新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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ロマリア大陸⑤

 

 

 

 <ノアニール>を後にした一行は、再びカザーブへ向かう道を歩く。

 空は雲一つない青空。

 先程、<ノアニールの村>全体に『エルフの慈愛』を行き渡らせた風は、今も尚、心地よい風となって一行の髪をなびかせている。

 

 サラは今回の一連の出来事に、今までの自分の価値観を大きく揺り動かされた。

 それは、サラの生きて来た十七年という年月が無駄であったと思わせる程に大きなもの。

 しかし、サラの目の前を歩く、メルエの手を引いたリーシャの表情は晴れやかなものである。それが、サラには不思議で仕方がない。

 サラと同じように、自分の中にある積み上げて来た物の崩壊という事が、リーシャにも起こっている事は確かなのだ。それでも、リーシャは笑顔を見せている。

 

「リーシャさん……少しよろしいですか?」

 

「ん?……どうした、サラ?」

 

 そんな自分の中の疑問をサラは吐き出す事にした。

 サラの表情を見た、リーシャは何か思う所があったのであろう。手を引いていたメルエを促し、カミュの下へと送り出す。メルエは不思議そうにサラとリーシャを見比べた後、前を行くカミュの下へと駆けて行った。

 

「……ありがとうございます」

 

「いや、いい。それで、どうしたんだ?」

 

 メルエがカミュのマントの裾を握り、カミュがリーシャ達を一瞥した後、また歩き出したのを確認したサラは、重い口を開き始めた。

 

「リーシャさんは、大丈夫なのですか?」

 

「……何がだ?」

 

 カミュ達に遅れないように、ある程度の距離を保ったまま歩きながら、リーシャ達の会話は始まった。

 リーシャもサラが何を問いかけているのかは、大まかには理解出来ているのだろう。しかし、サラが口にするのが良いと感じたのかもしれない。そしてこの会話は、終世サラの心に残る物となる。

 

「……私は、今まで信じて来た物が解らなくなってきました。今回のエルフの女王様の話、そして村の人達の行為。何が正しくて、何が間違っているのか……」

 

「……それは、私も同じだ」

 

「で、では!」

 

 やはり、サラが思っていたように、リーシャの心も同じ事を考えていたのだ。

 救いを求めるように、答えを求めるように、俯いていたサラの顔はリーシャへと向かって勢い良く上がった。

 

「……私は、アリアハンを出た頃、カミュを『人』とは思っていなかったのかもしれない。あのご老体のようにな……」

 

「……リーシャさん……」

 

 リーシャが始めた独白。それは、自分の罪を認める行為。『人』として通常の考えかもしれないものではあるが、それでもリーシャは罪として考えている証拠であった。

 

「……確かに、私達が信じて来た『人』としての常識は覆されたかもしれない。だがな、サラ。私はそれが全てではないと思うんだ」

 

「……全て……」

 

 リーシャは今回の騒動の全てを認め、胸に残した。それでも、これが『人』の全てではないと言う。サラは、その言葉が示す内容を理解しきれない。『人の業』を見せつけられたサラの心は、大きく揺れ動いているのだ。

 

「ああ、何も私達が信じて来た物全てが間違いでもない。あのご老体とて、私達から見れば『悪』に近い。しかし、見方を変えれば、眠りという呪いを掛けられた村人の為に、逃げ出そうとせずに奮闘していた者だ。それは、罪の意識かもしれないし、責任を感じていたのかもしれない。それでもたった一人で、あの村を何とかしようと思っていた事は確かな筈だ」

 

 サラは、リーシャの考えの深さに驚いた。

 リーシャを馬鹿にしていた訳でも、侮っていた訳でもない。ただ、姉の様に慕うこの戦士が、あの村であれ程の怒りを見せたのだ。その中で、感情とは別にこのような考えを持っているとは考えていなかった。

 

「……『人』はエルフから見れば、儚い生を送る者だろう。それでも、その中で必死にもがいている者もいる。それが他種族に対して残酷に映るかもしれない。だけど、カミュの言う通り、それが『人』なのだと私は思う事にした」

 

「……リーシャさん……」

 

 『それが人』

 カミュの語った内容の奥深さを、サラは初めて理解した。

 種族の醜さも、残酷さも含めて『人』だという事を。

 

「サラ、何も今見て来た物が『人』の全てではないだろう? 私達は『人』の暖かさや、優しさ。その素晴らしさも知っている筈だ。おそらく……カミュはそれを知らないのだろう。哀しい事だがな……」

 

 リーシャの言う通り、サラは『人』の素晴らしさを知っている。魔物に両親を殺され、孤児となった自分を、実の娘の様に育ててくれた神父。それは、決して偽りの愛ではなかった。

 本当に大事に、本当に厳しく、そしてそれ以上に暖かく育ててくれた。

 アリアハンを出ると告げた日には、とても辛そうに顔を歪め、それでも自分の為に<聖なるナイフ>を手渡してくれた。

 

 『必ず、生きて帰って来なさい』

 

 涙を溜めてサラに告げた神父の言葉は、今もサラに勇気をくれている。自分の決意を後押ししてくれ、そして帰る場所を与えてくれた。

 その言葉が、サラに『人』の愛を教えてくれ、サラの心の根となっている。

 

「はい!」

 

「サラ、私達はこれからもっと大きな世界を見て行くだろう。その先では、これ以上に残酷な『人』の一面を見る事もあると思う。だが、私は信じている。それが『人』の全てではないと」

 

 サラは、このアリアハン屈指の戦士が眩しく映った。

 最初は優しさや頼もしさは感じたが、同時に頭の固い人物という印象も受けた。しかし、今目の前にいる人物にそんな雰囲気はない。自分が見た物を事実として受け止め、その上で自己の中で消化をし、それでも前を向こうとするこの女性を、サラは改めて好きになった。

 

「……今私が言った事は、サラの質問に対しての答えになっていないかもしれない。私達は知らない事が多すぎる。教会の教えに異論を唱えるつもりもなければ、ましてルビス様を蔑にする訳でもない。しかし、私はこれから先、自分の中の想いが変化して行くと思っている」

 

「……はい……」

 

「私は……それを否定する事を止めた」

 

 リーシャの言葉。

 それは、物事をありのままに受取り消化すること。

 その上で自分の信じている事も曲げない。

 そんな強い決意だった。

 

「はい! 私も……私も自分が変わって行く事を否定しません。それが、『僧侶』として正しい事なのか……それは解りませんが……」

 

「……私は、本来の僧侶という職業は……いや、その上にいる神父様や司祭様という方々は、暗闇に怯える人々を光のある方へ導いて行く存在だと思う。サラがそういう存在になる為にも、これから先色々な物を見て行く必要があると思う」

 

「はい!」

 

 迷いは晴れた。

 リーシャの言う『本来の役目』というのなら、他人の迷いを晴らすのがサラの役目なのであろうが、そこはまだ、未熟な者という事だろう。

 

「さあ、行こう。私達の旅はまだ始まったばかりだ」

 

「はい!」

 

 少し前までの様な暗い影がなりを潜めたサラは、笑顔をリーシャに向け、再び歩き出す。

 その一歩が、今までの自分からの脱却の様に。

 そして、新たな旅の始まりを告げる物の様に。

 

 

 

「戻って来て早々だが、剣を抜いてくれるか?」

 

 カミュとメルエは、少し先で立ち止まっていた。

 リーシャとサラを待っていたのだろうか。

 しかし、それはカミュの声によって否定された。

 カミュとメルエの行く手を遮るように、もはや馴染顔と言っても良い魔物が立ち塞がっていたのだ。

 大きなハサミを掲げ、相手を威嚇するような<軍隊がに>。何度嗅いでも慣れる事のない、腐敗臭と死臭を放つ<バリィドドッグ>。

 それぞれが三体ずつ。計六体の魔物の群れが、カミュとメルエの前で戦闘態勢に入っていた。

 

「ちっ! サラ、メルエを頼む」

 

「はい!」

 

 駆け寄ったリーシャが、腰の剣を抜き放ち身構える。リーシャの言葉を受けたサラも、メルエの前に立ち、背中の槍を手に取った。

 しかし、攻撃方法を持つ少女は、護られるだけを良しとはしない。彼女もまた、勇者一行の中の一人なのだ。

 

「…………メルエも…………」

 

「今回は、魔法は良い。少し後ろに下がっていろ」

 

 サラの後ろから、戦闘参加の意思表示をするメルエに、すかさずカミュの声がかかる。そのカミュの言葉に不満そうに頬を膨らますメルエであったが、それを口に出す事はなく、買って貰ったばかりの<魔道師の杖>を片手にサラの後ろへ下がった。

 

「カミュ! 準備はいいか? 魔法を使われると面倒だ。先にあの狼もどきを倒してしまおう」

 

 リーシャは、以前<バリィドドッグ>が使用した<ルカナン>を警戒していた。

 速度こそ遅いが、<ルカナン>をかけられた状態で攻撃を受ければ、決して楽観視できない程の傷を負ってしまう。しかし、彼女が声をかけた青年は違う考えを持っていた。

 

「いや、<軍隊がに>の方から始末する。あの狼の攻撃は油断しない限り当たる事はない。しかし、アンタの心配している<ルカナン>を掛けられた状態で、あのかにの攻撃は少し厄介な事になる筈だ」

 

 カミュは、スピードの遅い<バリィドドッグ>の攻撃に脅威を感じていなかった。

 反面、大きなハサミを持ち、そのハサミも万力の如き力を有する<軍隊がに>の攻撃力を警戒していたのだ。

 

「わ、わかった。サラ! あのかにの守備力を下げてくれ!」

 

「はい!」

 

 リーシャは、カミュの提案に頷き、後方でメルエを護るサラに魔法の行使を要求する。リーシャの考えが理解出来たサラは、大きく頷いた後に右手を魔物達に向け、詠唱を始めた。

 サラの詠唱が始まった事が確認出来たカミュとリーシャは、それぞれ手に剣を構え、<軍隊がに>へと向かって走り出した。

 

「ルカナン」

 

 カミュとリーシャが<軍隊がに>の下に辿り着いた頃、サラの詠唱が完成し、その魔法が言霊となって行使される。

 サラが唱えたのは、初めての魔法。以前使った<ルカ二>の広範囲魔法であり、今敵として前にいる<バリィドドッグ>が得意とする魔法。

 サラがその魔法の名を叫ぶと同時に、カミュとリーシャが対峙していた三匹の<軍隊がに>の身体が淡く光り出した。

 全体的に自分の魔法力を行き渡らせる為、通常その効果は単体目的の魔法よりも劣る物である。しかし、ロマリア大陸に入り、強敵との戦闘を繰り返して来た二人は、<軍隊がに>と初めて相対した時とは違う。

 効果が薄いとは言え、サラの唱えた<ルカナン>で十分であった。

 

「やぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 

 走り込みながら振り抜いたリーシャの<鋼鉄の剣>は、何の抵抗もなく<軍隊がに>の身体へと吸い込まれて行く。あたかもケーキにナイフを入れるかのように、固い殻で覆われていた身体を二つに斬り裂かれた一匹の<軍隊がに>は、そのままそこで命の灯を吹き消された。

 自分の身を護ってくれる筈の固く頑丈な殻が役に立たなくなっている事を見た他の二匹がたじろぎ、逃げ出そうとするが、それは叶わなかった。

 

「……」

 

 普段なら、逃げようとする魔物を追う事のないカミュが、一匹の<軍隊がに>を突き刺すように剣を突き入れる。絶叫の様な雄たけびを上げ、<軍隊がに>は絶命した。

 カミュの心の中がいつもと同じでない事を示すような行動。それは、<エルフの隠れ里>に続き、<ノアニールの村>で立て続けに聞いた、ある人物の名前が影響しているのかもしれない。

 残り一匹の<軍隊がに>を始末する間、その力量の差に三体の<バリィドドッグ>は呆然と見ているしか出来なかった。

 そんな魔物の様子を見ていたメルエが、徐に先程買って貰った<魔道師の杖>を<バリィドドッグ>へ向けて掲げる。

 

「…………ギラ…………」

 

 いつもと同じ、抑揚のない、呟くような詠唱。

 カミュ達と出会い、ようやく魔法という自分の存在意義を見つけた少女の唯一の武器。

 それは、経験を重ねる毎に威力を増して行っていた。

 

「…………???…………」

 

 しかし、迸る炎となって<バリィドドッグ>を包み込む筈の<ギラ>の熱風は、メルエの掲げる<魔道師の杖>の先から発生する事はなかった。

 不思議そうに自分の手にある杖の先を見ていたメルエであったが、その表情には徐々に焦りの様な感情が浮かんでくる。

 

「……メルエ……?」

 

「!!」

 

 前に立っていたサラの自分の名を呼ぶ声に、メルエは弾かれたように顔を上げた。その顔は、焦り、哀しみ、そして絶望が彩られている。

 

 『魔法こそが存在意義』

 

 それは、どれ程カミュやリーシャに大事にされていると感じようと、どれ程サラに優しい言葉をかけられようと、メルエの中で変化する事はなかった。

 その魔法が使えない。それは、カミュ達と一緒にいる事の出来る資格を剥奪されたように感じたのだろう。

 

「サラ! メルエを護れ! 魔物から目を離すな!」

 

 メルエの姿に一瞬の驚きを示したリーシャであったが、そこは『戦士』。即座に気持ちを切り替え、サラへと指示を出す。

 リーシャの言葉に、我に返ったサラは、再び槍をもつ手に力を入れ直し、<バリィドドッグ>と改めて対峙した。

 

「カミュ!」

 

「一体は任せる」

 

 カミュは剣を構え、猛然と<バリィドドッグ>へと向かって行く。カミュの動きに気がついたリーシャが声をかけるが、それに対し短く応え、そのまま二体の<バリィドドッグ>が集う場所に突っ込んで行った。

 

「サラ! 何かカミュを援護できる魔法を!」

 

「は、はい!」

 

 残る一体に剣を振りかざしながら、リーシャはサラへカミュの援護を指示する。自分に声がかかるとは思わなかったサラは慌てて返事を返しながらも、片手を上げ詠唱を始めた。

 

「マヌーサ!」

 

 サラが詠唱を完成させたと同時に、先程の<軍隊がに>とは違った光が二体の<バリィドドッグ>を包み込む。

 それは、以前<ナジミの塔>でリーシャが惑わされた魔法。幻に包まれ、相手を見失ってしまう幻覚魔法。

 使用するのは初めてであったが、サラは契約を既に終えていたのだ。

 元々動きの鈍い<バリィドドッグ>の動きにカミュが傷つく事は皆無に等しかったが、それでも全く攻撃が当たる気がしない程、ありもしない方向に攻撃を繰り出す<バリィドドッグ>を見て、カミュは素直に感謝した。

 

「ふん!」

 

 カミュは、ありもしない方向を向く<バリィドドッグ>に剣を振るい、その体躯を両断する。上半身と下半身を分断されても動く腐乱死体の頭部を突き刺し、その活動を停止させ、残るもう一体へとカミュは剣を向けた。

 

「…………ギラ…………ヒャド…………!!!!」

 

 後方で、もはや泣き声となり始めたメルエの声がカミュの耳に聞こえて来る。何度も何度も<魔道師の杖>を突き出し、呪文を唱えるメルエの姿は哀しい程に必死な物だった。

 

「……メルエ……」

 

「!!!!」

 

 そんなメルエの姿に名前を再度呼ぶサラ。メルエは、とうとう癇癪を起したように<魔道師の杖>を投げ捨てた。

 乾いた音を立て、平原に転がる<魔道師の杖>。そして、涙の溢れる瞳を残るたった一体の<バリィドドッグ>に向け、その小さな手を挙げた。

 

「メルエ! ダメだ!」

 

「!!」

 

 しかし、そんなメルエの詠唱は、このパーティーのリーダーである一人の青年に阻まれた。

 それは、メルエが兄の様に父の様に慕い、そして先程のメルエの癇癪の原因となった杖を買い与えた人物。カミュの声に、メルエの腕は下がる。

 そんな緊迫した空気の中、メルエが投げ捨てた<魔道師の杖>を拾い上げた人物がいた。

 それは、一体の<バリィドドッグ>を片付け終わった『戦士』。

 そして、魔法という神秘を行使する事を夢見ていた、魔法力の欠片も持ち合わせてはいない女性であった。

 

「お、おい! アンタが魔法を実戦で使うな!」

 

 メルエの行動により、一度<バリィドドッグ>から距離を取っていたカミュがリーシャへと声をかけるが、リーシャの耳にそれが届く事はなかった。

 <魔道師の杖>を握り、何やら念じ始めたリーシャ。そして、そのリーシャの願いに応えるように<魔道師の杖>の先に嵌め込まれた宝石が光り始めた。

 

「くっ!」

 

 光を放った瞬間、リーシャの持つ<魔道師の杖>の先から、小さな火球が放たれる。それは、本当に小さな火球。メルエが使う<メラ>に遠く及ばず、カミュが使う<メラ>にも及ばない程の火球。しかも、それは<バリィドドッグ>へ向かって飛んで行く事はなかった。

 杖の先から発生した火球は、敵である魔物ではなく、味方である筈のカミュ目掛けて飛び出したのだ。

 

「カミュ様!!」

 

 カミュは、今、盾を所有していない。小さな火球とは言え、盾で防げない以上、避けるしか方法がない筈だが、まさか味方に攻撃されるとは考えていなかったカミュは、虚を突かれる形となっていた。

 

「…………ヒャド…………」

 

 放ったリーシャですら、カミュに当たってしまう事を覚悟したその時、先程カミュから魔法を直に行使する事を禁じられたメルエが、詠唱を完成させた。

 冷気の塊が、リーシャが放った<メラ>目掛け飛んで行く。元々、杖という道具から出た魔法と、魔法の才能の塊であるメルエが唱えた魔法とでは、その性能には雲泥の差があるのだ。

 故に、メルエが唱えた<ヒャド>は正確に火球を打ち抜く。相殺されるように掻き消えた火球ではあったが、威力の違う魔法の為、メルエの唱えた<ヒャド>の冷気が辺りを包み込み、周囲に広がった。

 

「カミュ様、大丈夫ですか?」

 

「カミュ! すまない!」

 

 慌てたようにカミュに駆け寄るリーシャとサラ。メルエは、叱られる事を恐れるように、徐々に近づいて行く。

 残っていた<バリィドドッグ>は、一行のドタバタ騒ぎの隙をついて逃げ出していた。

 

「……馬鹿だ馬鹿だとは思っていたが、ここまでとは知らなかった」

 

「なっ!?」

 

 近寄ったリーシャに吐き捨てるように言葉を漏らすカミュの表情は無表情だった。

 それは静かな怒りの証拠。リーシャは言葉を失った。

 

「アンタの様に、魔法を行使した事のない人間が、いきなり実戦で行使出来る訳がない。魔法のタイミングも、距離感も、何もかもが分からない状態で何が出来る!?」

 

「……」

 

「……カミュ様……」

 

 カミュの言っている事に、リーシャは反論が出来ない。

 それもその筈。

 カミュの言っている事は正論なのだ。

 

「……そこの僧侶ならまだ解る。魔法の発現を体感しているのだから、その感覚は身体が憶えているだろう。だが、アンタは違う。メルエ、二度とこの戦士に<魔道師の杖>を渡すな」

 

 カミュは、<魔道師の杖>の持ち主であるメルエへと視線を向け、再び禁止事項を増やした。

 それに対し、俯いた顔を上げ、カミュの瞳を見ながら、メルエの口が開く。それは、初めて見せるメルエの姿だった。

 

「…………メルエ………いらない…………」

 

 <魔道師の杖>を持っていれば、魔法が使えない。メルエにとってそれは、唯一の武器である魔法を禁止されたのと同じなのだ。

 今まで見せた事のない強い瞳の中には、涙が滲んでいる。カミュ達と共に旅をする事の条件が、魔法を使える事だとでも考えているのだろう。

 

「……メルエ……」

 

 メルエの答えに、カミュは深い溜息を吐く。

 それは、『どいつもこいつも』という言葉がピタリとはまる表情であった。

 

「メルエ、杖を持って魔法が使えないのは、修練不足だ。メルエの持つ魔法力を杖に行き渡らせてないだけだ。それが出来れば、杖の先からメルエの思う通りの魔法が飛び出す」

 

「…………いらない…………」

 

 カミュの言葉に納得せず、再び首を横に振るメルエを、サラは心配そうに見つめる事しか出来なかった。

 既に、メルエの魔法に関しての問答は、サラの中では終結しているのだ。カミュの考えがメルエを護る為である以上、ここでサラが口を開く事は出来ない。

 

「ダメだ。先程、俺を救ってくれた事には礼を言う。ありがとう。だが、今のままでは、メルエは<ギラ>や<イオ>以上の強力な魔法は、契約は出来ても行使する事は出来ない筈だ」

 

「…………いや…………」

 

 これ以上の魔法は行使出来ないと言う事は、旅がここで終わる事を意味するとメルエは感じたのかもしれない。カミュの言葉を最後まで聞く事無く、メルエは全力で首を横へ振った。

 

「……ならば、杖から魔法を出す練習をしよう。何もメルエ一人でやる必要はない。俺も、そこの僧侶も手伝う」

 

「…………いや…………」

 

 もはや、駄々を捏ね始めた子供だ。

 メルエは何を言ってもただ首を横に振るばかり。

 カミュは困り果ててしまった。

 

「……メルエ、今回、私がメルエを注意する事は出来ない。だが、お願いがある」

 

「…………リーシャ…………?」

 

 そんなカミュの横から、今まで顔を下げていたリーシャが口を開く。自信なさげに眉を下げたリーシャは、メルエに対し、注意ではなく願いがあると言う。そのリーシャの姿に横に振られていたメルエの首は止まり、そして傾いた。

 

「私は幼い頃から魔法という神秘に憧れを持っていた。今でも同じだ……だが、魔法力を持ち合わせていない私には、身体を鍛え、剣を振るう事ぐらいしか出来なかった……正直、メルエが羨ましい……魔法力がなくとも魔法が行使出来る杖と聞いて、どうしても自分を抑える事が出来なかった」

 

 メルエの肩に手を置き、顔を伏せたまま呟くリーシャの姿を見て、サラは言葉を発する事が出来なかった。リーシャの魔法への憧れがここまでとは思っていなかったのだ。

 リーシャには剣技がある。未だ発展途上であるそれは、これからの鍛錬次第で更なる高みへと昇り、それこそ世界屈指の『戦士』になる事も可能なのだろう。故に、サラはそれ程の能力を有するリーシャが魔法という物へそれ程執着する理由が解らなかった。

 だが、それは持つ者と持たざる者の価値観の違いなのかもしれない。

 

「……しかし、やはり私には魔法は無理だった。これから先、魔法を使おうとは思わないだろう。だがなメルエ……これから先の旅では、魔法が必ず必要なのだ。それは、サラの使う補助魔法でもなく、カミュが使う鉄になってしまう魔法でもない。メルエが使う、敵を攻撃する魔法だ」

 

「…………メルエの…………?」

 

 カミュが何を話しても抵抗するばかりであったメルエの反応が変わった。

 リーシャの真摯な声は、メルエの小さな胸へと落ちて行く。リーシャが何を言おうとしているのかを理解出来た訳ではない。その証拠に、メルエの首は横に傾いていた。

 

「ああ、もちろんサラの補助魔法も必要だ。だが、剣が効かない敵に対しては、メルエの使う攻撃呪文が、どうしても必要になる。その時、メルエがまた自分の使う魔法で怪我でもしたら、やはり私もメルエに魔法を禁止するだろう」

 

 リーシャは、メルエと視線を合わすようにしゃがみ込み、そしてゆっくりと話す。今まで駄々を捏ねるように、他者の話に聞く耳を持たなかったメルエも、そんなリーシャの言葉を静かに聞いていた。

 

「逆に、メルエが杖等を使いながら、今以上に強力な魔法を使用する事が出来れば、これ程心強い事はない。戦闘で私やカミュを救ってくれるのは、サラやメルエの魔法だ。その為にも、杖を使って魔法を使用する事を練習してはくれないか?」

 

「…………魔法………出ない…………」

 

 リーシャの真摯な願いに、メルエは小さな呟きを返す。

 それはメルエの恐怖の大きさを物語っていた。

 

「ふふっ、それはメルエが練習をしていないからだ。私だってカミュだって、メルエぐらいの歳で今の様に剣が使えた訳ではない。何度も何度も練習を繰り返し、剣を振るって来た」

 

「…………れん……しゅう…………?」

 

「……リーシャさん……」

 

 リーシャの言葉は、メルエの心に沁み込む。それはサラも同様であった。

 今は自信を持って剣を振るうリーシャもカミュも、やはり額に汗し、更には何度も傷を受け、そして今の剣技を手にしたのだ。

 

「メルエ、私には魔法の使い方が分からない。だからメルエの魔法の練習で、私が教える事は出来ないが、いつでもメルエの傍にいよう。メルエが練習で挫けそうになる時、嫌になる時、その時は私の所へおいで。一緒に話をしよう」

 

「…………ん…………」

 

 遂に、メルエの首が縦に動いた。

 それは、リーシャの願いを受け入れた証拠。

 そして、これから続く辛い練習を受け入れた証拠。

 

 サラは、リーシャを眩しそうに見上げた。

 幼いメルエを諭し、導くリーシャの姿を。

 それは、サラが憧れ、そしてこの先目指す道標となる者の姿だった。

 

「……それは良いが、アンタにはそれ相応の罰則を与えたい……」

 

 そんな感動が取り巻く空間をぶち壊しにする声が、リーシャの後ろから掛かる。それは、先程リーシャによって火球をぶつけられそうになった『勇者』だった。

 

「い、いや、カミュ。先程はすまなかった。まさか、お前の方に飛んで行くとは思わなかった」

 

 悪びれもせずに頭を下げるリーシャを見て、カミュは一度大きく息を吐き出す。そこに不穏な空気を感じたリーシャとサラは、思わず身構えてしまった。

 

「<ナジミの塔>での事といい、アンタは無意識なのか自覚があるのか知らないが、余程俺を亡き者にしたいのだろうな……」

 

「そ、そんな事はないぞ!」

 

 カミュの言葉にむきになって反論するリーシャ。

 しかし、敵の<マヌーサ>にかかり、カミュに対して攻撃を繰り返していたリーシャの姿を知るサラにとって、カミュの言葉の方がどこか説得力のある物だった。

 

「…………リーシャ………カミュ………きらい…………?」

 

「いや、メルエ、そんな事はないぞ。確かに認められない事もあるが、嫌ってはいない。それこそ、殺そうなどとは思った事もない」

 

 追い打ちをかけるメルエの言葉に、リーシャは更に慌てる。

 故に見えていなかった。

 カミュの口端がいつの間にか上がっている事を。

 逆にサラは見てしまった。

 リーシャをからかう事を楽しむようなカミュの表情を。

 

「……まあ、良い。罰則に関しては、追々考えるさ」

 

「……罰則はやはり与えるのですね……」

 

 口端を上げたまま呟いたカミュの言葉は、静けさが広がる平原に溶けて行く。しかし、その言葉は、全員の耳に届き、サラは呆れと共に、小さな言葉を吐き出した。

 リーシャに至っては若干青ざめた顔で、背を向けたカミュを見つめている。

 

 慌てるリーシャを残し、カミュは詠唱の準備を始めた。

 先程はサラとリーシャが話していた為、平原を歩いていたが、行く目的地が決まっていて、その場所が一度行った事のある場所である以上、カミュ達に歩く必要などないのだ。

 

「…………???…………」

 

 <ルーラ>の詠唱に入るカミュに近寄ろうとしたメルエが何かを見つけ、<バリィドドッグ>の死体の近くに座り込んだ。

 

「メルエ? 何かあったのですか?」

 

「…………これ…………」

 

 メルエの行動を不思議に思ったサラは傍に近寄り、メルエがしゃがみ込んで見ている物を覗き込んだ。

 そんなサラに、その物を持ち上げて見せるメルエの表情は、不思議な物を見るような瞳であった。

 

「……これは……何かの『種』ですか?」

 

「…………た………ね…………?」

 

 それは、小さく細長い種の様な実。

 メルエの小さな手でも、人差し指と親指でつまめる程の大きさしかない。

 

「メ、メルエ! それは、魔物の死体から出て来た物ではないのか? あの腐った魔物が食した物の中に何かの果物でもあって、種だけが残っていたのかもしれない。汚いから触るな」

 

 不思議そうにその種を見つめるメルエとサラの後方から、リーシャの声がかかる。その言い分は当然だろう。腐乱死体と化し、腐敗臭と死臭を撒き散らす魔物の体内にあったとしたら、それ自体も異臭を放っている筈だ。

 

「……ですが、嫌な臭いはしませんね?」

 

 それに答えたのは、メルエではなく冷静に分析していたサラ。その種が、何か不思議な物であるという、何か言い表せない勘が働いていた。

 それはメルエも同じで、カミュに与えられたメルエ分の水筒から水を出し、その種を軽く洗った後、大事そうに<ノアニール>で<魔道師の杖>と一緒に買い与えられた、肩掛けのポシェットへ仕舞い込んだ。

 

「メルエ~~~~~」

 

「…………メルエ………見つけた…………」

 

 見つけた自分の物であるという、子供ながらの主張。肩から斜めにかけているポシェットを軽く叩き、メルエは軽く微笑む。そんなメルエの微笑みにリーシャも諦める他なかった。

 

 

 

 メルエがカミュに駆け寄った事を皮切りに、一行がカミュの下へと集合する。

 全員が自分の衣服を掴んだ事を確認したカミュが、詠唱を開始した。

 

「ルーラ」

 

 カミュの詠唱の言葉と同時に鮮やかな魔法力の光が一行を包み、上空に飛び上がる。

 目的地は、誰も口にしていない。

 しかし、口にしなくても全員の考えは同じだった。

 

 メルエの友人の故郷。

 そして、常にメルエを護ってくれていた武器や防具を与えてくれた人物のいる村。

 そこへ行き、辛く悲しい事実を伝える義務を誰もが胸に抱いていたのだ。

 

 

 




読んで頂きありがとうございました。

明日は私用で更新できないと思います。
さくさく進めるつもりでしたが、何度か見直しながら更新していると、一日一話が限度でした。この辺りが私の限界なのかもしれません。

ご意見、ご感想を心よりお待ちしています。

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