「おい、まずどこに向かうんだ?」
アリアハンの城下町を出てすぐに、リーシャは旅の計画についてカミュと話し合う必要性を感じ、声をかけた。
「まずはレーベの村に行く。何にせよ、このアリアハン大陸から出ない事には仕方がない。国王からも大陸の出方は教えて貰ってはいない……大陸からの出方も教えずに、『魔王討伐』か……」
吐き捨てるように、アリアハン国王への愚痴を言うカミュに対し、リーシャは眉をしかめた。
王都の中でこのような事を公に言えば、不敬罪で処罰されるぐらいの物だ。
それを、王都から離れたとはいえ、宮廷騎士の一人である自分の前で発する等、どうゆうつもりなのだろうかと。
リーシャは抗議の言葉を発しようとする。
「おい! お前そ……」
「お待ちくださ~~~~~~~~~~~~い!!」
リーシャの抗議の声は、後ろから唐突にかけられた大声に阻まれる。リーシャは反射的に声のした方を振り返るが、カミュは相変わらず無表情で手元の地図を睨んでいた。
声は城の方からした。
見ると、一つの人影がこちらに近づいて来ている。
リーシャはいざという時の為に、右手を腰に差す剣の上に置いて低く姿勢を取った。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
しばらくすると、小さかった人影が大きくなって行き、カミュとリーシャの前で停止する。
それは、遠くからでは分からなかったが、法衣を纏ったカミュと同世代の少女であった。
背はリーシャの肩ほどまでしかなく、髪は癖のない黒味がかった蒼色の物を肩の下まで伸ばし、眼は慈愛に満ちた碧眼。
「何者だ……?」
リーシャは未だに自分たちの前で息を整えることに必死な僧侶に声をかける。
この時点でも、カミュはまだ地図を睨んでいた。
「はぁ……はぁ……は、はい! わ、わたくしは、アリアハンの僧侶でサラと申します。失礼ですが、勇者カミュ様でよろしかったでしょうか?」
息が整えきれずに話し始めたため、とても流暢なしゃべり出しではなかったが、それでもきっちりと名乗りを上げる少女にようやくカミュは地図から顔を上げた。
「…………」
「あ、ああ、そうだ。こちらが、オルテガ様のご子息であるカミュだ。私はアリアハン国王様から同道を命じられた宮廷騎士のリーシャという」
顔は上げたが返事をしようとしないカミュの代わりに、リーシャが慌てて名乗りを上げる。
サラと名乗った少女は、それでもにこやかな笑顔を向けていた。
「ありがとうございます。勇者カミュ様にお願いがございます。どうぞ、このサラも勇者様の旅への同道をお認め下さい」
サラは言葉と共にカミュの前に跪き、まるで一国の国王にするような対応を取る。
その態度にリーシャは驚いたが、隣のカミュは冷たい目を向けるだけであった。
「あ、あの……」
一向に返事を返さないカミュにしびれを切らし、サラが恐る恐る顔を上げる。
サラが顔を上げると、無表情で自分を見下ろす冷たい瞳と視線がぶつかった。
その視線と目を合わすだけで、死へと誘われるような感覚をサラは受けてしまう。
「い、良いじゃないか。回復魔法が使える僧侶は、旅には必須だぞ。こちらとしては願ったり叶ったりじゃないか?」
カミュの態度に『またか』という思いを持ちながら、リーシャは僧侶を仲間に加える利益を説く。
街や村から城へと延びる街道沿いにも魔物が横行する時代である。リーシャの言う通りに、回復魔法を使う事の出来る僧侶を旅の時に雇う商団などは多い。
魔王討伐となれば、魔物との戦闘の数は十や二十では済まないだろう。
多少の傷程度であれば薬草で十分補えるが、深い傷となれば回復魔法でなければ治癒が難しくなる。
街や城の近くであれば、治療のために一度戻り、街にいる回復魔法の使い手に金を支払い、治療をして貰う事も可能であるが、旅に出ればそんな都合のいい形で街があるとは考え辛い。
故に、長旅には回復魔法を使える人間が必ず同行する事になる。街の教会の収入源の一つは、そうした旅の同行での報酬で成り立っているのが現状であった。
「あ、あの、まだ僧侶として未熟ですので、高度な回復魔法は使えませんが、旅への同道を認めて頂けるのであれば、今以上の努力をお約束致します。必ず勇者様のお役に立てるような僧侶となります。ですから、ですから……」
最後の方は感極まって涙声になっているサラに驚いたリーシャであったが、カミュは未だ冷たい目でサラを見下ろしていた。
「おい、カミュ。何か言ってやれ。このままでは、あまりにも不憫だろ」
「……何故、そこまでして旅に出たい?」
簡潔な疑問。
街の僧侶であれば、この時代なら食うに困る事などは、まずあり得ない。
であるならば、比較的安全な旅に同行し、報酬を貰った方が利口であるのだ。
「そ、それは……」
「俺の旅は安全どころか、ただ死に向かうような旅だ。それに報酬など払えない。俺の旅に付いて来たとしても一文の得にもならない。僧侶であるならば、商隊に同道して報酬を貰っていれば、地位も食も保証される筈だ」
表情も変えずに淡々と事実を述べ、跪いているサラに向かって、少しの温情も見せないカミュに対し、リーシャは我慢が出来なかった。
「もう良いだろう! 人には言いたくはない事情もある。この子の面倒は私が見る。私と同じようにお前に勝手について行くさ」
横からのリーシャの怒声に、少し視線を動かし、カミュは溜息を吐いた。
そのカミュの態度に、益々怒りを増長されたリーシャは、未だ跪いているサラを立ち上がらせようと腕を取る。
だが、当のサラは、そのリーシャの腕を控えめに解き、改めてカミュに頭を下げたのだ。
「私は孤児として、アリアハンの教会の神父様に引き取って頂きました。それまではレーベの街に住んでおり、両親はレーベで商人をしていましたが、十四年前に私を連れてアリアハンに行く途中で魔物に襲われ命を落としています。母が遺体となりながらも私を護ってくれていた時に、魔物討伐隊に同道していた神父様に救って頂き、今に至りました」
サラが自分の痛ましい過去をぽつりぽつりと、カミュの顔ではなく地面を見ながら話し出した。
その内容は、過酷な過去ではあるが、今の時代ならば有り触れている話だ。
リーシャにしても、そのような孤児なら数え切れないほど知っている。
いや、サラはその中でもとても恵まれている方だろう。
如何に平和なアリアハンといえども、街全てに王の威光が届くわけではない。スラム街と呼ばれる一角の存在もあり、そこにいる子供は、娼婦の子か魔物に親を殺された孤児である者が大半だ。
盗み等の犯罪にも手を染め、雨を凌ぐ場所もない子供すらいる。
生きるために必死なだけだが、そのような子供が成長したとしても、まともな仕事に就ける訳がない。
大抵の者が盗賊稼業に身を落とすか、良くて剣の腕を磨き冒険者として生きていく者が多いのだ。
それに比べれば、例え両親を失ったとはいえ、教会の神父に拾われ、生きていく技能を指南してもらえたことを考えれば、孤児の中では幸福な部類に入るだろう。
「それで、魔物へ復讐か?」
カミュの言葉は感情が籠ってはいなかった。
まるで、人形に話しかけるように、サラへと言葉を浴びせる。
「……はい……魔物が凶暴化したのは魔王バラモスの影響だという説が有力です。ならば、両親の仇はバラモスです。魔王討伐には何人もの人間が向かいましたが、未だに倒せた人間はおりません。しかし、勇者様なら……英雄オルテガ様の血を引く貴方様ならと思い、私はここにおります。私の個人的な問題ですが、魔王討伐にかける想いは嘘ではありません。勇者様!どうか……どうか、このサラの力をお使い下さい!」
『復讐』
その言葉をサラは否定する事をしなかった。
親を目の前で殺されたのだ。
その復讐心が消えずに成長するのも当然だろう。
ただ、その復讐の為に、アリアハンの英雄と謳われた者の息子である勇者を利用する事を、臆面もなく言い切ったその神経にリーシャは驚愕した。
「……ふっ、自分の復讐の為に他人を利用する僧侶か……勝手にすれば良い。まぁ、俺が断っても、そこの女騎士が既にアンタの身柄の保証はしたらしいが……」
カミュは自嘲気味な笑みを浮かべ、サラから視線を外した。
カミュの視線が外れると同時に、それまでのやり取りに対する気負いなのか、それともこのプレッシャーこそがカミュを勇者たらしめん物なのかはわからないが、サラはその場に崩れそうになる程の疲労を感じた。
「しかし、こんな事はこれっきりにしてくれ。この調子では、俺が許可していないにも拘わらず、何時の間にか大行列を作って歩かなければならなくなりそうだ。アンタ方が勝手について来る事については、この際何も言わないが、これ以上の人間は邪魔になるだけだ」
サラは心底迷惑そうに言葉を発するカミュを信じられなかった。
サラは孤児だったため、友と呼べる者が存在しない。
街にいる子供達は、街で商いをする者達の子供が多い為、自然とその仲間達で集団を作り、その他の者を排除しようとする。
その対象になるのが、孤児達だった。
幼い頃、教会でのお勤めを終えると、神父様に『外で遊んでおいで』と言われて外に出された。
しかし、孤児であるサラと遊んでくれるような子供は誰一人いない。いつも遊んでいる子供達を遠目に見ていて、稀に人数合わせの為に誘ってくれる事がとても嬉しかった。
子供の遊びと魔王討伐を一緒にするのはとても失礼な事だろう。
しかし、人がいる事を邪魔だという気持ちがサラには理解が出来なかった。
「わかった。まあ、魔王討伐に行こうという酔狂な人間がそんなに多くいるとは思えないが……。サラと言ったな?……改めて自己紹介をしよう。アリアハン宮廷騎士のリーシャという。国王様の命で魔王討伐に同道している。これからは長い旅になると思うが、よろしくな」
先程のカミュの発言に答えたリーシャが、そのまま自分に目を向け話し始めた事で、サラは我に返った。
「あっ、は、はい! こちらこそ、宜しくお願い致します。あっ、改めまして、サラと申します」
自分に声がかかっていることを認識し、その内容を飲み込んで、サラは慌ててリーシャに向け頭を下げた。
その拍子にサラの肩まである髪は下へ流れ、頭の上にある僧侶を示す帽子が地面に落ちてしまう。その帽子を慌てて拾うサラの姿に、リーシャは笑いを堪え切れず、優しい笑みを浮かべていた。