新訳 そして伝説へ・・・   作:久慈川 京

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カザーブの村③

 

 

 

 一行が辿り着いた村は、夕刻が近付き、本日の営みを終了させる準備を始めていた。店を出している者達は、店仕舞いを始め、各家からは夕食の準備をしているのか煙突から煙が出ている。

 そんな夕刻時の慌ただしさが表れている村の中を一行は、たった一つの家目指して歩いていた。そこは、メルエの初めての友人である『アン』の生まれ育った家。

 一行の足取りはやはり重く、誰一人この村に入ってから口を開く事はなかった。

 

 店仕舞いを終えていたその道具屋には人影はなく、カミュがその扉をノックする。その後ろには表情を硬くしたリーシャにサラ。そして、少し哀しみを帯びた表情をしているメルエが控える。

 遠慮気味に開けられた扉から出て来たのは、アンの父親であるトルドであった。先日会った頃より、若干衰えたように見えるその顔が、彼の苦悩を表しているようである。

 

「おっ!? おお! アンタ達か!?」

 

「お久しぶりです」

 

 カミュ達の顔を見た道具屋の主人トルドは、その表情を輝かせ、一行の来訪を心から喜ぶ。特に、一番後ろにいるメルエの柔らかな笑顔を見て、トルドも優しい笑顔を浮かべた。

 

「まあ、入りな。メルエちゃんも元気そうで何よりだ」

 

「…………ん…………」

 

 リーシャとサラの表情を見て、何か感じるところもあったのであろう。トルドは、一行を中へと導いて行く。最後に戸を潜るメルエに、声をかける事も忘れなかった。

 中に入ると、ちょうど夕食の用意をしている最中であったのだろう、トルドの父親と母親も食卓につき、談笑している最中であった。

 

「どうせ、また宿屋に泊る事が出来なかったんだろ? 今日はうちに泊まると良い」

 

「すまない。ありがとう。夕食の準備なら、私も手伝おう」

 

 トルドの暖かな提案に一度頭を下げたリーシャが、自分の得意分野で礼をしようと鎧を外し、腕まくりをする。

 

「おお! ありがとう。またアンタの作った料理が食べられるのなら嬉しいよ。その間に湯を沸かすから、湯浴みでもしておきな」

 

 笑顔を作るトルドは、メルエの方を向き湯浴みを勧める。そのトルドの言葉に、父親が立ち上がり、湯を沸かす為に浴室へと向かって行った。

 

「……何から何まですまない……」

 

「いいさ。アンタ方は、『メルエちゃんを護る』という約束を果たしてくれた。それが俺には嬉しいだけだ」

 

 カミュの礼に対して、トルドは笑顔で答える。

 その言葉に、リーシャの表情は曇った。

 

「……いや、実質、メルエを護ってくれたのは、貴方だ」

 

「ん?」

 

 続くカミュの言葉にようやくトルドの顔がカミュへと向けられた。そこには頭を下げるカミュの姿。その光景に、トルドだけではなく、リーシャもサラも驚きを隠せなかった。

 

「……貴方がメルエに譲ってくれた<毒針>と<みかわしの服>が、メルエを何度も護ってくれた。心から感謝している」

 

 カミュの口調は、仮面を被ったものではなかった。

 リーシャやサラに向けるものと同じもの。

 それは、唯の他人としてトルドを見ていない証拠。

 

「……そうか……良かった。メルエちゃんを護る事が出来たんだな……」

 

「…………ありが………とう…………」

 

 メルエの上半身を折るようなお礼に、トルドの瞳に涙が溢れて来る。再び上げられたメルエの眩しい笑顔が、彼の娘であるアンの姿と重なって行った。

 メルエを護れた事が、最愛の娘を護れなかった事への罪滅ぼしのように。

 

「ぐずっ……いや、メルエちゃんが元気そうで良かった。アンも喜んでいると思うよ」

 

「…………アンと………メルエ………お友達…………」

 

 たどたどしいメルエのその言葉がトルドの涙腺を崩壊させる。

 彼は自身の娘を護る事が出来なかった。

 しかし、愛娘の大事なたった一人の友人を護る事が出来たのだ。

 

「そ、そうかい! メルエちゃんはアンと友達になってくれたんだね。ありがとう。本当にありがとう……うぅぅ……」

 

「…………これ………アン………くれた…………」

 

 もはや、手で顔を覆うように涙を流すトルドに、メルエが更に追い打ちをかける。被っていたお気に入りの<とんがり帽子>を脱ぎ、そこに掛っていた花冠を指差し、トルドに向かって掲げたのだ。

 

「そ、それは!!」

 

 それは、アンが得意としていた花で作った冠。アンの母親であり、トルドの妻である女性がアンに教えた物。

 初めて自分で作った花冠をトルドに向け自慢げに見せるアンの表情が思い出される。そして、その初物は枯れはしているが、今もトルドの部屋の引き出しに大事に仕舞ってあった。

 

「……うぅぅ……メルエちゃんは、アンと会ったんだね……そうか、羨ましいな……うぅぅ……」

 

 にこやかに微笑むメルエの表情に向かって泣き笑いを浮かべたトルドであったが、もはや限界だった。近くにあったテーブルに突っ伏すように泣き崩れる。そんなトルドの背を、自らも大粒の涙を溢しながらも、優しく撫でる母親の姿があった。

 泣き崩れるトルドに、自分がいけない事を言ったのではないかと不安になるメルエの頭をリーシャが優しく撫でつける。そんなトルド家の空気にサラも涙を拭うのも忘れていた。

 湯を沸かし終えた父親が戻り、状況をリーシャが説明すると、トルドと同じように父親も泣き崩れてしまった事から、湯浴みも夕食もかなり遅くなってしまう事となった。

 

 

 

 ようやく落ち着いたトルド一家を席に座らせ、リーシャは料理の為に厨房へ、メルエとサラは湯浴みをするため浴室へと移動して行く。残されたカミュは、居心地のあまり良くない居間で、トルド一家と共にする事となった。

 

「……それで……妻達の事は分かったのか?」

 

 それぞれがそれぞれの場所に消えて行った事を確認し終えたトルドは、確認したかった項目をカミュへと問いかけた。

 それは、一家全員の共通する疑問だったのであろう。父親も母親も身を乗り出すようにカミュへと視線を向けていた。

 

「……できれば、夕食後にお話したかったのですが……」

 

「いや、今さら話を聞こうが聞くまいが、夕食が喉を通らない事には変わらない。ならば、早く真実を知りたいんだ」

 

 カミュがトルドの家を訪ねて来た事。その事実が大体の事を予想させる。

 カミュの判断次第では、この小さな村など通り過ぎても良かった筈だ。ここにカミュ達がいるという事は、カンダタから『金の冠』を取り返したという事実を示すもの。それであれば、この村など通らずロマリア城に行っても良い筈なのだ。

 カミュ達であれば、山の中で野宿をする事にも慣れている筈であり、このような小さな村で一泊する事に意味はない。

 それでもトルドの家に立ち寄った。

 そのカミュの真摯な行動が、トルドは嬉しかった。

 

「……わかりました……」

 

 トルド一家の視線を受け、カミュは一度目を瞑り、溜息と共に目を開いた。それは、真実を告げる決意をした証拠。サラやメルエがいない時に話したいとは考えていたが、それが今になった事への心の整理を終了させた証拠だった。

 

「……結論から言うと……貴方方が考えていた通りです」

 

「!!」

 

 カミュの最初の一言で、全員が息を飲んだ。

 アンとその母親がカンダタ一味に殺されたという事実。

 そして、この先はその凄惨さを知る事になるのだろう。

 

「……娘さんと奥様は、この村に残っていた十人程のカンダタの子分に連れ出され、殺されました」

 

「くっ! やっぱりか! くそっ! 俺が、俺がカンダタをこの村に入れなければ……」

 

「……トルド……落ち着きなさい。まだ、話は終わっていない」

 

 カミュの言葉に激しくテーブルを拳で叩いたトルドを父親が制する。しかし、カミュもこの先を話すつもりはなかった。

 それは、余りにも酷で、余りにも衝撃の強い話になってしまうからだ。

 

「カミュ殿……話し辛いのは解ります。しかし、ここにいる者は、皆覚悟をしておりました。どうぞ遠慮なく、お話し下さい」

 

 父親の真っ直ぐな瞳。

 その隣に座る母親の病弱ながらも強い光を放つ瞳。

 その視線を受け、カミュも覚悟を決めた。

 

「……わかりました。ただ、まず最初に言っておきます。娘さんと奥様の殺害にカンダタは一切関与していませんでした。子分達の独断です。それは間違いないでしょう」

 

 その言葉を皮切りに、カミュは自分が子分達から聞いた話をトルド達に話し始めた。話しを脚色する事なく、自分が聞いた通りに話す。いや、脚色する必要などない程の事実であったのだ。

 

 

 

 嗚咽とテーブルを叩く音が響く居間。そこは、誰も入る事の許されない空間であった。

 リーシャも調理が終わっていたが、台所から居間へ入る事が出来ず、サラとメルエも湯浴みから上がっていたが、湯冷めを気にする余裕もなく、居間への入口で立ち尽くしていた。

 

「……これが、私が知った事実です。それに関与していた子分達の話なので嘘はないと思われます」

 

「……うぅぅ……アン……」

 

 カミュの最後の言葉に、今まで気丈に話を聞いていたトルドの母親は泣き崩れた。父親の方も顔を歪めて涙を流していたが、妻を抱えるように持ち上げ、ベッドのある寝室へと運んで行く。居間に残るのは、カミュとトルド。

 

「すまない……こうなる事は解っていた。ただ、どうしても事実を知りたかったんだ」

 

「……」

 

 カミュは何も言わない。

 ここで何を言っても仕方がない事だと知っているのだ。

 

「……その子分達は?」

 

「……一人残らず死にました……」

 

 仇の生死を問うトルド。

 それに短くカミュは答えた。

 

「アンタ方が殺したのか!?」

 

「……私一人で殺しました。まぁ、その内四人程は、事実を知ったカンダタに殺されていましたが……」

 

 トルドの瞳の奥には、僅かな恐怖が宿っていた。

 『人』を殺すという行為は、ルビス教においての禁忌。それを平然と告げるカミュに、『人』として当然の感情を抱いたのだ。

 しかし、トルドは、その怯えを抑え込み、カミュに向かって深々と頭を下げた。

 

「……そうか、すまない。そんな汚れ仕事を、アンタの様な人間にさせてしまって」

 

「……いえ、元々そういう存在です……」

 

 カミュの返答は、居間の外にいるサラやリーシャも聞いた事がある言葉。

 自分という存在自体を否定してしまうような、そんな哀しい言葉。

 その言葉にリーシャは目を瞑った。

 

「……最後に聞いても良いか?」

 

 カミュの言葉を理解出来ないトルドは、一度目を瞑った後、カミュへ最後の問いかけを洩らした。

 その瞳は、何かに縋るような、哀しい色を宿している。それが、トルドの心を明確に表わしていた。

 

「……はい……」

 

「……アンタ方はアン達に会ったのか?」

 

 最後の問い。

 それは、先程メルエが話した言葉を確かめる物だった。

 正確に言えば、カミュはその問いに答える事は出来ない。

 あれが、幻なのか事実なのかすらカミュにも解らないからだ。

 

「……正確には解りません。メルエが会った事は確かでしょう。ただ、メルエだけでなく、私達全員が、娘さんと奥様によって救われています。おそらくそれも事実だと思います」

 

 そう言って、カミュはトルドにあの雨が降りしきる山中での出来事を話し出す。その話を聞きながら、トルドは目を見開き、そして泣いた。

 

「……そうか、あいつ達はアンタ方に礼をしたかったんだろうな……そういう優しい妻と娘だったから……」

 

「私達が生きているのも、貴方と貴方の妻、そしてメルエの友人であるアンのおかげです。こちらこそ感謝しています」

 

 深く頭を下げたカミュの姿がトルドの瞳に映り込む。それは、妻と娘の存在を認めている者の姿。既に死んでから数年経つ者への敬意に満ち満ちていた。

 

「……ありがとう……ありがとう……」

 

 トルドは再びテーブルに頭を落とし、泣き崩れた。その鳴き声は、もう何年も溜め込んでいた涙。妻と娘が消え、その死の理由も分からないまま溜めこんでいた感情を、一気に爆発させたものだった。

 哀しく、やり切れない空気が居間に漂う中、一人の少女が居間へと入って来る。少女は、台の上に置いてあった自分の帽子を手に取り、そしてトルドの傍へと駆け寄って行った。

 

「…………これ………あげる…………」

 

「そ、それは……ありがとう……でも、それはアンがメルエちゃんの為に作った物。メルエちゃんが大切に持っていておくれ。その方が、アンも喜ぶだろうから」

 

 アンがトルドに渡そうとした物。それは、先程トルドに見せた花冠だった。

 メルエにとっても、命の次に大事な物といっても過言ではない物。それでも、今のトルドを見ていて、メルエはトルドに渡すべきと考えていたのだろう。故に、トルドの拒否に戸惑い、カミュの方へと視線を送る。

 その時には、居間にリーシャもサラも入って来ていた。

 

「……それはメルエが持っていろ。それは、アンとメルエの友達としての証だ」

 

 視線を送ったカミュではなく、横から現れたリーシャから返答が返って来る。その言葉に、メルエは眉を下げながらもこくりと一つ頷いた。

 

「……本当にありがとう。アンタ方のお陰で、ようやく事実を知る事が出来た。何もないところだが、今日はゆっくりして行ってくれ」

 

 無理やりの笑顔を浮かべながら、そう言ったトルドではあったが、『先に休ませてもらう』という言葉を残して自室へと入って行った。

 残った四人は、重苦しい空気の中で食事をとり、そして就寝する。サラとメルエは同じベッドで眠る事となり、メルエを大事そうに抱えたサラの姿が、メルエを労わる彼女の心を表していた。

 そんな隣のベッドに、リーシャの姿はなかった。

 

 

 

「何をしているんだ?」

 

 誰もが寝静まり、村を静寂が支配する夜中。

 リーシャはトルドの家から出ていた。

 気持ちの整理がつかず、夜風を浴びようと外へと出た。

 トルドの家から出ると、空一面を覆う星達。

 そして、大地を照らす月明かり受け、町は淡く輝いている。

 

 そして見つけた。

 村の中央に位置する場所にある泉の真ん中で一人空を見上げる青年を。

 

「ん?……ああ、アンタか?」

 

「こんな夜中に何をしているんだ?まさか、<盗賊のカギ>を使って盗みでも働こうというのか?」

 

 言葉の内容とは別に、リーシャにはカミュの心の中が何となく想像出来ていた。

 その証拠に、リーシャの表情は薄い笑顔である。

 

「……少しな……」

 

「そうか……<レーベ>の時の様に、トルド達に真実を伝えずに誤魔化すべきだったのかを考えていたのか?」

 

「!!」

 

 図星だった。

 それは、カミュが考えていた事を正確に射抜いていた。

 果たして過酷な真実をトルド一家に伝えるべきだったのかという事。

 くぎは刺しておいた。実際、この村を出る前に父親の方に真実が幸せには結びつかない可能性がある事は伝えてある。しかし、それは言葉だけのもの。

 『覚悟は出来ている』とはいえ、その内容の悲惨さに心が壊れてしまう事はある。母親の方が寝室へ戻ってしまった事、そして連れて行った父親も戻らなかった事。

 それが、カミュを悩ませていた。

 

「……私が何を言っても、お前は悩むのだろうな。だが、私はあれで良かったと思う。お前が誤魔化した所で、トルド達が真実を求める事は止めないだろう」

 

「……」

 

 カミュの瞳は驚愕の色を隠し、今は静かにリーシャを見つめている。そこに何かの感情を見出す事は出来ない。

 

「そして、いずれ真実にぶつかる。それならば、アンとその母親に出会ったメルエのいる私達が、彼女達の事を伝えてやる方が良いだろう」

 

 リーシャはカミュの方は見ず、空に輝く星を見上げながらぽつりぽつりと言葉をつなげて行く。自分の言葉では、カミュの中で何かが変わる事はないという事を理解してはいても。

 

「……そうかもしれないな……」

 

「それに……<レーベ>の時とは違う。おそらく、お前が真実を話さない事に抗議するのは、今度は物言わぬ犬ではなく、メルエだ。お前はメルエの澄んだ瞳に耐える事が出来るのか?」

 

 <レーベの村>では、老人に真実を話さなかったカミュ。

 それに対して、リーシャもサラも何も言わなかった。

 おそらく今回も、カミュが真実を話さなかったとしても、リーシャもサラも何も言わなかっただろう。しかし、今回はその他にメルエがいる。アンの唯一人の友人であるメルエが。

 <レーベの村>で吠えかかって来た犬の様に、メルエが喚き散らすとは思えない。だが、『何故?』という瞳でカミュを射抜く事になっただろう。

 それは、この村を出て、旅を続けて行く中で永遠に続くのだ。

 

「……無理だろうな……」

 

「ふふふ……お前もメルエには敵わないのだな。あの時メルエは『アンは笑っていた』と言っていた。もう、山中でアンを見る事もないのかもしれない。私達は出来るだけの事をした。後は、トルド達が自分の力で立ち上がるだけだ」

 

 一瞬優しい笑顔を浮かべたリーシャだったが、トルド達の今後を考えたのだろう。厳しく表情を引き締め、言葉を続けた。

 カミュは、リーシャの話の間中、空に浮かぶ月を見つめている。彼の胸中に何があるのかは、正確には解らない。だが、リーシャは、この『勇者』の本質を無意識に理解し始めていた。

 

「……冷たいのもしれない……突き放すように感じるかもしれないが、これから先は私達に出来る事はない。だが、真実を知らずに悩み、苦しむよりは良いのではないか?」

 

「……アンタ、少し変わったか?」

 

 何の脈略もないカミュの返答に、視線を動かしたリーシャは驚いた。カミュの表情が、微かではあるが、笑みを浮かべている物になっていたのだ。

 つい先日、メルエの事を話した時に見せたような、作り物ではない笑顔。それを浮かべるカミュを、リーシャは呆然と見つめてしまった。

 

「……すまない……少し気が晴れた」

 

 呆然とするリーシャに一言溢したカミュは、そのままトルドの家に戻って行く。我に返ったリーシャはそのカミュの後ろ姿を見送り、そしてもう一度、星達が輝く夜空を見上げた。

 

「変わったか……そうかもしれない。この先、私はどこへ向かって行くのだろうな……」

 

 リーシャの呟きは、静寂が支配する夜の村の中へと溶けて行った。

 

 

 

 翌朝、いつも遅くまで寝ているメルエを起こし、サラとカミュの指導の下、メルエの鍛練を行う。その間に、カミュとリーシャの模擬戦等も挟みながら朝食までの時間を過ごした。

 その後、リーシャが村の市場に寄り、食材を買ってトルドの家に戻ると、まだ家の中は静けさが広がっていた。

 それは、家人が誰も起きてきていない証拠。少し表情を歪めたカミュの肩を叩いたリーシャは、そのまま台所に入り、食事の準備を始める。自分達の朝食だけではなく、おそらく今日は起きて来ないであろうトルドの両親の為に、栄養のあるスープ等も作る。

 そうこうしている内に、ようやくトルドが居間へと顔を出した。

 

「おお、すまない。客人に食事の準備などさせてしまって……」

 

「……いや……」

 

 おどけて見せるトルドの顔は、昨日とは打って変わってやつれを感じさせるものだった。それ程、カミュが齎した情報は、トルドにとって重い物だったのだ。

 

「親父も、お袋も今日は休ませようと思う。悪いが勘弁してくれ」

 

「……そのほうが良いでしょう……」

 

 予想通り、余りのショックに両親は起きる気力を削がれているのだろう。

 トルドの言葉に、カミュは無表情のまま小さく頷いた。

 

「あ! おはようございます」

 

「…………おはよう…………」

 

 そこへ、顔を洗い、身体の汗を拭いてきたサラとメルエが居間へと現れる。早く起き、少し眠そうなメルエにトルドの表情も幾分か和らいだ。

 

「ああ、おはよう。昨日はよく眠れたかい?」

 

「…………メルエ………ねむい…………」

 

 いつもより一刻以上早い時間に起きたメルエは、目を擦りながらトルドの質問に答えるが、そのメルエの言葉が余りにも珍妙で、サラとトルドは同時に吹き出してしまった。

 

「あはははっ。まあ、朝食を食べよう。アンタ方は今日にはこの村を出るのだろう?」

 

「……ええ……そのつもりですが……」

 

 トルドの質問は、確認の意も込められていた。カミュ達には、この村に用事などある筈がない。唯一つの約束を果たしに来てくれただけだろう事はトルドにも解っていた。

 

「……そうか……じゃあ、アンタ方の武器などを見せてくれ。これでも鍛冶も出来るんでな」

 

「……助かります……」

 

 カミュ達の心意気に返す物が、トルドにはない。

 故に、せめてもの恩返しに、カミュ達の武器を手入れしようというのだった。

 

「…………これ………何…………?」

 

 そんなトルドの行為に頭を下げるカミュの横から、自分のポシェットを持ってメルエが割り込んで来る。その手には、ポシェットから出した小さな『種』の様な物を手にしていた。

 それは、昨日メルエが<バリィドドッグ>の死体の傍で見つけた物。

 

「ん? これは……メルエちゃん、これはどうしたんだい?」

 

「…………落ちてた…………」

 

 メルエの手から「種」を受け取ったトルドは鑑定を始める。その頃、ようやく朝食を作り終えたリーシャが両手に皿を持ちながら居間へと現れた。

 

「よし、できたぞ!……ん? 何をしているんだ?」

 

 居間に戻り、目に映った不思議な光景にリーシャはカミュへと疑問を投げかける。その問いに、カミュは顎で示すようにトルドを指し、リーシャの視線をトルドの手元へと導く。そこで、リーシャにも何をやっているのかが理解出来た。

 

「う~ん。拾ったのかい……これはね……俺の記憶違いでなければ、<かしこさの種>という道具だな」

 

「<かしこさの種>?」

 

 トルドの言葉に、その場にいた全員の声が重なった。

 誰もが聞いた事のない名称であったのだ。

 

「ああ、これを食すと、食した者の『かしこさ』を少し上げる効力があると云われている。まあ、俺も使った事がないから、それが目に見えて解るような効力があるのかどうかは解らないがな」

 

「……!!……な、なんだ?……何故、私を見るんだ!?」

 

 トルドの話を聞いたカミュ、サラ、メルエの三人の視線が一斉に一人の女性に向けられた。自分に向けられ一斉に動いた視線に、リーシャは戸惑う。

 

「……いや、アンタの頭も若干でも良くなるのかと思ったのだが……」

 

「な、なんだと!! 私に『かしこさ』が少しもないとでも言うのか!?」

 

 カミュの失礼な言動に、久しぶりにリーシャが激昂する。久しく見ていなかったその光景にサラは不謹慎ながらも笑顔を浮かべてしまった。

 しかし、その様子を見ていたメルエの首が片方に傾げられる。

 

「…………リーシャ………食べる…………?」

 

「メ、メルエまで! 食べる訳ない! それに、それはあの腐った狼の体内にあったものだろう!? そんな物を食せる訳ないだろ!」

 

「それに関しては、大丈夫だと思う。元来『種』は種類が色々あるが、それ自体神聖な物らしく、実や種が何かに覆われていて汚れる事はないと云われている。それに、もし、アンタの言うように魔物の体内に入っていたとしたら、その魔物の『かしこさ』を上げてしまい、もはや原型は留めていないはずだ。 おそらく体毛にでもくっついていたんじゃないか?」

 

 メルエがリーシャにその種を差し出すが、リーシャは全力でそれを拒絶する。

 しかし、拒絶する理由を傍観者であったトルドが真っ向から否定した。

 

「な、なおさら嫌だ。なぜ、腐敗した魔物の体毛についていた物を食べなければいけないのだ! それに、私はそこまで馬鹿ではない!」

 

 拒絶を表すリーシャに白い視線が集まる。全員からの視線にリーシャはたじろぎを見せるが、ここで弱気になれば、あの不快な物を食べなければならなくなると感じ、必死の抵抗を見せた。

 

「……ああ……罰則が残っていたな……」

 

 そんな中、不意に口端を上げる嫌な笑みを浮かべながら、カミュが口を開かれる。その言葉が、リーシャには地獄からの声に聞こえた。

 確かに、昨日リーシャが起こした失態により、カミュは火傷の危機を被った。しかし、その罰がこの『種』を食べる事では、流石に割に合わない。下手すれば、命に係わるかもしれないのだ。

 

「ふ、ふざけるな!! あんな『種』を食べれば、食中毒で死ぬかもしれないんだぞ!」

 

「……俺も、アンタに何度か殺されかけているが?」

 

 予め予想していたのか、カミュはリーシャの反論を即座に切り返した。確かに、カミュは何度かリーシャの為に命を落としかけている。事実であるが故に、リーシャは言葉に詰まってしまった。

 

「そ、それは……死んでいないだろう!?」

 

 もはやリーシャの頭は大混乱だ。

 何故、自分ばかりにその役目が回されているのかが解らない。別にサラであっても、メルエであっても良い筈だ。

 

「その『種』を食べても、死ぬとは限らない筈だが?」

 

「死んでしまうかもしれないじゃないか!?」

 

 カミュは口端を上げながらからかうように。

 逆にリーシャは心底必死だ。

 そんな応酬が繰り返される中、突如全く違う声が響き渡る。

 

「ふっ……あははははっ! くくっ、あはははははははっ!」

 

「ぷっ……あはははっ」

 

 堪え切れなくなったトルドが最初に吹き出し、我慢に我慢を重ねていたサラがそれにつられて大声で笑い始める。その横で、二人の笑顔を見比べながら、メルエも笑顔を見せる。

 

「くくくっ……」

 

 そして、リーシャと対峙していたカミュもまた、珍しく声を漏らして笑ったのだ。一瞬の出来事に、リーシャの思考が追い付かない。

 そして、ようやく思考が開始されたリーシャの顔は見る見る赤くなり、瞳は怒りの炎を宿し始めた。

 

「お前達! 私を愚弄していたのか!?」

 

「あははははっ! い、いや……そんなつもりはないよ。あはははっ……あれが『かしこさの種』というのは本当だしな……あはははは……」

 

 もはや、トルドも弁解になっていない。笑い声を押えながら事実を伝えようとするが、八対二の割合で笑い声が多ければ、リーシャの気持ちを逆撫でするだけだ。

 

「~~~~~~~~!! 私は、そんな物を絶対に食べないからな!!」

 

「…………リーシャ………かしこく…………」

 

 大きな笑い声を発し続けるトルドとサラに、リーシャは完全にへそを曲げてしまう。小刻みに震える肩を抑え込むように、リーシャが視線を逸らした場所には、『かしこさの種』を持ったメルエが立っていた。

 

「メルエまで私を馬鹿にするのか!? 良いだろう……わかった。全員今日の朝食は抜きだ」

 

 笑顔のメルエが『種』を手に持ちながら、リーシャに掛けた言葉がギリギリで繋がっていたリーシャの堪忍袋の緒を切ってしまった。

 リーシャが持って来た湯気の立っている朝食は、すでに全員の目の前に並べられている。その状態で食せないとなると、かなり精神的なダメージを受けるだろう。

 

「…………いや…………」

 

「嫌でも駄目だ! メルエもサラも朝食は無しだ。カミュの分は今後一切、私は作らないからな!」

 

 もはや、リーシャを止める事は不可能だった。

 一行の食事は、野宿でない限り、基本的にリーシャが作っていた。それが食せなくなるという事は、自分で作るか、もしくは食さないかしか残されていないのだ。

 

「…………ごめん………なさい…………」

 

「あっ! わ、私も、申し訳ありませんでした」

 

 すかさず謝罪の為、頭を下げるメルエとサラ。メルエに至っては、もはや涙目である。

 生まれて初めて暖かな食事をメルエは知ってしまった。もう、その暖かな食事を奪われる事に耐える事は出来ないのであろう。

 

「……」

 

「…………リーシャ………ごめん……なさい………ぐずっ…………」

 

 それでも返事を返さないリーシャの足元に寄って来たメルエが何度も頭を下げ、リーシャを見上げる。その姿に、段々とリーシャ自身が悪い事をしているような気持ちになって行く。

 そして、遂にリーシャは折れた。

 

「……反省しているか?」

 

「…………ん…………」

 

「は、はい!」

 

 リーシャの言葉に、メルエとサラは大きく頷いた。

 二人の表情に、リーシャは厳しい顔を作ったまま頷きを返す。

 

「……今回だけだ。許してやる。さあ、朝食を食べよう。カミュの分は三人で分けよう」

 

「……いや、俺も悪かった。少し度が過ぎた。すまなかった」

 

 カミュの席に置いた皿を取り上げ、サラとメルエの皿へ分けようとするリーシャに対し、最後にカミュの頭が下がった。

 カミュとしても、『食』が大事な事は承知である。ただ、以前のカミュであれば、自分で何かを作っていた可能性はあるのだが。

 

「……わかった。じゃあ、座れ。言っておくが、私はあんな物は食べないぞ!」

 

「……ああ、もうアンタの頭の悪さは諦める事にするさ……」

 

「……お前は……本当に食事はいらないらしいな……」

 

 せっかくリーシャの許しを得たにも拘わらず、収まり始めた火に再び油を注ぐようなカミュの言動に、サラは驚き、メルエは怒った。

 

「…………カミュ………だめ…………」

 

「……ああ……すまなかった……」

 

「あははははっ。あ、あんまり笑わせないでくれ……あははははっ……」

 

 リーシャとカミュのやり取りに続き、メルエとリーシャにサラとリーシャ。最後にメルエとカミュに、カミュとリーシャ。休む間もなく続く、どこかほのぼのとしたやり取りに、トルドの笑いはなかなか収まらない。

 

「トルド! 私は真剣だ!」

 

 いつまでも笑い止めないトルドに、リーシャは叫ぶ。そこに、年長者に対しての敬意など欠片もない。あるのは、親しみを込めた叱責。それが、トルドにとって、何よりも嬉しく、そして可笑しかった。

 朝有った重苦しい雰囲気など、どこかに霧散して行き、変わって生まれたのはどこか暖かく優しい空気。その空気の中、笑い声が絶えないまま、五人は朝食を終えた。

 残念なのは、最後までトルドの両親は、居間に姿を現さなかった事だろう。

 

 

 

 食事を終え、トルドにそれぞれの武器を手入れしてもらった時、トルドはメルエの持つ<魔道師の杖>に気がついた。

 

「メルエちゃんも、杖を持つようになったのか?」

 

「…………ん…………」

 

 誇らしげに杖を掲げるメルエに、トルドは表情を緩めた。それは、杖を掲げる為に手を挙げたメルエの腰に、大事そうに<毒針>が装備されているのが見えた事もあるだろう。

 

「うん。どこから見ても、立派な『魔法使い』だ」

 

「…………ん…………」

 

 メルエが魔法を使う事をトルドには話していない。しかし、長年道具屋を営むトルドには、メルエが纏う魔力がおぼろげながらも見えていたのかもしれない。

 そんなトルドの褒め言葉に、メルエは満面の笑みを持って応える。しかし、すぐにメルエは表情に陰りを見せた。

 不思議に思って、下げてしまったメルエの顔を覗き込むようにトルドが姿勢を変えると、不意にメルエの口が開き出した。

 

「…………アン………の………これ…………」

 

 メルエが指し示したのは、先程トルドが目に留めた<毒針>だった。メルエにとってそれは、トルドの物ではなく、アンの物。故に、アンの花冠をトルドにあげるか、この<毒針>を返すかしかないのだ。

 

「いいや、それもメルエちゃんが持っていておくれ。それがアンの代わりにメルエちゃんを護ってくれるのなら、これ程嬉しい事はない」

 

 しかし、その返還もトルドは許さなかった。もう、決定的な死というものからメルエを護っている武器。ならば、この先もメルエの護身刀となって欲しいというのがトルドの願いだった。

 

「…………ん…………ありが………とう…………」

 

「ぐずっ……うん……メルエちゃんも元気でな……」

 

 

 

 武器の手入れを終え、トルドの家を後にする一行に手を振るのはトルド一人だった。トルドの両親は最後まで自室から出て来なかったのだ。それがサラの心に不安として残って行く。

 

 人を導く者として、何かをしようと思っていた矢先の出来事。

 自分に何か出来る事があったのではないだろうか?

 もっとかける言葉があったのではないか?

 サラはそう思わずにはいられなかった。

 

 <カザーブの村>の門を潜った一行は、再びカミュの下へと集まる。

 カミュの袋の中にある『金の冠』の奪還を依頼した人間の待つ城へ向かうために。

 リーシャもサラも、その人物に聞きたい事は山ほどあった。しかし、その場で言葉を発する事が出来る唯一の人物が、その事を問いかけるかは解らない。それでも、何故か、リーシャにもサラにも『カミュはそれを追求するだろう』という自信があった。

 

「ルーラ」

 

 それぞれの想いを乗せ、一行の身体は上空へと浮かび上がる。

 そして、日が高くなった空へと消えて行った。

 

 

 

 




読んで頂きありがとうございました。

次話で第三章も終わりです。
長々となかなか進行しない物語ではありますが、よろしくお願い致します。

ご意見ご感想を心よりお待ちしています。

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