「……カミュ……」
「……なんだ?」
<西の洞窟>から、メルエの<リレミト>によって瞬時に脱出した一行は、陽も完全に落ちた森を抜け、平原へと出た。
平原を<ノアニールの村>に向かって歩いている最中に、共に歩いていたメルエのマントが緩んでいる事に気付いたサラが、メルエのマントの紐を結ぶ為、一行が立ち止まる。その僅かな時間で、リーシャはカミュに、その重い口を開いたのだ。
「……メルエは……メルエは何者なんだ?」
顔を上にあげ、サラに首元の紐を結び直してもらっているメルエの姿を横目で見ながら話すリーシャの姿は、悲哀に満ちたものだった。
実は、あの時、手紙を読んでいたリーシャ達を余所に、赤く輝く『夢見るルビー』をメルエがその手に取ったのだ。
赤く美しい光を讃えるその宝石の輝きに、メルエの頬はにこやかに緩む。
その時、一行の視界は完全に失われた。
メルエが持つ『夢見るルビー』が突如凄まじいまでの光を放ったのだ。声を上げる暇もなく、一行の視界が奪われ、それぞれの頭の中に強制的に情報が送られて来た。
それは、この<西の洞窟>という地へ『夢見るルビー』を運んで来たエルフの記憶。
エルフの長である女王の娘にして、『人』との禁忌を犯した娘の記憶。
その情報とは、アンが経験した行動が里を出たその時から始まり、この地で果てるその時までを映していた。
しかも、それはアンが見た物、聞いた物だけではなく、感じた感情までも頭の中に送り込まれて来る物だった。
突如現れ、突如消え失せた情報に戸惑い、取り乱す一行。
その姿が、全員が同じ時に同じ物を見た事を物語っていた。
リーシャがカミュに問いかけた内容は、その時の事なのだ。
何故、あのような出来事が、メルエが『夢見るルビー』に触れた時に起こったのか。メルエが原因なのか、そうではなく『夢見るルビー』が勝手に起こした現象なのか。それがリーシャには解らなかったのだ。
「……さあな……俺には分からない……」
「し、しかし、メルエが触れた瞬間に起こったんだぞ」
カミュの相手にしていないような口ぶりに、リーシャの声は大きくなる。しかし、再び振り向いたカミュの表情は、いつもの無表情。しかも、リーシャの思い違いでなければ、それは冷たく相手を突き放すような瞳をしたものだった。
「……では、なにか?……アンタはメルエの正体が、『エルフ』や『魔物』であったとしたら、その態度を変えるのか?」
それは、リーシャに取って心外な一言。
そういう意味でカミュへ問いかけた訳ではない。
「馬鹿にするな!! 例えメルエが『エルフ』であろうと、それこそ『魔物』であったとしても、メルエは私の妹だ!!」
感情を露わにし声を荒げ、カミュを睨みつけるリーシャの瞳に信じられない物が映り込む。その映像にリーシャの口は閉じられ、逆に目は大きく見開かれた。
微笑んでいるのだ。
それは優しい微笑み。
今までリーシャに向けられたことのないもの。
皮肉気に口端を上げた物でもなく、相手を嘲笑するような物でもない。
純粋に心から湧き上がったような、優しく柔らかな微笑み。
それを、目の前に立つカミュは浮かべていた。
「……そうか……安心した……」
「なっ!」
続いたカミュの一言で、リーシャは自分がカミュの浮かべる微笑みに魅入っていた事に気が付く。そして、驚いた。
カミュが『安心した』と呟いたのだ。それは、カミュとしてもリーシャと同じようにメルエを大事に思っている証拠。
メルエへの接し方を見れば、カミュの想いは解ってはいたが、そこまでメルエの事を考えているという事は、正直リーシャの中で予想以上だったのだ。
驚きと共に、理由の分からない、喜びに似た感情がリーシャの胸に浮かんで来る。
「…………リーシャ…………よんだ…………?」
そんなリーシャの感情を余所に、名前を呼ばれたメルエが、マントを結び直した後にリーシャへ近づいて来る。
「あ、ああ。なんでもない。さあ、メルエ、村へ戻ろう。もう陽が暮れた」
「…………ん…………メルエ…………ねむい…………」
「ふふふっ、まだ眠っては駄目ですよ」
カミュの反応。
メルエの反応。
それが、<西の洞窟>で知ったアンの過去によって沈んでいたリーシャの心を浮かび上がらせた。
それは、サラも同様であり、エルフのアンの記憶によって、『エルフ』と『人』についての悩みを深くしていたサラには、眠そうに目を擦るメルエの姿が有難かった。
『……俺は……『人』自体が、護る価値のある物なのかも分からない……』
以前、カミュがサラに言ったその言葉が、彼女の頭の中で何度も反復されていた。
今回、アンの記憶を垣間見た時、最初サラは自分勝手なアンの責任だと思っていた。しかし、アンが<ノアニール>で受けた仕打ちは、『人』の業。
『<人>以外の生き物には、生きる権利も価値もないのか?』とサラに問いかけたカミュの問いかけに、今のサラははっきりと答える事が出来ない。
眠らされた<ノアニールの村>の住民達。
果たして、それは理不尽な仕打ちなのか?
彼等がアンに行った行為の代償ではないのか?
ともすれば、あの老人の頼みを聞く必要など最初からあったのだろうか?
サラはメルエに微笑みながらも、胸の中で葛藤を繰り広げていた。
「さあ、メルエ」
「…………ん…………」
リーシャはメルエへと声をかけ、手を差し出す。
目を擦っていた手をリーシャに向け、にこやかに微笑むメルエ。
そんな二人の姿は、姉妹と言うよりは親子に近いものだった。
「……どうした? アンタは戻らないのか? 置いて行くぞ」
「えっ!? あ、は、はい!」
今まで自分の行動など意に介さなかったカミュが、自分に声をかけてくれた事に驚き、そしてサラの中に喜びに似た感情が湧きあがった。
「……カミュ様……一つお伺いしてもよろしいですか?」
「……」
だからだろう。サラは、絶対に自分の考えと相容れないカミュへ問いかけてしまった。
振り向くだけで、肯定も否定もしないカミュへサラは口を開く。
「……カミュ様は……『エルフ』の民の事を知っていたのですか?……それに、<ノアニール>の村人の行為の事も……」
「……」
カミュは何も答えない。
ただ、サラの目を見ていた。
「あ、あの……」
「……アンタが俺から何を聞きたいのかは解らないが……アンタの様な考え方を持つ者が、この世界では通常の『人』だ。この世界の『人』は、大抵が通常である者が多い。ならば、容易に想像が出来る筈だ……」
「!!」
カミュの一言にサラの表情は凍りつく。
一番言われたくない言葉。
一番指摘されたくない場所。
そこを寸分違わずに突かれたのだ。
「……もうアンタも気が付いているだろうが、この世に生きる生物は、何も『人』だけではない。アンタには育んで来た価値観があるのかもしれないが、それが絶対でもない。それは、俺を見ていて解っている筈だ」
「……」
核心を突かれてしまったサラには、カミュの変化に気が付く余裕は既になかった。
カミュの言葉は、いつもの様なサラを突き放すような物ではない。サラの目を見、そして自分の心を少しではあるが溢している。
それは、先程見せたリーシャへの笑顔がきっかけなのか。
それとも、サラが悩んでいる事への手助けの為なのか。
「……ですが……それならば、カミュ様はどうして<ノアニール>を救おうと?」
サラの言葉は、カミュがこのような結果を予想していたにも拘わらず、何故元凶とも言うべき村の住民を救う為に動こうとしているのかという問い掛けだった。
それに対し、カミュの表情は再びいつもの様な冷たい無表情へと変わって行く。
「……何度も言うが、俺はそういう存在だ……」
「……カミュ様……」
カミュの考えは歪んでいる。自分の存在自体を否定するようなカミュの言葉に、サラは二の句を繋げる事が出来なかった。
自分が感じる憎しみや悲しみを捨て、決められた道を歩むように。
周囲の人間が示した人物像を演じるように。
カミュは唯、歩いているのだ。
「……行くぞ……」
「は、はい!」
それでも、今回のカミュの行動によって、『人』だけでなく『エルフ』の心も救われる事になるだろう。
それは、<ノアニールの村>の老人の言葉を鵜呑みにせず、<エルフの隠れ里>に住むエルフ達の対応に怒りもせず、そしてどちらの言い分にも偏る事のないカミュだからこそ、皆が救われる結果に導く事が出来たのかもしれない。
もしも、カミュがもっと早くに、それこそアンとギルバードが出会い、逃げだす前にここを訪れていたとしたら、彼女達は命を散らす事がなかったかもしれない。命を捨てるという選択しか残されない状況に追い込まれる事はなかったかもしれない。サラは、この旅に出て初めて、信じていた『勇者』像にカミュが重なる想いがした。
森から出た一行は、リーシャの提案により、一同がカミュの下へと集まる。皆それぞれがカミュのマントや足を掴み、それを確認したカミュが詠唱を開始した。
「ルーラ」
瞬時に光に包まれた一行は、空の彼方へと飛んで行く。
ノアニールのいつもの宿屋で一泊した一行は、アンの愛したギルバードの父親であろう老人に会わぬよう、明朝太陽が顔を出したのと同時にノアニールの門を潜った。
連日の好天。
太陽を遮る雲一つない青空。
それは、誰の心を表すものか。
女王の娘アンの心や行動を知り、それぞれがそれぞれの想いを胸に抱いていた。
このパーティーの中でその表情や態度が変わらないのは、カミュだけ。リーシャやサラは勿論、メルエもまた何か思う所があるのだろう。その表情にはいつもと違う影が入っていた。
「……囲まれたか……」
先頭を歩いていたカミュの溢した一言。
それが、後方を歩く全員の顔を上げる原因となった。
顔を上げたリーシャの面前には、腐った狼。<アニマルゾンビ>と<バリィドドッグ>がカミュ達一行の周囲を取り囲むように歩いて来ていた。
風下に位置しながら近寄って来ていた為とは言え、その腐敗臭に気が付く事が出来なかった事をリーシャは後悔する。しかし、リーシャの手を握っていた小さな少女は、目に怒りの炎を浮かべていた。
「…………メルエ…………やる…………」
「メルエ! <ベギラマ>は使用禁止だぞ!」
「……ベギラマ?」
決意と共にリーシャの手を離したメルエの瞳を見たカミュが、洞窟内で警告した言葉を再びメルエに投げかける。その聞きなれない呪文の名に、サラが首を捻るのとは対照的に、メルエはカミュを一瞥し、大きく頷いた。
「…………ギラ…………」
メルエの腕から、洞窟内で唱えた物より縮小された熱風が腐った狼の群れに放たれた。
着弾した熱風によって火柱を上げ燃え上がる大地。しかし、六体いた魔物の内数体は、その炎から逃げ出そうと、身を動かしていた。
それも、パーティー内最年少の少女によって阻まれる事になる。
「…………イオ…………」
立て続けの詠唱。それが、この小さな少女の怒りの度合いを表していた。
炎から逃げるように動いていた<バリィドドッグ>達を包み込むように空気が圧縮し、弾け飛ぶ。
「……メルエ……」
怒りのメルエの右腕から発せられた魔法の威力に、リーシャの表情は哀しみを湛えていた。
メルエの怒り、それは、『夢見るルビー』を手に取った時に流れて来た感情が乗り移ったようなものだったのだ。
誇りを踏み躙られた『エルフ』としてのアンの怒りそのもの。それが、リーシャには哀しかった。
「…………ベギ…………」
「メルエ!! 禁止だと言った筈だ!!」
「!!」
尚も怒りにまかせ詠唱を行おうとするメルエに、カミュの厳しい叱責が飛ぶ。怒りに燃えていたメルエの瞳の光が、瞬時に怯えに似た物へと変わって行った。
既に、<バリィドドッグ>達は、原型を留めてはいない。そこにあるのは、もはや物言わぬ物体。それを見ながら、洞窟内で見せたようにカミュは目を瞑り溜息を吐いた。
「…………うぅぅ…………」
先程までの怒りはどこへやら、メルエは上目使いにカミュへと視線を送るが、カミュがメルエに視線すら向けない事に俯いてしまった。
「……メルエ……」
「……カミュ……」
そんなメルエの姿を心配そうに見つめる二人。しょんぼり落ち込むメルエに近寄るサラ。何かを考え込むようなカミュの姿に、彼が苦しんでいる内容に察しがついているリーシャ。
「メルエ」
もう一つ溜息を吐いたカミュに名を呼ばれ、メルエはびくりと身体を震わす。
そんなメルエにカミュは近づいて行った。
「……言う事が聞けないのなら、魔法全てを禁止するぞ」
「…………いや…………」
カミュの言葉に怯えたように眉を下げ、メルエは全力で首を振る。
それは、叱られた子供の様だった。
「……嫌なら言う事を聞いてくれ。何も、俺はメルエを嫌って言っている訳ではない。何度言っても、メルエが俺の言葉を無視するのなら、メルエを<ノアニール>に置いて行く事も考えなければならない」
「!!」
「カミュ!! 言い過ぎだ!」
続くカミュの言葉に、俯いていたメルエの顔は弾かれたように上がる。傍で聞いていたリーシャも、そのカミュの言葉に声を荒げて抗議を表現した。しかし、カミュの表情は、ピクリとも動かない。
「……言い過ぎだとは思わない。厳しいかもしれないが、メルエが無理な魔法を使い怪我をした場合、誰がその責を負う?……アンタか? 洞窟内で見たと思うが、今、ここにいる人間が使う事の出来る回復魔法で、メルエの魔法の暴走による傷を完全には癒せない」
「…………いや…………いや!…………」
カミュの言葉に涙を浮かべながらも首を振るメルエの声は、叫び声に変わって行く。やっと見つけた自分の居場所。それを奪われる。
それがメルエの心に、恐怖に似た感情を湧き上がらせたのだ。
「カミュ様! わ、私が、もっと効力の高い回復魔法を覚えます! それなら、メルエの怪我も癒す事が出来る筈です」
「……サラ……」
今まで成り行きを見つめていたサラがその口を開く。
それは『僧侶』としてのレベルアップを誓うもの。
それは、今のサラには非常に高い目標。
必死なメルエを見て、サラはそれを解った上で決意したのだ。
「……そういう問題ではない。俺は、メルエが約束を破った事を言っている。先程も言ったが、何も永久に使用を禁止した訳ではない。ただ、今のメルエでは無理だと、俺も、そこの戦士も判断した。それを破るのであれば、結局は戦闘の足枷となるだけだ」
「……カミュ……」
サラの決意は、尊い物である。しかし、カミュが話したい事からは論点がずれていた。
カミュの言葉は、素直にサラの心に落ち、今、メルエが行った行為がどれ程に危険な事なのかを理解する事となる。
「自爆に近い形で怪我を負ったメルエを庇いながら戦闘を毎回行うつもりか? それに、無理な魔法行使は、メルエの成長の妨げにもなる筈だ」
カミュが言う言葉に、ようやくリーシャは得心する。カミュは、心底メルエを心配しているのだ。
メルエに戦う術を与えてしまった自己の罪を自覚し、ならば全力でメルエを護ると決めているようなカミュの覚悟を見たような気がした。
「……そ、それは……」
「アンタが、<ホイミ>以上の回復魔法を使用出来るのであれば、それに越した事はない。だが、それとこれは話が違う……メルエ、良いか? もう一度言う。<ベギラマ>は禁止だ。良いな?」
サラに向けていた顔をメルエに再度向け直し、カミュはメルエへ言葉を投げる。
それは念を押すというよりは、それよりも強い力を感じるものだった。
「…………ぐずっ…………」
カミュの強い言葉に、目に溜めた涙を落し、鼻をすすりながらも、メルエは深く頷いた。
カミュの強い視線と言葉が、先程のカミュの言葉の信憑性を高めている。ここで、まだ駄々を捏ねれば、本当にカミュは<カザーブ>でメルエをトルドに預けてしまうだろう。
それを幼いメルエも感じたのだ。
「……メルエ……おいで」
そして、メルエはいつもの様に、優しく両手を広げるリーシャの腕の中へと収まって行く。サラは、そんな二人の姿を見て、この三人のやり取りに自分が入っていけないのではと、少し寂しさを感じていた。
故に気がつかない。
カミュの言葉に、サラのレベルアップを奨励する言葉が入っていた事を。
何も、このパーティーの中で心境に変化を見せているのは、常に悩むサラやリーシャだけではないのだ。この表情に乏しい、アリアハンが掲げる『勇者』にも変化は見えていた。
<ノアニール>を出る頃には、少し顔を出していただけの太陽が真上に上る頃、一行は『エルフ』達の住む里を護っている森の入口の前に到着する。
ただ、一行は、森の前に着いてからある事柄に悩む事となった。
それは、エルフの里への行き方。
先日は、メルエの純粋さにより到達出来たが、その頼りのメルエも、再度案内を頼むリーシャに弱々しく首を横に振るだけであった。
「ここで、立ち止まっていても仕方がない! まずは森へと入ろう!」
「……入るのは良いが、出られなくなる可能性を少しでも考えているのか?」
猛然と森へ入ろうとするリーシャを留める為、苦言を言うカミュであったが、すでにリーシャの姿は森へと消えていっていた。
「……カミュ様……」
「仕方がない」
リーシャに続くように入って行ったメルエを見て、サラがカミュへと指示を仰ぐが、もはや二人が完全に森に入ってしまった以上どうしようもないという事が事実である。
カミュの諦めにも似た溜息を聞き、サラも森へと入って行く。それに続く形でカミュも森へと歩を進めた。
「……カミュ、どうするんだ?」
「……それは俺が聞きたい。俺の忠告も聞かずに森へと入ったのはアンタだぞ?」
「…………リーシャ…………一番…………」
「リーシャさんですね……」
森へ入ったは良いが、入った途端に方向感覚を狂わせたリーシャが、カミュへと指示を仰ぐのだが、それに返って来たのは、パーティー全員からの冷たい反応だった。
全員の冷たい反応に言葉を詰まらせるリーシャであったが、確かに森へ入る後方でカミュの声が聞こえた事を思い出し、頭を下げる。
「……入ってしまったのはどうしようもない。これからどうするかだが……」
「メルエ? やっぱり何も解りませんか?」
「…………ん…………」
溜息を再び吐き出すカミュを横目に、サラがもう一度メルエに話かけるが、それは静かに首を振るメルエの姿を見て、落胆に変わった。
しかし、その時、一行は再び不思議な光景を目の当たりにする事となる。
明らかな落胆を示すサラやリーシャの横で、申し訳なさそうに視線を落とすメルエの懐から赤く輝く光が漏れ出したのだ。
それは、一行が<西の洞窟>で目にした物と同じ光。
<エルフの至宝>である『夢見るルビー』が放っていた光に間違いない。
それがメルエの身体を包み込む程の勢いで漏れ始めたのだ。
「えっ?」
「ま、またか!?」
その光を見つめるサラは驚き、リーシャに至っては再び先日の様な他人の過去を見せられるのかと警戒心を露わにする。しかし、それは懐から木箱を取り出したメルエの行動で、杞憂に終わる事となった。
何事も起らない事を不思議に思う一行を余所に、メルエは興味深そうに木箱を開け始める。
「メ、メルエ!!」
慌てたリーシャがメルエに駆け寄ろうとするが、時すでに遅し。まるで木箱の蓋が開く事を心待ちにしていたかのように、中に控えていた赤い宝石の輝きが増して行った。
再び、<西の洞窟>と同じように視界が奪われる一行。
しかし、それは一瞬の事だった。
「!!」
「うわ~~」
「こ、これは……」
その後の出来事は、正に神秘的と言う言葉が良く似合う物だった。
目が眩む程の光を放った『夢見るルビー』が、まるで本来自分がいるべき場所を示すように、ただ一点だけを目指して光を放ったのだ。
一本の線と化した光は、太陽の光が届きにくい森の中で赤い光線となり、カミュ達を誘うようにその光を放ち続ける。
「……カミュ……これは……」
「……何度も言うが、アンタが解らない事の全てを知っている訳ではない。だが、この光が<エルフの隠れ里>を指し示している可能性は高いだろうな……」
「では、この光に沿って歩くのですか?」
自分の胸から真っ直ぐ伸びる光に興味を示し、その光線の行方の間に自分の手をかざしたりしながら上機嫌なメルエとは別に、他の三人の表情は固かった。
それは、<エルフの至宝>という情報しか持ち合わせていないカミュ達にとって当然の疑惑だろう。得体も知れない物が指し示す方向に歩くという事がどれ程の危険を含む物かを知っている人間にとっては尚更である。
「メ、メルエ! だから勝手に行くなと言っているだろう!」
面白そうに光が指し示す方角へと歩き出すメルエに、リーシャは慌てて声をかけるが、本気で怒ってはいないリーシャに対し、メルエは先程のカミュに対してとは正反対に、柔らかな笑みを浮かべて振り向いた。
そんなメルエの様子に溜息を吐いたカミュは、先頭を切ってその後を追って歩き出す。そしてリーシャやサラも続くのだった。
「……私は、生まれてから、これ程立て続けに不思議な経験をしたのは初めてだ」
「……はい……私もです……」
目の前に広がる光景に、嘆息を漏らしながらリーシャが呟き、それに同調するようにサラも言葉を紡いだ。
今、一行の目の前には、先日見た美しい木々のアーチが、誘うように立ち並んでいる。それは、<エルフの隠れ里>への道程を指し示していた。
先程まで、メルエの手の中で一筋の光を放っていた赤い宝石は、もうその輝きを失い、静かにメルエの手の中に納まっている。一行が唖然とする中、メルエはその宝石を木箱の中に戻し、再び懐の中にしまい込んだ。
そして、そのままメルエが先頭を切って、木々のアーチを潜って行く。
里の中は、先日と変わらない。カミュ達の姿を確認したエルフ達は、驚愕の表情を浮かべた後、逃げ出して行った。
そんなエルフ達の姿に、サラは心を痛める。『アンは<ノアニール>でこんなやりきれない想いを抱いていたのだろうか?』と考え、サラは首を振って考えを振り払った。
彼女は一人だった。
今の自分の様に、心強い仲間達がいた訳ではない。
ならば、彼女が抱いた想いは、今自分が感じている物の何倍も厳しい物だったのだろう。
「……行くぞ……」
そんなサラに心強い言葉がかかる。メルエに変わって先頭を歩くカミュが、真っ直ぐ女王の居る屋敷に向かい歩き出したのだ。
「……サラ、行こう。エルフ達の態度は気にするな。種族によって想いは違う。ただ、それだけの事だ……」
「……はい……」
サラを気にしてかけてきたリーシャの言葉。だが、言葉の内容とは違う物を胸に抱いている事は、リーシャの表情を見れば明らかだった。
リーシャもまた、サラと同じように心を痛め、今までの自分の価値観との板挟みにあっているのだろう。自身が築き上げてきた価値観が打ち砕かれ、世界の真実を目の当たりにする苦しみに似た感情をリーシャもサラも抱えていたのだった。
「またお前達か……何の用だ? 先日は例外である事ぐらい、お前達の方が良く解っているだろう?」
屋敷の門に着くと、そこには待ち構えていたように先日と同じ側近が立っていた。
彼女こそ、女王の側近達で組織される親衛隊の隊長を務めるエルフ。女王とアンを最後まで護り通そうと奮闘した者であった。
「申し訳ございません。どうしても女王様にお伝えし、お渡ししたい物があり、無礼を承知で再度上がらせて頂きました」
「……」
カミュの真摯な対応に、エルフのエリートでもある彼女は、その目を真っ直ぐ見つめる。カミュのマントの裾を握ったメルエもまた、彼女を真剣に見上げていた。
「…………アン…………」
「……アン様に関わる事なのだな?」
そのメルエの呟きに視線を向けた隊長は、確認を込めて言葉を繋げる。そして、その言葉に、カミュ達全員が頷くのを見て、一度目を瞑ってから溜息を吐いた。
「……わかった……通れ。女王様は謁見の間にいらっしゃる。失礼のなきよう」
「ありがとうございます」
隊長の言葉にサラは目を見張る。里にいる住人達の反応から考えれば、通してはもらえないだろうと思っていた。しかし、現実はサラの考えていたものとは正反対なものだったのだ。
人間を嫌う、いや、人間を憎んでさえいるエルフのそれも女王を護る側近が、よりにもよって自分達『人』を女王の許しもなく通す事が信じられなかった。
自分の横を通り、謁見の間に向かう四人の背を見つめながら、隊長は考えていた。
『何故、自分は通してしまったのだろう?』
それは、女王の側近として、女王の『アン様の守護』という命を果たせなかった事への負い目からなのか。それとも、あの先頭に立っていた男という性別の、『人』の持つ蔑みや恐怖等の感情の見えない混じり気のない真っ直ぐな瞳のせいなのか。
何れにせよ、女王の許可なく謁見の間へと続く門を開けてしまった以上、厳しい沙汰がある事だろう。それはもはや承知の上であった。
しかも、エルフの敵と言っても過言ではない『人間』を通してしまったのだ。死罪は免れないだろう。
それでも、彼女の心に『後悔』の二文字はない。何故か、それが自分の出来る最良の行動だったように思えて仕方なかった。
「……アン様……」
自らが敬愛する人物の娘の名を呟く隊長の表情は、どこか晴れやかなものであった。
「再びここを訪れるとは、先日の私の話を聞いていなかったのですか?」
謁見の間に入った途端、厳しい視線と共に向けられた冷たい言葉に、サラは身が竦んでしまう。女王から発せられる威圧感はそれ程までに強い物であった。
「お怒りは御尤もです。ただ、女王様にお伝えしたき儀とお渡ししたき物がございます」
「…………これ…………」
女王の前で跪く一行の一番前で、カミュが口を開くと、待ちきれない様子で、メルエがその懐から木箱を取り出し、立ち上がった。
「メルエ!!」
「よい!……幼き者よ、それをこちらへ……」
メルエの行動を咎めようと口を開いたリーシャを抑えるような、女王の強い言葉が謁見の間に響く。女王に命を受けたメルエは、木箱を両手に抱え少しずつ玉座へと近づいて行った。
「…………ん…………」
文字通り、礼儀を知らないメルエは、無造作にその木箱を女王に手渡す。そんなメルエの作法に気を悪くした様子もなく、女王はメルエの手から木箱を受け取り、蓋をゆっくりと開けて行った。
「…………アン…………ないてた…………」
「メ、メルエ!!」
いくらなんでも、メルエの言動は無礼すぎる。
例え『エルフ』といえども、相手はそれを束ねる云わば『国王』の様な存在だ。とても、メルエの様な一少女が気軽に話して良い存在ではない。
「良いのです……そうですか……あの子は……」
メルエの言葉に軽く視線を向けた後、女王は木箱の中にあった手紙に目を通し、全てを把握したように呟いた。
そして、中にある『夢見るルビー』を手に取り、一度目を瞑り黙り込む。
「…………???…………」
そんな女王の姿を不思議に思い、首を傾げたメルエであったが、先程からこちらを鋭く睨むリーシャの視線に気付き、慌ててカミュの傍まで戻って行く。
カミュの傍で、跪いたメルエは、極力リーシャと目を合わせないようにしながら、カミュのマントの裾を力強く握っていた。
「……これを、持って行きなさい……」
「……これは……」
暫し瞳を閉じていた女王は、一つ大きな息を吐き出した後、その双眸を開いた。そして、玉座の後ろから取り出した物を、跪くカミュの前に置き、再び玉座へと戻って行く。
「<目覚めの粉>です。これを風に乗せ、村の人間達に振りかければ、村人達の眠りも覚めるでしょう」
その言葉にパーティー全員が驚きに目を見開いた。先程、女王が『夢見るルビー』を手に取り、目を瞑ったという事は、その宝石内に宿る娘の記憶をカミュ達と同じように見たと考える事は容易である。
あの、村人から迫害を受けていたアンの姿をだ。
それなのにも拘わらず、<ノアニール>の呪いを解くと言う。
サラにはそれが不思議で仕方がなかった。
「……女王様は……見たのではないのですか?」
「サラ!!」
メルエに続きサラまでもが立場を弁えぬ行動に出た事で、リーシャは頭を抱えたくなった。
通常、サラやメルエ、リーシャでさえ、このような場所で口を開く事はおろか、身動きすらも出来ないというのにも拘わらず、よりにもよって、疑問をぶつけるなど言語道断の行いであるのだ。
「……そうですか……そなた等も見たのですね、我が娘アンの記憶を……」
「……はい」
女王の問いかけに、サラが反応する事を遮るようにカミュが返答を返す。
女王は少し目を瞑った後、再度口を開いた。
「そなた等は……『何故、人間達に迫害されたアンを見て尚、人間の眠りを覚ますのか?』と思っているのでしょうね……」
「……」
女王の言葉は、謁見の間にいる女王以外の者全てに共通する疑問であった。
女王として、エルフが受けたと言うだけでも許されない事の筈だ。それが、自分の娘となれば、尚更の事である。
『人』に対し、更なる憎しみを覚え、復讐を考えても可笑しくないという程の事でもあった。
「……愛する我が娘が最後まで護り通した『エルフの誇り』を、母である私が汚す訳にはいきません」
「!!」
サラは、女王の言葉に胸を鷲掴みにされたような衝撃を受けた。
娘を傷つけ、死へと追いやった『人』への嫌悪や憎しみを捨ててまで、娘であるアンの誇りを護る女王の大きさを目の当たりにし、言葉を失ったのだ。
母と父を魔物に殺され、ただその『復讐』の為だけに旅に出た自分。
『人』である男性を愛したが、その愛した男性と同じ『人』によって死に追いやられながらも、エルフとしての誇りを胸に、恨む事をせず、死を受け入れたアン。
そのアンの結末すらも誇りとして受け止める女王。
それは、サラが言い訳の様に自分に言い聞かせていた、種族の違い、価値観の違い、育ちの違い等では片付ける事など出来ないものであった。
「……私が、もっとアンの話を聞き、そして、あの子達の生きる道を共に探してやれば、あの子達が死を選ぶ事はなかった。私の責も大きいのです。あの子がこの里へ帰って来る事が出来なかった事自体が私の罪……」
「…………アン…………お母さん…………すき…………」
自分を責めるように言葉を発し、目を瞑る女王に対して、メルエが再び口を開いた。
言葉をたどたどしく繋げながら話すメルエの姿に、リーシャは止めるのを失念してしまう。
「……ありがとう……幼き者よ」
メルエの声に目を開いた女王は、視線を向け、本当に微かに微笑んだ。
その微笑みに、メルエもまた微笑み返す。
一瞬の微笑み。
すぐに表情を戻した女王は、再び厳しい目をカミュ達に向け、口を開く。
「……アンの最後を伝えてくれた事、そして、『エルフの至宝』を取り戻してくれた事には礼を言います。しかし、私が『人』を許せない想いは変わりません。用が済んだら早々に立ち去りなさい」
「……はっ。失礼致します」
女王から<目覚めの粉>を受け取ったカミュは、深々と頭を下げた後、立ち上がる。それと同時にリーシャやサラも立ち上がり、謁見の間から出て行った。
「……そなたは暫し待て」
メルエの手を引くリーシャも出て行き、残すはカミュ一人となった時、以前と同じように女王から制止の声がかかった。
振り返ったカミュは、女王の視線を受け、再び玉座の正面に移動し、跪く。
「……そなたの瞳……見覚えがある。昔、この里へ迷い込んだ『人間』が居た。その者の瞳によく似ておる」
「……」
顔を上げたカミュの瞳を覗き込むように見つめる女王の言葉に、カミュは何も答えない。いや、答えられないのだ。
先に続く言葉を聞きたくないが為に。
おそらく、女王の続けるであろう言葉は、カミュが予想した物と寸分も違わない物だろう。
「確か……『オルテガ』と言ったか……」
「!!」
顔を下げ、赤い絨毯を見つめるカミュの予想通りの言葉が、女王の口から飛び出した。
動揺を悟られないようにしていたカミュではあったが、『人』の守護者たる者達の長を相手では、カミュの虚勢は虚しいだけの抵抗であった。
「ふむ。そなたの縁者か?」
カミュの反応に、女王の疑問は確信へと変わる。
それ程、彼の身体に動揺が走っていたのだ。
「しかし、そなたの瞳と似てはいるが、決定的に違う部分もあるな」
「……」
カミュは女王の言葉に反応出来ない。予想していた筈の名前でこれ程まで動揺する訳がない。
カミュは、女王の放つ空気に呑まれていたのだ。
『エルフ』という存在にではなく、『守護者』の中の女王の持つ強さに。
「そなたも、魔王の討伐の為に旅をしておるのか?」
「……はい……」
女王の問いかけに、ようやくカミュは反応を返す。
しかし、それはどこか弱々しいものであった。
「ふむ。そうか……以前、そなたは私に向かって、『人を護る理由』について答える事が出来なかった。それは今も変わらぬか?」
「……はい……」
『人を護る理由』
それは、カミュが物心ついた時から模索し続けている事柄だった。
そして、未だに答えが見つからない。
未だに顔を上げないカミュを見下ろした女王は、息を一つ吐き出した。そして、何かを考え込むように固まっているカミュに向かって姿勢を正し、その口をゆっくりと開く。
「……ここからは、アンの心を解放してくれた感謝の意を込めて話します」
「……」
女王が姿勢を正した事により、カミュも姿勢を正し、真っ直ぐと顔を上げた。
本来ならば、王の前で顔を上げる事など無礼に値する事ではあるが、この女王の言葉は、瞳を見て聞かなければならない事だと、カミュの何処かが理解していたのだ。
「貴方は、これから先、この世界を旅する中で、様々な事を見るでしょう。その中には今回の様な『人』の醜い部分を見る時や、逆に『人』の美しさを見る時など、貴方の悩みを大きくする物もある事でしょう」
女王の口調が何時の間にか変わっていた。
母が子を諭すような優しい口調。
これが、『人』を守護し、導く『エルフ』の本来の姿なのかもしれない。
「もし、貴方が迷い、悩み、前へ進む事を躊躇う時には、あの『幼き者』を見なさい」
「……メルエを……ですか?」
カミュは、完全に女王の雰囲気に飲まれていた。その一言一言が、カミュの胸の中に素直に落ちて行く。
疑う事も、嫌悪を感じる事もない。川が海へと流れて行くように、女王の言葉はカミュの胸へと落ちて行った。
「ええ。あの『幼き者』は貴方を見ています。貴方を見ているからこそ、あの『幼き者』の瞳は美しい。何者の考えにも染まらず、自らが見聞きした物で判断する。貴方が迷い、悩む時、あの『幼き者』の瞳が貴方に答えを指し示してくれる事でしょう」
「……はい……」
その言葉が意味する事は、今のカミュには理解出来ない。だが、カミュは頭を下げ、女王の言葉に肯定を示した。
彼が歩む道に迷う時が来るのかは解らない。彼の歩む定められた道に悩む事などないのかもしれない。
それでも、この言葉は、カミュの胸の中に残って行くだろう。
「貴方の瞳に似ている『オルテガ』と貴方の瞳の決定的違いは、貴方が答えを見つけた時、自ずと理解するでしょう」
女王の話は終わった。
具体的な教えは何もなかった。
だが、カミュは、何か心に楔を打ちつけられたように感じていた。
「外へ出れば、私の真面目な側近が待っています。その者に『貴女の判断は正しかった。罪は問わない』と伝えてあげて下さい」
「……畏まりました……では、失礼致します」
そして、女王とカミュの対談は終わりを告げた。
色々な物をカミュの胸に残して。
誰一人居なくなった謁見の間の玉座に一人座り、一枚の手紙を見つめる女性がいた。
「……アン……」
愛しい娘の名を呟き、たった一枚の紙切れとなってしまった娘を胸に掻き抱く。
女王と呼ばれ、エルフを護る為に奮闘して来たが、たった一人の自分の娘の身すら護る事が出来なかった事を悔やみながら。
「……うぅぅ……うぅぅ……」
今日、この日だけは、女王ではなく、唯の母親に戻る。
愛しい一人娘の死を悲しみ、涙を流す母親に。
圧し殺すような嗚咽が、静寂と夜の闇に覆われた謁見の間にいつまでも響いていた。
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