新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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エルフの隠れ里①

 

 

 

「カミュ!! 起きているか!?」

 

 辺りも薄暗く、まだ日も昇りきっていない明け方に、カミュは怒鳴り声と、中の状況も確認しないまま突入して来るその声の主に、叩き起こされる事となる。

 気配すら感じる余裕も与えられずに、些か不機嫌になりながらカミュは身を起こした。

 

「……何の用だ?」

 

 半身を起したカミュは、扉を開け放ったままのリーシャを軽く睨む。その口調は冷たく、突き放すような物であったが、リーシャは怯む事はなかった。

 意識はしていないのだが、リーシャにはカミュの表情が何となく読めるようになって来ていた。カミュが『怒り』を感じている時、心底相手にしたくないと考えている時の表情と、リーシャ達三人に向ける表情には僅かではあるが差があるのだ。

 

「起きたか? まあ良い。お前の衣服を全て出せ!」

 

「……は?……追い剥ぎか、アンタは?」

 

 入って来て早々のリーシャの物言いに、状況を掴みきれないカミュはベッドに半身を起したまま呆然と答えるが、当のリーシャはそんなカミュの返答に不服なようだった。

 

「何を言っている? 洗うんだ。お前のマントや衣服も、アリアハンを出てからそのままだろう?」

 

「……洗う?……誰がだ?」

 

「決まっているだろ! 私がだ!」

 

 不服そうにカミュへと口を開いたリーシャの言葉に更にカミュの頭は混乱してくる。リーシャの申し出は衣服の洗濯だというのだ。

 リーシャと洗濯という単語が結び付かないカミュは、尚一層困惑を強めた。

 

「……は?……アンタが洗濯するのか……?」

 

「だから、そうだと言っているだろう!? 今日は<エルフの隠れ里>へ行くのだろう? 時間的に考えて、里に向かうだけならば昼近くに出ても良い筈だ。それならば、皆の衣服を洗濯し干した所で、この天気ならば昼前には乾くだろう」

 

 カミュもリーシャの言う通り、今日は<エルフの隠れ里>に行くだけで、もう一度この村に帰って来るつもりだった。

 だが、その事をリーシャに話した覚えもない。何よりも、出発する時間も計算して、全員の衣服を洗濯するという提案をするリーシャにカミュは珍しく口をポカンと開けたまま、提案主であるリーシャを見つめていた。

 

「な、なんだ? は、早く衣服を渡せ! 早く洗ってしまわなければ、昼前に乾かなくなるぞ!」

 

「……あ、ああ。い、いや、待て……衣服を洗濯している間、俺は何を着ていれば良い?」

 

 カミュの表情を見ていて、自分が言った事が何か恥ずかしい事の様に感じたリーシャは、カミュの衣服を強引に脱がすような勢いで迫って行く。そんなリーシャの気迫に押されるように、首を縦に振ったカミュだが、何かに気がついたように疑問を投げかけた。

 

「ん?……ああ……別に、裸で昼まではベッドで眠っていても良いんだぞ。お前も疲れは溜まっている筈だからな」

 

「……アンタも裸で洗濯をするつもりなのか?」

 

 カミュの問いかけに厭らしい笑みを浮かべ、言葉を返すリーシャ。

 それは、言葉こそカミュをからかっているようだったが、内情はカミュの身を心配するものも含まれていた。

 そんなリーシャに対し、カミュは盛大な溜息を吐き出す。その後にリーシャへと向けられたカミュの瞳は、先程までとは異なり、何かを楽しんでいるような色を宿した物だった。

 

「ば、馬鹿を言うな!」

 

「村の住人は皆眠りについている。誰も見る者はいないのだから、構わない筈だ」

 

 リーシャのちょっとしたからかいは、瞬時に口端を上げたカミュの言葉で、我が身へと倍になって返って来る事となる。

 歴戦の『戦士』であり、男性顔負けの剣技を持つリーシャも歴とした女性であるのだ。誰の視線がないといえども、裸で歩く事など出来よう筈がない。

 

「そんな事が出来るか!……ふぅ……部屋の引き出しの中に、宿屋が用意している部屋着が仕舞ってある。洗濯をしている間はそれを着ていれば良いだろう。ほら、さっさと脱げ!」

 

「……くっくっ……わかった。脱いで下へ持って行く」

 

 カミュに対し声を荒げるリーシャの顔は赤かった。それは、怒りに血が上っているからなのか、羞恥に顔を染めているからなのかは解らない。

 何れにしろ、珍しいカミュの忍ぶような笑い声に驚いたリーシャは、しばらく呆然とした後、慌てたように部屋を出て行った。

 

 

 

 リーシャが出て行った後、カミュは着ている衣服を脱ぎ、部屋にある部屋着に着替え、壁に掛けてあったマント等も抱えて、階下へと降りて行った。

 下に着くと、十数年間眠りについた村に似つかわしくない子供のはしゃぎ声が聞こえて来る。言わずと知れたメルエの声だ。

 カミュと同じように部屋着に着替えているリーシャとメルエ、そしてサラまでもが、一つずつ桶を前にして衣服を洗っていた。

 

「ほら、メルエ、もう少し力を入れないと汚れは落ちないぞ」

 

「ふふふっ。メルエ、泡が顔に付いていますよ。ほら」

 

「…………ん…………」

 

 カミュは、余りにも微笑ましく、自然なその光景に失念していたが、メルエが声を上げて笑うなど、未だ見た事はなかった。

 そのメルエの笑顔は、傍にいるリーシャとサラの笑顔を、より濃い物へと変えて行く。

 

「…………カミュ…………?」

 

 そんな家族の一コマのような光景に暫し見入っていたカミュの存在に気がついたメルエが振り向き、手に泡を大量に付けながらカミュの足元へと歩いて来る。

 

「あ、ああ、おはよう、メルエ。衣服を持って来た」

 

「…………ん…………」

 

 メルエは、カミュの洗濯物を受け取るように、その小さな手を前に出した。

 『渡せ』とでも言うようなメルエの手を見て、カミュは戸惑いを見せる。まず、メルエが洗濯をしている事自体に驚いていたのだ。その上、自身の衣服までも受け取ろうとするメルエをカミュは呆然と見つめてしまう。

 

「い、いや、俺も自分で洗うさ」

 

「…………ん!…………」

 

 メルエの手に戸惑い、それを断るカミュではあったが、手と顔に泡をつけたメルエが、珍しい程強硬に手を突き出す姿を見て、しぶしぶ洗濯物をメルエへと渡す。カミュの洗濯物を受け取ったメルエは、花咲くような笑顔を向けた後、桶の方へと戻って行った。

 そんなメルエの姿に、自然とカミュの口元にも優しい笑みが浮かぶ。メルエの行動を目で追っていたリーシャとサラは、カミュの表情の変化に目を見開くが、二人に見られていた事に気が付き、再び表情を消すカミュを見て、笑いが込み上げて来た。

 

 メルエは、今、三人で行っている洗濯を楽しんでいる。

 洗濯など、一時期は毎日のようにしていた。いや、させられていた。

 その時は、手に付く泡も、朝の冷たい水も大嫌いだった。だが、今は泡も水も、とても素敵な物に感じている。

 隣で自分の手元を見ながら一緒に洗ってくれるリーシャがいて、反対側で微笑みながら自分の衣服を洗っているサラがいる。そんな洗濯が心から楽しかった。

 故に、カミュの洗濯物も受け取る。メルエは、まだこの時間を終わらせたくなかったのだ。

 

「ほら、メルエ。メルエはカミュのマントを洗ってやれ、それ以外はこっちに渡せ」

 

「…………???…………」

 

 洗っている桶の中に次々と洗濯物を入れられる事はあっても、桶から洗濯物を抜かれる事など経験した事のなかったメルエは、不思議そうにリーシャを見上げるが、そのリーシャの表情が優しい笑みである事を確認すると、笑顔を作ってこくりと頷いた。

 ただ、自分の洗濯物を取り上げられたカミュだけは、三人が洗い終わるまで、後ろで三人の姿を見守るしかなかったのだ。

 

 

 

「カミュ、一つ聞いても良いか?」

 

 洗濯物を全員で物干し紐に干した後、リーシャの作った朝食を食堂で食べている時に、メルエの口元を拭っていたリーシャがカミュへと問いかけを発した。

 

「……なんだ?」

 

「<エルフの隠れ里>へ行ってどうするつもりなんだ?……あの老人の話を聞く限り、簡単に許されるような話ではないだろう?」

 

「……そうですよね……」

 

 リーシャの疑問は当然の疑問。昨日の老人の話を聞く限り、エルフの怒りは相当な物である事が分かる。しかも、老人側の言い分でもそれが解る程の物。

 それがエルフ側の言い分という事になると、話は昨日以上の物になる可能性が高い。リーシャもサラもそれが懸念材料となっていた。

 

「……だろうな……おそらくあの老人も、何度も<エルフの隠れ里>へは足を運んだのだろう。だが、会っても貰えてはいないのだろうな。それ程までにエルフの怒りは凄まじい」

 

「……でしたら……」

 

「た、戦うのか?」

 

 カミュの言葉に反応したリーシャの言葉に、カミュは盛大な溜息を吐いた。

 サラも自分の言葉に続いたリーシャの言葉に驚いて振り返っている。リーシャの考えは極論であり、本当に『人』側の考え。自種族の妨げになる者達を力によって捩じ伏せるという最も強行的な物だったのだ。

 

「……アンタは本当に馬鹿なのか?……いや、何度も聞いているから、本当に馬鹿なんだろうな……」

 

「な、なんだと!」

 

 リーシャの口から出た言葉は、最終極論ではあるが、『人』の考えとしては決して間違ってはいない。カミュ達の旅もまた、『人』の世界を蝕む『魔王』という存在を討伐する事が目的の物なのだ。

 つまり、リーシャの発言に驚いたサラも、自身の発言に疑問を持っているリーシャも、若干ではあるが、『人』そのものとしての考えからはみ出し始めている事になる。

 

「今の俺達がどう足掻いても、『エルフ』という種族に対抗は出来ない。それが解らないアンタでもない筈だ」

 

「そ、それはそうだが……だとすれば、どうするつもりなんだ?」

 

 『エルフ』の内蔵している魔法力は、人外の物である。それは、カミュ一行がここまでに対して来た魔物では、比べ物にならない程の物。

 カミュ一行の中にも、魔法の才能を開花させ始めている少女はいる。その少女の才能は、成人の『魔法使い』よりも数段優れているかもしれない。しかし、それでも『人』の枠内の話なのだ。

 

「……話してみるしかない……」

 

「話だと!?」

 

「そ、そんな……カミュ様は『エルフ』に話などが通じると思っていらっしゃるのですか!?」

 

 人外の能力を有しているが故に、『エルフ』は太古より『人』から恐怖の対象として見られて来た。

 それこそ、『人』にとっての魔物と同類の様にだ。

 サラのカミュへの疑問は、そこから来ている。

 

 『<人>は精霊ルビスの子である』

 

 教会が広める教えに基づいた疑問。

 『精霊ルビス』の加護があるのは『人』である者だけというのが、教会が広く世界に発信しているものである。それは、裏を返せば、『人』以外の生物には『精霊ルビス』の加護は届かず、生きる権利すら認められていないという事。

 如何に言語を有し、文化を築いていたとしても、話すら通じぬ低俗な存在として評価されているのだ。余談になるが、それは『精霊ルビス』以外を崇める異教徒も同じとなる。

 

「……あの老人の話を聞けば、『エルフ』も俺達の言葉は通じている筈だ。言語が同じであれば、話は出来る」

 

「……それでも……」

 

 『エルフ』という種族に対するカミュの考え方は、教会の教えしか知らないサラにとっては、納得の出来る物ではない。

 尚を言い募ろうとするサラを見て、カミュは一度大きく息を吐き出した。

 

「……アンタの様な教会の人間が考える事は大体解る。しかし、俺にとっては、『人』を快楽の為に殺す盗賊や、自分が国で一番偉いのだと踏ん反り返る国王などよりも、『エルフ』の方が遥かに話は通じる筈だと思っている」

 

「……カミュ……」

 

 『一番偉いと踏ん反り返る国王とはアリアハン国王の事なのか?』

 その疑問が浮かぶリーシャであったが、カミュの考え方をこれまで見て来た分、ここで激昂する事はなかった。

 それよりも、カミュが『魔物』だけではなく、『エルフ』までも『人』と区別する事がない事に、純粋に驚き、そして何処か納得していたのだ。

 基本的に、カミュは他人を差別する事がない。それは決して良い意味ではない。自分以外の者は総じて他者なのだ。

 誰をとっても、それが『人』だろうが、『魔物』だろうが、『エルフ』だろうが変わらない。カミュの心の中の線引きは解らないが、皆興味のない他者という括りなのかもしれない。

 リーシャはただ、『自分も、自分達もカミュにとって、初めて会う<エルフ>と変わらない位置にいるのだろうか?』という疑問だけが心に残っていた。

 

「この村から<エルフの隠れ里>までは、そう掛からないはずだが、昼過ぎに出るのであれば、着く頃に夜になる可能性もある。今の内に身体を休めておけ」

 

 カミュのその言葉を最後に、一行の朝食は終わりを告げる。そのままカミュは二階にある自分の部屋へと上がって行き、残ったリーシャ達も食器の片付けが終わった後、各自の部屋で身体を休める事にした。

 

 

 

 一行が干してあった衣服に着替え、<ノアニール>の村を出たのは、リーシャの目測通り、太陽が頂上を過ぎた頃だった。

 村を出た一行はそのまま真っ直ぐ西へと歩き出す。汗の臭いが染み付いていた衣服は、太陽と微かな石鹸の匂いが漂っている。

 メルエは自分の衣服から漂う匂いと、いつも包まっているカミュのマントの匂いに満面の笑顔を作りながらカミュの後ろを歩いていた。

 リーシャやサラが、それぞれの胸の内に『エルフ』の存在の大きさを抱えている中、メルエに至っては全く関係のない事だったのであろう。

 メルエは教育を受けていない分、カミュと同じように生き物を差別はしない。簡単に言えば、『好き』か『嫌い』の二種類しかないのだ。

 

「カミュ、方角はこっちで良いのか?」

 

 後ろからかかるリーシャの声に、先頭を行くカミュは一度振り向くが、答える事なく再び歩き出す。カミュが迷いなく進むのであれば、それが正しいのだろうというアリアハンを出てからの常識と化した事柄がなければ、カミュの態度にリーシャは腹を立てていたかもしれない。

 

「メルエ! 余りはしゃぎ過ぎると、転んでしまうぞ!」

 

「…………ん…………」

 

「うふふっ」

 

 お気に入りの<とんがり帽子>もアンの花冠を外してから洗い、アンの花冠の匂いと同様に良い香りに包まれた事が、メルエにはとても嬉しかった。

 何度も何度も帽子をとっては、花冠を見、そして被り直す。リーシャの注意にも、笑顔を見せながら頷く様子に、サラは自然と頬が緩んで行った。

 そんな和やかで微笑ましい時間も、いつもの様に無粋な乱入客によって壊されてしまう。先頭を歩くカミュが、背中の鞘から<鋼鉄の剣>を抜いたのだ。

 

「リーシャさん!」

 

「わかっている! サラ、私の後方へ! カミュ、メルエを頼んだぞ!」

 

 カミュの剣が抜かれた事により、サラとリーシャも戦闘態勢に入る。せっかくの良い気分を邪魔された形となったメルエの機嫌も急降下して行った。

 剣を構え、カミュが見据える先に、魔物の群れが出現する。その姿を見たサラが、以前見た時と同じように呻き声を上げて口を押さえた。

 辺りに瘴気と異臭を放つような腐りきった身体。瞳は垂れ下がり、涎なのか腐敗した体液なのか区別できない物を口から垂れ流している。

 

「ウゥゥゥゥゥゥゥ」

 

「メルエ! 詠唱の準備をしろ!」

 

 リーシャがメルエに魔法の行使を促す。だが、メルエの表情は先程まで不機嫌に膨れていた物とは違い、眉はハの字に下がり、瞳は自信なさ気に潤んでいた。

 

「……大丈夫だ……もう魔法は使える。メルエが昨日ぐっすり眠ったのなら大丈夫だ」

 

「…………ん…………」

 

 メルエが心配している内容に気がついたカミュが、メルエの肩に手を置き、諭すように語りかける。メルエはカミュを見上げ、下がっていた眉を上げて力強く頷いた。

 狼と言えない程のスピードでゆっくりゆっくりとカミュ達を取り囲んで行く魔物達。その数は四体。

 以前現れた<アニマルゾンビ>に酷似している魔物。だが、<アニマルゾンビ>よりもその身体の腐敗は凄まじく、もはや元の色など想像が出来ない程の色をしていた。

 

<バリィドドッグ>

<アニマルゾンビ>と同様、狼などの死体が魔王の影響で蘇った魔物である。<アニマルゾンビ>よりも現世に留まっている期間も長く、その身体の腐敗は進み、近づくだけでも周囲に腐敗臭が漂う。それは、通常の人間であれば嘔吐を繰り返してしまう程の物であった。現世に留まる期間が長い分だけ、人の死肉を食らう機会も多く、腐敗臭に加え、凄まじいまでの死臭も纏う魔物である。

 

「ウォォォォォォォン!!」

 

 カミュ達が戦闘態勢に入り切る前に、一匹の<バリィドドッグ>が遠吠えの様な声を上げる。その遠吠えに、魔法の行使の可能性を感じたカミュは、意識をしっかりと保つため、口の中の肉を奥歯で噛み切った。

 意識が薄れる事はなく、一見何の影響も受けた形跡はなかったが、一瞬パーティー全員の身体が弱く光っていた事からも何らかの魔法を行使された事は間違いがない。

 

「……気をつけろ。神経性の魔法ではないようだが、何かしらの魔法を行使している可能性が高い」

 

 カミュの言葉に頷いたリーシャが、一匹の<バリィドドッグ>に狙いを定め、一刀を振るう。リーシャの剣速はいつもと同じ。つまり、<アニマルゾンビ>が行使した<ボミオス>ではない事が証明された事となる。

 ロマリア大陸に入り、確実に腕を上げているリーシャの一刀は、動きの緩慢な<バリィドドッグ>の身体へ吸い込まれるように入って行く。腐りきった肉に入って行ったリーシャの剣は、一体の<バリィドドッグ>の首を斬り落とした。

 異臭を放つ体液が零れ落ち、周囲にとてつもなく不快な臭いが漂う。

 

「…………ギラ…………」

 

 体液が身体に付着しないよう飛び退いたリーシャの帰りを待っていたかのように、メルエの詠唱が完成した。

 メルエの右腕から発せられた熱風は、首の落ちた<バリィドドッグ>とその後ろに控えていたもう一体を包み込むように炎を生み出した。

 

「キャイ――――――ン!」

 

 首の落ちた一体は、完全に炎に包まれ、その腐敗しきった身体を燃やして行く。後ろにいたもう一体もまた、周囲を炎に満たされ、逃げ場もなく叫び声を上げながら地獄の業火に包まれて行く。

 

「……すごい……」

 

 再び呪文の詠唱が可能な事を教えられたメルエは、自信を持って詠唱を行った。

 そのメルエの自信に応えるように、その腕から巻き起こされる炎は、<シャンパーニの塔>で使用した時よりも威力を増していたのだ。

 そして、いつもの様にその威力に見惚れてしまったサラは、残る魔物の行動を見落としてしまう。 

 

 出現した<バリィドドッグ>は四体。

 そして炎に包まれた物は二体。

 ならば、残る魔物の数は二体の筈なのだ。

 

「サラ!」

 

「はっ!?」

 

 リーシャの声に我に返ったサラが見た物は、緩慢な動きをしながら自分に牙をむける<バリィドドッグ>であった。 

 リーシャの声が早かったため、今なら、左手に持つ<青銅の盾>が間に合う。頭で考えるよりも早く、サラの左手が上がり、<バリィドドッグ>の牙を抑えたかに見えた。

 

「キャ――――!!」

 

 しかし、サラが完全に防御をしたと思われた<バリィドドッグ>の牙が、青銅で出来ている筈の盾を食い破ったのだ。

 手に持っていた<青銅の盾>を容易く破られたサラの左腕は、牙が突き刺さり、盛大にその生命の源である血液を流し始める。

 

「ちっ! <ルカナン>か!?」

 

 カミュが舌打ちと共に、サラに襲いかかった<バリィドドッグ>を斬り捨てる。切り捨て際に<メラ>を放ち、その斬り口に火球を送り込んだ。

 斬り捨てられ、体内を焼かれた<バリィドドッグ>は絶叫を上げながら絶命し、残る魔物は一体。

 再度詠唱しようと手を挙げたメルエを抑え、<バリィドドッグ>にリーシャの剣が振るわれる。

 

「防御力が下げられている! 敵の攻撃は盾で防ごうとするな!」

 

「わかった!」

 

 魔物へと向かったリーシャに向け、カミュの言葉が飛んだ。

 カミュの方に視線を向ける事なく、リーシャは理解した事を示し、迎撃態勢に入っていた<バリィドドッグ>の牙をかわし、その胴体に<鋼鉄の剣>を滑り込ませる。派手に腐敗した体液を飛び散らせ、上半身と下半身を分断された魔物は、その内臓を引き摺りながら、尚もリーシャへと牙を向けた。

 

「メラ」

 

 大きく開けられた<バリィドドッグ>の口の中に、カミュの指先から発せられた火球が吸い込まれて行く。体内へと入って行った火球により、喉を起点に焼かれていく魔物は断末魔の叫びを上げる事も出来ずに地に伏して行った。

 

「サラ! 大丈夫か!?」

 

 魔物の掃討を確認したリーシャが、サラへと駆け寄って行った。

 <バリィドドッグ>の牙が突き刺さっていたサラの左手からは、真っ赤な血液が流れ落ちている。それは、昨日の雨が乾いた大地へと吸収される事なく、血溜まりを作っていた。

 

「……毒は受けていないようだな……」

 

「…………サラ………いたい…………?」

 

 リーシャに続いて到着したカミュの安堵を含ませた言葉に、メルエの心配そうな声。それは、ここ最近悩みがちであるサラの乾いた心を潤して行く。

 

「だ、大丈夫ですよ、メルエ……ホイミ……」

 

 痛みに歪んだ顔を無理やり笑顔に戻し、サラは回復呪文を詠唱する。穴が空いたような左手首を、淡い緑色の光が修復して行った。

 一度の詠唱では全てが修復されず、再度サラは<ホイミ>を唱る。最近では、一度の<ホイミ>では修復しきれない傷が多く、サラは最下級回復魔法である<ホイミ>の限界を感じていた。

 

「……しかし、あの魔物が唱えた魔法は何だ? 前に、身体能力が落ちた者と同じか?」

 

「……俺はアンタに防御力が下げられている事を伝えた筈だが……」

 

 自身が疑問に思った事を何でも口にするリーシャに、カミュは呆れた溜息を吐き出した。

 確かに、カミュはリーシャに向かってその魔法の属性を伝えている。しかも、それに対して、リーシャも頷きを返しているのだ。

 

「そ、そうだったな! では、あれは<ルカニ>か!?」

 

「いえ。<ルカニ>は単体に効力を発揮する呪文です。あの魔物が遠吠えをした瞬間、私達全員の身体が光りました。であれば、おそらくあれは複数を対象とする呪文である<ルカナン>だと思います」

 

 カミュの防御力低下という言葉に、リーシャはここ最近受けていた授業の内容を必死に思い出す。そして辿り着いた答えを、自信を持って告げるのだが、それはカミュではなく、彼女の講師をしていたアリアハン教会の僧侶によって否定されてしまった。

 

「……アンタ、しっかりと教えを受けているのか?」

 

「くっ! 少し間違えただけだ! 効果は合っているんだ! あながち、不正解という訳でもないだろ!」

 

 サラの容赦のない採点。

 呆れたようなカミュの呟き。

 リーシャは居た堪れない気持を抑えきれず、顔を赤くしながらカミュへと唾を飛ばす。

 

「…………ん…………」

 

「……ん?……ああ、メルエ、よくやった。また魔法が使える事は解ったか?」

 

 拳を握り締めながら羞恥に耐えるリーシャに向かって、そこまでの会話を全く無視するように、<とんがり帽子>を脱いだメルエがリーシャへと頭を突き出してきた。

 もはや、メルエが魔法によって魔物を倒した時の恒例となった儀式。お褒めの言葉を掛けながら、リーシャが優しく頭を撫でてやると、メルエは嬉しそうに頬を緩め、目を細めていた。

 

「さ、さあ、行きましょう。私の傷ももう大丈夫ですので」

 

 カミュがリーシャをからかい、リーシャが怒る。そして、それに割り込むようにメルエが現れ、場が和む。そんな、このパーティー独特の流れが出来始めていた。

 サラはこの空気が好きになりかけている。そんな空気の中にいる自分も含めて。

 

 

 

 それから先、何度か魔物と遭遇しながらも順調に歩を西に進める一行は、陽が傾き始め、西日と変わる頃に、木が鬱蒼と生い茂る森へと辿り着いた。

 

「……老人の話では、この森の中に<エルフの隠れ里>があるという事だが……」

 

「こんな所まで、あの方は一人で来ていたのですか? それならば、<西の洞窟>と呼ばれる洞窟にだって……」

 

「いや、それは無理だ、サラ。洞窟内は逃げ場がない。それに、基本的に洞窟内では<聖水>の効力は届かない。ここまでであれば、<聖水>を大量に自身の身に振りかければ、なんとか来る事も出来よう」

 

 <ノアニールの村>を出て、この村まで歩き、そして森の中を通って<エルフの隠れ里>まで老人が来ていたという事に、サラは昨晩から感じていた疑問をつい口に出してしまった。

 しかし、それは即座にリーシャによって否定される。確かにリーシャの言う通りの行動を取り、太陽の光が届く所であれば、魔物を寄せ付けない状況を作り出す事も可能であろう。それでも、サラの表情は晴れなかった。

 それがサラの苦悩の深さを如実に表している。

 

「……あの老人の事は、この際どうでも良い……行くぞ」

 

 冷たく言い放ったカミュが先頭に立って森の中に入って行く。表情が優れないサラも、考えるのを中断し、カミュの後を追って森の中に入って行った。

 

 

 

「あの老人は、エルフに会ってもらう以前に、里に辿り着けてもいないようだな……」

 

 森に入って暫く歩いた時、不意にカミュが口を開いた。

 その言葉にリーシャは不思議そうに森の中を見渡すが、特に変わった様子もない。しかし、森に入ってから、一行は魔物に一度も遭遇してはいない。いや、魔物の気配すらも感じていないのだ。 

 このような広い森の中で魔物と遭遇しない事は、珍しいというよりも、異常な事であった。

 

「……どういう事だ、カミュ?」

 

 リーシャの疑問に振り返ったカミュの顔は呆れ顔だった。

 『また、何か変な事を言ってしまったか?』という不安がリーシャを襲うが、静かにカミュは口を開いた。

 

「……アンタは何も感じなかったのか? そっちの僧侶は気が付いていたみたいだが?」

 

「なに!? サラ、何かあったのか!?」

 

「えっ!? あ、い、いえ、何か違和感があるだけです」

 

 そうなのだ。

 カミュは、森に入ってから、奇妙な感覚に襲われていた。

 一瞬、眩暈のような感覚を覚え、目を瞑った後に開いた瞳に映った森には、何か違和感があった。それは、カミュだけではなく、サラも感じていたのだ。

 

「……おそらく、『エルフ』の結界か何かだろう。里に『人』を近付けない為の処置なのか、魔物が森に入り込まない為の処置なのかは知らないが……」

 

「結界だと!?」

 

 カミュの考えは、あながち的外れとは言えないものだった。

 『人』と『エルフ』という異種族は、昔から相容れない者として争いを続けて来た歴史がある。しかも、それは大昔の話ではない。故に、『エルフ』が『人』を敵として認識していてもおかしくはないのだ。

 『人』が『魔物』と『エルフ』を恐れるように、『エルフ』も『人』と『魔物』を排他しようとしても何ら不思議な事ではない。

 

「そんな……話し合いにも応じようとしないのですか?」

 

 カミュの言葉と自分の感じる違和感の正体を理解したサラは、絶望にも似た表情を浮かべ、自身の胸に湧き上がる想いを口にしてしまう。しかし、その小さな呟きは、隣に立つ『勇者』の耳にしっかりと届いていた。

 

「……そんな事は、アンタのような教会の人間もまた、同じ筈だ」

 

「そ、そんな事は!?」

 

 サラが漏らした感想にカミュが冷たく呟く内容は、サラにとって許容できない物。

 しかし、ここまでで『人』の醜い部分を知ってしまったサラには、カミュに強く反論するだけの自信がなくなって来ている事もまた事実であった。

 

「……メルエ、どうした?」

 

 俯いてしまったサラを一瞥した後、カミュは会話に参加せずに一点を凝視しているメルエに気が付いた。

 メルエは木の上の方を見上げていたのだ。

 

「……ま……まさ…か……また……なのですか……?」

 

 カミュの声に顔を上げたサラは、メルエを見て、以前の宿営地での出来事を思い出してしまう。

 メルエだけが見える住人達。それがここにもいるのではないかと。

 

「…………あれ…………」

 

「ん?……ああ。メルエ、あれは『リス』だ」

 

 振り返ったメルエは、見上げていた木を指差し、首を傾げる。そんなメルエの指差す方向を見て、メルエが見ていた小動物の名前を、リーシャは微笑みを浮かべながら教えた。

 メルエは『リス』を見た事がなかったのだろう。リーシャが紡ぎ出した小動物の名を、何度か反芻した後、嬉しそうに微笑み、再び木の枝の上で木の実をかじるその動物を見上げていた。

 

「ふぅ……驚かせないで下さいよ、メルエ」

 

「なんだ? サラは幽霊でも見つけたとでも思ったのか? 怖がりだな」

 

 安堵の溜息を洩らすサラに対して言葉を掛けるリーシャの頬は明らかに緩んでいる。からかっている事が丸解りだ。

 

「ち、違いますよ! わ、私は『僧侶』です。霊の存在など恐怖の対象ではありません!」

 

「ほう……そうなのか?」

 

 そんなリーシャの心の中が透けて見えたサラは、顔を赤くしながら反論する。その声は自然と大きくなり、森の中に木霊した。

 生い茂る木々の間を抜け、サラの声が森の中を響き渡る。

 

「…………あ…………」

 

 そんなサラの叫びに驚いてしまった『リス』が、木の枝で食べていた木の実を口に頬張り、逃げ出してしまう。残念そうに肩を落とし、サラへと振り返ったメルエの瞳は、鋭く睨みつける物だった。

 

「あ、あの……メルエ?」

 

 メルエの厳しい視線を受けたサラが、窺うようにメルエの名前を呼ぶ。しかし、サラの視線を無視するように、メルエの口が小さな呟きを洩らした。

 

「…………サラ………きらい…………」

 

「はうっ!」

 

 久しく聞いていなかったメルエの拒絶。

 可愛く頬を膨らましながら睨みつける姿は、リーシャにとって微笑ましい物であったが、当のサラにとっては、十分痛い物となっていた。

 

「さて、どうしたものか……」

 

 そんな一行の和やかムードも、カミュの一言で吹っ飛んでしまう。森に入ったは良いが、正直今のカミュには、この森から里に行く事も出る事も儘ならなかった。

 

「…………リス…………」

 

 カミュと同じように途方に暮れていたリーシャとサラであったが、突如メルエが、先程見ていた小動物を再び見つけて、そちらに駆け出してしまった。

 三人が気付いた時には、メルエが駆け出した後。

 

「お、おい! メルエ!」

 

 メルエを追ってリーシャが駆け出す。そんな状況に、諦めの溜息を吐いたカミュは、ゆっくりと歩き出した。

 取り残されたサラは、自分の身を覆うような不思議な感覚に戸惑いながらも、一度周囲を見渡した後、カミュ達を追って森の奥へと走って行った。

 

 

 

「メルエ! 勝手に走って行っては危ないだろ!」

 

「…………リス…………」

 

 考えていたよりも速いメルエの足に四苦八苦しながら、ようやくその小さな身体を捕まえる事に成功したリーシャは、メルエの帽子を取って軽く拳骨を落とす。リーシャの拳骨を受け、手を頭に乗せたメルエの眉はハの字に下がり、か細い声で言い訳を口にした。

 

「メルエ……メルエが『リス』を初めて見て、嬉しくなるのも解る。だがな、こんな森の中を一人で走り出してしまったら、迷子になってしまうだろう? そんな事になってしまったら、私達と二度と会えなくなってしまうかもしれないんだぞ」

 

「…………いや…………」

 

 リーシャの言葉を正確に理解したメルエの眉が益々下がって行く。哀しそうに瞳を伏せたメルエは、拒絶を示すように、小さく首を横に振った。

 

「そうだろ? 私もメルエと会えなくなるのは嫌だ。だから、一人で勝手にどこかに行ってしまわないでくれ」

 

「…………ん…………」

 

 リーシャの真剣な表情。

 そして、真剣な訴え。

 メルエの未来への道を抉じ開けてくれた人物を、これ程に困らせてしまった。その事がメルエは非常に悲しかった。

 目に涙を溜めながらこくりと頷くメルエに、リーシャは笑顔で頷く。お互いを想う二人には、周囲に気を払う余裕はなかった。

 

「……すごいな……」

 

「……カミュ様……これは……」

 

 故に、その空間の異様さに気が付いたのは後から来たカミュとサラの二人となる。

 そこは、カミュですら目を見張る程、異様な光景が広がっていた。木々が奇妙に曲がり、アーチを描いている。その木々は枯れ果てた物ではなく、青々と葉が茂っており、人工的に無理やり曲げたというよりも、自然にそのような形になったと言われても納得してしまうような代物であった。

 両側の木々がアーチを描いたトンネルは、カミュ達を歓迎するかのように、その奥へと誘う。導かれるように、誘われるように、メルエがその木々のトンネルの中へと足を踏み入れた。

 

「メ、メルエ! 私の話に納得したのではなかったのか!?」

 

「…………メルエ………走って………ない…………」

 

 先程自分がメルエにした注意を無視される形となり、リーシャはメルエへと叫ぶが、不思議そうに振り返ったメルエは、<とんがり帽子>のつばを握りながらリーシャへと反論を始めた。

 そんなメルエに溜息を吐きながら、リーシャは何故かカミュへと視線を移す。リーシャの視線を受け、カミュは一つ頷き、メルエの後に続いて木々のトンネルへと入って行った。

 その後を、リーシャとサラも続き、先が暗い闇に閉ざされるトンネルの奥へと進んで行く事となる。

 

 

 

「……ここが、<エルフの隠れ里>ですか?」

 

 トンネルを抜けた場所に佇み、サラが呆然とそこから見える景色に見入っていた。

 そこは木々が生い茂り、花が咲き乱れ、心地よい風が吹いている。馬が近くを通り、その馬を引いているのは、『人』に見えるが、『人』成らざる者。『人』どころか『魔物』よりも強い魔法力を持つ『エルフ』であろう。

 

「……すみません……ここは<エルフの隠れ里>でよろしいでしょうか?」

 

 呆然とするサラを放って、カミュが一人のエルフに話しかけた。

 そのエルフは年若く、サラと同年代に見える。

 

「ええ、ここは<エルフの隠れ里>よ。……あっ!?……アナタ方、人間ね!? 人間と話す事など出来ません!」

 

 にこやかに振り返り返答したエルフの女性は、カミュの姿を見て、驚愕の表情を浮かべた後、脱兎の如く、里の奥へと逃げて行った。

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ! カ、カミュ……どういう事だ?」

 

「……」

 

 凄いスピードで走り去るエルフに驚き、声を上げたリーシャは、追う様に挙げた手のやり場を失くし、手を挙げたまま眉尻を下げ、カミュへと振り返る。しかし、カミュの表情は濃さを増した無表情が張り付いていた。

 

「……カミュ様……」

 

「……とにかく中に進む……」

 

 リーシャの表情を見て、不安が広がったサラまでもカミュの方へと視線を向けた。

 二人の表情に自然と、カミュのマントの裾を握っていたメルエの手の力も強くなる。カミュは、三人の視線を一身に受け、里の奥へと目を向けながら一言だけ答え、歩を進めた。

 

 

 

「貴方方『人間』には物を売りませんわ。お引き取りあそばせ」

 

 里の奥に入ると、一軒の店が開いていた。里の状況を聞こうと、カミュが声をかけた所、身も蓋もない言葉が返って来る。それは、完全なる拒絶。

 カミュやリーシャを拒絶しているのではなく、『人』を拒絶しているのだ。

 

「いや、物を欲っしている訳ではないのだ!」

 

「お引き取りあそばせ……」

 

 リーシャが弁明をしようと口を開くが、それに被せるように口を開いたエルフの言葉はまたしても拒絶。仕方なく、一行は店を離れた。

 

「ひぃ、人間ね! キャ―――!! 攫われてしまうわ!」

 

 店から離れた場所に立っていたエルフの女性に至っては、カミュ達の姿を見るや、叫び声を上げて逃げ去ってしまう。

 

「……どうしてこのような……『エルフ』を攫うなど……」

 

「実際に、そういう事があった筈だ。何もなければ、これ程に『人』を恐れ、拒絶する事はない」

 

「……そ、そんな……」

 

 逃げ去っていくエルフの背中を見つめながら溢したサラの言葉は、カミュによって斬り捨てられた。

 今、目の前で起こっている状況がサラにはいまいち掴みきれない。

 『何故このようなことが起こっているのか?』

 『何故、自分達がこれ程拒絶されなければいけないのか?』

 いつも一行以外の他人にあまり興味を示さないメルエまでも、どこか怯えたような瞳をカミュへ向けていた。 

 

「……相当嫌われているな……老人の言っていた女王に会う事など出来るのか?」

 

「ど、どうするんだ? このままでは、話等夢のまた夢だぞ」

 

 嘆息と共に吐き出されたカミュの言葉に、リーシャも同意を表す。確かに、この里に入ってからの住民の反応を見る限り、とてもではないが友好的とは言い難く、この里の長である女王もまた同じ感情を『人』に対して持っている事も明白である。

 

「…………みんな………メルエ………きらい…………?」

 

「メルエ……いいえ、メルエの事が嫌いなのではないのです。ただ……」

 

 歯切れの悪いサラの答えに、メルエの首は傾き、救いを求めるようにカミュを見上げる。メルエの視線が自分から映った事に気が付いたサラもまた、このパーティーのリーダーであり、この世界の勇者である青年へと視線を移す。

 自然と三人全員の視線が再びカミュへと集まって行った。

 

「……ここでこうしていても仕方がない。とりあえずは、女王がいる場所へと移動する」

 

 周囲を見渡すように視線を巡らせたカミュは、メルエやサラの疑問には答えずに、今後の方針を口にする。自分の問いかけに対し、明確な答えがなかった事で、メルエの眉は下がったままとなっていた。

 

「移動と言っても、女王様のいる場所など解るのですか?」

 

「……少しは自分で考えてくれ……まずは、ここから見える中で一番大きな建物を目指す」

 

 全ての疑問を自分に向けてくる仲間達に、若干疲れた顔をしたカミュが、方針を説明し歩き出した。疑問を投げかけたサラも、気不味い表情を浮かべその後を付いて行く。

 

 

 

「何用か? ここは我らが女王様のおわす館。そなた等の様な『人間』が立ち入って良い場所ではない。お引き取りあれ」

 

「…………」

 

 カミュが指差したこの里一番の大きさを誇る建物には、これまた女性のエルフ騎士が門番をしていた。

 その姿はどこかリーシャを彷彿とさせるような立ち振る舞いで、カミュのマントの裾を握っていたメルエは、門番とリーシャを交互に見比べていた。

 

「……初めまして。私は、アリアハンのカミュと申します。この近くの村、<ノアニール>について女王様とお話をさせて頂きたく、お取次ぎをお願いしたいのですが」

 

「先程申した筈だ。そなた等『人間』と話す事など何一つない。早々に立ち去れ!」

 

 仮面をつけたカミュの言葉にも、冷たく突き放す門番。

 話をする以前の問題なのだ。

 

「……どこにおいても、『戦士』という職業は脳筋馬鹿ばかりなのか?」

 

「……カミュ……それは私も含まれているのか?」

 

 カミュの小さな小さな呟きは、隣にいるアリアハンからの付き合いとなる『戦士』にだけは聞こえていた。

 カミュの物言いには腹が立つ。だが、この門番が行っている事や言っている事は、仕事柄当然の事でもあるが、リーシャも、この門番の頭の固さには溜息を吐きたくなっていたのだ。

 その門番と自分がイコールで結ばれてしまう事に、リーシャは些か落胆していた。

 

「私達は『人間』ではありますが、女王様をはじめ、『エルフ』族に危害を加える気は全くございません。何卒、お取次ぎをお願致します」

 

「ふん! そんな事が信じられるとお思いか?……我らがどのような苦しみを味わったかを知っているのならば、そのような言葉が口から出る事などあり得はしない」

 

 深々と頭を下げるカミュの嘆願も、この門番には演技にしか見えていなかった。

 そして、頭を下げていたカミュも、門番の最後の言葉に、諦めにも似た表情を浮かべて顔を上げる事しか出来なかった。

 

「…………メルエ…………だめ…………?」

 

 カミュ、リーシャ、サラの三人が、エルフの長と会う事を半ば諦めかけた時に、今までマントの裾を握りながら、門番を見つめていたメルエが口を開いた。

 つい先日、初めての友人を得て、『他人』からの好意という存在を知ったメルエは、他人からの拒絶に関して敏感になっている。カミュ達一行は、もはやメルエにとって家族の様な物。それ以外の『人』からの嫌悪や敵意という物は、その小さな胸を締め付ける程の威力を誇ったのだ。

 メルエから見れば、『人』も『エルフ』も大した違いなどない。いや、もしかすると、カミュ達さえ剣を抜かなければ、『魔物』とて、先程目にした<リス>とそう違いがないのかもしれない。

 

「む!?……幼き者、そうではない。何もそなたが悪い訳ではないのだ。う~む……どう申せば良いか……うぅぅ……」

 

「…………」

 

 そんなメルエの純真な問いに、真剣に考え込んでしまう門番を見て、カミュの口元に変化が表れる。

 この門番は、良くも悪くも真面目なのだ。『人』を嫌悪してはいるが、それは個人ではない。メルエという人格を否定している訳ではない。それでも、『人』を許す事が出来ない。

 それが、この門番を悩ませている。

 カミュは、何故かこの門番の姿を好ましいと思った。

 凝り固まった固い頭の中に自分の感情や考えがあるにも拘わらず、それでも自分の中で新しく考えようとする気持ちがあるこの人物を。

 それは、最近少しずつ変化を見せ始めている誰かに似ているからなのかもしれない。

 

「う~む……はっ!? あっ!……か、畏まりました……女王様がお会いして下さるそうだ。失礼なきよう気をつけよ」

 

「え!?」

 

「……ありがとうございます」

 

 メルエの問いに尚も頭を捻っていた門番の女性エルフは、突如何かに導かれるように顔を上げ、まるで誰かと会話をしているような仕草をした後、門を開け、カミュ達を中へと促した。

 門番の変貌に驚きの声を上げるサラであったが、カミュは門番に恭しく頭を下げる。そして、それを見ていたメルエも、門番に可愛らしく頭を下げた。

 メルエの姿に、今まで険しい顔をしていた門番の頬も少し緩んだように見えた。

 

「……幼き者よ。一つだけ憶えておいてくれ。私達は皆、そなたの事を嫌っている訳ではない。ただ……そなたと同じ『人』が犯した行為を忘れる事が出来ないのだ。出来る事ならば、そなたの様な瞳を我らに向けてくれる『人』が育ってくれる事を願っている」

 

「…………ん…………」

 

 カミュに続いて門へと入ろうとするメルエに向かって語った門番の言葉は、サラの胸に矢の様に突き刺さり、思わず顔を上げてしまった。

 『人』が犯した行為。それがどれほどの事なのかは解らない。ただ、『エルフ』全体にここまでの感情を持たせてしまう程の事なのは間違いがないだろう。

 それ程の事なのにも拘わらず、同じく『人』であるメルエに対し笑顔を作る事が出来る彼女に、サラは再び悩み出す。

 

『果たして、自分はこのように『魔物』に対し笑顔を向ける事が出来るのだろうか?』

 

 親を殺されたという事は、とてつもない哀しみである事は間違いがない。しかし、この里を見た限り、『エルフ』達はそれ以上の哀しみを受けた可能性を否定は出来ない。サラは、また深い悩みに落ちて行くのだった。

 

 

 

「よくぞここまで辿り着けましたね。貴方方の中には、余程純粋な者がいるのでしょう。ここへの入口に辿り着く事は、通常の『人』には到底不可能な筈です」

 

 案内された先の広間に着くと、前方の玉座に一人の女性が座っていた。

 歳の頃は解らない。門番の女性とそう変わらない歳にも見えるし、若干上にも見える。いや、もしかしたら下なのかもしれない。

 『エルフ』は人間の寿命とは比べ物にならない程の寿命を持つ。それは、数百年単位であり、長寿となれば千年を超える者もいるのかもしれない。

 

「……初めてお目にかかります。カミュと申します。女王様へご拝謁出来る栄誉を賜り、有難き幸せに存じます」

 

「……知っております。ふむ。そなた等がここに来る事が出来たのは、そこの幼き者のお蔭なのですね。これ、そなたの名は?」

 

 名乗りを上げたカミュを一瞥した女王は、すぐに興味を失くしたように視線を動かす。女王の『知っている』という言葉の意味する事を理解出来ずに、カミュは女王の視線の先で跪いている幼い少女を紹介する為に口を開いた。

 

「この者は……」

 

「よい! 直答を許します。して、そなたの名はなんと申す?」

 

 女王の問いに、答えようとしたカミュの言葉を途中で遮り、もう一度女王はメルエへと問いかける。リーシャと一緒に可愛らしく膝をついていたメルエは、大いに困惑していた。

 横にいるリーシャがメルエの小さな背中を軽く押してあげる事で、ようやくメルエの顔が上がる。

 

「…………メルエ…………」

 

「ほう……メルエと申すか……ふむ。そなたにも、何か懐かしい風を感じますね」

 

 メルエの名乗りに何やら考え、意味深な言葉を残す女王にメルエは小首を傾げていた。

 それは、カミュ達も同じ。特に、サラは、女王の『そなた<にも>』という部分に引っかかりを覚えていた。

 

「……それは良いとして、そなた等『人間』がここに一体何の用ですか? 我々は『人』であるそなた等とは関わり合いを持たぬ事にしておる。用がないのなら早々に立ち去るが良い」

 

「……はい。此度は女王様に嘆願を致したく、ご尊顔を拝しました。この近くに<ノアニール>という村がございます。その村の住人は全て、十数年の眠りに落ちております。それらは、女王様のお力という事をお聞き致しました。出来ますれば、眠りを解く方法をお教え頂ければと……」

 

 カミュの言葉を、女王は無表情に聞いていた。

 一切の感情が見えない表情。

 それはカミュのそれと大した違いはない。

 そこに嫌悪と敵意が隠されているか否かの問題であった。

 

「……断る。何かと思えば、そのような事か。そなた等『人』は、自分達の窮地になれば、そのように申して来る。自分達が行って来た行為も忘れてな」

 

「……」

 

 『エルフ』の女王が語る<人の業>。

 カミュの嘆願を斬り捨てた女王の怒りが、その深さと重さを物語っていた。

 

「ふむ……そなた達は皆まだ若い。故に知らぬ事かもしれん。しかし、実際に起きた出来事である事に変わりはない。我々『エルフ』はそなた等『人』の十倍程の寿命を持つ。つまり、そなた等『人』が忘れ去ろうとしている罪を、その身に受けた者達もまだ生きているという事。『人』が忘れても、『エルフ』は忘れぬ」

 

 カミュの嘆願を容赦なく斬り捨てた女王は、黙り込んでしまった一行にぽつりぽつりと過去の『人』と『エルフ』の歴史を語り出した。

 

「『人』はこの世界で、一番遅くに生まれた種族であった。神が創り、『精霊ルビス』が護るこの世界には、既に他の種族が生活をしていた。それぞれにそれぞれの生活場所を作り、暗黙の了解の下、不可侵を約束しておった」

 

「……」

 

 語り出された女王の話は、遥か昔に遡る。この世界が創生され、『人』という種族が生まれる頃。それは、『人』の歴史の原点であり、もはや記録なども残っていない程に昔の話。

 

「生まれたばかりの『人』は、余りにも弱かった。故に『精霊ルビス』は、我々『エルフ』に『人』の守護を依頼されたのだ」

 

「ル、ルビス様が!?」

 

 その内容に、前回ロマリアでの謁見時にリーシャに言われた事を忘れてサラが声を上げる。この世の守護者である『精霊ルビス』が『人』の守護を他種族である『エルフ』に頼んでいたというのだ。

 それは、教会が教えている事を、根底から覆す内容である。

 

「そなた等『人』は、都合の良いように話を作っているのであろう。我々『エルフ』は脆弱な『人』の生活を様々な面で助けた。時には『魔物』からの脅威を取り除き、時には生活に必要な知識を与え、また、『人』の中にも魔力を持つ者達には、魔法を教えた」

 

「……」

 

 サラの叫びに、女王は一度目を瞑り、遥か昔に想いを馳せる。自分達の歴史を残す手段も、長い寿命も持たぬ『人』は、未来を生きる者達に『人』の原点を伝える事は出来なかった。

 故に、後世の人間達が、己の都合の良いように歴史を作り変えたと女王は語っているのだ。

 

「時が経ち、『人』は独自の集落を作り、この世界で暮らし始めた。我らも、『人』が窮地に陥った時のみ手を差し伸べる形となり、彼等の独立を喜んでいた。しかし、『人』は我らや『精霊ルビス』が考えるよりも、遥かに貪欲であったのだ。そして、神は『人』に『エルフ』や『魔物』以上の能力を与えていた……何か解るか……?」

 

「……繁殖能力ですか?」

 

 過去を語る女王が不意にその話を止め、一向に疑問を向けて来る。それに答えたのは、『精霊ルビス』がこの世に落とした希望と云われる『勇者』。

 その『勇者』の答えを聞き、女王は満足そうに頷いた。

 

「そうだ。『人』の増加は、我々『エルフ』にとって脅威と感じる程の速さだった。数を増やした『人』は一つの場所では留まらず、大陸を移動し、更に数を増やして行く。当初、寿命の短い『人』であれば、それほどの数にはならないだろうと思ってはいたが……」

 

「……子や孫ですか……」

 

 言い淀む女王の言葉を繋げたのも、やはりカミュであった。

 過去を思い出すように目を瞑った女王は、一つ息を吐き出した後、小さく頷きを返す。それが、カミュの言葉を肯定していた。

 

「うむ。『人』は年月を経て行く内にその数を更に増やして行く。また、『エルフ』が魔法に頼る事や『魔物』が翼などに頼る事を、『人』は試行錯誤を繰り返し、文化として成長させて行った。船なる物を作り、大陸同士を結び、移動を繰り返してはその数を増やす」

 

 サラもリーシャも女王の話に聞き入ってしまっていた。自分達の知らない遥か昔の出来事。

 女王の話では、ほんの一瞬の様に話してはいるが、人間が生まれ、子孫を残し、船などを作ったとなれば、それは気の遠くなるような時間を要する事であろう。

 

「その内、『人』は同種族同士での争いを始めた。我々『エルフ』では考えられない事だ。同じ種族として生きる者達が手を取り合わないなど……しかし、それも『人』の数が増え過ぎた為なのだろう」

 

「……」

 

 続く女王の言葉に、サラは顔を伏せてしまった。

 確かに、人間は他国同士での争いを絶えず行って来た。今、まさに『魔王』という存在が皆の心を纏めてはいるが、それも討伐されれば、どうなるかは分からない。

 

「我々は、『人』同士の対立に関与はしなかった。しかし、我々の住処を脅かす可能性が出てくれば、守護すべき対象であろうと排除して来た。それが、『人』に恐怖を植え付けたのかもしれん。いつしか、『人』は『エルフ』に牙を向くようになっておった。我々が施して来た恩も忘れて……」

 

「し、しかし、『エルフ』と『人』では……」

 

 堪らず、サラが声を上げる。ここは、<エルフの隠れ里>とは言え、その長がいる謁見の間。カミュの従者であるサラが口を開いて良い訳がない。

 リーシャは慌ててサラを抑えようと手を上げるが、玉座に座る女王自らの手によって遮られた。

 

「良い。確かに、『エルフ』は『人』よりも遥かに高い魔力を有している。しかし、基本的に力などは『人』よりも劣る者達が多い。そして、数が圧倒的に少ないのだ。ここでは語るまいが、我々の繁殖方法は、『人』とも『魔物』とも違う。我々は基本、『人』でいう性別という者は女性しか産まれない」

 

「……では、どうやって……」

 

 曲がりなりにも、サラは十七歳になる女性であり、子を成す方法などの知識は有している。人間では、男と女という性別の違う者達が最低一組いなければ、子を成す事など出来ない。

 

「それを『人』であるそなたに語る気はない!……数の暴力の前に我々は次々と倒れて行った。見た目は女性という者達ばかり。攫われ、奴隷として売られた同朋も多いだろう。基本的に他種族の『エルフ』と『人』では子を成す事など出来はしない。故に、それを幸いとばかりに『人』に蹂躙された者達も数多くおり、『人』よりも寿命の長い我々は、心の傷を抱えながら長い年月を生きなければならなかったのだ」

 

「……そ、そんな……」

 

 女王が広げる人の歴史の巻物は、膨大な情報と、そして罪が隠されていた。

 『人』に辱められた者を救い出したとしても、その者は生きている限り、心の傷が癒える事はない。その『エルフ』に消えない傷を残した人間は、その『エルフ』の三分の一も生きる事が出来ずに死んで行く。

 向かう矛先を失った『怒り』と『哀しみ』と『憎しみ』は、『エルフ』の心を更に蝕んで行くのだ。

 

「親を目の前で殺された子供や、身内を目の前で凌辱された者、我々が救う事の出来なかった者達は数多い。それ程の事をして来た人間が、我らに頼み事など良くも言えたものだ!」

 

 人間が成して来た黒い歴史。それを目の前に広げられ、サラは言葉を失った。

 リーシャにしても、女王が虚言を発している訳ではない事ぐらい理解出来る。故に、唇を強く噛み、下を向いて震える事しか出来なかった。

 

「わかりました……ただ、今回の<ノアニールの村>での事は、それとは別と考えてもよろしいのでしょうか?」

 

 リーシャもサラも、何の反論もできず、ただ俯くしか出来なかった場面で、ただ一人口を開いた者。それは、やはり全員が最近何かにつけ信頼を置き始めている青年だった。

 感情的になり始めた謁見の間の中で、カミュの瞳だけはとても冷静に状況を見極めていた。

 女王の語る『人』の歴史は、確かに『エルフ』の心に残る傷跡であり、憎しみの欠片なのであろう。だが、それが<ノアニール>に結びつく事を、女王は明言してはいない。

 

「……全く関係がない訳ではない。ただ、『人』が私にとって最も忌むべき存在になったという事だ」

 

「……そ、それは……」

 

 カミュの冷静な問いかけを聞いても、女王は態度を変える事はなかった。

 この『エルフ』の長が持つ、『人』への憎しみの度合いに、サラは言葉を失う。元々、この場で発言が許される者ではないサラの声は、謁見の間に虚しく響いた。

 

「そなた達が生まれる前の話になるかもしれん。私には一人娘がおった……」

 

 女王が話し始めた内容は、<ノアニール>で老人から既に聞いていた話。

 『人』と『エルフ』の哀しい恋の話。

 しかし、次の女王の言葉に、一行の全員が息を飲んだ。

 

「……私の娘『アン』は、一人の人間を愛した……」

 

「アン!?」

 

「!!」

 

 カミュを除く全員が、女王の口から出たその名前を叫んでしまう。それは、常に場を弁え、頭を下げているリーシャですら、勢い良く顔を上げて声を上げてしまう程の衝撃のある名前だったのだ。

 

「……そなた等が何を驚いているのかは知らぬが……我が娘『アン』は我ら『エルフ』の至宝である『夢見るルビー』を持って、その男の下へ行ったまま帰る事はなかった」

 

「……」

 

 王の言葉に口を挟むという無礼な態度に気を悪くした様子もなく、女王は自分の胸の内に巣食う、憎悪と言っても過言ではない感情を吐き出し始める。

 

「所詮は『エルフ』と『人』……アンは騙されたに違いない。おそらく、『夢見るルビー』もその男に奪われ、この里に帰る事も出来ずに、辛い思いをしていた事だろう」

 

「……そ、そのような事は……」

 

 女王の言葉の中には思い込みの部分も多々あった。しかし、それを単なる思い込みだと口に出来る程、一行は人生という名の経験を積んではいなかったのだ。

 女王が見て来た『エルフ』と『人』の歴史。それに対して、軽々と発言が出来る程、カミュもリーシャも、そしてサラも自惚れてはいなかった。

 

「……本来、私は人間等、見たくもない。今回はただ、そなた等の中に純真な存在がいただけの事。理解したのなら、早急にここから立ち去るが良い」

 

 カミュは、『ここまでか』と理解する。これ以上は、どうあってもこの女王とまともな会話など出来よう筈がない。後ろに控えるリーシャとサラに目配せをし、退室する事にした。

 

「…………アン…………」

 

 リーシャに促され、背中を押されながら歩いて行くメルエがぽつりとその名を溢した。

 その名を持つ者、それは彼女の最初の友であり、二度とは会えない存在。

 そして、女王の最愛の娘にして、おそらく二度とは会えない存在。

 リーシャ達三人全員が退室したことを確認し、カミュも深く頭を下げ、女王に背を向けた。

 

「……待て」

 

「……何かございましたでしょうか?」

 

 カミュの背に掛った声は、女王の物。振り向く無礼を働かず、カミュは再び女王の前に跪いた。

 跪き、顔を上げないカミュを冷たく見下ろしていた女王の瞳からは、いつの間にか憎しみという感情は消えている。

 

「……あの幼き者は、最後に我が娘の名を呼んでいた。それに、そなたの従者達もまた、我が娘の名を叫んでいた……何故だ?」

 

 立ち去るカミュを止め、女王が訪ねた事。それは、カミュですら辛い記憶となり始めている事柄だった。

 メルエの心に大きな傷と、それよりも大きな希望を宿した出来事。話すべきかどうかを迷ったカミュであったが、女王の雰囲気を察し、重々しく口を開いた。

 

「……メルエには、つい先日に、生まれて初めての友が出来ました……その少女の名が『アン』と申します」

 

「……そうか……その者は健やかに育っているのか?」

 

 カミュの言葉に嘘を見なかった女王は、その内容を信じ、メルエの友の身を尋ねる。まるで、自分の一族を慮るような優しい口調は、『エルフ』という種族の大きさを示しているようにカミュは感じた。

 

「……いえ、その『アン』も、同じ種族である『人』の手によって命を落としています……」

 

「……すまない。あの幼き者には辛い事を思い出させてしまったようだな……しかし、そなた等もまた、そのような『人』の姿を見て、何故『人』を救おうとする?」

 

 メルエの心情を思い、『人』であるはずのカミュへと頭を下げる。その姿は、やはり『人』の保護者である『エルフ』の長としての威厳があった。

 そして、その後ろに続くカミュへの疑問。それは、物心ついた頃からカミュの根底にある疑問でもあった。

 

「……今の私は、女王様のご質問にお答え出来る回答を持ち合わせておりません……それでも尚、女王様が答えをお望みであるのならば……私もまた『人』です」

 

「……そうか……」

 

 もう一度、深々と頭を下げたカミュは、謁見の間を出て行った。

 傍の者達を人払いした謁見の間には、玉座へと座る女王だけが残される。

 

「……アン……母はどうすれば……」

 

 『人』の保護を『精霊ルビス』より言い遣った『エルフ』の長の呟きは、虚空の彼方へと吸い込まれて行った。

 

 

 

 <妖精の隠れ里>を出て森を抜けきるまで、一行の中で誰一人その口を開く者はいなかった。

 いつもは楽しそうに歩くメルエですら、何かを思いつめたように下を向いて歩いている。その手を引くリーシャもまた、メルエの様子を気にしながらも自分の中で消化しきれない想いを抱いていたのだ。

 里に入っている内に、いつの間にか陽は落ち、森を抜ける頃には、空に大きな月が輝く夜と化していた。

 背中にある森の中から、フクロウの鳴き声が響き、月明かりしか光がない平原は足元もおぼつかない程の闇に閉ざされていた。

 

「…………」

 

 そんな中、ふと顔を上げたサラは、リーシャの手を握りながら進行方向ではない方向を凝視しているメルエに気が付く。

 

「……ま、またですか、メルエ……もう驚かそうとしても駄目ですよ。それとも、このような夜中に何か動物を見つけたのですか?」

 

 サラは、そのメルエの視線の先を恐る恐る見ながら、メルエを窘める。

 しかし、メルエから返ってきた言葉は、サラの恐怖心を倍増させるものだった。

 

「…………なにか…………くる…………」

 

「へゃっ!!」

 

 静かに呟くメルエの声。その真剣さに奇妙な声を上げるサラ。そして、メルエの言葉に対し、剣に手を掛けるカミュとリーシャ。

 そして、暗闇に支配され、一寸先も見えない平原の先から響く奇妙な音。

 それは、金属を擦り合わせるような音であった。

 

「……あ……あ……あわ……」

 

「…………あわ………あわ…………?」

 

 暗闇の平原に、その音の主が月明かりに照らし出される。その姿にサラは、以前<カザーブ>で上げた意味不明な言葉を発する。暗闇を凝視していたはずのメルエが、そのサラの姿を見て真似を始めた。

 

「カミュ!!」

 

「……あれは、ロマリア王国の鎧か?……何故こんな所に……?」

 

 カミュとリーシャは剣を抜き放ち、そして戦闘へと突入するために身構えた。

 しかし、その現れた者の姿に、リーシャはカミュの名を叫び、カミュはその姿を冷静に分析し始める。

 

「鎧だと!! あれは人が着ているのではないのか!?」

 

「……わからない……しかし、あの鎧からは生気が全く感じられない」

 

 カミュはリーシャの問いに短く答えると、カミュ達の方向に真っ直ぐ進んでくる全身をすっぽり包む鎧を着た者に向かって、剣を構えて駆け出した。

 鎧に向かって躊躇なく振り落としたカミュの<鋼鉄の剣>は、鎧騎士の左腕にある盾によって防がれた。

 それでも、カミュは離れ際にもう一度剣を振るう。

 

「なに!?」

 

「!!!」

 

 カミュが振るったその剣は、鎧騎士が身に着けている兜に直撃し、その面甲が上がった。その面甲の中を見た一行は息を飲む事となる。

 そこに見えたのは一切の闇。

 人の目の部分が見える筈のそこには、何もなかったのだ。

 

<さまよう鎧>

無念の死を遂げた国家の鎧騎士が魔王出現による影響で肉体無き鎧だけが現世を彷徨う事になってしまった者。鎧に染み込んだ無念と怨念のみにて行動している為、人と魔物の区別なく襲いかかる。その身に魔力を有している訳でもなく、ただ、生前に所有していた剣を振り続ける者。その攻撃力は生前の騎士に相応しく、かなりの威力を有する。

 

「カミュ!!」

 

「メルエ! ヒャドをぶつけろ!!」

 

 全員が<さまよう鎧>の実態に動揺を起こすが、真っ先に立ち直ったのは、やはり国は違えど同じ騎士であるリーシャだった。

 そのリーシャが剣を抜き、<さまよう鎧>に向かう途中にカミュへと声をかけ、カミュはメルエへと魔法の行使の指示を出す。

 

「…………ん………ヒャド…………」

 

 リーシャの振るった剣が再び<さまよう鎧>の盾に弾かれ、リーシャ自身の身体が離れたその瞬間を見計らって、メルエの魔法が発動した。

 大気が凍りつく冷気が<さまよう鎧>へと真っ直ぐ向かって行く。本能からなのか、それとも意図的なのか、<さまよう鎧>の盾はメルエの放った冷気を受け止めるように動いた。

 まともに冷気を受けた盾は、その盾を持つ左腕部分諸共凍り付き、その機能を失う。

 

「やあぁぁぁ!!」

 

 再度斬りかかったリーシャの剣が凍り付いた<さまよう鎧>の左腕を叩き壊す。ガラスが砕け散るように、氷像と化していた左腕が砕け落ち、大きな音を立て地面へ落ちて行った。

 

「ルカニ!」

 

「ふっ!」

 

 左腕を失い、一瞬の隙ができた<さまよう鎧>にカミュが追い打ちをかけ、その右肩へ<鋼鉄の剣>を突き入れる。直前にサラが唱えた<ルカニ>によって防御力が低下している<さまよう鎧>の甲冑に、カミュの剣が抵抗なく突き刺さった。

 

「グォォォォォ」

 

 人とも魔物とも言えない叫びが、暗闇の平原に響き渡る。カミュ達の優勢は明らかだった。

 しかし、剣を素早く抜き放ったカミュが瞬時に飛び退き、メルエが次の詠唱に入る時にその形勢は大きな変化を起こす。<さまよう鎧>から全員が離れたその時、突如として<さまよう鎧>を淡い緑色の光が包み込んだのだ。

 それは、カミュ一行にとって何度も見て来た光。サラが、そしてカミュが使用する事の出来る癒しの光。

 カミュ達の見立てが正しい事の証明に、先程カミュが空けた甲冑の穴が塞がって行く。

 

<ホイミ>

それは、本来教会が保有する経典にしか載ってない筈の物。そして、神の祝福を受け、『精霊ルビス』の加護がある者にしか使用する事が出来ない魔法。

 

 驚きに目を見開く一行の前に現れたのは、アリアハンを住処にする最古にして最弱の魔物であった。

 それは、<スライム>。

 しかし、その<スライム>は青く半透明な身体は同じでも、身体の下に黄色い多数の触手を垂らし、空中をふわふわと漂っていた。

 

「な、何故!?」

 

「か、回復呪文だと!?」

 

<ホイミスライム>

最古の魔物であるスライムの上位種と云われる魔物。地を飛ぶように、這うように徘徊する<スライム>とは違い、空中を漂う。その身体から伸びる触手を使い何かを掴み、使用する事も可能な知能も持つ魔物。しかし、その最大の特徴は、魔法が使えるということ。しかも、それは神の祝福を受けた魔法<ホイミ>。その存在自体が教会の教えを根底から覆す存在となり得る魔物である。教会では、契約中の人間を襲い、何かの手違いで契約を済ませてしまった<スライム>が進化した物として伝えられており、教会が崇める『精霊ルビス』を侮辱する魔物として討伐の対象とされている。

 

「くそっ! <ホイミ>が使える魔物か!? メルエ! まずは、あのスライムからだ!」

 

「…………ん…………ヒャド…………」

 

 カミュの言葉にこくりと頷いたメルエは、先程まで<さまよう鎧>に唱えるつもりだった魔法を急遽変更し、<ホイミスライム>へと向ける。大気を凍らせる冷気が真っ直ぐ<ホイミスライム>へと向かうが、その魔物は張り付いたような気味の悪い笑みを浮かべたまま、その冷気をひらりとかわした。

 

「…………あ…………」

 

 自身の魔法を避けられたことにメルエは驚いた。

 今までの魔物には、避けられた事などないのだ。

 

「メルエ!」

 

 そのメルエの隙を見逃さず、瞬時に近づいてきた<さまよう鎧>が剣を振り下ろすが、間一髪その剣はリーシャの<青銅の盾>によって防がれる。

 

「くっ……サラ! あのスライムを頼む!」

 

「は、はい!」

 

 思っていた以上の力で押しこまれる剣を必死に盾で防ぎながら、リーシャがサラへと檄を飛ばす。メルエを護りながらでは、リーシャとて<さまよう鎧>に致命傷を負わせる事は難しい。ましてや軽傷では、<ホイミスライム>によって傷を癒されてしまう。

 本来、回復呪文で鎧などの傷を修復する事は出来ない。しかし、鎧に染み込んだ怨念や無念で動く<さまよう鎧>にとって、その鎧は身体その物。故に、回復呪文によって修復が可能となっているのかもしれない。

 

「やぁぁぁぁぁ!!」

 

 サラが手に持つ<鉄の槍>を<ホイミスライム>目掛けて突き入れる。しかし、ふわふわと空中を漂う<ホイミスライム>はその槍をひらりと避けてしまった。

 

「メラ」

 

 <ホイミスライム>が相手をしているのは、何もサラだけではない。避けた後方から、カミュの唱えた<メラ>の火球が襲いかかる。身を翻した先へ予測したように着弾した火球は、<ホイミスライム>に直撃した。

 瞬間炎に包まれた<ホイミスライム>へ、再度サラの<鉄の槍>が襲いかかる。一瞬で消え去った炎によって身体の一部が溶けた<ホイミスライム>の眉間部分に、サラの槍が突き刺さった。

 不気味な笑顔を張り付けていた<ホイミスライム>の表情が歪んだように見えたのも一瞬。命の灯が消えた魔物は、その形状を保つ事が不可能となり、ずるりとサラの槍から地面へと滑り落ち、粘着性のある液体へと変化して行った。

 

「リーシャさん!」

 

 <ホイミスライム>を倒したサラは、メルエを護りながら剣を振るうリーシャの応援に向かう為に振り返るが、そちらもすでに佳境へと入っていた。

 

「…………イオ…………」

 

 リーシャと共に<さまよう鎧>から距離を空けたメルエが先日覚えた爆発呪文を唱える。魔法力に余裕のあるメルエが唱えたそれは、以前見たものよりも大きな威力を誇り、弾け飛んだ大気と共に<さまよう鎧>の右腕も吹き飛ばした。

 

「よし! メルエ良くやった!」

 

 剣を持つ右腕を失い、攻撃手段を失った<さまよう鎧>など、もはやリーシャの敵ではなかった。

 地面を蹴って高く跳び上がったリーシャの振り下ろす剣が、先程サラが唱えた<ルカニ>によって脆くなっている甲冑へ脳天から吸い込まれて行く。

 兜から股までを斬り裂かれた<さまよう鎧>は、その体躯を真っ二つにして地面へと倒れて行く。暫くメルエを庇いながら立っていたリーシャであったが、鎧が全く動き出さない事を確認し、剣を腰の鞘へと納めて行った。

 

「……ふぅ……」

 

「……回復呪文が使える魔物がいるとはな……これからの旅は少しきつくなりそうだ」

 

 剣を鞘に納めて息を吐くリーシャへ、カミュは初めて現れた魔物についての感想を溢しながら近寄って来る。そのカミュの言葉にサラは再び思考の渦へと飲み込まれて行くのだ。

 回復呪文が使える魔物がいるという事。教会の伝える事を鵜呑みにすれば、それは何かの手違い。しかし、先程のエルフの女王の話を聞いた後であれば、何か納得の出来る事でもあったからだ。

 世界で一番遅く生まれた種族である『人』。それは、逆に言えば『精霊ルビス』の加護を『人』以前に受けていた種族があるという事になる。サラだけでなく『人』が忌み嫌い、ルビスを蔑にすると云われている『魔物』もまた、加護を受けていた種族という事にもなるのだ。

 

「……サラ……」

 

 再び、黙り込んでしまったサラを心配そうに窺うリーシャ。それは、サラの悩み、考えが何かを理解している表情である。リーシャとて、僧侶程ではないにしろ、『ルビス教』の信者である事に変わりはない。魔物が回復呪文を使う。それが意味する事が何なのかが分からない年でもない。

 

「……行くぞ。夜が更ければ、魔物達の動きも活発になる。明日は<西の洞窟>へと入る事になる筈だ。早々に村に帰って休む」

 

 そんな二人の葛藤を知ってか知らずか、カミュはその事に全く触れようともせず、村への道のりを歩き出す。リーシャとサラの様子に首を傾げていたメルエもまた、カミュのマントの裾を握り、後方のリーシャとサラを何度も振り返りながらも先を歩き始めた。

 

「さぁ、サラ……考えるのは、村の宿屋に入ってからにしよう。まずは身体を休めよう」

 

 先を歩くカミュ達に遅れないよう、リーシャはサラの背中を軽く押し、<ノアニール>への道を歩き出す。サラは、リーシャの言葉に無言で頷いた後、とぼとぼと月が照らす道に足を踏み出した。

 久しく見ていなかった、雲一つない月夜。戦闘をしている内に空の雲が全て流れてしまったのか、先程よりも強い月の光が、一行が向かう<ノアニール>への道を明るく照らし出していた。

 

 

 

 

 


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