに注視する。

 最早、大魔王ゾーマといえども、不用意に動ける程の力は残っていない。時間を置けば、その身体の傷は復元し、未だに残る大量の魔法力によって縦横無尽に動く事が出来るだろう。カミュ達四人の疲労が回復する時間など与える事なく、その身をこの世から消し去る事も出来る筈だ。

 だが、今のゾーマには身体の欠損部分全てを修復する時間がない。立て続けに襲い掛かる勇者達の攻撃を回避しながら復元出来る場所など、先程失ったばかりの手首だけであった。

 

「良いだろう。勇者カミュの最後、余が見届けてやる」

 

 悠然と構えを取ったゾーマは、片腕を前へと突き出す。肩口から失った腕は復元出来ておらず、それでも残った腕には、膨大な魔法力が込められた。その一振りで大地を裂き、大気さえも切り裂く大魔王の力。それは、勇者といえども耐え切れる物ではないだろう。

 互いの全てを込めた一撃がすぐ目の前に迫っている。大魔王ゾーマは光の矢となった者を待ちうけ、勇者カミュは一筋の光となった。

 だが、ゾーマはここに来て尚、カミュ以外の者達を軽視していたのだ。

 

「バイキルト」

 

 後方から賢者の叫び声に似た詠唱が届く。勇者の前を走る女性戦士が持つ斧を緻密な魔法力が覆って行った。そのままでも大魔王ゾーマの腕を斬り落とす程の切れ味を持つ斧を、世界で唯一となる賢者の魔法力が覆う。それは、大魔王でさえも軽視する事の出来ない行動であり、その現象を見たゾーマは、苛立たしげに舌打ちを鳴らした。

 舌打ちが鳴ったと同時に、賢者は次なる呪文を行使する。その瞬間、ゾーマと女性戦士との間を遮るように霧のカーテンが生まれ、視界が歪んだ。ゾーマが吐き出すであろう吹雪への対抗策として生み出した霧が、僅か一瞬ではあるが、ゾーマの視界を遮った。

 

「邪魔をするでないわ!」

 

 ゾーマが残った片腕を一気に突き出す。それと同時に巻き起こった凍て付くような波動が、リーシャの斧が纏った魔法力を消し飛ばし、霧のカーテンを霧散させた。

 全てが露になったその瞬間に振り下ろされた斧は、再度魔法力を纏ったゾーマの片腕に止められ、その腕ごと引き寄せられたリーシャは、横から腹部に蹴りを入れられる。己の武器を手放そうとしないリーシャの気質が仇となり、その蹴りの衝撃の全てを受けてしまった。

 盛大に血液を吐き出したリーシャがごみのように投げ捨てられ、サラの近くに落ちて来る。即座に回復呪文を行使しようとするサラを遮るようにゾーマが片腕を上げた時、ゾーマの視界が再び歪んだ。

 

「…………イオナズン…………」

 

 その歪みは霧のカーテンが出現した訳でも、ゾーマが弱った訳でもなく、ましてや突き進んで来ていた筈のカミュが剣をゾーマの身体に突き入れた為でもない。

 先程まで床に倒れ付していた少女が振るった杖から迸る、彼女に残った全ての魔法力を注ぎ込んだ、攻撃系最上位の呪文の詠唱が完成された為であった。

 大気が圧縮し、それに呼応してフロア全ての空気が歪む。音も光も大気さえも消え失せ、一点に集中して行った。それは、大魔王ゾーマであっても考えの及ばぬ行為である。何故なら、ゾーマの歪む視界に今も、向かって来る勇者カミュの姿が映っているからだ。

 この世にいる多くの愚かな人間であればそれも理解出来る。カミュという勇者諸共、ゾーマを葬り去る為にイオナズンという爆発系最上位の呪文を唱えたのだと。だが、ここまでの戦いの中、大魔王ゾーマは、彼等に対する認識を確定させていた。

 『世に蔓延る愚かで醜い人間という種族とは異なった存在』というカミュ達四人への認識は、この愚考へ結び付く物では有り得ない。ましてや、一度、最高のタイミングで放ったイオナズンでも倒す事が出来ないという事実を見たばかりである中、勇者を捨て駒にしてまで再度イオナズンを唱えるタイミングを探っていたなどとは考えられなかったのだ。

 

「最後だ!」

 

 そのゾーマの認識は決して間違いではない。彼等の頭脳とも言うべき『賢者』という存在は、例え最強の攻撃呪文であるイオナズンであろうと、大魔王ゾーマを討ち果たすまでに至らないという事実をしっかりと受け入れている。その上で、ここまでの一連の攻撃を自身の頭の中で組み立てていたのだ。

 光と音が一気に弾け、視界が真っ白に包まれて行く中、ゾーマは全てを理解する事になる。それは、爆発の中心部へと突き進んで来る一人の青年の姿が見えたからだ。その青年は、光り輝く鎧を纏い、その鎧の輝きさえも霞む程に輝く光の壁によって護られていた。

 リーシャへ放ったバイキルトも、前衛二人を護る為に展開された霧のカーテンも、全てはこの呪文の行使を隠す為の布石にしか過ぎなかったのだ。

 ここまでの戦いの中で、補助呪文に対しては即座に波動を放って打ち消して来たゾーマの姿を見ていたサラは、先にバイキルトを唱え、その後に霧のカーテンをゾーマの眼前に展開する事で視界を歪ませた。それを打ち消した後に即座に補助呪文を行使するという可能性を、ゾーマの認識から除外する為である。

 しかも、その行使は、吹き飛ばされたリーシャを回復しようと動いた時に行われた。故にこそ、カミュの身体を覆うマホカンタという補助呪文を、ゾーマは見逃したのだ。

 

「ぐおぉぉぉぉ!」

 

 一連の行動は、仲間達と言葉を交わして組み立てた物ではない。決め手となるイオナズンもまた、リーシャへと駆け寄った筈のサラが指示を出せる物ではないのだ。

 全ては、彼等四人の間に築かれた絆という信頼あっての物。真っ先に駆け出したリーシャであれば、カミュの攻撃を成功させる為の布石となる攻撃を繰り出すだろう。自分が行使したマホカンタを見たメルエならば、その好機を逃さずに、魔法力を使い切ってでもイオナズンを行使するだろう。そして、マホカンタの魔法力を感じたカミュであれば、その全てを理解して、勝利へと突き進んでくれるだろうという、憶測を超えた信頼を『絆』というのかもしれない。

 マホカンタの光の壁は、イオナズンの爆風及び熱を反射する。つまり、カミュにとって爆発自体がそこにはないのだ。風に逆らう訳でもなく、熱で身を焼かれる訳でもなく、ただただ目の前にいるゾーマへと突き進んだ彼の手にある『生者の王の剣』が、その眉間へと吸い込まれて行った。

 怒りと、後悔の叫びを発しながら、目の前に迫る剣先を見つめ続けたゾーマは、その全てを受け入れる以外になかった。

 

「……見事」

 

 爆風が晴れ、爆心に立っていたゾーマの姿が見えて来る。それに対峙するカミュの腕に武器はなく、既に彼の象徴とも言うべきその剣は、絶対唯一の存在であるゾーマの眉間に深々と突き刺さっていた。

 イオナズンの爆発は、ゾーマの命を奪う事は出来なくとも、その身体を大きく傷つけている。ゾーマが被っていた兜のような物は砕け散り、残っていた一本の腕も見るに耐えない程に焼け爛れていた。

 だが、それでも尚、ゾーマは生きている。カミュが己の武器を手放してまで放った最高の一撃をしても尚、その偉大な存在は消滅する事なく、真っ直ぐにカミュ達を見つめていた。

 

「そ、そんな……」

 

「サラ、大丈夫だ。これで本当に最後だろう……」

 

 本当に全てを投げ打って放った一撃。至高の一撃を放つ為、ここにいる四人全てが己の出し得る全てを出し切った。それにも拘らず、尚も立ち塞がる大魔王という存在に、サラの心は今度こそ折れてしまいそうになる。だが、それは回復を終えたリーシャによって否定された。

 彼女の視線の先にあるのは、その最後の一撃を放った青年の背中。この大いなる旅の始まりとなった者であり、その終止符を打つべき者。眉間に突き刺さる王者の剣をそのままに、一歩も動かないゾーマの前に真っ直ぐに立った勇者が、真の終止符を打つ為に右手を天へと掲げた。

 迸る魔法力の渦。ベホマズンという最大の禁忌を行使してから、温存して来た彼の魔法力全てが今、最大の一手を打つ為に開放される。魔法力がカミュを取り巻くように渦巻き、その回転の速さと魔法力の濃さによって、カミュの周囲に稲光が舞っていた。

 

「……見事であった、勇者カミュよ。だが、余は闇であり、影である。この世界に光ある限り、余は再び生まれるであろう……悪が闇なのではなく、醜く、愚かな人間共が、この世の全てを自分達の物であると驕った時、再び闇は現れる」

 

「……その時は、また新たな生贄が生まれるだけだ」

 

 その光景は不思議と落ち着いた雰囲気を持っていた。倒れ伏したメルエを抱き上げたリーシャも、サラも、そこで口を挟む事など出来ない。大魔王と勇者という対極に存在する者達だけが紡げる言葉であり、終止符であった。

 互いの言葉の中には穏やかな感情があり、小さな笑みさえもある。『もし、自分達が倒される側であれば、あのような顔が出来たであろうか』という不思議な疑問をリーシャが持つ中、サラはカミュが纏っている魔法力の結末へと思考を飛ばしていた。

 

「……さらばだ、勇者よ」

 

「ああ……さらばだ、大魔王」

 

 『雷を支配する呪文』。

 昔、ヤマタノオロチとの対戦後にカミュが発した言葉である。ライデインという勇者が行使出来る、この世で唯一の雷系呪文は、その魔法力で雷を使役する物であった。そして、その上位にある呪文こそが、天の怒りとも例えられる雷を支配する物だという。

 だが、その呪文を見た者はおらず、伝承にさえも残っていない。故にこそ、その正確な力もまた、誰も知らなかった。

 この場所は、地上から遠く離れた地下深くにあるフロアである。空は見えず、雷雲など生み出せる物でもない。支配するとはいえ、雷を地下深くまで届かせる事など、奇跡が起きても出来ない筈。故にこそ、キングヒドラとの戦いでオルテガが放ったライデインという起死回生の一撃は機能しなかったのである。それでも、今、この場にいる誰もが、それは届くと理解し、受け入れていた。

 

「ギガデイン!」

 

 そして、賢者サラは、『雷を支配する』という本当の意味を理解する。

 真っ直ぐに振り下ろされたカミュの腕は、遥か遠い天空の雷に指示ではなく、命を下す。その命は瞬時に届き、全員の耳に凄まじいまでの轟音が響いた。

 まるで、硬い岩を粉砕するような音と、生物の内に潜む潜在的恐怖心を煽るような轟音。そして、それをサラが認識した瞬間、彼女の視界は真っ白に染め上げられた。

 イオナズンの爆発とは異なり、身体的には何の影響も受けない。それでも目を開く事さえも出来ない眩い光が、戦闘によって崩れ落ちた天井の穴を通じて現れ、その輝きは太い一筋の光となって、大魔王ゾーマの眉間に突き刺さった王者の剣へと落ちて行った。

 稲妻は、光の筋となって次々と王者の剣へと降り注ぎ、轟音と共にゾーマを内部から焼き焦がして行く。肉の焼ける不快な臭いと対照的に、その姿は神々しい光を放っていた。闇の体現者が、光の象徴に焼かれて行く。それは、一瞬の出来事でありながらも、息が詰まる程に長い時間でもあった。

 

「……ようやく、終わったのだな」

 

「……はい」

 

 ギガデインという天の怒りをその身に受けたゾーマは、命を失っていた。先程まで見えた色は瞳の中にはなく、焼け爛れた四肢は未だに燻った煙を出しながら垂れ下がっている。それでも尚、その場に立ち続けている姿が、大魔王ゾーマという存在の大きさを示していた。

 ようやく訪れた戦いの終着点を感じたリーシャは、メルエを抱きながらもゆっくりと地面に膝を着ける。最早、彼女達の疲労は極限にまで達しているのだ。身体を横たえれば、即座に眠りに就くであろうし、こうして立っている事が出来るだけでも奇跡なのだった。

 

「なっ!?」

 

 だが、世界は何処までも彼等に厳しい。ここまでの戦いで行使して来たイオナズンによって緩んでいた地盤は、決着の手段として用いたギガデインの威力によって崩壊を始め、その中心となっていたゾーマの足元から崩れ出す。抜けて行く地面がゾーマの身体を奈落の底へと落とし、その姿をカミュ達の視界から奪い去った。

 徐々に広がる床の亀裂は、時間を追う毎にその数を増し、カミュ達に向かって走り出す。亀裂の数が増せば、その部分が闇へと落ちて行った。慌てて立ち上がろうと試みるが、リーシャのみならず、サラさえも立ち上がる事は出来ない。既に魔法力の全てを失ったメルエに至っては、意識を失い、眠りに就いていた。

 駆け寄って来るカミュでさえも、その足取りはおぼつかず、半ば這うようにリーシャ達の傍へと戻って来る。焦りが浮かんでいた顔には、自然と小さな笑みが浮かび、そんなリーシャの顔を見たサラもまた、困ったような苦笑を浮かべた。

 

「残念ですね」

 

「そうだな、残念だ」

 

 大魔王ゾーマは討ち果たした。だが、そこから続く未来を生きる権利は、どうやら自分達には与えられなかったらしい。そう思ったサラは、何処か達観したように言葉を漏らし、それを聞き届けたリーシャは、彼女の頭に手を乗せて柔らかく微笑んだ。

 落ちた時に身を護るアストロンやスクルトを唱えるだけの魔法力の残量もない。既に打つ事の出来る手は残されておらず、目の前に迫る物を受け入れる以外に道はなかった。だが、それでも『残念』であって、『無念』ではない。

 自分達の成し遂げた事は後世に残り、その想いを受け継ぐ者達も後世を歩むだろう。彼等が成した事に無意味なものなど何一つなく、その願いも、その想いも、必ず受け継がれて行く筈である。

 出来る事ならば、そのような世界で生きてみたかった。だが、それが叶わないのならば、せめてこの願いと想いだけでも残して行きたい。そんな二人の笑みを見たカミュは、一つ息を吐き出し、空を見上げた。

 ギガデインによって突き抜けた天までの道は、未だに真っ黒な闇に包まれ、月は見えない。それでも、カミュの目には、明るく浮かぶ小さな月が見えたような気がした。

 

 そして、ゾーマ城の最下層にあるフロアの床が抜けた。

 

 

 




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終結です。

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